近 況 心 境

岡  正 章
203 『ヨハネ伝講義』を拝読して(2)


 谷口雅春先生著 『ヨハネ伝講義』 より、つづきを謹写させていただきます。

 
≪……唯今、「鳴り出でる」 と云う語を使いましたが、日本の古典にも 「高天原に成りませる神の名は天(あめ)の御中主(みなかぬし)の神」 とありますのは、実は高天原即ち大宇宙に鳴りひびいていた言(ことば)が 「天(あめ)」 即ち宇宙の 「御中(みなか)」 すなわち本源の神様だと云うことでありまして、宇宙の本源がコトバだと云うことをあらわしている訳で、どの宗教でも同じであります。

 仏教では如来の名号
(みょうごう)即ちコトバによってお浄土が出来ている。そのお浄土へお詣りするのは、如来の名号と、こちらの生命の波長を合わせれば好い、すると、今ここに浄土が出現して来ると云うことになるのであります。

 全く 「信心」 と 「名号」 と 「浄土」 又は 「天国」 とは一つのものであるのであります。
 それで、「此の名を信じた者はすぐに神の子となる権を与え給えり」 と云うことになるのであります。

 もろもろの自力の修行によって段々神に寄り近づいて行くのではない、既に神の子である、「聞信
(もんしん)」 によって自覚すれば好いと云うのでありますね。

 次に 「かかる人は血脈
(ちすじ)によらず、肉の欲(ねがい)によらず、人の欲(ねがい)によらず、ただ神によりて生れしなり」 とあるように、血脈により肉体によって、誰の血統から生れたから、その肉体の系譜はどうであるから神の子であると云うのでないのであって、神から生れたものが神の子である、とこうあるのであります。

 ……人間は親の肉欲の結果生れたのではなく、人が欲しいからと云って、自分の好きなように、男を生んだり、女を生んだり出来るものではない。
 神がその自己実現として、どうしても宇宙の内部から生れ出るように 「押し出す力」(urge)となって、その神の要請によって生れ出たものである。だから人間はすべて神の子である。

 別に他の方法や教えによって神の子になるのではない、凡夫が修行をして神になるのではない、神から生れた者が神になる、本来仏である者が仏になるのであります。

 「言
(ことば)は肉体となりて我らの中に宿りたまえり。我らその栄光を見たり、(げ)に父の独子(ひとりご)の栄光にして、恩恵(めぐみ)と真理(まこと)とにて満てり。」
    (「ヨハネ伝」第1章14節)

 此処に 「コトバが肉体となって我らの中に宿っている」 と複数になっていることを注意しなければならないのであります。イエス・キリストだけの中にコトバが宿っているのではないのであります。総ての人の中に神の言(ことば)――仏の名号――が宿っておるので、それが肉体の如く現われているのであります。

 「我ら其の栄光を見たり、実
(げ)に父の独子(ひとりご)の栄光にして恩恵(めぐみ)と真理(まこと)とに満てり」 であって、ヨハネは此処に我らの中に 「言」 即ち如来の 「名号」 が宿っている、其の栄光を自分は見た、之は父の独子の栄光を見たと云うのである。

 吾らは皆、神の独子(ひとりご)だと云う訳であります。独子が沢山あるのであります。独子だと悟らないで迷っている人は、放浪の旅に出ている 「放蕩の息子」 なのであります。

 今迄の普通の説き方をなさるクリスチャンは、独子(ひとりご)と云うと、イエス・キリスト一人だけしかない様に思っている。ところがちゃんとヨハネ伝には皆神の子である、皆すべての人間に神の栄光が宿って居る、そうして皆輝いている、皆父の独子であると云うことが書いてあるのであります。≫


 ――「独子
(ひとりご)が沢山ある」 というのは、常識的に考えたらおかしいのでありますが、それは、人間はみなそれぞれ別々の存在だと見ている、肉体を見ているからおかしいと思うのであって、人間は肉体ではない。時空を超えた 「久遠の今」 なる命において、「一つの命」 であるから、 「みんな独子(ひとりご)」 であって矛盾しない、おかしくないのであります。人間は皆、絶対なる神の世嗣(よつぎ)として、神の持ち給える全財産すなわち全宇宙のすべてを継承した神の独子(ひとりご)であるのであります。バンザーイ!

  (2016.1.31)
202 『ヨハネ伝講義』を拝読して


 「ひろば」 に 「トレモス」 様が、谷口雅春先生著 『ヨハネ伝講義』 を拝読しての決意感想を投稿してくださっている。

 私は大いに啓発され、これから進むべき道がはっきりしてきて、たいへんうれしく思います。

 「ひろば」 の #69 にトレモス様が書かれていること

≪イエスは、ペテロに 「羊を養うこと」 を命ずる。

谷口雅春先生が 「人類光明化のパテントは読者ひとりひとりにゆずった」 とおっしゃったのは、このイエスの言葉と同じであって、読者たちに、生命の実相独在の真理によって、あらゆる人生苦にあえぐ人々を救ってほしい、と願われたことを意味している。

私たちは生命の実相の真理をさらに深く学び、この尊い真理を人々に伝えていくことが、ご恩に報いるもっとも大事なことなのであると、私は信じる。

「真理」 を伝えていくことが、そのまま運動でもある。≫


 ――これは、 「近況心境」 #199 に私が書いていることと、軌を一にするものだと思います。

≪人間は皆、神の子であり、宇宙の中心であり、「ス」 (時空未発の本源世界、「久遠の今」に立つとき、宇宙は澄み浄まるのである。

 人々皆 「ス」 に還り、その環境が浄まるとき、やがて宇宙全体が浄まり、地上天国が実現する。≫

 ――この 「ス」 に、ヨハネ伝の冒頭にある 「太初
(はじめ)に言(ことば)あり」 の 「言(ことば)」 があることを、谷口雅春先生は次のように御講義くださっています。

≪ 太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、万(よろず)の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之(これ)によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき。光は暗黒(くらき)に照る、而して暗黒は之を悟らざりき。
        (ヨハネ伝第1章1-5節)

 (御講義より) 日本の国は、言霊
(ことたま)の幸(さきは)う国と古くから云われておりまして、言葉の力を讃える国でありました。それで日本では言葉と云うものを大切に取扱いまして、仮初(かりそめ)にもわるい言葉を吐かないようにしていました。そして若(も)し悪い言葉で宇宙を掻き乱したら善き言葉を祝詞(のりと)によって宣べることにより、天地を清めると云うことにしていたのであります。

 祝詞と云うのは 「祝福の詞
(ことば)」 と云うことであって、悪しきものがあらわれていても、そんなものはない 「ありがたいものばかりだ」 と善き言葉で祝福の詞をのべることによって、天地の穢(けが)れを祓(はらい)清めることをやっていたのであります。

 「言
(ことば)は神である」 と云う其の言葉と云うのは、生命のバイブレーション(振動)であります。「太初に言あり」 と云うのは、一切のものは波動が最始原のものであると云うことであります。「苟(いやしく)も、波動のあるところに神がある」 と云うのが、「コトバは神と偕にあり」 と云う事であります。
 「偕にある」 と云うのは 「別のもの」 が併列してあるのかと思うと、そうではない。「言は神なりき」 であって言と神とは同じものだと云うことであります。

 この 「言」 と云うのは英語ではゴド(God)と濁っておりますが、神様のことであります。言葉が神様である、一切のものは言葉によって造られているのであります。

 「言
(ことば)は神様である」 と云うのは、吾々は古代から神様のことを 「命(みこと)」 と言います。美(み)は美称であります。神様とはミコトバ様だと云うことなのであります。

 漢字に当て嵌めても 「ミコト」 と云う字は命令の 「命」 が書いてある、命令は口でする、即ち漢字でも言は神様である。

 その 「命
(ミコト)」 と云う字は 「命(いのち)」 とも読む。言(ことば)は又命(いのち)であって、『ヨハネ伝』 の最初に 「太初に言あり」 云々と書いて 「之に生命あり、この生命は人の光なりき」 とこう云うように書いてあるのに一致するのであります。

 それで、言は神であり、生命である。旧い訳の新約聖書には 「道」 と云う字を書いて 「ことば」 と振仮名を付けてあります。「道」 と云うのは吾々の肉体の足が歩いて行く道のことではないのでありまして、天地遍満の道、即ち天地にミチミチているから 「ミチ」 である。

 「道」 は 「いう」 とも読む字であって、言葉である。そして 「道」 と云う字は 「首
(ハジメ)」 に 「辵(ススム)」 と云う字画であります。詰り、天地にミチていて、事物のハジメを成しているものが言即ち、波動であり、それが一切の本源である神であって、それから万物が発生したと云うのであります。

 それで、万物は一切この言葉によって展開したのであって、この言葉が大切なのであります。

 それで吾々が病人に対して 「お前はもう病気でない、神の子である」 ということを言葉で言えば、それが本当に力ある言葉であれば病人が治るということにもなるのであります。

 そうかと思うと、あべこべに、「お前は罪人であるぞ、いくら善くなろうと思うても善くなれない凡夫である」 と云うようなことを言ったら、やはりその言葉の力によって、いくら善くなろうと思うても、善くなれないと云う風なことになるわけであります。

 このように言葉は命
(いのち)であり、神様であり、命令であり、天地に満つる道であると云うことになるのであります。

……(中略)……

 「神より遺
(つかわ)されたる人いでたり、その名をヨハネと云う。この人は証(あかし)のためにきたれり、光に就きて証しをなし、又凡ての人の彼によりて信ぜん為なり。彼は光にあらず、光に就きて証せん為に来れるなり。」(ヨハネ伝第1章6-8節)

 (御講義) その頃、神より遣されたる人があった、それはヨハネと云う。――此のヨハネと云うのは此の福音書に書いてありませんけれども、水行
(すいぎょう)をしたり或は蜂蜜ばかりを嘗めて居ったり色々減食とか断食とか苦行をやって、そして段々神に近づこうと云う風なことをやって居られた自力修行(じりきしゅぎょう)の代表者としてここにあるのであります。此の自力修行は到底本当の神と云うものを掴むことが出来ないのでありまして、それが此処に書いてあるのであります。

 自力修行と云うものは光そのものにはならないのであって、光につきて証
(あかし)するのである。こつこつと水行をしたり、断食したり、減食したりすると云う自力の修行によっては到底仏の境地へ、仏其のままに成り切らないと云うことになるのであります。光はあるが、光に近づく道がわからない、修行をしていて暗中摸索であります。

 しかし今や光を実現した人が出て来た。それはヨハネの霊感によってわかる。これが其の人だと云うことはわかると云うのであります。その「暗中摸索の声」が即ち「荒野
(あらの)に呼ばわる声」であります。荒野は迷いの世界であり、声はまだ野生のままで言にはなっていないのであります。其処へ愈々言の実現者としてキリストが出現したと云うのであります。

 「もろもろの人をてらす真
(まこと)の光ありて、世にきたれり。彼は世にあり、世は彼に由りて成りたるに、世は彼を知らざりき。かれは己の国にきたりしに、己の民は之を受けざりき。されど之を受けし者、即ちその名を信ぜし者には、神の子となる権をあたえ給えり。かかる人は血脈(ちすじ)によらず、肉の欲(ねがい)によらず、人の欲(ねがい)によらず、ただ神によりて生れしなり。」
      (第1章9-13節)

 ところが此処に人を照らす真の光があって出て来たと云うのであります。之はイエス・キリストのことであります。

 「彼は世にあり、世は彼に由りて成りたるに世は彼を知らざりき。」 つまりキリストの生命
(いのち)は宇宙遍満のコトバがその生命として宿って出現したのである。宇宙の創造はコトバによって即ち波動によって行われたのである。従ってコトバが宇宙の創造主(つくりぬし)であり、誰でも自分の中に生命が宿っていることを知る者は、この世界は自分のコトバの所造だと知らなければならない。ところが世は彼を知らなかったのである。

 そのコトバこそ真の光であった。つまり宇宙を照らしている光明遍照の光がそこに人格化して現われて来ているのでありますけれども、それを知らない人が多いのであります。然し、コトバが創造主であり、そのコトバが自分に宿って自分の生命となっていると云う真理を受け信じた者は、神の子となる権を与え給えられていると云うのであります。「その名を信じた者」 と云うのは、「名」 はコトバであり 「実相」 であります。

 自分の 「実相」 が宇宙の創造者たるコトバと同体であると知った者は、既にもう神の子である。
 世を照らす光がやって来た。それはお前の生命の中に宿っているではないか。その光を見よと云うのであります。

 見ると云うことは知ることであり、知ることが信ずることなのであります。

 「わからんから信ずるほかはない」 と云うような 「信」 は本当の 「信」 ではないのであって迷信であります。「其の名を信ぜし者」 即ち自己の実相を 「神のイノチ」 であると、如実に 「知った者」 が神の子なのであります。

 それを如実に知るまでは、神の子は神の子であっても、赤ん坊のときから羊の子の群に入れて育てられていたライオンのようなものであって、自分の周囲のすべての者がすべて羊の顔をし、羊のやさしい声を出しているものだから、自分も羊だと思っていると云う 『法華経』 にある喩の通りに、迷いの世界に生活していると、自分も迷いの人になって凡夫だと思っている。

 しかし山奥から、ライオンの声がきこえて来ると、内在のライオン性が出て来て、ライオンの子は自分の本性を自覚する。

 それと同じく、宇宙の創造者たるコトバが自分の生命だと云う自覚をもったキリストの声をきき、知り、信ずるものは自分もまた神の子となれるのであります。

 仏教でも、言葉と云うものを大切にしているのでありまして、如来の名号即ちコトバを聞信すれば、仏になり浄土に生れると云うのでありまして、信心と名号と浄土 此の三つのものは結局同じものなのであります。

 宇宙の本体はコトバである。そのコトバが自分に宿っている。自分の生命である。それが聞信によって自覚され、宇宙の大生命と一体になる。すると仏のコトバの展開した姿がお浄土でありますから自分の周囲に浄土が現実に客観的に展開して此処がこのまま天国であり浄土であると云うことになるのであります。

 そして其の信心と云うのは誰が証するかと云うと、別に誰も他の者が証明するのではありません。自分の中に宿っている神性或は仏性が自然に、悟れる人の言葉に開発されて成り出でるのであります。これを仏教では自内証と云っております。

 「大信心は仏性なり、仏性即ち如来なり」 と親鸞聖人が被仰いましたように、信心する心即ち仏性が自分の中に宿っていて、それが先輩の教えによって触発されて鳴りいでるのであります。

 その意味に於て先輩は吾々の恩人である。無限の生命が宿っていても、それを自覚させて頂かなかったら、「無い」 のも同然である、それを先師のおかげで自覚させて頂いて 「有る」 と云う状態にならしめて頂いたのですから感謝せずにはいられないのであります。

 釈迦とかキリストとか云われる方は其の先師のうちでも最勝の方であります。≫


 ――谷口雅春先生こそ、その釈迦・キリストの教えを完成させ、万教帰一の真理としてお教えくださっている、まさに「先師のうちでも最勝の方」であります。

<つづく>

  (2016.1.28)
201 時空を超え「久遠の今」に心魂を据えた勝利者となれ!


 
「僕は、どんな時だって決して魂の細胞の一つすら失望したことはありません。この世に失敗の機会なんかないと思っています」

 と言った(#200)ヘンリー・フォード(一世)は、


 「地上は霊魂休養の場である」


 とも言っている。

≪ トライン――エマースンが、悪とは 「未だ創造されつつある善である」 と言いましたね。

 フォード――そこです。「間違い」 は経験の源であり、智慧の泉である経験の精髄なんです。吾々はこの地球上の生活から得られるはずの全ての経験を得終わるまでは地上に生を亨けるのです。

 トライン――もう一つ吾々が地上に生を享けている目的があると思います。それは地上は、若き霊魂たちが霊魂の休養のために新しい空気を吸いに来るところだということです。

 フォード――若き霊魂たちはその仕事から大いに魂の休養を得るんですよ。≫


 と。(前掲書)

 フォードは、1日3時間ぐらいしか寝ないで、自動車の改良や労働者の待遇改善などに没頭し、現象面では休む暇もない日々を送っていたというが、そうした中で魂は休養を得ていたのか。――ということは、魂は現象に居らず、現象を超えた、時空を超えた 「久遠の今」 に心魂を据えていたということではないだろうか。

 時空を超えた 「久遠の今」 なる実相世界には、一切がある。だからフォードは、無一物と言ってよいような何も持たない状態の時、すでに自分は一切を持って出発したのだと言っているのである。

≪記者――若い時には資本も何もないほとんど無一物だったあなたが、これだけの事業を成就したのには驚嘆せずにはいられません。その秘訣をうけたまわりたくってまいったのですが。

フォード――失礼ですがちょっとちがいます。君は僕がそのとき「ほとんど無一物」だったとおっしゃるが、正しいとはいえません。誰でもあらゆる物をもって出発する。すべてがわがうちにあるんですからな。≫


 と。
(『生命の實相』第2巻第6章195~196ぺージより)

 ここで私は、武田信玄の 「風林火山」 を思い浮かべる。

 「疾
(と)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如し、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し」

 というのであるが、はやいこと風のように、侵掠すること火のように激しく動きながら、心は林の如くしずかに、山の如く不動であり得るのは、現象の時空を超えた本源世界 「久遠の今」 に心魂を据えていて初めて可能なのである。それが神想観の境地である、と思う。

 「久遠の今」 なる実相世界には、悪しきもの、恐るべきものは何もなく、敵はなく、失敗はない。死はなく滅はなく、病はない。無限の愛、無限の智慧、無限の生命が充ち満ちている。無限の喜びが充ち満ちている。すべてが無限向上、無限生長の道を歩んでいるのである。ありがたきかな。

     *  *  *

 琴奨菊 優勝! バンザーイ! おめでとうございます!

  (2016.1.24)
200 人生に、失敗は ない。日に新たに、日々に新たに、また日に新たなれ


 3横綱を破り全勝だった大関琴奨菊が、昨日豊ノ島に不覚の一敗を喫し、同じ一敗を守った横綱白鵬と並んで、優勝の行方は混沌となった。

 ここが正念場である。

 人生に、勝負に失敗、負けはつきものである。しかし、失敗を失敗とするか、「成功のもと」 「生長の糧」 とするかが本当の勝負である。

 負けた悔しさを掴みっぱなしだったら、また負けるかも知れない。負けも貴重な体験として生かし、まっさらな気持で出直し奮発してもらいたい。

 ――と、今日14日目の取り組みが行われる前に書いていました。

 今日終わってみれば琴奨菊は苦手だった栃煌山に快勝、有利と思われていた白鵬は稀勢の里に完敗。でまた琴奨菊が単独トップに立っていました。

 発明王トーマス・エジソンが、白熱電球を実用可能な時間点灯させるのに何千回もいろいろな金属や炭素線をフィラメントに使ってみて失敗を重ねたが、それは一つ一つすべて「この材料は駄目」ということを発見した、ことごとく「成功だった」のだと言ったことは有名な話だが、自動車王ヘンリー・フォード(一世)は、光明思想家ウォルドー・トラインとの対話で、「自分はいまだかつて一度も失望したことがない」と言っている。

≪ トライン――ところで今月はフォード自動車会社の創立二十五周年に当たるじゃありませんか。……フォード会社の沿革を簡単に話してもらいたいものですね。その創立、難関、失望、ついに成功というような問題ですね。

 フォード――いくたび僕は失望落胆したことがあるとお思いです? 一度もありませんぜ。僕は、どんな時だって決して魂の細胞の一つすら失望したことはありません。
 僕は、此の世界は、魂が経験を得るために生まれてくる世界だと感じています。だから、いつも希望が持って居られるのです。魂の経験を得ることが地上の生活の目的なんですから、ほかのことは何だって構わない。……僕は
この世に失敗の機会なんかないと思っています。≫
     
(『生命の實相』戦前版第16巻「経済生活篇」より。原文は旧仮名遣い)

 さて、日本の敗戦も、実相顕現(神の国実現)のための貴重な体験、ステップであったと言えるのではないだろうか。

 谷口雅春先生は、戦後日本が独立を回復してすぐの昭和27年8月に、『日本再建の道を拓くもの』 という論文を発表され、パンフレットとして数万部を日本全国有縁の人々に配布された。それは 『限りなく日本を愛す』 の第1章に収録されているが、それには次のように記されている。

≪   過去を捨てる自由

 新しき日本が生れる。新しい人間が生れる。朝々が新生である。昨日見た夢がどんなに見苦しいものであつたにせよ。夜がそれを消してくれたのである。新しき日本が生れる。新しい人間が生れる。新しい人生が生れる。

 新しい人生をつくり出す基礎は、過去を捨てる諸君自身の能力にある。敗戦した日本などはないのである。日に日に新しき日本である。戦前よりも数等すぐれたる新しき日本である。

 しかも占領下に押しつけられたる民主主義の日本であってはならない。すでにそれも過去である。過去はないのである。万物は常に新しく生れる。過去を把まなければ過去は消えるのである。押しつけられたる民主主義も結局過去のものである。それを捨てよ。捨てて新しきものを見出しそれに生きよ。

 押しつけられ、宣伝されたる民主主義の中には日本を弱めるために正しいと宣伝されたる思想が沢山混っている。それを脱ぎ捨てる事を反動だとか、軍国主義に還ることだとか思ってはならないのである。≫


 と。

 <つづく>

  (2016.1.23)
199 「大日本皇神学序説」を拝読して(9)


 私は、思います。

 高速回転するコマは倒れない。

 高速回転する人生の中心軸は、「久遠の今」 なる 「中
(みなか)」 なる 「実相」 「神(かむ)ロゴス」 なるべし。

 その中心こそ、「ス」 (澄みきりのス) である。

 そこに立って、周囲のすべてを礼拝し、祝福讃嘆し、高速回転せしめる。

 そして次第に上昇(魂が向上)して行く。

 高く昇る毎にますます広い範囲に光明化の結果(大調和)が拡がって行く。

 それが、皇神
(すめかみ)の 「ススメ」 である。

 人間は皆、神の子であり、宇宙の中心であり、「ス」 に立つとき、宇宙は澄み浄まるのである。

 人々皆 「ス」 に還り、その環境が浄まるとき、やがて宇宙全体が浄まり、地上天国が実現する――と。

  (2016.1.22)
198 「大日本皇神学序説」(8)


 大関琴奨菊が、この3日間で3横綱を堂々連覇し、12戦全勝を守っている。この調子なら10年ぶり日本出身力士の優勝を、15戦全勝で飾ることすら予感させるものがある。

 琴奨菊が今までの場所とちがうところは、土俵に上がった時、ルーティン儀式 「菊バウアー」 の前に、合掌して祈りの姿形を見せることである。もし私がインタビューアーなら、そのとき何を念じているのか、訊いてみたいものだと思う。「スメカミ(皇神)」 を念じているわけではあるまいが、天地の神と一体を念じ、無我無心の境地に入っているのだろうか。



 皇神(すめかみ)(#191参照)には敵はない。敵があるのは、相対の世界、現象世界であって、時空未発の「久遠の今」なる実相世界には対立はなく、敵はない、天下無敵なのであります。だから、皇神は必勝不敗の神であります。

          ○

 中心軸がブレないで、周囲が高速回転するコマは倒れないのであります。

 人間も、家庭も、会社も、国家も、そして世界も、中心軸がブレないで周辺が安心してよろこんで高速回転すれば、倒れない。みんなが生き生きと活躍し生長して、幸福になる。

 その 「ブレない中心軸」 は、常に変転する相対の世界――時空のスクリーンに映し出された無常の影に過ぎない現象界――に求めても駄目なのである。本源なる 「久遠の今」 なる 「中
(みなか)」、澄みきりの 「ス」 なる皇神(すめかみ)にこそ求めるべきなのである。

          ○

 谷口雅春先生は、「大日本皇神学序説」に、次のように書かれている。

≪……天皇が宇宙大神の顕現にましまさずして、単に戦国時代の群雄割拠国家群の中の一国の元首であらせられるにとどまると云うならば、天皇への 『忠』 の意義は宇宙的絶対価値を持つことが出来ない。

 ……吾等の日本国家は決して群雄割拠国家群中の一つではないのであります。それは、古事記の冒頭を見れば判然するのであります。『国稚
(いとけな)く浮脂(うきあぶら)の如く暗気(くらげ)なす漂える』 とあるその宇宙の初めなき初めからの全宇宙を 『国』 と云っているのが、これが日本国家であります。

 日本国家は 『国ヲ肇
(はじ)ムルコト』 誠に宏遠であって、宇宙の始めなき始めから、それ自身存在する、未だ途中から生じたることなき 『不生の国家』――随って 『不滅の国家』 こそ日本なのであります。

 かくて日本への忠は、宇宙の始めなき始めから存在する不滅価値への帰一であって、これこそ真に日本古代民族の自覚であり、この自覚を 『今』 に生きる事こそ現代日本人の思想信仰戦の第一でなければならないのであります。≫


          ○

 谷口雅春先生は戦時中、「皇軍必勝」 という短冊をたくさんお書きになった。それは
「真に日本全国民が、神皇と神国との実相を知って戦うとき必ず勝つということを私は信ずるものである」 (『生長の家』昭和19年7月号) というお心からであった。

 しかし、昭和20年1月、先生は、

 
「今日は本当のことを言うが、僕は今の日本の戦は、陛下の御意志でないと思う。(中略)

 一視同仁の神のみ心から御覧になったら、アメリカ兵といえども神の子である。その神の子であるアメリカ兵を出来るだけたくさん殺す方がよいというような、そういう戦争は神の御心ではない。したがって無論、陛下の大御心ではない。したがってそういう戦争をする日本軍は皇軍ではない。
(中略)

 僕は 『皇軍必勝』 と皇軍の勝つことを祈り書いているが、その皇軍は今の日本の軍隊のほかに別にあるような気がする……」
(中略)

 「日本軍、日本軍というもの悉くは皇軍にあらず、ただ天にまします吾が父の御意
(みこころ)を行う者のみ、皇軍すなわち神の軍だと思う」 (『生長の家』昭和21年2月号)

 と述べられている。

          ○

 「大日本皇神学序説」の最後に、谷口雅春先生は次のように書かれている。


≪満州への教化旅行に出発せんとする前日、徹夜、宇宙真理国家たる日本国を想い大君を仰ぎ奉り、草莽
(そうもう)の微衷のなお邦家の全臣民の心を動かすこと能わざる臣谷口の無力を恥じ、涙滂沱として眠る能わず、此の稿を整理す。

 日本国民全部が天皇を宇宙神として仰ぎ奉らざるは吾が罪なり。邦家思想信仰界の現状目を蔽わしむるもの多く、ために吾が視力頓
(とみ)に減耗(げんこう)せるを覚ゆ。

 頼山陽は杜鵑
(ほととぎす)血を吐く想いにて広島の四帖半裡に幽閉され、肉体に血を吐く疾をあらわして 『日本外史』 の執筆に専念せり。吾れまた視力を失うとも、邦家思想界の現状に憤激を止むること能わず、愈々励みて皇国の道を筆に口に教化伝道せんのみ。これ皇臣としての吾に与えられたる唯一の道なのである。≫

 ――このときもう先生は現象日本国の惨敗を予感しておられたのではないだろうか。

 <つづく>

  (2016.1.21)
197 「大日本皇神学序説」(7)


  #194 「プリンス・オヴ・ウェールズ轟沈」 の話のつづきです。

 大東亜戦争緒戦の昭和16年(1941)12月10日、日本海軍航空隊の魚雷攻撃は見事に最強を誇る英国東洋艦隊の旗艦プリンス・オヴ・ウェールズを轟沈させた。そしてまもなくシンガポール陥落。日本中が狂喜して勝利の美酒に酔った。

 しかし、谷口雅春先生は 『大日本皇神学序説』 に書かれています――

≪プリンス・オヴ・ウェールズをいくら轟沈しても、『敵対』の妄念がある限りは轟沈しても轟沈しても又出て来るのです。形は『念』の投影だからであります。

 だからユダヤ民族の謀略に『止
(とど)メ』を刺し、米英の策動に『止メ』を刺すには『敵対』の形の根元になっているところの心を撃砕しなければならない。即ち皇神(すめかみ)に反逆するところの心を撃砕してしまわなければならない。≫

 と。

 日本中が 「鬼畜米英、撃ちてしやまん」 と叫んでいたのは、「『敵対』の妄念」 だったのであります。日本人自身が、「『敵対』の形の根元になっているところの心、皇神に反逆するところの心を撃砕」 しなければならなかったのであります。

 それができなかった結果、翌1942年6月には もう形勢逆転、ミッドウェー海戦で日本海軍は完敗を喫し敗戦への道を転がり落ちることになる。

 アメリカ海軍は1941年12月日本の真珠湾攻撃で太平洋艦隊主力の戦艦部隊が行動不能になったが、稼働状態にあった空母「ホーネット」を日本に向けて進撃させ、1942年4月18日、ドーリットル中佐率いる16機のB25爆撃隊が東京・名古屋・大阪を12時間かけて散発的に爆撃した。日本本土上空に米軍機の侵入を許したことは大きな衝撃だった。

 驚いた日本海軍はミッドウェー島を奪取して基地としハワイを攻略する作戦を立て、ミッドウェーに総戦力を結集した。それは米国海軍の戦力を大きく上回るものだった。

 日本軍は敵を侮っていた。しかし、その計画は暗号解読により米軍には筒抜けだった。

 米国海軍太平洋艦隊は投入できるすべての空母戦力を結集、機動部隊を編成し、6月5日から7日にかけて日本の艦隊を空から奇襲攻撃。
 日本海軍は主力の正規航空母艦4隻をすべて失うことになる。

 最後まで敵空母3隻を相手に孤軍奮闘した第二航空隊旗艦「飛龍」も遂に沈没、山口多聞少将・艦上爆撃隊小林道雄隊長・加来止男艦長らも同艦と運命を共にする。艦載機289機、重巡洋艦1隻も失って、ミッドウェー作戦(6月8日にミッドウェー島上陸の計画)そして続くハワイ作戦は不可能、ご破算となった。
 英国戦艦プリンス・オブ・ウェールズ撃沈から半年後のことである。

 それから日本は加速度的に敗戦への道を辿る。

 不沈艦として建造された6万4000トンの戦艦大和も、1945年3月末に沖縄を守るため広島県呉の軍港を出発したが、その途上で4月7日、米軍偵察機に発見され12時30分過ぎ第1波で約260機、第2波130機の爆撃機攻撃を受け、約10発の推定250キロ爆弾・約7本の魚雷が命中し、死闘約2時間の後13時30分ごろ遂に沈没。伊藤長官、有賀艦長、茂木航海長、花田掌航海長らが艦と運命を共にした。

 戦死者は4037名。生存者は269名に過ぎなかった。

 そうしてまもなく大日本帝国は終焉の日を迎えることになる。

 そのとき私は国民学校(小学校)6年生でした。

 <つづく>

  (2016.1.21)
196 「大日本皇神学序説」(6)<「天皇陛下の生き方を学ぶ早朝勉強会」報告2>


 昨日のつづきです(1月17日に行われた東京第一教区相愛会の 『天皇陛下の生き方を学ぶ早朝勉強会』 続報)。

 ⑤教化部長の講話――木場教化部長は学生時代から「古事記と生命の教育」について鹿沼景揚先生、野木清司先生などから真剣に学び、日本神話の精神に精通した方ですから、この日もにこやかに古事記神話の話をされました。

 そして、神想観の最初にいつも唱えている 「招神歌
(かみよびうた)」 の第一首

 「生きとし生けるものを生かし給える御祖神
(みおやがみ)

 の「御祖神」は、本源神、すなわち古事記神話では「天之御中主神
(あめのみなかなぬしのかみ)」である。そして第四首で

 「生長の家大神守りませ」

 と唱える 「生長の家大神」 は、その応化神である、と話されました。

 それは古事記神話では塩椎大神
(シホツチのおおかみ)、住吉大神(すみのえのおおかみ)。龍宮の大神であり、神武天皇御東征を導き奉り、神功皇后三韓征伐のとき潮干珠・潮満珠を授けて勝利に導き給うた神、終戦のとき田中静壱大将を守り反乱軍を鎮め給うた神である。そして仏教的に言えば観世音菩薩であり、キリスト教的に言えば久遠のキリスト・七つの燈台の点燈者である。ということは、招神歌には人類光明化運動指針第五条(#195参照)の精神が込められていると考えられる、と私は思いました。

          * * *

 上記の勉強会を終えた時、私のそばに駆け寄り、耳元で「あなたこそ本当の生長の家の先生です」と囁いて、固い握手をされた方がありました。懼れ多いことです。

 また、そのあと午前10時から、新年度の運動方針を徹底するための相愛会長会議が行われた(私はその構成メンバーでなく参加していない)のですが、会議に出席してメールを下さった方があります。それには、こう書かれていました。

≪副会長たちが、生き生きと発表していました。生き返ったようです。
こうなったのは、岡先生のおかげと私は確信しております。

教化部長も一緒に心を動かしましたね。
部長も腹をくくったとおもいます。うそのつけない方ですので・・・

現在東京第一の相愛会では「実相独在」という言葉が当り前に使える状態になりました。

相愛会連合会長副会長みんな、眼を輝かしていましたよ。
対策部の方針を話す口ぶりが自信に満ちていました。興奮していましたよ。
早朝勉強会のおかげです。みんな天皇さまが大好きとわかりました。……≫

 ――まことに、ありがたいことです。

 わが業はわが為すにあらず、神のみ業だと思います。

 ありがとうございます。 感謝 合掌

 <つづく>

  (2016.1.20)
195 「大日本皇神学序説」(5)<「天皇陛下の生き方を学ぶ早朝勉強会」報告>


 昨日予告しましたように、今日はまず、一昨日1月17日(日)に行われた 『天皇陛下の生き方を学ぶ早朝勉強会』 (#190参照)について書かせて頂きます。

 生長の家東京第一教化部会館大拝殿で、1月17日(日)午前6時50分から8時50分まで、相愛会教区連合会主催の「天皇陛下の生き方を学ぶ早朝勉強会」が開かれ、私も参加しました。
(自転車ではなく電車で行きました)

 プログラムは、① 6:50~7:15 神想観実修(25分間)
          ② 7:15~7:20 連合会長挨拶(5分)
          ③ 7:20~7:40 研鑽発表(担当者の研究発表。20分)
          ④ 7:40~8:20 座談会(40分)
          ⑤ 8:20~8:40 教化部長の講評と講話(40分)
          ⑥ 8:40~8:50 連絡事項と閉会の祈り

 という流れで、5人の連合会副会長さんたちが司会進行・研鑽発表等を分担担当して行われました。二十数名の参加でした。

 ③の「研鑽発表」では、NM副会長が 「御製から学ぶ天皇陛下の生き方」 と題しての発表。14日に皇居で恒例の「歌会始の儀」が行われ、「人」を御題として発表された天皇、皇后両陛下をはじめ皇族方のお歌と、1月1日に発表された御製・御歌を資料として配られた。それと共に、以下の『新版 菩薩は何を為すべきか』第一章「人類光明化運動指針の解義」p.29~31等もテキストとして提示され読み上げられた。

        * * *

 第五条  生長の家の各員は、人間神の子の自覚が、日本民族が悠久の昔より世々代々承け継ぎ語り継いで来た「命
(みこと)」の自覚にほかならず、生長の家立教の使命が同時に日本建国の理念の現成(げんじょう)にほかならない事を明らかにすべきである。

 日本民族は存在の窮極を、一切のものの生成の根源たる普遍的絶対者を、天之御中主神
(あめのみなかぬしのかみ)として把握し、その「中(みなか)」への帰一とその「中」の展開、即ち宇宙普遍の原理の地上的顕現を日本国家形成の理念とし、天津日嗣(あまつひつぎ)とはこの理念のさながらなる継承以外にはなく、天皇の権威は権力をもって思うがままにこの国を支配する権利にあるのではなく、この理念の継承実現にまします事、

 従って天皇を中心と仰ぐ日本国家の発展は、天皇の人民支配の手段としての国家の発展と云うが如き専制的な性格のものでは微塵もなく、宇宙真理、即ち神意の地上顕現の至純至高の形体としての日本国家の発展である事

 これが日本神話の理念であり日本民族の理想であり日本建国の精神である。

 この真理現成の大まつりごとに、神の子として命
(みこと)として自己の責任としてまつろい奉る事が実相の成就である事を明らかにすべきである。

 単に自分の祖国たるのみの理由にて日本を愛するのではなく、東洋と西洋との中間に位して一切を生かす大乗の真理国家たる事が日本の理念であるからこそ この国の国体を鑽仰
(さんぎょう)してやまず、この国の神の子国民として生を享けしめられた所以の深さに感泣し、わが一身もわが家庭もわが生活もすべてこの理念現成に捧げられてはじめて存在の意義を持ち得るものなることを、各自互に明確に自覚し合い、その行動の根拠となし合うべきである。

        * * *


 ④の座談会では私も手を挙げて、この「近況心境」にこれまで書いてきました『大日本皇神学序説』を拝読して思うことを、かいつまんで述べました。

 ≪谷口雅春先生は昭和18年、大東亜戦争で日本が窮地に追い詰められたときにも、現象界の対立を超えた「全ては一体、敵はない」という澄み切った「皇神
(すめかみ)」に帰一すべきことを命懸けでお説きになっている。

 いま世界は無秩序の乱戦戦時状態に突入している中で、日本は世界中の人々がうらやむような平和で安定した国となっている。それは無我無私の大愛なる天皇陛下がましますからである。

 生長の家は「国際平和信仰運動」を標榜しているのだから、究極の世界平和のためにも、イエスキリストが言った「みこころの天に成る世界」「神の国」を地上にもたらすために、今こそ日本の使命、そして生長の家の使命は大きいと思う。≫

 ――と。

 日本政府観光局の発表によれば、昨15年の訪日外国人数は前年比47%増の1974万人と、14年から600万人以上増えているという。それは、日本が際立って安定した善い国だからである。

 ある相愛会員がおっしゃいました。自分は皇居清掃奉仕にも参加しているが、皇居内に入るとそこはまったく浄まった別天地に来たような気がする。
 今世界では難民問題が騒がれているが、難民と言われている人たちも、日本に来たら「難民」ではなく、天皇陛下の大愛に包まれて「神民」「選民」になってしまうのではないかと思う――と。

 曽野綾子さんが、小学館発行の雑誌『SAPIO』2月号に、次のように書いていらっしゃいます。

≪  国を捨てるということ
       曽野綾子

 日本人が難民問題についてやや広く考えるようになったのは、大きな変化だと私は思っている。島国日本は今まで流入して来る難民などに、ほとんど触れることがなかった。今回の刺激は、恐らくリビアなどから最短距離のシシリー島に向けて、船に乗ろうとしたアフリカ各地からの難民が、悪質な業者によって、高額の船賃を要求されたあげく、家畜並みにオンボロ漁船に詰め込まれて運ばれる映像が毎日のように映しだされたからかもしれない。それでも陸地につけばいい方で、荒れた海に放り出されて死亡する事件も後を断たなかったという。

 東南アジアでは、ミャンマーの辺境に住む少数民族のロヒンギアと呼ばれる人たちが、やはり政治的苦境を逃れようとしてフィリピンなどに流れ着いた悲惨なニュースもあった。報道写真で見るところ、彼らは私物らしいものは何もなく、ズボンとシャツだけの着たきり雀で船底に詰め込まれて座っている。

 日本では台風や大震災などの被害に遭うと、その夜は近くの鉄筋コンクリート建ての避難所に行くのが近年の常識だ。そこなら倒壊の危険性もなく、雨漏りもない。間もなく飲み水と簡単な食料くらいは配られる。毛布も与えられるのかもしれない。受け入れる病院が足りなくて、たらい回しにされているうちに死亡した高齢者もいるというが、彼らはバスで運ばれていた。アフリカなどの難民と比べると、雲泥の差だ。

 中近東、アフリカの難民の多くは部族抗争の犠牲者である。長い目で見れば、国家的貧困の犠牲者でもある。生まれた村の家を捨てなければならない場合でも、どこへ逃げたらいいかなどという情報は全くない。そもそも電気がないから、テレビともラジオとも縁のない村だっていくらでもあるし、字が読めないから新聞などみたこともない人々も多い。

 危険を察知すると彼らは本能的に少しでも安全と思われる方向へ逃げ出す。洗濯用のたらいに、鍋釜と当座の食料、わずかな衣類を入れて頭に乗せ、子供をおぶって闇雲に逃げ出す。

 アフリカでも自然は決して優しくない。南アフリカ共和国には、南北に数百キロメートルと言われる自然保護区がある。別に国境にも自然保護区にも、塀や柵があるわけではないから、人々は安全と思われる静かな森に逃げ込む。それでいつのまにか自然保護区に入ったことになり、ライオンなど捕食動物の餌食になることもあったという。

 『ナショナルジオグラフィック』というグラビア雑誌は、2013年12月号で、ポール・サロペックの記事とジョン・スタンマイヤーの写真で、「人類の旅路を歩く」というすばらしいルポルタージュを掲載した。

 今からおよそ6万年前、我々の先祖であるホモ・サピエンスのうちのわずか数百人が、今のジブチの背後に拡がるエチオピアの大地溝帯の荒野から「世界を発見する旅に出発した」と同誌は書いている。しかしそんなおだやかなものではなかったろう。私はジブチとエチオピアの、乾いた塩湖や塩の吹いた不機嫌な荒野に立った時、恐らく6万年前の人の中にも、もうこんな土地にはいられないと感じて、歩き出した一群がいたのだという実感を持てた。彼らはジブチの近くから、アラビア半島へ海を渡り、タジキスタン、インド、中国、ロシアを経て、海路アメリカ大陸のアラスカに辿り着き、そこから信じられないことに、実に南米大陸の先端、チリのティエラ・デル・フエゴの先っぽまで到達した。もちろんこの間に2500世代がかかっているというから、5万年くらいは確実にかかったのだ。

 だから現代の多くの白人、ヒスパニック系の人たちにはアフリカ人のDNAが混じっていても不思議はない。

 6万年前のアフリカ人が恐らく難民の第1号だと言えるだろう。『ナショナルジオグラフィック』誌は、今日でも、このルートで力つきて死んでいる何十体もの遺体が、荒野に放置されている写真を載せている。ミイラ化した顔は微かに面影を留める程度、胸の肉は残っているが、手足は野獣に食べられたのか白骨化して、腰の部分だけをぼろぼろになった衣類が覆っている。人間の暮らしの基本は難民で、こうして行き倒れた人もたくさんいたのだ。

 だれが住み慣れた土地を離れたいものだろう。私の知人たちで長年外国で暮らした人たちは、おかしいほど日本食を食べたがる。いつか南米で働いている知人のカトリックの神父が、医療の技術のいい日本に帰って来て手術を受けた。少し回復期に入った頃、私が、「でも病院のご飯は、やっぱりおいしくないでしょう」と言うと神父は、「そんなことないよ。毎日和食だからね。それだけでごちそうだよ」と答えたのである。

 「それでも故郷を捨てねばならなかった人たち」が、現在でもこうして世界の各地にいる。村にいれば砲弾が落ちて来るから、生きていられる保証がない。どこででも、とにかく生きていられればいいと考えて故国を捨てるのである。

 私は今の日本のことを、「こんな悪い国」「格差のひどい国」と言う人が許せない。「こんなひどい国」ならさっさと日本を捨てて出て行って欲しい。国を捨てて外国に逃げたい人がたくさんいて、それを国家が許さない国は多くあるが、日本は国を出る自国民を決して止めない。言葉を換えて言えば、その国民が自国を捨てたがるかどうかで、その国がいい国かどうか自然に答えが出ている。

 持つ人と、持たない人がいたら、幸運な持つ人が、そのうちの幾ばくかを持たない人に差し出すのが自然だ。それが人間というものだろう。しかし今の日本人はもらうことばかり要求していて、与える光栄と義務を忘れている。慈悲の思いがなければ、人間の魅力もない。かなりのお金か、労力か、時には身の危険さえ差し出す決意のある人だけが、ほんとうに難民を助ける人と言える。
(SAPIO 2016.2)≫


 ――と。

 単に自分の祖国たるのみの理由にて日本を愛するのではなく、東洋と西洋との中間に位して一切を生かす大乗の真理国家たる事が日本の理念であるからこそ この国の国体を鑽仰(さんぎょう)してやまず、この国の神の子国民として生を享けしめられた所以の深さに感泣し、わが一身もわが家庭もわが生活もすべてこの理念現成に捧げられてはじめて存在の意義を持ち得るものなることを、各自互に明確に自覚し合い、その行動の根拠となし合うべきである。≫

 とある 『人類光明化運動指針 第5条』 の言をかみしめるべき時だと思います。

 <つづく>

  (2016.1.19)
194 「大日本皇神学序説」(4)


 昭和18年11月号 『生長の家』 誌所載の 「大日本皇神学序説」 から、つづいてまた抜粋引用謹写させて頂きます。

≪ 八、真の思想戦の出発点

 だから、思想戦は理念を正して妄念を撃滅することから出発しなければならない。理念を正すには、すべては理念的存在だと云うことを知らせねばならない。

 物質的国土の如く現わされているところのものは実は理念であって、而も共通なる 『一』 なる理念が現わしているのだ、共通なる 『一』 なる理念――即ち宇宙に充ち塞
(ふさ)がっているところの皇神(すめかみ)のいのちが現わしているのだと云うことを知らせねばなりません。

 皇神のいのちの一つひとつが皆さんに分れ入って、それが、その理念が皆さんを 『人間』 として現わしているのです。『一』 にして共通なる宇宙に充ちている生命は皇神のいのちである。人間は物質ではないのだ。

 『物質のもの』 ではなくして 『皇神の御所有
(もの)』 なのであります。此の世界も 『皇神のもの』 であり、すべての国民も 『皇神のもの』 である。それを自覚しない――自覚しないから皇神の 『澄め』 の御徳が 『世界』 にも 『人間』 にも顕現しない。

 皇神の 「澄め」 の御徳が顕現致しましたならば、世界の一切が皇神に帰一し、『世界』 は八紘一宇の天国浄土(住吉の世界)を実現し、人間も 『澄め』 の御徳の現れとして、澄み切りの神聖無垢のものとなり、一切の妄念がないから、妄念の二重撮影による不完全な姿が消えてしまうのであります。

   九、思想信仰の尊皇攘夷が必要

 この世界は皇神
(すめかみ)のミコトノリの顕現でありますから、皇神に敵対するものは一つもないのであります。いくらそれが有るかの如く見えても、本来無いから消えるのであります。

 しかし、皇神の 『総
(ス)メ』 の御徳を知らず、世界の何処かに皇神に敵対する 『妄念』 のある間は、その妄念の反映としてその形が出て参ります。

 プリンス・オヴ・ウェールズをいくら轟沈しても、『敵対』 の妄念がある限りは轟沈しても轟沈しても又出て来るのです。形は 『念』 の投影だからであります。

 
だからユダヤ民族の謀略に 『止(とど)メ』 を刺し、米英の策動に『止メ』を刺すには『敵対』の形の根元になっているところの心を撃砕しなければならない。反撃の心が撃砕されなかったら、いくらでも反撃の形はそれに従って顕れて来るのであります。

 此の大東亜戦争も、「形」の上で、武力の上で徹底的に米英を叩き伏せても、結局 『心』 の世界に於て皇神の 『一』 なる御本質と、皇神の愛の洪大無辺なること、その御力の絶対なることを知らしめて、米英を屈伏せしめなかったならば、第一次欧州戦争があれで世界最終戦とならなかったように、第二次世界戦争も、これで世界最終戦とならないと云うことになります。

 そうすると折角、一億の同胞が血を流して、世界を救けたのも、何年か後には無駄になると云うことになります。それではあまりに同胞の血を安価に払ったことになります。


 
そこで、吾等はどうしても、皇神の御徳を世界全人類に知らしめ、皇神はスベテの渾てにましますことを徹底的に知らしめる為に、古事記日本学とも云うべき皇神学を完成して、それを全人類に判るように、時には仏典や黙示録なども引証して、成る程 『皇神はスベテの渾て』 であると知らせてやるようにしなければならないのです。そうでないと、米英に根本的に止(とど)めを刺すと云うことは決して出来ないと思うのであります。

 ――上記の 「プリンス・オヴ・ウェールズ」 というのは、大東亜戦争開戦当時、世界最強戦艦と言われた英国東洋艦隊の主力旗艦で、満載排水量44650トン、全長227m、速力27.5ノット、38cm主砲10門搭載。竣工から9ヶ月足らずの新鋭戦艦であった。(写真下)



 1941年(大東亜戦争開戦の年)10月、チャーチル首相の強い要請で、イギリスの植民地であるマレー半島やオーストラリア、さらには当時イギリス軍が制海権を持っていたインド洋への日本軍の侵攻を阻止または断念させる事を目的として、シンガポールに派遣されることが決まり、12月2日に到着した。東洋艦隊がこのような最新戦艦を持つことは前例がない。

 開戦直前の時点では日本海軍が有するほとんど全ての戦艦に対して同艦は明らかに優越しており、当時の常識では行動中の新式戦艦が航空機に撃沈される筈はなかった。これにより日本軍はマレー半島での作戦遂行が著しく困難になる筈だった。

 しかし大東亜戦争開戦直後の12月10日、プリンス・オブ・ウェールズは日本海軍航空機の魚雷攻撃及び爆撃により、僚艦レパルスと共にマレー沖にて沈没した。

 第2波空襲開始早々に、同艦は推進軸付近に命中した魚雷により推進軸が捩れ曲がり、回転するタービン・シャフトの先端が隔壁を連打して破壊した。この致命的な損傷により大浸水を生じ、同時に操舵不能となり、冠水により発電機が故障したため電力も落ちて後部にある4基の13.3cm連装両用砲と舵機が使用不能になった。

 速力が低下し、傾斜して舵も効かなくなった同艦は第3次空襲で相次いで魚雷を受け、回避運動も対空射撃もままならなくなった状態で水平爆撃を受け500キロ爆弾が命中、合計6本の魚雷と1発の爆弾を喫した。

 13時15分に総員退去が命じられ、13時20分に転覆、沈没した。乗員1612名中、艦隊司令長官のフィリップス中将とリーチ艦長を含む327名が艦と運命を共にしたのである。

 戦意を喪失したイギリス軍が降伏し、シンガポールが陥落したのは、その5日後のことであった。

 当時、私は小学校(「国民学校」と言った)の3年生でしたが、「やったぞ!」 という喜びに沸いていたことを思い出します。

 <つづく>

 
――このブログをウオッチして下さっている方から、「17日の 『天皇陛下の生き方を学ぶ早朝勉強会』 はどうだったのですか? “近況心境”に書かれるかと思って楽しみにしていたんですが……」 というお電話を頂戴しました。で、明日はそれを書かせて頂こうと思います。

  (2016.1.18)
193 「大日本皇神学序説」(3)


 続いて、昭和18年11月号 『生長の家』 誌所載の 「大日本皇神学序説」 から抜粋引用謹写させて頂きます。

 ≪ 七、観られる世界は観る人の心的内容

 ……観られる世界は、見る人の心の世界だと云っても、万人が万人ながら別々に支離滅裂にこの世界を見ているのではありません。私の内にある理念と皆さんの心の中にある理念とには共通なものがある。一切は皇神
(スメカミ)の心の顕現でありますから一つの心であります。

 その迷いなき一つの心を以て物を見るとき、一切が調和しているのです。人類は人類の共通の心でものを見るから、互に意志が通ずるのです。

 だから人類は皇神(スメカミ)より生じて皇神に帰一する兄弟であると云うことが出来るのであります。

 『物質』 そのものはないのです。唯物論は間違なのです。

 けれども物質の如く現れているその奥に皇神の 『澄め』 の理念がある。

 調和せる住吉の世界・靖国の世界の理念的存在が、今厳然と存在するのです。それこそが実在の世界であり、実在の世界そのままが顕現すれば八紘一宇の世界があらわれます。
 すべては分れているように見えても、『一』 なる皇神の理念の展開である事実を知って、皇神の御顕現にまします現津御神
(あきつみかみ)に帰一する世界が顕れるのです。

 それがまだ現実世界に顕れないのは、それは理念の上に妄念が二重撮影になって投影しているからであります。≫


 ――さて、『戦争へ突入する世界 大激変する日本経済』 (渡邉哲也著 2015年12月31日初版)という新刊書を読みました。

 渡邉哲也氏(経済評論家)は、斯界の長老日下公人氏が絶賛し 『新聞の経済記事は読むな、バカになる』 という共著も出している、若手気鋭の未来予測エコノミスト。大変参考になります。

 「戦争に突入する世界」 とタイトルにあるけれども、書いている内容は、<これから世界は第3次世界大戦に突入する>といういうようなことではなく、すでに世界は乱戦の戦争状態にある、ということです。

 その 「あとがき」 に、次のようにあります。

≪ 世界はすでに戦時下にある。

 ロシアとNATOはクリミア問題で対立し、パリでのテロ事件を受けてフランスもイギリスもシリア空爆を開始した。世界は「テロとの戦い」を大々的に開始しているわけである。アジアにおいても、アメリカが「航行の自由」という軍事作戦を開始し、すでに戦争状態に突入しているのだ。

 平和とは何だろう。平和は、絶対的に強い指導者がいるとき、あるいは各者の力が均衡した状態にあるときにしか実現しない。

 平和というのは結果であり、現象でしかないわけだ。それをめざすのはいいことではあるが、平和をめざしたからといって平和が訪れるとはかぎらない。

 たとえば、小学校のクラスを見ても同様である。絶対的な指導力をもつ先生がいるか、またはクラスのなかでの力のバランスが整っているときにはクラスは安定する。

 しかし、先生の力が弱まり、いじめっ子のような強い存在が生まれた場合、クラスは崩壊していく。いわゆる学級崩壊と同じような状況が、いま世界に起きていると言ってよいだろう。

 かつて冷戦に勝利し、名実ともに覇権国となったアメリカは、リーマンショックを機に弱体化した。かわりに力をつけてきたのが中国といういじめっ子であり、いま、南シナ海をはじめ世界各地で紛争の火種をつくりつづけている。

 中国が力をつけてきたのには、日本にも大いに責任がある。日中友好という美名のもと、中国に対して巨額のODA(政府開発援助)や技術支援を行ってきた。それらが軍事転用されている可能性が囁かれていたが、日本ではいっさい問題視されなかった。

 その結果、中国は2000年ごろから毎年2桁の軍事費拡大を続け、南シナ海や東シナ海においてわがもの顔で活動するようになった。中国の増長は日本の責任でもあるのだ。

 よく、「平和主義が戦争を起こす」といわれるように、安易な平和主義こそが紛争を引き起こすのだ。第2次世界大戦がそうだ。イギリスの首相チェンバレンが平和主義のもと、ヒトラーの要求に対して宥和政策をとったことでナチスドイツの勢力拡大を招き、ヨーロッパ全土を巻き込む戦争へと発展していったのである。

 中国の台頭も同じ構図である。本来、共産党による一党独裁国家であり、チベットやウイグルなどで民族弾圧を行っている中国に対して、民主主義国家であり自由主義路線を歩む西欧諸国が妥協する余地は少ない。

 だが、人件費の安さから日本を含めた世界各国は続々と中国に投資し、中国が強大になるのを助けてきた。現在、とくにヨーロッパなどは、中国のカネを目当てに尻尾を振っているありさまである。

 だが、その中国もバブル崩壊で弱体化しようとしている。

 誰がこの世界の新たな支配者となり、ルール決めを行っていくのか、それをめぐる熾烈な争いが、いま、起きているのだ。

 このような状況下で、日本だけが一国平和主義を唱えられるはずもない。これまでの日本は、絶対的な強者であるアメリカの核の傘に守られていたからこそ、平穏無事でいられた。

 しかし、いま、その傘が疲弊し、穴が空くいっぽうで雨は強くなりつつある。雨を防ぐには、日本はみずからその穴をふさぐか、あるいは他人の傘ではなく自前の新しい傘を用意するしかない。これまでのように、のほほんと待っていても誰もやってくれないのだ。

 経済も同様であり、日本型の 「誠意を見せれば相手はわかってくれる」 式の思考法はもはや通用しない。日本が中国に提供した新幹線技術を、中国は 「独自技術」 などと主張して安価で世界に売り込み、いまや日本の新幹線の海外展開における最大のライバルとなっている。

 もはや日本は、これまでのようなお人好しではいられない状況なのだ。国際政治においても、外交、経済においても、世界的な環境は厳しさを増している。

 これに対応するには、私たち自身が正しい情報を身につけ、みずから考えることが必要不可欠なのだ。……≫


 と。

 「平和というのは結果であり、現象でしかない」 と渡邉氏は言っている。ここでは現象世界、すなわち影の世界の平和を論じているのである。

 その奥には、「神の国の平和」 がある。争いのない大調和の実相世界がある。本当は、それのみが実在である。現象は影に過ぎず、実在の実相完全円満な世界が顕われ出る過程なのである。

 その神の国の平和を速やかに現象界に持ち来すには、ただ平和主義を唱えていればよいわけではない。現象界の世界の状況も知って、適切な、「発して節
(せつ)に中(あた)る」 ところの、「今を生きる」 行動が必要があると思います。

 <つづく>

   (2016.1.18)
192 「大日本皇神学序説」(2)――現象(偽象)は「ナイ」。実相(真象)のみ独在ということ


 昨日に続き、昭和18年11月号『生長の家』誌所載の「大日本皇神学序説」から抜粋して引用謹写させて頂きます。


……神のつくりたまえる実在の実相の完全なるすがたの上に妄心のにせ物の、うその波を起すのです。丁度それは透明な硝子窓の実相に息を吹きかけて曇らせたようなものであります。そうすると硝子は本来透明でも不透明と見える。それと同じく世界も人間もその実相は完全でも不完全に見えるのです。

 併しその不完全な姿は本当にあるのではない。戯作的に拵えた仮存在なのであります。実在の仮面を被
(かぶ)っているけれども、念に依って、シェークスピヤの想像力に依り、近松門左衛門の想像力に依って、それが形に現れたものが、舞台の上に演ぜられているところの唯芝居に過ぎないのであります。

   二、『現象無し』と謂うこと

 それなのに其の仮相を見て涙流して、ああ可哀そうなと云っているのは、それは『ない』ものをあると思って、そしてそれに涙流しているのであります。

 人間は本当のすがた、真象
(しんしょう)に於ては、或は宇宙の実相に於ては決して病気の姿もなければ、苦痛の姿も悩みの姿もないのです。『宇宙の実相に於ては』と申しますのは、日本の古典的表現を以て謂(い)いますならば『天之御中(あめのみなか)に於ては』と云う事であります。『天(あめ)』とは『宇宙』と云うことであり、『御中(みなか)』とは『内在せる本質』又は『実相』に於てはと謂うことであります。その宇宙内在の実相に於ては『主(しゅ)』のみましますと云う事が、『天地(あめつち)の初発(はじめ)の時高天原(たかあまはら)に成りませる天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)』と云うことであります。

 『主
(ぬし)』は『主(しゅ)』であり、『主(ス)』であり、『澄み切り』であり、『スメ』(中心帰一)であり、『ススメ』(生々化育・進歩発展)であり、宇宙の実相に於てはすべてのもの善からざるものなしと云うことが、天地の初発(本質)に天之御中主神が成りますと云うことであります。

 『成ります』は過去現在未来を超えて、久遠に鳴りつづけている生命即ち『コトバ』の姿なのであって、過去は完全であったが、今は不完全だと謂うが如きではありません。だから現象は如何
(どう)あろうとも、実相に於てはみんな健康で、みんな愉快に嬉々として生活しているのであります。それが舞台に出て見るとそれが如何にも悲劇の如く、殺人も行われ、或は情死(しんじゅう)も行われ、その他いろいろの人生の葛藤と云うものが現象界なる舞台の上に演ぜられているように肉眼には見えるのであります。

 吾々が近松門左衛門の浄瑠璃を観る時には、『ここから先はにせ物で本当の存在ではない』と大体知っておるから、涙を流しながらも、切実に現実感には打たれない。ところが、吾々は『人生』へ入ってくるときには、病気が人生の舞台にあらわれて来たら、『ああ病気が実在する、可哀そうだ』、『死んだら可哀そうだ』、『血を流して可哀そうだ』と思うのですけれども、そんな悲惨憂苦充ち満ちた状態は皇神
(すめかみ)の『澄め』の世界にはないのであります。
 三日月は利鎌
(とがま)のように見えても、真の『月』は決して利鎌のような形をしていない。依然として円満です。そこで『現象なし』と云うことを知らねばならぬ。

 普通『現象なし』と云う場合に於いては、偽象
(ぎしょう)に依って実相が蔽われて、その結果実相は隠れてしまっておるものですから、現れて見える現象は偽象ばかりであります。凡そ迷いの世界に於ける出来事、怨み、憎み、争い合っているのはみな偽象であって、実相が蔽われて了っているから、その現象は実相の顕現ではない。随って、現象と云うものを引っくるめて、一応『現象無し』と否定してしまった方が手っ取り早く、分りが好い。そこで『現象なし』とハッキリと一喝すると、肺病で悩んでいたような人が、そうか『肺病は偽象であって、それは本来無い。人間は久遠不滅の存在だ』と悟って恐怖心が滅すれば恐怖のあらわれである肉体活力の萎縮が去って、活力が旺盛になる。そうすると結核菌も人体に寄生していられなくなって結核患者が働きながら、或は従軍しながらでも治ることになるのであります。

 現象なし、実相は皇神
(すめかみ)の治(しろ)しめす『澄みよし』の世界であり、靖国の世界であると云うことが解りますと、第一線に於て肉体にあらわれている現象人間が、爆弾と共に砕け散っても、砕けない『本当の人間』を自覚して勇敢に奮闘することが出来る。『靖国神社で逢おうぜ』と云う皇軍勇士の掛け言葉には、単に神社の祭殿の中に安置されると云うような意味以上に、もつと深い意味があるのだと思います。『靖国神社で逢おう』とは久遠に浦靖(うらやす)の皇神(すめかみ)の国なる『大日本真理国家』の実相世界に、常に滅びずに死せざる人になることだと気つかせて頂いたのであります。……≫

 ――上記のことは、谷口雅春先生の「久遠の今」の御講義を拝聴しますと、よくわかるのであります。→御講義「久遠の今」

 谷口雅春著作集8『無限供給の扉を開く』の235頁以下には、次のように書かれています。

 
現象時間は存在しない、従って非存在の現象時間の中にある事物も存在しない(小見出し)

  「過去」は過ぎ去って今はもう無い。「現在」はそれを捉えた瞬間に過去となってしまって、「現在」というものはもうないのである。「未来」はまだ来ていない。

 だからないのである。だから、過去、現在、未来、ともすべてないんだ。……この現象界の一切のもの――即ち、過去・現在・未来の時の流れの中にあるものは、すべてないんだということである。“現象はない”ということです。

 「生長の家で、いくら現象は“ない”と言ったって、“ある”じゃないか」と反撥する人があるかも知れないが、現象はあるかのように現れているだけであって、それはないのであります。だから、所詮それは幻の像みたいなものであります。

 このことを『維摩経』には、「幻術師(妖術を使う魔法使い)が現した魔法の人間みたいなものがこの現象の人間であって、そんなものは本当はないのである」と書いているのです。本当に“ある”のは、現象の奥にあるところの“永遠に壊けないところの人間”そのものなのであります。これが人間の實相であって、吾々はその實相を自覚しなければならないと『維摩経』は説いているのであります。≫


 と。時間・空間の中に生命が誕生したのではなく、生命が時間・空間を認識の形式として仮に創りだした。聖経『甘露の法雨』ではそのことを

≪生命は時間の尺度のうちにあらず、
 老朽の尺度のうちにあらず、
 却って時間は生命の掌中にあり、
 これを握れば一点となり、
 これを開けば無窮となる。
 若しと思う者は忽ち若返り、
 老いたりと思う者は忽ち老い朽つるも宜なるかな。

 空間も亦決して生命を限定
(かぎ)るものにはあらず、
 空間は却って生命の造りたる『認識の形式』にすぎず、
 生命は主にして空間は従なり。
 空間の上に投影されたる
 生命の放射せる観念の紋
(あや)
 これを称して物質と云う。

 物質は本来無にして
 自性
(じしょう)なく力なし。
 これに性質あり、
 また生命を支配する力あるかの如き観を呈するは
 生命が『認識の形式』を通過する際に起したる『歪
(ゆが)み』 なり。
 汝ら、この『歪み』にとらわれることなく、
 生命の実相を正観せよ。≫


 と歌っている。この「時間・空間」未だ発せざる根源のところを「未発の中
(ちゅう)」と言い、そこに天之御中主神が成り響いていらっしゃる。そこにはすでに完全円満、中心帰一大調和の世界が成就している。

 そこに鳴りひびいているコトバは、聖書ヨハネ伝の冒頭に

≪太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。……万(よろず)の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき。……≫

 とある言
(ことば)(ロゴス)である。みこころの天に成れる神の国の理念(コトバ、ロゴス)がそこに鳴り(成り)ひびいている。そこは、全ての生命が一体で、大調和しており、みんな味方ばかりで敵がない世界なのである。

 「ひろば」 にトレモス様が書いてくださっているのも、そのことであると思います。

 「大日本皇神学序説」は、大東亜戦争で日本がもはや絶体絶命の窮地に追い込まれた状態の昭和18年11月、そのような中でも「現象なし」「実相独在」の真理を、文字通り生命をかけて叫ばれている血の書であると私は思います。

 <つづく>

   (2016.1.15)
191 「大日本皇神学序説」を拝読して――これは「テロ軍団に最後のとどめを刺す思想」である


 昭和18年11月――大東亜戦争は昭和16年12月8日開戦後、緒戦において日本が破竹の勢いを示したが、17年6月のミッドウェー海戦大敗から早くも形勢は逆転、ガダルカナル島は奪取され、山本五十六連合艦隊司令長官戦死、アッツ島玉砕、同盟国の一つイタリアが降伏するなど、追い込まれて「撃ちてしやまん」の決戦標語ができ学徒出陣が始まった、その昭和18年11月号の 『生長の家』 誌に――

 谷口雅春先生は、「大日本皇神学
(だいにっぽんこうしんがく)序説」 と題し、その前昭和12年初版の 『完成の聖書』 と 『生命の實相』 第16巻 「神道篇」 をテキストにした御講義を掲載されている。

 私は以前にこの論文の復刻コピーを友人からもらっていて、最近それが目に止まったので、読み返して見ました。この論文には「米英にとどめを刺す思想戦の根本」という副題が付けられているので、「撃ちてしやまん」(敵を撃ち滅ぼしてやる)という戦意昂揚のご文章かと驚きますが、内容をよく拝読しますと、そうではありませんでした。当時は戦意昂揚以外のことを書いたら軍部の検閲により発行停止になるような時代だったから、先生はそういう副題をつけて出されたのだと思われます。

 論文の最初に 「一、皇神
(すめかみ)は全ての渾(すべ)て」 と題して次のように書かれています。(原文は正漢字・旧かな遣い)

 ≪皇神(すめかみ)こそすべてのすべてであります。皇神はスメ即ち宇宙の一切のスメテのもの(スベテはスメテの転じた語)の存在の奥底にましまして、スメ即ち(澄メ)の御徳をもちたまいて眼に見え給わざれども、その眼に見えない大御いのちがスメ即ち『進め』の御徳を顕現したまうと、スメカミノミコトはコトバとなって現れたまいてススメ(生々化育発展)の現象がそこに展開して来ると云うことになるのであります。

 その生々化育発展が皇神の 『澄め』 の御徳によって顕現致しますと、スミキリ(澄切)又はスミヨシ(住吉)の世界となって現象するのであります。

 吾々が眼に見ている現象の中には真象
(しんしょう)と偽象(ぎしょう)とがあります。換言すればスミヨシの本当のすがたと、スミヨシでないにせ物のすがたとがあらわれている。何故本当の相(すがた)ではないニセ物の相があらわれて住吉の世界が蔽われて来たかと申しますと、それは皇神の心ではない 『妄心』 があらわれて来たからであります。

 妄心の 『妄』 は本来 『二女』 と書くのであって、二女同居せる心であります。即ち本来の 『一』 を失った相であります。

 皇神は本来の 『一』 即ち 『全一』 であらせられるのであります。皇神の治しめし給う本来の 『一』 の心が失われて二女同居せるが如き複雑怪奇なる状態を起すのであります。そこに真象が消えて偽象が現れて来るのです。真象は、本当のすがた――実相界の事々物々が即ち真象であります。

 『人間は神のすがたに造り給えり。』 『神その造りたるすべてのものを見給いけるに甚だよかりき』 と創世記にありますように神のその儘の完全なるすがた、それが人間の実相であり世界の真象であります。……≫


 <つづく>

   (2016.1.14)
190 「天皇陛下の生き方を学ぶ早朝勉強会」


 谷口雅宣総裁は、著書 『信仰による平和の道』 のP.210~211で、

 「つまり、『天皇国・日本』 というのは、天皇のご生活――これは我々はいろいろな所で教わっていますが――神意を第一として物事を行っていかれるという天皇の生き方、神意が中心になる生き方が、我々個人のレベルにもどんどん弘まっていくことによって、それが民主主義の国だったら、結果として、そういう神意を重んじる政治家が多く選ばれるようになるであろうし、そういう政治活動が行われるであろうし、そういう学問が研究されていくであろう。そして、神の国に近づいた国家が現実のものとなる――こういう文脈の中で 『天皇国・日本』 は説かれているのです。

 ですから、生長の家でいう 『天皇国・日本』 とは、大変深い意味での“理想国家”を指しているのです。天皇の生き方を模範とし、神意を第一とする生き方が一人一人の国民の間に弘まっていき、外国においても、キリスト教の国ならば“神の国”や“神の国の義”を第一にする人々の数が増えていけば、そこに神意が現成した素晴しい国が建設されるだろうという意味であります。」


 と説かれている。

 それで、東京第一教区は全国59教区の中で唯一、天皇陛下のおわしますところであるから、社会人男性の組織である相愛会の運動方針には率先して 「天皇陛下の生き方とは」 を学び実践して行こうということを掲げ、早朝勉強会を始めることになった。1月17日(日)がその第1回で、午前6時50分から8寺50分まで教化会館で教化部長指導の下に行われるという。

 私も参加するつもりです。自宅から教化部まで片道約13kmから15kmぐらい、往復で30km近い道を、雪や雨が降らなければ、自転車(電動アシスト付き)で行こうかと考えています。

 このようなことができるようになったのには、前教区連合会長T氏の功績も大いに寄与していると思います。悪いものは一つもない。みんな助け合い、切磋琢磨しあい、大調和の神の国のすがたを顕し出すために協力しあっているのだと私は思います。

   (2016.1.6)
189 「御民(みたみ)われ生ける験(しるし)あり」


 宮﨑貞行著 『天皇の国師 知られざる賢人 三上照夫の真実』 という本を、感銘深く読みました。

<昭和天皇には隠れた相談役がいた! その男は宗教から憲法、国家経営までを語り、政財界の重鎮たちを指導しながら、いっさい表に出ることがなかった――>

 と、オビにあります。

 これは、史実をもとにしたノンフィクションの小説。

 大東亜戦争敗戦という日本国家未曽有の国難を乗りこえて国体を護ることができたのには、皇祖皇宗をはじめ八百万
(やおよろず)の神々の御守護と導きがあった。具体的には、三上照夫という人物が、そのために与えられた役を演じた――のだと思います。

 以下は、この本の締めくくりの部分からの抜粋です。

          ○

 黒住宗忠は、「有りがたし、面白し、嬉し」といつも感謝の喜びに生きることが人の道と説き、あらゆる困難、苦難、災難も、「難有り、有難し」と感謝することを教えの中心に据えていた。

 この感謝の思いは、遠くすでに万葉集の歌にも詠まれていたことを仲山は知っていた。聖武天皇の皇居を護衛していた海犬養岡麿
(あまのいぬかいのおかまろ)の歌である。

   御民
(みたみ)われ 生ける験(しるし)あり

    天地
(あめつち)の 栄ゆる時に遇(あ)へらく思へば

 聖武天皇にお仕えしていた近衛隊長の海犬養は、世の繁栄をもたらしてくれた聖武天皇に深い感謝の念を捧げたのであったが、このとき同時に天地の栄える幸せな時代に生を与えめぐり会わせてくれた神々にも謝意を表していたのである。海犬養にとって天地の弥栄は、陛下と神々の幾重もの「おひかりさま」がもたらしてくれたものであり、この歌を詠んだとき、彼は陛下の御民であるとともに、まさしく神々の御民でもあることを自覚していたのであった。

 歌が詠まれたときの情景を瞼に描いてみた。海犬養が跪
(ひざまづ)いて、右の和歌を記した短冊をうやうやしく聖武天皇に献上している姿が、ふっと脳裏に浮かんだ。

 次の瞬間、この万葉の歌を本歌
(もとうた)として詠んだすばらしい歌があることを想い起こした。敗戦直後に侍従次長を務めた木下道雄が昭和21年に詠んだ歌である。

   御民われ生ける験
(しるし)あり

    天地
(あめつち)の崩るる時に遇へらく思へば

 木下は、毎朝宮中に参内するとき、真新しい下着に着替え、家族には「行ってきます」と言わず、「さよなら」と別れを告げていた。いつ何時、天皇が占領軍に捕縛されるかもしれない緊迫した日々であった。天皇が処刑されれば、側近の木下は陛下と命運をともにし、生きて帰らないつもりであった。木下の覚悟を知っていた家族も、心の中で「さよなら」とつぶやき、毎朝木下の影が見えなくなるまでじっと佇んで見送っていたという。

 仲山は、歌の後半の部分をそっと口ずさんだ。

  「天地の崩るる時に遇へらく思へば」

 木下の眼には、敗戦と占領という史上初めて経験する悲劇は「天地の崩るる」ごとく映っていた。全国の市街地はほとんど爆撃で破壊され、城破れて山河も焼け焦げていた。

 この悲惨な民族の悲劇に出遭っても、いやそれだからこそ、木下は窮地に陥った陛下を命がけで補佐することに生き甲斐を感じ、「御民われ生ける験
(しるし)あり」と深甚な報謝を陛下と神々に捧げたのであった。天地の崩れたときだからこそ、「生ける験」を痛切に実感したのであった。まさに「難有り、有難し」の大和の道を力強く堂々と歩んでいたのである。

 これほど鮮やかに松栢の覚悟を披歴した歌はない、と仲山はあらためて思った。
 深い悲哀のなかにあっても、大君のもとに一致団結し、命を尽くして仕えたてまつろうとする 穏やかで透明で、そして決然とした覚悟が伝わってくる秀歌である。これぞ、松栢の志ではないか――。

 京都方面に向かっている電車の右手を見ると、穏やかな琵琶湖が陽の光を受けてキラキラと輝いている。穏やかではあるが、深い湖だ。しかし大地震が起きれば、琵琶湖がさらに沈むことがあるかもしれない。あわせて富士山が爆発し、さらに隆起するかもしれない。

 しかし、たとえ将来この琵琶湖が裂け、三上山が崩れるときに遭遇しても、あわてふためくことはない。動揺して天地を呪うこともない。ただ「おかげさま」と叫び、天地に感謝と賛美を捧げるだけだ。

 そういう苦難の事態に出遭っても「おひかりさま」を決して忘れることのないよう、木下道雄に倣い、肚をしっかり固めておこうと仲山は覚悟を決めた。

 背筋をすっと伸ばして座り直し、三上山の方角を振り返ると、紫式部が「富士のあけぼの」と詠った近江富士の上空に七色の虹がかかっていた。よく見ると、うっすらとその上にもうひとつ大きい虹の輪が出ている。虹にもオーラがあるのかと思った。

 まるで、七色の天の浮船に乗って三上山の「おひかりさま」、天御影大神が祭典を見届け、今天上にお帰りになっているかのようである。

 三上照夫らのご一統を引き連れ、虹の浮船に乗って再び静かに天空に登っておられるのだ。七色の衣をたなびかせながら、悠然と舞い上っておられるのだ。その輝かしい光景をありがたくも今こうして見せていただいている。

 美しい二重の虹の浮橋を見て嬉しくなった仲山のほころんだ口元から、思わずほろりと言葉がこぼれ出た。

 「御民
(みたみ)われ生ける験(しるし)あり」 と。

          ○

 上の「仲山」は、戦後の国難のとき皇宮警察警務部長であった人。私も、この仲山氏のように、あるいは木下道雄 元侍従次長のように、天地が崩れるような時にも 「御民われ生ける験あり」 と、ただ感謝と生き甲斐のある喜びのみの日を送りたいと思います。

   (2016.1.5)
188 「何処へ行く?……」を削除したいきさつについて


 昨年12月なかばに、それまでこのサイトに公開していました

 『何処へ行く? 「生長の家」 ――谷口雅宣総裁への公開質問』

 という頁を、私は削除いたしました。

 そのいきさつを述べさせていただきます。

 生長の家東京第一教区の前相愛会教区連合会長で教化部の責任役員であったT氏が、11月下旬に役員の辞任届・組織退会届を提出。その前に、「『生命の實相』勉強会 in 東京」 というのを立ち上げていたらしい(私は知りませんでした)。これは、「谷口雅春先生の遺された鎮護国家・人類救済の教えを守り広めて行こう、その志を同じくする他の諸団体とも協力しあって尊師の御教えを学び、より幅広く宣布拡大するために貢献しよう」 という趣旨だという。

 そしてこの1月31日に 「『生命の實相』勉強会 in 東京」 主催、生長の家社会事業団後援で 「第1回 東京・大真理講演会」 を開く(講師は安東巌氏・国弘昭義氏)という。ついては、私(岡)に、「顧問」となっていただけないでしょうかと、11月末にT氏から要請を受けました。私は、このサイトの「みすまる宣言」でも宣べている理想、#177「兄弟よ、夢を描け」の夢と、T氏の「『生命の實相』勉強会 in 東京」 の趣旨とは矛盾しないと思い、それを承諾しました。

 それで12月に入ると、T氏から 「第1回 東京・大真理講演会」 に参加を呼びかけるチラシが、現教団組織に属する幹部・会員たちにも送られたようです。

 そこでちょっと騒ぎが起きました。岡が「顧問」となっているということは、岡も現教団組織を離れて向こう側――宗教法人「生長の家」を批判しその活動を妨げている団体――の方へ行ってしまったのだろう、と見做されたからです。

 で、それなら「退会届」を出すようにと、文言をプリントした用紙を連合会長が持参しこれにハンコを押すようにと促されたのでした。

 私は<宗教法人「生長の家」を批判しその活動を妨げている団体>の方へ行ってしまったと誤解され、そのためにかえって「和解」から遠ざかるようなことになるのはまったく不本意でありますから、T氏に申し入れて、前記の「顧問」から外してもらいました。

 私は6月1日、この「近況心境」#39でも 「岡は、“本流”には参りません」 と宣言していますように、現教団組織から離れる気持を持ったことは一度もございません。今も、組織から離れる気持はないので、退会届にハンコを押すつもりはありません、と申し上げました。

 それなら、「誓約書」を書くようにと言われました。

 「生長の家相愛会会則」 には、次のようにあります。

≪ (目的)
第3条 本会は男性信徒による生長の家人類光明化運動・国際平和 信仰運動の布教推進機関として、宗教法人「生長の家」国際本部(以下、「本部」という)の意図方針に従い、社会各層、地域社会、各職場、各家庭にくまなく光明思想を浸透せしめ、生長の家立教の使命達成を図ると共に、神・自然・人間が大調和した“新しい文明”の構築に貢献することを目的とする。

 (会員の資格等)
第4条 会員は、次の条件を満たす男性とする。但し、第5条第2号から第4号に該当する者は除く。
(1) 聖使命会員であって、相愛会の目的に賛同し、入会を希望するもの。
(2) 会員は、別途責任役員会において定める会費を納めなければならない。

 (会員資格の喪失等)
第5条 次に該当するものは会員資格を喪失するものとする。
(1) 本部の意図方針に反し、または生長の家の名誉を毀損し、或いは会員としての体面を傷つける言動があったと教区連合会正副会長の合議により判断し、相愛会総轄実行委員長が承認した場合
(2) 略
(3) 宗教法人「生長の家」を批判するなど、その活動を妨げる団体や組織に所属している者。
  (中略)
(6) 本人の意志により退会した者。≫


 で、退会の意思がないのなら、次のような誓約書にハンコを押すようにと、用紙を持参されました。

≪ 誓約書(生長の家相愛会総轄実行委員会委員長・生長の家相愛会東京第一教区連合会会長の両氏宛)

 私は、生長の家相愛会員として、以下の事項を遵守することをここに誓約いたします。

                 記

1.生長の家相愛会会則を遵守すること。

2.宗教法人「生長の家」および宗教法人「生長の家東京第一教化部」の運動方針、生長の家相愛会東京第一教区連合会の運動方針に則って行動すること。

3.インターネット、紙面等で総裁先生、白鳩会総裁先生、生長の家「国際本部」に関する批判・中傷は勿論、進言・異論等を不適切な手段によって言上または公表するようなことを一切しないこと。(積極的提案等があれば組織の秩序に従ってこれを行います。)

4.上記に反したと教化部長または教区連合会長が判断された場合は、速やかに生長の家相愛会を退会すること。≫


 (上記3.の持参された原文は、「インターネット、紙面等で総裁先生、白鳩会総裁先生、生長の家「国際本部」に関する批判・中傷は勿論、進言・異論等の不適切な言動を一切しないこと。」となっていましたが、私が少し修正しました)

 そして、このサイトに公開していました 『何処へ行く? 「生長の家」 ――谷口雅宣総裁への公開質問』 という頁を、即刻削除せよ。さもなければ、あなたの処置処遇について、総轄実行委員長と教区連合会長が話し合いに入ることができない、と(事務局連絡として)言われたのであります。

 その前12月5日に、教区相愛会の「シニア学習会」で、テキストを『光明道中記』として、相互研鑽を行いましたが、この研鑽で #183#184 に書きましたように、私自身深く反省させられるところがありましたので、素直にこの「誓約書」に捺印をし、またこのサイトから 『何処へ行く?……』 の頁を削除もさせていただいた次第であります。

          ○

 
「この世の中には

 困ることは何もない

 悩むことは何もない

 苦しむことは何もない

 悪い人は一人もいない

 親切な人しかいない

 愛深い人しかいない

 善いことのほかには何もない

 この世界は全知全能にして

 円満完全なる 神様がお創りになった世界だから

 心配することは何もない」


 ――と年賀状に書いて下さった人がいました。

 また、

 
「神はすべてを知り給う。合掌」

 ――と書いて下さった方もありました。

 私は、それを信じて、ただ感謝と喜びの毎日を送ります。

 ありがとうございます。合掌

   (2016.1.4)
187 謹賀新年


 皆さま、あけましておめでとうございます。

「さしのぼる朝日のごとく さわやかに
 もたまほしきは 心なりけり」

    (明治天皇 御歌)

「1.年の始めの 例(ためし)とて
   終りなき世の めでたさを
   松竹
(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに
   祝う今日こそ 楽しけれ。

 2.初日
(はつひ)のひかり さし出(い)でて
   四方
(よも)にかがやく 今朝(けさ)のそら
   君がみかげに 比
(たぐ)えつつ
   仰ぎ見るこそ 尊
(とうと)けれ。」

     (「一月一日」の歌)

 この2番の歌詞で 「君がみかげに 比(たぐ)えつつ」 は、

 「大君=すめらみこと=天皇陛下 のお姿になぞらえて」 という意味です。

 一月一日、天皇陛下は潔斎(けっさい=心身を浄める行事)をして午前5時半から「四方拝」および「歳旦祭」の儀を執り行われる。天地四方のすべてを神として拝まれるのである。

 日々の祭祀を通じて、神々への感謝と国家国民の安寧、世界の平和を願われる天皇陛下の祈りは限りなく深い。ありがたいことです。

 拝む者は拝まれる。君は民を拝み給い、民は君を拝み奉る。「君民同治」の国が日本である。

 この「一月一日」の歌を、生長の家混声合唱団(岡もその一員)が田中舘貢橘編曲・指揮、無伴奏混声四部合唱で歌った録音をお聴きください。

 クリック 「一月一日」 四部合唱




 私は今朝も、感謝のうちに「大日本神国観」の神想観をしました。

 念ずる言葉は――

          ○

     大日本神国観

(招神歌四首を唱え、次の如く念ずる。)

吾れ今、五官の世界を去って実相の世界に入(居)る。

遙々
(はるばる)と目路(めじ)の限り眺むるに十方世界ことごとく神なり。吾れ十方世界を礼拝す。

天よ、ありがとう。地よ、ありがとう。空気よ、ありがとう。火よ、水よ、温みよ、冷たさよ、天地一切のもの神の顕れであります。ありがとうこざいます。

中央にすめらみことの御座
(ぎょざ)あり、すめらみこと高御座(たかみくら)に坐し給う。
皇祖皇宗の御神霊とともなり。

これをめぐりて百官もろもろの司
(つかさ)あり、すめらみことに向いて礼拝し奉行し奉る。

十方に八百万
(やおよろず)の神々あり、護国の英霊あり、十方の諸仏あり、諸天あり、すめらみことに向いて礼拝し守護し奉る。

すめらみことの御座より御光
(みひかり)さし出でてあまねく六合(りくごう)に照り徹らせり。

六合照徹 光明遍照
(りくごうしょうてつ こうみょうへんじょう)、六合照徹 光明遍照――

すべての生きとし生けるもの、すべての青人草
(あおひとぐさ)すめらみことを仰ぎ見て礼拝し讃歎し感謝し奉る。

天皇陛下、ありがとうございます。ありがとうございます。
皇祖皇宗の御神霊ありがとうございます、ありがとうございます。
百官もろもろの司様ありがとうございます。
十方、八百万の神々様、護国の英霊様、ありがとうごぎいます、ありがとうございます。
十方の諸仏・諸天様ありがとうございます。

既に大宇宙の救済は成就せり。

金波羅華
(こんぱらげ)実相の完全円満の相(すがた)、地上に隈(くま)なく反映し実現して中心帰一、万物調和の永久平和の世界今現ず。

一切の生物ところを得て争う者なく、相食
(あいは)むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし。

実相・現象渾然
(こんぜん)一体、実相・現象渾然一体……(繰返す)

みこころの天に成る世界、既に地に成就せり、ありがとうございます。ありがとうございます。


          ○

 万物大調和の、争いなき世界が実現しますように。

 住吉大神出でまして 宇宙を浄め給う。……

 住吉大神 宇宙を浄め終わりて 天照大御神出でましぬ。

 天照らす御祖
(みおや)の神のみすまるの 生命(いのち)射照らし宇宙(くに)しずかなり。

   二拝二拍手 礼拝 合掌

   (2016.1.1)
186 魂がどれだけ進歩したか


 今年、平成27年(2015年)も余すところ今日と明日の2日だけになりました。

 もう一度、谷口雅春先生の 『光明道中記』 より、12月31日の日記を拝読し、私も、「この一年間にどれだけ魂が向上したか」 と省みたいと思います。

          


  十二月三十一日 新生のため準備整う日

   植物の種子と等しく人間の事業の発芽にも時間を要する。急ぐな。
                
(『生命の實相』第一巻)

 愈々今日で本年も終るのである。終ると思うと、名残り惜しいような気もする。

 振返って見ると、どれだけ私の魂はこの一年間に進歩したことだろう。色々の失敗もあったであろう。色々の躓
(つまづ)きもあったであろう。併しその時には魔誤(まご)ついた如く見えた失敗も躓きも、今から振返って見ると、悉く私の魂の生長に必要欠くべからざる要素をなしていることを発見するのである。

 要するに、本当の意味に於て失敗と云うことはなかったのである。躓きと云うものはあり得ないのである。今から見ればすべてのものが拝まれる。

 振返って見て拝まれるだけでは尚心細いと思う。どんなときにも拝めるようになっていなければならない筈である。その時その場で拝めるようでなければならないのである。

 まだ私は、本当に拝み切っていることが出来なかったようにも反省せられもする。愈々今年もこれで終るのかと思うと、今年と云うものに申訳ない気がする。私自身の生命にも申訳がないような気がする。誌友諸君に対してもまことに申訳がない。

 この私を茲
(ここ)まで鞭撻し、爰(ここ)まで引摺るようにして導いて下さったのは誌友の私に対する信頼である。私は茲に感謝を以て本年の日記を終ろうと思う。

          ○


 自分の事業をどれだけ発展させたかが問題ではない。現象はナイのだ。無いものをいくら積み上げても無である。「無功徳!」である。

 魂の進歩向上こそが、人生の目的だったのである。

 魂の向上すなわち、どれだけ 「われ神なり、一切者なり」 の自覚をもって、感謝に徹してよろこびの道、無限向上の道を生きることが出来たか。どれだけ他を拝みきり、他を喜ばし生かすことが出来たか。

 忸怩たるものがあります。でも、先生は

 「失敗も躓きも、今から振返って見ると、悉く私の魂の生長に必要欠くべからざる要素をなしていることを発見するのである。要するに、本当の意味に於て失敗と云うことはなかったのである。」

 とお教えくださっています。ありがたい。ただ感謝あるのみであります。

 ただ感謝報恩に徹して、来たる年も、一層魂の無限進歩向上の道、よろこびのみの道を歩ませて頂きます。ありがとうございます。

  (2015.12.30)
185 わが三つの信条


■ 人間は本来皆神の子であり神である。キリスト教的にいえば皆イエス・キリストと等しきものであり、神道的にいえば天照大御神の御いのちの先延え
(さきはえ)を受けた世を照らす光である。仏教的にいえば如来(無量寿如来、尽十方無礙光如来)であり仏である。その意味で、人間は 「至上者」 であると信じます。

■ イエスが言われた 「みこころの天に成る世界」 、あるいは釈尊が示された 「金波羅華の世界」 は、中心が一つあって、万物その処を得て調和した無限生長、無限歓喜の世界である。そして 「八紘一宇」 の日本建国の理念は、ナショナリズムではなく、まさに 「みこころの天に成る世界」 「金波羅華の世界」 を地上に実現しようという世界平和の理想、神の理想、仏の理想である。そして日本という国は神話の昔から 「一つの中心」 が脈々と今日まで続いて、「和」 を尊ぶ世界に類のない国であり、世界平和実現のために特殊な使命を持った国であると信じます。

■ 「生長の家」 は、谷口雅春先生をラッパとして、上のことを伝えるために神が始められた神の運動であって、これを正しく子孫に伝えることこそ、子孫のために真の幸福をもたらすものであり、次世代に残すべき至宝、最高の宝である。この根本宝を正しく遺し伝えれば、地球環境も自ずから美しく生き生きとしたものとなり、世界に至福の神の国が顕現すると信じます。
 私は谷口雅春先生からその最高真理を伝えられた者として、この最高の宝を次世代に正しく伝え遺すべき使命があると信じます。

 合掌 ありがとうございます。

  (2015.12.11)
184 「谷口雅春先生を学ぶ」 ということは


 「谷口雅春先生を学ぶ」 ということについて、考えます。

 私も、谷口雅春先生が

 
「見よ! 自分の身体(からだ)が燃え尽すまで、蝋燭(ろうそく)のやうにみづからを焼きつつ人類の行くべき道を照射する。」

 と 『生長の家』 創刊号に掲げられた、所謂 「生長の家発進宣言」 の御精神をしっかと受け継いで生きたいと思います。

 谷口雅春先生は、「人間は、神である」 との啓示を受けられ、それを説かれたとともに、内なる神に照らして、現象的な自分をきびしく見つめ、自己反省をしつつ、すべてを拝む最も謙虚な生き方をされた。「谷口雅春先生を学ぶ」 ということは、そういう谷口雅春先生の御姿勢を己れの生き方にすることでもなければならないと思います。

 先生が 『生長の家とは如何なるものか』 に、「生長の家家族の祈願および修養」 の御講義として書かれているところを拝読しなおし、私はまた痛烈に反省懺悔の思いを深めています。
(この内容は、『生命の實相』 久遠佛性篇上・下<第27巻第8章~第28巻第1章>から一冊にまとめられたものです。)

 その第2項は 「各宗教に対する生長の家の立場」 として

≪われらはあらゆる宗教が大生命より発せる救いの放射光線なることを信じ、他宗をそしらず、他人の尊崇の対象たるものに敬礼せんことを期す。≫

 とあり、その講義として、次のように御教示下さっています。

≪ いろいろの宗教がこの世に出ておりますけれども、その宗教はどれもみなこの世の光となろうとする使命をもって生まれているのでありまして、電燈の光も、ガス燈の光も、ランプの光も、あるいはマッチの光もことごとくこれ照らさんがために現われているのであります。

 照らさんがために現われているけれども、おのおの用途がちがう。小さな懐中電燈は小さな懐中電燈としての用途があり、大きな五百燭光の電燈はまた五百燭光の電燈としての用途があるというわけでありまして、床下の小さなところを照らすのに、五百燭光の大きな電燈で照らしてみようとするとかえって邪魔になるというふうになるわけであります。それで小さな電燈もわるいものでなければ、大きな電燈もわるいものでない。
……(中略)……

 そういうわけで、光というものは照らす役目のものであるけれども、いろいろの程度の光やいろいろの形の燈具がまた必要である。あるいはX光線のような人体を透視するような光も必要である。あるいは紫外光線のような、目には見えないけれども、われわれに有効な働きをするところの光もまた必要である。目に見えないからこいつはなんの光もないのだとこういってある光を排斥してしまうということはできないのであります。

 こんなわけで、この世の中のあらゆる宗教は、おのおの総ての電燈は照らす光として働いているのと同じように、すべて人生の燈台となり、人の心を照らす光の働きをしているのであります。

 それに、いちいち相手をけなして自分ばかり善いのであると、こういうような宗教争いをするようなことでは実にみっともないことであります。……(中略)……

 生長の家では決して他の宗教をわるくいわないのであります。みんな結構である――。真宗の方が来られると、真宗ですか、阿弥陀様を信心されてたいへん結構でございます、阿弥陀様をせいぜいしっかり信仰しなさい、こう申し上げるのであります。しかし、阿弥陀様を、西方十万億土の彼方に一国の城主のごとく一つの境界をめぐらして、そこに王様のようにしているようなそんな小さな阿弥陀様だと思いなさんな。尽十方無辺の世界に満ちているところの限りなき無礙光であり、大いなる生命であるこの無量寿の仏様を本当に見なさい。これが真宗の本尊で、本当の救いは、この尽十方無礙光如来と本来一体であることを知ることにある、と真宗の人にはお話するようなわけであります。
 あるいはまたクリスチャンの方が来られると、ああキリスト教の神様は非常に結構な神様である。キリスト教の開祖であるイエスを、たんに二千年前にユダヤに生まれ、そうして磔刑
(はりつけ)になって、三十三歳で死んでしまった、そんな生まれて死んだような、そんな小さな肉体的存在だと思いなさんな、久遠の昔から生きている真理の顕現――これが本当のキリストである。キリスト自身 「アブラハムの生まれぬ前(さき)より我は在るなり」 といわれている――これが本当のキリストですが――あんたはもっともっと深くキリスト教の奥まで入って、もっともっと大きくキリスト教の教祖を生かさなければなりませんぞ、というふうなぐあいに申し上げるわけであります。

 あるいは神道の方が来られるとしますと、天照大御神といわれる神様は、たんなる有限存在としてある過去の年代に、ある短い寿命をもって生まれられ、今はすでに在
(いま)さずして、ただわれらの追憶を満足さすための記念としてお祀りしてあるというふうな、そういう短い寿命の神様だとは思いなさんな。天照大御神とは高天原すなわち「光明遍照の実相世界」に遍満する万徳円満の大光明である、その万徳から一切の生物が生まれ出た。……(中略)……本当に今もありありと生き通して、久遠の昔から今に至るまでありありと生き通しておられ、われわれに生命を幸延(さきは)えたまい、われわれの生命を生かしていられるところの天地遍満の無限の天照(てんしょう)、無限の生命の根源が、天照大御神である。この親神様の全徳の天体的表現が太陽である。われわれは太陽に生かされているのである。われらが神の子というのは親神様の尊い生命の流れを受けて親子関係にあることです、と申し上げる。

 つまりどの宗教の方が来られても、もっともっとその宗教の奥へ入りなさい、大変あなたの宗教は結構であります、こう申し上げてすべての宗教を生かすのであります。
……(中略)……もっとあんたは自分の信ずる宗教を立派な宗教と思いなさい、と、信者自身が思っているよりもずっと立派なものであると、こう称
(たた)えてあげるのが生長の家であります。≫

 と。『大聖師御講義「続々甘露の法雨」』 p.42~p.43には

 
≪宗教が異るために、世界の人類が一つに、信仰によって繋がるということがどうしても出来ないというのは全く困ったことであるわけなんですけれども、それを人間細工の屁理屈をもって繋いでみたところが誰も納得してくれないから仕方がない。

   生長の家の万教帰一論

 しかし生長の家は言う 「凡そ人間が救われるという真理があり、原理があるとするならば、人類は同一真理、同一原理によって救われるべきであり」 これが道理である。仏教を信じている人は仏教の仏様で救われ、キリスト教を信じている人はキリストによって救われる、そして仏教で救われた人は何処か西方の極楽浄土とかいう処へ往くが、キリスト教で救われた人は天国という処へ往く。そして、神様と仏様とはこの世界を二分して、いや、二分ではない、宗教の種類に随って多党化して群雄割拠時代の戦国時代みたいに分れておって、キリスト教で救われた人は天国へ往く、仏教で救われた人は西方極楽浄土へ往く、イスラム教で救われた人はまたイスラム教の天国へ往く。そして旅館の客引きみたいに、その信者を競争で引っ張り合いしているというようなことは、神という超越的なすぐれた霊的支配にある世界では考えられないことだと言うのであります。≫


 ――と書かれています。ところが今は、その 「万教帰一論」を説く生長の家の信徒同志が、信条の違いによって分裂し、「旅館の客引きみたいに、その信者を競争で引っ張り合いしているというようなこと」 が起きているように見える。

 しかし、#183 でも引用させて頂きました 『光明道中記』 の12月のところには、次のような厳しいご教示があります。

十二月一日 同志愛に徹底する日

 自分の親しい人が人類光明化の陣営から去ったとて、その去った人に義理立てして吾らの同志から脱落しないでほしい。吾々は世界を覆っている暗黒思想と戦っている光明思想の戦士達である。吾等は幾多の戦友、百万人の戦友の屍を踏み超え、踏み超えして進まねばならないのである。斃(たお)れた戦友に義理立てする道は、戦友と同じく落伍することではない。尚一層の元気を奮い起して人類暗黒化の敵陣に跳り込み人類の敵を滅殺することに在る。吾々は全世界を蔽う暗黒と戦わねばならぬのである。「暗黒」が吾々の共同の敵である。

 イエスは自分の人類光明化の軍勢から脱落して往った同志を“迷える一匹の羊”に譬えて、その一匹の羊が再び同志の陣営に還って来るように、どんなに探すかを、迷わざる九十九匹の羊を放置しておいて、その一匹の迷える羊を探しに出かけるではないかとも言い、また脱落した同志を家出していた放蕩息子に譬えて、その放蕩息子が父の御許
(みもと)に還って来た時には、父は家出しないで父の御許に忠実に仕えていた他の兄弟たちのことは放っておいて、還って来た息子のために祝宴を催し、その指に宝石の指環をはめてやって歓迎するではないかといっている。吾らが脱落した同志の復帰を歓迎するのも斯くの如しであるのである。≫

十二月九日 近くに深切を尽す日

 支那事変の原因は色々あるであろうが、日本が満洲に進出して急発展することに対する民族的嫉妬もその原因の一つである。日本人が白人種であったら急発展しても中国人民は今まで白人が中国大陸に進出しても反抗しなかったと同じようだったと思う。一面から言うと、日中互に争ったと云うのは同族と云う自覚があるからである。兄弟と云うものはよく喧嘩をするものである。尤も他人とでも喧嘩をする人間はあるが、兄弟喧嘩ほど頻繁にやるものではない。親しい筈の夫婦などはよく喧嘩する。

 毎日の宗教新聞を読んでいると、大抵宗教界の内紛が載せられていないことがない。まことに一見鼻もちならぬ気持がするのであるが、これがやはり本当は互に親しいからなのである。同級生のなかでも、首席になる者とビリ滓
(かす)になるものとは互に争わないが、同一点数位の者同士は大いに競い、大いに争うのである。仲が好い者、同点数に近い者、そうした人たちが争うのである。争いのように見えていて、本当は争っているのではない。近似を自覚しての動きだと云うことを知らねばならない。そして、「争いではない」 と知ったときに、形の上での争いも消えて了うのである。≫

 そして、#183 で引用させて頂いたご教示には、

十二月十二日 至誠神に通ずる日 ……自分の今ある境遇は自分の心が誂(あつら)えたところの自分の魂の衣服なのである。……≫

十二月三日 すべて自己の責任と知る日……「すべて私の責任なのである。私はみずから顧みて恥じるほかない。考えて見れば欧州の天地で、ヒットラーが英仏を向うに廻して戦っている姿も私の心の影である。私が『ヒットラーよ。もう戦争を止めてくれ』と言ったら、ヒットラーが『ハイ』と答えて戦争を止めてくれるほどになれないのは、まだ私の力が足りないからなのである。……」≫

十二月七日 人々互に拝み合う日 ……仏の生活とは拝み合いの生活である。人間互に拝み合っているときその人の生活は仏である。自分の一群でだけ拝み合っていても、派閥を造って啀(いが)み合い、吼(ほ)え合いするのは猛獣の生活である。……宗教家よ、まずみずからの紛争を解決せよ。≫

 ――とありました。

 こういうご教示を、私は魂でしっかと戴き、そのように生きることこそ、真に 「谷口雅春先生を学ぶ」 ことであろうと思います。

  (2015.12.10)
183 ただ「感謝報恩」に徹して生きます


 「人間は、神である」 という 「至上者の自覚の神示」 について、その御講義(『到彼岸の神示』)に、

 「人間は自己の実相が『神』であることを自覚すると、自分の現象的すがたは、まだまだ実相の完全さに比べれば程遠しということを知っていますから、省みて一層謙遜になれるのであります」

 とあります。

 私は最近、谷口雅春先生が日記風にお書きになっている 『光明道中記』 の12月のところを拝読して、先生の謙虚で真摯なご姿勢に深く打たれ、私自身深い反省をし、新しい出発をする気持になれたことを、ありがたく感謝しています。

 その中から、特に私が深く反省させられたお言葉を掲げましょう。

十二月二日 真理を諦(あきら)かにする日

 ……真理は人を批
(う)つために学ぶのではなく、自己を完(まっと)うし更に人をも完うせんがために学ぶのであると云うことを知らなければならない。

 他の欠点を斬り審判
(さば)こうと思っている限りに於て自分の欠点に気が着くものではない。時々地方の支部から、近接地の支部のやり方の悪いことを指摘して「何とかして貰わないと、あれではあの行持(おこない)では、羊頭を掲げて狗肉を売るものです。光明を掲げて暗黒を売るものです」と云う報(しら)せを頂く。欠点と云うものは指摘して直るものなら簡単だが、唯、私は泪(なみだ)を嚥(の)むほかない。≫

十二月三日 すべて自己の責任と知る日

 ……私は第二次世界大戦が欧州に勃発した時の日記に次のように書いている。

 「すべて私の責任なのである。私はみずから顧みて恥じるほかない。考えて見れば欧州の天地で、ヒットラーが英仏を向うに廻して戦っている姿も私の心の影である。私が『ヒットラーよ。もう戦争を止めてくれ』と言ったら、ヒットラーが『ハイ』と答えて戦争を止めてくれるほどになれないのは、まだ私の力が足りないからなのである。力が足りないのは偉さの徴候ではない。私がまだそれほど偉くなれないのは私が悪いからである」

 私はそんなにまだ偉くなれていないのである。まだまだこれからだと思う。光明思想が世界に弘がることを待ちかねている。光明思想を弘めている誌友のなかでまだ家庭が調和せず、「何とか指導して貰いたい」と云う愬
(うった)えが私のところへ時々来るのは悲しいことである。併し、わが実相哲学は直(ただち)にこうした悲しみから、また私を立上らせて、その人のために祈ることができるのである。実相は皆な“神の子”の兄弟で、争っていないのである。≫

十二月六日 貪りを捨つる日

 ……地獄とは如何なる世界であるかと言うと、閻魔
(えんま)と鬼とのいる世界である。閻魔は審判(さば)く者であり、鬼は悪を爬羅(ほじくりだ)して責める者である。人を審判き人を批難する者の住む世界が地獄である。
 日々顧みて、われ地獄の生活に墜ちてはいないかと反省せよ。≫

十二月七日 人々互に拝み合う日

 ……仏の生活とは拝み合いの生活である。人間互に拝み合っているときその人の生活は仏である。自分の一群でだけ拝み合っていても、派閥を造って啀
(いが)み合い、吼(ほ)え合いするのは猛獣の生活である。ギリシャ神話には半人半獣の怪人があるが、半仏半獣の怪人が世の中にあって、自分の属する宗団だけでは互に拝み合い、他の宗団に対しては歯を剥(む)き出しているのがある。派閥を造り徒党を組むと云うようなことから吾々は超越しなければならないのである。

 宗教新聞を見て気の毒に思うことは、何宗内局の紛争とか、管長の更迭
(こうてつ)などに関する勢力争いなどが大抵毎日書かれていることである。宗教家よ、まずみずからの紛争を解決せよ。≫

十二月十二日 至誠神に通ずる日

 神の恵みは既にあるには相違ないけれども、それはレディーメードではないと云うことである。神の恵みはそんなに安物ではないのである。

 尤
(もっと)もどんな安物も神の恵みの倉の中にはあるのである。神は労働服地も、大礼服地も、背広地もモーニング地も用意していられる。そして吾々の註文に従ってそれを仕立てて出して下さるのである。神の作りたまう吾々への供給は、どんな安物服でもピッタリと各人の心の寸法に合うのである。

 どんな貧しさもその人の心の寸法に合っている。彼がその貧しい境遇と称
(よ)ぶ服を着ているのは、神様のレディーメードではなく、彼が困難と戦って魂の貴い鉱石を発掘するためには、その貧しい服装が丁度都合が好いと言って、彼の心が誂(あつら)えたものなのである。それは無意識に誂えたのかも知れないが、兎も角彼の心が誂えたものなのである。

 自分の今ある境遇は自分の心が誂えたところの自分の魂の衣服なのである。兎も角、今着せられている「境遇」と云う服装で吾等は善処しなければならない。今労働服を着ている人は、その労働服が摺り切れて了うまで働かねばならぬ。その後に新しい服装が与えられるであろう。≫

十二月十三日 神の叡智につながる日

 魂の進歩は、日に日に与えられた其の儘を素直に全心をもって行じて行くところにある。神想観はその行ずる方向を神の智慧によって導かれ、行ずる意志力を招び出だし、その行じ得させて頂くその事実に感謝するところの行事である。ただ遮二無二行ずればとて、反対の方向へ向って行じているのでは却って逆効果を呈することになる。

 そこで神想観によってその行ずる方向を神の叡智によって導いて頂くのが、「神の叡智流れ入りて、常住坐臥吾れを導き給う」と観ずる神想観である。実行の意志力を強めるところの神想観は「神の力われに流れ入りて吾れに実行の勇気を与え給う」と観ずるところの神想観である。「全てなくてならぬものを与えたまいて有り難うございます」と繰返し念ずるのが感謝の神想観である。

 ……感謝を実行に表現すること、それは愛を隣人に対って行う報恩行である。

 みんな報恩のつもりで、やらせて頂く者には何の力みもない。唯有り難いばかりである。≫

十二月三十日 讃える喜びの日

 ……人を踏みつける喜び、見下す喜び、ザマ見ろと云う喜び、好い気味だと云う喜び、こんな喜びは地獄の喜びであって、本当の喜びではないのである。

 天国の喜びは、神を讃える喜びである。感謝する喜びである。人を互に賞め合う喜びである。人と助け合う喜びである。人に深切を尽すよろこびである。仕事をする喜びである。ニセ物の我を征服する喜びである。真理を知る喜びである。教
(おしえ)を聴く喜びである。教を行ずる喜びである。創造する喜びである。美を味い、芸術を鑑賞する喜びである。……≫

十二月三十一日 新生のため準備整う日

 ……振返って見ると、どれだけ私の魂はこの一年間に進歩したことだろう。色々の失敗もあったであろう。色々の躓
(つまづ)きもあったであろう。併しその時にはまごついた如く見えた失敗も躓きも、今から振返って見ると、悉く私の魂の生長に必要欠くべからざる要素をなしていることを発見するのである。

 要するに、本当の意味に於て失敗と云うことはなかったのである。躓きと云うものはあり得ないのである。今から見ればすべてのものが拝まれる。……愈々今年もこれで終るのかと思うと、今年と云うものに申訳ない気がする。私自身の生命にも申訳がないような気がする。誌友諸君に対してもまことに申訳がない。この私を茲
(ここ)まで鞭撻し、爰(ここ)まで引摺るようにして導いて下さったのは誌友の私に対する信頼である。私は茲に感謝を以て本年の日記を終ろうと思う。≫


 ――私は上記の尊いお言葉を拝読して、深い反省と感謝と喜びに満たされています。

 私は今まで、お世話になった生長の家教団の総裁や運動方針を批
(う)つようなことを随分やってまいりました。深い反省と懺悔のこころを起こしています。

 一切は、私の責任であり、わが環境は私が誂えた服であります。ただ感謝と報恩の気持に徹して、これから明るく力いっぱい頑張ろうと思います。

 ありがとうございます。

  (2015.12.8)
182 再びいう 「人間は、神である。」 と
         ― ローマ教皇の“環境回勅”に異議あり ―



 普及誌 『いのちの環』 No.68(2015/11)に、谷口雅宣 生長の家総裁は

 “私たちは神ではない。私たち以前に地球はここにあり、それは私たちに与えられたものだ。……云々”

 というローマ教皇の“環境回勅”を引用して、

 「読者は、今日のカトリック教会が進もうとしている道が、これまで私たち生長の家が歩んできた道とあまり変わらないことを理解してくれるだろう」

 と書かれている。

 私は、この “私たちは神ではない” というのは、生長の家の説くところではないと思います。

 #176 に、

≪人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』が此の世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。≫

 とある通り、「人間は、神である。」 ということを知らせるのが生長の家出現の目的なのである。

 それは勿論、肉体が神なのではない。常識的な、動物の一種としての人間が神なのではない。しかし、肉体は人間ではない。念の影であり、人間の革袋にすぎない。真の人間は、霊的実在であり、神なのである。神はわが外にいますのではなく、内にいます。

≪罪も、
  病も、
  死も、
  畢竟汝らの悪夢に過ぎず。
  汝ら生命の実相を自覚せよ。
  汝らの実相たる 『真性の人間』 を自覚せよ。
  『真性の人間』 は神人にして
  神そのままの姿なり。
  ……
  汝ら自身の本性を自覚せよ。
  汝ら自身は 『真性の人間』 にして、
  そのほかの如何なるものにも非ず。≫

≪キリストは
  『神の国は汝らの内にあり』 と云い給えり。
  誠に誠にわれ汝らに告げん。
  『汝らの内』 とは汝ら 『人間の自性』 なり、『真の人間』 なり。
  『汝らの内』 即ち 『自性』 は神人なるが故に
  『汝らの内』 にのみ神の国はあるなり。≫


 と聖経 『甘露の法雨』 にある通りである。そして

≪真の人間は 『神の子』 であって物質ではなく、肉体ではない。釈迦は 『人間』 の生老病死の四苦を見て出家したと言えども、釈迦はそのときまだ 『人間』 を見ていたのではない。念の影を見て 『人間』 と思い違いしていたに過ぎない。≫

 と、「本来生、不滅の神示」にある通りである。

  (2015.12.6)
181 「初めに日本」


 今朝(2015.12.5)の日経新聞 文化欄 「交遊抄」 のコラムに、三潴末雄(みづま・すえお=ミヅマアートギャラリー代表)さんが、「初めに日本」 と題して次のようなエッセイを書いておられる。 

≪ 考え方が違っても、不思議とウマが合うことがある。40年の付き合いになる常陸国出雲大社の宮司、高橋正宣さんがそうだった。

 知り合ったのは30歳過ぎ。小柄で色黒、笑顔が人懐こい好人物だった。年齢はほとんど同じだが、両親がクリスチャンでフランス哲学に傾倒した僕とは、考え方が水と油ほど違う。得意げに持論をぶっていると、「ダメだよ。初めに日本を学ばなきゃ」 とピシャリ。

 そう言う君こそ世界をみなきゃ、と勢いで彼を旅行に誘った。カトリックの聖地、アッシジで地下礼拝堂の厳かさに息をのみ、南米の空中都市、マチュピチュの景観に驚嘆した。年に数回、1週間ほど共に過ごした。

 あちこちを巡るうち、各地に日本の原始的な考えと通ずるものがあると気付いた。世界は古層でつながっている、真にナショナルなものこそインターナショナルになりうる――。こんな風に考えるようになって、彼の真意がわかってきた。

 40代で現代美術の画廊を開いた。最も大切にしているのは、日本文化に根ざしたアーティストを発掘し、育てることだ。中には独自の感性を花開かせ、世界で活躍する作家も出てきた。西欧文化の翻訳ではダメ。まず日本を知らねば。かつての高橋さんの言葉が、今では僕の口癖になっている。≫


 と。

 出雲大社は島根県大社町にあり、ご祭神は言わずと知れた大国主大神。天照大御神に国土を奉献して日本の建国に大きな功績を立てられた大神である。神代の昔、常世之国
(とこよのくに)とも言われる常陸国(ひたちのくに)(現在の茨城県)の少名彦命(すくなびこなのみこと)と共に国づくりに励まれたと伝えられている。常陸国出雲大社は、茨城県笠間市福原の地に、出雲大社(島根県・大社町)からの御分霊(わけみたま)が鎮座されている。

 その福原の地は、日が沈み休まる国「日隅宮
(ひすみのみや)」と称される島根県・出雲大社から、大国主大神の第2御子神である建御名方(たけみなかた)大神が鎮まる長野県諏訪大社を通り、日が生まれる(最初に日の出<天照大御神>を迎える)国・常陸(日立ち)の国へと直線上で結ばれているご神縁の地だという。

 「神話は架空の物語で、現実の歴史とは何の関係もないか?

 否、現実世界の歴史を映画だとすると、神話はその映画のフィルムのようなものである。」

 と #179 に書いた通りであり、映画のフィルムは同時に複数の映画館で上映されることも多いから、似たようなことが世界各地の歴史・文化に現れていても不思議はないのである。だから真にナショナル(民族的)なものを掘り下げると、インターナショナル(国際的)なものに通ずる。外に追い求めず、内を掘り下げることが、普遍的真理に達する早道でもある。『生命の實相』 は、それを説いている。

  (2015.12.5)
180 天皇を中心に仰ぐ日本国体にこそ、真の民主主義がある


 ヒトはみな天照大御神の霊を受けた神の子であるから、男子は「ヒコ(日子)ノミコト」、女子は「ヒメ(日女)ノミコト」と称した。人間は皆神の子、神なのである。それで――


≪国は人間生命の外延である。それは身体が人間生命の外延であるが如くである。

 人間生命が神より生れたる神聖なるものであるという自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの神聖性を要求するのである。この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。

 しかも人は自己が無にして絶対であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於ても持つことを要求するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。

 身体も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。観る心の要請が身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。……(後略。昭和20年12月28日神示)≫


   (「君民同治の神示」より)

 上記は昭和20年、戦後アメリカの占領政策で日本弱体化のために民主主義が賛美され強制されていた時に、天降った神示であります。真の民主主義は、神聖なる真の人間が「主」となるものでなければならない。従って真の民主主義は、天皇を神聖なる存在と見る日本国体と決して矛盾するものでないこと、天皇を中心に仰ぐ日本国体こそが最も素晴らしく新しい民主主義であることを明らかに示された神示であると拝されます。

  (2015.12.4)
179 天照大御神は実相世界の光であり宇宙の主宰神である


 天照大御神(あまてらすおおみかみ)は日本神話に出てくる神だから、日本民族だけの守り神か?

 否、そうではない。宇宙の主宰神である。現象界の宇宙主宰神であり光であるばかりでなく、実相界の宇宙主宰神、光であると谷口雅春先生は説かれている。
 <『古事記と現代の預言』 p.183~p.185 「天照大御神は実相界の主神」


 それは、古事記神話が天地の初発
(はじめ)の時すなわち時空を超えた「久遠の今」なる高天原に成り(鳴り)ませる天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)から始まっていて、天照大御神は伊邪那岐(いざなぎの)大神が左の御目をお洗いになったときお生まれになったとされており、左は陽足(ひだ)りすなわち霊(ひ)の極致、光明の実相を意味することからも、自明のことである。

 神話は架空の物語で、現実の歴史とは何の関係もないか?

 否、現実世界の歴史を映画だとすると、神話はその映画のフィルムのようなものである。

 古事記神話は、日本民族の潜在意識の奥底、魂の底から自然に浮かび上がってきた、物語の形をとった哲学であると言える。古代民族が、自然に直感された真理を、創作衝動によって物語に表現されたものであり、真理が一層純粋に象徴的に書かれている。『古事記』 冒頭の 「天地初発の段
(くだり)」 は、「久遠の今」 なる生命の実相哲学の物語的表現である。

 
≪太初(はじめ)に言(ことば)あり、言(ことば)は神なりき。……万(よろず)の物これに由(よ)りて成り、成りたる物に一つとして之(これ)によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき。≫

 と新約聖書ヨハネ伝第1章冒頭にあるのも、同一真理を述べていると言える。

 古事記神話では、天の神である天照大御神が地の神である須佐之男命
(すさのおのみこと)と「うけひ(霊交)」をなさったとき、五柱の男子(ひこみこ)と三柱の女子(ひめみこ)が誕生したとある。これは、天の気と地の気とが霊交(うけひ、交流)して地上に人間が誕生したことを意味すると、谷口雅春先生は解釈されている。くわしくは――

≪ ……ここに、天照大御神の左の御みずらに纏(ま)かせる八尺勾璁(やさかのまがたま)の五百津(いほつ)の美須麻流(みすまるの)珠を乞い渡してとありますが、天照大御神の左の髪の毛というのは、左は君位であり、右は従である。即ち君位の神の系、即ち君系という訳であります。

 八尺勾璁の八尺
(やさか)というのは、彌栄(いやさか)という意味で彌々(いよいよ)栄えることを現しております。五百津というのは数多いことで、美須麻流(みすまる)の美は尊称であり、須は総べる、麻流は丸めて包容帰一することで数多くを一つに統べられる所の珠即ち魂を、五百津の美須麻流珠であらわしているのであります。

 これは天照大御神の御天職を表しているのであります。世界各国多くの国魂
(くにたま)を一つに統一せられる最(いと)も尊い天照大御神の御魂を受取って口に噛んでぷうーっとお吹きになったら、五柱の神様がお生れになったというのであります。口に噛むというのは肉体に霊が入れられて肉体人として醸(か)み出される事を現しているのであります。

 この五男神の中で一番勝
(すぐ)れておられた神様が、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかつはやびあめのおしほみみのみこと)と申上げるところの神様であって、畏くも邇邇芸命(ににぎのみこと)のお父君に当らせ給うのであります。この天之忍穂耳命は天照大御神の世界各国総ての魂を統一せられる美須麻流の珠が肉体に宿って御顕現になったという訳ですから、此の神様は全世界を統治せらるべき天職をお持ちになるのであります。

 伊邪那岐
(いざなぎ)の大神は天照大御神に高天原(たかあまはら)即ち全大宇宙を知ろしめせよと仰せられた。だから全大宇宙は天照大御神の御統治になるべき国土で、その御統治の魂が宿ってそこにお生れになったのが正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命と云われる神様なのであります。是の神様が天照大御神の正統の世界統治(みすまる)の御魂を受け継いでお生れになり、その嫡子(みこ)が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)であって、日本皇室の御祖先であります。≫

  (谷口雅春先生 『古事記と日本国の世界的使命』 より)

 そして、ヒトはみな天照大御神の霊を受けた神の子であるから、男子は「ヒコ(日子)ノミコト」、女子は「ヒメ(日女)ノミコト」と称したのである。


  (2015.12.2)
178 「みすまるの珠」は天照大御神の神霊(みたま)である


  『古事記と現代の預言』(谷口雅春先生著) 〈第十章 天に成る「幽の世界」の霊交〉 p.165~p.166より――

 
≪天照大御神(あまてらすおおみかみ)がその御髪(みかみ)にも御鬘(みかずら)にも、おのおの八尺勾璁(やさかのまがたま)の五百津(いほつ)のみすまるの珠を纏(まと)っておられたというのは、天照大御神の御天職が表現されているのであります。

 “珠”というのは“霊
(たま)”の象徴であり天照大御神の神霊の天職は八尺勾璁のようだというのであります。“やさか”と謂(い)うのは、“弥栄(いやさか)”であります。“いよいよ栄える”という意味、マガタマと謂うのは真輝魂(まがたま)であり真(まこと)に光輝燦然たる魂だと謂う意味。五百津というのは“五百つづき”即ち「数多く」ということであります。数多くの国々の魂を一つに連珠のようにつなぎ合わせて“統(す)め丸める魂”をもっていられるというのが 『みすまるの珠を纒(ま)き持たして』 であります。

 このみすまるの珠は、一つ一つの珠を壊さないで、それを生かしながら、互い互いの連関に於いて其の美が顕揚されるのでありまして、天照大御神の御天職は、世界の国々をつぶしてしまって一つの団子のようにまとめるのではなく、それぞれの国々の特徴を生かしながら、互いにそれぞれが敵対することなく、各々の美が顕揚されるように世界連邦的な統一をせられるのが御天職であり、それはとりも直さず、日本国の使命なのであります。

 しかし日本国の使命は、決して無武装でそれが遂げられるのではないことが、天照大御神が武装して須佐之男命
(すさのおのみこと)をお迎えあそばされた事で明らかであります。武装は必ずしも敵を殺したり、殲滅(せんめつ)するためのものではなく、それは国家の権威の象徴であります。武装がなければ人体に白血球がないのと同じで細菌の侵入にまかせるより仕方がないのです。いのちのある有機体で、白血球的防禦装備をそなえていないものは一つもないのでありまして、国家も有機体である限り侵略を防止するための国家の権威の象徴として“武力”を備えていなければ、隣国から馬鹿にされて滅亡するほかないのであります。

 現に
(昭和40年頃のこと)日本はソ連や韓国などに対して対等にものが言えない。韓国には竹島をとられ、エトロフやクナシリをソ連領だと言い張られても、犬の遠吠えのように口上書や、首相宛の手紙で、何の役にも立たない抗議文を送っているだけであります。武力を背景にもたない国家は、その発言に権威がないのであります。

 そこで天照大御神は、曾毗良
(そびら)(背中)には千本の箭(や)の入れものである靫(ゆぎ)(矢を入れる容器)をつけていられ、比良(ひら)(前面)には五百本の箭の入った靫を附け、威風堂々と左手の肘には竹靹(たかとも)(革でつくられた弓弦の反動を受ける道具)をつけていられた。……≫

 上記は、『古事記』 〈御うけひの段
(くだり)〉 のご講義からでした。

 『古事記と現代の預言』 は昭和43年初版ですが、最初月刊誌に執筆発表されたのはその前、昭和40年頃だと思われます。「現に日本はソ連や韓国に対して云々」 というのは、今なら中国が 「尖閣諸島は中国領土だ」 と言ったり、南シナ海の岩礁を埋め立て飛行場など軍事施設をつくり、周辺20海里以内は中国の領海だと主張したりしていることなどもあります。そうした状況に対して、日本が安全保障関連法を成立させたのは、国家として当然の自衛策であります。

 イエスの 「主の祈り」 に、「みこころの天に成るが如く地にも成らせ給え」 とありますが、古事記の神話に語られた真理は、「みこころの天に成る」 世界をあらわしている。

 『古事記と現代の預言』 には、そのあと次のように書かれているところがあります。

≪……神話に語られたる真理は、真理だから、幽・中・顕といろいろあらわれ且つ当て嵌まるのであります。イエスの主の祈りの 「みこころの天に成れる」 幽の世界に於いて陰陽の気の霊交が行なわれた“天之真名井(あめのまない)”が、葦原中津国(あしはらのなかつくに)(現象世界)の琵琶湖となってあらわれ、さらに、顕の世界では、それが男女人体の霊交となってあらわれるのであります。人体に於ける“天之真名井”は女性性器にあたるのであり、そこは概(おおよ)そ琵琶湖のような形をしているのであります。

 十拳劔
(とつかのつるぎ)というのは、劔は“男性の魂”だとされております。須佐之男命の魂であり、“地の気”であります。それが人体にあらわれては男性性器となってあらわれております。その「男性魂」を“天之真名井”に振り滌(すす)いで子供を産まれたのであります。……云々≫

 ――と。

 ……ともかく、 「みこころの天に成れる」 世界、神の国には軍備がないかというとそうではない。天なる陰陽調和の神の国にも、国家の権威としての軍備があるのだということであります。

  (2015.11.29)
177 兄弟よ、夢を描け


 繰り返しますが、「われ神なり」 の自覚が、すべてを 「わが生みし子なり、我れなり」 として慈しみ、生かす行いの元となる。その自覚こそが、世界平和の元となる。

 親が、子を訴えて裁判沙汰に持ち込むなどというのは聞いたことがない。ところが生長の家では、子にあたる元熱心な信徒、同志を排撃し、裁判に訴えるような行動をしながら、「神・自然・人間の大調和による世界平和」 などと言っても、信徒はしらけるだけである。それで 「教勢拡大」 というのは、寝言に等しい。

 生長の家総裁および教団中枢幹部の方々。「人間は神なり」 の元に還り、まずは、裁判をやめ、子にあたる元熱心な信徒、同志との大調和、和解、協力総活躍をめざしてください。さもなければ、生長の家出現の意味はなくなると思うものです。

 谷口雅春先生の作詩に 「夢を描け」 というのがあります。私は青年時代にそれを、ベートーヴェン第九の「歓喜の歌」をバックに朗読、録音して、街頭伝道で流したりしていました。

 →「夢を描け」(岡正章朗読、録音)

≪   夢を描け

若きと老いたるとを問わず
兄弟よ、夢を描け、
蜃気楼
(しんきろう)よりも大いなる夢を。
夢はあなたの肉体を超えて虚空にひろがり
ひろくひろく宇宙にひろがる雲となって、
あなたをより高き世界へ
あま翔けらす大いなる翼となるであろう。

此の翼こそ世にも奇
(くす)しき翼である。
夢の奇しき翼に乗るとき
若きものは向上し
老いたるものは若返る。

兄弟よ、
夢の翼を休めるな、
自己を出来るだけ偉大であると想像せよ。
あまり高く翔けのぼることを恐れるな、
躊躇するな、
尻込みするな、
自分自身を限るな。
あなたは夢の翼によって肉体の制限
(さかい)を超える。
たといあなたが地球にわいた黴
(かび)よりもその肉体が小さくとも、
あなたの心は夢をえがくことによって
天地を造った偉大なる心と一つになるのだ。

兄弟よ、
悲しみに打たれるな。
打たれても起き上れ。
描いた夢が破れても
あなたはまだ夢を描く自由はあるのだ。
自分にまだ偉大な力が残っていると想像せよ。
夢を描くものにとっては
此の世界は常に新天新地である。

兄弟よ倒れるな、
倒れても起き上れ、
希望を失っても試みが破れても
倒れ切るな。
夢は希望の苗床である。
大いなる夢の苗床から
希望の芽がまた萌え出でる。
希望の芽は夢につちかわれて生長する。
夢は希望の苗床である。

兄弟よ、出来るだけ明るい大きな夢を心に描け。
自分を暗い悲しいものだと想像するな。
あなたの 『心』 が全能の創造者
(つくりぬし)だと云うことを知れ。
あなたは自分の心で自分を想像した通りのものにするのだ。
自分を暗い悲しいものだと想橡したら
その通りにあなたはなるのだ。
自分を明るい偉大な人間だと想像しても
その通りにあなたはなるのだ。
何故なら心は全能者であるからだ。

兄弟よ、
偉大なる夢を描かないで
偉大となったものが嘗てあるか。
此の世に偉大と名のつく一切のものは、
みんなあなたの夢の産物ではないか、
コロンブスがアメリカ大陸を発見したのも
あなたの夢の帆かけ船で
人生の荒波を超えたからではないか。
汽車、汽船、自動車は勿論のこと、
飛行機、ラジオに至るまで、
皆なあなたの夢が形と化したのではないか。

新大陸の存在をあなたの夢が心に描く。
するとやがてアメリカが発見された。
あなたの夢が
人間が空を飛ぶことを心に描いたとき
飛行機が発明された。
あなたの心が 『動く写真』 を夢に描いた時
キネマが出現したのだ。
そしてあなたが 『語る映画』 を心に描いたとき
トーキーが出現したのだ。

兄弟よ、
夢の勇者たれ、
あなたの夢が万能であると云うことを自覚せよ。
万能を自覚するとき、
あなた自身は本当に万能となるのである。

夢の勇者も
時としては失敗するように見えるであろう。
併し如何なる時にも挫折するな、
失敗するように見えた時、
彼は一層希望の実現に近づいているのである。

見せかけの失敗は
成功のきざしである。
陰極は必ず陽転する。
コロンブスを乗せた帆かけ船の船員が、
待てども待てども新大陸が見つからないで失望して、
今や将
(まさ)にコロンブスを監禁して
船を引返そうとしていた時
彼は一層新大陸の間近まで来ていたのではないか。

兄弟よ、
陰極は陽転するのだ。
何事にも此のコロンブスの話を思い出せ。
失敗に恐れるな、
失敗のたび毎に
貴方が希望の実現に近づいている事を知れ。
そして人生の荒波に沈んで了わないように
夢の救命器をしっかり結んで泳ぐのだ。≫


  (谷口雅春先生作詩。『生命の實相』第20巻「聖詩篇」より)

 上記 「夢を描け」 の朗読録音で、そのバックに使ったベートーヴェン第九の「歓喜の合唱」は、私もその合唱団の一員として歌っているものです。

 相愛会の幹部会で数年前に、「相愛会長はワクワクするようなビジョンを描こう」と提唱されたことがあります。そのときに私は、「生長の家が分裂状態で互いに排撃し争い合いながら、“ワクワクするビジョン”なんか出てくるわけがない。寝言みたいなことを言うな。熱心な元同志たちと和解・協力しあい、一つになって人類光明化運動に邁進する姿こそ、ワクワクするビジョンだ」 と言ったことがあります。今も、そう思います。

 信徒の皆さま、いかがでしょうか。

  (2015.11.24)
176 人間は、神である。


 “人間至上主義は間違っている” というとき、その “人間” とは動物なる肉体人間をさしている。動物である肉体人間は、我欲によって自然環境を破壊する “地球のガン” となり得る。

 その 「我欲によって自然環境を破壊してきた地球のガン、罪の子」 の自覚が、潜在意識的自己処罰、自己破壊願望によって、いま、攻撃が反撃を生む 「報復の連鎖」 なるテロにおびえる世界の状態をひきおこしているとも考えられる。

 しかし、真の人間は、肉体ではない。真の人間は、神である。

≪人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』が此の世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。自己が神だと悟ったら人間が傲慢になるように誤解したり、自己の本性が神だと悟った者を謙遜が足りぬと思う者は大変な思い違いである。斯くの如き想像をする者は自己が神だと言う真理をまだ一度も悟って見たことがないからである。自己が神だと悟れたら人間は本当に謙遜になれるのである。キリストが弟子の足を洗うことが出来たのも、自己が神だと悟っていたからである。

 本当の謙遜は『神の自覚』から来る。神を自己の本性
(うち)に自覚しないものは、いくら謙遜らしく見えても、それは卑屈にすぎない。卑屈と謙遜とを思い誤るな。本当の謙遜とは『自己は神より出でた神の子である、従って神そのもののほか何者でもない』と言う真理を何らの抗(さか)らいもなしに承認することである。此の真理を承認するものを謙遜と言い柔和と言う。此の真理に逆う者を傲慢と言うのである。すべての傲慢と意地張りとは『吾れ神なり』の真理を承認しないところの根本傲慢より分化し来たるのである。≫

 と、完成
(ななつ)の燈台の点燈者なる生長の家大神は、神示を垂れ給う(「至上者の自覚の神示」)。

≪人間とは何か? 現在では、環境にもみくだかれ、生活にこづき回され……いつ廃物とされるかわからない、情けない、無力で不安定な存在にすぎない。人間とは本来、そういうものではなく、宇宙的にかかわりあっている、巨大な存在なのだ。≫

 とアガシャも伝えている。

 いま、攻撃が反撃を生む 「報復の連鎖」 におののいている世界の難題を克服する道は、「人即ち神であるという真理」 の自覚(それが正念である)に目覚めて、本当に謙遜になり、真の愛を行ずることによってのみ克服できるのではないか。今こそ、正念
(しょうねん)によらなければ乗り切れない 「正念場」 なのである。

 「われ神なり」 の自覚が、すべてを 「わが生みし子なり、我れなり」 として慈しみ、生かす行いの元となる。その自覚こそが、世界平和の元となる。

 親が、子を訴えて裁判沙汰に持ち込むなどというのは聞いたことがない。ところが生長の家では、子にあたる元熱心な信徒、同志を排撃し、裁判に訴えるような行動をしながら、「神・自然・人間の大調和による世界平和」 などと言っても、信徒はしらけるだけである。

 生長の家総裁および教団中枢幹部の方々。「人間は神なり」 の元に還り、まずは、裁判をやめ、子にあたる元熱心な信徒、同志との大調和、和解、協力総活躍をめざしてください。さもなければ、生長の家出現の意味はなくなると思うものです。

  (2015.11.20)
175 「報復の連鎖」という難題をどう克服するか―今こそ正念場


 
≪13日夜に起きたパリ同時テロの実行犯の一人が、「シリアを攻撃した罰だ」 と叫んだとの報道がある。報復措置として、フランス軍は15日、過激派組織「イスラム国」(IS)への空爆に踏み切った。

 オランド大統領は16日の演説で「われわれは戦争状態にある」と強調し、断固とした決意でテロとの戦いに臨む姿勢を示した。ただ、仏国民の間では新たなテロを心配する空気も強まっている。

 なぜフランスが再度、テロの標的になったのか。直接のきっかけは、仏軍によるISへの空爆だ。フランスは2014年にイラク領内のISへの空爆を始め、今年9月にはシリア領内に広げた。

 「シリアでの作戦を強化する」。オランド大統領は16日、国会議員らを前に力説した。

 仏空軍は15日、シリア域内のIS拠点への空爆を実施。10機の戦闘機が20の爆弾を投下し、関連施設を破壊した。

 しかし、さらなる報復テロが起きるリスクも格段に高まる。攻撃が反撃を生む負の連鎖に入り込む懸念は消えない。≫
 (日本経済新聞 11月17日朝刊第3面より 抜粋)

          ○

≪歌おう この願い 争い 憎しみ
 苦しみ 怒りも 消え去るよう

 いつの日 出逢える 明るいあしたに
 世界を 光で つつむのは 子供たち≫


 (長野五輪開会式で歌われた「明日こそ子どもたちが」歌詞より)

          ○

≪まもなく世界全体が、新しく生まれ変わる。
 まったく近いうちに、地上のすべての政治、経済体制は、ガラリと一新される。技術も、社会も、今とは比較にならないほど進歩する。理解がみなぎり、一体となった世界社会が実現する。
 原子力は、生活の便利のために利用できるようになる。政治面で婦人の役割は、さらに重要になる。指導的立場に立つ婦人がふえてくる。古くから残っていた階級は消滅する。
 最も変るのは教育である。その理論も実際も、根底から改革される。それは、人間観に一大変革が起こるからである。

 人間とは何か?
 現在では、環境にもみくだかれ、生活にこづき回され、機械や社会体制の部品となって、いつ廃物とされるかわからない、情けない、無力で不安定な存在にすぎない。人間とは本来、そういうものではなく、宇宙的にかかわりあっている、巨大な存在なのだ――と、アガシヤは教える。

 それを自覚せねばならぬ時がまもなく訪れてくる。激しいショックを受け、大きな試練をのりこえて、いやでも人間は、本当の自分自身に目ざめ、偉大な自覚を抱くようになる。それがつまり地上の浄化だ。
 この上もなく平和な、輝かしい時代は、人類をゆり動かす大きなショックとともにやってくる。≫


 ――上記、「新時代の預言」は、いまから約70年前、リチャード・ゼナーというアメリカの霊媒的預言者が、第2次世界大戦直後の1947年(昭和22年)に公刊した書物に載っていたものです。アガシャというのは、7千年前エジプトに生まれた宗教政治家、霊人であるとされ、ゼナーはその霊示を受けて語ったもの。私は学生時代にそれを山口市立図書館で見て、書き写していたのです。それには共産主義の崩壊、アジアの勃興とアメリカの凋落も予言されており、興味深いものでした。

 私は、この中の
 「人間とは何か? 現在では、環境にもみくだかれ、生活にこづき回され、機械や社会体制の部品となって、いつ廃物とされるかわからない、情けない、無力で不安定な存在にすぎない。人間とは本来、そういうものではなく、宇宙的にかかわりあっている、巨大な存在なのだ」

 ということを明らかにして伝え、新時代をもたらす使命をもって出現したのが生長の家である、と思いました。

 <つづく>

  (2015.11.19)
174 「人類はみな兄弟」という「歓喜の歌」が大好きな日本人


 日本の心は、東洋文明と西洋文明を一つに結んで融合させる「八紘一宇」のこころ。

 それで長野オリンピック開会式でのクライマックスは世界五大陸を結んでのベートーヴェン第九「歓喜の歌」大合唱でした。スタジアムの観覧席でも、指揮者小澤征爾さんと縁のある約2000人の合唱仲間をはじめ、万という人たちが一緒に歌った。そうして世界五大陸7ヵ所での合唱がピッタリ合っていたというのは、まさに想定以上の大成功だった――。

 →映像YouTube

 また小澤征爾さんは、音楽もお好きな天皇・皇后両陛下に前もってこの企画を電話でお伝えすると、両陛下は、「それなら自分たちも一緒に歌う」とおっしゃり、実際に歌っていらっしゃったということです。

 ちなみに日本人は特に第九が大好きなようで、これほど演奏される国も珍しいと言われています。それは、日本人の潜在意識、魂の奥底に、「人類はみな兄弟」という「八紘一宇」の真理による肇国、建国の理想が鳴りひびいているからではないでしょうか。

     ベートーヴェン第九 日本最初の演奏は

 第九を日本で初めて合唱付きで全曲演奏したのは、1918年(大正7年)6月1日、徳島県板東
(ばんどう)町(現・鳴門市)の板東俘虜収容所に収容されていたドイツ兵たちであった。「歓喜の歌」の部分だけの演奏は、その前1916年(大正5年)8月20日、やはり徳島俘虜収容所のドイツ兵により行われている。

 <かれらも祖国のために戦ったのだから>―。徳島のドイツ人俘虜収容所では例のない寛容な処遇がなされた。日本人将兵・市民と俘虜との交歓を実現し、真のサムライと讃えられた会津人・松江豊寿。なぜ彼は陸軍の上層部に逆らっても信念を貫いたのか。国境を越える友愛を描いた中村彰彦のノンフィクション歴史小説『二つの山河』は、第111回直木賞を受賞している。

 当時、中国の青島
(チンタオ)はドイツの租借地であり、日本は第一次世界大戦に連合軍側に立って参戦すると、ここを占領し彼らを捕虜として収容した。ドイツ人捕虜たちは、収容所長の松江豊寿大佐の人道的扱いによって自由に音楽を楽しんでいた。このエピソードは 『バルトの楽園(がくえん)』 として2006年に映画化されているが、その7年前1999年(平成11年)に、松江豊寿の出身地である会津若松の市制百年記念事業として「会津若松市民文化祭」が会津風雅堂で開催された。そのとき、この「真のサムライと讃えられた会津人・松江豊寿」を主人公として、板東俘虜収容所のドイツ兵たちと地域の村人たちの交流を、「会津若松市民参加のてづくり舞台」として演ずるという。

 私は当時福島県に赴任していましたのでその情報を耳にして、「私もその舞台に出て、ドイツ兵俘虜の一人になって『歓喜の歌』を歌いたい」と申込み、受け入れてもらって出演したことがあります。髪の毛に金粉をつけて金髪のドイツ兵を演じました。演劇は「虹の譜
(にじのうた)」という題で演ぜられ、その記録ビデオを私は今も大切に持っています。

 その練習をしているときに私は徳島県鳴門市の「ドイツ村」と言われている板東俘虜収容所跡の記念館を訪れて見学し、資料書籍などを購入しました。その一つ、『「第九」の里 ドイツ村』(林啓介著)などを読み、また父の年譜を対照して見て、びっくりしました。

 まず、俘虜収容所長をしていた松江豊寿は徳島連隊所属であった、そのとき私の父岡博明も同じ徳島連隊所属であった(20の年齢差で父の方が後輩)ということ。

 もうひとつは、前述の『「第九」の里 ドイツ村』に、「板東俘虜収容所の管理スタッフ」として、「一等主計 岡 正章」という名前が載っていることです。それは、中村彰彦著『二つの山河』(文春文庫)にも載っています。

 私は、「岡 正章」という同姓同名、漢字も同じという人を見たのは生まれて初めてだったので、不思議な縁を感じて、なぜか涙があふれました。

 <つづく>

  (2015.11.18)
173 長野オリンピック開会式は「八紘一宇」の姿をあらわして見せた(5)


 長野オリンピックで、聖火台に火つぎをした点火者 伊藤みどりさんの姿は、日本神話の天照大御神
(あまてらすおおみかみ)を思わせる姿だった。天照大御神が、天孫(てんそん)邇邇芸命(ににぎのみこと)

≪豊葦原
(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きわ)まり無かるべし。≫

 という御神勅をくだされた神代
(かみよ)を髣髴(ほうふつ)させる姿だと私は思いました。



 その伊藤みどりさんへ聖火を渡す前には、鈴木博美さんがスタジアムのグラウンドから160段の階段を上って行く。その間、演奏される曲は、東洋と西洋を結ぶものとしてよく知られたプッチーニの歌劇「マダム・バタフライ(蝶々夫人)」から、「ある晴れた日に」。

 この曲は、東洋と西洋が出会って最も美しい幸福なときを歌っているものだ。歌詞なしの音楽だけを流しているが、それでも西洋の人にとっては、それが何を意味するか、すぐピンとくるにちがいない、と企画演出者の浅利氏はいう。歌詞は、日本語にすると

≪ある晴れた日 遠い海のかなたに 煙が立ち
  船がやがて見える
  ま白い船は 港にはいり 礼砲を打つ
  ごらん あの人よ だけど迎えにゃ行かない
  近くの岬に出てそこであの人を待つのよ いつまでも
  港の町をはなれて 人の姿が山を登って来る
  あれはどなた 登りつめれば何を言うでしょ
  遠くから 「バタフライ」(蝶々さん) と呼ぶのよ
  答えずに 私やかくれましょう
  さもなけりゃ 嬉しさに死ぬかもしれない
  するとあの人は 私を呼びます
   「可愛い奥さん オレンジの花」
  ちょうど昔 よく呼んだように
   きっといつかはこうなるの
   あの人は帰る ほんとよ
  だから泣いちゃいやよ≫

 というものである。

 人の真心を信じ切って待つ 日本女性のまごころを歌い上げる。

 この「ある晴れた日に」の音楽がクライマックスに達した時、ちょうど伊藤みどりが聖火台に点火するのと一致した。それは計算してあったわけではなく、想定以上の大成功であったという。神が導き給うたのであろうか。

 →映像YouTube

 <つづく>

  (2015.11.17)
172 長野オリンピック開会式は「八紘一宇」の姿をあらわして見せた(4)


 1998年長野オリンピックで最終聖火ランナーとしてスタジアムに入場してきたのは、イギリス人のクリス・ムーンさん。「明日こそ子どもたちが」を歌い踊った子どもたちと一緒に場内を一周した。



 クリス・ムーンさん(Chris Moon、1962年5月5日 - )は

<イギリスの社会運動家、マラソン選手、エッセイストで、NGOメンバー。

農業大学に進学するが、農業には従事せず、英国ローヤル・アーミイの士官候補生課程に入隊し、少尉に任官。5年間の軍隊経験のあと、金融関係の職に就くが、1993年に地雷撤去活動を行っているNGOヘイロー・トラスト(危険地域人命支援組織)に参加する。カンボジアで1年8ヶ月、現地の地雷除去員の指導をした後、アフリカのモザンビークヘ移る。1995年3月7日、
地雷撤去活動中に触雷し、右手・右足を失ってしまう。2ヶ月目に退院し、ロンドン大学大学院に進学して修士号を取得。

 事故後1年でロンドンマラソン(初のフルマラソン)に参加し完走する。1996年8月結婚。1998年2月7日、長野オリンピックで最終聖火ランナーとして開会式に出場。>

 そういうクリス・ムーンさんを最終聖火ランナーに選んだ理由は、義足をつけて走るクリスさんは過去(20世紀)の哀しみの象徴であり、一緒に走る子どもたちは未来、21世紀の希望であるから、とプロデュースした浅利慶太さんは言う。

 →映像YouTube

 <つづく>

  (2015.11.16)
171 長野オリンピック開会式は「八紘一宇」の姿をあらわして見せた(3)


 長野五輪の開かれた平成10年(1998年)、私が福島教区で書いていた感想文が出て来ました。それは、

 
<世界は一つ命の兄弟 日本の心は「歓喜」の心> という題で

 
≪ただいま長野で冬季オリンピック大会が盛り上がっているときに原稿を書いています。

 2月7日、開会式の総合プロデューサーをつとめた淺利慶太氏は、

 ①平和への祈り  ②世界との連帯  ③日本古来の伝統文化を発信する

 という3つをテーマと考えて演出した。ところが

 「その3つは3つでなくて、ひとつなのではないか」

 と言ってくれた人がいて、うれしかった、とNHKテレビの放送で言っていました。

 そう、日本古来の伝統文化を貫いている心こそ「平和への祈り」であり「世界中みんな神の子で一つの宇
(いえ)の兄弟姉妹」という愛と連帯の心であり、

 「八紘
(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(せ)む」

 と仰せられた神武天皇建国の理想なのである。

 だから長野オリンピックの開会式で世界の五大陸を衛星回線で結んで一つになって、会場を埋め尽くした五万人とともに、天皇・皇后両陛下もご一緒に「兄弟よ、抱
(いだ)き合おう」というベートーベン第九交響曲の「歓喜の歌」を大合唱された、これこそまさに「八紘一宇(はっこういちう)」 (Universal Brotherhood(ユニバーサル・ブラザーフッド)) の顕現だ!! と思いました。

 それで私たちは2月11日「建国記念の日」奉祝式典のとき、この大合唱など開会式の記録ビデオをちょっと映写して感銘を新たにしましたが、この日、昨年の建国記念日より3倍近くの皆様が熱心にお集まりくださいました。皆様の国を思う心に感動いたしました。

 世の中にはいまだに「紀元節復活反対」を唱える人たちがいますが、神武天皇建国の理想は平和の理想であり、日本の心は清く明
(あか)き心、弥数多(いやあまた)の異なる文化も受け入れて大調和せしめるひろびろとした「ヤマト」の理念です。この日本の心を正しく復活顕現させて日本を浄め、平和と大調和の21世紀をもたらすべく、宇宙創造の大神様が始められたのが生長の家の人類光明化運動です。≫

 と。

 長野オリンピック開会式
の最初は、長野と言えば「善光寺まいり」と出てくる善光寺の鐘衝き(映像がスタジアムの巨大ディスプレイに映し出される)からスタート。

 五輪スタジアムの観客席は、日本の花・桜の五弁の花びらが開いた形になっている。

 その会場でまず最初に、諏訪地方1000人の人たちが出場して、諏訪大社の勇壮な建て御柱
(たておんばしら)祭を実演した。木遣り歌・気合いとともに東西南北のゲートに各2本ずつ、8本のご神木が建て上げられる。



 これを見て私は、

 
「国のみはしら建てし世を 仰ぐ今日こそ楽しけれ」

 という紀元節の歌がそこに鳴りひびいているように感じたのでした。



 当日長野は晴れて気温は平年より数度高かったといっても1℃の寒さの中、幕内力士33人がスタジアム中央で土俵入り。力士たちが四股を踏むと、五万の観客から一斉に「ヨイショ、ヨイショ」と掛け声がかかる。入れ替わって、ハワイ出身の横綱曙が土俵上に立ったところで天皇・皇后両陛下ご入場。

 わらの菰
(こも)を着た道祖神がステージで舞い踊り、続いて子どもたち(雪ん子)が登場して、歌い踊る。子どもたちの衣装は、基本的には帽子までみんな白で、上衣は各国の国旗をデザインしたもの。で、世界中の子どもたちが集まって歌い踊っているように見せている。その中央で、森山良子さんが“WHEN CHILDREN RULE THE WORLD”(日本語歌詞 浅利慶太“明日こそ子どもたちが”) を歌う。これがまたとても素晴らしかった。

  「明日こそ、子供たちが……」(映像・歌詞付)

口笛を 風にのせてゆく どこまでも 明日に向けて
哀しみ こえてゆく

Whistle down the wind
Let your voices carry
Drown out all the rain
Light a patch of darkness
Treacherous and scary

いつの日 出逢える 苦しみ のりこえて
貧しさ ひもじさ 遠くなる その日を
つくるのは 誰? 今
つくるのは 誰?

歌おう この願い 争い 憎しみ
苦しみ 怒りも 消え去るよう

いつの日 出逢える 明るいあしたに
世界を 光で つつむのは 子供たち

星に向かい ささやきかけ あなたを抱く ぬくもりは
私たちみんなの きずな

口笛にのせて 星にささやく さあ
かがり火 かかげ 星に叫ぼう さあ

ホエン・チルドレン・ルール・ザ・ワールド
トゥナイト! チルドレン・ルール・ザ・ワールド

……


 いま、またフランス・パリでの大規模テロ事件で世界は衝撃を受けています。

 まさに 「いつの日 出逢える 明るいあしたに」 です……

 <つづく>

  (2015.11.15)
170 両陛下も「歓喜の歌」をご一緒に歌われた 長野五輪開会式




 よもの海 みなはらからと思ふ世に
  など波風の たちさわぐらむ」


 という明治天皇の御製があります。四方(世界)の海は一つにつながっている。人類はみな一つのはら(神)からうまれた同胞、兄弟姉妹であると思うのに、なぜ戦争のような波風が立つのだろう、という意味で、世界平和を願う明治天皇のお気持ちが歌われています。

 昭和天皇が、昭和16年9月、対米英蘭戦の開始を決定する御前会議で、ポケットからメモをお取り出しになり、この御歌を二度朗誦なさって、「開戦を望まない」とのお気持を表されたというのは、よく知られていることです。
 これにより、政府と統帥部が決定した開戦の決定は一旦白紙に戻されることになったと言われています。

 昭和天皇のこのお言葉に、列席した閣僚たちは、誰もがうつむき、言葉を発する者さえなかった。言えないのです。
 陛下が平和を望まれる深いお気持ちを知った閣僚たちは、陛下の御前で、声もなくうなだれ、涙をこらえるしかなかった。

 しかし、米国の日本に対する戦争への挑発は、もはや引き返すことのできない所まできている。

 しばし静寂のあと、海軍軍令部総長の永野修身が発言を求められて、ようやく重い口を開く。

 「アメリカの主張に屈服するというのは、日本が亡国の憂き目に遭うということです。
 しかし、戦うのもまた、亡国であるかも知れません。
 戦わないなら国が滅び、戦ったとしても国は滅びる。
 けれど、戦わずに国が滅びるというのは、日本民族が、身も心も永遠に国を失うことになります。
 もし戦い、護国の精神に徹するなら、たとえ戦いに勝てなかったとしても、祖国を護るという日本精神が残ります。そうすれば、私たちの子孫は、必ず再起し、あるいは三起する。
 統帥部としては、もとよりあくまでも外交交渉によって平和的解決を望んでいます。
 けれどもし、不幸にして開戦と決し、陛下の大命が発せられるようなことになるなら、勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦う覚悟でございます。」

 ――アメリカが日本を追い詰めた経済封鎖――日本に戦争の第一発目を撃たせようとして、日本の喉元を絞めあげた――これに対して戦わずして屈服することは、戦わずに植民地となることを承諾するということ、日本人全員が、白人種の奴隷となることを意味していた。

 そうなれば民族の誇りもなにもあったものではない。誇りどころか、日本人には一切の私権がなくなり、教育も奪われ、日本人は米英の植民地奴隷に成り下がるということになる。それが当時の「世界の常識」であった。

 戦後、極東米軍最高司令官を罷免されて帰国したマッカーサーは、昭和26(1951)年5月3日、アメリカ上院軍事外交合同委員会において、「日本はアメリカの経済封鎖によって、やむにやまれず自衛のために、戦わざるをえなかった」という証言を行っている。

 ――こうした歴史の真実を、私たちは明らかに知り、その中での日本の使命を自覚することが必要だと思います。

          ○

 そのことはしばらく措くとして、1998年長野での冬期オリンピック開会式で、世界の五大陸七会場を結び、小澤征爾さんの指揮で高らかに歌ったベートーヴェン第九の「歓喜の歌」の大合唱は、世界人類はみな兄弟であるという「八紘一宇」の精神を如実に表した、圧巻でした。南アでは、人種差別の厳しかった中で、黒人と白人が一つの合唱団で踊りながらいっしょに合唱したという、史上初の画期的なことも実現した。

 そのとき、天皇陛下・皇后陛下もご一緒に、この 「全人類はみな兄弟姉妹だ、抱き合おう、喜び合おう」 という 「歓喜の歌」 を歌っておられたということです。

 <つづく>

  (2015.11.13)
169 長野オリンピック開会式は、「八紘一宇」の姿を目の前にあらわして見せた


 国のみはしら立てし世を 仰ぐ今日こそ楽しけれ」

 という紀元節の歌を思った出来事といいますか、感動した映像の思い出として、1998年(平成10年)2月7日、長野で開かれた冬期オリンピックの開会式があります。それは日本の伝統文化、日本の心を世界に強く印象づけたすばらしいものでした。私はNHKテレビで放映された映像の録画を持っていて、幾度繰り返し見たかわかりません。

 それは、劇団四季の創立者 浅利慶太氏が総合プロデューサーをつとめ、数千の人々を動かして実現したもので、人類の歴史、記憶に残すべき大傑作だったと私は思う。

 クライマックスは、世界の五大陸を結び、小澤征爾さんの指揮で歌ったベートーヴェン第九の「歓喜の歌」の大合唱でした。オリンピックのシンボル五輪のマークは、五大陸の親睦と融和をあらわしているので、それを如実に体感せしめた壮大なプロジェクトだったと言える。

 「歓喜の歌」の歌詞は、よく知られているように

Freude, schöner Götterfunken, (歓びよ、美しき神々の火花よ)
Tochter aus Elysium      (天国の使いなる娘よ)
Wir betreten feuertrunken  (われらは火のごとくに酔いしれて)
Himmlische, dein Heiligtum! (崇高なる歓喜あふれる神の国に入る)

Deine Zauber binden wieder, (汝
(な)が不可思議力は再び結び合わす)
Was die Mode streng geteilt; (時がいかに強く分け隔てたものも)
Alle Menschen werden Brüder,(みな一つ生命
(いのち)の分れなる兄弟なりと)
Wo dein sanfter Flügel weilt.  (汝
(なれ)がやさしき翼のおおうところ)

……

Seid umschlungen, Millionen! (抱
(いだ)き合おう、よろずの人々よ!)
Diesen Kuß der ganzen Welt! (この接吻
(くちづけ)を全世界に!)
Brüder, über'm Sternenzelt  (兄弟よ、この星空の上に)
Muß ein lieber Vater wohnen. (まちがいなくわれらの愛する父はいますのだ)

……


 というので、全人類はみな共通の父をもつ兄弟姉妹だ、抱き合おう喜び合おうという歌です(日本語の詞は岡正章訳)。

 それはまさに、神武天皇建国の宣言にある「八紘為宇(Universal Brotherhood)」(「八紘一宇」ともいう)の理想そのものである。その理想、真理の顕現こそが人類最高の燃える大歓喜となる、ということです。

 「八紘一宇」は、広辞苑に

≪(「宇」は屋根の意)世界を一つの家とすること。(中略)日本書紀の「六合(くにのうち)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)にせむ」に基づく。≫

 とあります。

 上記の長野オリンピック開会式では、「歓喜の歌」が世界の5大陸・7ヵ所から同時に歌われ、その映像が世界中に中継された。歌われた場所は小澤征爾がタクトを振った長野県県民文化会館、中国・北京の紫禁城、オーストラリア・シドニーのオペラハウス、ドイツ・ベルリンのブランデンブルク門、黒人と白人の混成合唱団で歌われた南アフリカ共和国・喜望峰、アメリカニューヨークの国連本部、開会式が行われた長野オリンピックスタジアムの7ヵ所。

 オーケストラによる演奏は長野県民文化会館で行われたが、各地に向けて同時に演奏を配信するとオーケストラとの音ズレが起きてしまい、また各合唱団の歌声も遅れて長野まで届いてしまうため、1番距離のある南アの喜望峰を基準に遅れを補正された状態で中継された。曇り空の長野、気温がマイナスの北京、真夏のシドニー、真夜中のベルリンと、時刻や季節がバラバラの中、同時に歌われた。また喜望峰では日の出と重なり、歌が進むにつれて一帯が明るくなっていく様子が映し出された。

 人種差別の厳しかった南アフリカで黒人と白人が一つの合唱団をつくりいっしょに合唱したというのも前代未聞、史上初のことだったという。黒人も白人も、体を揺すって踊りながら歌う姿が、全世界に放映された。

 これぞまさに「人類はみな兄弟」という「八紘一宇」の顕現した姿であった――。

 →映像YouTube

 長野オリンピックの開会式は、総監督をつとめた浅利慶太さんも、第九を指揮した小澤征爾さんも、「すべてがリハーサルでは考えられなかったような大成功に終わって、驚き感動している」というようなことをおっしゃっていました。「歓喜の歌」の歌詞のように、神々の美しい火花、天国からの使いなる娘たちが天降ったのでしょうか。

 <つづく>

  (2015.11.12)
168 「日本国」の「くい打ち」は岩盤に届いているか?(4)


 千代(ちよ)よろずよに動きなき もとい定めしそのかみを 仰ぐ今日こそ楽しけれ」

 ――これでなければいけないと思います。

 昨日(11月8日)、私は無我になってハーモニーに没入する合唱道のつどいがあって、国分寺へ行きました。帰りに国分寺駅周辺では「せんそうはんたーい」と叫ぶ小人数のデモ隊に出くわしました。安保関連法を撤回せよと言っているのでした。

 帰宅したら雑誌 『致知』 12月号が届いていました。その中で、渡部昇一先生が「歴史の教訓」第222回として、次のように書かれていました。私の体験からしても、まさにその通りだと思いましたので、一部ご紹介します。

          ○

≪歴史の教訓 第222回 渡部昇一

安保関連法の成立で 戦争抑止力は高まり、
自国の安全は自国で守る まともな国へ大きく前進した


   聞く耳を持たない相手に
    説くことの虚しさ

 ここ数か月、政治の焦点となっていた安保関連法が国会で可決、成立しました。最後の最後は強行採決でした。

 こうなるのは安倍首相も最初から予想していたと思います。強行採決でいくと決めていたわけではなくとも、そうなるだろうと覚悟していたと思います。

 私も強行採決になると思っていました。というのも、安全保障のような国家としての重要問題になればなるほど、聞く耳を持たなくなるのが野党だからです。

 聞く耳を持たない相手にこちらの考えを説くことほど虚しいものはありません。もちろんこちらには相手の考えも聞き、自分の考えとすり合わせてみる姿勢があります。こういう姿勢がお互いにあってこそ話し合いが成り立ちます。そしてこれは、民主主義を成立させる根本的な基盤であるはずです。

 ところが、聞く耳を持たない相手は、こちらの言うことは頭からシャットアウト、ただただ一方的に自分の考えを主張するだけです。実は私もそのような体験をしているのです。

 教授の現役時代です。英語のテキストに注解をつけました。その中に「ETA」という言葉がありました。私はそれに「穢多
(えた)」と注解をつけました。ところが、これは差別だと人権団体の人たちが大挙して大学に押しかけ、私が講義する教室を取り囲んだのです。

 私は部落差別を肯定していません。だが、「穢多」という言葉があり、使われているのは事実です。だから、そのままに漢字の注をつけただけの話で、私に差別の意識があったわけではありません。そのテキストも部落差別を助長したり擁護したりするものではなく、ただ差別があるという事実を述べているだけです。「穢多」とは確かにひどい言葉です。こういう言葉の問題点は、授業で話そうと思っていました。

 教室に押しかけてきた人たちに、私はそのことを話そうとしました。だがまさに、聞く耳は持たない、です。私が何を言おうと聞く気はなく、ただ差別主義者と決めつけて罵声を浴びせ、怒鳴るだけです。とても会話になりません。

 授業にならないこの状態が、夏休みを挟んで四か月も続きました。彼らは私の授業がある日は必ずやってきて、教室前の廊下を埋め尽くします。手を出して彼らを押しのけたら暴力をふるったと難癖をつけられかねませんから、私は両手を胸に抱え込み、私を罵る彼らを分けて教室に入り、教壇に立ち続けました。こちらに非がない以上、休まずに講義をする姿勢を示し続けなければならないと考えたからです。そんな私に根負けしたのか、ある時から彼らはプッツリ姿を見せなくなりました。

 あれは何だったのだろう、といまでも思います。その頃私の著作が出版され、結構売れていました。私を保守と決めつける批評も出ました。私が左翼でないことは確かですから、保守のレッテルに異議を唱えるつもりはありません。そんな私を吊し上げ、ぶっ潰せ、という指令が団体の上のほうから出たのでしょう。だが、一向に潰れる気配もないから、もういいとなった。真相はそんなところではないかと思います。

 これは私の小さな体験です。安保関連法を巡る国会の様相はこの体験と全く同じ構図でした。

   肝心の安保はそっちのけ
    違憲問題に終始した国会


 国土の安全を守る。国民の安全を守る。安全保障は国家の根幹です。その安全保障に関する法案が国会に上程されたのです。

 安保関連法についての今回の国会の審議過程を振り返ってみてください。法案の中身の審議がどれだけ行われたでしょうか。ほとんど皆無と言っていい状態でした。

 成熟した野党なら法案の中身を吟味して、このほうが安全保障の効果が上がると修正案を出すとか、それよりもこちらのほうが確かな安全保障になると対案を出すとかいった動きがあって然るべきですが、そんなことも全く見られませんでした。野党はただただ頭から反対と決めつけて、あとは聞く耳を持ちません。そして、法案は憲法第九条に反するなどと安保問題そっちのけで違憲問題を持ち出し、専らその主張を振り回すばかりでした。

 そもそも違憲かどうかを判定するのは国会ではなく、最高裁判所です。その最高裁は1959年の砂川判決で、自衛権は合憲という裁定を出しているのです。すると、どうでしょう。砂川判決は集団的自衛権を合憲とは言っていない、個別的自衛権のことを言っているだけだ、などと言い出す始末です。

 砂川裁判当時、自衛権に個別的とか集団的とかの区別に関する論争はありませんでした。裁判所は問われたことについてだけ裁定を下すものであって、問われないことを裁くことはしません。だから、個別的であろうと集団的であろうと自衛権そのものについて審査し、合憲の裁定を下したのです。

 しかし考えてみれば、これは最高裁の裁定を待つまでもないこととでした。自分の国を守る。その権利がない独立国など、ありようはずがないのです。

   現行憲法の本質は
    占領政策基本法である


 それでも安保関連法を審議する国会の場で、憲法学者を呼んで合憲違憲を論じることに、政府も与党も根気強く付き合いました。憲法問題に付き合う政府や与党幹部には、どこかゆとりのような落ち着きが感じられました。それも、安全保障となると相手はこちらの言うことは寸分も耳を貸さず、頭から反対と出てくるだけと心得て、最後は強行採決になる、と覚悟していたからでしょう。

 それにしても、例えば南シナ海に中国が人工島を造り軍事基地を構築しているといった現実は全く顧慮せず、ただただ憲法の条文だけをいじってあれこれ解釈してみせる憲法学者とは何なんだろう、と改めて思ったことでした。よくこんなことでメシが食えるな、と思ったのは私だけではないでしょう。そしてつくづく感じたのは、現行憲法は日本の宿痾
(しゅくあ=長い間治らない病気)である、ということです。

 誰もが知っているように、現行憲法は連合国の占領下で、しかも占領支配が数十年続くという前提の下に制定されました。政府の形をつくり、GHQがその政府を介して日本を間接統治し、占領政策をスムーズに遂行するのが憲法制定の狙いです。当時の日本政府はGHQの指令を受け、あるいは指示を仰いで動くのが実態でした。占領下ですから、当然国家主権がなかったのです。

 憲法は国家主権の発動です。主権のない国が憲法を制定できるわけがないのです。現行憲法は占領政策基本法というのが本質である。これは紛れもありません。

 憲法学者で東大教授だった宮沢俊義氏も、現行憲法は制定過程に問題があるから明治憲法のままでいい、と主張していました。ところがある時から現行憲法の護憲派に転じ、制定過程の問題は脇に置いてしまい、現行憲法を賞賛する見解を打ち出すようになりました。変節の理由は明らかです。公職追放に対する恐怖です。GHQの指示による公職追放は、当時は最大の恐怖でした。これによって名誉も地位も、人生のすべてを失ってしまうのですから。このことを予感したからこその変節であったと私は思っています。

 そして、宮沢氏の教えを受け、護憲路線を受け継いだ弟子たちが、学界、法曹界、政界へと浸透していきました。
 これは日本にとって実に憂うべきことでした。

   憲法が持つ宿痾を
    克服する時期にきている


 宮沢氏などを源にする護憲論はその後左翼の金科玉条となり、日本が独立国家として前進しようとすると、事ごとに違憲を振りかざして立ちふさがるようになりました。今回の安保関連法を巡る騒ぎもまさにそれで、宿痾そのものです。ではどうすればいいのか。

 現行憲法は本質的に占領政策基本法なのだから、そんなものは廃止してしまえ、などと乱暴なことは言うつもりはありません。

 国家は何よりも法によって治められるべきだと私は考えています。どこかの国のように、一党の首脳の思惑一つで国の動きが左右されるようなことがあってはならない、と思うからです。

 現行憲法はその本質が占領政策基本法であろうとなんだろうと、日本の独立後も憲法として国の基本となってきた、という事実があります。この事実は重いし、尊重しなければなりません。

 だが、今度の国会でも分かるように、憲法が安全保障という重大事の前に立ちふさがり、阻害する働きをします。これは現行憲法の持つ本質が変化する現実とバッティングした現象だと言えます。

 ならば、日本がさらに安全で平和であり続けるために、解釈だけでは追いつかない現実とのバッティングに目を向け、条文を改定すればいいのです。

 現行憲法にもいいところがあります。それは大切に守りながら、日本が安全で平和であり続けるために、この部分はこれでいいのかに目を向け、検討し、改めていく。それこそ国家主権の発動であり、現行憲法の持つ占領政策基本法という宿痾を克服していくことでもあります。

 左翼護憲派は、憲法はアンタッチャブル、条文には一言半句も手をつけることはまかりならん、という考えです。そんなことはありません。そういう考えこそナンセンスです。国の安全が破られ、平和が崩れれば、憲法もへったくれもないのですから。

 日本がより安全に守られ、さらに平和であり続けるには、その基盤となる憲法は、いまのままでいいのか。どうでなければならないのか。それを真剣に考える時期にきている。そう思わずにはいられません。

   歴史は繰り返す
    迷論も繰り返す


 議事進行を阻止しようとして野党議員が議長席に押しかける。それを抑えようとして与党議員が立ちはだかり、もみ合う。国会中継のテレビを見ていて、以前に見たのとそっくりの光景を目の当たりにしました。60年安保のときの光景です。

 その国会の外では、デモが「日本を戦争をする国にするな」と見当違いのシュプレヒコールを叫んでいました。60年安保のデモに比べると規模は及ばず、切迫感も欠けてはいましたが、これも「戦争に巻き込まれる」とデモ隊が叫んでいた当時と相似形でした。

 そして、これを報じるマスコミもまた、60年安保当時と同じでした。左翼の主張にスタンスのウエイトを置き、反政府的なニュアンスを滲ませた報道ぶりは、全くあの頃そのままです。

 歴史は繰り返す、という言い古された言葉が浮かんできます。

 考えてみれば、60年安保はもう半世紀以上も前のことです。当時、その真っ只中にいた人たちは団塊の世代をはじめとして老年の域に入り、ほとんどが第一線を退いています。いま、中心になって動いている人たちの多くは、当時のことはあまりよく知らない人たちでしょう。それが同じようなことをやっているわけです。

 こういう時には迷論が飛び出し、人々をたぶらかす役目をするものです。振り返って見ると、60年安保の時は迷論の花盛りといった趣でしたが、今回も同種の迷論が飛び出しています。例えば、『朝日新聞』に載った評論家・柄谷行人氏の一文などがそれに当たるでしょう。……(中略)……

   国民も国際社会も
    安保強化を当然と認めた


 何やかやありましたが、安保関連法は成立しました。
 これを国民はどう見たか。例によって各新聞が政府支持率のアンケート調査を行っています。新聞によって数字に小さな違いはありますが、支持率を下げてもせいぜい一~二ポイント、中には支持率が上がっているのもあって、大勢としては大きな変化はなかった、と言えそうです。

 マスコミのほとんどが、安保関連法は違憲だ、日本を戦争をする国にする法律だ、と主張する側に軸足を置いて報道したにもかかわらず、この結果です。南シナ海での軍事基地建設を具体例として外洋進出の拡大主義を露わにする中国。メドベージェフ首相を派遣するパフォーマンスなどで北方四島の占領状態を固定化しようと躍起のロシア。周辺地域に起こる事態を多くの人々は肌身に感じていて、戦争への抑止力を高める防衛力の強化は当然、と受け止めているのでしょう。

 安保関連法については、私は国際社会の反応はどうなのかに一つの注目点を置いていました。

 大多数の国が際立った反応を見せてはいません。独立国家にとって自国の安全保障を高める防衛力の強化は当たり前のこととして、平然としている感じです。

 目につくのは、日本の安保関連法を支持し、その成立を歓迎する東南アジア諸国の反応です。これは南シナ海への中国の進出という具体的な脅威が、身近にあるからに他なりません。

 明確に、それも激烈に反対したしたのは、中国、韓国、それに北朝鮮、この三か国だけでした。

 中国の反発は、あれこれ言う必要はないでしょう。中国の対日非難は、拡大路線に立ちはだかるものが現れたと、己の野心を裏返しに表明しているようなものです。

 呆れるのは韓国です。すぐ隣に武力を誇示し、南進政策を隠さない独裁国家があるのです。日本の安保体制強化は、韓国にとっても心強いはずです。ところが、反日を掲げることで政権への求心力を維持しようという陳腐な姿勢から、相変わらず抜けられないようです。この迷走は決して韓国を利することにはならないでしょう。

 ともかくも安保関連法が成立し、これで日本はまともな国に向かって前進した、と言えます。(後略)≫


 <つづく>

  (2015.11.9)
167 「日本国」の「くい打ち」は岩盤に届いているか?(3)


 「日本の国の基礎のくい打ちも、しっかり岩盤に届いてるか、点検の必要があるね。」

 
と言った。

 その、くいを打ち込むべき岩盤は、金剛不壊
(こんごうふえ)の実相世界――時空を超えた元(はじめ)のところ――時間・空間未だ発せざる中(みなか)「久遠の今」 なる実相世界に基礎のくいを打ち込んでいなければならないということである。

 千代(ちよ)よろずよに動きなき もとい定めしそのかみを 仰ぐ今日こそ楽しけれ」とうたう「紀元節
(きげんせつ)」の歌は、始めから全部歌うと――

     
紀 元 節

 一、雲にそびゆる高千穂
(たかちほ)
    高根おろしに、草も、木も、
    なびきふしけん大御世
(おおみよ)
    仰ぐ今日こそ楽しけれ。

 二、海原
(うなばら)なせる埴安(はにやす)
    池のおもより猶
(なお)ひろき
    めぐみの波に浴
(あ)みし世を
    仰ぐ今日こそ楽しけれ。

 三、天津
(あまつ)ひつぎの高みくら、
    千代
(ちよ)よろずよに動きなき
    もとい定めしそのかみを
    仰ぐ今日こそ楽しけれ。

 四、空にかがやく日のもとの、
    よろずの国にたぐいなき
    国のみはしら立てし世を
    仰ぐ今日こそ楽しけれ。


 という歌詞です。

 かつて「生長の家混声合唱団」(私もその一員)として、田中舘貢橘
(たなかだて・こうきつ)先生の指揮で高らかに歌った、アカペラ(無伴奏)混声四部合唱の録音があります。お聴きください。

 →「紀元節」


 さて、わが国の古典 『古事記』 の冒頭に

≪天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原に成りませる神の名は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かみむすびのかみ)。この三柱の神は並(みな)独神(ひとりがみ)成り坐(ま)して、身(みみ)を隠したまひき。

 次に国稚(わか)く、浮脂(うきあぶら)の如くして、久羅下那洲多陀用幣琉(くらげなすたたよへる)時に、葦牙(あしかび)の如萌え騰(あが)る物に因りて、成りませる神の名は、宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)、次に、天之常立神(あめのとこたちのかみ)。此の二柱の神も独神成り坐して、身を隠したまひき。……次に成りませる神の名は、国之常立(くにのとこたちの)神、次に豊雲野(とよくもぬの)神。此の二柱の神も独神(ひとりがみ)成り坐して、身を隠したまひき。

 次に成りませる神の名は、国之常立(くにのとこたちの)神、次に豊雲野(とよくもぬの)神。此の二柱の神も独神(ひとりがみ)成り坐して、身を隠したまひき。


 とあり、この件(くだり)の谷口雅春先生ご解釈として『生命の實相』第12巻には次のように書かれています。 

 ≪(ご解釈) この『独神(ひとりがみ)成り坐(ま)して』というのは、独りの神様、唯一絶対の神様であるという意味であります。絶対神であって相対の神様でない。それから『身
(みみ)を隠したまいき』即ち身体を隠しておられた、言い換えると五官に触れるような相(すがた)のない神様であった。絶対神にして無相の神様、これが天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、この三柱の神様であったというのであります。

 その次に天之常立
(あめのとこたちの)神様、これはどういう神であるかというと天之御中主神様のもう一つの働きを現している。『天(あめ)』というとこれは宇宙全体をいうのでありまして、天地の区別が未だ剖(わか)れない前に『天』とあるのは『至大天球(あめ)』即ち宇宙全体を指すのであります。常立というのは、金剛不壊(とこたち=こんごうふえ)である。『至大天球(あめ)』を貫いておる金剛不壊(とこたち)の実相の神様、これが天之常立神であって、いずれも唯一絶対の神から展開した色々の働きを、神様の名前を以て現したということになるのであります。

 国之常立(くにのとこたちの)神、豊雲野(とよくもぬの)――この二柱の神様もやはり絶対神であって、身の無い、無相の神様であります。絶対神は二つあるという訳に行きませぬから、これ又天之御中主神の働きを現している神様であるということの意味が現れているのであります。国之常立神様というのは、天之常立神様と一対に云ったので、国即ち宇宙の金剛不壊の神即ち金剛不壊実相の神様であるという意味であります。≫


 最初に掲げた「紀元節」の歌は、日本国が「古事記」神話にあるように、天之御中主神から発した、金剛不壊の実相の岩盤に国の柱を打ち立てた、「天津日嗣
(あまつひつぎ)」スメラミコト(天皇)のしろしめす国であることを、讃え謳(うた)った歌なのだ、日本人には魂の底にこの大宇宙の真理が鳴りひびいているので、この「紀元節」の歌を高らかに歌うとうれしくなり、力が湧いてくるのだと思います。

 <つづく>

  (2015.11.2)
166 「日本国」の「くい打ち」は岩盤に届いているか?(2)


 「日本の国の基礎のくい打ちも、しっかり岩盤に届いてるか、点検の必要があるね。」

 と言いましたが、その「岩盤」はどこにあるか。岩盤にくい打ちされていない砂上の楼閣は、いくら立派に見えても、大地震が来たら倒壊するだろう。

 
くいを打ち込むべき岩盤は、金剛不壊(こんごうふえ)の岩盤でなければならない。

 それは、谷口雅春先生が 『生命の實相』 第20巻(自伝篇)に書かれている――

≪ ……わたしは毎日、わたしの家庭に不幸や病気が絶えない理由について思索を続けていた。

 三界は唯心の所現である。そこまではわかっていたから、家族たちの病気が心のあらわれであるということは明らかであった。しかし心をいかにすれば自由になしうるかがまだわからなかったのである。心配すればその心配が形にあらわれて病気になる、それは解る。しかし、家族が病気になっているのを心配しないでいることはむずかしいのである。……悪を思うまいと思えば思うほどかえって悪を思い、心配すまいと思えば思うほど心配し、怒るまいと思えば思うほど腹立たしくなってくる心はこれをいかにしたらよいであろうか。……わたしはそのころはまだ心の悍馬を乗りこなす名人ではなかった。子供が重病だといって会社へ電話がかかると顔色が真っ青になって、会社を早引きしての帰るさ、電車の中でブルブルと戦
(ふる)えている方の人であった。

 心と仏と衆生とこの三つが無差別
(むしやべつ)であって、一心転じて仏ともなり衆生ともなり極楽ともなり地獄ともなるならば、結局仏とは常住のものでなくて一つの捉えどころのない現象だと言わなければならないのである。常住のものではない捉えどころのないところの、仏かと捉えてみれば鬼になったり地獄であったりするような心が神であるならば、わたしは何に頼っていいかがわからないのであった。

 わたしは思索を重ね、静思を重ねたけれども安住の境地には達しなかった。

 ある日、わたしは静座合掌瞑目して真理の啓示を受けるべく念じていた。わたしはその時、偶然であろうか、神の導きであろうか、仏典の中の「色即是空
(しきそくぜくう)」という言葉を思い浮かべた。と、どこからともなく声が、大濤(おおなみ)のような低いが幅の広い柔らかで威圧するような声が聞こえてきた。

「物質はない!」とその声は言った。で、わたしは「空即是色
(くうそくぜしき)」という言葉をつづいて思い浮かべた。

 と、突然その大濤のような声が答えた。「無よりいっさいを生ず。一切現象は念
(こころ)の所現にして本来無。本来無なるがゆえに、無よりいっさいを生ず。有(う)よりいっさいを生ずと迷うがゆえに、有に執して苦しむのだ。有に執せざれば自由自在だ。供給無限、五つのパンを五千人に分かちてなお余り、『無』より百千億万を引き出してなお余る。現象界は念のレンズによって転現せる化城(けじょう)にすぎない。かしこに転現すると見ゆれどもかしこに無し。ここに転現すると見ゆれどもここに無し。知れ、一切現象無し。なんじの肉体も無し。」

 では、心はあるであろうかと思うと、その瞬間、「心もない!」とその声は言うのだった。今まで、わたしは「心」という得体
(えたい)の知れない悍馬(かんば)があって、それを乗りこなすのに骨が折れると思っていたのだ。ところが「心もない!」という宣言によって、わたしは、その「心」の悍馬から実相の大地に降りたのであった。

 「心もなければ何も無いのか」とわたしは再びその声の主にたずねた。

 「実相がある!」とその声はハッキリ答えた。

 「無のスガタが実相であるか。皆空
(かいくう)が実相であるか」とわたしは尋ねた。

 「無のスガタが実相ではない。皆空が実相ではない。皆空なのは現象である。五蘊
(ごうん)が皆空であるのだ。色受想行識(しきじゅそうぎょうしき)ことごとく空(くう)である!」

 「では、実相とはなんであるか」とわたしは訊
(き)いた。

 「実相とは神である。あるものはただ神のみである。神の心と、神の心の顕現のみである。これが実相だ」ここに神というのはむろん「仏」という意味も含んでいた。

 「心も無いのが本当ではないか。」

 「無い心は受想行識の心だけだ。そういう意味でなら仏もない、衆生もない。心、仏、衆生三無差別と説く場合には、心もない、仏もない、衆生もない。衆生を抹殺し、仏を抹殺し、心を抹殺し、いっさい無いといっさいを抹殺したときに、実相の神、久遠実成
(くおんじつじょう)の仏が出て来るのだ。」

 「それが、キリスト教ならイエスを十字架にかけることになるのですか。」

 「そうだ。肉体イエスを抹殺した時、実相のキリスト、アブラハムの生まれぬ前
(さき)から生き通しの久遠のキリストが生きているのだ。イエスの十字架は現象を抹殺せば実相が生きて来るという象徴である! 今、ここに、久遠生き通しの生命が復活する。今だ、今だ! 久遠の今だ! 今が復活だ! 今を活きよ。」

 わたしの眼の前に輝く日の出の時のような光が燦爛
(さんらん)と満ち漲(みなぎ)った。

 ……それ以来、心、仏、衆生三無差別の心というものが本来無いものであるということがわたしにハッキリわかった。迷う心も無いから、悟って仏になる心もない。迷う心が進化して悟って仏になると思っていたのがまちがいであったのである。ただ初めから仏であり、神である「実相の心(われ)」があるだけである。その実相の心が展開した実相の天地があるだけである。浄飯王
(じょうぼんのう)の王宮を出て、伽耶城(がやじょう)を去ること遠からず、菩提樹下に六年静思して初めて悟りをひらいて仏となったという現象の釈迦牟尼仏は本来無かったのである。『法華経』の中で、釈迦自身が、

 「我実に成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由他劫である」と言ったその久遠の仏のみが実在であったのである。その久遠の仏が今ここに生きているのだ! 十字架上に磔
(はりつ)けられて、「神よ、神よ、なんぞ我れを捨て給うや」と哀号したイエスは本来無かったのだ。永遠の神性(キリスト)――「アブラハムの生まれぬ前(さき)から生き通し」とみずから言ったキリストのみが実在であったのだ。自分もまた、明治26年11月22日に母の肉体より誕生したのではなかった。そして、現在の今はじめて悟ったのでもなかったのである。ここのままで、久遠の昔、そして久遠の今、はじめなき始から仏であった自分であったのだ。≫

 ――この「実相の大地」こそ、金剛不壊の岩盤なのである。ここに 「国の柱」 を打ち込むことだ。


 「天津(あまつ)ひつぎの高みくら、

  千代
(ちよ)よろずよに動きなき

  もとい定めしそのかみを

  仰ぐ今日こそ楽しけれ。


  空にかがやく日のもとの、

  よろずの国にたぐいなき

  国のみはしら立てし世を

  仰ぐ今日こそ楽しけれ。」


 という 「紀元節」 の歌は、日本国が神すなわち金剛不壊の実相の岩盤に柱を打ち立てた国であることを讃え謳った歌なのである。


 <つづく>

  (2015.10.30)
165 「日本国」の「くい打ち」は岩盤に届いているか?――憲法問題を考えよう


 昨日は、わが母校 山口高校昭和27年卒業の同期生たちが東京新宿の京王プラザホテル44階の「ハーモニーホール」に集い、同期会を行いました。46人集まりました。

 58期生(私たち)は80歳を過ぎても毎年50人近く集まってると言ったら、ある先輩が、「へえ!たまげた(驚いた)」と言ったそうですが――

 昭和8年に生まれ82歳になった私たちの時代は、「わが青春記録」の1.“われらの時代”に書いた通りです。クリックして、ご覧ください。


 同期会会場の44階の窓からは西新宿のたくさんの高層ビルも下に見えて、天気が良かったので眺望はなかなかのものでした。

 そこで、友人が言いました。「ここは地震が来てもびくともしないだろうね。44階だというけど、飛び跳ねても全然影響ないよ」という。

 「ここはくい打ちがちゃんと岩盤に届いてるんだろう」 と私。「そうだ、何事も基礎工事のくい打ちがしっかりしてないとだめだね。」

 「日本の国の基礎のくい打ちも、しっかりしてるか、点検の必要があるね。」

 と言ったことでした。

 また別の席で、現役時代はNHKでプロデューサーをつとめた同期生に、女性の仲間が言いました。

 「NHKの番組は面白くないね。大晦日の紅白歌合戦だって、ちっとも面白くなくなったわ。……でも、2年前ぐらいだったか、美輪明宏がすごい衣装をつけて、「ヨイトマケ」を歌ったのには感動しましたよ。

 →「ヨイトマケの唄」

 だけど、あの“父ちゃんのためならエンヤコーラ”っていうのは、人権を無視してるからって、ずっと放送禁止になってたそうね。」

 「ええっ? “父ちゃんのためならエンヤコーラ”は人権蹂躙だって? たまげたなあ。ぼくもあれ見てなんだか感動して涙が出たんだけどなあ……」

 と言ったことでした。

 現行 「日本国憲法」 は、平和と民主主義、国民主権と人権尊重を謳った理想の憲法のように言われることが多いけれども、それは本当に素晴らしいことか?

 結論を言えば、それは「否」だと思います。

≪『現行占領憲法』は、君主と人民とは相対立する存在であり国家とは国民同士が契約して成立するものであると考える西洋法思想・西洋国家観に貫かれており、日本国体の根幹を正しく規定していない。

 「国民主権論」は、西洋や支那大陸のような君主と人民とが「国家意思を最終的に決定する権限」を奪い合った歴史は全くない君民一体の信仰共同体たるわが国の国柄と絶対相容れない、国体破壊につながる思想である。

 人権尊重・個の尊重を全てに優先させることはかえって人権を蹂躙し、個人の尊厳性を奪うことになった今日の我が国の荒廃の根本原因の思想である。道義精神不在の「人権論」こそ、国民の頽廃の元凶である。≫


 と言われる四宮正貴氏の論に、賛同します。

 #162 に引用させて頂いた谷口雅春先生のお言葉の通りです。

 <つづく>

  (2015.10.28)
164 「日本国憲法」は「亡国憲法」である―「国鉄分割民営化」で学んだこと(3)


 現行 「日本国憲法」 は、アメリカが占領時に日本を「分断して支配せよ」(Divide and Rule)との政策で押しつけた、占領基本法というべきものである。そのために、「国民主権」・「人権」 をしつこく強調した。国民の義務については、納税の義務以外にはほとんど何も書かれていない。国家としての統一、秩序を破壊するようにつくられた。それは見事に功を奏して、戦後の日本は大荒れに荒れた(マッカーサーは後にそれを悔やむことにもなる)。

 昭和35年(1960年)安保騒動の時には、5月19日、社会党が国会内で座り込み清瀬衆議院議長をカンヅメにして本会議開催を阻止するなどの“実力行使”を強行、代議士ならぬ“妨議士”ぶりを発揮した。議長は警官導入を要請し、警官は座り込んだ“妨議士”たちを一人ずつごぼう抜きして排除、新安保条約は自民党の単独採決で可決。

 翌20日朝の新聞、ラジオ、テレビは一斉に強行採決を非難し、国会解散、内閣総辞職を叫んでいた。朝日新聞の社説を例にとると、20日の社説で「政府与党のやり方は何といっても弁解の余地のない非民主的な行動である。……常識を逸し、議会政治に一大汚点を印した自民党主流、とりわけ岸首相に猛省を促さざるを得ない」と非難し、21日の社説では「岸退陣と総選挙を要す」という大見出しのもとに「多数の暴力」「一つの全体主義」「国民を裏切る」などの小見出しをつけ、岸退陣を迫っている。

 それで、安保反対は国民運動の様相を呈し、6月15日には #161 で書いたような(写真も掲げた)10万人規模の激しいデモ、夜には全学連の国会構内乱入、警官隊との衝突による惨事も起きた。

  一方、安保改定に賛成の立場をとる「安保改定国民連合」がその前年(1959年)9月5日に発足し、生長の家もそれに加盟。11月28日には、安保賛成者が集って東京神田の共立講堂で「安保改定推進の集い」が開かれ、東大名誉教授神川彦松氏、辰野隆氏、政治評論家御手洗辰雄氏、阿部真之助氏らとともに谷口雅春先生も講演をされた。その時の講演が『聖使命』紙12月1日号に「安保改定に就ての私の考え」と題して掲載されている――

≪  「安保改定に就ての私の考え」(谷口雅春先生)

 平和をモットーとしなければならぬ宗教家が何故日米安保条約に賛成するかと言いますと、現在の日本人の最大公約数的精神は、平和精神ではなく、闘争精神でありますから、仏教的三界唯心の原理によりまして、その闘争精神は必ず、同波長によって戦争を引寄せる可能性がある。だから、そのように「心」によって戦争を起らせないようにすることのできない場合には、第二善として「力のバランス」によって、日本を侵略不可能ならしめなければなりませぬ。軍備も安保も不要だと言う論は理想論であって、現実には調和しないのであります。生長の家では人事処の三相応がなければ、どんな「善」も善にならないと申しております。軍備不要も、安保不要も、現代と言う「時」に於いて、米ソ間対立の中間にある日本の戦略的重要地点であると言う「処」に於いて、まだ弱国に対する侵略を止めそうにないソ連や中共と言う隣国を控えている現在に於いては、どうしても日本はアメリカと手をつないで自国を衛るより仕方がないと私は考えるのであります。≫


 しかし反安保デモが渦巻き、安保賛成の声はどこからも聞こえてこないように思われる状況で、マスコミも賛成の動きを全く黙殺しているかのようだった。あたかも日本国中に安保反対の声が充ち満ちているかに思われるほどデモ隊の国会包囲が連日つづけられていた60年5月24日、谷口雅春先生は警世の一文を草し、『聖使命』紙の6月1日号に発表される。

 「諸君は『赤旗』に組するか、『日の丸』に組するか」 と題して――

≪日本には既に革命が来つつあるのである。これを単に国会闘争だと考えることは甘い見方であると言わなければならないのである。

 日米新安保条約についての是非は、一方に於いて賛成する者もあり、他方に於いて反対するものもあり、それは左右両論に分れているのであって、議会に安保反対の1200万通の請願書がもち込まれたと称されてもその実数はともかく、仮にその数を認めたとしても、その残りの人口の大多数は新安保賛成であるかも知れないのである。

 殊に最近のマスコミは、「反対デモ」や「反対集会」のみを大きくとり上げて、賛成の運動に対しては、それを黙殺してしまうか、極めて小さく目立たないように取扱って、世論ぜんたいが安保反対であるかのような外観を殊に呈せしめて、更に世論を左傾の方に引きずって行かうとするのであり実際左傾の方に引きずって行きつつあるのである。

 安保条約反対者側も、“日本が戦争に巻き込まれないために” “日本を愛するが故に” 安保新条約に反対するのだというならば、彼らは何故、議会を取巻く数万の示威行進に日章旗をひるがえさずして “赤旗” をひるがえして示威運動をするのであるか。……政治運動に際して、ソ連を中心にする共産革命の国際運動を象徴する “赤旗” をひるがえして議会を取巻いて大衆の示威行進をするということは、“日の丸” に対して “赤旗の下に降服せよ” と呼びかける示威運動だというほかはないのである。……≫


 そしてこの論文の末尾には 「祖国日本の危機に涙しつつ、五月二十四日夜記す」 と書かれてあった。

 またつづいて7月1日号の 『聖使命』 紙には 『声なき声よ、手をつなげ』 と題した檄文が発表され、これらはそれぞれ小冊子パンフレットにして印刷されて数十万部ずつが配布される。9月には第三のパンフレット 『戦争誘発者は誰か』 発刊。これは中立論をとなえる人々に対し、「中立論はかえって戦争を誘発する」 ことをソ連、中共の中立侵犯を例にとって示されたものであった。

 信徒われらは、これら 『聖使命』 紙やパンフレットの配布、街頭伝道活動などに起ち上がった。

 私も、軽自動車の屋根にスピーカーを付け、駅頭などでまず谷口雅春先生作詩の「夢を描け」の詩を、ベートーヴェン第九の歓喜の合唱を背景に朗読し録音したものを流して注目を集めてから、安保賛成演説をしたことなどを思い出します。

 「夢を描け」の録音がありました。お聴きください。→「夢を描け」

          ○

≪   夢を描け

若きと老いたるとを問わず
兄弟よ、夢を描け、
蜃気楼
(しんきろう)よりも大いなる夢を。
夢はあなたの肉体を超えて虚空にひろがり
ひろくひろく宇宙にひろがる雲となって、
あなたをより高き世界へ
あま翔けらす大いなる翼となるであろう。

此の翼こそ世にも奇
(くす)しき翼である。
夢の奇しき翼に乗るとき
若きものは向上し
老いたるものは若返る。

兄弟よ、
夢の翼を休めるな、
自己を出来るだけ偉大であると想像せよ。
あまり高く翔けのぼることを恐れるな、
躊躇するな、
尻込みするな、
自分自身を限るな。
あなたは夢の翼によって肉体の制限
(さかい)を超える。
たといあなたが地球にわいた黴
(かび)よりもその肉体が小さくとも、
あなたの心は夢をえがくことによって
天地を造った偉大なる心と一つになるのだ。

兄弟よ、
悲しみに打たれるな。
打たれても起き上れ。
描いた夢が破れても
あなたはまだ夢を描く自由はあるのだ。
自分にまだ偉大な力が残っていると想像せよ。
夢を描くものにとっては
此の世界は常に新天新地である。

兄弟よ倒れるな、
倒れても起き上れ、
希望を失っても試みが破れても
倒れ切るな。
夢は希望の苗床である。
大いなる夢の苗床から
希望の芽がまた萌え出でる。
希望の芽は夢につちかわれて生長する。
夢は希望の苗床である。

兄弟よ、出来るだけ明るい大きな夢を心に描け。
自分を暗い悲しいものだと想像するな。
あなたの 『心』 が全能の創造者
(つくりぬし)だと云うことを知れ。
あなたは自分の心で自分を想像した通りのものにするのだ。
自分を暗い悲しいものだと想橡したら
その通りにあなたはなるのだ。
自分を明るい偉大な人間だと想像しても
その通りにあなたはなるのだ。
何故なら心は全能者であるからだ。

兄弟よ、
偉大なる夢を描かないで
偉大となったものが嘗てあるか。
此の世に偉大と名のつく一切のものは、
みんなあなたの夢の産物ではないか、
コロンブスがアメリカ大陸を発見したのも
あなたの夢の帆かけ船で
人生の荒波を超えたからではないか。
汽車、汽船、自動車は勿論のこと、
飛行機、ラジオに至るまで、
皆なあなたの夢が形と化したのではないか。

新大陸の存在をあなたの夢が心に描く。
するとやがてアメリカが発見された。
あなたの夢が
人間が空を飛ぶことを心に描いたとき
飛行機が発明された。
あなたの心が 『動く写真』 を夢に描いた時
キネマが出現したのだ。
そしてあなたが 『語る映画』 を心に描いたとき
トーキーが出現したのだ。

兄弟よ、
夢の勇者たれ、
あなたの夢が万能であると云うことを自覚せよ。
万能を自覚するとき、
あなた自身は本当に万能となるのである。
夢の勇者も
時としては失敗するように見えるであろう。
併し如何なる時にも挫折するな、
失敗するように見えた時、
彼は一層希望の実現に近づいているのである。

見せかけの失敗は
成功のきざしである。
陰極は必ず陽転する。
コロンブスを乗せた帆かけ船の船員が、
待てども待てども新大陸が見つからないで失望して、
今や将
(まさ)にコロンブスを監禁して
船を引返そうとしていた時
彼は一層新大陸の間近まで来ていたのではないか。

兄弟よ、
陰極は陽転するのだ。
何事にも此のコロンブスの話を思い出せ。
失敗に恐れるな、
失敗のたび毎に
貴方が希望の実現に近づいている事を知れ。
そして人生の荒波に沈んで了わないように
夢の救命器をしっかり結んで泳ぐのだ。≫


  (谷口雅春先生作詩。『生命の實相』第20巻「聖詩篇」より)

  (2015.10.26)
163 「日本国憲法」は「亡国憲法」である―「国鉄分割民営化」で学んだこと(2)


 現行 「日本国憲法」 は、平和・人権・国民主権を三大原理とする理想憲法のように言われたりしているけれども、それは大きな間違いである。それは、「亡国憲法」 である。
 かつての 「国鉄」 は、現行 「日本国憲法」 の果実として、そのことを教えてくれた。

 #162 で書いたような国鉄の救いがたい状況から、“狂瀾を既倒に廻らす”乾坤一擲の大勝負をかける。
 葛西敬之氏らが「国鉄の再建は分割民営化のほかに道はない」と信じ20年に及ぶ不退転の戦いを続けた結果、「龍となれ 雲自ずと来たる」 の通り、遂に大きな雲を呼んで、事は成った。その過程を、少し長くなりますが、葛西氏の「履歴書」
(日経新聞「私の履歴書」)から学びます。


○1977年2月、葛西氏は静岡鉄道管理局の総務部長に就任。国鉄の経営は火の車だったが、現場では経営側と労働組合が癒着し、職場の規律は弛緩していた。

 着任早々、本社から電話があり、一度内命された新人一人の配属先を変えるよう、動労が要求しているという。葛西氏は人事・労務の責任者として、それはできないと拒んだ。本社側は、「動労が怒ってストライキをやったらどうする。あなたは自分のメンツのために何十万人のお客さんに迷惑をかけてもいいのか」と重ねて発令替えを求める。

 以下、葛西氏の「履歴書」より――

≪ 私は「いま人事を曲げれば、これから10年、20年にわたって組合の人事介入を許すことになる。その結果、もっと多くのお客さんに迷惑をかける」と突っぱねた。「そうか。どんなことがあっても知らないぞ」と、電話は切れた。

 1時間もしないうちに、今度は東京の動労本部の副委員長から電話が入った。同じ用件である。私が改めて断ると、穏やかだった口調が一変した。「おまえとは話してもダメらしいな。後は戦場でまみえよう」

 しばらくして翌日の列車に乗務する予定の動労の組合員30人ほどが、「頭が痛い」「腹が痛い」と、次々に医者の診断書を持って休みを申請してきた。このままでは列車の運行に影響が出る。しかし、丸く収めようとして譲れば、際限のない連鎖反応が起こる。筋論で押すしかない。

 動労の職員が出勤できないなら、非番の国労職員に乗務させればいいのだが、これが難題だった。国労も「動労が仕掛けたストライキのスト破りをした」とは言われたくないからだ。

 非番の国労職員に乗務させるよう部下に指示すると、案の定、みな驚いた顔で尻込みする。だが下がるわけにはいかない。乗務指示を出す直前、国労の運転系統の実力者と電話で話をした。「不当な動労の要求を退け、かつ安定した運行を損なわないためには非番の国労職員に乗務してもらうしかない」と話した。

 彼は「わかった。しかし2時間待ってくれ」と言う。1時間後に電話があり、「いつでも指示していただいて結構」とのことだった。結局、国労の職員たちが代わりに乗務することが決まった。

 すると今度は、動労の職員から「頭痛が治った」「腹痛も治った」と連絡が相次ぐ。「あしたは出勤できる」と口々に言うので、「要員は確保した。安心して養生するように」と休ませた。……≫

 ――葛西氏は職を賭すつもりで、一切の妥協をせず、強い態度を貫いた。

≪……「激戦地」は仙台だった。……「正当に働くように」と指示すると、組合員が「そのような命令には従わない」と無断欠勤したり、仕事をさぼったりする。これに対して私は、「働いていない分は支払わない」と、片っ端から賃金をカットしていった。

 現場にはびこる悪慣行をやめさせ、国鉄労働組合(国労)に徹底した信賞必罰で臨んだ結果、賃金カットの山が築かれた。もともと先鋭的な活動家は一握りしかいない。賃金をカットされれば生活にも響くはずだ。組合員の間には動揺が広がっていった。

 妥協しない私のやり方に、仙台の国労も東京の国労本部も驚いたようだ。同じように驚き、困惑したのが、国鉄本社の職員局だった。「悪慣行とはいっても労使で決めたことだから、やめるならちゃんと手続きを踏むべきだ」と忠告してきた。……≫

≪……「このまま葛西に仙台にいられては困る。とにかくもう本社に帰してくれ」。いよいよ危機感を募らせた国労は、私の「栄転」運動を始めた。新たな職場でまた摩擦を起こすことのないよう、お金と権限のない部署に栄転を、というのが国労の要請だった。

 しばらくして本社よりも早く、国労の幹部から“内示”があった。「葛西さん、栄転先が決まったよ。経営計画室だってさ」。≫

≪ 本社勤務は4年ぶりだ。仙台で国鉄労働組合(国労)と繰り広げた戦いは当然、知れわたっていた。皆の顔に、「トラブルメーカーが帰ってきた」と書いてある。国労との協調路線をとる職員局は、特に冷ややかだった。

 私が主幹の肩書で戻った経営計画室に、大きな仕事はないはずだった。ところがこの閑職に「第二次臨時行政調査会(第二臨調)担当総裁室調査役」という兼務がついていた。これがまさに天祐
(てんゆう)だったのだ。

 第二臨調は当時の鈴木善幸内閣が「増税なき財政再建」を掲げて設けた審議会だ。担当大臣は後に首相となる中曽根康弘さん、会長は石川島播磨重工業や東芝の社長を務めた土光敏夫さん。第二臨調に対する世の中の期待は高まっていた。……

 私が東京に戻った直後の1981年5月に「国鉄最後の再建計画」と銘打たれた5カ年計画がスタートした。しかしそれは、始まった時にはすでに破綻していた。……このまま行けば早晩のたれ死にすることは明らかだ。それなのに国鉄内部には、再建計画スタートで一息つける、といった雰囲気が漂っていた。

 私の中で「やるべきこと」は、もうはっきりしていた。分割民営化だ。

 私は目玉となる成果がほしい臨調に国鉄改革というテーマを提供し、分割民営化を国策にしてしまおう、臨調人気が高まっているいまを逃して、国鉄を救う道はないと考えた。

 5月上旬、臨調委員の瀬島龍三さんにひそかに接触した。瀬島さんは大戦中は大本営作戦参謀、戦後は伊藤忠商事会長などを歴任し、「昭和の参謀」と評されていた。臨調の担当大臣で、その後首相になる中曽根康弘さんとの関係も深い。第二臨調の作戦参謀もまた、瀬島さんであるとみられていた。
 私は 「最後の再建計画」 はつくられたばかりだが、すでに破綻していると断言し、こう力説した。「国鉄問題こそが、臨調の最大の成果になるはずです」≫

≪ 臨調への働きかけと並行する形で、当時、自民党の交通部会長だった三塚博さんのもとへも通った。宮城が地盤の三塚さんとは、仙台勤務時代にすでに面識があった。

 翌82年2月、自民党の中に国鉄問題を考える「三塚委員会」が立ち上がる。当時はまだ分割民営化に距離を置いていた井手正敬さんや松田昌士さん(後のJR東日本会長)の2人とともに、三塚委員会を支えた。出勤前に三塚さんが使っている東京・永田町のビルに集まり、打ち合わせをして解散。仕事の後、再び集まって深夜まで作業。そんな日々が続く。

 職場規律の実態を知るため、三塚委員会は現場の管理者に匿名のアンケート調査をした。集まった回答の余白に書かれた自由記述からは、労組が次々と持ち出す無理難題に翻弄され、プライドも持てず、管理局と現場の板挟みで苦悶する現場幹部の悔しさが滲み出ていた。読み進めるうち、静岡や仙台でいっしょに戦った部下たちの顔が浮かんできた。私が涙を流したのは国鉄改革を通じてこの時一度だけである。

 自民党内で国鉄問題を検討していた三塚委員会は、職場の規律確立を求める中間答申に続き、1982年7月、本答申を発表した。この中間答申と本答申の作文は、私が担当した。国鉄は分割し、民営化する。もう、これ以外に救う道はないのだ。頭の中に次々と言葉が浮かんできて、書く手が追いつかない。一晩で仕上げて三塚さんに見せると、「僕の思っている通りだ」。そのまま公表された。

 同じ7月、今度は第二臨調が基本答申を出す。「国鉄は5年以内に分割民営化する」と、より踏み込んだ表現になっている。

 この答申を受けて国鉄再建監理委員会が設けられ、2年かけて分割民営化に向けた具体的なプランが検討されることになった。ついに国鉄が分割民営化へと動き出す形が整った。

 だがこの段階になっても、ほとんどの人々は分割民営化は絵空事だと見ていた。政府も不退転というまでの覚悟はない。野党や労働組合は激しく抵抗するだろう。そもそも、肝心の国鉄自身が断固現状維持なのだ。

 国鉄改革は長い道のりのとば口に立ったにすぎない。分割民営化をなし遂げるのは、依然、針の穴を通すような困難なものに思えた。≫

≪ 1982年7月、第二次臨時行政調査会(第二臨調)が「国鉄分割民営化」の方針を打ち出したことで、分割に反対する国鉄の上層部は危機感を強めた。

 83年6月、臨調の答申を受けて国鉄再建監理委員会が設置され、分割民営化の具体案作りが始まった。職員課長になっていた私は、要員合理化施策を中心に全ての面で監理委員会の作業をバックアップした。≫

 ところが #160 で書きましたように、「国鉄を再建する方法は、分割民営化しかない」と言い続けた葛西氏の同志たちは次々に僻地へ飛ばされた。

≪ 改革派を排除する動きは一段と強まっていた。私が課長として率いる職員課は、課全体が丸ごと孤立しているような状態だった。

 組織内で争えば、人事権を持っている方が強い。「国鉄改革をめぐる戦いはこちらの負けということか……」。私はそう思い始めていた。≫

 そのとき、事態は一変する。

≪ ある朝、いつものように出勤すると、エレベーターで分割民営化反対の中心人物である副総裁と乗り合わせた。私の顔を見るなり「君たちの行動力には脱帽する。負けたよ」と話しかけてきた。ほかにも多くの職員が乗り合わせているのが目に入らないかのような、切迫した口調だった。副総裁はそのまま先に降り、残された私には、何のことかわからなかった。

 1週間後、突然、仁杉巌総裁が中曽根首相に辞表を出した。首相は仁杉さんの辞表を差し戻して、全重役の辞表と共に改めて持ってくるよう指示したという。

 間髪入れず、杉浦喬也元運輸次官が後任の総裁に決まる。杉浦さんは重役全員と面接し、結局仁杉さんのほかに6人の辞表が受理され更迭となった。

 後に聞いたところでは、私たちとの夕食会からほどなく、亀井委員長が中曽根首相を訪ねて、「国鉄の経営陣が刷新されなければ、どんな答申を書いても実行されない。実施されない答申なら私は書かない。代わりに辞表を出す」と言って、人事の刷新を迫ったのだという。

 首相の周辺では、更迭する幹部の人数をいたずらに増やしても世間の耳目を集めるだけだから、仁杉総裁に加えて、分割民営化反対の中心人物である副総裁と、労務担当常務理事の3人だけを辞めさせるという案もあったという。それを「決断するなら中途半端ではなく、徹底した方がよい」と主張したのが瀬島龍三さんだったという。……≫


 ……このようなドラマがあって結局、ほとんど誰もが絵空事と見ていた 「国鉄分割民営化」 の夢は実現した。

 こうした葛西氏の奮戦記録は、何を教えるか。

 ニセモノはどんなに頑張ってみても、結局は滅びる。

 「龍となれ、雲自ずと来たる」 ――龍は天高く昇り、その眼は遙か遠くまで見渡す。孤立しているように見えても、高い志で理想を説き続けていけば、同志は自然に集まってくる――そして、「至誠天に通ず」で、御心に適う事は成るということ。

 谷口雅春先生は、「生きた生命」 という詩を書かれている(『生命の實相』第20巻「聖詩篇」)。上記 「生きた生命」 のタイトルをクリックしてご覧ください。

 <つづく>

  (2015.10.24)
162 「日本国憲法」は「亡国憲法」である―「国鉄分割民営化」で学んだこと


 #160 で <葛西敬之氏の「履歴書」に感動> と書いたのは、ここにも

 「龍となれ 雲自ずと来たる」 (「みすまる宣言」 参照)

 を実証した人がいた! と感じ入ったのでした。

 現行 「日本国憲法」 は、平和・人権・国民主権を三大原理とする理想憲法のように言われたりしているけれども、それは大きな間違いである。それは、「亡国憲法」 である。

 かつての 「国鉄」 は、現行 「日本国憲法」 の果実として、そのことを教えてくれた。

 谷口雅春先生は、

≪「自分が」「自分が」と何事にも自分の我欲を満足するのが民主主義だなどと考えていると、実は「本ものの自分」が殺されて、「ニセ物の自分」が生かされていることがあるものであります。表面は民主主義みたいだけれども、「偽せものの自分」がばっこして、本当に人権が尊重されていないということになるのであります。一ぺん「ニセ物の自分」を殺してしまうということが必要なのです。

 「生命を得んとする者は却って生命を失い、生命を捐つる者は却って生命を得」というキリストの教えこそ本当の民主主義の基礎をなすものなのです。……自分の我欲を満足させるために、鉄道は停ってもいい、電燈は暗くなっても好い、自分の賃銀だけ上げれば好いなどと言ってストライキをやっているようなものは利己主義であって民主主義ではないのであります。≫


 と説かれている(『新版 真理』第5巻 p.192~193より抜粋)。


 JRの前身 「国鉄」は、日本国憲法が保障するニセ民主主義、ニセ人権主義を跋扈
(ばっこ)させて、国家を危殆に瀕せしめるものだった。

 その実態は――

○国鉄には国鉄労働組合(国労)、国鉄動力車労働組合(動労)、鉄道労働組合(鉄労)の3つの主要な組合があり、これが経営権の根幹である人事権にも口を挟み、聞き入れられなければストライキをするぞと、列車の運行を人質にとって、労組は管理者を自分たちの言いなりにしていた。

○現場の一例としてたとえば、21人の要員がいた会津若松保線区内の支区では、1年間に行われた業務は21本の枕木の交換だけだった。ほかに何をしていたかというと、一日中点呼を繰り返していたのだ。
支区では風呂を焚くために、専従の職員1名が配置されていた。

○現場だけで結んだ協定による悪慣行は、現場長や助役を大勢で取り囲んで威嚇し、強引に認めさせたものだ。国鉄のキャリア組が筋の通らない組合の要求に屈したり、水面下で労組幹部と手を握ったりしてきた結果が、救いがたい惨状となった。

○営業収入3兆円の85%は40万人にのぼる職員の給料支払いに消えてしまう。仕事は私鉄なら20万人以下でやっていることだ。

○首都圏の運賃は私鉄の2倍、東京―大阪間の新幹線の運賃・料金はコストの2倍となり、私鉄や航空機との競争力がおちてしまった。

○累積赤字が膨らみ、借金が16兆円まで積み重なった。

○再建10年計画というのがスタートしていたが、典型的な先送りの手法に過ぎない。まもなく破綻し、早晩国鉄が立ちゆかなくなることは明らかだった。国鉄の破綻は、日本国家そのものを揺さぶることになると、容易に想像がつく。


 ――このような救いがたい状況から、“狂瀾を既倒に廻らす”
(砕けかけた大波をもとへ押し返す意から、すっかり悪くなった形勢を再びもとに回復させる)乾坤一擲(けんこんいってき)の大勝負をかける――ほとんど誰もが絵空事と見ていた「国鉄分割民営化」の夢は――


 <つづく>

  (2015.10.23)
161 「安保」は国の戸締まり―平和を維持するための軍備は必要・集団的自衛権は当然である






 <写真説明>

 昭和35年(1960年)6月15日、総評、中立労連による新安保条約批准阻止の 「6.15ストライキ」 が全国一斉に行われた。ストに参加した組合員を含め10万人規模のデモ隊が、波状的に国会やアメリカ大使館に向かった。全学連デモ隊は、国会正門前を埋めつくし、座り込みを続けた。

 全学連は同夜、国会の南通用門を壊して、国会構内に突入。およそ1500人の学生が突入したところで、機動隊が警棒をふりかざして襲いかかり、外に押し出した。この衝突で1000人以上の負傷者を出し、東大生・樺(かんば)美智子さんが死亡した。

 さて、#160 に写真をアップした、昭和35年4月22日付で 「東京大学生長の家学生会」 として安保賛成、ストライキ反対の意思表示をし注目を浴びた掲示の内容は――

平和を愛する、賢明なる 学友諸君に訴う!!
  我らは ストライキに 反対する!!


 われらの共通の心からの願いは自由と平和と繁栄であり、われら学生は積極的に輝かしき次代を創造する為に重大な責務をもつことを自覚して生きねばならない。

 しかるに、学問の自由と学生生活の向上を目的とする筈のわれらの自治会は、現在、日米新安保条約批准阻止の為にストライキを計画しているが、われらはこれに断乎反対する。次にその根拠を述べる。

一、学問とは秩序を作ることであって、秩序に従うところに真の自由があるものだと信ずる故に、大学において、大学において許されないストライキを敢てすることは大学の秩序を破壊することであり、これは学問の自由の放棄、学生としての自殺行為であると考える。

一、雪どけに向いつつあるとは言え、現在世界は二大陣営の力の均衡によって辛うじて平和が保たれている状態であり、日本が安保条約を一方的に破棄すればその均衡が大きく破れ世界の危機は一層増大するものと思う。すべて国連憲章に従って運用される新条約をして、戦争の危険をはらみ、国内の自由が圧迫されるなどというのは全く見当違いである。そして、不完全とは言え新安保条約は旧条約に比べて日本の自主性を高めるものであることは事実である。これをすぐ侵略に結びつけるのは全く事を歪曲した考えとしか思われない。

 我々はこのように考えるが、その他にも、学内に安保改定賛成の考えをもつ者が少なからずいることがクラス討論などによって全く明らかとなった。又、反対を唱える者も確乎とした根拠に立たず感情論に支配されて冷静な判断を欠き、一つの偏った雰囲気に巻き込まれていることが少なくないのは非常に危険である。

一、以上の点から考えて、学校と社会の秩序を破壊して、いたずらに混乱を惹起し、又それぞれの考えを持つ全学生を一からげにして強制的に闘争に巻き込むストライキに我々はどうしても反対せざるを得ない。この様な 闘争的手段・行動からは真の平和は決して生れて来ない と信ずるものである。

平和を愛する、賢明なる学友諸君よ!! もっと冷静に考えよう!!

  昭和35年4月22日  東京大学生長の家学生会≫


 というものでした。

 それから55年あまり経ちました。いま、日本が、平和と繁栄を享受できているのは、日米安保条約があったからと言ってよいでしょう。

 上の文章で、「現在世界は二大陣営の力の均衡によって辛うじて平和が保たれている状態であり……」 という状態は変わっています。「二大陣営」 は多極化し、「辛うじて平和が保たれている」 といった状態はむしろ悪化して、地域紛争やテロが多発し、たいへん不安定な状態になっています。

 渡部昇一先生は、次のようにおっしゃっています。

 泥棒はどんな家に入るのか。泥棒は泥棒に入りやすい家に入る。
 どんなに精巧で複雑な仕掛けの錠前でも、外そうと思えば外せないものはない。しかし、簡単に外せる錠と外すのが難しく時間のかかる錠がある。外すのに時間がかかっては人に見られる度合いが高くなり、泥棒に入るのが難しくなる。だから、簡単に外せる錠の家のほうに泥棒は多く入る。

 安保関連法案は日本という家の錠前を、外すのが簡単なものから難しいものにしよう、ということ。簡単に外せる錠前では、外国が容易に戦争を仕掛けてくる。外すのが難しくなれば、外国が戦争を仕掛けてくる度合いも低まり、平和を維持することができる。安保関連法案は日本を戦争ができる国、戦争をする国にするためのものではない。日本を戦争を仕掛けにくい国にするためのものだ。

 
安保関連法案は戦争法案ではなく戦争抑止法案である。

 東京裁判史観に染まり、サンフランシスコ講和条約に反対し日本の独立に反対した旧社会党系……その果てには鳩山由紀夫氏などという妙な首相が登場し、東シナ海は友愛の海であるとか、日本列島は日本人だけのものではないとか、素っ頓狂なことを発言した。これは錠前を外してしまったことに他ならない。

 果たせるかな、中国は尖閣諸島の領有権を表面化させ、その近海に艦船を周航させて挑発し、揚げ句は沖縄本島を掠めて外洋に押し出すようになった。

 日本は錠前を外しやすいものにするどころか、自分で錠前を取り外してしまっていたのだ。錠前がなく簡単につけ込めるとなると、どこまでもつけ込んで揺さぶりをかけてくる状況があることを知らなければならない――と。


 ところで現在、「安保関連法案は憲法違反である」 とのたまう“憲法学者”や“宗教家”と称する方たちがいらっしゃるようですが、そういう方たちはなぜもっと前から 「自衛隊は憲法違反であるから廃止せよ」 と言ってこられなかったのでしょうか。

 現行憲法第9条には

 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  ○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 とあります。これを素直に読めば、「自衛隊は憲法違反だ、即刻廃止せよ」となるのが当然のように思えますが――

 それは、占領軍が日本を二度と立ち上がれないようにし、永久にアメリカの属国のようにしてしまうためにつくった、主権国家の憲法とは言えないものですから、当然のことです。

 主権国家ならば自衛権(集団的自衛権を含む)は当然のこととして認められている。自衛権のない国家は、主権国家とは言えない。

 自衛権とは 「外国からの違法な侵害に対して、自国を防衛するために緊急の必要がある場合、それに武力をもって反撃する国際法上の権利」 と定義され、国際連合憲章51条ではこの個別的自衛権に加えて集団的自衛権も規定している。

<国際連合憲章51条
 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。>

 集団的自衛権とは 「他の国家が武力攻撃を受けた場合、これに密接な関係にある国家が被攻撃国を援助し、共同してその防衛にあたる権利」 と定義される。国連憲章51条に定められている。

 日本の集団的自衛権について国際法上は、日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)第5条(C)が 「連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。」 と定め、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言(日ソ共同宣言)第3項は 「日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、それぞれ他方の国が国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有することを確認する。」 と定めているから、日本が主権国ならば集団的自衛権を持つものであることは当然なのである。


 <つづく>

  (2015.10.22)
160 不可能を可能にした「国鉄分割民営化」―葛西敬之氏の「履歴書」に感動


 「国鉄を再建する方法は、分割民営化しかない」

 そう言い続けた葛西氏の同志たちは次々に僻地へ飛ばされた。

≪ 改革派を排除する動きは一段と強まっていた。私が課長として率いる職員課は、課全体が丸ごと孤立しているような状態だった。

 組織内で争えば、人事権を持っている方が強い。「国鉄改革をめぐる戦いはこちらの負けということか……」。私はそう思い始めていた。

 だがこれまでやってきたことは、権力闘争などでは断じてない。私たちは弥縫
(びほう)策をよしとせず、抜本策を求めた。国鉄のため、国のため、戦ってきたのだ。負け戦になっても、これだけは明らかにしておかなければならない。

 「この際、名乗りをあげて大義名分を世に明らかにし、戦いの意味を残すべきではないか」――。だが私の提案は、仲間たちを尻込みさせた。「過激すぎる」「組織の秩序を乱したと言われる」というのである。……≫


 ――今月日経新聞に書き続けている葛西敬之
(かさい・よしゆき)氏(JR東海名誉会長)の「私の履歴書」を、私は感動をもって読んでいます。

 その学生時代には――

≪1959年4月、東大の文科一類に入った。世の中は、翌年に控えた日米安全保障条約改定に反対する運動で騒然としていた。学内には立て看板が並び、私のクラスでも討論会が開かれた。

 寮の自治会の委員だった学生が教室の前に立ち、議長を務めている。「安保改定を阻止しなければならない。そのためには我々が街頭に出て、行動する必要がある。どうすればいいと思うか」と問う。

 私は手を挙げ、発言した。「安保改定阻止という前に、安保条約とはどういうものなのか、日本の安全保障はどうあるべきなのか。まずその議論をした方がいい」

 このときの議長の反応は忘れられない。あきらかに侮蔑とわかる表情を浮かべ、「君は随分遅れているね」。友人の一人が「僕も同じ意見だ」と私に賛同したが、とにかく「遅れている」のひと言ですまされ、討論会は終わった。

 その後の昼休み、私のところへクラスメートが何人もやってきて、「実は僕も同じ意見なんだ」と口々に言う。「でも学校の先生も自治会も安保反対で固まっている。安保条約を一から議論しようと言うと白い目で見られそうなので、黙っていた」ということだった。

 戦後になって言論の自由が確立されたといわれるが、果たしてそうだろうか。一度流れができてしまうと、多くの人が異なる意見は言いにくいと感じ、口を閉じてしまう。それは戦争の前もいまも、変わっていないように思う。

 クラス討論会はその後もたびたび開かれ、「僕たち東大生は民衆の代わりに考えなくてはならない。その責務がある」というような、ばかばかしい議論をしていた。……≫


 ――というのを読んだとき、私はその1960年安保のときのことを思い出しました。

 私は1952年(昭和27年)に東大の理科二類に入学して6年間(うち2年間は休学)駒場の教養学部に在籍し、8年目の1960年(昭和35年)に教育学部を卒業しました。その前年、葛西敬之氏の入学と同じ年には生長の家青年会の同志であった矢野弘典君らと「東京大学生長の家学生会」結成の届け出をしていました。

 当時、「安保改定反対」の左翼運動一色で騒然としていた駒場キャンパス。

 学内の掲示板は、「いかに戦うか、ストライキに突入だ!!」 というような掲示ばかりで一杯でした。

 その中で私たちは「東京大学生長の家学生会」として、一番目立つところに、「安保賛成、ストライキ反対」の大きな掲示を出したのでした。それを写真に撮って保存していたのがあります。これは、多くの学生たちの注目を集めた――人だかりができ、じっと立ち止まって熱心に見ている人たちがいました。



 前記の葛西敬之氏も、まちがいなくこの掲示を見ていたと思います。

 <つづく>

  (2015.10.21)
159 基礎を過った大建築物は……


 今朝の日経新聞 「春秋」 子が、次のようなことを書いていました。

≪ この建物を見ると、2つの意味で苦い思いに襲われる。知り合いの建築家が以前、そう語っていた。建物とは愛知県の明治村に残る帝国ホテル旧館を指す。米国人フランク・ロイド・ライトが設計を手がけ、老朽化で玄関周りだけが都心からここに移築保存されている。

▼苦い思いとは何か。1つはこれほどの傑作も建て替えられたという事実。もう1つは、その決断の原因が巨匠の設計そのものにあったことだ。ライトはいくつかの建物を船のように軟弱な地盤に浮かべ、間をうまくつなぎ1つの大きな建物に見せる特殊な工法を採用。杭(くい)を深く打ち込むより工期は短く、費用も安く済んだ。

▼これが結果的に誤算だった。竣工間もない関東大震災で、まず重い宴会場が沈み始める。その後40年余、場所場所がまちまちに沈む「不同沈下」が進み、廊下は波打ち、客室係はワゴンを使えず、1階の事務室は半地下同然だったと社史にある。文化人などは保存を訴えたがこれでは一国の顔は務まらず、取り壊しとなる。

▼建築は、目に映る部分がいかに魅力的でも、見えない基礎を間違えれば使い続けることは難しい。その象徴ともいえる。いま横浜市で大きなマンションが傾き、全面建て替えが検討されている。地下の杭をきちんと打たなかったのが原因らしい。家とは住む人が命を預ける箱のはず。作り手のプライドはどこへいったのか。≫

 と。

 わが人生、わが生命(たましい)の基礎はどこに打ち込むのが正しいか。

 それは、金剛不壊の岩盤に打ち込むのが正しい。

 それは、「久遠の今」 なる実相すなわち完全なる神に打ち込むのが正しい。

 現象は無常である。現象はナイのである。現象にとらわれているのは宗教ではない。

 VWのディーゼル車や、旭化成建材のくい打ちしたマンション、東洋ゴムの免震ゴムなど、皆その基礎を正しい本物に置かなかった偽装から起こった問題である。ニセモノは必ずつぶれる。


  (2015.10.19)
158 わが青春 乾坤一擲の大演説


 「岡君! 岡君の演説の時に、先生は身を乗り出して聴いていらっしゃったよ」

 と言われた「街頭伝道形式による青年の主張」(昭和33年、青年会東京都支部文化祭)。その演説の内容は、録音はとってありません。内容が記録されてもいません。ですから、私のうすれた記憶を掘り出すしかないのですが――

 私の心意気としては、東大駒場キャンパスでほとんど毎日行われていた、革命運動家のアジ演説などに負けるようなものであってはだめだという気持ちがあった。

 今とは全然ちがって、左翼革命勢力全盛の時代。愛国とか、天皇を敬愛しお守りするというようなことは、時代錯誤、保守反動の大馬鹿者だという雰囲気に支配されていた頃のことです。

 私は、演説のようなことは大の苦手でした。しかし、谷口雅春先生の 『青年の書』 第3章 「言葉の力を修練せよ」 を読んだら、

 「雄弁になるためには、自分は雄弁であると信ずることである。信ずれば信ずるとおり雄弁になることができる」

 と書かれているのを肝に銘じました。そして賀川豊彦氏の、魂の底から火を噴くような演説を思い浮かべ、自分もそのような演説ができるのだと自己暗示し、演説草案を準備して、舞台に立ちました。

 準備した話の構成は、

(1)まず、内村鑑三の 「デンマルク国の話――信仰と樹木とをもって国を救いし話」(明治44年の講演記録。多くの人がこれを読んで発奮し、志を立てて成功、キリスト信者になった者も多いといわれる)にある、信仰者でデンマークの軍人であったエンリコ・ダルガスが、戦い(1864年第二次シュレースヴィヒ戦争)に敗れ肥沃な土地国土を奪われてデンマークの人々は悲憤と絶望のどん底にあったとき、希望を失わず、「外に失ったものを内に取り返そう」 と言って荒野に植林を始めた。親子二代にわたり不撓不屈の信仰をもって試行錯誤しながら奮闘し、遂に荒野を豊饒な沃野に変え、「世界で最も幸福な夢の国」 ともいわれるような国に変えて行った。という実話を語る。

 内村鑑三は言っている――

 ≪今を去る40年前のデンマルクは最も憐れなる国でありました。1864年に独墺(ドイツ・プロイセン王国とオーストリア)の二強国の圧迫するところとなり、その要求を拒みし結果、ついに開戦の不幸を見、デンマルク人は善く戦いましたが、しかし弱はもって強に勝つ能わず、デッペルの一戦に北軍敗れてふたたび起つ能わざるに至りました。

 デンマルクは和を乞いました、しかして敗北の賠償として独墺の二国に南部最良の二州スレスウィグとホルスタインを割譲しました。戦争はここに終わりを告げました。しかしデンマルクはこれがために窮困の極に達しました。もとより多くもない領土、しかもその最良の部分を持ち去られたのであります。

 いかにして国運を回復せんか、いかにして敗戦の大損害を償わんか。……国は小さく、民は少なく、しかして残りし土地に荒漠多しという状態でありました。国民の精力はかかるときに試さるるのであります。

 戦いは敗れ、国は削られ、国民の意気消沈し何事にも手のつかざるときに、かかるときに国民の真の価値は判明するのであります。……
戦いに敗れて精神に敗れない民が真に偉大なる民であります、宗教といい信仰といい、国運隆盛のときにはなんの必要もないものであります。しかしながら国に幽暗の臨みしときに精神の光が必要になるのであります。国の興ると亡ぶるとはこのときに定まるのであります。どんな国にもときには暗黒が臨みます。そのとき、これにうち勝つことのできる民が、その民が永久に栄ゆるのであります。

 「今やデンマルクにとり悪しき日なり。」 と彼の同僚は言いました。「まことにしかり。」 とダルガスは答えました。

 「しかしながらわれらは外に失いしところのものを内において取り返すを得べし、君らと余との生存中にわれらはユットランドの曠野を化して薔薇花咲く所となすを得べし。」

 と彼は続いて答えました。

 ……他人の失望するときに彼は失望しませんでした。彼は彼の国人が剣をもって失ったものを鋤をもって取り返さんとしました。今や敵国に対して復讐戦を計画するに非ず、鋤と鍬とをもって残る領土の曠漠と闘い、これを田園と化して敵に奪われしものを補わんとしました。……

 ……霜は消え砂は去り、その上に第三に洪水の害は除かれたのであります。これいずこの国においても植林の結果としてじきに現るるものであります。……地価は非常に騰貴しました、ある所においては四十年前の百五十倍に達しました。道路と鉄道とは縦横に築かれました。ユットランドは復活しました、戦争によって失いしスレスウィグとホルスタインとは今日すでに償われてなお余りあるとのことであります。

 しかし
木材よりも、野菜よりも、穀類よりも、畜類よりも、さらに貴きものは国民の精神であります。デンマルク人の精神はダルガス植林成功の結果としてここに一変したのであります。失望せる彼らはここに希望を回復しました、彼らは国を削られてさらに新たに良き国を得たのであります。しかも他人の国を奪ったのではありません。己の国を改造したのであります。自由宗教より来る熱誠と忍耐と、これに加うるに大樅、小樅(おおもみ、こもみ)の不思議なる能力とによりて、彼らの荒れたる国を挽回したのであります。……≫ と。

 ――もちろん、私の 「街頭伝道形式による青年の主張」 演説では、それをそのまま朗読したのではなく、大意を掴んで叫んだのでした。そして――


(2) 「日本はこのたび戦争に敗れました。しかし、われわれは精神まで敗れてはならない!! 日本は国敗れても美しい緑の山野があり、無我無私の神のような天皇陛下がいらっしゃって、今もひたすら国民の幸せと世界の平和を祈られている。

 天皇陛下は、漏れ承るところによれば、終戦の年昭和20年9月27日、連合軍総司令部にマッカーサー元帥をお訪ねになり、この戦争の責任は自分一人にある。自分はどのように処分されてもよいから、罪のない国民を飢えから救ってほしい」と願い出られ、マッカーサーを驚かせ感動させた。その結果、アメリカ本国に食糧援助を要請し、実現して、私たちは生かされてきたのだということです。

 日本にはその無我無私なる天皇を中心に、自由でおおらかに、睦み合い献身しあって豊かな文化を築いてきた3千年の歴史があります。皆さま、共にこの日本を愛し、守り育てて行こうではありませんか。それは、必ずできる。そのよき例が、デンマークにあったのです!!

 
皆さま!! 外国の人たちがこの国を訪れたら、一目惚れして恋に落ちてしまうような、美しい国日本を築き上げ、真の世界平和に貢献しようではありませんか!!

 というような演説をしたと思います。

 それを谷口雅春先生が身を乗り出してお聴きくださっていた。また、この演説を聞いた榎本恵吾氏をして 「自分はこれから生涯を通じてこの人と共に歩むことを誓う」 と血書せしめた、ということがあったのです。

  (2015.10.16)
157 私はどうして“生長の家の馬鹿”になったか(5)


 『生命の實相』 第28巻 (p.78) に書かれている

 「(生長の家では)祖先の信奉しておったところの宗教を生かすということによって、まず第一祖先と和解するのであります。祖先と和解し、祖先の信仰と和解し、――ただ和解するだけでなしに、その祖先の信仰に光を与え、生命を与え、祖先を済(すく)い、そうして一家を光明化し自分自身をも済うというのが生長の家であります。」

 ――祖先がどういう信仰を持っていたにしても、その信奉していた宗教を生かし、異なる信仰を持っていた者同士をも完全に一つに結びつけることが出来る教え――それは、おそらく生長の家しかないのではないでしょうか。だから、私はクリスチャンだった祖母(の霊)に導かれて、“生長の家の馬鹿”になった。

 そして、「戦争のない世界」 「“人類70億総活躍”で幸せあふれる平和な世界」 を実現するのが日本の使命であり、生長の家はその日本の使命をあきらかにし地上(現象界)に顕現する目的を持つ実践哲学、宗教だと思います。

 それで私が“生長の家の馬鹿”になった過程は、「疾風怒濤のわが青春記録」、特にその「3 疾風怒濤の東大生活から(『いもがゆの味―或る学生グループの記録―』より)を読んで頂けばおおよそおわかり頂けるのではないかと思いますが、そこに書いていなかったことをこれから少しずつ録
(しる)してまいりたいと思います。

          ○

 私は昭和28年秋(原宿の生長の家本部会館が落慶する前年、まだ赤坂に本部があった)大学2年生のときに、生長の家青年会に入会しました。そのころは「東京青年会」と言っていました。六本木に誠至堂という古書店があり、生長の家谷口雅春先生の御著書がたくさん出ていたので、よくそこへ行って掘り出し物を買ったりしました。

 谷口雅春先生が、占領下のまだGHQの監視下にあって自由な執筆のできなかったときに敢然と 「愛国」 を叫ばれた 『新生の書』(#138に一部引用させていただきました)や、その年11月に発刊された 『限りなく日本を愛す』 などを、感銘深く拝読したのを思い出します。『理想世界』 の前身 『生長する青年』 の年極め購読者にもなりました。

 しかしその頃の東京青年会のサロン的な雰囲気にはあまり魅力を感じず、休学中などしばらく離れていて、昭和33年本郷の教育学部に進学してから、私は本気で 「青年会運動」 に突入します。

 「疾風怒濤の……」 で触れていますように、その頃の東大教育学部は教授連がほとんど日教組講師団の講師になっていて、左翼一色。学生たちも、共産党系のセツルメント運動などに挺身している者が多い。

 谷口雅春先生は、その頃日教組講師などが戦中は“皇運扶翼”戦意昂揚の旗振りをしていたのに、敗戦したら一転、“民主主義、平和運動”といって革命謳歌の旗振りをしている、節操のない 「進歩的文化人」 を名指しで攻撃するご文章を書かれたりもしていた。その 「進歩的文化人」 の中の一人が私の主任教授であった。

 私はその年の夏、宇治別格本山の地で行われた生長の家全国学生大会に参加し、『いもがゆの味』 ができることになった。それは生学連(生長の家学生会全国総連合)が結成される8年前のことです。

≪やりきれなくなった私は長く行かなかった生長の家本部を訪ね、最寄青年会の例会に出席した。講師は青年部次長加藤栄太先生の、力強く熱誠あふるるすばらしい講話を聞いた。そして7月21日から宇治で行われた第2回全国学生大会に参加した。すばらしい霊的雰囲気の中で国歌 「君が代」 に始まり、「真の大学は生長の家の学徒によって建設されるのである」 と絶叫される梶原達観専門委員長、愛国心について博学な知識と熱誠をもって話される菊地藤吉青年部長などの講話、炎天下につるはしかついでの献労、などに生命の火を燃やして、「天皇陛下万歳」 をとなえて終了したこの学生大会は全く私の魂を強く捉えてゆさぶったのであった≫

 と、『いもがゆの味』 に書いています。

 その頃、東京青年会――全国組織ができてから「生長の家青年会東京都支部」となる――では、11月22日を前に、「文化祭」という名で谷口雅春先生お誕生日祝いの“学芸会”みたいなことをやっていました。ところがその頃、先生は 「青年よ、起て! 日本国を沈没の危機から救い人類を危機から救うために、街頭から街頭に出て伝道せよ!」 と叫ばれる。それで、先生のお誕生日をお祝いするには、演劇や音楽でお祝いするよりも、「街頭伝道形式による青年の主張」 という演説を、社会人部・女子部・学生部からそれぞれ1人ずつ3人が出て聴いて頂こうというプログラムができていた。そこで学生部の代表として私に白羽の矢が当てられたのです。

 私はしゃべることが大の苦手でしたが、引き受けました。

 会場は原宿の本部会館、のちに「ホール」と称ばれるようになる「大道場」です。当時、一階は畳敷きで、二階だけ椅子席が設けられていてその二階席の最前列中央に、谷口雅春先生ご夫妻の席が設けられていました。

 私は無我夢中で、魂を込めて演説しました。

 谷口雅春先生ご夫妻のお姿を見る余裕はありませんでした。

 しかし、先生のお側にいた青年会執行委員長の八條隆忠氏があとで言われるには、

 「岡君! 岡君の演説の時に、先生は身を乗り出して聴いていらっしゃったよ」

 ということでした。

 また、この演説を聞いていた、当時飛田給道場で「練習生」をしていた榎本恵吾氏は、帰ってから私宛の血書をしたためたそうです――「自分はこれから生涯を通じてこの人と共に歩むことを誓う」と。そして指を切って血判を押した、と後に聞きました。(その現物は私に見せられることなく、どこかへ行ってしまったということですが……)

 その時に私がしゃべった内容は――

  <つづく>

  (2015.10.15)
156 私はどうして“生長の家の馬鹿”になったか(4)孫とカメと自転車


 祖母の名前は、「カメ」。私の孫が、たくさんのカメを飼ってカメ、カメ、カメとカメたちをかわいがるばかりで中学の3年間不登校を続けた話です。

 私はかつて、先祖供養の話として時々この話をしていましたら、ある講師が、その話は面白いと言って採用し、文章化してくれたものがあります。それがわかりやすいので、次にご紹介させて頂きます。

          ○

 ……岡先生の長男がクサガメを拾ってきた。すると長男の子供さん即ち岡先生のお孫さんたち(当時5歳と2歳)はカメがとても気にいり、カメ、カメ、カメとカメに首っ丈である。

 その後産卵孵化した子ガメたちが9匹、13匹、25匹と増えて行きました。中3になった下の孫は全部のカメにそれぞれ名前をつけ、一匹一匹の個性の違いを観察して記録しながら、カメたちをわが子のように可愛がって育てていた。

 更に、喫茶店で8月「夏休み特別企画~うちのカメたち(25匹)~」というカメ展を開くほどの凝りようである。9月に入り、また新たに16匹のカメが誕生して、カメの数は44匹になった。

 岡先生のお孫さんたちがカメを可愛がって飼っているカメたちが次々に増えて行く――。それも学校に通いながらなら良いのだが、学校には行かず勉強そっちのけだから問題。それは岡先生のお祖母さんと無関係だとは思えないというのである。

 岡先生の祖母(父の母)は岡力メと言い、熱心なクリスチャンであった。キリスト教会で熱心に活動したので、65歳で亡くなったとき、キリスト教会で盛大な葬儀をしてもらい、今も教会の霊廟に祭られている。その後分骨が故郷の菩提寺の墓地に納められ、過去帳には「耶蘇(ヤソ)」と記されている。

 このようなことについて、岡先生は谷口雅春先生著 『人生を支配する先祖供養』 の中にある文章を読んで衝撃を覚えた。

 「宗旨を変える事によって起る障害」という小見出しで(30頁)

 「往々精神病者の家族を持っているとか、あるいは変なえたいの知れない病気――小児麻痺であるとか、癲癇
(てんかん)であるとか、舞踏病であるとか、医者の方でちょっと原因不明な病気を持っておられる方が、その率にしてクリスチャンの方が多いのである。それはキリスト教が悪いのではないが、キリスト教が日本に移入されたのがきわめて近代であるために、祖先の霊魂たちがキリスト教というものを知らない。神道であるとか、仏教であるとかの信仰を持っていて、耶蘇という名前を聞くだけでも嫌だというふうな、異教を毛嫌いする霊魂たちが先祖に多い。それで霊界で村八分になり、置き去りにされたような霊魂が、子孫に救われようと思って子孫に憑って来ると、医学的には原因不明な病気を現す。(要約)」

 というようなことが書かれているのでした。

 岡先生は、カメお祖母さんが霊界でお祖父さんや他の先祖と別のところにやられ、淋しいから、子孫を頼って来られているのかも知れない、と思いました。

 生長の家は、「万教帰一」 の教えです。それで、仏壇に安置されている阿弥陀如来像は、即 「永遠のキリスト像」 と見ても間違いないのだ、と思いました。

 仏教に帰依してきた先祖は、阿弥陀如来さまと一体であり、キリストを信じてきた祖母は永遠のキリストさまと一体で、キリストそのものでいらっしゃる!

 その阿弥陀如来と永遠のキリストとは一つなのである。だから、仏教を信じてきた祖先と、キリスト教を信じてきた祖母は、今ぴったり一つになっていらっしゃるのだ――と拝むご供養、礼拝を、岡先生が熱心に続けていると、不登校だった孫に、すごい変化が起きてきました。

 中学3年間不登校だったお孫さんが高校に進学して、毎日登校するようになっただけではありません。もともと持っていたすぐれた運動能力を遺憾なく発揮し、自転車ロードレーサーになり、毎朝5時起きして、登校前に山道を約50㎞走るトレーニングをし、一日100㎞ぐらいは走っている。そうして、高校生クラスで全日本チャンピオンになり、フランスに遠征して世界選手権に挑戦したりしています。

 霊界で救われたお祖母ちゃんが、喜んでパワーを送ってくれているのではないかと、岡先生は感じているそうです。


          ○

 この孫はいま20歳になりましたが、ロードレーサーのプロを養成するチームに入ってヨーロッパ、アメリカなど全世界をかけめぐり活躍しています。

 私は毎朝仏壇の前に座して神想観をします。仏壇には阿弥陀三尊の像が最上段に安置されています。それを拝みつつ、

 ≪祖父芳太郎は、阿弥陀如来にまします。
  祖母カメは、久遠のキリストにまします。
  阿弥陀如来は、即、久遠のキリストと同体である。
  したがって、祖父芳太郎と祖母カメは、「久遠の今」 において、一体なのである。
  …………

  ご先祖様は神にまします、仏にまします。
  ご先祖様のいのちは神のいのち、仏のいのち。
  ご先祖様のこころは神のこころ、仏のこころ。
  ご先祖様のからだは神のみからだ、仏のみからだ。

  私のいのちはご先祖様のいのち。
  私のこころはご先祖様のこころ。
  私のからだはご先祖様のからだ。

  本来私は無かったのです。空っぽだったのです。

  本来の空っぽに還った時、私は自由自在。私の中にすべてがり、すべての中に私がある。私の中に時間があり、私の中に空間がある。

  私はいま、父、母、祖父、祖母、……すべての先祖と、「久遠の今」 において、一体なのである。
  私はいま、すべてのものと、「久遠の今」 において、一体なのである。

  私は愛である。光である。宇宙に遍満する大生命である。ああ、われは偉大なるかな。

  日々、神に導かれ、先祖の大いなる導きとパワーを戴いて、光明ひとすじの道を歩ませていただきます。ありがとうございます。≫

 と念じて、神想観をし、聖経 『甘露の法雨』 を読誦します。

 『生命の實相』第28巻には

 「(生長の家では)祖先の信奉しておったところの宗教を生かすということによって、まず第一祖先と和解するのであります。祖先と和解し、祖先の信仰と和解し、――ただ和解するだけでなしに、その祖先の信仰に光を与え、生命を与え、祖先を済(すく)い、そうして一家を光明化し自分自身をも済うというのが生長の家であります。」

 と書かれています。

  <つづく>

  (2015.10.13)
155 私はどうして“生長の家の馬鹿”になったか(3)祖父の行跡


 #154 のつづきです。

 祖母の名前は、「カメ」。私の孫が、たくさんのカメを飼ってカメ、カメ、カメとカメたちをかわいがるばかりで中学の3年間不登校を続けた話などもあるのですが、それはちょっと後回しにしまして、岡家の祖先のこと、特に祖父 芳太郎のことを少し書かせて頂きます。

 父 博明
(ひろあき)の書き残した回顧録には

≪ 岡家の先祖は書をよくし、藩候に仕えて「御祐筆」となり、殿様の書簡、公文書等の書写を司っていた。四代か五代目の時、謀臣の讒言によりその職を免ぜられ士分を去り、医者となる。五代森興より六代太仲、七代興成、八代芳太郎、皆医を業とす(父は九代目で、医者にはならず陸軍軍人となった)。

 初代以前の先祖は元仙台の伊達候に仕えておった武士であったが、宇和島伊達候が仙台から分家して宇和島の殿様になってきた時ついて来たのだ。

 その又遠い先祖は前九年役・後三年役で名高い安部貞任
(さだとう)の部下であったらしい。先祖のことはうちに巻物によって系図がある。

 父(芳太郎)は子供の時から秀才であった。郷里愛媛県の吉田町におったが、当時選抜試験で県下全部で僅か十数名の官費医学生の試験に合格し医者となり契約の通り軍医となった。

 明治27年日清戦争が始まり父は第五師団に属して朝鮮に渡り二、三の戦闘に参加した。朝鮮で病気のため内地に帰還し、それから官も退職、迎えられて宇和町久枝村へ村医も兼ねて来た。そして定着したのである。 父は外科を得意とし、大きな手術は大抵うちへ持って来た様で、其の大手術の時痛さの為、患者のわめく声をよく聞いたものである。……≫


 とあります。「岡氏系図」は単なる系図ではなく、祖先の行跡が詳しく記された大部の巻物です。その芳太郎の記述には、明治27年(1894 芳太郎30歳)日清戦争時朝鮮に渡り特に7月28日から8月5日までの激戦で軍医として奮闘した記録が詳述されています。達筆な行書体あるいは草書体で書かれているため、判読出来ない字は“○”にして、以下にその一部をご披露します。

≪     七月二十九日決戦略況

 七月二十八日午後十二時 各隊露営地を発し大部は成歓駅に小部は安城渡に向って進軍す 我が衛生隊は安城渡付近に繃帯処を設くべき命を受け工兵隊の後尾に接して進む

 素沙壕を過ぎ水田を貫く処の一路を南下する事若干時俄然轟々と銃声起る 左顧すれば宿霧○怛 表一道の銃火閃々たり(午前三時頃)頭上○々笛声をなして二之弾丸飛ぶ 相語曰成歓駅の○戦乎弾力甚だ弱し 語未だ了らず忽ち弾丸雨注 為に○聾○馬を下て伏す 地物の弾丸を支ふべきなし 幾度か死を決す

  衆動く 顧れば左右一人なし 暫くして命あり後方の一部落に退却すべしと 此の退却中医長一等軍医昏倒す 之より予 医長となる 東巓曙光を発し衛生隊前進す

  此時安城渡の敵潰走し我兵追撃して成歓駅を攻む 衛生隊は安城渡の河中に繃帯処を設く 時に午前四時四十五分 死傷者続々来る 成歓駅の戦は益々猛烈 我兵の勇往突進の状 歴々○すべし 壮快言ふべからず清兵遂に潰乱牙山に向て走る
 時に午前八時頃 此に於て繃帯処を成歓駅の松林中に移す

 此役我兵即死七名 負傷四十四名 濠中に溺死せしもの二十三名 此日我兵は長駆牙山を略す 衛生隊は午後十二時平沢駅に到て露営し翌三十日牙山に入り八月五日孔徳里に凱旋す≫


 この日清戦役での功により芳太郎は、明治27年に 「勳六等単光旭日章」、同39年には 「勳五等双光旭日章」 というのを戴いています。

 しかしその明治27年8月、痔瘻で兵站病院に入院し手術を受け、また脚気にも罹っていながら少し病状がよくなると退院して服務していると「諸症増進して前進に堪えざる」状態となり、10月には赤痢に罹って広島陸軍病院に還送されたとあります。

 で、明治28年には陸軍一等軍医、正七位に叙せられましたが、心臓疾患で現職には堪え得ないとして辞職を願い出、宇和町で開業することになったのです。

 祖父は父の回顧録にあったように外科が得意。牛に突き飛ばされて瀕死の重傷を負った人などを手術で救い、助かった患者は感謝のしるしとして一斗樽の酒を贈ってくれたりした。祖父は酒が好きだったので、毎日その贈られた酒を飲んでいたということです。

 そうして、愛媛県医師会長を務めたりもしましたが、51歳という若さで、心臓病で亡くなっています。私が生まれる18年前です。

 祖母はクリスチャンになりましたが、当時アメリカで禁酒法というのが施行されたこともあり、禁酒運動を熱心に推進したそうです。夫の芳太郎は酒で道を過った、酒こそは人生の敵であると思っていたのでしょう。

  <つづく>

  (2015.10.12)
154 私はどうして“生長の家の馬鹿”になったか(2)祖母の哀しみ


 クリスチャンだった祖母が、なぜ子や孫をキリスト教でなく 「生長の家」 に導くようなことをしたのでしょうか。それは――岡家は代々天台宗の仏教信徒でしたから、自分だけがキリスト教に走ったことに寂しさを感じていた。それは祖母の好きだったという讃美歌 「山路こえて」 の歌詞(#152)にもあらわれています。その寂しさを乗りこえることができるのは 「生長の家」 だ――キリスト教も仏教も一つの同じ大真理を説いているものだとする 「万教帰一」 の教え、生長の家でこそ自分も救われ、子孫もすべて救われる道だと、霊界でわかったからではないかと思われます。


 谷口雅春編著 『人生を支配する先祖供養』 には、次のように書かれています。
 (『生命の實相』 第28巻の中から抜粋編纂されているところ)

≪ 「宗旨を変える事によって起る障害」

 往々精神病者の家族を持っているとか、あるいは変なえたいの知れない病気――小児マヒであるとか、癲癇
(てんかん)であるとか、舞踏病であるとか、医者ではちょっと原因不明な病気を持っておられる方が、その率にしてクリスチャンの方が多いのである。それはキリスト教がわるいのではないが、キリスト教が日本に移入されたのがきわめて近代であるために、祖先の霊魂たちがキリスト教というものを知らない。神道であるとか、仏教であるとかの信仰を持っていて、耶蘇(ヤソ)という名前を聞くだけでも嫌いだというふうな、異教を毛嫌いする霊魂たちが先祖に多い。それで霊界で村八分的になり、置き去りにされたような霊魂が、子孫に救われようと思って子孫に憑(かか)って来ると、医学的には原因不明な病気を現わす。≫ (要約です)

 私は 「いのちの讃美歌」 に書きましたように、熱心なクリスチャンだった祖母に導かれてまず父が、そして私が 『生命の實相』 を読んで 「生長の家」 の教えに触れることができ、人生が光明に一変し救われてきたと思います。しかし、上記の 「宗旨を変える事によって起る障害」 ということもあり得ると、思い当たることがあります。私自身、大学に入ってから勉強が手につかなくなり、足が地につかないような感じになって、成績も最低になった……。

 私の高校時代は敗戦後占領下の混乱期にあり、東京などの大都市以外に予備校はなく、受験生は「灰色の受験生活」などと言われていましたが、私の場合は夢と希望に燃えて 「バラ色の受験生活」 を送りました。ところが合格してみると、一般の学生とは逆に、一転 「灰色の大学生活」 になってしまったのです。まともに進学・卒業して普通の就職をしようという気持ちにはなることが出来なくて、苦しくてたまらず、ひたすら『生命の實相』を読むことしかできないようになった。このことは、祖母に救われた私が今度は祖母を救うためにも、この「万教帰一」の真理を究めひろめることが、神から課せられた使命として与えられたからだと、今考えています。

 私の兄弟や子供・孫にも、祖母がクリスチャンだったことの影響が出たのかと思われる現象もありました――。

  <つづく>

  (2015.10.11)
153 私はどうして“生長の家の馬鹿”になったか(1)祖父母の苦しみ


 賀川豊彦氏は、

 ≪私はキリストのために馬鹿になった。必ずしもそれを誇りに思ってはいない。それは私に取っては余儀なくせられたことであった。≫

 と書いています(『信仰・愛・希望』 p.20 「キリストの馬鹿」)。

 私は、<「生長の家の馬鹿」 の道を歩んできたと言えるかも知れない> と #151 に書きましたが、それも、<私にとっては余儀なくせられたことであった> と言えるでしょう。

 私が 「生長の家の馬鹿」 になったのは、先祖からの深い因縁によるものだとしか考えられないからです。特に、祖父・祖母、父・母と一体の生命(たましい)の因縁を考えざるを得ません。

 で、これから内村鑑三の 『余は如何にして基督信徒となりし乎』 ではないけれど、「私はどうして“生長の家の馬鹿”になったか」 を、しばらく書き記してみたいと思います。

           ○

 祖母 カメ(1871~1937) はクリスチャンになったけれど、祖父 芳太郎(1862~1913、51歳で没)は愛媛県宇和町(今の西予市)で医者をしていて天台宗の菩提寺の住職と親しく交流を持ち、寺に書画を寄贈したりていて、お互いに啓発し合う仲だったそうです。

 祖父母の間には戸籍上二男四女がありますが、そのうち次男(末子)は、医業の助手をしていた女性(看護師)との間にできた子なのでした。(長男は私の父)

 「父母の間は仲が悪かった。その為にみんな苦労をした」 と、父の回顧録にあります。

 そのような中で祖母は悩み、きよらかなもの、救いを求めて、寺ではなくキリスト教会に飛び込んだと思われます。祖母がキリスト教に入ったのは上記次男誕生の5年後のことでした。

  <つづく>

  (2015.10.10)
152 クリスチャンだった祖母が、私を生長の家に導いてくれた


 私の祖母 岡カメは、熱心なクリスチャンでした。と言っても昭和12年10月、私が4歳と4ヵ月のとき67歳で亡くなっています(私は昭和8年6月生まれ)。教会(日本聖公会奈良基督教会)で熱心に活動したので、教会でお葬式をし、教会に納骨堂を作って祀ってもらっています。後に岡家の故郷愛媛県の菩提寺墓地にも分骨を納め、こちらでも「壽法院亀節妙鑑大姉」という法名をいただいて供養されていますが、寺の過去帳には「耶蘇(ヤソ)」と記されていました。。

 祖母の好きな讃美歌は、404番の 「山路こえて」 だったそうです。それは、

  
1 山路こえて ひとりゆけど、
    主の手にすがれる 身はやすけし。

  2 松のあらし 谷のながれ、
    みつかいの歌も かくやありなん。

  3 峯の雪と こころきよく、
    雲なきみ空と むねは澄みぬ。

  4 みちけわしく ゆくてとおし、
    こころざすかたに いつか着くらん。

  5 されども主よ、 われいのらじ、
    旅路のおわりの ちかかれとは。

  6 日もくれなば、 石のまくら
    かりねの夢にも み国しのばん。


 という歌詞の讃美歌でした。

 この歌詞、特に4番以下のところには 「日暮れて道遠し」 という寂しい心があらわれているのを感じます。
 賀川豊彦氏の、「毎日がお祭り気分」 という昂揚した気持とは大分ちがう雰囲気です。
 それでも、聖
(きよ)らかなものを求めて熱心に教会に通い、活動をしていた。

 それで、私の父は職業軍人でしたが、母親(私の祖母)の信仰を尊重し、(たぶん教会に相当な献金もしたのでしょう)盛大な葬儀をしてもらったようで、そのことは同教会の 『創立百周年記念誌』(1987年刊) に記録されています。

 この祖母が、父と私を 「生長の家」 に導いてくれたと、私は信じています。

 そのことは、「疾風怒濤のわが青春記録」 の2 「いのちの讃美歌」 などに一部書いているとおりです。

  <つづく>

  (2015.10.9)
151 “キリストの馬鹿”賀川豊彦


 賀川豊彦氏は、哲学者的なところもありましたが、それよりも運動家であり、実際にマザー・テレサのごとく――というよりマザー・テレサに先駆けて、1909(明治42)年、神戸神学校在学中から神戸の貧民窟(スラム)に住み込んでキリストの愛を行ずる貧民救済活動をしながら伝道運動をし、それを一生涯貫いた人でした。前項 #150 に、

○ 私はキリストのために馬鹿になった。私は、私の生涯の最も善き時をイエスに対する恋で送った。私は囚われた男である。笑ってくれ人よ、私を旧い人間、キリストの馬鹿と。
 キリストの馬鹿! キリストの馬鹿!
 私はキリストを愛するために馬鹿になった。発明もせず、発見もせず、学問もせず、芸術にも行かず、私は馬鹿の如くに単一なる道を歩く。
 九十九の羊のために行かずして、ただ一匹の羊のために歩く。≫

 とありましたが、この通りに生きていた。これは、使徒パウロが 「キリストのために愚者となることを恥じず」 といった言葉にもとづいているようですが、それを生涯を通じて実践し生き切った人でした。「学問もせず」と言っていますが、実際は宗教、哲学、経済学、社会学、文学、歴史から、天体物理学、天文学まで、ずいぶん幅広く素人の域を脱するような勉強をしていた。それは、私が賀川氏の講演を聴いた時に直接感じました。そして、

 「完全に我々の全生命を神に祀ろうではないか。我々の肉体、我々の生活、我々の精神、我々の学問、我々の芸術、そして我々の道徳を神への献げ物として八足(はつそく)台に献げようではないか。」(「神の祭」)

 という生き方をされていたと言えましょう。

 私の祖母 岡カメは熱心なクリスチャンでした。私がキリスト教に親しみを感じ、賀川豊彦氏に惹かれたのも、祖母の導きによるものだと思います。

 賀川氏はクリスチャンだけれども、そのキリスト教はずいぶん日本的なものになっていると思います。「神の祭」に「八足台」という神道の祭で使う供え物の台が出て来たり、

 「私の一生はお正月の連続である。お祭気分の私は、無声の声の音楽に、地球の表面を踊り続ける。おめでとう、おめでとう。」

 などというのは、神道そのものですね。

 また、「善人なをもて往生す、いはんや悪人をや」(善人ですら極楽往生できるんだから、まして悪人ならなおさら成仏できるに決まっている)と説いた親鸞の他力信仰を思わせるところもあります。

 ともかく私は、賀川豊彦氏に大きな影響を受けましたが、「キリストの馬鹿」 にはならず、結局 「生長の家の馬鹿」 の道を歩んできたと言えるかも知れない。それが、ほかならぬクリスチャンだった祖母カメおばあさんの導きによるものだったと思えるのです。

  <つづく>

  (2015.10.8)
150 “イエスとの恋に生きた”賀川豊彦


 私は振り返って見れば今から60年あまり前の学生時代に、谷口雅春先生の『生命の實相』などのほかにも賀川豊彦氏(1888~1960 キリスト教社会運動家として世界的に有名)の本も読んだり講演を聴いたりして、深い感銘を受け、その後の生き方に少なからず影響を受けたと思います。

 なかでも賀川氏の90点に余る著作の中から、氏の生々しく熱烈な信仰体験から生まれ出た胸を打つ言葉、心臓の鼓動が聞こえてくるような文章を抜粋編纂して昭和25年に出版された 『信仰・愛・希望』 という本に、とても影響を受けました。

 前項 #149 に引用しました 「生命芸術としての宗教」 「神の祭」 などの文章も、その本からの抜粋を書き写していたものです。

 私は賀川氏のような生き方をしたいと思い、その本の中の肝に銘じたいところはページを切り取って、いつも目に付くところに貼って置いたりしました。当時はサンフランシスコ講和条約が結ばれ日本が独立を回復したばかりの頃で、書物の紙質も今と違い粗悪なものでしたから、切りとっていたページなどは特に早く茶色に変色してぼろぼろになりました。そうしてたびたび引っ越しをしているうちに、切り取ったページは紛失していました。

 それを最近また読み返したくなって、ネットで探し、中古本を見つけて購入しました。

 で、前項で引用した 「神の祭」 のつづきの部分などから、また引用させて頂きます。

          ○

≪○ 凡てが神への装飾であり、七五三飾(しめかざり)であり、凡てが神への芸術である。私の一生はお正月の連続である。お祭気分の私は、無声の声の音楽に、地球の表面を踊り続ける。おめでとう、おめでとう。永遠におめでとう。私はおめでとうを九度繰り返して、キリストの山上の垂訓の九福を回想し、十度おめでとうを繰り返して、私が万物にまさった神の福祉に浸っていることを直感する。

○ 献げてしまえ、友よ、私の魂よ! 君の持てる凡ての物を神に祀ってしまえ。その昔イエスが凡てを十字架を通して祀った如く、凡てを祀ってしまえ。金銭も、財宝も、地位も、名誉も、生命も、魂も、惜しげなく神の前に祀れ。今日は本祭の日だ。太鼓が聞え、笛が聞える。神の祭は、地上のあらゆる情慾にも勝
(まさ)って感激に充ち、生命の神楽は人間のあらゆる快楽にまさって我々を昂奮せしめる。

○ 私はキリストのために馬鹿になった。私は、私の生涯の最も善き時をイエスに対する恋で送った。私は囚われた男である。笑ってくれ人よ、私を旧い人間、キリストの馬鹿と。

 私は愛の完成に生きる。私はイエスを恋したが故に、その恋に生きる。私はイエスに対して持つ愛をそんなに軽々しく他に移したくない。

 キリストの馬鹿! キリストの馬鹿!
 私はキリストを愛するために馬鹿になった。発明もせず、発見もせず、学問もせず、芸術にも行かず、私は馬鹿の如くに単一なる道を歩く。

 九十九の羊のために行かずして、ただ一匹の羊のために歩く。

○ 「神は何処にあるか?」と私に尋ねてくれるな。神は捜すべきものではない。神は生くべきものだ。神は私の生命の中に生きたまうのだ。

 神を尋ねて逢わなかったと言う人がある。神を宇宙の外側に尋ねて発見出来るのであれば、神は生きていないのだ。
 神が生きているのなら、私の内に生きていねばならぬのだ。
 神は捜す前に、尋ねる前に、私の生命の中に示現しているのだ。

 私の生命は、私のものではない。私は生命の内側から、神の戯曲の進行を窺わせられているだけだ。

 まア、何という大きな神の戯曲よ! 病であろうが、死であろうが、またたとえ大きな飢饉であっても、私はそれを耐え忍んで見物し、神はその戯曲を展開する。私は観客であり、また役者である。私は十全の力を尽くして私の役割を務めねばならぬ。

 凡ての冗言を省け! 私は強く生きねばならぬ。そのために、内なる生命の神を信ぜねばならぬ。たとえ私の魂が敗死することがあろうとも、再生の力をもって復活せしめてくれることを信ぜねばならぬ。

 これを体験したのがイエスである。

 私はその宗教に生きる。それが即ち私の生命芸術であり、生命宗教である。
 私はその神に生きる。

 宗教は楽しい芸術であり、それは私にとって最後の芸術である。誰に見られなくてもよい。私は私一人の芸術境を歩む。闇の中で一人泣いている時でも、神はちゃんと見ていてくれる。凡ての芝居は私と神と二人で演ずる。私は最も下手な役者であっても、神はそれを侮辱しない。……≫

  以上は賀川豊彦著 『信仰・愛・希望』 からの抜粋でした。 <つづく>

  (2015.10.7)
149 “生命芸術”としての国体と宗教


≪「天皇国日本」は日本民族が創作した世界最大の文化的創作であって、これより大なる大芸術は他のどこにもないことを知って、この国体を尊重して貰いたいものである。≫
  (谷口雅春先生『古事記と現代の預言』序文より)

≪手を挙げるのも、眼をしばたたくのも、歯をみがくのも、床(とこ)をたたむのも、笑うのも、鼻をつまむのも、ことごとくが芸術である世界、そのような世界に住んでいて、そのような生々しい真理のカケラを血眼(ちまなこ)になって追いまわしている人々を、なぜ芸術家と呼ぶのでしょう。≫
  (谷口清超先生『愛と祈りを実現するには』より)

≪生命に生きることが、私の芸術であり、その生命芸術を宗教というのだ。
 宗教ほど大きい芸術はない。普通にいわれている芸術は、感覚を通じての局部芸術だ。宗教だけが全生の芸術をもち、生命の芸術をもつ。≫

  (賀川豊彦氏「生命芸術としての宗教」)

≪私は(賀川豊彦氏の言われる)「生命芸術」は、天皇に帰一する宗教にしてはじめて完成するのだと思う。一つの中心ある全体生命の中に個の生命が完全に救いとられるところにこそ、生命芸術の美の極致があるのではないだろうか。これを完成するところに生長の家出現の目的があるのだと思う。……われらの目的は個の生命を単に個の生命としてではなく、全体生命=一つの中心ある生命=永遠生命の中に救いとることにあるのだ。何たる大いなる聖使命であろうか。信じられないほど輝かしく豊かな世界をわれらは創りだすのだ。≫
  (岡正章「変わらざるものを」<『聖使命』昭和45年10月15日号「北極星」欄所載>)


≪ここに賀川豊彦さんの 「神の祭」 という文章があります。賀川豊彦さんというのは有名なクリスチャンで社会救済運動に挺身された方で、もうだいぶ前に亡くなられましたが、私は生前に賀川先生の講演を二、三回聴いたことがあります。霊感的な、火を噴(ふ)くようなお話でした。その賀川豊彦さんの 「神の祭」 という、熱烈な詩的な文章です。読んでみます。

  「聖パウロは言った。“その身を活ける供物
(そなえもの)として神に献げよ”と。
 五尺の鯉
(こい)を神に祀(まつ)ることは最も愉快なことである。
  
(この「五尺の鯉」というのは、人間のことを言っているんです――話者)

 吾々の生活の凡
(すべ)てが神への供物であり、祭であるのだ。
 祭だ、祭だ! 花火が上り、楽隊が聞えるではないか。我々の生涯のあらゆる瞬間が神への祭だ。表に五色の旗が翻
(ひるがえ)らなくとも、魂の奥には、永遠の燻香(くんこう)が立ち昇る。神への燔祭(はんさい)は、我々の赤き血そのものである。

 若き小羊を捕えて神に献げよ。全き小牛と全き小羊を神に献げよ。日本の若者の魂を捕えて神に献げよ。神への奉加は、吾々の生命そのものであらねばならない。吾々の玉串は、生霊そのものであらねばならぬ。完全に我々の全生命を神に祀ろうではないか。我々の肉体、我々の生活、我々の精神、我々の学問、我々の芸術、そして我々の道徳を神への献げ物として八足
(はつそく)台に献げようではないか。

 永久
(とこしえ)の祭だ、永久の歓楽だ! 不滅の花火、無限の祝典、生命の神饌(しんせん)は永劫(えいごう)に尽くべくもない。両国の花火はなくとも、我々の心臓のうちには、不滅の血が花火以上に赤く爆発する。」

 これが賀川豊彦さんの「神の祭」という文章です。私たちも、毎日毎日の生活を、すべてを神への祭りにしようじゃありませんか。素裸になって、すベてを神さまに献げてしまうんです。そのとき、神さまからすべてが与えられているんです。こんなうれしいことはないじゃありませんか。

    生命芸術の創造を

 賀川豊彦さんはまた、「生命芸術としての宗教」という題でこう書かれています。

 「私は敢ていう。宗教ほど大きい芸術はない。普通にいわれている芸術は、感覚を通じての局部芸術だ。宗教だけが全生の芸術をもち、生命の芸術をもつ。」

 「宗教は生命芸術である」と言われるんですねえ。このことばは、生長の家によってはじめて現実の意味が出てくるんではないかと思います。

 神想観をして龍宮海すなわち創造の本源世界に入ると、私達の中に時間も空間も全部ある。天地
(あめつち)の初発(はじめ)の時、即ち今、自分は神さまと一つになって、宇宙創造をしているんだ。その中心がわれわれ一人一人なんです。この宇宙は神さまが指揮者であるところの一大交響楽だというわけですけれども、また、われわれ一人一人が神そのものですから、われわれ一人一人が指揮者であり、演奏者であり、宇宙創造の中心者であるわけです。どういう音楽をかなでるかということは、われわれ一人一人の心ひとつにあるわけなんです。

 「人間神の子」の大真理をうたい上げて行きましょう。もっともっと素晴らしい歌をわれわれが創り出して行きましょう。そして、自分が創造の本源の中心にある自覚で、交響楽の演奏にも似たような、メロディーとリズムとハーモニーのある喜びの創造的運動をやって行こうではありませんか。≫


  (岡正章 『光のある内に』 〈昭和54年8月 日本教文社刊〉 所載 講話録より)


≪ 憂うべき戦後教育

 日本弱体化政策によって、まず修身・国史・地理を教えることが禁止された。教育のあらゆる部面で、日本人に国の誇りを失わせるような政策がとられた。現行日本国憲法が制定されるや、この憲法を尊重すべきことを中心とする「社会科」の授業が行われ、日本のよき伝統と歴史から断絶された根無し草のような教育、日本の過去はすべて否定するという教育が行われてきたのである。(中略)

   正しい歴史教育を通し高い理想を

 教育は、一定の理想あるいは価値を志向して行われるべきものであって、高い理想をめざさない教育などというものは本当の意味での教育とはいえない。しかして教育の理想は、国家理想、政治の社会的理想と無関係には考えられない。

 その理想はどこにあるか。……日本国憲法による戦後の教育が理想であるか。……現行憲法が理想だなどという者は、日本人は数千年の歴史をもちながら、この昭和二十年に至って敗戦の憂き目にあい占領憲法を与えられるまでは、正しい理想がわからなかったバカ者だったということなのだ。

 日本国は幾千年の間、天皇を中心に戴いて、幾多の困難をのりこえ、繁栄してきたのである。天皇中心の政治と文化を築く営みにおいて国民はその理想を遂げつつ人間性を開発してきたのである。

 「我カ
(わが)臣民克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一(いつ)ニシテ世々(よよ)(そ)ノ美ヲ済(な)セルハ此レ我カ国体ノ精華(せいか)ニシテ教育ノ淵源(えんげん)亦実ニ此(ここ)ニ存(そん)ス」

 この教育勅語の中に日本国民の教育の理想、社会的理想があったのである。……理想の教育による理想国家実現のために前進しようではないか。≫


  (岡正章 『生学連新聞』 昭和45年10月1日号所載)

 「克
(よ)ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一(いつ)ニシテ世々厥(そ)ノ美ヲ済(な)セルハ此レ我カ国体ノ精華(せいか)」――これぞ世界最大の生きた創作大芸術でしょう。

  <つづく>

  (2015.10.3)
148 日本民族最大の生きた創作芸術-それは“天皇国家”


 谷口雅春先生は 『美しき日本の再建』 に、次のように書かれています。

≪   天皇国家は日本民族独得の一大文化的創作である(p.29)

 われわれ独得の日本人の創作の文化の中で、一番偉大なる生きた芸術――生きて動いている大芸術がこの日本の国体であります。

 国体というと、国のあり方のことであります。この日本にしかないところの、一大創作芸術、一大文化的産物というのが、日本独得の天皇中心の“天皇国家”というものであるのでありますが、そういう独得の一大創作なる国家が創造されたというのは、この日本民族の真理直観の天分によるのであります。

 日本民族が古代から宇宙の真理として天地の始めに発見し表現した所の天之御中主神
(あめのみなかぬしのかみ)、宇宙の御中(みなか)に中心があって、全ての生命はその御中の中心から分れて出て来、そして又、それが中心に帰一して、中心・周辺一つにして渾然一体であるのが生命体であるという真理を日本民族は把握したのである。

 日本民族にとっては、全てのものは、一つの中心生命体から分れて出て、分れて出た末梢生命が又、中心に帰一して、それが渾然一体たる有機的生命体となっていると観るのであって、この世界観が国家にあらわれているのが、この現実の大日本国である。この民族の一大創作芸術である独得の日本の国家形態を吾々日本民族は永久に護持しなければならないのであります。これは他に、真似の出来ないところの創作芸術である。…(後略)…≫


 ――「日本の国体(国のあり方)」 とは、「天皇主権」 とか 「国民主権」 とか、天皇と国民を利害の対立する二者とは見ず、君は民を 「おおみたから」 と拝み給い、民は君を 「大君は神にしませば……」 と拝みまつって来た。明治天皇は 「罪あらばわれをとがめよ天つ神 民は我が身の生みし子なれば」 とお詠みになった。君と民は親子のように一体のもの、君民一体、君民同治が国のあり方であった。だから終戦のとき、昭和天皇がマッカーサー元帥を訪問され、「戦争の責任は自分一人にある。自分はどのような処置をとられても異存はない。罪のない国民に餓死者が出るようなことのないように、食料援助をお願いしたい」と申し出られ、マッカーサーをして「骨の髄までも揺り動かした」と言わしめるような感動を与えた(#145)。そうして 「生命
(いのち)を得んとするものは生命を失い、生命を捐(す)つる者は生命を得」 とキリストも云ったように、食糧は援助され、国体は守られてきた。

 このような国が世界にただ一つあるということは、奇跡とも言えることではなかろうか。

 それは、イエス・キリストが結婚して子をもうけ、その子孫がイエスの教えの通り愛を行じて治める神の国が現存しているような奇跡、あるいは仏陀-釈迦牟尼の子孫が今もインド王国の王として仏の慈悲を行じ、菩薩行として国を治めているというようなこと、または孔子の子孫が中国の皇帝として徳をもって仁政を行っているというような、まさに 「有り難い(めったにあり得ない)」 こと。

 日本食や富士山が世界文化遺産として登録されても、そのような形あるものを超えた、限りなく偉大な生きた創作芸術 「日本の国体」 を守ろうとしない者は、愚か者というしかない。私は、そう思います。

 <つづく>

 (2015.10.2)
147 本当は怖ろしい日本国憲法(3)


 #146 に、日本国憲法前文と、その元になったGHQ草案(英文)を掲示しました。

 両者を比べてみれば、現憲法が基本的にアメリカ製のマッカーサー占領憲法であることは明白でしょう。

 それは、#137#140 に書きました、「WGIP(War Guilt Information Program)」<占領後直ちに着手された、日本民族が二度と立ち上がれないように記憶(民族の歴史)を奪い、精神を破壊して独立心を奪うために贖罪意識を植えつける政策>に従い、

 「日本は世界を相手に侵略戦争をしました。もう二度とそのような悪いことはいたしません」

 という 「詫び証文」 を書かされ、手足を縛られたものだ、ということでしょう。

 米英等はかつて好戦的に世界中に植民地を増やし、アジア・アフリカ民族などを奴隷化してきた。日本はそれに対して 「アジア民族解放」 の 「大東亜共栄圏」 の理想を掲げた。アメリカのルーズベルト大統領が日本に経済侵略戦争を仕掛け、日本が真珠湾攻撃に起ち上がらざるを得なくするように仕向けたことは、今では明白な事実となっている。そしてアメリカは日本本土を無差別爆撃し、広島・長崎に原子爆弾を投下して、無辜の市民を大量虐殺した。その事実はまったく棚上げして、日本だけが「ならず者国家」だと断罪し、詫び証文を書かせたのがこの「日本国憲法 前文」なのである。

 アメリカの日本占領目的、基本方針は何であったか。

 米国政府は昭和20年9月22日に 「降伏後の初期の対日方針」 を発表したが、その中で 「米国の究極の目的」 の筆頭に、「日本国が再びアメリカの脅威となり、または世界の平和および安全の虚位とならざることを確実にすること」 とあり、「非軍事化」 と 「民主化」 を目標とする旨記されている。

 この 「民主化」 とは、「精神的武装解除」――つまり 「精神的に骨抜きにすること」 を意味している。の一つとして目標にされたものである。

 日本国憲法の3大原則 「平和主義」 「人権尊重」 「国民主権」 は崇高な理想ではなく、実は矛盾に満ちた、怖ろしい国家破滅への思想である。この標題のとおりの 『本当は怖ろしい日本国憲法』(長谷川三千子・倉山満共著)という本も出ているとおりであります。

 (2015.10.1)
146 本当は怖ろしい日本国憲法(2)


 #145 のつづきです。

 マッカーサーは昭和20年9月27日、昭和天皇との会見を通じて、天皇と国民が一体であるという日本の国体を身をもって知った。

 天皇をなくしたら日本は大混乱に陥り、数百年にわたって復讐の戦争が繰り広げられると考えた元帥は、それからというもの、本国政府の意思に反して、天皇を処刑せずに、皇室を存続させる方針を定めたのである。

 当初、日本側は憲法の改正をせずに、ポツダム宣言の要求事項は履行可能と考えていた。しかし、GHQは憲法改正を突き付けてきた。日本政府は独自の憲法改正案(松本烝治案)を策定したが、GHQに却下されてしまう。

 昭和21年2月3日、マッカーサーはGHQが憲法草案を起草することを決断した。それは、2月26日に「極東委員会」が活動を開始することが原因だったとみられている。

 極東委員会とは、連合国11ヵ国の代表によって組織された、日本の占領統治に関する最高の権限を有する機関。これが活動を開始すると、GHQの権限が大きく制約されることになる。極東委員会には、ソ連・オーストラリアのように、皇室を存続させることに強く反発する国が入っていたから、極東委員会が活動を開始する前に、GHQ主導で憲法改正の流れをつくらなければ、皇室を存続させられないとの判断があったと思われる。また、松本案は極東委員会が承認しないと考えられた。

 そのような背景があって、マッカーサーは2月3日、民政局に対して憲法草案を作成するように命じた。この日、元帥が憲法草案起草の責任者となるコートニー・ホイットニー民政局長に示した「日本の憲法改正に際して守るべき三原則」(通称「マッカーサー・ノート」)には、憲法草案に盛り込む必須三原則が書かれている。その一と二の全文は

「一、天皇は国家の元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に表明された国民の基本的意思に応えるものとする。

 二、国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍をもつ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。」

 マッカーサーは、皇室の存続を第一に掲げた。

 しかし、第二の「戦争放棄」は、「自衛権をも放棄させる」 と受け取れる。

 この 「マッカーサー・ノート」 をもとにGHQ草案がわずか一週間で起草され、「これを呑まなければ皇室の存続は保証されないぞ」 と威されて日本政府案が作成された。そうしてできた 「日本国憲法」 の前文は――


≪日本国憲法  前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。≫


 となっている。これは、下記GHQ草案と比べてみれば、その翻訳にほかならないものであることがわかる。

≪(GHQ草案 英語)
We, the Japanese People, acting through our duly elected representatives in the National Diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim the sovereignty of the people's will and do ordain and establish this Constitution, founded upon the universal principle that government is a sacred trust the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people; and we reject and revoke all constitutions, ordinances, laws and rescripts in conflict herewith.

Desiring peace for all time and fully conscious of the high ideals controlling human relationship now stirring mankind, we have determined to rely for our security and survival upon the justice and good faith of the peace-loving peoples of the world. We desire to occupy an honored place in an international society designed and dedicated to the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance, for all time from the earth.

We recognize and acknowledge that all peoples have the right to live in peace, free from fear and want. We hold that no people is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all peoples who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other peoples.

To these high principles and purposes, we, the Japanese People, pledge our national honor, determined will and full resources.≫


 <つづく>

 (2015.9.30)
145 本当は怖ろしい地獄行きの日本国憲法


 一昨日 #144 で、「死ねば極楽へ行ける」 (谷口雅春先生著 『親鸞の本心』 より)のご文章を引用させて頂きましたが、その一番後の方に、

≪愛すれば真実の自我が生きる――愛すれば愛するものを象徴する一切のものに愛を感ずる。国を愛する者は国の象徴である国旗を愛し、国家統合の象徴である天皇(政府案新憲法草案による)を愛する≫

 とありました。この (政府案新憲法草案) とある新憲法というのは現行憲法のこと。それが 「草案」 であった時に書かれたものです。

 昭和20年8月15日にポツダム宣言を受諾した日本政府は、そこに要求された 「日本軍の無条件降伏」 「日本の民主主義的傾向の復活強化」 「基本的人権の尊重」 「平和政治」 「国民の自由意思による政治形態の決定」 などを実行するため、事実上占領軍により憲法改正を迫られることになった。

 当時、日本側は憲法改正の必要をまったく考えていなかった。改正を急がせたのは占領軍最高司令官マッカーサーである。

 昭和20年9月27日、昭和天皇がマッカーサー元帥を訪問された。このときのことはすでに広く知れわたっていることだ。昭和天皇と元帥がどのような会話を交したか、いまだ公式な発表はないが、元帥の著した『マッカーサー回想記』や、関係者の手記などからその一端を知ることができる。

 元帥は当初、天皇は戦争犯罪者として起訴されないよう、命乞いをしに来るのではないかと考えていたようだ。しかし、元帥の回想によると昭和天皇は、政治と軍事の両面でのすべての決定と行動に対する全責任は自分にあると御話しになったという。元帥はこれに感動し、次のように記している。

 「死を伴うほどの責任、それも私の知り尽している諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私を骨の髄までも揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人としても、日本の最上の紳士であることを感じとった」(『マッカーサー回想記』)

 昭和天皇に随伴した通訳・奥村勝蔵も、天皇の御言葉を書き留めている。

 「今回の戦争の責任は全く自分にあるものであるから、自分に対してどのような処置をとられても異存はない。戦争の結果現在国民は飢餓に瀕している。このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出るおそれがあるから、米国に是非食料援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券をまとめて持参したので、その費用の一部にあてて頂ければ仕合せである」

 昭和天皇はこのようにおっしゃると、大きな風呂敷包を差し出した。このとき元帥は、立ち上がって昭和天皇のところに行き、握手をして 「私は初めて神の如き帝王を見た」 と述べたという。

 この御引見から4ヵ月後の昭和21年1月25日、マッカーサーは本国の陸軍省宛てに次の極秘電報を打った。

 「天皇を告発すれば、日本国民の間に想像もつかないほどの動揺が引き起こされるだろう。その結果もたらされる事態を鎮めるのは不可能である。天皇を葬れば、日本国家は分解する。連合国が天皇を裁判にかければ、日本国民の憎悪と憤激は、間違いなく未来永劫に続くであろう。……私の考えるところ、近代的な民主主義を導入するという希望は悉く消え去り、引き裂かれた国民の中から共産主義路線に沿った強固な政府が生まれるだろう。

 そのような事態が勃発した場合、最低百万人の軍隊が必要であり、軍隊は永久的に駐留し続けなければならない。さらに行政を遂行するためには、公務員を日本に送り込まなければならない。その人員だけでも数十万人にのぼることだろう。……」

 この電報により、天皇の存続が決定されることになる。マッカーサーはこうして天皇の存続をどうしても必要不可欠のことと考えた。

 <つづく>

    (2015.9.29)
144 「死ねば極楽へ行ける」


 一昨日 #143 の続きです。

 恵心僧都 源信の 「念仏法語」 に

 
≪念佛もの憂けれども、唱うれば定めて来迎にあずかる、功徳莫大なり。……来迎にあずかりて蓮台にのるときこそ、妄念をひるがえして悟りの心とはなれ≫

 とあって、これは

 「念仏は面倒くさいようだけれども、唱えていればお迎えが来てあの世へ行く時には、蓮華が泥水の中から美しい花を咲かせるように、きれいな悟りの心が開いて極楽へ往ける、功徳は莫大だ」

 というので、死ぬ時が来たら大丈夫極楽へ往ける、と受け取れます。

 このことに関連して、谷口雅春先生は 『親鸞の本心』 の中で、次のように書かれているところがあります。

≪ 「死ねば極楽へ行ける」 この言葉を私は最初に人から聴いたとき、現世否定の、後生のみを肯定する言葉であると思えて、そう云う信仰は本当ではないと思ったりいたしました。

 現世の今此処に極楽が成就しなければならない。現世の今此処に極楽が現にあるのである。今が、此処が手段の生活であってはならない。娑婆即寂光土と云う言葉があるが、その寂光と云う寂寥
(せきりょう)の感じの言葉は嫌いであるが、娑婆即極楽、此処が極楽でなければならないと思えるのでありました。

 ところが、その同じ文句の 「死ねば極楽へ行ける」 と云う言葉を最近ある書物で見出したときに、そうだそれに違いない。死ななければ極楽へ行けないと云う感じがピッタリと私に来たのです。

 さきに私は 「死ぬ」 と云う言葉を 「肉体の無くなること」 だと解釈していたのであるけれども、肉体が無くなっても、妄念執着が消えていない霊魂は 「死に切っていない」 のであって、斯うした種類の人は、「死んだ」 と云うことは出来ないのである。だから斯うした人たちは 「死んでいない」 のであるから極楽へ行くことは出来ないのである。

 そうすると、肉体が有れども、無くとも、そんなことに頓着なく、「死んでいない」 人は極楽に行けない、「死ねば極楽へ行ける」 と云うことは真実だと、生長の家を創
(はじ)める頃になってからわかった次第である。

 「死ねば極楽へ行ける」 と言う場合の 「死ぬ」 と云うのは 「偽我を死に切る」 ことである。自分の慾ばる心を死に切らねばならないし、自分の利己的心を死に切らねば本当の極楽浄土は出現しないのである。

 キリストも云ったように 「生命
(いのち)を得んとするものは生命を失い、凡そわがために生命を捐(す)つる者は生命(いのち)を得(う)」 である。わがためにの 「わが」 と云うのは偽我の我にはあらずして 「真実の我」 のことである。「汝に宿るキリスト」 のことである。「真実の我」 と云うのは、キリスト自身のこと、「愛」 そのもののことである。「汝ら互に相愛せよ、愛するところ我はいるなり」(ヨハネ伝)とキリストは仰せられた。

 日本の民主主義化が時局の要請となっている際、
(編註。この本は昭和28年8月初版であるが、序文に 「嘗て私が 『生長の家』 誌に発表したものをまとめた」 と書かれているので、米軍の占領下において書かれたものと思われます) 民主主義とは個人の目覚めだと云うので、何でも利己主義、自己主張こそ民主主義だと思われて、互の利己的主張の突っ張り合いで、国内抗争を演じているのが日本の現状のように受取れるが、民主主義とは先ず自分が自分の主人公にならねばならぬ。自分自身が利己的欲望の奴隷となっているような事では何処にも 「自分が自分の主人公であるところの民主主義」 は存在しない。利己的欲望の奴隷が民主主義であるならば、利己を満足せしむるために他人又は他国侵略も民主主義だと云わねばならぬが、そんなことは絶対にないのである。他人の人権を尊重し、他国の国権を尊重し、キリストの愛(これこそ真の自我である)を実現することこそ、真の民主主義であるのである。

 愛すれば真実の自我が生きる――愛すれば愛するものを象徴する一切のものに愛を感ずる。国を愛する者は国の象徴である国旗を愛し、国家統合の象徴である天皇(政府案新憲法草案による)を愛する。愛国者と自称しながら、天皇を愛しない共産党の如きも存在するが、その事については私の感情ではわからないものがある。彼らは愛国者と自称しながら、二千六百余年つづいて来た日本国を憎み、別の国をば現在の日本国地盤の上に樹てようとしているかの如く見える。兎も角よくわからないので今後の行き方を注視する必要がある。……≫
 (谷口雅春先生著 『親鸞の本心』 p.274~277より)


 ――「死ねば極楽へ行ける」 というのは、今、偽我を死に切れば、今此処が極楽となる、ということだ。先生はそう気づかれて、説かれているのですね。今こそ、それを実践するべき時だと思います。

 今夜は、「大調和の神示」 が天降った時であります。

 そして、昭和20年のこの日、昭和天皇が初めて占領軍総司令官マッカーサー元帥を訪問され、マッカーサーをして 「骨の髄まで感動した」(『マッカーサー回想記』より) と言わしめた日であります。

    (2015.9.27)
143 秋の彼岸会に寺参りして思う(3)


 昨日の続きです。

 23日、天台宗の寺での彼岸会法要で、住職は 「恵心僧都 念佛法語」 のコピーを皆に配って朗読し、法話をされました。その全文をご紹介します。

≪   恵心僧都 念佛法語

 夫れ一切衆生、三悪道をのがれて人間に生るること大なるよろこびなり。身はいやしくとも 畜生におとらんや、家まずしくとも 餓鬼にはまさるべし。心に思うことかなわずとも、地獄の苦しみには比ぶべからず。世の住みうきは厭うたよりなり。人かずならぬ身のいやしきは、菩提を願うしるべなり。この故に、人間に生るることをよろこぶべし。

 信心あさくとも本願ふかきが故に、頼めば必ず往生す。念佛もの憂けれども、唱うれば定めて来迎にあずかる、功徳莫大なり。このゆえに、本願にあうことをよろこぶべし。

 又妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念の外に別の心もなきなり。臨終の時までは、一向に妄念の凡夫にてあるべきぞと心得て念佛すれば、来迎にあずかりて蓮台にのるときこそ、妄念をひるがえして悟りの心とはなれ。

 妄念のうちより申しいだしたる念佛は、濁りに染まぬ蓮のごとくにして、決定往生うたがいあるべからず。妄念をいとわずして信心の浅きを歎き、こころざしを深くして常に名号を唱うべし。≫


 その解説です。住職の法話もふまえながら、それを超えて、私が今までに学んできたことから解説させていただきます。

 恵心僧都
(えしんそうず)については、昨日 #142 で書きました。

 三悪道とは、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天人の六道(迷いあるものが輪廻するという、六種類の迷いある世界)のうち、下の三つ 地獄道・餓鬼道・畜生道 のこと。恵心僧都源信は、地獄の恐ろしさについて 『往生要集』 で具体的に描写して説いています
(昨日の項をごらんください)

 「信心あさくとも本願ふかきが故に、頼めば必ず往生す」 とは――

 人間が救われるのは、自力の修行によってではない。「弥陀の本願」 なる他力によるのである。だから、信心は浅くても、弥陀の本願は限りなく深く大きいものだから、念仏して(「南無阿弥陀仏」と称えて)依り頼れば必ず極楽往生できる、という 「他力信仰」 であります。

 一昨日 #141 で書かせて頂いた拙文の後半のところで、谷口雅春先生が 『光明道中記』 8月~9月の法語で、親鸞の 『歎異抄(たんにしょう)』 の研究としてご教示くださっているご文章を紹介させて頂きました。恵心僧都の 『往生要集』 は、親鸞の 『歎異抄』 に於いてもベースになっていて、浄土真宗の聖教とされています。だから、共通するところがあるのです。

 さらに谷口雅春先生は、

 
「弥陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。そのゆへは、罪悪深重、煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。」

 という 『歎異抄
』 の言葉を引いて、

≪ 弥陀の本願は、宇宙大生命の大慈悲そのものであるから、老人であろうが、少年であろうが、善人であろうが、悪人であろうが、問うところではないのである。キリスト教の聖書には「天の父は太陽の善人をも悪人をも照したまう如く、これを照し給うなり」とあるのは、仏耶(仏教もキリスト教も)真理を等しうしているのである。ただ救われるのは、「信」によって救われるのである。「信」は人扁に言である。人と神のコトバ即ち仏の誓願との一致である。

 誓願とはコトバにほかならない。仏の誓願と人間の心とが一致したとき、人間は仏の誓願の中に溶け込むのである。コトバは誓願であり、名号であり、本体であり、仏のイノチである。仏のイノチの中に溶け込む時、そのまま救われている実相があらわれるのである。「弥陀の本願は老少善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし」である。

 私は「老少善悪を選ばず」のほかに、「肉体の生死の前後を選ばず」と附け加えたい。「肉体の生死」如何が「救われ」に関係があるなら弥陀の救いに条件を置くことになる。≫ 
(『光明道中記』 8月12日の法語)

 また、

 
「しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆへに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆへにと、云々」

 という 『歎異抄』 の言葉を引き、

≪ そうだ、「弥陀」 は 「去って去る所なく、来って来るところなく、生なく滅なく、過、現、未来に非ず」 して空間時間生滅を超越せる絶対存在であり給うが故に、その救いは絶対力にて行われるのである。弥陀の救いの本願は、大実在の御意志であるが故に弥陀の本願をさまたぐるほどの悪は存在し得ないのである。弥陀の本願力の前には 「肉体」 の滅不滅は何らの障礙にはなり得ない。そこに生長の家の説く阿弥陀仏に至心廻向すれば 「肉体そのまま救われている、此処がこのまま極楽浄土になる」 と云う真理が裏付けられるのである。

 宇宙大実在の我を救いたまわんとの本願の絶対力の前には何物もさえぎることが出来ないと云うのは真理である。そこに 『歎異妙』 の 「他の善も要にはあらず」 「悪をもおそるべからず」 の根拠がある。本願の絶対力に触れるとき、無限燭光の光に触れて暗黒が消え去るように、「他力の善」 がおのずから自然に行われて悪が自然に消え去る意味である。≫


 と説かれています。

 この 「弥陀の本願」 なるものは、「久遠の今」 にある 宇宙大生命の実相のコトバであります。(上記「久遠の今」をクリックしてお聴きください)

 『光明道中記』 ではさらに、『歎異抄』 の

 
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をやと。
 ……煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるをあはれみたまひで、願ををこしたまふ本意、悪人成仏の為なれば、他力をたのみ奉る悪人、もとも往生の正因なり。よて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せさふらひき。」


 という言葉を引いて、

≪ 「悪人成仏」 の悪人は、「わたしはこんな悪をしたから救われる」 と云うような 「罪悪誇り」 の人間ではないのである。だから 「他力をたのみたてまつる悪人」 と親鸞聖人は注釈し給うたのである。「他力をたのみ奉る」 とは、「自分には何の力もないのだ。すべての 『善』 は神力、仏力に由るのである」 と自己を謙る人を言うのである。自分に何らかの善が行じられるならば、仏力が廻向して自分にやらせて頂くのであると知るが故に 「自力修善」 を誇ることがないのである。

 「煩悩具足のわれ」 とは 「肉体の我」 であり、「現象の我」 である。仏教は 「無我」 の教であるからそんな 「我」 は本来ない 「我」 である。「ない我」 の力で救われる筈はないから、現象の我の 「いずれの行」 にても救われる事はあり得ない。「生死をはなるる」 とは 「現象我」 を超えることであるから、現象我のいずれの行にても 「生死をはなれ得ない」 と説きたまうたのである。≫
(『光明道中記』 8月19日の法語)

 と書かれています。

 
≪他力真宗と生長の家とは随分その救いの立て方が似ているのである。真宗で 「他力」 と言うところを生長の家では 「実相 」と言う。真宗で 「念仏」 と言うところを 「『生命の實相』を読め」 と言う。「他力」 は 「大信心」 であり、「大信心」 は 「仏性」 であり、「仏性」 は 「実相」 である。「他力」 に救われると云うことは 「念仏申す心」(実相)に救われていると云うことである。≫ (『光明道中記』 9月2日の法語)

 とも言われているのであります。

    (2015.9.25)
142 秋の彼岸会に寺参りして思う(2)


 昨日の続きです。

 平安中期、天台中興の祖と言われる恵心僧都源信について、次のようなのエピソードなどが伝えられています。

 <恵心僧都
(えしんそうず)とも呼ばれる源信(942~1017)>

 平安時代の中ごろ、大和国葛城に生まれ、幼名を千菊丸といった。
 九歳のころ、近くの小川で鉢を洗う旅の僧を見て、次の問答をしたという。

 「お坊さま、むこうの川の方がきれいですよ。」
 「すべてのものは浄穢不二
(じょうえふじ)(“きれい” も “きたない” もない、みな平等)じゃ。きれい、きたないは凡夫の心の迷いじゃ。このままでよい。」
 「それじゃ、どうして鉢を洗うの?」
 ……

 ……何日かして比叡山から使いが来て、この利発な千菊丸の出家の話が決まった。先の旅の僧のすすめであった。

 比叡山に登り、良源僧正について勉学、十三歳にして髪をおろし出家となり、師から源信の名が与えられた。

 源信の才智はまわりの者の目を見張らせ、十五歳にして時の帝・村上天皇の御前で特別に『称讃浄土経』を講じる名誉を得た。天皇はじめ公卿殿上人、感嘆しない者はなく、数々の褒美の品と、「僧都」の位が授けられた。

 源信は、早速この喜びを大和にひとり暮す母に知らせようと、使いの者に褒美の品を持たせた。しかし、褒美の品は返されてき、和歌と言葉が添えてあった。

 「後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき」

 「まことの求道者となり給へ」

 母の厳しい訓誡にうたれた源信は、精進を重ね、叡山横川の恵心院に住んで念仏三昧の日を送った。

 三十数年後、母は念仏を勧める源信の膝を枕に、安らかな往生をとげたという。

 その編著書 『往生要集』 は浄土真宗の聖教ともされており、その後の日本仏教の歴史に決定的な影響を与えた。

 冒頭の地獄についての部分が、とりわけ有名で、多くの絵師がそれをもとに、地獄の絵を描いた。仏教だけではなく、美術の世界にも大きな影響を与えている。

 たとえば、「刀葉の林」 という地獄がある。

 一本の樹の上に美しくてきれいに着飾ったねーちゃんが立っていて下にいる男を招く。スケベ心を起こした男はそのねーちゃんに近づこうと樹を上っていくと・・・なんと木の葉がみんな刃物でできている! 男は傷だらけ血だらけで樹を登ってゆくと、ねーちゃんは何と樹の下にいるのだ。ねーちゃんは下から男を見上げて 「あなたが好きだからここに来たのよん、なんで私のところに来て抱いてくれないの?」 と誘惑する。男は「欲心熾盛にして」 これを見て、今度は降りてゆこうとすると 「刀葉上に向きて利きこと剃刀のごとし」 というわけで、また傷だらけ血だらけになり、やっとの思いで下に降りてくると、ねーちゃんはまた上にいる。その繰り返しが果てしなく続く。……


 全体の構成内容は

<巻上> 大文第一 厭離穢土--地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天人の六道を説く。
       大文第二 欣求浄土--極楽浄土に生れる十楽を説く。
       大文第三 極楽証拠--極楽往生の証拠を書く。
       大文第四 正修念仏--浄土往生の道を明らかにする。

<巻中> 大文第五 助念方法--念仏修行の方法論。
       大文第六 別時念仏--臨終の念仏を説く。

<巻下> 大文第七 念仏利益--念仏を唱えることによる功徳。
       大文第八 念仏証拠--念仏を唱えることによる善業。
       大文第九 往生諸行--念仏の包容性。
       大文第十 問答料簡--何よりも勝れているのが念仏であると説く。


 『往生要集』は、鮮烈な八大地獄の描写から説かれる。
 「これでもか」と閉口するくらい、さまざな苦悶が私たちを襲う。
 行き場のない絶望から、どうにかして逃れたいと願う。
 これが「厭離穢土
(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)」と呼ばれるもので、
 無理のない形で人々に、極楽を求める気持ちを植え付けていく。

 一転して極楽浄土は、瑠璃が地に満ちて金の縄で境界線が示されている。
 五百億の七宝で宮殿や楼閣が建てられ、諸々の天人が常に音楽を奏でている。
 池の畔には栴檀が香り、紫金の葉、白銀の枝、珊瑚の花で彩られている。
 仏の広大無辺な慈悲に包まれて癒される。

 わかりやすく具体的な風景を想像させることで、源信は着実に民衆の心を掴んだ。
 これまでの高僧が成し得なかったことを、時代に先駆けて見事に表現した。

 やがて法然が浄土宗を開き、親鸞が浄土真宗を開き、
 極楽浄土は仮想現実として根づいたが、
 その原風景を耕したのは源信である。

 それどころか宗旨宗派を問わず、今でも厭離穢土・欣求浄土の基本発想が、
 人々を入信に導く回路として用いられている。

   <つづく>

    (2015.9.24)
141 秋の彼岸会に寺参りして思う


 今日は秋分の日で、秋のお彼岸の中日。祝日法によれば、「祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ日」とされています。

 私は、天台宗の菩提寺へ行き彼岸会の法要に参加して参りました。この寺での彼岸会法要では、いつも観音経・般若心経などを参加者全員で朗誦し、御住職から法話を聴きます。今日も、それがありました。

 頂いた資料 『東京天台』 によると、

 
≪仏教用語としての 「彼岸」 は 「かなたの岸、目指す理想の境地」 という意味で、私たちの住む 「此岸」 と対になる言葉です。ちなみに此岸はサンスクリット語でサハーといい、世間の事を俗に 「娑婆」 というのはここから来ています。また、般若心経の一節 「波羅蜜多」 は、サンスクリット語でパーラミターといい、「到彼岸」 とも訳され、修行の完成といった意味があります。≫

 とありました。

 生長の家の御教えでは、「彼岸」 は 「目指す理想の境地」 ではなく、すでにある完全な 「実相世界」 であり、「此岸」 は五官で感知される現象世界、スクリーンに映った映像のように本来ない、夢幻のような影の世界です。

 寺の御住職は、平安時代中期の天台の名僧 恵心僧都
(えしんそうず)の「念仏法語」のコピーを配って法話をされましたが、その恵心僧都の言葉に、

 
「信心あさくとも本願ふかきが故に、頼めば必ず往生す。……妄念はもとより凡夫の地体なり。……妄念のうちより申しいだしたる念佛は、濁りに染まぬ蓮のごとくにして、決定往生うたがいあるべからず。妄念をいとわずして信心の浅きを歎き、こころざしを深くして常に名号を唱うべし。」

 とあります。「本願」 とは、「弥陀(みだ=阿弥陀仏)の誓願」ですが、谷口雅春先生は

≪弥陀の誓願とは、現象的には法蔵菩薩が四十八の願をたてられたところのそれを指すのであるけれども、弥陀は「ミチ足ル」の言霊であって、宇宙普遍、一切所に満ち足り給う大生命が弥陀である。……弥陀の本願は法蔵菩薩の四十八願以前に、無始の過現未を超越せる本体界に実在する大慈悲そのものであるのである。宇宙の本体の中に存する救わずにおかない大慈悲そのものが「弥陀の誓願」であって、それは人間の思議を超えたるものである。≫

 (『光明道中記』 p.249)とお教え下さっています。また、

 
≪人間が救われると云うのは弥陀の誓願によるのである。すなわち弥陀の誓願が廻り向いて来て、念仏もうすと云う信心の心が起り、その信心の心は自我の心で信心するのではなく、学問の力で信心の念が起るのではなく、経文やその註釈の力で信心の念が起るのではなく、「信心」と云うものは如来が廻施する(如来のちからが廻り施される)のであるから学問がなかったら救われない、経文の解釈によく通じていなかったら救われないと云うような議論は言うに足りない。

 誌友会に出ても色々と真理の書の文章を批判し、此の書には斯う書いてある、自分は此の方に共鳴するとか何とか、甲論乙駁する人たちがあるが、そう云う人々は経釈によって救われようとする人であって、自力の行である。……救われるのは「実相」により、念仏によるのであるから、誌友会に臨んでは理窟を言うよりも、ただ有りがたく救われている体験を謙遜に語り合い、互に讃嘆すべきである。≫


 と、『光明道中記』 9月の法語でご教示いただいているのであります。私は、ちょうどここを勉強したあとでしたので、恵心僧都の言葉や住職の法話の深い意味がよくわかり、ありがたい極みでありました。ありがとうございます。

  (2015.9.23)
140 愛国心とWGIP(占領軍の日本弱体化洗脳政策)


 「一国の人々を抹殺するための最初の段階は、その記憶を失わせることである。その国民の図書、その文化、その歴史を消し去った上で、誰かに新しい本を書かせ、新しい文化をつくらせて新しい歴史を発明させることだ。そうすれば間もなく、その国民は、国の現状についても、その過去についても忘れ始めることになるだろう。」


 と、チェコの作家ミラン・クンデラは 『笑いと忘却の書』 の中で述べている。

 それを実際にやったのが、アメリカの日本に対するウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム(WGIP、占領軍の日本弱体化洗脳政策)であった。

 戦後日本の教育改革の中で、とくに大きな影響を与えた「四大指令」というのがある。昭和20年10月から12月にかけて発令された、次の四つの指令である。

○第一指令「日本教育制度に対する管理指令」
 文部省がGHQの指令に従って政策を実施すること・その結果の報告を求めた指令。

○第二指令「教員及び教育関係者の調査、除外、許可」
 この指令により教職員と官僚の思想調査が行われ、「軍国主義的または超国家主義的傾向」を持つ者やGHQの政策に反対する者は解雇されたり退職勧告を受けた。

○第三指令「神道指令」
 学校で神道行事を行うことを禁じ、神道や皇室について教えることを禁じた指令。

○第四指令「修身、日本歴史及び地理の停止」に関する指令(S.20.12.31)
 「修身」「歴史」「地理」の授業をGHQの許可が下りるまで停止するという指令。

 この第四指令で歴史教育は停止され、代わりに『太平洋戦争史』というアメリカ製のものを学教教材とするように命ぜられた。日本人は、英語で書かれた太平洋戦争史を自国の物語として学ぶことを強要されたのである。その結果、戦後の歴史教育はすべて『太平洋戦争史』に沿って教えられている。

 この『太平洋戦争史』では、明治維新以来、日本の対外戦争はすべて天皇制絶対主義国家の侵略戦争であると見なす共産主義者のコミンテルン史観が採用されている。当時アメリカには、日本が対外戦争を起こした軍国主義や超国家主義の根底に天皇制・天皇信仰を中心とする日本文化や神道があり、それらに根差した日本人の国民性があるという理解において共産主義者と共通するものがあったのだ。

 今、ほとんどの日本人は「太平洋戦争」という言葉を使っているが、それはもともとアメリカから使うように命じられたもの。当時の日本人は「大東亜戦争」という言葉を使っていた。それが禁止されたのである。日本にとってあの戦争の目的は大東亜共栄圏の樹立ということだったが、そういう日本側の立場は認められないというのがアメリカの立場。したがって戦後の歴史教科書の中で「大東亜戦争」という言葉は使われず、「太平洋戦争」と書かれている。

 ◎教科書の検閲が行われた

 昭和21年2月4日にCIE(民間情報教育局)によって教科書検閲の基準というものが作成された。この検閲によって教科書から削除された用語がある。大きく分けると次の五つ。

①天皇に関する用語
 現御神
(あきつみかみ)、現人神(あらひとがみ)、上御一人(かみこいちにん)、天津日嗣(あまつひつぎ)、大君(おおきみ)といった言葉

②国家的拡張に関する用語
 躍進日本、八紘一宇、皇国の道、肇国の精神、天業恢弘など

③愛国心に繋がる用語
 国体、国家、国民的、わが国、などの言葉が禁じられた。愛国心そのものが否定されたのだ。

④日本国の神話の起源や、楠木正成のような国家的英雄および道義的人物としての皇族
 歴史的人物としての皇族あるいは国家的英雄について触れることが禁じられた。東郷元帥や乃木大将などに触れることは愛国心に繋がるからだめだという。
 国家的英雄に触れない教科書は世界のどこにもない。それに触れてはならないという基準があったのだ。

⑤神道や祭祀、神社に関する言及、等々
 とくに神道とか神社というものが精神的武装解除のために重視された。

 このうち③について、具体的な例がある。
 家永三郎氏が戦後最初の歴史教科書『くにのあゆみ』を書いた。この中で家永氏は「わが国を建て直す」という言葉を使っていた。英語では“reconstruct our country”と訳される。これが検閲で、まず“our”が消された。「わが国」というのは愛国心に繋がるという理由で禁止されたのだ。また、reconstruct 「再建する」ということは、もともと日本がいい国であったと認めることになるという理由で“re”が消され、“construct a democratic country”「民主主義の国をつくる」と改めさせられた。

 ◎戦前の日本を全否定した「新教育指針」

 昭和21年5月には、戦後教育の指針となった教師の指導用マニュアル「新教育指針」が発行された。
 これは「新時代に処すべき方向転換の態様を明示するため……全部の学校教師及び将来教師たるべき全生徒に読ましむべきこと」として、GHQが“口頭指令”で前述の四つの教育指令に従った内容にするよう指示し、作成を文部省に命じたもの。全国の学校に約三十万部配られ、それを元に全国の現場教師は輪読会を重ね、「新教育指針」の解説書は飛ぶように売れた。

 当時、文部省でこの「新教育指針」の作成にあたった教科書局第二編修課長の石山修平氏によれば、「新教育指針」の「三分の一は、アメリカ側に書けと言われたそのままを書き、三分の一は両方で話し合って書き、残りの三分の一は、自分の考えで書いた」という。第一章(次掲)はGHQに書かされたものだと推測される。

          ○

    第一章 序論――日本の現状と国民の反省

二、どうしてこのような状態になったのか

 日本をこのような状態にさせた原因はなんであろうか。またそれはだれの責任であろうか。……この戦争をひき起こしたことそのことに原因があり、したがって国民をこの戦争へと導いた指導者たちに責任があるのである。……その考え方にあやまりがあって、こんなことになったのである。……

 しかし指導者たちがあやまちをおかしたのは、日本の国家の制度や社会の組織にいろいろの欠点があり、さらに日本人の物の考え方そのものに多くの弱点があるからである。国民全体がこの点を深く反省する必要がある。とくに教育者としてはこれをはっきりと知っておかなくてはならない。われわれは次にこれらの欠点、弱点をあげてみよう。

(一)日本はまだ十分に新しくなりきれず、旧いもの(封建的といわれるような生活)が残っている。
(二)日本国民は人間性・人格・個性を十分に尊重しない。
(三)日本国民はひはん的精神にとぼしく権威にもう従しやすい。
(四)日本国民は合理的精神にとぼしく科学的水準が低い。
(五)日本国民はひとりよがりで、おおらかな態度が少ない。

三、これからどうしたらよいか

……戦争の責任は国民全体が負うべきであり、国民は世界に向って深くその罪を謝するところがなければならない。罪を謝するということは、ただ後悔して引きさがってしまったり、れん合国軍からの要求を、受け身になって、仕方なしに行うというような、消極的な態度ですまされるものではない。むしろ自ら進んで、積極的な態度をもって、ポツダム宣言をはじめ、れん合国軍から発せられた多くの指令を実行し、それによって新しい日本を建設することでなければならない。

          ○


 戦後教育は、このような日本人の国民性や戦前日本に対する不当な批判と「謝罪」を全教師が無抵抗・無批判に受け入れた。

 GHQの教育改革「第二指令」によってそれまで教師をしていた方たちの約五分の一が教職追放され、もしも批判をすれば自分もまた追放されるという恐れが現場教師にはあった。そういう中で、上から与えられたものを無批判に受け入れるという風潮が教師全体に広がっていってしまったといえる。

 <上記は、主として高橋史郎著 『日本が二度と立ち上がれないように アメリカが占領期に行ったこと』 によりました。>

 そのような占領軍の日本に対するウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム(WGIP、占領軍の日本弱体化洗脳政策)に抗して、谷口雅春先生は昭和26年9月に 『新生の書』 を刊行されたのでした。(#138後半をご参照下さい

  (2015.9.22)
139 安保関連法成立についての論調


 安保関連法の成立について、20日の日経新聞第1面に掲載された解説記事は、割合まともな論調でした。お読みになっていない方のためにご紹介します。

 ≪抑止と外交、両輪で (日経 2015.9.20 朝刊第1面より)

 怒号が飛び交う大混乱の末、安全保障関連法は成立した。あれが安保政策の転換点だった。今国会のできごとは将来、そう振り返られるだろう。

 友達が不意に暴力を受け、助けを求めてきたとする。放っておいたら、自分まで命を奪われかねない場合にかぎり、助けてもいい。ざっくりいえば、これが新法の趣旨だ。反対は強いが、内容は理にかなっている。

 日本は戦後、米軍に基地を提供する代わりに、守ってもらってきた。自衛力を強め、米軍に後方支援もするようにはなったが 「おんぶにだっこ」 の関係が大きく変わったわけではない。

 いつまでもこの状態を続けられるなら、それに越したことはない。海外の戦闘に巻き込まれる危険も少なくてすむ。

 だが、残念なことにそうはいかなくなってきた。米国にはもはや独りだけで 「世界の警察」 をになう力も意志もないからだ。オバマ政権もそう認めている。中国は海洋で強気の行動を続けており、北朝鮮は核兵器保有にこだわる。日本周辺だけでも火種は尽きない。

 ならば、せめて日本に重大な影響が及ぶ危機については、もう少し、役割を引き受ける。米国やアジアの国々と手を携え、みなで地域の安定を支える――。日本がめざしているのはこんな道であり、戦前の逆だ。

 この法律は違憲との批判もある。ただ憲法解釈は戦後、変わってきた。かつては自衛隊も違憲とみる向きが多かった。今回も許容範囲内とみるべきだろう。

 抑止だけでなく、外交の役割が大切になるのは言うまでもない。周辺国の期待もそこにある。

 「中国が強大になり、米国の影響力は落ちている。日米同盟を使い、どんな安保体制を域内につくるか。米国の後追いではなく、もっと自主的に動いてほしい」

 8月初め、ジャカルタで開かれた民間対話 「日本・アセアン・メディアフォーラム」 (国際交流基金主催)。東南アジアの識者からは、こんな意見が聞かれた。

 大きな課題は中国と安定した関係を築くことだ。新法制定は好機になる。日米同盟が強まれば、中国から歩み寄りを得やすくなるからだ。実際、中国は昨秋から関係改善に応じている。政府筋によると、東シナ海に出没する中国軍艦も自衛隊艦船との交信に応じるようになった。

 「日本をたたくばかりでは日米の結束が強まり、墓穴を掘るだけだ。中国はそう気づいた」。 米政府筋はこうみる。

 安倍晋三首相の祖父、岸信介首相(当時)は1960年、大反対を押し切って日米安保条約を改定し、同盟の土台を築いた。安倍政権や官僚の一部からは 「今回も、後世からは評価される」 との声が聞かれる。

 だが米国に防衛義務を負わせる60年の改定と、日本が新たな役割をになう今回の法整備は全然、ちがう。その分、上から目線ではなく国民や近隣諸国にていねいに説明を続けるべきだ。

 国民の支持がない安保法制は砂上に建てられた家と同じだ。抑止と外交の両輪で、地域の安定につなげていく。その成果を出すことで、今回の決定が正しかったと証明してもらいたい。 (編集委員 秋田浩之)≫


 ――新聞にも、このように かなりまともな論調の解説記事が載るようになったことは、ありがたいことです。今までの朝日新聞、東京新聞などのような、偽りに満ちたヒステリックな偏向記事は今後、赤恥をかいて消えて行くようになることを祈り、しっかり勉強して正しい真実、真理を伝えひろめてまいりましょう。ありがとうございます。

  (2015.9.22)
138 「ひろば」 ご投稿への レス


 「ひろば」 #60 二代目一寸法師様には、民主党の議員についての詳しい実情について教えていただき、ありがとうございました。

  #61 トレモス様には、「『生命の實相』の真理を説くことが第一」 とのご投稿、ありがとうございました。

 トレモス様は、「谷口雅春先生は、『生命の實相』 が日本中の家庭に行きわたることを願っておられたと思います。真理の言葉のみが、人を救うからです。生長の家の運動は、第一義に実相の真理を説くべきです。」 と書かれています。

 それは、その通りです。

 しかし、生命の実相哲学は、机上の空論ではなく、実践哲学であり、実相顕現の運動として、「みこころの天に成る」 中心帰一永久平和の神の国を地上に顕現する、「神の国運動」です。それは、日本の実相顕現運動、愛国運動とも重なる、一なる運動であります。

 谷口雅春先生が、戦後の混乱期、まだ米軍の占領下にあって 「愛国は悪である」 と洗脳するWGIP
(この項末段ご参照)の下、勇気をもって昭和26年9月に発刊された 『新生の書』 に、次のように書かれています。

 (この御本を最近誌友会で勉強する機会がありました。原文は正漢字・旧仮名遣いですが、当用漢字・新仮名にして謹写させて頂きます)


          ○

≪ 谷口雅春先生『新生の書』より

     第四章 大和理念としての日本国

 私は日本を限りなく愛する。私は限りなく愛国者であることを欲する。

 こう云う言葉は真に日本を愛しない非愛国者から憎まれるかも知れない。憎まれても好い、私は限りなく日本を愛し、日本的なるものを愛するのである。

 兎も角も日本国が地上にいつの時代からか存在し、神が日本人なるものを此の地上に生んだことは、何か日本国なるものや、日本民族なるものに特殊の使命が与えられているのだと考えざるを得ない。

 特殊だと云っても必ずしも、日本民族が他民族に優れていると云うのではない。ささやかな梅の花にも梅の花としての特殊の美しさがある。それは豊艶な桜や牡丹の花には及ばないにしても、梅の花には梅の花に許された特殊の美がある。日本民族にも日本民族に許された小さいながらも梅の花のような美があるのではなかろうか。私は、それがあることを信ずる、信ぜざるを得ない。私は、桜の花や牡丹の花を愛しないのではないが、此の小さい梅の花の雪に蔽われ、寒気と戦いながら清楚に咲き出でた其の美を限りなく愛するように、何か日本民族に許されたる日本的な美しさがあることを信じこれを愛せざるを得ないし、愛し育てたいことを念願とするのである。

 (中略) 何が日本的であるか、もし「日本的」なるものが全面的に悪しきものであるならば、それらすべてを抹殺し除去しそれらから人間を解放しなければならぬのは当然のことである。ただ敗戦のためゆえに、全面的に日本的なものが悪いと考えるような考え方は、もし日本が日清日露の両戦のように勝っていたときには、「日本的なもの」は善きものだと考える考え方であり、かかる考え方は、善悪の真理についての一貫した考え方ではなく、その時その場の現象的勝敗と云う環境に迎合する時局便乗的な考え方であって、真に善悪を定めるところの考え方ではないのである。

 吾々は「日本的なもの」を肯定し、又は否定するまでに、「日本的」とは如何なるものであるか、その前提をハツキリさせて置かなければ、「日本的なもの」を排斥しても肯定しても、何を排斥するのか肯定するのか判らないことになると思う。

 それでは「日本的」とは如何なることを指すのであろうか。日本人が行為したから、それは悉く日本的だと考えるのは愚かなことである。日本人は戦争をしたから、戦争をすることが果して「日本的」であろうか。私はこれに対して否と答える。そう云う好戦的なことを「日本的な」と云うのであるならば、私は「日本的なものを限りなく愛する」とは云わぬ。私は却って、「日本的なものを限りなく排する」と云ったであろう。日本的なものを愛すると云い、排すると云い、どちらにしても、吾々は「日本的な」と云うものの中から、真に「日本的なもの」と、真個
(ほんとう)は日本的ではないが誤って「日本人が犯したもの」との区別をハッキリさせて置かなければならないと思う。

 日本は今開闢以来の危機に直面している。それは形骸の頽廃も重大な危機ではあるが、それは単なる肉体的危機である。それよりも一層重大なのは日本民族が、理想を失おうとしていることであり、すべての理想を失って、ただ焼跡に蠢動する蛆虫や昆虫のように、亡国の民のみじめなる姿の中に闇から闇を追いつつ彷徨しつづけようとしているということである。

 形の国は崩壊しても、キリストも云ったように『我が国は此の世の国にあらず』であるからそれは重大なるものではない。最も重大なるものは、日本人であるところの、「日本に生れた人間」の内部にある理想(これこそ本当の日本の国であり、「日本的なもの」である)が崩壊すると云うことである。それが崩壊したとき、真に日本は、形の上でも魂の上でも滅びたと云うことになる。今やそれが滅びつつあるのではないか。

 長谷川如是閑氏がこれを評して「敗戦後も日本はまだ敗けつづけている」と云った如き状態がつづいていることである。形の上での日本の崩壊よりも尚恐ろしいのは日本の魂の崩壊であるのである。その日本の魂が、今もまだ崩壊しつづけていると云うことは何と云う悲惨なことであろうか。私は限りなき悲痛をもって慟哭せざるを得ないのである。

 私の限りなく愛すると云った「日本的なもの」とは、日本の国号が過去に於いてありし如く「大和」であると云うことである。私の限りなく愛すると云った「日本的なもの」とは、日本の国旗の標識が○
(まる)であるように、すべてのものと手をつないで真に丸く、円満完全に、○(まる)の中が空(くう)であるが如く、虚心無我にして、苟も私心を差し挿まない大調和な心と、それより発し育てられ来たった大調和の事々物々を指すのであって、好戦的と云うこととは全く反対のことを指すのである。

 私の信念に於いては本当に「日本的なもの」即ち「大和の理念」があらわれたら、あの戦争は起らなかったに相違ないのである。今後日本が国連の一員として平和を護って行く上に最も大切なのは「大和」の理想の培養であらねばならぬ。形の世界は心の世界の反影であるから、心の世界に「大和」の理念が、真に「日本的なものと」して、換言すれば、「日本本来の姿」として、確立せられなければ、形の上にも真に「平和日本」は確立せられないのである。「天地一切のものと和解せよ」「天地一切のものに感謝せよ」との神示によって立教せる生長の家こそ、真に大和の理念を宣布するものであり、これこそ真に「日本的なるもの」を育て行く根本教と云わなければならぬのである。≫


          ○

 ――この日本の理想を護り育てて行くことが、神の国の実現、大調和なる世界平和への道である。そのために、日本の心を破壊し弱体化するWGIP
“War Guilt Information Program”の頭文字。GHQが占領後も日本人の心に戦争犯罪者意識を植えつけるための宣伝計画。日本民族に贖罪意識を植えつけ、独立心を奪い二度と立ち上がれなくする政策。昨日 #137 の註をご参照下さいの洗脳から解放され、その産物である現憲法を根本的に廃棄し神意に適った憲法を実現することが、子孫のためにも今当然なされなければならない、私たちの重大な課題である。それが本当の立憲主義であると、私は信ずる者であります。

 ありがとうございます。

  (2015.9.21)
137 「民主党は護憲政党」 という大ウソ


 民主党、社民党、共産党などは 「護憲政党」 と言っているけれども、それは大きなまやかし、大ウソだ――と、私は今回の安保法制採決をめぐる混乱を見て、思いました。

 本当に憲法を尊重し、守ろうという気持ちがあるのなら、それを遵守する――守り遵
(したが)うのが当然でしょう。国会議員は憲法に従って選挙で選ばれ、立法府としての国会で法案を審議し、多数決によって採決決定するのが任務。それなのに、法を無視した「手段を選ばぬ」方法で審議を拒否し、採決を妨礙するなどということは、憲法を尊重するという護憲政党のすることではないと思います。「護憲」というのはウソ、まやかしという馬脚をあらわした姿でしょう。

 私は、この「近況心境」 #51, #110, #131 などで発表して来ました通り、集団的自衛権を行使できることは当然であり、安全保障関連法案に賛成します。ですから今回安保法案が採決されたことには、ホッとしています。

 しかし、安部総理・自民党も認めているとおり、残念ながら国民がみんな納得してこれに賛成している状況ではない。これから、ねばり強く正しい情報、正論を伝えていく必要があります。

 問題になっている憲法について。集団的自衛権の行使は憲法違反になるという、多くの憲法学者たちの指摘はある意味で当然かもしれない。「憲法学者」という人たちはそのほとんどが、現憲法を立派な憲法としてその条文を勉強し伝えることを仕事にしている人たちであり、司法試験を受けるにも、公務員試験を受けるにも、その憲法学を覚えて解答しなければ合格しない仕組みができて、現憲法制定後70年近く日本国家、社会の枠組みができて続いている。

 本当は、その枠組みを超えた広い世界的・歴史的見地や、哲学的・宗教的見地からみれば、現憲法そのものが本来の憲法違反であり、国に主権のない状態の占領下で、日本弱体化のためのWGIP(“War Guilt Information Program” 後註)でつくられた占領政策基本法ともいうべき、国際法でも認められない偽憲法というしかないものである。しかし、前述のような今の社会で、正論を輿論にして行くことは、一朝一夕にはできない状況にある。それでも、真理が現実に顕われるまで、あくまでも正論を述べ伝え続けなければならないと思います。これは、谷口雅春先生がその御いのちを懸けて説き続けられたことでもあります。

 そのことは、『何処へ行く?「生長の家」』 の [質問1] にも書きましたし、この「近況心境」 #51, #5662, #94 などにも書いてきたところです。

<註>
WGIP(War Guilt Information Program アメリカによる占領下で、日本人の心に戦争犯罪者意識を植えつけるための宣伝計画)――昭和20年(1945年)9月にマッカーサー総司令部(GHQ)が日本を占領すると、直ちに着手された、日本民族が二度と立ち上がれないように記憶(民族の歴史)を奪い、精神を破壊して独立心を奪うために贖罪意識を植えつける政策で、これが日本をアメリカに隷属させる計画の柱だった。この遅発性の猛毒が、戦後70年経った今でも、みごとに効能を発揮していると言える。


  
※参考書:高橋史朗著『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』
          ・関野通夫著『日本人を狂わせた洗脳工作』 など


 真理の光を掲げ、闇を克服して前進する 戦いは、これからです。

 ありがとうございます。

  (2015.9.19)
136 「帰 郷」 考


 私は、地域の高齢者で合唱マニアの人たちを中心とした合唱団に所属し、少しお世話の仕事もさせて頂いています。そこで次の演奏会のために今一所懸命練習している曲に、混声合唱組曲「海・幻想」(金澤智恵子作詞、飯沼信義作曲)というのがあります。

 その第一曲目は「神々の約束のように」という曲で、歌詞は

 「神々の約束のように

    日が昇る
    日が昇る
    神々の約束のように
    きょうもまた
    日が昇る

    島を染め
    海を染め
    空を染め
    紅
(くれない)のその色は
    一枚の絵のように
    すべてをぬり変えていく……
    (後略)」



 そして第三曲目は、「帰郷」


 
「帰郷

    くりかえし くりかえし
    向かってくる 波
    くりかえしくりかえし
    のしかかり うねりながら
    押し寄せ 砕け散る 波

    くりかえし くりかえし
    生まれては寄せてくる 波
    寄せて砕けて散るために
    のしかかり うねりながら
    向かってくる 波

    潮が満ち
    砂の城が壊れ
    日は沈み
    辺りは闇に覆われ・・・

    きらきら光る 朝の砂浜に
    貝になった私がいる
    何億年も昔の潮の香りに包まれて
    波をゆりかごに まどろんでいる

    浜にあがった貝たちを
    遠い遥かな故郷
(ふるさと)
    連れて帰る そのために
    くりかえし 波は寄せ
    海は満ちてくるのかも知れない」



 ――という詞ですが、ここで「貝」というのは、貝殻を意味しているようです。というのは作曲者が

 「詩人(作詞者)がおっしゃるように、生命を生み育て、その終焉(亡骸)をも浄化する神秘の海(「帰郷」)……」

 と解説されているからです。

 私はここで「遠い遙かな故郷
(ふるさと)」とは、海の底(創造の根柢)なる「龍宮海」だと考えます。

 龍宮海は、#130 にある通り、

 「龍宮海は、時間空間を超えた世界であるから、浦島太郎はそこにあるとき永遠に年老いず、このことを仏教では無量寿世界に入るとき無量寿仏と同じ悟りに入ると言うのである。」

 と言われているのであります。

 この龍宮海こそ、私たちの命の故郷
(ふるさと)であります。

 それは、「遠い遙かな」ところにあるのではなく、「今・此処」にある。

 それを知ったら、「海・幻想」ではなく、「海・今此処、実在」であります。


 機関誌『生長の家』の9月号は、全26ページにわたって「開所から2年 “森の中のオフィス” 反響広がる」という特集が組まれ、「森のオフィスは各界からこんなに高い評価を得、こんなに賞をいっぱいもらったぞ」と自己宣伝する記事で埋め尽くされています。

 達磨大師にこんな自慢をして「その功徳はいかほどでしょうか」と問えば、「並びに無功徳!」と一喝されるでありましょう。

 <禅宗の開祖である達磨大師は、もとインドの香至国の王子であった。出家して、釈尊から第28代目の法を継ぎ、海路はるばる中国へと渡った。はじめ梁の国に到り、その王である武帝に招かれた。梁の武帝は、「仏心天子」と称される程、仏教の熱心な信者であり、たくさんのお寺を建て僧侶を供養し、自ら袈裟をかけて経典を家臣達に講義する程であった。それ故、釈尊から第28代目の法を継がれた尊者がインドより見えると聞くと、喜んで迎え入れた。
 武帝は早速達磨大師に尋ねた。「自分は即位以来寺を造り経典を写し僧を供養することは数え切れない程であります。この私にどんな功徳があるでしょうか」と。達磨大師の言葉は一言「並びに無功徳」であった。
 武帝は納得がいかず「どうして無功徳なのですか」と問うと、達磨大師は「これはただ人間界天上界の小さな成果に過ぎず、それに囚われると却って迷いの原因にもなりかねない」と答えたという。
 「では一体真の功徳とはどのようなものですか」と聞く武帝に、達磨大師は「浄らかな悟りの智慧は本体自ずから空寂であって、この功徳は世間の価値では求めることはできない」と答えた。
 そこで武帝が「一体尊い真実とは何ですか」と問うと達磨大師は「廓然無聖(かくねんむしょう、青空がカラッと晴れ渡ったようになにもありはしない)」と答えている。> (鎌倉円覚寺管長 横田南嶺氏)


 宗教の根本的使命は、諸行(現象)は無常であることを伝え、永遠の故郷すなわち龍宮海、神の国、仏国土に人々を導くことにあると思います。

 <このたび茨城県常総市で堤防を決壊させた鬼怒川。名前にたがわず、鬼が怒った形相を思わせる姿だった。
 鬼怒川は「衣川」あるいは「絹川」と書かれたこともあるとか。これだと穏やかな川のイメージが沸いてくる。読み方はそう変わらないのに印象は正反対。不思議な名前ではある。
 自然の力はときに鬼と呼ぶしかないほど猛々
(たけだけ)しく、神秘的でもある。だからこそ、助け合う人の姿は美しく、いとおしい。……>

   (上記は、今朝の日経新聞「春秋」欄より要約)

 「くりかえし くりかえし 生まれては寄せてくる 波 寄せて砕けて散るために のしかかり うねりながら 向かってくる 波 …… 潮が満ち 砂の城が壊れ……」

   (前述の「帰郷」歌詞より)

 ……これが、生きている地球のすがたです。しかし、その奥に

 「われは聴くわが内なる声を
  “みひかりを常にもとめて
  わが御手をしかと握れよ
  安らなれすべて善ければ
  とこしえに此処極楽に
  なれは今まもられてあり。
  何者か汝
(なれ)を奪わん。
  大いなる我れ汝
(な)を抱(いだ)けば。”」

    
 (聖歌「堅信歌」歌詞より)

 という大いなる愛なる神の守りだけがある、ということを知らせるのが宗教の根本的役目でありましょう。

 谷口雅春先生著 『光明道中記』 「九月 こころ極まる」 の扉うらに、次のように記されています。

 
≪宇宙には唯一つ、大御心のみがある。

 天皇の大御心である。「忠」とは大御心に無我帰一する心である。すなわち天之御中主
(あめのみなかぬしの)大神の心に「中(ちゅう)」する心である。「中」とは的に中(あた)るであり、御本質に貫き徹するのである。宇宙の実相に少しもウラハラなることをせず、無我になりて宇宙の心に従うのである。吾らが大御心を行ずるのは、それによって幸福になれるからでも、都合がよくなるからでもない。そう云う第二次第三次の事物よりも、尚々すぐれて無上価値なるものが大御心である。

 その大御心を実現することは無上価値であるが故に、そのような第二次、第三次のお蔭などは心に微塵も止めないで、大御心を行ずるのが「忠」である。そしてそれがまた生長の家家族の心である。大御心を行ずる為に、その他の物質的なるもの悉くを戦死せしむるのである。……

 これを「死」と云う不吉な連想を伴い易き言葉を用いず、「肉体なし、物質なし」と吾らは言う。その死に切った心だけでは消極的否定の心である。そこに「大御心のみあり」の大肯定がなければならぬ。生長の家ではこれを「神一元」と言う。天皇独在とも言う。≫

 ありがとうございます。

  (2015.9.11)
135 「世界平和特別誓願」について


 

 きょう、今年の龍宮住吉本宮秋季大祭特別誓願券用紙を頂きました。

 誓願文は、「私は神・自然・人間の大調和による 宇宙浄化・世界平和を誓願致します」 と書くように見本が示されていましたが、「誓願」 というのは 「請願」 ではありません。神様に対して、魂の底からなる真実まことの誓い・願いを書くべきものと思いますから、私は上掲のように書きました。

 「私は 宇宙浄化 天皇国日本の実相顕現による 八紘一宇の 世界平和実現を 誓願致します。」

 と。これで受け入れられないならば、私は誓願券を出すつもりはありません。自分の本心をくらまして住吉大神に誓願券を出すのは間違いだと思うからです。

 『生命の實相』第4巻p.53~ には、次のように書かれています。

 
≪日本に生まれた日本人は日本を愛し善くすることによって世界に奉仕し、人類に貢献すべきであります。

 日本人が日本的であることが、世界のためになるのは、桜の木が桜の花を咲かせることによって人類を喜ばすのと同様であります。

 国民がその国土に生まれて、その国土から恩恵を受け、自分が現在安穏に生活を続けられているのもすべて国土のお蔭です。国土の恩
(おかげ)と同時に、その国土の開発につぶさに艱苦をなめつつ努力して来られた祖先の賜(たまもの)でもあります。

 この恩この賜の一切を否定してしまって、祖国などはどうでもよい、祖先の意志などというものはどうでもよいものだというように祖国に対して反逆的思想をいだくということは、恩の否定、賜の否定、感謝の否定ということになって、これは神の道――人の道ではないのであります。≫


 と。

 谷口雅宣総裁は、「多様性の中に神を見る祈り」 の中に次のように示されています。

 
≪生物は単細胞生物から発して多細胞生物へと進化し、菌類や植物や動物が出現して、さらに多様化、複雑化が進んでいるのである。しかも、それらがすべて生物圏全体の調和と安定に支えられながら、自らも生物界の調和と安定を目指し、また自ら調和と安定を担っている。これらはすべて、神の無限性が有限を通して現象界に展開する姿である。

 人類も単一の種でありながら、多様な種族、民族、国家へと分化、発展しつつあるのである。人間はみな神の子であるから、現象世界に現れれば複数の個性となり、多様な民族となり、互いの調和を求めて努力するのである。唯一絶対にして無限の神があるから、現象界には必ず複雑化、多様化、調和への動きが現れるのである。このことを深く知れば、「神の子」としての人間の生き方も、おのずから神の自己表現の展開に倣うことになる。≫


 と。

 世界の国々も、「多様性」 を発揮してこそ調和への動きが現れる。ならば、日本は日本の個性を発揮することによって、「神の無限性が有限を通して現象界に展開する」 ことになる。雅宣先生の祈りからしても、日本の特殊性、個性である 「八紘一宇(Universal Brotherhood)」 という世界平和の理想を大切に守り弘めること、天皇国日本の実相顕現こそ、正しい世界平和への道であると私は信ずるのです。

 私は、その私の信条に忠実に、誓願の言葉を書きました。

 ありがとうございます。

  (2015.9.6)
134 「至上者の自覚の神示」を拝誦する


 「本来生、不滅、本来清浄真無垢なる人間の実相を知ったとき汝らは歓びに満されて手の舞い足の踏む所を知らないであろう。」

 というお言葉で結ばれた 「本来生、不滅の神示」 とともに、人間のすばらしい実相を讃えられた神示に、「至上者の自覚の神示」 があります。拝誦します。

≪   至上者の自覚の神示

 人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』が此の世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。自己が神だと悟ったら人間が傲慢になるように誤解したり、自己の本性が神だと悟った者を謙遜が足りぬと思う者は大変な思い違いである。斯くの如き想像をする者は自己が神だと言う真理をまだ一度も悟って見たことがないからである。自己が神だと悟れたら人間は本当に謙遜になれるのである。キリストが弟子の足を洗うことが出来たのも、自己が神だと悟っていたからである。

 本当の謙遜は『神の自覚』から来る。神を自己の本性に自覚しないものは、いくら謙遜らしく見えても、それは卑屈にすぎない。卑屈と謙遜とを思い誤るな。本当の謙遜とは『自己は神より出でた神の子である、従って神そのもののほか何者でもない』と言う真理を何らの抗らいもなしに承認することである。此の真理を承認するものを謙遜と言い柔和と言う。此の真理に逆う者を傲慢と言うのである。すべての傲慢と意地張りとは『吾れ神なり』の真理を承認しないところの根本傲慢より分化し来るのである。

 観点の違う者には解りようがない。人間の偉大な仕事を皆憑霊
(ひょうれい)の仕事のように説いて、人間をただ憑霊の傀儡(かいらい)のように教える者があるが邪教である。人間の本性に憑霊の示唆よりも偉大なものがあることを教えるものこそ正しき教である。

 人間は肉体でもなければ傀儡でもない。人間は霊であり神であり自主である。若し憑霊が『霊』であるが故に、偉大なる教を説き、偉大なる仕事が出来るならば、人間自身も『霊』であるが故に偉大なる教を説き、偉大なる仕事が出来ることも当然でなければならぬ。ただその教や仕事に高下があるのは霊界の霊にも、人間にも、自己内在の無限性の掘りさげ方に差があるからである。

 釈迦は決して 憑霊の傀儡ではない、キリストも決して憑霊の傀儡ではない。いずれも自己内在の無限性を掘下げて、終に仏性に達し、神性に達したから、霊界の諸霊 来って此の二聖に事
(つか)えたのである。

 釈耶の憑霊ばかりを観て釈迦が自覚したところの仏性、イエスが自覚したところの神性を見ない者は憐れである。憑霊が説くほどの教なら人間自身も霊であるから説き得べきであるのに、釈耶の教を釈耶自身の教ではなく憑霊の教であると説くスピリチュアリズムは自己撞着に陥っているのである。

 人間よ、人間自身の尊厳を自覚せよ、これを自覚することは人間自身の尊厳を奪還することである。『生長の家』 は人間自身の尊厳を奪還せんがために出現した人生の燈台である。 (昭和八年三月十六日神示)≫


 ありがとうございます。

  (2015.9.4)
133 『置かれた場所で咲きなさい』(2)


 渡辺和子氏著 『置かれた場所で咲きなさい』 について<その2>です。

 この本を読んでみようと思った動機は、プロフィギュアスケーターの鈴木明子が、日経新聞の「読書日記」というコラムに最近書いていたエッセイを読んだことでした。

 鈴木明子は、

≪渡辺和子著 『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)というベストセラーがある。……書店で何気なく手に取って、「大切なのは 『人のために進んで何かをする』 こと」 という言葉に深く共感した。

 2010年のバンクーバー五輪後は、競技をいつまで続けるか考えながら一年一年過ごしていた。そしてソチ五輪の1年前、もう一度挑戦してみようと決めた。同時にこのシーズンで竸技者からは引退しようと。

 ところが最後のシーズンに向けて練習しても動きが安定せず、自信が持てない。日に日に焦りがつのり、コーチとぶつかることも多くなった。そして五輪代表選考会を兼ねた全日本選手権の1週間前に絶不調に陥った。

 最後のチャレンジだから頑張りたいのに。ジャンプが跳べなくなって棄権の一歩前まで追い込まれた。苦しかった。そんなときに母が言った。「苦しいならやめてもいいわよ。だけど、最後は自分のためではなく、私のために滑ってみない?」 と。

 そのとき、私は 「まだ頑張れる」 と思った。それまで自分のために頑張らなくてはと思いすぎていた。人は誰かのために、(と思えば)こんなにも力が湧いてくるのだ。大会は13回目にして初めて優勝し、五輪の切符をつかんだ。

 この本には 「不平をいう前に自分から動く」 という言葉もある。「コーチがもっと私の気持ちをわかってくれれば」 など不満ばかり抱いていた自分を見つめ直すきっかけにもなった。≫


 と言っています。

 『置かれた場所で……』 の本には、

≪苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる決意をする時、そこには、さわやかな風が立って、生きる力と勇気を与えてくれるのです。≫ (p.65)

 ――学生の一人が自殺したとき、「苦しいから、もうちょっと生きてみよう」 を約束事にすると皆で申し合わせた、として書かれている言葉です。

 私は、高校2年を終えるまで、「自分は意気地なしで汚らわしい、生きるに価しない男だ」 という劣等感・罪悪感に打ちひしがれ、「死にたい」 という思いを持っていました。

 それが、或る日突然、変わったのです。

 その日のことは、青春記録 #4 に書いた通りです。

 私はそのとき、「俺は、絶対に自殺はしないぞ。どんなに苦しいことでも、それは貴重ないのちの体験だ、そう思えば何事も喜びばかりではないか。当たって砕けろ、決して逃げるな」 と決意しました。

 でも、そのとき私はまだ 「人のために」 ということは考えていませんでした。自殺しないのも、ただ 「自分のため」 「自分が経験を積む喜びのため」 なのでした。

 渡辺和子さんの本には、次のような言葉がありました。

≪誰しも歳は取りたくないと思いがちですが、ある時、次のような言葉に出合いました。「私から歳を奪わないでください。なぜなら、歳は私の財産なのですから」

 この言葉に出合って以来、私の心には、「財産となるような歳を取りたい」 という思いが芽生えました。そして、自分らしく生きるということ、時間を大切に過ごし、自分を成長させていかなければならないのだということに、改めて気付かされたのです。

 肉体的成長は終わっていても、人間的成長はいつまでも可能であり、すべきことなのです。その際の成長とは、伸びてゆくよりも熟してゆくこと、成熟を意味するのだといってもよいかもしれません。

 一粒の麦と同じく、地に落ちて死んだ時にのみ、そこから新しい生命が生まれ、自らも、その生命の中に生き続けるのです。

 「一生の終わりに残るものは、我々が集めたものでなく、我々が与えたものだ。」

 財産として残る日々を過ごしたいと思います。≫

≪大切なのは 「人のために 進んで何かをする」 こと。≫

≪ マザー・テレサがおっしゃった言葉の一つに、「祈りを唱える人でなく、祈りの人になりなさい」 というものがあります。これは決して、口に出して唱える祈りを否定するものではなく、祈りに心がこもっているか、祈りの内容が自分の日々の生活に沁み通り、実行されているかどうかを問う厳しい言葉と、私は受けとめました。

日々遭遇する小さな苦しみを
笑顔で受けとめ、
祈りの花束にして神に捧げたい。

    自分のためではなく、誰かのために祈る時
    祈りは愛の花束となって輝く。≫

≪「ていねいに生きる」 とは、
自分に与えられた
試練さえも、両手でいただくこと。

     すすんで人のために自我を殺すことが、
     平和といのちを生み出す。≫


 それらの金言、珠玉の言葉を、私も 「両手でいただいて」 これからの人生、財産となるような歳をとりたいと思います。

  (2015.9.3)
132 『置かれた場所で咲きなさい』を読む


 渡辺和子
(ノートルダム清心学園理事長)著 『置かれた場所で咲きなさい』 を読みました。

 心に沁み入るものがありました。例えば、67ページからのところです。抜粋します。

≪ [あなたが大切]

   心に届く愛の言葉

 数年前のある朝のことです。一人の中学二年生の自殺を告げる電話があり、報告を終えた校長は、「入学してから今日まで、あれほど、いのちを大切にしましょう、いのちは大切、と話してきたのに」と嘆くのでした。

 翌週、私の大学での講義が、たまたま、いのちに関するものだったので、この件に触れ、学生ともども生徒の冥福を祈りました。

 その日の授業後に提出されたメモを読んでいたところ、次のメモが目に留まりました。

 「いのちは大切だ。いのちを大切に。そんなこと、何千何万回いわれるより、“あなたが大切だ”誰かにそういってもらえるだけで、生きてゆける。

 ――近頃、この言葉の意味を実感しました。“私は大切だ。生きるだけの価値がある”――そう思うだけで、私はどんどん丈夫になってゆきます。」

 この学生は、きっと誰かに“君が大切”といわれて生きる自信をもらい、“丈夫”になっていったのでしょう。二年後卒業していきました。

 「いのちは大切」と何度教室で聞かされても、ポスターで読んでも、そのことが実感できていなくては、だめなのです。実感するためには、心に届き、身に沁みる愛情が必要なのだと、私も自分の経験を思い出しました。

 六十年以上も前のことになります。戦後、経済的に苦しい中で高等教育を受けさせてもらっていた私は、英語も習いたくて、通学しながら上智大学の国際学部という夜学で、教務のアルバイトをしていました。そこは、当時日本に駐留していたアメリカの軍人、兵士、家族などを対象とした夜学でした。

 戦争中、英語はご法度だったこともあって私の英語力は貧しく、初めての職場経験ということもあり、仕事も決して一人前のものではありませんでした。

 そんなある日、仕事の上司でもあったアメリカ人神父が私に、「あなたは宝石だ」といってくれたのです。兄や姉に比べても、劣等感を持ち、自分は「石ころ」としか考えていなかった私は、一瞬耳を疑いました。しかし、この言葉は、それまで生きる自信のなかった私を、徐々に“丈夫”にしてくれたのです。

 「宝石だ」 これは私の職場での働きに対していわれたのではなく、存在そのものについていわれたのだということに気付くのに、さして時間はかかりませんでした。旧約聖書のイザヤ書の中に、神が人間一人ひとりを、「私の目に貴い」といっているからです。

 後に教育の場に身を置くことになった私にとって、これは得難い経験でありました。つまり、人間の価値は、何ができるか、できないかだけにあるのではなく、一人のかけがえのない「存在」として「ご大切」なのであり、「宝石」なのだということ。

 生前、私が教えている大学に来て学生たちに話をしてくださったマザー・テレサは、どこから見ても「宝石」とは考えられない貧しい人々、孤児、病者、路上生活者を、「神の目に貴いもの」として手厚く看護し、“あなたが大切”と、一人ひとりに肌で伝えた人でした。

 マザーの話に感激した学生数人が、奉仕団を結成して、カルカッタに行きたい、と願い出たことがあります。それに対してマザーは、「ありがとう」と感謝しつつも、「大切なのは、カルカッタに行くことより、あなたたちの周辺にあるカルカッタに気付いて、そこで喜んで働くことなのですよ」と優しく諭されたのです。

 今、“あなたが大切”と感じさせてくれる、そのような愛情に飢えている人が多くいます。この大学は、自分も他人も「宝石」と見て、喜んで周辺のカルカッタで働く人たちが育つ大学であってほしいと願っています。

“あなたが大切だ”と
誰かにいってもらえる
だけで、生きてゆける。≫


 #127 に書きましたように、いま私たちは 「本来生、不滅の神示」 を学んでいます。

 生長の家の御教えは、最高です。しかし、御講義にもありましたように、

 ≪「人間というものは死なないものだ!」 というのを、ただ単に言葉として覚えただけではいけない。それを根本に自覚し、そこから生活が本当に出発して行くのでなければ、足が地に著いた生活だと言えない≫

 わけであります。

 「人間は、死なないものだ!」 と本当に自覚し、他人も 「あなたは死なない、あなたは“宝石”」 と見て、一人ひとりに肌で伝え、勇気を与えることを実行しよう! と私も深く決意いたしました。

 皆さま、人間はみな本当に死なない者なのです! あなたが大切な“宝石”なのです!

  (2015.9.2)
131 国防政策の転換は、当然の道である


 「ここへの書き込みを小休止します」 と28日に書きましたが、黙っていられなくなりましたので、少し書きます。

 というのは、昨日地元の誌友会があり、講師が 『いのちの環』 65号(2015/8)に掲載されている 「今なぜ、国防政策の大転換か?」 という谷口雅宣生長の家総裁のご文章を最初に朗読し、これを肯定する話をされました。これについて、黙っていられなくなったのです。

 総裁は、次のように書かれています(抜粋)。

≪戦後日本の国防政策を根本から変更する内容をもった安全保障法制に関する11法案が15日、国会に提出された。戦後歴代の政府は集団的自衛権について、憲法第9条を解釈して「もっているが使えない」との立場を貫いてきたが、安倍内閣は昨年夏、この解釈を変更して「使える」とした。

 私は、この関連11法案に反対する。理由の最大のものは、法治国家の大原則を無視しているからだ。

 ……私がきわめて残念に思うのは、これだけ重大な政策変更をするに際して、安倍政権は国民の意思を問うことをしなかった点である。もっと具体的に言えば、すでに書いたように、一内閣の解釈変更によって、憲法という国家の最高法規に明記された事項を軽視する選択を行ったことである。

 国の最高の権力者が憲法の規定を守らないことが明白でも、国民はそれを理解し、容認してくれるだろうと高をくくっているのだ。

 ……近代国家においては、この①憲法→②法律→③条令の優先順位は、変えることができない。言い直せば、それを変えたならば、その国はもはや民主主義国家とは呼べないのである。にもかかわらず、安倍政権は、国防政策という国家の大問題に関して、憲法の条文を一切変えずに、解釈の変更によって集団自衛権の行使を決め、それを今回、10を超える法律を一気に変更することで、法律上に定着させようとしているのである。

 野党の間から、昨年の集団的自衛権行使の決定が“解釈改憲”と呼ばれ、今回の11法案が“戦争法案”と批判されるのは、理由のないことではないのである。これを今、民主的手続きを省略してなぜ急ぐのか。その理解は困難である。≫


 私は、国防政策の転換は、日本が国際社会で当然のこととして認められている自衛権(集団的自衛権を含む)を、「あっても使えない」 などという不可解な状態から、当り前のこと――「使える」 と確認する、当然の手続きであると思います。

 それは、個人について言えば、「正当防衛権」 が認められている。すなわち、

 「正当防衛とは、急迫不正の侵害に対し、自分または他人の生命・権利を防衛するため、やむを得ずにした行為をいう。正当防衛は、それが構成要件に該当しても犯罪が成立せず(刑法上の正当防衛)、他人の権利を侵害しても損害賠償責任を負わない(民法上の正当防衛)」 ということ。

 そして国の場合、集団的自衛権は国連憲章51条に明記された国際法上の権利であって、サンフランシスコ講和条約5条cは、わが国に対し無条件でこの権利を認めた。であるから、国際法から見て、「集団的自衛権は保持するが行使できない」 などといった解釈の生ずる余地はないのであります。

≪国連憲章 第51条
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。≫

≪サンフランシスコ講和条約  第三章 安全
 第五条  (c) 連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。≫


 その、国際法上で認められている権利を確認する当然の処置が、今回の安保法案であって、「戦争法案」 だなどというのは、無茶な言いがかりであります。

 憲法9条については、砂川事件最高裁判決(昭和34年12月16日)が存在する。
 同判決は、自衛権について以下のように述べている。

 ≪憲法9条は 「わが国が主権国として持つ固有の自衛権」 を、何ら否定していない。わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない≫ と。

 同事件で問題とされたのは米駐留軍と旧安保条約の合憲性であった。同条約は「すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認し」たうえ、日本国が「これらの権利の行使として」米軍の国内駐留を「希望する」(前文)としている。つまり、旧安保条約締結当時(昭和26年)、わが国政府は「集団的自衛権の行使」を認め、国会も承認したわけである。

 だから同判決は集団的自衛権を射程に入れた判断であって、判決のいう「自衛権」の中には当然「個別的自衛権と集団的自衛権」が含まれる。

 国際法と憲法、さらに最高裁判例に照らして疑義がない以上、政府与党は自信をもって安全保障関連法案を推進すべきである、と思います。


 なお、私は #27 の後半で、2015.5.20日の日経新聞「私の履歴書」欄に、川村隆・日立製作所相談役が、「ラストマン」というつぎのような話を書いていたのを引用していました。もう一度再録します。

≪ハイジャック事件 墜落直前に助けられる この日を機に人生観変わる

 ……1999年7月23日、私は札幌に出張するために、羽田発新千歳行きの全日空61便に乗り込んだ。たしかこの日は金曜日で、「週末は懐かしい札幌で過ごそう」などとのんびり考えていた。

 異変が起きたのは離陸してほどなく房総半島上空に差し掛かったころだ。突如Uターンするので、「何か変だ」と思っていると、「当機はハイジャックされました」と機内放送が流れた。女性や子供の悲鳴が上がった。

 ……私は子細がまったく分からなかったが、とにかく生きた心地がしない。「こういう時は遺書を書くものかな」と頭の片隅で考えたが、書くに書けない。窓から外を見るのに必死で、他のことは手に付かない。

 急に視界の中に横田基地や米軍の住宅、車が飛び込んできて、それがどんどん近づいてくる。「もうダメだ」と覚悟したが、その瞬間、奇蹟が起きた。機体が態勢を立て直し、無事、羽田に戻ることができたのだ。

 ……絶体絶命の危機を救ってくれたのが、偶然その便に乗り合わせた非番の全日空パイロットの山内純二さんだ。犯人は機長を刺殺し、自分の操縦で横田基地への着陸を試みるが、とてもそんな技量はなく、うまくいかない。「このままでは墜落する」と判断した山内さんはドアを蹴破ってコックピットに突入し、操縦かんを奪い返した。あと数十秒遅ければ、機体は失速し、墜落必至。まさに間一髪だった。

 この山内さんの行動は実は航空会社の定めたマニュアルに反していたという。当時ハイジャックへの対処方法は「犯人の言うことを聞く」のが基本だった。かつてのよど号事件のように、「犯人の要求を入れてさえいれば、最悪の事態は回避できる。下手に抵抗しないほうがいい」という考え方である。

 ……マニュアルに沿って、この犯人の言うとおりにして、機体が墜落してはどうしようもない。緊急事態には自分の頭で考え、自分の責任で行動しないといけない。

 この事件で私の人生観はガラリと変わった。人はいつ死ぬか分からないのだから、毎日を大切に生きなければと自覚するようになった。当時は60歳になる直前だったが、残りの人生をどう生きるか真剣に考えたことはなかった。この日を機に、最期のゴールを見据えた「第二の人生」が始まったように思う。

 もう一つは、「ラストマン」の意識を改めて強く持ったことだ。ラストマンを訳せば、「最終責任者」となろうか。全日空61便におけるラストマンは山内さんで、彼の勇気や決断がなければ乗員乗客516人の命はなかった。自分ははたして山内さんのような「ラストマン」の役割を果たす機会があるのだろうか。そんな思いが胸に去来した。≫

          ○

 「ラストマン」とは、船の船長のようなもの。「嵐が来て万策尽きて船の沈没やむなしとなった時、すべての乗客や船員が下船したのを見届けて、最後に船から離れる。だから船長をザ・ラストマンと呼ぶんだ」 ということです。

 安部総理は、この 「ザ・ラストマン」 の気持で、日本防衛のために今なすべきことを粛々と実行してくれていると思い、私はこれを支持します。もちろん、安部総理のなさっていることには、どこにも“マニュアル違反”はないわけですし。

 なお、現憲法が「憲法」というに価しない、マッカーサーが作らせた日本弱体化のための占領政策基本法に過ぎないものであることは、極めて重大な根本問題です。つまり、総裁が

≪近代国家においては、この①憲法→②法律→③条令の優先順位は、変えることができない≫

 とおっしゃるその 「①憲法」 が、本来の憲法――日本の歴史と伝統を断ち切った違憲憲法であるということ。ここが最大の問題なのですが、すでに前に書いていますので、ここでは敢えて割愛します。(#51, 56~60・61・62・94 などご参照ください。)

 いま、喫緊の課題は、憲法についての正しい知識をひろめ、憲法改正(正統新憲法の制定)ができるように、輿論を喚起して行くことであると思います。

  (2015.8.31)
130 「天地は過ぎゆかん、然れどわが言は過ぎ往くことなし」―神武建国の理想を思う


 そして、神武天皇は

 「六合
(りくごう)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)とせむ」

 と日本建国の理想を宣言された。地上の人類すべてが神の子の兄弟姉妹であり、「みすまるの珠」のように玉の緒がつながっている。だから「八紘一宇
(はっこういちう)」 すなわち、全世界を一つの調和した家庭のようにしよう、というのが神武天皇建国の理想であった。それは「国境をなくす」ということではなく、国境はあるがまま、それぞれの民族、国家が個性を発揮して世界のために貢献し、与え合い生かし合い感謝し合う世界を理想とするのである。ここに、まことの世界平和の道がある。

 『生命の實相』 第37巻には、次のように記されている。

≪ 二月十一日

 今日は神武天皇が大和に奠都
(てんと)せられた記念すべき慶ばしき日である。みすまるの魂が高千穂の高御座(たかみくら)に天降りして弥数多(いやあまた)の国を大和(だいわ)する八紘一宇(Universal brotherhood)の精神が形にまで顕われて、大和国(やまとのくに)に都することになったのである。それはおよそ二千六百年前であるという。日本の国は領土という土塊の容積ではないのである。「大和(だいわ)」の理念そのものが日本国で、それが地上に天降って形を整えたときが日本の建国である。(中略)

 そのころ塩土老翁
(しおつつのおじ)なる老翁(おきな)来たりて神武天皇に「東(ひんがし)に美地(うましくに)有り」と御奏上申し上げたということが同じく『日本書紀』に書かれている。東方より「大和」の理念が生まれて来るという象徴物語である。

 この塩土老翁は『古事記』では塩槌神
(しおつちのかみ)とて目無堅間(めなしかつま)の小船(おぶね)を作り彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)を乗せまつって金銀饒(こがねしろがねさわ)なる龍宮海に導き奉ったと出ている。

 龍宮海とはウミの底である、「創造
(うみ)の根底」にある世界とは現象のよってもってあらわれる根元の世界である。換言すれば実相の浄土である。

 目無堅間の小船とは、時間の目盛無く空間無く堅くつまりたる小なる一点である。換言すれば、無時間・無空間の世界、時空を超越し、そこより時空生まるる一点(久遠の今此処)に乗るとき衆宝あまねく充つる龍宮海に入ることができるのである。「無字透関」である。「無」を超えてさらに実相地に透関するときそこに龍宮海すなわち、無限供給の極楽浄土を実現することができるのである。



 この無限供給の極楽世界に入る方法を教えたまう神が塩槌神である。そして龍宮海は極楽にして住み吉
(よ)きがゆえに住吉(すみよし)世界ともいい、住吉世界の本尊を住吉大神と申し上げるのである。

 龍宮海は、時間空間を超えた世界であるから、浦島太郎はそこにあるとき永遠に年老いず、このことを仏教では無量寿世界に入るとき無量寿仏と同じ悟りに入ると言うのである。(中略)

 三韓征伐とは、老病死の三奸の克服の象徴物語である。住吉大神が龍宮の大神であり、無量寿仏のあらわれである以上、老病死の三奸を克服せられたことは当然のことでなければならない。≫



 ――さて、4月21日から4ヵ月あまり、ほぼ毎日ここに「近況心境」を書き続け、130回に達しました。ご覧くださってきました皆さまに、心より感謝申し上げます。

 ここらでちょっと小休止し、今までに書きましたものを整理編集してまとめる作業に入りたいと思います。また少々本格的に音楽(合唱とピアノなど)の勉強もしてまいりますので、このサイトへの書き込みは、毎日ではなく時々になると思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 合掌 ありがとうございます。

  (2015.8.28)
129 「天地は過ぎゆかん、然(さ)れどわが言(ことば)は過ぎ往くことなし」を思う


 ≪「天地は過ぎゆかん、されどわが言(コトバ)は過ぎゆくことなし」 とイエス・キリストも言っている。その 「わがコトバ」 とは、天照大御神の御神勅と考えても間違いはない。≫ と、昨日私は書きました。

 イエスの言葉が天照大御神の御神勅を意味するなんて、デタラメを言うな! と唯物思想の人からは言われそうですが――

 イエスが 「わが(ことば)」 と言ったとき、イエスは 「われ神の子なり」 「わが言は神の言なり」 という自覚に立っていた。したがって、「わが言
(ことば)」 は、ヨハネ伝第1章冒頭に

≪太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。……万(よろず)の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき。……≫

 とある、その神と偕(とも)にある言
(ことば)であります。

 では、「太初
(はじめ)」 とは何時(いつ)か。――それは、「ビッグバン」以前である。「以前」と言っても、時間的にもっと前という意味ではなく、時空を超えた元(はじめ)の時――時間・空間未だ発せざる中(みなか)「久遠の今」 であります。『古事記』 の冒頭に

≪天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主(あめのみなかぬしの)神≫

 とある、「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時」 であります。

 で、高天原(たかあまはら=大宇宙、生長の家)に鳴りひびく天之御中主神のコトバが、「太初(はじめ)に言(ことば)あり」
(ヨハネ伝) の 「言」 であります。

 聖経 『甘露の法雨』 に、

≪   神

或る日天使
(てんのつかい)生長の家に来りて歌い給う――
創造の神は
五感を超越している、
六感も超越している、

至上
無限
宇宙を貫く心
宇宙を貫く生命
宇宙を貫く法則
真理
光明
知恵
絶対の愛。
これらは大生命――
絶対の神の真性にして
神があらわるれば乃
(すなわ)
善となり、
義となり、
慈悲となり、
調和おのずから備わり、
一切の生物処を得て争うものなく、
相食むものなく、
病むものなく、
苦しむものなく、
乏しきものなし。≫


とある、天使
(てんのつかい)の歌い給う歌であります。

この冒頭の 「或る日」 は、“One day” 即ち、天地陰陽未分の 「一」 なる日、「久遠の今」 であり、「生長の家」 は 「高天原」 に鳴りわたる 「中
(みなか)」 の理念なのであります。

その理念が発して、天祖 天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天孫 邇邇芸命(ににぎのみこと)にくだされた御神勅

≪「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。
 爾
(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)
 寶祚
(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きわ)まりなかるべし。≫


となったのである。

 <つづく>

  (2015.8.27)
128 「本来生、不滅の神示」に思う


  「本来生
(しょう)、不滅の神示」 をかみしめて、思うこと――

 「人間は神の子であって本来生、不滅である」 ということは、

 「日本は神の国であって本来生、不滅である」 ということにも通じると思います。

 「天地は過ぎゆかん、されどわがコトバは過ぎゆくことなし」 とイエス・キリストも言っている。その 「わがコトバ」 とは、天照大御神の御神勅と考えても間違いはない。

 
≪これらの日の患難(なやみ)ののち直ちに日は暗く、月は光を発(はな)たず、星は空より隕(お)ち、天の万象ふるい動かん。そのとき人の子の兆(しるし)、天に現われん。そのとき地上の諸族みな嘆き、かつ人の子の能力(ちから)と大いなる栄光とをもて天の雲に乗り来たるを見ん。また彼は使(つかい)たちを大いなるラッパの声とともに遣わさん。使たちは天の此の極(はて)より彼(か)の極まで四方より選民を集めん。

 
……これらの事ことごとく成るまで、今の代(よ)は過ぎ往くまじ。天地は過ぎゆかん、然(さ)れど我が言(ことば)は過ぎ往くことなし。≫

 (マタイ伝第24章29~35節より)

 とあるのであります。この 「人の子」 イエスの言
(ことば)を、現代に成就するのが生長の家、私たちの使命であります。

  (2015.8.26)
127 「本来生、不滅の神示」を学ぶ


 #121 で、「私たちは有志で谷口雅春先生の神示講義 『神ひとに語り給う』 の勉強会をしている」 ことに触れましたが、「万教帰一の神示」 に続いて次回は 「本来生
(しょう)、不滅の神示」 について学ぶことになっていますので、予習をしています。

 神示の最初に

 
≪物質の束縛に縛られざるものを人間と言うのである。真の人間は『神の子』であって物質ではなく、肉体ではない。肉体ではないから物質の世界に出入(しゅつにゅう)する事もない。物質の世界に出入することがないから物質の世界より見れば人間は不生(ふしょう)である。不生であるから滅することも亦(また)ないのである。≫

 とあり、その御講義に

 
≪肉体というのは念の影であって人間ではない≫

 とあります。肉体は人間ではなく、「念の影」 にすぎないのである。そして、

 
≪病なきを 『人間』 と言い、『死』 なきを 『人間』 と言う。≫

 という神示の御講義――

 
≪「人間というものは死なないものだ!」というのを、ただ単に言葉として覚えただけであったり、お釈迦様がそう言っとったからそうだろうとか、谷口がそう言ったから間違いはないだろうとかいうだけではいけないのであります。「人間というものは老いざるものである。病まざるものである。死せざるものである。」それを根本に自覚することが大切なのであります。そこから生活が本当に出発して行くのでなければ、足が地に著いた生活だと言えないのであります。≫

 そして、

 
≪病気が治ったにしてもとどのつまりは人間はやがては死ぬでしょう。貧乏が治って財産を積んでおっても冥途(めいど)へ行く時にはその財産を棄てて往かんならんでしょう。だから、そんな救いは永久の救いではない。

 本当の救いというものは、「人間は神の子である。老朽せざるを人間という。病まざるを人間という。死せざるを人間という。真清浄真無垢
(しんしょうじょうしんむく)なるところの神のいのちそのものが人間だ」 ということを自覚させて永遠に朽ちざる生命の自覚を与える宗教が一番素晴しい宗教であり、この最も高い救いを与えるのが生長の家であるのであります。≫

 と。

 現象は無常である。無常なる現象を「あり」として、その環境保全にいくら努力しても、「まだ足りない」 「まだ足りない」 と満足することを知らず、「足るを知らない」 から永遠に幸福は得られない。そして他に幸福を与えることもできない。

 生長の家出現の根本目的は、現象に良い環境を残すことではなく、「人間は死なない、真清浄真無垢なるものだ」 ということを本当に知り、伝え残すことにある!

 その根本は、「久遠の今」 にあるのであります。

  (2015.8.24)
126 原子力を生かした新しい文化創造のために(11)


 普及誌 『いのちの環』 No.66(2015/9)にも掲載されている、谷口雅春先生著 『新版 幸福を招く365章』 143ページには、「大自然の浄化力」として次のように書かれています。

≪     大自然の浄化力

 悪しき現象は煙のようなものである。濛々
(もうもう)と立騰(たちのぼ)る煙の中にいる時に、その煙を消そうとして更に燃料を注ぎ込んではならないのである。煙をして煙自身を処置せしめよ。必ず煙は薄くなり、やがて消えてしまうのである。

 宇宙には自浄作用と云うものがある。その自浄作用が神の癒やす働きであり、傷をしたときに中から自然に癒って来る働きであり、大掃除をしたときの空中の埃
(ほこり)が自然に消えて行く働きであり、諸君が病気や不幸に見舞われたとき、それに心を捉えられなければ自然にそれが癒されて行く根源力である。この根源力を吾々は神と云うのである。≫

 と。

 聖経 『甘露の法雨』 「神」 の項には、

≪……絶対の愛。
これらは大生命――
絶対の神の真性にして
神があらわるれば乃
(すなわ)
善となり、
義となり、
慈悲となり、
調和おのずから備わり、
一切の生物処を得て争うものなく、
相食
(は)むものなく、
病むものなく、
苦しむものなく、
乏しきものなし。≫


 とある。その 「絶対の愛」 なる神、完全なる神を信ずるのが本当の宗教である。現象界は不完全で「八苦の娑婆」である。そこから救ってくれる神は、愛が足りなかったり、力が足りなかったりしたのでは救いにならない。安心立命を与えるのが宗教の役目ならば、絶対の愛なる神、完全なる神がなければならない。

 そしてその神は、

≪神こそ渾(すべ)ての渾て、
神は渾てにましまして絶対なるが故に、
神の外にあるものなし。
神は実在のすべてを蔽う。
存在するものにして
神によって造られざるものなし。≫


 でありますから、「原発の核廃棄物の放射能は、神にも浄化できない」 などということは決してないのであります。「神があらわるれば乃ち 善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わり、一切の生物処を得て争うものなく……」 となることは必定なのであります。

≪ 日本で脱原発が進むにせよ、進まないにせよ、今後は中国やインドなどの新興国を中心に原発の新規建設は進んでいきます。その際に、高度な原子力技術を有し、事故の教訓も得た日本は、世界の原子力政策に貢献すべきではないでしょうか。

 安全性の上に安全性を追求しても、自動車事故で毎年約五千人が死にます。飛行機事故が起これば百人単位で死にます。だが、自動車をやめる、飛行機をやめる、とはなりません。より高い安全性を追求して努力していくのみです。

 原発も同じだと思います。日本の耐震技術は世界一です。そのことは今回のマグニチュード9.0の激震でも女川原発や福島第二原発はきちんと冷温停止したことで証明されました。それでも津波によって福島第一原発の事故は起こりました。

 何がいけなくて、何が足りなくて、何が欠けていたのか。設計をはじめとする技術の問題はもちろん、安全対策のあり方、そのための人的訓練、そして何よりも原発の建設、運用における体制、組織、システムなどに徹底的にメスを入れ、改善を図れば、安全性が飛躍的に向上することは確かです。技術に完全な安全はないが、完全な安全に無限に近づくことはできるはずです。

 日本は世界唯一の原爆被爆国であり、また原発事故もありました。世界は、原発廃炉への処理技術や、今後の技術革新による原発の安全な平和利用について、かたずをのんで日本を見守っています。

 「無駄なものは何もない」。原子力エネルギーも、放射線も神の愛、仏の慈悲の表れであると信じます。福島の事故は、原発の安全性をより高めるための教訓の宝庫です。それを生かすところに日本の使命があり、「失敗したから廃止」では、智慧もないし使命も果たせないのではないかと思いますが、いかがでしょうか。≫


 と、私は[質問3]の最後に書いておりました。いま、その思いを深めています。

  (2015.8.23)
125 原子力を生かした新しい文化創造のために(10)


 石川迪夫氏
#81総裁への質問3 参照。 原子力デコミッショニング研究会会長)は、雑誌 Wedge 9月号に、

 
○福島の教訓に基づく正しい原子力規制とは

 ○原子力規制委は福島事故を学んでいない

 ○遅すぎる再稼働――原子力規制は的外れ


 と、書いています。

 <原子力デコミッショニング研究会というのは、原子力施設の廃止措置に関する研究を行っている任意団体。デコミッショニング(廃止措置)とは、法的には、役割を終えた原子力施設からそこに課せられている安全規制を解除すること。技術的には、施設から放射能を除去し、機器設備や建物の解体撤去、放射性廃棄物の安全な処理・処分等により、施設又は土地を再利用できるようにすることを指します。>

 以下、雑誌 Wedge 9月号に書かれた記事の一部をご紹介しますと――

≪原子力規制委員会による規制基準の強化で、電力会社が追加した安全対策は少なくとも総額約2兆5000億円に上るという。規制委・原子力規制庁と電力会社との長い長いやり取りの末に施された安全対策は、真に原子力発電所の安全性を向上させているのだろうか。

 結論から言えば、世界一厳しければ良いという規制委の思い込みから作成された規制基準はバランスに欠け、全体の安全性を損なう可能性すらある。

 典型的なのは、東京電力福島第一原発事故の後に整備された防潮堤だ。それをも越える高い津波が押し寄せれば、防潮堤は充満した海水を守る貯水池として逆に働く。津波だけなら波が引くまでの時間を耐えれば良いが、防潮堤のせいで排水に余計な時間がかかり、事故対応が阻害される。≫

≪福島事故が教える教訓は何か。それをはっきりさせないで正しい規制基準を導くことはできない。福島事故の原因は、未曽有の大津波によって発電所全体が電力を失う全電源喪失状態に陥り、しかもその状態が想定を超えて長く(約10日間)続いたことだった。まさに想定外が現実のものとなった。

 それなのに、新しい規制基準で議論されていることは、この「想定」を引き上げることばかりだ。防潮堤を築く、活断層の認定を厳しくする、基準地震動を引き上げる……。重要でないとは言わないが、福島事故が教えてくれたのは、自然災害はどれだけ想定しても存在する想定外に対しても、対策を準備しておくことの大切さである。

 それにはまず、自然災害が持つ脅威を検討評価し技術的対策を立てることだ。想定以上の地震に耐えた耐震設計がお手本と言える。その上でさらに、それを超える最悪の事態に対して準備する。つまり、全電源喪失状態が長く続き、炉心溶融が起きてしまっても、周辺地域に深刻な放射能汚染を及ぼさないようにできれば良い。この点についても、福島事故が大切な教訓を与えてくれる。……≫

≪……
(専門的なことは割愛します)……ベント(排出口という意味があり、原子炉格納容器の中の圧力が高くなって、冷却用の注水ができなくなったり格納容器が破損したりするのを避けるため、放射性物質を含む気体の一部を外部に排出させて圧力を下げる緊急措置)さえ開けば、あれだけの事故が起きても水の除染効果で避難の必要はない。(ベントを開きやすくするための簡単な対策があるのに、それをしていない)――これが14日深夜の放射線上昇データが示す第1の教訓だ。≫

≪実は、「炉心から水がなくなれば溶融する」という一般的なイメージは間違った俗論にすぎない。炉心溶融は、ウラン燃料に残る崩壊熱ではなく、燃料を覆う被覆管のジルコニウムと水が化学反応して発生する大量の熱によって起きる。……

 原発事故となれば、何を置いても冷却優先と思われがちだが、これが間違いの元。炉心の温度が高い悪条件で水を入れると化学反応が起きて、かえって炉心溶融を招いてしまう。

 だが防止策はある。化学反応を防ぐには必要条件を外せば良い。水は冷却に不可欠だから、もう一つの条件「炉心の高温状態」をなくせば良い。……福島で起きたような長時間の全電源喪失となっても、安定的な注水ラインを構築した復に炉心減圧を実施し、タイミングを閥違えず注水を行えば、消防ポンプでも炉心漕融を回避できる――これが第2の教訓である。≫

≪既存発電所にある安全設備の多くは、電動のものが多い。ポンプしかり、計測器しかりで、長時間の全電源喪失となれば、ほとんどの安全設備が使えない状態となる。福島第一療発はまさにこの状況下に置かれた。

 電源なしで使える安全設備は、崩壊熱で生じる蒸気を利用して動くいくつかのタービンポンプ、具体的にはRCIC(原子炉隔離時冷却ポンプ)とHPCI(高圧注水ポンプ)だ。

 2号機に備えられたRCICが、設計の8時間を大きく超えて3日間も働き続けたことは特筆すべきことで、駆動蒸気の圧力は下がり、水は混入するという劣悪条件で、ポンプは14日昼頃まで炉心冷却を続けた。3号機は、RCICは稼働1日で手動停止してしまったが、その後HPCIが設計通り作動して13日朝まで働いた。既存の安全設備は設計以上によく働いた――これが第3の教訓である。≫

≪以上の3つの教訓からわかるのは、40年以上前に設計・建設された軽水炉は、最悪の事態に陥っても放射能汚染を抑える潜在能力を持っていたということである。

 問題があったのは、設備ではなく扱う人間の方だ。にもかかわらず、現在適用されている安全規制と規制委は、「世界一の規制」という名のもとに、安全設備を増やすことばかりに傾注しているように見える。

 規制委に必要なのは、緊急時にしか使わないような設備の取扱いや、先述の減圧と注水のタイミングに対する理解など、現場運転員の危機対忘能力の向上を促し、電力会社が果てしない安全向上に対して能動的に取組むよう動機づける姿勢である。

 最大の教訓であるベントの確実な実施のためには、福島事故の轍を踏まないよう、政府などの外野が現場の邪魔をしないフローを整備することも欠かせない。規制委は、こういったことを自らの仕事だと考えているだろうか。≫


 と。

 <つづく>

  (2015.8.22)
124 神・自然・人間は相対する三者ではない(4)


 谷口雅春先生も、清超先生も、経済成長や富・社会的成功が必ずしも悪であるとはおっしゃっていない。ただ、自己の内部理想、良心、使命感というようなものの方が第一義であって、元を培えば自ずから枝葉が栄えるように、第一義のものを第一にすれば現象は自然に整うのであるとお教え下さっているのであります。その 「第一義」 なるものは、「久遠の今」 にある。

 道に迷ったら、出発点に戻れ。問題に直面したら、原点に還れ、とよく言われます。

 「すべての現象の原点」 は何処にあるか。「久遠の今」 にある。「久遠の今」 なる 「唯神実相」 の 「中
(みなか)」、天地(あめつち)の初発(はじめ)の時に立ち帰るべき時だと思います。生命の実相に立ち還ると言ってもよいでしょう。

 「久遠の今」、常に 「神・自然・人間」 は相即相入一体であり、相対対立などしていない。そのことは、雅宣総裁も、 『次世代への決断 宗教者が“脱原発”を決めた理由』 の209ページに、「神・自然・人間は本来一体」 と書かれている。

 しかし、229~230ページには

 
≪私は、これからの人間社会は原子力エネルギーの利用を減らしていき、可及的速やかにその利用を完全にやめるべきだと強く思います。なぜなら、原子力エネルギーは、人と自然との本質的な一体性と対極の関係にあるからです。≫

 とあるのは、納得がいきません。つづいて

 
≪原子力エネルギーは、人を含むあらゆる生物の生存に危険な高濃度の放射性物質を、分厚い金属容器に密閉し、その周りをコンクリートの壁で覆い、そのうえ高熱で爆発しないように常時水で冷やし続けるという、きわめて“不自然”な形で利用されています。これは自然がもつ 「生命を守り育てる」 という本来の機能を、自然自身から奪うようなやり方です。≫

 ――それは、火力発電所だって同じようなものではないでしょうか。燃料に石炭・石油などを使うか、ウランなどの核燃料を使うかの差だけです。核燃料は 「あらゆる生物の生存に危険な高濃度の放射性物質」 といわれるけれども、水蒸気の熱だって、高熱はあらゆる生物の生存に危険です。放射線は低線量であれば生物の健康に必要欠くべからざるものだというのが、真実だとわかってきました。「放射線は生物の生存に害があるだけ」というのは迷信だとわかってきたのです。(【質問3】 原発は、絶対悪でしょうか?

 
≪またその結果、放射性廃棄物が生産されますが、私たちはこれを生物にとって無害化する手段をもっていません。“一見”無害なものにする唯一の方法は、地中深く埋めることです。そうしながら私たちは、未来世代の人たちが何とかそれを無害化して生き延びてくれるだろうと、無責任にも祈るだけなのです。≫(p.230)

 ――そんなことはありません。

 素粒子論の大家で、オックスフォード大学名誉教授のウェード・アリソン博士の『放射能と理性』(徳間書店)(p.202~206)によれば――

 核廃棄物は2つの点で化石燃料廃棄物と大きく異なっている。量が少ないことと、地球環境内に拡散していかないことだ。エネルギー生産量が同じなら、原発が使う燃料は、火力発電所の約100万分の1。さらに原発の廃棄物は、CO2と違って、貯蔵することもできるし、処理して安全に埋めることもできる。

 埋めても半減期の長い廃棄物は危険ではないかということをいう人もいるが、そもそも半減期の長い放射線同位体は、自然にはありふれた存在であり、地球の内部は放射性物資がわんさとあり、その一部になると考えればいいわけである。低レベル放射線でも漏れて危険だという迷信におかされて騒ぐのはもはや問題外である。

 使用済み核燃料の成分は以下の3つに大別できる。

 第1の成分は、未燃焼の燃料を構成するアクチノイドとアクチノイドから生成されるさまざまな放射性同位体。核燃料のこの部分はまだ核分裂を行っていない。プルトニウムとウランを含む同位体は、科学的な再処理を経れば燃料として再使用できるため廃棄物として高い価値をもっている。多くの種類は半減期が極めて長く、環境内に拡散されることはない。

 第2の成分は、核分裂生成物。核分裂生成物質の原子量はウランの約半分である。ほとんどはすぐさま崩壊してもっと安定した同位体となる。崩壊が早いほど崩壊熱は大きくなる。最も深刻な懸念は、半減期の長さだ。ストロンチューム90やセシウム137は、半減期が30年近い。核分裂生成物の活動は、初期に急落した後、30年ごとに半減していく。

 第3の成分は、もっと半減期の短い不安定な核分裂生成物だ。例としては、半減期が1週間ほどのヨウ素131やキセノン133があげられる。これらは崩壊によって数ヵ月で完全に消えてなくなる。通常時に、無害な量が大気中に排出されることもあるが、大部分はフィルターで除去され、フィルターは低レベル廃棄物として埋められる。

 放射性物質はおおむね4つの戦略のいずれかで管理される。①再処理して再利用。②凝縮して密封。③希釈して拡散。④貯蔵して崩壊。低レベル核廃棄物が最も量が多いが、取扱いに危険はなく、普通の廃棄物と混ぜて比較的浅い所に埋めれば安全に処理できる。低放射線に対する人々の態度がやわらげば、すなわち害どころかホルミシス効果のあることが理解されれば、低レベル廃棄物の一部は分別処理が必要なくなるだろう。

 中レベル廃棄物には、樹脂、化学的沈殿物、原子炉部品、廃材が含まれている。コンクリートやアスファルトで固化されることが多い。放射能が短期間で消えるものは埋め立てに回され、長期間残るものはいったん凝縮された後、地下深く埋められる。

 使用済み燃料と燃料棒の部品は、廃棄物の中でも最も汚染度が高い。高レベル核廃棄物には、先の④→①→②の順で戦略が適用される。燃料が炉心から抜き取られた後も、中性子の豊富な核分裂生成物質の原子核は崩壊を続け、かなりのエネルギーが解放される。このような物質は、大型タンクに隔離され、水中で約5年間冷却される。水が放射線を吸収するため、この隔離は100%安全に行われる。冷却後、再処理にかけられてアクチノイドが抽出され、MOX燃料(ウランとプルトニウムの酸化物を混ぜ合わせた燃料)などに再使用される。使用済み燃料の一部は、核分裂を終えておらず、“燃焼度”によってはリサイクルに回せる。

 核分裂エネルギーを吐き出してしまった核分裂生成物は、再利用できない。それらの放射能は、最初の10年間で急減し、その後は半減期30年のストロンチュウム90とセシウム137の放射能が主となる。つまり核分裂生成物質の放射能は、100年後には10分の1に、300年後には1000分の1になるわけだ。

 再処理後の廃棄物は、ガラス固化で化学的に被包される。出来上がったセラミック製ブロックは極めて固く、地上水の浸食にも物理的化学的攻撃にも耐える。ブロックは30年から50年の間地上で貯蔵され空気で冷やされる。それから地下深くの坑道や貯蔵施設に運ばれ、放射能が消え去るずっと後まで、ブロックとしての構造を持つこととなる。数百年もすれば廃棄物いからの放射線は周りの地殻内と同じレベルになるだ。

 このような再処理とガラス固化は、成熟した技術であり、過去数十年間全く事故を起こしていない。ガラス固化された核分裂物質からの放射線はそれほど強くなく、危険を封じ込める安全装置は講じられている。

 さらにいうと、中・低レベル放射性廃棄物を「放射線が部分的に不足している状態で生きている」多くの人々の健康増進に活用する道すらあるのである。放射線ホルミシス効果によってガン死亡率低下、免疫力の増進に活用することができることをラッキー博士は実証している。(『放射能を怖がるな――ラッキー博士の日本への贈り物』(茂木弘道翻訳・解説)

 地下深くの貯蔵設備については、フィンランド、アメリカで建造中である。むしろ現在のところ安全基準が無意味に高く設定されていてコスト増をもたらしているなどの問題があるという。

  原発1基を1年間フル稼働させると約30トンの使用済み核燃料が発生する。これは再処理を経て、最終的には半径20センチメートル、高さ1メートル程度のガラス固化体30本くらいの量になる。先進国に住む人が一生に必要なエネルギーを全て原発で補った場合に、一人が一生で排出する核廃棄物は、なんとゴルフボールー個分なのだ、という。(藤沢数希著 『「反原発の」不都合な事実』 p.165)

 まさしく地球にやさしい原発である。人々はどうしてとんでもない錯覚によって、原発を危険視して、反原発・脱原発と叫ぶのか。目を覚ましていただきたい。

 ガイア理論(地球生命体とする考え方)の提唱者で地球物理学者のジェームズ・ラブロック博士は、廃棄物の観点から原子力を強力に推進しているが、「世界中の高レベル放射性廃棄物を自分の私有地に引き受けてもいい」 と宣言している。

 ――以上は、放射性廃棄物の処理問題についてでした。


 さて、総裁も原子力、原発の問題についてはかなり勉強していらっしゃるようですが、その道の専門家ではないから、偏った表面的な捉え方をしていらっしゃる可能性が高いと私は思います。もちろん私も専門家ではありませんから、私が正しいとはかぎりませんが、私が勉強してきて信じていることと、かなり観点がちがいます。

 現象界には「絶対」というものはない。原発には反対しなければならぬと決め、信徒を束縛し思考停止して従えというようなことはいけないと思います。

 生長の家出現の使命、目的は、「現象なし」 「実相独在」 「神一元」 の真理をひろめ、人々を苦難から救い、神の国を地上に実現することでしょう。その根本真理は――

 すべて、本源の実相から出発する時、結果の現象はおのずから調う。それが、「第一義のものを第一にすれば現象は自然に整う」 ということ。

 現象以前の「久遠の今」なる生命の実相から、原発の問題も、環境の問題も、憲法の問題も、考えて行くべきです。「“新しい文明”の構築」 は、その原点から出発しなければ、砂上の楼閣になってしまうと思うのであります。いや、“砂上の楼閣”すら建てることができないでしょう。「ひろば」#58#59のトレモス様ご投稿の通りだと思います。

  (2015.8.21)
123 神・自然・人間は相対する三者ではない(3)


 谷口雅宣総裁の御著書 『次世代への決断 宗教者が“脱原発”を決めた理由』 の 「第2章 大震災、原発事故の教訓」 の60ページに、「第一義のものを第一にせよ」 と書かれている。では、「第一義のもの」 とは何か。

 総裁は、谷口清超先生著『歓喜への道』から、次のお言葉を引用しておられる。

 ≪今や日本は金儲けや繁栄を追い求めるか、それとも神の国と神の義を第一に置くところの「真理国家」に“出家する”かの岐路に立っていると言える。

 一体吾々は、果して水ぶくれや金ぶくれの人間をより多く生産する方向に行ってよいものかどうか。人間の本質の自覚がより深まったことを、その人の成功度や財産や、社会的名声で判断するというような、世俗事への迎合姿勢では駄目ではないか。(中略)

 第一義のものを第一にせよということである。そうすれば現象は自然に整うのである。(同書、18頁)≫

 そうして、総裁は

 
≪私たちはよく 「経済成長は善い」 と考えがちだ。しかし、清超先生の右の文では、それを 「水ぶくれや金ぶくれの人間をより多く生産する」 ことだと表現されている。(中略)しかし、今日の経済理論は、人間が水ぶくれや金ぶくれをすることを“善”として奨励しているのである。≫

 と、「経済成長は悪である」 かのような書き方をされている。

 しかし、「第一義のもの」 とは 「神の国と神の義」 であって、「神の国と神の義」 に根ざした経済成長であれば、それは善であって悪ではない、と私は思います。清超先生も、「第一義のものを第一にせよということである。そうすれば現象は自然に整うのである。」 とおっしゃっています。

 「第一義のもの」 「神の国と神の義」 とは何か。

 私は、それは 「久遠の今」 にあると思います。現象の発する元の根源世界にある。

 谷口雅春先生は、『新版 真理』 第4巻の第5章に次のようにご教示くださっています。

 
≪     「神の国」と「未発之中」

 「先ず神の国と神の義
(ただしき)を求めよ、その余のものは汝らに加えらるべし」とキリストは教えています。そして「神の国は汝の内にあり」と追加して説いているのであります。「義(ぎ)」は「宜(ぎ)」であって、時と処と人との宜(よろし)きに従うことなのであります。

 中庸には、「喜怒哀楽
(きどあいらく)未だ発せざるを中(ちゆう)と言う、発して節(せつ)にあたる是を和と言う」 と書かれております。「神の国」 を求めるとは、「未発の中」 すなわち、「現象の未だ発せざる本源の世界」 を求めると云うことであります。

 「神の義」 と云うのは、その 「未発の世界」 が現象の世界にあらわれるための、時と処と人との三条件に適するための 「予定秩序」 であります。すなわち 「本源の世界」 を把握し、それが現象化する場合の 「予定秩序の智慧」 を獲得しますと、それが発して現象化する場合に、ピシリピシリと 「節」 即ち灸所
(きゅうしょ)灸所に適合するのであって、あるべきものがあるべき時にあるべき処にあらしめられるようになるのであります。

 そうすれば現象界は自然に調うて一切のものが都合よく成就するようになるのであります。これを 「その余のものは汝らに加えらるべし」 と教えられたのであります。この点、儒教もキリスト教も同じことであります。≫


 と。

 <つづく>

  (2015.8.20)
122 神・自然・人間は相対する三者ではない(2)


 「神・自然・人間」 は、相対する三者ではない。

 神のいのち(コトバ)のひろがりが宇宙であり、地球であり、自然である。

 人間とは肉体ではなく、不生不滅、いや本来生・不滅のいのち、神のいのちである。

 人間のいのちと神のいのちは相即相入、一体であり、人間と自然もまた相即相入、一体である。

 人間の生命(いのち)は、宇宙の中に生まれたのではなく、生命(いのち)そのものの広がりが宇宙である。肉体は宇宙の中、地球上に生まれた、誕生日があって、死ぬ時が来るが、いのちの本体は常に神のいのちと一体であり、そのいのちの広がりが宇宙であって、死ぬことはないのである。肉体は人間ではない。現象は影であって、実在ではない。端的に言えば、肉体はない、現象はないのである。

 総裁が 『次世代への決断 宗教者が“脱原発”を決めた理由』 の 「序章 人類の欲望が生んだ気候変動と原発」 に書かれたご文章(#120)で、「神」は人間と相対する「相対者」とされており、それは本源神ではない。本源神は、一切の対立を超えた絶対者であって、「神の外にあるものなし」であるから、人間と対立することなどあり得ない。

 人間とは肉体ではなく、本来生不滅の生命、すなわち神の生命そのものである。

 それ故に、冒頭の言葉の通り、

 ≪「神・自然・人間」 は、相対する三者ではない。≫

 というのが真実、真相である。

 「欲望を制御しなければならぬ」 というとき、その人は人間を 「肉体」 と見、「罪の子」 と見ている。

 真の宗教者の使命は、人間を 「肉体」 と見、「罪の子」 と見ていた迷妄により 「阿鼻地獄のように苦しみもがきあせり、あらゆる苦難を癒やす救いと薬を求めている」 人類を、「人間は肉体ではない。神の子である」 という真理によって解放することにあるのではないでしょうか。

 時あたかも、「ひろば」 に トレモス様が、<「心の指導者」の聖なる使命について> と題して、時宜に適った投稿を下さいました。(「ひろば」#58

 まさにその通りであると思います。

≪現象の心を、「実相独在の心」 に立て替えない限り、人も救えず、自分の心も救えない(自救不了)となってしまう。≫

 ――それでは、塩に塩気がなくなったと同様、生長の家出現の意味はなくなり、「もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけ」(マタイ伝第5章13節)になってしまうのではないかと思われます。

 <つづく>

  (2015.8.19)
121 神・自然・人間は相対する三者ではない


 このところ私たちは有志で谷口雅春先生の神示講義 『神ひとに語り給う』 の勉強会をしており、先日は 「万教帰一の神示」 御講義のところを学びました。その中に

≪宇宙の中に神様が生まれたのではなく、神様の生命(いのち)そのものの広がりが宇宙であります。≫

 というご文章があります(p.105)。 これはどういうことか説明してほしいと言われました。

<それは、私たち人間の生命
(いのち)も、宇宙の中に生まれたのではなく、生命(いのち)そのものの広がりが宇宙なんですよ。肉体は宇宙の中、地球上に生まれた、誕生日があって、死ぬ時が来る。しかし、いのちの本体は常に神のいのちと一体であって、その私たちのいのちの広がりが宇宙なんです。>

 と、私は答えました。

 これは、『生命の實相』 第12巻 萬教歸一篇の p.165~166に

≪大宇宙(たかあまはら)に成り坐(ま)せる神が天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)である。成りませるというのは鳴り響いているということであります。高天原というある場所にヒョッコリ生まれたのが天之御中主だなどというようなケチな意味ではない。「すべてのものコトバによってつくらる」ということが聖書の『ヨハネ伝』の第一章にありますが、そのとおりでありまして、コトバは神である。大宇宙高天原に鳴り響いているところの神様、それが天之御中主神そのものである。≫

 とあり、「人間は神の子」というのは、その天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の御いのちがここに出現して、「中
(みなか)」の理念を実現するために生きているということだと、『菩薩は何を為すべきか』にある通りです。

 『新版 真理』第7巻の第1章には、

≪(キリスト教的に)神が子供を生んだというようなのは、譬喩的な擬人的な一種の小乗的な説き方でありまして、人間になぞらえて、そして判り易く、あまり哲学的な思索傾向をもっていない、人間的な愛情関係に於いて神を観たい人に、そういう説き方をするのであります。

 それでも間違いではないんですけれども、神様がこうして万物を生み出すというような考え方は最高の真理ではない。何故ならば、そのような考え方には、何処やらに相対的なあるものがあるからです。創造者と被造物とが対立している。神様というものから別れて人間と云うものが生み出されたということになっているから、神と人間とが対立している。そこから神の審判などと云う思想が出て来る。これには相対的な考え方が何処やらにひそんでおりますから、まだ最高の真理というわけにはゆかないのであります。

 ところが「一個の物体の周囲
(まわり)に百万の鏡を按(お)きてこれに相対(あいたい)せしむれば一個もまた百万の姿を現ぜん」と聖経『天使の言葉』にありますように、鏡と鏡とが相対していると一人の人間でも、あちらへ写った姿がこちらへ写り、又こちらへ写った姿があちらへ写りして、ずーっと無限に反映しますと、一個が無限に現れるのであります。

 ……その無限の個々が実は個々でありながら個々ではなく一つのものである。「一個もまた百万の姿を現ぜん」というわけであります。人類のいのちは、相即相入で、一つのいのちが、ずーっと幾十億の人類となって現じているわけであります。これが唯心所現の世界――心の現すところの世界なのであります。≫


 とあるのでります(p.10~11)。

 ところが谷口雅宣総裁の 『次世代への決断 宗教者が“脱原発”を決めた理由』 の 「序章 人類の欲望が生んだ気候変動と原発」 には

≪ 現象としての現在の地球世界は、この三者(神・自然・人間)が必ずしも調和していないし、場合によっては深刻に対立している。

 ……人間は 「神は死んだ」 と宣言し、伝統的な宗教的価値を次々に否定し、生殖医療や、人間と動物が混ざり合ったキメラを開発して自然を“神”に対抗させている。が、これらに反対する人々の一部は、逆に「神のため」と称して大勢の人間の無差別殺戮を行う。これは一種の“神と人との戦い”ではないか? それは 「人間のため」 であるはずなのに、当の人間は一向に幸福に近づいていないように見えるし、“テロとの戦争”の最中に、地球温暖化の進行による被害はどんどん拡大している――こんな見方ができるほど、三者の関係は不調和に見えるのだ。≫


 と書かれています。

 「人間の生命は常に神の生命と一体であって、私たちのいのちの広がりが宇宙なんだ」 と信じている私は、

 <これが、「宗教者」 を自任する生長の家総裁の言葉か――と思うと、なさけなくなります> と、昨日書きました。

 しかし、総裁のおすがたは信徒のすがたです。自分のすがたです。

 『新版 真理』第7巻第1章には、

≪自分は悟っていながら、悟らない者を救うためには、自分も悟っていない人間に生まれて来て、悟らないような有様を現じて、人を救うのであります。これが維摩の教えであります。悟っていながら、悟っていない人間に伍しながら人を救うのであります。

 人を救おうと思うと、あんまりかけへだたっていると救いようがない。非常に優れたる高級霊にとっては、地上にうようよしている迷っている衆生達を見ると、実にいやらしくって、その中へ降りて行くことだけでも、まことに悩み多きことである。人間の体臭が異臭芬々としていて、普通の人間が豚小舎へ入るよりも尚いやらしく感ずるのであります。

 それにも拘らず、既に悟っており、既に彼岸即ち実相の世界に遊戯
(ゆげ)したまう諸菩薩がこの地上に下りて来て衆生と同じ肉体的生活を営みながら、一緒に泥にまみれて、衆生を救っていられる。これが諸君であり、聖使命菩薩であります。まことに尊いことであります。≫

 とありました。総裁は、「悟っていながら、悟らない者を救うために、自分も悟っていない人間に生まれて来て、悟らないような有様を現じて、人を救う」という尊い菩薩行をして下さっているのだと思います。

 そう思って、私は総裁のおすがたを拝ませて頂きます。

 しかし、真理は、「神・自然・人間」は相即相入一体であって、相対対立などしていない。それを対立的に見るのは西洋的、唯物的な見方であり、東洋的・日本的な見方とは違い、真理からはずれている。

 「唯神実相」 の 「中
(みなか)」、天地(あめつち)の初発(はじめ)の時に帰るべき時だと思います。

 <つづく>

  (2015.8.18)
120 原子力を生かした新しい文化創造のために(9)


 原発の問題については、『何処へ行く?「生長の家」』 の[質問3 原発は、絶対悪でしょうか?] に対する反響が予想以上に大きかったので、私もまた少し突っ込んだ勉強をさせて頂いていますが、ここらでいったん「まとめ」をしておきたいと思います。

 結局、[質問3]に書きました(そして誰からも反論はない)ように、原発は火力発電などより桁違いに安全で、人と地球にやさしい。太陽光などの自然エネルギーよりも、はるかに安全である。放射線は低線量であれば人間(他の動植物にとっても)の健康に必要なものであり、これを絶対悪とするのは迷信である。

 したがって、現在停止中の原子力発電所は、厳しすぎるほどの新しい安全基準で審査しているのであるから、それをパスしたならば速やかに再稼働すべきである。なぜなら、停止していても稼働していても危険度に変わりはないのだから。

 そして、トリウム原発など、さらに安全な新しい技術革新の道があれば、努力を惜しまず、そうしたイノベーションに取り組むのがよいと、私は思う。

 「放射線の正しい知識を普及する会」(一般社団法人)を立ち上げている茂木弘道氏は、竹田恒泰氏著 『これが結論!日本人と原発』 をも徹底批判し、竹田氏は反論できなくなっている。(参考

 私はここで、生長の家谷口雅宣総裁の 『次世代への決断 宗教者が“脱原発”を決めた理由』 の 「序章 人類の欲望が生んだ気候変動と原発」 について、疑問を呈したいと思います。同書には、まず次のようにあります。

≪  神・自然・人間の関係が逆転

 私は2007年に、祈りの言葉を集めた 『日々の祈り』(生長の家刊) という単行本を上梓させていただいたが、この本には 「神・自然・人間の大調和を祈る」 という副題をつけた。そして、その理由について次のように書いたことがある――

 < 現象としての現在の地球世界は、この三者が必ずしも調和していないし、場合によっては深刻に対立している。このことは、しかし今に始まったことではない。『創世記』 の第1章には、天地創造をした神が自分の創造物を見て 「はなはだよい」 と讃嘆したことが書いてある。ところがそれ以降の記述を読むと、はなはだよかったはずの被造物のうち、まずヘビと人間が神の言いつけに従わなかったため、神は怒って人間をエデンの楽園から追放する。これ以降も、バベルの塔をつくることも含め、旧約聖書全体を通して、人間は繰り返して神の意思に反する行為をする。これに対し、神は洪水や疫病などの自然の力を使って人間を罰し、正しい道にもどそうとする。>

 この話は、もちろん聖書にある神話を含んでいるから、いわゆる“歴史的事実”ではないかもしれない。しかし、人類が近代化を達成する以前の神・自然・人間の三者の関係を象徴物語として見事に描いていると思う。つまり、神はまず喜びの表現として自然界を創造し、そのうえで自分の“似姿”として人間を造ったが、人間は自然の一部であるヘビとの関係を好み、神の意思に反する行動をする。それに対して神は、自然力を使って人間を罰し、善導しようとする――この物語の中での力関係は明白である。まず「神」がすべてのものの創り主として最大の力をもち、次に「自然」が人間を惑わすとともに滅ぼす力をもち、無力な「人間」は神の意思に従えぬまま、自然の猛威に怯えて、苦しみながら生きてきた。神―自然―人間という順番の力関係である。
 ところが、そういう関係がやがて変化するように見えてくる。私の昔の文章をさらに引用しよう――

 < このような過去の三者の関係が、現代はだいぶ変化してきているようだ。過去において神と自然は人間を圧倒していたが、その関係が逆転しつつある。人間は科学によって自然を研究し、その内部の法則を次々と発見した。そして、自然法則を利用して技術を開発し、それを人間の目的に使ってきた。当初は、生命のない物理科学的な自然の利用を進めていたが、次第に生物の利用を進め、現在は遺伝子操作によって、かつて存在しなかった生物を誕生させたり、人間自身の誕生の時期や可能性さえ操作できる技術を身につけた。また、極微の世界の原子を破壊したり、原子や分子の一つ一つを操作する技術も手に入れただけでなく、これら諸々の技術を駆使した活動によって地球の大気の組成まで変化させ、気候変動を起こしつつある。これらすべては 「神のため」ではなく、「人間のため」 として行われているのだ。

 しかし、こういう人間の活動は、本当に 「人間のために」 なっているのだろうか? 人間は 「神は死んだ」 と宣言し、伝統的な宗教的価値を次々に否定し、生殖医療や、人間と動物が混ざり合ったキメラを開発して自然を“神”に対抗させている。が、これらに反対する人々の一部は、逆に「神のため」と称して大勢の人間の無差別殺戮を行う。これは一種の“神と人との戦い”ではないか? それは 「人間のため」 であるはずなのに、当の人間は一向に幸福に近づいていないように見えるし、“テロとの戦争”の最中に、地球温暖化の進行による被害はどんどん拡大している――こんな見方ができるほど、三者の関係は不調和に見えるのだ。>

 私はここで、「人間」 を頂点として、人間だけのための世界を構築しようとしている 「人間―(神)―自然」 という力関係を見ているのである。「神」 の文字が括弧書きになっているのは、多くの人々にとって、神はもはや利用の対象としてしか存在価値をもたないように見えるからだ。≫


 ――これが、「宗教者」 を自任する生長の家総裁の言葉か――と思うと、なさけなくなります。

 <つづく>

  (2015.8.17)
119 「松ぞををしき 人もかくあれ」


 「ひろば」 に、 「今、起とう」 様が投稿を下さいました。

 昭和天皇 昭和21年の御製に

 『ふりつもる み雪にたへていろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ』

 とお詠み下さった御製の大御心を噛みしめ、覚悟を新たにしているという趣旨だと受け取らせて頂きました。

 まことに有り難く尊き極みであります。

 昨日 #118 では、終戦時の谷口雅春先生の御文章などを謹写引用させて頂いただけでしたが、その御文章に記された天皇陛下の大御心、そして谷口雅春先生の御心をわが心にしっかと受け継ぎ、「ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき」 その松のように、私たちも雄々しく覚悟新たに、「色(思い)を変えることなく」 しっかと 「今、起って」 行きたいと思います。

 それは、迫水久常氏の講演録にあったように、

 
≪陛下は 『こうして戦争をやめるのであるが、これから日本を再建しなければならない。それはむずかしいことであり、時間も長くかかることであろうが、それには国民が皆一つの家の者の心持になって努力すれば必ず出来るであろう。自分も国民と共に努力する』 と仰せられました。

 ……陛下のお言葉の中には全く他日の復讐を期するというお心持はないのであります。宏大無辺な御仁慈は国民のみならず、広く、人類の安心平和幸福を希い給い、又将来日本が国際社会の一員として世界平和の確立に大いに寄与するため、新しき日本が新しき民主主義の基礎の上に、道義の香り高き文化国家を再建することを希い給うたのであります。≫

 いま戦後70年、天皇陛下の宏大無辺な御仁慈と深い御祈り、そして国民の勤勉努力によって、日本は経済大国となり、国際社会の一員として世界平和の確立に寄与できるような国になっている。しかし、「新しき日本が新しき民主主義の基礎の上に、道義の香り高き文化国家を再建する」 ということは、まだまだ途上にあると言わなければならない。いや、これからが新しい出発だと思います。

 谷口雅春先生は、『限りなく日本を愛す』 に

≪ 第1章 日本再建の道を拓くもの

    過去を捨てる自由

 新しき日本が生れる。新しい人間が生れる。朝々が新生である。昨日見た夢がどんなに見苦しいものであったにせよ。夜がそれを消してくれたのである。新しき日本が生れる。新しい人間が生れる。新しい人生が生れる。

 新しい人生をつくり出す基礎は、過去を捨てる諸君自身の能力にある。敗戦した日本などはないのである。日に日に新しき日本である。戦前よりも数等すぐれたる新しき日本である。しかも占領下に押しつけられたる民主主義の日本であってはならない。すでにそれも過去である。過去はないのである。萬物は常に新しく生れる。過去を把まなければ過去は消えるのである。押しつけられたる民主主義も結局過去のものである。それを捨てよ。捨てて新しきものを見出しそれに生きよ。

 本当の民主主義は「人間は神の子で平等だ」と云うことである。……真の人類の平和を得るには、人類すべては「人間・神の子」の自覚を確立し、自己を尊敬し礼拝すると共に、他の人をも尊敬し礼拝しなければならないのである。……≫


 とお教え下さっているのである。日本の伝統は、まさに「人間・神の子」として相互礼拝するすがたであった。そこに立ち還ることが、新しき日本再建の道であると信じます。


 安部総理が14日に発表した、「戦後70年 首相談話」 は、結構格調あるものだったと思います。その一部を収録させて頂きましょう。

          ○

≪ ……そして70年前。日本は、敗戦しました。

 戦後70年にあたり、国内外にたおれたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫
(えいごう)の、哀悼の誠をささげます。

 先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱
(しゃくねつ)の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜
(むこ)の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。


 ……戦後、600万人を超える引き揚げ者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた3千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、オーストラリアなどの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛をなめ尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後70年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵としてしれつに戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩しゅうを越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り開いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。


 ……私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦80年、90年、さらには100年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。≫


          ○

 決意新たに手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいりましょう。

 しかし、これは綺麗事(きれいごと)ではすまない、覚悟を必要とします。

 私は、四宮正貴氏の叫ばれる正論に同感しています。下記をご覧ください。

 ・「復古 即 革新」

 ・「外交とは華麗に礼装した軍事である」

  (2015.8.16)
118 昭和20年8月15日、谷口雅春先生は


<『生長の家五十年史』 より>

     終戦の日をめぐって

 昭和二十年八月十五日、今上陛下の一身を賭しての御聖断によって大東亜戦争は終結した。その日の正午、終戦の詔書を読まれる天皇陛下の「玉音」がラジオを通じて全国に放送された。

 《……朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ……戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我力民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ……惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス……》

 終戦の詔勅を聞いた国民は、愕然とし、放心し、やがて潸々
(さんさん)と両頬に伝わる涙を如何ともできなかった。

 生長の家本部仮事務所(お山の下の宮崎邸)でも、当時の本部員が集って玉音放送を拝聴した。地団駄ふんで泣く者、声を放って泣く者、皆なひとしく悲しみの涙を流した。そしてそのやり場のない悲しみの気持を持って谷口雅春先生を訪ねたのである。その時のことを堀静氏はつぎのように述懐している。

 《谷口先生は「日本は決して負けたのではない」と厳かなお声でおっしやった。しかし、先生のお言葉を信じながらも、尚、現実の有様を先生に泣きながら訴え申し上げました。すると先生は、「これから日本の実相顕現をやらねばならぬ」と、お訓し下さいました》

 それでは谷口雅春先生は、「終戦」をどのような気持で迎えられたのであろうか。
 《私はあの時、少しも悲しくもなかったし愕然ともしなかったし、涙もこぼれなかったのであります。私はあの時、「ついに来るべきものが来た、よかった。ニセ物の日本の戦は終った」と感じたのであります。私はもうその一年も前に霊界に於いて、終戦の運動が開始されていることを知ったのであります》(『生長の家』昭和二十一年二月号「新生への言葉」)

 終戦の日に、先生を訪ねて来た一人の学生に訓された谷口先生の言葉にはより詳しくその時のことが語られている。その時のことを谷口先生は『白鳩』誌の復刊第一号に「終戦随筆」として次の如く書いておられる。

 《昭和二十年八月十五日、講和の詔書が渙発せられた。私はその夕方、代用パンに添えてたべる為の味噌汁の実に春菊の葉を一握り採取して、下の畠からお山へ帰ろうとすると、本部の教化事務所を一時貸してある軍の医務室の人が「谷口先生、面会人ですよ」という。

 それは善良な神経質らしい成城学園の学生という表示を胸間に縫いつけた一人の青年であった。私は立ち留った。

 「何か御用ですか」
 「先生、今日の変化について吾々はどのように行動したら宜しいですか」
 「君は学生だから、学校当局のいわれる通り素直に随って行けば好い」
 「吾々は今日のことについて、どのように考えたら好いのですか」

 それは肇国以来一度も負けたことのない日本が、敵の「無条件降伏せよ」との提案を受諾したということについて神国必勝の理念が覆
(くつがえ)されるのではないかという意味を含んでいるが、そんな言葉をハッキリ表に出したくない意味が読めた。私にしても同じことだ。

 「今日のことか。国体とは国の面積の広さのことではない。また相手を叩き伏せる暴力的強さのことでもない。我が国の国体は天皇の大慈悲が国を貫いているということだ。

 陛下は 『自分の一身はどうなってもよい、一億の民草をこれ以上苦しめるには忍びない』 と仰せられた。ここに仁徳天皇の大御心が今上陛下に現れ給うた。

 今日ほど日本の国体が明瞭になったことはない。国体とは天皇の大慈悲が国を貫いているということだ。

 わかったかね、皇軍というのも真の皇軍とは形の上の人を殺傷する軍隊のことではない。この大慈悲の軍隊なのだ。

 天皇の大慈悲はキリストの大愛と同じである。キリストは十字架に上らんとする時『吾れ世に勝てり』といった。勝つとは暴力のことではない。自己を十字架につけて万民を救うということだ。どうだ、わかったかね、わかったら帰りたまえ」

 「はい」
 その青年は帰って往った》 (『白鳩』昭和二十年十一月号)

 このときの問答を傍で見守っていた堀氏は、

 《畑仕事を終えられた先生は、トルストイのような百姓姿で、鍬を支えて立っておられました。そばに青年が、殺気立った、今にも先生にとびかかるような様子で立っている。心配になりながらウカツにそばに行くこともできず見ていると、何ともいえない険悪な雰囲気です。その中に先生がじゅんじゅんと説かれるお言葉に、青年は遂に土下座になって泣き出した。若い人達の張りつめた純な気持がよく現れていた。

 後で本人に聞くと、先生にダマサレたと思い、横須賀から駆けつけてきたそうで、懐に白刃を忍ばせ、相撃ちの覚悟できたとのことでした》

 と語っている。
 その後も、青年に限らずあらゆる年輩の人が先生のもとを訪ねて来ているがそれは、愛する祖国が敗れ日本人としての自信を見失った当時の人々の悲痛な余りの行動であった。それらの人々に谷口雅春先生は「真の国体とは天皇の大慈悲のことであって、国体は決して滅びたのではない」と諄々と訓されたのであった。
 <以上は 『生長の家五十年史』 より>

          ○

 <次に、『古事記と現代の預言』 より抜粋>

      天皇は身を捨てて国民を救われた

 天皇がどんなに、一身を犠牲にしてでも、日本国民をたすけたいと思われたかということについて、以前鈴木終戦内閣の書記官長だった迫水久常氏が、『終戦の真相』と題する冊子をものして送って来られましたが、その中に、その席に参列した内閣書記官長の記録として、終戦直前の御前会議の模様が詳しく語られていますので、次にそれを引用させて頂きます。迫水氏はこう語っています。――

 「御前会議は八月九日夜十一時から開かれました。列席者は、総理、外務、陸軍、海軍の四大臣、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長、平沼枢密院議長の七名が正規の構成員でありまして、陪席員は、私、陸海軍の軍務局長、内閣綜合計画局長官の四名、合計十一名であります。正規構成員七名の中、現存者は豊田軍令部総長だけであります。
 会議場は宮中防空壕内の一室で約十五坪のお室でありました。地下十メートルであります。一同席について陛下をお待ちしました。

 陛下は足取りも重く、お顔は上気したるが如くにて入って来られました。今も深く印象に残っておりますのは髪の毛が数本額に垂れておられた事です。

 会議は総理が司会致しまして、先ず私がポツダム宣言を読みました。日本に耐えがたい条件を読むのでありますから全く堪まらないことでした。

 次に外相が指名されて発言しました。その論旨はこの際ポツダム宣言を受諾して戦争を終わるべきであるということを言葉は静か乍ら断乎申されました。

 次に阿南陸軍大臣は、外相の意見には反対でありますと前提して、荘重に涙と共に今日までの軍の敗退をお詫びし、しかし今日と雖も、必勝は期し難しとするも必敗とはきまってはいない。本土を最後の決戦場として戦うに於いては、地の利あり人の和あり死中に活を求め得べく、若し事志と違うときは日本民族は一億玉砕し、その民族の名を青史に止むることこそ本懐であると存じます、と言われました。

 次の米内海軍大臣はたった一言、外務大臣の意見に全面的に同意でありますと言われました。

 平沼枢密院議長は列席の大臣、総長にいろいろ質問されたのち、外相の意見に同意であると言われました。

 参謀総長・軍令部総長はほぼ陸軍大臣と同様の意見であります。

 この間約二時間半。陛下は絡始熱心に聞いて居られましたが、私はほんとうに至近の距離で陛下の御心配気なお顔を拝して涙のにじみ出るのを禁じ得ませんでした。

 一同の発言の終わったとき、私はかねての打合わせに従って総理に合図致しました。
 総理が立ちまして徐
(おもむろ)に『本日は列席者一同熱心に意見を開陳致しましたが、只今まで意見はまとまりません。しかし事態は緊迫して居りまして全く遷延を許しません。誠に懼れ多いことでは御座いますが、ここに天皇陛下の思召(おぼしめ)しをお伺いして、それによって私共の意見をまとめたいと思います』

 と述べられ静かに歩を移して陛下の御前に進まれました

 その時、阿南さんはたしかに『総理』と声をかけられたと思います。併し総理はおきこえになったのか、おきこえにならなかったのか、そのまま御前に進まれまして丁寧に御礼
(ぎよれい)をされまして『只今お聞きの通りで御座います。何卒思召しをお聞かせ下さいませ』と申し上げました。

 陛下は総理に対し席に帰って居るようにと仰せられましたが、総理は元来耳が遠いためによく聞き取れなかったらしく、手を耳にあてて『ハイ』というふうにして聞きなおしました。この間の図は聖天子の前に八十の老宰相、君臣一如と申しますか何とも言えない美しい情景でありました。

 総理は席へ帰りました。天皇陛下は少し体を前にお乗り出しになるような形でお言葉が御座いました。緊張と申してこれ以上の緊張は御座いません。

 陛下は先ず 『それならば自分の意見を言おう』 と仰せられて 『自分の意見は外務大臣の意見に同意である』 と仰せられました。

 その一瞬を皆様、御想像下さいませ。場所は地下十米の地下室、しかも陛下の御前。静寂と申してこれ以上の静寂な所はございません。陛下のお言葉の終わった瞬間、私は胸がつまって涙がはらはらと前に置いてあった書類にしたたり落ちました。私の隣は梅津大将でありましたが、これまた書類の上に涙がにじみました。私は、一瞬、各人の涙が書類の上に落ちる音が聞こえたような気がしました。次の瞬間は号泣であります。

 涙の中に陛下を拝しますと、始めは白い手袋をはめられたまま親指を以てしきりに眼鏡をぬぐって居られましたが、ついに両方の頬をしきりにお手を以てお拭いになりました。陛下もお泣きになったのであります。

 建国二千六百余年、日本の初めて敗れた日であります。日本の天皇陛下が初めてお泣きになった日であります。ああ何とも申す言葉がございません。

 お言葉はそれで終わりかと存じました。然るに陛下はしぼり出すようなお声をもって『念のために理由を言って置く』と仰せられました。このことは私、今日まで公開の席で申し上げたことはございませんが今日は申し上げます。(註・これは道徳科学研究所での講演であります)陛下の次に仰せられましたことの要領は次の通りであります。

 『大東亜戦争が初まってから陸海軍のして来たことを見ると、どうも予定と結果が大変に違う場合が多い。今陸軍、海軍では先程も大臣、総長が申したように本土決決戦の準備をして居り、勝つ自信があると申して居るが、自分はその点について心配している。先日参謀総長から九十九里浜の防備について話を聞いたが、実はその後侍従武官が実地に見て来ての話では、総長の話とは非常に違っていて、防備は殆ど出来ていないようである。又先日編制を終わった或る師団の装備については、参謀総長から完了の旨の話を聞いたが、実は兵士に銃剣さえ行き渡って居らない有様である事が判った。

 このような状態で本土決戦に突入したらどうなるか、自分は非常に心配である。或いは日本民族は皆死んでしまわなければならなくなるのではなかろうかと思う。そうなったらどうしてこの日本という国を子孫に伝えることができるか。

 自分の任務は祖先から受けついだこの日本を子孫に伝えることである。今日となっては一人でも多くの日本人に生き残っていて貰って、その人達が将来再び起ち上がって貰う外に、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。

 それにこのまま戦いを続けることは世界人類にとっても不幸なことである。自分は明治天皇の三国干渉の時のお心持も考え、自分のことはどうなっても構わない。堪えがたきこと忍び難きことであるが、この戦争をやめる決心をした次第である。』

 陛下のお言葉は人々の号泣の中にとぎれとぎれに伺いました。日本国民と更に世界全人類の為に自分のことはどうなっても構わないという陛下の宏大無辺なる御仁慈に封し、唯ひれ伏すのみでありました。……陛下が日本人のみならず、世界人類の平和と幸福のために、自分のことはどうなってもよいというお考えで、この聖断を賜りましたことは何とも有難いことであります。……

 私は親鸞の教えのことはよく存じませんでしたが、唯常識として阿弥陀様は『衆生を済度することが出来なければ仏にはならぬ』という誓願を立てられて、ただひたすらに、衆生済度の本願に生きて居られるのだということを聞いて居りました。阿弥陀様にこの本願あるが故にこれを信ずることによって、衆生はその他力によって済度されるのだというのであります。私は陛下のお姿を拝しお言葉を伺っている中
(うち)に、陛下が御自分のことはどうなっても構わない、日本人が一人でも多く生き残って、否、世界全人類が幸福になるようにというお心持を拝しましたときに弥陀の本願というものはこういうものではなかろうかと考えました。陛下のお姿には後光がさしていたと申す外はありません。もし絵に写すのならその尊い有難いお姿は後光を書きそえて表わす外はないでありましょう。私は陛下におすがりすることによって、そのお力によって救われると思いました。」

 迫水久常氏は当時の感想をこのように書いているのであります。その後、ポツダム宣言を受諾した場合の日本の「国体の護持」について疑問があり、そのために連合国に対しての回答が遅れていたのでありますが、米国側からは日本の回答を迫ってまいります。それで迫水氏は鈴木総理を促して陛下より最終段階の御前会議を召集して頂くことにしたのでした。迫水久常氏は、終戦直前の御前会議の模様を次の如く語っていられます。

 「総理は十四日早朝参内して拝謁して陛下の方から十六人の大臣全部、枢密院議長、陸海軍の総長のお召しを願って、おさとしを頂くことにお願い申し上げお許しを受けました。

 十四日午前十時一同はお召しによって参内、先般の御前会議の室に集まって陛下の御出席をお待ちしました。私も出席致しました。今度は全部で二十三人であります。

 総理より経過の概要を説明したあと、陸軍大臣、参謀総長、軍令部総長からそれぞれ、先方の回答では国体護持について心配である。しかし先方にもう一度たしかめても満足な回答は得られないであろうからこのまま戦争を継続すべきであるという意見を声涙共に下って申し上げました。

 陛下は総理の方に向かって、外に発言するものはないかという意味の御合図があって後、『皆のものに意見がなければ自分が意見をいおう』と前提せられてお言葉がありました。『自分の意見は先日申したのと変りはない、先方の回答もあれで満足してよいと思う』と仰せられました。

 号泣の声が起こりました。

 そして陛下は玉砕をもって君国に殉ぜんとする国民の心持はよく判るが、ここで戦争をやめるほかに日本を維持するの道はないということを、先日の御前会議と同じように懇々とおさとしになり、更に又皇軍将兵戦死者、戦傷者、遺族更に国民全般に御仁愛のお言葉があり、しばしば御頬を純白の手袋をはめたお手にて拭われました。

 一同の感激はその極であります。椅子に腰かけているのに堪えず床にひざまずいて泣いている人もありました。

 しかし私共を現実の敗戦の悲しみを超えて、寧ろ歓喜にひたらせたものは、この次に仰せられた陛下のお言葉で御座います。

 陛下は 『こうして戦争をやめるのであるが、これから日本を再建しなければならない。それはむずかしいことであり、時間も長くかかることであろうが、それには国民が皆一つの家の者の心持になって努力すれば必ず出来るであろう。自分も国民と共に努力する』 と仰せられました。

 ……陛下のお言葉の中には全く他日の復讐を期するというお心持はないのであります。宏大無辺な御仁慈は国民のみならず、広く、人類の安心平和幸福を希い給い、又将来日本が国際社会の一員として世界平和の確立に大いに寄与するため、新しき日本が新しき民主主義の基礎の上に、道義の香り高き文化国家を再建することを希い給うたのであります。」

 こうして陛下は一般国民に対しては納得の行くように、みずからマイクを通じて話しかけてもよいと仰せられ、昭和二十年八月十四日午後十一時、米国にポツダム宣言を受諾する旨の電報が発せられたのであった。

 <以上、『古事記と現代の預言』 より抜粋謹写>

  (2015.8.15)
117 原子力を生かした新しい文化創造のために (9)


 『古事記』 に出てくる神代七代の御神名は、現象世界の根源にある理念の世界――キリスト教でいえば「みこころの天に成る世界」、生命の実相哲学でいえば「実相世界」の特色を神名であらわしたものと言われています。(#89#90参照

 原子力の平和利用――原発は、「みこころの天に成る世界」すなわち「実相世界」にないものなのでしょうか。いや、決してそんなことはない、神の愛の賜であると、私は思います。(#82参照

 『古事記』 神代七代のくだりについて、谷口雅春先生詳しいご解釈を、『古事記と日本国の世界的使命』(光明思想社刊)より抜粋引用させていただきます。

          ○

     唯一絶対本源神

 ◇天地
(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原に成りませる神の名は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かみむすびのかみ)。この三柱の神は並(みな)独神(ひとりがみ)成り坐(ま)して、身(みみ)を隠したまひき。次に国稚(わか)く、浮脂(うきあぶら)の如くして、久羅下那洲多陀用幣琉(くらげなすたたよへる)時に、葦牙(あしかび)の如萌え騰(あが)る物に因りて、成りませる神の名は、宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)、次に、天之常立神(あめのとこたちのかみ)。此の二柱の神も独神成り坐して、身を隠したまひき。

 (ご解釈) この『独神
(ひとりがみ)成り坐(ま)して』というのは、独りの神様、唯一絶対の神様であるという意味であります。絶対神であって相対の神様でない。それから『身(みみ)を隠したまいき』即ち身体を隠しておられた、言い換えると五官に触れるような相(すがた)のない神様であった。絶対神にして無相の神様、これが天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、この三柱の神様であったというのであります。

 古代日本には七難
(しちむつ)かしい哲学がない。それだのに古代の日本人はこの『絶対神』というものをちゃんと知っておったということがこの記録に明かに出ているのであります。この点日本人はたいへん勝(すぐ)れた直覚的認識を持っていた国民であるということがわかるわけであります。日本の国は昔から理屈のない国である。言挙(ことあ)げせぬ国で、色々と議論を論(あげつら)わない国であるにも拘らず、その儘素直に、絶対の神様を知っていた、独神成り坐しておられたところの神様を知っていた、相(すがた)の無い神様を知っていた。日本人は偶像崇拝教であって、相(すがた)のない唯一独一神を知らなかったのであって、近世になって基督教によって輸入せられたなどと考えるのは間違であります。

 ところで此の天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)といわれる神様は何処におられるかといいますと、高天原におられる、とこういう風に書いてある。高天原は何処であるかといいますと、これは実相の世界であります。『生命の實相』にも高天原の解釈が書いてありますが、『タ』というのはこれは陽の声、高いという言葉、父という言葉、立つ、起つ、龍、勢いよく縦に高く立騰るような内容の言葉でありまして、陰陽で云うと陽の声であります。『カ』というのは隠れる、限りある、幽
(カスカ)という具合に、力が外に余り現れない、幽かな、弱いという風な意味を含んでいるのであります。ですからタカというのは陽と陰とが互いに交叉することであります。これが十字に交叉しますと、これは基督教の標識になる。そうしてこれが少しく回転すると、生長の家のマークにあるように、卍の形になるのであります。卍の形になって回転する、その回転が早くなるとみんな周囲が真ン円くなりまして、それが日章旗になり、真ン円くなるのであります。日本国の標識である日章旗は、十字も卍字も倶に包含したものであって、日本の国に一切宗教包容の万教帰一運動が起るのは当然のことであります。

 天(アマ)の『ア』は現れるという意味であります。これは、言霊
(ことだま)学を講義する時に詳解しようと思いますが、アは『現れる』とか、『頭』であるとか、『赤い』とか、『明るい』とか、みなこのあらわれる意味であります。『マ』は真ン円い、真ン円く現れる、陰陽十字交錯し、卍字に回転し、更に完全に回転して真ン円く現れている。そしてそれが広く拡がっている。ハラというのは広々と続いているので、それが高天原で大宇宙であります。この大宇宙に成り坐せる神が天之御中主神である。

 成りませるというのは鳴り響いているということであります。高天原という或る場所にヒョッコリ生れたのが天之御中主だなどというようなケチな意味ではない。『総てのものコトバによってつくらる』ということが聖書のヨハネ伝の第一章にありますが、その通りでありまして、コトバは神である。大宇宙高天原に鳴り響いているところの神様、それが天之御中主神そのものであるということになるのであります。

 最近発達して来ました新興物理学に於きましては、宇宙は真ン円いという風な新説が現れているのであります。この空間というものは曲っているので、どこどこ迄も一直線にずっと宇宙を貫いて窮極まで走って行ったら終に元へ帰って来るというような新しい宇宙学説が現れておりますが、それが既にこの古事記にちゃんと書いてあるのであります。吾々が眼で見ると穹窿
(あおぞら)が球状に見えるのは単に眼球の構造だけではないらしいので空間そのものが円い、即ち『天(あま)』(顕円(あま))であります。

 その真ン円い大宇宙に張り満ちて鳴り響いておられるところの神様がこれが天之御中主神様であります。大宇宙に張り満ちていると申しますと、大宇宙という容器に天之御中主神という神様が入っていられるように考えられるかも知れませぬが、そうではない、天之御中主神の内容がコトバであり、その広袤
(こうぼう)が大宇宙であって、唯一のものを内から見たらコトバ即ちミコトであり、外から見たら宇宙であります。

 ですから天之御中主神は全ての全てであり、絶対神であって、別に他に神はない、天之御中主神一元であるということになるのであります。その一元の天之御中主神様が、高御産巣日神、神産巣日神とこう二つの働きを現し出されて、三神一体の働きをせられる。

 天地の初発に先ず一如の世界からコトバの展開として陰陽二柱の神様、言い換えると陰陽二つの原理が交錯してそこに回転運動が始まり、至大天球
(たかあまはら)即ち真ン円い宇宙が出来上ったのでありますが、その時葦の芽が萌え出る様にムクムクと出て来た神様の名が宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢの)神、次に天之常立(あめのとこたちの)神。此の二柱の神様もやはり 『独神(ひとりがみ)なりまして身を隠し給うた』 即ち、絶対神であります。

 こう申しますと、絶対神が沢山あるということになりまして、一見変でありますけれども、これは絶対神が幾つもあるという意味ではなく一つの絶対神の多種多様の働きをして、一つ一つ神々として名前が付けてあるのです。来って来る所なく、去って去る所なき本元唯一の毘盧遮那
(びるしゃな)仏が十方の諸仏と現れられたのと同じであります。

 それでこの、宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢの)神はどういう働きであるかと申しますと、『宇麻志
(うまし)』といえば、御飯でも喰べるとおいしい、うまいというのと同じで、物を讃歎する言葉、仏教でいえば妙法蓮華経の『妙』であります。何と形容したら良いかわからないので『宇麻志』と讃歎したわけであって、その霊妙な働きを言い現してあるのです。

 『葦牙
(あしかび)の如萌え騰(あが)る』というのは、無限の創造、無限の創造の働きがそこに現れて来たのである。その次に天之常立(あめのとこたちの)神様、これはどういう神であるかというと天之御中主神様のもう一つの働きを現している。『天(あめ)』というとこれは宇宙全体をいうのでありまして、天地の区別が未だ剖(わか)れない前に『天』とあるのは『至大天球(あめ)』即ち宇宙全体を指すのであります。常立というのは、金剛不壊(とこたち=こんごうふえ)である。『至大天球(あめ)』を貫いておる金剛不壊(とこたち)の実相の神様、これが天之常立神であって、いずれも唯一絶対の神から展開した色々の働きを、神様の名前を以て現したということになるのであります。


 ◇次に成りませる神の名は、国之常立
(くにのとこたちの)神、次に豊雲野(とよくもぬの)神。此の二柱の神も独神(ひとりがみ)成り坐して、身を隠したまひき。

 この二柱の神様もやはり絶対神であって、身の無い、無相の神様であります。絶対神は二つあるという訳に行きませぬから、これ又天之御中主神の働きを現している神様であるということの意味が現れているのであります。国之常立神様というのは、天之常立神様と一対に云ったので、国即ち宇宙の金剛不壊の神即ち金剛不壊実相の神様であるという意味であります。

 豊雲野神
(とよくもぬのかみ)というのは、豊、雲、野という字が示しているように、これは無限創造ということを現しているのです。この雲が湧き出るようにムクムクと色々の観念が現れてくる。総てのもの心によって造らる――その心のヒビキが言葉でありますから、言い換えると総てのもの言葉によって造られるのです。此の言葉に展開するまでの『念』がムクムクと豊かに雲の湧くように湧き出て来る神様であるというのが豊雲野神様です。野というのも全てのものが生(お)い出ずる所であります。生長の家の聖経『甘露の法雨』に書いてあるように、創造の神様は槌をもってこの天地を造ったり、鑿(のみ)をもって万物を造ったりするのではないのであって、創造(つく)るといっても創造り方が異うのであって、色々の観念が雲のようにムクムクと湧き出たるところの神様です――この神様も天之御中主神様の働きの一つでありますから、『独神成り坐して身を隠し給いき』とあるのであります。

          ○


 さて、人間は「神の子」であり、神の創造力の噴出口でありますから、人間の心に自然に「葦牙(あしかび)の如く萌え騰(あが)り」、「ムクムクと豊かに雲の湧くように湧き出て来る」 ところの思いは、神が人間を通して現象界に無限創造のすがたをあらわし出そうとされている、神の力に基づくものと考えてよろしいでしょう。原子力エネルギーの平和利用も然りです。

 トリウム原発開発推進に命をかけた古川和男氏(故人)は、『原発安全革命』で次のように述べています。

 
≪我々の求めているものは何か。
 第二次世界大戦後、北欧の社会民主主義運動の先導者でもあった科学哲学者カール・ポパーは、哲学は「宇宙論」であるべきだと言ったが、今は「人間学」として考えてみたい。

 まず求めているのは「平和」である。若いときインドの哲学者(駐日大使)が「宗教とは命を大切にすることだ」と教えてくれた。「殺さない」ことである。まず戦争をなくすことである。長崎以後の65年間、1発も実用にできない核兵器が、いまだに存在するなど論外である。

 我々が「命」の次に求めているのは「自由」だろう。我々は本心「気ままに生きたい」のである。自由は底知れず深遠な命題である。孔子の「心の欲する所に従って矩
(のり)を踰(こ)えず」という境地や、老子の「無為自然」には、その深遠な自由がある。しかし、現世の我々は、深遠な自由をつかみ人里離れて暮らす仙人にはとてもなれないし、そんな仙人になれなくても、文明を謳歌満喫しつつ自由に振る舞いたいのである。その人たちの「平和」と「自由」を保障するのは「エネルギー」である。食物も、あらゆる意味での環境も、そして労働が関わる時間もみな「エネルギー」に依存する。

 「エネルギーの供給を充分に!」と言うと、「そんなことをすると、無駄づかいをして地球を壊す」とよく真剣に批判された。一理はあるが、ものは充分あれば必ず無駄づかいするものだろうか。ある面ではそうかもしれないが、たとえば、充分ある空気を無駄づかいするだろうか。空気を吸い過ぎると、過酸化状態になり危険である。電力が充分に得られる状況になったら、きっと何かが起こるだろうが、解決できる、解決に向けて努力するのが楽しみになるはず、と考えたい。少なくとも「エネルギー不足で人が餓え、殺し合い、地球が砂漠化してゆくよりはよい」と信じたい。

 文明は、文化は、飽くなき創造で支えられるものである。支えるのは人間の努力であり、智慧である。智慧とはまさに科学精神である。「科学」とは何か、と否定的に問う人の多い時代だが、私は科学とは、「人間が平和に自由に生きたいと願い、みんなで『共同して努力する』思想態度」と解している。

 「科学精神」を改めて鼓舞するのが、最も大切ではなかろうか。我々の「地球」をより住みよいものにするために。それなしには、我々のエネルギーシステムも絵に画いた餅である。≫


 と。

 <つづく>

  (2015.8.13)
116 原子力を生かした新しい文化創造のために (8)


 西洋の「破壊する力」に比較して、日本人の持つ「造り変える力」とは、外国の文物をそのまま導入するのではなく、日本の伝統文化にあった形に造り変えて受け入れ、多くの場合元の物よりも優れたものに改良してしまうという日本人の古来の智慧である。この「造り変える力」こそ、わが国が歴史上幾度となく見舞われた国難の際に、生き延びることを可能にした伝家の宝刀である。

 外来の知や技術に対して門戸を閉ざすという排外主義は、わが国体に反する。原子力の平和利用に対しても、和魂洋才の 「造りかえる力」 で――ウラン原発をトリウム原発に代えるなど、技術革新をすすめることによって、新しい原子力文明を作り出すのが日本の使命ではないか――私は素人ながらそう考えている、と昨日書きました。

 昨夜は、「一般社団法人 放射線の正しい知識を普及する会」 というのを立ち上げて活躍している友人 茂木弘道氏を訪ね、いろいろ資料の提供を受け、懇談してきました。
 茂木氏は、『放射能を怖がるな! ラッキー博士の日本への贈り物』 の翻訳紹介者で、「史実を世界に発信する会」事務局長も務めています。

 古川和男著 『原発安全革命』(文春新書、トリウム原発推進の書)のことも話題にしました。茂木氏は、トリウム原発には、核燃料に使うトリウム同位元素を分離濃縮する過程にもまだコストのかかる大きな困難があり実用化に至っていないと聞いている、ということでした。今日は、原発専門家の石川迪夫氏にもメールで質問してみました。石川氏からは、次のような返事が来ました。

 
≪トリウム炉のことは――核分裂にはトリウム、ウラン系列とウラン、プルトニウム系列があり、マンハッタン計画で後者が採用されたので今日の原発ができたと考えれば良いでしょう。<註。マンハッタン計画とは、第二次世界大戦中、枢軸国(日独等)の原子爆弾開発情報に焦ったアメリカ、イギリス、カナダが原爆開発・製造のために、科学者、技術者を総動員した計画>

 
トリウム炉は、トリウムをスラリー状液体にして核分裂させるもので、今日の原子炉とは全く違います。従ってまだ原子炉の設計すらない(ポンチ絵くらいはあるでしょうが)と言っても良いでしょう。トリウムはインドに多く産出しますので インド政府は力をいれています。このところトリウム炉に興味を抱く人も出てきているようですから、大いに勉強して貰えば良いと思います。

 ただ、実用化以前の科学技術は常に美しいのです。だが実用化はそう簡単なものではありません。原子力がかつてそうでした。宇宙はいまその状態にあります。トリウム炉も同じでしょう。実用化されるまでには多大の費用と勉学が必要な上に、問題が起きる度に修正をしていかねばなりません。大変です。

 古川さんは 私が原研に居た時におられましたが、顔見知り程度で、親交はありませんでした。研究室に閉じこもっていて、原子炉や原発の運転現場には余り縁のなかった方でした。トリウム炉のことは私は勉強していません。≫


 ――ということでした(石川迪夫氏)。

 私は思います。今、LED電球が革命的な省エネ・長寿命の照明具として急速に普及していますが、それができるようになったのは、青色発光ダイオードの発明からだった。これは長年世界中の研究者が開発に努力を重ねてきたができなかった。それを日本の赤崎勇、天野浩、中村修二氏らが遂に効率的な青色発光ダイオードを発明、これを長い歴史をもつ赤色・緑色のダイオードと混合することにより、明るく省エネな白色光源を可能としたのである。(上の3氏は昨年ノーベル賞受賞)

 トリウム原発も、「実用化されるまでには多大の費用と勉学が必要な上に、問題が起きる度に修正をしていかねばならぬ。大変です」 という状況にあることはわかりました。しかし、ねばり強く不撓不屈の精神で研究開発を続けて行けば、やがてきっと可能になる日が来るのではないか。

 石川氏も、前に引用しましたように、「原子力は、人類の未来の生活を左右する、大きな使命を持っている文化である。新しい文化の受け入れには、必ず反対者が出てくるのが人間世界の歴史である。たとえば日本にとっての具体例は、仏教の伝来と定着。日本に仏教が入ってきてから皇室に認められるまでに百年かかっている。
 原子力平和利用の歴史はまだ50年あまりだ。仏教が定着した時間の半分しかたっていない。原子力は大きな文化変化の力を持っている。焦らずに着実に進めるべきだ。」

 と言っている。

 夢をあきらめず、原子力を生かした世界の平和、新しい文化創造のために、日本の使命を果たすよう努力しましょう。

  (2015.8.11)
115 原子力を生かした新しい文化創造のために (7)


 私の尊敬する青年会時代の偉大な先輩 木間敬
(きま・けい)<本年5月帰天>が、下記のように 『理想世界』 昭和51年11月号(岡が同誌編集長時代)に書いて下さった珠玉の論文があります。

≪ 日本の心を求めて(三)――生命のふるさと・まつりの原点――
     木間 敬(『理想世界』昭和51年11月号)

    ひのもとは生命のふるさと

 「日の本の国に生を享けた」ということ、このことに思いを致しますと、何とも譬えようもなく有難く、また身の引締まる思いがして参ります。

 「日の本」は「霊
(ひ)の本」でありまして、全ての「もの」、「こと」の根元であり、此の世の知識・信仰・芸術・制度・慣習、科学技術から日常の衣食住に至るまで、全てのものが三次元の世界に現われる以前の形相(ものを物たらしめる本質)は「霊(ひ)の本」から発して世界各地の民族性を反映して固有の文化を形成します。

 よく「日本には固有の文化がない、全て外国からの輸入物で雑居文化である」といった妄論を聞くことがありますが、文化の本質論として次の事が言えます。

 「宗教・哲学等の価値観の異なる文化圏が接触した場合は、互いに反撥して対立するか、一方が他方を征服して抹殺してしまうかのいずれかである、従って文化を輸入することは出来ない」といった一般原則があります。この原則は古今東西の歴史が証明するところですが、この一般原則に当てはまらないのが日本の国であり日本の文化であります。

 日本文化雑居論者はこの一般原則に照らして雑居すること自体の不思議とそれが単に雑居するだけでなく昇華され融合されて行く事実について研究する必要があります。
 近代の宗教一つを取上げて見ましても、仏教やキリスト教が「日本の生命
(いのち)」に触れた時その本来の姿を現わして「生長の家」という国家的に世界的に完成される宗教に変貌致します。

 要するに「霊
(ひ)の本」から発して世界の各地で個別に華開いた思想や文化が、お里帰りをすると新しい生命に生まれ変るのであります。

 このことは個生命としての人間も同様で、例年8月の旧盆になりますと数キロにわたる自動車道路の渋滞や満員列車をものともせずに、大勢の人達が大都会から故郷へ里帰りをします。故郷へ帰った人達は暖かい人情や土地の霊気に浴して生まれ変ったように元気になって戻って来ます。…(後略)…≫


 ――『いま本当に伝えたい 感動的な「日本」の力』 などの著者 馬渕睦夫氏も、同様なことを前書第三章で詳述しておられます。以下、抜粋要約します。

          ○

 わが国が近代化とアイデンティティーの両立に成功した秘訣は何か。それは日本人が古から持っている「造り変える力」である。

 この言葉は芥川龍之介の短編小説「神々の微笑」の中に出てくる。これは安土桃山時代の日本ヘキリスト教の布教にやって来たイタリア人神父オルガンティノ(実在の人物)と日本を古来守ってきた老人の霊との対話の物語。

 キリスト教が、1549年にイエズス会のフランシスコ・ザビエルによって日本に伝えられ、その後も多くの宣教師が来日して、キリスト教の布教に努めたが、困難を極めた。

 悩む日々を過ごしていたオルガンティノの前に一人の老人が現れ、キリストも結局日本では勝つことはできないだろうと告げる。ただ帰依するだけならば何人でもキリスト教徒になるだろう、現に日本人は大部分仏陀の教えに帰依している、と言ってこう付け加える。「我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。だから、いずれキリストも日本人に変わってしまうでしょう」と言い残して、老人はオルガンティノの前から消えていく。

 つまり、キリスト教の神と日本の神神との戦いは、「破壊する力」対「造り変える力」だという。

   キリスト教文明の破壊する力

 では、老人が言う「破壊する力」とは、どのような力か。身近な歴史の例を挙げれば、西洋の植民地主義者の弱肉強食の力の論理であり、一神教的な対立世界観に基づく権力政治の論理だ。

 16世紀のスペインによるラテン・アメリカ征服の歴史は、キリスト教文明の「破壊する力」の罪悪を余すところなく私たちに伝えている。彼らスペイン人たちは、遅れた原住民をキリスト教化するという美名の下に次々とラテン・アメリカ諸国に征服戦争を仕掛け、金銀財宝を略奪し、無抵抗な原住民を容赦なく虐殺し、平和に暮らしていた諸王国を破壊しつくした。このおぞましいスペイン人征服者の残虐行為を告発して有名になったのが、スペイン人司教ラス・カサスが書き記した『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(染田秀藤訳、岩波文庫)である。

 キリスト教文明の持つ「破壊する力」に当時の日本人はどう対抗したか。幸い日本には宣教師はやって来たが、軍隊は来なかった。しかし、庶民だけでなく大名の中にもキリスト教に改宗するものが出てくる等キリスト教が政治的影響力を持つようになると、伴天連(バテレン=宣教師)追放令が出され、徳川時代になるとキリスト教は禁止される。以後300年近くにわたり、日本はキリスト教と隔絶された。

 この西洋の「破壊する力」は、やがて江戸末期に今度は黒船となって日本に姿を現し、わが国に力ずくで開国を迫ることになった。

   「造り変える力」という智慧

 西洋の「破壊する力」に比較して、日本人の持つ「造り変える力」とは、外国の文物をそのまま導入するのではなく、日本の伝統文化にあった形に造り変えて受け入れ、多くの場合元の物よりも優れたものに改良してしまうという日本人の古来の智慧である。この「造り変える力」こそ、わが国が歴史上幾度となく見舞われた国難の際に、生き延びることを可能にした伝家の宝刀であると言える。

 例えば、紀元四世紀末ごろに儒教が伝来した際は、文字を持たなかったわが国は中国語を訓読し、やがて仮名文字を発明して、あくまで日本語読みを貫きながら、儒教の文献を学んだ。漢字を使って文章を書いても、音だけを借用した。そうして中国語を拒否し、日本語を守った。

 あくまで中国語を拒否したことが、その後の日本の文化的独立及び日本固有の文化の形成にどれほど貢献したか、改めて考える価値があるだろう。

   仏教も造り変えられた

 儒教の次に日本にやってきたのは仏教。6世紀中葉の仏教の導入は、蘇我氏と物部氏の戦いに見られるように、日本国家を文字通り二分する大事件だった。

 その後仏教は、本地垂迹説や神仏習合思想によって、わが国の伝統的な宗教である神道と矛盾するものではない形に造り変えられて、神道と共生することができた。本地垂迹とは、日本の神々は仏教にいう仏や菩薩などが姿を変えて現れたものと見做す考え。例えば、宇宙の真理を体現する密教の教主である大日如来は天照大神となって日本人の前に現れたと見做す。

 さらに、平安時代以降、日本人を開祖とする仏教宗派が生まれ、現在日本人の殆どはこれら日本仏教諸宗派の信徒になっている。老人の霊が言ったように、仏陀は日本に来て日本人に変わってしまった。

   日本「国難」の歴史

 「破壊する力」たる黒船の開国要求に対しては――

 幕末には開国派と攘夷派に国論は二分されたが、明治維新以後「富国強兵」「殖産興業」のスローガンの下で文明開化を成し遂げ、欧米の植民地になるのを免れることができた。明治政府の取ったこれらの政策は、単に欧米の真似をするという「欧米化」ではなかったことに注目すべきだ。

 第二次世界大戦の敗北とGHQによる占領は、明治以来戦争に負けたことがなかった日本人にとって経験したことのない衝撃と屈辱であった。この戦争の荒廃からの復興を支えたのは、日本人の高貴な精神、すなわち「和魂」であった。この「和魂」を基盤として、会社共同体による年功序列、終身雇用、系列方式などの日本独自の会社経営方式と、護送船団方式や傾斜生産方式などと言われる政府の行政指導の下で、世界第二の経済大国にまで上り詰めることができたのである。まさに、アメリカ流の企業経営方式を日本的に造り変えることによって、物つくりの精神を遺憾なく発揮することが出来た。

   生活の一部となる造り変える力

 このように世界を驚嘆せしめた日本の奇跡の復興は、日本人一人一人の高貴な精神と物つくりの精神によって成し遂げられた。

 「和」の精神は、神々も、自然も、人間も、万物が矛盾対立ではなく融合の上に成り立つとするものである。日本国家は「和」の原理から生まれたのだ。

          ○

 佐藤優著 『日本国家の神髄 禁書「国体の本義」を読み解く』 でも、次のように言っています。

 ≪中国から『孟子』を携えて日本にやってくると、なぜ海難に遭うのだろうか? それは『孟子』が易姓革命思想を説く書だからである。日本は神の国であり、皇統が存続している。日本に革命はありえないのだ。それだから、日本人は易姓革命思想を忌避するのである。

 しかし、それは『孟子』の中で展開されている言説を一切受け容れないということではない。『孟子』をわが国体に則って、換骨奪胎して受け容れるのである。これが菅原道真の述べた「和魂漢才」である。それが明治期以降は「和魂洋才」となる。

 ここで重要なことは、「漢才」、「洋才」が、日本民族と日本文化が存続し、発展するために必要だということだ。外来の知や技術に対して門戸を閉ざすという排外主義は、わが国体に反するのである。≫

 と。

          ○

 日本は今、原子力の平和利用文化に対して、門戸を閉ざすのではなく、和魂洋才の 「造りかえる力」 で――換骨奪胎して、ウラン原発をトリウム原発に代えて新しい原子力文明を作り出すのが使命ではないか――と、私は素人の爺ながら、考えております。

 古川和男著 『原発安全革命』(文春新書) の“オビ”では、次のように言っています。

 ≪福島の事故以来、原発を不安視する声は急速に高まっている。とはいえ、すぐに原発をやめるわけにはいかない。現代社会にエネルギーは不可欠だからだ。これ以上石油や石炭を燃やして二酸化炭素の排出を増やすわけにはいかないし、かといって、今の技術レベルの太陽光や風力発電では、とても原発に代替できない。

 しかし、このジレンマは解決できる、と著者は言う。福島やチェルノブイリで起きたような事故を、原理的に起こさない原発がある、というのだ。その原理の要点は、燃料形態を固体から液体に代え、燃料をウランからトリウムに代え、炉を小型化するということ。このトリウム熔融塩炉は発電効率も極めて高く、プルトニウムの消滅にも一役買える。

 この原発なら 福島もチェルノブイリも起きなかった!≫


 <つづく>

  (2015.8.10)
114 長崎原爆の日に思う


 今日8月9日は、長崎に原爆が投下されてから70年目の日。

 私は、プロフィール(自己紹介)で「興味のあること」として書いていた

 ≪佐々木基之先生(1901-1994)が、神に導かれてふとひらめき実証された「分離唱」という方法により、澄み切った美しいハーモニーでコーラスをすること。……そして、いろいろな宗教宗派が、きれいなハーモニーで合奏するように一つに結ばれ調和した世界を実現すること。≫

 ――今日もその「分離唱」による音感合唱のつどいに参加し、ハーモニーの感動を味わいました。その中で、とりわけありがたく心をこめて歌えたのは、讃美歌531番「こころの緒琴
(おごと)に」です。その歌詞は――

 1.こころの緒琴に み歌のかよえば
   しらべに合わせて いざ ほめ歌わん。
   
(おりかえし)
   
(ああ) 平和よ くしき平和よ
   み神のたまえる くしき平和よ。

 2.天
(あめ)よりくだれる きよけき平和は
   まどえる心の 固きいしずえ。
   (おりかえし)
   
(ああ) 平和よ くしき平和よ
   み神のたまえる くしき平和よ。

 というのであります。

 この 「み神のたまえる くしき平和」、「よりくだれる きよけき平和」 というのは、「久遠の今」 なる実相世界にいま座しているのだという心の平和だ、と思って力強く歌わせていただきました。

 そして、「みこころの天に成るがごとく、地にも成らせ給え」 と心に祈りました。

 昭和27~28年、東大駒場寮で2年間寮生活を共にしながらグラウンドホッケーをやっていた同期生仲間が、半年に1回くらい集まって食事会をし、情報交換などしているのですが、その仲間の一人 K君は昭和20年8月6日、広島の爆心地から数キロのところにいたが、今も健在です。そのK君と、同期生で原発の専門家 石川迪夫君とが今日メールでやりとりしたのを私にも転送してくれました。ちょっとご披露します。

 K君いわく。<今日は長崎の日です。当時の永井隆教授(長崎医大)の著書の一節に放射能の影響の部分があり、ここに動植物が元気良く再生しているくだりがある。石川がチェルノブイリの事故後の廃墟に鼠がたくさん繁殖している例を書いていた記憶があるので、参考迄に。当時も「動物は75年生存不可能」説が流布された。いま日本で、根拠の無い妄想の宣伝で政治的被害が拡大するのはどうか……?>と。

 石川迪夫いわく。<名前を忘れたが、戦後10年くらいの期間広島市長をつとめた人が、広島での原爆からの復興体験記を「原爆市長」の名前で出版している。本人も原爆症で苦しんだ。記憶だが、原爆で死んでいった人達が口からの血が止まらなかった事から、敗血症と判断し、原爆で焼け跡となった汚染地帯を耕して野菜を作って食べるようよう指示した と言う体験まで書き残しておられる。一読すると良い。君の言うことは正しい。僕もそろそろ言うべきことを言って行くつもりだ。>

 ――原発事故による放射能汚染は天文学的と言ってもよいほど誇張して恐怖をあおるように政治的に宣伝され、無用な避難や除染などが行われているきらいがあるのは問題です。

 しかし今後、もっと安全な、核兵器の廃絶にも貢献できる 「トリウム原発」 に切り替えて行くという選択肢があるのなら、これは大いに考慮すべき道ではないかと、私は素人ながら考えます。

  (2015.8.9)
113 原子力を生かした新しい文化創造のために (6)


 「原子力は、人類の未来の生活を左右する、大きな使命を持っている文化である。
 新しい文化の受け入れには、必ず反対者が出てくるのが人間世界の歴史である。
 たとえば日本にとっての具体例は、仏教の伝来と定着。日本に仏教が入ってきてから皇室に認められるまでに百年かかっている。

 原子力平和利用の歴史はまだ50年あまりだ。仏教が定着した時間の半分しかたっていない。原子力は大きな文化変化の力を持っている。焦らずに着実に進めるべきだ。」

 と、原子力界の重鎮と言われる石川迪夫(みちお)氏はいう。(#81

 それにはぜひとも、ウランを使わないトリウム原発による「原発安全革命」の推進を考えて頂きたいと思います。

 「トリウム溶融塩炉」 は、核燃料にウランを使用せず、トリウムを使う。そうするとプルトニウムがほとんど生成されないので、核兵器製造につながることがなく、 (1)安全性 (2)経済性 (3)小型化できる ――の三つの面で、いまの原発に比べ、はるかにすぐれているといわれる。

 2011年3月11日、世界観測史上4番目といわれるマグニチュード9.0の大地震が東日本一帯を襲い、福島第一原発では、遅れて襲来した大津波に冷却のための電源をすべて奪われ、核燃料自体が発する高い崩壊熱で燃料棒が熔融し、水素爆発(化学反応)で建屋の屋根が吹き飛んだ結果、格納容器から漏れ出た大量の放射性物質が、周辺地域を汚染した。

 「トリウム熔融塩炉」 という炉を中心としたシステムであれば、原理的にこんな事故は起こりえない、と 古川和男氏 は言われる。

 以下、古川和男著 『原発安全革命』(文春新書)の「はじめに」より、ポイントを抜粋させて頂きます。

          ○

 これからの原子力発電は、まずなにより安全でなければならない。
 安全である上に、経済性がなければいけない。発電効率が良く、安価で、しかも、今後ますます増大する世界のエネルギー需要に応じられるだけの供給力を持っていなければいけない。
 その二つのハードルをともにクリアするものとして、「トリウム熔融塩炉」 がある。
 これが「原発革命」の「革命」たるゆえんは、次の三点にまとめうる。

   トリウム原発 三つのポイント

 第一に、これまでの固体燃料を液体燃料に代える。今の原発では、被覆管の中に密閉された固体核燃料を燃やしている。これを液体に代えることにより、安全性が飛躍的に高まる。

 第二に、今のウラン燃料をトリウム燃料に代える。現在の原発はウラン235の核分裂により発生する熱を利用しているが、このウラン235に代えて、それより少し質量の軽いトリウムという物質を燃料にする(ウランは原子番号92、トリウムは原子番号90の金属元素)。

 第三に、原発自体を小型にする。今の原発は発電規模100万キロワット以上の大型施設が主流だが、これを20~30万キロワット程度の小型のものに代える。

 この三つの変革がなぜ「革命」なのか、どういうメリットをもたらすのかについての詳しい解説は 『原発安全革命』 本文を読んでいただくとして、ごく大雑把にその意義を、安全性と経済性の両面から素描すると――

 まずは、安全性について。

 福島第一原発の事故以来、一般の人々の原発に向ける目は厳しくなった。
 が、稼働していた原発がすべて、すぐにストップしなければいけないほど危険な状態にあったわけではない。安全性に最大限配慮し、緊張感を持った厳しい危機管理体制を築くことができれば、今回のような過酷な事故は防ぎえよう。

 ただし、それでも潜在的な危険はある。原発の設計思想そのものに無理があるから。
 無理というのは、まず「固体燃料」にある。

 そもそも核エネルギー炉は「化学プラント」であり、したがって燃料の形態は液体であるべきなのである。このことは核化学反応の本質に係わること。ところが、現実の炉の設計は、開発初期のある時点で違った選択が行なわれた。液体ではなく、固体燃料が選ばれたのである。

 火力発電所は石炭や石油を燃やした熱で水を沸かし、その熱水からの水蒸気でタービンを回すことで発電をしているが、今の主流の軽水炉は、その石炭や石油を核燃料に代えたものといえる。つまり「火力発電所の原理」でつくられていて、「核エネルギー発電所の原理」には反している。

 その結果、軽水炉においては核燃料は被覆管に密封され、その周囲を水が循環する方式となったが、この方式では核燃料や被覆管は、核反応や放射線の影響で変質・破損・熔融し事故原因となることが多い。

 また、反応により発生するガスが被覆管内部に密封され高圧となって、管の破損時に外部にガスが噴き出す危険を生む。さらに、水は放射線で分解され、爆発の危険性のある水素を発生する。高温高圧となる水による材料の腐蝕も難問である。こうしたもろもろの不都合を抑えこむために、炉の構造は各種の安全装置やモニター機器類を装着して複雑となり、それだけ保守・点検が大変になる。

 そこに貫かれているのは「合理性をもった技術の原理」ではなく、「多重防護という無理筋対応」である(こうした不都合が極限となって重なったのが福島の事故であった)。

 「化学プラント」は液体が正道なのである。核燃料が液体であれば、今述べた技術的難点のほとんどは解決できる。そして決定的に安全性が向上する。炉の構造もシンプルなものとなり、保守・点検が容易になるだけでなく、ロボットなどを利用した遠隔管理や修理作業も実現でき、作業上の被曝も最小限に避けられる。

 仮に東日本大震災クラスの大地震と大津波が襲ったとしても、トリウム熔融塩炉であれば、充分に対処できる。

 この炉では、核分裂連鎖反応を止めるのは容易なので(反応のコントロールが容易なのが液体燃料の大きな利点のひとつである)、通常の緊急時は、すぐに反応を止め、そのまま炉内で核燃料(核燃料を溶かし込んだ熔融塩)を安全に冷却することができる。

 大地震・大津波などの非常時には、核燃料を炉の下部から地下の冷却水プール内のタンクに落とす。そうすると、連鎖反応は自然にストップする。炉で連鎖反応が起こるのは、そこに中性子を減速させる黒鉛があるからで、核燃料が冷却水。プールに落ちれば、燃料のまわりに黒鉛がなくなり、したがって中性子も減速されず、臨界が起こらないのである。

 核燃料熔融塩は、連鎖反応が終わったあとも崩壊熱を出す(この崩壊熱で福島原発は大変な辛苦を味わっている)が、地下に落ち、冷却水(ホウ酸水)で急速に冷やされると安定したガラス固化体になり、後は自然に冷めてゆく。「崩壊熱による暴走」を心配する必要は原理的にない。

 万一、核燃料の一部が、地下の冷却水プールではなく、なんらかの事故で炉から漏れ出たとしても、炉外に黒鉛がない以上再臨界になることはなく、空気で徐々に冷却され、ガラス固化体となるのみである。

 核反応により発生する放射性ガスは、常時除去されていて、常に炉の中に微量しか存在せず、漏れ出す心配をすることはない。また、核燃料塩は水に溶けないので、燃料塩中の放射性物質が、水に溶けて外部に流出する「汚染水流出」の危険もまずない。

 福島原発では大津波による「非常電源全喪失」が「崩壊熱の暴走」という大惨事を引き起こしたのであるが、この炉では万一「非常電源全喪失」が起こっても、そんな心配はいらない。炉の下部の緊急バルブ(落下弁)が自動的に開き、燃料塩をすべて前述した地下の冷却水プール内のタンクに落とし、ガラス状に固化させる仕組みになっているからである。緊急バルブは、運転時は冷却して凍らせているが、冷却をやめると融けて開くので、電気は不要である。

 このように、「核分裂連鎖反応を止める」「核燃料の崩壊熱を冷ます」「放射性物質を閉じ込める」というすべての面で、原理的にきわめて安全なのである。

 安全面の話を別の方角からすると、燃料をトリウムとする点にある。

 すでに広く知られているように、ウラン235の核分裂により、プルトニウムが生まれる。核爆弾の材料となるきわめて危険な放射性物質だが、現状では世界中がその処分に困っている。原発が稼働すればするだけ、プルトニウムの山ができる。

 トリウムを燃料とすれば、プルトニウムはほとんど生まれない。それどころか、「トリウム熔融塩炉」でなら、プルトニウムも炉内で有効に燃やせる。プルトニウムの消滅に一役買えるのである。

 トリウムは自然界に存在する物質の中でウランに次いで重いもので、中性子を吸収することで核分裂性のウラン233となる。この生成されたウラン233を「火種」にして、連鎖反応を引き起こさせるわけである。

 幸いなことに、トリウムは世界中にある。埋蔵量も充分だ。ウランのように偏在していると、寡占国による政治支配を生むが、トリウムにはそんな心配はない。

 しかも核兵器への利用がとても難しい。難しいから、核冷戦時代にトリウムが不当に無視されてきたともいえる。ウランからトリウムへの変換は、ウランとプルトニウムがもたらしてきた核兵器の脅威からの解放をも意味する。

    世界中にエネルギーを

 今度は経済面に話を向けよう。
 福島第一原発の事故があってから、「原発はすべてやめてしまおう」という声が強まっているようだ。あれだけの災害をもたらしたのだから、そういう声が強まるのも、ある意味、理解できなくはない。

 しかし、冷静に考えていただきたい。平常時で、日本の発電量の約30パーセントは原子力発電に支えられていた。電力需要が最低となる正月に至っては、じつに90パーセントが原発からの電力だった(2001年のデータ)。2011年の春、東京電力が実施した計画停電ですら、市民生活はもちろん、産業界に多大な影響を及ぼした。この現状で原発をすべて止めたままなら、間違いなく日本の社会は立ち行かなくなるであろう。

 これからは太陽光発電や風力発電を活用すべきだ、という声もある。しかし、それらの実力たるや、とても原発と置き換わるほどのものではない。よほどの技術的な大革新がなければ、当面のエネルギーとしては、間に合わないのが現実である。

 一方で、石油・石炭などの化石燃料は、二酸化炭素排出問題や化学汚染で先行きがない。
 結論として、現状の原発を最大限の注意を払って安全に運用し、次の手段を急ぎ準備するほか、現実的な手立てはないのである。

 だからこそ、トリウム熔融塩炉を提案しているのである。急いでトリウム熔融塩炉による発電システムを構築し、既存の原発と置き換えなければならない。

 トリウム熔融塩炉は、経済性においても既存の原発にはるかに勝っている。

 固体の燃料棒は、燃焼効率の面でも不経済なのである。燃料体も被覆管も放射線により損傷を受け、変型・変質してしまうが、それらを修復したり「燃えカス」の核分裂生成物を除去したりするには、一旦燃料棒を取り出し、溶解抽出などの化学処理を加える必要がある。燃料は反応が進むにつれ劣化してゆくので、半分しか燃えていないのに1、2年ごとに燃料棒を引き出し、位置換えや交換をしなければいけない。

 こうしたさまざまな理由から、必然的に反応効率は悪いのである(それでも固体燃料の現方式が普及したのは、液体燃料より効率が悪くとも、石油などに比べれば、桁違いのエネルギーが得られるからである。核燃料の消費量は、発生熱量あたりで化石燃料の100万分の1に過ぎない)。

 トリウム熔融塩炉では、炉が寿命を迎えるときまで燃料は全く取り替えず、トリウムなどを追加するのみで、初めに装荷した火種のウラン233の約5倍量を、連続的に核分裂させ燃焼させることができる。燃焼率は500パーセントといってよい(固体燃料炉では、核燃料を装荷してから取り出すまでの1回の燃焼率は数十パーセントに過ぎない)。

 固体燃料体の製作・検査・輸送・燃焼・化学処理・再製作などの作業量は膨大だが、トリウム熔融塩ではそれらを大幅に簡略化できることも、経済性の改善に大きく寄与する。

 需要に応じて出力を変える(これを負荷追随という)という点で、トリウム熔融塩炉は非常に使いやすい。現状の原発は、負荷に対応して出力を変えると、固体燃料内部の温度分布が激しく変化し、それによって材質が劣化して燃料の耐久寿命が短くなる。

 それで今の原発は、負荷追随させたくなく、また、早い再起動が困難だから極力止めたくなく、投下資本が高額で低出力では利子が高くなるから、なるべく全力運転を続けたいがために、もっぱらペースロード(基本の負荷を請け負う)発電所として使われているのである。つまり、柔軟性に欠けた、あまり使い勝手のよいものではないのである。

 本来、送電ロスを考えれば、発電所は需要地の近くに置くべきものなのだが、安全性を地域住民に納得してもらう困難、高額な資本の投下などから、今の原発は都市を遠く離れた僻地に、大型施設として集中して造られているのである。

 トリウム熔融塩炉は小型にする。そうすれば、需要地である都市や工業地域の近郊に設置でき、送電ロスを大幅に減らせる。需要地ごとに分散するには小型であるほうが便利である。安全性の面でも納得してもらえる。構造・運転保守が単純で、大型化の利益がない。

 そしてなにより、小型化することで、全世界へのエネルギー供給に寄与できるのである。

 今、エネルギーを切実に必要としているのは、多くの発展途上国である。加えて、世界の人口は爆発的に増加している。今後、人類が必要とするであろうエネルギー量は、現在の比ではないと予想される。しかし、先進国はともかく、他のほとんどの国では、大型の原発は割高で、多数の小型炉を必要としている。その需要に、小型のトリウム熔融塩炉は応え得るのである。

    今こそ新しい原発を

 このトリウム熔融塩炉構想は、なにも私(古川和男氏)の独創ではない。1960、70年代におけるアメリカ・オークリッジ国立研究所での実証的研究を初め、先人たちの膨大な研究の積み重ねがあって生まれたものである。オークリッジ研での基礎研究開発は、驚くほどわずかな資金と人員で整えられた。いかにこの原理が単純で優れているかの証拠である。

 しかし、残念なことに、東西核冷戦下、不当にも無視され、忘れ去られ、今に至っている。

 今からでも遅くない。今こそ発想を転換し、新しい原発を造るときだ。21世紀の人類のために――。

 <以上、古川和男 『原発安全革命』(文春新書) 「はじめに」 より抜粋>

 <つづく>

  (2015.8.8)
112 原子力を生かした新しい文化創造のために (5)


 昨日は広島原爆被災の日にあたり、谷口雅春先生の「地下核実験は原爆よりもおそろしい」という警告のご文章を掲載させて頂きました。

 「原爆」 の話が出ましたので、ここでまた 「原発」 の課題を考えましょう。

 「原爆」 と 「原発」 は、(特に福島原発の建屋が爆発してから) 似たもののように思われてしまうところがありますが、「原子爆弾」と「原子力発電」とでは、前者は原子力エネルギーをマイナスの「破壊」のために使うものであり、後者はプラスの「創造」のために使うという、正反対の使い方をするものでありますね。

 しかも、福島原発の建屋は核分裂による爆発を起こしたのではなく、水素の化学反応による爆発を起こしたのだ。原子力は人間の手に負えないものではなく、完全にコントロールされていた。NHKはウソの報道で国民を欺き、まちがった原子力不信をあおっている。(#84)

 このところ私が注目し、先に紹介させて頂いた馬渕睦夫氏も、「原子力発電はいわば核爆弾でもある」 「原子力発電は、自然との共生を宗とするわが国の国体とは合わない技術である」 と言われています(『いま本当に伝えたい感動的な「日本」の力』)が、これだけは素直に頂けません。反論を書きたいと思います。

 「核分裂反応の結果、地球や生物に有害な放射性物質が作り出される」 とも言われるが、放射線は必ずしも有害ではない、いや低線量の放射線はかえって健康に良いのだということは、#83 で書いた通りです。

 しかも、科学技術は日進月歩するものであり、現在はまだまだ技術革新の途上にあります。

 「原子力はこれからも大きなイノベーションが起こる可能性があります。現在の軽水炉は、核エネルギーの持つ潜在的な力のほんのわずかしか引き出せていないからです。第3世代軽水炉・高速増殖炉・トリウム原子炉・核融合炉など、まだまだイノベーションの余地が多く残されているといえるでしょう。」

 と、私は藤沢数希氏の『「反原発」の不都合な真実』を引いて<何処へ行く? 「生長の家」―総裁への公開質問>の【質問3】に書いていました。

 私は原子力発電の専門家ではありませんが、この中で、「トリウム原子炉」 (トリウム溶融塩炉) というのには格別の関心を持っており、これについて書かれた古川和男氏の 『原発安全革命』 という本(文春新書)を持っています。むずかしい専門的なところは読み飛ばしていましたが――。

 古川和男氏は、「革命的な安全原発」 トリウム溶融塩炉の研究開発に生涯を捧げられた人(1927年大分県生まれ、2011年12月14日 85歳で没)。

 「トリウム溶融塩炉」 は、核燃料にウランを使用せず、トリウムを使う。そうするとプルトニウムが生成されないので、核兵器製造につながることがなく、 (1)安全性 (2)経済性 (3)小型化できる ――の三つの面で、いまの原発に比べ、はるかにすぐれているといわれる。

 私はここで、トリウム原発がウラン原発よりも優れている所以を技術的な面から勉強する前に、古川和男氏の宗教的とも思える「科学精神」に触れたいと思います。

 古川氏は、科学者・技術者・探検家としても有名な西堀榮三郎氏――日本原子力研究所理事や日本生産性本部理事も務めた――を最も大切な先輩として仰いでいた。その西堀氏が書かれた「技士道」15ヵ条というのを『原発安全革命』のあとがきに記されている。それは――

≪一 技術に携わる者は、「大自然」の法則に背いては何もできないことを認識する。
 二 技術に携わる者は、感謝して自然の恵みを受ける。
 三 技術に携わる者は、人倫に背く目的には毅然とした態度で臨み、いかなることがあっても屈してはならない。
 四 技術に携わる者は、「良心」の養育に努める。
 五 技術に携わる者は、常に顧客志向であらねばならない。
 六 技術に携わる者は、常に注意深く、微かな異変、差異をも見逃さない。
 七 技術に携わる者は、創造性、とくに独創性を尊び、科学・技術の全分野に注目する。
 八 技術に携わる者は、論理的、唯物論的になりやすい傾向を戒め、精神的向上に励む。
 九 技術に携わる者は、「仁」の精神で他の技術に携わる者を尊重し、相互援助する。
 十 技術に携わる者は、強い「仕事愛」をもって、骨身を惜しまず、取り越し苦労をせず、困難を克服することを喜びとする。
 十一 技術に携わる者は、責任転嫁を許さない。
 十二 技術に携わる者は、企業の発展において技術がいかに大切であるかを認識し、経済への影響を考える。
 十三 技術に携わる者は、失敗を恐れず、常に楽観的見地で未来を考える。
 十四 技術に携わる者は、技術の結果が未来社会や子々孫々にいかに影響を及ぼすか、公害、安全、資源などから洞察、予見する。
 十五 技術に携わる者は、勇気をもち、常に新しい技術の開発に精進する。≫


 というのでありました。

 <つづく>

  (2015.8.7)
111 地下核実験は原爆よりも恐ろしい


 今日は、70年前に広島に原爆が投下された日です。

 人類は、二度とそのような愚かな悲惨なことをしてはならないのはもちろんですが、谷口雅春先生は、地球は生命体であり、地下核実験は地球という生命体に、原爆投下よりも深い裂傷を生じさせ、人間もその影響を受けると警告されています。

 『如意自在の生活365章』 より、そのご文章を抜粋謹写させていただきます。

          


     入龍宮不可思議の境涯

 あなたは“神の子”で、その実相は霊的実在であるがゆえに、いまだかつて何人
(なんぴと)もあなたの実相を見たことはないのである。またわたしの実相も神の子であり、霊であるから誰人(たれひと)もわたしの実相を見たことはないのである。

 “神の子”ということは神の延長であり、神の具体的顕現であるということである。神はいまだかつて生まれたることもなく死することもない生死を超越せる霊体であるから、その延長であり、具体化であるところの人間の本質実相もまた、いまだかつて「生まれず、死せざる」不生不滅の、生滅せざるところの“本来生
(しょう)”の存在なのである。

 この“本来生”の存在の実相の中に、自分の心が潜入し、没入し、超入することを“入龍宮”すなわち「龍宮海に入る」と称するのである。

    人間は金剛不壊の如来身である

 唯物論者にとっては、肉眼に見えないところの霊身は視ることはできないのである。それはテレビの画面を見ていて、それのみが実在であると思っている者には、画面にあらわれている人物が死ぬならば、その人物はもう死んだと思ってしまっていて、画面を映し出していた実物の人間すなわち「テレビ俳優」が放送局のスタディオに儼在
(げんざい)することに気がつかないし、そこからは見ることができないのと同じことなのである。

 しかしテレビの画面にあらわれている姿は映像であって実物ではないのである。俳優の実物を見たいと思うならば、放送局のスタディオに入って行かなければならないのである。この放送局のスタディオに当たるのが実相世界であり、天国とも龍宮ともいうのである。

 「われ今、五官の世界を去って実相の世界に入る」 の境地が深くなって、はじめて、霊身・金剛身・不壊身
(ふえしん)・如来身・仏身なる“本当の自己”を自覚することができるのである。そして物質的肉体の身は仮像(けぞう)であって、“本当の自分”は霊身・金剛身・不壊身・如来身・神の子であることを如実に知ったとき、その人は“新たに生まれた”と言い得るのである。

    人生劇場に出演する肉体人間

 わたしたちは人生という劇場の舞台に、時によっていろいろの配役を割りあてられて出演するのであるけれども、常に本地は実相世界にあり、龍宮城にあり、荘厳きわまりなき世界に、絢爛
(けんらん)華麗にして、しかも清純浄明の世界に、本来無垢聖浄の霊身をもって生活しているのである。これを実相人間と称するのである。

 現象界にあらわれている人間の生命は、この実相人間の生命エネルギーの糸によって力が与えられ、操り人形が人形使いの糸の操作によって“動作の力”(生命力)があたえられ動かされて、その配役として台詞
(せりふ)を語り、仕草をするのである。実相人間と現象人間との関係を譬喩的に説明すれば、ざっとこんなふうになるのである。


    
地下核爆発の危険について

 アメリカ原子力委員会は、かつて、アリューシャン列島のアムチトカ島で、広島に投下された原爆の250倍の爆発力ある原爆の地下実験を行なった。その結果は既に報道された通りであるが、それら報道された結果は、その外的な物理的影響だけのことであるが、われわれが恐れるのは、もっと内面的な心霊学的な影響であるのである。

 地下で核実験を行なうならば、その放射能および放射能物質が空中に飛散することを防ぎ得るから、人類への被害が少ないであろうと考えて地下実験するのであるが、これは心霊学に盲目な素人の見解であるのである。地球も生きているのであって、地上で核実験をするのは、外から人体にレントゲン照射をしたり、灸を据えたりするのと同じで、いくぶんの物理的影響はあるけれども、地下実験するのは、人体の肉の中に爆弾を埋没しておいて爆発させるのと同じことで、地球という生命体にとっては非常な被害を及ぼすのである。既にその被害はアムチトカ島での実験の前から、度かさなる地下実験によって地球という生命体のエーテル体の各所が破れて裂傷を生じているのである。地球という生命体は今や、公害物質でいやというほど汚染され、さらに腹の内部に幾メガトンもの強大な爆発力ある爆弾を仕込んで爆発させられたのだから、地球という生き物にとっては大変なことが起こって来ているのである。

    人間の有する五つの体

 人間の体
(たい)は、表面が肉体であり、それから内部に至るに従い、エーテル体、幽体、霊体、本体という四つの体が複合して組織されているのである。肉体は物質界において、直接に物質とぶつかって仕事をするための体である。物質界を去るときには、不要になるから脱いで棄てる。エーテル体は、その内部の幽体とその外部の肉体との間の結締組織みたいな役目をして、肉体に内部の感情、欲望等を伝えるとともに、肉体からくる刺戟的振動を感覚に翻訳する役目をしている。それゆえにもし人に催眠術を施し撫下法をもって掌から出る霊的波動によって、被術者のエーテル体を追い出せば、針を刺しても、メスで切開施術をしても痛覚はないのである。エーテル体はそのような役目をしていると同時に、その内部にある幽体(煩悩の多い感情体)の上層を被覆していて、その煩悩的な感情の爆発をそのまま外にあらわさないで制御し調御する働きをしているのである。

 幽体が“煩悩多き感情体”であるに反して霊体は“静慮深き理性体”ともいうべき想念の座をなして、その内部の“本体”に密接につながっているのである。内部の“本体”というのが“実相”にあたるのであって、“体”と称するような“空間的ひろがり”を超越したところの“霊”そのものである。これが不増不減、不生不滅の“純粋自我”なる“神の子”である。そして他の四つの体
(たい)は“純粋自我”が自己表現するための道具であって、“本当の自分”ではないのである。

    人間感情の爆発及び地震噴火の多発の原因は
        原子爆発による地球のエーテル体の裂傷が原因


 この四つの道具としての体
(たい)が、地球という生命体にもあるのである。地殼は人間の肉体に当たるのである。その内層に地球のエーテル体、幽体、霊体等がある。原爆水爆等の強力な爆発が起こると、地殻の表面が火傷して、樹木、動物等が死滅するのは地球の毛髪等が焼けこげるのと同様であるが、エーテル体にも損傷を生じ、亀裂を生ずるのである。エーテル体は、“煩悩感情”の座なる幽体を被覆して、感情の爆発や煩悩の誘惑を制御してそれを中庸の度に制御する働きをしていたのに、エーテル体の亀裂によって内部から爆発する煩悩多き感情が何の制御もなく表面に噴出するようになるのである。それは地球においては噴火、地震等の多発現象となってあらわれる。

 人間は、“体”の面から見ると地球より発生した“地球の子”みたいなものであるから、地球のエーテル体が裂傷を生じて、煩悩感情の爆発を充分制御できない状態になると、人間もその影響を受けて煩悩感情の爆発を何ら被覆制御することなく外部に行動として表出することになるのである。

 現今の人間行動の異常化、暴動化、狂態化、享楽化、肉体の露出化などの出来事は、地上の原子爆発が始まってエーテル体に裂傷を生じて以来きわめて殖えてきた事実々鑑みるならば、その相互関係は明瞭になるのである。

    「これだけは知って置くべき事」と予言された事

 なんの理由もなく、ただ煩悩の爆発的行動化で手製爆弾を仕かけたり、政府の施策を阻止するための暴動が起こったり、異常な現象が相ついで狂態的に起こるのは、原子力の地上実験による地球エーテル体の爆傷によるものである。(この事はもうかなり以前から、わたしは「これだけは知って置くべき事」と題するパンフレットで警告しておいたが)今やその警告したことが相ついで起こりつつあるのである。

 それなのに、地球の内部に広島に投下された原爆の250倍の破壊力ある原子爆弾の爆発実験が地下で行なわれるということは、地球という生物を人間にたとえれば、人間の筋肉の中にダイナマイトを入れて爆発させるようなものであるから、空中核実験どころでなく、巨大な裂傷を地球のエーテル体に負わせたことになるのであるから、今後はますます、煩悩感情の爆発が大きく口をひらいたエーテル体の裂傷から噴出することになるから、今後、人間感情の暴動化はますますはげしくなるのである。これは、「創世記」の予言したところのアダムが蛇にだまされて知識の樹の果を食い、科学的知識さえ発達したら、人間が幸福になると思っているうちに、エデンの楽園から追放された――ことが今やわれらの日常の現実となり来たりつつあるのである。

 この際われらはいかにすべきか。私たちは祈りによって実相界の無量の癒やす力を引き出すほかはないのである。それゆえにわたしたちは次のごとく祈るのである。

    神の愛と生命と智慧を豊かに受ける祈り

 「宇宙のすべてのものを創造
(つく)り給い、わが生みのみ親にまします神よ。あなたの全存在をわれに流れ入らしめ給いて、あなたがわたしでありますように、わたしがあなたでありますように。あなたの愛を、われにながれ入らしめ給いて、あなたの平等の愛がわたしの愛でありますように。あなたの完全なる生命をわれにながれ入らしめ給いて、あなたの完全なる生命がわたしの生命でありますように。わたしの生命があなたの完全なる生命でありますように。あなたの無限の供給をわれに流れ入らしめ給いて、わたしの生活にあなたの豊かなる生活が実現いたしますように。あなたの無限に美しく完全なる清き悦びをわれに流れ入らしめ給いて、わたくしの生活にあなたの美しく完全なる清き悦びが実現いたしますように。あなたの完全なる智慧をわれに流れ入らしめ給いてあなたの完全なる智慧の眼をもってあなたの創造り給いしこの世界を、あなたの創造り給いしそのままの完全なる相において見ることを得せしめ給え。

 われ今、完全なる神の智慧の眼をもって宇宙の一切のものを観ずるに、すべてのもの完全に調和し、いと妙
(たえ)に、美しく、軌道なくして衝突するものなく、おのおののもの自由にしてところを得て争うものなし。ああ神は偉大なるかな。神のみ業はいと尊く、いと美しきかな、われ今、神のみ業をたたえ、大いなる神に感謝のことばを捧げます。ありがとうございます。」

 このように実相の妙なる光景を祈ることによって言葉の創造力によって、今まで破壊されたエーテル体の裂傷がしだいに回復することになるのである。


          ○

 70年前、広島に原爆が投下された悲しい記念日にあたり、谷口雅春先生のご教示を噛みしめ、上記 「神の愛と生命と智慧を豊かに受ける祈り」 と、「世界平和の祈り」 を厳修致しましょう。

  (2015.8.6)
110 闇の世に光の国を持ち来すものは (10)


 いま、世界情勢は既に国家の生き残りをかけた露骨な国益追及の時代、すなわち新しい帝国主義の時代に突入したと言える。<神武天皇の出興せられし頃、邑々
(むらむら)、村々(そんそん)あい分立して境界争いして鎬(しのぎ)を削っていた>のとある意味では同様である。いまは戦争以外の様々な手段を駆使して国益追求を行うという、あこぎな闘争が蔓延する世界になったと言える。その意味で今日の世界はもはや平時ではなく、いわば有事の状態にある。

 その時、集団的自衛権の確立に関連する安保法制を巡る国会での議論を見聞しての感想を、渡部昇一先生は月刊誌『致知』9月号に、明快な筆致で次のように書いておられる(抜粋)。

 
≪ことは国を守るという国家にとっての根本問題を議論しているのです。真剣でなければなりません。本気でなければなりません。ところが、緊急事態とは何か、誰が緊急事態と認定するのか、その際の自衛隊のリスクは、といった枝葉の問題に終始するばかり。そこには国を守るという根本問題を議論している緊張感がかけらも見られません。それでいて国政に携わっているつもりになり、決して安くはない議員報酬はちゃんと受け取っている。デモクラシーの下での国会議員とは、まさに気楽な稼業と言うべきです。

 近隣を見てください。毎年軍事予算を膨らませ、軍備増強に励んでいる国があります。その国は本土から遠く離れた南シナ海に人工の島を造って自国領と主張し、飛行場を建設して軍事基地にすることを明言しているのです。そしてその国はデモクラシーの国ではありません。共産党独裁の国です。

 ことは明快なのです。隣にはデモクラシーにとっては脅威の独裁国家がはっきりと姿を現しているのですから、ことは急がなければなりません。

 にもかかわらず、国会でなされている議論はと言えば、集団的自衛権は憲法に違反する、いや、しない、といったことばかり。気楽な稼業と言わざるを得ません。

 そもそも憲法とは何でしょう。国家主権の発動に他なりません。そして、現行の憲法と言われるものは、外交権も防衛権もない、つまり国家主権がないところで制定され、発効されたものです。国家主権がないところで発効されたものが、どうして憲法と言えるのでしょうか。誰が見ても、アメリカが日本を間接統治するたあの占領政策基本法というのが実態であることは明らかです。

 ところが、集団的自衛権は憲法違反だと主張する側、率直にいえば反日の側に、そういう姿勢はかけらもありません。憲法は絶対に動かないし、動かしてはならないもの、という観念に頑なに凝り固まっています。

 憲法の解釈判断は司法の中心である最高裁判所に求めるべきでしょう。その最高裁は砂川事件を裁いた際に、自衛権は憲法に違反しない、という裁定を下しました。

 それにしても、国家の自衛権を論じること自体が滑稽である、とも言えます。国家であるなら、自国を守るのは自明のことです。自国を守るのは、国民を守るということです。国民を守る権利がなく、国民を守ることを放棄しては、とても国家とは言えません。そして、国民を守るなら、犠牲を少なくし、効果的に守れなければ意味がありません。

 集団的自衛権の問題もこの観点に立てば、答えは誰にも簡単に出るのではないでしょうか。

 独裁国家が露わにしている脅威を抑止し、国家の、すなわち国民の安全を守るのに、集団的自衛権の確立以上の策があるでしょうか。あるなら出してほしいものです。
 だが、反日勢力にそんなものはありません。そもそも国を守ることを放棄しているのです。だから反日になれる、というものです。

 少し遠くに視線を向けてみましょう。ギリシャの危機についてです。
 ギリシャの危機が真の正念場を迎えるのはこれからです。
 チプラス首相は国民投票の結果を背景にEUとの交渉に当たり、デフォルトも辞さない構えを示し、EUからの離脱をチラつかせ、援助を引き出そうとしています。これに対してEUはドイツのメルケル首相を先頭に、ギリシャの改革を迫っています。
 ギリシャのEU離脱は、同時にロシアへの接近でもあります。ロシアの天然ガスのパイプラインをギリシャに敷設する計画は、ギリシャの交渉の武器になっています。そして、ここにも中国が登場します。ギリシャの港を中国海軍に提供する案が浮上。中国もまた、ギリシャ支援を匂わせています。

 どう転がっていくのか。遠いと思われていた話が、転がりようでは日本に響いてこないとは限りません。注目する必要があります。

 独裁国家の中国は同時に着々と軍備の増強を進め、外洋進出を唱えて拡大姿勢を隠さず、事実、南シナ海の南沙諸島の岩礁に島を造り、軍事基地の建設を宣言しています。
 そういう国がデモクラシーの国日本のすぐ隣にあるということ。GDPは既に日本を追い越し、世界第二位の経済大国。中国の経済がそれだけのスケールを獲得していることは紛れもありません。そして、日本と中国の経済の関わりは深まっています。それだけに、中国経済にバブル崩壊のような激変が起これば、その影響が日本に及んでくることは確かです。全く不気味な話です。

   備えあれば憂いなし

 政治の不気味と経済の不気味。だが、不気味だからと言って、回避する術はありません。そういう不気味を抱えた国がすぐ隣にあるというのは、動かせるものではないからです。

 ならば、国を守るために備えるしかありません。備えあれば憂いなし、です。しかし、いまの国会議員の多くは「憂いがないので備えを考えていない」ように見えます。

 国を守るために備えなければならない第一のものは、集団的自衛権の確立。これです。

 安倍政権はこれをやろうとしているのです。安倍首相はいまの国会で集団的自衛権を確立するための安保関連法制を万全にする覚悟だと見ています。また、そうでなければ、この時期に首相の座にいる意味がありません。

 国を守る。いまはこの一事に集中すべき時なのです。議員諸君が気楽な稼業を貪っていることは許されません。いや、議員だけではありません。全国民が、国を守るには何をなすべきなのかに集中すべきです。≫


 ――渡部昇一先生のおっしゃることは、まことに明快です。

 「六合
(りくごう)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)とせむ」 と建国の理想を宣言された。地上の人類すべてが神の子の兄弟姉妹であり、「みすまるの珠」のように玉の緒がつながっている。だから「八紘一宇(はっこういちう)」 すなわち、全世界を一つの調和した家庭のようにしよう、というのが神武天皇の日本建国の理想である。

 その日本が滅んでしまったら、世界の混乱は激しさを増し、平和は実現しない。まずは国を護らなければならぬ、と考えます。

 <つづく>

  (2015.8.5)
109 闇の世に光の国を持ち来すものは (9)


 #108 で、馬渕睦夫氏著 『いま本当に伝えたい 感動的な「日本」の力』 に出て来た 『国体の本義』 という書物――1937年、国家存亡の危機にあって、国民を啓発する目的で政府(文部省)から発刊されたものでありますが、これを復刻されたものが私の手許にありました。以前、友人から頂戴していたものです。

 今どき、『国体の本義』 という書物を復刻して学ぼうというような奇特な方がいらっしゃるとは! と、頂いた時にはちょっと驚き、「これは昔の話だ」と思って、ぱらぱらと見ただけでした。ところが、馬渕氏がこれについて、「日本が発信する新しい世界像」 を考えるための必読の書であると書かれていましたので、びっくりしてその 『国体の本義』 を探しだし、読んでいます。

 本書の扉を開くと、まず最初に

 「我が国体は宏大深遠であって、本書の叙述がよくその真義を尽くし得ないことを懼
(おそ)れる。」 とあって、著者の極めて謙虚で真摯な姿勢が魂に伝わります。

 そして、本文に入ってまず目をとめさせられたのは、「天壌無窮
(てんじょうむきゅう)」 の意義解説として書かれているところです。

 「天壌無窮」 とは、いうまでもなく天孫
(てんそん)瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)降臨の際に天照大御神が授け給うたご神勅に、
 「豊葦原
(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし。」
 とあることを指します。このことについて、次のように書かれています。

          ○

【天壌無窮】

 天壌無窮とは天地と共に窮
(きわま)りないことである。

 惟
(おも)うに、無窮ということを単に時間的連続に於てのみ考えるのは、未だその意味を尽くしたものではない。

 普通、永遠とか無限とかいう言葉は、単なる時間的連続に於ける永久性を意味しているのであるが、所謂
(いわゆる)天壌無窮は、更に一層深い意義をもっている。

 即ち永遠を表すと同時に現在を意味している。
 現御神
(あきつみかみ)にまします天皇の大御心・大御業の中には皇祖皇宗の御心が拝せられ、又この中に我が国の無限の将来が生きている。我が皇位が天壌無窮であるという意味は、実に過去も未来も今に於て一(いつ)になり、我が国が永遠の生命を有し、無窮に発展することである。

 我が歴史は永遠の今の展開であり、我が歴史の根抵にはいつも永遠の今が流れている。

 「教育ニ関スル勅語」 に 「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼
(ふよく)スヘシ」 と仰せられてあるが、これは臣民各々が、皇祖皇宗の御遺訓を紹述(しょうじゅつ)し給う天皇に奉仕し、大和心(やまとごころ)を奉戴し、よくその道を行ずるところに実現せられる。

 これによって君民 体
(たい)を一(いつ)にして無窮に生成発展し、皇位は弥々栄え給うのである。まことに天壌無窮の宝祚(あまつひつぎ)は我が国体の根本であって、これを肇国(ちょうこく=くにのはじまり)の初めに当って永久に確定し給うたのが天壌無窮の神勅である。

          ○

 ――これを書いた人は、谷口雅春先生の御著書を読み、「久遠の今」 の生命の実相哲学を把握していたのであろうか。

 
「我が皇位が天壌無窮であるという意味は、実に過去も未来も今に於て一になり、我が国が永遠の生命を有し、無窮に発展することである。……我が歴史は永遠の今の展開であり、我が歴史の根抵にはいつも永遠の今が流れている。」

 というところに、私はいたく感銘を受けました。

 天孫降臨は、昔々の神話物語にすぎないのではなく、今、永遠の今、ここに我らもまた天孫なり、神の子なりとの自覚が天降ることなのだ。もっと根源に遡れば、今が天地
(あめつち)の初発(はじめ)の時であり、此処が高天原である。みな、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の御いのちに生かされているのである。

 そうして神武天皇建国の理想は 「八紘一宇
(はっこういちう)」 すなわち、
〈八紘
(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)とせむ〉 ――全世界を一つの調和した家庭のようにしよう、というのだけれども、その前には――
 (谷口雅春先生『第二青年の書』より)

 
≪「かれ蒙(くら)くして正(ただしき)を養い、此の西の偏(ほとり)を治らす。皇祖皇考(みおや)、神聖(かみひじり)にして、慶(よろこび)を積み、暉(ひかり)を重ね、多(さわ)に年所(としのついで)を歴(へ)たり」と『日本書紀』は書いている。暗黒の時代にも、常に「正」を養って来たのが、日本民族の祖先であり、その祖宗は、「神聖である」ということを知っていたのである。即ち、日本民族は、連綿として、神の霊統をつぐところの「神の子」であるという自覚をもって正を養い、みずからの修養に尽して来たのである。

 神武天皇の出興せられし頃は、交通不便なるがゆえに僻遠
(へきえん)の地は天皇の恩澤(おんたく)にうるおうすべもなく、邑々(むらむら)、村々(そんそん)あい分立して境界争いして鎬(しのぎ)を削っていたのである。これを『日本書紀』は

 「遠くはるかなる国、王澤
(みうつくしび)にうるおわず、遂に邑(むら)に君あり、村(あれ)に長(ひとこのかみ)あり、各々みずから彊(さかい)を分ちて、もって相凌ぎ轢(きしろ)わしむ」と書いている。神武天皇は、此の小村小邑相分立し闘争を事とするのを見るにしのび給わず、「天業を弘め延べて、天下を光の宅(いえ)たらしむべし」と思われたのである。そのとき塩土老翁(しおつちのおきな)あらわれて、「東(ひんがし)に美(うま)し地(くに)あり、青き山四方(よも)に周(めぐ)れり…蓋(けだ)し六合(くに)の中心(もなか)か」と教え奉ったと『日本書紀』は伝えている。神武天皇の大和国への困難なる御出動は此の神示に基くのである。その塩土老翁こそは、生長の家の人類光明化運動を起したまえる本尊、塩椎神(しおつちのかみ)、住吉大神(すみよしのおおかみ)であり給う。蓋し、塩土老翁は常に、日本の重大事きたるときにあらわれて、国家の安泰のために導きたまうのである。≫
  (以上、『第二青年の書』より)


 それで神武天皇は
 「六合
(りくごう)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)とせむ」 と建国の理想を宣言された。地上の人類すべてが神の子の兄弟姉妹であり、「みすまるの珠」のように玉の緒がつながっている。だから「八紘一宇(はっこういちう)」 すなわち、全世界を一つの調和した家庭のようにしよう、というのが神武天皇建国の理想であった。

 これは世界連邦の理想と考えられるが、それは「国境をなくす」ということではなく、国境はあるがまま、それぞれの民族、国家が個性を発揮して世界のために貢献し、与え合い生かし合い感謝し合う世界を理想とするのである。神は多様性を尊び給うからである。

 ――それが、「日本が発信する新しい世界像」 なのだ、と考えます。

 <つづく>

  (2015.8.4)
108 闇の世に光の国を持ち来すものは (8)


 引き続き馬渕睦夫著 『いま本当に伝えたい 感動的な「日本」の力』 より、重要なポイントを抜粋要約して掲示させて頂きます。

          ○

   日本が発信する新しい世界像

 現在私たちは、世界のグローバル化の問題を日々論じている。しかし、ラズロー達の箴言が示唆しているように、私たちは有史以来既にグローバル化された地球に住んでいるとも言えるのではないか。
 現在のグローバリストは、物質的な意味、特に経済的意味でのグローバル化を唱えている。例えば、国境を超えた物、人、金の自由な動きというふうに。

 しかし、世界の市場が統一化されなければ経済が効率化しないという考えは間違っている。なぜなら、グローバル化された世界統一市場という概念は、人類の真の繋がりを市場という壁で分断し、市場で成功しないものは世界から排除されてしまうから。

 この地球上には多様な文化を持つおよそ200の国が存在しているが、たとえ物理的に国境がなくならなくても、私たちは意識を変えるだけで国境を超えて繋がっていることを実感できる。私たちが意識を変えれば、地球上のこれらすべての国家は互いに同調し働きかけながら、自らもまた世界全体も発展進化してゆく、そのような世界像が描けてくる。これこそが、真のグローバル化である。

 すべての国はたとえ貧しい国であっても何かの特性を生かして他国を援助することができる。世界のすべての国が援助を行う国になるというオール・ワールドの援助思想は、共生的進化論に基づく新しい援助哲学といえるもの。わが国はこの援助思想を世界に向けて発信すべきだ。


   「自由」と「平等」の問題点

 ダーウィンの進化論が共生的進化論に取って代られるなら、弱肉強食の法則の下での自由と平等の定義もまた変更されなければならない。フランス革命以降の自由と平等思想は世界を席巻しまが、この自由と平等の思想には致命的な問題点が二つある。


 第一は、自由も平等も、物質的観点からの自由であり平等であったということ。従って、自由も平等もいかなる政治体制の国家においても実現することが出来なかった。それぞれの人間が持つ物理的な能力には差がある以上、自由な競争を許せば、必ず勝者と敗者ができる。しかし、勝者は自由を永遠に享受できるかというと、そのような自由はなんら保障されていない。

 また、同様に人間は生まれながらにして物質的な意味では決して平等ではないし、政府がどのような平等政策を人為的に施してもおのずと限界がある。

 私たちは自由平等という時、無意識的に物質的観点すなわち外見上の自由平等を観念してきた。表現の自由、集会の自由、信教の自由、思想の自由等々すべて外見に現れた自由のこと。平等についてもまた然り。これまでの平等に関する理論は物質的な平等の議論であって、いかなる政治経済社会理論も物質的平等を実現する説得的論理を示すことはできなかった。法の前の平等がすべての人に保障されることは確かに必要だ。しかしそれによって、決して各人の物質的平等は実現しなかった。


 第二の問題点は、自由も平等も権利としての自由であり平等であったということ。権利として自由を主張する限り、必ず他の自由の権利と衝突する。この対立抗争は永遠に続く。

 平等もまた同様である。権利として平等を主張すれば、他の平等の主張と必ず衝突する。対立、抗争から進歩が生まれるとする一神教的対立観は確かに進歩を生んだ面もあるが、同時に終わりなき闘争をも生んだ。この物質的価値観を信じるものにとっては、闘争を永遠に終わらせるためには、一つの価値観で世界人類を統一しなければならないという発想になる。現に猖獗
(しょうけつ = はびこって勢いが盛んであること)を極めているグローバリズムは世界を市場原理と称する価値観で統一しようとの運動である。

 しかし、たとえこのような統一世界ができたとしても、人間の間の闘争は決してなくならないであろうことは常識的に考えても想像できる。なぜなら、人類が物質的な価値観に支配され続ける限り、物質的な自由と平等を求める欲望に際限はないから。


   これからの自由と平等

 共生社会では、共同体の倫理が個人の自由の行き過ぎを抑制する機能を担っている。共同体の倫理は最低の道徳たる法律よりも厳しい。各々が共同体の倫理の下で、自分の果たすべき分をわきまえ刻苦勉励するようになれば、各人の自由が社会の則(のり)を超えるような事態には至らない。精神的自由とは、共同体の倫理を体現した自由である。

 平等については、個人の持つ個性はそれぞれ違いはあるが、各個性の価値には優劣はなく平等であるといえる。各個人は平等の価値を有する自らの個性を発揮して共同体に貢献する。このような義務としての平等は決して衝突を生むことはない。

 付言すれば、地球上には二百近い国家が存在しているが、国家も個人と同様、国としての特性を持っており、その価値は国家の大小強弱にかかわらず皆平等であると考えられる。国連で加盟各国が一票の投票権を持つことも、平等的な取り扱いには違いないが、すべての国家は他国にはない特性を持っていて、アメリカもブータンもその価値に上下はないと考えることにより、真に国家を平等とみなすことができるようになる。

   もうひとつの国難

 東日本大震災は確かに千年に一度の大災害であったが、実はわが国は大震災に襲われる前に既に国難に直面していた。その国難とはグローバリズム(新自由主義)であり、グローバリズムによって崩壊の危機にあるわが国のアイデンティティーだ。

 今から80年前に遡り1930年代の日本は、1929年のニューヨーク株式市場の大暴落に端を発した世界大恐慌の衝撃をまともに蒙っていた。欧米列強の経済ブロック化による経済的孤立の危機、不況による社会不安や国民の閉塞感、自由主義、民主主義、社会主義、共産主義などの外来の思想の浸透による国民意識の混乱分裂、民政党と政友会の二大政党間の党利党略に明け暮れる政治の腐敗と無能、テロの横行、軍部の台頭等々、日本国家はまさしく漂流状態にあったといえる。

 このような国家存亡の危機にあって、1937年に国民を啓発する目的で政府(文部省)から発刊された 『国体の本義』 という書物があった。

 「国体」 とは国の存在を成り立たせている根本的な原理を意味する用語で、GHQの検閲によって戦後は禁句となった。その影響はわが国が独立を回復してから60年たつ今日まで続いており、「国体」 という言葉が本来の意味で使われることは先ずない。戦後の日本国民にとって 「国体」 は毎年開催される国民体育大会の略称としてのみ通用している。

 この 『国体の本義』 は、国民を戦争に導いた国粋主義的思想書と誤解されてGHQにより禁書とされて以来、戦後長く国民の目にふれなかったが、最近この啓発書の意義を蘇らせたのが、佐藤優氏の 『日本国家の神髄』(産経新聞社)である。『日本国家の神髄』 に沿って『国体の本義』を読み進めてみると、上に述べてきた 「和」 と 「共生」 の価値観、「共生社会」 の考え方と思想的に類似性がある。なお、GHQは 『国体の本義』 を戦争思想書と誤解したのではなく、本書を日本人が広く読めば日本人が自らの能力に目覚めて立ち上がる「危険」があるので禁書にしたのが分かってくる。GHQは本書の趣旨を正しく理解していたのである。

   『国体の本義』 の神髄

 『国体の本義』 は当時の弱肉強食の帝国主義時代にあって、日本国家の生き残りのために何をすべきかを国民に浸透させる目的で作成されたもの。では、日本国家の命運がかかった 『国体の本義』 が提示するテーマとは何か。

 それは、わが国が明治以来あまりに急激に欧米の個人主義、自由主義、民主主義、社会主義などの思想を輸入したためにもたらされた社会の混乱を解決するうえで、これらの外来思想を日本的伝統との絡みでどう消化するかという問題意識であった。

 そのためには、『国体の本義』 の著者は当時の諸混乱の原因である外来思想を国体の本義に基づいて醇化し、新たな日本文化を創造することにあると訴えている。外来文化はそれぞれの民族性や歴史性に由来するので、ただ機械的に輸入するのは適当ではなく、日本の国情に合うように土着化させる必要があり、かくして土着化されたものが新しい日本の文化となるからである。

 わが国は明治開国以来、「和魂洋才」 のスローガンの下で 「造り変える力」 を発揮し、富国強兵、殖産興業を成し遂げて、植民地化を免れることが出来た。しかし、完全に欧米思想を造り変えることは出来ず、その宿題は昭和の時代まで引き継がれた。それ故、『国体の本義』 が書かれざるを得なかったのだ。

 ここでのキーワードは、外来文化の「醇化」と「土着化」で、それは「日本化」を意味する。わが国の 「和」 の力の現れである「むすび」、すなわち生産の精神がこの 「醇化」 と 「土着化」 を可能とする能力であるとしている。

 要するに、『国体の本義』 の神髄は、「造り変える力」 「消化力」 を発揮して明治以来導入してきた外来文化を 「醇化」 「土着化」 することにより、日本社会の混乱分裂という内部崩壊の危機を乗り越えよと、国民を啓発鼓舞したものだといえる。

 『国体の本義』 は、外来文化に対するわが国の伝統的な接し方の秘訣を、グローバリズムに直面している現代の私たちに教えてくれる、必読の書である。

          ○

 ――私は、馬渕氏の言われる 「日本が発信する新しい世界像」――新しい 「和」 と 「共生」 の考え方による日本的グローバル化というのは、神武天皇建国の理想として日本書紀に記されている 「八紘一宇
(はっこういちう)」 すなわち、
〈八紘
(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)とせむ〉 ――全世界を一つの調和した家庭のようにしよう、という理想を具体的に展開したものではないかと思いました。

 <つづく>

  (2015.8.2)
107 闇の世に光の国を持ち来すものは (7)


 前回のまとめをします。

 「経済至上主義」 はいけない、とよく言われる。欧米の市場原理主義的な資本主義社会が持続不可能なことは理解できる。人生の目的意識を持たないで富を蓄積したり、肉体的快楽を満たすような消費を続けても、所詮これらの欲望は永遠に満たされることがなく、最後は自爆に至る。

 しかし、日本的あるいは仏教的倫理などに基づく経済哲学は、倫理というものを考慮に入れない欧米流の経済思想とは根本的に異なる。仕事は仏道修行と同義であり、一心不乱に仕事に打ち込むことによって成仏することを目指した。

 この仕事観、労働観は江戸から明治、そして戦後までと引き継がれ、気が付けば、それによって会社は儲かり自らの生活も向上し、日本は世界第二の経済大国にまでなってしまっていたのである。

 生長の家の「生命の実相哲学」による栄える原理は、『生命の實相』生活篇・観行篇・万教帰一篇などに明らかな通り、そうした日本的あるいは仏教的経済哲学をいっそう深い万教帰一的真理から解き明かしており、「与えよ、さらば与えられん」という生き方が、調和と繁栄の偉大な実証を挙げて来ているのであります。

 では、さらに引き続き馬渕睦夫著 『いま本当に伝えたい 感動的な「日本」の力』 より、重要なポイントを抜粋要約して掲示させて頂きます。

          ○

 成仏修業イコール仕事という「和」の勤労観は、対立によって社会は進歩するとする一神教的世界観とは相容れないもの。
 一神教の神は、人間とは隔絶された存在で、人間は神に近づくことは出来ても、神と合一することは出来ない。神は「聖」、人間は「俗」であって、相対立する関係にあり、「聖」と「俗」が相和すなどということはありえない。
 これに対し、仏教の考え方では、人間は仏と合一することが出来る。これが成仏である。人間と仏の間にも「和」が存在する。

 現在の日本に必要な構造改革は、多くの改革論者が言うようなグローバル化した市場原理に従うことではない。失われた日本的経営方式を復活させること。それによって伝統的な日本人の勤労観を再生させること。派遣社員の増大などによって会社の共同体意識が希薄になったことが、日本の経済停滞の最大の原因である。

   「和」と表裏一体の「共生」

 「和」が保たれている社会の状態とは自らの個性(才能、適正、特性)に応じて、それぞれの職業を分担する共生の社会。強きものが弱きものを支配する社会ではなく、強者も弱者も各々の特性を生かして共存できる社会である。

 個人は共同体の部分として自らを生かしつつ共同体全体のために貢献し、共同体は総体として各部分である個人が力を発揮できるように調和を形成する。利他の精神、共同体意識が生まれて初めて、共同体全体が発展し、社会が発展することになる。

   「部分」と「全体」とは何か

 このような「部分と全体との共生的な相互作用の関係」を遺伝学者の立場から平易に解説したのが、筑波大学名誉教授の村上和雄氏(『生命の暗号』サンマーク文庫)。

 腎臓は血管やろ過装置などそれぞれ役割を異にする細胞から構成されているが、これらの細胞が協力することによって腎臓としての働きを担っている。しかし、腎臓の個々の細胞は腎臓のために自分の役割をきちっと果たしながら、自分独自の働き、すなわち細胞の維持や修復を自主的に行っている。

 村上氏は、このような部分と全体との関係は、細胞と臓器だけの話ではなく、人間と社会、人間と地球、ひいては人間と宇宙の関係でも同じことが言えるとして、

 「私たち人間は宇宙の一部です。そして、地球の大自然の中で生かされている。しかし一方で、私たちは大自然の中で地球の秩序をかたちづくる作業に参加している」と人間存在の壮大な意義を熱っぽく語っている。

 生命が宇宙から誕生したという事実は、私たち一人一人の生命は宇宙の要素を宿しているということ。私たちはこの要素を通じて宇宙そのものと繋がっている。人間の肉体的生命は宇宙という大生命の一部であり、人間の心(良心)は宇宙という大秩序の一部である。

   ダーウィンの進化論は間違っていた

 上記共生の思想は、ダーウィンの進化論に疑問を呈するものである。
 ダーウィンの進化論は、生物は自然淘汰と突然変異によって進化してきたとするもので、優勝劣敗、適者生存、弱肉強食等々とも形容されている。これがグローバリズム(新自由主義)の理論的根拠にもなっている「社会的ダーウィン主義」に繋がっていく。

 ウォール街の大手金融機関が利潤追求のために競争相手を違法まがいの手段で完膚なきまでに叩き潰して悟として恥じない市場原理主義なるものは、生き残ったものが正義であるとする「社会的ダーウィン主義」の下に正当化されてきた。

 しかし、既に1960年代からダーウィンの進化論に対抗する別の進化論が提唱されるようになって来た。その新しい進化論は、「生物は優勝劣敗の法則で進化してきたのではなく、互いに助け合いながら進化してきた」という考え方に立つ説で、「共生的進化論」と呼ばれている。

 「最初の生物は大腸菌のように細胞内に核を持たない単純なものだったが、この細胞が核を持つ一段上の細胞に進化するとき、それまで存在していたいくつかの単純な細胞やその一部が、一つの新しい細胞を形成し、お互いが協調的なはたらきをすることで高度な進化を遂げた」ということ。

 さらに、人間のレベルでも、ケニアのトルカナ湖で発見された一五〇万年前の類人猿の遺跡を調査した研究者によれば、互いに食べ物を分かち合い助け合った痕跡は見つかったが、強いものが弱いものを圧迫したり、闘争したりした形跡は全く見つからなかったという。このように、学説としても共生的進化論が説得力を持つものであることが分かる。

   近代文明を大転換させる「共生的進化論」

 人類は優勝劣敗の法則ではなく共生的に進化してきたということが正しいならば、これはまさしく近代西洋文明の大転換を意味する。学術的観点以外からも社会的ダーウィン主義を否定する注目すべき考えが、わが国においても主張されるようになった。

 例えば、20005年2月に経済同友会が提言した「共進化」の考え方です。同友会の報告書によれば、日本の世界における使命は、世界の平和と繁栄の創造に貢献することであり、それが日本の平和と繁栄をもたらすとして、日本のソフトパワーを活用して「共進化(相互進化)」の実現を目指す、とする。

 日本の経済界をリードする経営者の団体が、社会的ダーウィン主義を否定する社会繁栄のあり方を提唱したことは極めて意義深いもので、この「お互いがお互いに磨きをかけて生成発展し進化する」という価値観こそ、わが国の伝統的価値観である「和」と「共生」に基づくもの。

 最近、欧米においても共生的進化論を後押しする学者が輩出してきている。例えば、映画「地球交響曲第五番」に出演したことで日本人にも知られているハンガリー生まれのピアニストで哲学者、そして物理学者でもあるアービン・ラズローは、「すべての命が共に働き、共に進化し、互いに同調しながら響きあっている」と訴えている。つまり、この地球上のすべての存在、いや全宇宙のすべての存在は繋がっているということ。

 なぜなら、地球そのものが生命体であり、宇宙も大生命体だから。そして、すべての存在の繋がりというのは、単に空間的な繋がりだけでなく時間的な繋がり、すなわち歴史的にもすべての存在は繋がっていると考えられる。

 ラズローの言葉は、私たち日本人にとって新たな発見というより日本人のDNAに刻み込まれてきた思想の再確認というように感じられる。

 <つづく>

  (2015.8.1)
106 闇の世に光の国を持ち来すものは (6)


 「経済至上主義」 はいけない、とよく言われます。しかし――

 英語の economy が日本では「経済」と訳されているが、本来漢語における「経済」は、「経世済民」の略語であって、「世の中を治め、人民を救う」ことを意味する。

 江戸時代の初期に、職業の倫理について探求した思想家がいた。鈴木正三と石田梅岩
(ばいがん)。彼らは主として仏教や儒教の観点から日本人の勤労の倫理を理論的に考察した。彼らの思想が日本的な資本主義精神の源流となり、明治の殖産興業から戦後の奇跡的復興にいたるまで日本の経済発展をもたらした「勤勉の哲学」の先駆けでもあった。

   「仕事は仏道修行である」 と説いた鈴木正三

 鈴木正三はもと武士だったが、出家して禅宗の僧侶となり、日本社会のあるべき姿を考えた。宇宙の秩序=仏心を宿した人間の心は平和な状態であるはずだが、現実には貪(欲)、瞋(怒り)、痴(愚か)の三毒に冒されて、争いが絶えない。良き社会を作るためには、人間は内なる仏心の通りに生きる必要がある。そういう生き方が「成仏する」ということ。人々が成仏すれば、戦乱も起こらず社会の諸問題も解決され、理想的な社会ができるはずだ。

 それには何も特別に修行の時間をとる必要はない。生活の生業は立派な仕事であり、各々が労働に励むことが即仏道の修行となる。農民は農業に、職人は工業に、商人は商業にそれぞれ刻苦勉励すれば、人々は成仏し、社会は発展し、その結果として人々は豊かになる、と説いた。ここに、「個」と「全体」の間に調和が成立するのである。

   「消費の倫理」 を説いた石田梅岩

 石田梅岩は17世紀の末~18世紀初期の人。京都の呉服問屋に奉公に上がり番頭まで勤め上げ退職して私塾を開き、町人などを相手に日常生活の方法を講義した。梅岩の実践哲学は儒教的色彩が強いが、基本は鈴木正三と同じ。宇宙の秩序と内心の秩序と社会の秩序を一致するものとする思想である。

 梅岩は、商人の「道」も士農工の「道」と同じであるとして、商人にはひたすら消費者に対しては奉仕するよう自らの「道」の励行を求め、社会に対しては商人への非難に反論して利潤は正当であると擁護した。商人は、内にあっては合理性を追求し、倹約に努めるよう商人倫理を説いたのである。

 石田梅岩の特徴は、消費もまた仏道修行でなければならない。つまり、必要とするものだけを消費すればよい。必要以上に物は身につけない、足るを知る生活をすれば、社会は安定し国家も発展する。「倹約」という消費を自制する倫理観が社会秩序の基礎となる。

 正三と梅岩の思想は、仏教や儒教の影響を受けながら、その根底には日本の伝統的な神道の思考が窺える。彼らは「和」の原理を踏まえながら、仏教や儒教の教えを日本的に解釈し直したと言える。

   「仏教経済学」 が唱えるふたつの価値

 1997年に発生したタイの金融危機は、タイの過剰消費が主要な原因だった。タイでは、金融危機の克服と経済のあるべき姿について国を挙げて熱い論争が行われ、そのなかで注目されたのが、高僧で経済学者のプラユット・パユット師の唱える「仏教経済学」の主張だった。
 プラユット氏の主張のポイントは、物やサービスの生産や消費が個人、社会、環境にいかなる影響を与えるかの問題を、善悪の倫理の観点、すなわち仏法の観点から考える必要があるとする点である。

 近代経済学では、物・サービスの価値は人間の欲望を満足させる度合いによって決まる。人間の欲望の内容を問わない。しかし、仏教経済学の考え方では、価値を「真実の価値」と「人工的な価値」の二つに分ける。「真実の価値」とはチャンダ(良き欲望-人間の福利を求める欲望)によって創造された価値であり、「人工的価値」とはタンハ(悪い欲望――肉体的快楽を求める欲望)によってもたらされた価値をいう。仏教経済学はこの二つの価値のうち、肉体的快楽を求める価値は経済活動として認めない。

 仏教社会における物とサービスは、人間の幸福や安寧すなわち福利を維持発展させるために消費されることが目的である。

 近代経済学が想定する資本主義社会においては、物質的な生活水準の向上や物質的富の増大を目指すものが消費行動の目的とされているが、これに対し、仏教経済学が想定する仏教社会においては、消費活動は人間がニッパーナ(悟り)の境地に至る精神的覚醒を促す目的を持ったものになる。要するに、成仏という人生の目的を達成するために、消費はいかにあるべきかを考える視点が必要だという。

 まさに、石田梅岩が唱えた消費の倫理と通底する。

 このような視点からも、欧米の市場原理主義的な資本主義社会が持続不可能なことは理解できる。人生の目的意識を持たないで富を蓄積したり、肉体的快楽を満たすような消費を続けても、所詮これらの欲望は永遠に満たされることがなく、最後は自爆に至るからである。

 2008年のリーマン・ブラザーズの経営破綻に見られるように、昨今のウォール街の投資銀行家やヘッジファンドなどがあくなき利潤追求の結果自滅した醜態は、悪い欲望が暴走した典型的な例といえる。

   日本の経済発展の秘訣

 鈴木正三もパユット師も仏教僧侶であり、石田梅岩の思想には儒教、仏教、神道などの影響が強く見られる。仏教的倫理などに基づく経済哲学は、倫理というものを考慮に入れない欧米流の経済思想とは根本的に異なる。仕事は仏道修行と同義であり、職場は精神修養の場所でもある。日本人は自らに与えられた仕事を仏行と心得、一心不乱に仕事に打ち込むことによって成仏することを目指した。

 この仕事観、労働観は江戸から明治、そして戦後までと引き継がれ、気が付けば、会社は儲かり自らの生活も向上し、日本は世界第二の経済大国にまでなってしまっていたのである。

 以上は、馬渕睦夫著 『いま本当に伝えたい 感動的な「日本」の力』 によるところが大きいのでありますが、生長の家の「生命の実相哲学」による栄える原理は、『生命の實相』生活篇・観行篇・万教帰一篇などに明らかな通り、そうした日本的あるいは仏教的経済哲学をいっそう深い万教帰一的真理から解き明かしており、それが調和と繁栄の偉大な実証を挙げて来ているのであります。

 <つづく>

  (2015.7.31)
105 闇の世に光の国を持ち来すものは (5)


 今、言われているところの“グローバリズム”というのは、国境をなくして地球全体を金融の力で――金力で支配しようというユダヤ思想による「国際銀行家」たちの野望ではないか。

 それが、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の神話のように、
≪世界各国の元首は一人一人、毎年ヤマタノオロチに喰われてしまうように滅ぼされてしまう≫
ということになってよいのか。(#101#102 参照)

 私は、馬渕睦夫氏の説に興味を持ったので、別の著書 『いま本当に伝えたい 感動的な「日本」の力』 も購入して読み終えました。そこから少し抜粋引用させていただき、しばらく日本伝統の「和」の精神と経済活動について、光を当てて行きたいと思います。


≪   日本が世界にできること

 新しい世界秩序へ向けての大転換期にある今日の世界の最大の課題は、グローバリズムと自らのアイデンティティーをどう両立させるかということに尽きる気がします。

 グローバリズムの弊害は、リーマンショック後の金融危機や国内産業の空洞化、大量移民の受け入れによる国内の分裂など、グローバリズムの発祥の地域においても顕著になって来ました。彼らもまた、自らのアイデンティティーが崩壊する危機に直面するようになって来たのです。だからこそ、なりふりかまわぬ国益追求外交が流行になってきたと言えましょう。

 では、このような世界の潮流の中で、わが国は何をなすべきでしょうか。わが国が新たな文化を創造できる切り札は「造り変える力」でした。そこでわが国が「造り変える力」を発揮して再生することは、世界に新しい生き方の見本を提供することに繋がります。

 世界にとって新しい生き方とは、経済(金力)至上主義ではない生き方です。わが国の伝統的価値観の「和」や「共生」は経済効率主義になじまないものです。わが国の生き方は損得勘定が行動原理ではありません。損得を超えた価値を大切にする生き方です。日本人にとって経済活動は精神修養と同義です。つまり、経済は倫理や道徳を抜きにしては存在できないという信念です。

 このような日本は、世界に新しい文明秩序を示すことになるでしょう。このような日本の再生は、明治開国以来の最大の課題であった西洋文明を真に日本的文明に土着化することを意味します。それは日本にとって幕末の黒船の開国要求以来今日まで継続して来た「東亜150年戦争」に最終的に決着を付けることになるのです。ここに、わが国は名実ともに大東亜戦争を超克して、新たな歩みを開始することができることになるでしょう。≫

  (馬渕睦夫著 『いま本当に伝えたい 感動的な「日本」の力』 より抜粋)

 <つづく>

  (2015.7.30)
104 闇の世に光の国を持ち来すものは (4)


 ベトナム戦争を仕掛けて大儲けをしたのも、ユダヤ思想をもつ国際銀行家たちだった。

 「南京大虐殺」 や 「従軍慰安婦」 などなかったことは承知の上で、中韓の反日キャンペーンを容認し、同盟国日本を排除するかのような動きをするアメリカ。

 そのアメリカを陰で金力と世論操作によって動かしているのは、ウォール街のユダヤ系国際銀行家たちである。

     日本は中国を「侵略」などしていない

 支那事変は日本が仕掛けた侵略戦争ではなく、中国側が仕掛けたものだったということが、いまでは明らかになっている。それを陰に陽に支援したのもアメリカだった。詳細は 『「反日中韓」を操るのは、じつは同盟国・アメリカだった!』 (馬渕睦夫著)に書かれていますが、長くなるので引用は控えさせて頂きます。

 中国の指導者にとっては、共産主義であれ、何主義であれ、イデオロギーはほとんど関係なく即物主義であり、金権主義であり、自分たちが金儲けできればそれでいいという考え方。だから彼らはウォールストリートの金権主義者たちとは非常に相性がよい。
 支那事変のときも現在も、中国の指導者は金権主義のマインドに基づいた行動をしており、中国民衆はいつの時代もその犠牲者である。

 以下、日韓関係について、 『「反日中韓」を操るのは、じつは同盟国・アメリカだった!』 (馬渕睦夫著)から、抜粋要約して重点を紹介させて頂きます。

          ○

     日本は朝鮮も、どの国も植民地支配などしていない

 古事記の「治らす」の精神で、朝鮮を栄えさせたのが日本だった。

 植民地支配とは何か。英語では「コロナイゼーション(colonization)」、文明の劣ったところに行って収奪・搾取するもの。現地を繁栄させるという考え方はそこにはない。

 日本が朝鮮でしたことは「アネクゼーション(annexation)」であり、併合。本来は合併が望ましい姿だったが、国力があまりにも違いすぎたため、併合になったのはやむを得ない。
併合は植民地支配とは違い、併合された地域と人々が繁栄するようにして一つの国として運営すること。

 ヨーロッパの帝国主義国がアジア、アフリカでしたことは、まさしくコロナイゼーションであり、植民地支配。植民地の人間を使役して搾取した。

 日本は帝国主義時代にあっても、唯一、帝国主義的な政策をとらなかった国。朝鮮にしても台湾にしても植民地支配でなかったことは、現地を栄えさせようとしたことからも明らかである。日本が韓国を併合した期間に、現地の経済、教育、人口がいかに発展したかは数字でも説明がつく。

 たとえば、人口は980万人から2500万人に増加。平均寿命は24歳から48歳と日本人並に。この間、年平均4%の経済成長率を記録。なかでも特筆すべきは学校教育で、韓国を保護国化した際5校に過ぎなかった小学校は、1943年には約4300校と、すべての村に設立された。

     日本が謝れば謝るほど傷つく韓国人の心理

 では、なぜ韓国人は反日なのか。彼らにとって日韓併合は、自分たちの祖先がふがいなかったことを思い起こさせる歴史である。彼らには祖先のふがいなさを認めたくない気持ちがあるのだ。

 その心理を理解すれば、日本が韓国に謝れば謝るほど、彼らの自尊心が潰されて彼らの気持ちが辛くなるということが想像できる。その点を日本人は誤解している。

 日本の多くの政治家は、「謝ればいいのだろう」と安易に考え過ぎているが、韓国人の心理に本当に配慮するのであれば、謝ってはダメ。謝ることは彼らの自尊心をかえって傷つけることになる。

     反日教育のために韓国人は自国に誇りを持てない

 韓国国民が自尊心を持つことができないのは、戦後に反日教育を行なったことも影響している。自国の過去のふがいなさを隠すには反日教育をするしかなかった。しかし、他国を憎む教育をすれば、自分の国に対する誇りをいつまで経っても持つことはできない。

     対等に付き合うなら韓国を突き放せ

 韓国の歴代政治家は、ずっと日本に甘えてきた。彼らは日本から乳離れしていない。
 日本の側もそれを容認してきた。これはお互いにとってマイナス。

 日韓は同じ独立国家として対等の立場で付き合うべきだ。韓国が何か言ってきても甘やかさない。自分たちでやるべきだと言って相手にしないこと。韓国に頼まれたお願い事を何でも聞いてあげるのは、日韓併合時代の話。お互いにその時代心理を引きずっている。

 「親が面倒を見てくれる」と思っている意識を変えるために、突き放して、乳離れさせないといけない。独立した対等な国として付き合っていくのであれば、韓国からの頼みを断り、突き放す。これが本当に韓国を尊重するということである。

 もう我々は、左翼自虐史観主義者たちの洗脳から目覚めなくてはならない。それが我々自身のためであり、明日の日韓関係のためでもある。


     朝鮮戦争は米ソに仕組まれたもの

 戦後の朝鮮半島は朝鮮人の意思ではなく、アメリカの思惑によって動かされてきた。
 アメリカに振り回された最たる例が朝鮮戦争。朝鮮戦争は矛盾に満ちた戦争だった。それは、米ソが結託した戦争であったというのが真相である。

 朝鮮戦争における北朝鮮軍・中共軍と国連軍(アメリカ軍)の戦力を比較すると、国連軍のほうが圧倒的に強く、国連軍は当然勝てたはず。国連軍の最高司令官となったマッカーサーは、北朝鮮軍・中共軍を倒すための作戦を本国に進言した。ところが、マッカーサーの進言した重要な作戦はことごとく却下された。それどころか、マッカーサーには必要な武器人員が与えられず、勝利を収めるのを故意に妨害された節すら見受けられる。

 マッカーサーの立てた作戦は、アメリカ本国を通じてイギリスに報告され、イギリス情報部からソ連、インドに伝えられ、そこから中共軍と北朝鮮軍に伝えられていた。つまり、マッカーサーの作戦は敵に伝えられていた。結局、マッカーサーは解任された。

 マッカーサーは回想記のなかで、
 「ワシントンでは、外国、特に英国の影響力が非常に強く働いている。共産勢力に対する攻撃を強化することにはあまり関心がない。」
 と指摘している。これは政治的な力関係で言えば、イギリスがアメリカの上にいることを示唆している。
 アメリカもイギリスも共産勢力を積極的に攻撃する意図はなかったのである。結局のところ、朝鮮戦争はアメリカ、イギリス、ソ連が結託して演出した戦争だったと言える。

 演出された戦争だから、朝鮮戦争は3年にわたる戦いを続けたものの、南北朝鮮の境界線は戦争前とほとんど変わらなかった。その間に、3万人以上のアメリカ将兵が犠牲になった。

 このような悲惨で無益な戦争を続けて、誰が利益を得たのか。それは戦争資金を融資した国際銀行家と、武器売却で儲けた軍需産業である。

     裏切られたマッカーサーの重要な議会証言

 マッカーサーは生粋の軍人であり、戦いに勝つことを使命と考え、勝つための作戦を進言し続けたが、いずれも拒否され、結局、マッカーサーは解任さた。

 マッカーサーの回想記を読んであらためてわかるのは、マッカーサーは朝鮮戦争におけるアメリカの真意を知らされていなかったということ。

 彼は1951年5月3日に、米上院軍事外交委員会で「日本が太平洋戦争に突入したのは、大部分は安全保障上の必要によるものだった」と証言している。彼は上院の証言で、アメリカを擁護しなかった。彼はもはや太平洋戦争の真実を隠す必要はないと考え、アメリカの対日戦争の不正義を告発する意図で、日本の戦争目的を擁護する発言をしたのではないか。

 太平洋戦争が日本にとって自衛戦争だったことは、アメリカの首脳は戦争前からわかっていた。常識的に考えれば、アメリカから石油の大半を輸入していた日本がアメリカを攻撃するはずがないことはわかる。それなのに、アメリカは通商条約を破棄して石油を禁輸した。その行為自体が宣戦布告と同じ意味を持つ。日本は立ち上がる以外に方法はなくなり、自衛のために戦うことを決めた。アメリカはそれを待っていた。

 東京裁判を指揮して「平和に対する罪」で7人の日本人指導者を処刑したマッカーサーが、日本の戦争は侵略戦争ではなく、自衛の戦争だったとはっきりと証言した意味を日本人は重く受け止めるべきだ。歴史教科書は、このマッカーサー証言を書くべきである。
  (この「マッカーサー証言」については、『何処へ行く?「生長の家」』 の「質問1」にも書いています)

     中韓で日本を抑え込む東アジアレジーム

 戦後の東アジアについて大きな視点から見ると、「東アジアレジーム」とはアメリカによる「ディバイド・アンド・ルール(民族を分断して統治する植民地支配のやり方)」であることがよくわかる。

 日米安保条約はアメリカが日本を防衛するためのものだと信じている人もいるが、アメリカが日本を抑え込むためのもの。同盟国とは言いながら、アメリカの思惑は別のところにある。
 東アジアは、植民地時代と同じ分断統治と呼ばれる方法で日韓を離間させ、韓国に日本を抑えさせることが基本戦略。アメリカが韓国と中国を使って日本を抑え込む体制です。

 その東アジアレジームに真っ向から対抗しようとしているのが、「戦後レジームからの脱却」を掲げた安倍政権。だから安倍首相の靖國参拝に関して中国、韓国と一体になってアメリカは日本を非難し、「従軍慰安婦」問題で韓国の味方をしているのも、安倍政権に対する揺さぶり。オバマ大統領は従軍慰安婦に関して「おぞましい人権侵害だ」と述べているが、アメリカ人でも常識人なら慰安婦のことはわかっている。わかっていても韓国の肩を持つのは、日本を抑え込むためです。

 <つづく>

  (2015.7.29)
103 闇の世に光の国を持ち来すものは (3)


 私は 『生命の實相』 神道篇 の 『古事記』 御講義の中で、「(日本の実相顕現の過程で)
その試煉の最大なるものは、ユダヤ民族の世界統一運動なのであります」 と書かれているところは、馬渕睦夫氏の 『「反日中韓」を操るのは、じつは同盟国・アメリカだった!』 を読むまで、意味するところがよくわかりませんでした。それが、馬渕氏の前掲書を読んで、なるほどそうだったのかと、蒙を啓かれた思いがいたしました。

 それは、ユダヤという民族が悪いという意味ではなく、ユダヤ思想――金融の力、金力で世界を支配しようという唯物思想が闇の思想であって、これは「霊的に世界は一つである」というヒノモトの光の思想によって克服されなければならない、という意味だったのですね。

 それがわかって、なるほどと納得いたしました。

 そこで再び 『「反日中韓」を操るのは、じつは同盟国・アメリカだった!』 (馬渕睦夫著)の勉強(ご紹介)の続きに入りたいと思います。これは、重点を抜粋要約してまとめさせていただき、黒字でご紹介します。
(引用文が原文そのままの場合は茶色で表示しています。)

     ***************

(#100 のつづき、『「反日中韓」を操るのは、じつは同盟国・アメリカだった!』 (馬渕睦夫著)より)

   「共産ソ連」と「社会主義アメリカ」が手を結んだ

 世界の動きは、国家単位で考えると真相が見えてこないことがある。国家の背後にいて国家を動かしている勢力に目を向けるべきだ。背後の動きがわかれば、アメリカとソ連がなぜ第二次世界大戦で組んだのかも腑に落ちるはず。

 これはアメリカ国民が望んだことではなく、アメリカを動かしている一部の人たちの意向である。彼らにとって都合の良い世界秩序をつくるためのもの。

 日本の指導者たちは、アメリカがなぜソ連と同盟しているのか真の理由がわからなかった。アメリカのことを民主主義国だと思っており、社会主義者たちがルーズベルト政権を乗っ取っていることなど知らず、アメリカが容共だということがわからなかった。
 米ソが協力して共産主義化を進めるなかで、邪魔な存在になったのが日本。日本の国体は共産主義とは相容れないものです。日本を潰すことが、米ソを陰で動かしていた人間たちの目的だった。

   財閥の利益のために仕組まれた八百長の冷戦構造

 第二次世界大戦後の経済面を見ると、終戦時にはアメリカは独り勝ちの状態で、世界のGDPの半分はアメリカが占めていた。それはアメリカ国民にとっては良いことだが、ウォールストリートの国際銀行家たちにとっては望ましい状態ではなかった。

 つまり、キリスト教倫理が強い国民を有する強力な国家アメリカの存在自体が、世界を社会主義化するうえで障害だったのだ。天皇の下に国民がまとまっていた民度の高い日本が東アジア社会主義化の障害であったように、第二次世界大戦後はそのアメリカ国家自体が世界を社会主義化するうえで障害となったのだ。そこでアメリカ国家弱体化のために、彼らは主に三つの戦略を立てた。

 一つは共産主義を育てて、アメリカの対立軸をつくる冷戦構造。
 冷戦を生み出し、共産主義の脅威を煽れば軍拡が起こる。軍産複合体にとっては、自分たちの利益を上げるために、戦後の秩序として冷戦構造を生み出すことが必要だった。国民には激しく対立しているように見せて軍事予算の拡大を承認させ、裏では手を結んでおく。実際、朝鮮戦争、ベトナム戦争は圧倒的に戦力に勝るアメリカ側が、当然勝てるはずの戦いをあえて勝とうとしなかった事実がいくつも明らかになっている。冷戦そのものがアメリカとソ連が結託した八百長だった。

 二つ目は、国際主義を実現するために各国の国家主権を奪うこと。具体的には国連、IMF(国際通貨基金)などの国際機関をつくることを計画した。各地域で自由に金融活動をして儲けるためには、国家主権は障害となる。

 IMFは、国際銀行家が世界を金融で支配するためのものです。1997年のアジア通貨危機のときには、タイ、インドネシア、韓国がIMFの支援を仰ぎ、金融を握られてしまった。マレーシアはマハティール首相がIMFの管理下に置かれることを拒んだため、国際銀行家たちからの批判に晒された。要するに、IMFは国際銀行家と一体だということ。国連もIMFも公的な機関のふりをしながら、実際には国際主義者たちが影響力を行使している機関だ。

 三つ目は、アメリカの国力を疲弊させ、アメリカ国民の道徳心を低下させてアメリカ国内での影響力を拡大すること。

 戦争直後は、アメリカ国内においてはWASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)が健全であり、国民の士気もまだ高かったため、アメリカをいかに弱めていくかということが重要だった。アメリカを弱めるための手段の一つが戦争だ。長引けば長引くほど国力は弱まっていくので、その間に影響力を高めようというのが彼らの考え方。

 その決定的な契機となったのが、泥沼のベトナム戦争でした。十年にわたるベトナム戦争の結果、アメリカ社会は分裂し、政府や支配層に対する国民の不信感が高まった。その間に、ユダヤ系の人たちが社会のエリート層に入り込んだ。

   アメリカを弱体化させて乗っ取る国際銀行家の戦略

 ユダヤ思想を奉ずる国際銀行家は事実上、無国籍の人たちであり、国家というものにまったく価値を置いていない。イギリス帝国が強かった時代にはイギリス帝国を利用したのであり、アメリカが覇権を握ってからはアメリカを利用しているにすぎない。

 保守系の学者たちも気づいていないようだが、グローバリズムを目指している彼らにとっては、法律的にはアメリカに国籍を持っていたとしても、アメリカという国家に対して忠誠心など持っておらず、国家はむしろ邪魔な存在。

 彼らはアメリカを劣化させようと考えた。劣化させ、疲弊させたほうが牛耳りやすいから。彼らの思いどおりに動くアメリカでないと困るのだ。

 その視点で見れば、ベトナム戦争について理解しやすくなる。ベトナム戦争は非常に謎の多い戦争です。ほぼ十年間にわたって泥沼の戦争を続け、アメリカ兵は5万人以上の犠牲者を出した。アメリカの国力のほうが北ベトナムを圧倒的に上回っていたにもかかわらず、結果はアメリカの敗北に終わった。

 この間にアメリカ国内は世論が分裂し、反戦運動が広がり、社会は衰退。ビート族、ヒッピー、イッピーなどアメリカの若者たちは荒れていき、麻薬(ヘロイン、コカイン、マリファナ、LSD)が蔓延したのもこの頃から。麻薬はアメリカ社会を蝕んだ。

 アメリカは勝てるはずのベトナム戦争でなぜ負けてしまったのか。おそらく、勝てる戦争をあえて勝たなかったのです。アメリカの背後にいる人たちが勝たせなかった、と言ったほうがいいかもしれない。

 ベトナム戦争の最中の1966年に、ジョンソン大統領は北ベトナムの後ろ盾となっているソ連や東欧諸国に対して、大々的な経済協力を開始している。アメリカはソ連などに総額300億ドルを融資し、この資金でソ連はアメリカから非戦略物資を輸入した。非戦略物資という名目だが、実際には石油、航空機部品、レーダー、コンピュータ、トラック車両などが含まれていて、これらは明らかに戦略物資である。

 戦争に使用されるこうした物資をアメリカからソ連に輸出し、ソ連はそれを北ベトナムに送った。北ベトナムはベトコンの武装強化や軍事施設の修復に使用した。アメリカ兵を殺傷するための武器を、ソ連を通じてアメリカが事実上、援助していたことになる。巨額の資金まで融資して武器を送っていたのである。

 このように、アメリカとソ連は結託して北ベトナムを支援し、ベトナム戦争においてアメリカ軍を敗北させるように工作したのである。アメリカ国内のみならず世界各国でベトナム戦争反対デモが吹き荒れたが、ベトナム戦争の真相から考えれば、デモの矛先はアメリカではなく一体誰に向かうべきだったのだろうか。

 アメリカ軍は苦戦を余儀なくされ、戦争は長引き、徒らに犠牲者を増やす結果となった。アメリカによる茶番と言ってもいいような戦争だった。
 なぜ、そこまでして自国を苦しめなければいけないのか。戦争が長引き、疲弊していけば、アメリカを乗っ取りやすくなるからである。この間にアメリカの政権やエリート層に入り込んだのは、ユダヤ系の人たち。政界や学界やウォールストリートなどのアメリカのエリートは、ユダヤ人が中心になった。

 一方で、ユダヤ系銀行家・財閥は、ベトナム戦争と直接かかわって巨額の利益を得た。アメリカ国民の税金を使って300億ドルもの物資や武器をソ連に輸出することにかかわった企業の多くは、ユダヤ系企業だった。

 ベトナム戦争を機に、アメリカの社会は決定的に変遷してしまった。アメリカだけでなく、パリ5月革命などに見られるように世界で学生が反乱を起こすなど、既存秩序に対する破壊行動が顕在化した。このように、ベトナム戦争は世界において秩序破壊傾向が拡大する契機となったのだ。

 ああ、ベトナム戦争も、ユダヤ系の人たちがアメリカを苦しめて、自分たちの金力による支配力を拡大するするため仕掛けたものだったとは!

 <つづく>

  (2015.7.28)
102 闇の世に光の国を持ち来すものは (2)


 谷口雅春先生は、戦前の 『生命の實相』 に収録されていた「神道篇」 『古事記』 の御講義の中で、前の #101 で引用させて頂いたところの後、次のように書かれています。

      
*************

 ≪日本の国は永遠に如何なる敵国の精兵も如何なる奸物の妖牙
(ねじけた悪者のあやしい牙)も到底犯すことは出来ないのであります。

 かかる戦が何故起るか、地上の戦いは単に地上のみの戦いではないのであります。ユダヤの国魂神
(くにたまのかみ)なる八俣遠呂智(やまたのおろち)がその深謀遠慮を以て、『古事記』の書かれたる時代以前より計画せるユダヤ民族の世界統一運動こそ、八稚女(やおとめ)を呑みほして、世界を『赤』一色で塗りつぶさんとの運動でありますから、地上に於けるユダヤ民族の世界統一の陰謀(或は無意識的なるその作謀を扶ける行動)などは、ユダヤ民族の守護神(国魂神)の傀儡(かいらい)となっているに過ぎません。

 そこで、天照大御神を祖神
(おやがみ)として全世界より祖国として仰がるべき天爾惟神(てんにかんながら)の使命を有せる日本国の神々は、ユダヤ民族の守護神にとっては一大脅威でありますから、まず、日本民族の守護神とユダヤ民族の守護神との間に戦が起るのであります。そして各民族の守護神は神としてのみ互に優劣を決するのではなく、地上の権力の掌握を覘(ねら)っているのでありますから、地上の人間の行動は、天上の各守護神の思念の力によってその傀儡となり、人間自身で考えた行動の如く錯覚しながら、実はその頤使(いし)の下に働いているのであります。

 しかも思念は、精神波動の類似(波長の共鳴)によって感応するのですから、ユダヤ的なる思想をより多く有するものは、ユダヤ民族の守護神の思念波動に左右せられて、知らず識らず日本に不利なる行動をとりつつあり、より多く日本主義的思想を有する者は日本民族の守護神の思念波動に左右せられて、知らず識らず日本に有利なる行動をとりつつあるのであります。地上を見ていれば、人間と人間との葛藤でありますが、その本源を見れば、天の戦であり、ユダヤ民族の守護神と日本民族の守護神との戦いなのであります。

 嘗
(かつ)てキリスト教が日本に輸入せられて来たときに、彼ら牧師は神社に参拝するは偶像崇拝であるという名の下に、日本人の神社崇拝を排撃した。これなども実はユダヤ民族の守護神の思念に彼ら牧師が操られて、日本国民の良俗を廃せしめ、ユダヤの神を拝せしめ、日本民族の守護神の神力の糧道を絶ち、ユダヤの神の神力の増大を謀(はか)ろうとしたのであって、背後にユダヤ民族の守護神の陰謀が働いているのであります。

 (中略) しかし、如何に八俣遠呂智
(やまたのおろち)に深謀遠慮がありましょうとも、日本の国には宇宙創造の時以来、その天爾(てんに)の使命遂行のため惟神(かんながら)なる深謀が行ってあるのでありますから恐れることはありません。

 『斯くて、天に戦争
(いくさ)おこれり。ミカエル及びその使たち龍(たつ)とたたかう』

 ミカエルというのは天使の長
(おさ)であり、古事記で云えば水火津霊翁(しほつちのおきな)に当り、生(縦―火)長(横―水)の交叉(いえ)の神であり、日本国の天爾(てんに)の大守護神であり、彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)を龍宮海へ無事御案内申上げた神であります。

 ミカエルと世界赤化の総帥たる『赤き龍
(たつ)』とが戦を交えたならば、
(既に思想の上では戦を交えているのであり、左翼思想家が『生命の實相』を読んで日本精神に復帰するなどは、赤き龍のミカエル軍勢への思想戦に於ける降伏であります。)

 『龍
(たつ)もその使たちも之と戦いしが勝つこと能わず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち悪魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどわす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり』

 という風に、赤き龍
(たつ)はついに地上に墜落せしめられるのであります。

 (中略) それが現象界に投影するのに何年と定かに投影するかは判りません。イエスは、『無花果
(いちじく)の樹よりの譬(たとえ)を学べ、その枝すでに柔かくなりて葉芽(めぐ)めば夏の近きを知る』と云っているので、その愈々の時が何時であるかは霊界に於ける地上の人類の運命修正運動などの影響もあり、何人も定かには判らないのであります。

しかし 『無花果
(いちじく)の枝すでに柔かくなりて芽ぐんでいる』 ことは明かであります。吾々日本人は今後益々日本国の使命実相を知り、互に一致団結して祖国を守らねばならない時であります。≫

   (『古事記と日本国の世界的使命 
甦る『生命の實相』神道篇』より)

      *************


 ――いよいよその時が来ていると思います


 ブラジルの信徒の方たちが今、毎日朝6時・昼12時・夕方6時に、心を合わせて 「世界平和の祈り」 を熱祷実修することを呼びかけて、やっていらっしゃるそうです。日本にいる私たちも、実行しましょう!

 <つづく>

  (2015.7.28)
101 闇の世に光の国を持ち来すものは (1)


 谷口雅春先生は、戦前の 『生命の實相』 に収録されていた「神道篇」 『古事記』 の御講義の中で、天之岩戸開きの件
(くだり)のあとヨハネ黙示録1-18を引用された後に、次のように書かれています。

      
*************

 ≪……『日を著たる女』というのは日本国のことであります。日は天照大御神で、『日を著たる』は天照大御神を御皇室の御祖先に頂いているということであります。『女』というのは、日本の国は昔から東海姫氏
(とうかいきし)の国と云われておりまして、美人国だとして知られている。それで『日を著たる女』という言葉によって日本国を象徴しているのであります。

 (中略)『かれは孕
(みごも)りおりしが、子を産まんとして産(うみ)の苦痛(くるしみ)と悩(なやみ)とのために叫べり』という『生みの苦しみ』とは『新しき自己』の発見の苦しみなのであります。日本は今や『新しき自己』を発見せんとして苦しみつつあるのであります。

 今迄地球上、東海の一小島国としての自己を見詰めていた、しかし本当は日本国はそんな東海の一小国ではない、『大日本世界国』である、全世界が日本なのである。新日本の実相の発見であります。既にその『実相』は孕
(はら)んでいるのであります。『孕む』というのは『既にある』がまだ顕れていないということであります。

 大日本なる国土が豊葦原
(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の国という全地球上であるという約束は既に天照大御神の天孫降臨の御神勅以来、『実相』として孕んでいるのでありますが、それがまだ実現していない――それは必ず実現するが、それが実現する為には今後幾多の試煉に出会(でくわ)さなければならないというのが、『産の苦痛と悩との為に叫べり』であります。

 その試煉の最大なるものは、ユダヤ民族の世界統一運動なのであります。
 凡そ、全世界を一つの支配の下に制覇しようという野望を抱いている民族はユダヤ民族であります。(中略)

 全世界の全権を掌握している大富豪は殆どすべてがユダヤ人であり、ジュネーヴの国際連盟会議で日本代表を悩まして日本の満洲進出を不利ならしめようとしたのはユダヤ人であります。支那を煽動
(せんどう)し武器を供給して抗日運動を起しているのはソビエット・ロシヤであり、ソビエット・ロシヤの中心人物はその殆ど全てがユダヤ人であります。

 このユダヤ民族は世界各国に分散していますが、いずれも霊界より、この黙示録に書いてある『赤き龍
(たつ)』の放送する思想念波によって暗黙のうちに一致の行動をとり、全世界をユダヤ人を主宰者とするソビエット・ユニオンという『赤』の一色に塗りつぶそうとしているのであり、……特にかかる思想と活動に反対する日本を敵視して之を帝国主義又はファッショの国といい触らし、且支那と相抗争せしめようとしつつあるのであります。…(略)…

 ユダヤ民族の理想は全世界の帝国主義を破壊してその赤色思想によって世界革命をし、全世界にソヴェート・ユニオンを建設するにあるのであります。これこそ全世界を『赤』一色にて取巻こうという八俣遠呂智
(やまたのおろち)の遠大の謀計(はかりごと)なのであります。その遠大なる謀計は先ず世界を唯物論で塗りつぶすということでありました。

 此の赤き龍
(たつ)というのは、天爾惟神(てんにかんながら)の神国をも自分の掌中に掌握しようという謀計(はかりごと)をめぐらすほどの者ですから、実に大きな働きであって、……『創世記』に於けるあのアダム、イヴを欺(だま)したところの蛇の現れとも見るべきものであります。

蛇の智慧、物質的智慧、唯物論の智慧を持っておって世界をかきまわしているところの龍
(たつ)であります。そして先ず金力、物質の力によって宇宙全体をひっかきまわして、先ずこの世界を金力の支配下に置き、資本主義制度を捏(でっ)ち上げ、その反動を利用して、全世界をソビエット化しようとしているのであります。妙な言い方でありますが、資本主義組織を計画したのもユダヤの守護神であり、これを破壊に導いているのもユダヤの守護神であり、その変転の過程が彼らの乗ずる処であります。

資本主義制度というものは、皆さん御存知の通り唯物論に出発している。総て物を蓄積して、物の力によって一切を支配して行こうという働であります。その反動として起っているかの如く見えているところの『赤』色運動というのも唯物論であります。本源は一つであるということがお判りになりましょう。中々巧妙な仕組になっているのでありまして、これは霊界に於ける『赤き龍』の念波によって唯物論者が操縦せられて、まずそれらの人たちの頭が唯物論になりそうして拝金宗になり、金ばかりを崇拝して、資本主義の弊害を過大ならしめ、その反動を利用して猶太
(ユダヤ)民族の世界にしようとしているのであります。

 その遠大な遠廻しの自由自在な計画を『八俣
(やまた)』(愈々(いよいよ)多くの俣(また)――戦術)のある遠大なる呂国(ロシア)の智慧であるとして『八俣遠呂智(やまたのおろち)』で表現してあるなどは、古事記が予言書であると云い得る所以であります。八俣遠呂智に委せて置いたら、世界各国の元首は一人一人、毎年八俣遠呂智に喰われてしまうように滅ぼされてしまうのであります。遠呂智(おろち)は遠大な智慧のあるものですから、単に『赤』の中に『赤』があるばかりでなく、『白』の中にも『赤』があり、ファッショの中にも八俣遠呂智の世界各国元首破壊の遠大な手が潜んでいるのであります。……≫

   (『古事記と日本国の世界的使命 
甦る『生命の實相』神道篇』より)

      *************


 ――上記ご文章は、まさに馬渕睦夫氏が著書 『「反日中韓」を操るのは、じつは同盟国・アメリカだった!』 で書かれていることを夙
(つと)に予言されているとも思えるのであります。

 <つづく>

  (2015.7.28)