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「立憲主義」 は古色蒼然
<2017.1.10 櫻のカヴァリエ>

 合掌 『「“人間神の子”は立憲主義の基礎」を論駁す』 を読ませていただきました。少し感想を書かせていただきます。

 凡そ 「憲法」 とか 「民主主義」 というものをまともに議論することは、大変な労力を要することであります。岡さんも大変な労力を割いて上記駁論を作成されたことに敬意を表します。

 「冊子・立憲主義」 は、権力を縛るものが憲法であるとの見解です。確かにある程度は合理性のある見解であることは否定できないにしても、概ね“大憲章”、“アメリカ合衆国憲法(英国からの独立戦争後制定)”、“フランス共和国憲法(フランス革命後制定)”に係る古色蒼然とした見解であり、モダン憲法においては尾骶骨程度に名残を留めるものでしょう。

 “普及誌” 「白鳩」 に連載が始まりましたが、鋭い質問がくれば直ぐに立往生してしまうと思っております。

 成り行きとして、民主主義にも言及しなければならないことは言うまでもありません。しかし、米国ではこの政治制度でもって、大統領権限を得て4年ないし8年間呟くことによって、人々をキリキリ舞させることを無上の喜びとする人物を大統領職に押し上げたのです。

 生長の家信徒の 「唯心の所現」 によって、第三代総裁が誕生したように、国民の 「唯心の所現」 によって安倍政権が存続しているという横の真理からの観点が抜け落ちているので、単なる法律論でしかないことに索漠としたものを感じます。

 岡さんのさらなる健筆を期待いたしております。再合掌

  (2017.1.10 櫻のカヴァリエ)
「カエルの楽園」が地獄と化す日
<2016.12.5 二代目一寸法師>

八ヶ岳に本部 (国際本部であって、教団本部ではない) を移してサイクリングに興じている隙に、お隣の大国が、わが神州日本を略取することを “核心的利益” と定めていることに気づいている人は少数です。

お隣の大国は生活空間ではなく、生存空間の危機に直面している状態だから日本略取が、かれらにとってはワクワクする夢の実現になるのです。

さきの役員改選で、「尖閣の一つや二つ、お隣にやればよい」 と語っている人物が組織の役員に就任している事実をみて、天を仰いで嘆息を吐くばかりです。

われらは、どこで道を間違えてしまったのでしょうか。 『「カエルの楽園」が地獄と化す日』 (百田尚樹+石平共著) を繙けば、やがて八ヶ岳山麓に棲息する 「モリアオガエルの楽園」 も同じ命運を辿っていくのだろうなと、確信が深まるばかりです。


(2016.12.5 二代目一寸法師)
“目を醒ますのは、「今でしょう!」” 必見です。
<2016.8.1 せいしめい>

 合掌 ありがとうございます。

 「近況心境」 #275 “目を醒ますのは、「今でしょう!」”にて、
ブログ”あまむし庵”様をお知らせくださり、ありがとうございます。

 幾度も幾度も拝読いたしました。

 「中心帰一」 ①~④にて詳述されております。

 その文中より 御教えの根本に立ち返り正しき把握と、信仰の更なる深化を心に刻みました。

 衷心よりの感謝と、日々の研鑽を心致します。

 再拝


 (2016.8.1 せいしめい)
戦時下の恐怖政治のよう
<2016.7.3 雅>

 私は姑から伝えられた生長の家で、夫は勿論、娘二人も生長の家のみ教えに感銘を受け、私の実家の親姉妹友人なども賛同してくれておりましたが、今回の事(参院選で与党を支持しないよう徹底せよ)はいかにも、飲み込みがたく、いくら雅春先生のお孫さんとはいえひどすぎると、退会者多数です。

 それももう止める気力もなく、かえって止める方が罪深い気もするくらいです。

 それ以上にがっかりしたのは、生長の家に熱心だった長女が、雅宣先生にフェイスブックで質問し、何度かのやり取りがありましたが、途中からブロックされたばかりでなく、そのやり取りも削除されたのです。信じられません。

 炎上もしていないのに、本人の許可なく削除するなど、民主的を掲げる体を装いながら、雅宣先生は、本当に信じられない人格なのかもしれないと思うようになりました。

 以下が、Facebookで長女と雅宣先生の問答のやりとりで、削除された大体の文言です。長女は法科出身で、我が子のことながら、親の私よりずっと礼儀正しく、いい加減な人間ではありません。ですから、失礼だから削除されたなどという事はないはずです。

 娘は、「管理責任のある人でも、炎上してない限りは、勝手に削除は基本的にNGだと思う」 と云っています。

 その問答をざっと再現しますと――

   
* * * * *

1.[娘] 宗教家が政治に関わるのは、「政教分離」 の原則に反するのではありませんか。

→[雅宣先生] 他国で宗教名を冠する学校があるように、宗教が政治の教育をすることは許されている。

→[娘] 日本では、(政治と宗教)双方向の関係を断つべきという、厳格な分離が求められていると思いますが、どうなのですか?

→[雅宣先生] 返答なし

2.[娘] 政治に関する主張があるなら、政治家になられたらいいでしょう。そうでなければ、個人の主張に留めるか、直接安倍さんに言いたいことを主張されるべきではありませんか。

→[雅宣先生] 私は実相を説き、毎日祈りもしている。こんな危機的状況でさえ、宗教家は政治について何も言うなと言うのはオカシくないか?

→[娘] 危機的状況にも関わらず、その当事者である、安倍政権に何も言わず、信者の投票の意思をコントロールすることは、危険なことをしている子供に直接注意せず、傍観している子供に 「あれはアカンよ」 と言ってるようなものではないか?

→[雅宣先生] 返答なし

3.[娘] 安倍政権の外交のどこに問題を感じれれるのですか。

→[雅宣先生] 憲法を無視して安保法案を通すなどという無茶は、優れた外交とは思えない。

→[娘] 確かに多少の無茶はあったかもしれないが、日本の国体護持のために、この緊急事態の下では、仕方のない対応だったと思います。日本を守るという気迫も感じました。

→[雅宣先生] 勇ましいというだけで政党を選ぶべきではない。

→[娘] 納得できず。(答えになってないと思う)

4.[娘] 実相を祈り、その顕現に努力することが生長の家の信徒一同の使命だと思う。何故、現象である政治の個々にダメ出しをするのですか。

→[雅宣先生] 個々にダメ出しをしているのではない。安倍政権全体を批判している。彼はそれだけのことをやっている。

→[娘] あれがダメ、これがダメ ばかり言わず、どんな政治が理想かを説くほうが、まだいいのでは。先生の理想の状態、政治はどんなものなのですか?

→[雅宣先生] 返答なし。

   * * * * *


 ブログを見た人は、「娘さんすごいね。娘さんの方が筋が通っているね」 とあちこちで反響がありました。こんな若輩者からの質問ですら、削除し、ブロックされ、娘からはメールが届かないように操作されたらしいです。戦時下の言論統制のようです。

 ご自分は、恐怖政治のようなやり方をしておいて、安倍政権の事を批判できるのでしょうか。

 (2016.7.3 雅)


自分なりの考え方ができることを保証しないと!
<2016.7.3 トレモス>

生長の家の信者は、自分が真に思い信ずるということを 尊重されるべきです。

このことを強く思います。

たとえば人は 自分の今までの人生体験から思考するわけだし、、政冶的見解なら 各政党の今までやってきたこと主張していることとかを比較してみて、自分からみてこれが正しいと思うことが、唐松模様や機関誌の主張している内容と異なることだってあり得ます。

自分のこれが本当だと感じることを圧し殺して、一つの方向でなければいけないとなると これは民主主義のやり方ではなく、強制に当たるのであって、神の子人間への本来的な自由の尊重とは言えないです。

現象的な事柄への対応の仕方には 実相の真理自体とはちがって、いろいろあるのが当たり前です。

だから、質問する自由、自分の意見を言う自由、自分なりの考え方で生きる自由は、どんな社会においても尊重されるべきです。

神の子なることを尊重すべきです。

 (2016.7.3 トレモス)

『みすまるの珠』 を白鳩さんに差し上げたい
<2016.6.30 Twinkle little star>

合掌 ありがとうございます。

本部の色々な通達を知って呆れています。

わたくしは、生長の家の組織からは完全に離れています。かといって、他に所属しているわけでもありません。ですが今回の通達は 『生長の家』 の名を貶めるものです。

まごころの献金が結果的に共産党支持の団体の資金になるという事の重大な過ちを、少しでも食い止めたい思いがあります。ネットなどなさらない白鳩さんは、知らずに犯した罪になると思います。

ところで 『みすまるの珠』 <近況心境> の #260#261の文章をプリントして、時々参加している輪読会にいらしている白鳩さんに差し上げようと思いましたが、うまくPCに落とせません。何か手立てはありますでしょうか?

いつの世にかまた、雅春尊師の説かれた真理が満ち溢れる照り輝く地上の 『生長の家』 が舞い戻る事を信じ、早くその日が来たらんことを願っております。^-^

再合掌


(2016.6.30 Twinkle little star)

    
 * * * * * * * * * *

 ――A4判2ページのPDFファイルにしましたので、どうぞダウンロードしてお使い下さい。
    「リンク」ページからもダウンロードできます。
                                   岡 正章 合掌
   → <近況心境>#260・#261 PDFファイル

唖然とする 生長の家現総裁のすがた
<28.6.29 せいしめい>

合掌 ありがとうございます。

岡様の主宰されます [みすまるの珠] 拝見いたしおります。
まさしく我ら信徒の教団にたいする本来の在り方を代弁しておられます。

去る H.28年6月17日 大聖師31年祭の 「唐松模様」 ブログを見て、不快を過ぎて唖然と致しました。

“宗教者はウソをつかない” として、 ・・・・・ こともあろうに創始者谷口雅春先生の若年時の挿話を不適切な言葉で・・・・・誠に許しがたく不尊の極みと申せましょう。

一般世間でも祖先の法要の際にご先祖さまの所業の非に触れるものではありません。全く供養の体(てい)をなしていません。法要を期に感謝して当然のことであります。

それを、部外者であればともかくも、御教えの後継者としての尊崇の念はいずこへ?? 満腔の怒りと失望感を覚えます。父母に祖先に感謝すべしの教えが大前提のはずです。

願わくば本来の真実実相なる後継総裁として立ち還られますよう祈念するものです。

なにぶんにも意を尽くせず駄文にてお許しください。

(2016.6.29 せいしめい)

「教団は本当に終わったな」と
<2016.6.28 しろうさぎ>

こんばんは。おひさしぶりです。
岡先生の素晴らしいブログを毎日楽しみにワクワクしながら読ませていただいております。

このたびの総裁の声明に、驚きもなく、「教団は本当に終わったな」 と冷静に受けとめました。組織会員を退会しました。

私の近隣の教区幹部さんたちも、さすがに今回は呆れ果てて、脱力感いっぱいの地方講師さんたちと連絡を取り合っています。

谷口雅春先生の愛国の書は絶版にしておいて、菅野完なる人物の真偽の程のさだかでない本を教区幹部に送りつけたり、教化部で頒布するなんて、馬鹿も休み休み言っていただきたいです。

総裁ご自身がそんなに安倍総理や自民党が嫌いなら、ご自分だけ、お好きな党を支持していただきたいです。信徒にまで周知徹底する必要ないでしょう。

小澤や岡田克也、志位委員長なんかが共闘した滅茶苦茶な党を、どう応援するのですか?

職場の上司からも、「生長の家はほんとに終わったね。三代目が壊したね」 と言われました。

何よりも、地元の共産党の世話役たちが、「生長の家は私たちの応援をしてくれる」 と何を勘違いしてか、赤旗新聞を勧めにやって来たのには、まいりました。

4歳のときから生長の家のみおしえの中で育ってきた私。昨日今日入信した人たち、いわゆる 「雅宣チルドレン」 とは訳が違います。
今日、教化部から今回の選挙について再度文書が届きましたので、「受取拒否」 と朱字で書いて送り返しました。

影で総裁批判をしながら、地方講師や、役職にしがみついて、いかにも総裁支持しているかのような講話をしている人を、何人も知っています。でも、私はそんな器用な世渡りは出来ないですので、キッパリ組織から抜けました。

私も良心に添って、自民党とその候補者を支持します。
そして、憲法改正を願い続けます。

総裁は山の中にひきこもって、遠隔操作するのをいつまでなさるおつもりでしょう?

総裁は宗教家ではありません。宗教学者です。
わかりやすい真理を、わざわざ屁理屈こねくりまわして、難しくしています。
ご自分だけ、自転車競技して家庭菜園されたらいいです。
私たちまで巻き込むのはやめて欲しい。
もう、たくさんです。

私は自転車競技や太陽光発電設置や家庭菜園なんてしてる暇はないです。
今こそ憲法改正に向けて、自民党を大勝させましょう。
合掌

 (2016.6.28 しろうさぎ)
現在の生長の家は、狂気の沙汰である
<2016.6.24 直次ぐ>

御無沙汰しております。直次ぐです。
現在の生長の家、その現状を見て、黙っておられずに、投稿させて頂きます。

今の生長の家を見ていると呆れるやら悲しいやら、退会した(辞めた)人間、「部外者」ですが・・・・・ここまでくるとは、ただただ 唖然と 驚いております。

   ==========

(生長の家公式サイトより)
TOP > NEWS > 2016年6月22日

  今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針(その2)

     不支持政党を追加

生長の家は、宗教者としての純粋性の表現と、国の進む方向を誤らせないために、6月9日付で発表された会員・信徒への指針「与党とその候補者を支持しない」ことに加え、憲法改正を急ぐ「おおさか維新の会」、および安保関連法案に賛成した政党(自民党、公明党、日本のこころを大切にする党、日本を元気にする会、新党改革)とその候補者を支持しないことを表明します。

なお、選挙での各個人の投票は、本人の自由意思に基づくべきですので、会員・信徒の皆さまにおいては、あくまでも各人の意思で決定して下さい。

   2016年6月22日
          宗教法人「生長の家」

   ==========

これで、雅宣氏が共産党・民進党・社民党・生活の党支持だと言う事が明らかになりました。

しかし、占領(日本国)憲法で保障されている投票の自由は、秘密選挙(憲法15条4項)に該当すると思います。

秘密選挙(憲法15条4項)
 ・自由意思による投票
 ・投票の秘密

投票者が誰にも知られず自由意思で投票を行い、投票者が投票を行ったかどうかも秘密にされ、候補者、政党の選択に対して公的にも私的にも投票者の責任は問われない。

「生長の家の方針」で、選挙の投票は個人の意思に任せると表明されていますが、信徒は各教区の教化部(教化部長)の指示に逆らえば、「退会届を提出しなさい」と言う教区もあると聞いております。暗黙の了解で、雅宣氏(生長の家)に従わざる負えない状況だと思います。

秘密選挙(憲法15条4項)の投票の自由から、
日本国民(有権者)として、左翼・(反日)共産党=民進党支持の(八ヶ岳・教化部)雅宣氏に命令される理由は無い。

生長の家は、政教分離の方針だったはずだが・・・・・・・

「天皇国日本」を守る谷口雅春先生を否定して、天皇廃止の共産党(=民進党)支持とは・・・・・・・

雅宣氏は正気の沙汰ではない(狂気の沙汰である)。
これから、ますます 生長の家を退会する信徒が続出するだろうと予想出来ます。
やっぱり、生長の家を辞めて正解でした。

生長の家に残っておられる信徒の事を思うと、早く 昔の鎮護国家・天皇国日本の生長の家に戻っていただきたい。

 (2016.6.24 直次ぐ)
現象世界は「霊なるもの」の表現口である
<2016.6.15 トレモス>

私たちが見ている現象は 「霊」 の表現口である。
だから私たちは現象を見る時、「霊」 なるものを直観する必要がある。
その 「霊」 なるものが 神の 「理念世界」 である。
神の言葉(ロゴス)=実相世界である。
つまり 「神の国」 なのである。
大事なことはその 「神の国」 は 私達の 「内」 にあるということである。
「超越内在の神の国と神の子」 が 私達の実の相である。

(参考 真理第十巻実相篇 谷口雅春著 日本教文社)
<現象を見て実在の“本当の人間”を不完全だと思ってはならない>

私たちは表現の先端を見る。噴水の先端に霧の微粒子となっている其処を見てそれは“流動性のある水”ではないと錯覚するのです。それと同じく人間の“外的表現”たる肉体を見て、人間は物質であって、“霊”ではないと思う。“外的表現”を見てそれを“内的本性”だと思いちがえたのです。私たちは暫く、“外的表現”に眼を閉じて、人間の“内部の本性”を内観しなければならないのです。その内観法が神想観であります。神なる本性を想念し観ずるのです。私たちはともすれば、人間を内部の本生によって観ないで、外部の現象的あらわれによって判断し、それを病むべきもの、死すべきもの、不完全なもの、罪を犯すものと見るのです。そしてまた「観る通りに現れる」という“現象顕現の法則”によって其の通り人間に不完全さがあらわれるのです。

(2016.6.15 トレモス)

「与党とその候補者を支持しない」!
<2016.6.10 二代目一寸法師>

 表題のように、『今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針』 を明らかにしました。

 これまでの「政教分離」の垣根を越えて、「反安倍政権」 の立場を明らかにして、全国の会員・信徒に周知することにした、と教団のホームページで表明しています。

 ただし、「反安倍政権」 の立場が 「野党市民連合」 (民進・共産・社民・生活+市民団体) であることは明確にはしていない。民進党内でさえも、「共産党と組んで大丈夫か?」 と良識派の声もあるようだが、まさかまさか生長の家が共産党と手を結ぶとは・・・(絶句)。

 この方針決定の背景には生長の家の深い闇が潜んでいるようで、1960年代~1980年代の生政連(生長の家政治連合)活動が問題の深淵にあるようです。当時は門外漢だった者には、触れることができないブラックボックスのようですね。

 生長の家を退会した者にとって本部方針がどうなろうと痛くも痒くもないが、谷口雅春開祖を信奉されている信徒の方々 (教団は「原理主義者」と切り捨てているが) を、このまま放っておいてよいのだろうか。

(2016.6.10 二代目一寸法師)

「信」 が成立する時
<2016.6.3 トレモス>

自分が そして環境が 変わり始める時というのは、「実相」 に対して 「信」 が成立する時である。

それまでは 神想観も 義務として努力しながら やっているところがある。

だがある時 幼な子のように無我になり 神の愛を受け容れようという心境になる。神想観が 感謝一本の神想観に代わる。その時から 「信」 が成り立ち始める。「我」 の置き換えもなされる。

私の場合 キリスト教の勉強(ヨハネ伝講義)が とても役だった。

以下のご文章は 雅春先生が そのことを述べたものだ。

(参考 『新版 真理』 第十巻 「実相篇」 谷口雅春著 日本教文社)
<苦難を癒すための祈りには>
祈りを楽しみと感じ、法悦として祈るようにならなければならない。山伏が捻
(ね)じ鉢巻で汗を流して懸命に祈っているような格好で祈るのは、その熱意と、一心不乱と、それに伴う信仰感情の昂揚によって時として効果をあらわすことがあるが、「苦難」の実在をみとめ、それと一心不乱に闘うというような感じで力むような祈りは、「みとめられるものが存在に入る」という「心の法則」にしたがって、「苦難」がいつまでも存在に入り、なかなか消えないことになり易い。随(したが)って祈る場合には、「苦難」と全然反対な「幸福」が充満している実相世界の有様を心に描いて、既にそれを受けたという深い安らぎの感情を起して、神に感謝の言葉を黙念するがよいのである。これは単に祈りの技巧というものではなくて、実際、実相に於いては既にすべての幸福は与えられ済みであるからである。

2016.6.3 トレモス
「実相独在の燈火」を堂々とともそう
<2016.5.12 トレモス>

堂々と 実相独在の真理を語ろう。
それについて 何の遠慮があろうか。
現象の講話をして 信念から外れる言葉を述べるなど もっての他である。

(参考 『キリスト ~イエスの神秘的生涯とその解説』 谷口清超 日本教文社)
第18章 山上の垂訓
「同様にして、汝らは世の光であるから、世の中に飛び込んで行けよ。山の上にある町の灯は、その高き故に決して隠れることはない。人は誰も燈火
(ともしび)をともしてそれを枡(ます)の下に置く者はなく、これを人々は燈台の上に置くのである。こうして燈火はその家にある凡てのものを照すことが出来るのだ。さればいたずらに謙遜して、善行をひたかくしにする必要はない。善き言葉や善き行為を声を大にして顕(あらわ)し、世の人々に光を与えよ。そうすれば人々は、汝らの善き行いをみて神の功徳を知り、天に在す我らの父を崇(あが)めるようになるのである。」

(2016.5.12 トレモス)

世界で一番必要な書物は 『生命の實相』 全40巻である
<2016.4.5 トレモス>

生長の家がこの世に出現したのは、この現象の世で 人生苦にあえぐ人々に 人間は神の子であり、実相においては神の国に住んでいるという真理を自覚させ、心の救済と現象的な救済を同時に行うためであり、心が全ての造り主であることから、人間一人ひとりの心の変革を第一目的とした。

そして 物質のパンを食べて人がいのちを繋ぐように 心のパンとして 『生命の實相』 全40巻をはじめとする数多くの聖典を 神が谷口雅春氏を介して、苦しみの多いこの現象の世にプレゼントされたのであった。

人はこのいのちのパンなる 『生命の實相』 を読むことで、あらゆる人生苦克服の鍵を 与えられたのであった。

人間の心が先ず変らなければ、他の何があっても 幸せになることは不可能だ。

いのちのパンである 『生命の實相』 全40巻 その他の雅春先生の著作なくして 人類光明化などあり得ない。

どうしてもこの 「神のことばの書」 は、何はさておき、地上の全ての書物に優先して、この世に必要不可欠なものなのである。

「人間は神の子である」

「実相においては人は神の国に住んでいる存在である」

唯一この真理こそが 人を幸福に導くものであるからだ。

生長の家は 『生命の實相』 全40巻を 人々がいつでもどこでも手に入れることができる状態に復するべきであり、このことは神の至上命令とでもいえるのである。

(2016.4.5 トレモス)


すべては自分の責任だと断定できる人間に
<2016.3.18 二代目一寸法師>

  ようやく冬将軍も、彼方へ去ってゆくようです。

 彼岸の入りということで、久々に 『聖経 甘露の法雨』 を手にしました。

 “人間”の項には

  人間の五官はただ映しの世界を見るに過ぎず。
  『映しの世界』 を浄めんと欲すれば心の原版を浄めて
  迷いの汚点を除かざるべからず。

 と記されているのに気がつきました。これまで幾たび目にし、耳にし、口にしてきたか。

 今朝は、初事のように心に響きました。

 『映しの世界』 とは現象世界だとして、「現象無し」 と涼しい顔で過ごしてきました。

 しかし、現象無しとは言え三重県教化部や宇治別格本山での痛ましい事件が起きています。

 “心の原版” とは潜在意識に溜め込んだ記憶だとすれば、『映しの世界』 はその記憶の再生になるのではないかと思います。“一切者の自覚” に立って、すべては自分の責任だと断定できる人間になることが、「人間神の子」 の自覚ではないかと思うこの頃です。

(2016.3.18 二代目一寸法師)
祈る時の「祈り方」について
<2016.3.4 トレモス>

新約聖書マタイ伝には、祈る時の 「祈り方」 についての イエス・キリストの教えが書かれている。

これは谷口先生のお説きになっている方法と全く同じであって 神の国(実相世界)を観ぜよということである。

イエス・キリストの説いた実際のところは、実相独在ということであって、キリスト教の骨になる部分である。

同様に 仏教の教えの骨も 「色即是空」 「諸法実相」 のように 実相独在ということである。

(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第1章>

(6・5―15)祈る時

(5)また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。

(5)あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

(7)また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞き入れられるものと思っている。

(8)だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。

(9)だから、あなたがたはこう祈りなさい。
天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。

(10)御国がきますように、みこころが天に行なわれるとおり、地にも行われますように。

(11)わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。

(12)わたしたちに負債(おいめ)のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。

(13)わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。

(14)もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。

(15)もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。

(2016.3.4 トレモス)

絶対の愛をもて! そして神の完全さを現わせ!
<2016.3.2 トレモス>

イエス・キリストは 「敵を愛せ」 と どのような相手であろうとも とにかく絶対愛を説くのである。
また神と同じように 完全な者となるように 教えている。
これは谷口雅春先生の教えと 少しも異なっていない。

敵を愛せ
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)

<マタイによる福音書第1章>(5・43―48) 敵を愛せ

(43) 『隣り人を愛し、敵を憎め』 と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

(44) しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

(45) こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。

(46) あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。

(47) 兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。

(48) それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)・よりすぐれた義の第六例。

・43 《「隣り人を愛し、敵を憎め」》 前半はレビ19・18の引用。後半の句は旧約聖書の中にはないが、憎悪と報復をすすめたものは多い。隣人は直接的にはイスラエル人をさし、敵は異邦人を意味している。ルツ記のように異邦人との平和友好を主題としたものもあるが、だいたいにおいて旧約は異邦人に対して憎悪的であった。

・44 イエスの愛の教え。イエスは初めこれを一般倫理として教えたのではなく、新しい神の民の倫理として教えた。神の民の愛が敵や迫害する者にまで及ばなければならないのは、《天にいますあなたがたの父の子となるためである》。

神は神に敵する者にも愛をもって対処なさるのであるから、神の子は神の愛に服従しなければならない。《悪い者の上にも良い者の上にも》 神の愛は、その対象の価値によって左右されない。すべての人に人格的に対処なさる。《太陽をのぼらせ》 《雨をふらし》 神の被造物に対する普遍的な愛。イエスは地上の不幸、災禍に無知ではなく、その反対であったがしかし、太陽や雨が時には破壊的であることを問題にしないで、彼の関心のすべては神の愛に集中した。したがって 《自分を愛する者を愛したからとて》 愛が取り引きになる時、愛の意味は失われる。《取税人でも》 ローマ政府の手先になって租税を取り立てる請負人。不正な取り立ても多かったため一般民衆のきらわれ者となっていた。「悪人」 と同一視されていた。

・47 ユダヤ人どうしの間では平安あれ(シャローム)という 《あいさつ》 が行われていた。《異邦人でも》 よく取税人と並記されている。

・48 それだから、イエスの弟子たちの生の目標と、目標への意志とが示されている。《天の父が完全》 であることが弟子たちの生の絶対目標であり、イエスは弟子が完全、無傷になることを期待したが、最後的に神の完全を信じることによって、現象の不完全と破れに失望しないで前進することが期待されている。

(2016.3.2 トレモス)

2月29日に想う
<2016.2.29 二代目一寸法師>


昨年の秋以来ご無沙汰していましたが、恙無くお過ごしでしょうか。今日、2月29日は4年に1度訪れる特別な日ですが、暦を考えた先人の叡智にはただただ頭が下がります。

一夜明ければ、3月1日は生長の家立教記念日でしたね。原宿の本部会館も強者たちの夢のあと、今はどうなっているのやら・・・。

最近、「大動脈解離」による交通事故が社会問題になっていますが、わたしの場合は歩行中の心室細動による心肺停止でした。幸い多くの人々の生命のリレーのおかげで、“脳低体温療法”などの蘇生術で意識を回復しました。まさに、生と死は表裏一体、一瞬の差であると思います。

その後、教団は衰退への道をひた走っているようですね。教団にとっての不都合な真実は、あたかもなかったかのように装っていますが、このままでは立教100周年を迎えることができるのか、どうか・・・。

(2016.2.29 二代目一寸法師)

現象世界を礼讃する
<2016.2.22 トレモス>

どうしてこの現象の世がすばらしいかといえば、努力がそのまま報いられる世界であるからである。

つまり 「あるがまま」 であるから この現象の世は素晴らしいのだ。

それは 実相の理想世界の理念が貫かれているのがこの世であるから、それ故に あるがままに努力が報いられ、努力しなかったらその努力しなかった結果が出て、反省のチャンスを得られる、

こういう世の中だから この現象の世を 素晴らしく思うわけである。

私は今まで 現象世界というものが如何なるものであるか、正しくは わかっていなかったのであった。

この現象の世が 何故 結果が正しく出る素晴らしき世界であるのかというと、

この現象の世は 神の国の写し世であるからだ。

だがこの世は 生老病死の苦しみが充満している苦しみの世界だという人も多い。

生老病死の世界は 真実存在ではなく、真実の世界は現象の裏に メダルの裏のようにはりついていて 本当は人間のいのちは生き通しである。

でも現象世界の苦しみは 現象世界に生きる私達にとって 無意味というわけではない。

「終わり」 があると思うから 「完成」 もできる。

「死」 ありと思うから、「生」 ある内での生活を考える。

「病気」 して 「健康」 の素晴らしさがわかり、人の苦しみを察することも可能となる。

だから 「死」 の裏には 「生」 がはりついている。

「死」 は 「生」 の一部分である。

「失敗」 も 「成功」 の一部分だ。

結論すれば 正当な行為が正当に報いられるのがこの現象の世界だから、現象世界は美しい、ということが言える。

神の国 理念世界の表現世界であるからだ。

努力が正当に報われる世界だから 現象世界は素晴らしい世界だ。

(2016.2.22 トレモス)

生命の実相の真理で、人々を救う使命
<2016.1.23 トレモス>

十字架の刑を受け、死人の墓からよみがえったイエスは テベリヤの海辺に弟子達の前に現われ、ペテロに羊を飼う使命を与える。

<ヨハネによる福音書第21章>(21・15-19)ペテロへの牧会命令

(15) 彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの子羊を養いなさい」と言われた。

(16) またもう一度彼に言われた、「「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。

(17) イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい」。

イエスは、ペテロに 「羊を養うこと」 を命ずる。

谷口雅春先生が 「人類光明化のパテントは読者ひとりひとりにゆずった」 とおっしゃったのは、このイエスの言葉と同じであって、読者たちに、生命の実相独在の真理によって、あらゆる人生苦にあえぐ人々を救ってほしい、と願われたことを意味している。

私たちは生命の実相の真理をさらに深く学び、この尊い真理を人々に伝えていくことが、ご恩に報いるもっとも大事なことなのであると、私は信じる。

「真理」 を伝えていくことが、そのまま運動でもある。

(2016.1.23 トレモス)

 「実相独在」の真理を先ず知って、次に「観」でそれを現成する
 <2016.1.20 トレモス>

実相というものは 初めは聖典「生命の実相」を読んで そういうものがあるということがわかるのですが、これがあるということを知っているだけでは 実相の素晴らしさは顕われてきません。

実相というものは、本当はいたるところにあるのであり、
実は 現象の本体は実相なのですが、「実相の観」をしないと
自分にとって 実相の現象顕現が起こりません。

本当は実相しかない(実相独在)であるのに、そのことがわからない。
勿体ないことです。

私(投稿者)が思うには、この実相の観が足りなかったことが、過去の生長の家の信徒さん達に 多くあったのではないかということです。

その「観」をするために 実相の「観」の根底として必要な 眼には見えない「実相独在」の理念世界への真理的追究が 過去には不足していたのではなかったでしょうか。

キリスト教のヨハネ伝とか 正法眼蔵や法華経には 実相独在が説かれています。

実相独在の真理をきちんと学び、神想観で実相を観る。
これをすれば 必ず実相は拡大し、どんどん実相世界が広がっていく。

私はこう信じ切っています。

(2016.1.20 トレモス)

生長の家に絶対無くてはならぬもの
<2016.1.11 トレモス>

新約聖書のヨハネ伝は、
イエス・キリストは 神の言(ロゴス)の肉化であると説いていて、
つまり人間そのものが、実は神の国に住んでいる神の子なのであることを、世に知らせるために、神の国から特殊な使命を受けて この世に誕生したのであると、説いている。
 (谷口雅春先生 『ヨハネ伝講義』 参照)

道元禅師は 「正法眼蔵」 において、人間はだれもが、仏の子であり、人の本体の仏が住んでいる実相世界と、それの写し世である現象世界との関係を いろいろな角度から説き明かしている。

法華経は 三界唯心の真理である 「諸法実相」 を つまり 「十如是」 について 主に説きあかしているお経だ。

日本の古典文学である 「古事記」 も 実相の神が現象に働くその働きを 物語の形で説いている 「宗教書」 である。

これらの各宗教の、根底に存在するただ一つの真理を、霊感により谷口雅春先生を通して、神が表わした聖経が 「聖経 甘露の法雨」 である。

釈迦から代々仏教において伝わってきた実相の真理と同じように、「聖経 甘露の法雨」 は 聖経それ自体として、実相独在の真理の悟りも加えて、これからの人達に伝えていき、魂の救いと、魂不滅の究極的な安心を得させるために、ひとたび教えを学んだ者は人に伝えていく責務がある。

また、実相独在の真理を、人びとが実相の真理をあらゆる方面からやさしく学べるために 神が雅春先生をとおして書かせた大聖典 『生命の實相』 は、新旧約聖書がキリスト教の聖典であると等しく、生長の家の聖典それ自身なのであるから、生長の家から、決して離れ去ってはならないものなのである。

 (2016.1.11 トレモス)
「久遠生長の家」があるところ
<2016.1.5 トレモス>

「久遠生長の家」 の所在地は 実相世界にあるのだと 私は思っています。

私たちはもっと熱心に 久遠生長の家がある実相世界を 現象世界に顕現することに取り組む必要があるのではないでしょうか。

どうしても 現象人間である私たちは これが人類光明化運動なんだと思い込んで 見えざる「実相世界」(神の国)顕現を抜きにした現象運動をしてしまう傾向があります。

これだけ行をするから 自分も世界も良くなるはずだと思い込んで、です。

私は 現象的な運動を否定するつもりは全くありません。

これも必要だと思っています。

しかし、不可視の理念世界、神の言葉(ロゴス)顕現の 祈り(観)による行、また実相真理(存在)そのものの探究が乏しい類の現象運動では、神の国の顕現は不可能であると 確信するものです。

こうしたことは 光明思想が出現した当初より、私たちが一丸となって目指すべきことではなかったかと、ふつつかながら思うものです。

過去における人類光明化運動は ほとんど現象運動であって、見えざる理念世界顕現という視点が欠けていたのではないかと 思うものです。

(2016.1.5 トレモス)
実相においては大調和
<2015.12.23 トレモス>

この世は実は円満完全が支配している。
万物は神のコトバである。
この真理は、現在のキリスト教は そこまで主張をしていない。

でも 生命の実相哲学においては、第一番目の真理である。

だが道元の正法眼蔵は 円満完全という用語はつかわないにしても、同様のことを別の表現で説いているのは 本当だ。
この世は円満完全それ自体だ。

ところで 何故この現象それ自体の本体が円満完全であるのかといえば、人間の本体が実相世界それ自身であり、それの投影が現象世界であるからだ。

人間の迷い心で 円満完全らしからぬ状態があるかの如く現われていても、本当は円満完全なる実相世界が 実は支配している。

こんなすごい、素晴らしい真理を 明確に言葉で説いたのは、谷口雅春氏のみである。

今 この実相世界(円満完全)の真理を 求めようとする動きが 昔から真理を希求する人たちの間で 内外を問わず、拡がってきている。

我が団体のみが本物だという考えを 今はどこも持っているかもしれないが、実相円満完全の真理に照らして言えば、それらはみな、対立しているように見えるが、実相においては、実は大調和している。

一つものが 実相を顕わし出そう顕わし出そうと 求心的に動いている。

(2015.12.23 トレモス)

先ずは実相(神の言・ロゴス)の顕現を!
<2015.12.16 トレモス>

 私達の本体である神の子の住んでいる実相世界は、無限向上の世界であり、すべてのものが お互いに切磋琢磨し、学び合い、向上し合っている理念世界である。

 ここに 私達の本当の自分が存在しているから、人が実相を顕わすということは、その人に そのような生きる姿勢が 顕われてくるのが当然だ。

 感謝する心、人と繋ぎ合おうとする心、学び合おうとする心、自らを省みようとする心、これを大調和の心というのであって、谷口雅春先生が 『大調和の神示』 を すべての教義の根本に据えたのは、実相世界(私達の本体世界)が 大調和の理念世界であるからだ。

 キリストの説く神の国だ。

 この姿勢が 生長の家には必要不可欠であって、現在の生長の家の四分五裂は、この根本理念(大調和の理念)の不在によるのである。

 私たちは、だから、先ずは自らが 自己の奥の奥にある 実相神の子(神の言・ロゴス)世界を どのようにすれば顕わし得るのかを 探究しなければならない。

 「存在(実相)の探究」である。

 先ずは実相(神の言・ロゴス)の顕現を!

 (2015.12.16 トレモス)

 
実相顕現運動の、根本に据えるべきこと
<2015.12.14 トレモス>

 現象の自分の思考のみを 唯一の判断のよりどころとしている人は、これは素晴らしい人だと自分が思い込んだ人とか、自分の周辺の多くの人たちが言うことなどを 自分に解けない問題の解答とするから、真に正しい判断をすることができない。神(実相)という観点の不在ゆえにである。

 現在の生長の家の人たちも多くは、実相という観点が不在のようであり、与えられた考えが ほとんど現象的なことばかりなのにもかかわらず これがいいと思いこみ、実相から離れた現象運動の方向へ方向へと ますます遠く離れていく。

 自分自身が一対一で神と対峙するような求道心がなければ、『生命の實相』という本に過去に一時出遇ったとしても その後本当の考え方を維持し続けることや ますます本物を極めるというようなことは むずかしい。

 実相は、これを意識的に追究することなしには、顕われるものではないのであって、生長の家が 四分五裂し、それぞれ自らの正当性を主張してばかりいるのも、不可視の「神の国」(実相世界)を追及し、これを本気で顕わし出そうとする人間が 余りにも少なかったためである。

 もっともこれは魂の高レベルな追究課題であるから、そういう人が極めてまれであるのも 無理もないのではある。

 すべての人の奥の奥にある、「本当の自分」(実相神の子)を 本気で顕わし出そうとする人が 一人でも多く出てくることが、実相顕現運動の 根本に据えるべきことがらである。

 このことを抜きにしては 実相の顕現はありえない。

 (2015.12.4 トレモス)

 
罪と病と死との三暗黒の滅尽
<2015.9.22 トレモス>

 キリスト教も、仏教も、一人ひとりの人間の生き方が それで良いのか、正しいのか、真実であるのを 第一の課題としている。つまり、魂の救済である。

 生活のなかでの人間の物質的欲望が不幸をもたらすから、それをいましめる、ということよりも、人間の「心のありかた」が 個人の行動の観点からみて、神の道にかなっているかどうかを扱うのであるし、「心の救済」を扱うのである。このことが抜け落ちでしまうと、これはもう宗教とはいえない。

 もともと 罪と病と死との三暗黒の滅尽から出発した人類光明化運動が、それらの救済を離れて 環境問題が中心の運動に変質した時には、それは、もはや宗教ではなくなってしまっていると 言えるのではなかろうか。

(2015.9.22 トレモス)

『生命の實相』 の真理を説くことが第一
<2015.9.20 トレモス>

 谷口雅春先生は、『生命の實相』 が日本中の家庭に行きわたることを願っておられたと思います。真理の言葉のみが、人を救うからです。生長の家の運動は、第一義に実相の真理を説くべきです。

 また雅春先生は、『生命の實相』 が 聖書と同じように各国語に翻訳され、人類を光明化することを目指されていたことと思います。

 以上二点を 現教団が計画しているのかどうか、質問できる時と場があれば、質問するつもりでおります。

 (2015.9.20 トレモス)

民主党は、共産党よりも左巻き
<2015.9.20 二代目一寸法師>

 岡田代表はご幼少のころ、三重県日教組から反日教育を学びました。

 小西洋之議員は、鴻池参院平和安全法制特別委員長問責決議案の趣旨説明に1時間近くかけて、採決引き延ばしをした。かれ、小西議員はコロンビア大学で国際・公共政策を専攻しているが、そこはフランクフルト学派(西欧マルクス主義)の拠点であると言われています。
 (お山の大将もコロンビア大学で国際政治関係を専攻されていたとか…)

 参院有田芳生(アリタ・ヨシフ)議員は、ヨシフ・スターリンに傾倒しているスターリン主義者だとか…。

 「朱に交われば赤くなる」といいますが、民主党の松下政経塾出身の議員も「戦争法案」とか「徴兵制」反対と、まっ赤な嘘を平気で呟くようになりました。

 ただ、民主党にも長島昭久議員のように、外交・安全保障に政治生命を賭けている超エキスパートが頑張っているのが唯一の救いです。

 (2015.9.20 二代目一寸法師)

「生長の家」はこの世に天国を創ることができる、確かな宗教である
<2015.8.22  トレモス>

生長の家は、この現象の世に 理想世界を顕わすことができる
確かな宗教であります。

真理を体得すれば、誰でも極楽世界を この世で味わうことができる、
何と素晴らしい宗教であろうか。


(真理第7巻 谷口雅春著)
【この現実世界に既に彼岸がある。彼岸のうちに此岸即ち現実世界があり、此岸のうちに彼岸がある。主観客観全一であって、全体が一つである。主観客観相即相入であって、此岸と彼岸とが相即相入しているのであります。今ここに極楽浄土があり、現象世界があり、実相世界があり、五官の世界がある。ただそれを如実に観ないから顕れない。観ずればあらわれる。現世にそれがあらわれる。別々の如くして別々でなく、相即相入であります。未来に儚
(はかな)いあるかなきかわからぬような天国や浄土を求める宗教とは異うのであります。】

(2015.8.22  トレモス)

「心の指導者」の聖なる使命について
<2015.8.18 トレモス>

人は、現象に囚われた自分の心を、本来の心である「実相の心」に立て替えることによって、自己を救うのである。

さらに、こうした現象に振り回される自己の心を「実相の心」に立て替えることが、「求道即伝道」となり、迷いの衆生を救済することにつながって行く。

これを、法華(法の華=実相)に転ぜられる側から実相を転ずる側に変化する、宗教指導者の使命を言うところの言葉で、「法華転法華」というのである。

ところで、現在生長の家指導者たちが、心に、環境運動、ノーミート、原発反対、反体制志向、Bタイプ誌友会などと、実相ならざる現象的な心の足かせを、ますますはめられつつある。

そしてそれを自分でどうすることもできず、ますます迷い(実相独在でない)心の方へと、強制的に造られていく方向にある。もはや心の囚人だ。

現象の心を、「実相独在の心」に立て替えない限り、人も救えず、自分の心も救えない(自救不了)となってしまう。

生長の家指導者たちは、自己の使命を再確認すべきだ。

(2015.8.18 トレモス)

 昭和20年8月15日について、思う事
<2015.8.15 今、起とう>

 昭和20年8月15日について、思う事――

・昭和天皇が終戦の翌年 昭和21年の御製に

 『ふりつもる み雪にたへていろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ』

 このお言葉が、蝉時雨とともに心に沁み入ります。

 機会があって、桶谷秀昭さんと長谷川三千子さんの対談を読みました。その中で

 「……今日、8月15日というと……政治問題としてしか語れないとしたら、それこそ自らの精神史を断ち切られた、占領軍という異国軍隊が70年前に捲き上げた砂塵を引きずった中での理屈でしかない……」

 と言っておりますが、なにか今の私たちの置かれている状況に似ているように思われます。

 今、私達はなにをなすべきか。生長の家は何をなすべきか。

 あの時の 天皇陛下の御心に対し奉り 信念と覚悟に答えられているか。

 ――と、私自身に問う日です。

 (2015.8.15 今、起とう)
 WGIP(War Guilt Information Program)
<2015.7.23 二代目一寸法師>

 WGIPは、戦後、連合軍が日本精神をぶっ壊すために、日本人に「原罪意識=人間罪の子」を植え付ける洗脳政策のことで、ご存知かと思いますが高橋史朗氏がアメリカの公文書の中から発見されたものと聞いています。

 先日、馬渕睦夫元ウクライナ大使の講演会が京都でありました。演題は、“「反日・中韓」を操るのは、じつは同盟国アメリカだった”です。

 冒頭、WGIPについて触れ日本人が二度と立ち上がれないようにするために、日本人に「原罪意識=罪の子」を植込み洗脳してきた・・・。

 この話を聞いていて、「人間神の子」を中心に据える生長の家、谷口雅春哲学はWGIPに真っ向反対する不都合な思想であり、これを解体するための長期ビジョンを描き、巧妙に執拗に取り組んできたのが生長の家 「今の教え」 となっているのではないか、という思いに至りました。

 講演会の録画を下記アドレスで視聴できます。(前・後篇の二部構成です)
http://www.ganbare-jp.info/report/report270719.html

 ご視聴の上、岡 正章さまのご意見をお聞かせくだされば幸いです。

(2015.7.23 二代目一寸法師)

   
 * * * * * * * * * *

 
――ありがとうございます。じっくり勉強して、後日、「近況心境」のページでお答えさせて頂きます。 岡 正章 合掌

大聖師 「私の日本憲法論」 を拝読して
<2015.7.23 蓮華>

 合掌ありがとうございます。
 
 岡先生の発信されている、みすまるの珠、日々興味をもって拝見しております。

 生長の家現教団の運動並びに運営方針には日頃から大変疑問に感じており、生長の家信徒として、自分はいったい何ができるのか、日々悶々としながら過ごしております。

 しかし、このやるせない気持ちを打開する方法はないものかと自分なりに考えまして、最近谷口雅春大聖師の絶版書籍である、「神の真義とその理解 住吉大神顕斎の意義」、「古事記と現代の預言」、「私の日本憲法論」と3冊をネットで購入し、拝読いたしました(神の真義、古事記の2冊は以前に縁あって拝読しており、後世に語り継ぐために購入しました。)

 特に、「私の日本憲法論」は、大変衝撃的でした。
 谷口雅春大聖師がいかに明治憲法復元を望んでおられたかが、ひしひしと感じられ、現日本国憲法が日本国にとっていかに危険な憲法であることか――つい最近、安倍総理が安保法案で、精力的に日本の安全保障整備に貢献されようとしても、現憲法下では焼石に水となってしまう不安も感じました。

 といいますのも、安倍政権の支持率が今回の安保法案可決によって、著しく低下しているからです。これはまさしく、日本国憲法の唯物観、国民主権という名のもとに潜む個人主義が反映している結果であると、今回谷口雅春大聖師の聖典を拝読して確信致しました。

 谷口雅春大聖師は、「私の日本憲法論」 p.415 <占領下の憲法改正は国民の意志を反映していぬ>の中で、

 ≪「平和憲法は、日本国民が血であがなった戦争の教訓から、世界に向かっての日本の平和宣言だと思う」 と「朝日新聞」は投稿欄に読者の声をのせていたが、度々この種の言葉を繰返し読ませられるから国民の大多数は本当にそうかと思ってしまって、「平和憲法」という美名のもとに国防も何も忘れてスパイの跳梁にまかせて、国を衛る気概も義務もわすれ、ただ個人主義的享楽にうつつを抜かして、この平和憲法あればこそ徴兵の義務もないのだと泰平楽をとなえて得々としているのである。・・・≫

 さらに、p.418 <「憲法を尊重する」という意味>の中で

 ≪「尊重する」ということは、欠点を欠点のまま放置することではないのである。欠点が見つかれば、それを是正し、尚一層完全なものにする努力を尽すことが「尊重する」という意味である。たとえば「子供を尊重する」という場合に、子供に悪癖や欠点が見つかれば、それをそのまま放置しないで、その悪癖を矯正し、欠点がなくなるように善導することが「子供を尊重する」所以である。

 しかし、日本国には日本国の歴史と伝統とに基いて個性ある国家の在り方“存在様式”というものがあるべきで、民族の個性も歴史も撥無して、他から押しつけられた外国精神に基ずく憲法は、独立国の憲法とは言えないのであって、それは植民地憲法である。私たちは植民地的取扱いを受けて押しつけられた憲法を跳ね返して、日本建国以来の個性と歴史と伝統を生かした本来の明治憲法に復元すべき時が今将に来つつあるのである。

 日本全国の愛国者すべては連合せよ。しかして日本国の個性と歴史と伝統ある文化国家の特質を奪還せよ。憲法も制度も、文化も今こそ日本が完全独立すべき時である。≫

 ――岡先生が今回掲載された“東芝トップ人事の教訓を考える”を拝読した際に、この p.418 の内容がふと頭をよぎりました。
 そこで、東芝のHPで経営理念のページを検索しましたところ、以下のように記載されておりました。

≪       東芝グループの経営理念

 東芝グループは、人間尊重を基本として、豊かな価値を創造し
世界の人々の生活・文化に貢献する企業集団を目指します。

1 人を大切にします。
  東芝グループは、健全な事業活動をつうじて、顧客、株主、従業員をはじめ
  すべての人々を大切にします。

2 豊かな価値を創造します
  東芝グループはエレクトロニクスとエネルギーの分野を中心に技術革新をすすめ
  豊かな価値を創造します。

3 社会に貢献します
  東芝グループはより良い地球環境の実現につとめ、良き企業市民として社会の発展
  に貢献します。

        東芝グループのスローガン

   人と、地球の、明日のために  http://www.toshiba.co.jp/about/com_j.htm

 ――これを読むと、日本国憲法とダブってしまうのは私だけでしょうか。顧客や株主、従業員たちを気にするあまり、あまりにも理想主義的(外面を偽善で繕った的)な文言が並べられており、日本国憲法にどっぷり浸かった人間が書かせた相手に媚びへつらったような言葉(谷口雅春大聖師は「私の日本憲法論」で日本国憲法を“詫り証文憲法”とおっしゃっております)にしか思えません。

 経営理念とは、第三者に約束することではありません。自分たちがこの企業をどうしていくのか、外向きのものではなく、内向きの言葉で語られるものではないでしょうか。そして東芝の140年の企業生命体として、魂の底から発する東芝の存在意義を今後是非語って頂きたいと思います。

 まさしく、「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命あり、この生命は人の光なりき。・・・」
 ヨハネ傳福音書第1章は真理であると、今回の岡先生の“東芝トップ人事の教訓を考える”から改めて感じた次第です。

 これからも、岡先生の発信されるお言葉に常に関心を払い、真理の勉強を怠らず、祈りと実践生活の渾然一体をめざし、大日本帝国の天皇が真の国家元首となるように、今日本人としてできることを一つ一つ実践してまいりたいと思います。
 今後も何卒ご指導ご鞭撻のほど よろしくお願い申し上げます。

 (2015.7.23 蓮華)

生長の家は「心」の変革を目的とする
<2015.7.20 新しき風>

昨日、ある誌友会に出講した。
中年と見えるご婦人から、こんな質問を受けた。

「自分のうちには まだ育ち盛りの子供がいるのだが、ノーミートにしなければいけないのでしょうか」
と。
これはその方が悩んでいるから出た質問である。

私は、「あまり食事のことでノーミートにこだわらなくてもいいのではないですか。
無理なことはできないし、無理するのは み教えではないのだし。」
とお答えしたことであった。

別に、ここで出た質問ではないが、他に予想される質問には
「安倍普三首相の安保政策は まちがっているのですか」 とか
「原子力発電には反対しなければいけないのでしょうか」
等々あり得る。

これらの質問に対して、一本の線を主張するなど、むしろ控えるべきであると思う。
生長の家は、真理を学ぶことにより、心が(実相の)自由を得ることを目的に出現したのであって、日常の食べ物や、家でのエネルギー節約の具体的目標付けをすることなど、まったく目指していなかったはずである。

こうした、自分の毎日の生活態度を変更すべきか否かに悩んでいる信徒さんも多数いらっしゃるので、本来生長の家が目指すものを 再確認しておかねばならないと思った次第である。

(2015.7.20 新しき風)
生長の家が本来為すべきこと
<2015.7.6 トレモス>

人間は、本当は神の子であり、神の国に存在しているにもかかわらず、
肉体だと思い物質世界にいると思って 物質的な生活から抜け切れず、
本当の喜びを見いだせない人が いっぱいいます。
ほとんどの人が そうだと思われます。

でも本当の自分は そのように見えなくても、
現実に神の国に存在している神の子なのであって、
神に属する無限能力の持ち主なのであるのが真実なのです。

この素晴らしい事実を人々に伝え、
本来そうであるところの神の子と神の国の実現を 
人間が実現するための導きをするために、
生長の家は出現したのです。

人間は、この一見物質世界と見える現象世界において、自由意思で
あれこれ試行錯誤しながら、神の子・神の国を樹立することを目的として、
赤ちゃんとして、つまり人間として 誕生してきたわけです。

でもそのためには、この現象世界が 本当にある世界(実相世界=神の国)の
写し世であるということが分らないと 神の国の樹立はかないません。

人間が本来神の子であり、神の国に実際には存在しているという真実を 先ずは知らせ、
次に人間が神の子・神の国を 自ら実現するための導きをするために、出現したのが、
生長の家です。

それですから 生長の家は、まずは実相独在の真理を知らせ、
人が愛他の行動を自ら進んで行うように導き、
実相を顕わす観法の 正しい指導をするべきなのです。

つまり生長の家は 人間が神の子であることを知らせ、「神の子」を実現できる方向へと
導くことをすべきなのです。

(2015.7.6 トレモス)

ただひとつの真理は 「人間は神の子である」 ということです
<2015.7.3 トレモス>

人は、この世に何らかの意味と目的を感じていられる間は、毎日
勉強や仕事、そして子育てなどに 頑張って生活していられます。
それらの目的の達成だけを考えるだけで 事足ります。

しかし、時々人は、この世に生きる意味と 目的がわからなくなる時があるものです。
仕事上の失敗、学業上の挫折、夫婦の不調和等です。
人生において 今まで目的としてきたことが、不透明になったり、
遂行不可能になったり、挫折したりするときです。

このような時、道しるべがないならば、人は生き倒れ状態になることもあります。
新聞の人生相談には 毎日のように、生き倒れ寸前の人たちの投稿が見受けられます。
今の世の中には、このような人たちが いっぱい呻吟しています。
私はこの 一見道しるべのない人生において、ただ一つ人を救えるものは、
「人間は神の子である」 という真理である、と考えています。

この真理なら、確実に 人に生きる希望と目的、そして勇気を与えることが可能です。
ただひとつの真理は、「人間は神の子である」 ということです。
『生命の實相』 の教えです。
この教えをもっともっと、人々に知らせていきます。

(2015.7.3 トレモス)
「近況心境」 #70を拝見して
<2015.7.1 ナオヒノミコト>

いまだかつて一度も迷っている総裁もなく、別派もなく、対立もなく、
あるように見えたのは私たちの迷いだけだったのです。

しかし、その迷いもなかったのです。
岡先生は いまだかつて一度も気枯れておりません。
ただ よろこび だけだったのです。
みなさん よろこびましょう。

(2015.7.1 ナオヒノミコト)
心静楽壽年
<2015.6.28 二代目一寸法師>

岡 正章様 

お誕生日おめでとうございます。さらなるご健勝とご活躍をお祈りいたします。

不肖、二代目一寸法師は人生マラソンでは三周遅れで走っています。

いまから思えばあの2月15日、体内ビッグバンが起きたときに
ICD(植込み型除細動器)が正常に作動していなければ、“即身成仏”しているのですね。(#35参照

それだけに、ご紹介された讃美歌532番 『ひとたびは死にし身も』 は、ひとしおわたしの心に沁みこみます。

>ひとたびは 死にし身も
 主によりて いま生きぬ。
 みさかえの かがやきに
 つみの雲 きえにけり。<

ところで、

≫分裂がない 対立がないのが 生長の家であります。≪

との岡様の御提言には全く異論はございません。が、創始の本来の「生長の家」を復活させるため、
四分五裂している現在の組織を統一させるのは至難のわざかと思います。

まして、左傾化する八ヶ岳に本部がある“宗教法人「生長の家」”を糺すよりも、宗教法人認可当時の
本尊、教義、宗教儀式等々とは大きな齟齬、瑕疵があり宗教法人法違反であると告発、告訴し
司法の判断に委ねるべきだと思いますが・・・。

至心礼拝

(2015.6.28 二代目一寸法師)

憲法復元改正運動は「宗教運動」でしたか
<2015.6.25 Oyaoya>

合掌
憲法復元改正運動は単なる思想運動ではなく、「宗教運動」であることは思い至りませんでした。
ご教示をありがとうございました。

(2015.6.25 Oyaoya)
今、起ちましょう!
<2015.6.24 今起とう>

 私は、生長の家が余りにも広大無辺でよくわかりませんでした。

 数年前、岡先生から、榎本恵吾先生の 『葩(はなびら)さんさん』 というご本をいただき、毎日読んでいました。

 七度程拝読した時に、「これこそが 『生長の家』 ではないか」 という感じがしました。

 《「實相」のほうが私達を観じ、拝んでくださっている。
 生長の家はただただ「受けるだけでよい教えである。
 「現象は無く、完全のみである。」
 不完全な現象を、時間をかけてこれから処理して行く教えではない。
 『現象無し』 と全宇宙を露ほども残さず消して、処理しきったのです。
 實相だけでよいのです。
 神、實相は 『今』 なのです。(今とは勿論「久遠の今」ですが)
 それを生かせ、喜べ、というのが 「今起て」 という祝福である。》

 そして榎本恵吾先生のご本 『波状光明化への道』 で、 

 《もし、この世に尊師も無く、聖典もなく、組織も無く、全くの一人、汝が生長の家を
知っている時、生長の家が汝において初発(はじめ)の時如何》

 というご文章が、激しく私に問うています。

 時あたかも、生長の家相愛会会則が改定されました。
(平成25年5月26日の統括実行委員会で審議され、平成25年6月6日
生長の家の総裁承認を経て となっております)
(赤字が今回変更追加された文章で す。)

「生長の家相愛会会則」 (目的) 
第3条  本会は、男性信徒による生長の家人類光明化運動・国際平和信仰運動の
普及推進機関として、宗教法人「生長の家」「国際本部」(以下「本部」という)の意図
方針に従い、社会各層、地域社会、各職場、各家庭にくまなく光明思想を浸透せしめ、
生長の家立教の使命達成を図る
と共に、神・自然・人間が調和し た“新しい文明"の
構築に貢献する
ことを目的とする。

とあります。(この変更は、今回の岡先生の件を念頭においていると思います)
だんだん自分達の都合のいいように、規定・会則を変えてきていると言わざるをえません。

今、おかしい事は、おかしいと声を上げる時だと、痛感します。

(2015.6.24 今起とう)

 実相を人々に伝えることが生長の家出現の目的
<2015.6.24 トレモス>

尊師谷口雅春先生がこの世に出現したのも、釈迦やキリストが出現したのも、
存在の実相を人々に知らせ、罪と病と死との非実在を明らかにせんがためであったと
思われます。

ですので、環境問題を説くとか、原発に反対するとか、ノ―ミート料理を広めるとか、
そういうことが 生長の家出現の目的ではないのであります。
私たちは、この最初の目的である
「罪と病と死との非実在を明らかにする」
ということに徹底すべきです。
それは「実相独在」ということです。

目下のところ、というよりもいつの世も、罪と病と死とがいわゆる人生苦であって、
これを先ず解決しないことには 他のことにまで行かないのです。
実相というものがあることを 人々に知らせるということが、
人類光明化運動の基本です、目的です。

(2015.6.24 トレモス)
総本山 『顯齋』 を読んで
<2015.6.22 Oyaoya>

ふとしたきっかけで、久しぶりに総本山の広報誌 『顯齋』 6月号を読みました。

巻頭言である総裁の「物質的繁栄の限界を知ろう」というタイトルは、正しくは「富
裕層、支配層を打倒しよう」とすべきものでありましょう。

これが総本山広報誌の巻頭を飾る言葉なのかと、愕然とします。
ここまでは民主党でも言わないのではないか。
民主党だって、経済発展は必要と考えているのではないですか。

冒頭が
「国はもっぱら経済団体の意向を心配しながら、経済成長とか需要拡大とか国民
所得の拡大という言葉を使い、それがまるで理想国家であるかのように扱ってきた。」

とありますが、それは事実ですか?
国民はそんなものを理想にしてきましたか?
そんな単純な話ですか?

最後の、
「物質的繁栄が人間の幸福だという考えが、社会の上層部の人々、つまり、
世界の80%の富を専有している実力者たちの間に浸透するにつれて、地球社会は後
戻りができない混乱の中に沈潜していく可能性を否定してはいけないのである。」

というのは、いつの時代からあるアジテーションでしょう。

まるで日教組の教師から社会科を習いはじめたばかりの中学生の主張のようです。

結論は、
「人類光明化と国際平和を希求する私たちの運動が、もっと強力に展開され、停滞して
はいけない理由がここにある。」
というのですから、いったいいつから人類光明化運動はそんなイデオロギー的かつ平坦、
単純なものになったのだろうかと思います。

これをうやうやしく巻頭言に置いた総本山も嘆かわしいです。
七つの燈台の、どこにこんな幼稚な言葉が刻み込まれていますか。
それは本山の皆さんたちはよくご存じのはずです。

この程度のことで驚いていてはいけないのかもしれませんが、この浅い知性、感性、
品性ではどうにもなりません。

岡先生には申し訳ありませんが、生長の家に見切りをつけたくなる一瞬でした。

(2015.6.22 Oyaoya)
「憲法復元改正運動」 は 「思想運動」
<2015.6.20 Oyaoya>

合掌

わたしは生政連活動を評価し、全力で事に当たられた先輩信徒の皆さまを尊敬します
が、他面、金銭の問題や、組織の歪みを生じた、という話も聞いています。

しかし、たとえ万やむを得ず、生長の家が 「政治運動」(議員を作り、議案を通す活動)
をやめたとしても、「思想運動」はやめるべきではなかったと思います。

「憲法復元改正」 運動は、本質的に 「思想運動」 であると思います。

たとえ今日、政治運動はしないことになっていたとしても(総裁お一人はしておられるよう
ですが)、思想運動は今、ますます必要であると思います。

しかし、思想運動までやめてしまったために、憲復運動が現憲法の破棄、旧憲法の復元
と即時改正(時代状況に合うように)というものであったことすら知らない信徒が増えて
いるのではないでしょうか。

(2015.6.20 Oyaoya)

岡先生の “いのち” を捧げます について
<2015.6.18 Oyaoya>

合掌

わたしも最初にこの言葉(“いのち”を捧げます)に接したときには、あまりにいきなりで、
ピンときませんでした。日常用語にはない言葉だからでしょう。

それが、次の文章を拝見して、そういう意味なのかと、少しわかったように思いました。

「自分もまた 日本の実相顕現・世界平和 人類光明化のため、「生長の家」を世界に
宣布するために、生れかわり生れかわりして“いのち”捧げようと、決意いたしました。

まずは、「分裂のない、一つの生長の家」を実現するために、わが “いのち” を捧げます。」
(6月1日 39 「岡は、“本流”には参りません。」)

「生れかわり生れかわりして“いのち”捧げる」とは、いわば「七生報国」、永遠のいのちを
貫いてそういう生き方をされる、というご覚悟であると思いました。
福島正俊氏の生き方を範として。

また、次のような言い方もなさっています。

「それを顕現させるために、今できることを力いっぱいやって行く。」(4月22日
 3 「地方講師解任は「勲章」?」)

もし「“いのち”捧げる」が、しゃにむに何か無謀なことをする、というような意味
合いであったなら、わたしにはちょっとついていけません。

しかし、「今できることを力いっぱいやって行く」ことであるならば、わたしにも
できることがありそうな気がします。

それは“新しい風”様がおっしゃったように 「おかしいことはおかしいと 誰かが言わないと
本人も周囲も これでいいんだと思ってしまう。 だから間違いの指摘は、
正々堂々 正論でやろう。」(6月8日 「いつの日か 輪はできる」)

ということであるかもしれません。

実際に、これまで教団内でこれをなさった方はいらっしゃらなかった
(いらしたのかもしれませんが、わたしの耳には届きませんでした)。

ですので、この掲示板は 今まであり得なかった驚くべき掲示板であって、わが教区でも、
少なくとも数名の相愛会長が注目し、何をすべきか 静かに考えておられるのだと思います。

再拝

(2015.6.18 Oyaoya)

本来の自己を取り戻そう
<2015.6.17 新しい風>

昔いっしょに 『生命の實相』 の勉強をしていて、
これは素晴らしい人だと思って尊敬もしていた教団内の同志が、
何か私を避けるようになったり、信仰のこと以外でも 一対一で話し合いたいと思うと
それをできるなら避けたいという態度を示すようになってきた。
同じ教団内にいるのにである。

それは確かに、私は明確に 
現在の教団の状態は、本来の生長の家とは異質であると思ってはいる。
ちょっとくやしいと思うのは、教団内の人たちが 最近、心的に党派的になってきたことである。
同じ考えであることを 心情的に通わせているように見える。
もはや一見して 教団を護ろうとする隠れた心情が読み取れるが、
もはや彼らに、自分の心を自分で支配できている人特有の目の輝きはない。

本来生長の家は、自分が自分の本当の主人公になるということであった。
現在教団内の多くの人々は、その反対の方向、つまり、
自己の実相から反れる方向へと方向へと われ知らず向っている。

少しでも早く 気がついて欲しい。
本来の自己を 取り戻して欲しい。

(2015.6.17 新しい風)

「“いのち”を捧げます」 は、本当のご覚悟か?
<2015.6.16 中仙道>

「みすまるの珠」を考察する

>「分裂のない、一つの生長の家」 を実現する ことは、成就すると信じます。
>その実現のために、私は“いのち”を捧げます。
>お役に立てることがあれば、喜んでお役に立たせて頂きます。

私にはこの「“いのち”を捧げます。」 とこう安易に書込まれますと、複雑な想いにかられます。
いのちを捧げると云う事は、決して生温い事では有りません。美辞麗句は自分を窮地に押し込みます。
ご注意を願いたい。
または、本当のご覚悟か?

(2015.6.16 中仙道)

まだ 「真理」 を説いてはいない
<2015.6.16 トレモス>

私は岡先生の「みすまるの珠」を読んでいて それは確かにそうかなとおもうんだけれども、
もう一つ何か大事なことが足りないと思います。

まだ現状の分析と批判にとどまっている。発展性に欠ける。生み出すものがない。

書かれていることは、投稿文を含めて、みんなそのとおりで 正しいです。

的確にとらえないと判断もできないから、それはそれで必要だ。
でも、これを一歩突き破らないと、「本当の生長の家はこれだ」と発信し、強く引き付けることはできない。

それは何かといえば、「真理」だと思います。

真理をこのインターネットが自ら説きはじめる時には、超と言えるほどの運動になれるほど、力を帯びる。まだ真理を説いてはいない。

失礼なこと書きました。お許しください。

(2015.6.16 トレモス)

hikari 様 へ
<2015.6.16 Oyaoya>

合掌
ご賛同いただき恐縮です。

30年になりますか。
この間、どんな経緯があったことでしょう。
整理して記憶しておりませんが、岡先生の勇気あるご表明で 気づかされたらこんな状態です。

この20年間は、相愛会長として わたしにも責任があります。
疑問だらけにもかかわらず、ただ流されてしまっておりました。

明日は、谷口雅春先生の30年祭です。

(2015.6.16 Oyaoya)
Oyaoya さんのご意見に賛同
<2015.6.16 hikari>

Oyaoya さんのご意見に賛同します。

同じ 「人間神の子」 という表現を使っていても、その意味に変化が起こって、別の信仰となっていないだろうかということを危惧します。

もしそうした信仰の「変形」「変質」がおこっているとしたら、これこそ分裂です。現実にそういうことが起こっているのかどうかに、強い関心を抱きます。

「変形」「変質」は昭和58年に始まり、近年その目的を達成されたと私は考えています。その目的は革命です。

(2015.6.16 hikari)

みんなが 「もの言う株主」 に!
<2015.6.15 しろうさぎ>

合掌ありがとうございます。

みすまるの珠、何度も何度も繰り返し読ませていただき、とくに心に響くところは
ノートに書き写し、勉強させていただいております。

本当に全国の、とくに青年会で活動してきた信徒たちの、教団に対するモヤモヤ……
総裁に対する疑問を、よくぞ声をあげてくださいました。

谷口雅春先生は、難しいことをわかりやすくお説きくださいました。

今の総裁は、簡単なことを、理屈でこねくり回して、あえて難解な教示をされますよね。

「谷口雅春先生が 神想観を“開発”された」 ですとか、

「谷口雅春先生が これを世に出された時と 今とでは時代が違う……」

と、いつもの得意の“宗教目玉焼き論”を展開し、講習会で、「天使の言葉」を出して、
「炊煙春の霞の如く棚引きて……」の部分を読まれ、
「これはご飯を炊いているんですね。「鼓腹撃壌し」は、腹一杯食べてる……
現代は食べ過ぎてメタボリックが社会問題になってますよね。ですから、そういった
時代錯誤の表現を私はわかりやすく……」と『大自然讃歌』の意義を説き出され……

「時代錯誤は、あなたでしょう?」と言いたくなりました。

本部で、三種の神さまの前で、ニコ通貨を奉納して玉串奉典して、
参加者みんなで『大自然讃歌』をあげた……なんて、大の大人たちが、
いったいみなさん、どんな顔して儀式に参列されたのか……しかも教団幹部たちが。

みなさん、本気でやってるなら、要介護認定受けられたらどうでしょう? 
もし、腹の中でおかしい、変だと思いながらも 「総裁に中心帰一」で
ものが言えないのなら、心の葛藤で病気になりませんか?

「学ぶ会に行った人とはつきあうな!」
と教区で言いますけど、みんな青年会時代、一緒に学び、活動した同志ですし、
指導して、可愛がってくれた講師さんたちもいます。
学ぶ会に行った人たちも神の子さん。

問題は教団に残って、心のなかでは憲法改正の必要性や
『生命の實相』の重要さを物凄く感じ、今の教えに嘆かわしさを抱きながら、
「Bタイプの誌友会」をやったり、「憲法は遵守」と言ったり、
「個人の救済より、地球環境の救済を優先」と自分に言い聞かせ、
「総裁先生は素晴らしい。間違ってなんかいらっしゃらない。」と教えられ、
バカみたいに「中心帰一」と洗脳され、黙ってしまってる信徒。
そして、疑問だらけでも、総裁を崇め、講話してる地方講師たち。

私も あれだけ楽しみだった団体参拝も、行けば、葛藤だらけで、
鬱になりそうで、今年はやめようかと思っています。

岡正章先生のように、みんなが 「もの言う株主」 になって、教団の本来の
あるべき姿に近づくよう、みんなで何とか出来ないものでしょうか?

本部の講師たちの Facebook なんて、自転車とノーミートと
野菜の育ち具合の報告で、読む価値もない。

私も地方講師解任なんて怖くない、自分の良心に従って正直に生きていきたい。
本部は解任するしか能がないので。

あー、スッキリしました。

(2015.6.15 しろうさぎ)
信仰の「変形」は起こっているのか?(その2)
<2015.6.15 Oyaoya>

前記のような質問に対しては、おそらく中の方も、外の方も、同じような回答傾向になると思います。
長く生長の家をなさっておられれば、回答は自明でしょう(原子力問題などは新しい問題ですので、回答はまちまちかもしれませんが)。

偏差はあっても、それは入信のきっかけや、体験、その後の興味や勉強の方向、縦の真理、横の真理の探求の傾向など、その方独特のものはあって当然でしょう。

つまり、信仰の中身としては、中の方も外の方も、深浅や個人的な傾向はあるにしても、信仰は一つであると思います。
生長の家においては、人間神の子ということ以外には信仰のしようがないと思いますし、信仰に変化はないのは当然と思います。

以上はわたしが知る範囲での見立てですが、ここで危惧するのは、このような見立ては正しいのかということです。
近年の、総裁をはじめ教団幹部の皆さんの教説によって、あたりまえの生長の家ではない、別のものを信仰する傾向が生まれているのかどうかということです。

たとえば、実相額を前にした神想観ではなく自然林を前にした神想観や、あらたに制作したお経のような体裁をしたものを読むとか、新たに神様を祭るといったことが、信徒の信仰の中身に影響を与えているかといったことです。

同じ「人間神の子」という表現を使っていても、その意味に変化が起こって、別の信仰となっていないだろうかということを危惧します。

もしそうした信仰の「変形」「変質」がおこっているとしたら、これこそ分裂です。現実にそういうことが起こっているのかどうかに、強い関心を抱きます。

かつてわたしは、現総裁の最初の著作(副総裁当時)を読んだときに、「この方は宗教がお嫌いだな」という印象を持ちました。
もしそれが当たっているとすると、それは大東亜戦争否定論等よりも、もっと深刻な問題だと思います。

現総裁が副総裁として、神誌を普及誌にあらため、谷口雅春先生のご著書を順次、廃絶させ、「人類光明化運動」にかえて「国際平和信仰運動」を提唱し、大東亜戦争侵略論を展開しはじめてから、すでに20年が経ちます。

この間に信徒の信仰の中身が変わってきたのか、それとも去る方が多く、ただ減ってきただけなのか。
わたしたちの心の中で起こっていることをどう考えたらいいのか。

なお、今後、『甘露の法雨』を知らず、『生命の實相』を知らない世代が現れてくるかもしれないという問題については、あまりに重要な問題なので、今はこれを措きます。

合掌再拝

 (2015.6.15 Oyaoya)

信仰の「変形」は起こっているのか?(その1)
<2015.6.14 Oyaoya>

わたしの相愛会では、“本流”へ行かれた方も複数いらっしゃいます。
しかし、たまにお会いすることがあっても、「この頃の生長の家はねぇ・・・」と、いろいろな話にはなりますが、わだかまりのようなものは何もなく、ともに同じものを信仰しているということが確認できて、楽しく話ができます。
所属は分かれても、個人の信仰の中身については、分裂はしていないと言っていいのではないかと思います。

だからと言って、それでいいと思っているわけではありません。
問題なのは、わたしや、残られている会員さんの心の中で、分裂というか、大きな葛藤があることです。
わたしの知る限り、本部の方針を心から支持している会員さんはいないのではないかと思います。
本当は常に教団を支持したいのに、それができないということは、信仰者にとって、とてもつらいことです。

ためしに無記名のアンケートでもしたら、支持していない実態は浮き彫りになると思います。

 ・大東亜戦争は侵略戦争であったと思うか。
 ・環境や生物多様性、ノーミートが、生長の家の運動の核であると思うか。
 ・技能や芸術の誌友会が本筋であると思うか。
 ・『生命の實相』や『甘露の法雨』はなくてもやっていけると思うか。
 ・『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』はお経であると思うか。
 ・谷口雅春先生のご著書を廃絶していっていいと思うか。
 ・総本山の性格を変えていいと思うか。
 ・原子力は使うべきでないと思うか。
 ・民主党を支持したいと思うか。
 ・生長の家の教えは変わっていないと思うか。

等々。

最後の質問などは、どのような結果が出るか、わたしも興味があります。
思いつくまま、根本問題、現象問題をとりまぜてしまいましたが、様々な問題について、わたしも会員さんも、強い疑義を抱いています。

 (2015.6.14 Oyaoya)

     
* * * * * * * * * *

<管理人 岡 より>

 上記 Oyaoya 様のご投稿について、 私の感想などを、「近況心境」 に書かせて頂きます。
 ありがとうございます。

   (岡)

「あらゆる宝のうちで最も大切なるもの」は、“ありのままのわたし” と “いのち” です
<2015.6.9 二代目一寸法師>

岡 正章 様 ご無沙汰しています。ますますのご活躍を心から感服しております。

 先日、6月4日(金)に4ヵ月に一度の ICD (植え込み型除細動器:いわゆるペースメーカー) 定期検査を受診しました。前回10月から4ヵ月間の心臓機能と器機の作動状況を「心電図」のようにチャート化したデータが出てきます。

 担当医師が 「2月15日に体調異常はなかったですか」 と聞いてきた。手帳をみたが特記事項が記されていないので、「ありません」 と答えたところ、

 「この日に不整脈による心停止があり、ICDが作動して心臓を再起動させている。数秒のことだから気にしなくてもよい。」 とのことだった。

 ICDを植え込んで2年半になるが、医師から 「ICDが作動していた」 と診断されたのは初めてである。「気にするな」 と言われても・・・。

 記憶を手繰っていると、「あった、あった! 2月15日の “体内ビックバン” が・・・。」

 この日、2月15日(月)は朝から小春日和の陽気であった。久しぶりに外出して、ショッピングセンター内のドトール・コーヒに立ち寄った。注文したコーヒを持って席に座り、「心肺停止人間がよくぞここまでリカバリーできたもんだなぁ」 と、往時の “いのちのリレー” に参加してくださった方々に感謝の想いで感慨にふけっていた。

 そのとき、突如として睡魔に襲われたように眠くなり室内の照明がフェードアウトしたかのように真っ暗闇に吸い込まれていくようだった。次の瞬間、ドォーンと雷が落ちたような大音が響き、椅子から身体(尻)が浮き上がった。

 その後、室内照明がフェードインしてきて、睡魔も去っていったように意識が戻ってきた。

 「今のは何だ???」と自問自答したが、周囲の客たちは何事もなかったかのような姿で午後のひとときを楽しんでいた。「“体内ビックバン” なら、体内60兆の細胞が新生しDNAも更新されているぞ」 と、のん気に過ごしてきた。

 もし、あの日、あの時に ICDが作動していなければ、いま、この瞬間、PCに向かっている “わたし” は存在しない。
この生きている、否生かされている瞬間、瞬間が、あらゆる宝のうちで最も大切なるものである。
“ありのままのわたし”、“いのち” こそが万巻の書に勝る宝庫である。   至心礼拝 

 (2015.6.9 二代目一寸法師)

     
* * * * * * * * * *

<管理人 岡 より>

 二代目一寸法師様の、上記 生死を超えてのご体験は、“いのち”について考えさせられる貴重なご体験であると思います。
 私の考えたことを、「近況心境」 に書かせて頂きます。
 ありがとうございます。

   (岡)

実相独在の真理を学び、伝えよう
<2015.6.9 新しい風>

以下は、私の生長の家信徒としての考えである。

① 生長の家の目的は実相世界を現象世界に顕現することである。

② 実相の教えを学び、伝えよう。
実相世界は「神の国」であるのだから、また現象世界はその「神の国」の投影であるのであるから、私たち信徒のすべきことは、実相の教えをまなび、人に伝え、信仰の道に入れることである。法華経の説くように「衆生をして仏知見(実相独在の教え)を開かしめ、示し、悟らしめ、入らしめること」(『法華経解釈』日本教文社)である。つまり、実相神の子・神の国の教え(生命の実相の教え)を人に伝え、信仰の道にいれることである。そのことによって、理想世界をこの現象の世に顕現することができ人類を光明化することができる。つまり仏知見(実相の教え)の「開示悟入」が、生長の家のなすべきことである。

③ 実相世界はこの現象世界の奥に、すでに根底として、存在している。自己のうちにある。それを一人一人に「開示悟入」することによって、実相が実現される。一人一人の心の力によって実現されるのである。

④ だとしたら、私たち生長の家の信徒のすべきことは、「生命の実相」の真理を学び、人に伝え、人を確実な実相の信仰の道に入れることなのである。先に信仰の道に入った人が、修行し続けることが、即伝道となるから、実相を求める求道を重ねないと、伝道などとてもできない。

⑤ 神の国の実現に基本的に必要なことは、実相世界へのゆるぎない信仰である。実相世界は神の国であるから、地球温暖化などという事態は、存在していない、円満完全世界である。この神の国の確信を、多くの人が持つことによって、環境問題などない、円満完全大調和世界が、実現して来るのである。急務は実相独在の真理を、自ら学び悟り人に伝えていくことである。

⑥ 環境運動とか、ノ―ミートとか、太陽光発電との現象的な運動は、直接的には、生長の家の本来の目的である、神の子・神の国の実現にはつながっていかない。神の子の自覚は、自己を掘り下げる宗教的求道なしには、不可能である。

⑦ 谷口雅春先生の生涯なさったことは、すべて、「実相独在の真理」を人々に自覚させることなのであって、真理ぬきの現象的な運動ではなかったのである。真理というのは、「実相独在」が貫く真理のことなのであって、唯心所現のみの真理のことではない。

(2015.6.9 新しい風)

あらゆる宝のうちで最も大切なるものは
<2015.6.8 トレモス>

生長の家のあらゆるものの中で、最も素晴らしいものは、
谷口雅春先生の、美しい言葉であり、さわやかな思想である。

生長の家は 雅春先生の 「美しい言葉」 を 失ってはならないのである。
すべての日本人が、とりわけ青少年が、入手したければ いつでも手にいれられる範囲内に、
雅春先生のすべての御著書が なくてはならない。
とりわけ 『生命の實相』 が 無くてはならないのである。

私が今日改めて感動した文章は、以下の文章である。
この本をお持ちでない方は すぐさま入手して ごらん頂きたい。
この本も雅春先生の他の御著書同様、人生に意味を与え、運命を好転させる好書である。


(参考 『新版 真理』 第二巻 谷口雅春著)

【あらゆる宝のうちで 最も大切なるものは 魂の清らかさと、心の平和とである。
如何なるものも これに匹敵するほどの価値あるものは見出されないのである。

而も多くの人たちは この最も大切なる魂の清らかさと、心の平和とを、
他のそれほど大切でない事物を求めるために、ふみにじって顧みないのである。

(も)し世界のあらゆる宝をあなたが得ようとも、魂の清らかさと、心の平和とを失わば
何の甲斐もないのである。

多くの財宝を所有しながら、戦々兢々
(せんせんきょうきょう)としてそれを失うまいと、
醜い心でしがみついているならば、何のための財宝ぞや―と言わねばならぬ。

新生活に出発しようと思うものは 「第一のものを第一にする」 ための覚悟を 新たにしなければならない。】

(2015.6.8 トレモス)

「公開質問」は、誌友たちの「代表質問」です
<2015.6.8 Oyaoya>

顧問や対策部長の解任については、絶句します。

わたしは一相愛会長ですが、この数年、教団の方針について、誌友さんからしばしば疑問を呈せられてきました。

先生の「公開質問」は、そうした誌友さんたちの「代表質問」です。

質問したら即、解任というのでは困ります。
誌友さんは残らないです。
みな、なりゆきを見つめています。

合掌

(2015.6.8 Oyaoya)

永遠の顧問
<2015.6.8 hikari>

教団の方針には全く賛同しない一相愛会長です。

このたび岡先生には地方講師・対策部長・顧問をお辞めになられましたが、

多くの東京第一教区同志にとりましては 永遠の顧問です。

今後とも ご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。

(2015.6.8 hikari)

いつの日か 輪はできる
<2015.6.8 新しい風>

おかしいことは おかしいと 誰かが言わないと
本人も周囲も これでいいんだと 思ってしまう。

だから間違いの指摘は、正々堂々 正論でやろう。
とにかく きちんきちんと 人に訴え、 間違いは直していこうよ、と 説得してまわろう。
勇気をもって 正説を 主張していこう。

いつの日か 「実相独在」の真理の正しさが 世界を光明化する其の日まで、
わかった人は 孤独なりとも、「生命の実相」を 説き続けよう。
伝え続けよう。 学び続けよう。

いつの日か 輪はできる。

(2015.6.8 新しい風)
「“本流”へは参りません」 について、再び
<2015.6.6 Oyaoya>

その理由の深さも強さも比べようがありませんが、結論には同感いたします。

理由は二つありそうです。

一つは先生のご表明からあらためて考えさせていただいたことですが、
おっしゃる通り、「中心は二ついらない」ということです。

もう一つは、昨今の教団の主張に疑念はたくさんありますが、それらはわたしの中の
「生長の家」に影響を与えていない、ということです。

わたしの中の「生長の家」は何も変わっていません。
ここにいたら自分が変わってしまう、という恐れを感じたら、退いていると思いますが。

わたしの中の「生長の家」が変わらない以上、あえて別の道へ行く必要を感じません。
現在の立場のままでいいのではないかと。

このような信条を持ちながら、現実の組織の中でやっていけるのか、ぼちぼち試して
参りたいと思います。

再拝

(2015.6.6 Oyaoya)

『光明道中記』のご文章に感激
<2015.6.6 Oyaoya>

合掌
『光明道中記』のご文章に感激。
すべての問題が吹っ飛んでいくようです。

先生の、
「今が一番、 好い時と思って、うれしく楽しく充実した時間を過ごしています。感謝、感謝」
にも感激。

かくありたいです。再拝

(2015.6.6 Oyaoya)

 信仰と、神想観――ただただ礼拝祝福感謝について
<2015.6.5 Twinkle little star>

 岡先生
 『トレモスのパン屋』 の紹介文、ありがとうございます。
 わたくしにピッタリな本のようなので、早速図書館で予約を入れました。

 ところで、先日ある方が、神想観してない人は信仰してないから、本部の人はダメ、みたいな事を言ってました。きちんとなさってる方もあるのは存じ上げているので、そんなことはないと思う。本部の人だって神想観してる人だっているといったら、頭ごなしに却下されました。

 それで考えていましたが、神想観してるから信仰者という考え方に差別感を感じて、差別感を伴う信仰は信仰ではないのではと思うのですが。厳しすぎるでしょうか?

 神想観云々よりも、ただただ礼拝祝福感謝ですよね。ただ、神想観でその感じが湧き上がる とも思うのですが。

 (2015.6.5 Twinkle little star)

     
* * * * * * * * * *

<以下、管理人 岡 より>

ありがとうございます。

『トレモスのパン屋』、僕は取り寄せてすぐ読みました。
絵本じゃなく、童話の本で、考えさせられる、いい作品です。

「神想観してない人は信仰してないからダメ」という人は、神想観してない
(少なくとも神想観の醍醐味を知らない)人かも知れませんね。

「神想観しないと救われない」のだったら、谷口雅春先生が神想観を伝授される
前の人は誰一人救われなかったことになりますよね。

榎本恵吾先生も、「自然の草や木や花は神想観しないでもそのまま喜んで咲いてい
る。人間も神想観してから生まれてきたんじゃない」というようなことを言ってらっしゃった。

神想観しなくてもすべてが与えられている、幸福が与えられている、神に生かされている。
だからありがたくて、神想観しないではいられない、というのが本当でしょう。

裁きや差別は信仰から外れた状態ですね。そうならないようにしなくちゃ。僕は、「今が一番
好い時」と思って、うれしく楽しく充実した時間を過ごしています。感謝、感謝です。

ありがとうございます。

   (岡)

 霊的パンは毎日食する必要がある
<2015.6.6 トレモス>

今「神の子の自覚」をもっても、翌日の朝になれば、その自覚を 少し忘れるなんてことは、よくあることだ。私たちは 見た目 五官の世界にいるからだ。

それゆえ、私たちは 毎日 「神の子の自覚」 を取り戻す必要がある。そのためには 霊的パンを食べる必要がある。つまり真理の書かれている本を 読む必要がある。その目的で――つまり、五官的には物質世界のように見えるこの現象世界が、実は霊的世界であることを悟らせる目的で、谷口雅春先生は 『生命の實相』 40巻、『真理』 11巻、そのほか沢山の聖典を、生涯通じてお書き下さったわけである。

私たちは、これら霊的パンである 雅春先生の御著書を、毎日必ず読む時間をつくることで、物質と見えるこの現象世界においても、はっきりと 目的意識をもって、一日一日を過ごすことができるのである。

だから われら生長の家信徒は、インターネットを使って古本を探してでも、聖典を手に入れる必要がある。雅春先生の御著書は 正しい生き方、希望が持てる生き方、目的意識をもった行き方、即ち神の子としての生き方のために 絶対に必要である。無くてはならない。

しかも持っているだけでなく、毎日聖典を読むこと、つまり 霊的パンを毎日食することは、いのちの活動のために 絶対に必要不可欠である。

(2015.6.6 トレモス)

 衝撃的でした
<2015.6.3 Oyaoya>

合掌

「岡は“本流”には参りません」 とのご表明は衝撃的でした。

お書きになられていることの大半は、軽々に感想を申し上げられようなものではございませんので、ただかみしめてまいります。

威勢のいいことは申し上げられませんが、初心を思い起こさせていただきました。
ありがとうございます。

(2015.6.3 Oyaoya)
 鏡の原理の根底として存在する実相独在世界
<2015.6.2 トレモス>

 人が鏡に向かって撲(なぐ)る姿をしたら、その鏡の中の自分は 自分を撲る姿になって現れると、実に明快に雅春先生は説いている。
 これこそが 観世音菩薩の働きであるのです。

 なぜこんな風に 現象というものが鏡の働きをするのかといえば、その時その時の自分の姿を反省材料としながら、人が人として現象界に生まれた時から持っている 神の子・神の国の「理想世界」を、眼に見え、耳に聞こえ、物に触れることのできる この時間空間の現象世界において実現することによって、魂の無限生長をするための指標となるからです。
だから、現象は一見不完全であるように見えても 実は円満完全が貫かれている、「完全なるもの」であります。
 「万物はこれ神のコトバ」であるからです。

現象非実在(肉体なし・現象なし・心も無し)に気が付いてくると、現象から色と形を抽き去る心の働きができるようになり、現象を貫く「純粋形相」すなわち「実相世界」の存在がわかってくるわけです。

(参考:『真佛教の把握』 <谷口雅春著作集第7巻>)
『般若心経』講義
(『あなたは自分で治せる』第13章より収載)

≪衆生の中には「自分自身」も含まれていまして、自分の前にあらわれる人々の姿を自分の心の姿だと観ずると自分が済度されるのであります。皆さんが観世音菩薩で観察自在であって、なんでも観察しようと思えば自在に観察することが出来るでしょう。自己観察をすることが必要です。鏡に向かって自分が撲る姿をしたら鏡の中の人物は自分を撲ってくるでしょう。其のように全ての人物があらわれる、ちゃんと観世音菩薩だ。自分の撲る心がこっちへ向かって現れる。そうでしょう。その代わり相手の心の通りにこちらも先方には顕れて見える、みんな観世音菩薩である。≫(p.224~)

 (2015.6.2 トレモス)

     
* * * * * * * * * *

<以下、管理人 岡 より>

 上記「トレモス」様の「トレモス」とは何だろうかと思い、検索してみましたら、
『トレモスのパン屋』 という絵本(小倉明・文、石倉欣二・絵 第1回小川未明文学賞優秀賞受賞作)があることを知りました。その内容は――

 <自他ともに認める町一番のパン職人ポルトは、自分の店の真向かいに新しいパン屋が構えられたことを初めこそ気にしていなかったものの、もっとも真価の問われる商品「食パン」それだけを毎回購入してくれていた3名の常連客が奪われたという事態に気付いてしまってからは、その理由ばかりが気になり、心中穏やかでいられなかった。
 そして、年に一度のパンづくり大会を前に、プライドを抑え、その店の食パンを口にしてみたポルトは、その確かな味を知り、負けじと自らも努力を重ねたのだが、スパイとして送り込んだ一番弟子カルルが戻らないことなどによって、さらに気を揉んだ状況でおいしいパンをつくれるはずもなく、惨敗という結果で大会を終える。
 その後、カルルからの手紙によって、誇大すぎた自尊心のために、努力や他者またはパンそのものへの愛情が自らに欠けていたことを思い知らされたポルトは、自信を失い、一度は店をたたむ決意をしたのだが、夫人の力強い励ましの中にパン職人としての役目を見出すと、ふたたび他者のためのパン作りをはじめた。……>

 という教訓的な内容の絵本なのですね。私も読んで自戒の糧にしようと思い、注文しました。
 ありがとうございました。(管理人 岡)

 成る程と肯けることばかり
<2015.6.1 大和男子
(やまとおのこ)

 私は80代の男性です。

 今日に到るまで、生長の家の先達の多くの著述に接して参りましたが、『みすまるの珠』 『何処へ行く?「生長の家」』及び「近況心境」を拝読しまして、これ程、心を動かされ同感を覚えたことはありません。

 心の座標軸に「み教え」という真理をおき、流動変化していく現実に自在に対処されながら、内に外に 彩り豊かな日々の生活を営んでおられる岡先生のお姿は限りない憧憬です。

 安倍首相のバンドン会議でのスピーチ、或いは先般のアメリカ上院下院議会での長時間の演説(私はリアルタイムで聴きました)は、“小異を捨てて大同につく”理念による未来志向の洗練された格調高いもので、過去の日本の首相の型どおりのさまざまの演説のなかで、これ程、私たちに希望と力強さを与えてくれた例はなかったのではないでしょうか。そして世界の国々にも発信され日本国の存在を充分にアピールしたのではないでしょうか。

 岡先生が生長の家を案じ、勇気をもって総裁に出された「公開質問状」をはじめ、本質に迫る諸記述、硬軟とりまぜたご文章、先生の日々の諸活動から生まれる馥郁たるものを感じさせていただいております。

 石川迪夫氏の著述に触れられた原発に関する岡先生の論旨は説得力があり、成る程と肯けることばかり。それまで電力会社の言い分を除き、漠然とした社会的常識となってしまった感のある“反原発”に、私も気づいてみれば流されていましたが、明確なご説明に十分、納得することが出来ました。そして、これほど社会的にも国家経済の観点からも重要な、今後の国力をも左右すると思われる根本的な課題に対して、問題提起して国民の総意を喚起させるべき使命と役割をもつジャーナリズムが、あたかも“原発は悪”を前提にしたと見受けられる調子の論で誌面を埋めているのは何故か。そこには営利を追う企業の採算に依存する宿命からくる限界があるのか――という思いです。

 「近況心境」#10 を読ませていただいたとき、マズローが晩年、五段階の上にもう一つ段階があると発表したことを知りましたが、私は嘗て「マズローの欲求階層」に触れて、「五段目の欲求階層を超えて更に上の段階として、“創造の悦び”そして最後に“真善美”及び“完全”という最高の理念をもっているのが私たち人間ではないかと思う」と述べたことも思い出し、納得できました。

 岡先生のますますのご健勝を祈念申し上げます。再拝

 (2015.6.1 大和男子)

観世音菩薩の原理は「実相独在」の一側面である
<2015.6.1 トレモス>

 観世音菩薩というのは、次の三点が大事です。

①観世音菩薩は、心の鏡として「仏の説法」をしている。
「あるべきあり方」つまり実相を説いている。

②観世音菩薩の働き自体が、自己の本体である「実相」(神の子)の顕われであって、どんな現象にも眼にはみえない実相が貫かれているからこそ、観世音菩薩の働き(鏡の原理)が存在している。

③そこで観世音菩薩の働きは、「実相独在」の真理の働きの一つとも言える。

(参考:『真佛教の把握』<谷口雅春著作集第7巻>)
『般若心経』講義
(『あなたは自分で治せる』第13章より収載)

≪この観世音菩薩というのも、内部的の意義即ち密教的にみますと、これはそういう仏像ではないのであって、皆さんご自身が観世音菩薩なんであります。みんな観音様なんですね。

 観世音というのは世音即ち世の中の音を観ずるのです。「世音」というと人々の心の響きです。人々の心の響きを「観ずる」というのは、肉眼でみるのじゃなくて、心の眼でみるのですね。心の眼で人々の心を観じて、その心の姿の儘の姿に顕れる菩薩(大士)というのが、観世音菩薩であります。

 この菩薩は『観音経』にあります通り、相手の心の姿にしたがって三十三身に身を変ずるというわけで、どんな姿にも心のままに顕れるのであります。必ずしも三十三種の身には決っていないのであって、ありとあらゆるどんな姿にでも顕れて、衆生を済度なさる、これが観世音菩薩であります。≫(p.224)

 このことから考えますと、実相独在の真理に貫かれていない類の三界唯心の真理では、迷える霊魂を救えないのみか、魂の向上につながらないのです。

 (2015.6.1 トレモス)

 今、文書伝道は可能か
<2015.6.1 Oyaoya>

合掌

もう議論し尽くされていることかもしれませんが、『生命の實相』がない中で、生長の家の「文書伝道」は可能なのでしょうか。

仮に万歩譲って、「普及誌」が、真理をコンパクトにまとめたものであったとしても、その背骨としての『生命の實相』は必要と思うのです。

かつてわたしは、ある問題で悩んでおられた会社の上司に普及誌をわたしたことがありました。
しかし上司はチラ見しただけで、こういうのはいいんだ、と言って返されました。

このことを後日、教化部長にお話ししたところ、上司にお渡しするすなら『生命の實相』にすればよかったね、と言われました。
まことにその通りだったと思います。
もちろんその当時は『生命の實相』は潤沢にありました。

『生命の實相』を失い、自ら「聖典ではない」とする総裁の本と、創刊時から「神誌と呼んではならない」とされた「普及誌」くらいしかない中で、生長の家の文書伝道は終わったのでしょうか。

学生時代に、一人の女子学生が、聖典から抜き書きしたご文章をガリ版刷りして、毎朝(毎週だったか?)、何十枚か正門で配っていました。
彼女はたぶん、4年間、それを続けたと思います。
わたしはと言えば、これは女の子の活動だな、とか思って、ろくに手伝いもしませんでしたが。

そんな純で、無垢な活動を組織的に復活させられたら、という思いが頭をよぎります。

(2015.6.1 Oyaoya)

福島正俊氏の遺稿に感銘しました
<2015.5.31 Oyaoya>

合掌

福島正俊氏の遺稿を拝読し、すごい方がおられたのだと感銘しました。

これを拝読し、不思議なことに わたしの中で直接結びついてしまったのですが、こういう方がおられた生長の家ですから分裂するはずがない、岡先生が 「生長の家は分裂しない」 とおっしゃるのが少しわかってきたような気がします。
わたしが感じさせていただいたことは、生長の家にはまっすぐな道しかない、だから分裂のしようがない、ということかと思います。

ならば現実との乖離をどう説明したらいいのでしょうか。
それは、「分裂」はないけれども 「外れていく者はある」、ということかと思いました。
これは組織から外れるという意味ではなくて、教えから外れていくという意味です。

教団がこぞって外れていこうとも、自分はまっすぐな道を行く、というのが、このたび岡先生が示されたご行為なのかと拝察する次第です。
わたしも中にいて、まっすぐに行くにはどうしたらよいのか、考えさせていただきます。

わたしの勝手な解釈をお許しください。

再拝

(2015.5.31 Oyaoya)

 人類光明化運動は 「大調和」 の運動
<2015.5.31 トレモス>

昭和天皇も
今上
(きんじょう)天皇も

日本が戦争を行ったために、多くの不幸を生み出してしまったことに、いつまでも悲しみ、苦しみ続けてこられた。

国と国が戦争をした時には、戦争をしたから、戦死があり爆撃があったのであって、戦争が無ければ、戦争による不幸などなかったのである。
国と国との不調和が原因で戦争がおこったのだから、理屈抜きで
天皇さまが そのことに後で苦しんでおられるという事実は、誰もが感じ入る必要がある。

同様に
谷口雅春先生も 谷口清超先生も
戦前の、戦争を導いた排他的精神については 神示等で明確に
戦争を行ったこと自体を 「正しい」 としてはおられない。
以上は 「大調和の教え」そのものから言って 明らかである。

戦前の歴史的状態のこととか 東京裁判の不当さ等、
現象的にはいろいろあり、現象的な見方で正当に扱われる必要があるのは勿論だが、
天皇様も 雅春先生も 太平洋戦争を 日本がなしたこと自体を 是としてはおられないことは、しっかりおさえておくべきである。人類光明化運動は 大調和の運動なのだから。
加えていえば、現象に働きかける 環境運動などでは さらにまったくありえない。

(2015.5.31 トレモス)

 心の畑に 「実相」 の種を蒔こう
<2015.5.29 トレモス>

心の畑に
良き種を蒔こう
実相の種を蒔こう
どんな種を蒔くかで
私たちの将来の環境は
変わってくる。

現在、
実相顕現のかわりに
雑草ばかりが、
生えてしまっていたとしても、
再び
真善美の花が
とりわけ真の花が咲くように
実相独在の種をまこう。
伝統尊重の種をまこう。

だが反省はしっかりと行う必要がある。
蒔かぬ種は生えぬように、
現在の雑草畑の種は
他ならぬ私たち自身が蒔いたということだ。

このことの深い反省の上に立ち、
再び「実相独在」の種を蒔こう。
いつの日か
「実相独在」が現象化するその日まで・・・

(2015.5.29 トレモス)

 今日の「近況心境」に接して
<2015.5.25 Oyaoya>

今日の「近況心境」は、やさしくて、大事で、特に心に響きました。

信徒われら一人一人の自覚を促されている
自主独立の神の子として起つべき時が近づいている


この言葉は重いです。

「生長の家大神―総裁・副総裁―御教」 というのは、もしかしたら間違った命題なのかもしれない、と初めて思いました。

ほかの「伝統的宗教」では、創始者と現在の教主との関係はどうなのでしょうか。
現教主を通じて神が現れるということになっているところはないのではないか。

この命題は、昨日今日できた宗教でしか通用しないのではないか。

現教主も創始者の弟子ではないのか、もっと言えば、現教主は創始者の教えを守るためにある存在ではないのか、と思われるのです。

いろいろ考えさせていただきました。

(2015.5.25 Oyaoya)
法華 転法華をするべし
<2015.5.21 トレモス>

現象世界の公案 つまり課題は、

「この物質なるものに、如何に対処するか」

ということです。

それですから 谷口雅春先生は お書きになる本では

「すべて 物質のように見えているものは 物質じゃないんだ。
実相なんだ」

とお説きになって、
人々を人生苦 生活苦から救おうとされたわけです。

具体的な生活の隅々の問題から始まって、
完全に物質なるものを卒業するにいたるまで、
霊魂のレベルに従って、 物質克服の道が 説かれているわけです。

ですから はじめ 物質が物質に見えてしまうことは、
むしろ当たり前のことなのであって、
講師とか先達は ゼロから指導し、

自分がそうであった 「物質にもてあそばれていた」自分が
『物質即実相』 を伝える側に変化した経緯を 人に伝えることによって、
人さまを 救っていかなければならないわけです。

「法華」に転ぜられていた自分が 「法華」を転ずる側に変化するのです。

「認識の形式」なるものも 「時間空間の存在」も
「物質世界」も 「五官的存在」も 「転生」でさえも
こうした舞台設計は 神がなさった設計であります。

(2015.5.21 トレモス)

榎本恵吾先生に救われた思い出
<2015.5.14 ミルキーウェイ>

みすまるの珠、いつも本当に素晴らしいです。

榎本恵吾先生ですが、22年前に島根に講演に来てくださり、その時の私は妊娠7ヶ月の身でしたが、逆子ということで、自然分娩は難しいと医師から言われておりました。

会場の控え室で、榎本先生が「実相円満完全」をとなえながら、聖経でお腹を撫でてくださいました。お腹が痛くて痛くて、どうしたことかと思って病院に行きましたところ、胎児がひとりで動いてもとの位置に帰っていたんです。7月には無痛分娩で超安産をしまして、担当の先生が分娩室に到着されるのが間に合わなくて、先生も「こんな安産、初めて。超安産だ」と驚かれました。
その子は今、医療センターで働かせて戴いています。

みすまるの珠を拝読し、榎本先生のことを懐かしく思い出させて戴きました。

(2015.5.14 ミルキーウェイ)
 「久遠の今」の御講義を 毎日拝聴して
<2015.5.12 Twinkle little star>

一昨年から色々な掲示板などを見て気持ちが晴れず、自分が情けなくなることが多々ありました。
そんな時、谷口雅春先生の「久遠の今」の御講義を知り、その日から毎日拝聴いたしております。

https://www.youtube.com/watch?v=oFhl9KLdBH4&feature=youtu.be

真理がわかる・わからないにかかわらず、わかった事は、「真理はもの凄く もの凄い」ということでした。そして尊師は もの凄く もの凄かったのだ ということでした。まだまだその「もの凄さ」はきっとわかっていないでしょう。一生わからないかもしれません。

ですが、今年に入り、少しずつ霧が晴れてきました。
「外のごちゃごちゃに振り回されず、自分を生きよう」という気持ちが湧き上がりました。
そして、徐々にですが、上向きになりました。

雅春先生の教えが途絶えてしまうと心配している友人がいます。
しかし、最近思うようになりました。尊師が説かれた真理は永遠不滅だと。
それは、今も實相しかないということであって、真理があるということは、途絶える事も出来ないのではないかと思う様になりました。

現象的に考えたりもしました。
千年、二千年、一万年……経ったときに、生長の家という教団がどうなっているかはわかりません。ですけれど、真理にふれ無限向上の道に乗った時、仏向上というのでしょうか?....生死も本来無いのでしょうけれど、次生でも次々生でも、この教えを学び表現していくのではないかと思えるようになりました。それが如来の本心(楽しみ)であって、真理は永遠不滅だと思わせて頂きました。
多くの先達もおられることだし、安心して、わたくしは、わたくしらしく、焦らず信念を深めたいと思いました^-^
そして『楽』に尊師が「ねがい」「ぎょう」と振り仮名をつけられていた事を思い出しました。
悦ぶだけでよいのだと、チョッピリ思えて、嬉しくなるこの頃です^-^

(2015.5.12 Twinkle little star)

 バンザーイ!!
<2015.5.11 Nadeshiko>

合掌 有難うございます。

岡先生、素晴らしい!!
岡先生のお作り下さいました「みすまるの珠」は本当に素晴らしいです!
私は、 毎日感激しながら読まさせて頂き、今、住吉大神様が岡先生において出御されて、ご神体である神剣が岡先生に現れて、一所懸命にお働きになって真と偽を切り分ける働きをなさっている!って思いました。

本当に、一人、一人が住吉大神様になりその使命を果たさねばならない時期なのだと実感です。
そして、素晴らしい「みすまるの珠」はこれからも永遠に残り、しかも教区の岡先生でなく真理を全世界に発信されて、世界の岡先生になったのも、全てが神様の御心、雅宣先生のおかげと心から感謝します。

生長の家の大神様
雅宣先生、岡先生 有難うございます、有難うございます、有難うございます。

素晴らしい、素晴らしい、生きた教え 生長の家は永遠です。
バンザイ! バンザーイ!!

(2015.5.11 Nadeshiko)
『考証 福島原子力事故』 読後感 
<2015.5.10 Oyaoya>

わたしもようやく『考証 福島原子力事故』(石川迪夫著)を読了しました。
内容は膨大かつ詳細ですので、十分に読解したとはとても言えませんが、それでもしっかり読ませていただきました。貴重な本をご紹介いただきありがとうございました。(『何処へ行く?「生長の家」』の「総裁への公開質問3」で)

岡先生が質問状の中で重要な部分はご紹介くださってますが、大きな論点でわたしがいちばん目を覚まさせられたのは、原発はコントロール可能なものであって、決して人間の手に負えない悪魔のようなものではないということでした。
原子力の科学は、わたしが想像していたよりもはるかに歴史があり、研究が積み重ねられているということを知りました。

実際に、わずかに残された非常用電力をやりくりすることで、福島5号機、6号機は見事に冷温停止状態に安定させられました。
1~3号機においても、全電源喪失の中で、電源を必要としない冷却メカニズムが、設計限度時間をはるかに超えて機能していたこと、4号機の燃料貯蔵プールは地震でも破損していなかったこと、等々、科学的にコントロールできる世界、言い換えれば人間の手中で原発は稼働しているということでした。

これは、意外なことでした。本書を読むまでまったくこの逆に思っていました。原発は手に負えない恐ろしい機械であると。恐らく、わたしと同じように一般の人は、「原子力(放射線)が遺伝子を破壊する」という迷信と同様、マスコミ等によって、そのようにすり込まれていると思います。

ではなぜ水素爆発や炉心溶解が起こったのか。その詳細を記したのが膨大な本書第1部ですので、どこをどう引用しても片手落ちになりますので引用は避けますが、原発は機械としての安全設計は合格レベルにあり、むしろそれを証明したのが今回の事故であったけれども、その安全設計を無にしてしまうほど実際の対応が後手に回った結果と言えそうです。
暗闇の中での現場職員たちの奮闘にもかかわらず、です。

事故によって直接的に亡くなった方は一人もいない、ということも重要な事実でしょう。
興味をひいた引用として、事故直後の2011年3月21日に、英ガーディアン紙に掲載された著名な環境ジャーナリスト、ジョージ・モンビオ氏の寄稿に「数万人が死傷した自然災害に遭いながら、死に至る線量を与えていない。私は原子力支持者になった」というものがありました(254ページ)。
この事実が、事故後も日本製原子力発電所の輸出の後押しになっているそうで、さもありなんと思いました。

原発は安全設計はしっかりしていても、運用上の問題はあり、第二部ではどうしてこのような事態になったのか、今後、どのような改善策が必要かを詳説していますが、その中で、わかりやすい車社会のたとえ話がありました。

「車社会の安全が、車の設計だけにあるのではなく、広く交通手段全体にあるのと同じです。原子力発電の安全を確保するには、安全設計はもちろんですが、広く交通安全に相当する、発電所を取り巻く周辺問題の解決が大切となります。」(301ページ)

「防災安全は原子力発電に関わる総合的な安全対策と言い換えても良いでしょう。それは、自動車の走る道路であり、道路標識であり、適切な距離ごとに配置されるサービスステーションであり、さらにそれでも起きる事故車や故障車に対処できるJAFの仕組みなど、すべてです。」(302ページ)

わたしはもちろんのこと、国民の多くは原子力について素人です。
したがって情緒、風説、迷信、思い込みによって動かされます。
そのような中で、本書によって原子力発電そのものの安全性と、それを踏まえた上での総合的な安全性確保への課題を考えさせていただいたことは貴重です。
現実的な議論は、そういうところから始まるのだと思います。

ひたすら情緒的アピールとして、かつて反核運動というものがあったことを思い出します。
ダイ・インとか称して、デモ隊がいっせいに路上に倒れ込んで死者の様相を呈するという異様な光景でした。
情緒的な運動の極みでしょう。

そして今も、書店で原発のコーナーに行くと、反原発、脱原発の本は、いわゆる左翼的な言論人が集う出版社や新聞社から多数出版されていることに気づきます。
原子力発電は、戦争とは無関係のはずですが、やはり反原発は反戦思想と軸を一にするのでしょうか。
恐らく、反原発運動家は、反戦運動家と相当に重複するでしょう。

しかし、本書の最後の方に、著者は次のように書かれています。
「東京電力の技術者達は、この作業(廃炉等)に立ち向かう気概を持っています。その気概を実現させるのに必要なものは、費用と時間と、そして心の援助です。費用と時間は、今の日本ならば如何様にもなりますが、問題は心の援助です。」(327ページ)

いま福島の復興や廃炉等に向けて最も重要なのは「国民」(市民ではなく)の心の援助です。
一つ国の中で起きている事態に対して、「国民」の心の紐帯で支援する気持ちです。
たいへんですけど、頑張っていただきたいのです。

反原発運動家が目指すのは「国民」の分断でしょう。
東京電力や国家への憎悪を助長することによって。
彼らが心底、「再生可能エネルギー」や「環境」への信仰を持っているかどうかは疑問です。
それを真に受けるのは危険でしょう。
素朴な「環境信仰」によって、国民の分断に荷担していることに気づかない、お人好しもいることでしょうが。

その意味で、本書のような貴重な参考図書で科学の現実を学び、福島そして日本の原子力政策の再建に向けて建設的な議論をしていくことは重要と思います。

なお、本書には原子力発電の仕組みなど、基礎原理的なことは触れられていませんでした。
ですのでわたしは同著者の『原子炉の暴走』や他書を参考にさせていただいています。

以上、簡単ながら読後感でした。
ありがとうございました。

(2015.5.10 Oyaoya)
『生命の實相』の真理は未来永劫不変 
<2015.5.9 直次ぐ>

生長の家の神殿は、聖典『生命の實相』です。
『生命の實相』の真理は未来永劫不変です。
『生命の實相』は古い教えであるから、駄目、という本部講師や教化部長が現れましたが、それは、間違いです。
ローマ法王が代わるごとにカトリック教(旧キリスト教)の教えは変わりましたか?
変わっておりません。聖書は健在です。
浄土宗でたとえるなら、知恩院の御門主が代わったても、法然上人(元祖大師)の教え(浄土三部経・選択本願念仏集・一枚起請文・専修念仏)は不変です。
つまり、その宗教の教義(教え)・真理は、変わる事はないはずです。
キリスト教で言えば「聖書」は未来永劫不変の真理(教え)であり、
日本の仏教で言えば、国訳「大蔵経」(一切経)が未来永劫不変の真理(教え)であります。
教義(教え)は未来永劫不変だから、教祖が代わっても、変わるはずがないのですが……

生長の家の3代目総裁からその教え(生命の実相){唯神實相・人間は神の子である}が、180度変わりました。3代目は支持しません。

生長の家(他の派閥・団体)の組織には関わりたくありません。その理由は 権力闘争(主導権争い)としか、写っていないから、他の派閥の団体も支持しません。
住吉大神(すみのえのおおかみ)の唯神実相の教義が生長の家の教義だから、「実相」の教えを独りで勉強しています。
大乗仏教(日本の仏教)では、三宝(仏、法、僧)の仏(釈迦)に帰依し、法(釈迦の教え)を学び、・僧(修行者)を尊び、出家する(授戒する)。
つまり、三宝に帰依し、授戒することによって仏教徒になります。
今の生長の家は、三代目に中心帰一せよとの教えですが、その事にも、違和感を持っています。

仏教では、 仏(釈迦)→法(釈迦の教え)→僧(出家者、僧侶)です。
釈迦の教え(国訳一切経、各宗派の戒律)に中心帰一するからです。

生長の家で考えますと、仏(住吉大神・天皇陛下)→法(生命の實相・唯神実相)→僧(総裁・副総裁)になります。
「生命の實相」(唯神実相)に中心帰一すべきではないでしょうか?

岡 正章先生のお考えを、お聞かせいただけたら、有難く存じます。

(2015.5.9 直次ぐ)

    
 * * * * * * * * * *

 ――後日、「近況心境」のページでお答えさせて頂きます。 岡 正章 合掌
万物に神の祝福の声をきく 
<2015.5.8 Twinkle little star>

「みすまるの珠」、毎日拝見させていただいております。

私は最近某掲示板で下記の尊師のコトバを見つけました。
いつもこの様でありたいと思いました。
いつもここに立っていたいと思いました。

     * * * * * * * * * *

◇万物に神の祝福の声をきけ

 いつ、いかなる場合、何が自分を呼びかけて来ても、電話が呼びかけて来ても、訪問者があらわれて来ても、それに対談する場合には、

「神はこの電話(または人名)を通して私を祝福したもうのである。
 そして神の愛われに流れ入って私を通してこの人を祝福したもうのである」

 と念じつつ対話するのがよい。
 見るもの、聞くもの、それが花であろうとも、音楽であろうとも

「神はこの花を通して(または音楽を通して)私を祝福したもうのである。ありがとうございます」

 と念じつつ、その花を見、音楽を聴くがよいのである。そして

「神の愛われを通してこの花を、この音楽を祝福したもう」

 と更に念ずるのである。

     * * * * * * * * * *

岡先生の「近況心境」榎本恵吾先生の引用文の最後の「自分を拝みひとを拝む道であります」を具体的に示して下さっているように思いました。
ありがたいことです。一点のくもりも無い幸せはここにしかないと思えるようになったことがありがたいです。

わたくしはただ今、どの信仰組織にも属していません。
しいて言えば、直に神様に所属ということで赦されて生かされています♪

そしてまた、生長の家と名乗る人よりも、一般の私の周りにいる方たちのほうが、無限向上を生きていて真理を知っているのではないかと思うことが度々あります。不思議ですね。

宗教団体としての生長の家はどうなってしまうのでしょうね。
運動にロマンが全く感じられない団体になりましたね。

岡先生のご活躍を楽しみにしております。
どうぞ益々お元気で♪

(2015.5.8 Twinkle little star)

頑張っていただきたく 
<2015.5.7 ナオヒノミコト>

はじめまして

妻と子供3人を持つ男性です。
平成23年7月に生長の家に触れ、宇治の練成に多数回参加しました。
親・親族には、生長の家の人はいません。
1年ぐらい聖使命会員、相愛会にいましたが、脱会しました。
今は一人で毎日聖典を拝読しております。

縁あって、岡先生・榎本恵吾先生共著『光のある内に』、榎本先生著『弟子像』も手元にあります。

岡先生に、どうしても頑張っていただきたく、メールしました。
今回 岡先生がフリーになられたので、ますます本物を勉強させていただけるのではないかと思っております。よろしくお願いいたします。

ありがとうございます。

(2015.5.7 ナオヒノミコト)

多くの人に希望と感動を・・・
<2015.5.7 直次ぐ>

初めまして 40代後半になる者です。

大調和の神示「七つの燈台の点燈者の神示」を説いておられながら 兄弟不和と裁判係争中
――その事に矛盾を抱いて、教化部に質問しても、ナシのつぶてで、

「唯心論から唯物論の環境に教えが変わった事にも、嫌気がさして」

結局、平成21年に相愛会を辞めました(退会しました)。
現在、生長の家には 関わっておりません。無所属です。 
ひとり信仰「小乗信仰」です。

聖経「甘露の法雨」読誦と、聖典『生命の實相』を通読しております。

岡 正章先生の行動に賛同致します。

生長の家は、天皇国日本「天皇信仰」(鎮護国家)と谷口雅春大聖師の
生命の実相「唯神実相哲学」を説いてこそ 生長の家だと思います。

岡 正章先生に 生命の実相哲学「唯神実相哲学」と天皇国日本を
WEB(ホームページ)で講義し 説いて頂けたら 有難いです。

又、大変 厚かましいお願いですが、WEB(ホームページ)上で
個人指導していただけたら有難いです。

楠本加美野先生ウェブサイト「インターネット道場」のように
多くの人に希望と感動を与えて下さい。

(2015.5.7 直次ぐ)
応援しています
<2015.5.6 ミルキーウェイ>

合掌 ありがとうございます。
みすまるの珠、本当に本当に素晴らしいです。

岡先生、82歳……まだ81歳でいらっしゃいますかしら
毎日これだけのご文章をパソコンでお書きになられること、凄いです。
岡先生ほどの講師が命懸けで声をあげてくださったことに対し、本当に心から敬意を申し上げたいと思います。

岡先生は決して間違っておられません。
地方講師解任も納得できませんし、相愛会をお辞めになる事なんて断じてありません。
応援しています。

(2015.5.6 ミルキーウェイ)
これが聞きたかったのです
<2015.5.5 アイ>

 合掌 有難うございます。何時も 岡先生のご文章を読ませて頂き 喜びに満たされて 生かされている事に只々感謝ばかりです。

 榎本先生の常楽への道のご講話テープを聞かない日はありません。又、岡先生のお書き下さった真理の言葉も 毎日、拝読しております。

 これこそが、尊師の真の教えであったと もっともっと読みたい触れたい、言葉でうまく表現できませんが 実相、神、そのままでよい。これが聞きたかったのです。これを知りたかったのです。

 胸の奥がきゅんとしています。これからも、素晴らしいご文章を沢山読ませてくださいませ。再合掌。

(2015.5.5 アイ)

人類救済こそ宗教の役割では 
<2015.5.3 ミルキーウェイ>

合掌 ありがとうございます。
みすまるの珠、有り難く拝読させて戴いております。

私は幼少のころ、実の両親に捨てられ、里子で引き取って育ててもらいました。その家は熱心な生長の家のおうちでした。しかし、養父母ともに若くして、他界しました。
高校の時は生高連で『理想世界』100万運動に励みました。

老人福祉施設に就職して、独学で国家資格を取得し、結婚もして、1人娘を授かりましたが、すぐに離婚となりました。
ずっと生長の家を支えに生きてきて、地方講師にもなりましたものの、青年会時代、一緒に活動した同志たちはみんな退会し、私と59歳の男性ひとりが残っているのが現状です。

憲法改正、天皇国実相顕現、といったみ教えはどこへ……
地球環境問題もノーミートも絵手紙も大事です。でも、やはり人類救済こそ宗教の役割ではないでしょうか?

日本は侵略戦争なんてしていません。憲法も改正されなければなりません。しかし、骨のある地方講師は次々退会していき、残って幹部になっているのは今の教えしか知らない人たちばかり。
「総裁先生に中心帰一」ばかり言っています。
教化部長は誰が来ても、我関せず。講習会の質問の時間に憲法のことや集団的自衛権のことを質問しても、総裁先生は、政治的な質問には答えません……とばっさり。

数年前、講習会の質問で「天界の諸神は第何義の神ですか?」と質問しましたら、「二義です」と総裁先生は答えられました。三義だと思いますが、と教化部長にお聞きしても、「個人的には三義だと思うが、総裁が二義と言われたから今日から二義です」と言われ、教義さえ変わってしまうんだとため息が出ました。

昨今の異常気象、水害は人工中絶された赤ちゃんの涙であり、少子高齢化も中絶をするのが当然の権利になっている憲法の誤りだと、ある先生のご教示に、私は100%そうだと思います。

今、私はケアマネージャーとして、在宅介護の現場で使命を発揮しています。病める人、この世の使命を終えようとする人には、今の教えより、谷口雅春先生の説かれた、みおしえでしか救済出来ません。

こんな私は教区で浮いており、講師研修会やら色々な行事の案内は来ません。メガソーラーの募金のお願いだけは来ましたけど。

個人指導をお願いできたらありがたいなと思っています。

(2015.5.3 ミルキーウェイ)
光明化運動に於いては神意が中心 ということ
<2015.5.1 二代目一寸法師>

 本サイト公開の快挙に賛同し、心から敬意を表します。

 私は間もなく80歳になります。信仰歴は平成2年に入信し、平成18年に退会いたしました。いまは、生長の家とは一切関わっていません。

 さて、自分がかねてより疑義を感じていましたのは、(総裁への質問二)「中心帰一について」でありました。

 昭和33年2月14日「人類光明化運動指針」―生長の家各員の運動心得十三ヵ条―が発表され(『新編聖光録』)、翌々年2月15日『菩薩は何を為すべきか』谷口雅春・清超 著(日本教文社刊)が発行されましたが、いずれの“はしがき”にも「十三ヵ条」は、谷口雅春の書き下ろしたものではないと明記されています。

 例えば、『新編聖光録』の「人類光明化運動指針」の“はしがき”には、
(前略)本教各部の責任者相寄り、長期にわたってすべての聖典に根拠を求めて研鑽を遂げ、ここに「人類光明化運動指針」として、「生長の家各員の運動心得十三ヵ条」が出来上がったのであって、これは決して一個人又は数氏の創作ではなく、神意の体現として見るべきものである。(後略)

 とあり、次に『菩薩は何を為すべきか』の“はしがき”によりますと、
(前略)“人類光明化運動指針”と云うのは『生命の實相』はじめ其の他の私の著書の中より、菩薩を志すものが、現代の日本に生まれ来て如何に考え、如何に処すべきかにつき、其の菩薩行の精髄を抜萃して、それを数人の編纂者が文意を凝縮し章句を練って簡単なる十三ヵ条にまとめたものである。(後略)

 かくして「生長の家各員の運動心得十三ヵ条」は、生長の家創始者が書き下ろしたものではなく、いわば数人の「頭脳知」でまとめあげたものにちがいない。だからこそ仏教の三宝が示す「佛―法―僧」に倣って「生長の家 大神──御教──総裁・副総裁」とはせず、

“「生長の家 大神──総裁・副総裁──御教」。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である事を、生長の家人たるものは一瞬たりとも忘れてはならない。”(第九条から抜粋)

と、「光明化運動の中心(総裁・副総裁)を常に見失うことなく明かに自覚して行動すべきである。」と明示され、厳命されたのである。

 しかし第九条の条文には、
“如何にその人が有力者であろうと長年光明化運動に献身して来ようと、素晴らしき体験をもつ指導者であろうと、断じてその人を中心にしてはならない。” とあり、さらに後段にも

“光明化運動に於いては人は中心ではない。神意が中心である。” として、「人が中心ではない」との諫言が繰り返されています。

 いつの頃からか練成道場や教化部道場に【 生長の家 大神──総裁・副総裁──御教 】のタテ幕が掲げられるようになり、教化部長や講師会長らが『人類光明化運動指針 第九条』の講話をたびたび行うようになりました。おりふし、教化部長や講師会長に「総裁に中心帰一せよ、というが条文と解説が矛盾しているではないか」と問い質しましたが明解な返答はありませんでした。

 以下は私の推論に過ぎず、大きく的を外しているかもしれませんが、ご笑覧くださいませ。

 『新編 聖光録』や『菩薩は何を為すべきか』が上梓され発行された昭和三十年代初期は、戦後復興の途上にあり政治、経済、産業、社会も活況を呈してきました。一方、安保問題で学生を中心に左翼勢力の台頭が社会的に広がりはじめました。とくに教育、医療、報道機関等の労働組合の執行部には筋金入りの共産主義者が権力をにぎり、反米反日闘争を展開してきました。労働運動とは無縁の穏健な企業内にも引き揚げ者(ソ連や中国で洗脳された)が“忍び草”として存在していたこともありました。宗教界においても、“忍び草”的な人物が紛れこんでいた可能性もなきにしもあらずだと思います。

 さて、ここからは私の独断と偏見の妄想論でありますが、立教八十五年にして本来の宗教法人 生長の家と似て非なる団体に形骸化させた遠因は、『人類光明化運動指針』の「生長の家各員の運動心得十三ヵ条」を“本教各部の責任者相寄り”(『聖光録』人類光明化運動指針“はしがき”)、あるいは『菩薩は何を為すべきか』の“はしがき”にある“数人の編纂者が文意を凝縮し章句を練って簡単なる十三ヵ条にまとめたものである”と記されているように、「本教各部の責任者・数人の編纂者」が現代風に言えば“無作為の作為”がはたらいて、第九条の「生長の家大神─御教─総裁・副総裁」とするべきところを「生長の家大神─総裁・副総裁─御教」としても誰も誤謬に気づかず、今日まできてしまったことであると思います。

 既に教団を離れた一市井人がとやかく言うことも憚れますが、『菩薩は何を為すべきか』には、第十二條の解説に次のような記述もあります。

 (前略)この十三ヵ条の“人類光明化運動指針”が理事会の多くの人々の手で起草し推敲せられまして、最後に、それを決定版とする際に、理事会に私も出席するよう希望されまして、各箇条の案文を更に練ったのでありますが・・・(後略)

 当時の最高意思決定機関の理事会で、谷口雅春総裁が出席されて決定版が審議されていたとすると、出席されていたお歴々は、「光明化運動に於いては人は中心ではない。神意が中心である。」という条文がご理解できなかったのか、「総裁に中心帰一せよ」という現状は想定外だったのでしょう。

 それにしても第九条の条文を巧みに運用して、神意ではなく人(総裁・副総裁)を中心に据えた知恵者、いわば悪意ある受益者は誰なんだろか? 

  (2015.5.1 二代目一寸法師)

最近考えること―― 私の行動規範
<2015.4.30 Yamato>

 最近考えることをここに書かせて頂きます。ご一読頂ければ、幸いです。

(1)雅宣先生が青年会活動もあまりやって来られなかったのに、副総裁時代、総裁時代を通じて、組織改編され、反対者を追い出すなど、旧組織時代から営々と努力して来た旧幹部にとっては、部外者に乗っ取られ、疎外されたと感じて、別派を作り、そこにのがれざるを得なかったであろうと思いました。

(2) それを、うすうすとは聞き知ってはいましたが、私は、疎外された人々に深く思いを巡らすことは無く批判的な眼で見て来ました。ある先輩のお言葉の端々に別派の人々の無念さが感じ取られ、別派を作りたくなるのは本当に無理もないと思いました。しかし、次の文章を読んで、別派に入ることを断りました。

(3) その文章というのは、最近ある人に送った『限りなく日本を愛す』にある、谷口雅春先生と青年との問答の一節です。これが、現在の私自身の行動規範です。(谷口雅春先生著:下記では①で現します)

《問4》日本の歴史を振返る場合、残念ながら聡明なる天皇の連続とは言えないではありませんか。
《答4》【①75頁6行目】御見解は、それが現象面を見る限りに於いてはその通りであります。天皇を国民の心境の現れ、象徴として観ることは、(天皇は国民の心の影と観る、という意味)『生命の実相』哲学を読んだ人のみが首肯し得る議論であって、他に通用しない」と云われるのもその通りであります。それが政治論となり得ないで、高踏的な哲学に過ぎないとして捨て去られるのは、あなたの云われる通り「現在の日本人の政治水準の低さに帰する」のであります。(中略)吾々は家庭に於いて、放蕩乱行に耽る良人(又は父)を「神」として実相の完全さを礼拝し、無我になって、その良人(又は父)に仕えることによって、良人(又は父)の放蕩乱行が消えてしまって、実相の円満完全なる相(すがた)があらわれ、実に愛深くやさしく正しき良人(又は父)となった実例を知っているのであります。これは単に宗教的理論でもなく、神学でもなく無数の事実によって立証されている精神科学的事実であります。これを一般人類が承認し得ないで「生命の実相」哲学だけの理論だというのは一般人類の魂が幼稚であり成熟していないからであります。日本民族を一家族として見るとき、天皇は家長であらせられるのでありますから、家庭に於ける斯くの如き事実を見るとき、国民全体の精神的啓発が最も大切であります。(中略)すでに天国は実相世界に於いて成就しています。 それはすでにラジオ放送の波は今ここに来ているというのと同じことであります。しかしその放送を受信して現象界にあらわすには、受信セットの波長を、天国の放送にあわすように心のダイヤルを廻さなければならない。受信セットの波長に当たるものは「人類の心」であります。これは日本だけの問題ではありませんので人類全体を教養しなければならないのです。吾々が「生命の実相」哲学を懸命に全人類にひろめようと努力しているのは其の為であります。

《問5》日本の皇室は万世一系であるといわれるが甚だ怪しい万世一系ではありませんか。
《答5》【①77頁後6行目】(そう云われるのは)権威破壊を快しとする敗戦後の国民の自虐症状的症状のあらわれであります。(中略)私の説は、またあなたに「生命の実相」を読んだ人には首肯出来るかも知れないが、それは哲学論であって政治論としては、成立しない」と云われるかもしれません。しかし吾々の哲学は「象牙の塔」の中での空論ではないのであって、実生活に効果をあらわし得るのですから、哲学論であると同時に政治論にもなり得るのであります。吾々の哲学を実行するとき、それが継母(ままはは)であったとしても、それは実母のツギハハであって、理念に於いては「真実の母」の再現として礼拝するとき、「実の母」(初代総裁)としての理念が現象にあらわれて素晴らしい「完全なる母」が実現し、継母(ままはは)と継子(ままこ)との争いは消滅し、「完全なる家庭」があらわれて来るのであります。家庭は一国の縮図であります。
若し継母を継母として、反感を起し分離感を深めて行くことにすれば、家庭は争いの地獄と化し家は分散して滅茶々々になるのであります。それと同じく国民精神が統合さるべき国家の中心であり、日本「国」の理念の象徴であるところの天皇を、世俗の説や、巷間の権威破壊の「為にするところある万世一系破壊説」に重心を置いて、日本の誇りとして国民尊崇の対象となっており、これあるがために愛国心の結集するところの「中心」となるべき(万世一系の天皇)を汚す必要はないのであります。(中略)吾々の哲学を実行するとき、それが継母(ままはは)であったとしても、それは実母のツギハハであって、理念に於いては「真実の母」の再現として礼拝するとき、「実の母」としての理念が現象にあらわれて素晴らしい「完全なる母」が実現し、継母(ままはは)と継子(ままこ)との争いは消滅し、「完全なる家庭」があらわれて来るのであります。家庭は一国の縮図であります。 以上

(2015.4.30 Yamato)

この思考停止をいつまで続けるのか
<2015.4.25 Oyaoya>

合掌 ありがとうございます。

岡さんが生長の家を愛してこられ、生長の家を行動原理にして人生を進んでこられたことがよくわかりました。
このたびの「公開質問」は、まことにやむにやまれぬご提言と存じます。

驚きましたのは、原理主義を排するならば現総裁の文章にも盲目的に従うのは理屈に合わなくなるというご議論、
ムスビの原理に従うならば元幹部の皆さんとも和解するのが筋、ということでした。

また、原発問題では、貴重な論文を教えていただき、ありがとうございます。
「考証 福島原子力事故」、大部な専門書ですが、図書館にあると知り、取り寄せました。実に立派な本です。

私は今も相愛会長を続けていますが、自分の思考を止める以外に、現総裁の思考についていくことはできません。
この思考停止をいつまで続けるのか、私自身もわかりません。
生長の家が消滅するまで続けるのかもしれません。

これからどのようなことになるのかわかりませんが、しばしば思い出すのは、神社本庁の葦津珍彦先生がお亡くなりに
なる少し前に、生長の家について、谷口雅春という天才のすべてを継承することは凡人にはできない、
したがって、今後、各人が「これが生長の家の本質である」と考えるところをそれぞれが継承して、ゆるやかな連携を
結んでいくしかない、とおっしゃったということです。

いまはまさにそのようになりつつあるのかな、と感じます。
ただし、ゆるやかな連携ではなく、鋭い対立ですが。

お話しが変わりますが、私は先般、「オウムはなぜ消滅しないのか」という本を読みました。
オウム真理教のある被告(死刑囚)の弁護を担当した国選弁護人で、宗教学者である人の著書です。
オウム真理教はあのような事件を起こしながら、今も、少しずつ伸びているようです。
その理由は、出家による本気の修行など、現代仏教が忘れたものを提起しているから、ということになるようです。

生長の家とオウム真理教は比べものになりませんが、一つだけオウム真理教が優れていると思えるのは、
いまでも教祖の教えを守ろうとする点です。いずれ死刑が執行される教祖であるにもかかわらずです。

尋問した被告人たちの人となりを見ていると、教祖を信じ切っていた者、疑問を感じながらも離れる機会を失っていた者、まさかとは思いながらも教祖の神通力で世の中が変わるかもしれないと思っていた者、など様々ですが、凡人が宗教指導者の選択を誤る恐ろしさを感じます。
純粋な求道心から始まりながら、いつしか思考停止に陥る様は人ごとではないと思いました。
もっとも、超能力がほしいとか、悟りに至りたいとか、そもそもの出発点が低いとは思いましたが……。

とりとめもなく自分の考えを述べてしまいました。お許しください。再拝

(2015.4.25 Oyaoya)

実相光明 『光のある内に』
<2015.4.24 ニコニコ生>

四十五歳になる男性です。
教団からは離脱しております。今はどこにも属しておりません。
 
HPにてたいへん勉強させていただきました。ありがとうございました。
 
その中で、『光のある内に』の御本の存在を知りました。
検索してみましたらば、名古屋の古書店にあるのがわかりました。
少し高かったのですが、思い切って買ってみました。
その本が本日手元に届きました。
 
表紙裏に宇治のスタンプが押してあり、その隣に榎本恵吾先生の署名がありました。
 
一番上に1981.5.12とあり、その次にニコニコマーク、実相光明 恵吾、とありました。
 
(ニコニコといえば、それが描かれたタオルを持っていたはずだ、どこにいったろう…と思い出しました。
宇治で研修していた頃、確か30のときに頂いた物です。探してみようと思います。)
 
これからじっくり読ませていただきます。
 
思わぬ御神縁に感謝しております。ありがとうございます。再拝

(2015.4.24 ニコニコ生)

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