近 況 心 境

岡  正 章
534 無我=法悦ということ


 また、榎本恵吾師の 『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ― 「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―

 から引用させていただきます。第25番目の論文です。


≪ 「入龍宮不可思議」 とは、入龍宮が不可思議であるということである。「不可思議」 とは、思議そのものが不可すなわち無いことを意味し、これは思議そのもの、心そのものが、みずから 「私は無いのです」 との無我であり、消え切りの澄み切りの法悦そのものであるということなのである。これはいわゆる 「非思量底を思量する」 ということである。「非思量」 とは思量そのものが 「私はないのです」 とみずからの死に切りであり、消え切りであり、澄み切りの法悦であることを意味しているのである。

 私が味わった 「自分が無いということはそんなにも法悦そのものなのか<」 と感動せずにはいられなかったその尊師のお姿の輝きが、今日は、すべてのものに輝いていることを想ったのである。

 天地一切万物の一つ一つが 「私は無いのです」 とのみずからの消え切りの、死に切りの、澄み切りの法悦そのものであるのであった。太陽の如く明るく丸く、満面法悦そのものであるすがたにおいて輝いているのであった。



 山も川も草も木も、全身の細胞の一つ一つも、存在するものすべてが 「私は無いのです」 の法悦そのものであったのである。

 「無の門関」 とは門関みずからの消え切りの、死に切りの、澄み切りの法悦そのものであり、 「無の門関」 とは 「法悦の門関」 であることを感じたのである。

 天地一切に感謝し、礼拝するとはこの法悦を拝することにほかならなかったのである。その法悦の輝きに包まれること、浴することが感謝であることを知らされたのである。

 神想観そのものも消えているし、思念も消えているし、気合いも消えているのであった。

 「菩薩は来たって来たるところなく、去って去る所なし。過去、現在、未来に非ず」 とは、時間、空間そのものの、みずからの消え切りの法悦の充満の世界であったのである。自分を取り巻くすべてのものが、消え切りの、澄み切りの法悦であることが、自分を取り巻く全てが観世音菩薩のお姿であることなのであった。その法悦の輝きが尽十方にひろがっている様そのものが、そのまま尽十方無礙光如来の姿そのものであったのである。

 神癒祈願の名簿
(※ 注1)そのものが、斯くの如き観世音菩薩なるものの名簿であったのである。申込者の一人一人が、みずからの消え切りの、澄み切りの法悦そのものの尽十方充満の姿そのものであったのである。

 「私は無いのです」 ということが、何故そのような法悦であるのか。それは私には解らないが、神の子人間は限りなく、無我であることに憧れを持たざるを得ないのは、親様である神が 「無神」(※ 注2)であり給うからに違いないのである。

 「高天原に神詰まり坐
(ま)す」 とは、幽の幽なることにおいて、隠り身の消息において、神はみずからの消え切りの澄み切りの法悦であることにおいて、 「高天原に神詰まり坐す」 とは 「高天原に法悦詰まり坐す」 ということであったのであり、生長の家が高天原それ自体であることにおいて生長の家人類光明化運動がみずからの消え切りの、澄み切りの法悦そのものであることなのである。それが 「よろこびの光明化運動」 ということの基礎であること、その基礎が高天原にあるということは、まことにすがすがしくも、さやけくもありけるかなというほかはないのである。 「あなさやけ、おけ」(※ 注3) と歌いつつ、踊りつつ、また新しきよろこびの装いをして生長の家の人類光明化運動が新しき世紀となって天降るのを見るのである。(1998.7.25) ≫

 (※ 注1) 当時、榎本恵吾師は生長の家宇治別格本山の入龍宮幽斎殿で毎日、神癒祈願の祈りをされていた。
 (※ 注2) 『無神』 という榎本恵吾師著の冊子がある。その内容は、ウェブサイト「榎本恵吾記念館」の「文書館(2)」に収録されている。
 (※ 注3) 古事記や日本書紀、古語拾遺にも出てくる 「天の岩戸開きの神話」 の場面で、神々が歌った喜びの言葉が 「あはれ、 あなおもしろ、 あなたのし、 あなさやけ、おけ!」 である。「あはれ」 は 「あっぱれ」、「あな」 は 「ああ」 という感嘆詞、「おけ」 は囃子詞(はやしことば)。アメノウズメノ命が桶(おけ)の上に乗って踊られたからか?

          ○

 ―― 「無我 即 法悦」! 何という素晴らしいことでしょう!

 僕も、今から70年ちかく前の高校2年生から3年生になる間の春休みに、突然その 「無我法悦」 の体験をして、生まれかわった。そのことは、「疾風怒濤のわが青春記録より」 #2 「いのちの讃美歌」、 およびその #13 「いのちの火を燃やす」 などに書いた通りです。

 今、もう一度その青春時代に還って、「無我即法悦」 を忘れずに悦びの人生を生き切り、伝えて行こうと思います。


  (2019.11.21)

533 明仁(あきひと)上皇陛下・美智子上皇后陛下に捧げまつる鑽仰と感謝の詞(ことば)と歌


 奇しくもありがたくも、私は上皇陛下と同年に日本に生を享けました、草莽の一老人でございます。

 明仁上皇陛下・美智子上皇后陛下。このたびは、本当におめでとうございました。

 10月22日、新帝の 「即位礼正殿の儀」 が、世界186ヵ国の代表者を賓客として迎え、国内外から約2000人が参列し厳かに優雅に、そして悦びに満ちた雰囲気の中で執り行われました。盛大な祝宴も催されました。

 日本国中が喜び一色に包まれたようで、笑顔が満ちあふれました。前の日から降っていた雨は、即位礼が始めると晴れ上がり青空が出て、美しい虹が架かりました。

 天が祝福していると、感動しながら、私はそこには見えない上皇様・上皇后様の尊いお姿を思いました。

 この日を迎えることができたのは、上皇様の深い強い思いやり、 「忠恕」 のお気持ちと、固いご決意・ご行動、そしてそれを支えつづけられた上皇后様の御献身があったからにほかならないと思います。

 上皇様は3年前、平成28年の8月8日、「象徴としてのお務めについて」 というお言葉を述べられ、ビデオメッセージとしてテレビを通じて全国民に放送されました。

 そのとき、陛下が述べられたお言葉の中で、次のように仰せられていました――


≪ ……即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で 「象徴」 と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間
(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。

 私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。

 天皇が象徴であると共に、「国民統合の象徴」 としての役割を果たすためには、……常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。

 こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。

 皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行なって来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、

私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。……


 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。

 更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯
(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。

 その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。……

 憲法の下
(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。

 国民の理解を得られることを、切に願っています。≫


 と。

 上のお言葉は、上皇様の深い御心の叫びであったと思います。

 そのお言葉に、国民の大多数が感銘し、動いて、今日のよろこびの日を迎えることになりました。これはまさに、上皇様の強い慈愛の御心の結果です。


≪ 昭和から平成への代替わりは昭和天皇の崩御がスタートである。言うなれば、葬儀とお祝いを一緒にやるようなもので、昭和天皇をしのぶ葬儀に重きがあった。平成の即位の行事は大々的にはやりにくく、今とは雰囲気がだいぶ違った。≫

 と、当時官房副長官として喪儀と即位礼の準備采配に携わった石原信雄氏が日本経済新聞の 「私の履歴書」 に書いておられましたが、まさにそういうことだったと思います。


 上皇様のビデオメッセージが国民にひろく受け入れられたのは、上皇様がまさに 「全身全霊をもって」 「象徴の任務」 と考えられたことを実践されているお姿を、テレビなどを通して拝していたからでしょう。

 大きな災害が起こるたびに、上皇様は上皇后様とともに被災地を訪問され、膝をついて被災者一人一人にお言葉をかけ激励されました。それは昭和天皇までの時代には考えられなかったスタイルで、側近たちを驚かせました。

 日本経済新聞4月27日付の 「平成の天皇と皇后 30年の歩み(51) 最終回」 で、皇室関係担当編集委員の井上亮
(まこと)氏は次のように書いていました。

≪ 災害被災地訪問は 「1ヵ所に行くと、すべての被災地に行かなければ不公平になる」 と疑問視された。膝をついてのお見舞い批判は表層的なもので、これこそ本質的問題だった。「天皇の強い希望で」 と語られている海外慰霊の旅も、外国訪問は政治が絡む。天皇の意思が前面に出ることは憲法に抵触するという見解もあった。

 昭和時代には考えられなかった天皇像に対する抵抗を “力業” で突破し、自身の信じる道を貫き通すには、屈しない意思が必要だった。

 他者を思い、ときに傷つきながらも寄り添う。国民は、そこに献身と真心を見た。その静かな積み重ねと天皇陛下の強い意思が、200年閉じていた退位への扉を開かせたのだろう。……

 平成の天皇と皇后の30年の歩みの到達点は、まぎれもなく国民の象徴であった。


 と。

 井上亮氏はまた、『平成と天皇』 (半藤一利・保阪正康・井上亮 共著) の中で、

≪ 私も何ヵ所も被災地訪問に同行しましたが、天皇、皇后が来る前までは被災者はみんな暗い顔をしているんですよ。被災したんだから、あたりまえですよね。でも、天皇、皇后が来るとみんな、わっと拍手して、表情がぱっと明るくなる。それは事実です。

 それで、「何でうれしいんですか」 と質問したら、「それはいろいろあるけれども、あれだけの方が自分の目の前に来てくれたという感動がある」 と、みんないうんですよ。そして 「天皇、皇后が来るぐらいだから、ここは日本中が注目してくれているところだ。自分たちは見捨てられていない。忘れられていない」 と感じるというんですね。東日本大震災の被災地の方たちも、やはり同じことをいうんです。

 平成の初めのころには、危うい行動だという見方も一部にあったんですが、いまではそういう声はまったくなくなりました。≫


 と言っています。

 平成24年2月に上皇様は心臓手術を受けられましたが、その翌月に行われた東日本大震災一周年の追悼式に出られました。そのときのことを、渡辺允
(まこと)元侍従長は次のように語っています(日本経済新聞 今年2月25日付)

≪ 皇后さまは和服で出られた。初めてですよ、ああいう公式の場では。なぜ和服かというと、ハイヒールよりも草履の方が安定感があるからです。もし陛下が倒れるようなことがあったら、自分が支えなければならないというお気持ちだったと思います。≫

 上皇様は、ご自分の身の安全よりも使命感を優先され、使命達成のために命をかけてこられたのですね。


 現行憲法は、日本がポツダム宣言を受諾し連合軍の占領下にあって日本の主権が制限されていたときに、マッカーサー連合国軍最高司令官がわずか1週間で作らせた英文の草案ををもとにして作られた、占領基本法ともいうべきものであり、これは国際法に照らして独立回復後は無効とすべきものだという論があり、私もそれが正しい筋ではないかと思ってまいりました。

 しかし、戦争の悲惨さを身をもって感じられ、戦争のない世界、平和を切に願ってこられた上皇様は、現行憲法を受け入れられ、その第一条

 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」

 という文言を生かしながら皇室の伝統を守り続ける道を考えぬかれました。そして、

 「伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくか」 (上皇様のビデオメッセージより)

 それを、命がけで考え、それを実践してこられたのですね。

 その 「象徴」 とは、常に身を捨て己を無にして国民の心に寄り添い、国民との絆を深めて、国民統合の接着剤のようになられる、ということではなかったかと拝察いたします。そしてその上皇様の思いは結実して、現在の日本があるのではないでしょうか。


 終戦直後アメリカ国内では、皇室を即刻解体廃止すべきだという意見が多くあった。けれども、占領軍は時間をかけて皇室の首元を徐々に絞める方法を選び、天皇という位を 「象徴」 に過ぎずと憲法の中に定め、無力な飾りものとし、その地位は 「国民の総意」 によるとした。占領軍は 「象徴」 という言葉で天皇と皇室を崩壊させようとしていたのではないかと思われます。

 しかし、上皇様はその占領軍の意図を見事に粉砕してしまわれました。「象徴」 を単なる無力な飾りものではなく、「いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていく」 ものに変貌させてしまわれました。

 このことは、実に偉大な、新しい平和な時代をひらく大仕事であったと思います。

 上皇様は、憲法上の 「象徴」 が何を意味するか、何も決まっていない中で、新しい 「象徴」 像を作り上げられました。新しい皇室像を作り出されました。これは、たいへん大きな歴史的意味をもちます。

 いま、新天皇陛下は、新皇后陛下とともに、上皇陛下・上皇后陛下が命がけで築かれた皇室の理想像をしっかと受け継ぎながら、世界に向かってさらに新しい歩を進めて行くと決意されています。

 上皇様は 「象徴」 としてのお務めを果たし終わられて退位なさり、表に立たれることは少なくなりました。おさびしい思いも少しはあられるかも知れませんが、それよりも大きな達成感、幸福感にひたっていらっしゃるのではないかと拝察申し上げます。


 上皇様は、平成30年12月23日、御在位中最後のお誕生日に、

≪ 象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います。≫

 と述べられました。

 わたくしは、勿体なくも 「国民に感謝する」 と仰せられました上皇様のお言葉に、震えるような感動を覚えます。

 それは国民の方から――わたくしの方から申し上げなければならない、尊いお言葉でございます。

 上皇様の深く尊いご慈愛と強いご意志、御いのちがけのご実践ご行動の結実として、今日のこの悦びの日を迎えることができております。その感謝の気持をあらわす言葉もございません。

 ただ、「ありがとうございます。ありがとうございます。」

 この千載一遇の歴史的新時代の変わり目に生かされてまいりました幸せをかみしめ、上皇様の尊いご業績を鑽仰し、わたくしもまた、少しでも上皇様の御心・御すがたに近づくことができますよう、努力研鑽させて頂きますことを心に誓いながら、衷心より感謝のことばを申し上げさせて頂きました。

 上皇陛下・上皇后陛下。これからも末永くお健やかに、日本と世界の平和と発展のためにお祈りお導きください。

 ありがとうございます。ありがとうございます。

 合掌礼拝




  (2019.11.9)


532 世界の宝、宇宙の宝である天皇陛下の御即位礼を天が祝福したまう




≪ 高御座(たかみくら)とは、天上の日神(ひのかみ)の居られる場所と、同一な高い場所といふ意味である。

 御即位式に昇られる高御座は、天
(あめ)が下の神秘な場所、天上と同一な価値を持って居る場所、といふ意味である。

 天子様の領土の事を天が下、天子様の御家の事を天の帝
(みかど)といふのは、天上の日の神の居られる処と、同一な価値を持って居るところ、といふ意味である。

 高御座で下される詞
(ことば)は、天上のそれと全く同一となる。だから、地上は天上になる。天子様は、天上の神となる。≫

 と、折ロ信夫
(おりぐち・しのぶ)氏は 『大嘗祭の本義』 で論じていられる(四宮正貴氏 『政治文化情報』 第408号〈令和元年10月25日発行〉より)

 「天上」 とは実相世界すなわち 「久遠の今」 なる、時空未発の根源世界であり、 「中
(みなか)」 なる天津神(あまつかみ)いますところである。そしてイエス・キリストが言った 「みこころの天に成る世界」 である。

 「久遠」 即 「今」 であり 「天上」 即 「地上」 である。「今ここ高天原
(たかあまはら)」 「神の国」 なのである。

 大東亜戦争敗戦の翌昭和21年(1946)1月1日、「天皇の人間宣言」 と世にいわれる詔書が渙発された。その5日後の1月6日朝、谷口雅春先生は啓示を受けられる。「大和の国の神示」 と称される。これは当時占領軍の厳重な言論統制下にあって原稿を没収され米国に持ち去られていたものを、資料館の厖大な資料の中から昭和56年(1981)に高橋史郎氏が発見してコピーを持ち帰ったのである。


≪    大和の国の神示

 われ再び大日本 天津日嗣
(あまつひつぎ)天皇(すめらみこと)と云う意味について語らん。

 天孫降臨
(てんそんこうりん)と云うことは天の父のみこころが天降(あまくだ)って、天(あめ)が下ことごとくが一つの光の世界になり、大和(だいわ)、平和の世界があらわれると云う意味の象徴的表現である。

 日本民族が世界を治めるのではなく、『天孫
(てんそん)』 すなわち 『天の父のみこころ』 が全世界を治める時期が到ることである。これがイエスの 『主の祈り』 にある御心(みこころ)が既に成る世界の意味である。それが真(まこと)の大日本(ひかりあまねき)世界国(せかいのくに)である。

 大日本 天津日嗣
(あまつひつぎ)スメラミコトとは固有名詞ではない。理念の表現である。

 「大日本」 すなわち 「ひかりあまねき」、「天津
(あまつ)」 すなわち 「天の父の」、「日嗣(ひつぎ)」すなわち 「みこころを嗣(つ)ぎたまえる」、「スメラミコト」 すなわち 「天降(あも)りましたる帝王」 と云う意味である。天の父のみこころが全世界に光被(こうひ)してあまねく平和になる世界になれば、それが本当の大和(だいわ)の国である。それが本当の大日本 天津日嗣(あまつひつぎ)すめらみことの治(しろ)しめし給う世界である。(昭和21年1月6日朝の啓示による)≫


 谷口雅春先生は著書 『大和の国日本』 の中で、「大和の国の神示」 講義として次のように説かれている。

≪ 「天津日嗣
(あまつひつぎ)」 の “天津” とは、天津神(あまつかみ)すなわち 「実相の神」 のことでありますが、本源の神としては天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)様を申し上げ、これが陰陽二つの働きに分れて見れば高御産巣日(たかみむすびの)神様と神産巣日(かみむすびの)神様の二柱の神様のことを申し上げるのであります。

 つぎに “日嗣
(ひつぎ)” というのは “日” は即ち “霊(ひ)” であって 「霊的理念」 のことであります。従って 「天津日嗣」 とは、天之御中主神の中心帰一の原理であるところの 「中(みなか)」 の理念を承け継ぐということであります。……

 私は、天皇さまを、実相を直視して全知全能の神の御現われであるというように今も考えているのであります。そしてアインシュタインがいみじくも言った如く世界連邦が成立し、誰をその連邦の神聖な中心にすべきであるかというと、自然に日本天皇がその首座に推されるほかはないと信ずるものであります。≫


 と。(アインシュタインの言については、#351#357#358 をご参照あれ)

          ○

 このたびの日本 新天皇即位の礼は、単に日本一国だけの天皇即位礼ではなかった。

 
世界の天皇即位礼であった。

 10月22日、天皇陛下が即位を国内外に宣明した 「即位礼正殿の儀」 には世界186カ国の代表者が参列した。日本政府は国家として承認する195カ国のうちシリアを除いて招待し、9割超が出席した。国連加盟国は193カ国で、日本と日本が承認する国の計196カ国は国連加盟国の数より3カ国多いのである。

 即位礼正殿の儀への参列国の数は1990年の平成への代替わり時と比べ20カ国以上増えた。前回は約160の国の代表者が参列した。当時日本が承認していた国は165で、平成の30年間に30カ国も増えた。(日本経済新聞10月24日付による)

 10月23日付日経紙は、

 
「即位礼、海外でも関心  CNNが生中継 人物像にも注目」

 と題して、次のように報じている。


≪ 「即位礼正殿(せいでん)の儀」 について海外メディアも高い関心を持って報じた。

 米CNNテレビは30分近く即位礼を生中継し 「長年にわたり伝統が受け継がれている」 と伝えた。

 韓国のテレビ局YTNや聯合ニュースも天皇陛下のおことばを伝えた。

 香港紙サウスチャイナ・モーニングポストは 「第2次世界大戦後に生まれた初の天皇だ」 と報じた。

 各メディアの報道では、天皇、皇后両陛下の人物像も注目を集めた。

 仏ルモンド紙は 「悠々として現代的な二人」 と表現。

 英BBCは皇居前に集まった人々の声を紹介し 「より身近な存在として感じている」 と伝えた。

 海外での経験を生かした皇室外交に期待する声も挙がった。

 BBCは天皇陛下が英オックスフォード大に留学されていたことや、5月のトランプ米大統領とメラニア夫人との面会で、皇后さまが流ちょうな英語を披露したエピソードを取り上げた。

 ロイター通信も 「ハーバード大学で教育を受けた皇后」 と強調した。

 台風19号による各地の被害を受け、政府は祝賀パレードを11月10日に延期した。中東の衛星テレビ局アルジャズィーラは 「お祝いムードは台風によって和らげられたが、式典が始まった時に空が晴れた」 と歓迎した。

 BBCは 「式典が始まったとたんに激しかった風と雨がやんだ」 と伝え、式典直前に虹が架かったというツイッター利用者の投稿写真を電子版に掲載した。≫

              (2019.10.23 日本経済新聞より)


 本稿冒頭の写真をご覧あれ。

 降り続けた雨は儀式直前にやんだ。

 「ここに即位を内外に宣明いたします」。

 雲間から日が差し込むなか、静まり返った皇居・宮殿 「松の間」 に天皇陛下の声が高らかに響いた。

 22日執り行われた 「即位礼正殿の儀」。

 陛下は正面を見据え、ひと言ずつかみしめるようにお言葉を読み上げられた。

 国内外から招かれた賓客は厳粛な面持ちで儀式を見守った。


 そのとき、都心には大きく美しい虹がかかっていたのである。

 それは、たまたま、偶然だよ、と言う人もある。

 しかし僕は、まったくの 「偶然」 というものはない と信じている。


  (2019.10.31)


531 「スメラミコト(天皇)高御座(たかみくら)に坐し給う」


 僕はここ3ヵ月あまり、原則として毎朝6時すぎに近くの善福寺公園という水源池のある公園に行き、ラジオ体操などをしたあと、この池の中洲に祭られている水神の祠の前に立ち、「大日本神国観」 の神想観を続けてきた。

 「大日本神国観」 では、招神歌を唱えて次のように念じる。

≪ 吾れ 〈すべてのもの〉 今、五官の世界を去って実相の世界に入(居)る。

 はるばると目路
(めじ)の限り眺むるに十方世界ことごとく神なり。吾れ十方世界を礼拝す。

 天よ、ありがとう。地よ、ありがとう。空気よ、ありがとう。火よ、水よ、温みよ、冷たさよ、天地一切のもの神の顕われであります。ありがとうこざいます。

 中央にスメラミコト
(すべてを統べたまう澄み切りの中心者である天皇陛下)の御座(ぎょざ)あり、スメラミコト高御座(たかみくら)に坐し給う。

 皇祖皇宗の御神霊とともなり。

 これをめぐりて百官もろもろの司
(つかさ)あり、すめらみことに向かいて礼拝し奉行(ぶぎょう)し奉る。

 十方に八百万
(やおよろず)の神々あり、護国の英霊あり、十方の諸仏あり、諸天あり、スメラミコトに向いて礼拝し守護し奉る。

 スメラミコトの御座より御光
(みひかり)さし出でてあまねく六合(りくごう=くにのうち)に照り徹(とお)らせり。

 六合照徹
(りくごうしょうてつ)光明遍照、六合照徹光明遍照……

 すべての生きとし生けるもの、すべての青人草
(あおひとぐさ) スメラミコトを仰ぎ見て礼拝し讃嘆し感謝し奉る。

 天皇陛下、ありがとうございます。ありがとうございます。
 皇祖皇宗の御神霊、ありがとうございます、ありがとうございます。
 百官もろもろの司
(つかさ)様、ありがとうございます。
 十方、八百万の神々様、護国の英霊様、ありがとうございます、ありがとうございます。
 十方の諸仏・諸天様、ありがとうございます。ありがとうございます。……

 ……既に大宇宙の救済は成就せり。金波羅華
(こんぱらげ)実相の完全円満の相(すがた)、地上に隈(くま)なく反映し実現して中心帰一、万物調和の永久平和の世界今現ず。

 一切の生物ところを得て争う者なく、相食
(は)むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし。

 実相・現象 渾然
(こんぜん)一体、実相・現象 渾然一体……

 みこころの天に成る世界、既に地に成就せり、ありがとうございます。ありがとうございます。≫


          ○

 さて、現行日本国憲法では、

≪ 第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。≫

 とある。

 「象徴」 とは何か――それは #513 で書いたように、一般的には

 「直接的に知覚できない概念・意味・価値などを、それを連想させる具体的事物や感覚的形象によって間接的に表現すること。また、その表現に用いられたもの。例えば、ハトで平和を、王冠で王位を、白で純潔を表現する類。シンボル。」

 と、『大辞林』 にある。

 親指を立てて男または夫を表し、小指を挙げて女、妻あるいは情人を表すのも象徴である。

 わが家には割合大きな仏壇を設けてあり、その最上段中央に阿弥陀如来像を安置してある。

 阿弥陀如来とは、尽十方無碍光如来すなわち宇宙のあらゆるところに遍満し、遮るものなくすべてを照らし生かし給う大慈悲なる大生命である。それは直接的に知覚できないから、仏像という具体的な形象物をその 「象徴」 として安置し、仏像を拝する形をとって宇宙大生命を拝しているのである。

 宇宙大生命は凡ゆる所に遍満しており、人間が生きているのも、宇宙大生命(神と言っても、仏と言ってもよい)が生きているのである。人間の生命は神(仏と言ってもよい)の生命である。人間は本来神であり仏である。それ故に宇宙大生命を拝するとは、己自身を拝することである。

          ○

 仏像が仏(宇宙大生命)の象徴であるように、人間の肉体も人間生命(魂)の象徴であると言ってよいだろう。

 僕は今朝も6時ごろから、3kmほど離れたところにある善福寺公園まで自転車で行き、池畔の広場でラジオ体操をした後、水神様の前で大日本神国観を行じてきた。

 この時間帯、このあたりは “高齢者銀座” と言ってもよいほど、元気で生きるのに意欲的なお年寄りたちがいっぱい、ウォーキング、ランニング、ラジオ体操などをしているのである。

 僕はそうした人たちの姿を見ながら、その肉体の姿は魂の象
(かたち)、象徴だと感じる。

 いや、人の姿だけではない。池畔にみずみずしく咲く色とりどりの花たちも、欅
(けやき)などの木々たちも、みな宇宙大生命の表現である。

 それらが皆、互いを生命の兄弟として祝福し合っているのである。

 それら目に見える象
(かたち)あるすべてのもは、目に見えぬ生命の象徴と言ってもよいのではないか。

 「山川草木国土悉皆成仏」 である。


          ○


 上皇となられた平成の天皇は、現行憲法を受け入れ、次のように述べられている(平成28年8月8日、国民へのビデオメッセージより)。

≪ ……日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 (中略)

 私が天皇の位についてからほぼ28年、私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。

 私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。

 (中略)

 皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行
(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。…(後略)…≫


          ○

 いまでは多くの国民から支持されているその天皇の 「あり方」 は、当初は昭和時代との比較でかなりの違和感を持たれ、抵抗にあってきた。

 災害被災地訪問は 「1カ所に行くと、すべての被災地に行かなければ不公平になる」 と疑問視された。

 膝をついてのお見舞い。「天皇の強い希望で」 と語られている海外慰霊の旅も、外国訪問は政治が絡む。天皇の意思が前面に出ることは憲法に抵触するという見解もあった。

 昭和時代には考えられなかった天皇像に対する抵抗を "力業" で突破し、自身の信じる道を貫き通すには、屈しない意思が必要だった。

 昭和の前例をそのまま踏襲する方がずっと楽だったはずだ。しかし、近代以降の天皇に要請された役割をよしとせず、人間的で人々に寄り添う 「国民の象徴天皇」 像を追い求め、実践してこられた。

 それは命がけの 「戦い」 でもあったのである。

 僕は思う。スメラミコト天皇は、理念的にいうと、すべてを知ろしめし統べたまう、無私で 「スミキリ(澄み切り)」 の中心者であり、宇宙のあらゆるところに遍満し、遮るものなくすべてを照らし生かし給う大慈悲なる大生命すなわち仏教的に言えば阿弥陀如来にあたる御存在ではないか――と。

          ○

 その平成の先帝が本年4月30日をもって退位され、5月1日に令和の新帝が即位されて、本日は即位の大礼が執り行われる。

 天皇陛下が即位を国内外に宣明される 「即位礼正殿の儀」 は、世界約180カ国と国際機関の代表らを含む国内外の賓客約2千人が出席する中で、

 
「スメラミコト高御座に坐し給う」

 という 「大日本神国観」 で唱え祈りつづけてきた御すがたが、如実に現実に顕現されるのである。

 まことに千載一遇の有難き日である。

 「天津日嗣
(あまつひつぎ)の高御座(たかみくら)
 千代万代
(ちよよろずよ)に動きなき
 国のみはしら建てし世を
 仰ぐ今日こそ 楽しけれ」

 と 「紀元節の歌」 で歌ってきたおすがたの顕現である。


  (2019.10.22)


530 「自律的中心帰一」 と
ラグビーW杯日本チーム



 <拙詠> ラグビーのワールドカップ日本は皆が主将で 「自律」 の強さ

        ラグビーのワールドカップは魂熱
(たまあつ)し 日本猛進 夢は優勝

          *

 今年の日本チームについて、日経紙はつぎのように書いていた。

≪ 「自律」 の理想のもと結束した国際色豊かな日本の選手たち。9月28日、アイルランド戦の先発15人の中に主将リーチ・マイケルはいなかった。前半途中から出場したが、監督が試合中に出せる指示が限られるラグビーで 「グラウンド上の監督」 ともいえる主将を先発から外すこと自体、過去の代表ならありえない決断だった。

 上意下達がもっぱらの日本のスポーツ界にはめずらしい、「選手自身が動かすチーム」 ならではの選択。主将不在の間もグラウンド上の選手たちは揺るがない。“代理主将” ピーター・ラブスカフニを支える強固なスクラムが組まれていた。

 コーチ陣や一人の主将に頼らず、リーダーシップを共有した選手たちが試合中に問題を解決する。ヘッドコーチのジェイミー・ジョセフは母国ニュージーランドの流儀に習った自律的なチームを求め、様々な工夫を選手に落としこんでいた。

 指示によらない戦術転換を、ジョセフは 「時間がないときの判断は難しい。その力がついてきた」 と喜んだ。

 前回大会で3勝を挙げた4年前のチームは、元高校教師のヘッドコーチ、エディー・ジョーンズによって厳格に管理されていた。大の大人が1日4度の 「昼寝」 を義務づけられる。指示も細かく、午前3時に叱責のメールが選手の携帯電話に届く。戦術面の禁止事項も多かった。

 今回は違う。「自分たちでつくり、進化したチーム。今までよりさらに誇れるチームになった」 という。≫


 と。また、海外出身者が15人と、過去最多で、他競技を見渡してみても、これほど 「多様性」 をキーワードに語られる日本代表はかつてなかった。その重要性を最も理解しているのが、ニュージーランド出身で日本に帰化した主将、リーチ・マイケルだという。

 島国で同質性の高い日本人は、いわゆる 「あうんの呼吸」 でコミュニケーションが成り立つ。これに対して移民なども多い欧米では、何事も言葉できちんと説明する必要がある。「あうん」 では細かいことを詰められない。外国人が入ると、必ず言葉にして、数値化、視覚化するコミュニケーションをとるようになるので、プレーの精度が上がる。それが今の代表の強さになっている、ともいう。


 これは、野中郁次郎氏のいう 「形式知と暗黙知の相互作用」 だ。

 暗黙知だけで明確な言葉による伝達がないと、旧日本軍のような失敗がおきる。「組織的知識」 は、相補的な関係にある形式知と暗黙知の相互作用という 「ダイナミクス」 がくり返し起こることで創造される、ということの証だと言えよう。

          *

≪ ラグビーワールドカップ(W杯)で、にわかラグビーファンが急増している。恥ずかしながら、自分もその一人。学生時代は大好きで記者1年目はラグビー担当だったのに、1990年代半ば以降、仕事以外ではテレビ観戦することもほとんどなくなった。それが今、13日の日本代表対スコットランド代表戦が待ち遠しくて仕方がない。

 ラグビーへの関心が薄れたきっかけは、日本代表が95年W杯でニュージーランド代表に17-145の大敗を喫したことだったと思う。世界とのレベルの差を見せつけられ、国内の学生や社会人の試合も見なくなった。

 それ以上に失望したのは、ラグビー日本代表が求心力を失ったことだった。10年ほど前、代表は日本のラグビー選手の誰もが目指す目標ではなかった。代表で活躍するより所属チームでの活動を優先する選手も目立った。当然、そんな代表チームにはファンの支持も広がらない。


 ……今、自国開催のW杯を戦う日本代表からは、そんな時代があったことなど想像もできない。一人ひとりの表情や態度から、このチームや仲間が大好きで、その一員としてプレーすることの誇りと喜びが伝わってくる。 ラグビーという競技の特徴もあるだろうが、驚くほどの一体感と求心力を感じる。そんな代表チームが国籍にとらわれず、日本のラグビー界で活躍する異なる国、地域の出身者たちで構成されていることも頼もしい。

 さまざまな個性が心を寄せて力を結集する。これからの社会が目指す姿を示しているというのは言い過ぎだろうか。(編集委員 北川和徳)≫



 という同紙のコラム記事もあった。

          *

 組織とは、生命体である。

 生命体には必ず、一つの中心がある。中心がなくなれば死んで腐ってしまう。

 生命体を生かす中心は、必ずしも目に見えるすがたを表していなくともよい。

 目に見えなくても中心があって、周辺のすべてが自律的にその中心につながり中心を生かすように生長し、繁栄しているのが生命体ではないか。

 日本国家も、総体的・概括的に見れば、天皇は常には表面に出られることなく隠れて祈られる存在であったが、民は安心して自律的に全体のために奉仕し、長く続いてきた。それで諸々の危機はあっても乗りこえて滅びることなく、概ね安定して幸福に生きてきたと言えよう。

 それゆえ日本の最古典 「古事記」 の冒頭には

 
「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かみむすびのかみ)。此の三柱(みはしら)の神は、並(みな)独神(ひとりがみ)成り坐(ま)して、身(みみ)を隠したまひき。」

 (「独神」 とは相対するもののない唯一絶対の神であるということであり、「身を隠し給ひき」 は、相対の世界からは姿を消してしまわれたということ)


 と記されてあり、聖徳太子十七条憲法の第一は

 
「和を以て貴しと為せ」

 であり、明治天皇の 「五箇条の御誓文」 には

 
「一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
  一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ
  一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦マザラシメンコトヲ要ス
  一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ
  一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ」


 とあるのである。

 ここに真の民主主義があり、組織活性化の道があり、勝利への大道があるのではないか。

 それが、

≪ 生長の家の組織とは中心をもつところの渾ての渾てなる組織であり、絶対の組織であり、組み合わせて出来上がる組織ではなく、組織それ自体で組織である在りて在る組織なのである。金波羅華(こんぱらげ)實相組織ということである。組織紋理整然中心帰一万物調和の相(すがた)が生長の家の組織そのものなのである。≫

 と榎本恵吾師の言われるすがたであり、生長の家人類光明化運動のあるべき組織のすがたなのではないか。

 それが、「組織活性化の道」 であり 「勝利への大道」 であるならば、それを証
(あかし)しなければならない。すなわち、それを実践することによって、地上天国が自ずから現成して行くことを実証する。それを、後世に立派な遺産として遺して行くことが、生長の家の御教えに触れて今生かされているわれらの使命ではないか。


  <つづく>


  (2019.10.11)


529 ラグビーの熱戦ゲームさながらに 「知識創造」 組織動力学


 いま、ラグビーのW杯日本大会で日本チームは優勝候補のアイルランドを破り金星を挙げるなど素晴らしい健闘ぶりを見せ、今夜は対サモアの第3戦だ。熱戦が続き諸外国からの観戦観光客もふえて、ラグビーへの関心が高まっている。

 ところで野中郁次郎氏 「知識創造経営」 理論のルーツは、最初1986年に 「新しい新製品開発ゲーム」 と題して発表した論文で、日本企業の新製品開発の速さと柔軟性を描き出すのに、「ラグビー」 の比喩を用いた。開発中の新製品を、一団となって走るチームがパスしながら進めるラグビーのボールに見立てたのである。



 当時、1970~1980年代は、日本企業の新製品開発力がすさまじかった。僕はずっと日経紙(日本経済新聞)を愛読しつづけているが、当時は同紙の新製品紹介欄に毎日次々と新しいすぐれた電子機器、映像・音響機器、家電製品などが発表されているのを、驚異の目をもってわくわくしながら読んでいたのを思い出す。日本企業の新製品開発力はすごいものだなあ――と感嘆の思いをもったものだ。

 なぜ日本企業は成功したのか。日本企業の新製品開発のスピードが桁違いに速い理由はどこにあるのか。それは多くの西洋人にとって謎であった。野中郁次郎氏と竹内弘高氏は、それに対する答えとして、長年の研鑽の結果を1995年に英文でまとめ上げオックスフォード大学出版部から出版されたのが “The Knowledge Creating Company”(邦訳 『知識創造企業』)。これはピーター・ドラッカーやマイケル・ポーターといった著名な経営学者の讃辞推薦を受け米国でベストセラーとなった。そのあとで邦訳書 『知識創造企業』 が東洋経済新報社から出されたのである。

 邦訳書の序文と第1章の一部を要約抜粋してご紹介すると――

          *

 
≪……ラグビーのアナロジー(たとえ・類似点)を続けよう。

 (ラグビーの)チームがパスでまわすボールの中には、会社はなんのためにあるのか、どこへ行こうとしているのか、どのような世界に住みたいのか、その世界はどうやって実現するのか、についてのチーム・メンバーの共通理解が入っている。きわめて主観的な洞察、直観、勘などもその中に含まれる。つまり、そのボールの中に詰まっているのは、理想、価値、情念なのである。

 次に、ラグビーで 「どのように」 ボールがパスされるかに注目すると、リレー競走で走者から走者へ手渡されるバトンと違い、ラグビーボールは楕円形だからリレーのように順次線形には動かない。それはフィールドでのチーム・メンバーの連係プレーから生まれてくる。それは、過去の成功や失敗の積み重ねの上に、その場その場で決められる。それは、チーム・メンバー間の濃密で骨の折れる相互作用(インタラクション interaction)を必要とする。その相互作用のプロセスが、日本企業の中で知識が組織的に創られるプロセスによく似ている。

 「組織的知識創造」 は体験や試行錯誤とともに、アイデアを生み出す思考や他者からの学習である。それはアイデアにかかわるだけでなく、アイデアル(理想)にもかかわる。

 日本企業は 「組織的知識創造」 の技能・技術によって成功してきたのだ。組織的知識創造とは、新しい知識を創り出し、組織全体に広め、製品やサービスあるいは業務システムに具体化する組織全体の能力である。これが日本企業成功の根本要因なのである。

          *

 ここでいう 「知識」 とは何か。

 「知識」 には、「形式知(explicit knowledge ――明確に表現された知識)」 と 「暗黙知(tacit knowledge ――形式言語では言い表し難い個人的な知識」 の2種類があると考える。

 言葉や数字で表現される知識(形式知)は氷山の一角にすぎない。知識は、基本的には目に見えにくく、表現しがたい、暗黙的なものであり、より重要なのは、形式言語で言い表すことが難しい 「暗黙知」 と呼ばれる知識なのである。それは人間一人ひとりの体験に根ざす個人的な知識(パーソナル・ナレッジ)であり、信念、ものの見方、価値システムといった無形の要素を含んでいる。暗黙知は、人間の集団行動にとってきわめて大事な要素であるにもかかわらず、これまで無視されてきた。それが日本企業の競争力の重要な源泉であった。これが、日本的経営が西洋人にとって謎であった大きな理由であろう。

 われわれは相補的な関係にある形式知と暗黙知に注目する。より重要なのは、この二つの知の相互作用という 「ダイナミクス」(dynamics = 動力学、活力。statics = 静力学の対語)が企業による知識創造の鍵なのだ。「組織的知識創造」 とは、そのような相互作用がくり返し起こるスパイラル・プロセス(螺旋状に展開する過程)の謂いなのである。

 知識創造は、個人、グループ、組織の三つのレベルで起こる。暗黙知と形式知、個人と組織の二種類の相互作用は、①暗黙知から形式知へ、②形式知から形式知へ、③形式知から暗黙知へ、④暗黙知から暗黙知へ、という知識変換の四つの大きなプロセスを生み出す。……

          *

 そうはいっても、最近の国際競争における日本企業の後退は、我々のモデルの基礎を掘りくずす反証になりうると主張する人もいるかもしれない。しかし今われわれが目のあたりにしているのは、最近では最も長くきびしい不況の中で、過去にうまくいったやり方から離れ、ビジネス・チャンスを求めて未知の分野に踏み込もうとしている日本企業なのである。

 今日、危機の重圧とさらなる国際化の必要性は、日本企業に知識創造のいっそうの発展を迫っている。

 過去50年ものあいだ、日本企業は、「確実なのは不確実の連続だけ」 という環境の中で生きてきた。第二次世界大戦の壊滅的結果に始まり、朝鮮戦争とベトナム戦争という動乱、そして二度の石油ショック、ニクソン・ショック、円高、最近ではバブル経済の破裂など数多くの経済的危機を乗り越えてきたのである。

 このような外部環境の不確実性に加えて、日本企業はそれぞれのビジネス分野で、変動する市場、続出する新技術、増える競争相手、急速に陳腐化する製品を見てきた。

 不確実性への対応は、成功してきた日本企業にとっても、生きるか死ぬかの問題であった。たとえばホンダは、もし燃費の低いエンジンを石油ショックの前に開発していなかったら、今ごろは存在していないかもしれない。キャノンは、最初のマイクロ・コンピュータ付き一眼レフ・カメラAE-1に社の命運を賭けた。ソニーもまた、「メイド・イン・ジャパン」 が 「安かろう、悪かろう」 を意味した時代に輸出戦略を敢行しなかったならば、今ごろは忘れ去られた存在になっていただろう。

 競争はつねに苦しい戦いの連続であった。振り返ってみれば、それが幸いしたのである。日本企業は、成功に伴うさまざまなマイナス要因、とりわけ奢りと傲慢をまぬがれた。日本企業が、かつてのIBM、GM、シアーズのように、それぞれの産業分野で圧倒的優位を占めた例は一つもない。これら三社は、それぞれの領域の支配者として、王座の安逸をむさぼり、しだいに感覚を失い、周りの変化に気づかなくなっていった。彼らにとっては、不確実性ではなく確実性が当たり前になったのである。

 それとは対照的に、日本企業は、最後には勝つという固い決意で、さまざまな障害や逆境を乗り越え、国際競争を戦ってきた。つい最近まで、気を緩めたり、奢り高ぶる余裕などなかった。

 不確実性の時代には、企業は頻繁に組織の外にある知識を求めざるをえない。日本企業は、貪欲に顧客、下請け、流通業者、官庁、そして競争相手からも新しい洞察やヒントを求めた。ちょうど 「おぼれる者はわらをもつかむ」 ように、必死で外部知識を取り込んだのである。日本企業の連続的イノベーションの特徴は、この外部知識との連携なのである。

 外部から取り込まれた知識は、組織内部で広く共有され、知識ベースに蓄積されて、新しい技術や新製品を開発するのに利用される。そこでは、ある種の変換が起こっている。この外から内へ、そして新製品、新サービス、新ビジネス・システムの形で今度は内から外へという変換プロセスこそが、日本企業のこれまでの成功を理解する鍵なのである。この外から内へ、内から外へという活動こそが、日本企業の連続的イノベーションの原動力である。この連続的イノベーションが、日本企業の競争優位につながったのである。……≫



  <つづく>


  (2019.10.5)

528 宗教は、新しい未来をつくる「智」の創造体である。


 
「企業は、新しい未来をつくる知の創造体である」

 ――と、いま世界的に注目されている 「知識創造経営」 理論の先駆者・野中郁次郎氏(一橋大学名誉教授、『知識創造企業』 の著者)は言っている。

 https://globis.jp/article/2389

 これは、宗教団体にこそ当てはまることではないかと、僕は思う。

 「知」 「知識」 は 宗教的悟得、智慧、「真理は汝を自由ならしめん」 とイエスが言った 「真理」と考えよう。それを 「創造」 するというと、人間が無から創り出すように聞こえるけれども、そうではない。現象を超えた、時空を超えた 「久遠の今」 なる実相の世界には、すでに無限の智慧・愛・生命が充ち満ちてあり、無限の歓喜・無限の供給・無限の調和に充ち満ちている。その波動を受信して時間空間上の現象世界、現実世界に鳴りひびかせることが、創造である。

 ――とすると、

 「宗教は、新しい未来をつくる 『智』 の創造体たるべし」

 と、僕は思うのである。

          


 僕は最近、遅まきながら野中郁次郎氏の著書 『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』 を読了し、その続篇 『失敗の本質――戦場のリーダーシップ篇』 と 『知識創造企業』 をいま読みつつあるところである。

 読み始めたきっかけは、日本経済新聞に9月1日から連載されている野中氏の 「私の履歴書」 を読んで、面白い と思ったから、アマゾンを通じて購入したのである。

 その “履歴書” の一部を紹介させて頂こう。


 野中氏は僕とほぼ同世代で、1935年(昭和10年)5月、東京は本所の生まれ。

 いま、世界の経営学会に新風を巻き起こしている野中氏の精神を貫く太い幹は、「米国へのリベンジ」 だという。それは、戦時中、小学生のとき米軍機の機銃掃射にあい、死にかけた経験が原点にある。

 大東亜戦争の戦火が激しくなり静岡県の吉原村(現富士市)に疎開していた終戦直前の1945年(昭和20年)6月ごろのこと。日本近海に迫っていた米軍の空母から艦上戦闘機グラマンが飛来し、空襲警報が鳴った。子供たちは木陰に身を隠しながら裏道になっている林道を進み、集団で下校する。家が遠かった野中郁次郎君は最後まで残り、1人で歩いていた。

 戦闘機が近付いて来るのが分かり、松の木の下に隠れていると、機銃掃射の爆音が大きくなってきた。身体知で危険を察知し、飛び出してトウモロコシ畑のほうに移った。しばらくすると、松の木は炎に包まれ、根元から折れて倒れた。飛び出さなかったらおそらく、やられていた。

 旋回しながらまた撃ってくる戦闘機を見上げると、パイロットと目が合う。にやりと笑っているように見えた。

 そのとき郁次郎少年は、「必ずいつか敵
(かたき)を討つ。米国に勝つ」 と心に刻み込んだ。


 後に早稲田大学を卒業してビジネスマンになると、今度は米国の企業が、決して負けてはならない相手として目の前に現れた。このままだと日本はまた米国に負けると危機感を持ち、まずは懐に飛び込み、先方のやり方を吸収しようと考えて、米国に留学を決意した。

 しかし、当時勤務先の富士電機製造に留学制度はないから自費で行くしかない。学費が高いハーバード大学やスタンフォード大学には行けないから、候補に浮かんだのがカリフォルニア、ワシントン、インディアナといった州立大学だった。6、7校に願書を送ったら最初に合格通知が来たのがカリフォルニア大学バークレー校だった。

 渡航費用を含め、留学資金の宛てはなかったが、会社から無利子で50万円を借り、また支援者を見つけ、67年に31歳で会社を休職して大阪商船三井船舶の船で渡米。カリフォルニア大学バークレー校での留学生活を始めた。


   
母校から奇跡の 「生涯功労賞」


 ――それからちょうど半世紀を経た2017年。野中氏は、母校の米カリフォルニア大学バークレー校で、同大学最高賞の 「生涯功労賞」 というのを受賞した。

 受賞のスピーチでは、小学生の時、疎開先で米軍機の機銃掃射にあい、米国へのリベンジを誓った経験を披露した。そして、

 「今ここに私が立っているのはまさに奇跡です。米国に対するリベンジに燃えていた男が、米国の先進的な大学機関から、このような素晴らしい賞をもらえるようになるとは、誰が想像したでしょうか」

 と語った。大喝采を受けたという。それは、野中氏が自己(小我)を超克し得た証だと思う。


          



   
イノベーションは、単なる 「技術革新」 ではない。


 さて、「新しい未来をつくる知の創造」 こそイノベーションである、と野中郁次郎氏はいう。

 「イノベーション」 は日本では 「技術革新」 と翻訳されてその認識がほぼ定着しているようだけれども、本来の 「イノベーション」 には、もっと広範な意味がある。

 イノベーション(英: innovation) の本来の意味は、物事の 「新結合」 「新機軸」 「新しい切り口」 「新しい捉え方」 「新しい活用法」 (を創造する行為) のこと。新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革を意味する。

 イノベーションは、1911年に、オーストリア出身の経済学者であるヨーゼフ・シュンペーターによって、初めて定義された。シュンペーターはイノベーションを、「経済活動の中で生産手段や資源、労働力などをそれまでとは異なる仕方で新結合すること」 と定義し、

 1.プロダクション・イノベーション(新しい財貨の生産)
 2.プロセス・イノベーション(新しい生産方法の導入)
 3.マーケット・イノベーション(新しい販路の開拓)
 4.サプライチェーン・イノベーション(新しい供給源の獲得)
 5.オルガニゼーション・イノベーション(新しい組織の実現)

という5つを挙げているのである。

 ところが日本では 1958年の 『経済白書』 において、イノベーションが 「技術革新」 と翻訳紹介された。1958年は日本経済が発展途上であり、新技術の発見と技術の革新、あるいは技術の改良が死活的であり重要な時代だった。

 しかしその後の成熟した日本経済においては、技術に限定しすぎた 「技術革新」 という訳語は、社会的なニーズを無視、軽視した技術開発を招き、新たな経済成長の妨げともなっている。このため、「技術革新」 は誤訳と批判されることもある。

 それゆえ、中小企業庁が発刊する 『2002年版中小企業白書』 では、イノベーションに 「経営革新」 の括弧書きをした。2007年の 『経済白書』 においては、シュンペーターの定義に立ち返り、イノベーションを 「新しいビジネスモデルの開拓なども含む一般的な概念」 としたのである。しかし、いまだに 「技術革新」 の訳語から抜け出せていないのが現状ではないだろうか。僕自身、「イノベーションとは技術革新のこと」 と思い込んでいたのである。


          



  組織とは何か
   〜思考の起点となる組織の三要件〜


 組織とは、何か。手許の辞書を引いてみると――

 1. ある目的を目指し、幾つかの物とか何人かの人とかで形作られる、秩序のある全体。

 2. (生物) 同じ系統の細胞が集まって一定の働きをする器官。

 とある。

 米国の経営学者チェスター・バーナードの定義によれば、

 「組織とは、意識的に調整された2人またはそれ以上の人々の活動や諸力のシステムである。」

 そして、その成立要件として

  1. 共通目的(common purpose)
  2. 貢献意欲(willingness to serve)
  3. 意思疎通(communication)

 が必要、としている。

 この3要件が組織を組織たらしめている。組織において生じる問題の多くはこの3要件の機能不全と捉えることができる。

 目的が明確でなく何を達成すればよいのかわからない。複数の人間が力を合わせて目標を達成しようとする貢献意欲(やる気)がなく、てきぱき動かない。成員間のコミュニケーションが成立しておらず、命令系統の分断や分業・協業に不効率が生じている。――等々、機能不全のパターンは種々多様なものがある。そこで、組織の一つひとつの要件について深く考察することは意義のあることである。

          


    
『失敗の本質』

 野中郁次郎氏は、先の大戦時の日本軍の失敗を組織論的に研究し、6人の同志と共に 『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』 という労作を著して(1984年)、ベストセラーとなった。

 同書は、日本軍が先の大東亜戦争において、終局的に無条件降伏という決定的敗戦の結果に至った失敗のプロセスから、特に(1)昭和14年の日ソ間に起きたノモンハン事件(陸戦)から始まり、(2)第二次大戦中のミッドウェー(海戦)、(3)ガダルカナル(陸戦)、(4)インパール(陸戦)、(5)レイテ(海戦)、(6)沖縄(陸戦)で戦われた6つの作戦で敗退に至る経過を調査し、それを組織論的な観点から分析研究して共通点を見出し、一定の判断(失敗の教訓)を導き出したものである。

 上記の6つの作戦がとりあげられた理由は――

 1.ノモンハン事件は大東亜戦争には含まれないが、その作戦失敗の内容から見て、大東亜戦争におけるいくつかの作戦の失敗を、すでに予告していたと考えられる。たとえば、そこでは作戦目的があいまいであり、しかも中央と現地とのコミュニケーションが有効に機能しなかった。戦闘では過度に精神主義が誇張された。ノモンハンでの失敗の教訓は、ほとんど学習されることがなかった。ノモンハンは、比喩的にいえば、失敗の序曲であった。

 2.ミッドウェー海戦とガダルカナル陸戦は、それまで順調に軍事行動を進ませてきた日本が、この二つの作戦の失敗を転機として敗北への道を走り始めたのである。とくにミッドウェーは、不測の事態が発生したとき、それに瞬時に有効かつ適切に反応できなかった。

 ガダルカナルでは、情報の貧困や兵力の逐次投入といった点が指摘されると同時に、太平洋戦場で反攻に移った米軍が水陸両用作戦を開発しそれを効果的に用いたのに対し、日本軍がそれにまったく成功しなかった点にも注意が向けられる。

 3.インパール、レイテ、沖縄は、日本の敗色が濃厚となった時点での作戦失敗の主要な例である。いうならば、この三つの作戦は、本来的な意味における「敗け方」の失敗の最も典型的な事例を提供してくれる。

 インパールは、しなくてもよい作戦を敢行した、いわば賭の失敗であった。戦略的合理性を欠いたこの作戦計画の決定過程に焦点を絞り、人間関係を過度に重視する情緒主義や、強烈な使命感を抱く個人の突出を許容するシステムの存在が、失敗の主要な要因として指摘される。

 レイテは、精緻をこらした独創的な作戦計画のもとに実施されたが、いぜんとして作戦目的はあいまいであり、しかも、精緻な統合作戦を実行しうるだけの能力も欠けたままであった。参加各部隊(艦隊)は、その任務を十分把握しないまま作戦に突入し、統一指揮不在のもとに作戦は失敗に帰した。能力不相応の精緻な作戦計画や、事前の戦果の非現実的な過大評価に目を向ける。

 大東亜戦争最後の主要作戦たる沖縄でも、相変わらず作戦目的はあいまいで、米軍の本土上陸を引き延ばすための戦略持久か航空決戦かの間を揺れ動いた。とくに注目されるのは、大本営と沖縄の現地軍に見られた認識のズレや意思の不統一である。そこに分析のメスが入れられる。


 大東亜戦争の 『失敗の本質』 は、結局、「日本軍は戦略目的があいまいであり、意思疎通が不十分でイノベーションができず、不測の事態に対応できなかったこと」 と言えるかも知れない。

 突っ込んで言えば――

 1.目的のあいまい性――目的の単一化とそれに対する兵力の集中は作戦の基本であり、反対に目的が複数あり、そのため兵力が分散されるような状況はそれ自体で敗戦の条件になる。ところが日本軍には明確なグランドデザインがなく、個々の作戦においても戦略ないし作戦目的があいまいで二重性を持つことが多かった。

 大規模作戦を計画・準備・実施するのに、陸・海・空の兵力を統合し、その一貫性、整合性を確保する組織・システムがなく、上級司令部と現地軍との間の意思の疎通は極めて不十分で相互に不信感を持つことが多かった。作戦決定の会議でも、自由闊達な議論が行われることなく、その場の 「空気」 が支配して決定されることが多かった。

 2.柔軟な学習を軽視した組織――日露戦争での成功体験から陸軍は 「正面からの白刃一斉攻撃」 を金科玉条にして、それが功を奏さなくても何度も繰り返した。海軍は日本海海戦で大勝したために、大艦巨砲、艦隊決戦主義が唯一至上の戦略オプションになった。この思想は東郷平八郎連合艦隊司令長官のもとで参謀を勤めた秋山真之少佐が起草した「海戦に関する綱領」をもとにして明治34年に制定された「海戦要務令」以来日本海軍の伝統になった。

 「海戦要務令」自体は、その後の状況変化に合わせるように5回にわたって改訂されたが、戦艦中心の思想は一貫して変えられることがなかった。

 「戦闘の要旨は攻勢をとり速やかに敵を撃滅するにあり。戦闘の要訣は先制と集中にあり。戦艦戦隊は艦隊戦闘の主兵にて敵主隊の攻撃に任ず」 云々……

 この海戦要務令の条項からも明らかなように、日本海軍の短期決戦、奇襲の思想、艦隊決戦主義の思想は教条的にといってよいほど保持され、潜水艦や航空機は効果的に使われなかった。

 失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織の他の部分へも伝播していくということは驚くほど実行されなかった。これは物事を科学的、客観的に見るという基本姿勢が決定的に欠けていたことを意味する。

 また、組織学習にとって不可欠な情報の共有システムも欠如していた。日本軍のなかでは自由闊達な議論が許容されることがなかったため、情報が個人や少数の人的ネットワーク内部にとどまり、組織全体で知識や経験が伝達され、共有されることが少なかった。

 作戦をたてるエリート参謀は、現場から物理的にも、また心理的にも遠く離れており、現場の状況をよく知る者の意見がとり入れられなかった。したがって、教条的な戦術しかとりえなくなり、同一パターンの作戦を繰り返して敗北するというプロセスが多くの戦場で見られた。

 ガダルカナルの失敗は日本軍の戦略・戦術を改めるべき最初の機会であったが、それを怠った。また、成功体験の蓄積も不徹底であった。さきに述べたように、緒戦の勝利から勝因を抽出して、戦略・戦術の新しいコンセプトを展開し、理論化を図ることを行なわなかった。

 レイテ海戦に至ってもなお、艦隊決戦思想からの脱却がなされていない。沖縄でも、中央部の発想は本土前線における決戦、そして機動反撃という戦略・戦術を一歩も出ていないのである。大東亜戦争中一貫して日本軍は学習を怠った組織であった。

 そして不測の事態が起きた場合への対応計画の欠如――作戦計画が誤っていたとわかっても、それを直ちに建て直す心構えがまったくなかった。それで失敗の循環スパイラルをくりかえし、決定的敗戦へと突き進んだ。……


          ○


 さて、榎本恵吾師は実相生長の家の組織について

≪ 大宇宙の組織がそのまま、生長の家の組織なのである。

 生長の家の組織とは中心をもつところの渾ての渾てなる組織であり、絶対の組織であり……組織紋理整然 中心帰一万物調和の相
(すがた)が生長の家の組織そのものなのである。≫

 と書かれていたが――


 振り返ってみれば、現実の現象界では、生長の家の運動組織もまた、上記の日本軍のような組織的欠陥を、持っていたのではないだろうか?

 僕は、戦後の生長の家の組織的運動について、生長の家本部の山口悌治・総企画局長を中心に展開された 「国民総自覚運動」 から生長の家政治連合(生政連)の運動、さらには青年会の 『理想世界』 誌百万部運動、そして三代目谷口雅宣総裁が率いる現在の、環境運動を中心として 「“新しい文明”の基礎を作る」 というスローガンを掲げた運動組織にも躊躇することなく分析の目を向け、野中郁次郎氏の 「知識創造経営」 理論をしっかり学んでそれを超え、


 「宗教は、新しい未来をつくる 『智』 の創造体たるべし」


 との思いを、同志と共に展開すべく、老骨にむち打って――いや、肉体はないのであった。肉体を超え神の御心のままに、神が為し給うのであると信じて――挑戦して行きたいと思う。


  <つづく>


  (2019.9.29)

527 「あなたの中に太陽が昇る 」


 自分の中に宇宙があり、自分の中に天皇がおわしまし、自分の中に住吉大神が顕れられるのである。

 「顕斎
(まつり)の時は今」 という 『理想世界』 誌昭和53年11月号の座談会記事は、前段に掲載させて頂いた 「生長の家人類光明化運動」 の理念を具体的に語った、まことに素晴らしい座談会であると思います。それをここに再録させて頂きましょう。

 この中で、 というのは神道に通じた生長の家の大先輩。

  というのは榎本恵吾師です。


 当時、私が 『理想世界』 誌編集長としてこの座談会を企画し、人選・司会を務め、録音起し・編集をしました。われながら素晴らしい記事ができたと感謝しています。



 冒頭のリード文にいわく――

≪(昭和53年)11月21日から8日間、長崎県西彼杵郡西彼町の生長の家総本山で、龍宮住吉本宮の鎮座落慶大祭が盛大に執り行なわれる。その大拝殿は 「鎮護国家出龍宮顕斎殿」 と称され(宇治別格本山には 「入龍宮幽斎殿」 がある)、ここに住吉大神の御出御を請い、顕斎(神を形に顕わして斎る)が行なわれるのである。

 それは谷口雅春先生だけでなく私たち一人一人の中に住吉大神が顕われ給い、宇宙浄化が行なわれる慶事であり、私たちの日々の生活が即、神(天照大御神)を顕わす祭りとなることである。龍宮住吉本宮は私たちのいのちの中にある。それを形に投影したのが総本山のすがたなのである―― 。

 龍宮住吉本宮鎮座落慶を記念して、その 「顕斎」 の意義について座談会を行なった。≫



 その内容です。――


          ○


     
あなたの中に太陽が昇る


  やあやあ遅くなりました。きょうは午前中ある後輩が弁理士の事務所開きをするので、その潔めのお祭りをしてくれというので行って来たんですよ。神職の方にたのめばいいといったら、神職の方は職業上、形式ばかりのことをするような気がする、それより素人でも心のこもった祭りの方がというので、行って来たんだけれどね。

 日本人は本来、家を建ててもそれは自分の家を建てるんじゃなく、神さまの宮を建てて、神の宮に住まわせていただくんだという気持だったんですね。だから入口にしめなわを張って、おまつりをするんですよ。

 食事だって、天照大御神の御いのちをいただく神事であるし、寝るのだって、単に疲れたから寝るというのじゃなくて、マドコオウフスマに入ってお籠
(こも)りをする神事なんです。すべてこれ顕斎ですよ。

  すばらしい話ですね。住吉大神の顕斎ということは、他人事
(ひとごと)ではなく、私たちのいのちのことなんだということですね。

  そう。顕斎
(まつり)というのはね、まずみそぎ(禊)をしますが、これは霊注(みそそ)ぎで、神さまが霊止(ひと)にお生れになるというのが、まつりの根本的意義なんですよ。

 天照大御神が天皇さまにお生れになるというのが御即位のときの大嘗祭
(だいじようさい)、そして毎年11月23日の新嘗祭(にいなめさい)です。その新嘗祭の前の日である11月22日に、天照大御神の前の霊(ひ)である住吉大神が、谷口雅春先生をはじめとして、われわれ信徒一人一人に御誕生になるんですよ。ですから大変なことであるわけです。

 谷口雅春先生の御誕生日が11月22日だということは偶然じゃない、宇宙的な大経綸が秘められているという気がしますね。

  たいへんなことですねえ。

  一般に知られている祭りというのは、神さまがここに人のいのちとして生れて、何とありがたいことか、嬉しくて楽しくてたまらないというのが神楽となり、舞となり、踊りとなり、とそういった神遊びで、氏子の地域一帯を神のいのちで充満させるためにお神輿をかついでねり歩いたり、神船に乗ってお渡りになるとか、山車
(だし)を引いて舞うとかするわけです。

 その、神さまがお生れになって、なんとありがたいことか、たのしいことかという 「神遊び」 の行事だけが、一般のお祭りとなって残っているわけですが、本当はその前に禊
(みそぎ)という 「幽斎」 がある。ところが顕斎だけに世の中の人の眼が向いているので、現在の神道界では、幽斎に向けて熱心になっているんです。

 生長の家はもともと顕幽一如、幽斎即顕斎だったのですが、今までどちらかといえば 「祈ればいい」 という幽斎の方が強かったので、今、神さまを形に顕わして行く顕斎の方に向いて来たんですね。

 で、 「顕斎」 というのはお宮を建てて神事を行うということも一つですが、同時に生活の一つ一つに神さまを顕わして行く、生活のすべてを 「神遊
(かむあそ)び」 にするということなんですね。

  うれしくなってきますね。食事も、睡眠さえもが神の祭りであるというのは……


     
生活のすべてが 「神遊び」 である


  そう、われわれが何の気なしに毎日寝んでいる寝床も、これは日々新生するための神聖な真床追衾
(まどこおうふすま)ですよ。寝床に入ることは、いったん今までの自分は死んで、また神のいのちを宿して新たに生まれる、「籠(こも)り」 の行事なんです。

 人間の誕生だって、胎内に宿ってから十ヵ月のお籠りの期間があるでしょう。それは熟成の期間なんです。紙だって、機械から出て来たナマの紙をすぐ印刷にかけると、あまりかんばしくない。お習字に使う紙だって、半年か一年ねかせておくといいんです。それは何でもそうです、アイディアだってしばらくねかせておくと熟成してくる。

 神想観していったん死に切って寝むと、またお籠りの期間を経て、「只今誕生」 と、新しいいのちが生れてくる、というのが、われわれが日常、寝床に入り、朝起きるという行事なんですね。こういう神事を、日本人はずっとやってきたんですよ。


     
食事は人類共通の顕斎


 食事をいただくのも、これは 「大調和の神示」 以前に、「食事は自己に宿る神に供え物を献ずる最も厳粛な儀式である」 という神示で教えられている通り、たいへんなお祭りですよ。日本古来の言葉でいえば、「贄
(にえ)の祭り」 または 「饗(あえ)の祭り」 と言いますが、食事が祭りだというのは日本だけのことじゃないんです。

 われわれ、人類光明化運動と言いますが、その人類共通の祭りは何かといったら、食事ですよ。それから音楽ですね。アイヌの熊祭りというのも、食事によって神と一体になる祭りだし、ヨーロッパでも、ゲルマンをはじめいろんな諸民族で、キリスト教のために自分の民族にうけつがれてきた祭りが抹殺されて今は稀薄になっているけれども、諸民族の祭りの根源をたどって行くと、全部神さまと一体になる、食事によって神さまのいのちをいただいて生れ変るというのが、全人類共通の祭り、全人類共通の顕斎なんですよ。

 その全人類共通の顕斎が、日本に、最も純粋に深く伝えられてきているんです。そのいちばんいいサンプルが、天皇さまのお祭り(大嘗祭・新嘗祭)なんです。そこに、日本の世界的使命というものが感じられるんです。

 だから、現在意識ではそのことをみんな忘れていても、日中条約を結ぶとかなんとか、しち面倒くさい外交交渉なんかの前には、必ず食事の宴がはられるでしょ。それは、全人類共通の顕斎は食事であるということが、深い潜在意識の底にあるからですよ。だからいっしょに一つのテーブルについて飲食を共にするという食事の席では、ケンカをしないでしょう。

 ヨーロッパ人などが未開民族のところへはいって行っても、まず、持っているものを交換したり、いっしょに食事をしたり、というところからやって行くと、警戒心を解いてしまう。
 全く言語も、歴史、伝統、風俗習慣もちがう者同士が会ってもね、一つテーブルについて飲食を共にする行事でもって、お互い一ついのちに生かされているんですよという、つながりを思い出させている……

  おもしろいですね。

  だから、世界の、コトバもちがい風俗習慣もちがういろんな諸民族が、長崎の住吉本宮に参拝に来ても、全然不自然なことはないんです。


     
神のいのちが顕われると


  木間さんの 「祭りの形と心」 には、日本の古代の村の長老というような人は、いつも神に祈り神と対話することが日常の会話のようになっていたということが書かれていましたね。なにか、それが現代にも行なわれる時が来ているんだなあと、顕斎の時代の意味するものが迫って来るような気がします。すべての人に、それがいのちの底からよみがえってくる……

  幽斎・顕斎というのがこう一致してくると、私なるものがかわって来るんですね。生れかわりが行なわれるというか、自我をスパッと死に切って行くと、いろいろと具体的に変化が顕われてきます。

 私は最近、自然にたばこを喫
(の)まなくなったんです。たばこをやめようと考えたこともなかったんだけど……実は私は戦時中、戦地に行ったとき、ある先輩が、「君はこれから大勢の部下を持つようになるんだから、兵隊の気持をわかるためには、たばこを喫め。たばこの味がわからなければ兵隊の気持もわからないよ」と言われたんです。

 当時は、「上官の命令は朕(天皇陛下)が命令と心得よ」 ということだったので、私はその先輩の命令のような言葉を忠実に守って三十数年たばこを吸いつづけてきて、やめる気は全然なかった。それはあの、小野田少尉が上官の命令を忠実に守って、上官が命令を解除するというまでフィリピンのミンダナオ島のジャングルから出て来なかったのと同じだなと思ったんですがね。

 ところが、「顕斎」 について書いているうちに、私自身が非常に変ってきて、私の体の中からたばこなるものがフワフワ、フワフワと抜け出して行って、私とたばことがずれてしまったような感じなんですね。そうして全然たばこを吸わなくなってしまった。

 それから、二十何年もつれそった、四十幾歳の家内が、非常にかわいくなって……(笑)

  いやあ、すばらしいですね。

  私も、最近変ってきたんです。子供を見ていて、嬉しくてしようがないんです。女房を見ても、以前は子供の教育のしかたが不満で小言を言ったりしていたりしたんですが、それが全然なくなって、ただ嬉しい。庭の草花を見ても、ひじょうに嬉しい。何が嬉しいというのでもなく……あらゆるものが神なんですね。

  なるほど。自分の奥さんを神さまと観て拝むことも顕斎ですよね。

 すべての人に、いのちの底から、そういう甦りが起ってくる。それは、生長の家に入っているとかいないとかの形の問題ではなく、空気も水も火も、花も草も木も甦ってしまう。

  住吉大神の“顕斎の気”が、大気の中に満ちてきて、それに包まれたというようなことなんでしょうか。

  これは本当に、おどろくべきことだな。こうして人類全体が、なんとなくお互い同士いとおしくなり、なつかしくなって来るとしたら……どんなことになって行くんでしょうね。


     
住吉大神、宇宙を浄めたまう


  住吉大神は、古事記神話では、天照大御神がお生れになる前、イザナミの命
(みこと)のみそぎはらいの完成のときにお生れになった神さまですが、それは地上の人間ばかりでなしに、神々をも、一切を浄化される。

 住吉大神は浄化の神で、浄化とは秩序を正すということである。中心を中心として、中心に帰一した神々の世界がだから、神界においても浄化が行なわれる、つまり住吉大神が住吉大神として正しく祭られることによって、天照大御神以後の神々がみんな秩序あらしめられて、その御働きを及ぼされる。そうすると、八百万
(やおよろず)の神々、日本のいたるところ、津々浦々にある神社の神々も復活するんですね。

 生長の家は万教帰一で、一切の宗教を生かし、すべての教祖のいのちを現代に生かしてきた。聖書のコトバが生活に生きてきたとか、法華経の本当の意味がわかったとか……それは教えの復活、神々の復活ですね。

  万教帰一というのは、すべての教えが一つに帰るという意味がありますが、顕斎ということからいうと、つまり実相の側からいうと、すべての教えは一つから展開しているという宇宙の創造のすがたをいい表わした真理のコトバだと思います。

 そうして私たちは、その中心なる天照大御神のふところに抱かれて私たちのいのちがあるんですから、すべては自分のいのちの展開であると言える。


     
自分の中に宇宙がある


 ぼくはね、以前はベートーヴェンの音楽をきいても、バッハの音楽をきいても、「これはベートーヴェンという人の体験した、ある生命体験を描写したものだ」 あるいは 「バッハの世界を表現したのもだ」 と思っていました。それは他人事だったんです。そして、ベートーヴェンの能力に嫉妬心を起していたんです。

 ところが、そうではなかった。これは、ベートーヴェンが、ぼくのいのちをまつってくれて、ぼくのいのちをたたえて、こうして顕斎してくれているんだ、という気持になってきたんです。ベートーヴェンが他人事じゃなくなったんですね。こういった大天才たちが自分のいのちの延長として出て来て、自分のいのちをたたえてくれている、という感じになってきたんです。そしたらもう、うれしくてうれしくて……

  ベートーヴェンが自分のいのちの延長……すばらしい。

  ぼくはね、住吉大神が宇宙浄化をされるというのは、浄化とは秩序だてること、秩序の回復だとおっしゃる、それはどういうふうに秩序づけるかというと、まず、自分のいのちの中に宇宙があると自覚して、自分が自覚的に宇宙にひろがって、宇宙というものを自分のいのちの中に秩序づけるということではないかと思っているんです。

 木間さんは、「祭りの形と心」(本誌七月号)の中で、時間・空間の発する一点、その一点を透過したすみ切りの妙境ということをお書きになっていますね。そこのところに尊師のいのちがあり、そこから尊師のおコトバが発せられて来ているんですね。そこは大調和にすみ切った世界ですね。私はそこを “聖なる今” と言ってもよいと思うんです。そこから 「大調和の神示」 が鳴り出している。その大調和の神示に、“汝が天地一切のものと和解したとき、そこに吾れは顕われる” と書かれていますが、ここに顕斎の道が示されているんですね。


     
神に無条件降伏して


 3月1日の立教記念日の祝賀式での谷口雅春先生のお話に、神に無条件降伏して天地一切のものと和解する、ここに住吉世界をもちきたす極意があると言われました。神に無条件降伏したとき、“もはや吾れ生くるにあらず、神のいのちここにあって生くるなり” で、もはや、そこに神が生きていられる、神が顕われているんですね。

 神が顕われるとは、ある限られた、五官とか六感とかの感覚にふれるような限定されたすがたでとらえられるということではなく、実に全相をもってわがいのちと合一するということ。顕斎的にいうと――つまり、神の側からいうと、神がわが姿となって顕われるということですね。“人間神の子” から “神の子人間” への自覚だ。

  「神の子人間」 の自覚から転落して、実相の側に立たないで現象の側から自分を中心に教えを受けとって、「俺は今までこういう功績をあげた」 とかね、あたかも自分が自分の力で光明化したような、とんでもない不遜の気を起すことがある。それで谷口先生は今、「顕斎」 ということを言われるようになったと思うんです。人間が人間を指導したり、育成したりすることはできないと思うんですよ。神様のおはたらきで光明化ということは行われるんですねえ。

 だから、いろいろ奇蹟的なことが起きたりすると、癒された本人よりも、指導にたずさわったこちらの方がありがたくなるんですね。

  「吾がわざは吾が為すにあらず」 ですね。

  そう。それでその時は、ただありがたいという素晴しい感動なんだけれども、しばらくたつと、「あれは俺が指導したんだ」 とか、「自分が救ってやった」 「自分が成績を上げた」 と、そういった意識が残る……。

 本当は、バイブルの言葉じゃないけど、自分の力で身長1センチ伸ばせるわけじゃない。自分がしているわけじゃない、全部神様のおはたらきでしょ。それを、自分が何をしたというような功をほこる意識が残る、そんな未熟な、救いがたい、ニセモノの自分を去って、本来の神の子の姿にかえらしめ給え――と、そこで自分が死ぬわけだ。そういうことでないと、神のみもとへ行けない、ぼくは神想観できないですよ。

 神想観というのはね、吾々が祈るんじゃないんですよ。住吉大神が祈られる。それには、自分を捨て切らないと、祈りが始まらないんですよ。

  神想観というのが、神を想い観るのではなくて、もう一つ、生長の家の大神がここに坐し給うてなし給うのですから、神が想い観るということになるんですね。そうして、非常に強い神の光の放射する中に坐しているというような……それが顕斎ということなんですかねえ。

  それは言葉で言ってしまえば簡単なことですけれども、大変なことで、死に切れるかどうかということによって、祈りに入らせていただけるかどうか、本当の顕斎に入らせていただけるかどうかということがきまる。


     
両刃(もろは)の剣をうちふるえば


  住吉本宮の御神体は 「護国の神剣」 で 「両刃の剣」 になっているわけですが、「両刃の剣」 というのは、相手がまちがっていれば相手も切るけれどこっちがまちがってればこっちも切るんだというところにすばらしい魅力があると思うんですね。ところが、今は 「こっちに切るべきものがあったら切るけれども、今はない」 というような感じになっていないかどうか。

  今年の青年大会のときの谷口雅春先生の最後の御講話で、「神の子無限力の真理」 という題だったと思いますが、「どんなに神想観をしても、たとえば食膳で人の悪口を言ったりしている限り、無眼力は出ません」 ということを言われましたね。私は自分自身をふり返ってみて、ショックを受けたんですがね。

 悪口をいうということは、物質の世界を見ているわけですね。自分自身も物の世界からしか物を言っていない。そこからは、限定された力しか出ないですよね。

「奇蹟の時は今」 の 「今」、感謝合掌礼拝して、物を観て、感じて、行動する。先生は最近、ラジオ放送でもそういうお話ばかりされていますよ。

 頭だけで教えを聞いていることがある、その姿勢が問題だと思います。頭だけで教義を理解してわかった気になっていると、いのちが無くなってしまう。それが、「顕斎」 となると、神の子が神そのものの御姿をあらわす、そういう自覚の生れ変りが行なわれて来るんだと思うんです。「両刃の剣」 ですから、まず自分が正しいすがたをあらわす――そうして、全世界が、神さまのつくりたもうた世界のすがたをあらわして来る……

  「三界は唯心の所現」 と最初にスパッと説かれたときに、全宇宙は自分の心の影なんだという、これはすごい宇宙をひらく言葉だったんです。それが今は、「自分の心も影もあるけど、ほかの国の心の影もある」 というふうに、なにか切れ味がニブくなってきたんじゃないか。つまり、世界を変えるには、自分だけが変ればよいということを忘れているのではないか。

 「自分の心が変れば世界が変る」 これをひっくり返して、「世界を変えるには自分の心を変えるだけでよい」 というところまで徹底することができなくて、いささかニブっていて、そのニブった部分、その誤差の部分に光明化運動論を成立せしめているようなまちがいをおかしていないか……

  うーん、それは痛烈な反省ですね。

  運動が、「実相独在」 の否定から始まってはいないか――両刃の剣で 「切る」 としたら、まずその辺がいちばん先に切られるべきこととして、あるんじゃないか。

 早い話が、神想観して 「光明一元」 と言っちゃったら、光明化運動の意義づけができなくなるというような――それでは、祈ろうとしても本当にすっと祈ることができない。神想観が、おかしな神想観になってしまう。

  こわい、こわい。


     
「神ながら」の運動を展開しよう


  先日私の知合いが、「北方領土返還要求」 ということで、九州の南端から北海道の現地まで日本全国縦断のキャンペーンをやるんだという連絡が来て、もうスタートしちゃったそうだけれども、ぼくは 「ちょっと待て、出発する前に話し合おう」 と言いたかったところです。

 この北方領土の問題は、「それは日本のものだ、返せ」 と言えば、向うはすでに自分のものとして基地を作ったりして、地図にもソ連領として書かれているとなると、「何を言ってるか」 ということになる。そうすると今度は、力づくで取り戻さないと戻って来ないことになる。

 今、こういう状態では、戻る可能性は百パーセントないと言っていいですよ。「戻せ」 というと戻さない。「何を言うか」 とひとひねりされたら、もうしようがない。

 では、どうすればいいか。私は、エトロフ、クナシリや千島の島の神様をお祭りすればいいと思うんです。それは日本書紀に書かれてあるんですよね。島の国魂神
(くにたまのかみ)の顕斎を、本当に心を合わせてやるようになったら必ず返ってきますよ。ソ連の居心地が悪くなって、いられなくなってきますよ。

 それは、一人や二人が祈ったのではだめだけれども、日本人の百人に一人が真剣に祈ったら、簡単に実現すると思うんです。

 ところが、「返せ、戻せ」 と言ったら、現象の次元での衝突になってしまう。それではかえって、「何をいうか」 ということになって、憎まれて、反動が来るだけで、どうしようもないと思うんだね。

  一番確実な方法は何かということですね。

  ぼくは、『生長の家』 誌の 「明窓浄机」 等に谷口雅春先生が九州本山についてお書きになったものを最初から今日にいたるまでの全部をコピーして綴じて持っているんですが、さっきそれを最初からずっと読みかえしてみましたら、先生は実に 「神ながら」 なんですねえ。

 九州本山には百万坪の土地があるわけですが、最初はあまりに広大で、山は雑木
(ぞうき)ばかりで、いろんな構想はあっても、ちょっと手がつけられないでしょう。まあ孫の代のいい遺産になるのでは――というようなことをいう人もいた。

 その時に先生は、「人間の力ではほとんど手のつけようがない。しかし、神なら、これをすみやかに開拓して、本山にふさわしい土地つくり、道つくりもできる」 とおっしゃっているんです。そうして、なさっていることが、あとで振り返ってみると、全然無駄がなく、みんな見事にぴしっとはまっているんですね。それは驚くべきことですよ。

 だから、私思いますのに、元号法制化でも憲法復元でも、神ならそれを実現する方法をちゃんと知っていらっしゃる。いや、憲法復元もすでに御心に成っている世界があるわけです。それを、み心のままに、最もふさわしい時に、最もふさわしいあり方で、それを神の子なる私にお授け下さいと祈る、そういうところから神ながらの働きかけが出てくる。

  そうして、神ながらの運動をして行くには、青年会運動にも先輩からの継承がなくてはいけない。生長の家は 「汝の父母に感謝せよ」 が基本なんですから。

 一つには、今まで青年会運動の中で志半ばにして斃れた同志が全国では相当な数に上っていると思うので、その同志たちの顕彰感謝祭を行なうといいと思うんです。

 そうして、お祭りというのは全員参加、“村は総出の大祭り” で、みんなが一つ心になっておみこしをかつぐというところに大きな意義があるんですから、この顕斎を機会に、過去を捨ててみんな一つになって力を出し合うということが必要だと思う。今がそのチャンスなんです。

 ぼくは、これからおどろくべきすばらしいすがたが顕われてくると思う。



          ○


 これが、「神癒の展開としての人類光明化運動」 でもあると思う。


  (2019.9.17)

526 「生長の家人類光明化運動讃偈」


 榎本恵吾師が 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿にての覚え書き」 として書き遺された 『神癒の展開としての人類光明化運動』 という文章の抜粋、第7弾――


≪ 「大信心は仏性なり。仏性即ち如来なり」 と親鸞は言っているのである。大信心と仏性と如来とはひとつであるということである。ひとつなるものを 「大」 と言い、 「仏」 と言い、 「如(にょ)」 というのである。

 神と生長の家と人類光明化運動とはひとつなのである。ひとつであるということは、 「今」 であり、渾
(すべ)ての渾てであるということなのである。渾ての渾てであるということは自分自身のことであるということでなければならないのである。

 「渾ての渾てである」 というのが他人
(ひと)ごとでは有り得ないのである。渾ての渾てであると言いながら、それは自分のことではない、ということは成り立たないのである。

 「吾れ」 「今」 「ここ」 がひとつであって渾ての渾てであるのが、存在するもののすべての相
(すがた)なのである。

 神とは、實相とは今、ここ、吾れなるものなのである。神、實相は今、渾ての渾てであるから、 「實相を現象に現してこそ値打ちがある」 というのは、實相ではないのである。今、すでに、完成そのものであり、 「そのままでよい」 と言えるものこそが、神であり、實相であるからである。

 もしも、實相を現象に現さなければ値打ちがないのであれば、宇宙的に見れば、地上に戦争もあり、危険もあり、天体の爆発消滅もありであって、神は實相を現象に現していない、ということになって、神そのものも大したものではないということになるのである。

 神と言い、神の子といい、神と言える神そのものがあるのかどうかが、全てなのである。

 「神はあるのか無いのか」

 「神とは何か」

 「神があれば不完全は無く、不完全があれば神は無い」

 ただただ、ひたすら、この問題(テーマ)だけでよいのである。そして生長の家は、

 「神はある」

 という大直観によってはじまっているのである。この 「不完全は無い」 との、神なる、よろこびの、大光明のおのずからなる展開が 「生長の家人類光明化運動」 の相
(すがた)なのである。

 神は絶対者であり、無限者である。それ故、神が自分の内にあるとは、自分は無いということであるのである。

 吾が内にありて、生長の家人類光明化運動は、

 「私は渾ての渾てである」

 と宣
(の)り給うているということは、自分は無いということなのである。

 ただただ見渡すかぎり、神ばかり、光明化運動ばかり、よろこびばかりである。

 自我なきことが光明化運動なのである。

 「神は在
(いま)し給う」

 このいのちのコトバのひろがりがあるばかりである。

          ○

 神は満点そのものであり、天国の持続そのものであり給う。これが實相ということであり、まことの生長ということなのである。

 それ故、生長の家人類光明化運動なるものもまた、満点の卒業として、進んでいるのである。

 神は試行錯誤をされ給うことはなく、ただただ、すべてを満点でクリヤーしつづけ給いつつあるのみなのである。

 神は、やってみた結果、思わしくなかったから、別の道を選ぶというような進み方はされ給わないのである。変化すると言えどもすべて満点で前進の姿があるのみなのである。

 これが生長の家人類光明化運動の中身なのである。

 生長とは自性
(じしょう)を没せずして創造的な久遠の自己展開をしているすがたを言うのである。それ故、明日をまたずして消えゆくものではないのである。

 はじめのはじめに完成があり、「こと終われり」 があり、今もありつづけて、しかも無限の展開、発展そのものなのである。

 感謝すなわち満足と、無限の生長がひとつとなっているのが生命の不可思議、妙々のすがたである。満足し、感謝した人ほど健康であり、繁栄するのである。

 満点の持続が生長ということである。それ故、生長はありつつも、昨日よりも今日の方がより偉大である、というあり方ではないのである。昨日も絶対、今日も絶対、永遠に久遠に、比較を絶して渾
(すべ)ての渾てであるのがいのちのもつ妙々不可思議なすがたなのである。

 それ以外ない渾ての渾てなるものの純粋なる天国の持続なるものにとっては、過去、現在、未来というものはなく、今なるすべてがあるのみなのである。

 神は創造するにあたって、何ものをも用い給わず、ただただ、完成をもって完成し給うのみなのである。

          ○

 「天地
(あめつち)のはじめは今をはじめとする理(ことわり)あり」 と古言は鳴りひびいているが、これは 「天地のはじめは、生長の家人類光明化運動をはじめとする理(ことわり)あり」 ということなのである。万教帰一とは、はじめなるものの鳴りひびきとして鳴っている言葉であり、神そのものなのである。

 ここに書きつらねていることは 「生長の家人類光明化運動讃偈
(さんげ)」 なのである。讃えても讃えても讃え切れるものには非ざれども、書かずにはいられないのである。 「怺(こら)えたり我慢するな」 という言葉を私はここで聴くのである。

 讃偈したくなること即ち、生長の家人類光明化運動それ自体のはたらきなのである。

 天地
(あめつち)の中に生長の家人類光明化運動があって、その天地から讃偈されているのではないのである。天地をあらしめて生長の家人類光明化運動なるものがあるのである。讃偈を讃偈たらしめて生長の家人類光明化運動は在るのである。

 いのちある運動とはこのことなのである。絶対がここに生きて歩んでいる、絶対の運歩
(*後注)としての運動ということである。大宇宙の運行そのものが、生長の家人類光明化運動が運行している姿なのである。
 大宇宙の組織がそのまま、生長の家の組織なのである。

 生長の家の組織とは中心をもつところの渾ての渾てなる組織であり、絶対の組織であり、組み合わせて出来上がる組織ではなく、組織それ自体で組織である在りて在る組織なのである。金波羅華
(こんぱらげ)實相組織ということである。組織紋理整然中心帰一万物調和の相(すがた)が生長の家の組織そのものなのである。≫

 
*<注> 谷口清超著 『正法眼蔵を読む』 の 「山水経の巻」 において、原文 「東山水上行、西山常運歩」 の意義を説かれ、「山も川も渓(たに)も水も空も自在に運歩している自在無碍(むげ)の實相生命を示していて、教化の相(すがた)もこの運歩の相である」 と説かれている。

          ○

 ――前掲の

≪ 大宇宙の組織がそのまま、生長の家の組織なのである。

 生長の家の組織とは中心をもつところの渾ての渾てなる組織であり、絶対の組織であり、組み合わせて出来上がる組織ではなく、組織それ自体で組織である在りて在る組織なのである。金波羅華
(こんぱらげ)實相組織ということである。組織紋理整然中心帰一万物調和の相(すがた)が生長の家の組織そのものなのである。≫

 という生長の家の組織なるものは、外にはない。

 「神の国は汝らの内にあり」 とイエスは言った。

 「『汝らの内』 にのみ神の国はあるなり」 と生長の家はいうのである。

 わが内なる理念、内部理想の生長の家の組織である。

 それは 「すでにある」 のである。「すでにある」 から、それを自覚するとき、みずから、おのずから外に展開するのである。それが、「神癒の展開としての人類光明化運動」 であると思う。


  (2019.9.10)

525 「天地(あめつち)の初発(はじめ)」 に還ろう !


 日本経済新聞夕刊(毎月曜日~土曜日)に、「プロムナード
(“散歩道”の意)」 というエッセイのコラムがある。6人の書き手が曜日毎に交替で好きなことを書いていて、面白く示唆に富むことを書いていることもあるので、僕はだいたい愛読している。

 9月4日は 「始まりに目を向ける」 と題して、日本文学研究者のロバート・キャンベル氏の執筆。

 「ヒトは往々にしてものごとの始まりより終わりに目を奪われがちである。不幸な出来事ほどそう。……結末から歴史を振り返り現在を思うと同時に、ことの発端に目を向け、『今』 を読み解き続けることの大切さを思い知らされる……」

 とあった。

 内容は――近年その是非が議論される選挙人団という米国特有の大統領選出方法の始まりは、建国当時に奴隷制度の存続を容認する妥協策として生まれたものである。

 今日世界中の会計士が数値データを集計・分析するために使う 「スプレッドシート」(表計算ソフトの形式) の始まりは、奴隷労働を管理する木綿農園で定着した簿記技術に基づくものである――というような話。

 僕は、思った。奴隷制度などは、根元的な 「始まり」 ではない。

 「始まりに目を向ける」 というなら、最古の日本文学書とも言える 『古事記』 の冒頭

 
「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。」

 というところに還るのが、初発
(はじめ)のはじめに還ることだ。

 それは、「万象発現の枢機を握る 『久遠の今』 に還ること」 なのだ。

 それは、旧約聖書 『創世記』 第1章に、

 
「元始(はじめ)に神、天地を創造(つく)りたまえり……神、その造りたるすべての物を視たまいけるに甚だ善かりき」

 とあることに通ずる。

 『生長の家』 誌創刊号の3~4頁には、一般に 「人類光明化運動発進の宣言」 と称されているところの 「生長の家の精神とその事業」 という文章がある。それは、次の通りである――

≪   『生長の家』 出現の精神とその事業

 自分はいま生長の火をかざして人類の前に起つ。起たざるを得なくなつたのである。友よ助けよ。同志よ吾れに投ぜよ。人類は今危機に頻してゐる。生活苦が色々の形で押し寄せて人類は將に波にさらはれて覆没しやうとしてゐる小舟の如き感はないか。自分は幾度も躊躇した。起つことを躊躇した。自分は中心者として増上慢のそしりを受けることを恐れてゐたのだつた。一求道者としていつまでも謙遜でゐたかつた。併し今は謙遜でありたいと云ふことが自分にとつては安易を貪る一つの誘惑と感じられる。自分は此の誘惑に打ち克つて人類を救はねばならない。自分の有つてゐる限りの火で人類を救はねばならない。自分の火は小さくとも人類の行くべき道を照さすにはおかないだらう。此の火は天上から天降つた生長の火である。火だ! 自分に触れよ。自分は必ず触れる者に火を點ずる。生長の火を彼に移す。自分は今覺悟して起ち上つた。見よ! 自分の身體が燃え盡すまで、蝋燭のやうにみづからを焼きつつ人類の行くべき道を照射する。

 自分のかざす火は人類の福音の火、生長の火である。自分は此の火によつて人類が如何にせば幸福になり得るかを示さうとするのだ。如何にせば境遇の桎梏から脱け出し得るか、如何にせば運命を支配し得るか、如何にせば一切の病氣を征服し得るか、また、如何にせば貧困の眞因を絶滅し得るか、如何にせば家庭苦の悩みより脱し得るか……等々。

 今人類の悩みは多い。人類は阿鼻地獄のやうに苦しみ踠がきあせつてゐる。あらゆる苦難を癒やす救ひと藥を求めてゐる。しかし彼らは悩みに眼がくらんでゐはしないか。方向を過つてゐはしないか。探しても見出されない方向に救ひを求めてゐはしないか。自分は今彼らの行手を照す火を有つて立つ。……≫


 ――この 「発進宣言」 と言われている文章は、生長の家の根本聖典と言われている 『生命の實相』 には収録されていないのである。

 それは、何故であろうか。

          *

 榎本恵吾師が 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿にての覚え書き」 として書き遺された 『神癒の展開としての人類光明化運動』 という文章の抜粋、第6弾――

          ○

≪  生長の家の根本聖典である 『生命の實相』 には、あの 「人類光明化運動発進の宣言」 が載せられていないのは何故であるか、ということは、まことに厳かな意味で一考を要することではなかろうか。


 ――と、榎本師はまず書かれている。そして

≪  『神癒の展開としての人類光明化運動』 であるということは、その 「運動論」 、その 「運動方針」 を読むだけで神癒がもたらされる、ということを意味しているのでなければならないのである。

  「神癒」 とは如何なるものであるか。 「生命の實相の自性円満
(そのままでえんまんなこと)」 を自覚したときに起こるところの 「よろこばしき何か」 であることを再びここで確認しておきたいのである。

 ここに全宇宙の神癒の現成をすすめる運動である以上、全宇宙的 自性円満性を祝福礼拝出来る運動であることがその出発点でなければ、神の運動、すべてのすべてなるものの運動という訳には行かなくなるのであり、神癒の 「神」 が成り立たないことになるのである。

 尊師は 「既に神はすべてを救い給うたのである」 と言っておられるのであり、神ご自身は 「はじめのはじめから癒やさなければならない世界は創造
(つく)っていないのである」 と世界をあがめ給うているのであり、これが実相なのである。

  「人類光明化運動」 、 「地上天国建設運動」 は 、“私は無いのです” との、みずからの消え切りであり、澄み切りの、よろこびの輝きそのものである、その聖なる姿に、相
(あい)まみえなければならないのである。

 ここに 「人類光明化運動」 の、 「地上天国建設運動」 の 「筑紫
(つくし)の日向(ひむか)の光明遍照の實相世界」 に於ける禊(みそ)ぎ祓(はら)いの姿を視るのである。

 ここに 全宇宙的、全地上的神癒なるもの、神なる癒しそのものである、甦りそのものである運動の姿を先ず認めて出発することが出来るのである。

  『人類光明化運動』 という言葉、 「地上天国建設運動」 という言葉そのものが神であり天国であることを拝むのである。

 神癒は、ここに見よ、彼処
(かしこ)に見よと、外に求めるものではないのである。白分が神癒そのものであり、世界が神癒そのものであり、 「人類光明化運動」 が神癒そのものであり、 「地上天国建設運動」 そのものが神癒そのものであるのである。

 それが生命の實相の自性円満を拝む、生長の家のあらゆる運動の、はじめであり終わりであり、すべてのすべてなのである。

 「光明化運動」 は単なる、實相をこの世に写し出す、影を生み出す運動ではないのである。光明すなわち實在それ自体の自己展開、価値創造として存在するのである。

 實在であることは、神であることであり、それ自体で不滅の久遠の自己展開そのものであるということであり、 「光明化運動」 は久遠不滅の自己展開それ自体である “生きもの” であるということなのである。

 斯くの如き、生長、創造それ自体であるものを光明というのである。 「光明化運動」 がみずから 「光明化運動」 を実現するのである。自分というものはどこにも要らないのである。

 
 「今、起て!!」 とは 「“今” なる汝よ、起て!!」 ということであったのである。この “今” は 「久遠の今」 であり、渾
(すべ)ての渾てなる、はじめのはじめなる今であるが故に、大聖師谷口雅春先生は 「今」 そのものであり給い、その 「今」 なるものに天降った言葉であったのである。

 「今」 はすべてのすべてであるが故に、生長の家人類光明化運動もまた 「今」 そのものであり、 「“今” なる生長の家人類光明化運動よ、起て!!」 ということであったのである。「今」 と大聖師と生長の家人類光明化運動とはひとつであるのである。吾れと今と此処とがひとつである 「久遠の今」 において、大聖師と生長の家人類光明化運動と自分とはひとつなのである。

 無の門関に坐して、時空超脱の目無堅間
(めなしかつま)の小船(おぶね)に乗るとはこのことなのである。……≫

 ――と書かれているのである。

 ⇒ 谷口雅春先生御講義 「久遠の今」

 「人類光明化運動発進の宣言」 と言われている文章が、生長の家の根本聖典と言われている 『生命の實相』 には収録されていないのは、何故であるか。

 それについて榎本師は、次のように書かれている――

≪ この運動は 「今起て!」 という啓示によって起った光明化運動であるが、その天の声は、

 「無いものは無いのだ。知れ! 実相のみがあるのだ!」

 という極まった唯神実相の自覚がそこに現成した、そのところが 「今」 であり、そこに出発が成り立ったのであり、いささかも現象への妥協によってではなかったのであることをはっきりと確認しておかなければならないのである。そのことは唯神実相、実相独在、光明一元であり、救われていないものは一人もいないということであればこそ始まったところの運動であることを意味するのである。

 ひるがえって想えば、「人類光明化運動発進の宣言」 は、現象世界の状況を認めた上での方便的宣言であると言わなければならないのではないか。こちらの方は、世界が不完全であればこそはじまった運動であるというところに方便的要素があると言うことである。これはつまり状況論であると言わなければならないのである。

 一方、『生命の實相』 の方は、たとえ、そのような状況が無くなったとしても、それを超えて、神がこの天地を必要性や状況への対処のために創造され給うたのではなく、神はすべてのすべてであり、完全であればこそ、その完全なる相
(すがた)の自己展開として天地創造が行われ、神は今に至るも創造され、生長されつづけているという、その創造としての、久遠の創造のすがたとしての人類光明化運動であることがそこに顕われているといわなければならないのである。

 それ故、「人類光明化運動発進の宣言」 の方は、苦しみ悲しみがあればこそ起たざるを得なかったという方便的表現であり、『生命の實相』 の方は、うれしいからこそ起たざるを得なかった、ということになっているのである。

 このことは、世紀を超え、状況を超えた運動のあり様
(よう)が謳(うた)われているということなのである。そこに 『生命の實相』 が根本聖典であるゆえんがあると拝察されるのである。ここに尊師谷口雅春先生が 『生命の實相』 に、「発進宣言」 を載せられなかったゆえんの一つがあるのではなかろうか、という想いに至らざるを得ないのである。≫


 と。


  (2019.9.7)

524 「汝らの内、罪なき者まず石を擲(なげう)て」


 榎本恵吾師が 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿にての覚え書き」 として書き遺された 『神癒の展開としての人類光明化運動』 という文章の抜粋、第5弾です――

          ○

≪  姦淫の罪を犯したマグダラのマリアを石にて打ち殺そうとした群衆に向かって、イエス・キリストは

「汝らの内、罪なき者まず石を擲
(なげう)て」

と言い給いて、群衆が一人去り、二人去り、ついに一人も残らなかった。そこでマリアに

 「われも汝を罪せじ、往け、この後ふたたび罪を犯すな」

 とイエスは言い給うたのであった。

 役人たちがイエスを法に背いているとして捕らえようとしていたのである。マリアに対するイエスの見解を示せと迫ったのである。罪はないと言えば法に背いたことになり、罪ありと応えれば、自分の信仰に背いたことになるのである。

 この時イエスは黙して、ただ地面に何かを書いてい給うたということである。
 聖書には何を書き給うていたかはたしか書かれていないと記憶する。

 尊師谷口雅春先生は戯曲 『イエスは十字架に架かり給わず』 の中では、 「大調和、大調和」 とお書きになったと描かれているのである。

 大調和の 「大」 とは、神によってそうあることなのである。人間が自分で作ったものではなく、神の責任において、はじめのはじめから神と偕
(とも)にあるもの、神そのものが 「大」 ということであり、したがって、万人に同時にあるものであり、はじめのはじめから在る以上は永遠に消えることのない相(すがた)が 「大」 ということなのである。

 それ故 「大調和の神示」 は、神によってはじめのはじめから在りつづけている調和の相
(すがた)を祝福した神示なのである。

 それ故聖経 『甘露の法雨』 を開けば、先ずはじめに 「招神歌」 が載せられているのである。即ち 「生きとし生けるものを生かし給える御祖神
(みおやがみ)」 からはじまるものであり、生くるも、為すもすべて神によってであるところの大人生、大生活というものが示されているのである。そして、その後に 「大調和の神示」 が出て来るのである。生きとし生けるものが生かされていること、もの皆が自分で生きているのではないことが 「大調和」 なのである。

 さて、イエスは 「汝らの内、罪なき者まず石を擲
(なげう)て」 と言い給うた、その 「内」 とは、イエスみずから 「神の国は汝らの内にあり」 と言い給うた 「内」 であり、聖経 『甘露の法雨』 の 「 『汝らの内』 にのみ神の国はあるなり」 と録(しる)されている 「内」 のことなのである。この 「内」 は生きとし生けるもの、もの皆すべてに拝まれている 「内」 なのである。群衆にもマリアにもある 「内」 なのである。

 「内」 なる神の国には罪はありようがないのである。それ故、この罪なきものばかりがそこに立っていたのであり、そしてその罪なきものが罪を打ったのである。即ち

 「罪は無い」

 と罪を打ち消したのである。そして、罪は無に帰したのである。その結果、罪なき状態が顕れたのである。この時全人類の罪は打たれて無に帰したのである。この時、人類の罪に対する贖
(あがな)いの歴史は終わったのであった。

 「われも汝を罪せじ」

 と言ったのは、神がすべてを罪せじである故に、私もまた罪せじなのである。ただ単に自分のことを考えれば他人のことは言えないというようなものでは、結局は罪はゆるされていないのであり、罪はマリアにも群衆にもありつづけなのである。

 そうではなく、本当に罪なき大調和なる内なるものがあったればこそ、その罪なき姿があらわれたのである。マリアにも群衆にもそれは同じであったのである。


 この事件は、マリアにだけあったのではないのであって、群衆にも罪なき事件であったのである。内なる神性を拝まれ救われたのは、マリアだけではないのである。群衆も救われたのである。マリアは救われたが、群衆は救われない、という片手落ちなことをイエス・キリストは満足され給うであろうか。生きとし生けるものの、救われずみの實相なるもの、大調和なるものがそこに拝まれていたのである。

 現象界は、やったらやり返される世界であり、蒔いた種は刈り取らなければならず、一つの苦しみを与えた罪は一つのその同じ苦しみによって贖
(あがな)わなければ消えない世界である。それは大地を打つ槌がはずれても、この法則からはずれることは出来ないのである。

 しかし、ここにやっていない世界、やっていない自分があるとしたならば、世界は贖いの歴史は要らないのであり、人間は贖いの人生は必要ではなくなるのである。

 そのやっていない世界、やっていない神の子なる人間、實相なる世界、實相なる人間を発見したのが生長の家であり、永遠に、世界から贖いの歴史を終わりにさせたのが生長の家なのである。

 いくら新しい種を蒔こうとしても、既に過去において犯された罪によって汚染されてしまっていて、永遠に新しい、けがれなき、贖いの必要のない種を蒔くことは出来ず、たえず、過去をひきずり、過去にひきずられていた歴史は終わりとなったのである。

 戦争によって民族的な罪を贖おうとするといわれる、その戦争はまことに必要がなくなったのである。

 21世紀は、まことの戦争の終わりの世紀のはじまりとしたいものである。≫


          ○

 上記を読んで、僕は思わず涙した。

 これは、一般の解釈とは全く違う、榎本師独得の、驚くべきすごい解釈である。

 姦淫の罪を犯した女(マグダラのマリアとよく混同される)の話は、ヨハネ伝第8章1~11節に書かれている、よく知られた話である。すなわち――

≪ イエス、オリブ山にゆき給う。夜明ごろ、また宮に入りしに、民みな御許に来りたれば、坐して教え給う。ここに学者・パリサイ人ら、姦淫のとき捕えられたる女を連れきたり、真中に立ててイエスに言う、『師よ、この女は姦淫のおり、そのまま捕えられたるなり。モーセは律法(おきて)に斯る者を石にて撃つべき事を我らに命じたるが、汝は如何に言うか』

 斯く言えるはイエスを試みて訴うる種を得んとてなり。イエス身を屈め、指にて地に物書きたまう。かれら問いて止まざれば、イエス身を起して

 『なんじらのうち、罪なき者まず石を擲
(なげう)て』

 と言い、また身を屈めて地に物書きたまう。

 彼等これを聞きて良心に責められ、老人
(としより)をはじめ若き者まで一人一人いでゆき、唯イエスと中に立てる女とのみ遺れり。イエス身を起して、女のほかに誰も居らぬを見て言い給う

 『おんなよ、汝を訴える者どもは何処におるぞ、汝を罪する者なきか』

 女いう 『主よ、誰もなし』 イエス言い給う

 われも汝を罪せじ、往け、この後ふたたび罪を犯すな』 (「ヨハネ伝」第8章1~11節)≫



 これについての一般的解釈は、たとえば――聖学院大学大学院客員教授の鵜沼裕子氏は、次のように書いておられる――

≪ 私がまだキリスト者となる前の、若い学生の頃で、聖書の知識もほとんどなかった頃のことでした。当時、若者・年配者を問わず広く読まれていた文芸評論家に、亀井勝一郎という人がおりました。どういうきっかけであったか覚えていませんが、あるとき私は、この方の講演を聞きに行きました。亀井氏はキリスト者ではなく、仏教に帰依し、特に親鸞に私淑して、親鸞についての書物も書いておられる方であります。

 ……その時語られたことの中で、ひとつだけ今でも忘れられないことがあります。それは、亀井氏が聖書のこのヨハネ福音書の箇所を取り上げて、「汝らのうち罪なき者まず石をなげうて」というイエスの言葉について、これはまさに宗教の極意であり、宗教の真髄を表した言葉である、まことの宗教者にして初めて語ることの出来る、深い言葉である、と熱く語られたことでした。

 親鸞に傾倒しておられた亀井氏にとって、悪人こそ救いの対象である、と語った親鸞の 『歎異抄』 という書物の教えに通じるものがあったのかもしれません。いずれにせよ、その時の亀井氏の熱のこもった語りが私の心の琴線に触れ、それ以来、「汝らの中罪なき者、まず石を投げうて」 というこの言葉が、何かにつけて心にこだまするようになりました。

 一体、自分自身の考えや行為に絶対の確信をもって、人に石を投げることの出来る人がいるでしょうか。心の中に何のやましいこともない人などいるでしょうか。そして、この体験は、このようなことが語られている聖書というものと真剣に取り組んでみたい、という思いを私に抱かせたのであります。

 聖書のこの話は、全く罪のない者、心の中にやましい所のない者など一人もいない、という人間の現実を暴いたものといえるでしょう。

 小説家三島由紀夫のある作品に、他人の幸福をこの世で何よりも嫌悪し、誹謗や中傷、罵詈雑言やスキャンダルが大好きだという人物が出てきます。そんな人は例外だ、と思うかもしれません。しかし、たとえば人がテレビのワイドショーを喜んで見るのは、暗にそうした欲望を満たしたいからではないでしょうか。……≫


 ――それが常識的、良心的解釈なのである。

 ところが、榎本師は 「実相独在」 なる 「久遠の今」 に立って、「現象なし」 と完全に常識を超えた超常識的解釈をされたのである !!


 鵜沼裕子氏は、次のように詳しく書かれている――

≪ 学者たちが、不倫の現場で捉えられた女性をイエスのもとに連れてきて、イエスに一つの問いを投げかけます。

 「こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」

 これは大変難しい、しかも危険な質問です。もしもイエスが 「打ち殺してはならぬ」 と答えれば、当時厳しく守られていたモーセの律法に背くことになります。しかし、「打ち殺せ」 と答えれば、「神の赦し」 を説く日頃のイエスの教えと矛盾することになります。つまり学者たちの意図は、イエスを窮地に陥れて、イエスを訴える理由をつくることにあったのです。このイエスの言葉は、そのような抜き差しならない場面で発せられたものであります。

 その時イエスは、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」 と答えられました。イエスは、敵対者から突き付けられた難題を見事にかわし、しかも、いわば返す刀で、問う者自身に鋭い問いを投げ返されたのであります。

 私は、学者たちがここで更にイエスを攻め続けずに、憤然と立ち去っていったということにも驚きを感じます。恐らくその理由は、イエスの言葉に、抵抗することの出来ない重み、心に突き刺さるような鋭い力があったからではないでしょうか。その鋭さは、いわゆる 「寸鉄人を刺す」 という、離れ業のような鋭さではありません。心の深みに静かに染み通り、聞く者を自ずと深い内省へといざなっていく力であったと思います。≫


 ――と。

 鵜沼裕子氏は、たいへん謙虚なキリスト者だと思う。しかし、人間は皆、罪のない者はいないということになれば、そのような不完全な人間をつくった神は不完全だったということになり、神を否定することになる。榎本師がいわれるように、

≪……「汝らの内、罪なき者まず石を擲(なげう)て」 と言い給うた、その 「内」 とは、イエスみずから 「神の国は汝らの内にあり」 と言い給うた 「内」 であり、聖経 『甘露の法雨』 の 「 『汝らの内』 にのみ神の国はあるなり」 と録(しる)されている 「内」 のことなのである。

 「内」 なる神の国には罪はありようがないのである。それ故、この罪なきものばかりがそこに立っていたのであり、そしてその罪なきものが罪を打ったのである。即ち

 「罪は無い」

 と罪を打ち消したのである。

 ただ単に自分のことを考えれば他人のことは言えないというようなものでは、結局は罪はゆるされていないのであり、罪はマリアにも群衆にもありつづけなのである。

 内なる神性を拝まれ救われたのは、マリアだけではなく、群衆も救われたのである。

 マリアは救われたが、群衆は救われない、という片手落ちなことをイエス・キリストは満足され給うであろうか。生きとし生けるものの、救われずみの實相なるもの、大調和なるものがそこに拝まれていたのである。

 神の子なる人間、實相なる世界、實相なる人間を発見したのが生長の家であり、永遠に、世界から贖
(あがな)いの歴史を終わりにさせたのが生長の家なのである。≫


 ――でなければ、真の神の救いとはならない。

 「内」 とは、「久遠の今」 のことである。ここに真の神の救いがある。

 ここに、生長の家が 「人類最後の最高の教え」 であると言われる所以がある。

 合掌


  (2019.9.3)

523 自性円満の自覚のひろまることが、光明化である。


 榎本恵吾師が 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿にての覚え書き」 として書き遺された 『神癒の展開としての人類光明化運動』 という文章の抜粋、第4弾です――

          ○

≪  「天地(あめつち)の創造主(つくりぬし)にましまし、吾が生みのみ親にまします神よ。只今神癒祈願申し込み中の方々に、生命の實相の自性円満(そのままでえんまんなこと)を自覚せしめ給いて、神癒を実現せしめ給え」

 と、自分は神癒を祈る時に唱えることにしている。

 それは 『生命の實相』 第一巻の本論の冒頭に

  「生命の實相の自性円満
(そのままでえんまんなこと)を自覚すれば大生命の癒力(なおすちから)が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります」

 と書かれているからである。

 あらゆる神の癒しという癒しはすべて、生命の實相の自性円満
(そのままでえんまんなこと)を自覚することによって実現しているのである。

 自性円満の自覚によるのであって、不完全の自覚、罪の自覚によってではないのである。

 神癒の展開として生長の家人類光明化運動がある以上は、生命の自性円満の自覚運動であるのがこの運動なのである。

 「そのままでえんまんなこと」(自性円満)の自覚のひろまることが、光明化運動(自性円満)がひろまることなのである。

 實相の自性円満は 「そのままでえんまんなこと」 において、自ら目覚めて自覚となって展開し、一切の光明化運動の相
(すがた)となって花咲いているのである。

 自性円満の自覚と言えども、その自覚も神が為し給うのである。實相の自性円満とは神であり給うことである故に、人間力の入る余地はいずこにもないのである。

 神自
(みずか)らの目覚めとしての自覚として神癒があり、人類光明化運動がありつづけているのである。その自覚は久遠の昔から在りつづけている久遠の自覚なのである。

 久遠を流るるいのちの自覚こそ久遠の生長の家人類光明化運動なのである。神がおはじめになった運動とはこのことである。神は渾
(すべ)ての渾てにましますが故に、自分の全く要らないのが、神がおはじめになった運動なのである。

 既に完成している實相なるものの運動である時、はじめて、はじめのはじめから自分というものは消えている運動となっているのである。

 自分がいて、自分が支えてやらなければならない、というような運動は、我
(が)の運動であって、神の運動、感謝の運動ではないのである。それはもともと無い運動だったのである。そんな運動であったためしのないのが生長の家人類光明化運動なのである。いのちが久遠に流るる運動なのである。

 生長の家の運動は感謝の運動であるということは、神がすべてのすべてであり給う運動であるということなのである。

 それはまた、神癒の運動であるということにおいて、神が癒しそのものである運動であって、ここにもまた自分の必要はどこにもないのである。

 自分なるものは未だかつて生長の家の運動をしたことは一度もなかったのである。自分そのものが無いからである。

 生長の家の人類光明化運動は、天地
(あめつち)の初発(はじめ)の時のまま、 「今」 をはじめとする天地(あめつち)のはじめに、神と偕(とも)にあったそのままの相(すがた)で、今ここに輝きつづけ、広がりつづけなのである。

 久遠を流るるいのちの 久遠を流るる人類光明化運動よ。≫



  <つづく>


  (2019.8.30)

522 まことの人間は罪を犯すこと能わず―人間に迷う自由はない !


 榎本恵吾師が 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿にての覚え書き」 として書き遺された 『神癒の展開としての人類光明化運動』 という論文抜粋の第3弾です――

          ○

≪ 神想観において 「吾れ今五官の世界を去って實相の世界に入る」 と言ったとき、すでに五官の世界のすべては消えているのである。光明化運動のひろがっている世界もひろがっていない世界もないのである。

 現象を針の先ほどでも認めるということは、 “神はない” ということなのである。神のない光明化運動というものは有り得ないのである。

 神は天地創造を何の必要があってなされたもうたのであろうか。神は必要性のために天地を創造せられたのではないのである。神の前に、神より先に “必要性” というものが存在するとか、神以前に何かがあり、神がそれに従わなければならないということは決してないのである。神はただただ嬉しくて、よろこびで、創造したいから創造せられ給うたのである。

 人間は神の子であって完全であるのに何故迷うのか。

 「それは神が人間に自由を与え給うたからである。神は強制され給うことはない。自由のないところには価値がないからである。迷う自由がありながら、自由性の中に迷わないところに善があるのである」 とも言われる。一応この説明は方便説としては説かれているところではある。

 しかし、それならば聖経 『甘露の法雨』 の中の

 「……罪を犯さんと欲するも罪を犯すこと能わず。」

 ということはどうなるのであるか。

 神の前に、神がしたがわなくてはならないという法則などはないのである。 「自由のあるところにのみ善がある」 というような法則が神より先にあって、神はその法則に従って創造をしなければならないなどということは有り得ないことなのである。神は神のコトバの発し給う通りでよいのである。

 それ故、神は、迷う自由を無くして、しかもそこに善があり、無限のよろこびがあるという相
(すがた)に人間を創造したもうたのが本当の相なのである。

 人間は未だかつて迷ったことはないのである。迷う自由は無いのである。此の世もまた一度も不完全であったことも、暗
(やみ)であったことも、迷いのあったこともないのが真実の相なのである。

 ここに、「不完全であるからこそ救済しなければならない」 という姿は消えてしまったのである。不完全、暗をもとにする光明化運動ではなくなったのである。

 『未だかつて、一度も一人も救ったことはない』 ということが光明化運動の本当のすがたなのである。

 ただただ、光明が光明し、實相が實相し、光明一元だからこそ、實相円満完全であり、迷うもの一人もなく、迷いそのもの、暗そのもの不完全そのものが存在しないからこそ、光明であり、光明化運動があるのである、ということが真実の運動のすがたなのである。

 唯神實相、光明一元であれば、なぜ運動の必要があるのか、ということの説明において、現象というものを針の先ほども持ち込まないで説明し得るか、ということは、21世紀の百年をかけて研究されてもされ尽くすことの出来ない、美しいテーマであろうと想われるのである。≫



  <つづく>


  (2019.8.27)

521 諸行は無常にあらず。諸行は実在にして常恒である!


 榎本恵吾師が 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿にての覚え書き」 として書き遺された 『神癒の展開としての人類光明化運動』 という論文抜粋の第2弾です――

          ○

≪ 誰が言い出したものか、生長の家の説く真理には、縦の真理と横の真理とがあるということを聴く場合が多いのである。

 そして横の真理を説くということは、心の法則、いわゆる三界唯心所現の理を説くことであり、これは現象世界のことなのであるが、現象を認めた上での話である、という。

 これに対して、縦の真理とは現象無しを説き、そして、實相の独在を説くことであるという。

 しかしながら、尊師谷口雅春先生が 『生命の實相』 においてお示しになっていられるのは、多少趣きを異にしている。

 『生命の實相』 第17巻の 「はしがき」 では、横の真理の説明が先にされて、その説明によれば、横の真理とは 「三界は唯心の所現」 即ち 「現象無し」 と悟ることであると説かれ、 「現象無し」 が横の真理であるとされているのである。

 そして、縦の真理とは、人間は久遠不滅の神のいのちそのままである、と悟ること。即ち實相の独在を悟ることが縦の真理である、とされているのである。

 つまり、横の真理は 「現象無し」 であり、縦の真理は 「實相独在」 ということなのであって、現象を多少でも認められた部分は縦横の説き方の中には入っていないということなのである。

 「現象無し」 「實相独在」 で縦横がつくされているということであって、私たちは通常 「現象無し、實相独在」 という順序で受けとっているのであるから、この通常の順序にしたがって、横の真理すなわち 「現象無し」 から先に説明されたものと拝察されるのである。

 「現象無し。實相独在」 で縦横がつくされているということは、これ以外に生長の家は無いということなのである。これこそが生長の家の人類光明化運動が神癒の展開として出発していることの根拠であると拝察させて頂くのである。

 現象無しと現象を超えた時にのみ、神=實相独在があり、そこに自性円満の生命の實相を認めた時にあらわれるメタフィジカル・ヒーリング(神癒)が認められるのであって、現象を何らかの意味において、横の真理として認めたところには、神なく、實相なく、したがって神癒は無く、そこには神なき迷妄の展開があるのみなのである。

 尊師谷口雅春先生のお悟りになった、啓示を受けられたところの最後のところは、 「自分もまた明治26年の11月22日に母の胎内から生まれたのではなかった」 のであり、そして

 「今はじめて悟ったのでもなく、久遠の昔より、そして今このまま久遠の仏そのものであった」

 というよろこびで結ばれているのである。

 これは父母未生以前の自己の発見であったと拝察するのである。

 一切を超えられたお姿がここにあるのである。自分自身をも超えられたのである。

 神は何ものにも依らない、在りて在り給うそのいのちのよろこびをご自分自身に体現せられたのであった。

          ○

 「三正行すなわち、聖典を拝読すること、神想観をすること、そして愛行をすることは尊いことの極みではあるが、それをやってから私は生まれて来たのではない。」

 このことは、いつ如何なる時にも発せられることのゆるされている言葉であり、この言葉を発せられることが、よろこびということなのである。これは因縁を超えたる円相的自由ということなのである。このよろこびを以て進められるのが、いわゆる 「よろこびの光明化運動」 というものなのである。宇宙いっぱいの自由、神なる自由ということなのである。

 「常に神なら如何にあり給うかを想え」 ということこそ、よろこびのもとなのである。それは決して、神のなし給うことを参考にして生きよ、ということではないのである。何故ならば、神は何ものにも依り給わない存在であり給うからである。それ故、神なら如何にあり給うか、とは何ものも参考として依ることの要らない姿として今ここにあれ、ということなのである。

 「吾れ神の内にあり、神吾れの内にあり」 である。神に祈ると言えども、神吾れの内にありである。この上に立っての 「御祖神
(みおやがみ)」 である。

 「實相を成就せしめ給え」 との祈りは、實相が成り就
(な)りひびくことであり、純粋なる實相なるもの、完成なるものの持続を、實相なる神の子が宣(の)りごとしているのである。

 ここには實相は現象に現れなければ何にもならぬ、もしくは、實相は現象に顕れはするが、しかし現象に顕れなければ値打ちがないというような、現象に価値づけして貰わなければならないというものでは決してないのである。

 もしそのようなものであれば、神もまた全宇宙的に實相を完全には顕してはおられないのであるから、神もまた完全全能ではないということになるのである。

 人生の目的は、「實相を現象に投影し出すこと」 というような、影の創造ではないのであって、實相の成就すなわち、實在が實在し、實相が實相するのであって、尊師谷口雅春先生がお示し下さった 「愛行はむなしからず」 とは、影のための人生ではないことをお示し下さっているのである。

 そのとき、諸行は無常ではないのである。諸行は實在にして常恒なのである。

          ○

 「与える生活を生きよ」 とは、求めることの要らない存在である相
(すがた)を祝福した言葉なのである。それは、既に、内に、すべてが満足、自足している存在、即ち神と同じ相である、實在の實相の自性円満を祝福した言葉なのである。

 神は求め給わない。神は外という因縁を、自分が自分である原因なるものを求める必要のない、みずから在りて在るご存在にましますのである。

 求める必要のない存在でなければ、与えるということは成り立たないのである。

 宗教に求める必要なく、行に求める必要なく、人に求める必要なく、心に求める必要なく、一切の外界、一切の現象無しと斬ったそこに輝く、内なるものの展開あるのみの生活、即ち 「与える」 生活がここにあるのである。


 「光りは東方より」 ということは、 「光りは当方より」 ということである。

 全存在の発するところは吾が内にましますのである。自分は無いのである。当方のみが渾
(すべ)ての渾てなのである。すべては内より出でて内に還るのである。

 時間も空間も、したがって21世紀も 22世紀も、「当方より」 ということなのである。いのちなるものは、21世紀という時間の流れの枠組みの中に規制されて生くるのではないのである。

 また、組織という空間的枠組みの中に部分として組み込まれているのでもないのである。時間空間と心とを組み合わせ、それを織りなしている創造的主体者として生かされているのである。組織人とは当方より組織を発しているいのちのことなのである。

 神癒の社・入龍宮幽斎殿に於ける神想観の中で、

 「われ今、此処、龍宮界の龍宮城に坐して住吉大神より龍宮無量寿のいのちにて全身全霊浄めらる……」

 と念ずる。この 「全身」 とは 「全ての全てなる身」 ということであり、 「全霊」 とは 「全ての全てなる霊身」 ということである。吾れ今此処ということにおいて、自己のいのちが 「全身」 であり、 「全霊」 である。住吉大神の祝福によりその本来の相に還ることが、“浄めらる” ということなのである。それが 「わが全身如意宝珠なり」 という言葉となって行くのである。

 即ち、全存在なる 「当方」 に帰ることが 「全身全霊浄めらる」 ということなのである。宇宙の中の部分である自分一人が浄めらるということは有り得ないことである。

 全宇宙と一つでないことが浄まっていないことであり、現象界の妄想即ち汚れなのである。

 一つなるもの、全ての全てなるものに還っていることのほかには浄まっている相
(すがた)はないのである。全宇宙と偕(とも)に一つとなって浄まっていると言ってもよいかも知れない。一つが一つすることが浄まっていることなのである。

 「吾ら現象界の妄想悉く浄められて本来の如意自在の實相顕わる、わが全身如意宝珠なり、一切の宝、吾が掌中にあり……」

 と唱えるのである。 「本来の如意自在の實相」 とは、渾ての渾てであることに他ならず、 「わが全身如意宝珠なり」 とは全ての全てなる身即ち如意宝珠即ち全宇宙にほかならず、 「一切の宝、吾が掌中にあり」 とは全ての全てにほかならず、吾れそのものがそれであることが浄まっている相
(すがた)、本来の相なのである。それが荘厳の極みなる自己の自己なるものであり、内そのものであり、当方そのものなのである。

 吾が内の展開としての天地であり、組織であるのである。内が神であり、神が内である。 「神よ」 と呼ぶ時、それはすべてであるのである。神に祈りの成就を求める必要はないのである。渾
(すべ)ての渾てであり、神は成就そのものであり給うのである。世界の平和を祈る時、 「神」 と言った時、成就そのものを呼んでいるのである。神が為し給うとは、成就そのものが為し給うているのである。

 「神よ、21世紀を御心のままに」 と祈る時、御心は成就そのものなのである。祈りそのもの、願いそのものが、内なる神、内なる渾ての渾て、内なる成就そのもの、成就が展開して祈りとなっているのである。すべてが当方であり、当方が渾ての渾てなのである。これが如
(にょ)であり、如意自在であり、今であり、天国浄土そのものなのである。願いとその成就が分裂していないのである。それが實在の實相なのである。ただただこのことの成り就りひびきがあるのみなのである。≫


  <つづく>


  (2019.8.24)

520 「実相」は、自覚する必要のないものである。


 榎本恵吾 本部講師(故人)は、谷口雅春先生の発見された(覚られた)生長の家生命の実相哲学に、最も深く透徹された天才的宗教家であったと思う。

 榎本恵吾師が 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿にての覚え書き」 として書き遺された 『神癒の展開としての人類光明化運動』 という論文がある。

 53字×19行×1000頁、すなわち約100万字にもなる膨大な量の論文である。

 これは榎本師が宇治別格本山の神癒祈願部長をされていた平成10年から11年(1998.7.1~1999.11.29)に、毎日 「入龍宮幽斎殿」 で神想観・神癒祈願をされたあと、深い祈りからほとばしり出た、内なる神の声と言ってよいものだと思う。平成10年大晦日の12月31日にも、11年元日の1月1日にも、1日も休みなく書かれている。

 榎本師は、これを当時本部に設けられていた 「光明化運動・21世紀を考える検討委員会」 宛に送っておられたという。

 その控えのプリントを、僕は頂いて持っている。このたび、本サイトの 「ひろば」 の頁に掲載させて頂いた 「元宇治研修生」 氏のメールに触発され、あらためてそれを読み返して、ここにご紹介させていただく――。

          ○

≪ 『生命の實相』 第一巻 本論の冒頭には、高らかに、

   生命の實相の自性円満
(そのままでえんまんなこと)を自覚すれば大生命の癒力(なおすちから)が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります。

 とうたい上げられているのである。

 ……

 實相は完全であり、神であり、すべてのすべてであるから、實相とはなれたところで、それを観じたり、自覚したり、しなかったりというようなはなれたもののはたらきは要らないのである。

 實相は観じられなければ、自覚されなければ無い、というようなものではなく、観る観ない、自覚するしないを超えてみずから在りて在るところのものなのである。

 實相は観る必要のないもの、自覚する必要のないもの、知る必要のないもの、みずから存在するものである。

 そのようなものとしてよろこぶことが、そしてそれが自分そのものであって、はなれていない、従って今ここに既にはじめのはじめから “それでよい” ところのものとして、よろこぶことが、尊師谷口雅春先生が 『生命の實相』 の中でお示し下さっている、「観ること」 であり、「自覚すること」 なのである。

 自覚するとは、自
(みずか)ら覚めるという意味を表現した言葉なのである。


 これぞ龍宮住吉本宮 出龍宮顕斎殿の建立が象徴しているものなのである。その建立の主旨として、

 「最早や人間の力では及ばない、神に直接お出まし願う」

 と、尊師谷口雅春先生のお言葉にある。即ち、「神=實相には、直接自分で顕現する力が備わっている」 と観じられているのである。

 人間の側の心によって――いわゆる自覚や観ずることによって、實相を引き出し顕し出すということによって――ではなく、實相には自分で顕現し、展開する力が備わっているのである。

 天照大御神は、天之岩戸
(あまのいわと)を外の力によって開かれるのではない。外に居る神々も、岩戸も、高天原も、すべては天照大御神が生み給い、生かし給うているのであるから、天之岩戸の内も外もすべては天照大御神そのものなのである。だから天照大御神はご自分の力で出でまされたのである。渾(すべ)ての渾てであり給う天照大御神は一度も隠れ給わず、露(ろ)堂々として全宇宙となり輝き出でましつづけていられるのである。

 そのことを認めることが、あるべきものがあるべき姿にあること、浄まっていることなのである。

 かくのごとく観じ、はじめから 「天照大神出でましぬ」 となっていることを観じる時代(世紀)を迎えていることを象徴しているのが、出龍宮顕斎殿の建立なのである――と拝察申し上げる。≫



  <つづく>


  (2019.8.22)

519 人間は皆、船長である


 「生長の家」 という現象界の船は、すでに沈没しかかっているのではないか

 ――というその船の 「船長」 とは、生長の家総裁という他人のことではない。

 人間は皆、「運命」 という船の船長なのである。

 それが、「天上天下唯我独尊」 ということであり、「人間はみな神の独り子だ」 ということである。

 私が船長であり、あなたが船長であるのである。

 時あたかも 「生長の家」 という船が、現象界においては、大きく二つに割れて、沈没しかかっていると見えているのである。

 それは誰の責任でもない、私の責任であり、あなたの責任であるのである。

 しかし、「現象はない」 のである。悪はないのである。不完全はないのである。


 「 “本当の教祖” というべき “真理の啓示者” は “実相世界” にある “神” のみなのである。イエス・キリストも 『師というべき者は、唯ひとり天の父のみである』 といっているし、谷口雅春も、“自分は教祖ではない。実相世界に生長の家の本部はある” といっているのである。」

 と 『神 真理を告げ給う』 (p.13) に書かれている実相の生長の家に、分裂はないのである。悪は無いのである。敵はないのである。

  
「神はすべてにして、
   すべて一体
(ひとつ)なれば、
   よろずもの皆共通
(ひとつ)
   ちから是を生かせり。

   天地
(あめつち)の創造主(つくりぬし)は、
   唯一つの神にませば、
   天地はただ一つに、
   いと妙に調和満つる。

   吾れ坐す妙々実相世界
   吾身は金剛実相神の子
   よろず円満大調和
   光明遍照実相世界。」


 と 「実相を観ずる歌」 にある通りなのである。

 その実相、本当のすがたを、現実世界に顕わすのが、神の子人間の使命なのである。


 分裂して沈没しかかった船、そしてその乗員すべてを、救うことができるのは、何者であるか?

 それは、
岡正章という何の実力も実績も無く、ただ馬齢を重ね、犬の遠吠えのように偉そうなことをネット上に書いているだけの愚かな狂人に、できるわけがない。


 ――人間には、不可能なことである。

 分裂して沈没しかかった船、そしてその乗員すべてを、救うことができるのは、人間ではない。それが出来るのは、ただ神のみである。


 諦めましょう。ギブアップ、GIVE UP しましょう。無駄な抵抗はやめて、神に、無条件降伏しましょう。 そして、笑いましょう! 喜びましょう!


  (2019.8.15)

518 (50年戦争)


  (2019.8.13)

 ――この項は、道から外れていたと思いますので、削除します。


517 後世に伝えたいこと(3)


 生長の家 「七つの燈台の点燈者の神示」 のひとつに、「万教包容の神示」 というのがある。

 「万教包容の神示」 に、次のように示されている。

≪ キリスト教では聖地エルサレムが世界の中心であると言い、大本教では丹波の綾部が世界の中心であると言い、天理教では大和の丹波市が世界の中心であると言い、天行居では周防の岩城山が世界の中心であると言う。世界の中心争いも久しいものである。併しわれは言う、それらは悉く皆世界の中心であると。

 一定の場所が世界の中心だと思っているものは憐れなるかな。生命の実相の教えが最も鮮かに顕れたところが形の世界の中心であるのである。そこは最も世を照らす光が多いからである。

 キリスト教でもイエスの教えがエルサレムに最もよく輝いていた時代はエルサレムが世界の中心であったのである。天理教でも教えの光が最もよく輝いていた時代は大和の丹波市が世界の中心であったし、大本教でも教えの光が最もよく輝いていた時代は丹波の綾部が中心であったのである。

 わが行きてとどまるところは悉く世界の中心であるのである。
 誰にてもあれ生命の実相を此世に最も多く輝かせた処に吾は行きてとどまり其処が世界の中心となるのである。

 …(中略)…

 古神道ひとすじで行く、基督教ひとすじで行く、阿弥陀ひとすじで行くと言うような人があり、そのひとすじの所に誠があらわれていて喜ばしいが、大抵は自教の外に他教を認め、他と混りたくない意味で言うのであるから、自分で自分の崇める神なり仏なりを小さくしているのが気の毒である。

 本当の神は一つであり、他の神と対立するような小さな存在ではない。

 本当の古神道は自余の一切の教を包括するものであり、本当の基督教は自余の一切の教えを包括するものであり、本当の仏教は自余の一切の教えを包括するものである。そして如何なる教にてもあれ一切の教えを包括する本当の実相に到達したとき 『生長の家
(たかあまはら)』 と言うのである。それは天爾の 『家』 であり 『巣』 であり 『統(す)』 であって教(おしえ)ではない。その家の中にあって色々の教が生きるのである。

 本当の古神道は 『生長の家』 の内にあり、本当の基督教は 『生長の家』 の内にあり、本当の仏教は 『生長の家』 の内にあり、生命の実相の顕現する所、説かるる所、読まるる所、その悉くが世界の中心である。
(昭和七年七月七日朝神示)

          


 生命の実相は、「久遠の今」 すなわち時間・空間そこより発した本源世界、生長の家にある。「久遠の今」 すなわち生長の家から万教は出たのであり、生長の家の外にあるものなしである。そのことを、「本当の神は一つであり、他の神と対立するような小さな存在ではない」 と、神示には示されている。

 この神示をわかりやすく解説されたようなご文章が、『生命の實相』 第12巻第4章に、次のように書かれてあった。

≪ もし、この 「生長の家」 が何々教というように、ほかの宗教に対して対立的になっている一つの宗教でありますならば、このように他のいっさいの宗教を包容して、そのすべてを生かしてゆくことができないのです。

 「生長の家」 がこのようにいっさいの宗教を包容してその神髄を生かしてゆくことができるのはなぜであるかと申しますと、「生長の家」 はいっさいの 「生命」 がそこから発生し、そこから生長し出た 「家」 であるからであります。

 「家」 というのは 「生」 が 「寄」 る、すなわちいっさいの生命がそこに寄り集まる所をいうのであります。この 「家」 のことをまた 「巣」 と申すのでありまして、小鳥の巣、獣の巣、虫の巣などいろいろありますが、すべて 「巣」 というものは 「生命」 が集まって来て、そこで 「生命」 が窮屈な社会的仮面を脱いで、本来の伸び伸びした面目を発揮する所なのであります。

 「家」 すなわち 「巣」 というものは、蜘蛛の巣を見ましても一つの中心に集まっている。スベテが一つの中心に統一されている――このスベテの 「ス」 、統一するという意味の 「統べる」 という言葉の 「ス」、スベテが統一されて、スキ通り、スミきって、少しも乱れがないいっさいを包容するという意味での 「澄」 「透」 などの意味が 「生長の家」 の語にはあるのであります。すなわちわれわれの教えは無色透明の 「家」 であるからこそ、すべての宗教の方々に喜ばれるのであります。



 この 「生長の家」 というのは、そのように中心の無色透明の真理の家でありまして、「生」 すなわち 「縦」 に無限に生びること――すなわち無始無終無限の時間と、「長」 すなわち 「横」 に無限に長びること――すなわち無始無終無限の空間とを、一つの中心より放射状に発生せしめて一切万象発現の枢機を握り、一切万象そこより発し、そこに帰る中心を握っている巣(統、主)であるから、「生長の家」 といったのであります。

 このように 「生長の家」 といいますのは、一切万象をそのうちに統べ包んでいる宇宙をいうのでありますから、いっさいの宗教が 「生長の家」 に包容されるのは当然のこと、いっさいの事物の創造原理さえも 「生長の家」 に包容されねばならないのであります。

 宇宙のありとあらゆるものは、最初に中心があって、そこから 「縦」 と 「横」、時間と空間とがあらわれまして、その時間空間が交叉せる家、すなわち 「生長の家」 の内に在るのでありまして、…(中略)…「生長の家」 とは縦横無限の宇宙、無始無終の時間空間の交叉せる家、陰陽二つの原理の交叉せる宇宙なのであります。縦は火の燃える相
(かたち)であり、横は水の流るる相であります。この陽と陰との交叉せる世界がこの大宇宙なのであります。≫

          ○

 ――それが、「生長の家」 なのであった。

 それなのに、もともと一つの生長の家から出た同志すらも、不倶戴天の敵であるかのように排斥する教えなどは、とても 「生長の家」 だと言うことはできない。

 それは、生長の家の教規にも違反することではないか。教団の教規は、国家の憲法にあたるものであって、内閣総理大臣といえども憲法を守らなければならないと同様に、総裁といえども教規は守らなければならない根本規定だと思う。

 その生長の家教規の第2条に、「この宗教の設立の目的は次の通りである。」 として、次のように記されている。

 
「(1)谷口雅春創始の、生長の家の教義に基き、その主著 『生命の實相』 を鍵として、万教共通の宗教真理を開示し、これを宣布することによって、人類光明化につくすこと。」

 と記されているのである。

 その意味するところは、#515#514 に録したとおりだと信ずる。

 だから僕は、この教団に居続けている。

 生長の家は神が始められた神の運動であると信じているからである。

 神の運動は、神意が中心でなければならない。総裁の恣意
(しい)を中心にした運動に、信徒は盲目的に従わなければならないというのでは、カルトになってしまう。

 谷口雅春先生は御著書 『親鸞の本心』 の 「はしがき」 に

≪ 所詮、宗教と云うものは宗祖の教えを受取る人々の心的力量によって、深くもとれれば浅くもとれるものであって、たとえば西本願寺の勧学寮がその教権によって、親鸞の教えはかく解すべきものである、それ以外は異安心であると封建的に断定を下すべき筋合のものではないのである。

 本当に人間が救われるか、救われないかと云うような問題は 「誰が何といったから、それがたといだまされていても救われる」 というように他の人の解釈にまかせて置くべき問題ではないのである。「魂の救われ」 の問題は人々各自が真剣に取組んで考えて見なければならぬ生命を賭けての問題である筈である。≫


 と書かれている。大切なことである。

          


 生長の家が ≪人類を究極の平和、「神の国」 即 「仏国土」 を地上に実現する基となる哲学・宗教である≫ と僕が思うのは、それが 「現象は、ない」 「神は、悪を創らないから悪は存在しない」 という唯神実相哲学であって、対立抗争を超えているからである。

 そこにこそ、生長の家の真骨頂があり、これを外せば、生長の家も単なる一宗一派になりさがり、カルトの一つとなってしまう。そんなものを後世に遺しても何の価値もない。

 3代目谷口雅宣総裁は、「谷口雅春先生も、間違われることもある」 といい、「『生命の實相』 はもう古い」 とか、聖経 『甘露の法雨』 は不完全だから自分がこれを補強する」 と言って、人間知、頭脳知で、「現象なし、唯神実相」 の真理を覆いくらますような詩を作った。そして 「これは聖経に取って代わるものではない」 と言いながら、結局は聖経の形にして信徒に読ませるという暴挙に出た。

 雅宣総裁は、「悪はない」 という絶対善の唯神実相から出発せず、「悪がある、不完全がある」 という 「現象」 から出発して、現象改変を目的とした運動をしている。それは 「メタフィジカル・ヒーリング」 による神の運動ではなく、人間の頭脳知による運動に引きずり下ろしてしまったのである。

 『生命の實相』 の著作権を谷口雅春先生から譲渡されていた公益財団法人生長の家社会事業団は、長年にわたって 『生命の實相』 のリニューアル版発行を提言してきたが、総裁の意向によりそれが容れられなかったので、日本教文社に与えていた独占出版権を引き揚げて光明思想社という別の出版社から出版させることにした。

 その経緯はいろいろあるにしても、配下の日本教文社が 『生命の實相』 (聖経を含む) の出版権を失った根本原因は、総裁が 『生命の實相』 を軽んじたことにあるのではないか。

 にも拘わらず、社会事業団を悪者に仕立て、裁判沙汰にして法廷闘争に持ち込み、誰も得をしない泥沼の10年戦争を続けている。

 「万教包容」 どころではない、身近な同志すらも包容することができず、排除敵対抗争をつづけていて、何処に 「大調和」 を掲げる生長の家があるのか。

 その結果、救済力を失った生長の家教団は衰退の一途を辿っている。


 出発点が、間違っていたのである。

 神から出発せず、現象から出発していた。

 神は、愛である。愛は、神である。

 愛と赦しから出発し直さなければ、もはや生長の家はないのである。


 「日本の実相顕現の神示」 に

≪ 敗戦の原因は多々あれども戦争を始めたから敗けたのである。……排他の心は、他と自分とを切り分ける心であるから、切る心は切られる心と教えてある通りに自分が切られる事になったのである。

 切る心は三日月
(みかづき)の心であり、利鎌(とがま)のように気が細く、角だっていて、空にあらわれている時間も少く、その光も弱く、直(じき)に地平線下に沈んでしまう心である。≫

 とあるが、生長の家教団が今、沈みつつあるような現象を呈しているのは、上記の神示にある通り、「排他の心は、他と自分とを切り分ける心であるから、切る心は切られる心と教えてある通りに自分が切られる事になったのである。」

 これは、まことに悲しいことであると言わざるを得ない。しかし、

≪ 心の通りに日本の国が沈んでしまっても、それは日本人の心みずからの反映であるから、徒(いたずら)に失望、落胆、放心してしまってはならない。

 『見よ、われすべてのものを新たにするなり』 と教えてある。現象の三日月は沈んでも実相の円満玲瓏
(れいろう)一円相の満月は依然として虚空に輝いている。それと同じく、心狭く尖りたる排他的な軍国主義の似非日本の国は沈んでしまっても、実相円満の日章旗のようにまんまるい日本の国は無くなってはいないのである。

 有るもの、有りしものは永遠に滅びることなく、必ずそれは日本人全体の心が円満になり、実相の波動に日本人全体の心の波動がぴったり合うようになれば、現象界にもその不滅円相のすがたをあらわすのである。

 汝等
(なんじら)嘆くことはない、滅びしものは本来無きもののみが滅びたのである。無きものは滅びるほかはない。軍国日本の如きは本来無き国であるから滅びたのである。神洲日本は不滅であり、永遠に滅びることはない。≫

 と、神は仰せられているのである。

 上の神示にある 「軍国日本」 にも比せられる似而非
(えせ)生長の家教団が滅びても、天界にある生長の家本部は滅びることはない。

 「万教包容の神示」 にあるように、生長の家信徒は、「久遠の今」 なる生命の実相に立ち、「今・此処 世界の中心なり」 の自覚に立とう。

 そして、「入龍宮不可思議境涯の祈り」 にある

≪ ああ悦びに満たされたるこの朝よ、わが愛する者は、すべて悦びに満たされ、神を讃う。神は讃うべきかな。われらの悦びの源、われらの幸いの泉。

 神の恵みきたるとき、一切の争いは止み、すべての戦いは停止し、いにし時の敵と味方とは、手を挙げて平和を喚
(よ)び交(かわ)し、兄弟の如く睦び合い、愛情の祝盃を交して、神の平和を称(ほ)め讃う。将兵たちみな剣(つるぎ)を収め、銃を棄てて、愛をもて娘たちが織りし美しき衣をまとう。すべての人々の頭(かしら)に “平和の冠” あり、黄金の七つの星をもてその冠を飾り、荘厳なること限りなし。……≫

 の状態がすでにあることを心に描き、その実現のために、日々よろこんで一層の自己研鑽に励もう。

 生長の家創始者谷口雅春先生の教えに直接触れることのできた僕は、もはや肉体は老骨となったが、その最高の真理を後世に伝えるべき使命、責任があると思っている。


 (2019.8.11)
516 後世に伝えたいこと(2)


 「生長の家」 生命の実相哲学は、人類が究極の平和を実現する正しい方途を発見した、人類の歴史上特記すべき至大の宝である。

 これは、アインシュタインが発見した相対性原理などよりも段違いに大きな宝である。

 相対性原理は、原爆を生み出す基となった。

 谷口雅春先生が発見された生長の家・生命の実相哲学は、人類を究極の平和、「神の国」 即 「仏国土」 を地上に実現する基となる哲学・宗教である。

 僕は、この生長の家・生命の実相哲学こそ、正しく後世に遺すべき最高の宝だと信じている。

          


 しかしながら、三代目総裁谷口雅宣氏が生長の家教団を実効支配して20年を超え30年に近くなったいま、現在の教団はほぼ完全にその本来の光を失った状態になっている(と見える)。

 谷口雅宣氏は、五官の感覚で認識できる現象世界をそのまま 「あり」 とする一般常識から抜け出せない、魂的に幼稚な “宗教オンチ” ではないかと、僕は思う。 そして、米国コロンビア大学で政治学、国際関係論などを真面目に勉強した “西洋かぶれ” でもあるようだ。

 で、雅宣氏は生長の家創始者で祖父でもある谷口雅春先生の発見された(開悟された) 「現象なし・唯神実相」 の根本真理の偉大さがわからず、人間の頭脳知で神智を覆いくらましてしまった。

 現象は儚く移りゆき消え行くもので、本来ない。現象は神の創造された完全なすがたが段階を追って顕現しつつある過程で光と影とが交錯していて、不足を見れば不足はあり、闇を見れば闇はあるかのごとく見える。雅宣総裁は、生長の家の運動においても、闇の面を見てこれを攻撃し破壊する闘いを使命と感じてやってこられたように思える。


 その中でも、突出して長い闘いになったのは、雅宣氏と、安東巌氏 (および安東氏に一目置いて <尊敬の念をもって> その志に糾合して行こうとしている人たち) との闘いであろう。

 僕は昭和50年~同54年(1975~79)、森田征史・安東巌両氏主導の 「『理想世界』 百万運動」 ピーク時に、その青年局にいて 『理想世界』 誌の編集長を務めた者であり、またその前には日本教文社で谷口雅宣氏と机を並べて仕事をしたこともある。それで雅宣氏・安東氏の半世紀になんなんとする長い闘争の歴史を、実体験をもってかなりよく知っている。

 僕が日本教文社において谷口雅宣氏と席を並べていた(僕の方が先輩)であったとき、すでに雅宣氏は青年会の 『理想世界』 百万運動に鋭く厳しい批判の声を上げていた。僕は日本教文社に勤務しながら夜と休日は青年会活動をし、光明実践委員会議長を務めていたが、雅宣氏は 「岡さんは今の法外に激しい青年会運動がそのままでいいと思ってるんですか」 と詰め寄られ、たじたじとなることもあった。

 その背景には、その前雅宣氏が青山学院大学の学生時代に生学連活動をしようとして左翼の学生達から “つるし上げ” のような目に遭うとか、苦難の体験があったのかも知れない(僕の直接知るところではないが)。

 上のような出会いがあってから、僕は谷口雅春先生に直訴のお手紙を書いて、『理想世界』 の編集をするため本部青年局に移る。『理想世界』 誌を、 “浄円月の雰囲気” を発して読者をつつみ、「読まれる雑誌」 「魂が救われる神誌」 にするという祈りをこめて。

 <神の無限の愛、この小誌に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
  『理想世界』 誌に浄円月の雰囲気漂う。
  その雰囲気はやわらかく、やわらかく……暖かく、暖かく……
  浄く、浄く……うるわし、うるわし……。
  すべての読者に平和・平和・平和……をあたえ
  すべての人びとの罪を赦し……
  すべての人びとを愛するのである……>
 と。

          


  安東巌氏著 『わが思い ひたぶるに』 という冊子がある(昭和55年8月15日 生長の家青年会中央部発行、本文290頁)。『理想世界』 百万運動の司令塔として事務局長をしていたころの心情、志、噴出する思いを、「青年会中央事務局報」 や 『理想世界』 誌などに吐露した文章を、編集してまとめられたものである。

 これを読めば、その頃の安東氏の、そして 『理想世界』 百万運動の原動力となった情念、思想がいかに強力なものであったか、魂にビンビン響いてきて、よくわかる。

 安東氏は、青春時代に重い心臓病を患い、高校2年から9年間寝たきりで家から出ることがなかった。それが生長の家に触れ 『生命の實相』 を読んで起ち上がり完全健康になって27歳で長崎大学に入る。そして――谷口雅春先生の講習会で、体験談を発表する。以下、安東氏の 『わが思い ひたぶるに』 より――

≪……私は長崎大学の生学連の仲間とともに学園の正常化運動に挺身しておりましたが、そのことが谷口雅春先生のお目にとまりまして、御講習会の際に長崎の公会堂で御報告する栄に浴したのです。

 実をいいますと私は、その時学生運動のことよりも、たった一つだけ谷口雅春先生に聴いて頂きたいことがあったのです。それは 「数年前、病床に呻吟していたあの私が、生長の家の御教えの導きによって、今は祖国再建運動に起ち上がるような人間になりました。有難うございます」 という一言でした。

 でも、尊師の御前に立って合掌したとたんに、何も言えなくなってしまったのです。万感胸に迫ると申しますか、涙があとからあとからあふれて、泣いてばかりおりました。そうしましたら尊師はつかつかと歩み寄られて、しっかりと握手して下さり、「がんばって下さい」 とおっしゃられたのです。≫


          


 安東氏は、長崎大学で左翼学生たちに封鎖された学生会館を解放するなどの 「学園正常化」 を訴えて自治会委員長に立候補し一般学生の支持を得て当選、国立大学としては全国で初めての民族派による自治会掌握を勝ち取った。これが民族派学生運動の広がりに弾みをつけた。その実行力、強力なリーダーシップはすごい。

 安東氏は長崎大学卒業後昭和45年に生長の家本部に奉職し青年局に入り、森田征史氏が中央執行委員長→青年会長、安東氏がこれを支える女房役の事務局長→副会長となって、『理想世界』 誌百万運動にエンジン全開で飛翔しようとしていた。

 僕が 『理想世界』 誌編集のため日本教文社から本部青年局に移ったのは、昭和50年5月、百万運動たけなわの青年会全国大会の時からである。

 それは、森田征史・安東巌両氏の語る “『理想世界』 百万運動のロマン” に惹かれたからというよりは、その余りの激しさに危険を感じ、救いの手を差し延べる必要、使命を感じて飛び込んだのであった。だから上記のように 「浄円月観」 の祈りをしながら編集をしたのである。

 で、森田・安東両氏の意に添わない記事を書いたり採り上げて編集もした。そのときには、安東氏から殺されそうな雰囲気を感じたこともある。僕は、安東氏のひたむきな変わらぬ志と行動力には敬意を払うが、基本的に波長の合わないものも感じて、その当時、「この人とどこまでも行動を共にしよう」 という気にはならなかった。

 だから僕は、『理想世界』 百万運動時の 「祖国再建」 の志を継ぐ 「日本会議」 「谷口雅春先生を学ぶ会」 などには、一度も、一歩も足を踏み入れたことはなく、その機関紙等を購読したこともない (頂いて読んだことは屢々ある)。

 しかし、2016年5月に菅野完
(すがの・たもつ)著 『日本会議の研究』 というのが扶桑社から発行されたのを読み、あらためて安東巌氏著 『わが思い ひたぶるに』 を読み返してみると、ここには魂の輝きとひたむきな恋闕愛国の思い、きびしくも不退転の決意が貫かれていて、感銘を覚えるものがあった。

 そして、それから40年以上を経た今なお、当時の志を風化させることなく堅持しながら、並々ならぬ努力を続けている同志がいるということも直感的にわかり、そこには超人的な力が働いていることも感じられた。

          


 菅野完著 『日本会議の研究』 は、その帯に “「一群の人々」 によって日本の民主主義は殺されるだろう” とあるように、日本会議を民主主義に反する危険な団体として貶める書き方をしており、そして安東巌氏はその日本会議や政策研究会・谷口雅春先生を学ぶ会等を陰で動かしている策士、黒幕と決めつけている。

 生長の家3代目総裁の谷口雅宣氏は、その 『日本会議の研究』 を、「我が意を得たり」 とばかりに、生長の家の準テキストのように採用して、全信徒に読むよう勧めたのである。

 ということは、これまで 「生長の家は政治運動から距離を置く」 といってきたのは虚偽であり実は総裁自身が宗教よりも政治マニアだったという馬脚をあらわしたことになった。そして、安東憎し、『理想世界』 百万運動憎しという了見の狭い、宗教とはほど遠い感情を公の場にさらしたことになったのである。


 信徒が求めているのは、政治運動や、現象改善の運動ではなく、唯神実相の真理であり、真理に基づいた人間救済である。

 唯神実相の真理による救済力を失った生長の家教団は、衰退の一途を辿りつつある。そのときに総裁は、『日本会議の研究』 を読ませることが教勢発展にプラスになるとでも思ったのだろうか。

 それは逆である。信徒はますます離れて行き、教勢の下降に拍車がかかっている。

 このまま行けば、雅宣総裁は生長の家を滅ぼした暗愚な総裁だったという歴史を残すことになるであろう。


 (2019.8.8)
515 後世に伝えたいこと(1)


     (この項に私の孫の情報を公開し、
     「乞う、ご声援」 と書いておりましたが、
     これは現象界の些細なことであり、この公開は
     却って孫にプレッシャーとなることもあり得る。
     孫には自由に伸び伸びと活躍してほしいので、
     削除しました。お許し下さい。)



          ○


 「生長の家」 は、人類が究極の平和を実現する正しい方途を発見した、人類の歴史上特記すべき至大の宝である。

 これは、アインシュタインが発見した相対性原理などよりも段違いに大きな宝である。

 相対性原理は、原爆を生み出す基となった。

 谷口雅春先生が発見された生長の家・生命の実相哲学は、人類を究極の平和、「神の国」 即 「仏国土」 を地上に実現する基となる哲学・宗教である。

 その大きな特徴の一つに、「万教帰一」 というのがある。

 「万教帰一」 とは、地上に顕現した諸宗教の説くところを精査して共通部分を寄せ集め、人為的に強引なこじつけをして作り上げた論理ではないのである。

 それは、「久遠の今」 なる、時間・空間未だ発せざるところの 「一」 なる本源世界にこそ、完全円満なる真実在(実相)があり、万象・万教(すべての宗教)はその共通の 「一」 なる大生命の展開であるとの世界観――覚
(さと)りから、おのずと生まれたものである。


   ⇒ 谷口雅春先生御講義 「久遠の今」


 時間・空間は本来なく、生命が仮に表現および認識の形式として作った仮有
(けう=仮存在)である。

 されば時間・空間上に展開して現れて見える(認識される)一切のものは本来無なる仮有である。そのことを端的に、「現象無(現象はない)」 というのである。

 時間・空間上に展開され認識される現象界の一切のものは、時空未発の本源世界=実相世界に実在する完全なる原型の、不完全な投影(順次段階を追って展開されつつある映像)なのである。

 真に実在するものは、神のみである。移り変わり消え行くものは、本来ないものであって、実在ではない。

 悪は、ない。死は、ない。対立は、ない。不完全な現象は、ないのである。

 ただ善のみ、生命のみ、調和のみ、喜びのみがある。それが真実の実在、実相である。


 では、現象界に戦争はなぜ起こるのか。それは、本来ない現象を 「あり」 と認識するからである。現象ありとすれば、現象は彼我対立の世界であるから、戦争が起こるのである。現象を超えなければならない。

 人類の多くが 「現象なし」 と知り、現象を超えて生命は自他一体、彼我一体であると自覚すれば、戦争はなくなる。


 “人間学を学ぶ月刊誌” 『致知
(ちち)』 8月号は 「[特集] 後世に伝えたいこと」 となっている。

 私にとって、ぜひとも後世に伝えなければならぬものは、正しい生長の家の教義、生命の実相哲学だと、迫ってくる。


          ○


 「生長の家」 は、谷口雅春先生が 「現象なし、実相(神)独在」 をお覚りになって、始まったのである。(『生命の實相』 第20巻 自傳篇下 p.132~162)

 そして、「生長の家教規」 は、次のような条文で始まっている。

≪   第1章 名称

第1条 この宗教は、生長の家と称する。

     第2章 目的

第2条 この宗教の設立の目的は次の通りである。

(1)谷口雅春創始の、生長の家の教義に基き、その主著 『生命の實相』 を鍵として、万教共通の宗教真理を開示し、これを宣布することによって、人類光明化につくすこと。

(2)教化道場及び礼拝施設を備え、この宗教の教義に基いて儀式行事を行い、信者を教化育成すること。

(3)教義の発祥及び発展の沿革を明かにするため、総裁の遺跡、遺文、記念物等を保存し、この宗教の史跡及び施設を散逸せしめざるよう修理保管すること。

……以下略≫


 私は、10代の学生時代から今日86歳までほぼ70年、生長の家の教義を信じ、上記の教規にしたがって生きんとしてきた信徒である。


 教規第2条の(1)に、「谷口雅春創始の、生長の家の教義に基き、その主著 『生命の實相』 を鍵として、万教共通の宗教真理を開示し……」 とあるが――

 『生命の實相』 第1巻 總説篇 七つの光明宣言 解説の冒頭に、次のように書かれている。

≪生命の実相の自性円満(そのままでえんまんなこと)を自覚すれば大生命の癒力(なおすちから)が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります。≫

 と。

 実に、ここに 「生命の実相哲学」 の何たるかが、ズバリ簡潔に余すところなく表現されている、と思う。


          ○


 (1) まず、「生命の実相の自性円満
(そのままでえんまんなこと)」 とある。
    これは、生長の家の 「縦の真理」 と言われているところのものである。
    今まで、「ある」 と固く信じていたところの 「生・老・病・死」 の四苦などは、五官の感覚に描かれた夢まぼろしの如きもので、実在ではない。実相すなわち本当のすがたは、そのままで円満完全であるということ。

 (2) それを自覚すると、「横の真理」 といわれているところの 「心の法則」 が自働的に働いて、不完全な状態は消えて行く。世界の国々の対立抗争、戦争なども人類社会の病であって、そんなものも自ずから消滅し、自由で平和な中心帰一の神の国(仏国土)が現成する。


 ――というのが、生命の実相哲学の根幹である。

 しかし、これだけで悟れる人はほとんどいない。しかも生命の実相哲学は頭で理解しただけではだめで、実践哲学であるから、腹の底から納得し、持続的に生活化、行動化するとき初めて環境が、運命が変わってくる真理である。

 だから、谷口雅春先生は毎月多いときは6種類もの月刊誌に執筆され、全国各地から海外にまで足を運んで講習会も続けられた。また初期の 『生長の家』 誌に書かれた文章は編纂されて 『生命の實相』 の聖典となり愛蔵版は全20巻、頭注版は全40巻が刊行されて累計2000万部にも及ぶロングセラーとなった。それ以外にも数百点の御著書が出版されている。これらは各界のリーダー的人物で読んだことのない人は稀であり、日本社会に大きな影響を与えてきた。戦後日本の復興発展に大きな希望を与え、寄与貢献したのである。


 私は、この生長の家・生命の実相哲学こそ、正しく後世に遺すべき最高の宝だと信じている。


          ○


 <つづく>


 (2019.8.1)
514 生長の家教団が沈みつつあるように見えるのはなぜか。

 人間は皆本来 「現人神」 である



 人間は皆、本来 「現人神
(あらひとがみ)」 すなわち肉体の姿をもって現象界に姿を現した神なのである。

 それ故に、『生命の實相』 第1巻 總説篇 「七つの光明宣言」 の第一条に

 
≪ 吾等は宗派を超越し生命を礼拝し……≫

 とあり、その解説として

 
≪ われわれが 『生命』 を礼拝すると申しますれば自分自身を敬い拝むことになるのであります。自分自身が尊い 『生命』 であるとの自覚がすべての道徳生活の根本になるのであります。

 自分自身が尊い 「生命」 であればこそ、自分自身をはずかしめない生活をすることができるのでありますし、また他人の生命や個性や生活をも尊重することができるのでありまして、ひいては、われわれの 「生命」 の大元の 「大生命」 をも尊び礼拝したくなるのであります。≫


 と記されてあるのである。

 「現人神(
あらひとがみ)」 というのは、今まで、「上御一人(かみごいちにん)」 とも称された天皇陛下にのみ用いられた尊称であった。

 しかし、人間は皆、宇宙大生命=神の生命の肉化した顕現体、神の最高の自己実現であるという生長の家の教えからすれば、人間は皆、畏れ多くも 「現人神」 と言ってよい尊い存在なのではないか。

 「君民同治の神示」 に

 人間生命が神より生れたる神聖なるものであるという自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの神聖性を要求するのである。

 ……天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。即ち観る主体(民)が神聖であるから、観らるる客体である天皇が神聖なのである。≫

 とあることからも、それは言えると思う。

 (むろん、悪平等はいけない。上のものは上、中のものは中、底のものは底と秩序を明らかにすることが住之江大神=住吉大神の宇宙浄化のお働きである。しかし、神は渾てのすべてであって、神以外に存在するものはないのだ)

 己れを神として礼拝し、すべてを神として礼拝するのが生長の家だ。


 奇跡を生む礼拝合掌のすがた


 (#375 にも書いたように) 谷口雅春先生はかつて 『動向』 という武藤貞一氏主宰の雑誌に、 「耿耿
(こうこう)の言」 という随想を執筆しておられた。その中に、次のような珠玉のご文章がある。

 
<「耿耿(こうこう)の言」の「耿(こう)」には、〈耳がひらいてあきらか。目がさえて眠れない〉という意味があり、「耿耿」は、〈光が明るいさま〉と、〈心が安らかでない。気にかかって寝付かれない〉という意味がある。>


≪  『動向』 誌所載 《耿耿の言》

   暴力から合掌へ ─ 学内暴力の一掃策 ─

                           谷口 雅春

 毎朝わたしは神前に坐して 『甘露の法雨』 又は 『天使の言葉』 の如き生長の家の聖経を朗読することにしているのである。その聖経の中に

 「一つの物体(光源)の周囲に百万の鏡を按きて
 相対せしむれば百万の光を発せん。
 人は神より発せる光であって
 甲乙丙丁互いに相分れて別々の存在と見ゆれども
 すべて “神” なる一つの光源の反映であって、
 本来一つの光であって、
 すべて一体であるからその実相を自覚すれば
 互いに愛と讃嘆の念湧き起らん」

 という意味の事が書かれているのである。

 それを読みながら近頃、頻々として起っていることが報ぜられている教師と生徒との間に於ける反感や暴力沙汰は、この真理を互いに自覚すれば、教師と生徒との間に起る反感や暴力沙汰は自然に消えてしまうのに!! と思いながら、日本の文部大臣にこれ位のことがどうして出来ないのかと歎息の溜息を吐いたのであった。

 教師と生徒とが一つの大生命(神)より発した光であり、
 互いに兄弟姉妹であり、
 互いに愛と讃嘆の念が起るならば、
 教師と生徒との間に起る暴力の原因が消えてしまうのである。

 こんな簡単明瞭な真理が、どうして
 現代の教師にも生徒にも解らないのだろう。
 すべて教師と生徒との両者に生長の家の説く真理を会得さしてしまえば、
 それで万事はOKである筈である。
 それが出来ないのは皆な唯物論者であって、
 互いの神性を拝むということを知らないからだ。

 そう思ったとき、私はもう数十年も前の事であるがこんな記憶があるのを思い出した。

 大阪の難波の駅から急行電車に乗って和歌山へ私は行くことになっていた。

 その時信徒の人たちが多勢私を見送りに来て、皆々私の方を向いて合掌していた。

 私も見送りの人たちに向って、列車の窓に両肘を突き窓から半身を乗り出すようにして合掌していた。

 肉体の形が合掌しているのではない。互いの魂が相互に合掌して礼し敬しているのである。

 その時、ひとりの男の人が私のいる列車の窓口ヘ
 つっと近づいて来て、私を合掌して拝んだ。そして云った。

 「私は今日、刑務所から出て来た者であります。
 娑婆へ出て来たけれども、どうして今後生活すれば好いか見当が付かないのでした。
 しかし私は先生の合掌していられるそのお姿を拝しました。
 そして私は今後どのようにして生活すればよいかを知らして頂きました。」

 私は列車の窓から腕を突き出して、その男の人の手を握った。
 「兄弟よ、あなたは“神の子”である。如来である」 と私は心で念じた。


 今、日本の諸方の学校で起っている校内暴力はどうして起るのであるか、
 総理大臣も文部大臣も唯、拱手傍観していて、
 「暴力者は悪い奴である」 と念ずるばかりで
 為すべきすべを知らないらしいのである。
 そして此の暴力沙汰を引き起す原因については
 何ら御存知ないらしいのである。
 本当の暴力の起る原因は教師の 「心」 の中にあるのだ。

  (註)その暴力者を 「悪い人である」 と念ずる教師自身の 「心」 の中にあるのだ。

 現在、学校で教職についている先生方は
 自分の知りている知識を生徒に授けるのが教職者の
 仕事であるとのみ思っているらしい。

 “授ける” “受ける” の立場に立って、
 先生と生徒との関係は、上位と下属との関係である
 と漠然と思っている先生が多いのではあるまいか。

 なまけていて進歩の少い生徒は劣等の人間であると、
 先生はその生徒を軽蔑する。
 生徒は教師の自分に対する軽蔑を
 先生の表情又は雰囲気で直感する。

 生徒はこんなとき先生よりも霊感的であり、
 先生の軽蔑心をすぐ直感的に身を以って体感する──
 “何クソ” と生徒は先生に反感を起すのだ──

 もうこうなったら “正しい教育” は成り立たないのである。
 生徒は先生に対して敵意をもつ。
 生徒の教師に対する校内暴力は
 此の敵意のあらわれであるのだ。


 私は老齢既に卒寿を越えて脚腰の動作が不便であり、坐位でも椅子でも直立でも、相当時間一定の姿勢をつづけて講義することは勿論、執筆すらも長くつづけることができない。併しもう少し若かった頃公会堂その他の大会場で、皆に話すために演壇に立った時、いつでも聴衆に向って私は低身合掌して 「皆さん、ありがとうございます」 と先ず礼拝の言葉を演べた。私は講演するとき、相手を見くだして教える心で立ったことはない。

 皆なを拝む心で演題に立てば、皆なが話者を拝んでくれるのである。演者は別にその効果を期待して、聴衆を合掌して拝んでいるのではない。真理の講話を話しに来る者、またそれを聴講に来る者、倶に深い因縁のあることである。

 学校暴力とか校内暴力とか云う乱暴な出来事が起るのは、教師も生徒もその深い因縁に気付かないで教師が、“生徒を拝む心” で講壇に立つのではなく 「万一の事が起った時には護身のために必要だから」 と理窟づけして、教師の方がポケットに護身用ナイフを忍ばせて演壇に立つからである。

 即ち、相手を傷つける想念は隠し持ったる護身用具に随伴する。想念は造る力であるから、自分の予想するものが形の世界にあらわれて来て、自分を傷つけ又、相対する相手を傷つけることになるのである。

 私は中学時代大阪市岡中学で学んだのであるが、教師は演壇に立ったとき、生徒総代又は級長が号令をかけて 「先生に礼拝……直れ」 などと音頭をとって 「形式的に敬礼」 させる。

 それでは軍隊式で、形式が先に立って
 「先生に礼拝する」 ごとき、魂で恩愛を感じて自然にお辞儀が出来てくるのとは違って、強制される礼儀形式ばかりが先に立つ。

 生徒の中には、そんな形式的な命令に従ってお辞儀をさせられる事は、「自由を縛る束縛だ」 と反感を懐きながらお辞儀をしている者もあっただろうと思うが、私もそれ等生徒の一人であった。

 尤もその時代の中学生と先生とは、弟子と師と云うような階級的な次元に於いて対立感情で向かい合っているのではなかった。儒教的な 「三尺さがって師の影を踏まず」 という 「礼」 の秩序性が表現されたものであって、先生と生徒とは互いに共学の研心の同朋であった。

 相互は、学校の授業時間だけに於いて共学研心の同朋であるだけでなく、学校の授業時間を了えて校外に出ても、先生と生徒とは何らかの意味に於いて研心の同朋であった。

 あの時代の中学教師と中学生との精神関係を喚び戻すことが出来れば楽しいと思う。

 私は数学の時間に幾何や代数の問題で先生に屁理窟を云うと、先生は 「もう谷口君にかかったら負けだ」 と笑いながら云った。

 今でも先生と生徒との関係が愛情によって結ばれていたことをなつかしく思う。

 教師が本当に生徒たちに皆一視同仁的に各々の生徒を愛の心を以って立ち向うならば、教師の表情が愛に満たされた様子で、常にどの生徒に対しても同様に立ち向うことになる。

 その時には黒住教祖の宗忠尊師が

  立ち向う人の心は鏡なり
    おのが姿を映してや見ん

 と、いみじくも詠われた状態が現れて、生徒はその教師に対して親愛の感情を感ずるのである。これは空想ではない、現実に成り得る問題だ。

 (中略)

 生長の家の箴言にある、いつも天気に対してお礼を云う気持で “神様、好いお天気を与えて下さいまして有りがとうございます” と念ずる習慣のある人は、天気に祝福されて、その人が旅立つときには好天気が常につき添うて下さるのである。

 もう十数年も前のことであるが、私たち夫婦は各国を身を以て知るために世界旅行に出掛けたことがある。ドイツを廻った時の季節は、朝晴れているかと思うと数時間もすると雨が降る 「秋しぐれ」 の季節であった。

 ドイツで私たち夫婦を道案内して下さった方は、日独交換教授として、ドイツに駐在中の日本の早稲田大学の独逸語教授の山田先生であった。山田先生は

 「ドイツのこの季節にはいつ時雨るかも知れませんから雨具を用意してまいりましょう」

 と時々云われたが、わたしは、

 「常に天気に対して私たちはお礼を云っていますから、私が観光に出掛けている時間には雨は降らないでしょう」

 と答えたものである。そして“雨降る”予報の天候は、私の言った通りに私たちが宿舎に帰ってから降り始めるのであった。

 私たちの案内役をつとめて下さった山田先生も、天候が私の云う通りに適当に変化するので偶然としてはあまりに不思議だと感心していられた。

 近頃、日本の国では人間界だけではなく、天候があまりにも傷ましいほどに大自然の暴力を揮うのである。古への為政者はこのような時、自分たちの政治のあり方に、天意に背く間違ったやり方を行なっている点があるのを御気付けして下さるのではなかろうかと反省して、行政の姿勢を正したものである。

 今は民主主義の時代であって、何事も人民主宰の世界であるから、為政者にして、

 「罪あらば我をとがめよ天つ神、民はわが身の生みし子なれば」

 とお詠みになった歴代の天皇の大御心を自分の政治の上に復唱する者は、既に為政者の中心にないのである。

 現下の日本に必要なものは、何よりも為政者の心の姿勢を反省することである。

 今こそ私は 「教育勅語」 の復活を中曽根総理大臣に宣言して頂いて、為政者自身の心を浄めることを 「第一の事」 として、先ず何事も第一の事を第一に為し、国民総じて実践する道を行く扉を開かれんことを希望するのである。

 今、日本の為政者が教育勅語の実践的復活をみづから提唱し、みづからが率先して実践せられるならば、想像もつかない教育界の大なる浄化作用が滔々として起ることを期待して、その実現を私は待ち祈るのである。≫


 ――これを実践すれば、生長の家は隆々と栄えざるを得ないのである。

(上記は谷口雅春先生がかつて 『動向』 という武藤貞一氏主宰の雑誌に連載で 執筆しておられた「耿耿(こうこう)の言」 という随想の一つ。その御文章のみのコピーが出て来たので、『動向』 誌何年何月号に書かれたものかは不明。「中曽根総理大臣」は昭和57年11月7日から62年11月6日まで約5年間在職しており、谷口雅春先生は昭和60年6月17日に御昇天になっているから、これは先生が卒寿<90歳>を超えられた最晩年期のご執筆である)

 必勝の真理 「尊師の平法」



 孫子の兵法に

 「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」

 という。これは

 「相手を神であると知り、己も神であると知れば、如何なる問題も神智に導かれて必ず解決し、楽勝する」

 と深読みするのが、最高の解釈である。

 それが
「尊師の平法」 である。


 「日本の実相顕現の神示」 に

≪ 敗戦の原因は多々あれども戦争を始めたから敗けたのである。

 ……排他の心は、他と自分とを切り分ける心であるから、切る心は切られる心と教えてある通りに自分が切られる事になったのである。

 切る心は三日月
(みかづき)の心であり、利鎌(とがま)のように気が細く、角だっていて、空にあらわれている時間も少く、その光も弱く、直(じき)に地平線下に沈んでしまう心である。

 心の通りに日本の国が沈んでしまっても、それは日本人の心みずからの反映であるから、徒(
いたずら)に失望、落胆、放心してしまってはならない。

 『見よ、われすべてのものを新たにするなり』 と教えてある。現象の三日月は沈んでも実相の円満玲瓏
(れいろう)一円相の満月は依然として虚空に輝いている。それと同じく、心狭く尖りたる排他的な軍国主義の似非日本の国は沈んでしまっても、実相円満の日章旗のようにまんまるい日本の国は無くなってはいないのである。

 有るもの、有りしものは永遠に滅びることなく、必ずそれは日本人全体の心が円満になり、実相の波動に日本人全体の心の波動がぴったり合うようになれば、現象界にもその不滅円相のすがたをあらわすのである。

 汝等
(なんじら)嘆くことはない、滅びしものは本来無きもののみが滅びたのである。無きものは滅びるほかはない。軍国日本の如きは本来無き国であるから滅びたのである。神洲日本は不滅であり、永遠に滅びることはない。

 滅びたように見えているのは実相が蔽
(おお)い隠されているだけである。実相を蔽う心が眼鏡をかけている心である。

 すべて此の世の中の事物は象徴であるから、その象
(かたち)をよく見ていれば世界に何が起りつつあるかを知ることが出来るのである。≫

 とあるが、生長の家教団が今、沈みつつあるような現象を呈しているのは、上記の神示にある通り、「排他の心は、他と自分とを切り分ける心であるから、切る心は切られる心と教えてある通りに自分が切られる事になったのである。」


 これは、まことに悲しいことであると言わざるを得ない。

 しかし、気がついた者から実践すればよいのである。

 神は、悪を創らない。悪はないのである。

 神は、愛である。愛は、神である。


 愛こそ最大の精神的資産



 ――聖経 『真理の吟唱』 より


≪     聖愛を実現する祈り

 すべての人間は、ことごとく “神の子” なのである。それゆえに、すべての人間は、私たちにとってみんな兄弟姉妹なのである。私たちがすべての人間に対して愛情を感じることは、神から与えられた最大の精神的資産であると言わなければならないのである。

 この最大の精神的資産を行使しないで、ただ眠らせているということは、まことに愚かなことだと言わなければならないのである。

 それゆえに私たちは、この “愛” という精神的資産をゆたかに行使するのである。単に自分の家族に行使するだけではなく、また単に人類のうちの親しい人たちだけに行使するのではなく、すべての人に、そしてすべての処で、またすべての時に、この “愛” の資産を行使するのである。

 “愛” は美しき花びらのごとく人生を飾るのである。私はすべての人に、すべての時に、あらゆる所において “愛” の資産を行使する。それゆえに、私の行くところ常に天国浄土とならざるを得ないのである。……

 (中略)

 魂が魂を呼び、魂が魂を観るためには、肉体の目を閉じて、相手の実相を観ずるのが最勝にして最善の方法である。実相を観ずるとき、彼の実相の円満さが自動的に顕現するために、彼の行動は自然に正しくなるのである。

 また実相を観ずるとき、彼に何をしてあげればよいか最も適切なる方便が思い浮ぶのである。真の愛は必ずしも “甘く” はないのである。真の愛は峻厳である。峻厳なる方便を通して、彼の実相の円満さが引き出されるのである。≫



 見よ、われ既に天地を新たならしめたのである。

 今此処天国である。


 
今此処天国を現前せよ



≪    入龍宮不可思議境涯の祈り

 ああ美しきかな、この朝よ。もろもろの花は地にあらわれ、もろもろの鳥のさえずる時すでに至れり。わが愛する者どもは目覚めて、神の御前に集まりて、神を讃美す。よろこびは悦びを呼び、愛は愛を呼ぶ。わが愛する者に幸いは集まり来たり。すこやかに子供は伸びて、楽しさにさんざめく。

 ああ幸いなるかなこの朝よ。家族たちの悦びの声は宇宙にこだまする音楽の如く、その声の底には極楽の響きを湛
(たた)うる泉あり。その泉より噴(ふ)き出ずる悦びの声は、龍宮の輝きを帯び、神の光に照されて、五彩七彩の虹を放つ。

 今、われら家族、極楽の園に遊び、龍宮海に入る。もろもろの宝は我らの掌
(たなぞこ)に満てり。黄玉(おうぎよく)、紅玉(こうぎよく)、青玉(せいぎよく)等その数を知らず。わが子供たちは、黄玉を連ねて頸輪(くびわ)となし、紅玉を結びて腕輪となし、青玉を点綴(てんてつ)して髪飾りとなす。衣裳には虹のごとき輝きあり、日光を受くるに従いて、その色を変化して美しきこと限りなし。ああわれらここ実相龍宮海の美しさをはじめて知る。

 ああ祝福されたるこの朝よ。われら言葉の力にて現世
(このよ)に龍宮城の美しさ、麗しさ、ゆたかさを引出し来れり。見よ、愛する者ここにあり、見よ彼らはわが肩に攀(よ)じ、膝に来り、わが前に立ち、後に倚(よ)る。その語る声は美しくして極楽鳥のごとし。後にある我が愛する者よ、汝の顔を見せよ。なんじの声を聴かせよ。なんじの声は竪琴の奏でらるるが如く、七絃琴の奏楽の如し。語るに随って、美しきもろもろの花咲き出でてその周囲を飾る。幸福なること限りなし。

 ああ悦びに満たされたるこの朝よ、わが愛する者は、すべて悦びに満たされ、神を讃う。神は讃うべきかな。われらの悦びの源、われらの幸いの泉。

 神の恵みきたるとき、一切の争いは止み、すべての戦いは停止し、いにし時の敵と味方とは、手を挙げて平和を喚
(よ)び交(かわ)し、兄弟の如く睦び合い、愛情の祝盃を交して、神の平和を称(ほ)め讃う。将兵たちみな剣(つるぎ)を収め、銃を棄てて、愛をもて娘たちが織りし美しき衣をまとう。すべての人々の頭(かしら)に “平和の冠” あり、黄金の七つの星をもてその冠を飾り、荘厳なること限りなし。

 ああこの朝、平和なるかな。山々に平和の雲漂い、朝日の昇るにしたがいて五彩にその色を変じ、われらの祝福の宴
(うたげ)に霞の幔幕をもて飾る。もろもろの花咲き出で、もろもろの鳥謳(うた)う。その声、神を讃え、われらを祝う。まことに実相浄土の厳浄(ごんじょう)を地上に実現したる朝なるかな。神に感謝し奉る。≫


 ありがとうございます。


 (2019.7.6)
513 肉体は魂の象徴である


 「象徴」 とは――

 「直接的に知覚できない概念・意味・価値などを、それを連想させる具体的事物や感覚的形象によって間接的に表現すること。また、その表現に用いられたもの。例えば、ハトで平和を、王冠で王位を、白で純潔を表現する類。シンボル。」

 と、『大辞林』 にある。

 親指を立てて男または夫を表し、小指を挙げて女、妻あるいは情人を表すのも象徴である。

 わが家には割合大きな仏壇を設けてあり、その最上段中央に阿弥陀如来像を安置してある。

 阿弥陀如来とは、尽十方無碍光如来すなわち宇宙のあらゆるところに遍満し、遮るものなくすべてを照らし生かし給う大慈悲なる大生命である。それは直接的に知覚できないから、仏像という具体的な形象物をその 「象徴」 として安置し、仏像を拝する形をとって宇宙大生命を拝しているのである。

 宇宙大生命は凡ゆる所に遍満しており、人間が生きているのも、宇宙大生命(神と言っても、仏と言ってもよい)が生きているのである。人間の生命は神(仏と言ってもよい)の生命である。人間は本来神であり仏である。それ故に宇宙大生命を拝するとは、己自身を拝することである。


          ○

 仏像が仏(宇宙大生命)の象徴であるように、人間の肉体も人間生命(魂)の象徴であると言ってよいだろう。

 私は今朝も6時ごろから、3kmほど離れたところにある善福寺公園まで自転車で行き、池畔の広場でラジオ体操をして、池の周囲約1kmを歩いたり走ったりで一周してから、また自転車で帰ってきた。

 この時間帯、このあたりは “高齢者銀座” と言ってもよいほど、元気で生きるのに意欲的なお年寄りたちがいっぱい、ウォーキング、ランニング、ラジオ体操などをしているのである。

 私はそうした人たちの姿を見ながら、その肉体の姿は魂の象
(かたち)、象徴だと感じる。

 いや、人の姿だけではない。池畔にみずみずしく美しく咲き溢れる色とりどりの紫陽花
(あじさい)の花たちも、緑ゆたかな欅(けやき)などの木々たちも、みな宇宙大生命の表現である。

 それらが皆、互いを生命の兄弟として祝福し合っているのである。

 それら目に見える象
(かたち)あるすべてのもは、目に見えぬ生命の象徴と言ってもよいのではないか。

 「山川草木国土悉皆成仏」 である。


          ○


 「君民同治
(くんみんどうじ)の神示」 に、次のごとく示されている。


≪   君民同治の神示

 国は人間生命の外延
(がいえん)である。それは身体が人間生命の外延であるが如くである。

 人間生命が神より生れたる神聖なるものであるという自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの神聖性を要求するのである。

 この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。

 しかも人は自己が無にして絶対であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於ても持つことを要求するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。

 身体も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。

 観る心の要請が身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。

 天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。即ち観る主体(民)が神聖であるから、観らるる客体である天皇が神聖なのである。

 観る主体(民)の神聖性が包まれ蔽われて混濁するとき、天皇の神聖性は蔽われて発現しなくなるのは其のためである。今の状態がそれである。

 (註。これは敗戦直後の昭和20年12月28日夜、谷口雅春先生に天降った神示である)


 人間は自己自身の神聖性の故に神造の国家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。天孫降臨とは人間自身すなわち民自身が天孫であり、神の子である自覚の反映にほかならない。

かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。是を主客合一の立場に於て把握すれば主客一体であり、君民
(くんみん)一体であり、民は君を拝み、君は民を拝む。

 民を拝み給う治
(じ)は、君を拝むところの事(じ)と一体である。治事(じじ)一体であり、治(おさ)めると事(つか)えるとは一体であり、君民同治である。

 天皇は絶対者にましますとは、観る主体たる人間(民)の絶対性より来
(きた)る。民が自身の絶対性の把握が破れるとき、その反映として国の絶対性と天皇の絶対性とは破れるのである。

 打ち続く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覚が破れたのが国家大権、天皇大権の一時中断の形をもって現れたのである。≫



 ――上記の

 「民が自身の絶対性の把握が破れるとき、その反映として国の絶対性と天皇の絶対性とは破れるのである。
 打ち続く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覚が破れたのが国家大権、天皇大権の一時中断の形をもって現れたのである。」

 とあるのは、「日本の実相顕現の神示」 に

≪ 当時の日本人は気が狭くて島国根性であり、排他的精神で、我慢自慢独善精神に陥り、それを日本精神だと誤解して、一人よがりに易々(いい)加減な気持になって、遂に世界を相手に敵として戦うようになったのである。

 排他の心は、他と自分とを切り分ける心であるから、切る心は切られる心と教えてある通りに自分が切られる事になったのである。≫


 とあり、また 『新生の書』 (谷口雅春先生著)に、

≪ 日本の軍隊は何故負けたか、生命を軽んじたからである。部下の兵隊を擲(なぐ)る蹴るのは上等兵の常套事となっていた。そして、それが 天皇の名に於て行われたので、誰も反抗し得なかったのである。……彼等上等兵以上の将兵は、天皇の大御心を歪曲し、天皇の権威を笠に着て、天皇の大御心を詐称して、天皇の赤子たる人間を冒涜したのである。……

 人間の生命を礼拝しなかった軍隊は、その生命が絶ち切られた。己れにいずるものは己れに還る。一切万事われより出でて、われに還る。環境も肉体もわが心の反影
(かげ)である。≫

 と書かれているようなことが現象の世界にあらわれたので、日本は負けつづけてポツダム宣言(降伏勧告文書)を受諾せざるを得なくなり、一時日本国土の諸拠点(points)が占領下におかれ、国家大権・天皇大権は連合国軍総司令部総司令官マッカーサーに従属(subject to)するという状態に置かれた――ということを意味していると思う。

 しかし日本は反省すべき事をしっかり反省し、昭和27年に連合国とサンフランシスコ講和条約を結んで独立を回復して、国家大権・天皇大権を回復した。天皇は 「日本国の象徴・日本国民統合の象徴」 と憲法に規定されたが、今やその憲法の文言をも超えて、「現人神
(あらひとがみ)」 のおすがたを顕現されたのである。


 (2019.6.23)
512 天皇は日本において憲法を超えたご存在となった


 天皇というご存在は、世界の宝である。


 先の大戦後、GHQ(連合軍最高司令部)は、日本が再び立ち上がることができなくするために、強権をもって洗脳工作を実施した。それは 「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(War Guilt Information Program、頭文字をとって WGIP)」 と名づけられ、学校教育、新聞・放送などのジャーナリズムをはじめ、映画等も支配して徹底的に 「日本は悪い国だ」 という自虐・贖罪史観を植え付ける工作を行った。歴史を否定し、国旗・国歌を否定し、愛国心を持つことも危険だとして、教科書に 「わが国」 という表現も許さず、書き換えさせた。そして 「プレスコード」(新聞などの報道機関統制令)を布き占領軍や米国のやったことに対する批判は断じて許さなかったのである。

 (→ #140

 天皇・皇室について、終戦直後アメリカ国内では、皇室を即刻解体廃止すべきだという意見が多かったが、占領軍は時間をかけて皇室の首元を徐々に絞める方法を選んだ。天皇という位を憲法の中に定め、単なる 「象徴」 に過ぎず無力な飾りものとし、その地位は 「国民の総意」 によるとした。すなわち――

≪ 「日本国憲法」 第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。≫

 ――占領軍は 「象徴」 という言葉で天皇と皇室を崩壊させようとしていたのだ。

 そして軍事力を永久に抛棄するという事実上の降伏文書、不平等条約を憲法として押し付けたのである。

 しかし、上皇陛下となられた先の天皇陛下は、この憲法を受け入れ、次のように述べられている(平成28年8月8日、国民へのビデオメッセージより)。

          ○

≪ ……日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け…(中略)…既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。


 私が天皇の位についてからほぼ28年、私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。

 私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。

 …(中略)…

 皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行
(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。…(後略)…≫


          ○

 ――上記お言葉にある 「全身全霊をもって」 は、まさに重みのあるお言葉です。

 #505 で引用させて頂いた日経新聞記事(今年4月27日、「平成の天皇と皇后30年の歩み」 最終回)にあるように、

≪ 「わが友は――」 その人は天皇陛下をそう呼ぶことがあった。そしてこうも言った。

 「彼は本質的に強い男だよ」

 元共同通信記者のジャーナリスト、松尾文夫さん。今年2月末、取材で訪れていた米ニューヨーク州で急逝した。85歳。陛下とは学習院高等科、大学の同級生だった。東京・目白のキャンパス内にあった学生寮 「清明寮」 で陛下と同室で、約2年間寝食をともにした。

 親友ゆえに、松尾さんは陛下に遠慮なく 「直球」 でもの申すことが多かったという。ただ、自身がメディアの人間でありながら、交友の詳細を口外することはなかった。陛下にとって、何でも話すことのできる、真の気が置けない友だったのではないだろうか。

 その友が語った数少ない天皇陛下の人となりを表す言葉のなかで強調されていたのが 「強さ」 だった。平成の象徴像を形づくってきた原動力は意思の強さにある、と。

 振り返ると、いまでは多くの国民から支持されている 「あり方」 は、当初は昭和時代との比較でかなりの違和感を持たれ、抵抗にあってきた。

 災害被災地訪問は 「1カ所に行くと、すべての被災地に行かなければ不公平になる」 と疑問視された。

 膝をついてのお見舞い批判は表層的なもので、これこそ本質的問題だった。

 「天皇の強い希望で」 と語られている海外慰霊の旅も、外国訪問は政治が絡む。天皇の意思が前面に出ることは憲法に抵触するという見解もあった。

 昭和時代には考えられなかった天皇像に対する抵抗を "力業" で突破し、自身の信じる道を貫き通すには、屈しない意思が必要だった。

 昭和の前例をそのまま踏襲する方がずっと楽だったはずだ。しかし、「国民から超越した非人間的な存在であれ」 という近代以降の天皇に要請された役割をよしとせず、人間的で人々に寄り添う 「国民の象徴天皇」 像を追い求めてきた。

 ある意味 「戦い」 でもあった……≫


 のである。


          ○


 アメリカの歴史学者・日本史の研究者であるジェイソン・モーガン氏は、次のように書いている(雑誌 『Will』 7月号)。


≪ 「平成」 から 「令和」 にかけての諸儀式や会見の中で、上皇陛下と天皇陛下が「象徴」という言葉をご発言なさったことに、私は少し違和感を覚えました。

 そもそも、天照大神から受け継がれた天皇を 「象徴」 と呼ぶことに抵抗がある私には、陛下ご自身がその発言をされるのを聞き、正直愕然としました。どうしても 「象徴」 という束縛から解放されてほしかったからです。

 ここ数年、関野道夫さんや高橋史朗さんなどのご著書を拝読して、WGIP(ウオー・ギルト・インフォメーション・プロブラム)について勉強をしてきました。アメリカが日本に対してやったことは、あまりにも許しがたいことだと痛感しています。

 アメリカは自分たちの戦争犯罪を隠すためだけでなく、日本を弱体化させるために占領軍を使って日本国民に幅広い洗脳活動を展開した。連合国による不平等裁判である 「東京裁判」 もその一例です。また、教育機関などを通じたプロパガンダによつて、真っ赤なウソを平気な顔で拡散していた。

 「天皇象徴論」 もその企みの一環だからこそ、「天皇が象徴だ」 という考え方に私は頷きたくないのです。

 結果的に、アメリカの占領軍は戦争責任を日本に押し付け、戦後復興の歩みの中で日本人に猛烈な自虐史観を埋め込んできました。

 現在、日本で社会問題となっている少子高齢化も、アメリカの策略です。占領軍が優生保護法などの悪法を強制的に成立させ、中絶や避妊の普及によって日本人の数を減らそうとした。その結果、今日の日本人口は急減しており、日本国家の存続が危ぶまれるほどに、策略は成功しています。この一連の占領政策により、多くの日本国民が凄まじい被害に遭いました。しかし、その最たる被害者は 「天皇」 と 「皇室」 だと、私は思っています。


   陛下の慈悲深さ

 しかし、これらの悲愴感を友人に話してみたところ、彼は 「ちょっと違うよ。天皇陛下が 『象徴』 という意味を変えたと思う」 と言う。この言葉に非常に衝撃を受けました。

 占領軍が 「象徴」 という言葉で天皇と皇室を崩壊させようとしていたことは、紛れもない事実でしょう。君主制を忌み嫌うリベラル派は、日本の天皇さえ 「象徴」 という呼称で徐々に弱体化できると期待していた。

 でも、それだけではなかったというのです。確かに、友人の言う通りかもしれない。

 聖書ではイエス・キリストが 「汝の敵を愛せよ」 「右頬を打たれたら左頬も差し出せ」 とお教えになっている。これに対し、世俗には 「あの手この手を使っても、自分の意思を通せれば大丈夫」 という論理が成立しています。

 それでも、結局 「悪」 は無力です。「悪」 で 「善」 の排除を試みると、必ず失敗します。

 天皇陛下は、この不思議な逆説をよくご存じだと思います。世の中が乱れていても、天皇陛下が博愛で受け入れる。そうすると、ご自分の存在が社会全体の雰囲気を和やかにし、日本国民は一つになることができるのです。

 皇室は、占領軍やリベラル派から 「天皇はただの象徴だ」 と侮辱されようと、憐れみや仁慈をもって誰にでも寄り添う。これは 『古事記』 にも多く見られます。

 アメリカの占領軍は、まさに 「須佐之男」 であった。天皇陛下に 「象徴」 という侮辱を与え、傲慢な態度を崩さなかった。しかし、イエス様がお教えになられた通り、天皇陛下はその侮辱に対し更なる侮辱で返したのではなく、愛と赦しと憐れみでお返しになった。

 この天皇陛下のお心が、「象徴」 という言葉の定義を大きく変えたのです。「象徴」 を肯定的に受け止め、従来の天皇のあり方に勝るとも劣らず、素晴らしい姿勢で天皇らしく国を象徴されてきた。そういう意味では、天皇陛下が第二次世界大戦を勝ち抜かれたと言えるでしょう。

 “象徴” 天皇が、八百万
(やおよろず)の神々に対して全国民の幸福を祈願し、国民の 「鏡」 として一人ひとりの心を顧みられることで、アメリカが思っていた窮屈な 「象徴」 の意味を超えて、天皇陛下は日本という国家の単なる象徴ではなくなった。天皇陛下は、日本の素晴らしさ、伝統の良さ、日本の歴史を代表される 「象徴」 になったのです。

 言い換えれば、「象徴の超克」 です。

 「天皇陛下が 『象徴』 という意味を変えたと思う」 という友人の言葉――。この言葉が響いた私は、天皇陛下のお陰で、令和が始まったばかりのこの時期に、不思議な希望が湧いてきました。

 天皇陛下は先の大戦に取り残された過去の産物ではなく、もっと人間らしい、リベラルの呪縛を払拭した未来の兆しに他なりません。

 「リベラル」 というイデオロギーは、必ず崩壊するでしょう。その時にも、天皇は必ずおられる。もしかすると、天皇陛下は 「象徴の超克」 だけではなく 「近代の超克」 も遂げてしまうかもしれません。

 私はアメリカ人として、いや、一人の人間として、新たな天皇陛下のご即位を日本国民の皆様と共に心からお祝いしております。≫



 ――天皇は憲法を否定せず受け入れながらそれを超えられた。天皇のご存在そのものが不文憲法として明文憲法の上にあり給うたとも言えよう。それは、神ならでは出来なかったことではないか。


          ○


   天皇は 「人間宣言」 などしていない


 もうひとつ、GHQは天皇のご存在を貶め日本を弱体化するために、終戦の翌年昭和21年元旦に、昭和天皇をしていわゆる 「人間宣言」 といわれている詔勅を出させた。

 それは、GHQが戦前の日本を、天皇は神の子孫 「現人神
(あらひとがみ)」 と信ずる天皇崇拝と軍国主義が一体となった狂信的軍事国家だと考えたからである。

 天皇という神の存在が、日本人が戦争をしたり、特攻隊のような戦い方をすることを可能にしたと分析した。GHQは日本に二度と同じようなことをさせないように、天皇(神道)が日本の政治に影響を及ぼさないようにしたかった。だがいくらGHQが 「天皇は神ではないと信じよ」 と命じても日本人がそれを信じなければ意味がないから、天皇本人に言わせようということになったのである。

 “人間宣言” の文面を最初に作成し、天皇に出させたのは、GHQ(連合国軍総司令部)の民間情報教育局のダイク氏だと言われている。

 しかし、昭和天皇の名で出されたその詔書は、連合国占領下の日本で1946年(昭和21年)1月1日に日本国政府の官報により発布されたが、これには何も題がつけられているわけではない。「人間宣言」 という名称は当時の日本のマスコミや出版社が名付けたもので、当詔書内には 「人間」 「宣言」 という文言は一切ない。

 その内容は、#291 に私が書いているように、冒頭に明治天皇の 「五箇条の御誓文」 を掲げられ、

≪ 一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
   一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ
   一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦マザラシメンコトヲ要ス
   一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ
   一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ

 叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民挙ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。 ≫


 とあって、民主主義はもともと日本にあったものだから 「又何ヲカ加ヘン」 ――何もつけ加えたり変えたりすることはいらない。

≪我ガ国民ガ現在ノ試錬ニ直面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克(よ)ク其ノ結束ヲ全ウセバ、独リ我国ノミナラズ、全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。夫レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努力ヲ効(いた)スベキノ秋(とき)ナリ。 ≫

 とおっしゃっているのであります。つづいて、

≪ 惟(おも)フニ長キニ亙レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動(やや)モスレバ焦燥ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ、道義ノ念頗(すこぶ)ル衰ヘ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵(まこと)ニ深憂ニ堪ヘズ。

 然レドモ朕ハ爾等
(なんじら)国民ト共ニ在リ。常ニ利害ヲ同ジウシ休戚(きゅうせき=喜びと悲しみ)ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延(ひい)テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。

 朕ノ政府ハ国民ノ試錬ト苦難トヲ緩和センガ為、アラユル施策ト経営トニ万全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ、我国民ガ時艱ニ蹶起シ、当面ノ困苦克服ノ為ニ、又産業及文運振興ノ為ニ勇往センコトヲ希念ス。我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相倚
(よ)リ相扶(たす)ケ寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ、能(よ)ク我至高ノ伝統ニ恥ジザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。

 斯ノ如キハ、実ニ我国民ガ、人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲ為ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。一年ノ計ハ年頭ニ在リ。朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一
(いつ)ニシテ、自ラ奮ヒ、自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾(こいねが)フ。

 御 名 御 璽

   昭和二十一年一月一日≫


 とあるのであります。

 これは 「新日本建設の詔書」 とも称されているものであって、天皇は神の子孫であるという神話を否定されてもいない。民主主義は日本に元からある、明治天皇の 「五箇条の御誓文」 にあることを明確にされたのであります。


          ○


   天皇は神の子孫であるという神話も否定されていない


 上記 「新日本建設の詔書」 に

 「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。」

 とあるが、この文言は決して、天皇は神の子孫であるという神話を否定されてはいない。朕(天皇)と国民との結びつきは、「単なる神話と伝説だけ」 によるものではなく、それもあるけれども、それだけではない、「終始相互の信頼と敬愛とによって結ばれてきた」 と言われているのである。


 だから、英国出身のジャーナリスト(「フィナンシャル・タイムズ」 初代東京支局長、元 「ニューヨーク・タイムズ」 「ロンドン・タイムズ」 東京支局長など歴任)ヘンリー・スコット・ストークス(Henry Scott Stokes)氏が、『WiLL』 の7月号に、次のように書いている――


≪   天皇は 「人間宣言」 などしていない   ヘンリー・S・ストークス


 天皇というご存在は、世界の宝である。ギネスブックには、「世界最長の王朝」 として記録されている。それだけでも、天皇というご存在の尊さは 「世界の宝」 というに相応しい。

 しかし、それだけではない。天皇を、最も崇高にして神聖なる存在たらしめているのは、天皇が神話の時代を二十一世紀に生かし続けていることである。皇室、そして天皇のご存在は、「市民」 や 「民衆」 や 「選挙民」 が決めたものではない。

 それは神話の中で、天照大御神が 「この地が私の子孫がシロシメス土地である」 と、神勅を発せられたことに由来する。そして、「天孫」 と位置付けられる天照大御神の孫にあたる邇邇芸命
(ににぎのみこと)に、庭にあった稲穂と鏡を授けて地上に降臨させたのだ。天孫降臨である。皇室祭祀で、稲や米が大切にされるのには、こうした背景がある。日本文化の大本は、大陸からの輸入文化ではなく、神道なのだ。

 降臨した天孫の孫にあたるのが、橿原の宮を開かれ日本の初代天皇となられた神武天皇である。

 私が尊く思うのは、畝傍
(うねび)の橿原に大宮を築いて即位した時の詔である。

「八紘
(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(せ)む」という有名な行(くだり)は、それこそ今風に言えば、「世界は一家、人類は皆兄弟」 ということである。

 これは初代天皇となった神武天皇の 「世界平和を実現しよう」 という理想であって、世界征服を目論むようなものではない。「八紘」 というのは、八方という意味で、天下とか世界を意味する。神武天皇の時代には、「大和の国」 が世界であったろう。

 こうした日本の神話は、当然のこととして日本の学校教育、特に義務教育で教えられてしかるべきである。しかし不思議なことに、日本の公教育で 「日本神話」 は教えられていないのだという。

 その背景には、GHQの占領政策がある。特に、特攻隊など死をも恐れず向かってくる日本軍に恐怖を感じたマッカーサーは、「天皇を神とあがめ、天皇のために死ぬことを厭
(いと)わない神道の教えに問題がある」 「日本を二度とアメリカに歯向かわせないためには、天皇への信仰心を取り除かなければならない」 と考えたのだ。

 多くの日本人は、天皇は 「人間宣言」 をして 「神ではないと宣言した」 と、そう錯覚している。実は、天皇は 「人間宣言」 などしていないのだ。

 いわゆる 「天皇の人間宣言」 と呼ばれる詔は、昭和21年の元日に発せられたものだ。この詔には、タイトルがない。「人間宣言」 などというのは、占領軍のプロパガンダに踊らされたマスコミが事実を捻じ曲げてレッテル貼りをした虚構だった。

 詔で、天皇は、「天皇が神を自称して、臣民を世界征服のための侵略戦争に駆り立てたなどとは、荒唐無稽な話だ。天皇と臣民の信頼関係はもっと深い歴史に根差したものである」 という主旨を述べられたにすぎない。このどこが 「人間宣言」 なのだろうか。

 むしろ、「日本が侵略戦争をした」 という占領軍の虚妄を真っ向から否定されたまでであった。それが、「天皇の 『人間宣言』」 などとして、日本の公教育や教科書で日本人に教えられているとしたら、なんと不幸なことであろう。

 世の多くの人々は、民主主義こそが最高に素晴らしいものであるかのように錯覚している。だが民主主義は、時にヒトラーのような暴君をも生み出す。決して万能ではない。

 一方で、二千年以上にわたって国民を慈しまれ、国をひとつに治めてきた天皇は、世界史でも立証済みの実績を持たれている。時の政治家や軍人が対立して戦っても、日本という国が、皇紀で言えば2679年(令和元年)までの長きにわたって分裂することもなく治められ続けたのは、天皇という存在があってこそである。

 世界最長の王朝、しかも 「万世一系」 の天皇という、神話に由来する国の長である。その権威は、決して占領軍によって侵されることはなかった。

 その証拠に、警備もつけず広島に行幸された天皇を原爆を投下された広島の人々が歓喜して迎えた。多くの国家指導者は戦争に負ければ地位を追われるか、亡命するか、殺されるかと相場が決まっている。ところが、日本の天皇は戦前も、戦中も、戦後も、天皇として君臨された。これまた、世界史の奇蹟である。

 なぜ、そのようなことが可能なのか。それは、日本の長い長い歴史の中に天皇が存在しているからである。そして、その天皇は日本固有の、日本オリジナルの信仰でもある 「神道」 の、最高位の神官なのだ。単に選挙の人気投票で選ばれたというような、「成り上がり」 ではない。

 これから様々な宮中祭祀、なかんずく大嘗祭が執り行われる。そうした祭祀は連綿と古代から受け継がれたもので、秘儀の部分もあろう。それを、国会議員や民衆が開示しろとか、差別にあたるとか、そういう議論をするとしたら大人げない。全てのことには、秘め事がある。差異もある。それを分別できてこそ成熟した文明であろう。

 天皇は、現人神
(あらひとがみ)なのだ――。≫


 (2019.6.14)
511 人生は神生であり生命芸術である


 私は約4年前、この 「近況心境」 #148#149 に、「日本民族最大の創作芸術は」 ・ 「“生命芸術” としての国体と宗教」 と題して、書いていました。今それを読み返して、感想を挟みながら、再録したいと思います。


          ○


148 日本民族最大の生きた創作芸術-それは“天皇国家”


 谷口雅春先生は 『美しき日本の再建』 に、次のように書かれています。

≪   天皇国家は日本民族独得の一大文化的創作である(p.29)

 われわれ独得の日本人の創作の文化の中で、一番偉大なる生きた芸術――生きて動いている大芸術がこの日本の国体であります。

 国体というと、国のあり方のことであります。この日本にしかないところの、一大創作芸術、一大文化的産物というのが、日本独得の天皇中心の “天皇国家” というものであるのでありますが、そういう独得の一大創作なる国家が創造されたというのは、この日本民族の真理直観の天分によるのであります。

 日本民族が古代から宇宙の真理として天地の始めに発見し表現した所の天之御中主神
(あめのみなかぬしのかみ)、宇宙の御中(みなか)に中心があって、全ての生命はその御中の中心から分れて出て来、そして又、それが中心に帰一して、中心・周辺一つにして渾然一体であるのが生命体であるという真理を日本民族は把握したのである。

 日本民族にとっては、全てのものは、一つの中心生命体から分れて出て、分れて出た末梢生命が又、中心に帰一して、それが渾然一体たる有機的生命体となっていると観るのであって、この世界観が国家にあらわれているのが、この現実の大日本国である。この民族の一大創作芸術である独得の日本の国家形態を吾々日本民族は永久に護持しなければならないのであります。これは他に、真似の出来ないところの創作芸術である。…(後略)…≫


 (『美しき日本の再建』 谷口雅春先生著より)

 ――「日本の国体(国のあり方)」 とは、「天皇主権」 とか 「国民主権」 とか、天皇と国民を利害の対立する二者とは見ず、君は民を 「おおみたから」 と拝み給い、民は君を 「大君は神にしませば……」 と拝みまつって来た。明治天皇は 「罪あらばわれをとがめよ天つ神 民は我が身の生みし子なれば」 とお詠みになった。君と民は親子のように一体のもの、君民一体、君民同治が国のあり方であった。だから終戦のとき、昭和天皇がマッカーサー元帥を訪問され、「戦争の責任は自分一人にある。自分はどのような処置をとられても異存はない。罪のない国民に餓死者が出るようなことのないように、食料援助をお願いしたい」 と申し出られ、マッカーサーをして 「骨の髄までも揺り動かした」 と言わしめるような感動を与えた(#145)。そうして 「生命
(いのち)を得んとするものは生命を失い、生命を捐(す)つる者は生命を得」 とキリストも云ったように、食糧は援助され、国体は守られてきた。

 このような国が世界にただ一つあるということは、奇跡とも言えることではなかろうか。

 それは、イエス・キリストが結婚して子をもうけ、その子孫がイエスの教えの通り愛を行じて治める神の国が現存しているような奇跡、あるいは仏陀-釈迦牟尼の子孫が今もインド王国の王として仏の慈悲を行じ、菩薩行として国を治めているというようなこと、または孔子の子孫が中国の皇帝として徳をもって仁政を行っているというような、まさに 「有り難い(めったにあり得ない)」 こと。

 日本食や富士山が世界文化遺産として登録されても、そのような形あるものを超えた、限りなく偉大な生きた創作芸術 「日本の国体」 こそが世界で最も貴重な文化遺産であることに気付かず、これを守ろうとしない者は、愚か者というしかない。私は、そう思います。  (2015.10.2)



 ――以上を書いたのは平成27年(2015年)でしたが、それから約4年たった今、新しい御代を迎えるに当たり、『WiLL』 6月号では 「皇室こそ世界遺産」 と題した特集記事を掲載しており、日本を愛する6人の外国人国際政治学者などが、異口同音に日本国体を讃える発言をしている(→#510)。 時代の潮流は大きく変わってきた。


          ○


149 “生命芸術”としての国体と宗教


≪「天皇国日本」は日本民族が創作した世界最大の文化的創作であって、これより大なる大芸術は他のどこにもないことを知って、この国体を尊重して貰いたいものである。≫
  (谷口雅春先生『古事記と現代の預言』序文より)

≪手を挙げるのも、眼をしばたたくのも、歯をみがくのも、床(とこ)をたたむのも、笑うのも、鼻をつまむのも、ことごとくが芸術である世界、そのような世界に住んでいて、そのような生々しい真理のカケラを血眼(ちまなこ)になって追いまわしている人々を、なぜ芸術家と呼ぶのでしょう。≫
  (谷口清超先生『愛と祈りを実現するには』より)

≪生命に生きることが、私の芸術であり、その生命芸術を宗教というのだ。
 宗教ほど大きい芸術はない。普通にいわれている芸術は、感覚を通じての局部芸術だ。宗教だけが全生の芸術をもち、生命の芸術をもつ。≫

  (賀川豊彦氏「生命芸術としての宗教」)

≪私は(賀川豊彦氏の言われる)「生命芸術」は、天皇に帰一する宗教にしてはじめて完成するのだと思う。一つの中心ある全体生命の中に個の生命が完全に救いとられるところにこそ、生命芸術の美の極致があるのではないだろうか。これを完成するところに生長の家出現の目的があるのだと思う。……われらの目的は個の生命を単に個の生命としてではなく、全体生命=一つの中心ある生命=永遠生命の中に救いとることにあるのだ。何たる大いなる聖使命であろうか。信じられないほど輝かしく豊かな世界をわれらは創りだすのだ。≫
  (岡正章「変わらざるものを」<『聖使命』昭和45年10月15日号「北極星」欄所載>)


≪ここに賀川豊彦さんの 「神の祭」 という文章があります。賀川豊彦さんというのは有名なクリスチャンで社会救済運動に挺身された方で、もうだいぶ前に亡くなられましたが、私は生前に賀川先生の講演を二、三回聴いたことがあります。霊感的な、火を噴(ふ)くようなお話でした。その賀川豊彦さんの 「神の祭」 という、熱烈な詩的な文章です。読んでみます。

  「聖パウロは言った。“その身を活ける供物
(そなえもの)として神に献げよ”と。
 五尺の鯉
(こい)を神に祀(まつ)ることは最も愉快なことである。
  
(この「五尺の鯉」というのは、人間のことを言っているんです――話者)

 吾々の生活の凡
(すべ)てが神への供物であり、祭であるのだ。
 祭だ、祭だ! 花火が上り、楽隊が聞えるではないか。我々の生涯のあらゆる瞬間が神への祭だ。表に五色の旗が翻
(ひるがえ)らなくとも、魂の奥には、永遠の燻香(くんこう)が立ち昇る。神への燔祭(はんさい)は、我々の赤き血そのものである。

 若き小羊を捕えて神に献げよ。全き小牛と全き小羊を神に献げよ。日本の若者の魂を捕えて神に献げよ。神への奉加は、吾々の生命そのものであらねばならない。吾々の玉串は、生霊そのものであらねばならぬ。完全に我々の全生命を神に祀ろうではないか。我々の肉体、我々の生活、我々の精神、我々の学問、我々の芸術、そして我々の道徳を神への献げ物として八足
(はつそく)台に献げようではないか。

 永久
(とこしえ)の祭だ、永久の歓楽だ! 不滅の花火、無限の祝典、生命の神饌(しんせん)は永劫(えいごう)に尽くべくもない。両国の花火はなくとも、我々の心臓のうちには、不滅の血が花火以上に赤く爆発する。」

 これが賀川豊彦さんの「神の祭」という文章です。私たちも、毎日毎日の生活を、すべてを神への祭りにしようじゃありませんか。素裸になって、すベてを神さまに献げてしまうんです。そのとき、神さまからすべてが与えられているんです。こんなうれしいことはないじゃありませんか。

    生命芸術の創造を

 賀川豊彦さんはまた、「生命芸術としての宗教」という題でこう書かれています。

 「私は敢ていう。宗教ほど大きい芸術はない。普通にいわれている芸術は、感覚を通じての局部芸術だ。宗教だけが全生の芸術をもち、生命の芸術をもつ。」

 「宗教は生命芸術である」と言われるんですねえ。このことばは、生長の家によってはじめて現実の意味が出てくるんではないかと思います。

 神想観をして龍宮海すなわち創造の本源世界に入ると、私達の中に時間も空間も全部ある。天地
(あめつち)の初発(はじめ)の時、即ち今、自分は神さまと一つになって、宇宙創造をしているんだ。その中心がわれわれ一人一人なんです。この宇宙は神さまが指揮者であるところの一大交響楽だというわけですけれども、また、われわれ一人一人が神そのものですから、われわれ一人一人が指揮者であり、演奏者であり、宇宙創造の中心者であるわけです。どういう音楽をかなでるかということは、われわれ一人一人の心ひとつにあるわけなんです。

 「人間神の子」の大真理をうたい上げて行きましょう。もっともっと素晴らしい歌をわれわれが創り出して行きましょう。そして、自分が創造の本源の中心にある自覚で、交響楽の演奏にも似たような、メロディーとリズムとハーモニーのある喜びの創造的運動をやって行こうではありませんか。≫


  (岡正章 『光のある内に』 〈昭和54年8月 日本教文社刊〉 所載 講話録より)


≪ 憂うべき戦後教育

 日本弱体化政策によって、まず修身・国史・地理を教えることが禁止された。教育のあらゆる部面で、日本人に国の誇りを失わせるような政策がとられた。現行日本国憲法が制定されるや、この憲法を尊重すべきことを中心とする「社会科」の授業が行われ、日本のよき伝統と歴史から断絶された根無し草のような教育、日本の過去はすべて否定するという教育が行われてきたのである。(中略)

   正しい歴史教育を通し高い理想を

 教育は、一定の理想あるいは価値を志向して行われるべきものであって、高い理想をめざさない教育などというものは本当の意味での教育とはいえない。しかして教育の理想は、国家理想、政治の社会的理想と無関係には考えられない。

 その理想はどこにあるか。……日本国憲法による戦後の教育が理想であるか。……現行憲法が理想だなどという者は、日本人は数千年の歴史をもちながら、この昭和二十年に至って敗戦の憂き目にあい占領憲法を与えられるまでは、正しい理想がわからなかったバカ者だったということなのだ。

 日本国は幾千年の間、天皇を中心に戴いて、幾多の困難をのりこえ、繁栄してきたのである。天皇中心の政治と文化を築く営みにおいて国民はその理想を遂げつつ人間性を開発してきたのである。

 「我カ
(わが)臣民克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一(いつ)ニシテ世々(よよ)(そ)ノ美ヲ済(な)セルハ此レ我カ国体ノ精華(せいか)ニシテ教育ノ淵源(えんげん)亦実ニ此(ここ)ニ存(そん)ス」

 この教育勅語の中に日本国民の教育の理想、社会的理想があったのである。……理想の教育による理想国家実現のために前進しようではないか。≫


  (岡正章 『生学連新聞』 昭和45年10月1日号所載)

 「克
(よ)ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一(いつ)ニシテ世々厥(そ)ノ美ヲ済(な)セルハ此レ我カ国体ノ精華(せいか)」――これぞ世界最大の生きた創作大芸術でしょう。  (2015.10.3)


 ――上記 『生学連新聞』 所載論文は昭和45年(1970年、安保条約再改定の年)で、今から50年前の執筆だ。それは谷口雅春先生の烈々たる信仰の御指導による。ありがたき極みである。それから半世紀を経て、唯物思想の迷妄は次第に崩壊し、実相の光が日本に顕現してきたと言えよう。


          ○


 人生は神生であり、生命芸術である。

 ――時間・空間を舞台として壮大な生命芸術を展開しているのが、私たちの人生なのでありました


 (2019.6.9)
510 「令和」新時代を美(うるわ)しく生きる


 人間の肉体は、時間・空間の中に生まれて生命の表現をする。

 しかし、それは表現して消え行く影であって、人間の本体は時間・空間を超えたところにあり、時間・空間を生み出した主人公=神なのである。人間は、死なない。

 「神我一体」 「自他一体」 「三界唯心」 である。

 「神」 は 「示す」 偏に 「申す」 と書く。

 神はことば(ロゴス)であり、創造者であり、表現者である。

 人生は神生であり、表現であり、生命芸術である。

 人生は時間・空間を画布
(キャンバス)として描く画であり、時間・空間を大ホールとして演奏する音楽であり、上演・上映する演劇あるいは映画である。

 人間は本来神であり、仏である。無限の自由・無限の可能性を持っている。

 日々、その無限の可能性を、悦びをもって美しく表現する御代(みよ)――

 「令和」 の御代は、そういう御代にしよう。


          ○


 「言葉は神」 である。言葉は創造主
(つくりぬし)である。

 元号は、その御代を創造
(つく)り出す言葉である。

 「令」 には 「神のみこころ」 という意味がある。

 神のみこころは、令
(うるわ)しく、美(うるわ)しい心である。

 「神、その造りたる諸
(すべて)のものを観たまひけるに、甚だ善かりき」

 (『創世記』) である。


          ○


 美しいものには、中心がある。

 美しい世界には、一つの中心がなくてはならない。

 その美しい中心を、「スメラミコト」 というのである。

 イエス・キリストが 「みこころの天に成るがごとく地にも成らせたまえ」 と祈るように教えた神の国、

 釈尊が金色の蓮華の花を拈って示した中心帰一の金波羅華
(こんぱらげ)世界――

 そのひな形、モデルとも言うべき、「スメラミコト」 (天皇) を中心に大きく令
(うるわ)しく和する国が、日本の理想なのである。

 だから日本を 「大和
(やまと)」 の国と言う。「やまと」 とは、弥数多(いやあまた)のものが中心に一つにまとまっていることを意味する。

 そして、「しきしまの大和の国は 言霊
(ことだま)の助くる国ぞ 真幸く(まさきく)ありこそ」 (万葉集、柿本人麻呂)とも歌われている。


          ○


 「令和」 という新元号は、80%以上の国民に好感を持って受け入れられている。

 「国中が湧いた」 と言ってもよい。特に、若い人たちが、喜んで受け入れた。

 戦後教育を受け、占領軍のWGIP(“War Guilt Information Program”の頭文字。GHQが占領後も日本人の心に戦争犯罪者意識・贖罪意識を植えつけ、独立心を奪い二度と立ち上がれなくしようとした洗脳政策。#140 参照の教育を受けてきた若い人たちが、このたびの 「令和」 改元に沸き返った。

 「日本は、世界最古の歴史と文化を持つ、ステキな国だったんだ!」 と。

 GHQは日本人の誇りを破壊しようとし、それは成功してきたように見えたが、ついに叶わなかったと言える。日本人を洗脳から守ったのは、古くから日本に続く確固たる存在、すなわち天皇にほかならない。

          *

 しかし、この 「令和」 改元に違和感を持ったり、反発する人も、まだ20%近くいる。

 人間は完全に自由につくられているから、どのように受け取るのも自由である。

 しかし、「思い」 はその人の人生を創る。積極的に明るい思いを持てば、明るい人生が創造される。

 80%の国民が 「令和」 という新元号を好感を持って受け入れているということは、新しい御代が明るい素晴らしい御代になることを暗示していると考えられる。

 そうなるように、私も残る人生を、全心全霊を懸けて、積極的に美しく生きて行きたいと思う。


          ○


 『WiLL』 6月号に、「皇室こそ世界遺産」 と題した特集をしており、日本を愛する6人の外国人国際政治学者などが、異口同音に、次のように書いている。(一部抜粋です)


≪ ご譲位によって、「令和」 の御代を迎えることになりました。

 ご譲位によって新天皇が即位されるのは、第119代の光格天皇(在位1780~1817年)以来、約200年ぶり。光格天皇が即位されたのは、アメリカの建国のわずか4年後のことです。

 日本という国の 「凄み」 の一つは、ここにあります。

 アメリカと違い、ちょっとした伝統、慣習でも、数百年、はたまた千年以上も遡ることができるのです。

 日本人の皆さんは、それを当たり前に思っているかもしれません。しかし、国家が長い間、侵略も征服もされることなしに続いているからこそできることなのです。ユダヤ人の私は、そのことを痛切に感じています。

 世界の歴史の中で、数多くの王朝が興っては、滅びていきました。しかし、そうした中で日本だけは連綿と一つの皇室が続いているのです。これを“奇跡”と言わず、何と言うのでしょうか。

 皇紀で言えば、令和元年は2679年にあたります。ギネスブックでも、皇室は 「世界最古の王朝」 と記録されていますが、世界最古の王朝は日本人にとってのみならず、世界中の人々にとっても“宝”ともいうべきものです。

 「皇国
(すめらみくに)よ、永遠(とわ)に、弥栄(いやさか)なれ!」

 私は、その思いを込めて新たな御代を、愛するイスラエル、日本、そして世界の人々とともに、素晴らしい時代にしてゆきたいと思うのです。≫

 (元駐日イスラエル大使 エリ・コーヘン)


≪ 皇室、そして天皇という存在は、日本にとって何物にも代えがたい宝ものです。

 では、アメリカの 「柱」 は一体、何なのでしょう。

 多くのアメリカ人は、三つの文書――「権利章典」 「独立宣言」 「合衆国憲法」――と答えるでしょう。アメリカの建国の父たちは、宗教と政治を区別し、「人間中心」 の国をつくろうとしました。

 しかし、三つの文書は表現が抽象的で、その意味を一般の国民が理解しているとは思えません。アメリカの 「柱」 は目に見えず、分かりにくいものです。

 そして現在、アメリカは 「右派」 対 「左派」 の“内乱”へ向かっています。

 欧州ではこれまで多くの戦争が起こり、何度も王室の交代、つまり 「国体の変更」 が起こりました。勝った国の王様が負けた国の王様を殺したり、男爵や伯爵が王様を殺して成り上がった例もあります。

 しかし日本では戦国時代、大名がどんなに権力を持っても、天皇陛下に取って代わろうとはしませんでした。また、局地的に農民の暴動はありましたが、国体を変更する 「革命」 は起こらなかったのです。

 それは仁徳天皇の 「民のかまど」 の逸話に象徴されるように、天皇は民を思い、そして国民がそんな天皇を尊敬していたからでしょう。

 日本のように 「皇室」 という目に見える、分かりやすい 「柱」 が存在する国の国民は冷静で、感情的になりにくいのです。

 今上陛下を見ていると、外国人が驚く日本人の感謝の心、助け合いの精神、優しさといった国民性も、皇室の存在が大きな影響を与えたことが分かります。

 皇室が存在したからこそ、素晴らしい日本人、日本が存在する。日本人は永遠に皇室を大切にすべきです。≫

 (元アメリカ海兵隊員・歴史研究家 マックス・フォン・シュラー)


≪ 私は日本の皇室のことを知ってから、一貫して 「畏敬」 と 「憧れ」 を感じています。

 世界の中で、皇室ほど尊い存在はありません。

 なぜ、日本の皇室は尊いのか。「長く続いているから」 ではありません。因果関係は逆です。

 尊いからこそ、長く続いている――皇室が長く続いていることは、尊さの 「理由」 ではなく 「証拠」 なのです。

 日本の左派には、皇室の存在を否定する人たちがいて、皇室を大切にする人たちのことを 「右翼」 とレッテル貼りをします。

 保守の基本的な考え方とは、一人の智恵より、多くの人の智恵の方が優れているということです。

 それは、「現在を生きる私たちの多数派」 という意味ではありません。現代人の智恵より、今まで生を受けた全ての人たちの智恵の方が優れている、という意味です。

 これまでの日本人は、皇室の存在が日本国の安定と民族の繁栄を支えていると分かっていました。社会全体の感覚として、「皇室を大切にしないと、日本民族は繁栄しない」 と感じていたのです。

 実際に歴史上、天皇を軽視した勢力は最終的に滅んでいます。どちらが正しく、どちらが間違っていたのか、何よりも物語っているでしょう。

 長い歴史の中で、神々の意思に沿ったものが残り、そうでないものが消え去りました。尊いものが残り、そうでないものが消える――単純明快な法則です。

 だからこそ、日本の皇室は、世界で最も尊い存在の一つと言えるでしょう。≫

 (ウクライナの国際政治学者グレンコ・アンドリー氏)


          ○


 『文藝春秋』 6月号に、「新天皇皇后 『知られざる履歴書』」 と題して、ジャーナリストの友納尚子氏が、次のように書いている。

≪……お住いの赤坂御所(元東宮御所)の部屋には、この4月に学習院女子高等科3年生になられた愛子内親王殿下(17)が筆で書かれた 「令和」 の半紙が飾ってある。その文字は墨痕あざやか実に堂々たるもので、令和時代の安寧を願うお気持ちが見る者に伝わるものだという。

 両陛下は、この文字を折に触れご覧になり、平成の終わりと令和の始まりを迎えられた。≫


 ――私も、「令和」 の文字を筆で書き、座右に飾って日々これを見、新しい御代の素晴らしい天皇陛下・皇后陛下のお心をわが心として、日本に生かされている悦びと感謝に輝く創造の日々を送ろうと思う。


 (2019.6.3)
509 品田悦一氏の偏見を駁す


 「令和」 の 「令」 は 「久遠の今」 であり(#507参照)、龍宮城――

 乙姫様の舞い踊る 「うるわしい」 「よい」 ところである。そして


≪大和(やまと)は 国のまほろば

 たたなづく 青垣

 山こもれる 大和し うるはし≫
(『古事記』)


 と日本武尊
(やまとたけるのみこと)が歌われた、令(うるは)しき日本である。


 「令和」 の考案者とされる中西進氏は、 『文藝春秋』 6月特別号に、次のように書いておられる。

≪元号とは何か。元号とは文化です。

 つまり日本で連綿として受け継がれてきた文化であって、本来、国や役人が定めるものではありません。元号は本来、天が決めるものなのです≫


 と。

          ○


 私は新元号が決まる前の3月29日に、次のように書いていました。


≪ 新たなる御代の元号が、まもなくあと3日ほどで、4月1日に発表されます。

 どういう元号になるのでしょうか。

 元号は、「国家の理想を語っていること」 というのが第一条件。

 ならば、私は 「大和」 という漢字が浮かびますが――

 これは、「土地の名前などと重複しない」 という条件から、はずれますね。

 「国文学、漢文学、日本史学、東洋史学などについて学識を有する専門家に考案を委嘱し、内閣の責任において決める」 と言われているが、そこには人智を超えた神智が天降って決まることを信じ、わくわくしながら期待しています。≫


 と。

          ○

 ――まさに、その通りになったことをうれしく思っています。

 それで、私は歌に詠んだのであります。


≪ 元号は人作るにあらず天(あめ)よりぞあまくだりきて祝福したま

  
(「令和」 の考案者といわれる中西進氏もそう言っておられる。
    中西氏は万葉集研究の第一人者、90歳。2013年文化勲章受章。
    中西氏は 「元号は中西進という世俗の人間が決めるようなものではなく、
    天の声で決まるもの。考案者なんているはずがない」 と話した<4月2日 時事通信>。)


  
元号はわが日の本の文化なり いま令(うるは)しく和みて咲(わら)ふ≫

 と。



          ○


 「令和」 に関する私の歌と説明をある方に送ったところ、「これを読みなさい」 と、品田悦一
(よしかず)氏(国文学者)の檄文のようなものを送ってこられた。それは、 『短歌研究』 という雑誌に掲載された 緊急寄稿 「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ  と題する論文のコピーであった。

 私は、それを送って来られた方(私が所属している短歌会のお世話役・指導者格の方)に、次のようにお返事した。


≪ ご懇切なお手紙、そして 「『令和』 から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ」 という品田悦一氏の論文コピーをお送りくださいまして、まことにありがたく、感謝申し上げます。

 感想を申し上げます。

 品田氏はその方面の専門研究者として該博な知識をお持ちのようですが、結論は、旅人の心境などについていささか偏見をもって断定的に言い過ぎていらっしゃると思われ、残念に思います。

 具体的に申し上げますと、新元号 「令和」 の出典、万葉集巻五 「梅花の歌三十二首」 の序文を書いたと思われる大伴旅人
(おおとものたびと)について、

【 ……長屋王を亡き者にしてまでやりたい放題を重ねる彼ら(藤原四兄弟)の所業が私にはどうしても許せない。権力を笠に着た者どものあの横暴は、許せないどころか、片時も忘れることができない。だが、もはやどうしようもない。年老いた私にできることといえば、梅を愛でながらしばし俗塵を離れることくらいなのだ。…(中略)… これが、令和の代の人々に向けて発せられた大伴旅人のメッセージなのです。テキスト全体の底に権力者への憎悪と敵愾心が潜められている。】

 と書かれていますが、それは品田氏の推測であって、そう断定できる証拠はない。現に、「令和」 の考案者とされている先輩同業者(同じ万葉集の研究者という意味です)中西進氏は、少し違った見方をしておられます。5月1日付け日本経済新聞では

【 「序文の作者は大宰帥の大伴旅人だと思います(註。万葉集の序文に署名はない)。この宴を開いた前年には、平城京では 『長屋王の変』 が起き、藤原四兄弟による独裁が始まっています。旅人はそうした時期に左遷され、大宰府に来た。中央の政局への複雑な感情があったに違いありません」

 「そんななかで開いた宴の序文には、権力者にあらがいはしないが屈服もしないという気構えが見て取れます。本当は、どんなに悔しかったでしょう。それを抑えて、悠然と風流を楽しんで宴を張る。不如意のときの見事な生き方を示してくれています」】

 
と書かれていますが、6月特別号の 『文藝春秋』 では

【……森鴎外も軍医として北九州の小倉に左遷され、「隠流」 という号を名乗っています。その境遇は似たものがありますが、旅人は鴎外とは違って陰陰滅滅とはせず、権力争いとは距離を置き、都を遠く離れても人生を楽しもうとした人でした。

 旅人には融通無碍な歌の技巧があり、和歌は漢文風です。例えば、「天地
(あめつち)と 長く久しく」 と書いて 「天地長久」 と漢文としても読めるような和歌を作ります。読むたびに感心しますが、「梅の花の歌の序」 も漢文で書かれながら、和歌として詠むこともでき、しかも梅の花を囲む宴会の、快く満ち足りた様子もありありと伝わってきます。

     旅人のような品格を

 旅人は、端然として品格のある人物です。組織や権力に恋々とせず自由に楽しむ生き方を選びました。人生を満喫できるかどうかは自分が決めることですから、私は旅人を見習いたいのです。

 昨今、価値観が定まらず、行く先が分からない日本で、多くの人は不安感にとらわれています。その中で、麗
(うるわ)しく生きる万葉集の精神性、そして旅人の品格のある生き方が 「令和」 という元号から伝わるよう願っています。】

 と書かれており、品田氏と中西氏の論文とでは、かなりニュアンスがちがいます。どちらに共感するか、それは人によってまちまちでしょう。私は、中西氏の論の方が品格が感じられてよいと思います。

 品田氏は最後に、次のように書かれています。

【 安倍総理ら政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。

 一つは、新しい年号 「令和」 とともに 〈権力者の横暴を許さないし、忘れない〉 というメッセージの飛び交う時代が幕を開け、自分たちが日々このメッセージを突き付けられるはめになったこと。

 二つめは、この運動は 『万葉集』 がこの世に存在する限り決して収まらないこと。

 もう一つは、よりによってこんなテキストを新年号の典拠に選んでしまった自分たちはなんとも迂闊
(うかつ)であったということです(「迂闊」が読めないと困るのでルビを振りました)。

 もう一点、総理の談話に、『万葉集』 には 「天皇や皇族・貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌」 が収められているとの一節がありました。

 この見方はなるほど三十年前までは日本社会の通念でしたが、今こんなことを本気で信じている人は、少なくとも専門家のあいだには一人もおりません。高校の国語教科書もこうした記述を避けている。かく言う私が批判しつづけたことが学界や教育界の受け入れるところとなったのです。

 安倍総理――むしろ側近の人々――は、『万葉集』 を語るにはあまりに不勉強だと思います。私の書いたものをすべて読めとは言いませんが…(後略)…】


 ――何という人を見下げた書き方をされるのでしょう。「俺は東大教授だ、だまって俺の言うことをきけ」 というような傲慢さが感じられて、人を不愉快にさせます。私は、こんな人には嫌悪感を感じます。

 率直な感想を申し上げました。失礼致しました。お許し下さい。

                  岡 正章 拜

  追伸 最近の新聞記事から、コピーを2点、添付させて頂きます。≫




          ○


 昨日引用させて頂いた 「君民同治の神示」 に、

≪……人は自己が無にして絶対であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於ても持つことを要求するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。

 身体も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。

 観る心の要請が身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。

 天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。…(後略)…≫


 とありました。品田氏は、自分の中に 「権力者への憎悪と敵愾心」 を持っているから、大伴旅人もそうだろうと観たのでしょう。

 一方、中西進氏は 「端然と品格ある生き方」 を理想として生きておられるから、旅人のすがた・文章に 「品格」 を観られたのではないでしょうか。


 (2019.5.30)
508 「令和」 新時代を讃えて詠める歌(3)


 「やりとげた」 よろこびにまさる幸福なし 仕事制限は幸福制限だ


 ―― 幸福とは何か。健康で、衣食住足りて、家族むつまじく、時には打ち揃って旅に出かけるというのも、平凡な幸福であろう。

 しかし、困難を克服し、辛い仕事をやり抜いてやり遂げたという達成感のよろこびには、平穏無事という常識的幸福感にまさるやすらぎ感、幸福感があると思う。


≪ 兄弟よ、海の波が巌(いわお)にたわむれるように、困難にたわむれよう、猿が木の幹を攀(よ)じのぼるのをたのしむように困難を楽しんで攀じのぼろう。もし軽業師が綱の上を渡らないで、平坦な大道を歩くだけならば、誰も喝采する者はないであろう。梅の花は烈々たる寒風の中で開くので喜ばれるのだ。

 兄弟よ、わたしは苦しみに耐えよとは言わない。「生長の家」 では苦しみに戯れるのだ。いかなる苦しみをも戯れに化するとき人生は光明化する。

 盤根錯節
(ばんこんさくせつ)は 「生命」 がたわむれるための一つの運動具である。諸君はスキーを多難だと言うか。登山を不幸だと言うか。ゴルフを艱難だと言うか。競泳を悲惨だと言うか。いかなる苦しみも戯れに化するとき人生は光明化し、そこから剛健なる無限の生命力が湧いて来る。≫



 「働き方改革」 と言って、「上限を超えた残業はダメです」 と一律規制することによって、勤労者が働きやすくなるとは思えない。

 労働時間を縛ることは勤労意欲を削ぎ、日本をダメにする――といわれる丹羽宇一郎氏の論文(『文藝春秋』 令和元年6月特別号)に共鳴する。


≪仕事とは、すなわち人生そのもの――私は半世紀以上、この信念でやってきました。

 ……激しく仕事をした人間は大きく成長します。でも中途半端な仕事をしていたら人は成長しない――だから意欲のある人間は、何時間でも働いたらいいと思います。それは会社のためだけではなく、その人のためでもあるからです。

 ……仕事をマイナス面ばかりから考えるのは間違いです。仕事は何よりも人に生きる喜びをもたらしてくれる。働き方改革は、それが法律に反映されていないのです。≫



 ――「仕事を制限することは幸福を制限することだ」 というタイトルで、丹羽宇一郎氏は 『文藝春秋』 誌に、そう書いておられる。同感である。


          ○


 「天才の育て方」 と題して、日本経済新聞 5月23日夕刊の 「あすへの話題」 欄に、経済学者 松井彰彦さんが書いていらっしゃる。――


≪  天才の育て方
                   経済学者 松井彰彦

 大阪は天王寺よりさらに南に下った喜連瓜破
(きれうりわり)駅からタクシーに乗ると、周りに畑や空き地が残る陽だまりの中に小洒落(こじゃれ)た建物が見えてくる。これが障害者の施設だとは、言われなければわからない。

 アトリエ インカーブ。自身も障害当事者の今中博之さんが創り育てた 「施設」 だ。アトリエに所属するアーティストは20~30人。全員が――社会の基準で言えば――知的障害者である。

 しかし、彼らの作業を見ていても、障害者とはわからない。稼ぎ頭の寺尾勝広さんは、2メートル四方の絵を2週間で描きあげる。その絵が海外で400万円で売れる。必要経費を除いた売上代金は彼の所得だ。

 天才とも言える才能は教育では育まれない。「教育は邪魔です」 と今中さんはきっぱりと言う。型にはめられるような教育を受けてきた彼ら――健常者の指示をよく聞くよう躾けられてきた彼らは、一度指示されると、自由な発想を失ってしまうという。

 躾けられてきたのは健常者も同じだ。何枚絵を描いても、「好きやから、飽きへん」 と寺尾さん。それを聞いた美術系の大学生が、絵が好きだったのに、教授の顔色ばかり窺うようになった自分を振り返って、泣きだしたこともあるという。

 僕のゼミから僕を超える研究者が沢山生まれてくる理由も同じだ。彼らはおしなべて論文を書きまくる (ただし、寺尾さんのような実入りはない)。研究が好きだから飽きないのだ。そして、僕が 「教育は邪魔」 と言って、ゼミ中 うとうとしているおかげで 彼らは伸びるのだろう。今度のゼミでは彼らが成功する夢でも見よう。≫



          ○


 上皇様となられた先代の天皇陛下は、#505 の日本経済新聞 2019年4月27日記事 「平成の天皇と皇后 30年の歩み」 (最終回)に書かれているように、まれに見る 「心の強い方」。

 それは、「無にして絶対」 なる境地―― 「久遠の今」 なる、「一切者」 なるものとして 「国民に寄り添う」 実践を、全心全霊をもって実践して来られた結果、「幸せでした」 と、達成感のやすらぎにひたって譲位されるに至ったのだ。そして迎えたのが 「令和の時代」 なのである。


          ○


 「君民同治の神示」 に、次のごとく示されている。


≪   君民同治の神示

 国は人間生命の外延
(がいえん)である。それは身体が人間生命の外延であるが如くである。

 人間生命が神より生れたる神聖なるものであるという自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの神聖性を要求するのである。

 この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。

 しかも人は自己が無にして絶対であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於ても持つことを要求するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。

 身体も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。

 観る心の要請が身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。

 天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。…(後略)…≫



 (2019.5.29)
507 「令和」 新時代を讃えて詠める歌(2)


 永遠
(とことは)に貫く棒は 「令」 の棒 時空を超えて生き通すなり


 ―― 「令」 は、「今」 に縦の棒がついた形である。

 それは、時空を超えた 「久遠の今」 ということである。

 「令」 の棒は、「靈」 の棒である。そこには――

≪太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。……万(よろず)の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき。……≫

 と 「ヨハネ伝」 にある、創造主なる神の言
(ことば)が鳴りひびいている。

 その言
(ことば)は即ち

≪「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。

 爾
(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)

 寶祚
(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きわ)まりなかるべし。≫


 (豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る日本の国は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の霊統を継ぐ者が栄えるであろうことは、天地と共に永遠で窮まりないであろう、というほどの意)

 と、天祖 天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天孫 邇邇芸命(ににぎのみこと)にくだされた御神勅が鳴りひびいているということである。だから前項に掲げたように


 日の本は光の国ぞとこしへにスメラミコトのしろしめすくに


 なのである。


 (2019.5.22)
506 「令和」 新時代を讃えて詠める歌


     令和元年五月の歌


何なるか 平成・令和貫くは 棒の如きもの たづね究めん
  
(「去年<こぞ>今年貫く棒の如きもの」-高浜虚子)


「令」 の字に なじか知らねど不可思議な わくわくさせるオーラのありて


「令」 の字は 「靈」 なり奇
(く)しきマジックなり 漢字学者の説に肯く
  (#500 参照)


元号は人作るにあらず天
(あめ)よりぞあまくだりきて祝福したまふ
  
(「令和」 の考案者といわれる中西進氏もそう言っておられる)


元号はわが日の本の文化なりいま令
(うるは)しく和みて咲(わら)


日の本は光の国ぞとこしへにスメラミコトのしろしめすくに


(うるは)しくむつみ和(なご)みて結びゆくわが日の本は光の国ぞ


令和とは令
(うるは)しき大和(やまと)日本なり人びと和み結び合ふくに


ベートーヴェン歓喜の歌もそを謳ふ
   汝
(なれ)が魔法は万民を結ぶと
   (ダイネ・ツァウバー・ビンデン・ヴィーダー)


人はみな日子
(ひこ)なり日女(ひめ)なり神の子なりみな抱(いだ)き合ひ悦びうたふ


 (2019.5.20)
505 「令和」 新時代を幸福に生きる道(2)


 上皇となられた平成の天皇さまは、とても心の 「強い」 方だった、という。

 ――日本経済新聞 2019年4月27日、「平成の天皇と皇后 30年の歩み」 第51回(最終回)より――

≪ 「わが友は――」 その人は天皇陛下をそう呼ぶことがあった。そしてこうも言った。

 「彼は本質的に強い男だよ」

 元共同通信記者のジャーナリスト、松尾文夫さん。今年2月末、取材で訪れていた米ニューヨーク州で急逝した。85歳。陛下とは学習院高等科、大学の同級生だった。東京・目白のキャンパス内にあった学生寮 「清明寮」 で陛下と同室で、約2年間寝食をともにした。

 親友ゆえに、松尾さんは陛下に遠慮なく 「直球」 でもの申すことが多かったという。ただ、自身がメディアの人間でありながら、交友の詳細を口外することはなかった。陛下にとって、何でも話すことのできる、真の気が置けない友だったのではないだろうか。

 その友が語った数少ない天皇陛下の人となりを表す言葉のなかで強調されていたのが 「強さ」 だった。平成の象徴像を形づくってきた原動力は意思の強さにある、と。

 振り返ると、いまでは多くの国民から支持されている 「あり方」 は、当初は昭和時代との比較でかなりの違和感を持たれ、抵抗にあってきた。

 災害被災地訪問は 「1カ所に行くと、すべての被災地に行かなければ不公平になる」 と疑問視された。

 膝をついてのお見舞い批判は表層的なもので、これこそ本質的問題だった。

 「天皇の強い希望で」 と語られている海外慰霊の旅も、外国訪問は政治が絡む。天皇の意思が前面に出ることは憲法に抵触するという見解もあった。

 昭和時代には考えられなかった天皇像に対する抵抗を "力業" で突破し、自身の信じる道を貫き通すには、屈しない意思が必要だった。

 昭和の前例をそのまま踏襲する方がずっと楽だったはずだ。しかし、「国民から超越した非人間的な存在であれ」 という近代以降の天皇に要請された役割をよしとせず、人間的で人々に寄り添う 「国民の象徴天皇」 像を追い求めてきた。

 ある意味 「戦い」 でもあったが、けっして孤独な旅ではなかった。退位が決まって以降、天皇陛下は友人に皇后さまへの感謝を話すことが多くなったという。

 陛下は昨年12月の天皇として最後の誕生日に際しての記者会見で 「私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました」 と述べられた。

 皇太子妃は旧皇族・華族出身という慣例を破って、自分の気持ちに正直に向き合い、「庶民」 であった美智子さまに人生の旅の同伴を求めた。その意思と受け入れた皇后さまの決断のなんと大きかったことか。

 陛下は会見で、皇后さまが 「皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきた」 とねぎらわれた。

 他者を思い、ときに傷つきながらも寄り添う。国民は、そこに献身と真心を見た。その静かな積み重ねと天皇陛下の強い意思が、200年閉じていた退位への扉を開かせたのだろう。

 松尾さんは米国に出発する前の今年2月上旬、御所を訪れた。結果的に友との別れとなったが、このころ 「陛下はいま達成感があるんだ」 と語っていた。

 平成の天皇と皇后の30年の歩みの到達点は、まぎれもなく国民の象徴であった。≫



 ――以上は、4月27日付の日本経済新聞 「平成の天皇と皇后 30年の歩み」 最終回の記事(「編集委員 井上亮」 と署名入り)からの抜粋でした。


 戦没者慰霊、災害の被災地訪問と、「旅」 することで象徴天皇像を体現してきた上皇さま。2月24日、「在位30年記念式典」 では、

 「これまでの務めを、人々の助けを得て行うことができたのは、幸せなことでした」 と、国民への感謝を述べられた。

          *

『文藝春秋』 2019年6月特別号には、瀬畑源氏(成城大学非常勤講師)が、『象徴天皇と 「行幸」 』 と題して次のように書かれている(抜粋)――


≪ 天皇が全国各地に 「旅」(行幸)をすることは、上皇のオリジナルではない。過去の天皇も、国民との向き合い方はそれぞれ異なるが、「旅」 をし続けていた。

 私が監修した 『昭和天皇戦後巡幸資料集成』 全18巻(ゆまに書房)が、今年の3月にすべての刊行を終えた。

 「戦後巡幸」 とは、昭和天皇が敗戦直後に全国を行幸し、国民を慰問し、激励をしたことを指す。米軍占領下の沖縄県を除く全都道府県を周り、国民の前に姿をさらし、傷痍軍人や戦災者などに声をかけていった。

 戦前から、天皇の行幸は定例的に行われていたが、個別に天皇と会うのは地方庁や軍の高官であり、国民は最敬礼で天皇を迎えたため、多くの人は直接天皇を見ることすら叶わなかった。敗戦後に警備が緩和され、結果的に天皇と国民との距離を近づけることになった。天皇自身も市井の人々に声をかけて、直接交流するようになった。

 この時、各地で 「行幸誌」 という記録集が作られている。戦前にも作成されていたが、あくまでも 「正確な記録を残す」 ことに主眼がおかれ、膨大な事務記録がほとんどを占めている。「読み物」 というよりは 「辞書」 である。

 しかし、敗戦直後に作られた行幸誌には、昭和天皇と各地の人々との交流の姿が活き活きと描かれている。掲載されている昭和天皇の写真も、心から国民との交流を楽しんでいるような満面の笑みを浮かべていることが多い。

 執筆者たちの編集後記などによれば、平易な文体で書くこと、親しみ易く書くこと、という方針が、どの行幸誌でも一貫している。この理由として、「人間天皇」 を人々に啓蒙する役割をもって執筆されたものが多いように思われる。

 当時の新聞記者や行幸誌の編纂者などの書いているものをみると、次のような考え方をしていることが読み取れる。天皇を神としてまつりあげることによって、天皇と国民の間が疎隔していたが、今、天皇が 「人間」 として目の前に立って自分たちと交流している。これこそが 「君民一体」 の姿なのだと。だから、天皇の 「人間」 としての魅力をみなに理解してほしい、と。

 戦後巡幸の後にも、昭和天皇は、春は全国植樹祭、秋は国民体育大会に行幸し、各地の人々と交流を続けていった。ただ、形式化が進み、警備の厳しさが次第に戻っていく中で、戦後巡幸の頃の交流は失われていった。

 のちに侍従長になった入江相政は、「終戦後間もなくの、あの 『行幸』 よ、お前は一体どこへ行った」 と、混乱していたものの天皇と国民の距離の近さを感じた初期の巡幸を懐かしがった (『城の中』 中公文庫)。

 天皇が国民との直接の交流を大事にするという考えは、この戦後巡幸の時に作られたと言ってよいだろう。当時皇太子だった上皇も、この考え方を引き継いだ可能性が高い。ただ、昭和天皇はあくまでも国民を 「赤子」(臣民) と考えており、膝をつくようなことはなく、握手を絶対にしなかった。一方上皇は、美智子上皇后の影響もあり、次第に国民と同じ目線で語りかけるように変わっていった。

 昭和天皇の戦後巡幸を覚えている人は、今では少なくなった。戦後の象徴天皇制への支持を支えた 「行幸」 とは何であったのか。その原点をたどる手段として、この資料集が活用されることを願っている。≫


 (以上は 『文藝春秋』 2019年6月特別号、瀬畑源氏 『象徴天皇と 「行幸」 』 より)


 ―― 「GHQは当初、天皇陛下が日本各地を巡幸すると知ったとき、日本国民から罵声や石が飛んできて、天皇の地位は失墜させられると考えていた。しかし、いざ日本中を回ると、どこへ行っても 『天皇陛下万歳』 の熱烈な歓迎ぶりに驚いた。そして、この国から天皇を亡くしたら、占領どころではなくなると思い直した」

 とも言われている。


          ○


    
平和を誓う 「歓喜の歌」

 上皇さまが即位された1989年は、冷戦を象徴するベルリンの壁が崩壊し、世界が大きく変動した年であった。93年9月、上皇さまと上皇后さまはベルリンを訪問された。東西の再統一から間もないドイツで、ワイツゼッカー大統領夫妻らと訪れたのは、東西ベルリンの境界にあったブランデンブルク門だった。

 説明を受けながら旧西側から旧東側に歩いて門をくぐられると、合唱団が待ち受けていた。響いたのはベートーベンの交響曲第9番。平和を誓い欧州統合のシンボルになった曲だ。

 
「東西を隔てし壁の払はれて 『歓喜の歌』 は我を迎ふる」

 と、上皇さまはこの時の感慨を歌に詠み、後に2009年の記者会見で

 「西ベルリンから東ベルリンに入ると、ベートーベンの 『歓喜の歌』 の合唱が聞こえてきました。私どもの忘れ得ぬ思い出です」

 と述べられている。


 平成が始まったころ、ドイツには皇室批判もあった。枢軸国として敗戦を迎え、戦後は主要7カ国(G7)の一員として利害をともにしてきたが、80年代は貿易摩擦が激化した。

 だがクラシック音楽が印象を変えた。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などの演奏会に上皇さまや上皇后さまが頻繁に足を運ばれると、「日本の皇族は音楽通」(ゲバントハウス管弦楽団の関係者)というのが知れ渡った。


 平成、そして令和へ。ドイツでも代替わりと改元への関心は高い。メディアはおおむね好意的だ。即位された天皇陛下については 「洗練された人」(独紙ハンデルスブラット)という受け止めが多い。

 お祝いムードのなかで変わらないのは外交に花を添えるクラシック音楽だろう。天皇陛下は8歳だった68年、訪日したドイツのオーケストラの演奏会に足を運ばれたことがある。「子供心に美しい旋律とドイツ語の力強い響きが強く印象に残ったことを今でも懐かしく思い出します」 と2011年に述べられている。演奏されたのはベートーベン交響曲第9番。平和を誓う 「歓喜の歌」 である。

 (参考:日本経済新聞 2019.5.5 「ドイツと皇室 外交に花を添えたクラシック音楽」 など)


 「歓喜の歌」の歌詞は、よく知られているように

Freude, schöner Götterfunken, (歓びよ、美しき神々の火花よ)
Tochter aus Elysium      (天国の使いなる娘よ)
Wir betreten feuertrunken  (われらは火のごとくに酔いしれて)
Himmlische, dein Heiligtum! (崇高なる歓喜あふれる神の国に入る)

Deine Zauber binden wieder, (汝
(な)が不可思議力は再び結び合わす)
Was die Mode streng geteilt; (時がいかに強く分け隔てたものも)
Alle Menschen werden Brüder,(みな一つ生命
(いのち)の分れなる兄弟なりと)
Wo dein sanfter Flügel weilt.  (汝
(なれ)がやさしき翼のおおうところ)

……

Seid umschlungen, Millionen! (抱
(いだ)き合おう、よろずの人々よ!)
Diesen Kuß der ganzen Welt! (この接吻
(くちづけ)を全世界に!)
Brüder, über'm Sternenzelt  (兄弟よ、この星空の上に)
Muß ein lieber Vater wohnen. (まちがいなくわれらの愛する父はいますのだ)

……


 というので、全人類はみな共通の父をもつ兄弟姉妹だ、抱き合おう喜び合おうという歌です。

 それはまさに、神武天皇建国の宣言にある 「八紘為宇(Universal Brotherhood)」 の理想そのものである。その理想、真理の顕現こそが人類最高の燃える大歓喜となる、ということです。


 ⇒ #169 #170 もご参照ください。


  <つづく>


 (2019.5.15)
504 「令和」 新時代を幸福に生きる道のヒント


 少子高齢化が進み、福祉国家日本は社会保障費の増大に喘いでいる。

 かく言う自分もすでに齢86になろうとしていて、年金暮らし十余年。しかし生かされていることにただ感謝の毎日である。

 歯医者と皮膚科以外 医者にかかったことはなく、今も薬は全然飲んでいないが、健康に不安はない。

 人間は、肉体ではない。霊である。不死不滅、本来生不滅の霊である。肉体は死んでも、霊は死ぬことはない。永遠に感謝と悦びの生長をつづける。

 「令和」 新時代を幸福に生きる道――それは、キリスト教的 「愛」 の道であると思う。


          ○


 私は最近、すばらしく輝いている人に出会いました。

 その方は――NPO法人「ホッとスペース中原」 代表のS氏。


≪ ホッとスペース中原は、1998年11月に、ご利用する全ての方々に 『ホッ』 とくつろげる場所を提供したいと考えて活動を開始しました。

 それは、一人ひとりの方をかけがえのない存在として考えているからです。

 そして、人は能力で評価されるのではなく、神様に目的と意味を持って造られた存在としてそのままで尊いと考えているからです。

 私自身は青春時代に、社会と大人たちから価値のない存在として扱われていると感じていました。

 そのため、暴走族として過ごし、アイドルを応援する親衛隊の隊長として自分の存在をアピールしました。

 そんな私が立ち直り今あるのは、教会を通して次のことを知ったからです。

 神様は自分の最も愛する一人子である主イエスを、十字架に身代わりに掛けるほどに、私たちを尊い存在として愛しぬいてくださっている。

 『こんな私だから尊い』

 それはコペルニクス的な(観の転換をもたらした)喜びでした。

 私はその価値観を持って社会福祉に携わり、多くの高齢者や障がい者、子どもたちを通して自分の存在の尊さに気付かされ、自分を愛することができるようになり、誰でもない自分の尊さを生きてよいことを知ることができました。

 私はこの体験から、同じように 『高齢者』 『障がい者』 『子ども』 という存在を通して、社会が豊かになると信じています。

 彼ら、彼女たちこそ、私たちを癒し、育んでくれる大切な存在なのです。

 私たちは、一人ひとりがハンディの有無に関わりなく、等しくかけがえのない尊い存在として扱われ、幸福を自分のものとして受け取り、使命を全うできるような社会を創造したいと願っています。≫

  (NPO法人「ホッとスペース中原」の案内チラシ、代表挨拶より)


 ――S氏は、非嫡出子(法律上の婚姻関係にない男女間に生まれた子)として生を受けた。父親は40歳代の頃、精神病院に隔離入院させられていた。その病院にボランティアに来ていた19歳の女性に、病院から脱走する手伝いを依頼し、女性はそれを受けて決行。それがS氏の母親となる。

 病院から外へ出たものの、病を抱えた父は仕事ができず、28歳年下の母が生計を支え、逃避行の連続。同じ場所に3か月と定住していられなかった。飢えの連続――他人の軒先を借りるなどして、約10年間のホームレス生活を続けているとき、S氏の生命が宿ったのである。

 小さな村から2キロ離れた山に、ゴミ収集場から拾い集めた資材で掘立て小屋を建てた。水道も電気もなく、屋根は何度も風で飛ばされ、雨漏りの連続……テレビも冷蔵庫も風呂もなく、ロウソクの明かりで生活。そんな中で、S氏は不良少年になる。

 夢も希望もない中で、気がつけば何百人もの不良グループのリーダーになっていた。病気、失職、ひとり親、貧困、アルコールやギャンブル依存症、借金苦、DV……等々、仲間のほとんどの家庭が、複数の深刻な問題を抱え家庭崩壊していた。

 そのような環境を理解せず、彼らの敵対感をむき出しにする大人へ、子どもたちができる選択肢は、反発や反抗しかなかった。ただ社会を憎み、強がることしかできなかった……。


 S氏は、自分の生まれた境遇について、「自分より不幸な人間はいない」 と思っていた。力こそ人生を生きる術だと信じ、そのように生きてきた。しかし、暴力事件を起こして学校から謹慎の処分を受け、力には限界があると知り、知り合いの教会を訪ねる。

 そこには保育園が併設されていたので、訪ねるたびに子どもたちの遊び相手をした。子どもたちは、自分を疎外した大人たちとは違い、無邪気にまとわりついてきた。自分が必要とされていることを初めて体感できたその体験は新鮮で、温かく迎えてくれた教会の人達や、聖書を通して知った神の思いに通ずるものだった。

 自分には価値がないと思っていたとき、聖書を学び、どんな生い立ちであろうと、また能力がなくとも、神はOKを出してくれているんだと知ることができ、180度人生が変わった。18歳のとき、洗礼を受けた。

 その後、人を救いたいという思いが募り、介護と神学を学ぶ道に導かれ、1998年に川崎市中原で教会がスタート。その同じ建物で地域の介護拠点として本格的な活動を開始。

 ――S氏は今50歳で、キリストの牧師である。と同時にNPO法人の理事長として、たくさんの人々から神のように慕われる生活に身を献げている。――

 (『人は“命”だけでは生きられない』 佐々木炎
(ほのお)著<いのちのことば社刊>参照)


 佐々木炎氏はいま、進んで困難に立ち向かい、困難に戯れ楽しむ姿で、名前の通り炎と燃え、愛を実践する活動を続けている。


 ――ああ、現在の日本に、スター・デーリー(#477#478~)のような奇蹟を演ずる人がいたのだ! 「この人に会いたい!」 と私は思いました。

 その願いは、すぐにかなえられました。

 ――「ホッとスペース中原」 を訪問見学し、光り輝いている佐々木炎氏から直接お話を聞くことができたのです。

 S氏は笑顔で情熱を込めていう。

≪ 今後、社会はますます苦悩する人が多くなり、福祉を必要とする人が多くなるでしょう。また、一人ひとりの生きにくさや都市化に伴う社会的孤立や心身の障碍や不安などが増大するでしょう。

 私は社会の誰もが排除されない 「包摂」 の場所を、元当事者として、当事者と模索していきたいと考えています。

 「
compassion」(苦しみを一緒にする・一緒に耐えること)から 「希望」が生まれる。

 私たちは 「競争(competition・コンペティション)の社会から、苦しみを共にする共感(compassion・コンパッション)の社会へ向かおう、コンパッションの文化を利用者さんや職員間、社会に創ろう」 ということをモットーにしています。≫


 と。


 <つづく>


 (2019.5.10)
503 「元」は「未発の中」である


 「元号」 とは何か。

 「元号とは文化です」 と、中西進氏
(「令和」 の発案者とされている国文学者)はおっしゃる(『文藝春秋』 6月特別号)

 「つまり日本で連綿と受け継がれてきた文化であって、本来、国や役人が定めるものではありません。元号は本来、天が決めるものなのです」

 とも。


 「元号」 の 「元」 は、「もと」 であり、「一
(はじめ)」 であり、

 時空未発の
「中(みなか)」 「久遠の今」 である。

 そこには――

≪太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。……万(よろず)の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき。……≫

 と 「ヨハネ伝」 にある、創造主なる神の言
(ことば)が鳴りひびいている。

 そしてそれは、『古事記』 の冒頭に

≪天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主(あめのみなかぬしのぬしの)神……≫

 とあるのと符節を一にし、旧約聖書 『創世記』 に

≪神光あれと言ひ給ひければ光ありき……神その造りたる諸(すべて)の物を視たまひけるに甚だ善かりき≫

 とあることとも繋がり、符節を合するのである。

 したがって、そこには 「はかりしれないほど不思議な」 「神々しい」 「とても素晴らしい」 大調和、大ハーモニーが鳴りひびいているのは当然のことである。

 「令和」 を英訳して最初外国の記者は “Order and Harmony(秩序ある調和)” と伝えた。その後、「令」 には 「よい」 「すばらしい」 という意味があることを知り、“Beautiful Harmony” と伝えられたという。だが、もっと、

 
“Wonderful, Miracle, Magical, Occult, Holy, Divine …”

 といった言葉で形容されてもいいのではないか――と私は思うのである。

 そういう至高最上の意味を持つ元号が、これからの世界・時代への 「予祝」 として鳴りひびき、実現して行くことを祈るものである。


 (2019.5.9)
502 「元号制定」は祈りである


 そもそも、「元号」 とは何か。

 「元号」 の 「元」 は、「もと」 であり、「一(はじめ)」 である。


 元号が最初に制定されたのは中国で、その始まりは前漢武帝の建元元年(紀元前140年頃)。

 わが国では645年大化改新時に元号を 「大化」 と定めて以後、元号が定められるようになった。

 中国の帝王は、天の命令により領土を支配すると同時に、時をも支配する――空間とともに時間を権力によって支配し、それが 「授時大権」 と称された。

 「日本天皇のもつ元号大権も、古代中国の帝王が有した授時大権に由来すると思われる」 と、瀧川政次郎氏は論じている (『元号考証』) が、日本の場合は違う、と四宮正貴氏はいわれる。

 日本天皇は日本国の支配者ではなく祭祀主であられる。「空間」 と 「時間」 とを 「支配」 するのではなく 「統治」 される。

 天皇の 「統治」 は、「しろしめす」 「きこしめす」 という。それは 「知る」 「聞く」 の尊敬語で、「お知りになる」 「お聴きになる」 という意。神の御心を知り給うて国民に知らせ、国民の声を聴き給うて天の神に申し上げる。それが 「統治」 となる。だから統治と祭祀は共に 「まつりごと」 「祈り」 なのである。

 中国の帝王は 「天の命令」 によって地上を支配し、徳が切れたら 「命」 が 「革
(あらた)」 まるという 「易姓革命(えきせいかくめい)」 の思想があって、それを繰り返してきた。しかし、日本に易姓革命はない。

 日本天皇の永遠性は、神話による。天照大御神の 『天壌無窮の御神勅』――

 「豊葦原
(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きわ)まりなかるべし」

 (豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る日本の国は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の霊統を継ぐ者が栄えるであろうことは、天地と共に永遠で窮まりないであろう、というほどの意)

 ――から続いている。

 天孫 邇邇藝命
(ににぎのみこと)の御名は、「天地に賑々(にぎにぎ)しく稔っている太陽神の御子」 というような意を表す。「天孫降臨神話」は、稲穂がにぎにぎしく稔る国を地上に実現することが天皇のご使命であり日本民族の理想であることを物語っている。


 わが国は、「言霊
(ことたま)のさきはう国」 と言われ、言葉にはそれを実現する霊力があると信じられてきた。そのわが国の元号は、国家の隆昌・国民の福祉を予祝(よしゅく)した、祈りのこもった文字である。「予祝」 とは、前祝いである。

 「すべて祈りて願ふ事は、すでに得たりと信ぜよ。さらば得べし」

 と、イエスも言っている(新約聖書 「マルコ伝」 11-24)。

    小正月に秋の稔りの前祝い

 古代では旧暦の二月に相当する時期に秋の稔りへの予祝行事が行われ、これが本来の正月であった。一月の望日
(もちのひ)十五日に家々の神様の前に、稔りの秋の様子を飾り立て、今年もこのような豊かな年になって有難うございますと前祝いをした。これを小正月(こしょうがつ)と言い、今も小正月の予祝行事には田植の模擬行事や農耕の経過を一通り演じる神事芸能が全国の由緒ある神社に伝えられている。

    「とし」 は稲作そのもの

 「年
(とし)」 という言葉は、稲の種播(たねま)きの準備から秋に穫入(とりい)れて穀倉に収めるまでの期間を意味していたことから、 「とし」 の語が一年間の年を意味するようになり、また稲のことを 「とし」 というようになった。それで祈年祭(としごいのまつり)は稲の豊作の祈願を通して国の弥栄(いやさか)を祈る祭となり、今も続いているのである。

    元号の勅定は権力の行使ではなく祭祀であった

 江戸時代中期の天文学者・西川如見
(にしかわじょけん)(1648~1724)は、「暦」 について、次のように論じている(『百姓嚢』)。

 「天の時を敬
(つつし)み、地の利にしたがうは、人間の常理也。ことさら農人は、一日も天の時、地の利をつつしみ、従う事なくんば有るべからず。耕穫収藝、みな天の時にして、暦の用なり。暦は朝廷の政治にして、民の時を授けたまう。……有りがたき風俗なり」 と。

 日本人の生活は、農耕を基本とし、規則正しく自然の変化に順応している。そして日本における暦は、祭祀主である天皇によって授けられるというのが伝統であった。

 一年間の時の推移、季節の変化は、日本民族の生活、特に稲作生活と不離一体の関係にある。故に暦は必要不可欠のものとして大切にされ、祭祀国家日本の祭祀主として常に五穀の豊穣・国民の幸福を祈られてきた天皇が、「まつりごと」 として 「暦」 を民に授けられた。

 「元号勅定」 は、この事と不即不離である。稲作国家日本の祭祀主なる天皇にとって、時代に節目にをつけ、時を授けるのは大切なご使命であり、これまでの歴史を顧みれば明らかなように、新元号を建てることによって時代転換、国家の新生、維新が行われてきた。

 近代においても、天皇が元号を定めることは権力行為ではなく祭祀であった。それは 「元号の勅定」 が天皇の 「統治権の総攬者」 としての 「国務・政務」 について規定されている 『大日本帝国憲法』 ではなく、「即位ノ禮及大嘗祭」 などの祭祀についてのみ規定されている 『登極令
(とうきょくれい)』 に規定されていることによって明白である。

 ところがこのたびの元号改定は、天皇の勅定によるという千数百年にわたるわが国の伝統が無視され、内閣がこれを行った。

 それは、「天皇の事前許可を求めれば天皇の国政関与を禁じた憲法に反する」 という考え方に基づくと言われている。が、元号の勅定は、天皇の政治権力行為ではなく 「天皇の祭祀」 の重要な事柄である。政府も国会も、皇室や日本の伝統よりも 『現行憲法』 の規定を重んじる姿勢を貫いているのはおかしい。

 安倍総理は、天皇陛下の政治への関与を禁じた 『現行占領憲法』 第四条に抵触しないよう配慮しつつ、「新元号」 決定前も決定後も、皇居・東宮御所に何回か参内し、天皇陛下、皇太子殿下に選考が元号にご説明申し上げたようである。天皇陛下、皇太子殿下にご報告申し上げ、ご意向をうかがったと思われる。

 わが国は 「君民同治」 の国である(#498 参照)から、それでもよいのかも知れない。が――

 天皇・皇室は、「憲法」 を超越した御存在である。天皇は権力者ではあらせられないのであるから、権力の制限規範たる成文憲法に規制されない。

 このことを明確にし、次の改元は勅定で行われることを願うものである。

 以上のことは、四宮正貴氏の 『政治文化情報』 第402号(平成31年4月28日発行)により、同氏の論に賛意を表して、まとめて発表させて頂きました。


 <つづく>


 (2019.5.7)
501 「令和」の号砲は鳴った!


○ 「令」 の字に なじか知らねど不可思議な わくわくさせるオーラのありて

 と、私は詠んだ(前項)。

 それは、「令」 という字は、「靈」 という字の代わりに使われて、「はかりしれないほど不思議な」 「神々しい」 「とても素晴らしい」 という意味がある、と知って納得できた(4月7日の日本経済新聞 「遊遊漢字学」 漢字学者阿辻哲次氏のコラムによる)。

 その 「令」 の字は、万葉集巻五 「梅花の歌32首」 の序文を典拠として新元号に採用された。

 新元号 「令和」 は、“ビューティフル・ハーモニー Beautiful Harmony” と英訳され、世界から好感をもって受け取られている。

 生長の家の 「梅の花の神示」 には、

 「梅の花の開く時節が来たのである。……梅の花とは、生みの花――創造(うみ)の始動(はな)のことである」

 とある。

 新天皇が即位され、新元号が公布された。御代替わりの時を迎え、新しい創造(うみ)の始動(はな)の号砲が鳴ったのだ。それは、神々しく美しい大調和の時代の始まりとしなければならぬ。


          ○


 そもそも、元号というものの由来は――というところから、今われわれはいかなる心構えで進むべきかを熟慮考察してみたいと思います。

 <つづく>


 (2019.5.4)

 
(1) プロフィール


岡 正章(おか・まさあき)

1933年6月 東京生まれ、86歳。 (先祖・両親の出は愛媛県)
妻1人、子供が4人、孫も4人あり。

趣味――音楽、特にコーラス・アコーディオン。
八十の手習いでピアノの練習も始めた。
パソコンによる動画編集も特技の一つ。

好きな言葉――バンザイ!

山口在住の1950年頃 父親が生長の家入信。その影響か、1951年春 霊的体験を得て人生観が一変。1952年 山口高校卒、同年 東京大学入学。1953年 生長の家青年会入会、谷口雅春師ご自宅での青年会「お山のつどい」でご指導を受ける。1959年 青年会中央執行委員学生部長。1960年 東京大学教育学部卒。1964年 日本教文社勤務、聖典・書籍の編集に従事。1975年、生長の家本部青年局に転じ『理想世界』編集長。1976年、同誌100万部突破。1984年~2006年、茨城・福島・山形の各教区教化部長歴任。2006年 東京第一教区地方講師。2015年4月21日、地方講師解任の通知を受ける。現在、相愛会員、聖使命会費取扱者。