近 況 心 境

岡  正 章
514 生長の家教団が沈みつつあるように見えるのはなぜか。

 人間は皆本来 「現人神」 である



 人間は皆、本来 「現人神
(あらひとがみ)」 すなわち肉体の姿をもって現象界に姿を現した神なのである。

 それ故に、『生命の實相』 第1巻 總説篇 「七つの光明宣言」 の第一条に

 
≪ 吾等は宗派を超越し生命を礼拝し……≫

 とあり、その解説として

 
≪ われわれが 『生命』 を礼拝すると申しますれば自分自身を敬い拝むことになるのであります。自分自身が尊い 『生命』 であるとの自覚がすべての道徳生活の根本になるのであります。

 自分自身が尊い 「生命」 であればこそ、自分自身をはずかしめない生活をすることができるのでありますし、また他人の生命や個性や生活をも尊重することができるのでありまして、ひいては、われわれの 「生命」 の大元の 「大生命」 をも尊び礼拝したくなるのであります。≫


 と記されてあるのである。

 「現人神(
あらひとがみ)」 というのは、今まで、「上御一人(かみごいちにん)」 とも称された天皇陛下にのみ用いられた尊称であった。

 しかし、人間は皆、宇宙大生命=神の生命の肉化した顕現体、神の最高の自己実現であるという生長の家の教えからすれば、人間は皆、畏れ多くも 「現人神」 と言ってよい尊い存在なのではないか。

 「君民同治の神示」 に

 人間生命が神より生れたる神聖なるものであるという自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの神聖性を要求するのである。

 ……天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。即ち観る主体(民)が神聖であるから、観らるる客体である天皇が神聖なのである。≫

 とあることからも、それは言えると思う。

 (むろん、悪平等はいけない。上のものは上、中のものは中、底のものは底と秩序を明らかにすることが住之江大神=住吉大神の宇宙浄化のお働きである。しかし、神は渾てのすべてであって、神以外に存在するものはないのだ)

 己れを神として礼拝し、すべてを神として礼拝するのが生長の家だ。


 奇跡を生む礼拝合掌のすがた


 (#375 にも書いたように) 谷口雅春先生はかつて 『動向』 という武藤貞一氏主宰の雑誌に、 「耿耿
(こうこう)の言」 という随想を執筆しておられた。その中に、次のような珠玉のご文章がある。

 
<「耿耿(こうこう)の言」の「耿(こう)」には、〈耳がひらいてあきらか。目がさえて眠れない〉という意味があり、「耿耿」は、〈光が明るいさま〉と、〈心が安らかでない。気にかかって寝付かれない〉という意味がある。>


≪  『動向』 誌所載 《耿耿の言》

   暴力から合掌へ ─ 学内暴力の一掃策 ─

                           谷口 雅春

 毎朝わたしは神前に坐して 『甘露の法雨』 又は 『天使の言葉』 の如き生長の家の聖経を朗読することにしているのである。その聖経の中に

 「一つの物体(光源)の周囲に百万の鏡を按きて
 相対せしむれば百万の光を発せん。
 人は神より発せる光であって
 甲乙丙丁互いに相分れて別々の存在と見ゆれども
 すべて “神” なる一つの光源の反映であって、
 本来一つの光であって、
 すべて一体であるからその実相を自覚すれば
 互いに愛と讃嘆の念湧き起らん」

 という意味の事が書かれているのである。

 それを読みながら近頃、頻々として起っていることが報ぜられている教師と生徒との間に於ける反感や暴力沙汰は、この真理を互いに自覚すれば、教師と生徒との間に起る反感や暴力沙汰は自然に消えてしまうのに!! と思いながら、日本の文部大臣にこれ位のことがどうして出来ないのかと歎息の溜息を吐いたのであった。

 教師と生徒とが一つの大生命(神)より発した光であり、
 互いに兄弟姉妹であり、
 互いに愛と讃嘆の念が起るならば、
 教師と生徒との間に起る暴力の原因が消えてしまうのである。

 こんな簡単明瞭な真理が、どうして
 現代の教師にも生徒にも解らないのだろう。
 すべて教師と生徒との両者に生長の家の説く真理を会得さしてしまえば、
 それで万事はOKである筈である。
 それが出来ないのは皆な唯物論者であって、
 互いの神性を拝むということを知らないからだ。

 そう思ったとき、私はもう数十年も前の事であるがこんな記憶があるのを思い出した。

 大阪の難波の駅から急行電車に乗って和歌山へ私は行くことになっていた。

 その時信徒の人たちが多勢私を見送りに来て、皆々私の方を向いて合掌していた。

 私も見送りの人たちに向って、列車の窓に両肘を突き窓から半身を乗り出すようにして合掌していた。

 肉体の形が合掌しているのではない。互いの魂が相互に合掌して礼し敬しているのである。

 その時、ひとりの男の人が私のいる列車の窓口ヘ
 つっと近づいて来て、私を合掌して拝んだ。そして云った。

 「私は今日、刑務所から出て来た者であります。
 娑婆へ出て来たけれども、どうして今後生活すれば好いか見当が付かないのでした。
 しかし私は先生の合掌していられるそのお姿を拝しました。
 そして私は今後どのようにして生活すればよいかを知らして頂きました。」

 私は列車の窓から腕を突き出して、その男の人の手を握った。
 「兄弟よ、あなたは“神の子”である。如来である」 と私は心で念じた。


 今、日本の諸方の学校で起っている校内暴力はどうして起るのであるか、
 総理大臣も文部大臣も唯、拱手傍観していて、
 「暴力者は悪い奴である」 と念ずるばかりで
 為すべきすべを知らないらしいのである。
 そして此の暴力沙汰を引き起す原因については
 何ら御存知ないらしいのである。
 本当の暴力の起る原因は教師の 「心」 の中にあるのだ。

  (註)その暴力者を 「悪い人である」 と念ずる教師自身の 「心」 の中にあるのだ。

 現在、学校で教職についている先生方は
 自分の知りている知識を生徒に授けるのが教職者の
 仕事であるとのみ思っているらしい。

 “授ける” “受ける” の立場に立って、
 先生と生徒との関係は、上位と下属との関係である
 と漠然と思っている先生が多いのではあるまいか。

 なまけていて進歩の少い生徒は劣等の人間であると、
 先生はその生徒を軽蔑する。
 生徒は教師の自分に対する軽蔑を
 先生の表情又は雰囲気で直感する。

 生徒はこんなとき先生よりも霊感的であり、
 先生の軽蔑心をすぐ直感的に身を以って体感する──
 “何クソ” と生徒は先生に反感を起すのだ──

 もうこうなったら “正しい教育” は成り立たないのである。
 生徒は先生に対して敵意をもつ。
 生徒の教師に対する校内暴力は
 此の敵意のあらわれであるのだ。


 私は老齢既に卒寿を越えて脚腰の動作が不便であり、坐位でも椅子でも直立でも、相当時間一定の姿勢をつづけて講義することは勿論、執筆すらも長くつづけることができない。併しもう少し若かった頃公会堂その他の大会場で、皆に話すために演壇に立った時、いつでも聴衆に向って私は低身合掌して 「皆さん、ありがとうございます」 と先ず礼拝の言葉を演べた。私は講演するとき、相手を見くだして教える心で立ったことはない。

 皆なを拝む心で演題に立てば、皆なが話者を拝んでくれるのである。演者は別にその効果を期待して、聴衆を合掌して拝んでいるのではない。真理の講話を話しに来る者、またそれを聴講に来る者、倶に深い因縁のあることである。

 学校暴力とか校内暴力とか云う乱暴な出来事が起るのは、教師も生徒もその深い因縁に気付かないで教師が、“生徒を拝む心” で講壇に立つのではなく 「万一の事が起った時には護身のために必要だから」 と理窟づけして、教師の方がポケットに護身用ナイフを忍ばせて演壇に立つからである。

 即ち、相手を傷つける想念は隠し持ったる護身用具に随伴する。想念は造る力であるから、自分の予想するものが形の世界にあらわれて来て、自分を傷つけ又、相対する相手を傷つけることになるのである。

 私は中学時代大阪市岡中学で学んだのであるが、教師は演壇に立ったとき、生徒総代又は級長が号令をかけて 「先生に礼拝……直れ」 などと音頭をとって 「形式的に敬礼」 させる。

 それでは軍隊式で、形式が先に立って
 「先生に礼拝する」 ごとき、魂で恩愛を感じて自然にお辞儀が出来てくるのとは違って、強制される礼儀形式ばかりが先に立つ。

 生徒の中には、そんな形式的な命令に従ってお辞儀をさせられる事は、「自由を縛る束縛だ」 と反感を懐きながらお辞儀をしている者もあっただろうと思うが、私もそれ等生徒の一人であった。

 尤もその時代の中学生と先生とは、弟子と師と云うような階級的な次元に於いて対立感情で向かい合っているのではなかった。儒教的な 「三尺さがって師の影を踏まず」 という 「礼」 の秩序性が表現されたものであって、先生と生徒とは互いに共学の研心の同朋であった。

 相互は、学校の授業時間だけに於いて共学研心の同朋であるだけでなく、学校の授業時間を了えて校外に出ても、先生と生徒とは何らかの意味に於いて研心の同朋であった。

 あの時代の中学教師と中学生との精神関係を喚び戻すことが出来れば楽しいと思う。

 私は数学の時間に幾何や代数の問題で先生に屁理窟を云うと、先生は 「もう谷口君にかかったら負けだ」 と笑いながら云った。

 今でも先生と生徒との関係が愛情によって結ばれていたことをなつかしく思う。

 教師が本当に生徒たちに皆一視同仁的に各々の生徒を愛の心を以って立ち向うならば、教師の表情が愛に満たされた様子で、常にどの生徒に対しても同様に立ち向うことになる。

 その時には黒住教祖の宗忠尊師が

  立ち向う人の心は鏡なり
    おのが姿を映してや見ん

 と、いみじくも詠われた状態が現れて、生徒はその教師に対して親愛の感情を感ずるのである。これは空想ではない、現実に成り得る問題だ。

 (中略)

 生長の家の箴言にある、いつも天気に対してお礼を云う気持で “神様、好いお天気を与えて下さいまして有りがとうございます” と念ずる習慣のある人は、天気に祝福されて、その人が旅立つときには好天気が常につき添うて下さるのである。

 もう十数年も前のことであるが、私たち夫婦は各国を身を以て知るために世界旅行に出掛けたことがある。ドイツを廻った時の季節は、朝晴れているかと思うと数時間もすると雨が降る 「秋しぐれ」 の季節であった。

 ドイツで私たち夫婦を道案内して下さった方は、日独交換教授として、ドイツに駐在中の日本の早稲田大学の独逸語教授の山田先生であった。山田先生は

 「ドイツのこの季節にはいつ時雨るかも知れませんから雨具を用意してまいりましょう」

 と時々云われたが、わたしは、

 「常に天気に対して私たちはお礼を云っていますから、私が観光に出掛けている時間には雨は降らないでしょう」

 と答えたものである。そして“雨降る”予報の天候は、私の言った通りに私たちが宿舎に帰ってから降り始めるのであった。

 私たちの案内役をつとめて下さった山田先生も、天候が私の云う通りに適当に変化するので偶然としてはあまりに不思議だと感心していられた。

 近頃、日本の国では人間界だけではなく、天候があまりにも傷ましいほどに大自然の暴力を揮うのである。古への為政者はこのような時、自分たちの政治のあり方に、天意に背く間違ったやり方を行なっている点があるのを御気付けして下さるのではなかろうかと反省して、行政の姿勢を正したものである。

 今は民主主義の時代であって、何事も人民主宰の世界であるから、為政者にして、

 「罪あらば我をとがめよ天つ神、民はわが身の生みし子なれば」

 とお詠みになった歴代の天皇の大御心を自分の政治の上に復唱する者は、既に為政者の中心にないのである。

 現下の日本に必要なものは、何よりも為政者の心の姿勢を反省することである。

 今こそ私は 「教育勅語」 の復活を中曽根総理大臣に宣言して頂いて、為政者自身の心を浄めることを 「第一の事」 として、先ず何事も第一の事を第一に為し、国民総じて実践する道を行く扉を開かれんことを希望するのである。

 今、日本の為政者が教育勅語の実践的復活をみづから提唱し、みづからが率先して実践せられるならば、想像もつかない教育界の大なる浄化作用が滔々として起ることを期待して、その実現を私は待ち祈るのである。≫


 ――これを実践すれば、生長の家は隆々と栄えざるを得ないのである。

(上記は谷口雅春先生がかつて 『動向』 という武藤貞一氏主宰の雑誌に連載で 執筆しておられた「耿耿(こうこう)の言」 という随想の一つ。その御文章のみのコピーが出て来たので、『動向』 誌何年何月号に書かれたものかは不明。「中曽根総理大臣」は昭和57年11月7日から62年11月6日まで約5年間在職しており、谷口雅春先生は昭和60年6月17日に御昇天になっているから、これは先生が卒寿<90歳>を超えられた最晩年期のご執筆である)

 必勝の真理 「尊師の平法」



 孫子の兵法に

 「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」

 という。これは

 「相手を神であると知り、己も神であると知れば、如何なる問題も神智に導かれて必ず解決し、楽勝する」

 と深読みするのが、最高の解釈である。

 それが
「尊師の平法」 である。


 「日本の実相顕現の神示」 に

≪ 敗戦の原因は多々あれども戦争を始めたから敗けたのである。

 ……排他の心は、他と自分とを切り分ける心であるから、切る心は切られる心と教えてある通りに自分が切られる事になったのである。

 切る心は三日月
(みかづき)の心であり、利鎌(とがま)のように気が細く、角だっていて、空にあらわれている時間も少く、その光も弱く、直(じき)に地平線下に沈んでしまう心である。

 心の通りに日本の国が沈んでしまっても、それは日本人の心みずからの反映であるから、徒(
いたずら)に失望、落胆、放心してしまってはならない。

 『見よ、われすべてのものを新たにするなり』 と教えてある。現象の三日月は沈んでも実相の円満玲瓏
(れいろう)一円相の満月は依然として虚空に輝いている。それと同じく、心狭く尖りたる排他的な軍国主義の似非日本の国は沈んでしまっても、実相円満の日章旗のようにまんまるい日本の国は無くなってはいないのである。

 有るもの、有りしものは永遠に滅びることなく、必ずそれは日本人全体の心が円満になり、実相の波動に日本人全体の心の波動がぴったり合うようになれば、現象界にもその不滅円相のすがたをあらわすのである。

 汝等
(なんじら)嘆くことはない、滅びしものは本来無きもののみが滅びたのである。無きものは滅びるほかはない。軍国日本の如きは本来無き国であるから滅びたのである。神洲日本は不滅であり、永遠に滅びることはない。

 滅びたように見えているのは実相が蔽
(おお)い隠されているだけである。実相を蔽う心が眼鏡をかけている心である。

 すべて此の世の中の事物は象徴であるから、その象
(かたち)をよく見ていれば世界に何が起りつつあるかを知ることが出来るのである。≫

 とあるが、生長の家教団が今、沈みつつあるような現象を呈しているのは、上記の神示にある通り、「排他の心は、他と自分とを切り分ける心であるから、切る心は切られる心と教えてある通りに自分が切られる事になったのである。」


 これは、まことに悲しいことであると言わざるを得ない。

 しかし、気がついた者から実践すればよいのである。

 神は、悪を創らない。悪はないのである。

 神は、愛である。愛は、神である。


 愛こそ最大の精神的資産



 ――聖経 『真理の吟唱』 より


≪     聖愛を実現する祈り

 すべての人間は、ことごとく “神の子” なのである。それゆえに、すべての人間は、私たちにとってみんな兄弟姉妹なのである。私たちがすべての人間に対して愛情を感じることは、神から与えられた最大の精神的資産であると言わなければならないのである。

 この最大の精神的資産を行使しないで、ただ眠らせているということは、まことに愚かなことだと言わなければならないのである。

 それゆえに私たちは、この “愛” という精神的資産をゆたかに行使するのである。単に自分の家族に行使するだけではなく、また単に人類のうちの親しい人たちだけに行使するのではなく、すべての人に、そしてすべての処で、またすべての時に、この “愛” の資産を行使するのである。

 “愛” は美しき花びらのごとく人生を飾るのである。私はすべての人に、すべての時に、あらゆる所において “愛” の資産を行使する。それゆえに、私の行くところ常に天国浄土とならざるを得ないのである。……

 (中略)

 魂が魂を呼び、魂が魂を観るためには、肉体の目を閉じて、相手の実相を観ずるのが最勝にして最善の方法である。実相を観ずるとき、彼の実相の円満さが自動的に顕現するために、彼の行動は自然に正しくなるのである。

 また実相を観ずるとき、彼に何をしてあげればよいか最も適切なる方便が思い浮ぶのである。真の愛は必ずしも “甘く” はないのである。真の愛は峻厳である。峻厳なる方便を通して、彼の実相の円満さが引き出されるのである。≫



 見よ、われ既に天地を新たならしめたのである。

 今此処天国である。


 
今此処天国を現前せよ



≪    入龍宮不可思議境涯の祈り

 ああ美しきかな、この朝よ。もろもろの花は地にあらわれ、もろもろの鳥のさえずる時すでに至れり。わが愛する者どもは目覚めて、神の御前に集まりて、神を讃美す。よろこびは悦びを呼び、愛は愛を呼ぶ。わが愛する者に幸いは集まり来たり。すこやかに子供は伸びて、楽しさにさんざめく。

 ああ幸いなるかなこの朝よ。家族たちの悦びの声は宇宙にこだまする音楽の如く、その声の底には極楽の響きを湛
(たた)うる泉あり。その泉より噴(ふ)き出ずる悦びの声は、龍宮の輝きを帯び、神の光に照されて、五彩七彩の虹を放つ。

 今、われら家族、極楽の園に遊び、龍宮海に入る。もろもろの宝は我らの掌
(たなぞこ)に満てり。黄玉(おうぎよく)、紅玉(こうぎよく)、青玉(せいぎよく)等その数を知らず。わが子供たちは、黄玉を連ねて頸輪(くびわ)となし、紅玉を結びて腕輪となし、青玉を点綴(てんてつ)して髪飾りとなす。衣裳には虹のごとき輝きあり、日光を受くるに従いて、その色を変化して美しきこと限りなし。ああわれらここ実相龍宮海の美しさをはじめて知る。

 ああ祝福されたるこの朝よ。われら言葉の力にて現世
(このよ)に龍宮城の美しさ、麗しさ、ゆたかさを引出し来れり。見よ、愛する者ここにあり、見よ彼らはわが肩に攀(よ)じ、膝に来り、わが前に立ち、後に倚(よ)る。その語る声は美しくして極楽鳥のごとし。後にある我が愛する者よ、汝の顔を見せよ。なんじの声を聴かせよ。なんじの声は竪琴の奏でらるるが如く、七絃琴の奏楽の如し。語るに随って、美しきもろもろの花咲き出でてその周囲を飾る。幸福なること限りなし。

 ああ悦びに満たされたるこの朝よ、わが愛する者は、すべて悦びに満たされ、神を讃う。神は讃うべきかな。われらの悦びの源、われらの幸いの泉。

 神の恵みきたるとき、一切の争いは止み、すべての戦いは停止し、いにし時の敵と味方とは、手を挙げて平和を喚
(よ)び交(かわ)し、兄弟の如く睦び合い、愛情の祝盃を交して、神の平和を称(ほ)め讃う。将兵たちみな剣(つるぎ)を収め、銃を棄てて、愛をもて娘たちが織りし美しき衣をまとう。すべての人々の頭(かしら)に “平和の冠” あり、黄金の七つの星をもてその冠を飾り、荘厳なること限りなし。

 ああこの朝、平和なるかな。山々に平和の雲漂い、朝日の昇るにしたがいて五彩にその色を変じ、われらの祝福の宴
(うたげ)に霞の幔幕をもて飾る。もろもろの花咲き出で、もろもろの鳥謳(うた)う。その声、神を讃え、われらを祝う。まことに実相浄土の厳浄(ごんじょう)を地上に実現したる朝なるかな。神に感謝し奉る。≫


 ありがとうございます。


 (2019.7.6)
513 肉体は魂の象徴である


 「象徴」 とは――

 「直接的に知覚できない概念・意味・価値などを、それを連想させる具体的事物や感覚的形象によって間接的に表現すること。また、その表現に用いられたもの。例えば、ハトで平和を、王冠で王位を、白で純潔を表現する類。シンボル。」

 と、『大辞林』 にある。

 親指を立てて男または夫を表し、小指を挙げて女、妻あるいは情人を表すのも象徴である。

 わが家には割合大きな仏壇を設けてあり、その最上段中央に阿弥陀如来像を安置してある。

 阿弥陀如来とは、尽十方無碍光如来すなわち宇宙のあらゆるところに遍満し、遮るものなくすべてを照らし生かし給う大慈悲なる大生命である。それは直接的に知覚できないから、仏像という具体的な形象物をその 「象徴」 として安置し、仏像を拝する形をとって宇宙大生命を拝しているのである。

 宇宙大生命は凡ゆる所に遍満しており、人間が生きているのも、宇宙大生命(神と言っても、仏と言ってもよい)が生きているのである。人間の生命は神(仏と言ってもよい)の生命である。人間は本来神であり仏である。それ故に宇宙大生命を拝するとは、己自身を拝することである。


          ○

 仏像が仏(宇宙大生命)の象徴であるように、人間の肉体も人間生命(魂)の象徴であると言ってよいだろう。

 私は今朝も6時ごろから、3kmほど離れたところにある善福寺公園まで自転車で行き、池畔の広場でラジオ体操をして、池の周囲約1kmを歩いたり走ったりで一周してから、また自転車で帰ってきた。

 この時間帯、このあたりは “高齢者銀座” と言ってもよいほど、元気で生きるのに意欲的なお年寄りたちがいっぱい、ウォーキング、ランニング、ラジオ体操などをしているのである。

 私はそうした人たちの姿を見ながら、その肉体の姿は魂の象
(かたち)、象徴だと感じる。

 いや、人の姿だけではない。池畔にみずみずしく美しく咲き溢れる色とりどりの紫陽花
(あじさい)の花たちも、緑ゆたかな欅(けやき)などの木々たちも、みな宇宙大生命の表現である。

 それらが皆、互いを生命の兄弟として祝福し合っているのである。

 それら目に見える象
(かたち)あるすべてのもは、目に見えぬ生命の象徴と言ってもよいのではないか。

 「山川草木国土悉皆成仏」 である。


          ○


 「君民同治
(くんみんどうじ)の神示」 に、次のごとく示されている。


≪   君民同治の神示

 国は人間生命の外延
(がいえん)である。それは身体が人間生命の外延であるが如くである。

 人間生命が神より生れたる神聖なるものであるという自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの神聖性を要求するのである。

 この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。

 しかも人は自己が無にして絶対であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於ても持つことを要求するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。

 身体も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。

 観る心の要請が身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。

 天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。即ち観る主体(民)が神聖であるから、観らるる客体である天皇が神聖なのである。

 観る主体(民)の神聖性が包まれ蔽われて混濁するとき、天皇の神聖性は蔽われて発現しなくなるのは其のためである。今の状態がそれである。

 (註。これは敗戦直後の昭和20年12月28日夜、谷口雅春先生に天降った神示である)


 人間は自己自身の神聖性の故に神造の国家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。天孫降臨とは人間自身すなわち民自身が天孫であり、神の子である自覚の反映にほかならない。

かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。是を主客合一の立場に於て把握すれば主客一体であり、君民
(くんみん)一体であり、民は君を拝み、君は民を拝む。

 民を拝み給う治
(じ)は、君を拝むところの事(じ)と一体である。治事(じじ)一体であり、治(おさ)めると事(つか)えるとは一体であり、君民同治である。

 天皇は絶対者にましますとは、観る主体たる人間(民)の絶対性より来
(きた)る。民が自身の絶対性の把握が破れるとき、その反映として国の絶対性と天皇の絶対性とは破れるのである。

 打ち続く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覚が破れたのが国家大権、天皇大権の一時中断の形をもって現れたのである。≫



 ――上記の

 「民が自身の絶対性の把握が破れるとき、その反映として国の絶対性と天皇の絶対性とは破れるのである。
 打ち続く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覚が破れたのが国家大権、天皇大権の一時中断の形をもって現れたのである。」

 とあるのは、「日本の実相顕現の神示」 に

≪ 当時の日本人は気が狭くて島国根性であり、排他的精神で、我慢自慢独善精神に陥り、それを日本精神だと誤解して、一人よがりに易々(いい)加減な気持になって、遂に世界を相手に敵として戦うようになったのである。

 排他の心は、他と自分とを切り分ける心であるから、切る心は切られる心と教えてある通りに自分が切られる事になったのである。≫


 とあり、また 『新生の書』 (谷口雅春先生著)に、

≪ 日本の軍隊は何故負けたか、生命を軽んじたからである。部下の兵隊を擲(なぐ)る蹴るのは上等兵の常套事となっていた。そして、それが 天皇の名に於て行われたので、誰も反抗し得なかったのである。……彼等上等兵以上の将兵は、天皇の大御心を歪曲し、天皇の権威を笠に着て、天皇の大御心を詐称して、天皇の赤子たる人間を冒涜したのである。……

 人間の生命を礼拝しなかった軍隊は、その生命が絶ち切られた。己れにいずるものは己れに還る。一切万事われより出でて、われに還る。環境も肉体もわが心の反影
(かげ)である。≫

 と書かれているようなことが現象の世界にあらわれたので、日本は負けつづけてポツダム宣言(降伏勧告文書)を受諾せざるを得なくなり、一時日本国土の諸拠点(points)が占領下におかれ、国家大権・天皇大権は連合国軍総司令部総司令官マッカーサーに従属(subject to)するという状態に置かれた――ということを意味していると思う。

 しかし日本は反省すべき事をしっかり反省し、昭和27年に連合国とサンフランシスコ講和条約を結んで独立を回復して、国家大権・天皇大権を回復した。天皇は 「日本国の象徴・日本国民統合の象徴」 と憲法に規定されたが、今やその憲法の文言をも超えて、「現人神
(あらひとがみ)」 のおすがたを顕現されたのである。


 (2019.6.23)
512 天皇は日本において憲法を超えたご存在となった


 天皇というご存在は、世界の宝である。


 先の大戦後、GHQ(連合軍最高司令部)は、日本が再び立ち上がることができなくするために、強権をもって洗脳工作を実施した。それは 「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(War Guilt Information Program、頭文字をとって WGIP)」 と名づけられ、学校教育、新聞・放送などのジャーナリズムをはじめ、映画等も支配して徹底的に 「日本は悪い国だ」 という自虐・贖罪史観を植え付ける工作を行った。歴史を否定し、国旗・国歌を否定し、愛国心を持つことも危険だとして、教科書に 「わが国」 という表現も許さず、書き換えさせた。そして 「プレスコード」(新聞などの報道機関統制令)を布き占領軍や米国のやったことに対する批判は断じて許さなかったのである。

 (→ #140

 天皇・皇室について、終戦直後アメリカ国内では、皇室を即刻解体廃止すべきだという意見が多かったが、占領軍は時間をかけて皇室の首元を徐々に絞める方法を選んだ。天皇という位を憲法の中に定め、単なる 「象徴」 に過ぎず無力な飾りものとし、その地位は 「国民の総意」 によるとした。すなわち――

≪ 「日本国憲法」 第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。≫

 ――占領軍は 「象徴」 という言葉で天皇と皇室を崩壊させようとしていたのだ。

 そして軍事力を永久に抛棄するという事実上の降伏文書、不平等条約を憲法として押し付けたのである。

 しかし、上皇陛下となられた先の天皇陛下は、この憲法を受け入れ、次のように述べられている(平成28年8月8日、国民へのビデオメッセージより)。

          ○

≪ ……日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け…(中略)…既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。


 私が天皇の位についてからほぼ28年、私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。

 私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。

 …(中略)…

 皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行
(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。…(後略)…≫


          ○

 ――上記お言葉にある 「全身全霊をもって」 は、まさに重みのあるお言葉です。

 #505 で引用させて頂いた日経新聞記事(今年4月27日、「平成の天皇と皇后30年の歩み」 最終回)にあるように、

≪ 「わが友は――」 その人は天皇陛下をそう呼ぶことがあった。そしてこうも言った。

 「彼は本質的に強い男だよ」

 元共同通信記者のジャーナリスト、松尾文夫さん。今年2月末、取材で訪れていた米ニューヨーク州で急逝した。85歳。陛下とは学習院高等科、大学の同級生だった。東京・目白のキャンパス内にあった学生寮 「清明寮」 で陛下と同室で、約2年間寝食をともにした。

 親友ゆえに、松尾さんは陛下に遠慮なく 「直球」 でもの申すことが多かったという。ただ、自身がメディアの人間でありながら、交友の詳細を口外することはなかった。陛下にとって、何でも話すことのできる、真の気が置けない友だったのではないだろうか。

 その友が語った数少ない天皇陛下の人となりを表す言葉のなかで強調されていたのが 「強さ」 だった。平成の象徴像を形づくってきた原動力は意思の強さにある、と。

 振り返ると、いまでは多くの国民から支持されている 「あり方」 は、当初は昭和時代との比較でかなりの違和感を持たれ、抵抗にあってきた。

 災害被災地訪問は 「1カ所に行くと、すべての被災地に行かなければ不公平になる」 と疑問視された。

 膝をついてのお見舞い批判は表層的なもので、これこそ本質的問題だった。

 「天皇の強い希望で」 と語られている海外慰霊の旅も、外国訪問は政治が絡む。天皇の意思が前面に出ることは憲法に抵触するという見解もあった。

 昭和時代には考えられなかった天皇像に対する抵抗を "力業" で突破し、自身の信じる道を貫き通すには、屈しない意思が必要だった。

 昭和の前例をそのまま踏襲する方がずっと楽だったはずだ。しかし、「国民から超越した非人間的な存在であれ」 という近代以降の天皇に要請された役割をよしとせず、人間的で人々に寄り添う 「国民の象徴天皇」 像を追い求めてきた。

 ある意味 「戦い」 でもあった……≫


 のである。


          ○


 アメリカの歴史学者・日本史の研究者であるジェイソン・モーガン氏は、次のように書いている(雑誌 『Will』 7月号)。


≪ 「平成」 から 「令和」 にかけての諸儀式や会見の中で、上皇陛下と天皇陛下が「象徴」という言葉をご発言なさったことに、私は少し違和感を覚えました。

 そもそも、天照大神から受け継がれた天皇を 「象徴」 と呼ぶことに抵抗がある私には、陛下ご自身がその発言をされるのを聞き、正直愕然としました。どうしても 「象徴」 という束縛から解放されてほしかったからです。

 ここ数年、関野道夫さんや高橋史朗さんなどのご著書を拝読して、WGIP(ウオー・ギルト・インフォメーション・プロブラム)について勉強をしてきました。アメリカが日本に対してやったことは、あまりにも許しがたいことだと痛感しています。

 アメリカは自分たちの戦争犯罪を隠すためだけでなく、日本を弱体化させるために占領軍を使って日本国民に幅広い洗脳活動を展開した。連合国による不平等裁判である 「東京裁判」 もその一例です。また、教育機関などを通じたプロパガンダによつて、真っ赤なウソを平気な顔で拡散していた。

 「天皇象徴論」 もその企みの一環だからこそ、「天皇が象徴だ」 という考え方に私は頷きたくないのです。

 結果的に、アメリカの占領軍は戦争責任を日本に押し付け、戦後復興の歩みの中で日本人に猛烈な自虐史観を埋め込んできました。

 現在、日本で社会問題となっている少子高齢化も、アメリカの策略です。占領軍が優生保護法などの悪法を強制的に成立させ、中絶や避妊の普及によって日本人の数を減らそうとした。その結果、今日の日本人口は急減しており、日本国家の存続が危ぶまれるほどに、策略は成功しています。この一連の占領政策により、多くの日本国民が凄まじい被害に遭いました。しかし、その最たる被害者は 「天皇」 と 「皇室」 だと、私は思っています。


   陛下の慈悲深さ

 しかし、これらの悲愴感を友人に話してみたところ、彼は 「ちょっと違うよ。天皇陛下が 『象徴』 という意味を変えたと思う」 と言う。この言葉に非常に衝撃を受けました。

 占領軍が 「象徴」 という言葉で天皇と皇室を崩壊させようとしていたことは、紛れもない事実でしょう。君主制を忌み嫌うリベラル派は、日本の天皇さえ 「象徴」 という呼称で徐々に弱体化できると期待していた。

 でも、それだけではなかったというのです。確かに、友人の言う通りかもしれない。

 聖書ではイエス・キリストが 「汝の敵を愛せよ」 「右頬を打たれたら左頬も差し出せ」 とお教えになっている。これに対し、世俗には 「あの手この手を使っても、自分の意思を通せれば大丈夫」 という論理が成立しています。

 それでも、結局 「悪」 は無力です。「悪」 で 「善」 の排除を試みると、必ず失敗します。

 天皇陛下は、この不思議な逆説をよくご存じだと思います。世の中が乱れていても、天皇陛下が博愛で受け入れる。そうすると、ご自分の存在が社会全体の雰囲気を和やかにし、日本国民は一つになることができるのです。

 皇室は、占領軍やリベラル派から 「天皇はただの象徴だ」 と侮辱されようと、憐れみや仁慈をもって誰にでも寄り添う。これは 『古事記』 にも多く見られます。

 アメリカの占領軍は、まさに 「須佐之男」 であった。天皇陛下に 「象徴」 という侮辱を与え、傲慢な態度を崩さなかった。しかし、イエス様がお教えになられた通り、天皇陛下はその侮辱に対し更なる侮辱で返したのではなく、愛と赦しと憐れみでお返しになった。

 この天皇陛下のお心が、「象徴」 という言葉の定義を大きく変えたのです。「象徴」 を肯定的に受け止め、従来の天皇のあり方に勝るとも劣らず、素晴らしい姿勢で天皇らしく国を象徴されてきた。そういう意味では、天皇陛下が第二次世界大戦を勝ち抜かれたと言えるでしょう。

 “象徴” 天皇が、八百万
(やおよろず)の神々に対して全国民の幸福を祈願し、国民の 「鏡」 として一人ひとりの心を顧みられることで、アメリカが思っていた窮屈な 「象徴」 の意味を超えて、天皇陛下は日本という国家の単なる象徴ではなくなった。天皇陛下は、日本の素晴らしさ、伝統の良さ、日本の歴史を代表される 「象徴」 になったのです。

 言い換えれば、「象徴の超克」 です。

 「天皇陛下が 『象徴』 という意味を変えたと思う」 という友人の言葉――。この言葉が響いた私は、天皇陛下のお陰で、令和が始まったばかりのこの時期に、不思議な希望が湧いてきました。

 天皇陛下は先の大戦に取り残された過去の産物ではなく、もっと人間らしい、リベラルの呪縛を払拭した未来の兆しに他なりません。

 「リベラル」 というイデオロギーは、必ず崩壊するでしょう。その時にも、天皇は必ずおられる。もしかすると、天皇陛下は 「象徴の超克」 だけではなく 「近代の超克」 も遂げてしまうかもしれません。

 私はアメリカ人として、いや、一人の人間として、新たな天皇陛下のご即位を日本国民の皆様と共に心からお祝いしております。≫



 ――天皇は憲法を否定せず受け入れながらそれを超えられた。天皇のご存在そのものが不文憲法として明文憲法の上にあり給うたとも言えよう。それは、神ならでは出来なかったことではないか。


          ○


   天皇は 「人間宣言」 などしていない


 もうひとつ、GHQは天皇のご存在を貶め日本を弱体化するために、終戦の翌年昭和21年元旦に、昭和天皇をしていわゆる 「人間宣言」 といわれている詔勅を出させた。

 それは、GHQが戦前の日本を、天皇は神の子孫 「現人神
(あらひとがみ)」 と信ずる天皇崇拝と軍国主義が一体となった狂信的軍事国家だと考えたからである。

 天皇という神の存在が、日本人が戦争をしたり、特攻隊のような戦い方をすることを可能にしたと分析した。GHQは日本に二度と同じようなことをさせないように、天皇(神道)が日本の政治に影響を及ぼさないようにしたかった。だがいくらGHQが 「天皇は神ではないと信じよ」 と命じても日本人がそれを信じなければ意味がないから、天皇本人に言わせようということになったのである。

 “人間宣言” の文面を最初に作成し、天皇に出させたのは、GHQ(連合国軍総司令部)の民間情報教育局のダイク氏だと言われている。

 しかし、昭和天皇の名で出されたその詔書は、連合国占領下の日本で1946年(昭和21年)1月1日に日本国政府の官報により発布されたが、これには何も題がつけられているわけではない。「人間宣言」 という名称は当時の日本のマスコミや出版社が名付けたもので、当詔書内には 「人間」 「宣言」 という文言は一切ない。

 その内容は、#291 に私が書いているように、冒頭に明治天皇の 「五箇条の御誓文」 を掲げられ、

≪ 一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
   一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ
   一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦マザラシメンコトヲ要ス
   一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ
   一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ

 叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民挙ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。 ≫


 とあって、民主主義はもともと日本にあったものだから 「又何ヲカ加ヘン」 ――何もつけ加えたり変えたりすることはいらない。

≪我ガ国民ガ現在ノ試錬ニ直面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克(よ)ク其ノ結束ヲ全ウセバ、独リ我国ノミナラズ、全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。夫レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努力ヲ効(いた)スベキノ秋(とき)ナリ。 ≫

 とおっしゃっているのであります。つづいて、

≪ 惟(おも)フニ長キニ亙レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動(やや)モスレバ焦燥ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ、道義ノ念頗(すこぶ)ル衰ヘ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵(まこと)ニ深憂ニ堪ヘズ。

 然レドモ朕ハ爾等
(なんじら)国民ト共ニ在リ。常ニ利害ヲ同ジウシ休戚(きゅうせき=喜びと悲しみ)ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延(ひい)テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。

 朕ノ政府ハ国民ノ試錬ト苦難トヲ緩和センガ為、アラユル施策ト経営トニ万全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ、我国民ガ時艱ニ蹶起シ、当面ノ困苦克服ノ為ニ、又産業及文運振興ノ為ニ勇往センコトヲ希念ス。我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相倚
(よ)リ相扶(たす)ケ寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ、能(よ)ク我至高ノ伝統ニ恥ジザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。

 斯ノ如キハ、実ニ我国民ガ、人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲ為ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。一年ノ計ハ年頭ニ在リ。朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一
(いつ)ニシテ、自ラ奮ヒ、自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾(こいねが)フ。

 御 名 御 璽

   昭和二十一年一月一日≫


 とあるのであります。

 これは 「新日本建設の詔書」 とも称されているものであって、天皇は神の子孫であるという神話を否定されてもいない。民主主義は日本に元からある、明治天皇の 「五箇条の御誓文」 にあることを明確にされたのであります。


          ○


   天皇は神の子孫であるという神話も否定されていない


 上記 「新日本建設の詔書」 に

 「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。」

 とあるが、この文言は決して、天皇は神の子孫であるという神話を否定されてはいない。朕(天皇)と国民との結びつきは、「単なる神話と伝説だけ」 によるものではなく、それもあるけれども、それだけではない、「終始相互の信頼と敬愛とによって結ばれてきた」 と言われているのである。


 だから、英国出身のジャーナリスト(「フィナンシャル・タイムズ」 初代東京支局長、元 「ニューヨーク・タイムズ」 「ロンドン・タイムズ」 東京支局長など歴任)ヘンリー・スコット・ストークス(Henry Scott Stokes)氏が、『WiLL』 の7月号に、次のように書いている――


≪   天皇は 「人間宣言」 などしていない   ヘンリー・S・ストークス


 天皇というご存在は、世界の宝である。ギネスブックには、「世界最長の王朝」 として記録されている。それだけでも、天皇というご存在の尊さは 「世界の宝」 というに相応しい。

 しかし、それだけではない。天皇を、最も崇高にして神聖なる存在たらしめているのは、天皇が神話の時代を二十一世紀に生かし続けていることである。皇室、そして天皇のご存在は、「市民」 や 「民衆」 や 「選挙民」 が決めたものではない。

 それは神話の中で、天照大御神が 「この地が私の子孫がシロシメス土地である」 と、神勅を発せられたことに由来する。そして、「天孫」 と位置付けられる天照大御神の孫にあたる邇邇芸命
(ににぎのみこと)に、庭にあった稲穂と鏡を授けて地上に降臨させたのだ。天孫降臨である。皇室祭祀で、稲や米が大切にされるのには、こうした背景がある。日本文化の大本は、大陸からの輸入文化ではなく、神道なのだ。

 降臨した天孫の孫にあたるのが、橿原の宮を開かれ日本の初代天皇となられた神武天皇である。

 私が尊く思うのは、畝傍
(うねび)の橿原に大宮を築いて即位した時の詔である。

「八紘
(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(せ)む」という有名な行(くだり)は、それこそ今風に言えば、「世界は一家、人類は皆兄弟」 ということである。

 これは初代天皇となった神武天皇の 「世界平和を実現しよう」 という理想であって、世界征服を目論むようなものではない。「八紘」 というのは、八方という意味で、天下とか世界を意味する。神武天皇の時代には、「大和の国」 が世界であったろう。

 こうした日本の神話は、当然のこととして日本の学校教育、特に義務教育で教えられてしかるべきである。しかし不思議なことに、日本の公教育で 「日本神話」 は教えられていないのだという。

 その背景には、GHQの占領政策がある。特に、特攻隊など死をも恐れず向かってくる日本軍に恐怖を感じたマッカーサーは、「天皇を神とあがめ、天皇のために死ぬことを厭
(いと)わない神道の教えに問題がある」 「日本を二度とアメリカに歯向かわせないためには、天皇への信仰心を取り除かなければならない」 と考えたのだ。

 多くの日本人は、天皇は 「人間宣言」 をして 「神ではないと宣言した」 と、そう錯覚している。実は、天皇は 「人間宣言」 などしていないのだ。

 いわゆる 「天皇の人間宣言」 と呼ばれる詔は、昭和21年の元日に発せられたものだ。この詔には、タイトルがない。「人間宣言」 などというのは、占領軍のプロパガンダに踊らされたマスコミが事実を捻じ曲げてレッテル貼りをした虚構だった。

 詔で、天皇は、「天皇が神を自称して、臣民を世界征服のための侵略戦争に駆り立てたなどとは、荒唐無稽な話だ。天皇と臣民の信頼関係はもっと深い歴史に根差したものである」 という主旨を述べられたにすぎない。このどこが 「人間宣言」 なのだろうか。

 むしろ、「日本が侵略戦争をした」 という占領軍の虚妄を真っ向から否定されたまでであった。それが、「天皇の 『人間宣言』」 などとして、日本の公教育や教科書で日本人に教えられているとしたら、なんと不幸なことであろう。

 世の多くの人々は、民主主義こそが最高に素晴らしいものであるかのように錯覚している。だが民主主義は、時にヒトラーのような暴君をも生み出す。決して万能ではない。

 一方で、二千年以上にわたって国民を慈しまれ、国をひとつに治めてきた天皇は、世界史でも立証済みの実績を持たれている。時の政治家や軍人が対立して戦っても、日本という国が、皇紀で言えば2679年(令和元年)までの長きにわたって分裂することもなく治められ続けたのは、天皇という存在があってこそである。

 世界最長の王朝、しかも 「万世一系」 の天皇という、神話に由来する国の長である。その権威は、決して占領軍によって侵されることはなかった。

 その証拠に、警備もつけず広島に行幸された天皇を原爆を投下された広島の人々が歓喜して迎えた。多くの国家指導者は戦争に負ければ地位を追われるか、亡命するか、殺されるかと相場が決まっている。ところが、日本の天皇は戦前も、戦中も、戦後も、天皇として君臨された。これまた、世界史の奇蹟である。

 なぜ、そのようなことが可能なのか。それは、日本の長い長い歴史の中に天皇が存在しているからである。そして、その天皇は日本固有の、日本オリジナルの信仰でもある 「神道」 の、最高位の神官なのだ。単に選挙の人気投票で選ばれたというような、「成り上がり」 ではない。

 これから様々な宮中祭祀、なかんずく大嘗祭が執り行われる。そうした祭祀は連綿と古代から受け継がれたもので、秘儀の部分もあろう。それを、国会議員や民衆が開示しろとか、差別にあたるとか、そういう議論をするとしたら大人げない。全てのことには、秘め事がある。差異もある。それを分別できてこそ成熟した文明であろう。

 天皇は、現人神
(あらひとがみ)なのだ――。≫


 (2019.6.14)
511 人生は神生であり生命芸術である


 私は約4年前、この 「近況心境」 #148#149 に、「日本民族最大の創作芸術は」 ・ 「“生命芸術” としての国体と宗教」 と題して、書いていました。今それを読み返して、感想を挟みながら、再録したいと思います。


          ○


148 日本民族最大の生きた創作芸術-それは“天皇国家”


 谷口雅春先生は 『美しき日本の再建』 に、次のように書かれています。

≪   天皇国家は日本民族独得の一大文化的創作である(p.29)

 われわれ独得の日本人の創作の文化の中で、一番偉大なる生きた芸術――生きて動いている大芸術がこの日本の国体であります。

 国体というと、国のあり方のことであります。この日本にしかないところの、一大創作芸術、一大文化的産物というのが、日本独得の天皇中心の “天皇国家” というものであるのでありますが、そういう独得の一大創作なる国家が創造されたというのは、この日本民族の真理直観の天分によるのであります。

 日本民族が古代から宇宙の真理として天地の始めに発見し表現した所の天之御中主神
(あめのみなかぬしのかみ)、宇宙の御中(みなか)に中心があって、全ての生命はその御中の中心から分れて出て来、そして又、それが中心に帰一して、中心・周辺一つにして渾然一体であるのが生命体であるという真理を日本民族は把握したのである。

 日本民族にとっては、全てのものは、一つの中心生命体から分れて出て、分れて出た末梢生命が又、中心に帰一して、それが渾然一体たる有機的生命体となっていると観るのであって、この世界観が国家にあらわれているのが、この現実の大日本国である。この民族の一大創作芸術である独得の日本の国家形態を吾々日本民族は永久に護持しなければならないのであります。これは他に、真似の出来ないところの創作芸術である。…(後略)…≫


 (『美しき日本の再建』 谷口雅春先生著より)

 ――「日本の国体(国のあり方)」 とは、「天皇主権」 とか 「国民主権」 とか、天皇と国民を利害の対立する二者とは見ず、君は民を 「おおみたから」 と拝み給い、民は君を 「大君は神にしませば……」 と拝みまつって来た。明治天皇は 「罪あらばわれをとがめよ天つ神 民は我が身の生みし子なれば」 とお詠みになった。君と民は親子のように一体のもの、君民一体、君民同治が国のあり方であった。だから終戦のとき、昭和天皇がマッカーサー元帥を訪問され、「戦争の責任は自分一人にある。自分はどのような処置をとられても異存はない。罪のない国民に餓死者が出るようなことのないように、食料援助をお願いしたい」 と申し出られ、マッカーサーをして 「骨の髄までも揺り動かした」 と言わしめるような感動を与えた(#145)。そうして 「生命
(いのち)を得んとするものは生命を失い、生命を捐(す)つる者は生命を得」 とキリストも云ったように、食糧は援助され、国体は守られてきた。

 このような国が世界にただ一つあるということは、奇跡とも言えることではなかろうか。

 それは、イエス・キリストが結婚して子をもうけ、その子孫がイエスの教えの通り愛を行じて治める神の国が現存しているような奇跡、あるいは仏陀-釈迦牟尼の子孫が今もインド王国の王として仏の慈悲を行じ、菩薩行として国を治めているというようなこと、または孔子の子孫が中国の皇帝として徳をもって仁政を行っているというような、まさに 「有り難い(めったにあり得ない)」 こと。

 日本食や富士山が世界文化遺産として登録されても、そのような形あるものを超えた、限りなく偉大な生きた創作芸術 「日本の国体」 こそが世界で最も貴重な文化遺産であることに気付かず、これを守ろうとしない者は、愚か者というしかない。私は、そう思います。  (2015.10.2)



 ――以上を書いたのは平成27年(2015年)でしたが、それから約4年たった今、新しい御代を迎えるに当たり、『WiLL』 6月号では 「皇室こそ世界遺産」 と題した特集記事を掲載しており、日本を愛する6人の外国人国際政治学者などが、異口同音に日本国体を讃える発言をしている(→#510)。 時代の潮流は大きく変わってきた。


          ○


149 “生命芸術”としての国体と宗教


≪「天皇国日本」は日本民族が創作した世界最大の文化的創作であって、これより大なる大芸術は他のどこにもないことを知って、この国体を尊重して貰いたいものである。≫
  (谷口雅春先生『古事記と現代の預言』序文より)

≪手を挙げるのも、眼をしばたたくのも、歯をみがくのも、床(とこ)をたたむのも、笑うのも、鼻をつまむのも、ことごとくが芸術である世界、そのような世界に住んでいて、そのような生々しい真理のカケラを血眼(ちまなこ)になって追いまわしている人々を、なぜ芸術家と呼ぶのでしょう。≫
  (谷口清超先生『愛と祈りを実現するには』より)

≪生命に生きることが、私の芸術であり、その生命芸術を宗教というのだ。
 宗教ほど大きい芸術はない。普通にいわれている芸術は、感覚を通じての局部芸術だ。宗教だけが全生の芸術をもち、生命の芸術をもつ。≫

  (賀川豊彦氏「生命芸術としての宗教」)

≪私は(賀川豊彦氏の言われる)「生命芸術」は、天皇に帰一する宗教にしてはじめて完成するのだと思う。一つの中心ある全体生命の中に個の生命が完全に救いとられるところにこそ、生命芸術の美の極致があるのではないだろうか。これを完成するところに生長の家出現の目的があるのだと思う。……われらの目的は個の生命を単に個の生命としてではなく、全体生命=一つの中心ある生命=永遠生命の中に救いとることにあるのだ。何たる大いなる聖使命であろうか。信じられないほど輝かしく豊かな世界をわれらは創りだすのだ。≫
  (岡正章「変わらざるものを」<『聖使命』昭和45年10月15日号「北極星」欄所載>)


≪ここに賀川豊彦さんの 「神の祭」 という文章があります。賀川豊彦さんというのは有名なクリスチャンで社会救済運動に挺身された方で、もうだいぶ前に亡くなられましたが、私は生前に賀川先生の講演を二、三回聴いたことがあります。霊感的な、火を噴(ふ)くようなお話でした。その賀川豊彦さんの 「神の祭」 という、熱烈な詩的な文章です。読んでみます。

  「聖パウロは言った。“その身を活ける供物
(そなえもの)として神に献げよ”と。
 五尺の鯉
(こい)を神に祀(まつ)ることは最も愉快なことである。
  
(この「五尺の鯉」というのは、人間のことを言っているんです――話者)

 吾々の生活の凡
(すべ)てが神への供物であり、祭であるのだ。
 祭だ、祭だ! 花火が上り、楽隊が聞えるではないか。我々の生涯のあらゆる瞬間が神への祭だ。表に五色の旗が翻
(ひるがえ)らなくとも、魂の奥には、永遠の燻香(くんこう)が立ち昇る。神への燔祭(はんさい)は、我々の赤き血そのものである。

 若き小羊を捕えて神に献げよ。全き小牛と全き小羊を神に献げよ。日本の若者の魂を捕えて神に献げよ。神への奉加は、吾々の生命そのものであらねばならない。吾々の玉串は、生霊そのものであらねばならぬ。完全に我々の全生命を神に祀ろうではないか。我々の肉体、我々の生活、我々の精神、我々の学問、我々の芸術、そして我々の道徳を神への献げ物として八足
(はつそく)台に献げようではないか。

 永久
(とこしえ)の祭だ、永久の歓楽だ! 不滅の花火、無限の祝典、生命の神饌(しんせん)は永劫(えいごう)に尽くべくもない。両国の花火はなくとも、我々の心臓のうちには、不滅の血が花火以上に赤く爆発する。」

 これが賀川豊彦さんの「神の祭」という文章です。私たちも、毎日毎日の生活を、すべてを神への祭りにしようじゃありませんか。素裸になって、すベてを神さまに献げてしまうんです。そのとき、神さまからすべてが与えられているんです。こんなうれしいことはないじゃありませんか。

    生命芸術の創造を

 賀川豊彦さんはまた、「生命芸術としての宗教」という題でこう書かれています。

 「私は敢ていう。宗教ほど大きい芸術はない。普通にいわれている芸術は、感覚を通じての局部芸術だ。宗教だけが全生の芸術をもち、生命の芸術をもつ。」

 「宗教は生命芸術である」と言われるんですねえ。このことばは、生長の家によってはじめて現実の意味が出てくるんではないかと思います。

 神想観をして龍宮海すなわち創造の本源世界に入ると、私達の中に時間も空間も全部ある。天地
(あめつち)の初発(はじめ)の時、即ち今、自分は神さまと一つになって、宇宙創造をしているんだ。その中心がわれわれ一人一人なんです。この宇宙は神さまが指揮者であるところの一大交響楽だというわけですけれども、また、われわれ一人一人が神そのものですから、われわれ一人一人が指揮者であり、演奏者であり、宇宙創造の中心者であるわけです。どういう音楽をかなでるかということは、われわれ一人一人の心ひとつにあるわけなんです。

 「人間神の子」の大真理をうたい上げて行きましょう。もっともっと素晴らしい歌をわれわれが創り出して行きましょう。そして、自分が創造の本源の中心にある自覚で、交響楽の演奏にも似たような、メロディーとリズムとハーモニーのある喜びの創造的運動をやって行こうではありませんか。≫


  (岡正章 『光のある内に』 〈昭和54年8月 日本教文社刊〉 所載 講話録より)


≪ 憂うべき戦後教育

 日本弱体化政策によって、まず修身・国史・地理を教えることが禁止された。教育のあらゆる部面で、日本人に国の誇りを失わせるような政策がとられた。現行日本国憲法が制定されるや、この憲法を尊重すべきことを中心とする「社会科」の授業が行われ、日本のよき伝統と歴史から断絶された根無し草のような教育、日本の過去はすべて否定するという教育が行われてきたのである。(中略)

   正しい歴史教育を通し高い理想を

 教育は、一定の理想あるいは価値を志向して行われるべきものであって、高い理想をめざさない教育などというものは本当の意味での教育とはいえない。しかして教育の理想は、国家理想、政治の社会的理想と無関係には考えられない。

 その理想はどこにあるか。……日本国憲法による戦後の教育が理想であるか。……現行憲法が理想だなどという者は、日本人は数千年の歴史をもちながら、この昭和二十年に至って敗戦の憂き目にあい占領憲法を与えられるまでは、正しい理想がわからなかったバカ者だったということなのだ。

 日本国は幾千年の間、天皇を中心に戴いて、幾多の困難をのりこえ、繁栄してきたのである。天皇中心の政治と文化を築く営みにおいて国民はその理想を遂げつつ人間性を開発してきたのである。

 「我カ
(わが)臣民克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一(いつ)ニシテ世々(よよ)(そ)ノ美ヲ済(な)セルハ此レ我カ国体ノ精華(せいか)ニシテ教育ノ淵源(えんげん)亦実ニ此(ここ)ニ存(そん)ス」

 この教育勅語の中に日本国民の教育の理想、社会的理想があったのである。……理想の教育による理想国家実現のために前進しようではないか。≫


  (岡正章 『生学連新聞』 昭和45年10月1日号所載)

 「克
(よ)ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一(いつ)ニシテ世々厥(そ)ノ美ヲ済(な)セルハ此レ我カ国体ノ精華(せいか)」――これぞ世界最大の生きた創作大芸術でしょう。  (2015.10.3)


 ――上記 『生学連新聞』 所載論文は昭和45年(1970年、安保条約再改定の年)で、今から50年前の執筆だ。それは谷口雅春先生の烈々たる信仰の御指導による。ありがたき極みである。それから半世紀を経て、唯物思想の迷妄は次第に崩壊し、実相の光が日本に顕現してきたと言えよう。


          ○


 人生は神生であり、生命芸術である。

 ――時間・空間を舞台として壮大な生命芸術を展開しているのが、私たちの人生なのでありました


 (2019.6.9)
510 「令和」新時代を美(うるわ)しく生きる


 人間の肉体は、時間・空間の中に生まれて生命の表現をする。

 しかし、それは表現して消え行く影であって、人間の本体は時間・空間を超えたところにあり、時間・空間を生み出した主人公=神なのである。人間は、死なない。

 「神我一体」 「自他一体」 「三界唯心」 である。

 「神」 は 「示す」 偏に 「申す」 と書く。

 神はことば(ロゴス)であり、創造者であり、表現者である。

 人生は神生であり、表現であり、生命芸術である。

 人生は時間・空間を画布
(キャンバス)として描く画であり、時間・空間を大ホールとして演奏する音楽であり、上演・上映する演劇あるいは映画である。

 人間は本来神であり、仏である。無限の自由・無限の可能性を持っている。

 日々、その無限の可能性を、悦びをもって美しく表現する御代(みよ)――

 「令和」 の御代は、そういう御代にしよう。


          ○


 「言葉は神」 である。言葉は創造主
(つくりぬし)である。

 元号は、その御代を創造
(つく)り出す言葉である。

 「令」 には 「神のみこころ」 という意味がある。

 神のみこころは、令
(うるわ)しく、美(うるわ)しい心である。

 「神、その造りたる諸
(すべて)のものを観たまひけるに、甚だ善かりき」

 (『創世記』) である。


          ○


 美しいものには、中心がある。

 美しい世界には、一つの中心がなくてはならない。

 その美しい中心を、「スメラミコト」 というのである。

 イエス・キリストが 「みこころの天に成るがごとく地にも成らせたまえ」 と祈るように教えた神の国、

 釈尊が金色の蓮華の花を拈って示した中心帰一の金波羅華
(こんぱらげ)世界――

 そのひな形、モデルとも言うべき、「スメラミコト」 (天皇) を中心に大きく令
(うるわ)しく和する国が、日本の理想なのである。

 だから日本を 「大和
(やまと)」 の国と言う。「やまと」 とは、弥数多(いやあまた)のものが中心に一つにまとまっていることを意味する。

 そして、「しきしまの大和の国は 言霊
(ことだま)の助くる国ぞ 真幸く(まさきく)ありこそ」 (万葉集、柿本人麻呂)とも歌われている。


          ○


 「令和」 という新元号は、80%以上の国民に好感を持って受け入れられている。

 「国中が湧いた」 と言ってもよい。特に、若い人たちが、喜んで受け入れた。

 戦後教育を受け、占領軍のWGIP(“War Guilt Information Program”の頭文字。GHQが占領後も日本人の心に戦争犯罪者意識・贖罪意識を植えつけ、独立心を奪い二度と立ち上がれなくしようとした洗脳政策。#140 参照の教育を受けてきた若い人たちが、このたびの 「令和」 改元に沸き返った。

 「日本は、世界最古の歴史と文化を持つ、ステキな国だったんだ!」 と。

 GHQは日本人の誇りを破壊しようとし、それは成功してきたように見えたが、ついに叶わなかったと言える。日本人を洗脳から守ったのは、古くから日本に続く確固たる存在、すなわち天皇にほかならない。

          *

 しかし、この 「令和」 改元に違和感を持ったり、反発する人も、まだ20%近くいる。

 人間は完全に自由につくられているから、どのように受け取るのも自由である。

 しかし、「思い」 はその人の人生を創る。積極的に明るい思いを持てば、明るい人生が創造される。

 80%の国民が 「令和」 という新元号を好感を持って受け入れているということは、新しい御代が明るい素晴らしい御代になることを暗示していると考えられる。

 そうなるように、私も残る人生を、全心全霊を懸けて、積極的に美しく生きて行きたいと思う。


          ○


 『WiLL』 6月号に、「皇室こそ世界遺産」 と題した特集をしており、日本を愛する6人の外国人国際政治学者などが、異口同音に、次のように書いている。(一部抜粋です)


≪ ご譲位によって、「令和」 の御代を迎えることになりました。

 ご譲位によって新天皇が即位されるのは、第119代の光格天皇(在位1780~1817年)以来、約200年ぶり。光格天皇が即位されたのは、アメリカの建国のわずか4年後のことです。

 日本という国の 「凄み」 の一つは、ここにあります。

 アメリカと違い、ちょっとした伝統、慣習でも、数百年、はたまた千年以上も遡ることができるのです。

 日本人の皆さんは、それを当たり前に思っているかもしれません。しかし、国家が長い間、侵略も征服もされることなしに続いているからこそできることなのです。ユダヤ人の私は、そのことを痛切に感じています。

 世界の歴史の中で、数多くの王朝が興っては、滅びていきました。しかし、そうした中で日本だけは連綿と一つの皇室が続いているのです。これを“奇跡”と言わず、何と言うのでしょうか。

 皇紀で言えば、令和元年は2679年にあたります。ギネスブックでも、皇室は 「世界最古の王朝」 と記録されていますが、世界最古の王朝は日本人にとってのみならず、世界中の人々にとっても“宝”ともいうべきものです。

 「皇国
(すめらみくに)よ、永遠(とわ)に、弥栄(いやさか)なれ!」

 私は、その思いを込めて新たな御代を、愛するイスラエル、日本、そして世界の人々とともに、素晴らしい時代にしてゆきたいと思うのです。≫

 (元駐日イスラエル大使 エリ・コーヘン)


≪ 皇室、そして天皇という存在は、日本にとって何物にも代えがたい宝ものです。

 では、アメリカの 「柱」 は一体、何なのでしょう。

 多くのアメリカ人は、三つの文書――「権利章典」 「独立宣言」 「合衆国憲法」――と答えるでしょう。アメリカの建国の父たちは、宗教と政治を区別し、「人間中心」 の国をつくろうとしました。

 しかし、三つの文書は表現が抽象的で、その意味を一般の国民が理解しているとは思えません。アメリカの 「柱」 は目に見えず、分かりにくいものです。

 そして現在、アメリカは 「右派」 対 「左派」 の“内乱”へ向かっています。

 欧州ではこれまで多くの戦争が起こり、何度も王室の交代、つまり 「国体の変更」 が起こりました。勝った国の王様が負けた国の王様を殺したり、男爵や伯爵が王様を殺して成り上がった例もあります。

 しかし日本では戦国時代、大名がどんなに権力を持っても、天皇陛下に取って代わろうとはしませんでした。また、局地的に農民の暴動はありましたが、国体を変更する 「革命」 は起こらなかったのです。

 それは仁徳天皇の 「民のかまど」 の逸話に象徴されるように、天皇は民を思い、そして国民がそんな天皇を尊敬していたからでしょう。

 日本のように 「皇室」 という目に見える、分かりやすい 「柱」 が存在する国の国民は冷静で、感情的になりにくいのです。

 今上陛下を見ていると、外国人が驚く日本人の感謝の心、助け合いの精神、優しさといった国民性も、皇室の存在が大きな影響を与えたことが分かります。

 皇室が存在したからこそ、素晴らしい日本人、日本が存在する。日本人は永遠に皇室を大切にすべきです。≫

 (元アメリカ海兵隊員・歴史研究家 マックス・フォン・シュラー)


≪ 私は日本の皇室のことを知ってから、一貫して 「畏敬」 と 「憧れ」 を感じています。

 世界の中で、皇室ほど尊い存在はありません。

 なぜ、日本の皇室は尊いのか。「長く続いているから」 ではありません。因果関係は逆です。

 尊いからこそ、長く続いている――皇室が長く続いていることは、尊さの 「理由」 ではなく 「証拠」 なのです。

 日本の左派には、皇室の存在を否定する人たちがいて、皇室を大切にする人たちのことを 「右翼」 とレッテル貼りをします。

 保守の基本的な考え方とは、一人の智恵より、多くの人の智恵の方が優れているということです。

 それは、「現在を生きる私たちの多数派」 という意味ではありません。現代人の智恵より、今まで生を受けた全ての人たちの智恵の方が優れている、という意味です。

 これまでの日本人は、皇室の存在が日本国の安定と民族の繁栄を支えていると分かっていました。社会全体の感覚として、「皇室を大切にしないと、日本民族は繁栄しない」 と感じていたのです。

 実際に歴史上、天皇を軽視した勢力は最終的に滅んでいます。どちらが正しく、どちらが間違っていたのか、何よりも物語っているでしょう。

 長い歴史の中で、神々の意思に沿ったものが残り、そうでないものが消え去りました。尊いものが残り、そうでないものが消える――単純明快な法則です。

 だからこそ、日本の皇室は、世界で最も尊い存在の一つと言えるでしょう。≫

 (ウクライナの国際政治学者グレンコ・アンドリー氏)


          ○


 『文藝春秋』 6月号に、「新天皇皇后 『知られざる履歴書』」 と題して、ジャーナリストの友納尚子氏が、次のように書いている。

≪……お住いの赤坂御所(元東宮御所)の部屋には、この4月に学習院女子高等科3年生になられた愛子内親王殿下(17)が筆で書かれた 「令和」 の半紙が飾ってある。その文字は墨痕あざやか実に堂々たるもので、令和時代の安寧を願うお気持ちが見る者に伝わるものだという。

 両陛下は、この文字を折に触れご覧になり、平成の終わりと令和の始まりを迎えられた。≫


 ――私も、「令和」 の文字を筆で書き、座右に飾って日々これを見、新しい御代の素晴らしい天皇陛下・皇后陛下のお心をわが心として、日本に生かされている悦びと感謝に輝く創造の日々を送ろうと思う。


 (2019.6.3)
509 品田悦一氏の偏見を駁す


 「令和」 の 「令」 は 「久遠の今」 であり(#507参照)、龍宮城――

 乙姫様の舞い踊る 「うるわしい」 「よい」 ところである。そして


≪大和(やまと)は 国のまほろば

 たたなづく 青垣

 山こもれる 大和し うるはし≫
(『古事記』)


 と日本武尊
(やまとたけるのみこと)が歌われた、令(うるは)しき日本である。


 「令和」 の考案者とされる中西進氏は、 『文藝春秋』 6月特別号に、次のように書いておられる。

≪元号とは何か。元号とは文化です。

 つまり日本で連綿として受け継がれてきた文化であって、本来、国や役人が定めるものではありません。元号は本来、天が決めるものなのです≫


 と。

          ○


 私は新元号が決まる前の3月29日に、次のように書いていました。


≪ 新たなる御代の元号が、まもなくあと3日ほどで、4月1日に発表されます。

 どういう元号になるのでしょうか。

 元号は、「国家の理想を語っていること」 というのが第一条件。

 ならば、私は 「大和」 という漢字が浮かびますが――

 これは、「土地の名前などと重複しない」 という条件から、はずれますね。

 「国文学、漢文学、日本史学、東洋史学などについて学識を有する専門家に考案を委嘱し、内閣の責任において決める」 と言われているが、そこには人智を超えた神智が天降って決まることを信じ、わくわくしながら期待しています。≫


 と。

          ○

 ――まさに、その通りになったことをうれしく思っています。

 それで、私は歌に詠んだのであります。


≪ 元号は人作るにあらず天(あめ)よりぞあまくだりきて祝福したま

  
(「令和」 の考案者といわれる中西進氏もそう言っておられる。
    中西氏は万葉集研究の第一人者、90歳。2013年文化勲章受章。
    中西氏は 「元号は中西進という世俗の人間が決めるようなものではなく、
    天の声で決まるもの。考案者なんているはずがない」 と話した<4月2日 時事通信>。)


  
元号はわが日の本の文化なり いま令(うるは)しく和みて咲(わら)ふ≫

 と。



          ○


 「令和」 に関する私の歌と説明をある方に送ったところ、「これを読みなさい」 と、品田悦一
(よしかず)氏(国文学者)の檄文のようなものを送ってこられた。それは、 『短歌研究』 という雑誌に掲載された 緊急寄稿 「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ  と題する論文のコピーであった。

 私は、それを送って来られた方(私が所属している短歌会のお世話役・指導者格の方)に、次のようにお返事した。


≪ ご懇切なお手紙、そして 「『令和』 から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ」 という品田悦一氏の論文コピーをお送りくださいまして、まことにありがたく、感謝申し上げます。

 感想を申し上げます。

 品田氏はその方面の専門研究者として該博な知識をお持ちのようですが、結論は、旅人の心境などについていささか偏見をもって断定的に言い過ぎていらっしゃると思われ、残念に思います。

 具体的に申し上げますと、新元号 「令和」 の出典、万葉集巻五 「梅花の歌三十二首」 の序文を書いたと思われる大伴旅人
(おおとものたびと)について、

【 ……長屋王を亡き者にしてまでやりたい放題を重ねる彼ら(藤原四兄弟)の所業が私にはどうしても許せない。権力を笠に着た者どものあの横暴は、許せないどころか、片時も忘れることができない。だが、もはやどうしようもない。年老いた私にできることといえば、梅を愛でながらしばし俗塵を離れることくらいなのだ。…(中略)… これが、令和の代の人々に向けて発せられた大伴旅人のメッセージなのです。テキスト全体の底に権力者への憎悪と敵愾心が潜められている。】

 と書かれていますが、それは品田氏の推測であって、そう断定できる証拠はない。現に、「令和」 の考案者とされている先輩同業者(同じ万葉集の研究者という意味です)中西進氏は、少し違った見方をしておられます。5月1日付け日本経済新聞では

【 「序文の作者は大宰帥の大伴旅人だと思います(註。万葉集の序文に署名はない)。この宴を開いた前年には、平城京では 『長屋王の変』 が起き、藤原四兄弟による独裁が始まっています。旅人はそうした時期に左遷され、大宰府に来た。中央の政局への複雑な感情があったに違いありません」

 「そんななかで開いた宴の序文には、権力者にあらがいはしないが屈服もしないという気構えが見て取れます。本当は、どんなに悔しかったでしょう。それを抑えて、悠然と風流を楽しんで宴を張る。不如意のときの見事な生き方を示してくれています」】

 
と書かれていますが、6月特別号の 『文藝春秋』 では

【……森鴎外も軍医として北九州の小倉に左遷され、「隠流」 という号を名乗っています。その境遇は似たものがありますが、旅人は鴎外とは違って陰陰滅滅とはせず、権力争いとは距離を置き、都を遠く離れても人生を楽しもうとした人でした。

 旅人には融通無碍な歌の技巧があり、和歌は漢文風です。例えば、「天地
(あめつち)と 長く久しく」 と書いて 「天地長久」 と漢文としても読めるような和歌を作ります。読むたびに感心しますが、「梅の花の歌の序」 も漢文で書かれながら、和歌として詠むこともでき、しかも梅の花を囲む宴会の、快く満ち足りた様子もありありと伝わってきます。

     旅人のような品格を

 旅人は、端然として品格のある人物です。組織や権力に恋々とせず自由に楽しむ生き方を選びました。人生を満喫できるかどうかは自分が決めることですから、私は旅人を見習いたいのです。

 昨今、価値観が定まらず、行く先が分からない日本で、多くの人は不安感にとらわれています。その中で、麗
(うるわ)しく生きる万葉集の精神性、そして旅人の品格のある生き方が 「令和」 という元号から伝わるよう願っています。】

 と書かれており、品田氏と中西氏の論文とでは、かなりニュアンスがちがいます。どちらに共感するか、それは人によってまちまちでしょう。私は、中西氏の論の方が品格が感じられてよいと思います。

 品田氏は最後に、次のように書かれています。

【 安倍総理ら政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。

 一つは、新しい年号 「令和」 とともに 〈権力者の横暴を許さないし、忘れない〉 というメッセージの飛び交う時代が幕を開け、自分たちが日々このメッセージを突き付けられるはめになったこと。

 二つめは、この運動は 『万葉集』 がこの世に存在する限り決して収まらないこと。

 もう一つは、よりによってこんなテキストを新年号の典拠に選んでしまった自分たちはなんとも迂闊
(うかつ)であったということです(「迂闊」が読めないと困るのでルビを振りました)。

 もう一点、総理の談話に、『万葉集』 には 「天皇や皇族・貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌」 が収められているとの一節がありました。

 この見方はなるほど三十年前までは日本社会の通念でしたが、今こんなことを本気で信じている人は、少なくとも専門家のあいだには一人もおりません。高校の国語教科書もこうした記述を避けている。かく言う私が批判しつづけたことが学界や教育界の受け入れるところとなったのです。

 安倍総理――むしろ側近の人々――は、『万葉集』 を語るにはあまりに不勉強だと思います。私の書いたものをすべて読めとは言いませんが…(後略)…】


 ――何という人を見下げた書き方をされるのでしょう。「俺は東大教授だ、だまって俺の言うことをきけ」 というような傲慢さが感じられて、人を不愉快にさせます。私は、こんな人には嫌悪感を感じます。

 率直な感想を申し上げました。失礼致しました。お許し下さい。

                  岡 正章 拜

  追伸 最近の新聞記事から、コピーを2点、添付させて頂きます。≫




          ○


 昨日引用させて頂いた 「君民同治の神示」 に、

≪……人は自己が無にして絶対であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於ても持つことを要求するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。

 身体も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。

 観る心の要請が身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。

 天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。…(後略)…≫


 とありました。品田氏は、自分の中に 「権力者への憎悪と敵愾心」 を持っているから、大伴旅人もそうだろうと観たのでしょう。

 一方、中西進氏は 「端然と品格ある生き方」 を理想として生きておられるから、旅人のすがた・文章に 「品格」 を観られたのではないでしょうか。


 (2019.5.30)
508 「令和」 新時代を讃えて詠める歌(3)


 「やりとげた」 よろこびにまさる幸福なし 仕事制限は幸福制限だ


 ―― 幸福とは何か。健康で、衣食住足りて、家族むつまじく、時には打ち揃って旅に出かけるというのも、平凡な幸福であろう。

 しかし、困難を克服し、辛い仕事をやり抜いてやり遂げたという達成感のよろこびには、平穏無事という常識的幸福感にまさるやすらぎ感、幸福感があると思う。


≪ 兄弟よ、海の波が巌(いわお)にたわむれるように、困難にたわむれよう、猿が木の幹を攀(よ)じのぼるのをたのしむように困難を楽しんで攀じのぼろう。もし軽業師が綱の上を渡らないで、平坦な大道を歩くだけならば、誰も喝采する者はないであろう。梅の花は烈々たる寒風の中で開くので喜ばれるのだ。

 兄弟よ、わたしは苦しみに耐えよとは言わない。「生長の家」 では苦しみに戯れるのだ。いかなる苦しみをも戯れに化するとき人生は光明化する。

 盤根錯節
(ばんこんさくせつ)は 「生命」 がたわむれるための一つの運動具である。諸君はスキーを多難だと言うか。登山を不幸だと言うか。ゴルフを艱難だと言うか。競泳を悲惨だと言うか。いかなる苦しみも戯れに化するとき人生は光明化し、そこから剛健なる無限の生命力が湧いて来る。≫



 「働き方改革」 と言って、「上限を超えた残業はダメです」 と一律規制することによって、勤労者が働きやすくなるとは思えない。

 労働時間を縛ることは勤労意欲を削ぎ、日本をダメにする――といわれる丹羽宇一郎氏の論文(『文藝春秋』 令和元年6月特別号)に共鳴する。


≪仕事とは、すなわち人生そのもの――私は半世紀以上、この信念でやってきました。

 ……激しく仕事をした人間は大きく成長します。でも中途半端な仕事をしていたら人は成長しない――だから意欲のある人間は、何時間でも働いたらいいと思います。それは会社のためだけではなく、その人のためでもあるからです。

 ……仕事をマイナス面ばかりから考えるのは間違いです。仕事は何よりも人に生きる喜びをもたらしてくれる。働き方改革は、それが法律に反映されていないのです。≫



 ――「仕事を制限することは幸福を制限することだ」 というタイトルで、丹羽宇一郎氏は 『文藝春秋』 誌に、そう書いておられる。同感である。


          ○


 「天才の育て方」 と題して、日本経済新聞 5月23日夕刊の 「あすへの話題」 欄に、経済学者 松井彰彦さんが書いていらっしゃる。――


≪  天才の育て方
                   経済学者 松井彰彦

 大阪は天王寺よりさらに南に下った喜連瓜破
(きれうりわり)駅からタクシーに乗ると、周りに畑や空き地が残る陽だまりの中に小洒落(こじゃれ)た建物が見えてくる。これが障害者の施設だとは、言われなければわからない。

 アトリエ インカーブ。自身も障害当事者の今中博之さんが創り育てた 「施設」 だ。アトリエに所属するアーティストは20~30人。全員が――社会の基準で言えば――知的障害者である。

 しかし、彼らの作業を見ていても、障害者とはわからない。稼ぎ頭の寺尾勝広さんは、2メートル四方の絵を2週間で描きあげる。その絵が海外で400万円で売れる。必要経費を除いた売上代金は彼の所得だ。

 天才とも言える才能は教育では育まれない。「教育は邪魔です」 と今中さんはきっぱりと言う。型にはめられるような教育を受けてきた彼ら――健常者の指示をよく聞くよう躾けられてきた彼らは、一度指示されると、自由な発想を失ってしまうという。

 躾けられてきたのは健常者も同じだ。何枚絵を描いても、「好きやから、飽きへん」 と寺尾さん。それを聞いた美術系の大学生が、絵が好きだったのに、教授の顔色ばかり窺うようになった自分を振り返って、泣きだしたこともあるという。

 僕のゼミから僕を超える研究者が沢山生まれてくる理由も同じだ。彼らはおしなべて論文を書きまくる (ただし、寺尾さんのような実入りはない)。研究が好きだから飽きないのだ。そして、僕が 「教育は邪魔」 と言って、ゼミ中 うとうとしているおかげで 彼らは伸びるのだろう。今度のゼミでは彼らが成功する夢でも見よう。≫



          ○


 上皇様となられた先代の天皇陛下は、#505 の日本経済新聞 2019年4月27日記事 「平成の天皇と皇后 30年の歩み」 (最終回)に書かれているように、まれに見る 「心の強い方」。

 それは、「無にして絶対」 なる境地―― 「久遠の今」 なる、「一切者」 なるものとして 「国民に寄り添う」 実践を、全心全霊をもって実践して来られた結果、「幸せでした」 と、達成感のやすらぎにひたって譲位されるに至ったのだ。そして迎えたのが 「令和の時代」 なのである。


          ○


 「君民同治の神示」 に、次のごとく示されている。


≪   君民同治の神示

 国は人間生命の外延
(がいえん)である。それは身体が人間生命の外延であるが如くである。

 人間生命が神より生れたる神聖なるものであるという自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの神聖性を要求するのである。

 この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。

 しかも人は自己が無にして絶対であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於ても持つことを要求するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。

 身体も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。

 観る心の要請が身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。

 天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。…(後略)…≫



 (2019.5.29)
507 「令和」 新時代を讃えて詠める歌(2)


 永遠
(とことは)に貫く棒は 「令」 の棒 時空を超えて生き通すなり


 ―― 「令」 は、「今」 に縦の棒がついた形である。

 それは、時空を超えた 「久遠の今」 ということである。

 「令」 の棒は、「靈」 の棒である。そこには――

≪太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。……万(よろず)の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき。……≫

 と 「ヨハネ伝」 にある、創造主なる神の言
(ことば)が鳴りひびいている。

 その言
(ことば)は即ち

≪「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。

 爾
(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)

 寶祚
(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きわ)まりなかるべし。≫


 (豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る日本の国は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の霊統を継ぐ者が栄えるであろうことは、天地と共に永遠で窮まりないであろう、というほどの意)

 と、天祖 天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天孫 邇邇芸命(ににぎのみこと)にくだされた御神勅が鳴りひびいているということである。だから前項に掲げたように


 日の本は光の国ぞとこしへにスメラミコトのしろしめすくに


 なのである。


 (2019.5.22)
506 「令和」 新時代を讃えて詠める歌


     令和元年五月の歌


何なるか 平成・令和貫くは 棒の如きもの たづね究めん
  
(「去年<こぞ>今年貫く棒の如きもの」-高浜虚子)


「令」 の字に なじか知らねど不可思議な わくわくさせるオーラのありて


「令」 の字は 「靈」 なり奇
(く)しきマジックなり 漢字学者の説に肯く
  (#500 参照)


元号は人作るにあらず天
(あめ)よりぞあまくだりきて祝福したまふ
  
(「令和」 の考案者といわれる中西進氏もそう言っておられる)


元号はわが日の本の文化なりいま令
(うるは)しく和みて咲(わら)


日の本は光の国ぞとこしへにスメラミコトのしろしめすくに


(うるは)しくむつみ和(なご)みて結びゆくわが日の本は光の国ぞ


令和とは令
(うるは)しき大和(やまと)日本なり人びと和み結び合ふくに


ベートーヴェン歓喜の歌もそを謳ふ
   汝
(なれ)が魔法は万民を結ぶと
   (ダイネ・ツァウバー・ビンデン・ヴィーダー)


人はみな日子
(ひこ)なり日女(ひめ)なり神の子なりみな抱(いだ)き合ひ悦びうたふ


 (2019.5.20)
505 「令和」 新時代を幸福に生きる道(2)


 上皇となられた平成の天皇さまは、とても心の 「強い」 方だった、という。

 ――日本経済新聞 2019年4月27日、「平成の天皇と皇后 30年の歩み」 第51回(最終回)より――

≪ 「わが友は――」 その人は天皇陛下をそう呼ぶことがあった。そしてこうも言った。

 「彼は本質的に強い男だよ」

 元共同通信記者のジャーナリスト、松尾文夫さん。今年2月末、取材で訪れていた米ニューヨーク州で急逝した。85歳。陛下とは学習院高等科、大学の同級生だった。東京・目白のキャンパス内にあった学生寮 「清明寮」 で陛下と同室で、約2年間寝食をともにした。

 親友ゆえに、松尾さんは陛下に遠慮なく 「直球」 でもの申すことが多かったという。ただ、自身がメディアの人間でありながら、交友の詳細を口外することはなかった。陛下にとって、何でも話すことのできる、真の気が置けない友だったのではないだろうか。

 その友が語った数少ない天皇陛下の人となりを表す言葉のなかで強調されていたのが 「強さ」 だった。平成の象徴像を形づくってきた原動力は意思の強さにある、と。

 振り返ると、いまでは多くの国民から支持されている 「あり方」 は、当初は昭和時代との比較でかなりの違和感を持たれ、抵抗にあってきた。

 災害被災地訪問は 「1カ所に行くと、すべての被災地に行かなければ不公平になる」 と疑問視された。

 膝をついてのお見舞い批判は表層的なもので、これこそ本質的問題だった。

 「天皇の強い希望で」 と語られている海外慰霊の旅も、外国訪問は政治が絡む。天皇の意思が前面に出ることは憲法に抵触するという見解もあった。

 昭和時代には考えられなかった天皇像に対する抵抗を "力業" で突破し、自身の信じる道を貫き通すには、屈しない意思が必要だった。

 昭和の前例をそのまま踏襲する方がずっと楽だったはずだ。しかし、「国民から超越した非人間的な存在であれ」 という近代以降の天皇に要請された役割をよしとせず、人間的で人々に寄り添う 「国民の象徴天皇」 像を追い求めてきた。

 ある意味 「戦い」 でもあったが、けっして孤独な旅ではなかった。退位が決まって以降、天皇陛下は友人に皇后さまへの感謝を話すことが多くなったという。

 陛下は昨年12月の天皇として最後の誕生日に際しての記者会見で 「私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました」 と述べられた。

 皇太子妃は旧皇族・華族出身という慣例を破って、自分の気持ちに正直に向き合い、「庶民」 であった美智子さまに人生の旅の同伴を求めた。その意思と受け入れた皇后さまの決断のなんと大きかったことか。

 陛下は会見で、皇后さまが 「皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきた」 とねぎらわれた。

 他者を思い、ときに傷つきながらも寄り添う。国民は、そこに献身と真心を見た。その静かな積み重ねと天皇陛下の強い意思が、200年閉じていた退位への扉を開かせたのだろう。

 松尾さんは米国に出発する前の今年2月上旬、御所を訪れた。結果的に友との別れとなったが、このころ 「陛下はいま達成感があるんだ」 と語っていた。

 平成の天皇と皇后の30年の歩みの到達点は、まぎれもなく国民の象徴であった。≫



 ――以上は、4月27日付の日本経済新聞 「平成の天皇と皇后 30年の歩み」 最終回の記事(「編集委員 井上亮」 と署名入り)からの抜粋でした。


 戦没者慰霊、災害の被災地訪問と、「旅」 することで象徴天皇像を体現してきた上皇さま。2月24日、「在位30年記念式典」 では、

 「これまでの務めを、人々の助けを得て行うことができたのは、幸せなことでした」 と、国民への感謝を述べられた。

          *

『文藝春秋』 2019年6月特別号には、瀬畑源氏(成城大学非常勤講師)が、『象徴天皇と 「行幸」 』 と題して次のように書かれている(抜粋)――


≪ 天皇が全国各地に 「旅」(行幸)をすることは、上皇のオリジナルではない。過去の天皇も、国民との向き合い方はそれぞれ異なるが、「旅」 をし続けていた。

 私が監修した 『昭和天皇戦後巡幸資料集成』 全18巻(ゆまに書房)が、今年の3月にすべての刊行を終えた。

 「戦後巡幸」 とは、昭和天皇が敗戦直後に全国を行幸し、国民を慰問し、激励をしたことを指す。米軍占領下の沖縄県を除く全都道府県を周り、国民の前に姿をさらし、傷痍軍人や戦災者などに声をかけていった。

 戦前から、天皇の行幸は定例的に行われていたが、個別に天皇と会うのは地方庁や軍の高官であり、国民は最敬礼で天皇を迎えたため、多くの人は直接天皇を見ることすら叶わなかった。敗戦後に警備が緩和され、結果的に天皇と国民との距離を近づけることになった。天皇自身も市井の人々に声をかけて、直接交流するようになった。

 この時、各地で 「行幸誌」 という記録集が作られている。戦前にも作成されていたが、あくまでも 「正確な記録を残す」 ことに主眼がおかれ、膨大な事務記録がほとんどを占めている。「読み物」 というよりは 「辞書」 である。

 しかし、敗戦直後に作られた行幸誌には、昭和天皇と各地の人々との交流の姿が活き活きと描かれている。掲載されている昭和天皇の写真も、心から国民との交流を楽しんでいるような満面の笑みを浮かべていることが多い。

 執筆者たちの編集後記などによれば、平易な文体で書くこと、親しみ易く書くこと、という方針が、どの行幸誌でも一貫している。この理由として、「人間天皇」 を人々に啓蒙する役割をもって執筆されたものが多いように思われる。

 当時の新聞記者や行幸誌の編纂者などの書いているものをみると、次のような考え方をしていることが読み取れる。天皇を神としてまつりあげることによって、天皇と国民の間が疎隔していたが、今、天皇が 「人間」 として目の前に立って自分たちと交流している。これこそが 「君民一体」 の姿なのだと。だから、天皇の 「人間」 としての魅力をみなに理解してほしい、と。

 戦後巡幸の後にも、昭和天皇は、春は全国植樹祭、秋は国民体育大会に行幸し、各地の人々と交流を続けていった。ただ、形式化が進み、警備の厳しさが次第に戻っていく中で、戦後巡幸の頃の交流は失われていった。

 のちに侍従長になった入江相政は、「終戦後間もなくの、あの 『行幸』 よ、お前は一体どこへ行った」 と、混乱していたものの天皇と国民の距離の近さを感じた初期の巡幸を懐かしがった (『城の中』 中公文庫)。

 天皇が国民との直接の交流を大事にするという考えは、この戦後巡幸の時に作られたと言ってよいだろう。当時皇太子だった上皇も、この考え方を引き継いだ可能性が高い。ただ、昭和天皇はあくまでも国民を 「赤子」(臣民) と考えており、膝をつくようなことはなく、握手を絶対にしなかった。一方上皇は、美智子上皇后の影響もあり、次第に国民と同じ目線で語りかけるように変わっていった。

 昭和天皇の戦後巡幸を覚えている人は、今では少なくなった。戦後の象徴天皇制への支持を支えた 「行幸」 とは何であったのか。その原点をたどる手段として、この資料集が活用されることを願っている。≫


 (以上は 『文藝春秋』 2019年6月特別号、瀬畑源氏 『象徴天皇と 「行幸」 』 より)


 ―― 「GHQは当初、天皇陛下が日本各地を巡幸すると知ったとき、日本国民から罵声や石が飛んできて、天皇の地位は失墜させられると考えていた。しかし、いざ日本中を回ると、どこへ行っても 『天皇陛下万歳』 の熱烈な歓迎ぶりに驚いた。そして、この国から天皇を亡くしたら、占領どころではなくなると思い直した」

 とも言われている。


          ○


    
平和を誓う 「歓喜の歌」

 上皇さまが即位された1989年は、冷戦を象徴するベルリンの壁が崩壊し、世界が大きく変動した年であった。93年9月、上皇さまと上皇后さまはベルリンを訪問された。東西の再統一から間もないドイツで、ワイツゼッカー大統領夫妻らと訪れたのは、東西ベルリンの境界にあったブランデンブルク門だった。

 説明を受けながら旧西側から旧東側に歩いて門をくぐられると、合唱団が待ち受けていた。響いたのはベートーベンの交響曲第9番。平和を誓い欧州統合のシンボルになった曲だ。

 
「東西を隔てし壁の払はれて 『歓喜の歌』 は我を迎ふる」

 と、上皇さまはこの時の感慨を歌に詠み、後に2009年の記者会見で

 「西ベルリンから東ベルリンに入ると、ベートーベンの 『歓喜の歌』 の合唱が聞こえてきました。私どもの忘れ得ぬ思い出です」

 と述べられている。


 平成が始まったころ、ドイツには皇室批判もあった。枢軸国として敗戦を迎え、戦後は主要7カ国(G7)の一員として利害をともにしてきたが、80年代は貿易摩擦が激化した。

 だがクラシック音楽が印象を変えた。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などの演奏会に上皇さまや上皇后さまが頻繁に足を運ばれると、「日本の皇族は音楽通」(ゲバントハウス管弦楽団の関係者)というのが知れ渡った。


 平成、そして令和へ。ドイツでも代替わりと改元への関心は高い。メディアはおおむね好意的だ。即位された天皇陛下については 「洗練された人」(独紙ハンデルスブラット)という受け止めが多い。

 お祝いムードのなかで変わらないのは外交に花を添えるクラシック音楽だろう。天皇陛下は8歳だった68年、訪日したドイツのオーケストラの演奏会に足を運ばれたことがある。「子供心に美しい旋律とドイツ語の力強い響きが強く印象に残ったことを今でも懐かしく思い出します」 と2011年に述べられている。演奏されたのはベートーベン交響曲第9番。平和を誓う 「歓喜の歌」 である。

 (参考:日本経済新聞 2019.5.5 「ドイツと皇室 外交に花を添えたクラシック音楽」 など)


 「歓喜の歌」の歌詞は、よく知られているように

Freude, schöner Götterfunken, (歓びよ、美しき神々の火花よ)
Tochter aus Elysium      (天国の使いなる娘よ)
Wir betreten feuertrunken  (われらは火のごとくに酔いしれて)
Himmlische, dein Heiligtum! (崇高なる歓喜あふれる神の国に入る)

Deine Zauber binden wieder, (汝
(な)が不可思議力は再び結び合わす)
Was die Mode streng geteilt; (時がいかに強く分け隔てたものも)
Alle Menschen werden Brüder,(みな一つ生命
(いのち)の分れなる兄弟なりと)
Wo dein sanfter Flügel weilt.  (汝
(なれ)がやさしき翼のおおうところ)

……

Seid umschlungen, Millionen! (抱
(いだ)き合おう、よろずの人々よ!)
Diesen Kuß der ganzen Welt! (この接吻
(くちづけ)を全世界に!)
Brüder, über'm Sternenzelt  (兄弟よ、この星空の上に)
Muß ein lieber Vater wohnen. (まちがいなくわれらの愛する父はいますのだ)

……


 というので、全人類はみな共通の父をもつ兄弟姉妹だ、抱き合おう喜び合おうという歌です。

 それはまさに、神武天皇建国の宣言にある 「八紘為宇(Universal Brotherhood)」 の理想そのものである。その理想、真理の顕現こそが人類最高の燃える大歓喜となる、ということです。


 ⇒ #169 #170 もご参照ください。


  <つづく>


 (2019.5.15)
504 「令和」 新時代を幸福に生きる道のヒント


 少子高齢化が進み、福祉国家日本は社会保障費の増大に喘いでいる。

 かく言う自分もすでに齢86になろうとしていて、年金暮らし十余年。しかし生かされていることにただ感謝の毎日である。

 歯医者と皮膚科以外 医者にかかったことはなく、今も薬は全然飲んでいないが、健康に不安はない。

 人間は、肉体ではない。霊である。不死不滅、本来生不滅の霊である。肉体は死んでも、霊は死ぬことはない。永遠に感謝と悦びの生長をつづける。

 「令和」 新時代を幸福に生きる道――それは、キリスト教的 「愛」 の道であると思う。


          ○


 私は最近、すばらしく輝いている人に出会いました。

 その方は――NPO法人「ホッとスペース中原」 代表のS氏。


≪ ホッとスペース中原は、1998年11月に、ご利用する全ての方々に 『ホッ』 とくつろげる場所を提供したいと考えて活動を開始しました。

 それは、一人ひとりの方をかけがえのない存在として考えているからです。

 そして、人は能力で評価されるのではなく、神様に目的と意味を持って造られた存在としてそのままで尊いと考えているからです。

 私自身は青春時代に、社会と大人たちから価値のない存在として扱われていると感じていました。

 そのため、暴走族として過ごし、アイドルを応援する親衛隊の隊長として自分の存在をアピールしました。

 そんな私が立ち直り今あるのは、教会を通して次のことを知ったからです。

 神様は自分の最も愛する一人子である主イエスを、十字架に身代わりに掛けるほどに、私たちを尊い存在として愛しぬいてくださっている。

 『こんな私だから尊い』

 それはコペルニクス的な(観の転換をもたらした)喜びでした。

 私はその価値観を持って社会福祉に携わり、多くの高齢者や障がい者、子どもたちを通して自分の存在の尊さに気付かされ、自分を愛することができるようになり、誰でもない自分の尊さを生きてよいことを知ることができました。

 私はこの体験から、同じように 『高齢者』 『障がい者』 『子ども』 という存在を通して、社会が豊かになると信じています。

 彼ら、彼女たちこそ、私たちを癒し、育んでくれる大切な存在なのです。

 私たちは、一人ひとりがハンディの有無に関わりなく、等しくかけがえのない尊い存在として扱われ、幸福を自分のものとして受け取り、使命を全うできるような社会を創造したいと願っています。≫

  (NPO法人「ホッとスペース中原」の案内チラシ、代表挨拶より)


 ――S氏は、非嫡出子(法律上の婚姻関係にない男女間に生まれた子)として生を受けた。父親は40歳代の頃、精神病院に隔離入院させられていた。その病院にボランティアに来ていた19歳の女性に、病院から脱走する手伝いを依頼し、女性はそれを受けて決行。それがS氏の母親となる。

 病院から外へ出たものの、病を抱えた父は仕事ができず、28歳年下の母が生計を支え、逃避行の連続。同じ場所に3か月と定住していられなかった。飢えの連続――他人の軒先を借りるなどして、約10年間のホームレス生活を続けているとき、S氏の生命が宿ったのである。

 小さな村から2キロ離れた山に、ゴミ収集場から拾い集めた資材で掘立て小屋を建てた。水道も電気もなく、屋根は何度も風で飛ばされ、雨漏りの連続……テレビも冷蔵庫も風呂もなく、ロウソクの明かりで生活。そんな中で、S氏は不良少年になる。

 夢も希望もない中で、気がつけば何百人もの不良グループのリーダーになっていた。病気、失職、ひとり親、貧困、アルコールやギャンブル依存症、借金苦、DV……等々、仲間のほとんどの家庭が、複数の深刻な問題を抱え家庭崩壊していた。

 そのような環境を理解せず、彼らの敵対感をむき出しにする大人へ、子どもたちができる選択肢は、反発や反抗しかなかった。ただ社会を憎み、強がることしかできなかった……。


 S氏は、自分の生まれた境遇について、「自分より不幸な人間はいない」 と思っていた。力こそ人生を生きる術だと信じ、そのように生きてきた。しかし、暴力事件を起こして学校から謹慎の処分を受け、力には限界があると知り、知り合いの教会を訪ねる。

 そこには保育園が併設されていたので、訪ねるたびに子どもたちの遊び相手をした。子どもたちは、自分を疎外した大人たちとは違い、無邪気にまとわりついてきた。自分が必要とされていることを初めて体感できたその体験は新鮮で、温かく迎えてくれた教会の人達や、聖書を通して知った神の思いに通ずるものだった。

 自分には価値がないと思っていたとき、聖書を学び、どんな生い立ちであろうと、また能力がなくとも、神はOKを出してくれているんだと知ることができ、180度人生が変わった。18歳のとき、洗礼を受けた。

 その後、人を救いたいという思いが募り、介護と神学を学ぶ道に導かれ、1998年に川崎市中原で教会がスタート。その同じ建物で地域の介護拠点として本格的な活動を開始。

 ――S氏は今50歳で、キリストの牧師である。と同時にNPO法人の理事長として、たくさんの人々から神のように慕われる生活に身を献げている。――

 (『人は“命”だけでは生きられない』 佐々木炎
(ほのお)著<いのちのことば社刊>参照)


 佐々木炎氏はいま、進んで困難に立ち向かい、困難に戯れ楽しむ姿で、名前の通り炎と燃え、愛を実践する活動を続けている。


 ――ああ、現在の日本に、スター・デーリー(#477#478~)のような奇蹟を演ずる人がいたのだ! 「この人に会いたい!」 と私は思いました。

 その願いは、すぐにかなえられました。

 ――「ホッとスペース中原」 を訪問見学し、光り輝いている佐々木炎氏から直接お話を聞くことができたのです。

 S氏は笑顔で情熱を込めていう。

≪ 今後、社会はますます苦悩する人が多くなり、福祉を必要とする人が多くなるでしょう。また、一人ひとりの生きにくさや都市化に伴う社会的孤立や心身の障碍や不安などが増大するでしょう。

 私は社会の誰もが排除されない 「包摂」 の場所を、元当事者として、当事者と模索していきたいと考えています。

 「
compassion」(苦しみを一緒にする・一緒に耐えること)から 「希望」が生まれる。

 私たちは 「競争(competition・コンペティション)の社会から、苦しみを共にする共感(compassion・コンパッション)の社会へ向かおう、コンパッションの文化を利用者さんや職員間、社会に創ろう」 ということをモットーにしています。≫


 と。


 <つづく>


 (2019.5.10)
503 「令和」考(8)―「元」は「未発の中」である


 「元号」 とは何か。

 「元号とは文化です」 と、中西進氏
(「令和」 の発案者とされている国文学者)はおっしゃる(『文藝春秋』 6月特別号)

 「つまり日本で連綿と受け継がれてきた文化であって、本来、国や役人が定めるものではありません。元号は本来、天が決めるものなのです」

 とも。


 「元号」 の 「元」 は、「もと」 であり、「一
(はじめ)」 であり、

 時空未発の
「中(みなか)」 「久遠の今」 である。

 そこには――

≪太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。……万(よろず)の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき。……≫

 と 「ヨハネ伝」 にある、創造主なる神の言
(ことば)が鳴りひびいている。

 そしてそれは、『古事記』 の冒頭に

≪天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主(あめのみなかぬしのぬしの)神……≫

 とあるのと符節を一にし、旧約聖書 『創世記』 に

≪神光あれと言ひ給ひければ光ありき……神その造りたる諸(すべて)の物を視たまひけるに甚だ善かりき≫

 とあることとも繋がり、符節を合するのである。

 したがって、そこには 「はかりしれないほど不思議な」 「神々しい」 「とても素晴らしい」 大調和、大ハーモニーが鳴りひびいているのは当然のことである。

 「令和」 を英訳して最初外国の記者は “Order and Harmony(秩序ある調和)” と伝えた。その後、「令」 には 「よい」 「すばらしい」 という意味があることを知り、“Beautiful Harmony” と伝えられたという。だが、もっと、

 
“Wonderful, Miracle, Magical, Occult, Holy, Divine …”

 といった言葉で形容されてもいいのではないか――と私は思うのである。

 そういう至高最上の意味を持つ元号が、これからの世界・時代への 「予祝」 として鳴りひびき、実現して行くことを祈るものである。


 (2019.5.9)
502 「令和」考(7)―「元号制定」は祈りである


 そもそも、「元号」 とは何か。

 「元号」 の 「元」 は、「もと」 であり、「一(はじめ)」 である。


 元号が最初に制定されたのは中国で、その始まりは前漢武帝の建元元年(紀元前140年頃)。

 わが国では645年大化改新時に元号を 「大化」 と定めて以後、元号が定められるようになった。

 中国の帝王は、天の命令により領土を支配すると同時に、時をも支配する――空間とともに時間を権力によって支配し、それが 「授時大権」 と称された。

 「日本天皇のもつ元号大権も、古代中国の帝王が有した授時大権に由来すると思われる」 と、瀧川政次郎氏は論じている (『元号考証』) が、日本の場合は違う、と四宮正貴氏はいわれる。

 日本天皇は日本国の支配者ではなく祭祀主であられる。「空間」 と 「時間」 とを 「支配」 するのではなく 「統治」 される。

 天皇の 「統治」 は、「しろしめす」 「きこしめす」 という。それは 「知る」 「聞く」 の尊敬語で、「お知りになる」 「お聴きになる」 という意。神の御心を知り給うて国民に知らせ、国民の声を聴き給うて天の神に申し上げる。それが 「統治」 となる。だから統治と祭祀は共に 「まつりごと」 「祈り」 なのである。

 中国の帝王は 「天の命令」 によって地上を支配し、徳が切れたら 「命」 が 「革
(あらた)」 まるという 「易姓革命(えきせいかくめい)」 の思想があって、それを繰り返してきた。しかし、日本に易姓革命はない。

 日本天皇の永遠性は、神話による。天照大御神の 『天壌無窮の御神勅』――

 「豊葦原
(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きわ)まりなかるべし」

 (豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る日本の国は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の霊統を継ぐ者が栄えるであろうことは、天地と共に永遠で窮まりないであろう、というほどの意)

 ――から続いている。

 天孫 邇邇藝命
(ににぎのみこと)の御名は、「天地に賑々(にぎにぎ)しく稔っている太陽神の御子」 というような意を表す。「天孫降臨神話」は、稲穂がにぎにぎしく稔る国を地上に実現することが天皇のご使命であり日本民族の理想であることを物語っている。


 わが国は、「言霊
(ことたま)のさきはう国」 と言われ、言葉にはそれを実現する霊力があると信じられてきた。そのわが国の元号は、国家の隆昌・国民の福祉を予祝(よしゅく)した、祈りのこもった文字である。「予祝」 とは、前祝いである。

 「すべて祈りて願ふ事は、すでに得たりと信ぜよ。さらば得べし」

 と、イエスも言っている(新約聖書 「マルコ伝」 11-24)。

    小正月に秋の稔りの前祝い

 古代では旧暦の二月に相当する時期に秋の稔りへの予祝行事が行われ、これが本来の正月であった。一月の望日
(もちのひ)十五日に家々の神様の前に、稔りの秋の様子を飾り立て、今年もこのような豊かな年になって有難うございますと前祝いをした。これを小正月(こしょうがつ)と言い、今も小正月の予祝行事には田植の模擬行事や農耕の経過を一通り演じる神事芸能が全国の由緒ある神社に伝えられている。

    「とし」 は稲作そのもの

 「年
(とし)」 という言葉は、稲の種播(たねま)きの準備から秋に穫入(とりい)れて穀倉に収めるまでの期間を意味していたことから、 「とし」 の語が一年間の年を意味するようになり、また稲のことを 「とし」 というようになった。それで祈年祭(としごいのまつり)は稲の豊作の祈願を通して国の弥栄(いやさか)を祈る祭となり、今も続いているのである。

    元号の勅定は権力の行使ではなく祭祀であった

 江戸時代中期の天文学者・西川如見
(にしかわじょけん)(1648~1724)は、「暦」 について、次のように論じている(『百姓嚢』)。

 「天の時を敬
(つつし)み、地の利にしたがうは、人間の常理也。ことさら農人は、一日も天の時、地の利をつつしみ、従う事なくんば有るべからず。耕穫収藝、みな天の時にして、暦の用なり。暦は朝廷の政治にして、民の時を授けたまう。……有りがたき風俗なり」 と。

 日本人の生活は、農耕を基本とし、規則正しく自然の変化に順応している。そして日本における暦は、祭祀主である天皇によって授けられるというのが伝統であった。

 一年間の時の推移、季節の変化は、日本民族の生活、特に稲作生活と不離一体の関係にある。故に暦は必要不可欠のものとして大切にされ、祭祀国家日本の祭祀主として常に五穀の豊穣・国民の幸福を祈られてきた天皇が、「まつりごと」 として 「暦」 を民に授けられた。

 「元号勅定」 は、この事と不即不離である。稲作国家日本の祭祀主なる天皇にとって、時代に節目にをつけ、時を授けるのは大切なご使命であり、これまでの歴史を顧みれば明らかなように、新元号を建てることによって時代転換、国家の新生、維新が行われてきた。

 近代においても、天皇が元号を定めることは権力行為ではなく祭祀であった。それは 「元号の勅定」 が天皇の 「統治権の総攬者」 としての 「国務・政務」 について規定されている 『大日本帝国憲法』 ではなく、「即位ノ禮及大嘗祭」 などの祭祀についてのみ規定されている 『登極令
(とうきょくれい)』 に規定されていることによって明白である。

 ところがこのたびの元号改定は、天皇の勅定によるという千数百年にわたるわが国の伝統が無視され、内閣がこれを行った。

 それは、「天皇の事前許可を求めれば天皇の国政関与を禁じた憲法に反する」 という考え方に基づくと言われている。が、元号の勅定は、天皇の政治権力行為ではなく 「天皇の祭祀」 の重要な事柄である。政府も国会も、皇室や日本の伝統よりも 『現行憲法』 の規定を重んじる姿勢を貫いているのはおかしい。

 安倍総理は、天皇陛下の政治への関与を禁じた 『現行占領憲法』 第四条に抵触しないよう配慮しつつ、「新元号」 決定前も決定後も、皇居・東宮御所に何回か参内し、天皇陛下、皇太子殿下に選考が元号にご説明申し上げたようである。天皇陛下、皇太子殿下にご報告申し上げ、ご意向をうかがったと思われる。

 わが国は 「君民同治」 の国である(#498 参照)から、それでもよいのかも知れない。が――

 天皇・皇室は、「憲法」 を超越した御存在である。天皇は権力者ではあらせられないのであるから、権力の制限規範たる成文憲法に規制されない。

 このことを明確にし、次の改元は勅定で行われることを願うものである。

 以上のことは、四宮正貴氏の 『政治文化情報』 第402号(平成31年4月28日発行)により、同氏の論に賛意を表して、まとめて発表させて頂きました。


 <つづく>


 (2019.5.7)
501 「令和」考(6)―号砲は鳴った!


○ 「令」 の字に なじか知らねど不可思議な わくわくさせるオーラのありて

 と、私は詠んだ(前項)。

 それは、「令」 という字は、「靈」 という字の代わりに使われて、「はかりしれないほど不思議な」 「神々しい」 「とても素晴らしい」 という意味がある、と知って納得できた(4月7日の日本経済新聞 「遊遊漢字学」 漢字学者阿辻哲次氏のコラムによる)。

 その 「令」 の字は、万葉集巻五 「梅花の歌32首」 の序文を典拠として新元号に採用された。

 新元号 「令和」 は、“ビューティフル・ハーモニー Beautiful Harmony” と英訳され、世界から好感をもって受け取られている。

 生長の家の 「梅の花の神示」 には、

 「梅の花の開く時節が来たのである。……梅の花とは、生みの花――創造(うみ)の始動(はな)のことである」

 とある。

 新天皇が即位され、新元号が公布された。御代替わりの時を迎え、新しい創造(うみ)の始動(はな)の号砲が鳴ったのだ。それは、神々しく美しい大調和の時代の始まりとしなければならぬ。


          ○


 そもそも、元号というものの由来は――というところから、今われわれはいかなる心構えで進むべきかを熟慮考察してみたいと思います。

 <つづく>


 (2019.5.4)

500 新元号「令和」に思う(5)―すばらしきかな 「令」




 新元号 「令和」 の
「令」 という字は、「靈」 という字の代わりに使われて、「すばらしい」 という意味に用いられたのだと、4月7日の日本経済新聞 「遊遊漢字学」 に、漢字学者の阿辻哲次氏が書いておられた。↑

≪台湾に行った時にスーパーマーケットで買い物をしていると、緑のプラスチックボトルに入った家庭用洗剤があって、容器に 「魔術靈」 と書かれていた。

 「靈」 (常用漢字では 「霊」 ) は 「(クスリなどが)よく効く」、あるいは 「頭の回転が速い」 ことを表す漢字で、中国語ではリンと発音する。

 はて、この洗剤はどこかで見たことがあると考えていて、ハッと気づいた。それは花王が台湾で販売する 「マジックリン」 だった。≫


 という書き出しである。つづいて、こうある――

≪ ……「壺坂霊験記」 という浄瑠璃がある。座頭の沢市は妻お里が毎日早暁に外出するのを不審に思って問いつめると、お里は沢市の目が治るようにと壷阪寺の観音様に願掛けに行っていたと打ち明ける。この信仰心の篤い夫婦の願いを聞き届けた観音の救済によって、沢市の目が再び見えるようになり、それがタイトルにある 「霊験」 である。

 敬虔な信仰に対して神仏が示す不思議な験
(あかし)を 「霊験」 といい、また 「霊峰」 や 「霊薬」 ということばがあるように、「霊」 という漢字には 「はかりしれないほど不思議な」 とか 「神々しい」 「とても素晴らしい」 という意味がある。

 しかし 「霊」 の旧字体である 「靈」 は二十四画もあって、書くのがはなはだ面倒だ。それで早い時代から、「靈」 と同じ発音で、ずっと簡単に書ける 「令」 があて字として使われた。こうして 「令」 に 「よい・すばらしい」 という意味が備わり、やがて 「令嬢」 とか「令息」 といういい方ができた。

 新しい元号 「令和」 の出典とされる 『万葉集』 巻五の 「初春令月、気淑風和」 に見える 「令月」 も 「令」 を 「すばらしい」 という意味で使い、「(新春の)よき月」 であることをいう。≫


 と、書かれている。

 「令和」 は 「靈和」 であり、「はかりしれないほど不思議な」 「神々しい」 「とても素晴らしい」 “和” を意味すると考えられる。


○ 「令」 の字に なじか知らねど不可思議な わくわくさせるオーラのありて


 と、私は一首詠んだ。


 ここで、このウェブサイト 「みすまるの珠」 の初発心である 「みすまる宣言」 を再確認したい。

 みすまる宣言

 そしてもう一つ、「みすまるの珠」 とは何か、について。

 
⇒TOP 「みすまるの珠」 とは

「近況心境」#178 「みすまるの珠」は天照大御神の御霊である 

同 #179 天照大御神は実相世界の光であり宇宙の主宰神である


 上記は本サイトの変わらぬ理念なのであります。

 「令和」 の時代に、それが実現に向かってどう動き出すか、楽しみにしながら、着々と粛々と、みこころのまにまに発言し、行動してまいりたいと思います。

 その魂の底に常に流れているバックグラウンドミュージック、生命の交響楽をお聴きください。↓

 ⇒ 『生きた生命』

 ⇒ 『夢を描け』



 (2019.4.20)

499 新元号 「令和」 に思う (4)


 ≪新しき御代
(みよ)の元号決定を言祝(ことほ)ぎて詠める歌≫




 (2019.4.15)

498 新元号 「令和」 に思う (3)


 新元号 「令和」 の 「令」 とは 「神意」 ということであり、「令和」 とは 「神意による和」 ということである。

 すべてのものは本来 「一」 であって、各々その処を得て大調和している。

 「神意による和」 は、「大調和の神示」 にあるとおり、

≪ ……天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。≫

 という、対立するものなき 「絶対の和」 である。

 その 「絶対の和」 が花ひらく時が来たのである。

          ○

 生長の家の日本国家観は、戦前・戦中・戦後とも一貫して変わっていない。

 日本の理念は、「大和」。それは、#489491 で 「梅の花の神示」 について研鑽しながら学んできたことである。たとえば、昭和17年<1942年>に 「公事結社 生長の家満洲教化部出版部」 から発行された 『新日本の心』 という本にも、次のように書かれていた。――

≪     生長の家と日本精神

 日本と云い、日本精神と云いますものは非常に広々とした意味を持っております。日本と云うものを狭く考える人は、日本というものを外国と対立させて、外国に対する日本というような狭い日本を考える人もありますけれども、日本精神というのはそういう狭いものではないのであります。総てのものを一つにまとめる精神、これが日本精神であります。……

 大和
(やまと)というのは、『弥々(いよいよ)多くのものを円くまとめて一つに止める』 という意味であります。そういう説明を申さなくとも、あの日章旗を見ていらっしゃいますと、あのまん円く角立たず、すべてのものを包んでいる日章旗の精神というものが日本精神であります。

     日 章 旗 の 心

 ところがこの、日章旗の円は 『零(ゼロ)』 であります。円満完全で同時に零なのであります。『零』 というものは実に素晴らしいものであります。……零は何もなくして無限を内に有っている。一切数を自分のうちに包んでいるのが零であります。

 胸が広々として、わだかまりがない時に 『私の胸はカラッポ』 だと云いますが、そういう胸のカラッポは、どんなことが起ってきてもみんな自分の内に容れてあげてイライラしたりブツブツ云ったりしないことがカラッポの心 『零』 の心であります。ですから 『零』 ぐらい大きいものはない、何もないかと思うと、何でも容れることが出来るのであります。

 日本人の 『カラッポの心』 と云うのは、一切のものを入れて、とどこおりがないという零であります。一切のものを自分の中に包みながら而もそれに 『引っかからない』 のが零であります。中々難しいようですけれども、それが日本精神であります。

 西洋精神は枝葉の精神で、細かくいくらにも分科してわかれて行く、外見が賑やかであるのが西洋の栄え方でありますが、日本の栄え方は 『からっぽ』 の中へ中へと還元して行くのであります。復古の精神というのが、近頃叫ばれておりますが、古に復り、元に還るところの精神であります。……≫


 それは、戦後昭和26年に谷口雅春先生が占領軍による公職・執筆追放から解除されると直ちに祖国再建の道しるべとして出版された 『新生の書』 にも同様、次のように書かれているのである。――

≪私は日本を限りなく愛する。…… 私の限りなく愛すると云った 「日本的なもの」 とは、日本の国号が過去に於いてありし如く 「大和」 であると云うことである。

 私の限りなく愛すると云った 「日本的なもの」 とは、日本の国旗の標識が○
(まる)であるように、すべてのものと手をつないで真に丸く、円満完全に、○(まる)の中が空(くう)であるが如く、虚心無我にして、苟(いやしく)も私心を差し挿まない大調和な心と、それより発し育てられ来たった大調和の事々物々を指すのであって、好戦的と云うこととは全く反対(うらはら)のことを指すのである。

 私の信念に於いては本当に 「日本的なもの」 即ち 「大和の理念」 があらわれたら、あの戦争は起らなかったに相違ないのである。今後日本が国連の一員として平和を護って行く上に最も大切なのは 「大和」 の理想の培養であらねばならぬ。

 「天地一切のものと和解せよ」 「天地一切のものに感謝せよ」 との神示によって立教せる生長の家こそ、真に大和の理念を宣布するものであり、これこそ真に 「日本的なるもの」 を育て行く根本教と云わなければならぬのである。≫


          ○

 それ故に、このたび公表された新元号に 「和」 の字が入っていることは、まことにふさわしく喜ばしいことである。そしてその頭に 「令」 の字がついていて、それは 「神意」 を意味するというのだから、何をか言わんやである。

 しかして、「令」 の音
(おん)は 「れい」 である。音には音霊(おとだま)がある。

 やまとことば(古来の日本国語)において、「ラ行」 の音は、

≪……たいてい語尾につけて旋回転的運動の意味を附け加える働きをもっているのであります。

 例えば 「カ行」 の 「カ」 に、ラ行を持って来ると 「カラカラ」 と笑う、そうすると 「カ」 の状態が動いて来るのであります。「カア、カアと鳴く」 と言うよりも 「カラカラと打ち笑う」 と言う方が何となしに動いている響きが感じられる。

 物を噛むのでも、「カリカリ」 と噛んだ、そうすると、運動している感じが言葉の響きに出て来るのであります。

 「タ」 の字にラ行を附けると、「タラタラ」 と汗をかいたと言う。大粒になって流れ落ちる感じが出てまいります。「タラリタラリ」ともう一つラ行を追加すると旋回的な感じが愈々深まってまいります。

 花弁が 「ハラハラ」 と散ると言う。「ハラリハラリと散る」 と言いますと、益々旋回的な感じが深く出て来るのであります。

 怪我でもすると 「ヒリヒリ」 痛い。その言葉をきくと何となしにその痛みにも運動性を帯びている。涙を 「ポロポロ」 とこぼす、というようなあんばい式に 「ポロポロ」 というと如何にも滾
(こぼ)れているような相(すがた)が出て来るのです。≫

 それは外国語でも、英語では 「美」 をビューティ beauty というが、これにラ行をつけてビューティフル beautiful とか、ビューティフリー beautifully といえば形容詞や副詞になって運動状態を表現する語になる、と言われている(『新版 真理』 第4巻13章)。

 「令和
(れいわ)」 は漢音でありラ行が接尾語でもないが、「大和(だいわ)」 よりも、何となく動きがあって回転運動に移るイメージが湧くように思われる。

 新しい御代は、「大和」 の理念が動き出して回転運動を始める時代になるのではないだろうか。

 今、現象界は混沌として、「大和」 の理念とは裏腹に、世界は 「分断」 や 「不寛容」 といった言葉で語られることが多く、日本にもその波がひたひたと寄せている。その中で、日本の使命、生長の家の使命は大きい。

≪ 新たなる世界の黎明が来たのである。混沌の世界は過ぎ行く。生命は秩序なき混沌を征服して其処に新しき秩序を創造する力である。

 利己主義を動機として生活していた古き秩序は終ろうとしているのである。見よ、唯物論の世界は幕を閉じる。そして新しき人間の舞台が開幕する。≫

 (『日本を築くもの』 より)

 新たなる世界の黎明 (「令」明、「霊」明) である。

          ○

 生長の家総裁が、「令」 の字に 「神意」 という語義があることを述べられたのは、まことにありがたく、時宜に適ったことであった。感謝したい。

 しかし総裁は、無条件でこの新元号を喜んでいるわけではなく、

≪ 「令和とは、権力者に和することだ」 などと誰も考えないように、立憲主義の原則を護るとともに、宗教運動としては 「“令”とは神意に従うこと」 という古義を忘れずに、神の御心の表現に向かって進んでいきたいと思う。≫

 と書かれている。概ねもっともなことである。

 だが、「立憲主義」 について、私は

≪ #298 「立憲主義」 と 「国体尊重」 は本来同義である≫

 で、

≪ 立憲主義とは Constitutionalism の邦訳語で、Constitutiion は constitute ――構成する、形成するという動詞の名詞化。構成、成り立ち、つまり国体(国がら、国のありよう)のことである。国体(国のありよう、Constitution)を明文化したものが憲法 Constitution でなければならない。「立憲主義」 と 「国体尊重」 とは、本来同義である。……≫

 と書いており、以後、#299302 まで同タイトルで拙稿を連続掲載し、#303 は 「日本国憲法前文 改訂試案」 をアップしています。乞御高覧。

 要は、「立憲主義」 という思想主義の底にある 「国家=悪」 という観念は、決して神意ではなく、日本の理想理念でもなく、世界を秩序ある平和に導く思想ではないということ。

 西洋の国家観は、「ある特定の地域内部を物理的暴力によって支配する機構」 ということのようである。国家は個人の抑圧装置としてある。個人にとって国家とは本質的に敵である。このような国家観で日本の国柄を規定するのは誤りである。

 日本という国家には日本の長き歴史の中から生まれてきた立国の精神があり、国のかたちがある。

 それは、「君民同治の神示」 にあるような自覚から生まれ育ってきた国のかたちである。

≪ 国は人間生命の外延(がいえん)である。それは身体が人間生命の外延であるが如くである。

 人間生命が神より生れたる神聖なるものであるという自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの神聖性を要求するのである。この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。

 しかも人は自己が無にして絶対であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於ても持つことを要求するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。

 身体も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。観る心の要請が身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。

 天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。即ち観る主体(民)が神聖であるから、観らるる客体である天皇が神聖なのである。

 ……人間は自己自身の神聖性の故に神造の国家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。天孫降臨とは人間自身すなわち民自身が天孫であり、神の子である自覚の反映にほかならない。

 かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。是を主客合一の立場に於て把握すれば主客一体であり、君民一体であり、民は君を拝み、君は民を拝む。

 民を拝み給う治は、君を拝むところの事と一体である。治事
(じじ)一体であり、治(おさ)めると事(つか)えるとは一体であり、君民同治である。≫

          ○

 『新生の書』 の第18章に 「西田幾太博士との対話」 というのがあるのは、すでに #494 に引用させて頂いたのでしたが、その「対話」での谷口雅春先生のお答えの趣旨要所を掲げます。

○ 「物質」 と 「生命」 とを二元的に観る限り、その人には宇宙に真の統一は発見出来ない。

 「物質」 と云う 「生命」 を限定する何ものかが存在するのではなく、「生命」 が自己の表現の方法として、生命の波動によって 「物質」 を創造する。たとえば映写技師が、自己の表現の方法として銀幕上に影を投ずるようなものだ。

 生命は如何なる他者によっても限定されたり、束縛されたりするものではない。生命は 「久遠即今」 の純粋連続である。

○ 現在が現在を否定して次の現在があらわれると云うような考え方は、精神分裂症的な考え方である。考える場合には、そうも考えられるけれども、現在は否定せられずに、そのまま 「今」 即 「久遠なるもの」 と繋っている。それが 「久遠即今」 の純粋連続である。

 日本的な考え方は、何処までも一切を 「本来一」 の発展と観るのである。

現実的五官的な面からの思考としては、「私」 と 「汝」 と 「彼」 との三つの対立を考える。併し、それは結局一面からの観方であって、「私」 と 「汝」 と 「彼」 とは無いのであって、本来ただ 「一」 のみがある。

 「一」 の生命が 「私」 となり、「汝」 となり、「彼」 となり、一方に於てそう云う人格的な世界をあらわし、その同じ 「一」 の生命が、その人格的な世界を容れるところの環境的世界、非人称的命題の世界をあらわす。そうして、個々の人格がその環境(非人格的世界)と関係し得るのは、人格的世界と非人称的世界とが、本来 「一」 であるからである。その本来 「一」 こそ神なる大生命である。

○ 絶対に相独立するものが相対立すると云うが如きことは私には考えられない。相対立する両者は、それが対立が可能である以上、それは、両者を包摂し統合する一層深い根拠の上に立っているからなのである。戦いが可能であるのは、どちらが一方を食い、一方が食われるにせよ、相対立する両者が 「一」 なる本源に還帰せんとするが故にこそ可能なのである。

 東洋的なるものと西洋的なるものとが相反するのは、東洋的なるものと西洋的なるものが本来 「一」 なるいのちから分岐したものだからである。それは電気の陰と陽との如きものである。それが相反するのは、語を換えて云えば、互に相結ぶのである。互に相結ぶことによって電気は一層高次の光を放つのである。

 東洋的なるものと、西洋的なるものとが相反するのは、二つに分岐したる文化が本来の 「一」 にまで結び着いて、一層高次なる光を放たんがためである。「汝等天地一切のものと和解せよ」 と云う場合の和は、あるべきものがあるべき所にピッタリと坐ることである。


          ○

 ――絶対に相独立するものが相対立しているなどと考えることは、精神分裂症的(現在は「統合失調症的」という)なことだと言われている。

 いま世界は混沌として、「大和」 の理念とは裏腹に、「分断」 や 「不寛容」 が蔓延し、日本にもその波がひたひたと寄せている。世界が統合失調症的になっていると言える。

 それを救うべき哲学を持っているはずの生長の家も現象界では分裂して、統合失調症的になっていると見られるのではないか。

 しかしそれは一時的なものであって、互いに相結ぶことによって一層高次の光を放つためであると信ずる。

 「久遠の今」 なる 「一」 に還帰すればよいのである。

 それを、「令和」 の御代に必達すべく、創造
(うめ)の始動(はな)を展開(ひら)かすことが、われわれに与えられた重大な、ワクワクする課題ではないだろうか。

          ○

 
「現代一般に、人間が国家と対立するものという考え方があるけれども、それは間違いであって、国家を離れた人間は、人間でなくて動物である。人間と国家とは対立する二者ではない。人間の外に国家はなく、人間を人間たらしめるものは国家である。」
 (『万葉の世界と精神』 山口悌治氏)

 私はかつて青年時代、半世紀以上前の昭和41年(1966年)1月30日、生長の家本部大道場で行われた「実相研鑽会」という東京都地方講師会主催・谷口雅春先生御指導の研鑽会で、研究発表した記録がある(『生長の家』 誌昭和41年5月号所載)のを思い出しました。(→「疾風怒濤のわが青春記録より」・7)

 研鑽のテーマは、「“金波羅華
(こんぱらげ)実相世界”実現のために」 でした。その一部を抜粋再録します。

≪ 岡 ……先ず根本的に観の転回ということが必要であると思います。つまり我々は物質においていた価値を霊的なものに完全に置き換えなければならない。我々は無限の可能性を秘めた霊であって、全体のために奉仕すれば奉仕する程、我々の生命が豊かになる霊であるという、価値観の転回を完全に行わなければならないと思います。

 我々の青年運動に於いては、『生命の實相』 を中心とした“観の転回”というものを非常に強調しなければならないということを痛切に感じた訳でございます。

 そこで、我々は現実に、病気が治った、経済的に繁栄したとか、或は生活面において、神の子を行じて生き生きとした生命を発して仕事の面でも第一流の人物になり、青年会に入ったら、すばらしい結婚をして、幸福な家庭を築き上げる事が出来るんだという実証を示して行かなければならないと思います。

 次に、国家と個人との関係につきまして、生長の家の基礎文化研究所の山口悌治先生が

 「現代一般に、人間が国家と対立するものという考え方があるけれども、それは間違いであって、国家を離れた人間は、人間でなくて動物である。人間と国家とは対立する二者ではない。人間の外に国家はなく、人間を人間たらしめるものは国家である」

 ということを書いていらっしゃいましたのに私は非常に感銘を受けました。現代の青年には“国家”という観念がどれだけあるでしょうか。

 金波羅華の実相世界を顕現するということは、国家と自分が一つであるという、それを自覚することであると思います。ところが現在は、学校教育に於いて、青少年に全体への奉仕、国家への奉仕、中心帰一ということが教えられていない。

 数年前、学校の先生方に 「全体への奉仕」 と 「個人の自由」 と、どちらを尊重すべきかという質問が出されました。その答えに、「戦前は全体への奉仕を強調したから、全体主義、国家主義によって戦争を始めた。だからこれからは個人の自由をもっと尊重してゆかなければならない。それが大事なんだ」 と強調しておった訳です。

 しかし、私達が個人の自由を尊重すると言いましても、全体への奉仕と切り離して個人の自由があり得るだろうか。本当は、個人の自由というものを、全体への奉仕に使うとき、はじめて、本当の個人の自由があると思います。

 戦後の教育に於いては“個人が全体に対して奉仕しなければならない”ということが全然教えられていないと思うのですが、我々は全体への奉仕を通じて本当の自由も得られるし実際に個人も繁栄することが出来るんだと思うんです。……≫


 ――まだ青い、青年会時代のつたない発表でしたが、基本的に、間違ったことは言っていないと思います。


 (2019.4.4)

497 新元号 「令和」 に思う (2)


 新元号に用いられた 「令」 という字は、「よい」 という意味で使われている。「令月」 は「よき月」 で、「吉日」 と並べて使われる。令室、令兄、令息など、他人の親族に対する敬称としてもよく使われる字である。

 出典となっている万葉集巻第五 「梅花の歌三十二首」 の序文(漢文)の 「初春令月、気淑風和」 (初春の令月
(れいげつ)にして 気淑(よ)く風和(やわら)ぐ)というのは、

 「初春のこの良い月に、気は良く風はやわらかだ」

 という意味で、春の訪れを喜び、みんなが和やかに歌を詠んで楽しみましょう、ということ。序文はなお、

 「梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」
 (梅は鏡の前の粉を披
(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす)

 とつづき、

 「梅の花が、鏡の前で女性がおしろいをつけているように白く咲く。
 蘭は貴人が身につける香り袋のように薫っている……」

 ……という意味で、序文はまだまだつづいている。

 (万葉集に収録されている和歌はいわゆる 「万葉仮名」 (やまとことばをそのまま漢字の音をかりて書き表したもの)で書かれているが、序文は例外で、漢文で書かれている)

 そして三十二首の梅花の歌というのは――

 ……

 と、「令和」 の出典 『万葉集』 とその解説書をひもといて詳しく勉強しておりましたが――

 谷口雅宣 生長の家総裁のブログ 「唐松模様」 に、「新元号 『令和』 について思う」 と、本タイトルによく似たタイトルで素晴らしいご文章を書かれていることに気づきました。これによって私も目を開かれ、大きな学びを得ましたので、それをこれから書かせて頂きます。

          ○

 私が谷口雅宣総裁のブログからインスパイアされた最も大きな事は、


≪ 「令」 の字は 「礼冠を着けて、跪(ひざまず)いて神意を聞く神職のものの形」 を表す。

 ……また、「鈴」 の字の旁
(つくり)が 「令」 であるのは、神道の儀式にあるように、鈴は 「神を降し、神を送るときの楽器である」 からだという。

 だから、「令」 とは 「神意に従う」 ことなのだ≫
(白川靜氏著 『字統』 による)


 ということでありました。


 では、「令和」 とは 「神意による和」 ということになる。

 すべてのものは本来 「一」 であって、各々その処を得て大調和している。


≪神があらわるれば乃(すなわ)

  善となり、

  義となり、

  慈悲となり、

  調和おのずから備わり、

  一切の生物処を得て争うものなく、

  相食
(は)むものなく、

  病むものなく、

  苦しむものなく、

  乏しきものなし。≫



 なのである。それが 「神意による和」 であり、「絶対の和」 なのである。

 その 「絶対の和」 が花ひらく時が来たのである。

          ○

 私の手許には、「令」 の字に上記のような宗教的背景があると記された書籍や辞典はなかったので、今日はちょっと近くの図書館へ行って調べてみました。あいにく白川靜氏の 『字統』 はありませんでしたが、加納喜光著 『漢字の成立ち辞典』 というのに、次のようにありました。

≪ 「令」

[意味]
 ① 指図をする。言いつけ。号令。司令。
 ② お達し。おきて。(例:法令)
 ③ 清らかで美しい。(例:令名)

[字形]
 「上から下にお達しをさずける」 という意味をもつ記号素。「△(三方から寄せ集めることを示す符号)+卩(人がひざまずいている形)」を合わせ、人々を三方から集めてひざまずかせ、神や天子のお達しをさずけるさまを暗示した(会意文字)。

○ 「令」 には二つのイメージがある。
 一つは 「次々に並びつながる」 というイメージ。
 もう一つは 「神の言葉のように清らかに澄み切っている」 というイメージである。

[語族]
 「令」 の漢字グループ(語族)には上記のイメージがある。

 ① 齢 ○とし。 「令
(次々に並びつながる)+歯」(歯が年齢とともに生えるように、次々に並ぶ年月)
 ② 零 ○水滴が落ちる。「令
(点々とつながる)+雨」(小さな雨粒が数珠つなぎに落ちる)<転義> 小さい。はした。(例:零細)
 ③ 領 ○くびすじ。うなじ。「令
(つながる)+頁(頭部)(頭と胴体をつなぐ部分→くび)<転義> 受け取る。引き受けておさめる。(例:受領。占領)
 ④ 冷 ○つめたい。 「令
(清らかに澄み切っている)+冫(氷)(氷のように澄み切ってつめたいさま)
 ⑤ 鈴 ○すず。 「令
(清らかに澄む)+金」(澄んだ音色を出す金属→すず)
 ⑥ 玲 (人名)○玉の澄んだ音。
 ⑦ 伶 (人名)○音楽官。
 ⑧ 怜 (人名)○心が澄んで賢い。(例:怜悧)
 ⑨ 澪 (人名)○水が澄んで清らか。みお。
 ⑩ 嶺 (人名)○みね。峰の連なる山。
 ⑪ 蛉 ○トンボ。(例:蜻蛉) 羽が清らかに澄んだ虫。
 ⑫ 鴒 ○セキレイ。(例:鶺鴒) 背がほっそりと清らかな鳥。


 ――「みんなが一つにつながって、神の言葉のように清らかに澄み切っている」 というイメージが、この 「令」 という字にあることがわかりました。


 <つづく>


 (2019.4.3)

496 新元号 「令和」 に思う


 新しい元号は 「令和
(れいわ)」 と決まり、公表された。

 これは、わが国最古の歌集である 『万葉集』 巻第五から採用された。今からおよそ1300年前の天平2年(西暦730年)正月13日、大伴旅人(当時大宰帥として九州大宰府に赴任していた)を主人として梅見の宴会歌会が開かれた。そのとき詠まれて万葉集に収録されている 「梅花の歌三十二首」 の序文が出典という。

 安倍総理いわく――

≪ 万葉集にある 「初春の
(れいげつ)にして 気淑(よ)く風(やわら)ぎ 梅は鏡前の粉を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」

 との文言から引用したものであります。そして、この 「令和」 には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ、という意味が込められております。

 万葉集は、1200年余り前に編纂された日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人
(さきもり)や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。

 悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。

 厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込め、「令和」 に決定いたしました。

 文化を育み、自然の美しさを愛でることができる平和の日々に、心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を、国民の皆さまとともに切り拓いていく。新元号の決定にあたり、その決意を新たにしております。……≫

          ○

 私は #494 に書いていますように、「大和」 が日本の理念、理想であると思ってきましたから、「和」 の字が入っていることはうれしいことでした。しかし、「令」 の字は意外で、ちょっと驚きました。しかし――

 
「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込め、『令和』 に決定いたしました」

 という安倍総理の言葉で、納得しました。

 「梅の花の神示」 を深く勉強してきたばかりです。神のお導きを感じました。


≪ 梅の花の開く時節が来たのである。

 今年が弥々開く年である。今年は弥
(や)の年、弥々(いよいよ)の年、八(ハ)の年、ハナの年、ハリ伸びる年、ハジメに開く年である。ハは開き伸びるという意味であって、春(はる)、原(はら)、脹(はる)、晴(はれ)、遥(はるか)等 皆この語源から来るのである。

 梅の花とは、生みの花――創造
(うみ)の始動(はな)のことである。『生みの花』 はまた 『海(うみ)の原(はら)』 のことである。『梅の花』 の五弁は五大洋に象(かた)どる。五大洋にスメラミコトの花が開く始まりが今年である。≫


 今年こそ、「弥々
(いよいよ)の年」、創造(うみ)の始動(はな)の年にしなければならぬ――と思います。


 <つづく>


 (2019.4.1)

 
(1) プロフィール


岡 正章(おか・まさあき)

1933年6月 東京生まれ、86歳。 (先祖・両親の出は愛媛県)
妻1人、子供が4人、孫も4人あり。

趣味――音楽、特にコーラス・アコーディオン。
八十の手習いでピアノの練習も始めた。
パソコンによる動画編集も特技の一つ。

好きな言葉――バンザイ!

山口在住の1950年頃 父親が生長の家入信。その影響か、1951年春 霊的体験を得て人生観が一変。1952年 山口高校卒、同年 東京大学入学。1953年 生長の家青年会入会、谷口雅春師ご自宅での青年会「お山のつどい」でご指導を受ける。1959年 青年会中央執行委員学生部長。1960年 東京大学教育学部卒。1964年 日本教文社勤務、聖典・書籍の編集に従事。1975年、生長の家本部青年局に転じ『理想世界』編集長。1976年、同誌100万部突破。1984年~2006年、茨城・福島・山形の各教区教化部長歴任。2006年 東京第一教区地方講師。2015年4月21日、地方講師解任の通知を受ける。現在、相愛会員、聖使命会費取扱者。