近 況 心 境

岡  正 章
303 日本国憲法 前文 改定試案


 ここまで論じてきたことをふまえ、日本国憲法の前文について、私の改定試案を書いてみました。

          ○

  日本国憲法 改定試案      (岡 正章)

     
前  文

 わが日本国は、神から始まった神の国であり人はみな神の子孫であるという神話を持ち、万世一系の天皇を中心として、常に 「和」 を尊び、君民一体、君民共治のすがた・伝統を受け継ぎながら発展して来た、長い歴史と固有の文化を持つ国である。

 
君(天皇)は民を 「おおみたから」 と尊重し給い、民の喜び・悲しみをわが喜び・悲しみとして常にその幸福を祈り給い、民は君を親のごとく神のごとく崇め尊敬し、互いに真心をもって結ばれながら、2000年を超えて続いてきた、類
(たぐ)いまれな国である。

 われらはこの美しき善き伝統を尊重し、さらに発展させ、世界の平和と繁栄のために貢献することを祈念し誓願して、この憲法を制定する。


          ○

 いかがでしょうか。

 上記の文言はもっともっと、だれにでも受け入れられるような、わかりやすくて肯定できる、よい文章に練り上げる必要があると思いますが、私はぜひ、大筋で以上のような主旨を表現した前文に、改定していただくことを切望します。

 それが多くの国民に受け入れられるようになるには、少なくとも20年はかかるでしょう。私の今生で生きているうちには、不可能かも知れません。でも、いつの日にか必ずそれは実現すると信じて、今、日々いのちを懸けてその思い願いを発信して行きたいと思います。


   (2016.8.23) 

302 「立憲主義」と「国体尊重」は本来同義である(5)


 「国体」 の定義について、その歴史的な推移をふまえ、長々と勉強してきましたが、結論として、

 「国体」 は単に、君主主権(天皇主権)とか、国民主権とか、法理論として主権の存するところを核とした政治形態をいうのではない。生命体としての国の歴史そのものが国体と言える。法概念である 「政体」 とは明確に区別するのが妥当である。

 
≪ 「国体」 とは日本国家を成り立たせる根本原理である。「国体」 を、(人知で)構築することはできない。国体は、(歴史を学ぶことによって)発見するものである。「国体」 は、見えない憲法、不文憲法である。

 この「国体」という不文憲法を、文字にしなければならない部分だけ文字にする作業が憲法制定、憲法改定である。≫


 と言われる佐藤優氏の言(『日本国家の神髄』)に、同感、共鳴します。

 この、祖先から受け継いで来た日本の 「国体」 を愛し、大切に守り育てていくことこそ、本当の正しい 「立憲主義」 である、と改めて確信しました。

 谷口雅春先生は、

≪ 天皇国家は日本民族独得の一大文化的創作である。

 われわれ独得の日本人の創作の文化の中で、一番偉大なる生きた芸術――生きて動いている大芸術がこの日本の国体であります。

 国体というと、国のあり方のことであります。この日本にしかないところの、一大創作芸術、一大文化的産物というのが、日本独得の天皇中心の“天皇国家”というものであるのでありますが、そういう独得の一大創作なる国家が創造されたというのは、この日本民族の真理直観の天分によるのであります。

 日本民族が古代から宇宙の真理として天地の始めに発見し表現した所の天之御中主神
(あめのみなかぬしのかみ)、宇宙の御中(みなか)に中心があって、全ての生命はその御中の中心から分れて出て来、そして又、それが中心に帰一して、中心・周辺一つにして渾然一体であるのが生命体であるという真理を日本民族は把握したのである。

 日本民族にとっては、全てのものは、一つの中心生命体から分れて出て、分れて出た末梢生命が又、中心に帰一して、それが渾然一体たる有機的生命体となっていると観るのであって、この世界観が国家にあらわれているのが、この現実の大日本国である。この民族の一大創作芸術である独得の日本の国家形態を吾々日本民族は永久に護持しなければならないのであります。これは他に、真似の出来ないところの創作芸術である。≫
 (『美しき日本の再建』より)

 と説かれています。ここに、

   御民
(みたみ)われ 生ける験(しるし)あり
     天地
(あめつち)の 栄ゆる時に遇(あ)へらく思へば

 と、人間がもっとも完全に生命を燃焼させ、至高の生き甲斐ある人生=神生を生きる道、感動に満ちた幸福への道があるのであります。

 この日本国体を尊重し守り育てる、本来の日本的立憲主義に徹して、憲法問題を考えてまいりましょう。


   (2016.8.22) 

301 「立憲主義」と「国体尊重」は本来同義である(4)


 「国体」 の定義について、その歴史的な推移を、『天皇の国師 知られざる賢人三上照夫の真実』(宮﨑貞行著)から学びますと――

≪ 「国体」 という言葉を初めて記載した文献は、『延喜式』 にある 『出雲国造神賀詞
(いずものくにのみやつこかむごと)』 であった。「天穂比命(あめのほひのみこと)を国体(くにかた)見に遣(つか)はしし時」 とあり、この 「国体」 をクニカタと訓(よ)ませている。この場合は、国の地勢、風土の意味であることが文脈からわかる。≫

 とある。そして

≪ ある政治的な意味合いを持つ用語として 「国体」 が語られるようになったのは、江戸中期以降の思想界であった。特に水戸藩の儒学者たちは、朱子学の名分論に基づき、万世一系の天子が君臨し、鎖国を継続するわが国独自の国家体制を 「国体」 と定義し、尊皇攘夷運動を盛り上げようとした。

 江戸後期の国学者たちも、記紀の研究に基づき、将軍に代わり天皇を最高指導者に仰ぐ統治体制を 「国体」 とみていた。彼らは、神武天皇が建国した当時の統治体制に戻り、「王政復古」 することを呼びかけた。それは、疑うことのできない自明の「建国の体」であり、「立国の体」 であるという主張が主流を占めるようになった。

 儒学者や国学者のいう 「国体」 は、幕藩体制を崩壊させた明治維新によってほぼ実現されることになった。万世一系の天皇が名実ともに君臨する 「皇国」 が、維新の大動乱を経て成立したのである。

 皇国制度を完成させた明治二十三年の帝国憲法は、第一条において、統治の根拠を次のように明確に規定している。

 「大日本帝国ハ、万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」 ≫


          *   *   *

 ――この第一条は、大日本帝国憲法を起草した井上毅の原案では

 「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ治
(しら)ス所ナリ」であった。

 「しらす」 は 「知る」 の敬語で、意味は 「天皇が広く民の声をお聞きになり国の事情をお知りになることで、天皇が存在することによって自然と国がまとまる」 という 「和」 の精神をあらわした言葉である。

 しかし草案を審議する席で最終責任者の伊藤博文が、「しらす」では一般に分かりづらいと判断して、「統治す」に置き換わってしまった。

 伊藤は、『憲法義解』 という大日本帝国憲法の解説書を書いているが、その中で 「統治」 は 「しらす」 の意味で用いていると、解説している。

          *   *   *

≪(しかし、帝国憲法第一条の) この規定に基づき、穂積八束、上杉慎吉といった東京帝国大学の憲法学者は、万世一系の天皇が統治権としての主権を保有する政治体制を 「国体」 と名づけた。

 穂積八束は、主権の所在を意味するドイツ法学の 「シュターツフォルム(Staatsform)」 という法律用語の訳に新語を工夫せず、「国体」という日本特有の歴史用語をそのまま法律用語としてしまった。このことが後に重大な誤解を生む要因となる。「国体」という用語は憲法学者を通じて拡散し、明治中期以降の政治指導者たちも天皇主権の意味で使いはじめるようになった。

 しかし、この意見に異を唱える有力な学者が現れた。東大法学部の同僚の美濃部達吉である。

   「国体」と「政体」を別けて考える

 美濃部の考えによると、「国体」 は、憲法の外にある観念であって、法概念ではないから法解釈において用いるべきではない。「国体」 とは国家の 「歴史的、倫理的な特質」 を指すものであり、法概念である 「政体」 とは明確に区別されるべきものであると主張した。ドイツ語の 「シュターツフォルム」 は 「政体」 と訳すべきと考えていた。

 そして、わが国の 「政体」 を分析するならば、統治権としての主権は天皇ではなく、本来的に法人たる国家にあり、天皇は国家の最高機関として憲法の枠内において国家意思を最終決定する存在であると位置づけた。天皇が国家の機関として統治権を総攬する体制がわが国の 「政体」 であるという美濃部の説は、大正から昭和初期まで法学者の間では通説として強い支持を得ていた。穂積八束、上杉慎吉らの天皇主権を 「国体」 と見る学説は少数であった。≫


 ところが昭和十年、貴族院で美濃部達吉の天皇機関説が突如やり玉に挙げられ、ごうごうたる非難を議員たちから浴びることになる。このとき美濃部は貴族院の勅選議員となっていたから、これに堂々と反論したが、「国体明徴」の空気に迎合する政治家と新聞、雑誌の非難に抗することはできなかった。美濃部は貴族院議員を辞職し、政府も批判に抗しきれず、彼の説を異端として憲法に関する著書を発禁処分にせざるを得なくなった。

 昭和初年まで憲法学界で広く支持されていた美濃部説が、どうして政界で突如激しい非難を受けるようになったのか。

 大正時代にさかのぼってみると、法学者流の合理的に整理された議論を心情的に物足りないと感じる知識人が少なからずいた。彼らは、憲法解釈とは無関係に、君民の精神的紐帯を強調した 「国体論」 を展開しはじめていた。

 たとえば、神道研究家の田中義能は、国体の根底には、単に万世一系の皇統だけでなく、「君民一体の国民精神」があると説き、その国民精神の真髄は神道の哲学であると主張した。君民一体の国民精神と切り離した法学者流の国体論や政体論は、無味乾燥でとうてい受け入れられなかった。

 内務省神社局は、思想界で国体の論議が盛んになってきたことを踏まえ、大正十年に 『国体論史』 を出版し、国体論の歴史的経緯を取りまとめていた。

 そうした中、大正十一年に、共産主義政党の国際組織コミンテルンの指導により日本共産党が秘かに結成され、革命により君主制を打倒することを真剣に議論しはじめていた。

 クレムリンに支配されたコミンテルンは、わが国の天皇もドイツやロシアの専制君主と同じ性格のものとみなし、君主制(モナーキー)の打倒を日本共産党に指示していた。日本共産党は、わが国の君主制を「天皇制」と名づけ、コミンテルンの指示に従い暴力的な革命運動に乗り出そうとした。

 このような不穏な情勢のなかで、大正12年末に摂政裕仁皇太子殿下の暗殺未遂事件が勃発する。自ら共産主義の信奉者と名のっていた難波大助という青年が、虎の門近くを走行中の摂政裕仁殿下を猟銃で暗殺しようとしたのである。

 皇太子暗殺を狙う過激青年が現れるとは予想だにしていなかった政府は驚愕した。この共産青年による摂政狙撃事件が、内閣と議会を驚かせ、「国体」 強化への決定的な引き金をひいた。

 「天皇制打倒」 の活動を警戒した政府は、大正十四年に治安維持法を公布し、「国体の変革」 を目的とした結社を禁止した。それは共産党の非合法化を狙った法律であった。そして、地下に潜った共産党の暴力革命を未然防止するため、特別高等(特高)警察を全国に拡充した。

 この治安維持法にいう 「国体」 は、昭和4年の大審院判決では 「万世一系ノ天皇君臨シ、統治権ヲ総攬シ給フトイフ大原則」 と定義されている。

 しかしこの単純な定義だけでは、国際共産主義の思想侵略に対抗できないと危機感を抱いた学者や知識人が、新しい 「国体論」 を掲げて登場してくる。彼らは、昭和の御代の新しい国家目標と国民の生きがいを固有の 「国体論」 に見出そうと、率先して情熱的な議論を展開しはじめた。

 そのひとり、哲学者の里見岸雄は、「国体は政治体制を超えた有機的な 『民族生命体系』 であって、太古からの歴史に通底している国家の生命基盤である」 という議論を展開した。彼は、「国体学会」 を創設し、生涯を膨大な国体論の論述と普及に捧げた。

 作家の倉田百三も、日本文化の独自性を 「民族の血統的中心である天皇」 によって統治されてきた 「世界無比の国体の独自性」 に求めようとした。わが固有の国体は、世界に伝播しつつある共産主義思想によって決して蹂躙されることがあってはならないと彼らは強調した。

 また、美濃部達吉と同期の法学者、筧克彦は、独自に古神道を研究し、国体は法の成文によって左右されるものではなく、「皇と民の一心同体の品格ある大生命体」を指すと考えた。彼は、「天皇様の御生命の拡張せられたる大生命が皇国である」 とする熱情的な国体論を発表した。

 このような情熱的な議論は、特に国体明徴運動の起きた昭和9年以降、集中的に展開されていく。こうして国体論は、次第に当初の憲法解釈論の枠を超えて、君民一体の民族的生命体という精神論ないし生命体系論へ転化していった。

 美濃部達吉は、法律上の概念である 「政体」 と歴史的、倫理的な特質を意味する 「国体」 を区別して議論しようと呼びかけたが、彼の冷静な意見は、しかし、熱狂的な政治の嵐のなかで吹き消されていった。

 大正14年に議会で治安維持法案を審議した際、変革を禁止すべきは 「政体」 か、それとも 「国体」 かという議論があったが、結局、議会が法律になじまない 「国体」 という文言を採用した。彼らにとっては、国体も政体も同じようなものに映っていたのである。


 戦後、天皇は帝国憲法にいう統治権を失ったが、それは天皇が統治権としての主権を保持する体制を 「国体」 とする論者からみれば「国体の変革」にほかならなかった。しかし、そうではないと美濃部は主張した。昭和22年の 『新憲法逐条解説』 において美濃部は次のように書いている。

 「国体といふ語は、……わが国民が万世一系の天皇を国家の中心として奉戴し、他国には類を見ないほどの尊崇忠誠の念を致し、天皇は国民を子のごとく慈しみたまひ、君民一致、挙国一家のごとくなることの事実を指す意味に用ひられてゐる。

 国体といふ語をかくの如き意義に理解するならば、新憲法はあへてかかる意義における国体を変革するものではない」

 と。万世一系の天皇が日本国の中心人格として、日本の歴史と伝統を代表し、国民を一家のように思いやりつつ精神的に統合する体制を 「国体」 とする見方に立てば、戦後も国体は継続されたことになる、ということである。

 いま竹田恒泰氏が、

≪日本の国体は、戦前も戦後も(憲法が変わっても)、一貫して変わっていない。「主権者が天皇から国民に移った」 というのは間違いで、「君民一体」 「君民共治」 という国体は不変である。≫

 と言われる(#299)のは、この美濃部氏の最後の結論部分を取り込んでおられるのであろう。


 <つづく>

   (2016.8.22) 

300 「立憲主義」と「国体尊重」は本来同義である(3)


 「国体」 と言っても、「国民体育大会」 しか思い浮かばないのが、戦後教育を受けた今の大多数の日本人でしょう。

 私の小学生時代は、昭和15年4月から21年3月までで、戦中の教育を受けました。
 紀元節(2月11日<建国記念の日>)、天長節(4月29日<昭和天皇御誕生日・昭和の日>)、明治節(11月3日<明治天皇御誕生日・文化の日>)および四方節(1月1日<元日>)は四大節と呼ばれ、元日を除き四大節には学校で儀式が行われ、「教育勅語奉読」というのがありました。

 教育勅語というのは、明治23年10月30日に発布された「教育ニ関スル勅語」。その冒頭に

≪朕(ちん)(おも)ふに 我が皇祖皇宗(こうそこうそう)国を肇(はじ)むること宏遠(こうえん)に 徳を樹(た)つること深厚なり 我が臣民克(よ)く忠に克く孝に 億兆心を一(いつ)にして 世々厥(そ)の美を済(な)せるは 此れ我が国体の精華(せいか)にして 教育の淵源(えんげん)亦実に此(ここ)に存す≫
(カタカナをひらがなに、正漢字を当用漢字に換えました)

 とあります。私は今でもその全文を諳
(そら)んじることができます。講堂に、「國體之精華」と書かれた横額(右横書き)が掲げられてあったことも覚えています。

 谷口雅春先生は、

≪天皇国家は日本民族独得の一大文化的創作である。
 われわれ独得の日本人の創作の文化の中で、一番偉大なる生きた芸術――生きて動いている大芸術がこの日本の国体であります。≫


 と喝破されている。(#148#149参照)

 ところでこの 「国体」 という語が、現在ほとんど死語と化しているのには、理由があります。

 それは戦後の連合国の占領政策(日本弱体化政策)で日本人を精神的に骨抜きにするため、教科書に厳しい検閲を課し、愛国心につながる用語(「国体」、「国家」、「わが国」なども)を教科書から徹底的に排除させたのです。それ以来、教科書だけでなく、日本社会で 「国体」 の言葉が使われなくなって今日に至ったのです(#140参照)。

 しかし、神は賞むべきかな。すでに死語と化してしまったかに見えた 「国体」 という語が、いま復活してきつつあるようです。

 佐藤優著 『日本国家の神髄 禁書「国体の本義」を読み解く』(2009年産経新聞社刊)、竹田恒泰著 『日本人の原点がわかる「国体」の授業』(2013年 PHP研究所刊)等々の力作名著が次々に現れ、「国体」 という語が息を吹き返してきた。うれしいことです。

 10年前に 「国体尊重」 などと言ったら時代錯誤の極右翼か、ガラパゴス 化石人間のたわごとぐらいにしか見られなかったと思われる 「国体」 という言葉が、まともな論議で用いられるようになったのですから。

 時代は変わりました。今から10年も経てば、現憲法を金科玉条とする 「立憲主義」 を言い続けるような者こそ、時代錯誤のガラパゴス「化石人間」といわれるようになると思います。

          ○

 今日昼に、テレビ朝日 「ビートたけしのTVタックル」 を途中から少し見ました。「尖閣諸島で領海侵入が頻発 勝手すぎる!? 中国とどう付き合うか」 というテーマで、竹田恒泰氏や東国原英夫氏、中国から来て10年にもなる留学生(?)なども加わって、ワイワイやってました。中国は、『カエルの楽園』(百田尚樹著)のウシガエルそっくりに見える。でも、「カエルを信じろ」「カエルと争うな」「争うための力を持つな」の三戒を守るだけで、話し合えば平和が保たれるとは、だれも思っていません。日本人は、そんなにバカではありません。

 中国で、沖縄を独立させるための会議というのが開かれたと、琉球新報が報じたとかも言ってました。沖縄はかつて琉球王朝時代に中国に朝貢していたことがあるから、中国では沖縄を中国領だと考えているものがあり、沖縄独立を支援して米軍が沖縄から撤退したら中国に併合することを狙っているようだ。領土拡張が中国の歴史なのだから――と。

 沖縄の人も含めて、日本人は、目を覚まさないといけません。

 また、民間レベルでは「ニッポン大好き」中国人が多いという話も出ました。訪日中国人たちが、日本人の親切・清潔・正直なことに感動している。店にたくさんの商品が並べてあって、盗まれる恐れを感じていないように見えることとか、所持品を置き忘れたりしても案内所に行けばすぐ届いていることとか、行列に並んできちんと順番を待つなど、秩序を守るすがたに驚く。そんなことに感動して、「ニッポン大好き」になる中国人が多いというのも、TVタックルで話題になっていました。

 こんなところにも、「国体の精華」 が現れているのかな、と思いました。

          ○

 ちょっと脱線しましたが、「国体」 について。

 佐藤優氏は 『日本国家の神髄 禁書「国体の本義」を読み解く』 の序章で、次のように言っています。

≪ 「国体」とは日本国家を成り立たせる根本原理である。愛国心に関する議論も、憲法改正問題も、わが国体に関する認識を欠いて行われるならば、机上の空論で、時間の無駄だ。
 (中略)
 現下、日本の有識者にとって重要なことは、わが国体を再発見することである。

     「国体」を構築することはできない

 ここで一言述べておきたいことがある。それは、国体は発見するものであるということだ。国体を構築することはできない。この基本を押さえていない憲法改正論議はきわめて危険だ。

 日本の伝統において 「目に見えない憲法」 が存在している。この 「目に見えない憲法」 こそが国体なのである。この国体を、所与の歴史的条件の下で、文字にしなくてはならない部分だけを、文字にする作業が憲法制定であり、憲法改正である。

 人知によって、政治エリートが考える理想を記した憲法を構築するという発想は、わが国体に合致しない。

 人間の理性に基づいて、理想的な社会や国家を構築できるという発想自体が、1789年のフランス革命のときに議長席から見て左側にすわっていた人々、すなわち左翼の思想なのである。

 左翼は、人間は誰も等しく理性をもっていると考える。従って、完全情報が与えられているならば、人間は理性に基づいて、共通の結論に至ると考える。左翼にとって、真理は一つなのである。現行憲法を改正して、理性に基づいて、理想的な憲法を作ろうという発想に、左翼思想の罠がひそんでいると私は考える。

 これに対して、フランス革命のときに議長席から見て右側にすわっていた人々、すなわち右翼は、人間の理性には限界があると考える。

 ここで重要なのは、右翼は理性を否定しているのではないことだ。理性の限界を強調しているのである。各人には偏見があるので、ある人がいくら理性に基づいて、客観的かつ誠実に考えているつもりであっても、偏見から完全に逃れることはできないのである。

 裏返して言うならば、限界の内部においては、右翼であっても理性に基づいた議論をすることは当然のことである。ただし、右翼は、理性の限界の外においてこそ、人間の真価があらわれると考える。

 私自身の立ち位置は、右翼である。これを国家との関係に則して述べるならば、国体を肌で感じることができる者が右翼なのである。≫


 と。

 そういう意味でならば、「私も右翼です」 と言いましょう。


 「国体」 の定義について、きちんと明確にするのは、次回にゆずりたいと思います。


 <つづく>

   (2016.8.21) 

299 「立憲主義」と「国体尊重」は本来同義である(2)


 さて、現行 「日本国憲法」 が、日本本来の不文憲法 Constitution (国体)を蹂躙して占領下に押しつけられた翻訳憲法であり、日本が永久に米国に隷属して守ってもらうことを前提にして、戦力(自衛力を含む)を持たないと宣言している、「占領基本法」というべきものであることは、素直に読めば否定できないと思う。(#146#147 参照)

 それでこの憲法制定(1946年11月3日公布、1947年5月3日施行)から約70年を経た今、この憲法では自衛の問題や皇室と国民のあり方など、抜き差しならぬ問題が出て来たのではないか。だから、根本の根本に還って、憲法問題を考え直す時に来ていると思います。

 憲法は、今のままでよいわけはない。しかし、改定するならば、どのような手順で、どのように改定するか。

 第9条(戦力否定)とか、96条(改正条項)とか、まず一部分だけでも変えたいという方もいらっしゃるようですが、私は、それではいけないと思う。自民党の改正案も、起草決定された方たちのご努力は諒としますが、どうしても根本的な違和感があります。

 なぜか。それは、改正案の底本を現憲法にしている、つまり根本基礎として Constitution (国体) から外れた、非立憲的(Unconstitutional)な現憲法の精神を肯定し、そのバックグラウンドにある日本本来の国体尊重でない西洋的立憲主義――国家と市民を敵対的に見る――から抜け切れていないからです。

 倉山満氏は

≪ 自民党に代表される改憲派の致命的な欠陥は、当用憲法の改正しか考えていないことです。しょせん当用憲法はマッカーサーの落書きにすぎません。落書きをどういじっても、落書きは落書きです。ピカソにはなりません。ましてや葛飾北斎には絶対になりません。

 そもそも自民党は 「自主憲法制定」 を掲げて設立された政党です。「占領憲法の改正」 とは違います。なぜマッカーサーの落書きをいじることに終始して、自分たちの憲法を考えようとしていないのか、不思議なところです。

 憲法というに値しないマッカーサー占領基本法の三大原則(平和主義・人権尊重・国民主権)を墨守して 「日本国憲法」 を改正するなど、「戦後レジーム」 を固定することになるから間違いである。≫


 と言っています
(『間違いだらけの憲法改正論議』)が、同感するところです。


 ところで、「日本国憲法こそが戦後レジーム(WGIP体制)の正体であり、憲法の改正なくして戦後レジームからの脱却はありえない」

  という認識においては同じだけれども、「現憲法によっても国体は変わっていない」 と言う方があります。竹田恒泰氏です。

(竹田恒泰氏は旧皇族の生まれで、慶應義塾大学法学研究科講師・作家。『語られなかった皇族たちの真実』<小学館>で第15回山本七平賞受賞、『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』<PHP新書>がベストセラーになった)

 竹田氏は、

≪日本の国体は、戦前も戦後も(憲法が変わっても)、一貫して変わっていない。「主権者が天皇から国民に移った」 というのは間違いで、「君民一体」 「君民共治」 という国体は不変である。≫

 という。
(『日本人はいつ日本が好きになったのか』<PHP新書>)

 なぜなら、現憲法において、

≪ 第一章 天皇
第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。≫


 とあり、そのあと

≪第六条  1 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。

        2  天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

第七条  天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

一  憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二  国会を召集すること。
三  衆議院を解散すること。
四  国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五  国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。 (以下、六~十省略)≫


 とあって、内閣総理大臣を任命するのは天皇であるから、もし天皇が存在しなくなったら、内閣総理大臣も最高裁長官も成立せず、また法律を公布できるのは天皇だけであるから、天皇が不在となればすべての法律は公布できず効力をもつことができない。

 つまり、国民に主権があるといっても、立法・行政・司法のすべての機能は天皇がなければ動かない仕組みになっている。それは形式的なものであるけれども。

 だから、国家主権は天皇から国民に移ったのではない。主権とは 「国の政治のあり方を最終的に決める力」 であり、それは 「大日本帝国憲法」 においても、現行 「日本国憲法」 においても、君民が一体となり共に国を治める 「君民共治」 である。

 天皇と国民が一体となった姿 「君民一体」 こそが、戦前も戦後も変わらぬわが国の主権者の姿なのだ、という。
(『日本人の原点がわかる「国体」の授業』<PHP研究所>)


 ――日本国家の主権者は、帝国憲法でも現憲法でも一貫して変わらず、「君民一体」 にあるという竹田氏の説にも、説得力はあります。

 しかし、「国体」 というのは、国家主権のありかだけをいうのでしょうか。

 次に、「国体」 の定義を明確にしていきたいと思います。


 <つづく>

   (2016.8.20) 

298 「立憲主義」と「国体尊重」は本来同義である


 立憲主義とは Constitutionalism の邦訳語で、Constitutiion は constitute ――構成する、形成するという動詞の名詞化。構成、成り立ち、つまり国体(国がら、国のありよう)のことである。国体(国のありよう、Constitution)を明文化したものが憲法 Constitution でなければならない。「立憲主義」 と 「国体尊重」 とは、本来同義である。

 ところが、いまわが国で 「立憲主義」 と言えば、「占領憲法」 というべき現行 「日本国憲法」 を金科玉条としてこれを墨守すること、とする愚か者が多い。というか、高校教科書などでもそう教えているというのだから、なんとも情けないことである。

 ネット上で検索してみても、たとえば 白川真澄
(ピープルズ・プラン研究所運営委員)の言<※「市民の意見」144号(「市民の意見30の会・東京」、2014年6月1日)より転載>とあるのを引けば、

< 立憲主義とは、一言でいえば、個人の自由(人権)を守るために政府の権力(国家権力)を憲法によって制限する、ということである。国家権力に勝手なことをさせないように、憲法であらかじめ縛りをかけることだ、と言ってもよい。

 この社会では、政府は市民(自由な個人)どうしの合意と契約の上に成り立っている。これはある種のフィクション(作り話)ではあるが、みんなに承認された約束事であり、それに従って政治や法や市場経済の仕組みやルールも作られている。政府は市民の信託を受けて公共的なサービスを提供する仕事をするが、同時に強大な権力を手にしている。税金を取り立てたり、人を逮捕し拘束できる強制力である。そのため、政府は市民の自由を脅かしたり圧迫することに走りがちである。

 そこで、政府がけっして侵害してはならない個人の自由を、「人権」として保障することが必要になる。人権を守るために政府の権力行使の自由を制限するルールを定めたものが、憲法である。だから、よく読むと分かるが、憲法に書かれていることは、政府がしてはならない事柄や果たすべき義務なのである。思想・良心の自由、信仰の自由、言論・表現の自由、学問の自由などを保障する、つまり政府がこれらの自由を侵害してはならないと定めている。日本の憲法ではさらに第9条によって、政府が軍隊を持ったり戦争を始めること(交戦権)まで禁じている。政府の自由を制限するという立憲主義が、そこまで徹底している。>


 ――だから、安保関連法は憲法違反であり立憲主義に反している、ということになるのだろう。

 しかし、現行憲法がまず先にあって、日本国ができたのではない。現行憲法は、日本国三千年(少なくとも2000年以上)の歴史の中で、たった一度の敗戦、占領下に置かれたという70年前の異常な状態の中で、他国の占領軍の作った占領基本法ともいうべき英文草案を押しつけられ翻訳して作られた、わが国本来の Constitution (国体・憲法) とは言えないものである。

 つまり、現行憲法そのものが、非立憲的(Unconstitutional)憲法なのである。


 英国法では、中世における身分的社会の代表である議会と、特権的身分の最たるものである国王との緊張関係を背景として、王権を制限し、中世的権利の保障を目的とした古典的な立憲主義が成立した。

 フランスにおいては、17世紀、権力が王権に集中するようになり、君主は法の拘束から解放されているとする絶対君主制が確立し、国内における最高性を示すものとして君主主権の概念が登場する。それに対し巨大な権力である国家と対峙する、社会の最小単位としての個人という概念が成立した。(そして18世紀フランス革命が起きる)

 ヨーロッパの近代的立憲主義は、このような絶対君主の有する主権を制限し、個人の権利・自由を保護しようとする動きの中で生まれたのである。そこでは憲法は、権力を制限し、国民の権利・自由を擁護することを目的とするものとされ、このような内容の憲法が、立憲的意味の憲法といわれているようである。

 日本においても現在、立憲主義と言えばその西洋的立憲主義、つまり国家権力と対峙する国民の権利・自由を擁護するという人権主義をさし、ともかく現行憲法の精神を尊重することだと言っている者が多い。

 しかし、それは本来の正しい立憲主義とは言えない。
 昨日も書いたように、現行 「日本国憲法」 で謳う、「主権在民」 というのは、君主と人民が対立して権力闘争をし、人民が勝利したというような西洋の歴史的背景の中から出て来た思想であって、日本本来の不文憲法――国柄、国体にはなじまないものである。

 「明文憲法の上位に、古来からの根幹的な法制(国体、Constitution)がある。これから逸脱する変革を認めない」 ということこそ、特に日本における正しい本来の立憲主義である。そして、それこそが国民の幸福、福祉にかなう、正しい日本的民主主義だと思う。

 戦後70年を超えた今、われわれは西洋かぶれや占領ぼけの平和ぼけから脱し、世界の中で他の国にはない日本独特の珠玉のようなよき伝統を自覚しなおす時ではないか。そこに、かえって世界の混乱を救う道があるのではないか。

 <つづく>

   (2016.8.18) 

297 天皇陛下のビデオメッセージに思う(7) 天皇主権でも国民主権でもない「君民同治」が日本の不文憲法である


 「大日本帝国は万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」

 と、「大日本帝国憲法」(明治憲法) 第1条にある。

 それをもって、「明治憲法では国家主権は天皇にあって国民にはなかった」 という人があるが、事実ではない。

 実際は、天皇は憲法の枠内において国家意思を最終決定する機関的存在であって、統治権としての主権は天皇ではなく本来的に法人たる国家にある、とした東大法学部の美濃部達吉の 「天皇機関説」 が、法学界での一般的通説であった。

 大日本帝国憲法は、1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された、近代立憲主義に基づく日本の憲法である。
 その前、1868年(慶応4年=明治元年) 3月14日に明治天皇は京都御所紫宸殿に公卿・諸侯以下百官を集め、維新の基本方針を天地の神々にお誓いになった 「五箇条の御誓文」 を布告されている。すなわち

        御誓文

 一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
    (広く会議を開き、すべて政治は
     公明正大な論議の結果で決しましょう)

 一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ
    (治める者と臣民が心をひとつにして、
     盛んに国家統治の政策を実行しましょう)

 一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ
    人心ヲシテ倦マザラシメンコトヲ要ス
    (公家も武家も一つになり庶民にいたるまで、みなその
     思いを実現し、人々の心を湧き立たせることが必要である)

 一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ
    (古い悪習を捨て去り、宇宙の真理の道に
     基づくようにしましょう)

 一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ
    (知識を世界に求め、おおいに天皇国日本の基礎を
     振るい起たせましょう)

 とある。「上下心を一つにして盛んに経綸を行う」 というところにも、「君民同治」 あるいは 「君民共治」 という日本の理想としてきたすがたが表現されている。

 日本においては、君(天皇)は民を 「おおみたから」 として拝み給い、民は君を 「大君は神にしませば」 と拝み、 「終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ」 て来たのである。これは、西洋的民主主義を超えた、国民すべてをもっと幸福にする民主主義の理想であると思います。

 「君民同治の神示」 には、次のように記されている。

≪ 君民同治の神示

 国は人間生命の外延
(がいえん)である。それは身体が人間生命の外延であるが如くである。

 人間生命が神より生れたる神聖なるものであるという自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの神聖性を要求するのである。この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。

 しかも人は自己が無にして絶対であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於ても持つことを要求するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。

 身体も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。観る心の要請が身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。

 天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。即ち観る主体(民)が神聖であるから、観らるる客体である天皇が神聖なのである。

 観る主体(民)の神聖性が包まれ蔽われて混濁するとき、天皇の神聖性は蔽われて発現しなくなるのは其のためである。今の状態がそれである。

 人間は自己自身の神聖性の故に神造の国家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。天孫降臨とは人間自身すなわち民自身が天孫であり、神の子である自覚の反映にほかならない。

 かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。是を主客合一の立場に於て把握すれば主客一体であり、君民一体であり、民は君を拝み、君は民を拝む。

 民を拝み給う治は、君を拝むところの事
(じ)と一体である。治事一体であり、治めると事(つか)えるとは一体であり、君民同治である。

 天皇は絶対者にましますとは、観る主体たる人間(民)の絶対性より来
(きた)る。民が自身の絶対性の把握が破れるとき、その反映として国の絶対性と天皇の絶対性とは破れるのである。

 打ち続く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覚が破れたのが国家大権、天皇大権の一時中断の形をもって現れたのである。(<昭和20年> 12月28日)≫

 と。


 現行 「日本国憲法」 で謳う、「主権在民」 というのは、君主と人民が対立して権力闘争をし、人民が勝利したというような西洋の歴史的背景の中から出て来た思想であって、日本の不文憲法――国柄、国体にはなじまないものである。

 憲法問題について、私は、#5662 「わが国の最高の成文憲法は“天壌無窮の御神勅”である」(1~7)などで過去にたくさん書いている。

 現憲法は、実はアメリカ製で、「日本国憲法」という名に価しないものであるから、根本的に全面改正あるいは帝国憲法に復元して改正という手続きを経るのが正当であると思う。それについて詳しくは次回から書いてみたい。

 <つづく>

   (2016.8.17) 

296 天皇陛下のビデオメッセージに思う(6) ―イエス・キリストさながらの天皇陛下


 今日は71回目の終戦記念日である(1945年を第1回とすれば72回目)。日本にとって未だ曽
(かつ)てなかった敗戦記念日である。敗戦のときの(昭和)天皇陛下の御心を思い、皇恩に感謝して平和への決意を新たにする日でもありたい。

 さて、8月8日に公開された(今上)天皇陛下のビデオメッセージを拝して、陛下はイエス・キリストのようだと私は思う。

 「ヨハネ伝」 第13章には、イエスがこの世から父(神)のもとへ移るときが来たことを悟り、弟子達の足を洗われる話が記されている。

≪イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。

 こうして彼らの足を洗ってから、上着をつけ、ふたたび席にもどって、彼らに言われた、「わたしがあなたがたにしたことがわかるか。主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。わたしは手本を示したのだ。」≫


 ――足を洗うことは、当時、奴隷のする仕事であった。夕食の間、だれが一番偉いかと話しあっている弟子たちの前で席を立ち上がり、弟子の足を洗いはじめられたのだった。イエスはご自分が天に召される時が来たことを自覚し、弟子たちに対する愛を 「残るところなく」 示された。それが、弟子たちの足を洗うという行為であった。「残るところなく」 には、「最後まで」 という意味と 「最大の強さで」 という意味がある。

 天皇陛下は、2012年12月に心臓バイパスの大手術を受けられ、体力の衰えを感じられるようになった後にも、積極的に各地の被災者を激励訪問されたり、パラオやフィリピンの戦跡を慰霊訪問されたりもして来られた。それはいわば 「一粒の麦、地に落ちて死なば……」 のお気持ちであり、「残るところなく弟子たちの足を洗う」 キリストの愛のようなご行為ではなかったか。

 天皇陛下は、

≪ 私が天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。≫


 と述べられている。天皇陛下のお言葉には、「ヨハネ伝」 第12章~16章でイエスが

≪ 「もうしばらくの間、光はあなたがたとともにここにある。 光のあるうちに、光の子となるために、光を信じなさい。……わたしは光としてこの世にきた。

 「父(神)がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。

 「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

 「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(「われすでに世に勝てり」 )≫


 と言っているイエスの言葉のひびきさながらのものが感じられます。

 今日は日本の敗戦記念日ですが、私は #293 で(後半部分)、かつて大阪の熱心な信徒河合貞造氏が、9月27日を 「皇恩感謝の日」 とすることを提唱し運動されていたことを紹介させていただきましたが、その 「皇恩感謝の日」 は今日、8月15日でもよいのではないか。ともかく、天皇陛下の深いご御徳、御愛によって生かされていることに思いを致し、感謝し、陛下の御心をわが心とする日とさせて頂きたく思います。

 昭和天皇は、

 
「身はいかに なるともいくさ とどめけり 
    ただたふれゆく 民をおもひて」

 「降り積もる深雪
(みゆき)に耐えて色変えぬ
    松ぞ雄々しき 人もかくあれ」


 と歌われています。

 日本は敗戦したけれども、「戦争の一切の責任は自分にある」 と申し出られマッカーサーを感動せしめられた昭和天皇は、イエスが 「われすでに世に勝てり」 と言ったように、霊的に 「勝利者」 の自覚をお持ちになっていたと感じます。

 今上天皇陛下も、この昭和天皇の御心をしっかと受け継がれています。

 ありがとうございます。ありがとうございます。


 <つづく>

   (2016.8.15) 

295 天皇陛下のビデオメッセージに思う(5) ―“天皇の存在そのものが不文憲法”


≪ 天皇の存在そのものも一つの不文憲法といってよい。万世一統に継承されてきた皇位は、実は建国の理想として日本人が尊重してきた基本理念を象徴している。

 戦後日本が採用したアメリカ型の民主主義は統治の手段のひとつにすぎず、統治の理念、国家の目的ではない。民主主義も三権分立も意思決定の手続きであり、手続きをどんなに精緻に整えてもそこから国家の存立と発展の理念が生まれるわけではない。

 日本国の統治理念は 『日本書紀』 の巻第三に明示されている。それは、神武天皇が日向の国を治めたときの基本理念であり、東征して大和の国を立国したときの理念である。

 「慶
(よろこび)を積み、暉(ひかり)を重ねて、正しきを養い、さわに年所(とし)を歴(へ)たり」

 ―― 「慶(よろこび)を積み」 とは、民の生活を豊かにすること。「暉(ひかり)を重ね」 とは民の精神を向上させること。「正しきを養い」 とは正義にかなった統治を行うことを指す。

 神武天皇は、民生を安定させ、精神文化を向上させ、正しい統治の道を回復したが、わが国の建国の理念は、この三つに集約されている。

 この統治理念を示したのが三種の神器である。すなわち、民生の向上は玉に象徴し、精神の研鑽は鏡に、正義の実現は剣に象徴し、それを皇位継承の御印
(みしるし)にした。皇位の継承は、統治理念の継承を意味していたのである。≫

 ――宮﨑貞行著 『天皇の国師 知られざる賢人 三上照夫の真実』 (#189参照)に書かれている、三上照夫の講演録より――

 それが、「国師」 三上照夫の信念、主張であり、この考えは、三上に限らず、里見岸雄など国体論者の戦前からの共通見解であったという。


 生命は、秩序を創造する力である。国家は生命体であり、それには秩序をもたらす法がなければならない。秩序がなければ社会は混乱し、人間は幸福になれない。

 さて、すべての表現の前には心の動きがある。成文法の前には不文法があり、それが文字化されて成文法ができる。成文憲法の前に、不文憲法というべきもの――心の秩序が形にあらわれた不文法ができているのが自然のなりゆきである。

 そう考えた時に、上記三上照夫が言うところの

 「天皇の存在そのものが不文憲法」

 ということは、まさにその通りではないか。

 8月8日に公開された天皇陛下のビデオメッセージで、陛下は

≪ 私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。

 天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。(中略)

 私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。≫


 と述べられている。

 ここに、不文憲法が表現されている。1945年、米軍占領下にわずか1週間でつくられたアメリカ製英文憲法草案を押しつけられてできた現行成文憲法(占領憲法)には書かれていないところの、少なくとも二千年以上の伝統に根ざした、極めて重い不文憲法がここに表現されていると思う。

 われわれ国民は、深くこの天皇陛下のメッセージにあらわれたお心に思いを致して、憲法問題を考えるべき秋
(とき)であると思う。


 <つづく>

   (2016.8.14) 

294 天皇陛下のビデオメッセージに思う(4)


 昭和58年9月26日から5日間の皇居勤労奉仕に、「大東京光明奉仕団」 団長として参加した2日目、9月27日のことを #292 に書きましたが、その翌日、28日のことです。

 皇居内ご奉仕の日の朝は、当時 「皇太子殿下御成婚記念公園」 と呼ばれていた、皇居外苑にある和田倉噴水公園に生長の家の奉仕団員一同集合し、ここで 「大日本神国観」 の神想観をしてから坂下門をくぐって皇居に入りました。
 (赤坂東宮御所ご奉仕の日は東宮御所の御門前に集合しました)

 「大日本神国観」 では、招神歌を唱えて次のように念じます。

≪ 吾れ今、五官の世界を去って実相の世界に入(居)る。

 はるばると目路
(めじ)の限り眺むるに十方世界ことごとく神なり。吾れ十方世界を礼拝す。

 天よ、ありがとう。地よ、ありがとう。空気よ、ありがとう。火よ、水よ、温みよ、冷たさよ、天地一切のもの神の顕われであります。ありがとうこざいます。

 中央にスメラミコト
(一切を統べたまう澄み切りの中心者である天皇陛下)の御座(ぎょざ)あり、スメラミコト高御座(たかみくら)に坐し給う。

 皇祖皇宗の御神霊とともなり。

 これをめぐりて百官もろもろの司
(つかさ)あり、すめらみことに向かいて礼拝し奉行(ぶぎょう)し奉る。

 十方に八百万
(やおよろず)の神々あり、護国の英霊あり、十方の諸仏あり、諸天あり、スメラミコトに向いて礼拝し守護し奉る。

 スメラミコトの御座より御光
(みひかり)さし出でてあまねく六合(りくごう=くにのうち)に照り徹(とお)らせり。

 六合照徹
(りくごうしょうてつ)光明遍照、六合照徹光明遍照……

 すべての生きとし生けるもの、すべての青人草
(あおひとぐさ) スメラミコトを仰ぎ見て礼拝し讃嘆し感謝し奉る。

 天皇陛下、ありがとうございます。ありがとうございます。
 皇祖皇宗の御神霊、ありがとうございます、ありがとうございます。
 百官もろもろの司
(つかさ)様、ありがとうございます。
 十方、八百万の神々様、護国の英霊様、ありがとうございます、ありがとうございます。
 十方の諸仏・諸天様、ありがとうございます。ありがとうございます。……

 ……既に大宇宙の救済は成就せり。金波羅華
(こんぱらげ)実相の完全円満の相(すがた)、地上に隈(くま)なく反映し実現して中心帰一、万物調和の永久平和の世界今現ず。

 一切の生物ところを得て争う者なく、相食
(は)むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし。

 実相・現象 渾然
(こんぜん)一体、実相・現象 渾然一体……

 みこころの天に成る世界、既に地に成就せり、ありがとうございます。ありがとうございます。≫


 このときのことは、一緒に参加した白鳩会員・地方講師だった伊藤千古(ちこ)さんの、「御聖徳に包まれて」 と題する体験記が、『白鳩』 誌 昭和59年2月号に掲載されている中に書かれています。それを読むと、今から約33年前の、忘れかけていたことも思い出されます。
 以下、『白鳩』 誌昭和59年<1984年>2月号より、伊藤千古様のご文章です。

                ○

≪    御聖徳につつまれて
                         伊 藤 千 古 

 皇太子殿下御成婚記念の噴水公園に集合した生長の家皇居勤労奉仕団は、大東京光明奉仕団と名のり、岡正章東京第一教区副教化部長を団長として、「大日本神国観」の神想観から始まりました。

 お堀や皇居内の木々は雨に煙り、芝生は緑を深めて静かさを増し、天皇陛下の御聖徳の雰囲気にいよいよ近く足を踏み入れさせていただける感動に、満たされました。

 賢所
(かしこどころ)や皇霊殿のある神域の御門の前の松林や、その松林の中にある参集殿(大祭の折、お集まりになる皇族方のおひかえ所)の廻りを掃き清めて一日は終りました。

          *     *     *

 2日目は東宮
(とうぐう=皇太子殿下)御所の御奉仕でした。9月27日、この日は 「大調和の神示」 が天降った日でありまして、朝の集合のときこの神示を拝読しました。
 (以下、くわしく書かれていますが、#292 に書かせて頂いた拙文と内容がダブりますので、省かせて頂きます)

          *     *     *

 3日目はいよいよ天皇様にお会釈(お言葉)を戴く日でした。降りしきる雨の中、朝の集会の時 「大日本神国観」 をし、この日はまた、「“最後の審判”についての神示」 が天降った日でしたので、この神示を私が拝読させていただきました。

 11時頃、新宮殿の方へ列をなして行きました。途中、榧
(かや)の実が雨に濡れた路上に沢山落ちていて、通る人に踏まれ、実がつぶされ、あたりに香気がただよって、天子様の処へ導かれて行く様なよい香りでした。

 私は昨日、皇太子殿下、美智子妃殿下の御前で万歳三唱の音頭をとる人を決める時、岡団長が他の人に譲られたので残念の感を持ちましたが、

 「今日は天皇様の御前で 『天皇陛下万歳』 の音頭を取るのは、生長の家の岡団長以外にない。神はきっと岡団長に御指名下さる」

 と直観しまして祈りました。三百名位が新宮殿の東側の玄関に入りまして、5団体の5人の団長さんが話し合いで、万歳の発声音頭とりの役を決める時が来ました。

 私は自分の近くの二、三の同志と祈りました。

 やはり岡団長に決定しました。

 あとからお聞きしたことですが、この日の朝、岡団長は、目覚めたとき、「『天皇陛下万歳』 の発声音頭取りは自分がやらなければならない」 という思いが強くお腹の奥から湧いたのだそうです。そして5人の団長さんが話し合いで誰がするかを決める時、岡団長は、「私にやらせてください」 と申し出られたそうですが、他の団体の人が 「ジャンケンだ」 と言われたので、ジャンケンをしたら、岡団長が勝たれたのだそうです。

 やはり、神様からの御指名は既に決まっていたのです。

          *     *     *

 天皇様はお健やかに、お出まし下さいまして、間近に戴くお言葉に、私は魂の底から感激し涙にむせびました。

 『勤労に感謝いたします。皆の元気な姿に触れて大へん嬉しく思います。これからも益々元気で、社会のため、国のために、それぞれの仕事に励んでくれるよう希望します』

 との御言葉でした。

 私は天皇陛下の聖愛にひたってお言葉の一音一音を合掌で受け、魂がうち顫
(ふる)えておりました。陛下の大御心のこのお言葉に一国民としてお応えせねばならないのだ、と心に決めておりました。

 それはとりもなおさず、「生長の家」を一所懸命行じることだと、はっきり解りました。

          *     *     *

 天皇陛下のお言葉が終るや、岡団長の渾身の 『天皇陛下万歳!』 が捧げられ、私達も唱和して感激で一杯でした。

 この天皇様の真の有難さ、天皇様と一国民なる自分とのこの真の一体感のよろこびを解らせていただけたのは、「生長の家」の御教えあったればこそと、この上なく谷口雅春先生に感謝申し上げ、また、この御教えをいただけた自分に誇りと尊厳を感じ、親の恩、祖先の恩を深く感じました。

 家へ帰って、真先に祖先の前に礼拝し、『甘露の法雨』 を誦げました。≫


 (『白鳩』 誌昭和59年<1984年>2月号より)

                ○

 ―― 「お会釈(お言葉)」 を戴いたあとには、ご奉仕参加者の代表一人が発声の音頭をとって 「天皇陛下万歳」 を三唱するならわしになっており、その代表一人は各団体の団長が話し合って決めて下さいと宮内庁の担当者から言われているのですが、前日の9月27日、皇太子殿下(当時)・同妃殿下に

 「昭和20年の今日は、天皇陛下が戦後初めてマッカーサー元帥と御会見になり、
 『このたびの戦争について一切の責任は自分にあるから、自分はどのように処罰されてもかまいません。ただ、国民には罪はないので、国民が飢えないようにして頂きたい』
 と申し出られて、私たち国民を救って項いた日でございます。」

 と申し上げて絶句し、泣けてしまったことが思い返され、私はその日の朝、

 「今日の万歳三唱の発声は私がさせて頂くべきだ」

 という思いが強く湧き、結局その通りになったことは、伊藤千古さんが書かれている通りです。

 しかし、いざその場に立って陛下がおいでになるのをお待ちすることになったとき、私は自分を落ち着かせるために、瞑目して 「浄円月観」 の神想観で念ずる言葉から

 「神の無限の愛、この場に流れ入りたまいて、愛の霊光燦然と輝きたまう。この場に浄円月
(じょうえんげつ)の雰囲気ただよう。その雰囲気はやわらかく、あたたかく、浄く美わし。いまわれは平和と喜びに満ちてあり」

 と念じていました。陛下がお見えになったら、御足音でわかるだろうと思って、眼をつぶったまましばらく念じていたのです。

 ところが何の音も聞こえないまま、ふと目を開けると、もう目の前に天皇陛下は立っていらっしゃいました。びっくりしました。

 ―― 「天皇陛下のお言葉が終るや、岡団長の渾身の 『天皇陛下万歳!』 が捧げられ、私達も唱和して感激で一杯でした。」

 と伊藤さんのご文章にありますが、私はそのとき

<自分が今ここに立っているのは、天皇様の捨身の御愛のお蔭なのだ。ありがとうございます!>

 という腹の底から絶対感謝の思いを込めて 「渾身の 『天皇陛下万歳!』」 をさせて頂いたのでした。

 しかも私は合唱を趣味とし、発声練習で鍛えてあるので、スリムな体に似合わず、ふつうの人より大きくてとおる声が出るのです。「一声入魂」 宇宙に鳴りひびけとばかりに叫んだ 「天皇陛下バンザイ!」 の声は、本当に、霊的宇宙に鳴り響き、天皇陛下の御霊にも届いたと信じています。

 そのような有り難い体験をさせて頂いたことは、生長の家の御教えのおかげであり、祖先の導きによるものでもあったと、ただ感謝の思いとともに、身の引き締まる思いがいたします。

 伊藤千古さんは、そのあと4日目の9月29日のことについて、次のように書かれています。

          ○

≪ 4日目はやっと晴れました。

 台風一過、明るい陽ざしの中で、新宮殿のお庭や、中庭を案内され、芝生で休んでおりますと、宮廷の馬車が通りました。二頭だての馬車が、前後に十頭以上も馬の列をつらねて、足並みそろえて、古式ゆかしい情景でした。この日は諸外国の大使・公使が、信任状を天皇陛下に提出される式が行なわれる日で、近くのパレスホテルへ宮廷の馬車が、諸外国の大使・公使をお迎えに行く処でした。

 二重橋から新宮殿への道、新宮殿の前の広い石畳の東庭や宮殿の囲いの中の美しい植込みの南庭のお掃除をさせていただきました。

 私はこの4日間、私自身が一巻の絵巻物の中に描かれた人物の様な感じでした。
 日本人として、最も充実し、歓びと満足と感謝に満され、まことに天上界に遊歩する思いでした。≫


 と。

 これは、「大日本神国観」 で 「実相・現象 渾然一体」 と念じた、その通りの実現ではなかったか。

          ○

 天皇陛下のビデオメッセージそのものからはちょっと離れて、まずは私の胸に浮かび湧き上がるものを書かせて頂きました。

 そうした体験もふまえ、これから、天皇陛下のビデオメッセージを拝聴して考えさせられる、憲法の問題について、しばらく勉強をして論じてみたいと思っています。


   (2016.8.11) 

293 天皇陛下のビデオメッセージに思う(3)


 戦後はじめて昭和天皇がマッカーサー元帥とご会見になったときのことは、天皇ご自身はその御生涯で決して何も語られなかったが、「マッカーサー回顧録」 や、このとき昭和天皇に随伴した通訳・奥村勝蔵の記録などによって明らかとなり(#145参照)、ハリウッド映画 「終戦のエンペラー」 でその時の模様が再現され、いっそう世界中に知られるようになっている。

 「マッカーサー回顧録」 下巻には、次のように記されている。

≪……天皇の通訳官以外は、全部退席させたあと、私たちは長い迎賓室の端にある暖炉の前にすわった。

 私が米国製のタバコを差出すと、天皇は礼をいって受取られた。そのタバコに火をつけてさしあげた時、私は天皇の手がふるえているのに気がついた。私はできるだけ天皇のご気分を楽にすることにつとめたが、天皇の感じている屈辱の苦しみが、いかに深いものであるかが、私にはよくわかっていた。

 私は天皇が、戦争犯罪者として起訴されないよう、自分の立場を訴えはじめるのではないか、という不安を感した。連合国の一部、ことにソ連と英国からは、天皇を戦争犯罪者に含めろという声がかなり強くあがっていた。現に、これらの国が提出した最初の戦犯リストには、天皇が筆頭に記されていたのだ。(中略)

 しかし、この私の不安は根拠のないものだった。天皇の口から出たのは、次のような言葉だった。

 「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした。」

 私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽している諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした。

 私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じとったのである。(中略)

 天皇は日本の精神的復活に大きい役割を演じ、占領の成功は天皇の誠実な協力と影響力に負うところがきわめて大きかった。……≫



 ――その日は昭和20(1945)年9月27日で、

≪ 汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。汝が何物かに傷つけられたり黴菌(ばいきん)や悪霊に冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ。

 われ嘗
(かつ)て神の祭壇の前に供物(そなえもの)を献(ささ)ぐるとき、先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である。汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母(ちちはは)である。神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ。天地万物と和解せよとは天地万物に感謝せよとの意味である。本当の和解は互いに怺(こら)え合ったり、我慢し合ったりするのでは得られぬ。怺えたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ。感謝し合ったとき本当の和解が成立する。神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは天地万物と和解が成立せぬ。天地万物との和解が成立せねば、神は助けとうても、争いの念波は神の救いの念波を能(よ)う受けぬ。

 皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ。汝の夫又は妻に感謝せよ。汝の子に感謝せよ。汝の召使いに感謝せよ。一切の人々に感謝せよ。天地の万物
(すべてのもの)に感謝せよ。その感謝の念の中(うち)にこそ汝はわが姿を見、わが救を受けるであろう。われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる。われは此処(ここ)に見よ、彼処(かしこ)に見よと言うが如くにはいないのである。だからわれは霊媒には憑(かか)らぬ。神を霊媒に招(よ)んでみて神が来ると思ってはならぬ。われは愛であるから、汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕われる。(昭和6年9月27日夜神示)≫

 という 「大調和の神示」 の天降った昭和6年9月27日と同月同日であった。

 そのことを発見した経緯は、『生長の家』 誌 昭和47年2月号に、「奇しき因縁――“9月27日”と河合貞造氏のこと」 と題して、東山
(とうやま)半之助氏(元本部講師)筆で詳しく書かれている。

 それによれば、東山氏は昭和31(1956)年3月、当時生長の家ハワイ駐在講師としてハワイの地にあったが、その時“DOUGLAS MacARTHUR Reminiscences”(「マッカーサー回顧録」)がアメリカで発刊され、世界に大きな反響を呼んでいた。

 (日本では後に朝日新聞に半年にわたって連載され、昭和39(1964)年に津島一夫訳で上下2冊にして朝日新聞社から発行されるが、その数年前のことである)

 東山氏はハワイの生長の家誌友の子弟である学生3人に手助けを求め、図書館に通ってこれを翻訳してもらい、また昭和天皇がマ元帥を訪問された前後の記録資料を熟読した。その結果――

 
≪ 自分は大声で叫んだ。

 「アメリカ大使館への陛下の御訪問はたしかに9月の27日に間違いないか!」

 3人の学生は 「間違いない」 と答える。

 「そうか、陛下は9月27日に死地へ勇歩せられたか!」

 私は、大声で叫び、ワーッと人目もはばからず嗚咽した。

 茫然と私の泣くのを凝視していた学生3人も、

 「そうだ、9月27日は 『七つの燈台の点燈者の神示』 の日だ」

 と、同じようにワンワン泣き出した。≫


 と書かれている。

 東山氏はそれから半年後にハワイから帰国し、本部でこのことの報告講演をされる。

 昭和34年2月11日には、大阪の生長の家幹部で豪商の河合貞造氏に招かれ、「皇太子殿下ご成婚記念 紀元節奉祝大会」 で講演した。

 敗戦国の君主は、ほとんどすべて、命乞いをするか、海外に逃亡する。日本の天皇は、命乞いをせず、「一切の責任は自分一人にある」 と言った、唯一?の君主といえよう。マ元帥はそのことに深く感動し、回顧録で 「私の骨のズイまでもゆり動かした」 と書いているのである。

 東山氏は大阪での紀元節奉祝講演会で、その昭和20年9月27日の意義ある日について熱弁した。その日のことを、 『生長の家』 誌 昭和47年2月号には、美文調で次のように書かれている――

≪ 「……諸君が日常謹誦せられる 『大調和の神示』 の末尾にある神示霊受の日は 「昭和6年9月27日」 とあるが、わが天皇陛下がマッカーサー元帥の前に、万死怖れず堂々戦争責任を御自証せられたる其の日が、9月27日であった。神宇宙に遍満あらせ給う此の日に、此の神人一如の現証あり」

 と、感泣止め得ず壇上に泣けば、満場寂として、嗚咽の声と 「有り難うございます」 の唱和の声に満たされたのであった。≫


 と。
 
 この奉祝講演会を主催した河合貞造氏は、終りに、

 「我々国民が今日安住せるは、まさに9月27日天皇陛下の捨身殉忠のお言葉と御決意による。我々生長の家信徒は勿論、全国民は、この9月27日を以て、“皇恩感謝の日”と制定し、日の丸掲揚し、聖徳讃仰の挨拶を礼辞と致したい。自分は今後、この“皇恩感謝の日”運動を全国的に提唱し、献身する決心を致しました。満場の御賛同御援助を乞う」

 と述べられ、拍手喝采裡に解散した。

 その後河合氏は13年間、巨額の私費を投じて“皇恩感謝の日”制定運動に努力された。

 そして昭和47年9月27日は、天皇陛下のイギリス・フランス・ドイツ・オランダ・デンマーク・スイス・ベルギー等のヨーロッパ7ヵ国へ、親善交歓の御巡訪にご出発の日となった。ご訪欧は裕仁天皇にとって皇太子時代の大正10年(1921)以来50年ぶりのことである。

≪ 半世紀の永い久闊の交歓に、皇后陛下を御同行にて発翔の日が、また何と9月27日ではないか。神は宇宙に遍満し給う。自然にお定め遊ばした御鹿島立ちの日が9月27日とは。神意宇宙に満ちたまえり。

 かくて陛下は、9月27日朝、天地祝福の気満ちて羽田御発翔、同日夜アンカレッジ空港にて、ニクソン大統領夫妻の御出迎えを受け、御歓談の後、オーロラと御見送りを受けられてヨーロッパへ向われた。

 河合氏は8月下旬より体調の変化を感じて入院もされたが、この日までに当年度分の“皇恩感謝”の印刷物発送を終り、9月27日当日は、お店は休業にして、国旗掲揚と共に、両陛下御訪欧御発翔のお芽出度い奉祝の貼り出しをするよう、その案文まで考え、家族・使用人全員が店の前に参集して記念写真撮影をするよう、指示していた。

 ところが当日午後4時過ぎ頃から体調急変し、「陛下のアンカレッジお着きは、こちら(大阪)の何時頃になるか」 等尋ねたりしつつ、午後5時5分、急逝されたという。

 十数年“9月27日 皇恩感謝の日”制定に献身努力された河合氏が、その日を自分の命日とせらるるとは……新聞にのった、アンカレッジで御微笑の両陛下とニクソン大統領夫妻との写真を切り抜き、壁ぎわか欄干の横に、急行した河合貞造氏の影でも写っていないかと、凝視しているのである。≫


 と、東山半之助氏はユーモアを交えて結ばれている。

       ○     ○     ○

 前項 #292 で 「わが内なる 天皇様・皇后様」 と題し、平成元年12月号 『白鳩』 誌に掲載された拙文は、偉大な業績を残された昭和天皇様がその年1月に崩御され、新帝が即位されたばかりの時に、新帝もまた日本天皇の無私の愛と祈りに徹した素晴らしい御存在であることを讃え感謝を献げたいために書かせて頂いたものでした。だから前掲の文章の後には、昭和50年、当時皇太子・同妃殿下として、沖縄海洋博を機に名誉総裁として訪沖されたときの感動の体験(#208参照)を書いています。

 実は、前項に書いた昭和58年9月26日から5日間の皇居勤労奉仕では、その3日目に、私にとっては忘れることのできない感動の体験がありました。赤坂東宮御所ご奉仕の翌日、皇居で昭和天皇様のお会釈を頂き、私が陛下の御前で 「天皇陛下万歳」 三唱の音頭を取らせて頂いたときのことです。

 そのことについては今まで書いていませんでしたので、それを、次に書かせて頂きたいと思います。


 <つづく>

   (2016.8.10) 

292 天皇陛下のビデオメッセージに思う(2)


 天皇陛下のビデオメッセージを拝聴したとき、思い浮かぶのは、かつて陛下が皇太子殿下であられた昭和50年代の、二つの出来事でした。

 まず、近い方から――

 昭和58(1983)年9月27日、赤坂東宮
(とうぐう=皇太子殿下)御所に勤労奉仕に赴いたときのことです。これは、当時の記録をもとに、『白鳩』 誌 平成元年(1989年)12月号に次のように書いています。

≪  わが内なる 天皇様・皇后様
                          岡 正章 

 昭和58年9月27日は、私にとって忘れられない日である。

 そのとき私は東京第一教区の副教化部長であったが、9月26日から5日間、同志44名で 「大東京光明奉仕団」 という名称の奉仕団を結成し、皇居の清掃奉仕をさせて項いた。27日はそのうち赤坂東宮御所(皇太子・同妃殿下お住まいの御所)の奉仕をさせて項いた日であった。

 その日、台風の接近で朝から小雨模様であった。合羽
(かつぱ)を用意して、午前中約30分くらい奉仕作業をさせて頂いたところ、雨が強くなったので休憩所に引き上げた。

 すると11時半ごろ、皇太子殿下・同妃殿下(現在の天皇・皇后両陛下)のお会釈
(えしやく)(ご挨拶)を賜るということになり、作業衣のままで 「楢(なら)の間」 という絨緞の敷かれた立派な部屋に導かれる。

 この日は3団体約120人ほどが赤坂御所の奉仕に来ていたが、私たち東京の奉仕団は入口に最も近い所に並んでいた。両殿下は、御入室になるとまず私たちの前に立たれた。一同礼をし、団長の私からご挨拶を申し上げた。

 「私たち大東京光明奉仕団、44名でございますが、昨年に続いて2度目のご奉仕をさせて頂きました」

 すると皇太子殿下が、やさしく、

 「2回目でしたか。ご苦労さまでした。皆さんは何をしていらっしゃる方ですか?」

 と質問された。

 「『生長の家』 でございます」

 とお答え申し上げると、両殿下はお顔を見合わせてにこやかにうなずかれた。

 「生長の家」 をよくご存じのようであった。

 「皇恩に感謝せよ、というのが生長の家の教えでございますが、その神示の天降った日が昭和6年の今日、9月27日でございます。そしてまた昭和20年の9月27日は、天皇陛下が戦後初めてマッカーサー元帥と御会見になり、

 『このたびの戦争について一切の責任は自分にあるから、自分はどのように処罰されてもかまいません。ただ、国民には罪はないので、国民が飢えないようにして頂きたい』

 と申し出られて、私たち国民を救って項いた日でございます。」

 こう申し上げかけると、私は熱いものがこみあげて絶句し、泣いてしまった。

 するとそれが伝染したかのように、大勢の人たちが泣き出したのである。

 両殿下は、うなづいて、にこやかな笑みをたたえたまなざしを一人一人に注がれ、後列にいた者にも、のぞき込むように目と目を合わせて、お会釈を賜った。

 そのときの涙に溢れた感動は、言葉では言い表せないものがある。参加したすべての者の胸にやきついて、終生忘れ得ぬことであろう。(後略)≫

 (『白鳩』 誌1989年<平成元年>12月号より)


 <つづく>

   (2016.8.10) 

291 天皇陛下のビデオメッセージに思う(1)


 私は天皇陛下と同じ昭和8年生まれです。今上天皇が皇太子殿下の時代を半世紀以上ご一緒に、この日本国に生かされ、格別親しみ深く敬愛の思いをもって青年・壮年時代を生きてまいりました。天皇陛下となられてからは28年です。

 ですから、このたびのビデオメッセージを拝聴して、深く切実な、そしてご誠実で強いお心が、身にしみて心に響きます。

 私の小学校時代は戦時中で(小学6年の8月終戦)、天皇陛下は現人神
(あらひとがみ)と教えられてきました。しかし昭和21年(1946年)1月1日、「新日本建設に関する詔書」が渙発され、昭和天皇は

≪朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ≫

 と述べられました。これは一般に 「天皇の人間宣言」 とも言われていますが、この詔書のどこにも 「今まで朕は神であったが、今日から人間になるぞ」 というようなことは書かれていません。冒頭に、明治天皇の 「五箇条の御誓文」 を掲げられ、

≪ 一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
   一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ
   一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦マザラシメンコトヲ要ス
   一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ
   一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ

 叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民挙ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。 ≫


 とあって、民主主義はもともと日本にあったものだから 「又何ヲカ加ヘン」 ――何もつけ加えたり変えたりすることはいらない。

≪我ガ国民ガ現在ノ試錬ニ直面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克(よ)ク其ノ結束ヲ全ウセバ、独リ我国ノミナラズ、全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。夫レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努力ヲ効(いた)スベキノ秋(とき)ナリ。 ≫

 とおっしゃっているのであります。つづいて、

≪ 惟(おも)フニ長キニ亙レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動(やや)モスレバ焦燥ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ、道義ノ念頗(すこぶ)ル衰ヘ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵(まこと)ニ深憂ニ堪ヘズ。

 然レドモ朕ハ爾等
(なんじら)国民ト共ニ在リ。常ニ利害ヲ同ジウシ休戚(きゅうせき=喜びと悲しみ)ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延(ひい)テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。

 朕ノ政府ハ国民ノ試錬ト苦難トヲ緩和センガ為、アラユル施策ト経営トニ万全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ、我国民ガ時艱ニ蹶起シ、当面ノ困苦克服ノ為ニ、又産業及文運振興ノ為ニ勇往センコトヲ希念ス。我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相倚
(よ)リ相扶(たす)ケ寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ、能(よ)ク我至高ノ伝統ニ恥ジザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。

 斯ノ如キハ、実ニ我国民ガ、人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲ為ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。一年ノ計ハ年頭ニ在リ。朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一
(いつ)ニシテ、自ラ奮ヒ、自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾(こいねが)フ。

 御 名 御 璽

   昭和二十一年一月一日≫


 とあるのであります。

 今上天皇陛下のこのたびのビデオメッセージで、

≪私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。

 天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。(中略)

 私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。≫


 と述べられています。「象徴天皇」 とは、単なる飾り物ではない、という極めて深く強い御自覚に立たれている。

 これはまさに昭和天皇が昭和21年(1946年)「新日本建設に関する詔書」 で述べられた 「然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ。常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス」 というお気持ちをそのまま、極めて誠実に受け継いでいらっしゃる表明である。

 そしてその天皇と国民の結びつきが永遠に続いて行くことをひとえに念じて、自分の気持ちを述べた、とおっしゃっていることが、とても重いことであると思います。

 世界に類のない、このありがたい 「天皇」 という御存在。

 これは人類の宝、世界の宝である。

 このビデオメッセージは、今後の皇室典範だけでなく、国のありかたの基本を明文化する憲法を考えるためにも、重大な問題提起といいますか、「公案」 のようなものになるのではないでしょうか。

 今の 「日本国憲法」 は、アメリカが日本占領中の全能的な軍政中の政策として押しつけたアメリカ民主主義の日本への上陸であるから、「主権は国民にありと宣言し……」 というように書かれているが、これは日本の伝統的な国のあり方、「君民一体」 の国がら、国体に反するものであり、本当は日本国の憲法とは言えないものではないか。

 <つづく>

   (2016.8.9) 

290 天国からの“スリーパー・セル”よ、目覚めよ。(4)


 谷口雅春先生著 『光明道中記』 「十月 その身まったし」 の扉裏の言葉に、次のように書かれている。

≪     保 身 の 術

 あらわれて出ることだけを知って隠れることを知らない者は自己を滅ぼすものである。緊張ばかりを知って弛緩の道を知らない者も自己を滅ぼすものである。昼のみあって夜なきときは人はついに滅びてしまうであろう。

 みずからを護る術を知る者はよくみずからを隠匿する者である。水遁
(すいとん)、火遁(かとん)、自由自在にして、変幻出没するものでなければ、大をなすことは出来ない。

 嘗て大本教が破滅し、「ひとのみち」 が崩壊したのは、その教義のなかに適しない点があったのでもあろうが、その適しない点が露骨に表われて来て天下の耳目を惹いたのは、あらわれて出ることだけを知って、隠れる道を知らなかったからである。それらの教は、或は 「時節には勝てんぞよ」 と教え、「急ぐは事を壊
(やぶ)る」 と教えながら、みずからの教団全体の動きが自己を顕すに急であって、隠れることを知らなかった。

 保身の術は自ら韜晦
(とうかい=自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと)して顕れざる位置に隠れ、人を押し上げて人をも生かし、自分をも生かすのである。自分が暫く顕れることを焦ったために、自分自身が出る杭として壊滅するのみかは、自己に頼っていた幾十万の人々を帰趨する処なからしめる。……≫

 と。

 『老子』 に、「和光同塵
(わこうどうじん)」(光りを和らげ、塵に同ず)という言葉がある。「光」 は才気、「塵」 は俗世間のこと。

 孔子もかつて周に旅して 「礼」 を老子に問うた。老子は 「汝の驕気と多欲と態色と淫志とを去れ。これ皆汝の身に益なし」 と教えた。この叱教を得た孔子は同伴の門人に、

 「鳥は我そのよく飛ぶことを知る。獣は我そのよく走ることを知る。魚は我そのよく泳ぐことを知る。これら飛ぶ者、走る者、泳ぐ者に対してはそれぞれこれに施すべき術
(すべ)もあるが、ただ竜のみは変幻出没、端倪(たんげい)すべからず(見当がつかない)。いま老子に会ってみると、まさに竜のごとき人と思う」

 と言ったという(諸橋徹次著 『老子の講義』 序文より)。


 「和光同塵」 は仏教では、仏や菩薩が仏教の教化を受け入れることのできない人を救うために、本来の姿を隠し変えて、人間界に現れることをいうのだそうである。

 これぞ、「天国(浄土)からのスリーパー・セル」 ではないか。


 わたしたちはみんな、天国から天降
(あまくだ)ってきた、“眠れる獅子”ならぬ 「眠れる神の嗣子(しし=世嗣ぎ、ひとり子)」 であり、変幻自在の菩薩、スリーパー・セルだったのです。「スリーパー・セル」 と決めつけられたら、よろこんで自尊の思いを深め、いっそう菩薩行に励みましょう。

 わたしたちは、「眠れる神の嗣子(しし=世嗣ぎ、ひとり子)」 として、目を醒ます時が来たのです。

 獅子は、獅子吼します。

 < 「獅子吼
(ししく)」 = 釈尊が説法する様子を獅子のほえる様子にたとえたもの。釈尊が大衆に恐れることなく説法することをいう。漢訳仏典では 「師子吼」 と書くのが通例である。>
 (ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より)

 < 獅子吼とは、相手が誰であろうとひるむこと無く、正しいことを言う勇気ある姿勢をいいます。百獣の王ライオンは勇敢な動物ですので、その勇気ある姿勢から 「獅子吼」 と言っています。

 お釈迦さまは、獅子吼をする弟子を大変褒めていました。

 王様や大臣といった人達や、ならず者に対しても、ひるむこと無く正しいことを話しをした報告を聞くと、お釈迦さまは大変褒めらました。

 はじめもよく、中ころも良く、終わりもよく、整然かつ丁寧で上品な態度で、正しいことを勇気を持って話しをすることこそ 「獅子吼」 になります。

 お釈迦さまも獅子吼を常日頃からされていました。「如来は嘘を言わない」 存在ですので、問われれば、かならず本当のことをお話されました。>
 (ネットより http://www.bukkyouoshie.com/budda/sisiku.html)


 谷口雅春先生は 『維摩経解釈』 で、次のように説かれています(6頁)。

≪(維摩経原文)衆に知識せられて、大智の本行皆悉く成就せり。諸仏威神の建立する所なり。法城を護らんが為に、正法を受持し、能く師子吼して名十方に聞ゆ。衆人請わざれども友として之を安んじ、…(後略)…

 (ご講義)すなわち此の説教聴聞に集って来た人たちは広く衆
(おお)くの人に知られている知名の人たちばかりが聴衆だというのであります。しかも、「大智」 即ち仏陀としての、「本行」 即ち根本的な正しい行を修行して卒業した人ばかりだというのであります。従って、そういう人たちには諸仏の権威・威力というもの、神妙不可思議な力が、その人に宿って、その人の人格を立派に建立しているのであります。

 これらの大衆は法城(真理宣布のサークル)を護らんがために正法(仏法の正しい真理)を受け保って、師子吼することのできる人たちばかりであるというのであります。

 師子吼は獅子吼であって、百獣の王であり、仏の座席を尊んで 「師子座」 といいます。その師子座に坐って大説法を行うのが獅子吼をするというのです。

 その名は十方に聞えて知らざる人なき著名の人たちであり、人からの要請がなくともみずから進んで、悩める人々の友となり菩薩行にはげむ人たちばかりなのであります。≫


 #286 にも書きましたように、谷口雅春先生著 『ヨハネ伝講義』 には、次のように説かれています。

≪ 世を照らす光がやって来た。それはお前の生命の中に宿っているではないか。その光を見よと云うのであります。

 見ると云うことは知ることであり、知ることが信ずることなのであります。

 「其の名を信ぜし者」 即ち自己の実相を 「神のイノチ」 であると、如実に 「知った者」 が神の子なのであります。

 それを如実に知るまでは、神の子は神の子であっても、赤ん坊のときから羊の子の群に入れて育てられていたライオンのようなものであって、自分の周囲のすべての者がすべて羊の顔をし、羊のやさしい声を出しているものだから、自分も羊だと思っていると云う 『法華経』 にある喩(
たとえ)の通りに、迷いの世界に生活していると、自分も迷いの人になって凡夫だと思っている。

 ――しかし山奥から、ライオンの声がきこえて来ると、内在のライオン性が出て来て、ライオンの子は自分の本性を自覚する。それと同じく、宇宙の創造者たるコトバが自分の生命だと云う自覚をもったキリストの声をきき、知り、信ずるものは自分もまた神の子となれるのであります。≫


 眠れる神の嗣子(しし=世嗣ぎ、ひとり子)よ、目覚めよ。

 わたしたちが神(仏)の嗣子として目覚め、獅子吼すれば、すべての眠っていた(羊の子だと思っておとなしくしていた)神(仏)の嗣子たちが、その本来のすがたに目覚めて共に獅子吼を始めるでしょう。

 もう一度言います。わたしたちはみんな、天国から天降
(あまくだ)ってきた、“眠れる獅子” ならぬ 「眠れる神(仏)の嗣子(しし=世嗣ぎ、ひとり子)」 であり、変幻自在の菩薩であり、「スリーパー・セル」 だったのです。

 「スリーパー・セル」 と言われたら、よろこんで自尊の思いを深め、それぞれの場で菩薩行に励みましょう。獅子吼をしましょう。


   (2016.8.7) 

289 天国からの“スリーパー・セル”よ、目覚めよ。(3)


 今日8月6日は、71年前広島に原爆が投下された日です。

 ふだんあまりテレビを見ない私ですが、昨夕はNHKのニュース番組 「シブ5時」 (?)を見ました。

 広島の原爆資料館を、高校生などが見学に訪れ、3歳の子が被爆直前まで乗っていた三輪車とか、胸も背中も爛れて亡くなった娘の、ぼろぼろになった衣服などを見、 「こんな爆弾を人間が落としたとは……と絶句する若者の姿などを見て、私も思わず涙が出ました。

 戦争と平和を考える世界中の心ある人々が、第二次世界大戦における悲劇の証拠として、ドイツ(ポーランド)のアウシュビッツ強制収容所とともに、広島・長崎の原爆資料館を訪れるという。

 人間は、なぜ戦争をするんだろう。……悲しくなります。

 今日は、相愛会東京第一教区で 「シニア学習会」 というのがあります。毎月1回、月初めの土曜日に、70歳を超えた相愛会員たちが谷口雅春先生の 『光明道中記』 をテキストとして、深く突っ込んだ研鑽をしているのです。

 参加者はみんな予めテキストを読んで考えをまとめてくることが課題になっているので、私も再読三読しています。今月は、「八月 烈日に伸びる」 というところが宿題です。

 その 八月一日から八日のところまでのご文章から、抜粋謹写させて頂きます。


≪   八月一日 神想観に心浄まる日

 多くの人たちは今まで幸福を、健康を、供給を、財福を、すべての善きものを、外部にもとめて来た。しかしイエスの言ったように 「神の国は爾
(なんじ)の内にあり」 であったのである。爾とは私であり、諸君であり、すべての人であり、衆生である。

 ……吾々は此の世界の中に生れたのかと思っていたら、吾々の超空間的な 「心」 の中に空間的な此の世界が浮んでいるのだ。神想観をしているうちに此の超空間的な存在であるところの 「我」 が自覚出来てくる。澄み切った虚空と一体の 「我」 である。否、虚空が 「我」 が内にある。一切が 「我」 が内にある。今、そして此処に一切が有るの自覚である。

    八月五日 神がすべての日

 神が遍在でましますこと、何処にでも在ますこと、一切のところに、一切の空間を貫いて、どんな密閉した部屋の中にでも、どんな固い鉱石の中にでも神が充満したまうこと。従って、自分の肉体の中にも、骨の中にも、髪の毛の中にも神が満ちて在
(い)ますこと。

 自分の中に斯く満ちて在ます神と、宇宙の何処にでも満ちて在ます遍在の神とは、唯ひとつの神にましますこと。このことを今日の神想観のときには眼を瞑ると直に繰返し念じて、神のほかに何も無い、神のみが在すのだと云う深い信念が湧き出るまで念じつづけること。

 このほかには私にとって念ずべき何物もないのである。神はすべてである。先ずそのすべてにましますところの神を心の中に深く知ることはすべてを心の中に得ることである。「心」の中に三千世界は蔵されているが故に、「心」の中にすべてを把めば、全てのものはすでに吾がものである。

 欲張っては可
(い)けない。欲張るのは、なお自分の中にすべてが存在することを悟らない近視眼者であるからである。すべてが自分のものと云うのは全部が自分の肩にかかってくると云うことではない。必要に応じて現われ、用足りて姿を消す極楽の境涯である。

     八月六日 娑婆即寂光土
(しゃば そく じゃっこうど)と悟る日

 「世界に非道が充ちていると云うことは、歴史と同じようにそれよりも更に古い文学さえも同じように、否あらゆる文学中の最も古きものなる祭司の宗教と同じように古い嘆きである」 とカントは言っている。

 けれども生長の家は世界には何ら非道なことは存在しないと言うのである。それは存在するものは 「道」 ばかりであるから、それが少くとも存在する限りはそれは 「善」 であり、それが 「善」 でない限りに於て、それは如何に存在するように見えようとも、それは 「非道」 即ち 「道の欠乏」 「道の無」 をあらわしているに過ぎないとするのである。

 凡て心の眼を開いて見れば 「悪」 なるものは存在しない。これ第一にして最後の真理である。

     八月七日 善のみを視る日

 今日いちにち自分の前に立つ人を、必ず善人であると信ぜよ。如何なる不快なる相
(すがた)をもってあらわれようとも、その不快なる相は、現在又は過去に於て自分のどこかに潜んでいた不快な心の反映であると信じて自己を省みよ。そして相手の奥にある真実相を見て敬し、礼し、拝め。

 自己には峻厳であり、他には寛大であれ。自己に峻厳で、他に対して寛大なのは、自己は峻厳に耐え得る強さがあり、他は峻厳に耐え得る強さがないと思い上るからではない。人は既に完全であるのに、その完全なる相が自分の眼に映じないのは、自分の心の眼が曇っているのであるとして、責任を自己に帰し、自己の現在の愚かさから自分自身を脱却せんがためである。

 人の悪を指摘して改心せしめようとする場合には腹立った声、憎む表情――そんなものを伴うならばこれを指摘しない方が好い。

 相手のために倶
(とも)に泣き得る底(てい)になったときにのみ、相手の悪を指摘してもそれは 「咎(とが)められている」 と云う感じを持たないで相手を改心せしめ得るであろう。人間は 「咎められている」 と云う感じを持ったとき、魂を閉じて全く相手の忠告を受けないのである。

     八月八日 倶
(とも)に泣く日

 「倶に泣く」 と云う感じは自他一体の感じであるから、しみじみと有難く感じられる。「咎
(とが)める」 と云う感じは自他分離の感じであるから、有難く感じられないのである。

 「倶に泣く」 と云う感じは、軽蔑感から来るのではなく、本来あるべき筈の尊厳の境地を尊ぶことを前提として、その墜落を倶に悲しむのであるから、素直にスラスラと受容れられる。

 人間がよくなるためには自尊の念を必要とする。自尊がなければ自暴に陥る。自暴に陥れば改善とか改悛
(かいしゅん)とか云うことはあり得ない。自尊は他敬によって養われるのである。「咎める」 言葉が不結果を招く原因は、こんな所にもあることが判るのである。

 人の悪を咎めるよりも、自己が倶
(とも)に泣くの愛の欠乏していることを恥じよ。「愛」の中にこそ聖泉がある。それは智慧が如何に斫(き)り開いても発見することの出来ないところの聖泉である。その聖泉に身をひたすとき、一切の不完全は癒やされるのである。

 みんなと倶
(とも)に泣こう。悲しめる人は倶に泣くことによって癒やされるであろう。多くの病める人も倶に泣くことによって癒やされるであろう。≫


 ――上記の中でも特に今日の8月6日のお言葉で、

≪凡て心の眼を開いて見れば 「悪」 なるものは存在しない。これ第一にして最後の真理である。≫

 というお言葉に、打たれます。神のほかに何も無かったのでした。

 わたしたちはみんな、天国から天降
(あまくだ)ってきた、“眠れる獅子”ならぬ 「眠れる神の嗣子(しし=世嗣ぎ、ひとり子)」 スリーパー・セルだったのです。「スリーパー・セル」 と決めつけられたら、よろこんで自尊の思いを深め、そして 「スリーパー・セル」 と言われている人みんなと 「倶に泣く」 の愛を行じましょう。

 わたしたちは、「眠れる神の嗣子(しし=世嗣ぎ、ひとり子)」 として、目を醒ます時が来たのです。


   (2016.8.6) 

288 天国からの“スリーパー・セル”よ、目覚めよ。(2)


 われらの祈りと行動は、「みすまる宣言」 に明記している通り、

≪ ○ 天地一切のものは、(実相において) すでに和解し調和している。

  ○ 生長の家とは、建物の名ではない。「和」 の名であり、「愛」 の名である。(『光明道中記』 34頁より)

  ○ 分裂がない、対立がないのが生長の家であります。

  ○ だから、生長の家は永遠なのであります。

  ○ 『生命の實相』 は、ただただ天地一切のものがすでに大調和している生命のほんとの相
(すがた)を、讃えに讃えて書かれているのであります。

 「龍は天高く昇り、その眼は遙か遠くまで見渡す。孤立しているように見えても、高い志で理想を説き続けていけば、同志は自然に集まってくる。」

 ――という信念、祈りにもとづいて行動する。

 イエス・キリストが

 「み心の天に成るがごとく、地にも成らせ給え」

 と祈るように教えた、 その 「み心の天に成る」 神の国は、すでに一切のものが一つのいのちの分かれとして協力し合い、大調和している世界である。

 その 「神の国」 は、神のみ心(実相世界)においてすでに成就しているから、それはやがて必ず顕れざるを得ないのである。

 それを信じ、「一切は自分である」 との自覚のもとに、内なる神の み声を聴きつつ、行動してまいります。≫


 ということであります。

 しかしながら、生長の家の現状は、分裂・全面戦争状態のようになっています。

 米国のヒラリー・クリントン大統領候補が、民主党大会での指名受諾演説で、

 「固い意志を持ち、テロを断乎として掃討する」

 と宣言したのと同様の調子で、

 「日本会議や谷口雅春先生を学ぶ会のスリーパー・セルを掃討する」

 みたいなことを雅宣総裁が言って、戦いを挑んでいらっしゃる。

 ――と、私にはそう見えます。

 もう、この動きは止めることができないでしょう。なぜなら、業の慣性があるからです。


 イエス・キリストは言っています。

≪人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。

 人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。

 赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。≫


 と。しかし、それができないとすれば、必ずその反動がやってきます。

 それは、テロを軍事力で押さえ込むことができないのと同じです。

≪無明(まよい)の自壊作用がないのに光明遍照の楽土が来るなどと甘いことを思うな。……この二つの運動の衝突は避けられぬ。時機は迫っているのに、まだヒノモトの使命を知らぬ者があるのは歯痒(はがゆ)い。本当の愛は甘えかす愛ではない。戦いの愛である。≫(梅の花の神示)

≪今は過渡時代であるから、仮相
(かりのすがた)の自壊作用として色々の出来事が突発する。……迷いと迷いと相搏(あいう)って自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起るであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。≫(声字即実相の神示)

 と、神示にもある通りであります。

 わたしたちは、天国から降
(くだ)ってきた 「眠れる神の嗣子(しし=世嗣ぎ、ひとり子)」 スリーパー・セルだったのです。今、目を醒ます時が来たのです。

≪初めに言(ことば)があった。言は神であった。……言(ことば)は肉となって、わたしたちの中(うち)に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。≫(『ヨハネ伝』第1章)

≪ ……父は御子を愛して、万物をその手にお与えになった。御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」。≫(同第3章35~36節)


 上記について、谷口雅春先生は 『ヨハネ伝講義』 で次のように説かれています。

≪「父は御子を愛し、万物をその手に委ね給えり」 父とは神であり、御子とはキリストであり、神性である。人間に 「内在のキリスト」 を与え、神性を与えて、それによって万物を支配する力を与えられたのである。

 「人間みな神の子である」 と云う宣言を信じたものは結局 「コトバ(神性)は肉体となりて我らの中に宿りたまえり」(第一章)と云う 「内在の神の子」 を信ずることになる。そうすると、吾々人間に万物をみな委ねられている――一切を自分の自由に支配し得ると云うことになるのであります。

 ……それを自覚していないもの、内在の神性の導きに従わぬもの即ち、「御子に従わぬものは生命を見ず、反
(かえ)って神の怒りその上に止(とどま)るなり」 と云うことになるのであります。

 「神の怒り」 と申しましても神が怒ると云う意味ではないのであって、人間の運命と云うものは 「類を以て集まる」 と言う心の法則、麦を蒔けば麦が実ると言う因果の法則によって、自分の心が神の子の実相の催しに従わなかったならば、実相円満の姿が現象界に現れず、仮相の不自由な相
(すがた)、不快な相(すがた)というものが客観世界に相(すがた)を現して来るものであると云うことを擬人法を以て 「御子を信ぜぬ者は生命を見ず、却って神の怒りその上に止(とどま)るなり」 と書かれているのであります。≫

 と。


   (2016.8.4) 

287 天国からの“スリーパー・セル”よ、目覚めよ。(1)


≪ 眠れる神の嗣子(しし=世嗣ぎ、ひとり子)よ、目覚めよ。

 日本人みんなが、目を醒ます時が来たのです。生長の家信徒、そしてすべての人が、「神の子」 として目を醒ます時が来たのです。≫


 と、わたしは前項 #286 に書きました。

≪ われらは皆 「神のひとり子」 であり、組織の助けというパラシュートをつけなくても、神の守りによって、安全に飛行機からでも崖からでも跳び降りることのできる、何でもできる主人公なのであります。「眠れる獅子」 ならぬ 「眠れる神の嗣子」、 「眠れる神の子」 スリーパー・セルだったのであります。

 「スリーパー・セル」 というのは、ほめ言葉だった、エールだったと考えることができましょう。≫


 とも。

 「スリーパー・セル」 というのは、谷口雅宣・生長の家総裁が、6月17日谷口雅春大聖師31年祭でのご挨拶で使われた用語です。ネットで検索したら、

 「スリーパーセル、潜伏細胞、潜伏工作員 ◆ 長期間一般市民のように生活し、テロ組織から指令を受けたら活動するテロリスト。」

 と、ありました。

 「テロリスト」 は 「政治上の暴力主義者。テロリズムを奉ずる人」。

 しかし、「スリーパー・セル」 というのは 「眠れる細胞」 であって、本来 「暴力主義者、テロリスト」 という意味はない。

 総裁のブログ 「唐松模様」(6月17日)には、次のように書かれている(機関誌『生長の家』の最新号<平成28年8月号>にも掲載されている)。

≪ イスラーム原理主義にもとづくテロリストの戦術として、英語で 「sleeper cell」 と呼ばれるものがあります。「sleep」 は 「眠る」 という意味で、「cell」 は 「細胞」 -- 「眠れる細胞」です。政治学の分野では「細胞」は政治組織の最小単位のことであります。

 「sleep」という語も、スパイなどが自分の本当の身分や意図を隠しながら、一般市民の中で静かに、ごく“普通に”していることも意味する言葉です。ですから、「sleeper cell」 は 「所属する組織の本当の目的を秘匿して、大衆の中で普通の市民として暮らす単位組織」 という意味になります。……

 この “スリーパー・セル” が私たちの運動の中にもあったということです。そのことは、菅野さんの本(菅野完著『日本会議の研究』)の中で、実名をもって証明されています。これは、そういう人々が何十年も前にいたという話ではなく、ごく最近まで生長の家の幹部として活動し、今は 「日本会議」 の中枢にいたり、さらに私たちの運動に反対している 「谷口雅春先生を学ぶ会」 の中枢にもいる--ということです。……≫


 と、総裁はおっしゃる。

 『今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針』 として6月9日に発表された文書には

 ≪戦後の一時期、東西冷戦下で国内が政治的に左右に分裂して社会的混乱に陥っている時、当教団の創始者、谷口雅春先生は、その混乱の根源には日本国憲法があると考えられ、大日本帝国憲法の復元改正を繰り返し主張されました。≫

 とあるが、この認識は誤りである。谷口雅春先生は、東西冷戦下で国内が政治的に分裂混乱していたから大日本帝国憲法の復元改正を主張されたわけではない。

 #61 に書いているように、それはイエス・キリストが

 “天にまします吾らの父よ、御名
(みな)をあがめしめ給え、御国(みくに)を来らしめ給え。御心(みこころ)の天に成るが如く地にも成らしめ給え”

 と祈るように教えられている、その御心の天に成る 中心帰一の 「神の国」 を実現するためなのであって、「時代の制約下」 にあるものではなく、時代を超えた宗教的真理顕現のためなのである。

 根源的な実相の 「中心帰一の真理」 を、谷口雅春先生は 『女の浄土』 第19章で懇切に説かれ、

≪ 現行の憲法が本当の憲法ではなく、占領中に日本を弱体化する政策上押しつけられた“占領行政基本法”であることを明かにして、占領終了と同時に失効せるものであり、その失効と同時に、明治憲法はそのまま生きているということを宣言すべきなのであります。

 つまり、国家にも永久かわらざる中心が万世一系の天皇の形によって持続することによって、一切の存在が「永久変らざる中心を持つ」という天意の実現せる唯一の国家が日本国家であって、もし、この日本国家に天皇がなくなれば、すべての存在には永久変らざる中心があるという神の宇宙創造の基本形態が国家だけには当てはまらず破壊されることになります。今こそ吾々は神意を実現せる真理国家こそ日本国家であるという日本国家独特の神聖性を明かにするために明治憲法復元に踏み切るべき時であります。

 こう申しますと、私の言うことは非常にナショナリズム的に他から観られるかも知れませんが、海外の書籍などにも生長の家はナショナリズムにつながるというような紹介記事を書いたものがありますが、世界的に組織をもち生き生きと活動しているアメリカの新しいキリスト教リリジヤス・サイエンスの理事長であるウィリアム・ホルナディ博士が数年前見えたときに、その事について質問せられたことがあります。その時に私はこう答えたのであります。

 「イエスの教えた模範的祈りの“主の祈り”に於て“天にまします吾らの父よ、御名
(みな)をあがめしめ給え、御国(みくに)を来らしめ給え。御心(みこころ)の天に成るが如く地にも成らしめ給え”と祈るように教えられているのであるが、天には唯一つの永久変らざる神がいらっしゃって、すべてのものがその唯一つの神の御心に帰一しているのでありましょう。

 そうすれば、天にそのように御心の成るが如く地にも成るとすればその御心が地上に成り、その御心が国家にあらわれるならば、永久変らざる中心が国家にも成就しなければならない。そのような永久変らざる中心である万世一系の天皇をもつ国は日本だけであって、国家としては最も神意にかなう形態をととのえているのが日本国家である」

 と申上げたのであります。すると、ホルナディ博士は大いに頷
(うなず)いて賛成の意を表されたのであります。≫

 と書かれている(谷口雅春先生『女の浄土』第19章より)。

 『光明道中記』 には

≪ 十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界とするが日本の使命である。(『秘められたる神示―神示講義〈秘の巻〉』 「久遠天上理想国実現の神示」)

 全世界を宇
(いえ)と為す神武天皇の八紘為宇の建国の理想は決して侵略精神ではない。八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。此の理念を「生長の家」と言う。

 理念は普遍的なものであるから、これは私の家ではない。何故そう云う名称を附したかと言えば、生は縦に無限に生
(の)びることを現し、長は横に長(の)びることを現すからである。

 縦の無限連続は時間であり、横の無限連続が空間であり、縦と横と、時間と空間との交叉する万象発現の枢機を握るものが、内に一切を蔵する無字であり、一切を統一する天皇の御天職である。

 此の真理に世界の万民が目覚めないから万国互に相争うのである。全世界は天皇に於て一宇である。万国の民にそれを告げ知らせる東道
(みちしるべ)の役目を以て出現したのが吾々の団体である。≫

 と明記されている。

 それが生長の家の本当の目的である。ならば、

≪「sleeper cell」は「所属する組織の本当の目的を秘匿して、大衆の中で普通の市民として暮らす単位組織」という意味≫

 といわれる雅宣総裁の定義に則れば、「生長の家の本当の目的を秘匿して」 生長の家信徒をだまし乗っ取ってしまった状態の総裁こそ、その “スリーパー・セル” になっていたのではないか。

 <つづく>


   (2016.8.3) 

286 “パラシュートなしのスカイダイビング成功”


 7月31日17時16分に、“パラシュートなしのスカイダイビング 米で成功”というニュースが流れた。 →こちら

 それから間もなく20時に都知事選の投票が締め切られた途端に、“パラシュートなしに崖から飛び降りる覚悟” で立候補した小池百合子氏の “当選確実” が報じられた。

 NHKサイトのアクセスランキング第1位は 「東京都知事選 小池百合子氏が初当選」 であり、第2位は 「パラシュートなしのスカイダイビング 米で成功」 だという。

 なんというシンクロニシティ(共時性)でしょう。

 「シンクロニシティ」とは、超心理学者ユングが提唱した用語で、「偶然の一致」のこと。たとえば、電話をかけようと思っていた人から電話がかかってきた!というようなとき、「あ、シンクロしちゃった」などといいますね。
 これは、潜在意識の深層は一つの宇宙の心につながっているからだ、と考えられる。


 さて都知事選で、 「小池氏を支持する党員は除名だ」 と○○党(自民党だけではない)幹部が締め付ければ、それが反発を招いて逆効果となり、かえって小池氏に追い風が吹いたようだ。小池氏は自民党支持層だけでなく、民進党支持層や無党派層などからも支持されたいう世論調査の結果がある。

 小池氏291万2628票。次点の増田氏は179万3453票と、100万票以上の差をつけられた。鳥越氏は134万6103票。

 都民の大多数が、“面従腹背” の “スリーパー・セル”(眠れる細胞) だったということか。

 納得できない 「組織による命令や締め付け」 などは、もはや時代遅れなのである。


 #273 にも書きました、「ヨハネ伝」 から学ぶ真理を再録します。


>> 人間は皆、絶対なる神の世嗣(よつぎ)として、神の持ち給える全財産すなわち全宇宙のすべてを継承した神の独子であるのであります。バンザーイ!

 我らは、内なる神(実相)のコトバに中心帰一しなければならないのであって、

≪かかる人は血脈(ちすじ)によらず……ただ神によりて生れしなり。≫

≪血脈により肉体によって、誰の血統から生れたから、その肉体の系譜はどうであるから神の子であると云うのでないのであって、神から生れたものが神の子である、とこうあるのであります。(谷口雅春先生 『ヨハネ伝講義』 25頁)≫

 と、書かれている通りなのであります。

≪「神の独子(ひとりご)」 と云うと、我らに 「宿っているところの実相」 (内在の神性) と云う事でありますが、この我らに宿っている実相を知る者は因縁を超越して審(さば)かれない。……≫<<

 のであります。

 われらは皆 「神のひとり子」 であり、組織の助けというパラシュートをつけなくても、神の守りによって、安全に飛行機からでも崖からでも跳び降りることのできる、何でもできる主人公なのであります。「眠れる獅子」 ならぬ 「眠れる神の嗣子」、 「眠れる神の子」 スリーパー・セルだったのであります。

 「スリーパー・セル」 というのは、ほめ言葉だった、エールだったと考えることができましょう。

 谷口雅春先生著 『ヨハネ伝講義』 には、つづいて次のように説かれています。

≪ 自分の 「実相」 が宇宙の創造者たるコトバと同体であると知った者は、既にもう神の子である。

 世を照らす光がやって来た。それはお前の生命の中に宿っているではないか。その光を見よと云うのであります。

 見ると云うことは知ることであり、知ることが信ずることなのであります。

 「わからんから信ずるほかはない」 と云うような 「信」 は本当の 「信」 ではないのであって迷信であります。

 「其の名を信ぜし者」 即ち自己の実相を 「神のイノチ」 であると、如実に 「知った者」 が神の子なのであります。

 それを如実に知るまでは、神の子は神の子であっても、赤ん坊のときから羊の子の群に入れて育てられていたライオンのようなものであって、自分の周囲のすべての者がすべて羊の顔をし、羊のやさしい声を出しているものだから、自分も羊だと思っていると云う 『法華経』 にある喩(
たとえ)の通りに、迷いの世界に生活していると、自分も迷いの人になって凡夫だと思っている。

 ――しかし山奥から、ライオンの声がきこえて来ると、内在のライオン性が出て来て、ライオンの子は自分の本性を自覚する。それと同じく、宇宙の創造者たるコトバが自分の生命だと云う自覚をもったキリストの声をきき、知り、信ずるものは自分もまた神の子となれるのであります。≫


 眠れる神の嗣子(しし=世嗣ぎ、ひとり子)よ、目覚めよ。

 日本人みんなが、目を醒ます時が来たのです。生長の家信徒、そしてすべての人が、「神の子」 として目を醒ます時が来たのです。


   (2016.8.1) 

285 “内証の話”


 「ナイショ ナイショ ナイショの話は アノネノネ……」

 という童謡もありますが、「内証」 というのはもともと仏教用語で、「自内証」 すなわち 「自内に証得された (他人に説明できない) 内心の悟り」 のこと。

 谷口雅春先生は、『ヨハネ伝講義』 の 「はしがき」 に、

≪ 『ヨハネ伝』 はキリストの福音書のうちで最も霊感的な著作である。だから真にキリスト教を理解し、キリスト・イエスの霊的人格に触れるためには、『ヨハネ伝』 を数十回、数百回読んでキリストの生命に直接触れなければならない。

 教会キリスト教についてはむしろ門外漢である私が 『ヨハネ伝』 を講義するのは僭越のそしりを免かれないかも知れぬが、既成の教会に属する人たちは、伝統的な解釈や教権にしばられていて、陳(ふる)き無力な解釈になずんで、却って真にキリストの生命に触れ得ない憾
(うら)みがあるのである。…(中略)…

 「では、汝はキリストの生命に触れたのであるか」

 と問う人があるならば、私は躊躇なく

 「私はキリストの生命に触れ、キリストの魂を理解し得たと信ずる」

 と答えるであろう。…(中略)…

 わたしは、どんな既成のキリスト教会にも属しないが、わたしは独自の霊感によって聖書に接し、キリストの生命に触れたのである。そして、誰よりも深くキリストを信ずる者である。≫


 そして、『ヨハネ伝講義』の「第一講」 24頁に

≪ 其の信心と云うのは誰が証(あかし)するかと云うと、別に誰も他の者が証明するのではありません。自分の中に宿っている神性或は仏性が自然に、悟れる人の言葉に開発されて成り出でるのであります。これを仏教では自内証と云っております。「大信心は仏性なり、仏性即ち如来なり」 と親鸞聖人が被仰いました……≫

 と説かれています。

≪キリストは
  『神の国は汝らの内にあり』と云い給えり。
  誠に誠にわれ汝らに告げん。
  『汝らの内』 とは汝ら 『人間の自性』 なり、『真の人間』 なり。
  『汝らの内』 即ち 『自性』 は神人なるが故に
  『汝らの内』 にのみ神の国はあるなり。≫


 と聖経『甘露の法雨』にあります。


≪    わが実相の中にすでにすべては在る

 「生長の家」が人類に告げんとするところは、人間の実相のなかにすでにすべてのものが備わっている、外に求むるよりも内に求めよということであります。

 ――わが実相
(ほんとのすがた)は「神の子」であり、神は無限者であり、人は神の子として神の世嗣(よつぎ)であるから、欲(ほつ)するすべての事物はすでにわが持ち物であるのであります。

 すべてのものは今現象界のわが手になくとも、神の御手(みて)にあるものはすべて世嗣たるわれらの自由使用にゆだねられているのですから、すでにすべての物をわれらの手に与えられているわけであります。

 富を欲する者は無限の富をわが実相から引き出すことができまするし、生命を欲する者は無限の生命をわが実相から引き出すことができまするし、能力を欲する者は無限の能力をわが実相から引き出すことができるのであります。親の富は同時に世嗣の者の富なのであります。≫

 
(『生命の實相』第6巻より)

 ――これを知ることこそ、最もすばらしい 「内証の話」 なのであります。


≪人間は神の子である――これが 「生長の家」 の主張する根本自覚で、この自覚を 「中心自覚」 と申すのであります。

 なぜこの自覚を 「中心自覚」 と申しますかといいますと、この根本自覚は円の中心のようなものであって、この中心から外的な一切の善きものが流れ出でるからであります。

 この根本自覚が完全であればあるほど、この根本自覚が強烈であればあるほど、われわれに発現する知恵はいっそう明らかとなり、愛はますます深くなり、生きる力はいよいよ豊富となり、万事における能力は層一層旺
(さか)んとなるのであります。

 神われに在
(い)まし、われ神の内にあるがゆえに、すべてのこと、あらゆること、われに不可能なるものはない。これが 「中心自覚」 でありまして 「不可能という言葉を取り去れ。」 これが生長の家の生き方の最初の第一であります。≫
 
(『生命の實相』第5巻より)


 ――この 「内証の話」 を、かくさずにすべての人に伝えるのが、生長の家人類光明化運動なのでありました。

 ありがとうございます。


   (2016.7.30) 

284 “光り”とは神のコトバであり、神そのものである


 「ひかり ひかり あなたは ひかり
 わたしを てらす ひかりだ
 日本を てらす ひかりだ
 世界を てらす ひかりだ」

 という、その 「光り」 とは何であるか。

 現象の電磁波の一種である光線のことではない。時空を超えた、時空以前の霊的な光りである。

 聖書に言う――

≪神、光あれと言い給いければ光ありき。神、光を善しと観たまえり。(<口語訳> 神は 「光あれ」 と言われた。すると光があった。 神はその光を見て、良しとされた。)

 (英文) God said, Let there be light: and there was light. And God saw the light, that it was good.≫

 
(旧約聖書 『創世記』)


≪初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

  この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった。(闇は光りを打ち消すことはできなかった)

 ……言
(ことば)は肉となって、わたしたちの中(うち)に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。

 (英文) In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God. The same was in the beginning with God, things were made through him; and without him was not anything made that hath been made. In him was life; and the life was the light of men. And the light shineth in the darkness; and the darkness apprehended it not.

 ……And the Word became flesh, and dwelt among us and we beheld his glory, glory as of the only begotten from the Father, full of grace and truth. ≫

 
(新約聖書 『ヨハネによる福音書』 第1章。邦訳に口語訳を採用しました)


 ――その 「光り」 である。

 ところが現在、教会キリスト教では概ね、イエス・キリストのみが 「光り」 なる神の 「ひとり子」 であり、その神の子イエスを通さなければ人は永遠の命を得ることはできない、と説いているようである。

 しかし、ヨハネ伝には、

≪言(ことば)は肉体となり、わたしたちのうちに宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。≫

 とあって、ここに 「わたしたち」 と複数になっているところに注目しなければならない。わたしたちは皆、「神のひとり子」 なのである。

 聖経 『甘露の法雨』 に

≪神は光源にして
  人間は神より出でたる光なり≫


 とあるように、わたしたちは皆、その 「光」 なのである。イエス・キリストと等しい 「神のひとり子」 なのである。

≪人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』 が此の世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。≫

 と 「至上者の自覚の神示」 にある通り、「人間は皆、神の子である。神そのものである」 ということを全人類に知らせるために、生長の家は出現したのである。

 わたしたちは、

≪ひかり ひかり あなたは ひかり
  わたしをてらす ひかりだ
  みんなをてらす ひかりだ

  ひかり ひかり あなたは ひかり
  日本をてらす ひかりだ
  世界をてらす ひかりだ ≫

 と、すべての人を礼拝する。

 再び言う。

≪ 生長の家の光りを点ずるとは、天地一切のものを祝福し礼拝することであったのである。人類光明化運動とは全人類祝福運動であったのであり、全人類礼拝運動であったのである。

 時は来ているのである。すべての病人はすでに光りとして立っているのである。

 この光りであることに素直に 「ハイ」 とうなずくことが 「疑わずに光りを受ける」 ということなのである。≫
 (榎本恵吾師 『誌友会への所感』 より)


 わたしはこれから、この 「人類光明化運動」 に命をささげます。

 ありがとうございます。


   (2016.7.29) 

283 “岩の上に自分の家を建てた賢い人”(2)


 悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。≫

 というイエスの言葉を頂き、私はよろこんでそれを実行します。

 「岡正章とかいう馬鹿が、HPに馬鹿丸出しの文章を投稿しましたね。……岡正章みたないスリーパー・セルを、教団から駆逐しなければならないのです。」

 と罵詈の言葉をweb上に書いて下さった青年があると聞きました。

 私は、その青年のために

 「ひかり ひかり あなたは ひかり
 わたしを てらす ひかりだ
 日本を てらす ひかりだ
 世界を てらす ひかりだ」

 と念じて祝福と感謝の祈りをしました。

 私は、「岩の上に自分の家を建てた賢い人」 となりました。

 ありがとうございます。


   (2016.7.28) 

282 “岩の上に自分の家を建てた賢い人”


 『新約聖書』 マタイ伝第7章・ルカ伝第6章より、イエスの言葉――


≪  敵を愛しなさい

 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』 『隣人を愛し、敵を憎め』 と命じられている。しかし、わたしは言っておく。

 悪人に手向かってはならない。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

 悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。

 あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。あなたがたの天の父の子となるためである。」


   
岩の上に自分の家を建てた賢い人

 「わたしを 『主よ、主よ』 と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。

 わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて自分の家を建てた賢い人に似ている。

 洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。

 しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。」

 イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。≫



 ――「神の国は汝らの内にあり」。イエス・キリストはわが内にあり。

 「天の父」 とは、わが内なる永遠の生命、實相のことである。

 わが内なる 「神のひとり子」 なるイエス・キリストが、かく宣り給うのである。

 「岩の上に自分の家を建てた賢い人」 とは、「『久遠の今』 なる実相の大地に降り立った神人」 と言っても同じ。

 「イエス・キリスト」 は、「谷口雅春先生」 と置き換えても同じだと思います。

 また、ルカ伝には次のようにも記されている。


≪  人を裁くな

 「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。

 人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。

 赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。

 与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」

 イエスはまた、たとえを話された。

 「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。

 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。

 自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』 と、どうして言えるだろうか。

 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」


   
実によって木を知る

 「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくは採れないし、野ばらからぶどうは集められない。

 善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。」


   
「からし種」 「パン種」 のたとえ

 そこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、どんな種よりも小さいのに、成長してどの野菜よりも大きくなり、その枝には空の鳥が来て巣を作るほどの木になる。」

 また言われた。「神の国を何にたとえようか。パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」


   
狭い戸口から入れ

 イエスは一同に言われた。「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。

 家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』 と言っても、『お前たちがどこの者か知らない。
不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』 という答えが返ってくるだけである。

 そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』 と言いだすだろう。しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。』 と言うだろう。

 あなたがたは、すべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。

 そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」≫



 ――すばらしい真理の言葉だと、魂に沁み入り、共鳴します。

 私は、「岩の上に自分の家を建てた賢い人」 となります。


   (2016.7.27) 

281 光りが集まる誌友会に


 榎本恵吾師 『誌友会への所感』 (#277~#279)の心で、「光りが集まる誌友会」 を行いたい。

 と思っていたら、「光」 という歌の楽譜と歌詞が出て来ました。昔、生命学園の指導者研修などで、「コール」(明るいコトバの斉唱宣言) の延長として自然発生的に唱われていた歌だと思います。作詞者名も作曲者名も書かれていません。その詞は――


≪   ひかり

1.ひかり ひかり わたしは ひかり
  あなたをてらす ひかりだ
  みんなをてらす ひかりだ

2.ひかり ひかり わたしは ひかり
  日本をてらす ひかりだ
  世界をてらす ひかりだ

3.ひかり ひかり あなたは ひかり
  わたしをてらす ひかりだ
  みんなをてらす ひかりだ

4.ひかり ひかり あなたは ひかり
  日本をてらす ひかりだ
  世界をてらす ひかりだ ≫



 ――さて、この1番の歌詞ですが、

 「わたしは ひかり あなたをてらす ひかりだ」 という詞は、

 <人と場合によっては、傲慢に聞こえるのではないか>

 という思いが、ちらっと出て来ました。

 しかし、すぐに別の声なき声が聞こえました。

 この 「わたし」 というのは、神と一体なる、霊なる自分であり、

 「あなた」 というのは <肉体の自分のこと> と考えてもよいのだ。

 神が、「わたしは ひかり あなたをてらす ひかりだ」 と宣言しているのだ。

 内なる神が、そうお歌いになるのだ。

 ――と。

 そう考えると、これはなんと素晴らしい歌なのでしょう。

 バンザーイ!


≪光りと光り、絶対と絶対とが響き合い鳴り合うというところが誌友会である。

 この絶対の光りにじっと眼をとどめれば、そこにいのちが無言のままに喜びに輝きながら唱っている、その歌が聴こえて来るのである。≫



 と、榎本恵吾師 『誌友会への所感』 (#279) にありました。

 「光りが集まる誌友会」 を開いて、みんなでこの歌を合唱したい。



≪ 生長の家の光りを点ずるとは、天地一切のものを祝福し礼拝することであったのである。人類光明化運動とは全人類祝福運動であったのであり、全人類礼拝運動であったのである。

 時は来ているのである。すべての病人はすでに光りとして立っているのである。

 この光りであることに素直に 「ハイ」 とうなずくことが 「疑わずに光りを受ける」 ということなのである。≫
 (榎本恵吾師 『誌友会への所感』)

          ○

 今朝、仏壇の前に坐って祈るとき、私は 「光」 の歌の3番と4番の詞

≪ ひかり ひかり あなたは光り
  わたしをてらす 光りだ
  みんなをてらす 光りだ

  ひかり ひかり あなたは光り
  日本をてらす 光りだ
  世界をてらす 光りだ≫

 を念じ、「あなた」 ということばで 「ご先祖様」 を念じて感謝を捧げ、「顕幽相携えて」(地上と霊界と手を取り合い協力しあって) 人類光明化運動、地上天国建設運動を進めさせて頂く決意をしました。


   (2016.7.23) 

280 都知事には小池百合子さんを応援したい


 四宮正貴氏が Facebook に、「小池百合子さんが最もまともな人である」 と書いていらっしゃるが、同感です。

 小池さんは、

≪私は、日本の中にある伝統、文化など、全てを凝縮しているのが皇室だと思っています。

 大臣就任中にはありとあらゆる皇室行事に参加させていただきました。新嘗祭、歌会始……すべてです。閣僚である際にしか参加できない行事も多いことから、貴重な機会を逃すまいと思いました。

 そこで実感したのは、陛下のお役割やお務めがいかに厳しく、かつ重要かということです。陛下は思いをこめてお務めされているのです。

 アラブの湾岸諸国には王朝・首長制の国々は多数あります。そういう国々へ総理大臣や閣僚が一万回出向くよりも、陛下や皇室の方が一度いらっしゃるだけで、日本のプレゼンスは格段に上がります。日本の皇室の存在はかけがえのないものです。≫

 と、四宮正貴氏編集 『伝統と革新』 第11号(平成25年4月15日発行)で、四宮氏の質問に答えてそう語ったという。

 →https://www.facebook.com/masaki.shinomiya.1/posts/1089663657787310

 天皇陛下おわします日本の首都 東京都の知事には、小池さんのように日本を愛し、皇室を尊ぶ人になってもらいたい。私は小池百合子さんの当選を祈り、応援します。


   (2016.7.18) 

279 自分は、すでに光だった! (3)


 榎本恵吾師 『誌友会への所感』 の最後です。

          ○

≪ この光りを発見されて、すべてのものへの讃嘆、礼拝のすがたとして形にあらわれたのが尊師のお書き下さっている聖典なのであった。

 この聖典は、『あなたは、この本を読まなければ神の子になれませんよ』 とか、『この本によって、はじめてあなたは救われるのですよ』 という姿はしていないのである。逆に 『私が目覚めてみれば、すべての人々はそのままで、何もつけたすことのいらない如来そのものであったということがわかったのです! こうして、私は、本によってみなさまを拝ませていただいているのです』 という合掌のお姿をこの聖典に拝するのである。

 その光りを万物に発見されたとき、尊師は天地一切のものと和解されたのであった。生長の家の光りを点ずるとは、天地一切のものを祝福し礼拝することであったのである。人類光明化運動とは全人類祝福運動であったのであり、全人類礼拝運動であったのである。

 時は来ているのである。そしてすべての病人はすでに光りとして立っているのである。この光りであることに素直に 「ハイ」 とうなずくことが 「疑わずに光りを受ける」 ということなのである。

 われわれは 「我
(が)」 を消してから、「罪」 を浄めてから、光りとなるのではない。それは非実在なのである。それを放(ほ)っておいて、“ハイ” と光りの中にとびこんだとき 「我」 は消えるのであり、「罪」 も消えるのである。先ずもって飛び込むことが大切なのである。

 誌友会場主も自分が先ず飛び込むことによって光りとして立つ。するとすべての誌友の中に光りを観ることが出来るのである。自分が過去の成績にひっかかり、現象を認めて、光りを受けて立っていなければ、自分も立つことが出来ず、誌友も立つことが出来ず、共だおれとなるのである。

 『疑わずにわが光りを受けよ』 とは、愛行だとか、行だとか、どれだけ長く生長の家をやっているとか、そのようなものを条件とせず、はじめからそのまま自分が光りであることを“ハイ”と宣言せよということである。受けるとは、自分が光りであると宣言することである。

 光りと光り、絶対と絶対とが響き合い、鳴り合うというところが誌友会である。

 この絶対の光りにじつと眼をとどめれば、そこにいのちが無言のままに喜びに輝きながら唱っている、その歌が聴こえて来るのである。それは、すべてのものが観世音菩薩であり、その妙智力のひびきがそこにあるからである。

 ここにいたって、語られる言葉の内容は問題ではなくなるのである。体験談の大小などは問題ではなくなるのである。むしろ、体験は小さければ小さいほどよいということ。小さいものの中に如何に大きないのちの喜びを発見するかということである。

 小さいことを如何に大きく喜び感動出来るか。その感動の大きさこそが重大な問題なのである。どんな小さなことの中にもそこには神が鳴っていたまうのである。

 すべての人の中に神を拝むということは、真の祝福ということであり、真の祝福とは、手段としての祝福ではないということである。手段としての祝福ではないとは、将来何かをやってもらうため、その人をある能力に到達せしめるためのテクニックとしての祝福ではないということである。本当にその人の中に、今、此処に天国の実現を拝むことなのである。手段としての拝みであっては真の拝みということにならないということである。

 尊師は、『生命の實相』 によって人類を拝まれたのであると書かれている。それは絶対の荘厳な拝みであって、“この本によって人類を神の子にしてやる” などという姿をこの聖典はしていないのである。ただただ既に久遠の昔から如来であるところの實相を拝まれている姿が聖典なのである。

 われらの拝みも尊師の拝みの延長なのである。わが合掌は尊師の合掌なのである。わが祝福は、神の祝福であり、尊師の祝福であり、天国そのものの鳴り響いている姿なのである。

 愛行とは、“愛が行く” と書いている。すでに光りであり、神であり、愛であるところのものが行くのである。これから光りとなるために行くのでは愛がゆくことにはならない。それは暗
(やみ)が光りとなるために行くのであるから正しくはこれを “光明化しに行く” ということは出来ないのである。それは、その行によって光りとなるための成績をかせがせてもらうために行っているのであるから、むしろ自分が “光明化されに行っている” のであると言わなければならないのである。これは、尊師の開かれた光明一元の道ではない。

 そうではないのである。既に今、無条件にわれらは金剛不壊
(こんごうふえ)の光りとしてここに立っているのである。それは天皇の六合照徹(りくごうしょうてつ)の光りである。

 われらはすでに与えるべきものを持っているのである。自分はいままで与えるべきものがないと思っていたが、そうではなかった、自分は神とともに光りを与える側に立っていたのであった。自分は世界に光りを与え天地を神とともに創造し、天地万物をささえ生かしめていたのであった。

 “光りが近づくとき、すべての暗黒は消える”と神示されているあの光りは、先ず、神なる光りが自分を照らすということではなく、この光りは、神とともに今、輝いている自分の光りであったのである。それ故、“光りが近づくとき、すべての暗黒は消える”とは“あなたが近づくときすべての暗
(やみ)は消える”ということである。

 ここにすべての人は、光りをはなつ光明化の人として立ち上がるのである。“今、すべての病人が立つことが出来る” というお言葉は、すべての人はいま、光明化運動の光明の主体者として、神の光りの先きとして輝いていることを神が祝し給いて発せられたお言葉なのである。

 ここに来て私たちに、この無条件の光りは、自分のみかわが家の全員に輝いており、わが家庭は光りの集団であるという本当のすがたが観じられるようになるのであった。

 (榎本恵吾師 『誌友会への所感』 より)≫



 ありがとうございます!


   (2016.7.18) 

278 自分は、すでに光だった! (2)


 榎本恵吾師の 『誌友会への所感』 つづきです。

          ○

≪ 釈尊が “苦行は悟りの因に非ず” として、“すでに光りであった” と如来地に飛び込んだとき、山川草木国土悉皆成佛(さんせんそうもくこくどしっかいじょうぶつ)、有情非情同時成道(うじょうひじょうどうじじょうどう)と観えて来たのである。釈迦はこのとき天地一切のものと和解されたのである。つまり、自分が天地一切のもの即ち如来にとりかこまれていたことがわかったのである。

 尊師の “天地一切のものと和解せよ” の一句は、まさに釈迦の “山川草木国土悉皆成佛、有情非情同時成道” に相当するのである。尊師が現象を超えて、實相の大地に降り立たれたときが、尊師が天地一切のものと和解せられたときであったのである。弱肉強食、生老病死のそのままに、不完全、不調和はそのまま無く、大調和に抱き合って讃えあっている人類のすがたをそこに発見せられたのであった。その光の大調和のすがたが誌友のそのままのすがたなのである。

 誌友会は、これから光りとなるための準備をするところではない。光りとなるための決意をするところではない。それでは “いのち(神・光り)のゆには” ということにはならないのである。準備のためであれば、それは “いのちとなるためのゆには” となる。

 光りは天国は、愛行
(あいぎょう)やもろもろの行(ぎょう)の彼方にあるのではないのである。實相とは、単に可能性として存在するだけなのではないのである。すでに 「今・ここ」 に實相の光りは開かれ輝いているのである。その光りが輝く為の如何なる行も必要としないのである。もろもろの行が必要であるということが、天国を西方極楽浄土として遠くにおしやることになったのである。

 光りとなるため手段としての、神の前での成績かせぎとして愛行やもろもろの行があると思うとき、それがどれだけ出来ているかいないかが問題となり、それを基準として、自分を裁き人を裁くことになるのである。この裁きが地獄なのである。このような意味での愛行であるとき、親鸞のことばは次のように響いて来るのである。

  『愛行の人なおもて救われる。
    いわんや悪行の人をや』
 と。

 パウロはコリント人への手紙の中で次のように言明している。

  『たとい我、わが財産をことごとく施し、
   またわが体を焼かるるためにわたすとも、
   愛なくば、我に益なし』
 と。

 私はともすれば、よほど愛がなければわが財産を施すこと、他のために死すことはとても出来るものではなく、財産を投げ出し、死ぬことが出来るのは愛のある証拠であると思っていた。しかし、愛のないそれらの行もあるのである。

 先ず、無条件に神の大愛の中にゆるされ、生かされ切って、自分が神の光りと一つであるとの事実に 「ハイ」 とうなずくこと。神の中に飛び込むことによって、神の側に、光りの側に、愛の側に立つこと。その愛なる自分が行くことが愛行なのである。愛(光)となるためにこれから行くのでは、全財産を投げうっても、身を捨ててもそれは空
(むな)しいことであったのである。

 三度
(みたび)くりかえそう。もしも、誌友会に光りでないものが、光りをもらいに来るのであれば、それは乞食(こじき)であるといわねばならない。乞食が集まるのが生長の家の誌友会ではないのである。光りなるものがすべてを輝かせて集まっているのである。それ故に誌友会は光りを世界に輝かせるところの光りの集団なのである。その行事は如来の荘厳行事なのである。荘厳とは何か、それはすでに光りであるという事実であり、荘厳行事とは、光りが行う行事なのである。

 過去の如何なる行をも放ち去って、いまここに平等の如来光が全員から照りかがやいているのである。すでに光りであるから、光りは外に向かって輝き出でるより他はないのである。それ故、自分は、神様と一緒になってすべてを輝かせているのである。

 自分は生長の家の光りによって、神の光りによって照らされる側だと思っていたが、すでに自分は光りとなっており、すべてに光りを与える側にいたのであった。照らされる自分から照らす自分への生まれかわりなのである。今まで、自分は与えるものがないと思っていたが、自分は気がついてみれば、神とともに天地を創造し、神とともに世界を生かし、神とともに世界に光りを与えていたのであった。

 この光りは、「今・ここ」 にすでに無条件にわが全身にかがやいている光りなるが故に、このことを素直に 「ハイ」 とうけるとき、自分のみではなく、わが家族のすべてが、無条件に光りそのものであり、光りの集まりがわが家であったことが観えてくるのである。

 わが家族は、形の上で生長の家に入っているものもいないものも、すべて光りであり、神の子であり、神そのものであったのである。わが家はそのままで全世界を照らす灯台であり、太陽の集まりであったのである。まことに、わが家は生長の家であったとの祝福をこめて礼拝の心がおこって来るのである。

 いままでは、生長の家の聖典を読んでから光りとなり、光りとなるために誌友会に集まり、神想観をすると思っていたがそうではなかったのである。光りはすでに顕われ出でましているのである。

 何がなくとも先ず人間は生長の家であり、光りであったのである。わがいのちが生長の家であったのである。生きているということが生長の家そのものであったのである。

 (榎本恵吾師 『誌友会への所感』 より)≫



 ありがとうございます!


   (2016.7.17) 

277 自分は、すでに光だった!


 故人 榎本恵吾師の 『誌友会への所感』 というプリントを読み返し、わたしは今新たな感動とよろこびに魂が打ち震えています。

 そのプリントの文言を、少しずつここにご披露させて頂きます。

          ○

≪     誌友会への所感     榎本恵吾

 『信』 とは 『人が言う』 と書いている。『信』 とは他をからずして、みずから発するのである。それは自分が “宣言” することなのである。

 先ずはじめに、神は “光りあれ” と宣
(の)り給うたのである。そこに元(はじめ)の信ということが立ったのである。

 いまここに神なる、光りなる神の子が立っている。その光りなる、神なる人が再び “吾れ光りなり” “吾れ神なり” の言葉を発するのである。

 “I am that I am” という。これは信の成立を意味している。 “I am God” しかして、また “God I am (God is Me)” である。

 すでに救われずみの、光りなる自分がさらに “光りなり” という言葉を発する。その光りのひろがりとして誌友会が成立しているのである。

 “信ずる” とは、創造
(つく)られずみのものに合一するという意味のほかに、創造すること、産み出すことの意味があったのである。

 生長の家の集りは光りの集りである。そこには “光り” が集まって来るのである。先
(ま)ず光りなるものがあるのである。集まってから光りとなるのではないのである。それははじめて来た人についても同じことである。

 “誌友会に行こう” と思うことが、内なる如来
(にょらい)が、天照大御神(あまてらすおおみかみ)がその人の内からお顔を出されて、輝き出して、そう思うのである。したがって、“誌友会に行きたいなー” と思ったとき、すでにその人は如来の輝きであり、光明そのものであり、天(あま)照らして光なる人がそこに立っているのである。

 その如来なる、光明なるいのちが家を出発する。そして周囲のすべてを輝かせながら誌友会場にやって来るのである。ある人は徒歩で、ある人は車で、あるいは電車に乗って。道路を歩けば道路を燦然
(さんぜん)たる光りでかがやかせながら。そして電車に乗れば、その人から出る光りによって電車は光りと化し、木々の間を通れば木々を輝かせながら誌友会へ、誌友会へと光りが集まるのである。

 再び言う。誌友会に来てから光りとなるのではないのである。“光り” が集まって来るのである。その光りがさらに光りする行事が誌友会である。

 その光りなる如来に坐ってもらって、会場の畳はどんなに喜んでいることであろうか。光りに集まっていただいて座布団はどんなに喜んでいることであろうか。その会場全体がどんなに喜びに輝いていることであろうか。

 そこに坐っている光りからすれば、その光りをめでて、すべてのものがその人のために輝きながら用意されていたのである。その会場となっている家は、何年前に建てられたか知れないが、その人の今日そこに坐られることのために、その家が何年か前に用意されたのである。講師もその人のために今から何十年前に今日その人のいのちを祝福するためにと神がどこどこの地に生まれさせ給うたのであるということが、わかってくるのである。

 自分を “光りである” と宣言し、ハイと光りに飛び込んでいるときが、人が “信” となっている時であり、そのとき、その人は、“自分がこの世にうまれてここにいることをこんなにもすべてのものが喜んで呉れているのか!” ということがわかってくるのである。“疑わずに光りに飛び込め” とみ教えに示されている。

 この話しを聴いたある誌友は、“光りだった。光りだった。” とコトバでとなえながら帰途についた。すると、歩道が “さあ、お通り、さあ、お通り下さい” とよろこんで光りの道を開けて呉れたというのである。

 またある人は、家につくとすぐに感激して電話をかけて来たのである。その人がいつものように帰るために電車に乗った。“そしたら、私の前に座席が空いていたんです!” というのである。しかし座席はこれまでもいくらでも空いていたのである。それが、今日は “光りが行くのである” と宣言して乗ってみると、その座席が光りを迎えて、光りに坐ってもらうことを喜んで “さあ、お坐り、待っていましたよ” と迎えて呉れたというのである。

 “光りだ。光りだ。” と云っているとすべてのものが自分に祝福の光りを送ってくれており、光りの中に生かされていることがわかってくる。雨の音を聴いても、花の咲くのを見ても、何か今までとちがって、何か自分とシックリと来るようになった。“あっ、自分は、これから天地一切のものに感謝するのかと思っていたら、そうではなかったのだ。自分が天地一切のものから喜ばれ、拝まれ、感謝されていたのであった” と解って来たのである。≫



 ――うれしくなりますね。バンザーイ! と叫びたくなりますね。

 これが、本当の生長の家の誌友会だったのです。

 上記、“I am that I am” というのは何であるかというと、谷口雅春先生は 『唯神実相の世界を説く』 に、次のようにご教示くださっています――


≪   本当の信仰とは何か、それを知ることが大切である

 親鸞聖人が 『現世利益和讃』 にお書きになったように 「唯
(ただ)一仏、阿弥陀如来を信じ念じたならば、諸天善神――諸々の天界の神様――が御守護下さる」 というのは、阿弥陀仏の中に一切の神様が包容されているというわけなんです。

 キリスト教で言うと、 旧約聖書に、

 「エホバの神 一神
(いっしん)の外(ほか)に神あるべからず」

 とある。その 「エホバ」 というのは、“I am that I am”――「私は何々である」 という意味。“I am a dog” と言ったら 「私は犬である」 という意味になる。

 全ての人間は、「私は何々である」 と念ずる通りに現われる。その自由の本体が、エホバの神である。

 「エホバの神 一神(いっしん)
の外
(ほか)に神あるべからず」 だから ほかの神様を拝んだら罰が当たるなどとというのは、間違いである。一仏一切仏、一神即一切神である。

 自分の内に “I am …” が宿っている。皆さんは “I am 何” と観ずるんですか?――“I am God” 「私は神である」 「私が如来である」――そして 「我常に此にありて滅せず」――と神想観して、その境地に入って頂く。これが本当の信仰というものであります。≫


 ――と、そのように、谷口雅春先生は 『唯神実相の世界を説く』 第2章 「本当の信仰とは如何なるものであるか」 でご教示くださっているのであります。(同書35~36頁より要約)

 私は、地元の誌友会を、上記のような 「“光り” が集まって来る」 誌友会、みんな神の子としてよろこび合い、拝み合い、讃嘆し合う誌友会とさせていただこうと思います。

 バンザーイ! ありがとうございます!

   (2016.7.16) 

276 日本人みんなが、目を醒ます時が来たのです。


 参院選の結果は、改憲勢力が3分の2を超えました。

 これは、歴史的な大きな節目を迎えたことを意味します。

 日本人みんなが、目を醒ます時が来たのです。

≪ この参院選は後に、どう記憶されるのだろう。「憲法改正への扉を開いた選挙」 だろうか? いや、それではいけない。「デフレ脱却の契機となった」 と語り継がれなくてはいけない。≫

 と、日経紙の政治部長内山氏は今朝の朝刊に書いていらっしゃる。

 わたしは、長期的に見たら、その反対だと思います。

≪ この参院選は後に、どう記憶されるのだろう。「デフレ脱却の契機となった選挙」 だろうか? いや、それではいけない。「憲法改定への扉を開いた選挙」 と語り継がれなくてはいけない。≫

 でしょう。

≪人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言に由る(「マタイ伝」 4-4)≫

――国の生くるは経済のみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言に由る。

≪天より降(くだ)るパンは、食(くら)う者をして死ぬることなからしむるなり。我は天より降りし活けるパンなり、人このパンを食(くら)わば永遠(とこしえ)に生くべし(「ヨハネ伝」 6-50~51)≫

 であります。

≪豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国は是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きわ)まりなかるべし。≫

 という天照大御神の御神勅は、「天より降
(くだ)れるパン」 なのであります。


 人間は、みんな神の子です。

 神の子たちが、神の子を生かし、すべてを生かす神の国を実現するために、国の根幹を定める憲法が、今のままでよいのか、変えるべきなのか、「温故知新」、真実の歴史をもっと深く学び、国の憲法をみんなが我がこととしていよいよ真剣に考える時が来たのです。

 私は、あわてて小手先の憲法改正をするのは危険だと思います。現行の占領憲法を、基本的に正統化してしまうおそれがあります。それに、まだ国民的合意ができているわけでもありませんから。これから千年、万年の長きにわたり、国の基となる憲法、本当に世界平和に貢献できる憲法を定めるため、真剣に神に祈り、神ながらの神定憲法を決めるべきであり、そのためには大いに論議を重ねる必要もあるでしょう。

 ともかく、日本人みんなが、目を醒ます時が来たのです。

 「神の子」 として、目を醒ます時が来たのです。

 ありがとうございます。

   (2016.7.11) 

275 目を醒ますのは、「今でしょう!」


 参院選投票が終わり、開票が進んでいます。

 午後9時現在、与党が参議院の過半数を占めることは確実、自民党の単独過半数も視野に入っている。改憲勢力が全体の3分の2にどこまで近づけるかが焦点だと報じられています。

 ところで、「あまむし庵」 様のブログが注目を浴びているようで、私も拝見し、論理的で時宜に適った卓見であると思いました。

 →http://56937977.at.webry.info/201606/article_1.html

 「中心帰一」 についての哲学的根拠も、みごとな論理構成で語られています。

① 中心帰一 その一/現象の迷いの否定を通さない「中心帰一」は中心帰一ではない
http://56937977.at.webry.info/201406/article_1.html
② 中心帰一 その二 / 「菩薩は何を為すべきか」第九条】http://56937977.at.webry.info/201406/article_2.html
③ 中心帰一 その三/天皇に対する中心帰一】http://56937977.at.webry.info/201406/article_3.html
④ 中心帰一 その四 / 中心帰一の理念と「天皇」への展開】http://56937977.at.webry.info/201406/article_4.html

 「あまむし庵」 様は、

≪ 生長の家の純真な皆様、いい加減に目を醒ましましょう。

 目を醒ますのは、「今でしょう!」≫

 と叫んでおられる。

 私も、目を醒ましました。

 生長の家総裁、白鳩会総裁、参議、理事、教化部長等の幹部諸賢をはじめ、全信徒の皆さまにも是非読んで、覚醒して頂きたいものです。


   (2016.7.10) 

274 信徒は総裁の僕(しもべ)ではない。神の子である


 「マタイ伝」 第二十二章で、イエスは

 「『なんじ心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして主なる汝の神を愛すべし』 これは大にして第一の誡命
(いましめ)なり」 といっている。

 ここに 「主なる神」 とあるから、人間の方は僕
(しもべ)で、主人であるところの神様を愛するのであるか――というと、そういう意味ではない、と、谷口雅春先生は 『實相と現象』 (122頁)で説かれている。

 「主なる“汝の神”を愛すべし」であって、「汝、イエスの神を愛すべし」 とはいっておられない。「主なる“汝の神”を愛すべし」 即ちお前の主人公であるところの“汝の神”を愛すべしと言っておられる。すべての人間には、自己の内に神が宿っていると認め、「汝の内に宿る主なる神を愛すべし」 と言っておられるのだ、と説かれているのです。

 生長の家信徒は、総裁の僕や奴隷ではない。各々自己の内に神を宿している、イエス・キリストと等しき神の子である。自由なる者、王である。

 「参院選で与党とその候補者を支持するな」 と束縛するなどは、民主主義に反し、人間を解放すべき宗教者のすることとは言えない。

  谷口雅宣総裁は、すべての信徒に、「主なる“汝の神”を愛すべし」 「今、起て!」 と、宣り給うているのである。

 総裁は、「参院選で与党とその候補者を支援してはならない」 と信徒を縛るようなショッキングな発言をして、実は信徒一人一人が真に解放された 「神の子」 なる自覚を取り戻し、自由意志で投票することを促されているのである――と私は思う。

 明日の投票は、各員の良心 ≪内なる神の声≫ にしたがって自由に投票しましょう。

 ありがとうございます。

   (2016.7.9) 

273 “総裁に中心帰一”は、間違いでした。


 “生長の家総裁に中心帰一しましょう” ということは、私も過去において、よく言ってまいりました。

 しかし、それは間違いであったと、今思います。

 「中心帰一」 は、「神意に」 でなくてはならない。

 「総裁の我意に」 ではありません。


 「ヨハネ伝」 第1章に、

≪ もろもろの人をてらす真(まこと)の光ありて、世にきたれり。彼は世にあり、世は彼に由りて成りたるに、世は彼を知らざりき。かれは己の国にきたりしに、己の民は之を受けざりき。されど之を受けし者、即ちその名を信ぜし者には、神の子となる権をあたえ給えり。かかる人は血脈(ちすじ)によらず、肉の欲(ねがい)によらず、人の欲によらず、ただ神によりて生れしなり。(第1章9~13節)≫

 とある。

 この 「彼」 というのはイエス・キリストのことであるが、また

≪ 太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、万(よろず)の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之(これ)によらで成りたるはなし。……

 言
(ことば)は肉体となりて我らの中(うち)に宿りたまえり。我らその栄光を見たり、実(げ)に父の独子(ひとりご)の栄光にして、恩恵(めぐみ)と真理(まこと)とにて満てり。≫

≪ 此処に「コトバが肉体となって我らの中に宿っている」と複数になっていることを注意しなければならないのであります。

 イエス・キリストだけの中
(うち)にコトバが宿っているのではないのであります。総ての人の中に神の言(ことば)――仏の名号(みょうごう)――が宿っておるので、それが肉体の如く現われているのであります。

 ……ヨハネは此処に我らの中に 「言」 即ち如来の 「名号」 が宿っている、其の栄光を自分は見た、之は父の独子
(ひとりご)の栄光を見たと云うのである。吾らは皆、神の独子だと云う訳であります。

 独子が沢山あるのであります。独子だと悟らないで迷っている人は、放浪の旅に出ている「放蕩の息子」なのであります。

 今迄の普通の説き方をなさるクリスチャンは、独子と云うと、イエス・キリスト一人だけしかない様に思っている。ところがちゃんとヨハネ伝には皆神の子である、皆すべての人間に神の栄光が宿って居る、そうして皆輝いている、皆父の独子であると云うことが書いてあるのであります。(谷口雅春先生は 『ヨハネ伝講義』 26~27頁)≫


 「その名を信ぜし者には、神の子となる権を与え給えり」 という、「名」 とは コトバであり 「実相」 である。

 親が共通の独子
(ひとりご)が沢山ある というのは、常識的に考えたらおかしいのでありますが、それは、人間はみなそれぞれ別々の存在だと見ている、肉体を見ているからおかしいと思うのであって、人間は肉体ではない。時空を超えた 「久遠の今」 なる命において、「一つの命」 であるから、 「みんな独子」 であって矛盾しない、おかしくないのであります。

 人間は皆、絶対なる神の世嗣
(よつぎ)として、神の持ち給える全財産すなわち全宇宙のすべてを継承した神の独子であるのであります。バンザーイ!

 我らは、内なる神(実相)のコトバに中心帰一しなければならないのであって、

≪かかる人は血脈(ちすじ)によらず……ただ神によりて生れしなり。≫

≪血脈により肉体によって、誰の血統から生れたから、その肉体の系譜はどうであるから神の子であると云うのでないのであって、神から生れたものが神の子である、とこうあるのであります。(谷口雅春先生 『ヨハネ伝講義』 25頁)≫

 と、書かれている通りなのであります。

≪「神の独子(ひとりご)」 と云うと、我らに 「宿っているところの実相」 (内在の神性) と云う事でありますが、この我らに宿っている実相を知る者は因縁を超越して審(さば)かれない。

 之に反してそれを信じないで自分を時間空間内に存在する因縁関係の中にいるとする間は審かれると云うことになる。

 「さばかれる」 と云うのは、神がさばくのではなく、法則自身が結果するのであります。

 ところが 「実相」 は神性であるから、実相の中には、総ての罪と云うものはないのであります。光の中には暗がない。光に対して目を閉じている世界にだけが、そこに因果の法則と云うものがあって、その因果の法則が即ち審判
(さばき)の法則である、悪に対しては悪の結果が出て来、憎みの心に対しては憎みと言うものが出て来るのであります。

 責める心に対しては責めるものが出て来、害する心に対しては害するものが出て来る、これがすなわち審判
(さばき)であります。

 ところが愛はすべてを融かしてしまう。責める心、にくむ心、害する心等を超えてしまって、愛する心を起してくれば、赦す心を起して来れば、すべては赦されて、十の罪に対して十の報いが出て来ない。

 だからキリストは 「主の祈り」 に於て、「我らに負債
(おいめ)ある者を我らの免(ゆる)したるごとく我らの負債をも赦したまえ」 と祈れと教えているのであります。

 現象の全否定の奥からのみ、罪無き世界の全肯定が出て来るのであります。(谷口雅春先生 『ヨハネ伝講義』 59~60頁)≫


 ――このことをはっきり自覚する契機をつくって下さいました総裁谷口雅宣先生に心から感謝いたします。ありがとうございます。ありがとうございます。


   (2016.7.8) 

272 “顔を洗って出直せ”(7)


 「顔を洗って出直せ」 の第7回。あらためて重要なポイントを確認したいと思います。

 「ヨハネ伝」の冒頭に、

≪ 太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。……万(よろず)の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき。……≫

 とある。すべての物は神の言
(ことば)によって成った。人間も、物質でできた肉体ではなく、神の言で成っている。神聖受胎の、神の命に生かされている神の子である。だから日本人は、ヒトを 「命(みこと=みことば)」 と称したのである。

 その、神のみことばの鳴りわたる 「神の国」 から出発するのが、「顔を洗って出直す」 ことである。

 そして――

≪(「生長の家」は) 何故そう云う名称を附したかと言えば、生は縦に無限に生(の)びることを現し、長は横に長(の)びることを現すからである。縦の無限連続は時間であり、横の無限連続が空間であり、縦と横と、時間と空間との交叉(こうさ)する万象発現の枢機を握るものが、内に一切を蔵する無字であり、一切を統一する天皇の御天職である。

 此の真理に世界の万民が目覚めないから万国互に相争うのである。全世界は天皇に於て一宇である。万国の民にそれを告げ知らせる東道
(みちしるべ)の役目を以て出現したのが吾々の団体である。≫

 と、生長の家創始者 谷口雅春先生は 『光明道中記』 p.31に宣べられている。

 顔を洗って出直せば、そこにはただ光明のみの世界がある。今すでに大調和の、ひろびろとした自由な世界がある。朗らかに笑って前進しよう。

≪光は暗(やみ)をみとめてその進軍を遠慮すると云うことはない。光は驀(まつしぐ)らに暗に向って進むのである。光が暗に向って進軍するとき暗は消える。進軍は行(ぎよう)である。

 「本来 『悪』 無し」とは、悪に対して卑怯にも眼を瞑
(と)じて、「悪」 を見ることを避け、それに触れることを避けて、「触らぬ神に祟(たたり)なし」 式に行動することではない。(『光明道中記』 p.174)≫

 すべての信徒に、「今、起て!」 と神は宣り給う。

 すべての信徒に、「今、起て!」 と、谷口雅宣総裁は宣り給うているのである。

 総裁は、

 「参院選で与党とその候補者を支援してはならない」

 と信徒を縛るようなショッキングな発言をして、実は信徒一人一人が真に解放された 「神の子」 なる自覚を取り戻し、自由意志で投票することを促されているのである。

 信徒一人一人が、「顔を洗って出直せば」、そういうことになるのだと思う。

 そういう、まことに常識を超えた深い愛なしには出来ないような行動をもって、信徒の自覚と決起を促された谷口雅宣生長の家総裁に、深甚なる感謝を捧げます。

 ありがとうございます。ありがとうございます。


   (2016.7.6) 

271 “顔を洗って出直せ”(6)


 前項で私は、

 ≪私は、安東巌氏の大きな実行力、持続力、人格力、組織力、誠実性とその業績に尊敬の念を持つ者です。その安東さんがいま、なぜそんなに生長の家総裁から激しく責められなければならないのか。上記の点があるとしたら、それはまことに残念な、お気の毒な気がかりなことであり、私は深く心を痛める者であります。≫

 と書きました。

 このことは、谷口雅宣生長の家現総裁にも同様なことが言えると思います。

 上記の 「安東さん」 のところを 「雅宣総裁」 に置き換えますと、

 ≪私は、谷口雅宣生長の家現総裁の大きな実行力、持続力、人格力、組織力、誠実性とその業績に尊敬の念を持つ者です。その雅宣総裁がいま、なぜそんなに一部の元信徒たちから激しく責められなければならないのか。上記の点(時空を超えた「神」に立脚していない)があるとしたら、それはまことに残念な、お気の毒な気がかりなことであり、私は深く心を痛める者であります。≫

 となります。

 「顔を洗って出直せ!」

 顔を洗って出直せば、そこにはただ光明のみの世界がある。今すでに大調和の、ひろびろとした自由な世界がある。

 『光明道中記』 p.376~379 に、谷口雅春先生は次のように書かれています。

          * * * * * * *

○ 地獄とは如何なる世界であるかと言うと、閻魔(えんま)と鬼とのいる世界である。閻魔は審判(さば)く者であり、鬼は悪を爬羅(ほじくりだ)して責める者である。人を審判き人を批難する者の住む世界が地獄である。

○ 仏の生活とは拝み合いの生活である。人間互に拝み合っているときその人の生活は仏である。

 自分の一群でだけ拝み合っていても、派閥を造って啀
(いが)み合い、吼(ほ)え合いするのは猛獣の生活である。

 ギリシャ神話には半人半獣の怪人があるが、半仏半獣の怪人が世の中にあって、自分の属する宗団だけでは互に拝み合い、他の宗団に対しては歯を剥
(む)き出しているのがある。派閥を造り徒党を組むと云うようなことから吾々は超越しなければならないのである。

 宗教家よ、まずみずからの紛争を解決せよ。

○ 毎日の宗教新聞を読んでいると、大抵宗教界の内紛が載せられていないことがない。まことに一見鼻もちならぬ気持がするのであるが、これがやはり本当は互に親しいからなのである。

 同級生のなかでも、首席になる者とビリ滓
(かす)になるものとは互に争わないが、同一点数位の者同士は大いに競い、大いに争うのである。仲が好い者、同点数に近い者、そうした人たちが争うのである。

 争いのように見えていて、本当は争っているのではない。近似を自覚しての動きだと云うことを知らねばならない。そして、「争いではない」 と知ったときに、形の上での争いも消えて了うのである。


          * * * * * * *

 「争いのように見えていて、本当は争っているのではない。近似を自覚しての動きだと云うことを知らねばならない。そして、『争いではない』 と知ったときに、形の上での争いも消えてしまうのである。」

 ――そうだったんだ。争いのように見えていて、本当は争っているのではなかったんだ! 切磋琢磨しあっていただけなんだ! そうだったんだ!

 実は、教団も、“本流” も、仲よく協力しあって、神の国実現の神の運動に励んでいたんだ。

 それを、争っているように見ていた私の眼が曇っていたんだ。私が、顔を洗って出直せばよいのだ! ありがとうございます。ありがとうございます。


 ――そうして、形の上でも争いが消えた状態にならないと、7月7日 「万教包容の神示祭」 を行っても、「自分たちの元熱心な信徒を包容するすることができないで、寝言みたいなことを言うな。ちゃんと顔を洗って出直してこい」 と言われるでありましょう。


   (2016.7.5)        →「世界最大の根本ウソは何か」

270 “顔を洗って出直せ”(5)


 
「顔を洗って出直せ!」

 顔を洗って出直せば、そこにはただ光明のみの世界がある。今すでに大調和の、ひろびろとした自由な世界がある。


 谷口雅宣生長の家総裁がこのたび引き合いに出され、全国各教区の幹部五者に無料で送られている、また世界聖典普及協会で取り扱うようになっているという、菅野完著 『日本会議の研究』 について、またちょっと感想を述べてみたいと思います。

 その 「第6章 淵源」 で、「右傾化路線の淵源に立つ男」 「原点にいた男」 として安東巌さんが挙げられている。

 『わが思い ひたぶるに』 という安東さんの書かれた本(昭和55年 生長の家青年会中央部刊)のことも取りあげられています。この本は、わが家にもありました。で、開いてみますと、「わが思い ひたぶるに」 というタイトルの通りの、安東さんの切々たる熱情が伝わってきます。その 「あとがき」 に、

≪ 最近読んだある碩学者の言の一節に、「とかく大事を成就することは、一心不定の死を惜しみ候ところより生じ申し候」 との感銘深い言葉があった。

 大事の成就は “一心不定の死を惜しむ”、――何が何だかわからぬような人生だけは送るまいと決意するところから、つまりのんべんだらりとした闇雲の生涯を恥とする生き方の中から生じてくるという意味である。

 ここに掲載された論文は、…(中略)…尊師谷口雅春先生、谷口清超先生の願いを、おのが願いとして生きることに人生を定めた一箇の信仰者が、……その精神の軌跡を記した書として読み込んで頂ければありがたいと思う。

 ……日本が真実の 「国家」 たるの道を歩むか否かは、これからの若き青年たちの憂国至情如何にかかっているといえよう。そしてそれは、「一心不定の死を惜しむ」 覚悟を裏打ちした信仰者がどれだけ私たちの中から出づるかにかかっているといえよう。……≫


 と書かれている。安東さんは、その思いを、今に至るまで持ちつづけてきた “鉄人” なのだ。「ひたぶるに」、今も40年前に誓った 「祖国再建」 の志を曲げず、己れを死に切ってなるべく表には立たず、懸命に生きてきた安東氏に、おのずから 「カリスマ性」 が生じて、「この人について行こう」 という仲間が手をつなぐようになったとしても、不思議ではない。

 安東さんは自分が政治的支配力を持とうというような野心からではなく、上記のような理想・志を貫いて生きてきたら、結果的に 「日本会議」 「谷口雅春先生を学ぶ会」 「生長の家社会事業団」 などのリーダーたちから信頼され、尊敬され、頼りにされるようになっていた、というのが事実であろうと私は思います。

 ただ、#246 にも書きましたが、『日本会議の研究』 に掲載されている、安東巌氏の学生時代、長崎大学での一コマ――

≪「てめえら、どういう考えでこんなビラ配るんだ!!」
 バシッと言う平手打ちとともに樺島(原文ママ)さんの身体が横倒しになった。今朝まで徹夜して作った二千枚のビラがバラバラとなり踏みにじられる。昭和41年7月3日、長崎大学正門前でのことである。
 この日のことを僕は永久に忘れない。なぜなら、この事件こそが、僕等をして学園正常化に走らしめた直接の原因だからである。……

 樺島さんと僕の二人で学園正常化有志会を結成、「デモ反対・全学連反対」のビラを配ろうとした矢先のリンチであった。
 入学して間もない僕が、これによって大きなショックを受けたとしても当然のことであろう。くしゃくしゃになったガリ刷りのビラを握りしめながら、こみ上げてくる怒りを僕はどうしても押える事ができなかった。(安東1969)≫


 ――こういう現象界での出来事が、安東氏の志の 「原点」 になっていたとしたら――そして、今はそれを引きずっていることはないつもりでも、現象のことを原点にしていたとしたら、その出発点に間違いがあったのではないか。

 正しい志の原点は、現象を超えた、時空を超えたところ、「久遠の今」 なる 「神」 でなくてはならない。神でなくては――神から出発しなければ、永遠に持続することができないのではないか。

 私は、安東氏の大きな実行力、持続力、人格力、組織力、誠実性とその業績に尊敬の念を持つ者です。その安東さんがいま、なぜそんなに生長の家総裁から激しく責められなければならないのか。上記の点があるとしたら、それはまことに残念な、お気の毒な気がかりなことであり、私は深く心を痛める者であります。

 ちなみに、私は昭和50年~54年、『理想世界』100万部運動ピークの時の、『理想世界』 誌編集長をつとめた者です。安東さんより年は6つばかり上の先輩に当たると思います。

 <つづく>


   (2016.7.5)

269 “顔を洗って出直せ”(4)


 
「顔を洗って出直せ!」

 顔を洗って出直せば、そこにはただ光明のみの世界がある。今すでに大調和の、ひろびろとした自由な世界がある。

 すべての信徒一人一人が、皆神の子として、イエス・キリストと同じき者、永遠に死せざる者、病いなき者、限りなき愛そのものとして、神の国実現の中心者として立つことが出来る。

 すべての信徒に、「今、起て!」 と神は宣り給う。

 すべての信徒に、「今、起て!」 と、谷口雅宣総裁は宣り給うているのである。

 「今、起て!」 とは、

 「今、神の子として起て!」

 「今、神聖受胎者として起て!」

 「今、宇宙の中心者、一切者として起て!」

 ということである。

 谷口雅宣生長の家総裁は、

 「参院選で与党とその候補者を支援してはならない」

 と信徒を縛るようなショッキングな発言をして、実は信徒一人一人が真に解放された 「神の子」 なる自覚を取り戻し、自由意志で投票することを促されているのである。

 信徒一人一人が、「顔を洗って出直せば」、そういうことになるのだと思う。

 そういう、まことに常識を超えた深い愛なしには出来ないような行動をもって、信徒の自覚と決起を促された谷口雅宣生長の家総裁に、深甚なる感謝を捧げます。

 ありがとうございます。ありがとうございます。


   (2016.7.5) 

268 “顔を洗って出直せ”(3)


 
「顔を洗って出直せ」 というのは、誰に向かって言っている言葉か?

 それは、他(ひと)に向かって言っているのではありません。自分自身に向かって言っているのであります。

 毎日毎日、「顔を洗って出直せ」 と自分自身に向かって言っているのであります。


≪何人(なんぴと)も自己の顔には泥を塗るべきなり。

  他
(ひと)の顔には泥を塗るべからず。

  ……奇蹟の根源は

  みずからの顔に泥を塗ること!

  吾れらすべからく

  自分の顔に泥を塗らざるべからず

  敢て他
(ひと)の顔に泥を塗るべからず!≫

  (聖詩 「黄金の薔薇」 より)


 であります。


 人間はみな本来至上者(いとたかきもの)、神聖受胎者である。「顔を洗って出直す」とは、その自覚に立ち還って出直すことである。

 そこに分裂はなく、混乱はなく、すべての者互いに讃嘆し合い協力し合い生かし合っている。顔を洗って、その實相を観ること。感謝すること。


≪ 「まもなく世界全体が、新しく生まれ変わる。

 まったく近いうちに、地上のすべての政治、経済体制は、ガラリと一新される。技術も、社会も、今とは比較にならないほど進歩する。理解がみなぎり、一体となった世界社会が実現する。

 原子力は、生活の便利のために利用できるようになる。政治面で婦人の役割は、さらに重要になる。指導的立場に立つ婦人がふえてくる。古くから残っていた階級は消滅する。

 最も変るのは教育である。その理論も実際も、根底から改革される。それは、人間観に一大変革が起こるからである。

 人間とは何か?

 現在では、環境にもみくだかれ、生活にこづき回され、機械や社会体制の部品となって、いつ廃物とされるかわからない、情けない、無力で不安定な存在にすぎない。人間とは本来、そういうものではなく、宇宙的にかかわりあっている、巨大な存在なのだ――と、アガシヤは教える。」

「それを自覚せねばならぬ時がまもなく訪れてくる。激しいショックを受け、大きな試練をのりこえて、いやでも人間は、本当の自分自身に目ざめ、偉大な自覚を抱くようになる。それがつまり地上の浄化だ。

 この上もなく平和な、輝かしい時代は、人類をゆり動かす大きなショックとともにやってくる。」≫



 という70年前のアガシャの預言が、成就しつつあるのかも知れない。

 「激しいショック」とは、迷いの自壊作用である。

 「まだまだ烈しいことが今後起るであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない」
 (「声字即実相の神示」)

 であります。


   (2016.7.4) 

267 “顔を洗って出直せ”(2)


 
前項で 「黄金の薔薇」 という谷口雅春先生の詩を掲げさせて頂きましたが、その詩の意味がわかるようなご文章が、『愛と光との生活』(新選谷口雅春選集8)にありましたので、ご紹介します。前の詩で 「ベルナルドネ」 となっている少女の名は、こちらでは 「ベルナデット」 となっていますが、同じ少女のことです。

     * * * * *

≪ フランスのルールドというところに霊泉が湧き出て、その霊泉に浸るものは不思議に病気が治る。生長の家に劣らないほど素晴らしい奇蹟的な治り方がするそうでありまして、毎年一遍巡礼期間というものがあって、その時には何十万人のフランス人が巡礼して行くというのです。(中略)

 事の起こりを簡単に申しますと、千八百何年かのこと、ベルナデットと称する十七、八歳の乙女が、ルールドの町の郊外を歩いていると、白衣をつけ青い帯を結んで、黄金のバラの花三輪をその素足で空中にふんで立っている神々しい、まだうら若い十五、六歳にも見えるところの女神に出遭ったのであります。

 その女神は空中からその乙女だけに聞こえる声で色々の事を教えてくれたそうですが、ある日 「お前は悔い改めよ、悔い改めたら肉体は救われるかどうか知らぬが魂は救われる」 とおっしゃるのです。「その悔い改めのしるしに顔を洗え、ここの土を掘って顔を洗え」 とおっしゃるのです。

 それから乙女は、そこの土を掘って顔を洗ったのです。土を掘ると、そこから噴水が泉となって噴き出した。土を掘りたての時に噴水の出たことですから、どろどろの土を噴き出して、それで顔を洗ったら顔ぢゅう泥だらけになった。

 そんな泥だらけの水で顔を洗うものですから、「あれは気が狂った、ベルナデットもかわいそうなものだ」 と町の人が言っておったそうですが、やがてその神様が、乙女に 「ここに教会を建てよ。祠
(ほこら)を建てよ」 とおっしゃったのであります。

 そこで近所の教会に行って牧師さんにこういう神様が祠
(ほこら)を建てよと言われるから祠を建てたいと言いますと、「いったい何という神様か、その神様の名前を聞いてこい」 と言われますので、その神様のところへ往って聴きますと、「我こそは無原罪の受胎である」 こういう長たらしい神名をおっしゃったのであります。

 ずいぶん長い神様の名前でありますが、これは 「本来罪なきもの」 の神聖受胎であります。罪によって生まれたところの人間ではない。神聖なるものが天降
(あまくだ)ってきて受胎したのだ。

 聖霊の汚れない妊娠、これは聖母マリアであると言うので、ルールドの聖地にはマリアの像を岸壁に彫刻してあるのですが、「我こそは無原罪の受胎である」 とこうおっしゃったところの、その無原罪の受胎が顕現するための、罪を洗うところの象徴としてそこに霊泉が噴き出しているのでありまして、その中に 「罪あると思っている人」 が浸ると、「無原罪の受胎」――「神聖受胎」――人間本来の浄らかなるもの――病なきもの――が現われて病気が忽然
(こつねん)と消えてしまうことになるのであろうと思われます。

 これはフランス・ルールドにおける奇蹟の私の解釈でありますが、その病の治る原理は 「本来罪なきものの受胎」 でありますから、その神聖受胎はなるほどある程度までこちらの波長が合わなかったら形に現われて来ないのであります。だから昨年ルールドへ行ったけれども治らなかったが今年行ったらぽかっと一度に治ったというようなことも起こるのであります。

 ラジオの波でもそんなものであります。波長を合わすと、徐々に聴こえてくるというよりも、むしろ同波長の圏内へぴたりと合ったとき、聴こえてくるのでありましょう。神様の救いもやはりそういう式に、神様の救いはラジオの波と同じように宇宙いっぱい充満しておりますけれども 「おかげは我が心にあり」 で、こちらの心の波長が合ってきたらパッと聴こえてくるのであります。心の波長が合わなかったら、徐々にも聴こえてきはしないのであります。

 この波長が合うのはこちらにも神様と同じ波長があるからであります。神様の無原罪の原理が、こちらへ感じてきて、こちらが 「罪なき者」 になる、「浄められた者」 になる。それは本来 「浄められた者」 がみんなに宿っているからであります。それを自覚しまして旧
(ふる)い 「汚れたる我」 は無いと悟る、本当の自分はすでに 「久遠劫(くおんごう)以前から悟りを開いていたものだ」 と悟る、これが 「我(われ)の置換(おきかえ)」 であり、生まれかわりであります。

 自分は肉体にあらず、ヒトであると悟る、ヒトとは霊止(ヒト)である。つまり、神聖受胎であります。

 イエス・キリストが、「汝らの中に罪なき者が一人いる」 と言ったと聖書にありますが、罪なき者が皆さんの中に、ひとりひとりの中に 「罪なき者」 が一人いるのであります。すでに悪い癖もなければ、いろいろの因縁も業もない、はじめから聖浄なる者が、あなたの中にいらっしゃるのであります。罪なきものが一人ずつ宿っている、それが皆さんである。

 罪なき者であったらどうして病気が起こるか。

 そんな病気などというものは本当は無いのです。罪なき者に悪い性癖がどうして現われてくるか。そんなものはあるように見えてもないのであります。

 それだのにある人は人間には病気がある、悪癖があると思っているのであります。ですから思うとおりに現れる。心に描くものは形に現れる。時間空間の世界に出ているものは皆、自分の心の影であります。実相の完全な相
(すがた)の上に一枚賦彩(ふさい)した――心で色づけたものであります。

 その奥には真物
(ほんもの)の聖(とうと)い完全な相(すがた)があるのですけれども、心で色づけして、それを別の相(すがた)のように見ている、――見えているのであります。

 芝居を観に行きますと、六十の老人が十七、八歳に化けてしまったり、二十くらいの役者が七十くらいのおじいさんに化けてしまったりするのですが、そういうふうに、表面を自分の心の波によって色づけして、病気を表したり、悪癖を表したりして化けているのであります。病人も、悪癖も、みんなお化けであって、それは本物の上をどうらんで塗りつぶしてお化粧しているだけのことであります。

       八

 人間は始めから罪なきものであります。それなのに、心の迷いで塗りつぶして、あの人は病人であって肺臓が空洞になっていると思う。その思いの波動が物質化して医学的に検診してみても肺臓が空洞になっているように顕われている。実相の肺臓は壊れていはしないけれども、そういうふうに現れるのであります。

 そういうふうに吾々の心で塗ったところの、心で色づけしたところの仮の姿が肉眼に見えている姿であります。ですから吾々は肉眼で見える病気の姿を、本当にある、あると思って、その通りを始終心に描いておりましたら、先に描いた絵の具がはげる時分にはまた新しい絵の具で病気の姿を塗っていることになりますから、いつまでたってもその絵の具が消えないでいるのであります。

 心で賦彩
(ふさい)せるものが現象の姿でありますから、上から塗った病気色の白粉(おしろい)が剥(は)げたら、実相の健康な生地(きじ)が現れるのでありますけれども、夜昼なしに心の思いで 「ああ私は病気だ、病気だ」 と考えまして、「病気、病気」 という絵の具を塗って、五官の鏡に映して見ておりますと、常に心の絵の具で塗る通りに現れますから病気が決して消えないのであります。

 華厳経
(けごんぎょう)の唯心偈(ゆいしんげ)に 「心は工(たくみ)なる画師(えし)の如く種々の五蘊(ごうん)を描く」 と説いてあるのは、まことにそのとおりであります。

 その迷いの白粉
(おしろい)を塗った顔を洗い浄めるのが空中に現れた 「無原罪」 の神様が 「顔洗え」 とおっしゃることだろうと存じます。

 が、だからこの 「顔洗えよ」 「悔い改めよ」 というのはこれこれの日常の行為の一つ一つについてこれを改めるというようなそんな小さい個々別々の問題ではなく、もっと大きな悔い改め、「人間は肉体である」 と考えておったその考えをスッカリ悔い改めて、「人間は物質にあらず、肉体にあらず、久遠不滅のいのちである。神聖なる神のいのちがそのままここに受胎しているだ、神聖受胎だ」 という、その神聖受胎の悟りにまでクラリと変わるのが、本当の悔い改めで、これが 「顔を洗う」 ことであります。

 「顔を洗って出直して来い」 と俗に申しますが、心の顔を洗い浄めて、神聖受胎そのままの顔になって出てくれば、今まで狭いと思っていた世界が広くなり、今まで暗いと思っていた世界が明るくなり、病がなくなり、家庭が調和し、本当に楽しい世界がそこにあらわれて来るのであります。

   (新選谷口雅春選集8 『愛と光との生活』 131~138頁より抜粋)≫


   (2016.7.3) 

266 “顔を洗って出直せ”(1)


≪     黄 金 の 薔 薇

          (谷口雅春先生 『ひかりの語録』 より)


黄金
(おうごん)の薔薇(ばら)三輪(りん)空中に咲き出でぬ、
黄金は久遠
(くおん)金剛不壊(こんごうふえ)を象微す。
三輪は知恵と愛と生命なり
それを踏まえて立ち給えるは処女マリヤ―

処女マリヤは純潔を象徴す。
処女こそ全てのものの真
(まこと)の母なり。
処女懐妊こそ
肉欲の子にあらず
不染者
(ふせんじや)の受胎なり
久遠人間の受胎なり
聖霊の受胎なり
吾等すべて処女より生る!

「悔い改めよ、天国は近づけり」
少女ベルナルドネは眼をあげぬ。
彼女の瞳を強く射るものは
女神マリヤの二の腕の
桃色の膚
(はだ)に輝ける処女マリヤの
黄金の十字架!

桃色の美しき腕
(ただむき)
肉体を象徴す。
黄金の十字架のそれに懸
(かか)れるは
肉体の久遠抹殺(エターナル・クロス)を象徴す。
「悔改めよ、天国は近づけり」
ふたたび聖声
(みこえ)きこえきぬ!
「悔改めよ、天国は近づけり」
みたび聖声
(みこえ)のきこえしとき
ベルナルドネは土を掘り
湧き出ずる泥水にて
浅猿
(あさま)しき相(すがた)にまで顔漱(すす)ぎぬ。

少女ベルナルドネの顔は
泥にて覆われ、
群衆は叫ぶ――
ベルナルドネは狂
(きょう)せりと。

されど、
ベルナルドネは狂せるに非ず
何人
(なんぴと)も自己の顔には泥を塗るべきなり。
(ひと)の顔には泥を塗るべからず。

自己の顔に泥を塗るは
(ふる)き自己の抹殺なり
旧き自己を抹殺してのみ
我れこそは浄められたる者と言い得ん。

みずから泥を塗りたる顔は
やがて女神、聖少女ベルナルドネとして輝き、
泥水を噴出せしその跡より
滾々
(こんこん)として湧き出ずる清水は
是れ万人の罪を浄むる聖泉!

今もなおこの聖泉に浴する者は
すべての難病悉く癒え
跛者
(あしなえ)は立ち
盲人
(めしい)は眼を開き
聾者
(ろうしゃ)は聞え
唖者
(あしゃ)は物言う。――
これ仏蘭西
(フランス)ルールドの奇蹟なり
現代に今もなおある奇蹟なり。

この奇蹟の根源は
みずからの顔に泥を塗ること!
吾れらすべからく
自分の顔に泥を塗らざるべからず
敢て他
(ひと)の顔に泥を塗るべからず!≫


   (2016.7.3)     →世界最大の根本ウソは何か

265 EUの問題から世界平和への道を考える(3)


 生命は、秩序を創り出す力である。ドイツ・フランスが欧州統合を推し進め、欧州連合(EU)をつくったのは、2度の大戦による悲惨な結果への反省が出発点だった。戦後の新しい秩序を創り出そうとしたのだ。

 そのEUが、さまざまな危機を克服しながら今日
(こんにち)28の加盟国を包容して結束・拡大を企図し、苦悩している。

 英国は6月23日国民投票で離脱派が勝ったが、いま多くの英国民が Brexit(離脱)を Bregret(後悔)し、残留を求める(再投票を求める)運動なども起こっているという。そして、辞任を表明しているキャメロン首相の後任を選ぶ与党・保守党の党首選挙に、離脱派のリーダーだったジョンソン氏が不出馬を決め、この問題は一層混迷を深めている。

 こうした状況を目にし耳にして、脳裡に浮かぶことは――

○ EUはノーベル平和賞も受賞したが、本当に平和に貢献したのはEUよりも NATO (北大西洋条約機構)だったとも言われる。

○ 国連とは何だったのか。日本に広がっている国連幻想の虚妄性。「国際連合」は、正しくは「連合国」と呼ぶべきもの。壮大な無駄と腐敗の体系だったのではないか。

○ ASEAN(東南アジア諸国連合)とEUとの共通点と相違点。

○ 昭和18年(1943)アジア諸国の代表を東京に招いて開催した 「大東亜会議」 のこと。

○ 「八紘一宇(Universal Brotherhood)」 の日本建国の理想。

○ これから100年スパンで世界平和、人類の共存共栄の道を考えたとき、日本の役割・使命は? と考えた時に、アインシュタインが言ったという言葉――『秘められたる神示』 p.170 に谷口雅春先生が書かれているお言葉が、思い浮かぶのであります。即ち、アインシュタインの言葉として――

       * * * * * * *

≪「世界の未来は進むだけ進み、その間幾度びも争いは繰り返され、最後に戦さに疲れる時がくる。その時人類は必ず誠の平和を求めて世界的盟主をあげねばならぬ時が来る。

 この世界盟主なるものは、武力や金の力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた最も古く又尊い家柄でなくてはならぬ。

 世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならぬ。吾々は神に感謝する。天が吾々に日本という尊い国を作って置いてくれたことを。」

 このように世界最高の知性も十六菊の家が世界連邦の中央に輝かなければならないことを説いているのであります。≫


○ そしてその前に、谷口雅春先生は次のように説かれている(『秘められたる神示』 p.167p.~170、「久遠天上理想国実現の神示」 の御講義として)。――

≪ 「生滅常なき現実世界が変じて久遠実相世界の常住性を顕現するには、常住性ある国がひろがりて常住性なき国を包みて、十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界としなければならぬ。」

 と、神示は教えているのであります。「常住性ある国」とは、神武建国以来一度も天皇なる中心が廃
(すた)れたことのない国のことであると私は考えます。

 さて、日本の皇室の御紋章の十六菊の説明がその次に書かれているのであります。即ち 「十六菊と云うのは光が十六方位にひろがりて、十六方位の国ことごとくを中心に統一せることを象徴(かたちど)ったものである」 と説明されております。

 これは菊花の御紋章が何故、その花弁が十六枚にしてあるのか、何故その図形に○が中心になっているのか、何故その○に十六方向の線が中心帰一しているのかの説明であります。

 「常住性ある国がひろがりて常住性なき国を包みて」 とありますから、何だか 「常住性ある日本国が、世界各国を併合したり征服したりする」 かの如く誤解を受けるおそれがありますが、そのように誤解してはならないと私は考えます。「光が十六方位にひろがりて」 とありますから、「武力がひろがる」 のではなく、自然と天皇の御徳の光がひろがり、全世界の国々が自由意志で会議の上、永久平和の世界をつくるには世界連邦をつくるより仕方がないと考えるときが来る。

 世界連邦も唯、連邦になったままで、各国、自分の好き候を主張しているのでは世界連邦以前と同じだから、連邦をつくる以上連邦政府の中央主権を象徴する神聖な何かがなければならない。

 しかし世界各国を見渡してもどこの国にもそのような神聖なる連邦政府の主権を象徴するような方はいない。どうしても、そのような 「神聖な中心」 を求むれば、日本天皇にそれを求めなければならないのであります。

 「光が十六方位にひろがりて」 は天皇の御徳の光があらゆる方角にひろがり聞えることであって、「十六菊」 とは 「十六聞く」 にほかならないのであり、「世界連邦の中心主権の象徴としては、どうしても日本天皇になって戴くより外は仕方がございません」 と世界各国から推戴して来る時期が来ることが此処に暗示されているのでありますまいか。≫


 ――と説かれているのであります。

 100年スパン、あるいは1000年スパンで世界平和の問題を考えるとき、私は上記のことは神はからいとしてきっとそのようになるのだろうと思います。そして、そのために生長の家は地上に出現しているのだと思っています。

 その 「神の国」 実現のためには、「天皇国日本」 を守らなければならない。そのためには、このたびの参院選で、民進党とか共産党など、天皇をないがしろにするような無責任な党を支援することは、絶対にできません。

   (2016.7.2)     →世界最大の根本ウソは何か

264 EUの問題から世界平和への道を考える(2)


 生命は、秩序を創り出す力である。「生命」 は、「神」 と言いかえてもよい。

 ドイツ・フランスが欧州統合を推し進め、欧州連合(EU)をつくったのは、2度の大戦による悲惨な結果への反省が出発点だった。戦後の新しい秩序を創り出そうとしたのだ。

 欧州連合規約では欧州連合の存在価値について、以下のようにうたっている。

 「連合は人間の尊厳に対する敬意、自由、民主主義、平等、法の支配、マイノリティに属する権利を含む人権の尊重という価値観に基づいて設置されている。これらの価値観は多元的共存、無差別、寛容、正義、結束、女性と男性との間での平等が普及する社会において、加盟国に共通するものである。」

 そして欧州連合では 「多様性における統一」 を標語として掲げ、この語句は欧州連合における公用語とされる23言語で表現されている。約5億人の人口を有する欧州連合において、一体性とともに文化や言語の多様性は尊重されるべきものとして扱われているのである。


 多くの国では欧州統合は単なる経済利益のための共同体ではない。
 ところが英国は 「実利主義で欧州統合に加わった」(英外交筋)。歴史認識という重みがないため、経済的な損得計算と感情論だけで 「脱EU」 につながる素地があった。つまりEUと英国は底流にあるものが違っていたという。

■亀裂を招いた実利主義

 亀裂は2年前から明らかだった。24日、英国が国民投票で欧州連合(EU)からの離脱を決めると、すかさずドイツのガウク大統領は声明を出した。

 「ドイツは引き続き英国と建設的な関係となるように努力する。なぜなら我々は同じ価値観を共有している」。

 だが表向きの反応とは裏腹に、英国との深い溝はとっくに知っていた。

 2年前の2014年8月3日、ガウク大統領は仏アルザス地方の山岳地帯にいた。そこは1914年に始まった第1次世界大戦の激戦地。100年前の戦没者を追悼するために訪れた。

 「ドイツは2回の大戦を引き起こし、独仏の国民を2度にわたって憎悪に駆り立ててしまった」。

 式典で口にしたのは謝罪の言葉。そして演説をこう締めくくった。

 「血塗られた20世紀という過去から学び、平和と自由を欧州全体に広めるべきだ。」

 すると同席していたフランスのオランド大統領が応じた。

 「欧州統合でしか世の中は良くならない」。
 そしてガウク大統領を黙って抱きしめた。

 翌4日、ガウク大統領が向かったのはベルギーにある激戦地。今度は英国が主催する式典に参加するためだった。だがキャメロン英首相は戦争の悲惨さを訴えるばかり。その教訓を踏まえた欧州統合には一言も触れなかった。

 「欧州統合の位置づけが違っていた」
 と、ドイツに駐在したことのある英外交筋は感じる。

 独仏が欧州統合を推し進めたのは2度の大戦への反省が出発点。
 「反EU」は和平の実現という理想主義に反旗を翻すことを意味する。
 特に凄惨な市街戦を体験したドイツでは言い出しにくい空気がある。

 「欧州統合は平和主義。それを忘れてはいけない」。
 英国がEU離脱を決めた直後のメルケル首相のコメントである。


 失敗だったのは、(独仏と英国)双方が溝を埋めようとしなかったことだ。残留キャンペーンを張った英政府や英メディアの多くは、少し前まで 「独仏に支配されたEU」 と非難していた。そんな非協力的な英国を独仏は排除しようとした。

 内輪もめに明け暮れているあいだに、英国では反EU感情が高まっていた。それを英国の残留派も独仏も過小評価した。その結果が、「離脱」 多数となった。

 独・仏などが気にしているのは、欧州統合という実験が破綻してしまうこと。そうなれば経済面だけでなく、国内政治、外交・安全保障、そして教育・福祉などあらゆる分野の戦後秩序が根底から覆る。それだけ欧州統合は深く根を張っている。

 しかし戦後71年。戦争を知る世代が消え、平和の実現という理想主義だけで欧州統合が保てる時代は終わりつつある。かといって 「経済的な利益」 だけでは説得力に欠ける。

 次の推進力を探さなければ未来は危ういが、それが見つからない。それがいまの欧州の最大のジレンマである。

 (以上は、日本経済新聞ベルリン支局 赤川省吾氏のレポート等から学ばせて頂きました)

              ○

 6月29日の日経夕刊 「あすへの話題」 欄に、多摩美術大学学長 建畠 晢氏が次のように書いておられる。

≪ ……ベルリンの壁の崩壊以降、世界のすべてを包摂するようなイデオロギーが退潮に向かい、政治も文化もあるべき未来や理想を指し示せなくなってしまった。

 大きな物語の時代は終わった、これからは小さな物語の戯れがあるだけだといわれはするが、それは結果としてテロの拡散やどこにも求心力のないアナーキーなアートの状況を招いただけだという、一種の空虚感が社会にわだかまりつつあるのかもしれない。

 温故知新といわれるように、私たちの文化がなお生産的であるためには、継承すべき、あるいは乗り越えるべき先達の業績が見据えられなければならない。≫


 と。

 <つづく>

   (2016.7.1)

263 EUの問題から世界平和への道を考える(1)


 大学生の孫が、英国が離脱(Brexit)する欧州連合(EU)の問題についてどう考えるか、レポート提出を求められているので、おじいちゃんの意見を聞きたいという。

 それで私は勉強不足ながら、歴史を振り返り、思うところをざっとまとめて、ここに発表してみたいと思います。

              ○

 20世紀前半の2度の世界大戦(第一次1914~1918年、第二次1939~1945年)で、戦場となったヨーロッパは死屍累々の大惨禍をもたらした。

 第一次大戦では戦闘員の戦死者900万人、非戦闘員の死者1,000万人、負傷者2,200万人と推定されている。またこの戦争によって、当時流行していたスペインかぜが船舶を伝い伝染して世界的に猛威をふるい、戦没者を上回る数の病没者を出した。帰還兵の中には、砲撃が続く塹壕戦の長期化で一瞬で手足や命を奪われる恐怖に晒され続けた結果、「シェルショック」(後のPTSDと呼ばれる症状)にかかる者もいた。こうした心の病や手足などの体の一部を吹き飛ばされた外傷は、それまでの戦争では見られなかった人智を越えるもので、当時の医師達を悩ませた。

 参戦国の殆どが国力を出し尽くした第一次世界大戦による損害は、もはや敗戦国の賠償金程度でどうにかなる規模を遥かに超えてしまっていた。莫大な資源・国富の消耗、そして膨大な死者を生み出した戦争を人々は憎み、ヴェルサイユ講和条約が成立した(1919)。

 しかしイギリスの経済学者ケインズは 「ドイツ人など貧困にあえいでいればよい、というような考え方では、いつの日か必ず復讐されることになる」 と条約を批判、アメリカのある上院議員も 「この条約は先の大戦より悲惨な戦争を呼ぶものであると確信した」 と述べた。

 ウィルソン大統領の提唱により、1920年に人類史上初の国際平和機構である国際連盟が設立され、1928年には主要国間で不戦条約(ケロッグ=ブリアン協定)が締結された。 これら国際平和のためのさまざまな努力もむなしく、ヴェルサイユ条約調印のほぼ20年後の1939年に、再び全世界規模の第二次世界大戦が勃発することとなる。

 第二次大戦では、軍人・民間人の被害者数の総計は世界で5〜8千万人に上るといわれている。


 ジャン・モネは第一次世界大戦時、ロンドンで活動し、1919年から1923年にかけて国際連盟の事務次長を務め、その後は1938年までコニャックで家業を営んでいたが、1932年以降、国際的にさまざまな分野で重要人物として提言し、世界各地で影響力を持つようになっていた。

 そのジャン・モネの構想を基礎に、1950年5月9日に発表された 「シューマン宣言」 では、2度の世界大戦で荒廃していたヨーロッパを結束させていくことで復興と平和の実現を目指した。この理念を具現化したもののひとつが欧州連合である。

 このシューマン宣言が発表された5月9日について、1985年にミラノで開かれた欧州理事会で 「ヨーロッパ・デー」 とすることが決められた。

 また欧州評議会は1955年に青地に金色に輝く12個の星の円環を描いた旗を「欧州旗」とし、ヨーロッパにおける機関に対してこの旗をシンボルとして使うことを進めていたが、1985年のミラノ欧州理事会において 「欧州連合の旗」 とすることが採択された。

 このとき同時にベートーヴェンの交響曲第9番第4楽章 『歓喜の歌』 を 「欧州連合の歌」 とすることも合意された。

 近代のヨーロッパが残した大きな遺産のひとつが、クラシック音楽であろう。バッハ、モーツァルト、ベートーベン、ブラームスと、世界のあちこちで、高貴な和音や美しく力強い旋律が奏でられ、傷ついた心を癒やしたり、悩める魂を励ましたりし続けている。その最高峰とも言えるベートーヴェンの第九交響曲。

 「抱き合おう、よろずの人々よ!」 と訴えるベートーベン第九 「歓喜の歌」 (#169参照)は、現在も 「欧州の歌」 として統合の象徴であり続けているはずだ。

 しかし、「反EU」 は 「和平の実現」 という理想主義に反旗を翻すことを意味する。

 <つづく>

   (2016.6.30)
262 私はなぜ生長の家をやめないのか


 私は、生長の家現総裁のおっしゃることや教団の方針を真っ向から全否定するような異論を述べてしまったと思います。敢えて異論を唱えるつもりで言っているのではありません。自分の信念を吐露したら、そうなってしまったのです。

 それなら(自分の信念が教団の方針と合わないなら)、教団組織から退会、離脱すればよいではないかとおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。

 それは、ふつうの会社や趣味の団体とか、政治結社の場合なら、私は迷わずそうするでしょう。

 しかし、「生長の家」 というのは、「今まさに波にさらわれて覆没しようとしている」 感のある人類を救うために、神が始められた 「神の国実現」 のための神の運動団体である。谷口雅春先生がお悟りになった真理は神から授かった公共の真理、人類を救う真理であるから、それをくらましてはならない。と信じている私は、自分勝手に退会することはいたしません。あくまでも教団組織から離れないで、真理を守り、宣べ伝えて行くべき使命が私にはあると思うからです。

 教団組織から除名処分を受け組織会員としての資格を剥奪されるならば、それもやむを得ないと思っています。

 ありがとうございます。


   (2016.6.28)
261 世界最大の根本ウソは何か(2)


世界最大の根本ウソは、人間は “肉体” という物質的存在だというウソである

 ――と谷口雅春先生は説かれている(前項 #260 参照)。これこそ、信仰者として守り通すべき 「ウソをつかない」 生き方の最大根本真理でありましょう。

 現在、生長の家教団の 「環境運動」 の根本前提として、「人間至上主義は間違っている」 とよく言われるが、それは人間は肉体である、動物であるという肉体人間観、動物人間観に立っている、つまり 「根本ウソ」 に立っているのである。これが、本当の宗教運動と言えるのか。

 環境を大切にするのは当然のことである。環境は自心の展開であり、自分自身であると言えるからである。人間の(自分の)本体は神であり、環境も本来神(仏)の心の展開であるからである。

 しかし、「人間至上主義は間違っている」 という肉体人間観、動物人間観に立った環境運動は、人間解放の宗教運動ではなく、「根本ウソ」 に立った“環境の奴隷” 運動となる。「人間は肉体ではなく、至上なるもの――神である」 という自覚に立ってすべてを礼拝し生かして行くとき、環境は自ずから浄まるのである。ウソだらけの現象から出発して 「太陽光発電」 などに偏った運動は、かえって環境破壊に手を貸すことにもなり得る。


 さて、雅宣総裁は、安部総理はウソつきだから支持してはいけない、とおっしゃるが、私は、そうは思わない。

 その理由は後で述べるとして、民主党(現在の民進党)や共産党はウソをついていないのか。


 民主党は、平成21年の衆院選で、ウソだらけの 「マニフェスト」 を高く掲げて大勝し、政権交代が行われた。しかし、そのマニフェストは大ウソの、実現不可能なものだったことが明白となり、内政も外交も完全に破綻した。

 その 「大ウソ マニフェスト」 が正式発表されたのは平成21年衆院選を1ヵ月後に控えた7月27日。民主党代表であった鳩山氏は、このマニフェストに掲げた政策が実現しなかった場合、「政治家として責任をとる」と語ったが、その言葉もウソだった。マニフェストは、選挙に勝つことだけを目的とした詐欺同然の手口で、国民を欺いたに等しいものだったのである。その結果、民主党政権は国民から見放され、その後惨敗して立ち直れないまま今日に至っている。


 共産党は、基本的に天皇制反対であり、暴力革命も否定しない、民主主義に反する党なのであるが、現在はそれを隠している、ウソつきの党なのである。

 そもそも日本共産党とは、大正11年(1922)ソ連に司令部があった国際共産主義組織コミンテルンの日本支部として誕生した政党であり、共産主義体制とは、プロレタリア独裁=共産党独裁=党最高指導者専制の政治である。「君主制度の国は人間平等の原則に反し、民主的でなく、国民の自由は奪われる」という主張は全くの大ウソで、共産主義体制の国こそ、国民の自由は奪われ、共産党幹部以外の国民は差別され虐げられる自由も民主もない専制国家であることは、共産中国や北朝鮮を見れば明らかである。その共産主義を今も捨ててはいないのが共産党なのである。


 「大ウソ」 といえば、東京裁判(連合軍による「極東国際軍事裁判」)というのは、国際法に準拠することもなく、戦勝国が敗戦国を懲罰のために勝手に裁いた、「裁判」 という名に値しない茶番であった。連合国軍総司令官だったマッカーサーが、後にそのことを証言している。

 そして、「日本国憲法」 がまた、一国の 「憲法」 というに価しない、国家主権のない時に占領軍によって作られた 「占領基本法」 にすぎない代物であり、「ニセ札」 のような、「ニセ憲法」 である。日本を永久に弱体化し米国の属国のようにし続けることを前提に、「主権在民」 「軍備放棄」 などを謳っているが、これが 「崇高な人類の普遍的理想」 だなどというのは、大ウソである。

 百田尚樹氏著 『カエルの楽園』 がまるで予言の書になりそうな気配のある昨今、安保法制反対を唱えるなどは、それこそ時代錯誤である。

 今年は 「ABCリスク」 が取り沙汰されてきた。America(米国<トランプ>)、Brexit(英国<EU離脱>)、China(中国<習近平>)である。Bは現実のものとなり、そのほか北朝鮮の核の脅威も、冗談ではなくなった。

 戦後70年以上もたった今、正しい世界平和実現のために、「ニセ憲法」 を見直すことは当然すぎるほど当然なのである。私は、安部総理を応援し、与党および改憲勢力が3分の2以上を占めて、改憲への足がかりができるようになることを切望します。


   (2016.6.27)
260 世界最大の根本ウソは何か


 6月17日、「谷口雅春大聖師三十一年祭」が長崎の総本山で行われた時の雅宣総裁のご挨拶文が 「唐松模様」 に掲載されています。その中に、


≪ 「ウソをつかない」 ということは、宗教者に必須の信条であり、素質です。……どうか皆さん、信仰者として 「ウソをつかない」 生き方を守り通してください。≫


 というお言葉があります(安部総理はウソつきだから支持してはいけない、という文脈で)。

 ところで、谷口雅春先生は 『神と偕に生きる真理365章』 の210頁以下に、
「世界最大の根本ウソは何か」 と題し、次のように書かれています。


≪   世界最大の根本ウソは何か

 一つの嘘
(うそ)をつけば、その嘘を弁護したり、合理化するために、更に無数の嘘を重ねねばならなくなるのである。そして最も大いなるウソは人間は “肉体” という物質的存在だというウソである。

 この 「根本ウソ」 を仏教では 「根本無明
(むみょう)」 というのである。この 「根本ウソ」 を本当だと騙(だま)されたことを創世記では 「知恵の樹の果(み)」 をアダムとイヴとが食べたと象徴的物語で説いているのである。仏教では 「この 『根本無明』 によって、人間は “生老病死” の四苦を受けるようになった」 と説くのであり、キリスト教では、「“知恵の樹の実” を食したアダムの原罪によって人類は “罪の子” となり楽園から追放された」 と説くのである。

 吾々が “エデンの楽園” を奪還し、永久に “老病死の迷界” の現象から超越するためには “知恵の樹の果” を吐き出して、“生命の樹の実” をよく噛んで食べることである。“生命の樹の実” をたべるとは “生命の実相” の真理をよく咀嚼
(そしゃく)して自分の血となし肉となすことであるのである。


     “根本無明”から目を覚ませ

 人間が肉体という物質的存在であるという “根本ウソ” から、人間は、女の子宮から生まれて来た肉体であり、老い、且つ病み、死すべきものだという第二のウソがあらわれて来るのである。

 聖経 『甘露の法雨』 には

 「最初の夢なければ 次の夢なし。悉く夢なければ本来人間清浄なるが故に 罪を犯さんと欲するも 罪を犯すこと能わず、悉く夢なければ自性
(じしょう)無病なるが故に 病に罹(かか)らんと欲するも 病に罹ること能わず、悉く夢なければ本来永生(かぎりなきいのち)なるが故に死滅すること能わず……」

 というように示されているのである。

 “夢” というものは “ナイもの” を “アル” と信ぜしめられ “アルもの” を “ナイ” と見せられるものであるから、ウソの一種である。それゆえに、

 「悉く夢なければ本来永生
(かぎりなきいのち)なるが故に死滅すること能わず」

 という聖句は、

 「悉くウソなければ、本来永生
(かぎりなきいのち)なるが故に死滅すること能わず」

 と書きかえても同じ意味なのである。

 何よりも、人間は肉体という物質的存在ではなく、“神の子” なる霊的実在であるという、最初の真理から出発し直すことが必要なのである。

 (谷口雅春先生著 『神と偕に生きる真理365章』 210~212頁より)≫


 ――これこそ、信仰者として守り通すべき 「ウソをつかない」 生き方の最大根本真理でありましょう。

 <つづく>


   (2016.6.26)
259 「ノアの方舟(はこぶね)」と生長の家


≪ 神ノアに言い給いけるは人の末期(おわり)わが前に近づけり。其(そ)は彼等のために暴虐世に満つればなり。視よ吾れ彼等を世とともに剪滅(ほろぼ)さん。汝(なんじ)松の木をもて汝の為に方舟(はこぶね)を造り、方舟の中に房(へや)を作り瀝青(やに)をもてその内外を塗るべし。(『創世記』 第6章13~14)

 エホバ、ノアに言いたまいけるは汝と汝の家族皆方舟
(はこぶね)に入るべし、我汝が此世の人の中にてわが前に義(ただ)しきを見たればなり。……今七日ありて我四十日四十夜地に雨ふらしめ、我造りたる凡(あら)ゆるものを地の面(おもて)より拭い去らん。

 ノア、エホバの凡
(すべ)て己に命じたまいし如くなせり。地に洪水ありける時にノア六百歳なりき。ノアの齢(よわい)の六百歳の二月即(すなわち)その月の十七日に当り、此の日に大淵(おおわだ)の源皆潰(やぶ)れ、天の戸開けて雨四十日四十夜地に注げり。……水はびこりて十五キュピトに上りければ、山々おおわれたり。……凡そ其の鼻に生命(いのち)の気息(いき)のかよう者すべて陸に生棲する者死ねり。斯く地の表面(おもて)にある万物を、人より家畜(けもの)、昆虫(はうもの)、空の鳥にいたるまで尽(ことごとく)拭い去り給えり。……

 唯ノアおよび彼とともに方舟にありし者のみ存
(のこ)れり。水百五十目の間地に蔓(はびこ)りぬ。(『創世紀』第7章)≫

 と、旧約聖書の 『創世記』 に記されている。これを引いて、『生命の實相』 第11巻(万教帰一篇)118~119頁には、次のように書かれている。

≪ ……人間の心がたがいに闘い、人間の心の迷い、心の争いがますます盛んになってきますと、われわれの周囲の世界はわれわれの念の投影でありますから、階級と階級と相闘い天変地変相ついで起こり、ついに 「迷い」 の一掃的自壊を起こして来るのであります。

 この時に、神の指図によって造られたノアの方舟
(はこぶね)に乗っていた者だけが助かるということがここに予言されているのであります。

 ノアの方舟というのはなんであるかといいますと、方舟というのは神の教えの船ということである。仏教でも、これを船にたとえて如来の願船とか大乗とか小乗とかいいます。ノアというのはNO・Aであります。「NO」 は空であり 「A」 は阿字であり大日如来の本体であります。

 諸法は空(くう)である。「空」 であるといっても、何もないということではない。諸法は空(NO)であって、同時にその空の背後に無量光、無量寿の大日如来(A――阿字)が在
(い)まして、この大日如来のみが実在である。われわれの生命は大日如来より出で、大日如来の内にあり、大日如来と一体である。

 この真理の真
(まことの)教えが 「ノアの方舟」 であります。すなわち 「生長の家」 の教えはちょうどこの 「ノアの方舟」 に当たるのであります。

 『旧約聖書』 の唯物論的経済社会発展とその自壊作用たるノアの洪水は過去に一度あったことでありますが、同時にそれは現在に再現している状態の予言であり、したがってまた、今後に起こる状態の予言でもあるのであります。

 『創世記』 の価値は、宇宙創造の実際と、「無明(
むみょう)」 の偽創造と、「無明」 の発展集積と、その発展集積の後自然に土崩(どほう)自壊するところのいわゆる 「ノアの洪水」 と、その救いの願船 「ノアの方舟」(生長の家)の出現が予言せられている点であります。(『生命の實相』第11巻 118~119頁)≫

 と示されているのであります。

 さて、

≪ 吾が第一の神殿は既に成れり。名付けて 『生命の實相』 と言う。……『生命の實相』 を展開(ひら)けば形の理想世界が成就するのである。今は過渡時代であるから、仮相(かりのすがた)の自壊作用として色々の出来事が突発する。……神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いと相搏(あいう)って自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起るであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。≫

 と、「声字
(しょうじ)即実相の神示」 に示されている。

 ところが、『生命の實相』 の出版をめぐって生長の家教団と生長の家社会事業団などが裁判に持ち込んで争い合い、分裂抗争の様相を呈してきた――と見えるのも、これは

 「今は過渡時代であるから、仮相(かりのすがた)の自壊作用として色々の出来事が突発する。……神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いと相搏(あいう)って自壊するのだ」

 という 「自壊作用」 のあらわれであり、

 「まだまだ烈しいことが今後起るであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない」

 ということなのでしょう。

 ここに 「生命の実相」 とあるのは、『生命の實相』 という本のことではなく、「久遠の今」 なる実相の真理、自他一体・不滅の真理のことであります。

 そして、

 ≪「生長の家」 の教えは 「ノアの方舟」 に当たる≫

 というのは、谷口雅春先生が説かれた実相生長の家の教えのことである。

 タヌキの泥舟(物質の舟、現象世界の乗り物)は沈む。現象界の教団などの組織は、自壊作用で沈むかも知れない。しかし、「久遠の今」 なる神のみことばは、

 
「天地は過ぎゆかん、然(さ)れど我が言(ことば)は過ぎ往くことなし(「マタイ伝」24-35)」

 であります。


   (2016.6.22)
258 「生死の教え」の神示


 
≪     生死の教(おしえ)

 生死はままならぬと言えども生死は心のままである。兄弟を生かす心の者は生き、兄弟を殺す心の者は死す。

 殺すと言うても刀で斬ることではない。兄弟を生かす心のないものは殺しているのである。周囲の人々の思わくを生かしてやるのは 『兄弟を生かす』 の最も大なるものである。自己の好まざる所を他に転嫁するは 『兄弟を殺す』 の最も大なるものである。

 周囲に痰
(たん)を吐き散らすな、紙屑を投げ捨てるな。これは物質のことでもあれど、物質のことだけではない。口角(こうかく)(あわ)を飛ばして兄弟を非難する者は兄弟の心に唾(つば)を吐きかける者である。腹立ちを手紙に書いて送る者は兄弟の心に紙屑を投げる者である。かれは兄弟の心を言葉で殺し文字で殺す者である。

 兄弟の心を殺すよりも尚
(なお)大なる殺しがある。汝の両親の思いやりを殺し、汝の主君の思いやりを殺す者である。

 本当に汝が、心の殺人を止めて感謝の心に充たされるようになるまでは、心の波長が違うから神の救いの霊波は受けられぬ。(昭和六年九月五日神示)≫



 ――私は最近また上の神示を拝誦する機会を得て、己を省み、「自分は心の殺人をして来なかったか」 と反省をしております。

 「久遠の今」 に立つということは、すべてはわが内にあり、すべてが自分であると自覚することでした。だから 「兄弟を生かす心の者は生き、兄弟を殺す心の者は死す」 なのでした。私は、すべての人を、物を、事を、生かす者でありたいと思います。

≪    わが祈り (『聖光録』<九月の吾が祈り>より)

 観世音菩薩様。あなたの慈悲を私の慈悲とならしめ給え。生きとし生ける者を愛し、憎むことなく、憤ることなく、すべての人々を赦し、愛し、はぐくみ、大いなる観世音菩薩の慈悲をもって、すべての人々を抱くことが出来ますように。

 観世音菩薩様。どんな時にも倦むことなく、疲れることなく、人々の憎み苦しみを救うために挺身し得る大いなるあなた様の勇猛心を与えたまえ。

 観世音菩薩様。あなたが三十三身に身の姿を変じ給いて衆生を済度したまうように、時と人と場所とに応じて適当なる方便を行じて人々を救うことが出来ますように。

 観世音菩薩様。あなたの慈悲と柔和の相好をわたしの相好とならしめ給え。人々がわたしの顔を見るだけで幸福と光明と歓喜と祝福とに満たされる相好とならしめ給え。

 観世音菩薩様。あなたの清らかなる思いが私の思いとなりますように。あなたのやさしき言葉が私の言葉となりますように。あなたの慈悲の行いが私の行いとなりますように。

 観世音菩薩様。わたしの行く処に常に現れたまいて、わたしの触れるすべての人々に光と健康とを与えたまえ。一人として私の話をきく者が病むことなく悩むことなく貧しきことなからしめ給え。

 観世音菩薩様。わたしの中に完全に流れ入りたまえ。私はあなたに無条件降伏しました。私を動かし給う者はあなたであります。わたしはあなたの内に生きあなたの内に住まい、あなたの御心のままにあなたのみ心を行じているのでございます。ありがとうございます。≫


   (2016.6.20)
257 タヌキの泥舟から無目堅間の小舟=ノアの方舟へ


 タヌキの泥舟は溶けて沈む。

 古事記神話の「海幸
(うみさち)・山幸(やまさち)」の物語では、火遠理命(ほおりのみこと)=山幸彦が塩槌翁(しおつちのおきな)に教えられ無目堅間(めなしかつま)の小舟に乗って龍宮海に入りしとき、失った釣り針も出て来て、不滅の命・如意宝珠を得るのである。

 だから「生長の家の歌」の3番「古事記讃歌」に

≪ 天津日子(あまつひこ) 火遠理(ほおり)の命(みこと)
   現象の わなにかかりて
   海幸を 我
(が)の力にて釣りたまう
   されどつりばり 失いて
   まがれる鉤
(はり)に まようとき
   しおつちの神 あらわれて
   めなしかつまの み船にて
   龍宮城に導きぬ
   龍宮城はいま此処ぞ 龍宮城はいま此処ぞ≫

 とある。そして

≪龍宮海に入るみ舟を“無目堅間(めなしかつま)の小舟(おぶね)”と称するのである。“無目(めなし)” とは “時間の目盛り” がないことである。すなわち 「無時間」 の象徴である。“堅間(かつま)” とはギッシリ堅く詰まって空間がない――すなわち 「無空間」 の象徴である。すべての 「引っかかり」 も、「曲がり」 も、「喪失」 も、時間・空間の“持続”と“ひろがり”の世界において起こることであって、“時間”いまだ発せず、“空間”いまだ展開せざる “無時・無空” の極微の一点――極微すらも未だあらわれざる一点においては、一切の「引っかかり」も、「曲がり」も、「喪失」もない――この一点を 「無字の一点」 というのである。「無の門関」 といってもよい。

 意識が現象の世界を脱してこの一点に乗ることを 「無目堅間の小船」 に乗るというのである。≫


 と、『如意自在の生活365章』 34頁に書かれている。すなわち 「無目堅間の小船」 に乗るというのは 「久遠の今」 「天地の初発」 「不生不滅の命の本源」 に立ち還るということことである。

 「無目堅間の小舟」は、旧約聖書では「ノアの方舟
(はこぶね)」という。(『生命の實相』第8巻117~119頁)

 谷口雅春先生の御講義 「久遠の今」 において、先生は

≪ 生長の家の神想観の時に、「吾れ今五官の世界を去って実相の世界に入る」 というのがありますが、「吾れ今」 というその 「今」 が、「常今」 であります。Eternal Now(エターナル・ナウ)であります。「永遠の今」 であります。……「吾れ・今・此処」 が全く一つになってしまって、「久遠の今」 が、「永遠の今」 が、「今」 「此処」 「吾れ」 と一体になってしまって、時間と空間とを絶したところの 「実相の今」 というものがあらわれてくるのであります。

 その「実相の今」 の、そこに私たちは生活するのです。何月何日の何時何十何分、どこそこの空間において生活する――と、そんなふうに生活しているのだったら、吾々はいろいろな問題にひっかかることになります。

 「いつ、だれが、あんなことをぬかしやがった」 とか、「どこで、どんなことをしやがった」 というので腹が立ってきたり、クシャクシャしたりするんだ。

 それは、本当の 「今」 というところに生活していないで、ある時間の流れ、どこかの空間的存在において、誰がどうしたとか、未来はどうなるであろうとか、そういうような 「現在」 というところで生活してしまっておって、「久遠の今」 「実相の今」、「発して節
(せつ)に中(あた)る」 ところの、急所急所にピシリと当たるところの 「今」 というところに生活していないから、それでいろいろと悩まなければならないことが起ってくるんです。……それで、常に 「吾れ・今・此処」 というその実相の中に、「未発の中(ちゅう)」 のなかに坐って、なんにも掴まないで、時と人と場所とに応じてピシリ、ピシリと節に中(あた)るということにいたしますと、事々物々間違いがなく、何事も急所を押さえて、間違いなく適当な処置がとれるということになるのであります。
 ……
 此処には一切のものがあるのであります。「真空妙有
(みょうう)」である。真空の「無」の中に坐しながら、あらゆる妙(たえ)なるものが、そこに存在するのであります。「真空」にして同時に「妙有」であって、そこは透き通っておって、無色透明である。無色透明であるから何にもないのかというと、あらゆる色が備わっているのであります。無色透明の太陽光線みたいに、その太陽光線の中に一切の七色の光がある。しかもその七色が互いに対立しないで渾然(こんぜん)ひとつになっているというように、無色透明、透明な生活――というようなことになれるわけでありまして、それが生長の家の生き方であるのであります。≫

 ――これが生長の家の教義の中核、根幹である。

 「久遠の今」 に立つとき、そこは光明一元、歓喜一元、実相独在の世界なのであり、分裂抗争のない世界である。今、生長の家が分裂抗争の状態を現しているのは、「久遠の今」 に立っていないからなのである。


   (2016.6.19)
256 『カチカチ山』タヌキの泥舟は沈む(4)


 さて、6月9日に、「今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針」 というのが出されています。
http://www.jp.seicho-no-ie.org/news/sni_news_20160609.html

 ここに、

≪   「与党とその候補者を支持しない」

来る7月の参議院選挙を目前に控え、当教団は、安倍晋三首相の政治姿勢に対して明確な「反対」の意思を表明するために、「与党とその候補者を支持しない」ことを6月8日、本部の方針として決定し、全国の会員・信徒に周知することにしました。その理由は、安倍政権は民主政治の根幹をなす立憲主義を軽視し、福島第一原発事故の惨禍を省みずに原発再稼働を強行し、海外に向かっては緊張を高め、原発の技術輸出に注力するなど、私たちの信仰や信念と相容れない政策や政治運営を行ってきたからです。≫

 とあり、そして

≪……世界平和の実現など社会を改革する方法については、明治憲法の復元は言うに及ばず、現憲法の改正などを含め、教団が政治的力を持つことで“上から行う”のではなく、国民一人一人が“神の子”としての自覚をもち、それを実生活の中で表現し、良心にしたがって生きること。政治的には、自己利益の追求ではなく、良心(神の御心)の命ずることを、「意見表明」 や 「投票」 などの民主的ルールにしたがって “下から行う” ことを推進してきました。

 私たちは、社会の変革は、信徒一人一人が正しい行動を “下から” 積み上げていくことで実現可能と考え、実践しています。……各個人の信念とライフスタイルの変革が必要です。私たちはそれを実行することで、世界平和に貢献する道を選びました。≫


 と書かれています。

 この、「信徒一人一人が正しい行動を “下から” 積み上げていくことで実現可能だと考え、実践しています」 というのは、本当でしょうか?

 「ウソだ! 欺瞞だ!」

 と私は言いたい。

 私は昨年3月下旬に、『何処へ行く? 「生長の家」――総裁への公開質問』という本を自費出版し、総裁・理事・参議・全国の教化部長などに送りました。そのまえがき(「はじめに」)をもう一度公開します。

             ○

      は じ め に

 「生長の家は何処
(どこ)にあるか」と問われたら、私は「生長の家は今、ここにあります。私が生長の家です。生長の家は、わたしの生命(いのち)です」と答えたいと思います。

 今が天地
(あめつち)の初発(はじめ)の時であり、此処(ここ)が生長の家(たかあまはら)(高天原)である。わが生命(いのち)は天之御中(あめのみなか)の御生命(おんいのち)が鳴りひびいているのである。谷口雅春先生が、「本当の生長の家本部は神界にある」とおっしゃった、神界とは遠くにあるのではなく、「神の国は今此処わが内にあり」ということであると信じます。

 生長の家とは、時間・空間未だ発せざる中
(みなか)、一切万象発生の枢機を握る「久遠の今」なる本源世界、大宇宙(たかあまはら)である。そして――

≪ 全世界を宇(いえ)と為す神武天皇の八紘為宇
(はっこういう)の建国の理想は決して侵略精神ではない。八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。此の理念を「生長の家」と言う。

 理念は普遍的なものであるから、これは私の家ではない。何故そう云う名称を附したかと言えば、生は縦に無限に生
(の)びることを現し、長は横に長(の)びることを現すからである。縦の無限連続は時間であり、横の無限連続が空間であり、縦と横と、時間と空間との交叉する万象発現の枢機を握るものが、内に一切を蔵する無字であり、一切を統一する天皇の御天職である。此の真理に世界の万民が目覚めないから万国互に相争うのである。

 全世界は天皇に於て一宇である。万国の民にそれを告げ知らせる東道
(みちしるべ)の役目を以て出現したのが吾々の団体である。(谷口雅春先生『光明道中記』31頁より)≫

 これが、生長の家の教義の中心部分であり、生長の家出現の目的、使命である。これをなくせば塩に塩気がなくなったと同様、「もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけ」(マタイ伝第5章13節)になってしまうのではないか、と私は思います。

 本書に『何処へ行く?「生長の家」』と題を付けたのは、「生長の家は東京原宿から森の中へ行く」というような、外形の問題ではありません。魂の問題です。今の生長の家は、

 「われ今実相の世界を去って五官の世界に入る」

 となっているのではないか、ということです。

 谷口雅宣・生長の家総裁が昨年11月に公刊された『宗教はなぜ都会を離れるか?』の「はしがき」に、「宗教の教祖も、その人が生きた環境と時代から完全に自由になることはない」とあり、同年11月22日 総本山に於ける式典での総裁ご挨拶原稿〈「唐松模様」所載〉には

 「『宗教運動は時代の制約下にある』ということを、皆さんはぜひ理解していただきたいのです。……私たちは今日、地球温暖化問題を深刻に捉え、その抑制に向かって真剣に取り組んでいます。生長の家が国際本部を東京から八ヶ岳の南麓に移転したのも、それが最大の理由である……つまり、宗教は時代と環境の要請から生まれるから、その時代と環境が変化すれば、宗教自体も変化を要求されるのである。だから、戦前・戦後に説かれた教えは戦後に修正されることもあるし、冷戦時代の宗教運動の目標や方法が、冷戦後には採用されないこともあるのである。この時代応現の変化の意味が分からないと、宗教は社会に有害な影響をもたらすことになる」

 と書かれていますが、本当の宗教は「時代と環境の要請から生まれ、時代と共に変化する」ものではなく、時代を超越した永遠の真理を説くべきものであると私は信じます。

 生長の家は今、「正念場」を迎えているという気がします。教化部長がいくら頑張ってみても、講習会受講者数も聖使命会員数も減り続け、教勢の下降に歯止めがかかりません。このまま行けば、教団は、つぶれはしなくとも、存続の意味がほとんどないほどになって行くのではないかと思われます。それは、真理がくらまされているからではないのか。「正念場」とは、「正念」すなわち「神は完全であって、神の造り給うた世界には、不調和や不完全はナイ」と実相を観ずる「正念」をもって、適切な処置行動をしなければならないギリギリの時だということでしょう。

 それで、今年(2015年)新年の総裁のご挨拶文や、新刊書 『宗教はなぜ都会を離れるか』 を拝読して疑問に思うことなどを率直に申し上げ、「私の考えはまちがっていますでしょうか?」 というのが、本書 「第一部・総裁への公開質問」 でございます。総裁が現象面のことを根拠に説かれるのに対しては、現象面の歴史的事実などから出発して申し上げております。憚りながら、245頁以下に採録させていただきました「張玄素のようでありたい」 というような思いをもって、書かせて頂きました。私も80歳を超え、今生での残る時間は限られています。そこで、「これを言わなければ死ねない。」 このままでは、生長の家は消えてしまい、日本の危機、世界の危機は救われない。今起たずして何時
(いつ)起つべきか――という思いなのです。

 「第二部」資料編「疾風怒濤のわが青春記録より」は、わが魂の足跡ともいうべきもの。私は昭和26年(1951)、高校生時代に『生命の實相』の御光
(みひかり)によって新生し、激動の時代に 「自分はこの御教えに人生を賭ける」 と決めました。それから60年以上たった今、これまで私が青年時代から書いて生長の家の月刊誌、機関紙誌その他の雑誌、単行本等に掲載された論文・対話録などから、選んで編集したものを、資料として採録させていただきました。これらは前の「第一部」公開質問編の基盤となっております。

 この冊子は、私の 「内なる神へのレポート」 と言ってもよいものだと感じております。

 はなはだ恐縮ながら、ご一読くださいまして、総裁先生には質問へのご回答を、それ以外の諸先生皆様にも、ご意見・ご感想ないしご指導を賜れれば、まことに有り難き幸せに存じます。

 平成18年(1956)生長の家本部を退職し地方講師とならせていただいてから今まで約9年間に、私は幾たびか総裁に直接お手紙を差し上げました。しかし、何のお返事もいただけませんでしたので、今回は、失礼ながら公開質問の形をとらせていただきます。

 なにとぞよろしくお願い申し上げます。

      平成27年3月吉日
                            岡  正 章 


             ○

 以上のような 「まえがき」 をつけた公開質問を掲載した本(全252ページ)を自費出版し、総裁および教団幹部の方々にお送りしたのですが、1年と数ヵ月たった今も、なんらお返事を頂けておりません。

 この項の冒頭に掲げさせていただいた 「今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針」 に、

 
≪私たちは、社会の変革は、信徒一人一人が正しい行動を“下から”積み上げていくことで実現可能と考え、実践しています。…(略)…本教団は今夏の参院選においては 「与党とその候補者を支持しない」 との決定を行い、ここに会員・信徒への指針として周知を訴えるものです。≫

 とありますが、それは本当ですか? ウソではありませんか。「私たち」とは、誰ですか。疑問には答えることなく、“下から” ではなく “上からもの申す”、信徒は皆この方針に従うよう徹底せよ、と命令通達しているようにも思えます。

 私は、下から、「自分の良心にしたがって」、与党とその候補者を支持します。

 <つづく>

   (2016.6.18)

255 『カチカチ山』タヌキの泥舟は沈む(3)


 『カチカチ山』の昔話は、何を教えているのでしょうか。私はこう考えました。

 ≪おじいさんはタヌキのいたずらにがまん出来なくなり、畑にワナをしかけてタヌキを捕まえました。そしてタヌキを家の天井につるすと、
「ばあさんや、こいつは性悪
(しょうわる)ダヌキだから、決してなわをほどいてはいけないよ」
 と言って、 そのまま畑仕事に出かけたのです。≫


 そうしたら、おじいさんの言った通りにますます「性悪
(しょうわる)」のすがたをあらわしたのであります。

 「カチカチ山」の物語には、#253 にアップしたのよりもっと残酷なバージョンもあります、というかそれが本筋だったようです。すなわち――

≪おじいさんは、つかまえたタヌキを家に持ち帰り、
「悪いタヌキをつかまえたぞ。タヌキ汁にして食おう」

といって、また畑に戻りました。

家ではおばあさんが、タヌキ汁を作る準備を始めました。タヌキは食われてはたまらんと、何とか逃げようとしますが、どうしても縄から抜けることができません。そこでおばあさんに言いました。

「おばあさん、縄がきつくて痛い。少し緩めてくれないか」

「そんなことしたら、お前は逃げるだろう。お前に逃げられてはおじいさんに叱られる」

おばあさんはそういって仕事を続けます。タヌキは一計を案じました。

「おばあさん、私は悪いタヌキでした。食べられても仕方ない。でも、一人で仕事をするのは大変だろう。私が手伝ってあげるよ。そしておじいさんが戻ってくるまでにまた縛られていればいいだろう?」

タヌキはしおらしく、そう言いました。するとおばあさんはすっかりだまされてしまい

「そうかい。だったら手伝ってもらおうかねぇ」

と言って、縄を緩めました。

するとタヌキは、いきなりおばあさんをなぐって殺してしまいました。そして、皮をはいで肉を鍋に入れて煮込みました。それから、おばあさんの皮をかぶって、おじいさんが帰るのを待ちました。

「おじいさん、待ち遠しかったから、タヌキは私が絞めて、タヌキ汁を作りましたよ」

おじいさんが帰ると、おばあさんの皮をかぶったタヌキが言いました。

「おや、そうかい。大変だったろう」

おじいさんは、おばあさんもなかなかやるわい、と思いながら、おばあさんの皮をかぶったタヌキが汁をついでくれるのを受け取りました。

「ちょっと肉がかたいな。やはり古ダヌキだったからかな」

などといいながら、おじいさんは汁を食べます。そしてずいぶん食べた所で、タヌキは皮を脱いで正体を見せました。

「やーい、食ったな食ったな。そいつは俺が殺して入れたばあさんの肉だぜ。ばばあ汁食べた、ばばあ汁食べた、やーいざまぁ見ろ」

タヌキはそう捨てぜりふを吐くと、おじいさんが呆然としている間にさっさと逃げてしまいました。

おじいさんは、ショックのあまり寝込んでしまいました。タヌキにだまされただけでなく、最愛のおばあさんをなくし、しかも知らぬこととはいえ、その肉を食べてしまったのです。≫

 
というのです――。

 悪い奴を縛ってこらしめてやろう、殺して食ってやろうなどと思えば(言えば)、逆に(愛する者を)殺されて食われてしまうよ。『カチカチ山』 の物語は、そう教えている。

 <つづく>

   (2016.6.17)
254 『カチカチ山』タヌキの泥舟は沈む(2)


 『カチカチ山』の昔話は、何を教えているのでしょうか。私はこう考えました。

 まず、最後のところ、タヌキが乗った泥舟はとけて沈んでしまったというところ。

 泥は物質(現象)の象徴であり、木は生命(実相)の象徴だと考えられます。

 だからタヌキの乗った泥舟は現象の舟(mortal、朽ちゆくもの)だからとけて沈み、ウサギの乗った木の舟というのは、木には生命がやどっている、生命の舟だから沈むことはなかった。生命は「久遠の今」から発した波動(コトバ)であり、生死を超えた不滅(immortal)なるものであります。

 以上は、「カチカチ山」の物語の最後の部分について教えていることだと考えますが、もっと前の方の話――

≪おじいさんはタヌキのいたずらにがまん出来なくなり、畑にワナをしかけてタヌキを捕まえました。そしてタヌキを家の天井につるすと、
「ばあさんや、こいつは性悪
(しょうわる)ダヌキだから、決してなわをほどいてはいけないよ」
と、言って、 そのまま畑仕事に出かけたのです。≫


 ――ここに、すでに問題がありますね。

 「帰幽の神示」(聖経 『天使の言葉』 の前に 「『久遠生命』の神示」 として掲載されている最初の神示)に、

≪汝の肉体は汝の念弦の弾奏する曲譜である。……一曲は終るとも弾(ひ)き手は終るのではない、弾き手は神の子であって不死であるぞ。≫

 と宣示されています。そして、『到彼岸の神示』(谷口雅春先生著 神示講義・自覚の巻)でこの「帰幽の神示」の御講義に、

≪「生命」は空間的広がりの世界には無いのであって、その空間的広がりの無い世界から“コトバ”即ち「生命の波」を起すのであります。その結果、時間空間というものが生じ、現象界に波が現れて、だんく振動数の迅(はや)い小さい波から振動数の大きい波になって、広がって行く訳です。(188頁)≫

 とあります。人間の本体も「生命」であって、時間・空間を超えたところ、すなわち「久遠の今」にあり、そこから生命の振動が外へひろがって、霊体・幽体・エーテル体・肉体、そしてオーラというものも発している。そのうち肉体だけが肉眼に見えている。

≪この「無」即「無限」なるものが「生命」の本体であります。「無」といっても「有」に対する「相対無」じゃなくて、一切を自己に包容する「絶対無」であります。

 ……霊体の内部に広がりを超越した所の本体があります。……「人間とは如何なるものか」というと、此の本体が人間でありまして、此の本体がピアノの絃でも弾奏する様に「振動」を起して、その「振動」によって現わしている所のものが肉眼で見える世界であり、人間であるという訳であります。

 で、生命が振動を起さなかったら「空間」も無いのであります。「空間」というと、「生命」が動いているエネルギーの範囲が「空間」として我々が認識するという事になっているのであります。だから「生命」が動かない「静」のそのままでは「無空間」であります。「無空間の世界」にある所の本体の「生命」が振動を起すと、その振動の範囲が空間として我々に認識され、その振動の持続が時間として認識されるという事になっているのであります。だから本来空間なしであり、本来時間なしであります。しかもそれは無時間無空間の世界にある時間・空間を超えた本体の振動の範囲を空間として、その振動の持続を時間として我々は認識しているという訳であります。(同189~191頁)≫


 生命は、時間空間をも生み出した本体にあり、人間も生命であって本体は時空を超えた不滅なるものであります。そして宇宙の主人公、環境の主人公なのであります。

 これを教え、自覚させるのが宗教の役目なのであります。本当の宗教的「救い」は、この不滅なる自己、宇宙大生命と一体なる自己を自覚させるところにあります。泥舟に乗っている衆生を、木の舟に乗り換えさせる救済力を失った宗教は、(ひろさちやさんが言うところの)役に立たない“インポテ宗教”である。

 前書 『到彼岸の神示』 には、次のようにも説かれています。

≪    自心の延長としての環境

 オーラは肉体の直接周辺にありますが、またまたその外に我々の雰囲気が造っている世界があります。それは環境であります。

 環境というものは、自分の全然外にあるみたいですけれども、ある意味からいうと、本体から出たところの心の波が 「霊体」 となり、「幽体」 となり、肉体となり、更に 「オーラ」 となり、更にそれが遠くまで及んで、自分の 「環境」 として現れたのだとみることが出来るのであります。

 だから、「環境は自分の心の影」 といいますけれども、自分の心の波それ自体がそこに具象化しているのだとみてもいい訳であります。結局自分の環境にあらわれて来るものは皆自分自身なんであります。「外にあるものは一つもない、一切が自分である」 という事になるのであります。

 だから環境に何事があらわれて来ても、それは自分自身の心だと反省しなければなりません。(194~195頁)≫


 で、『カチカチ山』 の話にもどります。

≪おじいさんはタヌキのいたずらにがまん出来なくなり、畑にワナをしかけてタヌキを捕まえました。そしてタヌキを家の天井につるすと、
「ばあさんや、こいつは性悪
(しょうわる)ダヌキだから、決してなわをほどいてはいけないよ」
と、言って、 そのまま畑仕事に出かけたのです。≫


 ここに、まずおじいさんの失敗があったのですね。

 <つづく>

   (2016.6.16)
253 『カチカチ山』 タヌキの泥舟は沈む


 長く語り継がれてきた民話、昔話というようなものには、人生の真理が寓話として語られています。『カチカチ山』 のタヌキの、泥舟が沈んだ話もそうです。

≪     カチカチ山

 むかしむかし、おじいさんの家の裏山に、一匹のタヌキが住んでいました。
 タヌキは悪いタヌキで、おじいさんが畑で働いていますと、
 「やーい、ヨボヨボじじい。ヨボヨボじじい」
 と、悪口を言って、夜になるとおじいさんの畑からイモを盗んでいくのです。

 おじいさんはタヌキのいたずらにがまん出来なくなり、畑にワナをしかけてタヌキを捕まえました。そしてタヌキを家の天井につるすと、

 「ばあさんや、こいつは性悪
(しょうわる)ダヌキだから、決してなわをほどいてはいけないよ」
 と言って、 そのまま畑仕事に出かけたのです。

 おじいさんがいなくなると、タヌキは人の良いおばあさんに言いました。
 「おばあさん、わたしは反省しています。もう悪い事はしません。つぐないに、おばあさんの肩をもんであげましょう」

 「そんな事を言って、逃げるつもりなんだろう?」
 「いえいえ。では、タヌキ秘伝のまんじゅうを作ってあげましょう」
 「秘伝のまんじゅう?」

 「はい。 とってもおいしいですし、一口食べれば十年は長生き出来るのです。
 きっと、おじいさんが喜びますよ。」
 「そうかい。おじいさんが長生き出来るのかい」

 おばあさんはタヌキに言われるまま、しばっていたなわをほどいてしまいました。
 そのとたん、タヌキはおばあさんにおそいかかって、そばにあった棒でおばあさんを殴り殺したのです。

 「ははーん、バカなババアめ。タヌキを信じるなんて」
 タヌキはそう言って、裏山に逃げて行きました。

 しばらくして帰ってきたおじいさんは、倒れているおばあさんを見てビックリ。
 「ばあさん! ばあさん! ・・・ああっ、なんて事だ」

  おじいさんがオイオイと泣いていますと、心やさしいウサギがやって来ました。
 「おじいさん、どうしたのです?」
 「タヌキが、タヌキのやつが、ばあさんをこんなにして、逃げてしまったんだ」
 「ああ、あの悪いタヌキですね。おじいさん、わたしがおばあさんのかたきをとってあげます」

 ウサギはタヌキをやっつける方法を考えると、タヌキを柴刈りに誘いました。
 「タヌキくん。山へ柴刈りに行かないかい?」
 「それはいいな。よし、行こう」

 さて、その柴刈りの帰り道、ウサギは火打ち石で『カチカチ』と、タヌキの背負っている柴に火を付けました。
 「おや? ウサギさん、今の『カチカチ』と言う音はなんだい?」
 「ああ、この山はカチカチ山さ。だからカチカチというのさ」
 「ふーん」

 しばらくすると、タヌキの背負っている柴が、『ボウボウ』と燃え始めました。
 「おや? ウサギさん、この『ボウボウ』と言う音はなんだい?」
 「ああ、この山はボウボウ山さ、だからボウボウというのさ」
 「ふーん」

 そのうちに、タヌキの背負った柴は大きく燃え出しました。
 「なんだか、あついな。・・・あつい、あつい、助けてくれー!」
 タヌキは背中に、大やけどをおいました。

 やがてタヌキの背中が治ったので、ウサギはタヌキを釣りに誘いました。
 「タヌキくん。舟をつくったから、海へ釣りに行こう」
 「それはいいな。よし、行こう」

 海に行きますと、二せきの舟がありました。
 ウサギは、木でつくった小さめの舟に乗りました。
 タヌキは、泥でつくった茶色い大きな舟に乗りました。
 二せきの船は、どんどんと沖へ行きました。

 「タヌキくん、どうだい? その舟の乗り心地は?」
 「うん、いいよ。ウサギさん、舟をつくってくれてありがとう。・・・あれ、なんだか水がしみこんできたぞ」
 泥で出来た舟が、だんだん水に溶けてきたのです。

 「うわーっ、助けてくれ! 舟が溶けていくよー!」
 大あわてのタヌキに、ウサギが言いました。
 「ざまあみろ、おばあさんを殺したバツだ」

 やがてタヌキの泥舟は全部溶けてしまい、タヌキはそのまま海の底に沈んでしまいましたとさ。

    ――おしまい――≫


 ――この昔話は、何を教えているのでしょうか。皆さまは、どうお考えになりますか?

 私の思うところは、次回に述べさせていただきます。

   (2016.6.15)
252 『天地の初発』 に立とう(4)


 昨日 #251 でちょっとご紹介した四宮正貴氏が、その主宰する四宮政治文化研究所のウェブサイトに、まっとうな正論を書いておられる。

「冷戦構造崩壊後の混乱と闘争の歴史と、天皇国日本の使命」
http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2016/06/post-bfab.html

 どうぞ、ごらんください。ポイントのみを以下にご紹介します。

≪旧ソ連および東欧の共産主義体制の崩壊し、東西冷戦構造も消滅した。しかしこれで世界は平和になったわけでは全くなかった。東西冷戦構造の時代はアメリカと旧ソ連という二超大国の世界支配が強大であったので民族間・国家間の対立抗争は押さえられてきた。言ってみればソ連とアメリカという重石が「冷戦構造」という名の「平和」を維持して来たと言って良い。それが無くなってしまったのだ。そして国家と国家・民族と民族・宗教と宗教の鋭い対立抗争の時代に突入したのだ。冷戦構造崩壊後の歴史を見れば火を見るよりも明らかである。
 (中略)

今日求められている民族主義には、民族の伝統に回帰することによってその民族が幸福になるのみならず、世界の平和実件に寄与するという理想がなければならない。今日の日本に求められているのは、日本傳統信仰・日本民族精神による世界平和確立への貢献である。

前述したように民族主義はそれぞれの民族の中核精神への回帰と憧憬の心がその根幹となっている。日本建国の精神は世界平和の思想(八絋一宇・万邦共栄の精神)であり、日本民族の中核精神たる日本国体精神は、覇権覇道闘争の精神ではなく、米作りという絶対に平和的な人間の生産活動より生まれた精神である。地上においてお米を豊かに実らせるというのが、日本天皇が神から授かった御使命である。我等日本人はこの精神を発展させて、いよいよ混迷を深める真の全世界の安定と繁栄の実現のために貢献すべきである。それが即ち「この漂へる國を修理固成(つくりかためな) せ」との御神勅を奉行することなのである。

今こそ、『大日本帝国憲法』の國體条項に示された日本國體精神すなわち「天壌無窮のご神勅」の精神の恢弘が大切なのである。≫


             ○

 さて、私は前項で書きましたように、

 「久遠の今」 なる生長の家の“原理主義者”です。

 これ(「久遠の今」)は、死んでも死なない不滅の原理として、永遠に守り続けようと思う根本原理です。

 谷口雅春先生は、それを教えてくださった大恩人であります。しかし、先生は「自分はないのである」とご自身を消してしまわれたのです。私たちは、谷口雅春先生のみ跡を慕ってついて行くのではなく、「久遠の今」なる本地に立って、さらにその先を行くことが使命であると思います。

 故 榎本恵吾 本部講師の論文 「天地
(あめつち)の初発(はじめ)に立ちて――人類光明化運動の楽的展開論」 (『光のある内に』 <昭和54年刊>より) #250 のつづきは、「尊師」 について次のように書かれています――


≪       二、「尊師」 とは

 尊師谷口雅春先生は明治26年11月22目にお生れになった。厳しい求道の末に遂に神を発見され、生長の家人類光明化運動を起されて50年。そして今年(昭和54年)満86歳になられる。

 しかし、尊師は時間空間中の現象を超えた真の自己、実相の、実在の谷口雅春先生を発見された時に、肉体としての谷口雅春は本来なかったのであると自ら否定してしまわれたのである。

 それ故、私達が 「尊師」 とおよびする時、その尊師は実在としての尊師、いま私達の目前に手をふれられる姿でありながら、そのまま永遠の、久遠を流るるいのちとしての尊師なのである。即ち 『生命の實相』 自傳篇では次のように記されている。

 <それ以来、心、仏、衆生三無差別の心というものが本来無いものであるということがわたしにハッキリわかった。迷う心も無いから、悟って仏になる心もない。迷う心が進化して悟って仏になると思っていたのがまちがいであったのである。ただ初めから仏であり、神である 「実相の心
(われ)」 があるだけである。

 その実相の心
(こころ)が展開した実相の天地があるだけである。浄飯王(じょうぼんのう)の王宮を出て、伽耶城(がやじょう)を去ること遠からず、菩提樹下に6年静思して初めて悟りをひらいて仏となったという現象の釈迦牟尼仏は本来無かったのである。『法華経』 の中で、釈迦自身が、

 「我実に成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億 那由他劫
(なゆたこう)である」

 と言ったその久遠の仏のみが実在であったのである。その久遠の仏が今ここに生きているのだ!

 十字架上に磔
(はりつ)けられて、「神よ、神よ、なんぞ我れを見捨て給うや」と哀号(あいごう)したイエスは本来無かったのだ。永遠の神性――「アブラハムの生まれぬ前から生き通し」とみずから言ったキリストのみが実在であったのだ。

 自分もまた、明治26年11月22日に母の肉体より誕生したのではなかった。そして、現在の今はじめて悟ったのでもなかったのである。ここのままで、久遠の昔、そして久遠の今、はじめなき始めから仏であった自分であったのだ。>

              (『生命の實相』 頭注版第20巻137頁)

 つづいて

 <わたしはついに神を見出し、本当の自分を見出したのであった。三界は唯心の所現である、その心をも、また現ずるところの現象をも、一切空無と截
(た)ち切って、その空無を縦に貫く久遠不滅の大生命が自分であった。(同138頁)

 嬉しいかな、吾が実相は未だ嘗
(かつ)て苦しみたることなく病みたることなく、死したることなし。吾れはキリスト以前よりあるもの、釈迦以前よりあるもの、法身の天照大御神と偕(とも)にあるものである――此の自覚に達するとき吾らは自在無礙無恐怖の状態に入るのである。>

                 (『生命の實相』 地の巻76頁)

 と書き録
(しる)されているのである。

 我々の拝み奉る尊師とは、この久遠実在の生命としての尊師なのである。久遠の昔、そして久遠の今、はじめなき初めから仏にまします 『久遠の尊師』 なのである。「久遠の今」 の中に尊師は御自分の実相を発見せられたのである。

 尊師が神の啓示を受けられた時、神の声は最後に次の如く語った。

 <「そうだ。肉体イエスを抹殺
(ころ)した時、実相のキリスト、アブラハムの生まれぬ前から生き通しの久遠のキリストが生きてくるのだ。イエスの十字架は現象を抹殺せば実相が生きて来るという象徴である!

 今、ここに、久遠生き通しの生命が復活する。今だ、今だ! 久遠の今だ! 今が復活だ! 今を活きよ。」>

             (『生命の實相』 頭注版第20巻136頁)

 さて、この 「久遠の今」 というのは時間、空間を超越した、万物発生の枢機を握る一点なのであるから、尊師が 「久遠の今」 をお悟りになったということは尊師が 「久遠の今」 そのものであるということである。

 この一切万物発生の枢機を握る一点に立たれた時、キリストも釈迦も古事記も一つの同じ真理を説いていることが解って来たのであった。

 万物は 「久遠の今」 という中心から発したのであるから当然、真の宗教である限りに於いてすべて宗教は一つに帰るという真の相
(すがた)を発見されたのであった。

 ここに万教帰一の教えが生れる根拠がある。

 帰一とは 「久遠の今」 「万物発生の枢機を握る中心」 従って 「絶対」 に帰るということであり、宗教だけではなく一切万有が 「絶対」 に帰ることを意味する。

 尊師は 「久遠の今」 に立たれた故に肉体を超え、現象を超えたいのちとしてのキリストや釈迦を発見されたのであった。尊師はこれらの真理を説かれた人々を 「久遠を流るるいのち」(『生命の實相』 久遠佛性篇)として表現されたのであった。

 こうして真理に到達された尊師は、この真理を述べ伝えようとされた。これが地上に 「生長の家人類光明化運動」 が開かれた誕生の時であったのである。尊師はその時、「今、起て」 という神のコトバを聴かれたのであった。地上の 「生長の家人類光明化運動」 はここから始まったのであった。

 この 「今、起て」 の 「今」 とは 「久遠の今」 のことである。実相に於て、「吾れ」 と 「今」 と 「此処」 とが一つであるから、「今、起て」 とは 「久遠の今なる汝よ、起て」 ということなのであった。そして 「久遠の今」 なる尊師が起たれることによって「生長の家人類光明化運動」は始ったのである。

 「久遠の今」 とは光明一元、実相独在のことである。げに 「生長の家人類光明化運動」 のいのちは 「実相独在・光明一元」 ということである。

 『生命の實相』 自傳篇には次のように録
(しる)されている。

 <「今起て!」 という声が、覚えずわたしの頭の中で、どこからともなく降るように聴こえてきたのだ。

 「今起て!」 とその声は言った。「今のほかに時はない。『今』 の中に無限があり、無尽蔵がある。 軍資金ができてから、時間の余裕ができてから、身体の余裕ができてから、光明化運動を始めようなどというのはまちがいだ。

 三界は唯心の現われだ。力が出ると知れば、その時すでに無限の力はなんじの有
(もの)である。実相のお前は久遠の神性であり、すでに無限の力を持っているのだ。すでに無限の力をもっているのだ。」

「現象は無い! 無いものに引っかかるな。無いものは無いのだ。知れ! 実相のみがあるのだ。お前が実相だ、釈迦だ、キリストだ、無限だ、無尽蔵だ!」

 大きな降雹
(こうひょう)のたばしるような声がわたしの頭の中でした。わたしは全身の痺れを感じた。

 久遠の今、すでに無限力であり無限知であり、仏である自覚が自分に蘇生
(よみがえ)ってきた。……」 (中略)

 肉体は無い、物質は無い、現象は無い、実相のみ独在であると神から知らされていながら、わたしは今までやはり肉体を見ては自分だと思い、その痩せた姿を見ては自分自身を虚弱だと思い、財嚢の中の軽きを見ては自分は貧しいのだと思っていた。しかしそれはまちがいであった。天地から満ちている大宇宙の大生命がわたしの生命であったのである。>

          (『生命の實相』頭注版第20巻158~159頁)

 これが 「生長の家人類光明化運動」 の始ったお姿であった。現象を完全に否定し、光明一元、実相独在にたちかえられて 「光明一元」 の生命そのものであられるのが、吾らの拝する尊師なのである。≫


   (2016.6.14)
251 「無原理主義」は宗教とは言えない


 私は榎本恵吾氏の言われる 「久遠の今」 (即 「天地の初発」) こそ生長の家の核である、中心真理であるということに、絶大の共鳴を覚え、激しく同意します。

 私は、「久遠の今」 なる生長の家の原理主義者です。

 「宗教は本来、原理主義だし、原理を外してしまったら、それはもはや宗教ではない」 と、宗教評論家のひろさちやさんも言っている通りである。

 原理原則を持たないご都合主義、環境に振り回される無原則・無原理の奴隷主義ともいうべき現象的束縛体制は、「テロや戦争を正当化する、悪い意味の“原理主義”」 ともいうべきものであって、宗教とは言えない。

 谷口雅春先生は、

 「個人の救いにとどまらず、宗教的自覚をおしすすめて、国家の成仏、人類全体の成仏、宇宙の成仏というところまでゆかなければならない」

 とおっしゃって、生長の家政治連合(生政連)の活動を起こされ、衆議院に代表を送ることを宣言されたこともある。
 けれども、それは無理があると一信徒がお手紙を差し上げたとき、先生は

 「(手紙の)最後の一句 『これ位の事が判らぬ生政連ならば解散を命じられた方が国家の為になります』 は、私の胸に正面から鋭いメスで刺される思いがした。これ位の事が判らぬのは生政連の幹部ではない。選挙に無知な私自身なのである」

 と 『明窓浄机』 に書かれて、政治活動から一切手を引かれた。

 四宮正貴氏は言っている。――

 ≪(谷口雅宣総裁は)「宗教運動は時代の制約下にある」 と言うが、「久遠天上理想国実現」 「中心帰一」 「天皇国日本実相顕現」 という谷口雅春先生の教え、生長の家の根本教義は、時代を超えた真理である。宗教的真理というものは時代の制約下でころころ変わるものではない。『聖書』 『法華経』 『コーラン』 の教えはそのまま継承され説かれてきている。……

 谷口雅宣こそ、自己の誤れる考えに固執し、生長の家創始者谷口雅春師の教えを否定し、その尊い足跡を踏み躙る「原理主義」者(悪い意味の)である。そして今日が 「冷戦時代」 どころか 「熱戦時代」 であるという時代認識を欠く 「時代錯誤」 に陥っている。……≫

 と。

 総裁は、こういう生長の家信徒(だと私は思っています)の血を吐くような声に、それがどんなに耳に逆らう声であろうとも真剣に聴こうとするような器の大きさを持っていただくことを切望するものです。


   (2016.6.13)
250 『天地の初発』 に立とう(3)


 故 榎本恵吾 本部講師の論文 「天地
(あめつち)の初発(はじめ)に立ちて――人類光明化運動の楽的展開論」 (『光のある内に』 より) のつづきです。

≪   (付)宗教とは何か

 『宗教とは、人間内在の神性、仏性を開顕して、大宇宙の生命と一体なるところの無限性及び自主性を自覚せしめるものなり』
             (『生命の實相』新修版第1巻序文1頁)

 宗教の目的は、自分で自分を解放する事である。「救われる」とは凡ての束縛から自由 〔註1〕 になる事である。解脱する事、全ての過去から解放される事である。永遠の生命が今ここに生きていると悟る事であり、道元禅師の所謂「前後際断」の今“Eternal Now”を自覚する事である。

 本当の 「いのち」 は時間空間にしばられるものではなく、かえって時間空間をつくり出すものである。
             (『新版 叡智の断片』 87頁)

 〔註1〕 一時的の健康、幸福、一部的の満足、ある限られたる程度のわれらの自由への道はいくらでもあります。しかし実在そのもののごとく完全であり永遠であるところの健康を獲得し、真理そのもののごとく普遍にして制約なき自由をわがものとすることができるのは、ただ生命の実相の扉をひらくこと、すなわち存在の実相(ほんとのすがた)を知り、念々実相の世界を離れぬことによってのみであります。

 われらはこれ以外に一切具足の円相的自由にいたるいっそうよき道をもたないのであります。

 これこそ無限健康をわがものとするところの最勝なる道であります。健康ばかりではない、生命、知恵、富、能力――その他すべての方面において、無限に豊満なる流水を享受するいっそうよき水路はこれ以外にはないのです。

 真理を本当に理解すれば他の道を歩む必要はすこしもないのであります。

 中心をつかめばすべては自由になるのであります。中心をつかまずに他の方法に頼れば効果はあると言っても、得るところはただの 「断片」 にすぎないのです。実相の扉をひらくとき、われらはたちまち 「全部」 を見いだすのです。実相を見よ、実相の世界にはわれらの善しとする一切事物が充ち備わっているのです。
          (『生命の實相』 観行篇―頭注版第8巻73~74頁)

 他から決して奪うことのできない絶対不可侵の完全なる自由を与えるのが、宗教の救いであります。「自由を与える」 と中しましたが、「与える」 といっても、決して外から与えるのではない、教えは外から与えますが、その教えを契機として、内在の 「根本自由」 が触発され、開発されるのであります。これが宗教の救いであります。
          (『生命の實相』 佛教篇―頭注版第39巻155頁)

             ○

 吾々が 「生長の家人類光明化運動」 をやっていて、自分と他との分裂や、求道と伝道との間に悩みが出て来たりするのは、結局この完全なる自由への道をふみはずして部分的な自由への道を歩んでしまっているからなのである。

 部分的な自由、ある限られたる意味での自由への道は、尊師の言われる如く、いくらでもあるのである。しかし、部分にしか通用しない自由というものは、これを真に自由と名づけることは出来ない。本当の自由とは、全と個との一致点にのみあるのである。この全的な、神そのもの、存在そのもの、宇宙一切もれなく通用するという自由の自覚だけが本当の自由なのである。

 この本当の自由を得ていなければ、真の光明化運動は不可能である。何故なら、“部分”の自覚しかなく比較相対の世界に住する者には必ず、嫉妬心が出て来るからである。それは相手が自分より下でなければ落ちつけない心であるから、「人類光明化運動」 が万人に神の子の自覚を与えるものであるといって運動していながら、心の底では 「相手はなるべく神の子でありませんように」 と願っているということになる。これでは一歩も 「人類光明化運動」 を肯定していず、かえって 「人類光明化運動」 の成功を心の底で否定し、神の子の真理を伝えないことを願っているのである。だから 「全と個との一致」 の上に真の自由を先ず得ることをしなければ、本当の 「人類光明化運動」 は一歩も進展することはない。

 また、「先ず、自分が救われなければ、救われたという状態がどのようなものであるかということを知らなければ、他を救われた状態に導くことは出来ない。それでは自分が第一に救われていないのである」(『生命の實相』生命篇―頭注版第4巻175頁)と言われた尊師のおことばを、もう一度再認識する必要がある。

 尊師のいのち(光)とは何か。それは 「個即全」 「実相独在」 ということである。我々はその 「実相独在」 の自覚をくらまさずに生きつつ、その実相の展開そのものとして運動に参加しなければならない。「教えは教え、運動は運動。そこには多少の矛盾不一致があってもいい」 などということは許されない。宗教とは 「今、此処」 の足下に天国を開くものであり、その他に遂に道はないからである。これが大前提である。ここに毫釐
(ごうりん)の差を生ずれば、はるかに吾等の運動はさ迷い行く外はないのである。

 それはまた、あくまでもこの運動に参加する単位である一人一人が、必ずその生活の一瞬一瞬、一点一点に於いて幸福そのものであるということなのである。幸福でないもの、自由自在でないものが、いくら多く集っても天国は生れないのである。それは、零にいくら零を沢山くわえても零にしかならないに等しい。

 そこで人間が幸福であるためには、どうしても 「唯神実相」 「実相独在」 そしてそれが純粋に持続されて行く 「生命の純粋持続」 の道を生活しなければならない。尊師の神から受けられたあの荘厳なる自覚に吾ら信徒も参じ、持ちつづけ、貫き通さなければならないのである。このことが 「人類光明化運動論」 の骨格である。≫


   (2016.6.13)
249 『天地の初発』 に立とう(2)


 故 榎本恵吾 本部講師の論文 「天地
(あめつち)の初発(はじめ)に立ちて――人類光明化運動の楽的展開論」 (『光のある内に』 より) のつづき、「序曲」 のあとの本文です。


≪    一、 『生長の家』 とは何か

 『生長の家』 とは何か。それは自分のいのちのことである。「久遠の今」(Eternal Now)〔註1〕 において、万物はこの一点におさまっているのである。そして、自分のいのちが 「今」 「此処」 にあれば、『生長の家』 も 「今」 「此処」 にあるのである。〔註2〕

 「久遠の今」 に立ったとき、すべてのことは自分のいのちの中に発見され、常に自分のこととして問題とすることが出来る。

 この 「久遠の今」 の中に自分を発見し、『生長の家』 を発見しなかったら、『生長の家』 は自分からはなれたよそごととして、ついに終る。

 また、隣人に説明するにしても、自分の中に 『生長の家』 を発見し、話す相手さえも自分の生命の中に発見するのでなければ、ついに 『生長の家』 もよそごととなり、単なる遠くのものを指し示す説明に終ってしまう。

   〔註1〕 「久遠の今」 について尊師の御講義レコード 『久遠の今』 から要点を記録させていただくと――≫


 として、谷口雅春先生御講義 「久遠の今」 の録音を記録した文章が掲載されています。

 「久遠の今」 の御講義は、この頁でもたびたび紹介させていただきましたように、YouTube でご覧いただくことができます。

 
→谷口雅春先生御講義 「久遠の今」


  次に [注2] として、「久遠天上理想国実現の神示」 の一部が示し、以下のように宣言しています。

≪     久遠天上理想国実現の神示

 『生長の家』 の因縁を書き置く。『生長の家』 とは人間が付けた名ではない。神がつけさせたのである。『生長の家』 とはタカアマハラのことである。|
(たて)に無限に生(の)びることを 『生』 と言い、―(よこ)に無限に長(の)びることを 『長』 と言い、|(たて)と―(よこ)とが十字に交叉した中心を息叉(いへ)(家(いえ))と言う、|(たて)の生命と―(よこ)の生命とが交叉した中心が 『家(イヘ)』 である。イヘ(エ)のヘ(エ)は交叉の形を象徴(かたちど)ったものである。家のことを巣と言い、住むと言う。住むと言うのは中心に集ることである。一切のものは中心に集り、中心に統一せられることによって澄む即ち浄められるのである。…(中略)…

 イエス・キリストも 『み心の天に成るが如く地にも成らせ給え』 と祈ったが、実相世界では既にひとつの極身
(きみ)に統一せられて、常楽の浄土となっているのである。…(中略)…全世界が一つの 『生長の家』 となり、実相の世界の 『生長の家』 が地上に顕(うつ)って来る時には是非とも此の世界も一つの中心に統一せられねばならぬ。

 |
(たて)と―(よこ)との十字の中心は光の放射を象徴(かたちど)ったものであってその中心を 『光の本(ひのもと)』 と言うのである。日本(ひのもと)は光(ひ)の中心(もと)である。十字架の中心はユダヤにあると思っていたら大なる間違いである。十字架の中心は日の本にありキリストの本地(ほんじ)も日本(ひのもと)にある。……

               
(『秘められたる神示』 151~153頁)


 生長の家の教義の中の最も重大なる根本哲学が 「久遠の今」 ということにあると教えられている。この 「久遠の今」 は、時間空間がそこから出て来、又、宇宙一切万事そこから発する万物発現の枢機を握る一点である。

 生長の家が万教帰一を説くのは自然なことである。帰一の 「一」 とは対立がない即ち 「絶対」 ということであり、「今」 ということであり、生長の家の根本教義が、宇宙の万物は一つの中心 「久遠の今」 から発したのであるという信仰なのであるから、宗教というものも、存在する限りに於いて、当然それは一つに帰するという教えが生れて来るのである。そして、このすべての教えが一つに帰するところを称して 「生長の家」 というのである。

 生長の家が 「久遠の今」 の中に存し、「久遠の今」 そのものが生長の家であるとすると、生長の家は久遠の昔からあったのであり、万物発生の枢機そのものなのであるから、一切のものは生長の家から表現されて来たものであったということになる。

 一切万象、有情非情、価値を有するものは 「久遠の今」 すなわち生長の家から出て来たものであり、従って一切の文化は、生長の家において体系づけられ統一されている。宇宙は生長の家に統一され、そこから発し、そこに帰りつつ永遠価値の創造をつづけている。これを吾らは霊的文化体系の顕現と呼ぶのである。それは、神示中にある 「一切の真も善も美も吾れより出でざるはない」 ということであり、「すべての教え吾れに流れ入りて生命を得ん」 ということである。≫


   (2016.6.12)
248 『天地(あめつち)の初発(はじめ)』 に立とう


 故 榎本恵吾 本部講師は、共著書 『光のある内に』 (日本教文社刊、現在品切れで重版停止中)に、 「天地
(あめつち)の初発(はじめ)に立ちて――人類光明化運動の楽的展開論」 という論文を書かれていますが、私は今これを読み返し、深い共感――という以上の、一体感と共鳴、そしてわが使命を深く再認識しています。

 まず、中扉の裏に


≪ それは私が中学3年生のときのことです。そのとき私は高校入試の勉強をしておりました。もう夜の11時頃でした。ふと眼を外に向けると、窓の外側のところに小さな植木鉢がおいてあって、それには一本のおしろい花が植えてありました。そのおしろい花はまだ咲いてはいませんでしたが、20センチくらい伸びて、かなり枝も出ておりました。

 しかし、誰も水をやらないので葉という葉は全部だらりとしなびておりました。その下りようは、もう全然生気のない、死んでいるような感じでした。葉のつけ根は細く、もう全く葉を支える力を捨てていました。そして鉢と植わっているものを包んで、全体に“死”がなびいているように思えました。

 私はその時、何気なく立ち上って台所に行き、ヤカンに水を一杯入れて来て、渇き切った鉢の中にどんどんと注ぎこんでやりました。いくらでも入りました。まるで鉢そのものが水を飲んでいるような感じでした。
 しばらくして、ヤカンに殆んど水がなくなって来たころ、一番上の小石の上に水が出て来ましたが、まだまだつぎ込みました。水は鉢から溢れました。たっぷりと水を注いで自分の心が何となく落ちついたとき、私は窓を閉めて、それから蒲団に入りました。

 翌朝、何の期待もなく、窓を開けたとき、全く生きかえったおしろい花の葉の姿を見ました。葉はピンと張り切っているし、先には小さな水滴さえつけて、陽の光を反射させておりました。そして、枝全体が力いっぱいに広がっていました。

 このときほど私は、植物が水で出来ていることを感じたことはありませんでした。まるで昨夜の水がこの植物となっているように思いました。葉も水でした。くきも水でした。緑色も水でした。全部水なのでした……。

 私は『生命の實相』を開くとき、この水のことを憶い出すのです。≫



 というエピソードが書かれてあり、そして本文は 「序曲」 として、次のように書き始められています。


≪    序  曲

 私はかつて大学の哲学科に通っていた時、どうしても心が明るくなれず、『生命の實相』 ばかりに読みふけり、20日も授業を受けに出ず四畳半の間借部屋で懊悩していた。

 ある人は花の散るすがたにこの世の無常を観て出家した。私はそのころ、青年会の運動がどうしてこのように無常なのか――会員が集っては散って行く、その度に一喜一憂する――と、はじめてこの世に「常恒なるもの」を求めはじめたのであった。

 この一喜一憂を越えて常恒なる平安に達するには、現象的な運動を“無”と否定して、それへの執着を断たなければならなかった。――そこにこそ霊の選士同士の嫉妬も消えるのである。“ある”と思うからこそ執着するのであるから、“無し”と否定すれば執着が消えるのである――という声が自分の中でした。

 しかし、実際、それは出来得ることであろうか。青年会を否定することは人類光明化運動を否定することである。――ここで私は難問にぶつかった。その否定しようとする内なる声に対して「しかし、今自分がこのように“無常”と否定すること、現象の無いことを生長の家で教えられた――具体的には 『生長の家』 誌から、『生命の實相』 から、尊師の講話から教えられたのである。もしもこのことがなかったならば、今の私はないであろう。それが現実であり、事実ではないか。これはまさに人類光明化運動のお蔭である。どうしてこれを否定することが出来ようか。それに、否定することは大なる忘恩である。信徒たるべきものの道に反することではないか」という声がしたのである。

 するとまた他方で、これに対して 「人間とは、悟りとは、そんな相対的なものなのか。本に助けられなければ、そしてご講話に助けられなければ完全になれないのでは絶対ではないではないか。それでは人間は不完全であり、因縁によって助けられなければならず、それは結局は創造主の不完全性をあらわすことにほかならない。不完全なるものを神とは言い得ないから、神は無いということになる」――こんな声もした。

 私の心の中で、この三つの声が常に対決し互いに交錯し、主張し合っていた。
 どうにもならない心のままに、ある日私は便所を掃除していた。その時、自分の心の中に 「アブラハムの生れぬさきよりわれは在るなり」 というキリストの言葉がポッカリと出て来た。つづいて私は釈迦の 「吾れは成仏してよりこのかた、百千万億那由他阿僧祇劫なり」 というあの 『生命の實相』 の中で読んだ言葉を思い出し、そしてそこに書かれていた尊師の 「吾れはキリスト以前よりあり、釈迦以前よりある、天照大御神と一体の生命である」 というお言葉を思い出した。

 キリストは自分を生んでくれた先祖のアブラハムを否定して自分自身に真理を体現し、釈迦は現象的時間と自己の修行を否定して真理なる自己を体証した。そして尊師はさらにその真理なるキリスト・釈迦をも越えて絶対の自己を現成されたのである。ここにはもはや相対的に救うものもなければ救われるものもない。唯、あるのは無原因にして自ら立つ自己があるのみ。

 “前後際断” といい、“師に逢うては師を殺せ” というのもこれみな、“無原因の自己” “絶対なるもの” の消息から鳴り出したコトバではなかったのだろうか。そして尊師のおっしゃる 「正覚は因縁の理を説きながら“本来因縁無し”の実相を悟れるものである」 ということであり、“因縁を超える” ということなのではないのだろうか。“因” とは原因のことであり、“縁” もまた原因の延長にほかならない。

 〈では、私も私を導いてくれた人類光明化運動を否定し、百尺の竿頭に最後の跳躍をなさなければならないであろう。一切を否定したその絶対の空所を 『生長の家』 というのではないか。そしてここに立った時、久遠の尊師のみふところのどまん中に抱かれている真の自己を発見し、人類の光明そのものである自己を発見するのではないのだろうか>

 ――私はようやくにして、立つべきところと向うべき道を得ようとしていた――。

 宇宙は何故発展と秩序を感じさせるか。それは宇宙の出発において神が間違わなかったからである。

 また、宇宙は何故、永遠の持続を感じさせるか。それは神が喜びであるからである。

 太陽は常にわれわれの上に輝く。それを見ている人間に、無理をしている感じを与えないのは、太陽は喜んで照っていることをわれわれの魂は知っているからなのである。太陽にはどこにも無理がないことを知っているからである。

 この世の中で何が一番長つづきするか。それは喜びである。喜びだけはどんなに長くつづいてもつづきすぎるということはない。人聞が長つづきしてほしいと一番のぞんでいるのが、喜びということであるからだ。この内部要求の永遠の軌道に乗った生活であれば、どこまでいっても退屈したり、やめてしまうということはないのである。

 私はここに永遠につづく 「生長の家人類光明化運動の楽的展開論」 を試みようと思う。人類光明化運動に真剣にとり組み、一生をこの運動に捧げようとする者は、常にその運動の根本を、本源をつかもうとする。そこから運動への真に永続的な情熱と力と未来への展望が生れるからである。≫


   (2016.6.11)
247 谷口雅春先生は個人崇拝をお嫌いになった


 前項 #246 の続き、まとめは先に延ばさせて頂くことにしまして、ちょっと挿話を入れさせて頂きます。

 ある古い信徒――青年会時代の後輩――から、はがきをもらいました。

 「(前略)実は私は、昔存在していたという歌で、『谷口雅春先生を讃える歌』について調べていますが、何も判りません。貴殿なら何かご存じかと思い、お尋ねいたしました。この歌の作詞者、作曲者、歌詞、いつ頃の作か等々、何かわかることがありましたら教えてください」

 というものです。

 私はそれに答えて、歌詞・楽譜がありましたので送りました。『谷口雅春先生を讃える歌』ではなくて『生長の家総裁「谷口雅春先生」讃歌』というタイトルでしたが。

 それをご披露しましょう。

 まず、歌詞です。

≪   生長の家総裁
   「谷口雅春先生」 讃歌

          林   利 男 作詩
          今井 陸奥男 作曲

一、朝日に映える不二の峰
   残月照り添ふ神戸港
   日本が生める救世主
   その名谷口雅春師

二、時世恰
(あたか)も滔々(とうとう)
   唯物思想流れゐて
   文化の途
(みち)を開けども
   衆生は闇に閉されつ

三、悲願に燃ゆる講演の
   波動遙かに海を越え
   響く真理のみ言葉は
   地上を浄める神の声

四、祖国の実相顕現や
   世界平和の招来に
   天上天下を動かして
   世紀の急を救ふなり

五、嗚呼
(ああ)待望の救世主
   神意を受けて法を説く
   流麗無比の文章は
   萬古不朽の大経典

六、輝く夫人と相共に
   生長の家総裁は
   げに雅春の名の如く
   不滅の華を咲かすらん
   不滅の華を咲かすらん≫

 というものです。

 作詞者林利男氏は東京の弁護士で有名だった地方講師。作曲者今井陸奥男氏はピアノ調律師で熱心な信徒でした。昭和30年代後半か40年代に作られた歌だったと思いますが、詳細はわかりません。

 楽譜もご披露しましょう。



 「昭和維新の歌」を思わせる、短調の旋律で、私はこれをよろこんで歌いたいとは思いません。この作詞者、作曲者や、これを大いに歌いたいという信徒もけっこうたくさんいたと思いますが、この歌は谷口雅春先生がよろこばれなかったと伺っています。で、生長の家聖歌とされるようなことはありませんでした。

 谷口雅春先生は、個人崇拝のようになることはお嫌いだったのです。

 代わって、「神霊降誕譜
(しんれいこうたんふ)」が発表されました。その歌詞は――

≪    神霊降誕譜

          生長の家本部作詞  

一、おしえおや うまれたまいし
   よろこびの 此の日このとき
   かみの子と 生まれしわれら
   みなひとに やどれるかみを
   ひたすらに たたえまつらん。

二、さちおおき よろこびのきょう
   よろこびの 此の日このとき
   かみの子と おしえられにし
   このさちを わかちつたえて
   みなひとに つたえまつらん。

三、おしえおや うまれたまいて
   このせかい すがたかわりぬ
   やみおおき 世界は消えて
   ひかりみつる 此の世浄土と
   うちつどい かみをたたえん。

三、ひるも夜も 讃歌みちたり
   降る星は み空をかざり
   てんごくの とりは囀
(さえず)
   日と月は ともにかがやき
   みなうたう みおやたたえて。≫

 私は、この「神霊降誕譜」が大好きです。

 私は、「おしえおや うまれたまいし……」 というのは、「谷口雅春先生がご誕生になった」 というような、他人事
(ひとごと)だと思っては歌いません。それは、自分の中に「神の子(の自覚)」が生まれたという、自分のことだと思って歌うと、うれしくて腹の底から声が出て来ます。

 三番の 「おしえおや うまれたまいて  このせかい すがたかわりぬ」 というところを歌っていると、私が高校2年から3年になるころ、或る日突然 「この世界のすがたが変わった」 ような体験をしたことが浮かびます。それは、父が 『生命の實相』 を読むようになっていただけで、私はまだ生長の家に直接には何も触れていなかった時のことです。

 この歌詞は、「生長の家本部作詞」となっていますが、実は谷口雅春先生の御作詞であると、関係者から伺ったことがあります。

   (2016.6.6)
246 「戦争はすべて聖戦である」とも言えるのでは


 「声字
(しょうじ)即実相の神示」に

 「……今は過渡時代であるから、仮相(かりのすがた)の自壊作用として色々の出来事が突発する。日支の戦いはその序幕である。神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いと相搏(あいう)って自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起るであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。」

 とあります。

 それは、「戦争はすべて悪である」ということでしょうか。「悪はない」というのが生命の実相哲学ですね。

 悪は非実在である。悪とは 「未だ創造されつつある善である」 とエマソンも言っている。それは善が現れようとしている過程なのである。光が進めば暗は自ずから消えるように、善があらわれたら悪は消える。

 戦争も、「迷いと迷いと相搏(あいう)って自壊する過程である」ということは、戦争は平和をもたらそうとしている過程であるということではないか。

          ○

 5月29日大阪での講習会で、総裁は

 ≪雅春先生は、大東亜戦争のことを聖戦だと言ったことは、一度ならず二度も三度もある。(中略)一方「神示」のなかではあの戦争を否定されていた。この二点は明らかに矛盾をしている。戦時中の思想統制の中にあっての「聖戦」発言によって、信徒の中に混乱が生じてしまった。この辺のところの詳しいことは、2004年刊「歴史から何を学ぶか」に書いてある。≫

 というようにおっしゃったそうです(ネット「愛国本流掲示板」による)が、考えてみれば、戦争はすべて「聖戦」とも言えるのではないかと、私は思いました。なぜなら、神が戦いをさせているのではないけれども、「迷いと迷いと相搏って自壊する」ことによって人類の迷妄は打ち砕かれ浄まって、結果的に神の国が地上にもたらされて行くという光明面をみれば、聖戦とも言えるのではないか。

          ○

 総裁はまた大阪の講習会で、

 ≪現代は、お互いに敵対している時ではないのだ。人類は今、(自分で自分の首を絞める)自殺行為をしているのだ。現代は、何はさておき、地球を守らなければならないのだ。≫

 ともおっしゃりながら(同前)、「生長の家本流」を名乗る「谷口雅春先生を学ぶ会」などの「生長の家原理主義者(谷口雅春原理主義者)」を激しく攻撃されたと伺いました。生長の家はいま、分裂し相対立して戦争状態を現出しているようにも見えます。八ヶ岳山麓に国際本部を置く現教団と、本流派「谷口雅春先生を学ぶ会」などの敵対攻撃し合う戦争状態です。

 戦争するには双方にそれぞれ言い分があります。しかし、対立抗争は神のなさせることではない。「迷いと迷いとが相搏って自壊する」過程である、と言えましょう。

 しかし、双方それぞれ、大義名分を持っている。「聖戦」だ、とまでは言わないが、それに近い信念、「志」を貫いているようです。その切磋琢磨の結果、迷いは自壊し、結び合い協力しあってもっと素晴らしい大調和の神の国運動が展開されることになれば、それは「聖戦」だったと言えるようになるのかも知れない。そうなってほしいと、心ある信徒は思っているのではないでしょうか。

          ○

 菅野完
(すがの・たもつ)という人が、『日本会議の研究』 という本を書いた。扶桑社新書として発売されたので、私も読みました。いまや安倍内閣に大きな影響力を持っている「日本会議」が、実は生長の家原理主義者たちによって牛耳られている。その「一群の人々」によって日本の民主主義は殺される――と、否定的な見地から書かれています。総裁は、これを読めと言わんばかりに紹介されたそうです。

 「日本会議」は、1970年代(昭和50年前後)に、日本を左翼革命勢力から守る愛国団体として結成された「日本を守る会」 「日本を守る国民会議」などを淵源とする。それは生政連(生長の家政治連合)、生学連(生長の家学生会全国総連合)、全国学協(全国学生自治体連絡協議会)、青協(日本青年協議会)などが中核になっていろいろな宗教団体などを横断的に結集していた。

 それが現在安倍内閣の政治を、国を、動かすような影の力を持つに至ったのは、実は1970年代の民族派学生運動を領導した生学連、全国学協、そして青協のリーダーたちの執念ともいうべき志とたゆまぬ努力による結果であった。

 ところで、『日本会議の研究』で、現在の“本流”運動のカリスマ的指導者として書かれている安東巌氏の学生時代、長崎大学での一コマ――


≪「てめえら、どういう考えでこんなビラ配るんだ!!」
 バシッと言う平手打ちとともに樺島
(原文ママ)さんの身体が横倒しになった。今朝まで徹夜して作った二千枚のビラがバラバラとなり踏みにじられる。昭和41年7月3日、長崎大学正門前でのことである。
 この日のことを僕は永久に忘れない。なぜなら、この事件こそが、僕等をして学園正常化に走らしめた直接の原因だからである。……

 樺島さんと僕の二人で学園正常化有志会を結成、「デモ反対・全学連反対」のビラを配ろうとした矢先のリンチであった。
 入学して間もない僕が、これによって大きなショックを受けたとしても当然のことであろう。くしゃくしゃになったガリ刷りのビラを握りしめながら、こみ上げてくる怒りを僕はどうしても押える事ができなかった。(安東1969)≫



 <つづく>

  (2016.6.5)
245 「『生長の家』は永遠に不滅です」とは


 #243

 ≪「日本国――大日本世界国(ひかりあまねきせかいのくに)は、永遠に不滅です!」

 「『生長の家』 は、永遠に不滅です!」≫


 と書いたことについて、昨日も書きましたが、わかりやすくは、『光明道中記』(1月23日の項)に書かれています。


≪     一月二十三日 寒菊競い開く日

   十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界とするが日本の使命である。(『秘められたる神示―神示講義〈秘の巻〉』「久遠天上理想国実現の神示」)

 全世界を宇
(いえ)と為す神武天皇の八紘為宇の建国の理想は決して侵略精神ではない。八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。此の理念を「生長の家」と言う。

 理念は普遍的なものであるから、これは私の家ではない。何故そう云う名称を附したかと言えば、生は縦に無限に生
(の)びることを現し、長は横に長(の)びることを現すからである。

 縦の無限連続は時間であり、横の無限連続が空間であり、縦と横と、時間と空間との交叉
(こうさ)する万象発現の枢機を握るものが、内に一切を蔵する無字であり、一切を統一する天皇の御天職である。此の真理に世界の万民が目覚めないから万国互に相争うのである。全世界は天皇に於て一宇である。

 万国の民にそれを告げ知らせる東道
(みちしるべ)の役目を以て出現したのが吾々の団体である。

 病気が治り運命がよくなり、万事に成功すると云うが如きはただ副作用に過ぎない。天地の真理、すべてが生長する真理に随順して生きる時、真理の中には病気不幸は存在しないが故に、病気不幸が消えるのは当然のことである。病気不幸が起るには何か真理に離れたことがある。省みて真理に載るものは幸である。≫


 ここに、生長の家出現の使命目的がはっきりと示されています。この久遠実相の生長の家出現の目的をはずせば、塩に塩気がなくなったと同様、「もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけ」(新約聖書「マタイ伝」第5章13節)になってしまうのではないでしょうか。


≪あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。

 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のすべてを照らすのである。

 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。≫
(マタイ伝5-13~16)


  (2016.5.25)
244 “感動分岐点”を超えた?


 5月21日(土)、井草混声合唱団 「心のふるさとを歌う」 コンサートは、塚本こなみさん(#222#228#234 参照)のおっしゃる“感動分岐点”を超えることができたのでしょうか? 次のような反響のお手紙などを、たくさん頂いています。



 上記は私の出身高校同期生の一人で82歳の女性。井草混声合唱団は高齢者が多いけれども、その歌は元気で若々しく心にひびくものがある。その響きが、これからの生き方に影響を与えるような感動をもたらしたということです。

≪(合唱団員の)平均年齢は私の親の世代の方々くらいと拝察致しますが、とても活気があり、若さというのは数字の年齢ではなく、若く生きることなんだな~ということを実感させて頂きました。
 私自身は不惑(40歳)を超えた年齢となり、可能性のある時期は過ぎ去り、これからは守りに入っていかないと・・・と考えておりましたが、まだまだ可能性を諦めてはいけないということを感じさせて頂き、とても勇気づけられました。≫


 というメールをくださった壮年男性の方もあります。


≪「日本国――大日本世界国(ひかりあまねきせかいのくに)は、永遠に不滅です!」

 「『生長の家』 は、永遠に不滅です!」

 ――心強いお言葉、胸に染み入ります。≫


 と書いて下さった方もあります。しかし――

 私が #243 で上のように書いた 『生長の家』 とは、地上(現象界)の生長の家教団のことではありません。

≪“久遠実相の生長の家”というのは宗教団体の生長の家ではなく、「みこころの天に成れる世界」であります。教団名としての『生長の家』は、その久遠実相の生長の家を説くために生れたのであります。

 “久遠”というのは“不滅”を意味し、“始めなき初め”から“終りなき終り”に至るまで常住している実在を表現することばであり、“不滅の精神的原型(理念)”として生長の家なるものが実在するのであります。≫


 と 『秘められたる神示』 の 「久遠天上理想国実現の神示」 のご解説の中(176頁)に書かれている、その久遠実相の生長の家のことであります。

 地上(現象界)の生長の家教団は、「色はにほへど散りぬるを わが世たれぞ常ならむ」 で、つぶれることもあり得ます。(ましてや、高齢者の多い井草混声合唱団が“不滅”などというのは夢物語かも知れない)

 しかし、時空を超えた「久遠の今」なる実相不滅の大地に根を下ろしたものは、永遠なのであります。

 実相不滅の大地は無限供給の泉、無限健康、無限歓喜、元気の湧き出る感動の泉なのであります。

 5月21日、井草混声合唱団演奏会のオープニングの声(一部)をお聴きください。

  →オープニング合唱

  (2016.5.24)
243 「井草混声は永遠に不滅です」


 5月21日(土)、井草混声合唱団 「心のふるさとを歌う」 コンサート終了後、来賓のレセプション晩餐会を行いました。

 そのとき、指揮者の小林光雄氏はこう言われました。

 「長嶋茂雄氏のまねをするわけではありませんが、≪井草混声は永遠に不滅です≫と言いたい」

 と。

 思えば私は、荘厳なる神の創造に感謝しつつ、「神の国」に立ち神が歌われるという気持で歌っていた、だからそれが指揮者の上記の言葉となって出て来たものかと思われ、とてもうれしいことでした。

 そして、思いました。


 「日本国――大日本世界国
(ひかりあまねきせかいのくに)は、永遠に不滅です!」

 「『生長の家』 は、永遠に不滅です!」

 と。


  (2016.5.23)
242 「心のふるさと」を歌う


 私は、30年以上続いている地域の合唱団 「井草混声合唱団」 に属して、毎週1回、木曜日夜2時間の合唱を楽しんでいます。高齢者の多いベテラン合唱団です。

 明日、5月21日(土)は午後から、2年に1度の演奏発表会を行います。

 「心のふるさとを歌う」 コンサートです。

 オープニングは、「いざたて戦人
(いくさびと)よ」(グラナハム作曲、藤井泰一郎作詞)を歌いながら、合唱団員が舞台に登場します。その歌詞は――

 1.いざたて戦人(いくさびと)よ 御旗に続け
   雄々しく進みて 遅るな仇
(あだ)
   歌いて進めよ 歌声合わせて 潮
(うしお)のごとくに
   正義の御神
(みかみ)は 我らの守り

 2.忘るないさおし 我らの父祖の
   続けよ兄弟
(はらから) 守れこの地を
   歌いて進めよ 歌声合わせて 潮のごとくに
   正義の御神は 我らの守り


 というものです。

 つづいて「箱根八里」を合唱したあと、第一部は、誰でも知っている懐かしい日欧の叙情歌を、心をこめてうたい上げます。

 
♪混声合唱による 日本の四季 「タやけこやけ」 より
   ・春の歌・背くらべ・七つの子・牧場の朝・夕やけこやけ

 ♪混声合唱のための ホームソングメドレー 《ドイツオーストリア編》
   ・ローレライ・野ばら・ウィーンわが夢のまち


 などです。

 次に、室生犀星
(むろお さいせい)の有名な詩 「小景異情(その2)」

 
 「ふるさとは遠きにありて思ふもの
  そして悲しくうたふもの
  よしや
  うらぶれて異土の乞食
(かたひ)となるとても
  帰るところにあるまじや
  ひとり都のゆふぐれに
  ふるさとおもひ涙ぐむ
  そのこころもて
  遠きみやこにかへらばや
  遠きみやこにかへらばや」


 ――など、「たとえ乞食になろうとも故郷は帰るべきところではない」 と訣別の言葉で逆に故郷への断ちがたい愛を歌った、それが逆の表現であるが故に、郷里を思う心がいっそう切実に響く。そうした望郷の曲集「月草」5曲をうたう。

 そして休憩後の締めは、組曲 「海・幻想」(金澤智恵子作詩・飯沼信義作曲)。
 その詩の心は――(要約)

 
1.神々の約束のように
   日が昇る。すべてをくれない色に染め抜いて日が昇る。
   日が沈む、今日も又日が沈む。
   雄大で美しく厳かなこの営みは、私たちの明日への希望の道すじ。
   そして、今日も又日が昇る。
   神々が私たちに約束してくれているかのようだ。

 2.海坊主
   昔々のどこかの伝説、海の妖怪 海坊主
   さてさて、さ~てさて 妖怪坊主の正体は?

 3.帰郷
   遠い昔、海から地上に上がってきた私たち生物。
   うねりながらくり返し寄せてくる波に乗り
   また海に帰っていくのだろうか。向かってくる波、くりかしくりかえし。
   海は遠い昔のはるかな私たちの故郷。

 4.なっちゃんに見せたい
   南の島はすばらしい!
   カヌーを漕いで星の砂を見つけに行こう。
   なっちゃんとふたりで。
   小さい小さい無人島をめざして。

 5.あお
   日に日に変わる海の色、そして深い深いその「あお」に私も染まっていく。
   空の色を映しているのか、海の「あお」は私の心のように日々うまれかわる。
   あおはあこがれ、なぞのいろ。


 上記の 「帰郷」 についての思いは、#136 に書きました。

 私たちの本当のふるさとは、龍宮海(龍宮界)にあります。龍宮海とは、時空を超えた「久遠の今」なる本源世界、実在界(実相世界)であります。その「神の国」が、私たちの本当のふるさとなのです。

 私は、その「神の国」に立って、神さまがお歌いになるという気持で歌いたいと思っています。

 会場は東京中央線武蔵小金井駅南口前の「宮地楽器ホール」で、明日5月21日午後1時半開場、2時開演です。興味のある方はどうぞ聴きにいらしてください。
 
(チケット代は1,000円、全席自由席です)


  (2016.5.20)
241 「背水の陣を布け」


 『生命の實相』 第7巻 「生活篇」 <生長の家の生き方> 私の若き日の朗読録音が、もう一つありました。

 第7章 「背水の陣を布け」 です。ベートーベンの交響曲第7番
の第4楽章をバックに朗読して録音したものをお聴きください。

 → 「背水の陣を布け」

≪       七、背水(はいすい)の陣を布(し)

 「背水の陣を布け」とは本書の「智慧の言葉」の中に見いだされる金言である。諸君よ、いったん「われこれをなそう」と決して起ち上がったならば、「わが行くところ必ず勝利あるのみ」の覚悟が是非とも必要である。逃げ路をあらかじめ準備しておいて事にのぞむようなことでは、何人
(なんぴと)も全力を発揮することはできないのだ。

 歴史にこれを見るもジュリアス・シーザーの英国侵入軍が目的地に上陸したとき、彼は将卒に命じて海峡を越えて味方を運んでくれた愛すべき船――もし味方の戦いが不利に終ったならば、海峡を越えて逃げ帰るときの助けとなるであろうところの愛すべき船――これらの船をことごとく火をつけて焼き捨てさせたのであった。

 「進むほかに道なし」の覚悟は、われわれに平常の肉体以上の力を発現させるものである。それは小さなる我(が)を滅ぼして、「無限の生命」から力を汲む一つの方法であるのである。(中略)

 「わが行くところ必ず勝利あるのみ」の覚悟が大切だと言っても、実際心を誘惑する逃げ路があっては本当の覚悟ができてこないものである。そこで心がまだ本当に定まらない者には是非とも背水の陣が必要となるのである。(中略)

 進むほかに道がない! これほどわれらにとって強いことがあろうか。一歩でも動けば、それは退歩でなく進歩であるのだ。げに「背水の陣」のうちには万物
(すべてのもの)が備わっているのである。

 善き水泳教師は弟子を深みにつれ行きて手を放つのである。いつまでも足のとどく浅瀬にいて、イザという時には足を底につければよいというような逃げ道を造っておいては、その人の水泳の上達はかなり遅いのである。深みにつれ行かれて指導者に手を放たるれば、彼は「自分で泳ぐか、然らずんば死」である。この時たちまち彼は本当に水上に浮かぶコツを覚えるのである。彼は自分の全力を出さずにはおれないからである。

 自分の全力を出し切るところに、そこには無限の力が「宇宙の大生命」から加えられる。「神はみずから助くる者を助く」というスマイルズの金言はまことにも真理である。

 諸君よ、全力を出しきれ。そこにこそ無限の力が湧き出ずるのである。かえりみて、われ全力を出したり!」と自己を欺かずして言いうるものは幸いなるかな! 彼は神に祝福さるるものである。神という「無限の力」のタンクより必要な力を与えられるものである。

 では諸君よわれらは全力を出しきろう。フラフラになっても倒れるな。自分を甘くみるな。そんな弱い自分だと思うな。諸君が今疲労しきってこれ以上動けないと思うとき、諸君は必ず、自分自身を欺いているのである。その時、火事が起こって火炎が自分の居間をつつんでいる有様を想像せよ。まさに自分の着物に火が燃えつこうとしている有様を想像せよ。それでも諸君はやはり疲れたと言って動かないでいるであろうか。動かないで自分自身の身体
(からだ)の燃えるままにまかせておくであろうか。それほどに疲れているならば、諸君はおそらく全力を出し尽くしたのであろう。しかしかえりみて、もしこの際火事が起こればなお動けると思う者は、なお全力を出しきってはいないのである。

 全力を出しきるときにこそ、「神」という無限力の貯蔵庫から新しい補給が開始されるときである。それまでは五尺の身体にただ小出しされている力だけしか使用しないのである。出しきれ! 出しきれ! 出しきったときにのみ無限力が開かれる。自己を小さな者と見るな。自己を弱き者と見るな。外の力にたよるな。「万一」の時の逃げ路をつくるな。死んだときに備える遺言を語るな。「万一などということは、神の子たる人間にはないのである。いよいよのときにこそ神の無限力がわれらに発現するのであるのだ。(中略)

 決心に引きしまった唇、希望に輝いた眼をもって、一心不乱、全身全霊を傾倒して目ざす目的に向かって突き進めよ。恐怖心をもって敵から後退
(たじろ)ぐな。ぴったりと敵に寄り添って相手を投げよ。

 剣を持っては、ただ自分の全からんことを欲して、切尖
(きっさき)をもって相手を斬ろうとするがごとき卑怯さではかえって自分が傷つくのである。鍔(つば)の根元をもって相手を斬る心にて自分の全身の重味をそれに掛けて相手に打ち向かえ。この一太刀が仕損じたら、又二の太刀があるとは思うな。この一太刀にて必ず相手を倒さねばただ死あるのみと心を決して打ちかかれ。さすればわれらは必ず相手を斃(たお)すことができるのである。一太刀ごとにこの覚悟をもって向かうものはついに全局の勝利を得る者である。

 剣道の極意も成功の極意も結局は同じことである。全身全霊で一つの行為を満たすときそこに誠が発現する。誠とは「完心
(まこと)」すなわち「完(まつ)たき心」だ、全力が満ちて欠けぬ心だ。(中略)

 全力が一つのことに満ち尽くして欠けぬときは、そこに神の無限力が発揮するのである。≫


 
<『生命の實相』 第7巻 「生活篇」 の第7章 「背水の陣を布け」 (単行本『光明の生活法』)より>


  (2016.5.14)
240 「断じて失敗を予想せざる者は遂に勝つ」


 『生命の實相』 第7巻 「生活篇」 <生長の家の生き方> の中でも、#239に謹掲させて頂いた 「思い切りよく、押し強く、勇敢に断行せよ」 などのご文章は、臆病者だった私のことを谷口雅春先生がよく知っておられて、私のために書かれたご教示のように思われ、たいへん驚きながら自分を鼓舞していった、力強い音楽のようなものでした。

 今日は、最後に第14章 「断じて失敗を予想せざる者は遂に勝つ」 を、ベートーベンの交響曲第5番「運命」
の第4楽章をバックに朗読して録音したものをお聴きください。

 → 「断じて失敗を予想せざる者は遂に勝つ」

≪     十四、断じて失敗を予想せざる者はついに勝つ

 (前略) なせば成る! これに優
(まさ)る名言はない。諸君よ、何をあなたは躊躇するか! 諸君の内には無限の潜在能力が宿っていて、諸君がどれだけでもそれから汲むことを待っているのだ。これを信じて汲む者は勝つ者だ。(中略)

 成功を予想しないで成功した者が、一人でもあるならばいま手をあげよ。まぐれ当たりに、予想もしない莫大な遺産がはいって来たと言うなかれ。もし彼にして自信がなければ、その莫大な遺産も何するものぞ、彼の心は、ただそれを失うまいとするための恐怖の地獄と化してしまうほかはないのである。

 最初にまず心の世界に強い自信力がなければ、何事も「形の世界」にあらわれない。結果は原因の内にある。自信が種子
(たね)であって、外なる実現は必然結ぶ果実である、最初に種子があって、果(み)を実ぶ。

 水道の水は水源地の水面よりも高く上がることはできないのである。水源を高めよ、必ず噴水も高く上がるのである。自信を高めよ、健康も成功も高まるに相違ないのだ。

 いかに汝の能力が偉大であろうと、学識が博かろうと、天分が高かろうと、汝がこれらの心の宝を「形の世界」に実現するには自信がなければならないのだ。

 「あの人はあまりにも聰明で、あらゆる事情がわかり過ぎるから、実行の勇気が出ないのだ」というような批評をされる人々がある。自信のないものはどれだけ聰明でも、計画を「形の世界」に実現しえないのだ。

 「智慧の言葉」に「めくら蛇に怖じず」という諺がある。蛇を見ない者は蛇に勝つ。「危険を見ない者は危険に打ち勝つ」というのがある。

 人が諸君の計画の危険についてどんなに批評するとも思い煩うな。何人が諸君を夢想家だと言おうとドン・キホーテだと笑おうと、心に掛けるな。蛇を見ないものは蛇を踏みつぶすことができるのだ。危険を見ない者は危険を踏みつぶすことができるのだ。

 自分を失敗せしめる者は自分の自信力の欠乏の他
(ほか)にはないのだ。「もし芥種(からしだね)一粒ほどの信仰でもあらば、山に対(むか)って『此処より彼処(かしこ)に移れ』と言っても、山さえ言うことを聴いてそのとおりになるのだ」とキリストも言っているのである。

 何人
(なんぴと)の自信を弱める言葉にも耳を藉(か)すな。途中の困難に逢うとも自分の自信力を揺るがすな。一時、財産を失うたように見えようとも、健康を失うたように見えようとも、四面ただこれ楚歌の声に囲まれようとも、自信ある者はついに最後の勝利を得るのである。(中略)

 明るい気性と、楽天的な性格とをもった人が、強烈な勝利の自信をもって、積極的な実際行動に移るとき、彼は必ず、目的の方向に周囲を引きずって行き、周囲を飴のように引ン曲げて、自己の向かう目的へ大衆を参加さす磁力を生じてくるのである。聖書にいう「もてるものはなお多く与えらる」とはこの事である。こういう人には、実際周囲のいっさいの事情が自分の目的実現のためにクルクルと回転し出すのである。(中略)

 人々が自分を信ずる。人々の信じる精神波動が自分にやって来る。その精神波動が自分自身の拡声器にはいってきて拡大した自信力がいよいよ自信が拡大する。自分自身の拡声器にはいってきて拡大した自信力がまた人々の心の中に吹き込まれる。こうして自信は他信を招
(よ)び、他信は自信を拡大して限りなく、彼の成功力はいよいよますまる大きくなるて行くのである。しかし、それには何よりもまず自分自身を信ずることが必要である。

 人間は、どれほど自分の可能性を信じても、信じすぎるということはないのである。なぜなら「本当の自分」は神人(ゴッドマン)であって、無限の力を発揮しうるものであるからである。

 しかし、諸君よ、現在の小さな力で、慢心するな。「まだまだどれだけでも力が出る」と思うのが本当の自信である。これに反して「これで、もう十分の力が出ている」と思うのが慢心だ。自信はわれらを駆って無限の高さに生長せしめる。慢心は行き止まり、「天狗は芸の行き止まり」だ。自信は無限生長の原動力だ。(中略)

 世界的偉業と言わるるもののほとんどすべては、最初は夢想をもって始まったのである。心の沃地に埋められた夢想の種子
(たね)はやがて希望の芽を出した。この希望の芽は一再ならず、蹉跌、挫折等の暴風に襲撃された。が、彼は自信の垣根にしがみついているがために、崩折(くずお)れてしまうことはなかったのである。実に自信は、心の沃地から萌え出でた計画を無事にスラスラ高見まで生長させる垣根であるのだ。

 大事業を成しとげた人々を見て、たんに彼らを運命にめぐまれた人々だと思うならば誤りである。彼の大事業は彼の心が形にあらわれたにすぎないのである。たえず明るく失望せず、常に積極的な考え方で、「これでもか、これでもか」と運命に対して攻勢的に出でる者は、ついに自己の望む運命をわがものとすることができるのである。運命といい、境遇といい、それは畢竟
(ひっきょう)わが心の客観化したものにほかならないのだ。(中略)

 では、諸君よ、まず白熱火のごとき自信をもて! 鉄を熔かして望む形に鋳込むには、ぜひとも白熱の火が要るのだ。火だ、白熱の火だ! 「汝の信念によって汝にまでかくのごとくなれ」とキリストは言っている。信念なしに何ができよう。心の表面だけの信念ではだめの皮だ。心の奥の奥底から、「われこれをなさんとするが故に、神必ずその全能の力にてなさしめ給う!」という確信をもたなくてはならないのだ。(中略)

 諸君がいやしくも事をなすに当たっては、自分の全力をその仕事に集中せよ。確信は自分の内に宿る無限の力を爆発さす導火線となるのである。(中略)げに、信念は人と神とを結びつける導線である。有限なる人間が無限の神の力に結びつくには、ぜひともこの確信がなくてはならないのである。(中略)

 常に「われ神と偕
(とも)にあり」と確信をもっている人こそ神人である。彼こそ真に絶大な実行力を発揮することができるのである。≫

 
<『生命の實相』 第7巻 「生活篇」 の第14章 「断じて失敗を予想せざる者は遂に勝つ」 (単行本『光明の生活法』)より>


  (2016.5.11)
239 「思い切りよく、押し強く、勇敢に断行せよ」


 前述したように、『生命の實相』 第7巻 「生活篇」 <生長の家の生き方> は、私が若き頃大いに魂をふるわせ鼓舞せられた音楽のようなものでした。

 その抜粋を、ベートーベンなどの力強い音楽をバックに朗読して録音したものが、あと2つあります。

 今日は、第13章 「思い切りよく、押し強く、勇敢に断行せよ」 を、ベートーベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」
をバックに朗読して録音したものをお聴きください。

 → 「思い切りよく、押し強く、勇敢に断行せよ」

≪     十三 思いきりよく、押し強く、勇敢に断行せよ

 今、なんじの決心をすぐ実行に移せ。思想はそれが実践せられるまではただの夢でしかない。諸君に競争者があるか。あっても恐れることはない。それはただ人間ではないか。

 行け! あえて行くところに道が開かれるのだ。決意をもって進む人の前には、万人がひざまずいて奉仕しようと申し出るのだ。

 困難、それがなんだ。勇敢にそれを押しのけよ。

 失意すべき時に失意せず、落胆すべきときに落胆せず、勇気を失わずにあえて前進する者には困難が困難でなくなるのである。(中略)

 およそ大胆と勇敢と決行の迅速と、どこどこまでもやりとげる押しの強さとは大人物なるものの一つの資格である。右顧左眄
(うこさべん=みぎむきひだりむき)して人の思わくに気がねし、猫を恐れる鼠のように周囲に気がねして、コソコソオズオズ自分の行為を進める者は一生大事業をなしとげえない人である。(中略)

 諸君よ、ひとたび「このことは善事なり、行なうべし」と決定したる以上は、それを「自己の内に宿る神」の最後の宣告であると思いて断行せよ。それを決行しなければ、人生における苦しみの刑期が延びると思って必ず実行する習慣をつけよ。(中略)

 「われらはたといつまずくことありとも、ただちに起き上がりて、光明に面せんことを期す」という箇条が「生長の家家族の修養」中に見いだされるが、幾度つまずいても幾度倒れても起き上がるものは、やがて自己の生命が実に偉大に生長してくることを発見するであろう。

 常に起き上がりさえするならばつまずくこと、倒れることは自分の生命に経験を増し、自分の生活体験を豊富にし人への思いやりを増し、愛を深めて、その人をいっそう完全な人とする資料となるのである。(中略)

 決断するには思いきりよく、決断を実行に移すには押しが強くなければならぬ。実際、思いきりのよい人は、その試みが成功すると失敗するとにかかわらず、ほかの人がいろいろあれかこれかと考えているうちに直接体験を得てしまうのである。

 諸君よ、諸君の辞書のなかから「もし」というような不確かな言葉を捨ててしまえ。「しかし」というようなかえりみて躊躇する言葉を捨ててしまえ。自己がいったん熟慮し決定した以上は、「他
(ひと)がどう思うだろうか」というような卑屈な熟語を捨ててしまえ。われかく決定した以上は、すでに自分の背後にある逃げ道は断たれてあると思え。

 逃げ道を造っておいてもしこの方法が失敗するならば、そこへ逃げ込もうなどと、あらかじめ「もし」と言い、あらかじめ「失敗」を予想するな。失敗を予想することは念の引力で失敗を引き寄せることになるのである。

 失敗しようとも、その時間また起ち上がればよいではないか。その瞬間再起すればよいのだ。あらかじめ失敗を用意するな。自分が決定したることは、神が決定し給うたことであると思え。

 自分が神の子であることを本当に自覚するとき、自分が決定したことは、神が必ず実現し給うのだ。かく信ぜよ、かく信ずるとき神は無限力をもってわれらのうちに働き給う。「吾が業
(わざ)は吾が為すにあらず、天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)」と神想観の招神歌(かみよびうた)にあるとおりだ。

 かくのごとく「天地を貫きて生くる無限の力」に護られて、自己の所信に突進しうるものは幸いなるかな! かかる人の前には山でも崩れて道を開いて待つのである。キリストも汝らもし信仰あらばこの山に動いてかなたに移れと命じてもそのとおりになると言っているのである。かかる人の前には不可能はないのである。「断じて行なえば鬼神も避く」とは名諺である。「断」の前にはいっさいの障害物は影をひそめて平坦なる道となるのだ。

 諸君よ、自分の判断に信頼せよ、諸君がもし毎日「神想観」の実修を怠らず心が常に神に一致しているならば、その時その場合に最初に頭に浮んでくる考え――これがたいてい最も正しい判断なのである。これをわれらは直覚という。何事も直覚によって決しうるものは幸いなるかな。直覚は、天界からの啓示であって、人間知でいろいろに思慮分別するよりも正しき判断が湧いてくるのである。あまり利害観念にとらわれてとつおいつの思案に心を奪われているときには、心が地上に向きすぎるから、天界からの指導の言葉を受信することができないのだ。(中略)

 諸君よ、一事を成そうと思うならば、心の内にひそんでいる臆病の侏儒
(こびと)の声に耳を籍(か)すな。何事を成そうとするにも、この臆病の侏儒(こびと)が心の内にひそんでいる人は、この侏儒がこう言うのを聞くであろう――

 「そんな無謀な計画がどうして成功しようぞ。どこから考えてみてもその計画には勝ち目がないではないか。誰か今までそんなことで成功した者があるか。もっとよくよく考えてから実行せよ。お前にはほかにもっと適当な容易な仕事があるはずだ。待て、待て、時機を待て。ものには時機というものがあるのだ。時機に逆らっては何事も成就しない」 と。

 時機! そうだ、諸君は、たしかにあらゆる計画を実行するには時機がある。しかし常に 「その時機とは今だ!」 と心のうちの侏儒
(こびと)に対して答えよ。

 「思いついたが吉日だ」 という諺には真理がある。思いついた時には必ずその第一歩にとりかかれ。思いつかなければすなわち止む。いやしくも自分の心が神に一致し、そしてあることを思いついたからには、もう決行の時機は来ているのである。

 躊躇するな、ためらうな、一日おくれれば一日だけ勝利の機会は逃げてしまうのである。先例のない計画だとて逡巡
(しりごみ)するな。先例のある計画ばかりをさがしていては、ついに大成功は得られないのである。ひとの先例がなければ不安を感ずるような弱者は、つねに人のあました糟粕(かす)を嘗め、わずかな余利を拾い集めうるにすぎないのだ。

 諸君よ、諸君が勝利者となることを欲すれば先例を破りうる人となれ。「誰が今までそんなことで成功した者があるか」というこの臆病な侏儒
(こびと)の囁きを逆用してかく答えよ、「先例なきこと、新機軸であればこそ成功するのだ!」と。

 今、世界は非常な時である! 今ほど新機軸の必要な時はないのである。それだのに、諸君のうちには新しい生活の道を開こうとしないで、ありきたりの職業ばかりを求めている人が多いのである。

 青年の大多数は誰も彼も学校を出てサラリーマンになることを欲していないだろうか。知識階級のこの失業群は何を意味するか、ひとが一度やってみた職業でないと危っかしくてやれぬという臆病根性のあらわれでないか。国を救う道は、そして自己を救う道は、この臆病な一寸法師を心の外へ投げ出すこと、そして新生活を発見することにあるのだ。

 かつては結核二期生と綽名
(あだな)つけられたわたしの身体の過去の虚弱さを知っている人は、おそらくいまわたしがこのように多忙な会社生活のかたわら、この『生長の家』を単独にて執筆し、校正し、午前および夜間来訪の人々に応接して指導し、あるいは人の病気に祈願し、一日五時間ほどの睡眠時間で別に健康を害しないでいられるのを不思議に思っていられるであろう。

 人々はこれを神の守護だと言うであろう。そうだ真に神の守護である。しかし真に神の守護を受けうるようになるには、いやしくも自己弁解するような卑怯な心では、自己を神の無限力の活電線(ライブ・ワイヤ)とすることはできないのである。

 心霊学的に言えば、自己弁解したような人には、それ相応の悪霊が感応するのである。そして心霊学者はこれを称して悪霊が感応憑依して病気にしたと言うのである。

 おそらくそうに違いあるまい。しかし諸君よ、諸君が真に心霊主義者であるならば、悪霊を恐るるまでに、自己弁解をするような自己の卑怯な心を恐れなければならないのである。そしていっさいの自己弁解の心を心の底から逐
(お)い出し、心をあくまで純に素直に浄めきるとき、諸君の心は神に通ずるライブ・ワイヤ(活電線)となり、もういかなる悪霊の波長にも感応しなくなるのである。

 諸君よ、あなたが神に通ずるライブ・ワイヤとなりたいならば心の清きものとならねばならぬ。心の清き者となるにはいろいろの悪徳を捨てねばならぬ。そのいろいろの悪徳のうちには、自己弁解という「神の子」らしくない卑怯な性質も含まれているのである。

 「神の子」であるところの人間よ、何をあなたは恐れるか、運命はあなたの手のうちに握られているではないか。

 躊躇するな。尻込みするための自己弁解を設けるな、使命と感ずるものに対してまっしぐらに突進せよ。かくする時、すべての障害は勇気ある断行の前に、道を開いて譲るのである。驚くなかれ。不健康さえも消えてしまうのである――わたしは仮定や想像や学説を語るのではない。言々皆わたしの体験を語るのだ。

 わたしは前々から人類のために光明となるような雑誌を出したいという念願をもっていた。(中略)ところが、このことを実行しようとすれば、わたしは会社員としての一生活を生活し、その上、あるいは『生長の家』を書き、あるいは病める人のための家庭苦や病苦の相談相手として長時間を費やし、ほとんど睡眠時間もないほどに二重、あるいは三重に生活しなければならないであろう。――こう考えるときわたしは自分の虚弱な、結核二期生と綽名
(あだな)されたほどの肉体で、こうした二重三重の生活の労苦が耐えられるだろうかと思うと、常識ではどうしてもそれが不可能だと考えられた。

 わたしは自分の体力の弱さをかえりみてたじろいだ。そして、わたしは本当の捧げ物としての事業は会社へ行かなくてもよいほどに、経済的余裕ができたときに始めるほかはないと歎息したものだった。

 そのころわたしの胃腸は非常に弱く、神経衰弱にかかっていて、会社から帰って来るともうぐったりしてなんの勇気もなかったのである。

 けれども神は讃むべきかな――わたしの決心をうながすために、二回の盗難を与え給うたのであった。二回目の盗難に会ったとき、わたしは経済的の余裕ができたときになって、はじめて捧げ物として開始しようとする精神的事業が空想であることを発見した。いくら待っても経済的余裕などは自分にできてくるものではないことがわかったのである。

 では――わたしは決心した――経済的余裕の来る日などをもう断じて待つまい! 自分の身体が弱いという理由で自分の勇気のないことをもう断じて自己弁解すまい。会社へ行きつつ、このいわゆる虚弱な身体でも二重生活三重生活にも耐えられることを立証しよう。

 自分の生命は神から受けたのではないか。神の無限の生命から生命を汲むものは涸
(かわ)くことはないはずだ。死なば死ね。生きる道をつたえるために起ち上がってそのため自分が死ぬならば、自分の伝えようとした道は嘘だったのだ。わたしはその時、潔(いさぎよ)く死んでよい。自分が今まで伝えようと、志していた道の真偽がこれによって判明するのだ。

 わたしはこの時「背水の陣」を布
(し)いて起ち上がった。『生長の家』の創刊号の「智慧の言葉」に「背水の陣を布け」と書いたのは、そのころわたしの受けた神啓を書いたのであった。ところが、わたしは「背水の陣」によってかえって蘇生(よみがえ)ったのであった。

 わたしは今まで「自分の身体
(からだ)は虚弱」だという自己弁解で自己の無限力に栓をしていたのだった。わたしは決心して自分の生涯の理想としていた『生長の家』の事業に取りかかることによって、この「自己弁解の栓」をば、自分の生命と大生命とを連絡しているパイプから抜き放ったのだ。

 虚弱な、貧弱な、今もなお痩
(や)せている自分が、諸君にくらべて、三倍の精力生活をしている。わたしはこの事実を諸君の前に提供する。そして身体(からだ)の弱きがために高き理想がとげられないと言って、自己の病弱を歎いている人たちに、「思いきって起ち上がれ、道はそこから開けて行く。勇気と断行とのあるところには、いかなる障害も不健康さえも消滅する」とわが体験から絶叫する。≫

 
<『生命の實相』 第7巻 「生活篇」 の第13章 「思い切りよく、押し強く、勇敢に断行せよ」 (『光明の生活法』)より>


  (2016.5.9)
238 「共通的生命の歓喜のために働け」


 『生命の實相』 第7巻 「生活篇」 <生長の家の生き方> は、私が若き頃大いに魂をふるわせ鼓舞せられた音楽のようなものでした。

 その第15章 「共通的生命の歓喜のために働け」 からの抜粋を、BGM
(ベートーベン作曲バイオリンコンチェルト)をバックに朗読して録音したものをお聴きください。

 → 「共通的生命の歓喜のために働け」

 
≪     十五、共通的生命の歓喜のために働け

 (前略)

 諸君よ、いやしくも諸君が仕事をなすならば、その仕事に生命を懸けよ。『生長の家』の執筆も「生命」を懸けてできているのだ。「生命」というも「魂」というも「愛」というも畢竟
(ひっきょう)は同じである。愛は神であり、生命であり、魂である。

 仕事に愛をそそぐことは、その仕事をすることによって自分の内に宿る神を生かすことになり、生命を生かすことになり、魂を生かすことになるのである。
 魂が本当に生きたらその瞬間死んでもよいという覚悟ができるものである。

 古聖が、「朝
(あした)に道をきかば夕べに死すとも可なり」と言ったのは本当に魂が生きれば肉体の死はなんでもなくなるからである。

 (中略)

 魂が本当に生きてする仕事にはわれわれは疲れない。それは、働けば働くほど生命が生かされるからである。疲れるとは生命が生きたりない、伸び伸びしない、窒息状態であると言うにほかならない。

 諸君がある仕事を愛さないけれども、義務のためにそれをつとめて行なうならば、諸君はその仕事を愛して行なう場合よりもいっそう多く疲れるであろう。愛は神であり、神は生命である。仕事に愛が注がれないということは、生命が生きていないということを意味するから、早く疲れるのである。

 また愛の注がれた仕事は、義務の観念でしょうことなしになされた仕事よりも、できばえがよいのである。その仕事の中に愛が生きる。その仕事の中に神が生きる。その仕事の中に生命が生きる。それゆえにその作品は生命の籠
(こも)った魂の籠ったものとなる。されば、それは神品(しんぴん)である。

 近代文明の精華をあつめてもってしても、昔の一鍛冶工が手工の作品たる正宗、村正のごとき名刀ができ上がらないのは、近代の人間は仕事をなすのに、「愛」を生かすためにせず、魂を生かすためにせず、生命を生かすためにせず、ただ、数多く作りて、数多く金の儲からんことをのみ念願しているからである。

 愛をもって仕事に臨むならば、最初肉体の熟練がそれに慣らされていない間は、それでもその仕事が下手にできるかもしれない。しかし愛をもってその仕事に臨む人は、その上達が必ずすばらしく速いのである。神がその頭脳と手先とをとおして働き給うからであるのだ。

 (中略)

 諸君よ、共通的生命に生きよ。隣人と共通の歓びを生きる仕事をせよ。そこから来る歓びは無限だ。そこから来る健康は無限だ。共通の生命は肉体の垣を越えて無限だからだ。

 この「共通の歓び」となるべき仕事をわれらがなし遂げた時、それがどんなに小さな仕事であってもわれらは魂の奥底に共通的生命から来る「よくしてくれた!」という感謝と賞讃との声を聞くのみである。常に共通的生命からこの感謝と賞讃との声を聞くものは幸いなるかな。無限の魂の平和――無限の共通的生命と調和する平和――はその人のものだからである。

 (中略)

 最初われらは一つの事物を愛した、一つの物を愛し、一つの事業を愛し、彼を愛し、彼女を愛した。しかし、われらの意識がこの境地まで高まってくるとき、われらの愛の対象は、一つの物または人に限られず共通的生命を愛し、共通的生命に奉仕することが唯一の歓びとなってくるのである。

 共通的生命の歓喜、共通的生命の賞讃――それらが鏡のように自分の心に映ってくる。われらの味わう魂の平和と高揚は限りなく深く広く厳
(おごそ)かなものとなってくる。

 時たま、われらが共通的生命のためではなく、「私的生命」のためにのみ仕えたときには、この厳かな魂の歓びは消える。ひとたびこの厳かな歓びを味わったことのある者は、これを失ったときに、どんなにか愛惜
(あいせき)の情にかられることだろう――魂は歎く、歎いてまた共通的生命に仕える生き方に立ち帰るのである。そしてわれらは再び厳かな共通的生命とともに歩み、生き、行進をつづける。

 われらは失った厳かな魂の喜びをついにとり戻す。その歓びは始めは緩
(ゆる)やかな静かな歩調で、しだいに甘さと深さとを増してくる。われらはその歓びの深さに打たれる。宇宙の共通的生命は、ただわれらにこの深い歓びを味わわすためのみに、われらを義務の道に押し流してくれるかのようにみえる。いな、もう義務の道ではない。ただ「道」である。「生命の道」である。そこには義務という窮屈な観念はもうない。われらは生命を愛し、ただ生命に随(したが)って生きるのだ。(後略)≫

 
<『生命の實相』 第7巻 「生活篇」 の第15章 「共通的生命の歓喜のために働け」 より>

 ――上記は、『生命の實相』 第8巻p.69~70にある、以下のご文章と軌を一にするものだと思います。

≪    「間(あいだ)」に生命が顕われる

 本当の美は、個
(ひとつ)々(ひとつひとつ)にあるのではない。メーテルリンクの戯曲の科白(せりふ)は言葉と言葉との間(ポーズ)で魂を語らせたが、なにによらず本当の美は「個(ひとつ)」それ自体にあるよりもいっそう多く個(ひとつ)と個(ひとつ)とを結び合わす「間(あいだ)」にあるのである。

 一個の音韻
(おんいん)はそれほど美しいとは言えないが、それが他の音韻と結び合うとき、一個の音韻それ自身がもたない美が音韻と音韻との「間(あいだ)」にでき上がるのである。

 色彩でもそのとおりである。二つ以上の色彩が結び合うとき、一個の色彩ではもたない美しさが、色彩と色彩との間にでき上がるのである。

 音楽も「間
(あいだ)」にあり、美術も「間(あいだ)」にあり、人間の生活も「間(あいだ)」にある。

 「人間」とは誰が言い始めたのか知らないが、人間の生活は一個人にあるのではない。個
(ひとつ)と個(ひとつ)とが結び合った「間(あいだ)」に人間の生活があるのである。

 眼に見え、感覚に映ずる肉体の人は皆はなればなれの存在であるが、これは朽ちゆく虚仮
(こけ)不実の存在であり、本当の人間ではない。実在である人間はこの感覚に見える現象存在の「間(あいだ)」にのみ顕われるのである。

 感覚的存在を通じて実相が見えるのではなく、感覚的存在と感覚的存在との「合い間」に実相人間があらわれるのである。この「合い間」を描くのが芸術であり、この合い間を生きるのが「愛」である。 
(『生命の實相』第8巻 69~70頁より)

  (2016.5.6)
237 「『今』を全力を出して戦いとれ」


 人生の目的は、「今」 にある。人生は、常に 「今」 が目的である。

 「今」、この 「今」 のために自分は生まれ、そして生きてきたのである。

 「今」 こそが最高の時なのである。「今」 が人生の目的である。


 『生命の實相』 第7巻 「生活篇」 の第6章 「『今』を全力を出して戦いとれ」 を、BGM
(ベートーベン第7交響曲第1楽章)をバックに朗読した録音をお聴きください。

 → 「『今』を全力を出して戦いとれ」

≪       六、「今」を全力を出して戦いとれ

 「生長の家」の兄弟よ。今があなたの時なのだ。今! 実に今だ! 今のほかに時はない! 兄弟よ。今あなたに与えられているすべてのことを今断々乎として敢行せよ。今あなたに可能であると見えることをなんのためらいもなしに今実行せよ。これが「生長の家」の生き方だ。そして生命の生長の法則にかなう道だ。

 今できることは今できるのであって、ほかの時にできるかどうかはわからない。今が懸命だ。

 今の可能にぶっつかれ、「今」をあなたの思うままに占領せよ。そこから未来の展望
(ながめ)がひらけてくるのだ。

 躊躇したり、グズグズしていてなんになろう。躊躇逡巡は時間を失うばかりだ。時間を失うことは生命を失うことだ。今よりもいっそう便宜なときが来るかもしれぬと思うな。今が、今与えられている可能に対しては一等便宜な時なのだ。

 「機会」という神様は前額にだけ髪の毛があって、後頭部には髪の毛がないと言われている。「機会」の神様と正面衝突して、その神様の前額の髪をひっ掴め。これが生長の秘訣であるのだ。

 もっと便宜な機会が来るかもしれぬから、その時にしようなどと思うな。実際またいっそう便宜な機会が来るかもしれぬ。しかしいっそう便宜な機会ばかりを待ちのぞんでいる者は、最善の機会をさえもっと待っていたら最々善の機会が来るだろうと思って、のがしてしまう。そんな人には永久に最善の機会は来ないのだ。だから「今」を全力を出して戦いとれ。「今」を十分自分のものとせよ。

 われらが今できる仕事に全力をあげてぶっつかって進む時、恐れることはない。目先にかえって失敗があらわれてこようとも、それがなんだ。失敗だと言うことを止めよ。失敗とはなんぞや? われらの望むところは、われらに宿っている「生命の生長」することではないか。「生命」ができるだけ豊富な経験を積んで生長することが本当の成功である。境遇が便利で安穏でノラクラ居眠りできるような状態になることは、われらの欲するところではないのだ。「生命」であるところのわれらにとっては創造が悦びだ。生長が喜びだ。固い運命の岩石に「自己」を彫刻して行くことが喜びだ。これが「生長の家」で言う本当の生長だ。

 この生長主義をあてはめて考えるとき、われらにとっては成功はもはや未来に遠く約束されている希望ではないのである。境遇のいかんにかかわらず、環境のいかんにかかわらず、刻々瞬々が生長であり、成功である。今、何人
(なんぴと)も生長しうるように決定されているのである。今、何人も成功しうるように決定されているのである。なんたる幸福ぞ!

 されば「生長の家」では諸君の今もてる全生命を躊躇なく、「今」に集中して活動せよと宣言するのである。

 (中略)

 諸君よ、人間の創作したこの世のいっさいの高貴なるもの、価値あるもの、美しきもののほとんどすべては、この「今」の把握を中心にして生まれたのである。

 「今」を完全に引っ把め。「今」を完全に生ききれ。「今」を完全に押し進めよ。「今」という武器をもって大いなる未来を戦いとれ。諸君が、「今」を十分に生ききろうとするには、目的に対して全生命を与えきらねばならぬ。それは何に対しても同様である。仕事をする時には仕事に全生命を与えきらねばならぬ。愛するときには愛するものに全生命を与えきらねばならぬ。それは一心不乱だ。右顧左眄
(うこさべん)してはならぬ。精神統一である。あらゆる方向に小出しにされ散漫(ちらばら)になっていた生命を一ヵ所にあつめて相手のものと一つになってしまえ。そのために諸君は、必要あらば「背水の陣」をもわれから進んで布くべきだ。

 諸君が何をしようとするにも、自己の生命を相手に与え切るということはまったく必要だ。よく生きようと思うものは全生命を与えきらねばならぬ。よき仕事をしようと思うものは全生命を与えきらねばならぬ。戦いに勝とうと思う者は全生命を与えきらねばならぬ。愛しようと思うものは全生命を与えきらねばならぬ。成功しようと思うものは全生命を与えきらねばならぬ。

 生命を与えるときには、ケチケチと小出しにしようと思うな。これ以上はたらいては明日はくたびれ過ぎて困るだろうなどと思うな。生命は汲めば汲むほど滾々
(こんこん)と清水のように湧いてくるものだ。それは宇宙的な大生命に水脈が通っているのだ。われわれの生命は、われわれの精力は、使うだけ減ってしまうような固定した分量のものではない。精力を使って精力が消耗(しょうこう=しょうもう)するような結果が生ずるのは、精力は費やせば費やすだけ減るものだという先入観念にとらわれている結果か、全生命を与えきったような一心不乱の純粋統一状態になりきらない結果であるのだ。純粋統一状態になって仕事をせよ。そこから無限の力が湧いてくる。≫

     (『生命の實相』 第7巻 「生活篇」 第6章より)

 ――上記は、「久遠の今」 という深い 『生命の實相』 の実践哲学にもとづく歓喜の歌なのである。谷口雅春先生御講義 「久遠の今」 も今一度お聴きください。

 → 「久遠の今」

  (2016.5.1)
236 「艱難(かんなん)を光明化せよ」


 熊本の大地震  被災者の方々をはじめ、困難に打ちひしがれそうになっている全ての方々に、

 「人間は神の子だ、困難に戯れて明るく前進しましょう」

 と、「剛健なる無限の生命力」 が湧いてくるような励ましの言葉、第2弾を送ります。

 これも、私が青年時代に朗読編集、録音したものです。下をクリックしてください。(映像はありません)

 「艱難を光明化せよ」

  <注> 困難にあって苦しみなやむこと。つらいこと。なんぎ。
   「艱難汝(なんじ)を玉にす」(人は多くの困難を経てりっぱな人物になる)

≪ 「艱難(かんなん)を光明化せよ」 

        (『生命の實相』頭注版第7巻「生活篇」 p.183~ より)


 すべてのものには光明輝く方面がある。暗い方面は決して見ないで光明輝く方面をのみ見るのが「生長の家」の生き方であるのである。

 世界の事物は万事万物、観ようによっては明るく喜ばしくも見え、また観ようによっては暗く悲しくも見えるであろう。なぜなら、人生は光明が暗黒の中を勇ましく進軍して行く行程であるからである。

 その道程には光と暗
(やみ)がまじる。照らす側は明るくまだ照らさない側は暗いのである。だが暗は決して光を征服するために積極的に進軍しては来ないのである。光の進んで行くところ必ず暗は消滅する。勝利は必ず光にあるのに、暗がはかなくひろがっているのを見て後退(しりご)みする光があるか!

 諸君よ、神は光源であって、われらはすべて「光」である。そして積極的に存在を主張しうる力は「光」にのみあるのである。「光」はただ進めばよいのである。

 茫漠
(ぼうばく)と広がる暗黒を前にして恐れて立ちすくんでいる限り、いかなる「光」も暗を征服する力はないのである。
 諸君は暗を広く深しと言う。しかし暗は広く深いのではない。それはただ光がまだ進んでいないことを意味するにすぎないのだ。

 諸君よ、ただ進め、勇気を鼓して起ち上がれ、恐れずに突き進め、恐れずに自己の生きる力を肯定せよ。そこにこそ、暗は消え、活路はひらけ、死は破れ、光明輝く自由自在な生命こそわがものであることが体得できるのである。

 そうだ、神は生命の源であってわれらは皆、生命なのだ、生命の本来の面目は自由自在なところにある。しかし自由が自由とわかるのは、自由がただ障害を破ったときにおいてのみである。剣の名手は、敵者
(あいて)があらわれてはじめて自分の自由を現実にすることができるのだ。水は平地にたたえられている時は、まだその自由は潜んでいるにすぎないのである。それが逆境の上に置かれるとき何物をも押し流す自由を得るのだ。

 「光」であり「生命」であるわれわれ人間にとっては本当の暗黒もなく、本当の障害というものもないのである。暗黒は光が進んで行くとき、その光の眩
(まぶ)しさを引き立たすために役立つにすぎないのである。障害は潜(かく)れている生命の自由さを引き立たす役でしかない。電流の通路に抵抗があるので電流は光となり熱となるのである。抵抗のない電流と、落差のない水とは、それが逆境におかれていないためにかえって本当に自由ではないのである。

 おお、逆境こそはわれらの生命にいっそうの自由を与えるものではないか。空気の抵抗があるので飛行機は空を飛ぶことができるのではないか。タイヤに摩擦があるので自動車は地を走ることができるのではないか。どこにも障害のない世界、抵抗のない世界、摩擦のない世界は、本当は自由のようでも、その自由は永遠に発揮されないで「可能」の形の世界ではないか。

 だから、障害こそはわれらの生命に光明を放たしむる要素なのだ。抵抗こそはわれらの生命を飛躍せしめて、いと高き世界へと高揚さすための要素なのだ。艱難こそはわれらの生命の自由さを現実にする要素なのだ。

 されば、どんな艱難に面しても、われらはその暗い側を見ることは要らないのである。いかなる艱難
(なやみ)も、われらの生命のどの部分かを引き立たすために存在するのである。艱難(なやみ)の来るたびごとに初めてわれらの生命は潜んでいた力を実現し、潜んでいた自由を形にかえることができるのである。

 天国は、ここに見よ、かしこに見よというがごとく、われらの外に来るのではなかったのである。われらが艱難の意義を知り、苦しみの功徳を知り、この世界の何物も、自分の生命の自由さを実現する資料とならないものはないということを知るとき、そこにこのままに、天国が地上に実現するのである。

 不幸さえも本当は幸福の源である。この世界の幸福に眼を閉じるな。天国はすでにこの世に来ているのである。キリストはすでに再臨してい給うのである。弥勒菩薩はすでに下生してい給うのである。これを見ないものはただ魂の扉を閉じたもののみである。魂の扉を閉じて天国を見まいとするものに天国が見えなくとも、それは決して天国の罪ではないのである。彼らは、「迷い」で心の扉をし、わざと魂に光明のはいらないようにして、その心の部屋の中で、恐怖や、取り越し苦労や、嫉妬や、憎みや、復讐のバイ菌を醞醸
(うんじよう)させているのである。こうしておいてこの世界が光明のない世界だ、生活に喜びのない世界だ、生命に自由のない世界だと呟(つぶや)くのは、呟く方がまちがっているのである。生活の喜びと人生の光明と、生命の自由とは、人生の艱難を刻々征服するわれらの生命の戦いの一歩一歩のうちにこそ実現するのである。

 では、われらは魂の扉をひらいて暗黒の中にも必ず在る光を見つけよう。どこにでも光を見ないでやまないのが「生長の家」の生き方である。この生き方にもまして、われらを人生の戦いに力づけ励ましてくれるものはないのである。この生き方こそ悩める者にとっての最も不思議な魔術的医者である。それは斃
(たお)れんとする病者を蘇生(よみがえ)らし、すべての病を癒し、悲しみの心の傷に新しい肉を盛ってくれ、人生の敗残者を勝利者に変えてくれるのである。
(後略)

   
<付。以下、「生活篇」巻頭の言葉より>

 兄弟よ、海の波が巌(いわお)にたわむれるように、困難にたわむれよう、猿が木の幹を攀(よ)じのぼるのをたのしむように困難を楽しんで攀じのぼろう。もし軽業師が綱の上を渡らないで、平坦な大道を歩くだけならば、誰も喝采(かっさい)する者はないであろう。梅の花は烈々たる寒風の中で開くので喜ばれるのだ。

 兄弟よ、わたしは苦しみに耐えよとは言わない。「生長の家」では苦しみに戯れるのだ。いかなる苦しみをも戯れに化するとき人生は光明化する。

 盤根錯節
(ばんこんさくせつ)は「生命」がたわむれるための一つの運動具である。諸君はスキーを多難だと言うか。登山を不幸だと言うか。ゴルフを艱難だと言うか。競泳を悲惨だと言うか。いかなる苦しみも戯れに化するとき人生は光明化し、そこから剛健なる無限の生命力が湧いて来る。≫



  (2016.4.21)
235 「生きた生命」


 熊本の大地震、前震が起きてから1週間になろうとしていますが、今もなお広い範囲で余震が続いています。

 地震はなぜ起きるのか。それは、地球は生きているからです。生きているもの、生命のあるものは、動くのです。

 谷口雅春先生は、子どものために書かれた 『人生読本』 で、次のようにお教え下さっています。

≪      生きているから伸びる

 私達がなおなお、いっそうよくなり偉くなりたいのは、私達自身の本来の性質なのです。山野の草木は春が来たらスクスク伸びるでしょう。これは他
(ひと)より偉くなって、他を突き倒して、自分だけが偉がるためではありません。

 草木には生命
(いのち)というものがある。生命のあるものは何でも伸びるのです。生命の無くなった枯木(かれき)なら伸びません。生命というものは伸びるものなのです。

 私達も生きているから生命
(いのち)がある。生命があるから伸びるのです。伸びないものには生命がありません。伸びなければ生命があっても無いのと同じことです。生命は伸びるのが本来なのですから、伸びなければ不快を感ずるのです。伸びなければ喜びを感じられないのです。だから生命は伸びるのです。他を突き倒すためではありません。虚栄心ではありません。いばるためではありません。私達には生命(いのち)があるのです。生命(せいめい)があるのです。では、生命のある私達は伸びよう、どこまでも伸びて行こうではありませんか。

      伸びるためには働かねばならぬ

 「生きている」と「死んでいる」との区別はどうしてわかりますか。今そこを歩いていた虫が、静かになってもう動かなくなった。いじくって見てもどうしても動かぬ。動いていた間をその虫は生きていたといい、動かなくなってから後を、その虫は死んでしまったと申します。そうすると、「生きている」と「死んでいる」との相異は、動くと動かないとの相異です。草や樹でも生きている間は水を吸い上げたり、日光の力を吸い込んだりして動いているのです。動くというのは生きているということなのです。動かねば死んでいるのです。

 では解
(わか)りました! 生きている者は、お金があっても、もう既に出世していても、美しいお部屋に住んで、おいしい食べものが何不自由なしにいただけていても、やはり、みんな伸びよう伸びようとして、勉強し、仕事をし、働いているのでありました。≫

          (谷口雅春先生著 『人生読本』 p.27~28より)

          ○

 生長の家大分教区の教化部長 渡邊隆さんが、フェイスブックに次のように書かれていました。

≪ 今回の地震はとにかく余震が連続して起こっていることから、不安に思っている方が大分にも沢山おられます。

 そこで練成会などでは、揺れるたびに「神の子なんだ!」 「神の子なんだ!」と自分に言い聞かせましょう……などとお話させて頂いています。

 地震は自信=【神の子の中心自覚】を深めるチャンスでもあります。

 常に【中心】=神の御心に還れば、そこには「無条件の愛」しかなく、気持ちが落ち着きます。

 たとえ心が不安に悩まされていても、それを超える「神の御手」にいつも守護されていることは、何と有難いことでしょうか。

 みんな神の子‼️ ありがとうございます‼️≫


 ――これぞ、生長の家ですね。困難こそ、「神の子の中心自覚」に立ち還るチャンスなんです。

          ○

 『生命の實相』 の 「聖詩篇」 に、「生きた生命」 と題した詩が載せられています(谷口雅春先生作詩)。私が若き時代、これにBGMをつけて朗読させていただいた録音に映像をつけた作品があります。下をクリックしてご視聴下さい。

 「生きた生命」

 人生に激震や困難は付きものです。でも――

≪ 兄弟よ、海の波が巌(いわお)にたわむれるように、困難にたわむれよう、猿が木の幹を攀(よ)じのぼるのをたのしむように困難を楽しんで攀じのぼろう。もし軽業師が綱の上を渡らないで、平坦な大道を歩くだけならば、誰も喝采(かっさい)する者はないであろう。梅の花は烈々たる寒風の中で開くので喜ばれるのだ。

 兄弟よ、わたしは苦しみに耐えよとは言わない。「生長の家」では苦しみに戯れるのだ。いかなる苦しみをも戯れに化するとき人生は光明化する。

 盤根錯節
(ばんこんさくせつ)は「生命」がたわむれるための一つの運動具である。諸君はスキーを多難だと言うか。登山を不幸だと言うか。ゴルフを艱難だと言うか。競泳を悲惨だと言うか。いかなる苦しみも戯れに化するとき人生は光明化し、そこから剛健なる無限の生命力が湧いて来る。≫

   (『生命の實相』 「生活篇」巻頭の言葉より)

 被災者の方々に、義捐金や救援物資と共に「人間は神の子だ、困難に戯れて明るく前進しましょう」と「剛健なる無限の生命力」が湧いてくるような励ましを与えるのが宗教の役目でありましょう。私は地震の被災者の方々をはじめ、困難に打ちひしがれそうになっている全ての方々に、限りない祈りのパワーを送ります。

 合掌

  (2016.4.20)
234 教勢回復へ「起死回生」の手立ては(2)


 今、生長の家教団は、“自然と共に伸びる運動”実現のための 「第2次5ヵ年計画」 最終年度に入っていますが――運動方針書等を見ても、大多数の会員・幹部はもはや 「しらけるだけ」 という声が多く聞かれます。

 「自然を伸ばす方面においては、CO2の排出量は確実に削減され、成果をあげている一方、教勢面では運動目標は達成されず、組織会員も減少し続けるなど、残念ながら“自然”ばかりが伸びている状況です。」

 と総裁が認めておられる(2016.2.29 最高首脳者会 「『生長の家のプロジェクト型組織に関する規程』の制定について」 提案説明で)。

 #222#228 で書きました、「“感動分岐点”を超えろ!」 の塚本こなみさんがおっしゃるように、人は本当に 「感動」 しなければ集まってこない。「感動」 するものを与え、感動する運動方針を策定しなければ、会員は増えず、運動は伸びません。理屈ではだめです。

 現会員が一所懸命新しい人を誘っても、「生長の家はなかなかいいことを言ってる。それはもうわかった。2度と行くことはない」 というのでは、いままでの会員が高齢化し、霊界へ旅立って行けば、会員は減って行く一方です。

 生長の家に初めて触れた新しい人の多くが感動してシンパサイザーとなり、リピーターとなり、推進者、伝道者となって、はじめて会員が増えて行くことになる。

 現状では、生長の家はどんどん衰退し、枯死して行く状況になっていると私は思います。それは――

■ まず第一に、「人間至上主義は間違っている」 というのは、「人間は神の子である」 という教えを放棄して、「人間はやっぱり罪の子だった」 と宣言していることになるからです。「人間は神そのものである」 という 「至上者の自覚の神示」(#176) 「本来生、不滅の神示」(#127#128#182)に立ち還らなければなりません。「実相独在」 の根本真理に立ち還らなければなりません。

■ 「自然と共に伸びる」 「神・自然・人間の大調和のすがたを地上にあらわす」 ということは、日本において神話の時代から脈々と生きてきたすがたである。その事実を認め、祖先に感謝し、天皇国日本のすがたに誇りと感謝を持って、より一層日本の良いところ、和の心を守り育んでゆけばよいのである。“新しい文明の構築”などと言わなくても、それが最も古くかつ最も新しい文明を築いて行くことになるのではないか。そしてそれが世界平和の礎ともなるのではないか。(#121#233)


■ この生長の家の本来の使命に立ち還れば、<“分派” “本流”> という人たちともおのずから和解ができ(みすまる宣言)、本来の 「一つ」 になって、感動的な教勢の爆発的発展もできるのではないでしょうか。

  (2016.4.1)
233 天皇陛下の大御心と世界平和(5)


 27日の早朝勉強会で、

 
≪天皇陛下におかれては、「雑草」というのはない。みんなひとつひとつ名前のある植物だ、とおっしゃる。「雑草」というのは人間のエゴだ。「和」は、人間同士の和だけでなく、すべてのもの、自然との大調和にまで心を致さなくてはならない≫

 という教化部長の指導もありました。

 その通りであります。

 ところで、日本人ほど自然との一体感をもって、自然を尊敬し、自然と調和して生きてきた民族はないのではないでしょうか。「自然との大調和に心を致さなくてはならない」 などと言うまでもなく、日本人はごく自然に、自然を敬し愛し、自然と調和して生きている。

 そのことは、前にご紹介しました田中英道氏の 『日本人が知らない日本の道徳』 にも書かれていました。

≪日本人は、物事の基本に、忠実に自然というものを立てたのです。自然そのものが神なのです。

 寺や神社で神木として老木が大切にされるのもそうした思想の表れです。老木にこそ神が宿っていると受け取り、注連縄を張って人々がそれを拝む。老木に対する敬意の念が、それを守り抜く力になります。

 そうして、それを守って来たという事実が歴史として積み重なり、その事実に対して先祖たちに尊敬の念が湧くのです。

 皇室を大切にする日本人の想いは、まさにこれとまったく同じなのです。そこに長く存在してきたという事実、それを守ってきたという事実、それが最も重要で尊いことなのです。

 日本人の死生観は本来、ごくあっさりしたものなのです。すべてを自然に委ね、神として生まれ、神となって死んでいくというのが神道の考え方です。

 自然を冷静に観察する態度が、日本人の思想、学問、生活の規律、すべての基本になっているといってもいいでしょう。自然への洞察力が科学になり、自然から受ける感性が文学や美術などの芸術に、自然の法則を考えることが哲学になる。自然から与えられた道徳観というものが、あらゆるものを学ぶ基本になっているのです。

 人間も自然の一部ですし、自然のなかに生きているのですから、これは考えてみれば当たり前のことです。本来なら世界中のすべての人間が、日本人と同じように「自然的存在」であるはずです。西洋でも同じはずなのですが、神というものを想定したために、ある意味で間違ってしまったとも言えると思います。

 ということは、その神の存在が揺らいでくると、考え方も自然に寄り添うものになるはずです。近年、自然に基づく日本の思想が西洋で注目されるようになってきているのは、キリスト教の神の存在が疑われ始めているからです。≫

 ――この「キリスト教の神(ゴッド)」というのは、言葉で人工的に設定した唯一全能の神、一神教の神で、西洋の道徳を律するものです。

 そうした西洋の宗教・道徳では、神と自然と人間が一体ではなく、対立して奪い合う存在となり得る。

 しかし、日本の道徳は自然と人間の関係から生まれてきた。

 お天道様がきちんと朝出て夕方沈み、樹木が春に萌えて、葉を付け繁茂し、また枯れていく。朝昼夕夜、四季が確実にくりかえされる、その規律性に従うことが、自ずと日本人の生きる指針になった。

 日本人は、物事の基本に、忠実に自然というものを立てた。自然そのものが神なのだ。すべてを自然から教わり、人間が自然に従って生きることで自動的にモラルが生まれて来た。だから人間と自然が奪い合うなどということはあり得なかった。

≪ 日本の文学も哲学も、考え方も芸術も、そうした自然のあり方に依拠しています。日本人は、自然の極み、自然の変化、自然の異常さというもののなかにも「美」を感じるのです。≫(田中英道氏)

 そうした日本では 「神・自然・人間」 は調和しているのが当たり前で、不調和などということは考えにくい。田中英道氏はさらに次のように言っています。

≪大正10~昭和2(1921~27)年までの6年間、駐日フランス大使として日本に駐在した詩人・作家でもあるポール・クローデルは、「日本人は自分の国土との一体感を通じて、国土が自分たちに示す姿を前にして深く敬虔な思いを抱いている。それが日本人の愛国心の根源の姿なのである」といったようなことも言っています。このクローデルの直観に対して共感する日本人は、現在でも多いのではないでしょうか。

 日本人の魂の特質に、国土の自然の美しさの前に頭を垂れる慎みの深さがあるということは、2011年3月11日の東日本大震災で地震や津波など様々な自然災害を経験して、あらためて日本人自身にも認識し直されたように思います。

 しかし、世界は驚いたのです。あれだけ暴虐な自然であったにもかかわらず、その自然に対して日本人が崇敬の念を持ち続けていること、その態度の謙虚さに驚かされるわけです。どうして日本人はこのような道徳を得ることができたのか、と。

 その崇敬の念というものを、クローデルは、日本に来ていた大正末期にもやはり感じていました。大正12(1923)年に起きた関東大震災にクローデルも罹災し、目撃した大混乱のなかの整然とした人々の姿に驚いて次のように記しています。

 「生存者たちが群れ集った巨大な野営地で過ごした数日間、私は不平一つ聞かなかった」

 「唐突な動きとか人を傷つける感情の爆発によって隣人たちを煩せたり迷惑をかけたりしてはならないのである。同じ一隻の小舟に乗り合わせた人々は皆じっと静かにしていなければならない」

 90年が経っても、日本人のありようがほとんど変わっていないことに気づかされます。そして、その変わらない部分に世界が驚き、賞賛するのです。≫

 ――日本人にとっては、人間が欲望によって自然を破壊し自然から奪ってきたなどという記憶がないので、今さら 「神・自然・人間の大調和をめざす」 などと言っても、何を言っているのかわからないのではないでしょうか。少なくとも、私にはピンと来ませんが……。


  (2016.3.31)
232 天皇陛下の大御心と世界平和(4)


 
『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(竹田恒泰著。「わが使命行進曲」 #45 参照)が出版されベストセラーになったのは2011年、3.11東日本大震災の起こる少し前であった。

 大震災で、他の国なら掠奪などの暴動が起きるのが普通なのに、日本の被災者たちは助け合い譲り合って秩序整然と行動する姿に世界中が感動した。

 日本はますます、世界で最も平和で豊かで美しく、「思いやり」 「おもてなし」 の心に満ちた、治安のよい「夢の国」として人気があり、訪日観光客の急増、インバウンド市場の活況などが顕著に現れています。

 それは、天皇陛下の御祈りを中心とした 「和」 の国であるからだと思います。

 数年前、インドから観光目的で日本に来た友人 アセフ・ナセル・カーンというインドの男性が、成田空港に着いた途端に、「ここは神様の国だ!」と直感的に思った、と言ったのを思い出します。

          ○

 27日の相愛会東京第一教区連合会 「早朝勉強会」 は、やはり大日本神国観の神想観・世界平和の祈りから始まった。

 東京第一の相愛会は、運動方針の[基本的な考え方]として、
≪東京は中央に皇居をいただくという幸せに鑑み、会員は 「天皇陛下の生き方を模範とし、神意を第一とする生き方」 を目指すものである≫ と明記している。

 今回のテーマは「天皇陛下と世界平和」で、発表者は、資料として次のような谷口雅春先生の御文章を引用提示した。

≪日本民族は存在の窮極を、一切のものの生成の根源たる普遍的絶対者を、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)として把握し、その「中(みなか)」への帰一とその「中」の展開、即ち宇宙普遍の原理の地上的顕現を日本国家形成の理念とし、天津日嗣(あまつひつぎ)とはこの理念のさながらなる継承以外にはなく、……宇宙真理、即ち神意の地上顕現の至純至高の形体としての日本国家の発展である事これが日本神話の理念であり日本民族の理想であり日本建国の精神である。≫
   (『菩薩は何を為すべきか』 p.29より)

≪日本の建国は“天孫降臨”にはじまると云うのは「天之御中」の理念の降臨にはじまると云うそれであります。≫
  (同 p.36より

≪日本は概ね東洋文化に属し、東洋文化は霊的文化、宗教文化であると称せられているけれども、実は日本民族の創作した神話は、“御中主”の理念によって、一切万象を統合し、東洋の霊的文化と西欧の物質文化と両方を一つの「絶対無」の中心に包摂して、それを大和する理想を表現しているのである。日本民族創作の衣食住の習慣又は方式をよくよく観察してみると、その事がよく分かるのである。≫
  (『古事記と現代の預言』 序文より)

 ――等々、参加者はその場では咀嚼しきれないほどたくさんの文献資料を提示しての発表であった。

 「世界平和のために日本の使命が重大であると言っても、たとえば韓国では“天照大御神”というと激しく反発する傾向があったりする。みすまるの歌に“あまてらす”という言葉があるだけで反発されるから、韓国で神想観を指導するときには、始めも終わりも招神歌を唱え、みすまるの歌は唱えない」という教化部長の指導もありました。

 私は、「世界の人に、“日本の天照大御神を拝め”などという必要はないでしょう。いま、日本は世界で最も人気のあるスポットになり、世界が日本化しつつあるという識者も増えて来ています。私たちが大日本神国観・世界平和の祈りに徹して生きて行くとき、ますます日本は世界のお手本となり、世界的使命はおのずから成就して行くのではないでしょうか」 と発言したことでした。

          ○

 今、ヘンリー・S・ストークス著 『英国人記者が見た 世界に比類なき日本文化』 という本を読んでいます。ストークス氏は1964年東京オリンピックの年に「フィナンシャル・タイムズ」東京支局長として来日、以来50年日本に住んで、日本は世界でも類を見ない、洗練された平和な文化を育んできた国であり、これほど素晴らしい歴史と文化を持った国は、他にないと思うようになった。そしてイギリス人として、日本に心からの慈しみを感じるようになった。さらには日本文化には、世界が取り入れるべき模範があると、確信するにいたった、という(同書序文)。そして――

≪ 日本の力といえば、日本にはまったく資源がないから、日本人らしさの他には、存在していない。

 日本の力は、日本の長い歴史が培ったものだ。日本人がその力を自ら進んで否定するようになっているのではないか。

 いったい、日本人らしさの他に、日本を偉大な国としてきた力が、どこにあるものなのだろうか?

 世界で他にまったく見られない、日本の素晴らしい長所を挙げれば、何といっても、人々のあいだの「和」である。

 この人々のあいだの「和」は、このひろい世界のなかで、日本にしか存在していない。

 日本は、日本人にとってだけの宝ではない。

 私は日本が紡いできた「和の心」の精神文化が、人類にとって大きな財産であると、信じている。≫


 ――という。

 <つづく>


  (2016.3.30)
231 天皇陛下の大御心と世界平和(3)


 私たちは小学校(戦時中は「国民学校」と言った)の頃、天皇陛下は 「上御一人
(かみごいちにん)」 であると教わりました。

 なぜ、「上御一人」 なのか――と考えますと、釈迦が悟りを開いたとき 「天上天下唯我独尊」 と言ったことが思い浮かびます。

 釈迦はそのとき、肉体の自分が 「唯我独尊」 だと言ったのではなかった。

 自分の生命は久遠の昔(無量百千万億阿僧祇劫前)より悟りを開いた仏であった、すなわち自分は全ての総てであったとの自覚から、「唯我独尊」 という言葉が発せられたのでありましょう。

 天皇陛下はその釈迦と同じように、「四方の海みなはらから」――「自分はすべてである」 との御自覚をお持ちになって居られる御方であるから、「上御一人」 なのである。

 だから、たとえば仁徳天皇は人家の竈
(かまど)から炊煙が立ち上っていないことに気づいて3年間租税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかった。そして3年たって、天皇が高台に出られたら炊煙が盛んに立つのをご覧になり、「朕はすでに富めり」 と仰ったという記紀の逸話もある。

 明治天皇は
 「罪あらば吾をとがめよ天津神 民はわが身の生みし子なれば」
 「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」
  
(四方の海にある国々は皆兄弟姉妹と思う世界に なぜ波風が騒ぎ立てるのであろう)
 という御歌を詠まれている。

 昭和天皇が、昭和20年9月27日、マッカーサー元帥を訪問されたときのことは、#145 にも書いているように、すでに広く知れわたっていることだ。

 このとき昭和天皇に随伴した通訳・奥村勝蔵は、天皇の御言葉を書き留めている。

 「今回の戦争の責任は全く自分にあるものであるから、自分に対してどのような処置をとられても異存はない。戦争の結果現在国民は飢餓に瀕している。このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出るおそれがあるから、米国に是非食料援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券をまとめて持参したので、その費用の一部にあてて頂ければ仕合せである。」

 昭和天皇はこのようにおっしゃると、大きな風呂敷包を差し出した。このとき元帥は、立ち上がって昭和天皇のところに行き、握手をして 「私は初めて神の如き帝王を見た」 と述べたという。

 今上陛下が皇太子時代、昭和50年7月に沖縄を訪問された時のことは#208に書いているが――

≪ 「ひめゆりの塔」では火炎瓶が投げられ、お二人の足もとからわずか2メートル足らずのところに火柱が上がった。美智子妃のおからだが一瞬傾き、皇太子さまがかばうように手を出された。だが、ご夫妻がたじろがれたのは、ほんの短い時間だった。お二人の目はしっかり赤い炎をみすえられていた。続けて何が起きるかわからない瞬間に、いっしょにいた説明役の老婦人の身を気づかって、「源さんはどうした」 「源さんを見てあげて」 といい続けられた……

 南部戦跡・健児の塔前で。この日の沖縄は、午前中に32度ラインを突破。塔のある所まで397段もある石段を、ご夫妻は、一度も立ち止まられず、15分で一気に登られた。皇太子殿下の顔から玉のような汗がふき出るが、ぬぐおうともされない。美智子さまも同じ。まさに体を二つに折られ、後ろで頭を下げた側近が途中で上げかかって、あわててまた下げたほど長い拝礼を繰り返された。≫

 ――このような両殿下のお姿を見て、現地沖縄の人々は感動の涙を流し、「バンザイ、バンザイ」 の声が上がった。

 そして天皇になられてからは、災害があるたびに被災地におもむき、膝をついて優しいお声をかけられているようなお姿をいくたびテレビなどで拝したことか。また、パラオ、フィリピンなどの戦跡を訪ねて双方の戦死者を慰霊し、平和を祈られるお姿も、まさに愛そのものの神のお姿である。

 その天皇陛下の大御心に わが心を合わす ということは、私たち民草もまた、「神の子」(日子・日女)であり、「唯我独尊」すなわち全ての総てである、四方の海みな同胞(はらから)であるという自覚を持つ ということだ――と思います。

 <つづく>


  (2016.3.27)
230 天皇陛下の大御心と世界平和(2)


 
日本建国の理想 「八紘一宇」 は英訳すれば “Universal Brotherhood” で、世界人類は皆兄弟、家族だから結び合い睦び合おうということであります。

 そして、「四方
(よも)の海 みな はらから(同胞)」 と御製(御歌)に歌われた天皇陛下は、日本の天皇陛下であらせられるだけではなく、「世界の天皇陛下」 であらせられるのであります。

 第1回の早朝勉強会(#195)で、≪今世界では難民問題が騒がれているが、難民と言われている人たちも、日本に来たら 「難民」 ではなく、天皇陛下の大愛に包まれて 「神民」 「選民」 になってしまうのではないか と思う≫と言った方がありました。

 私は、上記の 「難民」 を 「テロリスト」 に置き換えても同じことではないか、と思います。

 最近また、ベルギーの首都ブリュッセルで、大きな自爆テロ事件が起きました。

 昨日3月24日の日経新聞 「春秋」 欄に、次のように書かれていました。

       * * * * *

 「ママの台所で爆弾を作ろう」。数年前、イスラム過激派組織が発行したとされる雑誌の記事がインターネットに掲載された。圧力鍋やマッチを集めれば1~2日で爆弾ができる。衝撃的だったのは多くの国の人の蜂起を促すため、すべてが英語で書かれていたことだ。

▼いつでもどこでも、そしてだれもがテロを実行できる。「レシピ」の掲載はそんな時代の到来を象徴する出来事だった。その後の情勢はいうまでもない。「欧州の首都」、ベルギーのブリュッセルで起きた連続爆破テロの詳細は不明だが、テロの魔の手はさらに伸び、欧州どころか世界全体をのみ込もうとしているようだ。

▼自爆、ホームグロウン(自国育ち)、ローンウルフ(一匹おおかみ)。テロリストを形容するこうした言葉を聞けば、テロを防ぐことの難しさが伝わってくる。不特定多数の人が出入りする「ソフトターゲット」もそうだ。ある駅や商店街の警戒を強めれば、隣の駅が狙われるだけ。そう思うと暗たんとした気持ちになる。

▼テロには炭疽
(たんそ)菌などの病原菌も使われる。そもそもテロ自体、感染症のようなものなのだ。毒素をまき散らしながら飛び火し、広がり続ける。力で封じ込める対症療法は必要だが、克服するためには根本的な治療しかない。多様な価値観や異なる主張を認め合う社会へと変えていく。それしかないと分かってはいるのだが。


       * * * * *

 そういう感染症のようなテロを克服する根本的な特効薬、治療法は、どこにあるのでしょう。

 ――それは、地上(現象界)では見当たらないかも知れない。

 ――それは、「神の国」 に入らなければ発見できず、テロの根本的な克服はできないであろうと思います。


 <つづく>


  (2016.3.25)
229 天皇陛下の大御心と世界平和


 
#228 でも触れました、東京第一教区 相愛会連合会では毎月1回、朝6時50分から8時50分まで、「大日本神国観」 の神想観から始まって 「天皇陛下の生き方」 を学び合う 「早朝勉強会」 を行っています。明後日(3月27日)はその第3回目で、「天皇陛下と世界平和」 をテーマに研鑽します。

 前回は 2月28日で、「天皇陛下の御心と自然」 というテーマでしたが、S副会長が担当で、テキスト 『新版 菩薩は何を為すべきか』 から次の箇所を抜粋した資料を配付しての発表がありました。
#222の報告では割愛していましたが)

     * * * * *

 1) 「神の子」 (p.33)

  私たちはその「中
(みなか)」の「主」なるところの神様から生まれて来たのであって、その中(みなか)のいのちより出でて中(みなか)に帰る、吾々は中(みなか)に帰一しなければならない。「神の子」とは天之御中主神の生命が此処に出現して、「中(みなか)」の理念を実現する為に此処に生きて居るということであります。

 2) (みなか) と天之御中主神(p.34)

  ……宇宙を貫く処の真理が⏀
(みなか)なのであります。真ん中だけを貫いて居るのではないのであって、これはただ「宇宙を貫く」という意味を象形的に書かれているのです。 宇宙の一切の物貫く所の原理に在(まし)ますところの神様が天之御中主神であります。その「中(みなか)」の原理と云うものは何処にでも現れて居る⦿(ス)の原理であって、それは一切のものには一つの中心があると云うことであります。

 3) 天皇陛下と天皇国

  ① (p.37~38)

 天之御中主神の「中
(みなか)」の理念が天降って、天孫降臨(理念の降臨)となり、それが具体化して神武天皇の“八紘を宇(いえ)と為す”(八方の国々を一家庭的邦とする)即ち世界連邦の基礎国家としての「大和(ヤマト)」の国の建国となったのであります。

 大和の国は「大和
(だいわ)の国」であると共に、単なる集団の国ではない、天津日嗣の国である。天津日嗣とは、天之御中主神の「中(みなか)」の理念が天降って来ることを言うのであります。日嗣の「日」は「霊(ヒ)」であって「霊的理念」のことであります。「中(みなか)」の理念をさながらに承け継いで、そしてその姿が国家として顕れたのが、「天皇を中心とするところの国家」である。其処にある天皇の権威と云うものは、真理の体現者としての権威であって、決して個人が強いから天皇になって、その権力に依って人民を圧えているのではないのであります。そして、その天之御中主神の理念の継承実現としての真理国家たる日本国の中心核体として其処に天皇が顕れていられるのであります。随って天皇を中心と仰ぐ日本国家の形態は、天皇の人民支配の手段としての国家形態というようなものではないのであります。

 だから日本国は「天皇国家」であると云っても専制君主的なところは微塵もなく、宇宙の真理、即ち神意の地上顕現の至純至高の理想形態としての日本国家の形成であります。天皇あるがゆえに人民あり、人民あるが故に天皇あり、天皇と人民とはその生命の本源に於て一体であり、それが、天之御中主神の理念に随って所を得ているのです。

  ② (p.39~40)

 日本民族というものが如何に何処から如何なる自覚を持って生れて来たか。古事記に表れたような民族神話をつくり「命
(みこと)」の自覚を代々継承して今日に至る、そう云う霊的歴史的伝統のすべてを背負って、今此処に出現しているところの日本民族の特殊性というものを知らなければならないのです。

 民族の特殊性を強調しますと、それは編狭であって、人類的で無くなるように思う人もありますけれども、実は決してそうじゃあないのであります。どの民族でも、その民族固有の特殊性を完全に発揮することに依って、却って全人類が幸福になるのであります。

  ③ (p.40~41)

 日本のそうした「国の本来の在り方」と云うものはまことに素晴しいものなのであります。即ち大和国を基礎国家として、「六合を兼ねて都をひらき、八紘を掩いて宇と為し」世界の国々をこわすことなく一つの家族的つながりの国とする使命を内在する国家なのであります。


     * * * * *

 ――上記のテキスト資料は、『新版 菩薩は何を為すべきか』 の中に書かれている「人類光明化運動指針第5条」のご解説文からの引用でありますが、まことに生長の家出現の根本使命を説かれているところであると思います。

 中
(みなか)とは、「未発の中」 すなわち、時間・空間いまだ発せざる元のところ、そこから時間・空間が発し一切の現象が展開してきた元のところでありますから、「すべては一つ」 の、一切現象を超えた中心なのであります。すべては中(みなか)より出でて中(みなか)に還ることによって大調和するのであります。

 <つづく>


  (2016.3.25)
228 教勢回復へ「起死回生」の手立ては


 「二代目一寸法師」 様が 「ひろば」 #71(2月29日)と #74(3月18日)に書かれていること――

≪その後、教団は衰退への道をひた走っているようですね。教団にとっての不都合な真実は、あたかもなかったかのように装っていますが、このままでは立教100周年を迎えることができるのか、どうか・・・。≫

≪「現象無し」 とは言え三重県教化部や宇治別格本山での痛ましい事件が起きています。……“一切者の自覚”に立って、すべては自分の責任だと断定できる人間になることが、「人間神の子」 の自覚ではないかと思うこの頃です。≫


 ――これは、“図星” の急所を突いたご発言ではないかと思われます。

 そういう事態になっている根本因は何なのか。マクロ(巨視的、大局的)に見て、ここは適切な英断による方向転換がなされなければ、本当に 「立教100周年を迎えること」 があやしくなって来かねません。


 
<[起死回生] 意味
  • 死にかかった人を生き返らす意。医術のすぐれて高いことの形容。転じて、崩壊や敗北などの危機に直面した状態を、一気によい方向に立て直すこと。絶望的な状況を立て直し、一挙に勢いを盛り返すこと。(goo辞書)>

 ところで、東京第一教区はまだ元気で、「衰退への道をひた走って」 はいないように思われます。数字的なことは存じませんが、雰囲気的には 「衰退」 を感じさせないものがあります。


 それは、#190#195 #196 に書いていますように、東京第一教区は全国59教区の中で唯一、天皇陛下のおわしますところであるから、その地方色を生かした運動をしようと、相愛会では毎月1回、「大日本神国観」の神想観から始まって 「天皇陛下の生き方」 を学び合う 「早朝勉強会」 を始めてから、顕著に感じられるところです。

 白鳩会でも毎月、「若い白鳩のための学習会」 を開くことになり、教化部長が神話から日本国の成り立ちを説き、教区連合会長が「大日本神国観」の説明と実修を先導する。総連別見真会でも連合会長が天皇陛下についての講話をして、参加者に感動を与えている、ということです。

 神話は日本民族、そして日本国家の根源的なものを表現するものであり、つねに「始まりの時」=「神話の世界」への回帰によって現状を革新しようという希望をもたらすのです。だから明治維新という国家的大変革も、「神武創業への回帰」(神武天皇が即位された時への回帰)がそのスローガンでありました。

 組織の起死回生のためには、初心に、根源(もと)に還ること。「実相独在」の真理に還ることが必要でしょう。

 神・自然・人間は本来 「一つ」 のものです。(#226) その 「本(もと)」 に、中心に、実相に立つことを忘れて、“ノーミート”だ、“自転車”だ、“クラフト”だ、プロジェクト型組織だなどと騒いでも、教勢回復への力になるとは思えません。

 #222 で書きました、塚本こなみさんの 「感動分岐点を超えろ!」 というのは、フラワーパークでも、「ああ、よかった」 ぐらいでは、人は また来ようとは思わない。「びっくりした、感動した!」 という人が、知人友人にも宣伝し、リピーターになり、その結果、年間入場者数10万人ぐらいだったのが120万人にもなった、というようなことが起きたのです。

          ○

≪ 「唯々諾々と従う1千人のイエスマンは、ただ一人の志ある人物による諫言に及ばない。」
 (耳に痛い諫言をする人物を遠ざけてはいけない。それができれば、歴史に名を残す偉大な人物になれる。)≫


 ――というのは、中国“反腐敗の鬼”と言われる王岐山が仕切る共産党中央規律検査委員会などの機関紙や、同委員会と中国監察省が合同でつくる公式サイトに、司馬遷による史記の記述などを引いて、諫言の重要性を指摘する文章を、3月3日全国政治協商会議の開幕直前に発表していた――と、日本経済新聞web版が報じた文章からの引用です。

≪ 「社内で自由闊達に意見交換されなくなれば、画一的な意見に支配され、自らを変える活力は生まれて来ない。」 『知の技法』(小林康夫・船曳建夫編)――同紙2016.3.17「こころの玉手箱」より≫

 ――心して、志と勇気ある発言をして行きたいと思います。

  (2016.3.22)
227 「汝戦え、そして私とともに燃えよ」という神


 『生長の家』 誌昭和49年1月号の 「新年の法語」 に、「新しき年に新しき覚悟」 と題して、次のような言葉が書かれていました。

≪ 「私は“無”と戦う“生命”である。私は夜に輝く火である。私は久遠の光である。しかし私は戦を超越する久遠の生命ではない。私は永久に戦う自由な“意志”である。汝 戦え、そして私とともに燃えよ」 ≫

 ――これは、ロマン・ローランの 『ジャン・クリストフ』 に出てくる神の言葉を引用されているものです。

 この言葉について、谷口雅春先生は次のように解説されています。

≪ 此の神は“無”に対する“生命の神”として相対的に顕現していられる神である。

 それは阿弥陀如来と観世音菩薩との関係にも似ている。阿弥陀如来は法身として、また尽十方無礙光如来として、戦いを超越する久遠の実在者として、常楽平和の極楽世界にましますのである。

 しかしその阿弥陀如来の慈悲の化身としてあらわれ給える観世音菩薩は“無”と戦う神であり、“仮妄
(けもう)”を破砕する刀段々壊(とうだんだんえ)の戦力であり、非在存のクセに存在の虚像をあらわす“罪”と“病”と“死”の暗黒を絶滅する「実相より延長し出でたる光」であるのである。

 この場合、阿弥陀如来は久遠常楽完全円満不動不滅の実相界の本尊であり、光源であり、観世音菩薩はその光源より出で給える“無を照らす光”なのである。

 “無”と相対立して戦う光であると言えば、相対的存在のようにも観えるのであるけれども、その相対の相
(すがた)の中に絶対者の慈悲と智慧とが、“静”の本体から出でて、現象界の“非真実”の罪と病と死と貧窮と不幸とを“本来の無”にまで消滅せしめんがために真理の炬火をもって世を照らし給う“天使(てんのつかい)”であらせられるのが観世音菩薩であらせられるのである。

 その観世音菩薩が生長の家の本尊神であり、その観世音菩薩の使命を分ち享けて立つ“虚無を克服すべく集った諸菩薩”が吾々生長の家の信徒であるのである。≫

≪  
十八日の法語 茲(ここ)にいう“天使(てんのつかい)”とは何であるか

 聖経 『甘露の法雨』 には、

 「ある日、天使
(てんのつかい)生長の家に来りて歌い給う」

 と書かれている。

 この 「天使」 というのは、神の救済の愛の霊波が人格化又は個体化して現れ給うた姿なのである。それは阿弥陀如来の慈悲の霊波が人格化して観世音のお姿にて真理を説き給うているのである。

 それ故に聖経 『天使の言葉』 には、天使おん自らの言葉として、

  吾れは創造神
(つくりぬし)より遣わされたる者なり、
  吾れは創造神の道
(ことば)なり、
  吾れは創造神の波動
(ひびき)なり。
  吾れは創造神より来りて汝らを言葉にて照り輝かさん。
  創造神の光波
(ひかり)は吾れにして
  吾が光波の射すところ
  暗黒
(やみ)なく
  病なく
  老なく
  死なし。
  信ずる者は限りなき生命
(いのち)を得て永遠に輝かん。

 と録
(しる)されている訳である。つまり天使(てんのつかい)とは創造神の普遍無相の霊が、救済の霊波をわれわれに向って放送し給うているのが応化(おうげ)して、観る人それぞれに適する姿に顕れていたまう姿である。すなわち応化神であるということである。

    
十九日の法語 無明を克服するための選士

 応化神は、“無明”の暗黒世界を打ち破って“光”を現実界にもたらすために出現せられるのであるから、“無明”対“光”と、相対的に顕現し給うのである。絶対者の相対的顕現であるのである。従って、暗黒を克服するための光の戦いの姿となってあらわれるのである。

 “物質あり” “肉体あり” “人間は霊に非ず、肉体なり” という “無明
(まよい)” によって、年齢に準(したが)って老朽が起り、微生物の侵入によって病気が起る――という第二の無明が、病、老、死の現象を惹起(ひきおこ)すのである。

 創造の神は応化して姿を顕わし、現実に “虚無” を克服して現象の世界に “生物” をつくり出したが、“虚無” は、それを老病死の幻をつくって、生命の顕現に抵抗して、生命の出現を死の彼方へ追いやろうとするのである。そこに“虚無”に対する応化神の戦いが始まるのである。否、物質宇宙と見える世界の出現以来、この “生命” と “虚無” との血みどろの戦ははじまっているのである。わたしたち人間は、その “虚無” を克服して尚一層優秀なる生命体を出現せしめるための生命の軍隊の一員として、生命の世界から選ばれたところの選士であるのだ。≫


 と。

 私はこれを拝読して、また一つ大いなる目覚めをさせて頂いた気がします。

 私は今まで、<「相対」 の世界は迷いの世界である、人間は常に 「絶対」 の世界に立っていなければならない> という思いに縛られていた。しかし、そういう思いに呪縛されている必要はないのだ。人間は、「神の子」であるということは、「表現者」であるということである。相対的顕現者として、内部理想に従って戦うことを躊躇しなくてもよいのだ――ということです。

 上記 『生長の家』 誌 昭和49年1月号は、あるご高齢の信徒さんが最近引っ越しのため古い神誌などを譲りたいと言われ頂戴したものですが、神様からの贈り物のように感じます。

 先生はこの中で、

≪ 私は八十歳を超えて近頃、声が多少嗄(か)れて招神歌をうたう声がかすれて、在来の息の朗々とした調子がつづかなくなったのが自分にもわかるのである。しかしロマン・ローランの神のように住吉大神はわたしに 「お前は打ち負かされない神の神の軍隊に属している。このことを忘れずに死んだ後までも戦え」 といっていられる声がきこえるのである。それで自分の体が蝋燭のように “光” を発しながら焼けつきるまで戦っているのである。≫

 とも書かれています。

 私は、これを拝読し、まだまだ今から老骨にむち打っても、戦うことを躊躇
(ためら)わないようにしようと思います。

  (2016.3.18)
226 「自然道」即ち惟神(かんながら)の道―神・自然・人間は「一つ」である


 『生長の家』 誌昭和46年11月号の 「十一月の法語」 に、次の如くありました。

 
≪ 日本では宇宙の本源神を“天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)”と称するのである。「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天之御中主神」と古事記に書かれているのがそれである。……実は“成りませる”は、“神はコトバ”であるから、“鳴りませる”なのである。

     九日の法語 神が高天原に成ったのである

 天之御中主神は、高天原に生じたのではなく、天之御中主神の御いのちそのものが高天原に成り給うたのである。「神が高天原に成った」のであり、神のいのち(コトバ)の展開が高天原なのである。

 「神、天地を創造
(つくり)給えり」という考え方は、西洋的思惟であって、創造主と被造物との相対的関係をあらわすのであるが、「高天原に成った神」というのは、神そのものが高天原に成ったのであって、神と高天原、創造主と被造物との対立はないのである。このような考え方が日本的思惟なのである。≫


 また、『新講「甘露の法雨」解釋』 には、次のようにあります。

 
≪   神は“宇宙を貫く法則”であるということ

 ……「谷口先生は、この世界は神様が拵えたと言うけれども、わたしはそうではないと思う。神様がこの世界に生まれる前から、この世界は自然にあったのだと思う」

 なるほどその通りでありまして、その「自然」というのが神様であるのであります。神さまというものをあまりにも神人同形的に考えて、神様が、何か粘土か石膏をもって或る形を拵えて、生命の息をそれに吹き込んだのが人間だというようなものの考え方をしている人にとっては、「この世界は神様が拵えた」という事を不合理に感ずる。そして、「この世界は自然にあるのだ」と思うと言うのであります。

 しかしながら、その「自然の法則」というもの――自然界をかくあらしめている「法則」というものが、「神様」だと説明してあげますと、よくおわかりになると思うのであります。「地球がどうして落ちないで宙に浮いているのですか?」といって訊ねた子供がありますが、科学者に言わせると、これは自然の法則によって地球は空中に浮んでいるとこういう事になるのでありますが、その自然界の「法則」が「神」なのであります。(41頁)

     内部理想の叫びに素直に従うものは幸いである

 神は吾々の内に“良心の叫び”として“汝斯くの如く為すべし”という“至上命令”として宿っているのであります。これを私は『青年の書』の第一章に「内部理想」という語を使って書いておいたのでありますが、吾々は、自己の内から至上命令として「汝、これを為せ」と叫ぶところの「内部理想」を本当に生き切った時に、自分の内から「でかした、でかした。お前は善く生きた。お前は素晴しい!!」という賞讃の声がするのを聞くことができるのであります。

 その「声なき叫び」を発するもとが即ち「自己の内部理想」であり、「ゾルレン」であり、「至上命令」であり、「金剛寳戒」であり、「良心」であり、仏教でいえば「仏性」であり、キリスト教でいえば「内在のキリスト」でありまして、それこそが皆様の「本当の生命」なのであります。

 吾々は、吾々の内に産みつけられたその「生命の実相」即ち「本性」のそのままに、内在の“至上命令”そのままに生きている時に魂の“安らぎ”“安心”何ともいえない“心の平安”“安らかさ”というような感じが自然と湧いて来るのであります。この永遠に変らない生命の本性が「真理」である訳であります。

 此の如何なる時代にも何処の国土へ行っても、永遠に変らない「真理」として吾々に宿っているもの、これが「神」であります。

 
それで、聖経には神を「宇宙を貫く法則」であると示され、その次に「真理」と示されているのであります。(52頁)≫


 と。

 これが、神・自然・人間が 「一つ」 なる根本真理なのでありました。

  (2016.3.17)
225 「十七条憲法」は日本の自然道(4)


 「詔
(みことのり)を承(う)けては必ず謹め」 というのが、十七条憲法の第三条です。

 田中英道氏の 『日本人が知らない日本の道徳』 には、次のように書かれています。

≪  分を守ることが日本を作る

(書き下し原文)
 「三に曰く、詔
(みことのり)を承りてはかならず謹め。君をば天とす。臣をば地とす。天は覆い、地は載す。四時順(したが)い行ないて、万気通うことを得。地、天を覆わんとするときは、壊(やぶ)るることを致さん。ここをもって、君言(のたま)うときは臣承る。上(かみ)行うときは下(しも)(なび)く。ゆえに詔を承りてはかならず慎め。謹まずば、おのずから敗れん。」

(現代語訳)
 <第三条 天皇の詔を承ったときには、かならずそれを謹んで受けよ。君は天のようなものであり、臣民たちは地のようなものである。天は覆い、地は載せる。そのように分の守りがあるから、春・夏・秋・冬の四季が順調に移り行き、万物がそれぞれに発展するのである。もしも地が天を覆うようなことがあれば、破壊が起こるだけである。こういうわけだから、君が命ずれば臣民はそれを承って実行し、上の人が行なうことに下の人々が追随するのである。だから天皇の詔を承ったならば、かならず謹んで奉ぜよ。もしも謹んで奉じないならば、おのずから事は失敗してしまうであろう。>

 「天皇の詔を承ったときには、かならずそれを謹んで受けよ」 というとあたかも絶対命令のようで、戦後は天が地を支配する 「支配-被支配関係」、いわゆる封建制を象徴する箇所として受け取られてきました。しかし、よく読めば、そうした絶対王政を賛美するような文脈で述べられているわけではないことがわかります。

 「君は天のようなものであり、臣民たちは地のようなものである」 という表現には、天にも地にもそれぞれの分、役割があり、分が守られてこそ、春夏秋冬の四季が順調に移り行き、万物がそれぞれに発展する、と続くのですから、人間社会の支配-被支配の関係のことではなく、自然の調和を重んじる価値観が込められているのです。それが 「君言うときは臣承る」 に重なるのです。

 ……ですから、天皇という存在は、それだけ叡智によって支えられていなければならず、天もまた、それを自覚し、努力して初めて詔を発することができる。君を天とするということはそういうことだろうと思います。

 そして 「分を守る」 という態度が日本を作るための基本となると同時に、個々人の取るべき基本的態度でもあることも示しているのです。≫


 ――そうしてこれにつづく第四条には、

 「もろもろの官吏は礼法を根本とせよ。そもそも人民を治める根本は、かならず礼法にあるからである。上の人びとに礼法がなければ、下の民衆は秩序が保たれないで乱れることになる。また下の民衆のあいだで礼法が保たれていなければ、かならず罪を犯すようなことが起こる。したがってもろもろの官吏が礼を保っていれば、社会秩序が乱れないことになるし、またもろもろの人民が礼を保っていれば、国家はおのずから治まるものである。」

 とあります。

 田中英道氏は、「十七条憲法に貫かれた一つの道徳観」 として、

 
≪善悪や正義といった観念的なものを先に立てるよりも、まず和を貴ぶ。具体的に人間関係を大事にすることで、自ずから正義なり、秩序が共同体に生まれてくるという発想です。そして、その人間関係を大事にするために、「上も下も和らぎ睦まじく話し合う」 に象徴されるような、自然道の平等観に基づく上下関係を重視する態度が尊重されるのです。≫

 ――それが日本古来の 「自然道」 であり、聖徳太子の制定された 「十七条憲法」 は、仏教や儒教の言葉と漢字を使ってそれを明文化されたのだ、と田中氏はおっしゃっているわけです。

<つづく>

  (2016.3.14)
224 「十七条憲法」は日本の自然道(3)


 「篤く三宝を敬え。三宝とは、仏と法と僧なり」

 という聖徳太子の 「十七条憲法」 第二条についてのつづきです。

 「三宝」 をネットで検索してみますと、ウィキペディアに

 ≪大乗の 『大般涅槃経
(だいはつねはんぎょう)』 では、仏・法・僧の三宝は一体であって本来は区別されるものではなく、如来常住を説く法もまた常住であり、僧もまた常住である、と説く。また、そのために如来は一帰依処として三宝に差別(三差別)は無いと説いている。≫

 とありましたので、再度谷口雅春先生著 『大般涅槃經解釋』 を調べましたところ、「聖行品十九之下」 の項(141~145頁)に、それが書かれてありました。

 『大般涅槃経』 は、谷口雅春先生が 「仏教経典のうち最勝最高のお経であると思っている」 とおっしゃっているお経です。

 
≪涅槃経には「一切衆生悉有仏性」が説かれているのであります。「仏性」とは如来のことである」 「だから諸君も如来自身である」 その如来の有らゆる功徳は無量無辺で、とても列挙してかぞえあげることはできないが、諸君自身のうちにその如来の功徳が宿っているのである――と、人間の実相がそのまま如来であることを説き給うたのがこの涅槃経であり……≫

 と、その149頁には書かれています。

 『大般涅槃経』本文「聖行品十九之下」には、

 
≪善男子(ぜんなんし)、常(じょう)とは即ち是れ如来、如来は即ち是れ信、信は是れ常なり。……善男子、一切の有為(うい)は皆是れ無常なり。虚空は無為なり、是の故に常と為す。仏性は無為なり、是の故に常と為す。虚空とは即ち是れ仏性、仏性とは即ち是れ如来、如来とは是れ無為、無為とは即ち是れ常、常とは是れ法、法とは即ち是れ僧、僧とは即ち是れ無為、無為とは即ち是れ常なり。≫

 とあり、これについて谷口雅春先生のご解釈――

 
≪「常とはすなわちこれ如来、如来はすなわちこれ信、僧はすなわちこれ常なり」

 と仰せられておりますが、「常」とは「常住不滅の実在」ということであります。

 これを見ましても、僧というのはそこらに袈裟ごろもをつけて、お経をとなえて生活している肉体のお坊さんの事ではないことが明かであります。お坊さんでも「僧」であるのもあれば、「僧」でないのもある訳です。「常住不滅の実在」が如来であり、その如来そのものが僧であります。

 聖徳太子の十七条憲法に「篤く三宝を敬すべし」とありますが、“三宝”すなわち、“仏法僧”の“僧”というのを、肉体を備えたお寺の坊さんだと思って、「拙衲
(わし)を敬しなさい。聖徳太子が、そう言っていられる」などと言えば、それは噴飯ものであります。

 「僧」とは「如来」そのものであり、「常」即ち常住不滅の真理そのものの実現こそ「僧」であって、やがて病み老い朽ち果てる肉体のお坊さんのことではないのであります。不滅の真理そのもの「僧」なる理念そのものが本当の「僧」であって、お寺の坊さんはその本当の「僧」なる理念を実現し得るよう充分修行すべきものであります。

 ……我々の肉体でもですね、この肉体が今日ここへ顔を出すと、昨日の谷口と同じ肉体の谷口がやって来たのだと普通考えられますでしょう。また明日、この肉体が顔を出すと、昨日の谷口、今の谷口と同じ谷口がやはり顔を出したと考えるでしょう。常すなわち「変らない」同じ谷口だと思っているけれども、実はそうではない、何故なら、私の血管には常に血液が流れています。その血液は常に仕事をして酸素を消耗して、動脈血が静脈血となり、それが新たに肺臓で再び酸素を供給され、炭酸ガスを放出して、間断なく、その成分は新しいものと「入れかわって」いるのであります。「入れかわる」ということは常に変化しているのであって、一瞬間前のこの肉体と、一瞬後のこの肉体とは、成分が異なっているし、流れている血球の位置もちがうし、死滅した血球もあるし、新たに生まれた血球もある。いろいろの老廃物の分量も、時々刻々瞬々異なりつつあるのであります。形だけを見て、昨日の谷口と同じような恰好の肉体が出て来たから、同じ谷口だろうと思うと、決して同じではないのであります。そのように「一切の有為は皆是れ無常なり」であります。

 「有為」というのは「現象にあらわれて有るもの」であります。これに反して「無為」というのは「現象にあらわれていないもの」のこと、現象以前のもの、「実相」のことであります。

 「虚空は無為なり」とあります。虚空とは「何もない」ということではなく、「現象にあらわれていないもの」のことであります。現象にあらわれていないものは「常」すなわち変化しない恒常的存在であります。

 永遠常住の仏性は現象にはあらわれていない、それは「無為」であり、常恒であり、天体と天体との間の「真空」みたいに常に変化しない。これが仏性であり、それが如来である。それが人間の本体であり、実相であり、「無為」すなわち現象以前のものである。

 現象以前に存在するのが「法
(のり)」であり、「僧」である。「僧」とは肉体ではない。「無為」すなわち現象以前の理念である。それは如来であり、法身であり、常恒不変不滅の存在である――と釈尊は仰せられたのであります。≫

 と。

 「僧」とは、肉体ではない。本部講師とか、地方講師とかいう肩書きでもない。すべての人間の内に宿る仏性、神性――内なる良心、理想、使命感に真の「僧」なる理念があるのだと、私は思います。

 そして、涅槃経にはまた

 
≪諸(もろもろ)の外道(げどう)は、仏性、如来、及び法を見ず。この故に外道の言説する所は、悉く是れ妄語にして真諦(しんたい)有ること無し。≫

 という語句があり、谷口雅春先生は

 
≪この一節は釈尊が如何にその教説においては他教を激しく攻撃していられるかがわかるのであります。

 「生長の家」では「天地一切のものと和解せよ」という教えでありますから、他教から、「折伏」だなどといって「生長の家は間違っている。何々正宗
(しょうしゅう)に入らなかったら罰があたって君の家族に必ず病難が見舞って来る」などと言って脅(おど)かされながら、そういう「脅かす宗教」が、実は宗教の本質を逸脱してしまって、「説教強盗」と化し「楠の板」に書いた文字などを本尊として崇拝する「拝物教」になってしまって、本来の正しき仏教からみたら正に外道になっていることを知りながら、多くの生長の家の信徒は「天地一切のものに和解しなくてはならない」 「敵をつくってはならない」などと思って黙っているものだから、「言葉の力」で脅かされるままに、ついにその正宗どころか邪宗に入会してしまうような人たちがあるのは大変遺憾であります。

 『生命の實相』の「倫理篇」に書かれておりますように、和解するのは、相手の実相の完全さを観じ、その完全さをみつめて、それを観じ引出し、その完全さと和解するのであって、邪宗の間違った教説に和解するのであってはならないのであります。教説の間違いは出来るだけハッキリそれを指摘して、正しい真理を宣べ伝えなければ、邪宗がはびこり、真理がくらまされるだけ、人類の不幸は増すのであります。だから、釈尊でも、このように外道をはげしく攻撃しておられますし、キリストはパリサイ人やサドカイ人を激しく攻撃していられるのであります。

 日本でも、日蓮や法然や親鸞などの高僧が、時の政府に何故弾圧をくわえられ流謫
(りゅうたく)の憂目を受けたりしたかと言いますと、当時風靡していたところの流行の堕落した宗教に和解することができないで、「これこそは真理である」と自分自身が信じたところの宗教的真理を大胆勇敢に宣布して行かれたからであります。

 生長の家の信徒も、「これこそが真理である」と信じられたならば、どんな邪宗が誘惑に来ましても、それを外道であるとして、大胆に説破する勇気をもたなければなりません。これが釈尊の生活態度を学ぶ釈尊の弟子としての行持なのであります。≫


 とおっしゃっているのであります。

 何が外道であり、何が真諦であるか、神想観して内なる神のみ声のままに行動することこそが大切であると思います。

<つづく>

  (2016.3.11)
223 「十七条憲法」は日本の自然道(2)


 田中英道氏の 『日本人が知らない日本の道徳』 から、「(聖徳太子の)十七条憲法 について学ぶ」 の続きです。

          ○

 まず、書き下し原文は

 
「二に曰く、篤く三宝(さんぼう)を敬え。三宝とは、仏と法と僧となり。すなわち四生(ししよう)の終帰(よりどころ)、万国の極宗(おおむね)なり。いずれの世、いずれの人か、この法を貴ばざらん。人、はなはだ悪しきもの少なし。よく教うるをもて従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。」

 で、訳せば

 
<第二条 まごころをこめて三宝をうやまえ。三宝とはさとれる仏と、理法と、人びとのつどいとのことである。それは生きとし生けるものの最後のよりどころであり、あらゆる国ぐにが仰ぎ尊ぶ究極の規範である。いずれの時代でも、いかなる人でも、この理法を尊重しないということがあろうか。人間には極悪のものはまれである。教えられたらば、道理に従うものである。それゆれに、三宝にたよるのでなければ、よこしまな心や行ないを何によって正しくすることができようか。>

 ということになります。

 「仏」 とは悟れる仏――すなわち人間の理想の姿、あるいは自然そのものとも解釈され、「僧」 とは出家した僧侶という意味ではなく、人びとのつどいと解釈されるのです。

 そこで、田中英道氏は、次のように言う。

 
≪ここでは単純に 「仏教の教えを守れ」、と理解されていますけれども、その 「仏教の教え」 とは、日本人の自然観と合致するという意味での理解のされ方だという点に留意する必要があるでしょう。

 日本人が仏教を受け入れてきたのは、仏教の教えが、仏教伝来以前の日本の 「自然道」 を包含していると理解された結果だろうと思います。もともとの日本人の精神性と、釈迦の教えとが共鳴するようなところがあるからなのです。

 この条文では、「悪しき者少なし」 という前提に、日本人独特のあり方、考え方が濃く出ていると思います。自然に従う存在である人間そのものは本来善である、とする日本人にとって、仏教の概念は理解しやすいだけでなく、日本人のあり方を、より明確に理論付けてくれる思想体系だったのでしょう。

 「生きとし生けるものの最後のよりどころ」 「あらゆる国々が仰ぎ尊ぶ究極の規範」 という表現からは、「仏教の教え」 が宗教理念としてより、行動の規範となる 「法」 ととらえられていることがうかがえます。

 三宝とは、人が守るべき 「法」 であり、「道理」 を言葉で示してくれる道徳的指南書だったのです。≫


 と、田中英道氏はいう。

 私は、考えます。

 「仏」 とは、内なる 「実相」 である。「法」 とは、「真理」 である。「僧」 とは、使命に生きる 「仏の子(神の子)」 なる 「人びとの集い」 なのである。

 それ故に、人は神の子孫であるとする日本古来の精神性、自然道と仏教は共鳴するところがあったのだ――と。

 谷口雅春先生のお教えの中にも、そのような仏・法・僧についてのご解釈があったと思い、先生の仏教に関する御著書を片っ端からさらって見たのですが、ちょっと見当たりませんでした。どなたか、ここをご覧くださっている方で、お気づきの方がありましたら、教えて頂ければ幸せです。よろしくお願い申し上げます。

<つづく>

  (2016.3.8)
222 “感動分岐点”を超えろ!


 ここでちょっと、間(ポーズ)を入れさせて頂きます。

 去る2月28日(日)は、相愛会東京第一教区 第2回の早朝勉強会があり、そのあと地元の誌友会もありました。簡単に、そのレポートを。

 早朝勉強会では、「天皇陛下の御心と自然」 というテーマでの研鑽発表があり、天皇陛下の自然に対するお考え、お思いを示す四方拝などの祭祀・いろいろな記念式典でのお言葉などを資料として、担当講師の発表がありました。そのあと座談会で、私もこの 「近況心境」 #215~#218 をプリントしたものを配って、発言させて頂きました。
 
(参加者数は前回1月は24名、今回2月は20名でした)

 そのあと教化部長の講話でも、#217の 「中
(みなか)への還元」 という谷口雅春先生のご文章(『理想世界』誌より)を使って頂きました。今回も、有意義な勉強会になったと思います。東京第一教区の相愛会は、かなり元気です。

 10時から地元の誌友会でした。

 派遣講師が、『祈りの科学』 をテキストにした体験講話のあと、表題の 「“感動分岐点”を超えろ!」 という話をされました。

 「感動分岐点」 とは、不可能と思われる枯死寸前の樹木を生き返らせたり、経営不振にあえいでいた二つの有名フラワーパーク(栃木県足利・静岡県浜松)を、理事長となってV字回復再生させたりしている、日本初の女性樹木医で“奇蹟の人”塚本こなみさんの言葉。

 「経営に 『損益分岐点』 があるように、心の中にも、『感動分岐点』というものがある。フラワーパークでも、“ああ、よかった” ぐらいでは、人は また来ようとは思わない。“びっくりした、感動した!” という人が、知人友人にも宣伝し、リピーターになり、その結果、年間入場者数10万人ぐらいだったのが120万人にもなった、というようなことが起きたのです。
 その 『感動分岐点』 を超えるものがないと、人は集まってこない。」

 ということだそうです。

 塚本さんは、苦しみ弱っている樹木を甦らせるようなことは、人間の力で出来ることではない。常に樹の声を聴き、樹木から、自然から教えてもらっている、ともいう。

 宗教団体の再生にも、参考にすべきヒントがここにあると思いました。

  (2016.3.3)
221 「十七条憲法」は日本の「自然道」


 田中英道氏の 『日本人が知らない日本の道徳』 から、聖徳太子の 「十七条憲法」 について学びます。

          ○

 第1条 「和を以て貴しと為せ」

 「一に曰く、和をもって貴しとし、忤
(さから)うことなきを宗とせよ。人みな党(たむら)あり。また達(さと)れる者少なし。ここをもって、あるいは君父に順わず。また隣里に違う。しかれども、上和ぎ、下睦びて、事を、論(あげつら)うに諧(かな)うときは、事理おのずから通ず。何事か成さざらん。」

 ――この第一条では、

 「おたがいの心が和らいで協力することが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。人にはそれぞれ党派心があり、大局を見通している者は少ない。だから主君や父に従わず、あるいは近隣の人びとと争いを起こすようになる。しかしながら、人びとが上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらはおのずから道理にかない、何ごとも成しとげられないことはない。」

 と言っている。これは上から下へ一方的に命令する 「支配-被支配」 の関係の話ではなく、話し合いをすること、つまり 「合議」 が前提になっている。

 共同体を大切にする 「自然道」 の考え方の基本形である。

 家族が合わさって村落になり、それがたくさん集まって国家となる。その国家の長が君主とすれば、君主を尊重するのは当然という認識が前提として語られ、「他人に迷惑をかけない」 という縄文時代からの心の掟も大前提となっている。

 人には党派心があり、大局を見通している者は少ないという人間観にしても、自然の摂理の一つとして、人間は完璧ではないが、共同体のなかには従うべき何か厳然とした秩序、大木の年輪のようなものがあるのだとして、事理(道理)という言葉を当て、平和的な話し合いで 「道理」 に到達することを理想としている。

 その理想を実現するために、十七条の最初に、人間が 「間」 の存在であることを確認し、「共同体を優先せよ、個人を優先して調和を乱してはならない」 という社会道徳の基本理念を提示しているのである。

 西洋や中国では個人というものを常に前に出して、個人単位で物事が語られるのに対して、共同体を大事にすることが道徳なのだということを最初から明らかにしている。それが 「十七条憲法」 全体を通底する基本のテーマでもあり、日本の思想的な原理の一つでもある。

 これは、個人を否定する理念ではない。7~8世紀に編まれた 『万葉集』 を読むと、この時代、身分の上下にかかわらず、いかに一人ひとりの個性があふれていたかということに驚かされる。

 第7条にも 「人には、おのおのその任務がある」 とあるように、「役割分担社会」だった。適材適所を心がけることで、初めて和を作ることができると考えられていた。ある意味、大変な平等思想であり、民主的な発想と言える。

 これまで、この時代は階級社会で、支配者が被支配者を強制的に支配していたとする戦後マルクス主義的観点で論じられがちだったが、それでは説明のつかない社会だったことがわかる。

 聖徳太子のこの 「和」 の概念は、『論語』 に 「礼之用、和為貴(礼の用は、和を貴しとなす)」 とあるが、ここの主語は 「礼」 であって 「和」 ではない。儒教にしろ、仏教にしろ、その考えを深く理解していた太子は、日本人がそれまで言葉にしてこなかった概念と合致するような表現を儒仏から抜き出し、日本独特の概念を説明するのに都合よく利用したというのが真相であろう。

          ○

 ――以上は、田中英道著 『日本人が知らない日本の道徳』 から要約したものでした。

 『生命の實相』 第8巻に、

≪    「間(あいだ)」に生命が顕われる

 本当の美は、個々
(ひとつひとつ)にあるのではない。メーテルリンクの戯曲の科白(せりふ)は言葉と言葉との間(ポーズ)で魂を語らせたが、なにによらず本当の美は 「個(ひとつ)」 それ自体にあるよりもいっそう多く個と個とを結び合わす 「間」 にあるのである。

 一個の音韻はそれほど美しいとは言えないが、それが他の音韻と結び合うとき、一個の音韻それ自身がもたない美が音韻と音韻との 「間」 にでき上がるのである。

 色彩でもそのとおりである。二つ以上の色彩が結び合うとき、一個の色彩ではもたない美しさが、色彩と色彩との間にでき上がるのである。

 音楽も 「間」 にあり、美術も 「間」 にあり、人間の生活も 「間」 にある。

 「人間」 とは誰が言い始めたのか知らないが、人間の生活は一個人にあるのではない。個と個とが結び合った 「間」 に人間の生活があるのである。

 眼に見え、感覚に映ずる肉体の人は皆はなればなれの存在であるが、これは朽ちゆく虚仮
(こけ)不実の存在であり、本当の人間ではない。実在である人間はこの感覚に見える現象存在の 「間」 にのみ顕われるのである。

 感覚的存在を通じて実相が見えるのではなく、感覚的存在と感覚的存在との 「合い間」 に実相人間があらわれるのである。この 「合い間」 を描くのが芸術であり、この合い間を生きるのが 「愛」 である。 
(『生命の實相』第8巻 69~70頁)

 とある通りですね。

 『生命の實相』 に説かれている生長の家の真理――もまた、「自然道」 であると思います。そのことは、『生命の實相』 第1巻 「初版のまえがき」 に、次のように書かれてあることからもわかります。

≪     初版のまえ書き

 「生長の家」 とは単に私の家の名前ではない。生命顕現の法則(無限生長の道)にしたがって生きる人の家々は皆 「生長の家」 である。なぜならその家は生長するからである。……

 「生長の家」 の生きる道は私が肇
(はじ)めた道ではない。おおよそ、宇宙に生命が発現するかぎり、そこに道があり、法則がある。この道こそ 「生長の家」 の生きる道である。

 「道」 とは宇宙にミチ(満ち)て存するコトバ(生命の波動)であり、遍在する大生命の創化の原理であるから、それはいかなる宗派とも衝突しないで、またいかなる宗派の人々といえどもふみ行わねばならぬ生活の原理である。

 かくのごとき生活の原理を私は諸君に代ってインスパイアされて発表するのである――言い換えればかくのごとき役割をわたしは大生命から振り当てられたにすぎない。……『生長の家』 に発表される思想のインスピレーションの根元が本当の生長の家本部であって、それは神界すなわち 「実相の世界」 にある。……≫


 <つづく>

  (2016.3.2)
220 「世界が『自然道』に回帰する」とは、どういうことか(5)


 田中英道氏の 『日本人が知らない日本の道徳』 第4章は、「十七条憲法を読む」 となっていました。

 これは勿論、聖徳太子が推古天皇の12年(604年)に定めたとされている十七条憲法のこと。

 よく知られている条文は、第1条の 「和を以て貴しとなせ」、第2条の 「篤く三宝を敬え。三宝とは仏法僧なり」、それから第3条 「詔を承けては必ず謹め」 くらいまででしょうが、この本では17条すべてを詳しくとりあげています。

 そして、よく言われるのは、この十七条憲法は、仏教と儒教を取り入れてから、それによってつくられたものだということですが、田中英道氏は、必ずしもそうではないという。

 これは、それまで言葉(文字)なくして発展させてきた日本古来の「自然道」を、3世紀から4世紀頃に和邇
(わに)によって儒教と漢字が伝えられ、欽明天皇の13年(552年)に仏教が伝来してから、中国から伝来した儒教、仏教などの言葉や概念を使って具体的に説明するようになったものであり、もともと日本には言葉以前に独特の道徳観があった。それが骨格になっている、と。

 
≪ここで示される道徳観は、儒教、仏教の教義や用語を借りて整理し、まとめられたものではあるものの、あくまでも、縄文時代、弥生時代、古墳時代の日本人が自然に獲得してきた独特の思想であるところが重要なのです。……

 善悪や正義といった観念的なものを先に立てるよりも、まず和を貴ぶ。具体的に人間関係を大事にすることで、自ずから正義なり、秩序が共同体に生まれてくるという発想です。そしてそのために、「上も下も和らぎ睦まじく話し合う」 に象徴されるような、自然道の平等観に基づく上下関係を重視する態度が尊重されるのです。

 「十七条憲法」のなかでは 「理」 という言葉がしきりに使われています。「理」 とは道理のことであり、道理とは人間関係において命の長さを重視する道徳なのです。常に年齢を意識することで自ずと人々の関係が円滑に維持されるというのが、日本人がそれまで長い経験を積み重ねて身に付けてきた知恵だったのです。≫


 と、道破しています。

 ≪「篤く三宝を敬え」 とあるように、ことに仏教の影響は大きいのですが、日本人の思想を仏教、つまり外来の思想体系に仮託して語る 「十七条憲法」 の手法は、文字を持たない時代に発達させていた日本語を、漢字の伝来をきっかけに、日本人が日本語を表現する書き文字として漢字を独自に導入し、自在に使いこなすようになったのと似ています。

 この手法を含め、「十七条憲法」 がその後の日本の歴史哲学書に与えた影響は大きいのです。日本人の道徳観が網羅された原型となったのです。≫


 ――この 「十七条憲法」 について、もう少し詳しく勉強してみたいと思います。

 <つづく>

  (2016.3.1)
219 「世界が『自然道』に回帰する」とは、どういうことか(4)


 田中英道氏の 『日本人が知らない日本の道徳』 第5章 「皇室という道理」 のつづきをご紹介します。

≪……このような、日本人が長い歴史を通じて培ってきた秩序について、初めて「道理」という言葉を使って論じたのが、歴史哲学の書 『愚管抄』(1220年)を著した天台宗の大僧正・慈円でした。

 この本が重要なのは、歴史には人間がそれを自覚し、従っていくなかにある種の「道理」があるのを発見したことなのです。歴史を貫く何かがある、ということを慈円は解明しようとしたのです。

 慈円の言う 「道理」 とは、「そのようになる」 筋道のことです。日本の歴史を俯瞰してみると、常に 「天皇を中心とした歴史」 があり、それはどのような乱世であろうと脈々と続いているのです。そして、その歴史を紡いできた歴代の天皇というのは、能力や政治力といった世俗的な基準ではなく、「道理」 に従って選ばれてきたことにも思い至るのです。

 つまり、天皇というのは、天皇家の血筋、その系統そのものであるという日本の歴史の真理を慈円は発見したのです。それが神代から定められた日本人の 「道理」 なのです。

 この 「道理」 というのは、自然の時間が作り上げてきた絶対的な真理です。時の支配力、あるいは財産、武力といったものがなくても、日本で一番歴史の長い家系であるということ、「長者の上の長者である」 というところに、絶対的なものがあるのです。

     皇位を譲り合う皇子のエピソード

 慈円は、『愚管抄』(第三巻)で応神天皇(5世紀前後)の皇子たちの皇位譲り合いのエピソードを取り上げています。

 応神天皇崩御ののち、天皇在位中に皇太子となっていた菟道稚郎子皇子
(うじのわきのいらつこのみこ)が皇位継承者と目されていたにもかかわらず、年齢が上である兄の大雀命(おおさざきのみこと)に皇位を譲ろうとするのです。ところが兄のほうも、皇太子が即位すべきであると皇位の譲り合いとなり、3年も空位のままだったといいます。最終的には、菟道皇太子が自殺することで解決を図るのです。

 たとえ前天皇が決められたことであっても、「道理」に合わなければ、それに従った結論が導かれることを示す例なのでしょうか。やはり年齢による上下関係の秩序を乱してはならないということでしょう。大雀命は即位されて仁徳天皇となり、まさに「仁」と「徳」の聖帝と讃えられ、87年もの長い間皇位を保たれます。

 慈円は

 「この出来事は全く我々の想像に絶することで、言葉として表すことができないほどのものである。人間というものは自己のことを忘れて他の人のことを考えるところに真実の道を見出すべきだと言われている。

 菟道太子のこうした心持を知らせるために歴史は菟道皇子を皇太子にお立てしたのであろうかと推測されるのである。

 応神天皇などはご自分のあとの事をきっと道理に基づいて深く考えておられたのであろう。それはまさしく日本国の正法の時代であった」

 と、この成り行きを評価しています。

    皇位継承の 「道理」 に背けば天皇さえ暗殺される

 『愚管抄』 には、皇位継承の 「道理」 に反するような例も挙げられます。臣下によって天皇が殺害された唯一の事件として知られる崇峻
(すしゅん)天皇暗殺(592年)についても取り上げられているのです。崇峻天皇は、大臣の蘇我馬子の支援によって即位したにもかかわらず、実権を握ったままの馬子と信頼関係を築けず、警戒した馬子の差し向けた刺客によって最終的に暗殺されてしまいます。

 聖徳太子とともに積極的に仏法を取り入れようとしてきたのが蘇我氏なのです。天皇を暗殺する行為そのものが仏法にもとると思われるのですが、このとき、どういうわけか蘇我氏は責められることがありませんでした。とても不思議なところなのです。

 仏教から離れても、日本の歴史を象徴する皇室の世継ぎを殺したわけですから、最大の罪になるはずなのですが、お咎めなし。罰せられないということは、そこに別の 「道理」 があったということなのでしょう。

 結局、崇峻天皇一人が殺されても、天皇家自体は発展し、長く家系を保つことができるという判断が一方で働いたということなのではないでしょうか。天皇家がその後もずっと継続するという保証が 「道理」 として働いていたと考えられるのです。

 天皇家の持続という 「道理」 が担保されるなら、悪い天皇は早く退位させる、あるいは殺されることもある、という別の論理がある。……≫


 <つづく>

  (2016.2.28)
218 「世界が『自然道』に回帰する」とは、どういうことか(3)


 田中英道氏の 『日本人が知らない日本の道徳』 第5章は 「皇室という道理」 というタイトルです。この章のポイントを抜粋ご紹介します。


≪ ……「自然道」 の道徳観念による上下関係というのは、支配-被支配の関係ではありません。時の長さによって作られる関係です。……

 命の時間の長さによって 「敬い」 「敬われる」 関係が作られていくのです。

 ……家庭ではまず両親が敬われ、祖父母、曽祖父母とどんどんさかのぼっていくうちに祖先の崇拝につながります。代々の家系の長いことが、尊敬を集める要素になるのです。これをさらに突き詰めると、天皇家を敬い、大切にする態度につながることになるのです。

 日本で一番家系が長く続いているのは天皇家ですから、いくら新しい天皇を持って来ようとも、天皇家の続いてきた長さを超えることは誰にもできません。
 その自然の時間の絶対性というものが日本の道徳の基本になっているのです。

 天皇がたとえ弱者であっても、大きな財産や軍隊を持っていなくても、人々は天皇を立て、守って来たわけです。これが揺るぎない日本人の道徳なのです。

 絶対君主でもない天皇を、2000年以上も日本人が守ってきた背景には、自然の時間の長さを常に尊ぶという伝統があるのです。……

 日本人が、年長者を敬うように天皇家を大切にしてきた想いはごく単純、素朴なもので、それは、太陽が毎日東から昇って西に沈む動きを当然と考えるのと同じようなことなのです。自然の動きは常に一貫しており、その秩序に従って人間も動くのが自然であり、自然に逆らわないことで何ごともうまくいく、と日本人は考えてきました。

 ですから、「天皇」 という言葉の 「天」 は、自然のシンボル化であり、決して 「支配者」 という意味ではないのです。≫



 ――これを読んで、私は 『老子』 第7章の 「天長地久」 そのものだな、と思います。即ち、


 ≪ 天は長く地は久し。天地の能(よ)く長く且つ久しき所以(ゆえん)の者は、その自(みずか)ら生ぜざるをもってなり。故に能く長生す。ここをもって聖人は、その身を後にして而も身は先んじ、その身を外にして而も身は存す。その無私なるをもってに非ずや。故に能くその私を成す。≫

 ――大意は

 ≪ 天は永く、地は久しいものであって、共に悠久の生命を保っておる。しかしその天地がよくかくの如き長久の生命を保つのは、いかなる理由によるかと言えば、かの天地は自分から生きようという意識を用いないからである。すなわち、無為無心であるから、そこで長生を保つのである。

 かかる訳であるから、聖人は、常に自分の身を最後において他人を先立たせるようにして行く。(すなわち聖人は私心を持たない。)然るにかえって実際は人から推されて聖人の身が先に立つようになる。又常に自分の身を度外におく。然るにその結果は、むしろ自分の身の存在を確実にするのである。

 この一見反対らしい因果の起こってくるのは何のためかというと、聖人には私心(私)がないため、かえって大我(私)を完成して行くからではなかろうか。≫


   
(諸橋徹次著 『老子の講義』 による)


 ――それ故に、天皇陛下の御誕生日を 「天長節」 といい、皇后陛下の御誕生日を 「地久節」 と言ったのであります。

 <つづく>

  (2016.2.26)
217 「世界が『自然道』に回帰する」とは、どういうことか(2)


 田中英道氏は、『古事記』・『日本書紀』 にあらわれた日本人の宗教観について、「宇宙の始まりに人格神を認めるのが西洋の宗教なら、人格神を否定するのが自然科学であり、日本の宗教である」 と言われる
(『日本人が知らない日本の道徳』 第1章)

 
<西洋の一神教では、「神が自然を創った」 のですが、日本では 「自然が神を生ぜしめた」 ので、順番が逆なのです>

 としている。詳しくは、『古事記』 太安萬侶の序文(現代語訳)に、

 
<そもそも、混沌とした天地万物の根源にはすでにまとまったといたしましても、まだ何らかのきざしも形も現れません段階では、これを名付けようもなく、何のしわざもなく、誰一人、その形を知るものはない道理でございます。しかしながら、天と地が初めてわかれて、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三柱の神が創造のはじめとなりました。(『古事記』(上)次田真幸訳)

 とあるのを引いて、<天之御中主神より前に「自然」があった>としているようです。

 ここは、谷口雅春先生のご解釈では、天之御中主神は人格神ではなく、時間・空間をも生み出した根源の 「未発の中」 であって、「自然」 そのものとして大宇宙(高天原)に遍満しながら身を隠しておられるということ。

 「人格神が自然を創った」 のではない、ということでは同じです。

 田中英道氏のいう 「自然」 は、「中
(みなか)」 と置き換えてみると、生長の家の神観・自然観と一致する。「自然道」 は、「中(みなか)の心を生きる道」 なのである。私は、そう思います。

 谷口雅春先生は、「中
(みなか)への還元」 と題して、 『理想世界』 誌昭和40年5月号に、次のように書かれています。

≪ 幕末の歌人、八田知紀(はったとものり)は、この日本国が「中(みなか)」の本源に還元するとき、どんなに一時濁っているかのように見えていても、本来の姿に澄みかえることを次の如く歌っている。

  いくそたびかき濁すとも澄みかえる 水や皇国
(すめくに)の姿なるらん

 現象を追いまわす知識や、従来の現象から蒐集した先入観念で、事件を処置していると必ず行きすぎや、やりそこないが起こってきて混乱状態に陥るときがくるのである。それは常に「現在」には「過去」になかった要素を含んでいるからである。

 その混乱がきたとき、イザナギの神が「天津神
(あまつかみ)」のところへ詣昇(まいのぼ)りて、「天津神」のみ心を聴きたもうたようにすれば、そこから実相本来の知恵がでてきて、混乱が収拾され、混乱と見えたものが、新たなる発展の契機となって、混乱以前の状態よりも、尚一層よい状態に移行することになるのである。(中略)

 「天津神
(あまつかみ)」とは宇宙本源の太極であり、絶対無であり、一切現象の未だ出現せざる以前の「中(みなか)」であり、そこに還元することによって現象界の乱れや歪みが去るのである。

 その絶対無なる「中
(みなか)」への還元の修業が、茶道といい、華道といい書道といい、剣道といい、武道といい、歌道といい、神想観というのである。

 すべての日本的芸術または作法が「道
(どう)」になったのも、左右分化的な分裂病的籠手先(こてさき)の巧者を越えて絶対無の「中(みなか)」への還元が日本的精神の姿であるからである。(中略)

 日本国は一時的にどんなに混乱することがあり、歪
(ゆが)められることがあっても、「中(みなか)」に還元することによって本来の美しい実相があらわれるのである。≫

 と。

 <つづく>

  (2016.2.24)
216 「世界が『自然道』に回帰する」とは、どういうことか


 田中英道著 『日本人が知らない日本の道徳』 という本から啓発され、考えたこと、思ったことを書きます。

 田中氏は、「世界が日本の 『自然道』 に回帰する」 と言われていますが、それはどういうことか。

 まず、同書のポイントは #215 に紹介させて頂いた中に的確に出ていると思うのですが、もう少し裏打ちするような文言を挙げて要約紹介させて頂きます。

          ○

≪    「自然道」 とは

 アメリカや中国のように面積が日本の何十倍もあるような国の経済と比べて、そのサイズから考えると日本の経済の発達はおそらく世界一。犯罪も少なく、安全で、電車が時間どおりに動くなど、あらゆることが円滑に進む日本の社会活動は、日本人が自覚する以上に世界の模範となっている。日本人のあり方そのものが、世界の理想になっている。

 その日本人のあり方を支える根拠である 「自然道」 が、今、注目されている。

 「自然道」 「天地自然の道」 とは、自然が持っている規律のこと。

 お天道様がきちんと朝出て夕方沈み、樹木が春に萌えて、葉を付け繁茂し、また枯れていく。朝昼夕夜、四季が確実にくりかえされる、その規律性に従うことが、自ずと日本人の生きる指針になった。

 日本人は、物事の基本に、忠実に自然というものを立てた。自然そのものが神なのだ。

 毎年同じことがくりかえされる歴史を経るうちには、年輪が生まれる。日本人にとって、年輪というのは人の命の長さ、年齢を象徴するものでもある。そこに 「美」 を発見し、「長幼の序」 の観念が生まれる。こうして 「天地自然の道」 に道徳性というものを見出してきた。≫

≪西洋の道徳の特徴は、善か悪かをはっきりさせるところにある。善悪とは何かというルールがまず定められ、それを神が判断するという仮定のなかに道徳観が作り出される。西洋の一神教の道徳は、人間と自然との関係から生まれるのではなく、人為的に作られるもの。

 しかしそもそも、道徳を意味するモラルという英語はラテン語のmores(モーレス)から来ていて、風習という意味。風習がつまりモラルということで、この言葉の成り立ちが元来の道徳の生まれ方を示している。人間が自然に従って生きることで自動的にモラルが生まれるのであって、日本人の道徳はそのように発生している。

 西洋では、モラルが人為的に生み出される。人為的というのは、人間の判断力に委ねられるということである。しかし、峻別された善悪の基準というのは主観的なもので、正当に判断するのは非常に難しい。正しいかどうかよりも、(恣意的な)目的に合うことが善とされる場合もある。

 人工的に神の存在を想定してきたのは、キリスト教でもユダヤ教でも、イスラム教でも同じ。イスラム教も、ユダヤ教から生まれた一神教で、「アッラーのほかに神はなし」 という唯一絶対にして全知全能のアッラーを信仰し、モーゼ、イエスなどの預言者たちの教えを、最後の預言者であるムハンマドが完成させたとされるコーランを聖典とする。キリスト教よりもさらに排他的な、アッラーの神だけを信じる宗教共同体である。

 一神教の神は、その神を信じる共同体だけを守るという排外主義を生み、それが人々の生活を害していると言ってよい。その神の領域が侵されそうになったとき、力で守ることに正当性を人々が見出してしまう。それによって戦争が起きる。世界が戦争の歴史であることを保証してしまったところに、一神教宗教の意外な側面がある。

 一神教の論理が破綻していることを実感し、疑問を抱くヨーロッパ人も増えてきている。少なくとも、宗教によって作られた排外主義というものは、未来の人間の社会にとって排除されなくてはならない要素だということに世界が気づき始めている。そのために、解決のヒントとしてまったく違う思想を持つ日本のあり方が注目されるようになっているのだ。≫

≪    自然道の教えを肯定したダーウィン

 注目すべきなのは 『種の起源』 の12年後に出版された 『人類の進化と性淘汰』。

 『種の起源』 で主張された、自然淘汰によって種が進化するという 「進化論」 の考え方は、人間社会においても 「弱肉強食」 が科学的に正しいと拡大解釈するのに都合よく利用されることにもなった。

 しかし、『人類の進化と性淘汰』 では、「最も思いやりの強いメンバーを最も多く含んでいる集団が最も繁栄し、最も多くの子孫を育成する」 「環境に適応し生き残るには、集団内で優しい思いやりを持つメンバーが多ければ多いほど有利」 といった指摘をし、「適者生存」 「自然淘汰」 の理論について、「優しく、思いやりにあふれ、仲間と助け合う」 ことができるかどうかが、人類を含めてすべての種のなかで生き残る鍵であり、そうした特色のある種の社会が繁栄すると説いた。

 ダーウィンは必ずしも道徳を説こうとしたわけではないが、道徳論につながる議論が生物学者的な知見から述べられている。人間が生物として生きていくなかで自然発生するのが道徳だという新しい見解を示したわけだ。

 神、宗教的存在、あるいは観念的な目標といったものが先にあって道徳が生まれるのではなくて、人間が生物的な存在として自然に生きていくなかで共同体が生まれ、その共同体を円滑に運営するために作られていくものが道徳だということ。

 奇しくも、ダーウィンの進化論の道徳は、「自然道」 から生まれた日本人の道徳の根拠を科学的に説明するものになっている。

    世界が「自然道」に回帰する

 社会主義が失敗するのは、唯物論では道徳が生まれないから。やはりどこかに宗教は必要なのだ。

 20世紀最大の物理学者と呼ばれるアインシュタイン(1879~1955年)が到達した境地も、「自然道」 に近い。科学と矛盾するとして 「人格神」 を否定したアインシュタインは、しかし無神論者でもなかった。道徳には精神性がなければならない。アインシュタインはそれを 「良心」 とした。「宇宙の原理を極めると、結局、「自然道」 にたどり着くということではないか。

    日本は理想の国家を体現している

 会社や店を潰さずに長く経営することが難しいように、国家を存続させるとなるとそれは並大抵のことではない。ローマ帝国など過去に1000年以上の歴史を誇った国も、今は滅亡している。

 何ごとにせよ、1000年以上も同じかたちを続けるためには、そこに相当強固な 「意志」 が働かなければ成立しない。日本では、何としてもこの国体を守るのだ、という強い国民の意志が、長く、世代を超えて引き継がれてきていると考えるべきだ。

 世界遺産とは、世界遺産条約で学術的に「顕著な普遍的価値」を持つと認められた文化財や自然のこと。ならば、日本という国自体が、現存する世界最古の独立国家として世界遺産(複合遺産)に指定されてもおかしくないのではないか。

 その原動力となっているのは、何か?

 「日本には宗教教育がない」 という認識が、そもそも間違っている。西洋的な観点では宗教とはみなされなくとも、日本には独自の宗教も道徳もある。「十七条憲法」、『愚管抄』 など、世界に誇れる道徳の書も、歴史哲学の書もいくつも書かれてきている。

 日本の本当の道徳は「自然道」であり、そのなかに2000年も国体が維持されている秘密がある。世界は理想の国のかたちを求めて、市民革命やら、マルクス主義の失敗やら、大戦争やらを経験してきたが、今、日本がある意味で理想の国家を体現しているということに世界が気づき始めている。≫


 ――と、田中英道氏はいう。

 <つづく>

  (2016.2.23)
215 テロと戦争の世界を救うヒントは、日本にあった!


 私は今、田中英道著 『日本人が知らない日本の道徳』 という本を読んでいます。

 この本のオビに、「テロと戦争の世界を救うヒントは 日本にあった!」 とあるのが目に付き、私は #191 で 「大日本皇神学」 は「テロ軍団に最後のとどめを刺す思想である」 としていたことに結びつくものがあると感じて、購入したのです。

≪  日本の道徳に世界が近づいている

 縄文の自然を畏敬する精霊信仰や生きとし生けるもの全てに命が宿り神が宿る 「命の平等」 から一万六千年を経て、自然に基づく日本の道徳観がいま! 西洋で注目されているという。

 自然の朝昼夕夜、春夏秋冬が繰り返す規律性。自然の極み、自然の怒りに人間の小ささ、儚
(はかな)さ、情の多様さを映しだし、時には人間を叱り、時には優しく包む 「愛」 を感じながら、日本人は大自然から道徳を学んで来たのだと深く納得させられた。≫

 という津川雅彦氏の推薦文もついていました。

 まず、「はじめに」 として次のように書かれています。

≪ はじめに――日本人はなぜ頭を下げるのか?

 日本の文化を象徴する作品として必ず紹介される絵の一つに葛飾北斎 『富嶽三十六景』 の 「神奈川沖浪裏」 があります。レオナルド・ダ・ヴィンチの 「モナ・リザ」 と並んで、世界で最もよく知られている絵と言ってもいいでしょう。

 この有名な絵は、美術の傑作という視点でだけでこれまで論じられてきましたが、私は、日本の道徳のかたちを考える上でも、重要なヒントを与えてくれている作品としてとらえています。私が提唱するフォルモロジー(形象学)というのは、目に見えるかたちに込められた意味を読み取る学問ですが、それを応用すると、この絵には、日本の思想や道徳が集約されているように見えるのです。



 ご覧のようにこの絵には、大きな波に揉まれる三隻の舟が小さく描かれ、その舟にしがみつく人間がまた小さく描かれていますが、実は、この三隻の舟が何の舟かはわかっていません。鮮魚をすぐに江戸に送るための押送船
(おしおくりぶね)には帆があるのに、この絵の舟にはそれがありません。沖に流されてきた渡し舟のようにも見えます。

 また、神奈川沖というのは東京湾の外側ですが、台風か大嵐でもなければこのような大波が立つことはないわけで、それほどの悪天候にもかかわらず、空は晴れてくっきりと富士山が見えています。舟が浸水している様子もない。

 このようにつぶさに観察してみると、この絵がフィクションであることがよくわかります。つまり北斎は実際の風景ではなく、思想を描いたと考えるべきです。荒海そのものではなく、自然にひれ伏す人間を、やはり自然の象徴である富士山が見守るという人間と自然との関係を描こうとしたのではないでしょうか。

 こうした自然と人間との関係性そのものに、日本人が古来培ってきた独自の思想、道徳、秩序の基本形を見ることができると私は確信しています。

 では、それはいったい、どういうものなのでしょうか?

 日本では、道徳というのは非常にシンプルで 「頭を下げる」 ということなのです。頭を下げるというのは、相手を尊敬する、畏敬するということで、その相手というのは、年上であり、山川木石など、より長い命を生きるものすべてです。

 これが今も日本人の行動を律する世界観となっていることを私は本書で強調したいのです。道徳というと何やら堅苦しく古臭い響きがあるために、現代人には関係ないもののように看過されがちですが、実は私たちの日常生活に大きな影響を及ぼしていることを本書ではしっかりと論証したいと思います。

 日本人は、変わったように見えて変わっていないというのが私の持論です。それは、戦前の生活を知らないような若い世代も、相変わらず日本人独特の道徳を受け継いでいることからもわかります。

 今も、日本人にとって礼儀といえば、敬語と頭を下げる挨拶が基本になっていることは誰も否定しないでしょう。明治時代以降、日本人は国をあげて西洋の文化を真似し、戦後は生活習慣から家のなかまでアメリカナイズされて畳の間もなくなりました。それにもかかわらず、なぜ、挨拶の方法は欧米式の握手に変えないのでしょう? 抱き合ったり、キスを交わすような挨拶にしないのでしょう?

 外国人が相手なら挨拶として握手を交わす場合があっても、なんとなく気持ちが落ち着かない。相手に直接触れるのはかえって失礼という感覚がDNAに刻み込まれているからですが、それ以上に相手との「間」の取り方に満足できないのではないでしょうか。ですから、握手をしていながら同時に頭を下げたりもします。

 ダーウィンは 『人間の進化と性淘汰』 で、最も生き残るグループの特質を相手への 「思いやりの強さ」 と述べましたが、日本人ほど人間関係の円満を重んじ、「世間様」 「お蔭様」 と目に見えない関係性にまで頭を垂れる民族は珍しいでしょう。しかも私たち日本人はその最重要課題を、道徳とも宗教行為とも思わずほとんど無意識に行っているのです。

 これほど強く日本人の生活を支配し世界が驚嘆する道徳が、いつ頃、どのようにして生まれたのか、どのような意味を持つのか、その不思議を、歴史をさかのぼり、宗教観や西洋思想と比較しながら考察したいと思っています。≫


 とあります。

 著者の田中英道
(たなか・ひでみち)氏は、<昭和17(1942)年東京生まれ。東京大学文学部仏文科、美術史学科卒。ストラスブール大学に留学しドクトラ(博士号)取得。文学博士。東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍する一方、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会の代表を務める。著書に 『本当はすごい!東京の歴史』 『美しい「形」の日本』 ほか多数>という方です。

 <つづく>

  (2016.2.16)
214 「われに来れ」 と神は呼び給う


≪「われに来(こ)よ」 と主は今、
  やさしく呼びたもう。
  などて愛のひかりを
  避けてさまよう。

 「かえれや、わが家に
  帰れや」 と主は今呼びたもう。≫


 と、讃美歌 517番 にあります。

≪“わたし” はあなた達に呼びかけるのである。「われに来れ」 と。
 “わたし” はあなたの内に宿るあなたの “実相” なのである。≫


 と、『神 真理を告げ給う』 の117頁に、神のみことばが書かれています。
 (“わたし” は“神”であります)

 同書にはつづいて118頁に、

≪あなた達は、“神”を――“わたし”を――信じなければならないのである。

 “神”をあなた達に教えてくれた先輩に感謝するのはよい。しかし先輩といえども、彼の肉体意識は、物質界を処理するためにあらわれている心であるから、時々物質方面の事柄に執着して実相を観る眼がくらまされて、あやまちの道を説くことがあるのである。

 そして時としてその先輩が教えの外へ迷い出てしまうことがあっても、あなたは先輩への義理や雷同によって、実相を信ずる眼を晦
(くら)ましてはならないのである。

 それゆえに、パウロは 『コリント前書』 第3章に次の如くあなた達に語りかけているのである。

 「汝らの中
(うち)に嫉妬(ねたみ)と紛争(あらそい)とあるは、これ肉に属する者にして世の人の如くに歩むならずや。或る者は 『われパウロに属す』 といい、或る者は 『われアポロに属す』 と言う。これ世の人の如くなるにあらずや。

 アポロは何者ぞ、パウロは何者ぞ、彼らはおのおの主の賜うところに随い、汝らをして信ぜしめたる役者
(えきしや)に過ぎざるなり。我は種(う)え、アポロは水灌(そそ)げり、されど育てたるは神なり。されば種(う)うる者も、水灌ぐ者も数うるに足らず、ただ尊きは育てたまう神なり」 と。

 神を信ぜずして、神を指さす肉体の指を信じ、その指の方向が変ったりとて、信仰がまた別の方向に変って行くようでは、あなた達は “神” を信じているのではなく “指” を信じているのである。≫


 と記されている。

 この後半部分に記されていることは、現在の生長の家教団と“本流”と自称する別派とにおいても現れているかも知れない。わが事として、心すべきである。

 内なる神を信じるよりも、組織指導者の言いなりになって自己放棄することをもって 「中心帰一」 なりとしていては、道を誤ることがある。心しなければならないと思います。真の中心帰一とは、神に対する中心帰一である。神は、わが内にましますのである。すべての人の内に在すのである。礼拝し合うことが必要である。

 ありがとうございます。

  (2016.2.15)
213 人生は、よろこぶためにある。


 
人は何のために生まれたか。

 それは、神の愛を実現(地上に神の国を創造<顕現>)するためである。

 神の国は、理念(実相)の世界において、「第一創造」 として、すでに完成している。それは映画のフィルムがすでに出来上がっているようなものである。

 肉眼に見えるスクリーン上には、それが今、上映されつつある途中であって、その映写なる 「第二創造」 は完成していない。第一創造は無限の智慧、愛、生命、喜び、調和に充ち満ちているので、有限なる時空のスクリーンに一遍に全部を映し出すことは出来ない。段階を追って映写されて行くことになる。そこに、現象の人生の楽しみがある。

 人間の本当の故郷は、神の国である。人間の本体、実相の魂は今も神の国にいて、神と一体である。

 現象人間は、故郷・神の国から、地上(三次元空間、時間を一つの次元に数えると四次元の時空間)に下生し、ここに、五官で認識できるすがたかたちに第二創造をするために生まれた。そして、個性的に創造的表現をするために生かされているのである。それは、人間の魂の側からみれば、魂の向上ということである。

 人間は、あらゆる体験を通して魂が進歩向上する。それは、神の側からいえば、神の国が具体的に段階を追って顕現して行くことなのである。それ故に、親なる神はよろこび給う。そこに神の子なる人間のよろこびがあり、真の幸福がある。

 人生は、よろこぶためにある。

 バンザーイ!

 ありがとうございます。

  (2016.2.13)
212 「理念」とは何であるか


 昨日の #211 「人類光明化運動の選士を讃えて」 において、


≪天照大御神の御孫の天降りとは、天球すなわち大宇宙を照らし、それを光明化する理念の天降りであることを知るのである。理念は現実に先立つ……≫

 と ありましたが、その 「理念」 とは何であるか。

 それは、キリスト教新約聖書の「ヨハネ伝」のはじめに

≪太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、万(よろず)の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之(これ)によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり…云々≫

 とある 「言
(ことば)」(ロゴス)である。実相の真象である。

 『新講 「甘露の法雨」解釋』 pp.176~177 には、それを「実相が現象として現れる説明図」 という図解入りで、わかりやすく説明されている。


  
(上は 『新講 「甘露の法雨」解釋』 に掲載された図より詳細にしたもの)

≪フィルムが巻き収められているように、過去・現在・未来が現象空間も現象時間もなく、超時の同時即一的にそのままに、時間空間を超越した状態において一切の存在が今此処にあるわけなんです。実相には現象空間で測られる大きさがないけれども、その中に“一切の大きさ” “一切の広がり”が現れる元がある……現象界の寸法を超越しておりながら一切のものが今・此処にあるのです。≫


 と同書では講義されている。つづいて

≪   実相世界にある“理念”とはこんなもの

 それはちょうど、種子の中にある“朝顔の花”の原型みたいなものであります。種子の中にある“朝顔の花”というものは、幾らの寸法であるかというと、それは肥料の豊かさや乏しさによって七寸咲きにもなるし、一寸位の小さい花にもなる。そういう、どんな大きさにでもなるところの、“現象的大きさ”を超越したところの朝顔の花の形というものが、朝顔の種子の奥にあるでしょう。種子はむろん現象的存在ですが、その現象の奥に現象世界に展開するところの姿の原型――元の形――がある。物質としてあらわれる前の、物質のない形――物質抽
(ぬ)きの形“純粋形相”がある。即ち“理念としての形”があるのです。

    純粋形相としての理念

 吾々が理念というのは、物質のない形、物質という混ぜ物を抽きにした純粋な精神的だけの形相をいうのです。この物質抽きの精神的原型は過去現在未来を、映画のフィルムの巻き収められたもののように、同時即一に一つに包んでいながら、物質じゃあないから、現象的に見える大きさが無い。一切の形が悉くこの「実相」の中に、理念としてあるのですが、それが動き出して、ちょうどフィルムが巻き戻されるような状態になると、実相世界にある理念の形が、一と齣
(こま)一齣継続的に出て来まして、現象界に或る時間的持続と空間的ひろがりとをもってあらわれて来ることになるのであります。≫

 と、説明されています。

 時間・空間は本来ない。時空未発の根源世界に「実相」すなわち神の「言
(ことば)」が成って(鳴って)いる。そこにあらゆる形なき形がある。その純粋形相を「理念」と言っているのです。そこに神の「第一創造」がすでに完成している。

≪時間及び空間というものは本来ない。実相世界は超時空的存在の世界であるからである。時間の観念、空間の観念は物質的存在を心に描くための謂わば“画布(カンバス)”として必要なので“わたし”が人間に与えたところの架空的観念である。

 それは光の波を固定して映画の光景として見せるスクリーンの役目をなさしめるために“人間の心”に対して“わたし”が与えたところの概念である。このスクリーン上に生命の波動(心の波)が放射されると、生命の波動(心の波)が固定化されて物質化して感じられるのである。

 この物質化として感じられる基盤がなければ、地上に天国を建設するという“わたし”の芸術を成就することが出来ないので、“わたし”は人間に時間空間の観念を与えたのである。時間及び空間は“わたし”の創造である。≫


 と、『神 真理を告げ給う』 の御本には書かれています(上記の“わたし”は神である)。

 人間は、神の創造
(つく)り給いし神の国を、時空のスクリーンに展開する「第二創造」を完成する、神の国を地上に顕し出すためにこの世に誕生した。

 その使命に生きることが生き甲斐であり、幸福なのである。

 ありがとうございます。

  (2016.2.12)
211 祝・建国記念の日


  2月11日 建国記念の日にあたり、遅くなりましたが、「紀元節」の歌などをアップさせて頂きます。

 お聴きください。「紀元節」

          ○

       紀 元 節

            高崎正風作詞 伊澤修二作曲 明本京静編曲
            田中舘貢橘指揮 生長の家混声合唱団


 一、雲にそびゆる高千穂
(たかちほ)
    高根おろしに、草も、木も、
    なびきふしけん大御世
(おおみよ)
    仰ぐ今日こそ楽しけれ。

 二、海原
(うなばら)なせる埴安(はにやす)
    池のおもより猶
(なお)ひろき
    めぐみの波に浴
(あ)みし世を
    仰ぐ今日こそ楽しけれ。

 三、天津
(あまつ)ひつぎの高みくら、
    千代
(ちよ)よろずよに動きなき
    もとい定めしそのかみを
    仰ぐ今日こそ楽しけれ。

 四、空にかがやく日のもとの、
    よろずの国にたぐいなき
    国のみはしら立てし世を
    仰ぐ今日こそ楽しけれ。

          ○

 次に、谷口雅春先生著 『第二青年の書』 より、「第二十章 人類光明化運動の選士を讃えて」 を、私が若き時代に、「紀元二千六百年」のうたなどをバックに朗読したのをお聴きください。

 「人類光明化運動の選士を讃えて」

          ○

     
人類光明化運動の選士を讃えて

 人類光明化運動の選士よ、神に選ばれたる若人よ。

 諸君は神武天皇建国の日本国に生れたることを誇りとし、慶
(よろこ)びとし、この誇りと慶びとを若き人たちに分ち、子々孫々に伝えることを名誉ある使命とするのである。

 諸君は、天孫瓊瓊杵尊
(ににぎのみこと)の天降りましてより、神武天皇に至るまで、約(およ)そ一百七十九万二千四百七十余年の古き伝統をもて建てられたる日本国に生れたることを誇りとし、慶びとし、この誇りと慶びとを若き人たちに分ち、子々孫々に伝えることを使命とするのである。

 彦火
(ひこほ)瓊瓊杵尊の天降りを歴史的事実にあらずと疎(うと)んじてはならないのである。諸君は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御孫の天降りとは、天球すなわち大宇宙を照らし、それを光明化する理念の天降りであることを知るのである。理念は現実に先立つ、日本の現実はいまだ理念の完全さに達せずとも、宇宙を照らす大理想をもって天降り来ったことが日本民族の使命として斯くの如き神話を創造して代々相伝承して来たことが尊いことを知るのである。

 諸君は知る、天照大御神の孫の降臨とは、真子の降臨であることを。それは神意の伝承、「まことの理念」の伝承のことである。この尊き天意の伝承の下に日本国は肇
(はじ)まったのである。

 ……暗黒の時代にも、常に「正
(ただしき)」を養って来たのが、日本民族の祖先であり、その祖宗は、「神聖(かみひじり)である」ということを知っていたのである。
 即ち、日本民族は、連綿として、神の霊統をつぐところの「神の子」であるという自覚をもって正を養い、みずからの修養に尽して来たのである。

 諸君は、斯くの如き尊き伝承をうけつぎ来った日本民族の一員として生れ来ったことを誇りとし、慶びとし、この誇りと悦びとを、若き人たちに分ち、子々孫々に伝えることを名誉ある使命とするのである。

 ……神武天皇は、小村小邑
(しょうそんしょうゆう)相分立し闘争を事とするのを見るにしのび給わず、「天業を弘め延べて、天下を光の宅(いえ)たらしむべし」と思われたのである。

 そのとき塩土老翁
(しおつちのおきな)あらわれて、「東に美(うま)し地(くに)あり青き山四方に周(めぐ)れり…蓋(けだ)し六合(くに)の中心(まなか)か」と教え奉ったと『日本書紀』は伝えている。神武天皇の大和国への困難なる御出動は此の神示に基くのである。

 その塩土老翁こそは、生長の家の人類光明化運動を起したまえる本尊、塩椎神
(しおつちのかみ)、住吉大神であり給う。蓋し、塩土老翁は常に、日本の重大事きたるときにあらわれて、国家の安泰のために導きたまうのである。

 生長の家の信徒たる青年は、塩土老翁の分身分霊として、日本危急の場合に処して国を護らんがために、神縁ふかく、神意に導かれて引寄せられたのである。まことにも諸君は祖国の危き際に処して国を護らんがために神に選ばれたる選士であるのである。諸君よ、必ずその神縁を空しくすることなく、大神の招喚に応えまつりて、祖国守護の第一線にわれらと倶
(とも)に立たんかなである。

          ○

 ありがとうございます。

  (2016.2.11)
210 「わが三つの信条」が生まれた背景(7)


  『生長の家』 誌 昭和51年2月号、【2月の法語】 には、簡潔に、次のように根本真理が説かれています。

          ○

  
一円相の実相世界を
   わが国に実現するには
                        谷 口 雅 春

   *一日の法語*

 実相の宇宙は一円相であり、その円相の中心に全体を統合する“主”がある。それを 『古事記』 には、天之御中主神
(あめのみなかぬしのかみ)という神名によって象徴しているのである。

   *二日の法語*

 この宇宙は一円融の世界である。円相の周辺と、中心の “主なるもの” とは別個の存在ではないのである。中心の統一者があって円周があるのである。中心が崩壊すれば円周の円相も壊れてしまう。中心即円周であり、円周即中心である。一円融の世界である。

   *三日の法語*

 この一円融の世界原理は、実相があらわれたところの一切の現象には必ずあらわれているのである。わたし達の知っている最小の存在単位である“原子”というものも、中心に原子核があり、円周に電子が走っているけれども、一円融の世界構造をもっていて中心の原子核が崩壊すれば原子ぜんたいが崩壊する。

   *四日の法語*

 宇宙の生命は “一つ” である。“一つ ”が “多” として顕現する、“一つ” がなければ何物も顕現し得ないのである。

   *五日の法語*

 一つの 「日の丸」 の中に無限相の “多” が含まれているのである。「一即多」 であり 「多即一」 である。それを表現した国旗が、“日の丸” 即ち日章旗であり、それを表現した国号が 「やまと」 である。

   *六日の法語*

 「やまと」 という国号のうち、“や” という言霊
(ことたま)は、八百屋とか、弥生(やよい)とかの語の “や” という言と同じく “弥々(いよいよ)多く” という意味の語である。八百屋には弥々多くの雑多の品物が集められており、弥生(三月)には弥生(いよいよ)多くの植物が生い出でるので弥生(やおい)というのである。

   *七日の法語*

 「やまと」 という国号のうち、“ま” という言霊は、「まるい」 「まったい」 「まとまる」 などの言葉にあらわれた如く 「まるい」 という意味であり、“と” という言は 「とどまる」 という意味の語である。八百
(やお)よろずの多くのものが、まんまるく、まとまって中心に帰一しているという意味の精神内容をもっている国が、「やまとの国」 なのである。

   *八日の法語*

 「やまと」 の国号は、“や” すなわち多くのものがまとまって一つになっている国がらをあらわしているのである。弓を射るときの示標となっている的
(まと)の形を見るがよい。このように、円相の中に中心があって円相が万事を包んで一つの中心に帰一しているのである。⦿ これが日本国と日本国民の姿である。

   *九日の法語*

 すべてのものを一円融に包んでしまって、仲よく一体になる精神が日本精神である。人体にはその精神があらわれている。頭首は一つである。手脚は合計四本あり、内臓や色いろの生理的器官は形もいろいろであり、数も多くあるが、みな頭の脳髄の命令にしたがって秩序整然と働いている――これが健全なる人体である。国家もこうして中心に帰一してすべての部分が一円融の姿で活動しているときには平和で健全な国家であり、産業も繁栄するのである。

   *十日の法語*

 一円相の “中心” となる生命が、天から天降って来られた神霊であり、上は、その天爾
(てんに)の神霊の御心によって統治し給い、下はその天爾の神霊の御心に唯これ従う、上下心を一にしてそこに争いひとつもなく丸く治った国の象徴が、天照大御神の光みつる円相で表現されている。これが日本の心をあらわす “日の丸” の旗である。

   *十一日の法語*

 天皇家の御紋章である “十六菊” の図案は、中心の○
(まる)より十六方向に光がひろがっているのである。十六方向とは天の八方、地の八方、合して宇宙の十六方に天照大御神の御光は照りわたっているのである。

 「古事記」 には天照大御神がイザナギノ大神の陽足
(ひだ)り(左)の御目よりお生まれになった時に、その 「光うるわしく六合(りくごう)に照り徹(とお)らせり」と録(しる)されているのである。日之大神の、み光は暖い愛をもって万物をはぐくみ育て給うと同時に、智慧の光をもってすべての人類を照らし導き給うのである。天皇の御心に従い奉っていたならば大東亜戦争は起らなかったであろうし、多くの戦死者と都市の破壊も起らなかったに相違ないのである。

          ○

   二十四日の法語 生命の法則の第一は “中心帰一” である

 そこで(注。「生長の家七つの光明宣言」の第1条に)「生命の法則に随順して生活せんことを期す」 とあるのは、生命体に共通する “中心帰一の法則” に随順して生活することにほかならないのである。

 悪平等を主張する 「誤れる民主主義」 が横行しつつある戦後の日本国ではあるけれども、“中心帰一” をやめ、各々思い思いに平等に勝手気ままに行動するならば、生命の法則に背反するのであるから、その生命体(国家も一つの生命体である)は崩壊の危機に瀕しているといわなければならない。

 そういう意味において今、日本の国家は危機に瀕しつつあるのである。日本国という生命体は、現行の憲法のままでは “中心” が存在しないのである。国民めいめいが主権者で中心体であり、派閥をつくって互いに勝手気ままな主張を行い、内に鬩
(せめ)ぐ状態が常住の有様となりつつあるのである。これでは生命体が崩壊して混沌に還元せんとしつつあるのである。

          ○

 ありがとうございます。合掌

  (2016.2.9)
209 「わが三つの信条」が生まれた背景(6)


  明治神宮崇敬会発行 『代々木』 昭和59年1月1日号より。

              ○

≪   わが仰ぎまつる 明治天皇御製

          小堀桂一郎
(東京大學助教授=当時)

 わがくには神のすゑなり神まつる
   昔のてぶりわするなよゆめ

 明治43年の 「神祇」 と題された御製である。言ふまでもないことだが、日本の神とは、一神教にいふ超越的創造主のゴツドとは全く性格を異にするもので、言葉足らずになることを恐れながらも敢て言へば、人間のあらゆる営みの創始者であり守護者である。人間界を超絶したゴッドの訳語に充てるのに 「神」 を以てしたところから様々な誤解が生じ、その面白からぬ影響は広くに及び、永く続いた。昨今漸く根柢からの反省が緒についたと言へるくらゐである。

 日本の神まつりは、從つて世界宗教に見られる超越者への脆拝とは異なり、自らの習俗・文化の創始者・守護者たる民族の祖霊に対しての畏敬の念の表明である。それはまつりを通じて自分達の極めて人間的な精神・文化の上での活動の正しい根拠を再確認するといふ意味を持つ。

 ここに近代史上のある挿話が念頭に浮かんでくるのであるが、それは昭和20年8月14日の夜、時の内閣総理大臣鈴木貫太郎氏が、翌日の自決を覚悟して暇乞ひに来た阿南惟幾
(あなみこれちか)陸軍大臣に向つて次の様な言葉で慰めたといふ、その言葉である。

 「……しかし、阿南さん、日本の皇室は絶対に御安泰ですよ。陛下のことは御心配要りません。今上陛下は春と秋との御祖先のお祭を必ず御自身で熱心になさつてをられるのですから」

 鈴木老首相は、今上陛下が春秋の御祖先の祭をきちんと、熱心に執り行はせられる、といふところに、我が皇室の変らざる御繁榮の保証を見、信じてをられたのであらう。これは眞
(まこと)に正しく我が國民感情の原型の如きものを言ひ表し得た名言ではなかつたらうか。

 祖先の祭祀を通じて、我が祖先の創始した文化の傳統に忠誠を誓ひ、絶えざる新たな生命力の注入を以てその維持をはかる、この心こそが民族の安定と繁榮(功利的な面ばかりをいふのではない)の原動力であらう。そして日本人は様々の外面的な変革やそれに伴ふ破壊の危機を閲
(けみ)したにも拘らず、祖霊への畏敬の心を絶やさなかつたことによつて、戦後のあの様な疲弊と荒廃の状態を克服し、遂に今日の繁榮を達成することができたのだつた。

 しかし、神のまつりは決して遊びごとではない、祭事には祭事としての「昔のてぶり」といふものがある。手ぶりとは外に現れた形のことであるが、形の中に心がこもり形式と内心とが一体として切離せないといふ關係を最も明白に体現してゐるのが祭祀である。形式を正確に傳へることが、内にこもる心性を誤りなく次代に教へてゆくよすがである。昔のてぶりをゆめ忘るることなかれ、といふおさとしは、実は祖先のひらきおかれた道の心を忘れるな、といふ御教へになつてゐる、と読むのがよろしいかと思ふ。≫



          ○

 <つづく>

  (2016.2.8)
208 「わが三つの信条」が生まれた背景(5)


 #207のつづきです。昭和50年夏、沖縄で海洋博が行われたとき、当時皇太子・同妃殿下であった現天皇・皇后両陛下が沖縄を訪問されたが、その時の感動的なレポート―― 『理想世界』 誌昭和50年11月号に掲載した記事をご紹介させて頂きます。

          ○

≪  沖縄の心をたずねて②

  燃えあがった恋闕
(れんけつ)の心
     皇太子さま歓迎にみる沖縄県民の真情<第2回>
                 (岡正章レポート)

 琉球の海は碧く透きとおっていた。沖縄の空は蒼く抜けるように澄んでいた。そして積乱雲は勇壮で美しかった。
 しかし、それよりも、沖縄の人々の心は雄々しく、美しく、またどこまでもやさしかった。
 そして、そこを訪れられた皇太子殿下・美智子妃殿下の御姿は立派で、感動的であった。
 沖縄は、「平和」と「中心帰一」の問題を強く、深く考えさせる“聖地”である――

   ◆沖縄タイムス訪問記◆

 7月28日午前、ぼくは生長の家沖縄県教化部事務局の大浜哲君といっしょに、地元の有力紙「沖縄タイムス」の本社を訪ねた。生長の家が、皇太子殿下・妃殿下歓迎に立ち上るまでは、ほとんど「反対」一色の報道をしてきた現地の新聞である。沖縄タイムスは発行部数約18万部という(沖縄県の人口は約100万、世帯数約25万)。
 受付で名刺を出して、編集局長に面会を申込んだ。

 ぼくの名刺には、「百万青年の月刊誌『理想世界』 編集長 岡 正章」と刷ってあり、『理想世界』というところは、本誌の目次の頭とおなじ凸版が使ってある。受付嬢が、編集局長に電話をかけ、ぼくの名刺をそのまま読んで、これこれこういう方が御面会を申込んできておられます、と伝えていた。「どうぞ」と案内され、名刺を交換してあいさつを交した。相手は取締役編集局長真栄城玄裕氏といった。ぼくは『理想世界』8月号を1冊手渡して言った。

「私どもはこういう月刊誌を編集しておりますが、10月号に沖縄の記事をとりあげたいと思っております。私ども実は『生長の家』で、このたび皇太子さまの歓迎運動をやったほうでございます。このたびの皇太子さま歓迎のムードは予想以上に高まり、歓迎に出た人々が皆ひじょうに感激して涙が出たというような声をたくさん聞くのですが、どうでしょうか、御紙の記者の方々は客観的にみてどうお感じになり、生長の家の運動をどう評価しておられますか、率直な御感想をお聞かせいただければと思って、まいりました」

 真栄城氏は一瞬困惑の色を見せて、逃げた。

 「それなら論説委員の宮城というのがおりますから、それにお聞きください」

 ぼくたちはすなおに宮城氏のところに行った。宮城氏は、今原稿を書いているところだからちょっと待ってほしいと言う。応接室へ通され、10分ばかり待たされたのち、面談することができた。

 ぼくは、編集局長の真栄城氏に言ったと同じことを言って問いかけた。

 「それは、論説委員長に相談しませんと、責任あるお答えはできかねます」

 ここでまた逃げられたら話にならない。ぼくはきりこんだ。

 「いえ、そんな、社としての公式見解みたいなことでなく、宮城さんがブライベートにお感じになっていらっしゃることをお聞かせ願えれば、たいへんありがたいのですが……」

   “生長の家の人がうらやましい”

 「そうですか。実は、私どもの社では社会部の記者を総動員して各地に配置し、“街の声”なども集めました。そして、皇太子来沖前後のことに関して、一度社会部記者の座談会をやろうかという話が出たのですが、それはやらないことになりました。いま、沖縄県人の心はひじょうにゆれ動いて複雑で、混乱しているということです。生長の家の皆さんのように、はっきり“歓迎”という態度がとれるのは、私たちもうらやましいですね。ところで、実際の街の声とか現場のことは、社会部の記者に直接お聞きになったほうがよろしいでしょう」

 宮城氏は、かつて生長の家青年会で活躍していて数年前に他界した小波津正美氏と親友で、小波津氏から生長の家の本を贈られ読んだことがあり、生命の教育論に共鳴していると言われた。

 ぼくたちは、社会部をたずねた。

 大屋利弘という社会部記者が会ってくれた。大屋氏は、いくつかの事実を聞かせてくれた。

   火炎ビン犯人に同情の声は皆無

 「皇太子ご夫妻の来沖後に私たちはいっせいに“街の声”をあつめました。その結果を分析してみますと、今度の場合、年代による意見の差がほとんどなかったということが言えます。ふつう、年代の差によって意見の差がはっきり出ることが多いのですが――。ひめゆりの塔での火炎ビン事件については、年代に関係なく、みんな 『ひどいことをしたものだ』 という感想ばかりで、犯人に同情的な意見は皆無でした。ひめゆりの塔で火炎ビンを投げた犯人に対して、『この男を死刑にして!!』 という中年婦人の叫びがあがりましたね。そしてすぐにその周りから出た声は、『こんなことをするのは沖縄人ではないだろう、本土の人間だろう』 という声でした。事実をしらべた結果は半々だったわけですね。

   県民の真情は左翼理論とちがう

 「7月17日に南部戦跡を巡拝されたあとの遺族会館での雰囲気では、物事は図式通りには行かないものだということを感じました。というのは、『天皇の名において戦争が行われたのだから、遺族は皇室にうらみをもっているはずだ、それだのに“歓迎”に“動員”されている』 というのが図式なんですが、実際にその場面に行ってみれば、遺族の人たちはみんな涙を流して感激して喜んでいる、それはどうみても、不服ながら動員されて出てきたという態度ではないわけです。

 『それから、18日朝、皇太子が那覇新港から船で本部の海洋博会場へ渡られるとき、私もその船に同乗していたんですが」“沖縄タイムス記者”のバッチを見て、質問をしてこられました。渡嘉敷島(那覇の西方約20キロ、昭和20年に米軍が最初に上陸してきた島。住民は集団自決をとげた)の方を指さしていろいろ質問されたので、私は適当に答えていたんですが、つぎつぎ突っこんだ質問をされるんです。皇太子さまは実は私の知っているよりはるかにくわしいことを勉強してきて知っておられることがわかって、私はもう恥ずかしくて答えられなくなってしまいました。

 18日タ方はハンセン氏病(ライ病)患者の療養施設 「愛楽園」 をお訪ねになったわけですが、予定されたスケジュールでは6分で歩かれるところを、30分もかかられました。それは、一人一人病人の手をしっかりと握って激励して歩かれたからなんですね。』

 社会からも見捨てられたみにくい姿の患者たちに……ぼくは思わず、こみあげてくるものを感じた。

 ここでもう一度、皇太子殿下・美智子妃殿下沖縄御訪問のときの、現地および内地の新聞記事をふり返ってみよう。

     *  *  *

<沖縄御訪問前>
●皇太子来沖問題で、県民世論が大きく揺れ動いているなかで、沖縄出身の学者、文化人グループは16日午後「皇太子来沖に関するアビール」をした。同グループは中今琉大教授、新崎沖大教授、島袋医師ら21人。
 『皇太子来沖は、欺まん的「沖縄返還」の総仕上げの儀式である「海洋博」と巧みに結びつくことで、戦後象徴天皇制のわく外にあった沖縄を、再び天皇制秩序のもとに包合しようとする試みであることはいうまでもない。

 沖縄人民は「琉球処分」にはじまる抑圧と、その帰結としての、天皇の名による戦争において、言語に絶する悲惨な時代を生きてきた歴史体験を持っている。……歴史の逆行に「加担」することがごとき状況の中で、あえて天皇支配に再び組み込まれることを拒否する意思だけは明確に表明しておきたい。』
      (沖縄タイムス)

●歓迎実行委員会の香村安紀事務局長は 「どうしてご来沖を素直に喜べないのか。謝罪に来るんだったらわかる、という意見もあるが、天皇に果たして戦争責任があるかということだ。責任はむしろ国民の側にあるのではないか。当日は地元住民も含めると10万人近い人が沿道で歓迎すると思う。歓迎ムードは盛り上がっている」 と、安心した様子。
     (沖縄タイムス)

●皇太子殿下は、つねづね沖縄に深い関心をもたれ、今度の訪沖ではたとえ石を投げられても地元の人の中にはいっていきたい、というお気持ちだという。
     (サンケイ)

<ひめゆりの塔で>
●お二人の足もとから、わずか2メートル足らずのところに火柱が上がった。美智子妃のおからだが一瞬傾き、皇太子さまがかばうように手を出された。だが、ご夫妻がたじろがれたのは、ほんの短い時間だった。お二人の目はしっかり赤い炎をみすえられていた。
     (朝日)

●すぐそばで火炎びんが燃え上がり、続けて何が起きるかわからない瞬間に、いっしょにいた説明役の老婦人の身を気づかって、「源さんはどうした」 「源さんを見てあげて」 といい続けられた……
     (朝日)

●護送車に運ばれるヘルメットの男たちに婦人たちの間から 「ひきょうもの!」 「死刑にして!」 とバ声があがり、なかには泣き出す婦人もいた。
 お車の前に退避されたご夫妻の回りにはひめゆり同窓会や県婦連の会員が数人 「申し訳けございません」 と泣き出しそうな表情でおわびを申しあげていた。美智子妃殿下は終始冷静で 「遺族の方々は大丈夫ですか」 と気遣われ、逆に婦人たちをいたわっていた。
     (琉球新報)

<南部戦跡で>
●“事件”のあと米須海岸沿いの断崖に点在する慰霊碑・健児の塔前で、ご夫妻は、車を降りられた。この日の沖縄は、午前中に32度ラインを突破。木陰に入っても、汗がふき出る。

 塔のある所まで、397段もある石段を登らねばならない。道幅はわずか1メートル。ご夫妻は、一度も立ち止まられず、15分で一気に登られた。皇太子殿下の顔から玉のような汗がふき出るが、ぬぐおうともされない。美智子さまも同じ。
     (サンケイ)

●まさに体を二つに折られ、後ろで頭を下げた側近が途中で上げかかって、あわててまた下げたほど長い拝礼を繰り返された。
     (朝日)

●健児之塔では、塔の説明を受けられたあと、奉迎者に
 「皆さんは同窓生ですか」
 「戦争ではどんな役目をしていましたか」
 「戦争中はたいへんだったでしょう」
 「これからも力をあわせてがんばって下さい」
 とねぎらいのことばをかけられていた。

 また、島守之塔では
 「外間守善氏の兄さんもここでなくなられたそうですね」 と聞かれ
 「沖縄のことは良く知っておられるようだ」 と奉迎者をビックリさせていた。

 黎明之塔にお着きになったお二人は、玉のような汗を額に浮かべていた。その汗をぬぐおうともせず、同塔建設協力者にねぎらいのおことばをかけられた。おご人とも一礼することに汗が額から流れ落ち、同行した関係者の中には 「お二人とも大丈夫だろうか」 と心配する声がささやかれた。
     (琉球新報)

●ずっと前から、沖縄の歴史や文化に関心を持たれご訪問前にも勉強されたが、現実にこの地を踏まれ“死闘”を繰り返した人の話を聞きすすむうち、表情は真剣さから苦しさに変わった。
 戦争が終わったとき、小学6年生だった皇太子さまだが、この沖縄の複雑な現実を、自らのものとして必死に受けとめようとしているように見えた。
     (サンケイ)

<遺族会館で>
●午後5時21分、「しづたまの碑」をまつる沖縄県遺族連合会本部の那覇市・くろしお会館に、ご夫妻が姿をお見せになると、2階ホールいっぱいに詰めかけていた各市町村の遺族会代表221人全員が、立ち上がってお出迎え。

 「ずいぶん、ご苦労でした」と殿下がやさしく声をかけられると、遺族の永田芳子さんは深く頭を下げて、口を開こうとしたが声にならない。「戦争でどなたを亡くされましたか」と、側から美智子妃殿下が手をさしのべるように声をかける。「主人です。南部の喜屋武岬で…」と、答えるのが精いっぱい。「これからもどうぞお元気で」と殿下が慰められた。

 紺の白ふち取りの帽子、右エリに菊模様のパールを付けた濃紺の洋服姿の美智子妃殿下、殿下はおそろいの濃紺のスーツ姿。遺族の一人ひとりに「苦労なさったでしょう」「生活状態はいかがですか」…と、その暮らしぶりを熱心にご質問される。どの遺族たちの表情にも、30年前の悪夢のような戦禍が脳裏をかすめ、胸に熱いものをこみ上げるかのよう。

 弟を戦争に奪われた城間喜平さん(78)は「どうしたら戦争のない平和な時代を続けていくことができるか、殿下のこ気持ちをうかがいたかったが、目の前のお姿を見ていると胸がつかえて声に出なかった」と語っていた。
    (沖縄タイムス)

<ハンセン氏病患者施設で>
●名護市のハンセン氏病患者収容施設、愛楽園でも、皇太子さまは汗にまみれた。炎天下のなかを職員や患者約300人の人たちに話しかけられた。この間、額にはポトポトと大粒の汗がたれていたが一度もふこうとせず、紺の背広をきた白いワイシャツのエリには汗が黄色くにじんでいた。美智子さまのネックレスにも汗がたまってしたたり落ちていた。手足の不自由な患者には「がんばってください」、目の見えない老婆には「どんなにつらいでしょう」と手をしっかりと握りしめた。

 はじめは戸惑いの色をかくせなかった患者のなかから、「バンザイ」の声があがり、皇太子さまも初めて笑顔を見せられた。

 最後には軽傷者病棟で、慶事のときに歌われる沖縄の歌“たんじゅかりゆし”がだれからともなく患者のなかからわきおこり、大合唱となった。その患者の歌声に送られ退出された皇太子ご夫妻はこ度も足を止められ、ふり返って笑顔をみせられた。
    (サンケイ)

     *  *  *

   ◆心のきずなは固く

 皇太子殿下、美智子妃殿下のお姿は誠実そのもので、感動的であった。そして両殿下をお迎えした沖縄県民もまた、しんからやさしかった。

 7月19日タ、ぼくも那覇空港に両殿下をお見送りに行って、つめかけた生長の家の信徒や一般市民と共に日の丸の旗を振りながら、なぜか熱い涙をおさえることができなかった。お車が空港のゲートを入り、金網の扉を閉めてしまったあとで、美智子妃殿下がそのゲートのところまで戻ってこられ、金網越しに、見送りに来ていた中学生の豆記者たちに話しかけられた。とたんにまた爆発的に日の丸の小旗がはためき、「バンザイ」の声がどよめいた。ゲートの方に押し寄せようとする見送りの市民たちの圧力を、機動隊の警官たちが必死で押さえていた。

 「またきてください」 「こんどはいつですか」 と飛行機に向われる両殿下にあちこちから声がかかった――。≫

          ○

 ――「たとえ石を投げられても地元の人の中にはいっていきたい」 という強いお気持ちで沖縄を訪問された当時の皇太子殿下・妃殿下(現天皇・皇后両陛下)のお姿に、私は#206の勝部真長氏の文章にある昭和天皇の御事

 
≪陛下が進んで、御身を敵将の前に投げ出されて、国民全体に代ろうとなさった、その気迫というものは、マッカーサーを圧倒したに違いないと思われるフシがみえる。ある意味で最も大胆な、鋭気というものを、マッカーサーは感じとって、驚嘆したのでなかったろうか。敗戦国の元首が、敵将のふところに飛び込んでくる、その迫力に、あの傲岸な将軍もジリジリと土俵際に追い詰められた思いをしたのでなかったろうか。……≫

 という、ある意味で激しい御気性は、今上天皇陛下にも受け継がれているのではないかと感じるものです。

 天皇陛下、バンザーイ!!

 <つづく>

  (2016.2.7)
207 「わが三つの信条」が生まれた背景(4)


 昨日のつづきで、昭和50年夏、沖縄で海洋博が行われたとき、当時皇太子・同妃殿下であった現天皇・皇后両陛下がその開会式に出席するとともに「ひめゆりの塔」・「健児之塔」などの戦跡を巡拝されるため沖縄を訪問されたが、その時の感動的なレポート――私が 『理想世界』 編集長としてまとめ、同誌昭和50年10月号・11月号に掲載した記事をご紹介させて頂きます。

 まず10月号で、現地沖縄県の教化部長であったT・T氏(故人)から次のような手記をいただき掲載しています。


≪  “人々は待っていた”
      ――感動の記録――
                       T・T

 本年4月、私が沖縄県教化部長となり沖縄に赴任してまもなく、『週刊新潮』 の記者より電話インタビューがあった。

 「皇太子殿下が沖縄国際海洋博名誉総裁に決定しましたが、沖縄県民はどのような気持で皇太子殿下を迎えるのでしょうか」

 と。私は言った。

 「沖縄は純朴な人が多い、国土防衛に巻きこまれ、玉砕させられたが、それだからといって皇太子殿下に悪い感情を持つということはない。少なくとも私どもは組織をあげて最大限の歓迎をする」

 4月25日号の 『週刊新潮』 に特集記事が載った。

 「大戦中、19万人の戦死者を出したこの地の反皇室感情が、この懸問題で相当に沸騰している……。

 『わびに来るならまだしも……』 と地元紙も報じた。こうして、沖縄県は、全国でただ一つ“天皇未踏”の地方自治体だった。そこへ殿下がおもむかれることで、自ら、天皇の戦争責任論の渦中に立たれることになりそうなのである……」

 この導入文の言葉にあるように、沖縄の人達の感情として報ぜられている内容は、どれも 「基本的には反対です」 というものばかりであった。ただ一つ、「生長の家教化部長談」 としての私の声以外は――。

 皇太子殿下が沖縄を訪問されても、最悪の場合は、生長の家のみが、お迎えするということになるかも知れなかった。

   ◆われ一人立つ

 6月に入って、生長の家沖縄県五者会議では、この沖縄に立ちこめる暗雲を吹き払い、生長の家独自ででも、皇太子殿下を喜んでお迎えする運動を展開し、沖縄県全県民こぞって奉迎するムードを作り出そう! 皇太子殿下をお護りして、名誉総裁の御役を全うしていただこう! という決定をした。

 そして先ず、全誌友信徒に呼びかけ、早朝神想観から、「皇太子殿下を沖縄県へお迎えする祈り」 を行い、生長の家大神の御加護による、沖縄浄化を徹底して祈った。

 それから、自民党県連をはじめ、他団体に 「皇太子さま歓迎運動」 を呼びかけた。すると、独自では積極的に行動できないが、もし生長の家が推進して動かれるなら協賛団体の一員に加えてもらいたいという団体が約30も出てきた。6月18日にその世話人会を開催し、「皇太子殿下沖縄御訪問歓迎実行委員会」(会長・国場幸太郎氏=商工会議所会頭)結成を決定した。事務局を生長の家光明会館内に置き、事務局長は沖縄県生政連事務局長の香村氏が就任。生長の家が主導する立場で、実行委員会を発足した。

   ◆堂々の日の丸パレード

 7月13日には生政連中央部から小堀隆氏を迎え、那覇の県庁前広場で、「皇太子殿下沖縄御訪問歓迎大集会」を開催。市中に約1千の参加者による 「日の丸パレード」 を行った。

 午後4時開会。炎天下をものともせず日の丸の大旗、小旗、プラカードをもってパレードに移る。

 生長の家の青年たちが、渾身の力で握る数十旒の大日章旗が翩翻とはためき、目抜きの国際通りを力強く行進が開始された時、歩道橋の上には市民が鈴なりにムラがり、歩道上には、多勢の人達が家の中から飛出し、手を振って応えてくれた。チラシを配る青年達に、「頑張ってネ!」と握手するオバさん、小旗を請求する子供達……。マスコミの風潮とはウラハラに、皇太子殿下を心から歓迎したがっている――その胸迫る想いを、強く感じた。

 それまで反対一色の報道をしてきた当地のマスコミは周章狼狽、夕刊及び翌日の新聞は、このパレードのニュースを掲載せざるを得ないまでに大成功であった。

 ここに至るまでには、幾多の障害があった。前日、実行委員会の会長に就任している国場幸太郎氏から緊急に、 「大会及びパレードを中止してはどうか」 という電話がかかった。

 あとでわかったことなのであるが、副知事から「過激派を刺激しては、皇太子殿下に危険が及ぶようなことがあるとマズイから、やめてほしい。反対もしないが、歓迎もしないのが沖縄県の基本姿勢である……」 云々という指示があったそうである。

 そこで早速、生長の家県首脳者で確認したことは、もし、歓迎実行委員会としては中止ということになった場合も、「生長の家だけでも独自で日の丸パレードは実施する!」 という決定であった。この決意を伝えたとき、幸い、実行委員長も決意して、「やるなら堂々とやろう」 と積極的姿勢に転じることになったのである。

    ◆人々は待っていた!

 いよいよ、皇太子殿下御夫妻の御到着日が近づいた。沖縄県の生長の家五者の幹部は、皇太子殿下ご通過の沿道をきよめようと毎夜打合せ会議を行い、朝は早朝神想観から 「皇太子殿下を沖縄県へお迎えする祈り」 「皇太子殿下御使命成就祈願」 を熱祷。それから青年たちを先頭に、宣伝カーを4台駆使して、歓迎の立看板を100枚、チラシ4万枚、日の丸の小旗4万本を配布に出発する。

 宣伝カーを止め、用意した日の丸の小旗を各沿道の家庭に配布しようとすると、驚いた。ワーッと人々が家々からかけつけ集って、日の丸の小旗をもらおうと手を差し出すのであった。豊見城
(とみぐすく)村では、手製の小旗を作っている人がいた。糸満市では、前日から道路を掃き清めている町もあった。

 「これはきっと、皇太子さまは大歓迎される!」

 との確信が、ふつふつとわいてきた。

 歓迎実行委員会の事務所になっている、生長の家光明会館の3階の会議室へは、県民から、

 「日の丸の小旗をまとめて頂けないか――」

 「うちのビルに“皇太子殿下歓迎”の垂幕を下げたいが、方法を教えてほしい」

 「皇太子殿下をどこへお迎えに行けばよいか――」

 等々の電話や問い合せが押寄せて来た。また、取材担当の新聞記者が連日つめかけて、記者会見を迫った。私たちは、この時とばかり真情をのべた。それが記事になった。

   ◆ただ涙と感動のお出迎え

 いよいよ7月17日当日――皇太子殿下をお迎えする生長の家の信徒たちは、朝9時過ぎには、もう空港に来ている方もあった。中部の地区からは、バス10台満載で集まった。

 正午すぎ、皇太子殿下がご到着になって、御召車が通過する時には 「万歳」 の声がどよめき、日の丸の旗が爆発したようにはためいた。私共は、日の丸をうち振りながら、熱い涙が盗れるのを止め得なかった……。

 皇太子殿下、美智子妃殿下は、沿道を熱狂する県民に迎えられながら、戦跡を巡られ、遺族と会われ、宿舎へ到着された。歓迎の人波は予想をはるかに上まわる数で、10万人に及ぶ。

 くろしお会館における遺族との面会では、「殿下、戦争の責任をいかが考えられますか」と質問しようと考えていた遺族もあったが、殿下にやさしいお言葉をかけられ、両殿下のお姿を見たとき、ただワァーッと涙あふれて泣き出してしまったという感動的な場面を現出した。≫

      *    *    *

 記者は皇太子殿下ご到着の翌日沖縄を訪れ、殿下の巡られた戦跡を巡り、8月5日まで19日間にわたって沖縄の人々と心を交した。現地の新聞社も訪ねていろいろこぼれ話をきいた。涙すること多く、いたく感ずることの多い19日間であった。11月号に、そのことを書きたいと思う。(岡)



 <つづく>

  (2016.2.7)
206 「わが三つの信条」が生まれた背景(3)


  次に、やはり30年以上前の資料、明治神宮崇敬会発行 『代々木』 昭和59年1月1日号の記事から、感銘を受けて保存していたものをご紹介します。

          ○

≪  皇室のご存在

       国民全体に代って御身を敵将の前に投げ出された
       (昭和)天皇の気迫というものは、マッカーサーを圧倒
       したに違いない

          
お茶の水女子大学名誉教授 勝部真長(かつべ・みたけ)

 アメリカのレーガン大統領が来日して、中曽根総理とトップ会談を持った。また中曽根総理の招待で日の出村とかいう田舎の山荘にもはるばるヘリコプターで運ばれて山荘会談をもったりする光景をテレビで見た。

 レーガン大統領はさらに韓国を訪問して、全斗煥大統領とソウルの青瓦台の公邸で、これまたトップ会談を開いているところがテレビで紹介されていた。

 もしアキノ氏暗殺事件がなかったら、フィリッピンにも飛んで、マルコス大統領とおそらくマラカニヤン宮殿で、これまたトップ会談をもったに違いない。

 韓国もフィリッピンも、大統領が最高の存在で、それ以上の元首も訪問先もない。
 ところがわが国では、総理官邸や山荘のほかに、皇居という奥の深いケタ違いに清純な訪問先があって、皇室という偉大な存在がある。

 皇居の豊明殿におけるレーガン大統領を迎えての華麗な祝宴を、テレビで見ているだけで、日本という国の奥床しさに感心してしまう。歴史の重さがなければ、こういうことは、やろうとしてできることではない。

 皇居の視宴があった後では、日の出村の山荘会談などは、みみっちくて、無くもがな、の感を与える。チャンチャンコなど着せて、子どもだましのように思え、底の浅さを感じさせる。まあお遊びなのであろうが、それにしても多忙でお疲れの大統領にはお気の毒だし、警備陣も大へんなことで、億の金がかかったとか聞いた。

 やはりなんといっても皇室の存在の、国際外交に占める地位は、はかりしれないほど大きく深い。一度でも海外から日本に来て、そこを訪れた人々にとって、その印象は忘れられないものを残すであろう。

 また82歳を過ぎられた天皇陛下のお人柄が、外国の元首に与える印象も深いであろう。テレビを通じて拝見していても、その誠実で、一所懸命に賓客を接待していらっしゃるお姿が、痛々しいまでに伝わってくる。

 凛としたお声が、御年齢をこえて、精神的なハリを響かせていらっしゃる。

 これはわたくしの不敬な推測かもしれないが、陛下はシンのお強い、気性のはげしいところのあるお人柄でなかろうか。

 よく蔵前で大相撲の催される時、陛下がお成りになって、2階の正面観覧席から観戦なさっていらっしゃるお姿を、これもテレビで拝見するのだが、あのお年で、身を乗りだすようになさって、熱心に御覧になり、勝敗をメモしていられるのを拝見するたびに、陛下は本当に相撲好きでいらっしゃるのだなあ、とほほえましく思えるのである。

 昔から世俗では「相撲好きは喧嘩好き」といって、野球のような集団プレーと違って、一対一の個人競技を好きな人間には、かなり気の強い、闘争精神の人が多いといわれる。わたくし自身、相撲やボクシングを見るのが好きで、自分自身を顧みて、確かに気の強いところのあるのを認めざるをえない。

 陛下の場合は国技としての相撲を御奨励の意味でお出かけになるのであろうが、ただ陛下のお人柄には、温和な御偉容だけでない、内に秘められた激しいものが、それは責任感とも重なって、おありになるように思えてならない。

 昭和11年2月26日の、いわゆる2・26事件の勃発の折、陛下はまだお若くもいらしたが、青年将校の叛乱を聞し召されて激怒された、と伝えられる。「朕がみずから討伐する」とまで仰っしゃられたというが、真偽のほどはわたくしは知らない。しかしあの相撲好きの御気性からは、これもありうることのように推測されてならない。

 昭和20年9月27日、天皇は親しくマッカーサーを訪問された。その折の写真は、アチコチに掲載されて、大男のマッカーサーと並んで、陛下は小さく、おとなしく写されてみえるが、しかしよくよく見ると、決してただ小さくおとなしいだけではない。

 陛下が進んで、御身を敵将の前に投げ出されて、国民全体に代ろうとなさった、その気迫というものは、マッカーサーを圧倒したに違いないと思われるフシがみえる。ある意味で最も大胆な、鋭気というものを、マッカーサーは感じとって、驚嘆したのでなかったろうか。敗戦国の元首が、敵将のふところに飛び込んでくる、その迫力に、あの傲岸な将軍もジリジリと土俵際に追い詰められた思いをしたのでなかったろうか。

 結局、陛下には私心というものがおありにならない。英国の王室も伝統があって立派だが、しかし女王の持ち馬がダービーで賞金何千ポンドだか獲得した、などというニュースを聞くとおかしな気になる。ましてマルコス大統領夫人がマニラでホテルや百貨店を経営しているなどと聞くと、なおさらである。

      (明治神宮崇敬会発行 『代々木』 昭和59年1月1日号より)≫


              ○

 上記は今から32年前のことですが、私は今上天皇もまた、昭和天皇と同様、内に秘められた激しいものをお持ちになっているのではないかと感じる者です。

 両陛下は、先月26日から30日まで5日間、フィリピンを訪問されましたが、そのニュースにも上記のことを感じます。

 フィリピンは、前の大戦で最大の激戦地となり、日本人戦没者は約51万8千人、フィリピン人は約111万人が犠牲になった。1945年2月のマニラ市街戦では「東洋の真珠」とうたわれた街並みが廃墟と化し、民間人約10万人が犠牲となった。その被害の甚大さから、戦後東南アジアの中でも特に反日感情の強いところで、戦後一時日本との絆は断たれ、1956年(昭和31年)に5億5千万ドルの賠償金を支払うことでやっと国交が正常化された国である。だから、サイパンやパラオでは現地住民が親日的だったけれども、それとはかなり状況がちがっていた。

 両陛下は、そのようなフィリピンへ2度目の訪問をされたのです。1度目は54年前の1962年(昭和37年)、皇太子の時代に昭和天皇のご名代としてのご訪問であった。それまで厳しい反日感情が渦巻く中で日系2世たちは差別され貧困に苦しんでいたが、皇太子ご訪問により、それまでの反日の空気が少し変わったと言われている。ズタズタになりかけていた両国関係をつなぎとめ、現地の日系人にとって自分が日本人であることを再認識させてくれた存在が両陛下だった、と日経紙は伝えている。

 今回のご訪問でも、陛下は

 
「フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては、厖大な数に及ぶ無辜のフィリピン人が犠牲になりました。私どもはこのことを常意に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています」

 と述べてご出発になった。

 そしてまず両陛下の強い意向で、27日にフィリピン人戦没者が眠る「無名戦士の墓」に詣でて供花し、1分あまり頭を下げて黙祷された。

 最後の29日には

<日本の戦没者慰霊碑に花を手向け、深々と頭を下げられた。今なお戦没者の遺骨が多く残る同国でささげられた平和への祈り。戦没者の遺族や元日本兵らは「無念が慰められた」と目を潤ませた。

 「比島戦没者の碑」があるラグナ州カリラヤの日本庭園は朝から雨が降り続いていたが、両陛下の到着直前に晴れ間がのぞき、慰霊碑を陽光が照らした。両陛下は慰霊碑の前にゆっくりと進み、供花台に白菊を供え、深々と礼拝された。

 慰霊を終えた両陛下は、参列したフィリピン戦の戦没者遺族や生存者のもとに歩み寄られた。予定にはなかったが、両陛下は顔を近づけて一人ひとりに声をかけ、何度もうなずきながら熱心に話を聞かれた。

 兄をレイテ島で亡くし、自らもマニラでの戦闘に加わった森田義員さん(89)=熊本市=も参列した。多くの戦友を亡くし、70年間「自分ばかり生き残り、申し訳ないという思いで生きてきた」という。両陛下の慰霊の姿を目にし「両陛下がフィリピンに来ていただき、戦友たちも少しは慰めになったと思う」と話した。

 津野田幸子さん(78)=さいたま市=はプロ野球選手だった父、西村幸生さんのユニホーム姿の写真を持って参列した。幸生さんはルソン島で戦死したとされる。写真を見た天皇陛下は「野球を続けたかったでしょうね」と述べられた。津野田さんは「無念の死を遂げた父の話を両陛下に聞いていただけてよかった」と声を詰まらせた。

 父の吉田正さんをルソン島で亡くした本間尚代さん(79)は1977年から巡礼の旅を続けている。天皇陛下から遺族会の活動への感謝を伝えられたという。両陛下に「いつまでもお健やかに」と伝えたかったが、言葉にならなかったという。

 小川晴子さん(72)=川崎市=も父、森川展彦さんを同島で亡くした。戦死したのは2歳の時で父の顔は覚えていない。母も23年前に病気で亡くなったことを話すと、皇后さまは「ご苦労なさったんでしょうね」と気遣われたという。

 小川さんは前日、父が戦死したとされるリサール州を訪れ、手を合わせた。「両陛下に心配していただき、父や母はきっと喜んでいる」と話し、慰霊碑を見つめた。>


 と日経紙は報じている。そして、

<アキノ大統領は晩餐会で、戦争の暗い歴史の「重荷」を担い続ける両陛下に「畏敬の之念を抱く」を述べた。加害と被害の両面に真摯に向き合う両陛下の姿勢は成熟した平和国家を体現しているいってもよく、連日主要新聞が1面で取りあげるなど、フィリピンの人々に好感をもって受け止められた>

 と書いている。

          ○

 ――私は、天皇・皇后両陛下の、こうした戦没者慰霊のご訪問のニュースを聞く度に思い浮かぶことがあります。それは――

 昭和50年(1975年)夏、現天皇皇后両陛下が皇太子・同妃両殿下の時代に、沖縄海洋博が開かれて、その開会式に訪沖されたときのことを思い出すのです。私はそのとき『理想世界』誌の編集長であり、青年局員として夏の中高生練成会指導の仕事を兼ねて沖縄に行きました。そして19日間沖縄に滞在し醇朴な沖縄の人たちと親しく接して、沖縄が大好きになりました。結果、次のような取材記事を書きました。

          ○

≪  「海洋博」沖縄で 燃え上がった恋闕(れんけつ)の心
     ――皇太子さま歓迎にみる沖縄県民の真情――


 沖縄が燃えた。皇太子ご夫妻の訪沖を契機として、沖縄に愛国心、恋闕の心が燃え、そして沸いた。(恋闕
<れんけつ>=天皇さま・皇室を恋するように敬慕すること)

 読者の大部分は見られたであろう、7月17日のテレビ・ニュースで、日の丸の小旗を振り涙を流して皇太子さまご夫妻を迎える沖縄県民の姿を……

 戦後、天皇陛下が御巡幸にならなかった唯一の県、沖縄。皇太子殿下を沖縄国際海洋博名誉総裁に戴くことに決定し、殿下の訪沖が決定しても、現地の新聞は、“皇太子来沖反対”の動きや声を大きくとりあげる傾向がめだった。曰く、

 「天皇の戦争責任があいまいにされている現在、皇太子を沖縄へ迎えるとはナンセンス」

 「われわれは天皇制支配に再び組込まれることを拒否する」

 そして極端なのは、過激派の

 「皇太子訪沖阻止! 海洋博粉砕!」

に至るまで、素直に皇太子さまを歓迎しようという声はほとんど見当らないくらいだった。……≫


 ――ところが、ところが、です。

 つづきは、明日のお楽しみに。

 <つづく>

  (2016.2.6)
205 「わが三つの信条」が生まれた背景(2)


 昭和61 年(1986)4月21 日(月)サンケイ新聞の 「正論」 欄に、外交評論家 井上茂信氏が書いておられた次の論文――保存していたコピーが出て来て、約30年前、共産主義ソ連の崩壊・冷戦終結後の日本の役割に注目したソルジェニーチン氏の発言など、傾聴すべきものがあると思いました。

          ○

≪  民主主義活性化は日本の役割
     希望のない米ソの将来
                                井上茂信 

   伝統・文化で欠陥を補う

 ノーベル文学賞受賞作家であり、現代ロシアが生んだ最も偉大な思想家の一人であるアレキサンダー・ソルジェニーツィン氏が1982年秋、「ラジオ日本」 の招きで来日した。75年に米国に定住して以来の同氏の初の海外旅行だった。同氏は日本到着直後、ジャーナリストたちから行方をくらまし話題となった。大都市よりも田舎を見たいというわけで、地方に旅行していたためであった。

 同氏はなぜ訪問先として日本を選び、しかも日本の田舎に関心を抱いたのであろうか。同氏はソ連共産主義と同様に、米国の民主主義にも希望はないとみている。そしてよき伝統と文化で民主主義を活性化させ、人類文化に光を与えうる地として、日本、それも西欧文化に汚染されていない地方に期待しているためだった。

 中曽根首相は 「戦後政治の総決算」 を唱えているが、それを真に意義のあるものにするためには、日本の伝統・文化に基づく価値基準によって、欠陥の多い戦後民主主義を再構築し、ソルジェニーツィン氏の期待に応えられるようにすべきであろう。

 ソルジェニーツィン氏は西欧民主主義の 「病状」 として ①法律万能の社会 ②自由の濫用と商業主義 ③福祉国家の行き過ぎ――などをあげ、自由社会では 「善行の自由よりも悪行の自由が栄えるという状態になっている」 とのべ、道義の退廃を嘆いた。

 ソ連から亡命したロシア人、ウラジスラフ・クラスノフ氏(米カリフォルニア州モンテレー国際関係研究所教授)は筆者に 「共産主義が崩壊したあとの新生ロシアにとり、現在の米国の民主主義は手本にならない」 とのべた。理由はいまの米国社会は凶悪犯罪の頻発、麻薬の広がり、性道徳の退廃などで示されるように 「病める民主主義」 となっているからだ。善、悪の価値基準が混乱し、奇病エイズの発生が象徴するように、世紀末的な 「エイズ民主主義」 の状態になってしまったからだ。

 ソルジェニーツィン氏は日本人の長所として堅固な家庭、自己抑制の能力、道徳心の深さ、美的意識、民族的伝統の保持などをあげている。クラスノフ氏は 「民主主義は、米国よりも日本でよりよく機能している。日本人がその伝統と文化で民主主義の欠陥を補ったからだ」 とのべた。

 だが、ソルジェニーツイン氏が日本の大都市よりも地方を好んだのは、日本の大都市ではすでに欧米なみの民主主義の退廃が広がっていることを知っていたからであろう。すなわち 「戦後民主主義」 という名の 「道徳なき民主主義」 日本版の広がりだ。

 人間には悪への欲望が強い。したがって、個人を内面から規制する道徳律というブレーキがはずされると、どうなるだろうか。「自由」 はなにをやっても許されるという 「悪徳への自由」 となり、「人権」は「利己主義」へと堕落するのは不可避である。

 戦後の 「道徳律なき多数決」 は 「衆をたのんで悪をなす社会」 をつくり出した。コメディアンの警句を借りれば 「赤信号みんなで渡ればこわくない」 である。いま教育界で問題になっている 「いじめ」 についても、戦後版 「いじめ」 の特色は、複数のこどもが一人をいじめることである。「いじめっ子。みんなで殴ればこわくない」 といったところか――。

 だが、ソルジェニーツィン氏やクラスノフ氏によると、民主主義の退廃は日本ではまだ全国的なものとはなっていない。ソルジェニーツィン氏は、地方の庶民の間に日本のよき伝統や健全な道徳観が残っているからだと語った。同氏は滞日中 「同性愛や殺人ばかりが描かれているアメリカの映画や演劇とは違って、日本では作者が道徳的な原則を打ち出していることに注目した」 とのべていた。

 そういえば、日本のテレビ番組では勧善懲悪ものが多い。水戸黄門、いれずみ判官、清水次郎長、忠臣蔵といった番組がゴールデン・アワーに放映されるのは、庶民の健全な道徳観を反映するものだろう。

   家族主義が堕落を救う

 クラスノフ氏は、家族主義が日本の民主主義の堕落を救っていると指摘している。米占領軍は民法改正で家族制度を破壊しようとしたが、おっとどっこい、家族主義は日本企業の中で生き残っていたのだ。株主、経営者、組合が一体となって会社の長期発展をはかるという、労使の共生共栄が日本企業の特色となった。

 だからこそ、対決型労使閣係の米本国では見向きもされなかった品質管理(QC)運動もすんなりと受け入れられ、生産性向上に威力を発揮した。家族主義的経営の強みである。

 いま一つの日本の企業の功績は、「人間を超えたもの(神)への畏敬の精神」 を受け継ぐことによって 「道徳なき民主主義社会」 への堕落を阻止したことである。この点について、宗教史の権威であるリチャード・ルーベンスティーン・フロリダ州立大学教授は、日本経済発展のナゾを解く鍵として、「米国の企業は“神なき資本主義”だが、日本のは“神ある資本主義”であるからだ」 とのべている。

 日本の大企業にはそれぞれの守護神があり、超近代的な会社のビルの屋上には祠(ほこら)があり、「神」 がまつられている。工場建設予定地の地鎮祭も日本企業ならではの特色だ。欧米の企業では生産は金儲けだが、日本では 「神事」 に通じ、労働は神聖との深層心理があるともいいえよう。

 首相の 「戦後政治の総決算」 は、よき伝統と文化を基盤に、世界に光を与えうるような真の民主主義を日本に確立することでなければならない。≫

   ――以上は1986年4月21 日(月)サンケイ新聞 「正論」 (井上茂信氏筆)より――

          ○

 <つづく>

  (2016.2.5)
204 「わが三つの信条」が生まれた背景(1)


 #185 「わが三つの信条」 が生まれた背景に、こういう精神遍歴があったのだ――と深く思いを新たにするような過去の資料――約30年前に書いたり、深く影響を受けて保存していた、思い出深い資料がいろいろ出て来ましたので、これから順次ここにご披露することにします。その前に、もう一度ここに「わが三つの信条」を掲げさせて頂きます。

          ○

■ 人間は本来皆神の子であり神である。キリスト教的にいえば皆イエス・キリストと等しきものであり、神道的にいえば天照大御神の御いのちの先延え
(さきはえ)を受けた世を照らす光である。仏教的にいえば如来(無量寿如来、尽十方無礙光如来)であり仏である。その意味で、人間は 「至上者」 であると信じます。

■ イエスが言われた 「みこころの天に成る世界」 、あるいは釈尊が示された 「金波羅華の世界」 は、中心が一つあって、万物その処を得て調和した無限生長、無限歓喜の世界である。そして 「八紘一宇」 の日本建国の理念は、ナショナリズムではなく、まさに 「みこころの天に成る世界」 「金波羅華の世界」 を地上に実現しようという世界平和の理想、神の理想、仏の理想である。そして日本という国は神話の昔から 「一つの中心」 が脈々と今日まで続いて、「和」 を尊ぶ世界に類のない国であり、世界平和実現のために特殊な使命を持った国であると信じます。

■ 「生長の家」 は、谷口雅春先生をラッパとして、上のことを伝えるために神が始められた神の運動であって、これを正しく子孫に伝えることこそ、子孫のために真の幸福をもたらすものであり、次世代に残すべき至宝、最高の宝である。この根本宝を正しく遺し伝えれば、地球環境も自ずから美しく生き生きとしたものとなり、世界に至福の神の国が顕現すると信じます。
 私は谷口雅春先生からその最高真理を伝えられた者として、この最高の宝を次世代に正しく伝え遺すべき使命があると信じます。

 合掌 ありがとうございます(2015.12.11)。

          ○

 まず、昭和62<1987>年2月号の『生長いばらき』という茨城教区の機関紙に私が書いていた文章からです。

   *  *  *  *  *  *  *

  “希望にもえよ
     希望の火で一切を焼きつくせ”
                                 岡 正章

 “希望は現実の母である。希望に燃えよ。希望の火で一切を焼きつくせ。”
 という谷口雅春先生の「智慧の言葉」があります。

 生長の家でいう「希望」とは、ほのかな望みや期待ではなく、我欲でもなく、「既にそれは神の御心において実現している」という確信でなければなりません。

 『生長の家』誌(昭和62年)2月号に佐脇嘉久先生
(元生長の家本部講師・理事、故人)が、「新人類に期待する」と題して書かれている随想のご文章に私は共感しています。

 「年とともに日本の国際社会に占める位置が高くなって、21世紀の日本にも期待する声が多いらしい。経済大国から政治大国へ、政治大国から軍事大国へ、という道が普通は考えられがちだが、日本は多分そうはなるまい。政治大国にはなりつつあるが、その先は文化大国へ、そして次は精神大国へ、魂の大国へと進んで行くのではないだろうか。その進路をリードして日本に潜在している魂の文化を東西・南北に現実化し、そして世界中に和を実現して神の国を招き入れる、……多面的で、深く、巨大な生長の家の役割を思わざるを得ない……」

 まもなく2月11日、建国記念の日を迎えますが、敗戦以来42年、日本が今日のような奇蹟的な繁栄を遂げることが出来たのは、大聖師谷口雅春先生が日本にいまして、常に一貫して日本の心、日本の使命のすばらしを説きつづけて来られたからであり、生長の家があったからであるとつくづく思います。

 これから21世紀に向かって、日本が経済大国から政治大国へ、そして文化大国、精神大国、魂の大国へと進み、地上天国成就の中心となることは必定でありますが、その人類光明化運動を、いよいよ本格的に推し進めて行く、神様の使命をいただいているのが皆様、私たちであります。

 これからの21世紀に生きる若い人たちに、もっともっとこの素晴らしい御教えを、そして日本の使命を、伝えて行かなければならないと、強く考えさせられます。

 佐脇先生は前述の御文章の中で、いま“新人類”と言われたりしている若い人たちが、実に素晴らしいものを持っていることを讃えておられます。たとえば、『将棋界もこの10年でずいぶん変わったが、その間、内部で地殻変動が起こっていたのも確か。……とにかく彼らの勝ちっぷりがすごい。それはもうとてつもなく「強い」のだ。』というある雑誌の記事などを引用して――。

 私も、若い人たちの素晴らしい可能性を信じています。“開かれた生長の家” “明日へ伸びる、生き生きと充実した、世界へ伸びる生長の家” それが本当の生長の家、これからの生長の家であります。希望に燃えて前進しましょう。

               (以上は 『生長いばらき』 昭和62年2月号より)

  (2016.2.4)
203 『ヨハネ伝講義』を拝読して(2)


 谷口雅春先生著 『ヨハネ伝講義』 より、つづきを謹写させていただきます。

 
≪……唯今、「鳴り出でる」 と云う語を使いましたが、日本の古典にも 「高天原に成りませる神の名は天(あめ)の御中主(みなかぬし)の神」 とありますのは、実は高天原即ち大宇宙に鳴りひびいていた言(ことば)が 「天(あめ)」 即ち宇宙の 「御中(みなか)」 すなわち本源の神様だと云うことでありまして、宇宙の本源がコトバだと云うことをあらわしている訳で、どの宗教でも同じであります。

 仏教では如来の名号
(みょうごう)即ちコトバによってお浄土が出来ている。そのお浄土へお詣りするのは、如来の名号と、こちらの生命の波長を合わせれば好い、すると、今ここに浄土が出現して来ると云うことになるのであります。

 全く 「信心」 と 「名号」 と 「浄土」 又は 「天国」 とは一つのものであるのであります。
 それで、「此の名を信じた者はすぐに神の子となる権を与え給えり」 と云うことになるのであります。

 もろもろの自力の修行によって段々神に寄り近づいて行くのではない、既に神の子である、「聞信
(もんしん)」 によって自覚すれば好いと云うのでありますね。

 次に 「かかる人は血脈
(ちすじ)によらず、肉の欲(ねがい)によらず、人の欲(ねがい)によらず、ただ神によりて生れしなり」 とあるように、血脈により肉体によって、誰の血統から生れたから、その肉体の系譜はどうであるから神の子であると云うのでないのであって、神から生れたものが神の子である、とこうあるのであります。

 ……人間は親の肉欲の結果生れたのではなく、人が欲しいからと云って、自分の好きなように、男を生んだり、女を生んだり出来るものではない。
 神がその自己実現として、どうしても宇宙の内部から生れ出るように 「押し出す力」(urge)となって、その神の要請によって生れ出たものである。だから人間はすべて神の子である。

 別に他の方法や教えによって神の子になるのではない、凡夫が修行をして神になるのではない、神から生れた者が神になる、本来仏である者が仏になるのであります。

 「言
(ことば)は肉体となりて我らの中に宿りたまえり。我らその栄光を見たり、(げ)に父の独子(ひとりご)の栄光にして、恩恵(めぐみ)と真理(まこと)とにて満てり。」
    (「ヨハネ伝」第1章14節)

 此処に 「コトバが肉体となって我らの中に宿っている」 と複数になっていることを注意しなければならないのであります。イエス・キリストだけの中にコトバが宿っているのではないのであります。総ての人の中に神の言(ことば)――仏の名号――が宿っておるので、それが肉体の如く現われているのであります。

 「我ら其の栄光を見たり、実
(げ)に父の独子(ひとりご)の栄光にして恩恵(めぐみ)と真理(まこと)とに満てり」 であって、ヨハネは此処に我らの中に 「言」 即ち如来の 「名号」 が宿っている、其の栄光を自分は見た、之は父の独子の栄光を見たと云うのである。

 吾らは皆、神の独子(ひとりご)だと云う訳であります。独子が沢山あるのであります。独子だと悟らないで迷っている人は、放浪の旅に出ている 「放蕩の息子」 なのであります。

 今迄の普通の説き方をなさるクリスチャンは、独子(ひとりご)と云うと、イエス・キリスト一人だけしかない様に思っている。ところがちゃんとヨハネ伝には皆神の子である、皆すべての人間に神の栄光が宿って居る、そうして皆輝いている、皆父の独子であると云うことが書いてあるのであります。≫


 ――「独子
(ひとりご)が沢山ある」 というのは、常識的に考えたらおかしいのでありますが、それは、人間はみなそれぞれ別々の存在だと見ている、肉体を見ているからおかしいと思うのであって、人間は肉体ではない。時空を超えた 「久遠の今」 なる命において、「一つの命」 であるから、 「みんな独子(ひとりご)」 であって矛盾しない、おかしくないのであります。人間は皆、絶対なる神の世嗣(よつぎ)として、神の持ち給える全財産すなわち全宇宙のすべてを継承した神の独子(ひとりご)であるのであります。バンザーイ!

  (2016.1.31)
202 『ヨハネ伝講義』を拝読して


 「ひろば」 に 「トレモス」 様が、谷口雅春先生著 『ヨハネ伝講義』 を拝読しての決意感想を投稿してくださっている。

 私は大いに啓発され、これから進むべき道がはっきりしてきて、たいへんうれしく思います。

 「ひろば」 の #69 にトレモス様が書かれていること

≪イエスは、ペテロに 「羊を養うこと」 を命ずる。

谷口雅春先生が 「人類光明化のパテントは読者ひとりひとりにゆずった」 とおっしゃったのは、このイエスの言葉と同じであって、読者たちに、生命の実相独在の真理によって、あらゆる人生苦にあえぐ人々を救ってほしい、と願われたことを意味している。

私たちは生命の実相の真理をさらに深く学び、この尊い真理を人々に伝えていくことが、ご恩に報いるもっとも大事なことなのであると、私は信じる。

「真理」 を伝えていくことが、そのまま運動でもある。≫


 ――これは、 「近況心境」 #199 に私が書いていることと、軌を一にするものだと思います。

≪人間は皆、神の子であり、宇宙の中心であり、「ス」 (時空未発の本源世界、「久遠の今」に立つとき、宇宙は澄み浄まるのである。

 人々皆 「ス」 に還り、その環境が浄まるとき、やがて宇宙全体が浄まり、地上天国が実現する。≫

 ――この 「ス」 に、ヨハネ伝の冒頭にある 「太初
(はじめ)に言(ことば)あり」 の 「言(ことば)」 があることを、谷口雅春先生は次のように御講義くださっています。

≪ 太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、万(よろず)の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之(これ)によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき。光は暗黒(くらき)に照る、而して暗黒は之を悟らざりき。
        (ヨハネ伝第1章1-5節)

 (御講義より) 日本の国は、言霊
(ことたま)の幸(さきは)う国と古くから云われておりまして、言葉の力を讃える国でありました。それで日本では言葉と云うものを大切に取扱いまして、仮初(かりそめ)にもわるい言葉を吐かないようにしていました。そして若(も)し悪い言葉で宇宙を掻き乱したら善き言葉を祝詞(のりと)によって宣べることにより、天地を清めると云うことにしていたのであります。

 祝詞と云うのは 「祝福の詞
(ことば)」 と云うことであって、悪しきものがあらわれていても、そんなものはない 「ありがたいものばかりだ」 と善き言葉で祝福の詞をのべることによって、天地の穢(けが)れを祓(はらい)清めることをやっていたのであります。

 「言
(ことば)は神である」 と云う其の言葉と云うのは、生命のバイブレーション(振動)であります。「太初に言あり」 と云うのは、一切のものは波動が最始原のものであると云うことであります。「苟(いやしく)も、波動のあるところに神がある」 と云うのが、「コトバは神と偕にあり」 と云う事であります。
 「偕にある」 と云うのは 「別のもの」 が併列してあるのかと思うと、そうではない。「言は神なりき」 であって言と神とは同じものだと云うことであります。

 この 「言」 と云うのは英語ではゴド(God)と濁っておりますが、神様のことであります。言葉が神様である、一切のものは言葉によって造られているのであります。

 「言
(ことば)は神様である」 と云うのは、吾々は古代から神様のことを 「命(みこと)」 と言います。美(み)は美称であります。神様とはミコトバ様だと云うことなのであります。

 漢字に当て嵌めても 「ミコト」 と云う字は命令の 「命」 が書いてある、命令は口でする、即ち漢字でも言は神様である。

 その 「命
(ミコト)」 と云う字は 「命(いのち)」 とも読む。言(ことば)は又命(いのち)であって、『ヨハネ伝』 の最初に 「太初に言あり」 云々と書いて 「之に生命あり、この生命は人の光なりき」 とこう云うように書いてあるのに一致するのであります。

 それで、言は神であり、生命である。旧い訳の新約聖書には 「道」 と云う字を書いて 「ことば」 と振仮名を付けてあります。「道」 と云うのは吾々の肉体の足が歩いて行く道のことではないのでありまして、天地遍満の道、即ち天地にミチミチているから 「ミチ」 である。

 「道」 は 「いう」 とも読む字であって、言葉である。そして 「道」 と云う字は 「首
(ハジメ)」 に 「辵(ススム)」 と云う字画であります。詰り、天地にミチていて、事物のハジメを成しているものが言即ち、波動であり、それが一切の本源である神であって、それから万物が発生したと云うのであります。

 それで、万物は一切この言葉によって展開したのであって、この言葉が大切なのであります。

 それで吾々が病人に対して 「お前はもう病気でない、神の子である」 ということを言葉で言えば、それが本当に力ある言葉であれば病人が治るということにもなるのであります。

 そうかと思うと、あべこべに、「お前は罪人であるぞ、いくら善くなろうと思うても善くなれない凡夫である」 と云うようなことを言ったら、やはりその言葉の力によって、いくら善くなろうと思うても、善くなれないと云う風なことになるわけであります。

 このように言葉は命
(いのち)であり、神様であり、命令であり、天地に満つる道であると云うことになるのであります。

……(中略)……

 「神より遺
(つかわ)されたる人いでたり、その名をヨハネと云う。この人は証(あかし)のためにきたれり、光に就きて証しをなし、又凡ての人の彼によりて信ぜん為なり。彼は光にあらず、光に就きて証せん為に来れるなり。」(ヨハネ伝第1章6-8節)

 (御講義) その頃、神より遣されたる人があった、それはヨハネと云う。――此のヨハネと云うのは此の福音書に書いてありませんけれども、水行
(すいぎょう)をしたり或は蜂蜜ばかりを嘗めて居ったり色々減食とか断食とか苦行をやって、そして段々神に近づこうと云う風なことをやって居られた自力修行(じりきしゅぎょう)の代表者としてここにあるのであります。此の自力修行は到底本当の神と云うものを掴むことが出来ないのでありまして、それが此処に書いてあるのであります。

 自力修行と云うものは光そのものにはならないのであって、光につきて証
(あかし)するのである。こつこつと水行をしたり、断食したり、減食したりすると云う自力の修行によっては到底仏の境地へ、仏其のままに成り切らないと云うことになるのであります。光はあるが、光に近づく道がわからない、修行をしていて暗中摸索であります。

 しかし今や光を実現した人が出て来た。それはヨハネの霊感によってわかる。これが其の人だと云うことはわかると云うのであります。その「暗中摸索の声」が即ち「荒野
(あらの)に呼ばわる声」であります。荒野は迷いの世界であり、声はまだ野生のままで言にはなっていないのであります。其処へ愈々言の実現者としてキリストが出現したと云うのであります。

 「もろもろの人をてらす真
(まこと)の光ありて、世にきたれり。彼は世にあり、世は彼に由りて成りたるに、世は彼を知らざりき。かれは己の国にきたりしに、己の民は之を受けざりき。されど之を受けし者、即ちその名を信ぜし者には、神の子となる権をあたえ給えり。かかる人は血脈(ちすじ)によらず、肉の欲(ねがい)によらず、人の欲(ねがい)によらず、ただ神によりて生れしなり。」
      (第1章9-13節)

 ところが此処に人を照らす真の光があって出て来たと云うのであります。之はイエス・キリストのことであります。

 「彼は世にあり、世は彼に由りて成りたるに世は彼を知らざりき。」 つまりキリストの生命
(いのち)は宇宙遍満のコトバがその生命として宿って出現したのである。宇宙の創造はコトバによって即ち波動によって行われたのである。従ってコトバが宇宙の創造主(つくりぬし)であり、誰でも自分の中に生命が宿っていることを知る者は、この世界は自分のコトバの所造だと知らなければならない。ところが世は彼を知らなかったのである。

 そのコトバこそ真の光であった。つまり宇宙を照らしている光明遍照の光がそこに人格化して現われて来ているのでありますけれども、それを知らない人が多いのであります。然し、コトバが創造主であり、そのコトバが自分に宿って自分の生命となっていると云う真理を受け信じた者は、神の子となる権を与え給えられていると云うのであります。「その名を信じた者」 と云うのは、「名」 はコトバであり 「実相」 であります。

 自分の 「実相」 が宇宙の創造者たるコトバと同体であると知った者は、既にもう神の子である。
 世を照らす光がやって来た。それはお前の生命の中に宿っているではないか。その光を見よと云うのであります。

 見ると云うことは知ることであり、知ることが信ずることなのであります。

 「わからんから信ずるほかはない」 と云うような 「信」 は本当の 「信」 ではないのであって迷信であります。「其の名を信ぜし者」 即ち自己の実相を 「神のイノチ」 であると、如実に 「知った者」 が神の子なのであります。

 それを如実に知るまでは、神の子は神の子であっても、赤ん坊のときから羊の子の群に入れて育てられていたライオンのようなものであって、自分の周囲のすべての者がすべて羊の顔をし、羊のやさしい声を出しているものだから、自分も羊だと思っていると云う 『法華経』 にある喩の通りに、迷いの世界に生活していると、自分も迷いの人になって凡夫だと思っている。

 しかし山奥から、ライオンの声がきこえて来ると、内在のライオン性が出て来て、ライオンの子は自分の本性を自覚する。

 それと同じく、宇宙の創造者たるコトバが自分の生命だと云う自覚をもったキリストの声をきき、知り、信ずるものは自分もまた神の子となれるのであります。

 仏教でも、言葉と云うものを大切にしているのでありまして、如来の名号即ちコトバを聞信すれば、仏になり浄土に生れると云うのでありまして、信心と名号と浄土 此の三つのものは結局同じものなのであります。

 宇宙の本体はコトバである。そのコトバが自分に宿っている。自分の生命である。それが聞信によって自覚され、宇宙の大生命と一体になる。すると仏のコトバの展開した姿がお浄土でありますから自分の周囲に浄土が現実に客観的に展開して此処がこのまま天国であり浄土であると云うことになるのであります。

 そして其の信心と云うのは誰が証するかと云うと、別に誰も他の者が証明するのではありません。自分の中に宿っている神性或は仏性が自然に、悟れる人の言葉に開発されて成り出でるのであります。これを仏教では自内証と云っております。

 「大信心は仏性なり、仏性即ち如来なり」 と親鸞聖人が被仰いましたように、信心する心即ち仏性が自分の中に宿っていて、それが先輩の教えによって触発されて鳴りいでるのであります。

 その意味に於て先輩は吾々の恩人である。無限の生命が宿っていても、それを自覚させて頂かなかったら、「無い」 のも同然である、それを先師のおかげで自覚させて頂いて 「有る」 と云う状態にならしめて頂いたのですから感謝せずにはいられないのであります。

 釈迦とかキリストとか云われる方は其の先師のうちでも最勝の方であります。≫


 ――谷口雅春先生こそ、その釈迦・キリストの教えを完成させ、万教帰一の真理としてお教えくださっている、まさに「先師のうちでも最勝の方」であります。

<つづく>

  (2016.1.28)
201 時空を超え「久遠の今」に心魂を据えた勝利者となれ!


 
「僕は、どんな時だって決して魂の細胞の一つすら失望したことはありません。この世に失敗の機会なんかないと思っています」

 と言った(#200)ヘンリー・フォード(一世)は、


 「地上は霊魂休養の場である」


 とも言っている。

≪ トライン――エマースンが、悪とは 「未だ創造されつつある善である」 と言いましたね。

 フォード――そこです。「間違い」 は経験の源であり、智慧の泉である経験の精髄なんです。吾々はこの地球上の生活から得られるはずの全ての経験を得終わるまでは地上に生を亨けるのです。

 トライン――もう一つ吾々が地上に生を享けている目的があると思います。それは地上は、若き霊魂たちが霊魂の休養のために新しい空気を吸いに来るところだということです。

 フォード――若き霊魂たちはその仕事から大いに魂の休養を得るんですよ。≫


 と。(前掲書)

 フォードは、1日3時間ぐらいしか寝ないで、自動車の改良や労働者の待遇改善などに没頭し、現象面では休む暇もない日々を送っていたというが、そうした中で魂は休養を得ていたのか。――ということは、魂は現象に居らず、現象を超えた、時空を超えた 「久遠の今」 に心魂を据えていたということではないだろうか。

 時空を超えた 「久遠の今」 なる実相世界には、一切がある。だからフォードは、無一物と言ってよいような何も持たない状態の時、すでに自分は一切を持って出発したのだと言っているのである。

≪記者――若い時には資本も何もないほとんど無一物だったあなたが、これだけの事業を成就したのには驚嘆せずにはいられません。その秘訣をうけたまわりたくってまいったのですが。

フォード――失礼ですがちょっとちがいます。君は僕がそのとき「ほとんど無一物」だったとおっしゃるが、正しいとはいえません。誰でもあらゆる物をもって出発する。すべてがわがうちにあるんですからな。≫


 と。
(『生命の實相』第2巻第6章195~196ぺージより)

 ここで私は、武田信玄の 「風林火山」 を思い浮かべる。

 「疾
(と)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如し、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し」

 というのであるが、はやいこと風のように、侵掠すること火のように激しく動きながら、心は林の如くしずかに、山の如く不動であり得るのは、現象の時空を超えた本源世界 「久遠の今」 に心魂を据えていて初めて可能なのである。それが神想観の境地である、と思う。

 「久遠の今」 なる実相世界には、悪しきもの、恐るべきものは何もなく、敵はなく、失敗はない。死はなく滅はなく、病はない。無限の愛、無限の智慧、無限の生命が充ち満ちている。無限の喜びが充ち満ちている。すべてが無限向上、無限生長の道を歩んでいるのである。ありがたきかな。

     *  *  *

 琴奨菊 優勝! バンザーイ! おめでとうございます!

  (2016.1.24)
 
(1) プロフィール


岡 正章(おか・まさあき)

1933年6月 東京生まれ、83歳。 (先祖・両親の出は愛媛県)
妻1人、子供が4人、孫も4人あり。

趣味――音楽、特にコーラス・アコーディオン。
八十の手習いでピアノの練習も始めた。
パソコンによる動画編集も特技の一つ。

好きな言葉――バンザイ!

山口在住の1950年頃 父親が生長の家入信。その影響か、1951年春 霊的体験を得て人生観が一変。1952年 山口高校卒、同年 東京大学入学。1953年 生長の家青年会入会、谷口雅春師ご自宅での青年会「お山のつどい」でご指導を受ける。1959年 青年会中央執行委員学生部長。1960年 東京大学教育学部卒。1964年 日本教文社勤務、聖典・書籍の編集に従事。1975年、生長の家本部青年局に転じ『理想世界』編集長。1976年、同誌100万部突破。1984年~2006年、茨城・福島・山形の各教区教化部長歴任。2006年 東京第一教区地方講師。2015年4月21日、地方講師解任の通知を受ける。現在、相愛会員、聖使命会費取扱者。