わが使命行進曲   

                                    

―「岡 正章のブログ」より―

<2010. 09. 07~2011.6.15>


 

1. 音楽回想(1)

<2010. 09. 07>

 振り返ってみますと、昭和8年生まれの私が物心ついたころには、もう3人の姉たちのコーラス・・・学校で習ってきた唱歌を、家に帰ってすぐ2部合唱、3部合唱などで楽しんでいる、きれいなハーモニーがひびいてくるような環境にいました。父は陸軍軍人で2年おきには転任があり、そのたびに大荷物の引っ越しはたいへんでしたが、それでもかなり大型のオルガンを買ってくれていました。SPレコードをかける「蓄音機」の立派なのも買ってくれて、姉たちの音楽好きを応援してくれていたようでした。そんなことから私もいつのまにか音楽好き、ハーモニーが好きになっていたということでしょうか。

 でも私は、とても姉たちのようには唱えない、という劣等感のようなものを持っていました。それでも「自分も唱いたい!」という思いが強くなり、唱うようになったのは、大学に入ってからでした。
 

2. 大合唱団のコンサートを聴いて

<2010. 09. 18>

 今日は夕方から、あるアマチュア大合唱団の演奏会が開催されるということで友人からチケットをいただいたので、聴きに行きました。私はプロフィールに書きましたように、コーラスは大好きです。

 その合唱団のメンバーは60人近い人数で、大きなホールに響き渡る大声量で一所懸命歌っていました。みんなボイストレーニングを受け練習を重ねてきたと思われました。

 しかし、一所懸命歌っている合唱団の皆さんにこんなことを言っては悪いと思いますが、かつて佐々木基之先生の指導による「分離唱」で「耳をひらいた」山梨大学合唱団の、何とも言えないふわっと雲の上に乗ったような、この世ならぬ美しいハーモニーの合唱を聴いたことのある私には、耳をふさぎたくなるようなところの多い演奏でした。すばらしい詩の大曲を一所懸命歌っているのに、ハーモニーが必ずしも美しくなかったことが、とても残念でした。

 音楽家の佐々木基之先生(1901-1994)は、「人間はだれでも本来きれいなハーモニーを快く感じる耳を神様から与えられている。その耳に任せて和音にとけ込む「分離唱」の訓練をすれば、だれでもこの世ならぬ美しいハーモニーの合唱ができる」ということを実証して来られました。谷口雅春先生著『神癒への道』に、「み業は神が為したまうのである。吾々のなすべきことは、一切の『力み』を捨て去り、完全に神に全托することである」とありましたが、まさにその「メタフィジカル・ヒーリング」を音楽教育に実践されたもののように思われます。

 明日は午前中に地元の生長の家相愛会幹部の集まりがあり、谷口雅春先生著『新版 真理』第9巻をテキストにして勉強会をすることになっています。ここにも、上記『神癒への道』と同じようなことが書かれているのでした。
 

3. 聖歌「堅信歌」の感動


<2010. 09. 19>

 来年3月6日(日)は東京第一教区の生長の家講習会です(生長の家総裁谷口雅宣先生・白鳩会総裁谷口純子先生ご指導。東京国際フォーラムをメイン会場とし、他2ヵ所をサブ会場として行われる)。

 その日午後一番に聖歌隊の発表というのがあり、今回は白鳩会(女性)だけでなく相愛会(男性)、小学生なども一緒に出場、演奏することになりました。そこで私はその相愛会(男性)のメンバーのまとめ役をさせていただくことになっています。

 発表曲目の第一は「堅信歌」(けんしんか・谷口雅春先生作詞)。その歌詞は「われは聴くわが内なる声を」(わが内にいます神の声を聴くということ)で始まり、そのあとはすべて「内なる神の声」なのです。私にはこの聖歌をうたって感動の涙を流した体験があります。この歌詞について、思われることを書き記してみました。

   ===============

 「われは聴く わが内なる声を」の「内なる声」とは、わが内にまします神の声であります。

 聖経『甘露の法雨』に「キリストは『神の国は汝らの内にあり』と言い給えり。誠に誠にわれ汝らに告げん。……『汝らの内』にのみ神の国はあるなり」とあります。

 そして「内なる声を」のあとの7行には始めと一番終わりに引用符がつけてありますから、2行目から後の7行はすべて内なる神の国の神の声であります。その「内なる神」が、まず

 「みひかりを常にもとめて わが御手をしかと握れよ」

 とおっしゃっているのです。「みひかり」は内なる神の光であり、「御手」は、神様の御導きの御手であります。人間知恵を捨てて神の完全なるみ智慧、み愛を信じ切って全托せよとおっしゃっているのです。
 そうすると

 「安らなれすべて善ければ」

 ――安心しなさい。すべて善しの世界ですよ。

 「とこしえに此処極楽に なれは今まもられてあり。」

 永遠に今ここは極楽で、あなたは今全知全能、完全円満なる神に護られているのです。「なれ」は、「なんじ」「あなた」です。

 「何者か汝(なれ)を奪わん。大いなる我れ汝(な)を抱けば。」

 ――誰があなたを拉致して行くことができるでしょうか。大いなる、全知全能なる神があなたをしっかと抱き取っているのですから。

 と、内なる神様がおっしゃっているのです。

 神の国は、わが内にある。「内に」ということは、すでにあるから外を探さなくてもよいということです。神の国とは、足りないものの一つもない、全てが満ち備わっているところですから、内なる神の国にはご先祖様も、また畏れ多くも天皇様も、谷口雅春先生も、清超先生も、現総裁の谷口雅宣先生もいらっしゃって、私たちを護り導いてくださっているのです。

 そこまでが1番で、2番になりますと、また内なる神様の声で、今度は最初から

 「われ常に汝(なれ)をまもれば、われ常に汝(な)を導けば、何時(いつ)のとき何処(いずち)にあるも、汝(な)は完たく清くけがれず、行く道に迷うことなし。」

 とおっしゃいます。

 「全知全能なるわたしがいつもあなたを護り導いているのですから、いつどこにいても、あなたは完全であり清らかで汚れのない存在であって、行く道に迷うこともありませんよ」と神様はおっしゃっているのです。

 「われは汝(な)の内なる神ぞ わが護り常に完たし。」

 ――わたしはあなたの内にあって、離れることの出来ない、全知全能の神ですぞ。わたしの護りはいつも完全ですぞ」

 と。

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 この「堅信歌」を歌っていると、涙が溢れて止まらなかったという竹中章さんの体験が『いのちの環』No.7の21ページに書かれていますが、私がこの聖歌をうたって感動の涙を流したのは、昭和60年6月17日、谷口雅春先生の御昇天が報ぜられ、衝撃の中で、当時茨城県の教化部道場で信徒の皆さんと一緒に「堅信歌」を歌ったときのことです。

 「われ常に汝をまもれば、われ常に汝を導けば、何時のとき何処にあるも、汝は完たく清くけがれず、行く道に迷うことなし。」

 と歌ったとき、谷口雅春先生が今、わが内にあってそうおっしゃっているのだと感じ、涙が溢れて最後の所は歌えなくなってしまいました。

 今回また講習会でこの聖歌を歌うことになって思ったのは、上記のように

 「神の国とは全てが満ち備わっているところだから、内なる神の国にはご先祖様も、また畏れ多くも天皇様も、谷口雅春先生も、清超先生も、現総裁の谷口雅宣先生もいらっしゃって、私たちを護り導いてくださっているのだ。谷口雅春先生も清超先生も雅宣先生もわがいのちの中にいらっしゃって御一体なのだ。何という有難いことだろうか」

 ということでした。
 

4. カラスも笑う


<2010. 09. 20>

 この世界は神の演奏し給う一大交響曲である――と私は信じます。つまり、この世界は本来一つの宇宙大生命(神)の顕現であって、生命の波動が響き合いハーモニーを奏でているような世界である、と思うのです。

 かつて10年ほど前、福島県郡山に赴任していたとき、こんなことがあったという記録メモが出てきました――

 ○月○日 カラスも笑う――郡山の生長の家白鳩会員Yさんのお宅では、毎月2回誌友会や『生命の實相』の輪読会が開かれ、「笑いの練習」もあって、明るい笑い声が外までひびきわたっていました。そしたら、「Yさんの家のまわりには、笑うカラスがいるんです」と、道を通る人が言っているのでした。カラスもいっしょに、笑うような鳴き方をしていたんですネ。

 ○月○日 Yさんは、人助けに出かけて車で帰ってくると、車庫の前に何か黒いものがあります。よく見ると、1羽のカラスの死骸なのでした。前の日に、近くの家の車庫の前に黒いものがあったとご主人が言っていたことを思い出しました。その家の方が、「イヤなもの」とほうり投げたのだな、と思いました。

 Yさんは、そのカラスの死骸をていねいに新聞紙に包み、ビニールの袋に入れて、自宅の庭に安置し供養してからゴミ収集の日に出すことにしました。2日後のゴミ収集の日、朝8時にゴミを出し、戻ってきて家に入ろうとすると、近くの電柱の上に1羽のカラスが止まっていて、「カア、カア、カア」と鳴いてこちらを見ているのでした。正代さんが上を見上げると、カラスと互いに目が合って、しばらくじっと見合っていたそうです。カラスはYさんがカラスの死骸をていねいに葬ってやったことを見ていて、お礼の気持を表しているのだな、死んだカラスはもしかしたらそのカラスのつれあいだったのかもしれない、と思い、「ウン、ウン」とうなずいてやりますと、そのカラスはどこかへ飛んで行きました。

 その日、Yさんのご主人は、30キロほど離れたところに造園の仕事に行っていました。お昼に弁当を食べていたら、1羽のカラスが下りてきて、じっとこちらを見ています。食事を分けてほしいのかな、と思ってちょっと分けてやりました。するとカラスは、うれしそうにYさんのご主人のまわりをグルグルと3回、歩いてまわってから、飛んで行ったということです。

 Yさんはその話をご主人から聞いて、本当に驚きました――という話です。
 これは決して童話ではありません。Yさんご自身が語る、本当にあった話です。カラスのいのちも人間のいのちも本来一つで、響き合っていたのではないでしょうか。
 

5. 孫とカメたち―いのちの賛美歌


<2010. 09. 21>

 私には、男の孫が4人います。長男の息子2人と次女の息子2人です。孫たちはみんな、カメが大好きです。特に、つくば市にいる長男のところの孫たちが、小さいときからカメ、カメ、カメとカメに首ったけ。

 12年前、父親(私の長男)がクサガメを拾ってきたのが始まりで、孫たち(当時5歳と2歳)は、とてもカメが気に入りました。4年ほど飼ったクサガメが逃げ、一度はカメなしの生活になったのですが、「カメがいない生活は考えられない」という孫の思いから、イシガメ(オス)一匹を購入。それから関西へ引っ越し、またつくばに戻るまでに、嫁さんやら婿さんを迎え、産卵孵化した子ガメたちが9匹、13匹とどんどん増えて、最近8月には25匹のカメと暮らしていました。下の孫は中学3年なのですが、全部のカメにそれぞれ名前をつけ、1匹1匹の個性の違いを観察して記録しながら、カメたちをわが子のようにかわいがって育てていました。学校へも行かずに……。

 つくば市に「千年一日珈琲焙煎所」という喫茶店があります。この喫茶室では店の壁面を利用して写真展や絵画展をして、憩いの場をつくっています。そこで長男の嫁(孫の母親)が、喫茶店の店主や友だちの協力を得て、8月26日から31日まで“夏休み特別企画「カメ展~うちのカメたち(25匹)~」”というのをさせてもらいました。「クサガメ、イシガメに圧倒的な愛情と時間をそそぐ岡くん(中3)の写真の展示で、2005年から2010年までに撮り続けたものです。お母さん企画。いいかんじ。……」と、同喫茶室のホームページにも掲載されました。

 この「カメ展」を通じて、友達の輪がひろがっていったようです。

 そして9月に入り、また新たに16匹のカメが誕生して、いまカメの数は44匹になりました。

 ところで、私の祖母(父の母)は、岡カメという名前でした。

 孫たちがかわいがって育てているカメたち、つぎつぎに増えて行くカメたち――。

 それは、カメおばあちゃんと無関係だとは思えない今日この頃です。

 祖母カメは、熱心なクリスチャンでした。私は平成元年9月号の月刊誌『理想世界ジュニア版』に、「いのちの賛美歌」と題し次のような「信仰エッセイ」を書いています。

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  信仰エッセイ「いのちの賛美歌」

 私の祖母は熱心なクリスチャンでした。といっても私が四歳の時に亡くなっているので、自分の記憶はあまりないのですが、私は3人の姉のあとで生まれた長男なので、口ぐせのように「長男正章、長男正章」と、目の中に入れても痛くないほどかわいがってもらったようです。それで私はよその人から「坊ちゃん、お名前なんていうの?」ときかれたら、「岡チョウナンマチャアキ」と答えたということです。

 そのころ一家は奈良にいましたので、祖母の葬送式は奈良のキリスト教会で、賛美歌とともに行なわれました。それからまもなく私はキリスト教の幼稚園に入り、そこでは子どもの賛美歌を歌う毎日でした。そんなわけで私は賛美歌が大好きです。賛美歌を聴いたり歌ったりすると、心の底からなつかしく思います。そして洗礼を受けたことはないけれど、折りにふれてイエス・キリストの言葉が魂の底からよみがえってくるのは、亡き祖母の導きでしょうか。

 私は小さいころ特に体が弱く、ひょろひょろで、よく学校を休みました。父が昔の陸軍軍人で、だいたい2年ごとに転勤があり、子供はそのたびに転校でした。私が小学校3年の時に山口県山口の小学校に転校したときには、いじめにもあいました。おとなしい、いい子で、学科の成績も悪くはなかったけれども、自信がなく、積極性のかけらもないような私でした。

 私は肉体が自分だと思っていましたから、高校生になってからは特に劣等感のとりこになり、死にたいとすら思うほどになりました。そして高校2年の時、実際病気で死にかけたのです。

 しかし、父母の愛に満ちた祈りと看病によって、私は死にませんでした。父はその頃生長の家にふれて、熱心に『生命の實相』を読んでいました。

 病気がやっと快復してきたある日、突然私は

 「お前は生命(いのち)だよ! 生きているのだ! 生きている生命は使わなくてはだめだ! 生命は使って伸びることが、喜びなのだ! すべては喜びばかりなのだよ!」

 という声のない声が聞こえたような気がしました。私はその瞬間、いいようのない感動に全身がふるえました。

 すぐに私は裸足(はだし)で外の畑へ飛び出して行きました。力いっぱい働きました。昨日(きのう)までの私は、働いたらくたびれて死んでしまう、働いたら損だ――と思っていました。ちがった! 今、私は生きているのだ! 生命なのだ! 生命は、力は、出せば出すほど無限に湧いてくるのだ! 力は出さなければ損なのだ、と感じられるのでした。心臓が高鳴るほど、うれしくて、うれしくてたまりませんでした。

 一所懸命働いてひとくぎりしてから家に入って見ますと、いつも掲げられている祖母の写真が、ニッコリと私の方を見てほほえんでいるように思われました。

 「それ罪の払う値は死なり、されど神の賜物は我らの主キリスト・イエスにありて受くる永遠(とこしえ)の生命(いのち)なり」(ロマ書6-23)

 という聖書の言葉が、私の中によみがえって、「ああ、私は永遠の生命なのだ!」

 という喜びが湧いてくるのでした。そして、

 「人もし汝の右の頬を打たば、左をも向けよ。……人もし汝に一里ゆくことを強(し)いなば、共に二里ゆけ」(マタイ伝5-39、41)

 というようなイエス・キリストの言葉もまた、永遠の生命を自覚した者の喜びの言葉として、私の中にひびいてくるのでした。

 はじめて、私の中に無限の希望がわいてきました。それから私は勉強も、家のために働くのも、喜びばかりとなり、希望に燃えて何でも積極的に力いっぱいするようになりました。すべてが、喜びなのでした。

 そして東大入学を心に描きました。

 「東大だ! 東大だ! そうだ! 希望だ! 東大だ!」

 と、毎朝毎晩心に唱え、ノートに書きつけました。

 山口高校3年の3学期に入り、1月下旬のことです。

 ある夜、けたたましい消防車のサイレンと鐘の音が聞こえ、外へ出てみると空が赤く輝いていました。母校が猛火に包まれ焼けているのでした。当時の校舎は木造でしたから、あっという間に全焼してしまいました。そして生徒の成績評価などを記録した書類も全て灰になってしまったのです。

 わたしはその前、成績のことを気にして心が引っかかっていました。それが火事になって全部焼けたとき、思いました。形あるものはみんな夢の如くはかないものだ。点数や他人の評価なんか問題ではない。問題は本当の中味だ。本当に、自分が永遠の魂の世界にどれだけ価値あるものを積んだかということだけが問題なのだ! と。

 「なんじら己(おの)がために財宝(たから)を地に積むな、ここは虫と錆(さび)とが損ない、盗人(ぬすびと)うがちて盗むなり。なんじら己がために財宝(たから)を天に積め、かしこは虫と錆とが損なわず、盗人うがちて盗まぬなり」(マタイ伝6-19~20)

 という聖書の言葉が心に浮かんできました。

 校舎を失った3学期の残る期間、私は動揺することなく、学校を全くあてにせずに、自分のペースで必死に勉強しました。入学試験に受かっても、受からなくても、そんなことはどうでもよい。しかし、「今」自分の生命が伸びる喜びのために、「今」力いっぱい勉強するのだ――と。

 結果は、合格でした。

6. 神経症で成績は逆トツ・・・


<2010. 09. 22>

 さて東大に入学してから、私は神経症のようになり、大学での勉強に打ち込むことができなくなりました。高校2年の春休みのある日突然、私の人生・世界が一変した、あの全身が歓喜にうちふるえた体験――あれは一体何だったのだろう――という思いが強くて、大学での講義などはばかばかしく思われ、他の学生たちと同じように勉強することができなくなってしまったのです。

 高校時代までは経験したことのないホッケー部という運動部に入って寮生活をしながら、哲学・宗教的なもの、クラシック音楽などにのめり込み、またいろいろなアルバイトを体験しましたが、大学で普通に勉強していい成績を取ろうというような気持ちになることはまったく出来ませんでした。

 その結果、高校ではトップクラスだった成績が、東大教養学部では“逆トツ”――逆から数えてトップ、つまりビリのこと――というどん底の不名誉を味わうことにもなりました。

 それで松下幸之助さんとか、事業で成功した人たちの伝記を読み、社会で成功するには学歴や成績なんか関係ない――と、ついに大学に「退学願い」を提出したりしました。退学願いは結局撤回することになるのですが、昭和27年に入学してから8年かかって昭和35年にやっと教育学部を卒業しました。

 そうした中で、高校時代に父が読んでいた『生命の實相』を自分も読んでみたい、という気持ちが高まり、求めて夢中で読みました。また渋谷の山手教会というところで賀川豊彦さん(クリスチャンで社会運動家)の熱弁を聴いたり、一灯園西田天香さんの「懺悔の生活」に傾倒したりもしました。

 結局、「万教帰一(ばんきょうきいつ)」を説く生長の家の教えを究めたいと思い、当時赤坂にあった生長の家本部を訪ね、青年会に入会したのは、昭和28年11月頃のことでした。

 当時は「お山の集い」と称して、渋谷区穏田の谷口雅春先生のお宅で青年会の集まりが行われ、生長の家創始者谷口雅春先生に直接ご指導を受けることが出来ました。私が20歳になったばかりの、学生時代のことです。

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 人間とは、何か。生きていることの意味。無限無窮の宇宙と人間との関係は? 死とは何か・・・・・・。

 そういったことを考え、学んでいくうちに、「人間、肉体は死んでも魂は死なず生き通しである」と信じられるようになって行きます。そして――
 

7. 彼岸会法要とクリスチャンだった祖母を思う

<2010. 09. 23>

 今日はお彼岸の中日。彼岸会の先祖供養法要に、お寺へ行ってきました。

 私の両親・先祖の出は四国愛媛県で、県南の西予市に菩提寺(天台宗松岳寺)があり、そこに先祖代々の墓もあります。しかし東京在住のわが家から愛媛県はちょっと遠くて、たびたび墓参りに行くことは時間的なことや旅費などの点で難しい。それで杉並区の自宅から40分ほどで行ける新宿区の安禅寺という天台宗のお寺に分骨してお墓をつくらせてもらいました。今日はそのお寺での彼岸会法要に参加したのです。

 生長の家は一宗一派ではなく、万教帰一(ばんきょうきいつ)――すべてのよき教えは一つの宇宙大生命から出た救いの放射光線のようなものであり、神髄を極めれば皆一つの真理に帰する。だから祖先が信仰してきた宗派のやり方で先祖供養をすればよい――と教えられています。安禅寺では、法華経の観世音普門品と般若心経を参加者全員が声を出して読む法要が行われ、終わって手作りのご馳走をいただきながら自己紹介をし合う和やかな「おとき」(食事会)が行われています。法悦に満ちた彼岸会法要に参加できて、幸せでした。

 ところで前に書きましたように、祖母・岡カメは熱心なクリスチャンでした。祖母は晩年奈良の聖光会キリスト教会で熱心に活動したので、昭和12年に65歳で亡くなったとき、教会で盛大な葬儀をしてもらい、今も教会の霊廟(納骨室)に祭られています。その後分骨が故郷愛媛県の菩提寺である松岳寺の墓地に納められ、こちらでも「壽法院亀節妙鑑大姉」という法名をいただいて供養されていますが、松岳寺の過去帳には「耶蘇(ヤソ)」と記されていました。

 このようなことについて、衝撃的なことが書かれている本を読みました――。「谷口雅春編著」となっている『人生を支配する先祖供養』という本で、『生命の實相』第28巻の中から抜粋編纂されているところです。

8. 祖先の信仰に光を与える道


<2010. 09. 24>

(昨日のブログのつづきです)
 そこには――「宗旨を変える事によって起る障害」という小見出しで

 「往々精神病者の家族を持っているとか、あるいは変なえたいの知れない病気――小児マヒであるとか、癲癇(てんかん)であるとか、舞踏病であるとか、医者の方でちょっと原因不明な病気を持っておられる方が、その率にしてクリスチャンの方が多いのである。それはキリスト教がわるいのではないが、キリスト教が日本に移入されたのがきわめて近代であるために、祖先の霊魂たちがキリスト教というものを知らない。神道であるとか、仏教であるとかの信仰を持っていて、耶蘇(ヤソ)という名前を聞くだけでも嫌いだというふうな、異教を毛嫌いする霊魂たちが先祖に多い。それで霊界で村八分的になり、置き去りにされたような霊魂が、子孫に救われようと思って子孫に憑(かか)って来ると、医学的には原因不明な病気を現わす」 ――(要約)

 というようなことが書かれているのでした。

 私は前に「いのちの賛美歌」として書きましたように、熱心なクリスチャンだった祖母に導かれてまず父が、そして私が『生命の實相』を読んで「生長の家」の教えに触れることができ、人生が光明に一変し救われてきたと思います。しかし、上記の「宗旨を変える事によって起る障害」ということもあり得ると、思い当たることがあります。私自身、大学に入ってから勉強が手につかなくなり、足が地につかないような感じになって、成績も最低になった……。

 私の高校時代は敗戦後占領下の混乱期にあり、東京などの大都市以外に予備校はなく、受験生は「灰色の受験生活」などと言われていましたが、私の場合は夢と希望に燃えて「バラ色の受験生活」でした。ところが合格してみると、一般の学生とは逆に、一転「灰色の大学生活」になってしまったのです。まともに進学・卒業して普通の就職をしようという気持ちにはなることが出来ず、ひたすら万教帰一の生長の家の真理を究めたいということに突き走る以外はできないようになった。

 このことは、祖母に救われた私が今度は祖母を救うためにも、この「万教帰一」の真理を究めひろめることが、神から課せられた使命であるからだと思われます。

 私の兄弟や子供・孫にも、祖母がクリスチャンだったことの影響が出ているのかも知れないと思われることがあります。前記、カメばかりかわいがって学校へ行きたがらない孫のこと、長男の家のカメがどんどん増え続けて44匹にもなっていることなども、カメおばあちゃんからのメッセージかなと思うこの頃です。

 生長の家総裁谷口雅宣先生のブログ「小閑雑感」で昨日の記事に「親・ご先祖は人生の共同構築者」と書かれていますが、まさにその通りだと思います。そして、『生命の實相』第28巻には

 「(生長の家では)祖先の信奉しておったところの宗教を生かすということによって、まず第一祖先と和解するのであります。祖先と和解し、祖先の信仰と和解し、――ただ和解するだけでなしに、その祖先の信仰に光を与え、生命を与え、祖先を済(すく)い、そうして一家を光明化し自分自身をも済うというのが生長の家であります。」

 とあります。これだ! と、私は今ひたすらこの道に徹し、前進して行こうとしているのです。
 

9. “うまいもん”を世に出したい


<2010. 09. 28>

 9月27日夜、NHKの“クローズアップ現代”で「“うまいもん”を探せ!特産品ハンター」という番組を放送していました。1パック2100円の「鳥取砂丘産らっきょう漬け」、1玉2200円の「岡山の桃」…など、少し高くても地方特産の“うまいもん”が今売れている。それを探し出して市場に出しているのが“特産品ハンター”。消費者は長引くデフレの中、生活費のことを考え少しでも安いもの、安いものをと探し求めていたが、今そうした生活にあきたらなくなり、「節約よりも食事や生活の質の方が大事」少し高くても“うまいもん”を――と、“プチ贅沢”志向が芽生えている。それに応えてハンターたちの活躍で、疲弊が続いてきた地方も息を吹き返している。今までは規格品を大量生産で安く、安くとばかり心がけていたけれど、少量でも、高くても、良質の逸品を供給すれば売れる――と。

 この番組を見ながら思いました。その前日9月26日に、私はある小さな合唱団の練習に見学参加していたのです。それは、「大合唱団のコンサートを聴いて」と題した9月18日のブログで触れている、佐々木基之先生が提唱指導された「分離唱」の方法を受け継ぎ、かつて山梨大学合唱団でリーダーをつとめた澤英俊さんという方が主宰指導している「ハルモニア合唱団」です。これはまさに合唱団の少量良質逸品と言っていいものだと思われました。そこには「珠玉のハーモニー」がありました。団員の方たちは、全身でハモる悦びにひたりながら歌っていました。

 練習が終わってから、リーダーの方たち3人とお話をしました。そのとき、八ヶ岳山麓でハーモニー・コーラスの合宿練習をしていたという話が出ました。「えっ? 八ヶ岳山麓? 山梨県の北杜市では…?」と聞くと、その通り、北杜市大泉町だと言われるのです。「そこは、すべてのものとの大調和(ハーモニー)を説いている生長の家が、自然との大調和共存共栄の道を求め“森の中のオフィス”としてそこへ移転することになっているところですよ」と私は言いました。

 リーダーの澤さんは言いました。「佐々木基之先生は、自然の中に大ハーモニーの喜びがひろがる“合唱村”をつくりたいと夢を語っておられました。北杜市に、合唱村ができるといいですね」と。

 私の中にも、生長の家が八ヶ岳山麓で自然と大調和して共生する喜びの道をひらくとともに、美しい天国に遊ぶような大ハーモニーの合唱村をつくれるといいな――と、夢がひろがりました。

 この記事の最初に紹介しましたNHK“クローズアップ現代”が放送された9月27日夜は、「汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき天地一切のものは汝の味方である……」という生長の家の「大調和の神示」が天降ったとき(昭和6年)でもありました。
 

10. すべてのものは歌っている!!


<2010. 10. 02 >

 「はじめにコトバあり、コトバは神なりき。よろずのものこれによりて成り、これによらで成りたるはなし。これにいのちあり」とイエス・キリストは言いました。「コトバ」とは波動であり、リズムであり、神はよろこびの波動をもってこの宇宙を創造されているので、すべてはいわば音楽のようなものと言えるでしょう。

 「吾々は今や新しき発見をなしつつある、それは一言にして謂(い)えば、われわれの住むこの宇宙の基礎的本質は“物質”ではないのであって、それは音楽である」――これは、谷口雅春先生が、かつての『生長の家』誌昭和50年5月号の法語の中にアメリカのジョーンズ・ホプキンス大学のアンドリューズ教授の言として引用して書かれている言葉です。また、「この宇宙はいわば神の演奏し給う一大交響楽である」とも書かれています。

 「汝の肉体は汝の念弦の弾奏する曲譜である」という神示もあります。人生は音楽である、とも言えるでしょう。

 その音楽を演奏している舞台は、時間・空間という舞台です。肉体には誕生日があり、寿命が尽きて死ぬ日があります。その一生は、一曲の演奏とも言えるでしょう。しかし、一曲は終わっても、弾き手は終わるのではなく、また舞台を変えてさらに進化した音楽を奏でる、ということが永遠につづくのではないでしょうか。私はそれを信じています。


 ところで、私の生まれは昭和8年。天皇陛下と同い年の6月生まれです。小学生時代は愛国教育を受け大戦争を体験し、6年生の時終戦。日本の歴史の中でもめったにない激動の中で中学・高校時代を送りました。連合軍の占領下からなんとか独立を回復する昭和27年に高校を卒業し、大学へ・・・・・。

 そうした中での私の音楽体験を振り返ってみたいと思います。

11. 音楽回想(2)“うたごえ運動”から「指導音楽学校」へ


<2010. 10. 4>

 私の学生時代は“うたごえ運動”というのが盛んでした。それは、日本共産党・民青(民主青年同盟)系の社会運動・政治運動であると同時に音楽運動で、ロシア民謡や反戦歌・労働歌・革命歌を歌い、大規模な創作活動も行っていました。東大駒場(教養学部)でもこれが盛んで、熱気に溢れていました。新宿に「カチューシャ」、「灯(ともしび)」などの「歌声喫茶」ができ、店内は毎日人であふれていました。私も歌が好きなので、これに参加して一緒に歌ってみたこともあります。

 しかしその頃私は同時に『生命の實相』や『理想世界』誌の前身『生長する青年』などを読み、谷口雅春先生の愛国憂国の思いに触れていましたので違和感を覚え、生長の家青年会に入会し、「うたごえ運動」からは遠ざかって行きました。

 あと学生時代の思い出は、「名曲喫茶」通いです。その頃は名曲喫茶といってクラシック音楽のレコードを聴かせる喫茶店がたくさんありましたが、特に、渋谷の道玄坂にある「ライオン」という、壁に埋め込まれた巨大なスピーカーから音楽が流れ、1階と2階で楽しめる名曲喫茶によく通いました。その頃はみんな貧乏でしたから個人でクラシックのレコードや再生装置は高くて買うことができず、喫茶店の音響設備でクラシック音楽にひたっていたのです。「ライオン」は今でも昔のままあるそうなので、また行ってみたいと思いながら忙しくてなかなか行けないのが実情です。

 その後、明本京静(あけもと きょうせい、1905~1972年)先生が主宰される民族派の歌声運動ともいうべき「明るい歌で明るい社会を」という社会音楽運動に飛び込むことになります。

 明本京静先生は戦前東京大学工学部を中退して近衛秀麿に師事し、新交響楽団(NHK交響楽団の前身)でベートーベン「第九」のテナー独唱者となった方。「父よあなたは強かった」「あゝ紅の血は燃ゆる」などの戦時歌謡作曲もされた。戦後は「ラジオ歌謡」の第1作「花の曙」第2作「風はそよかぜ」や、「武田節」などのヒット曲を作曲。そして財団法人「日本文化協会」を組織し、働く人たちが夜間に通って学ぶ「指導音楽学校」を開校。歌声サークルや合唱団などのリーダーを養成していました。私は日本教文社(出版社)に昭和39年4月から50年4月一杯まで11年と1ヵ月勤務しましたが、その間この「指導音楽学校」に通い、むずかしいコールユーブンゲンや、ベルカント発声法、歌唱指導・指揮法などを一所懸命に学びました。日本文化協会ではまた、「日本文化合唱団」を作り、毎月1回日比谷公会堂で「みんなでうたう音楽会」を開催し、多くの老若男女が参加していました。

 日本文化協会、指導音楽学校のスローガンには

 「美しい希望のうたごえを高らかにうたい、一億の大合唱の先頭に立ちましょう」

 「職場で、家庭で明るい合唱を起こし、祖国復興のオーケストラをかなでましょう」

 「学んで得たことをおしみなく人に与え及ぼして、自己の知識技能を周囲とともに推し進めていく勉強の仕方を「指導音楽的まなび方」といい、その人を“指導音楽人”と呼ぶ。」

 「“指導音楽”それは生活の力! 発しては無限のエネルギーとなり、閉じては歩一歩の微笑人を養う。若人よ、眉をあげ、指導音楽の庭に歌わん」

 とありました。「伝道者」としての使命感にもえて一所懸命に音楽運動をやっているという感じでした。

 日本教文社時代にはまた、トンボ・アコーディオン教室というのに通ってアコーディオンを習い、昼休み時間に会社の屋上でミニ「みんなで歌う音楽会」をしたりしていました。また、「フィルハーモニー合唱団」というのに入ってベートーヴェンの第九を東響と共演、上野の文化会館で大合唱をしたりもしました――。

 しかし後に、そうした学びを超えた、「天上の音楽」「天使の音楽」ともいうべきものに触れることになるのです。それが、佐々木基之先生ご指導の「分離唱」によるコーラスだったのです――。
 

12. “われらの時代”


<2010. 10. 31>

 私が生まれたのは昭和8年で、天皇陛下と同い年です。今年、77歳の喜寿を迎えました。東京生まれですが、軍人だった父の勤務地の関係で、高校は山口県の山口高校を出ました。

 私たちは山口高校の58期生(旧制山口中学時代から数えて)で、しかも卒業後ちょうど58周年になります。その記念の年に、私は同期会の幹事をすることになりました。

 私はビデオ編集を趣味としていますので、まもなく11月16日に東京は中野サンプラザで開く同期会(64人が集まる予定です)で、オープニングにビデオを作成して上映しようと、記念映像「われらの時代」というのを作りました。

 そのビデオのナレーションは次のようなものです。

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 77年、夢の如し。「われらの時代」は、戦争と平和の大激動の時代であった。長い日本の歴史の中でも、最も壮絶な時代であったかも知れない。吹き荒れる時代の嵐の中を駆け抜けて、山高卒業以来58年。いま喜寿を迎えるわれら、激動の過ぎ来し方をふり返ると……

 日本が国際的に孤立し戦争へ、戦争へと突っ走っていた不安な闇の時代に、大きな喜びの光、皇太子殿下(現天皇陛下)ご誕生。その昭和8年、現天皇と時代を同じうし同学年生としてわれらは誕生した。その頃日本は軍国主義、全体主義の嵐吹き荒れ、満州事変・支那事変から「大東亜戦争」へと突入する(昭和16年、この年われら8歳、小学2年生であった)。小学校は「国民学校」となり、われらは「少国民」として神国日本の愛国教育を受け育った。

 日本軍の真珠湾攻撃で開戦、初戦の勝利に湧いたがたちまち形勢は逆転し苦戦の中、戦争一色となり、大都市は焦土と化し広島・長崎には原爆が投下される。ついに「万世のために太平を開かんと欲す」という昭和天皇の玉音放送が流され、日本は降伏した(昭和20年、この年われらは12歳、小学6年生であった)。

 わが国は連合軍の占領下に置かれ、国民は食糧不足で飢餓に瀕していた。そのような中で、GHQの命により、歴史と地理の教育は禁止され、愛国教育の教科書には墨を塗らされた。“民主主義”が謳歌され、天皇の人間宣言、新憲法、学制改革(六三制、男女共学)……山高が男女共学になったのは昭和25年、われら高2のときであった。
 しかし世界は米ソ(西東)両陣営の対立が鮮明となり、日本は西側の一員として強化が期待されるようになる。昭和25年6月朝鮮戦争勃発、特需景気がわいた。

 昭和26年サンフランシスコ講和条約・日米安保条約が締結され、翌27年に発効。そうして日本がまがりなりにも独立を回復した節目の時代に、われらは山高を卒業したのだった。

 その年昭和27年4月血のメーデー事件など、国内は左右の激突、流血混乱の時代がつづくが、日本は大きく経済成長を遂げて行った。

 昭和34年4月、皇太子さまご成婚(この年われらは26歳であった)。

 昭和35年、日米安保反対勢力が国会に乱入、国は革命前夜のように大揺れに揺れた。

 昭和39年10月、東京オリンピック開催(この年われら31歳)。日本は経済大国、先進国への道をひた走る。

 昭和48年(1973年)、オイルショック。高度経済成長は終わり、低成長の時代に入る(この頃われら40歳)。

 昭和天皇崩御。64年に及んだ昭和の時代は終わり、平成の時代へと移る。

 東西の二極対立は、平成元年(1989年)にベルリンの壁が崩壊し冷戦の時代は終結、多極化の時代が始まった(この年われら55歳)。

 その間経済は好況・不況の大波小波をくり返し、大変動を経て、低成長からデフレの時代に入った。

 しかしふり返って昭和20年の敗戦の時あるいは昭和27年の山高卒業の時からみれば、まさに信じられない夢のような豊かな社会が実現している。平均寿命は飛躍的に伸び、少子高齢化社会・情報社会となった。しかし地球環境の危機が叫ばれている。

 いろいろなことがあったのう……われらの時代はまさに波瀾万丈の時代であった。その77年も夢の如し。いま喜寿を迎えるわれら。心豊かに生を全うし、死ぬときは笑うて死のうやないか!

 「同期の桜」を、肩を組んでうたわんか……

 「貴様と俺とは同期の桜 同じ山高の庭に咲く……」

 しかし、まだあと20年は日野原重明さんや森光子さんのように元気でがんばれるぞ!

 フレー、フレー、山高! ……

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 私はこれからまだ20年は生きて、映画(のようなもの)を作りたいという夢を描いています。その矢先、東京国際映画祭で今日、98歳の新藤兼人監督の作品「一枚のハガキ」というのが、準グランプリに当る「審査員特別賞」を受賞したというニュースが伝わりました。大いに勇気づけられ、私もそれにあやかりたいと思います。

 さて、私は日本経済新聞の10月20日夕刊に、脚本家の橋田壽賀子さんが「足るを知る おしんの心」というタイトルでエッセーを寄稿していたのを読みました。かつて1983~84年に朝ドラで平均視聴率52%以上と大ヒットした「おしん」。あのドラマを通して橋田さんが伝えたかったメッセージは、「日本人はこれ以上、経済的に豊かにならなくてもいいのではないか」「身の丈にあった幸せを考えよう」ということだった。そのメッセージはすぐには伝わらなかったが、今、聞こえてくるのは不況だ、就職難だ、デフレだと不幸の大合唱。先の見えない不況にあえぐ今、ようやくそのメッセージが見直されつつある。よく考えてみれば、日本はもう十分に豊かです……と。

 それで、「おしんの遺言」という本を出されたというので、それを買って読み始めました。これは、「おしん」にちなんだ「芯」「真」「辛」など12の文字に、自分の生き方を重ねてみた、として書かれていますが、その中に「揺るぎない芯を持っていますか?」という章があります。日本人は戦後、芯のないローソクのようにどろどろと溶けてしまって、輝くことができなくなっているのではないか――それで今、元気をなくしてしまった。「芯」は「心棒」にも通じる。人間としての揺るぎない心棒を、しっかりと持たなければ、生きていくことは、これからさらに難しい時代になると思う。「芯」を取り戻そう、ということですが、私はこの「芯」は生長の家で説く実相であり神だ!と思います。
 

13. 今、始めよう!


<2010. 12. 10>

 前回10月31日に“われらの時代”というのを書いてからあっという間に1ヵ月あまりが過ぎ、師走も中旬に入ろうとしています。その間、前の記事に書いた山口高校同期会(私が幹事として精力を投入しました)も、盛会裡に終了しました。

 前記山口高校58期(昭和27年卒業)で東京近郊に住む同期生の会は、「椹野(ふしの)会」と名付けています。それは、故郷山口の町を流れる椹野川――四季おりおりに岸辺の景色を変え人の心をなごませ、ここに育った人々の郷愁をかりたてるに十分な情緒をたたえた川の名前に由来しており、山口高校の校歌にも、2番の歌詞で

「椹野(ふしの)川 澄みし流れの 永遠(とわ)なれや 韻(ひびき)もあらた…(中略)…いのち明るく この日々の あゆみ愛(お)しまむ」
 とあります。

 今回の同期会には、この校歌の作詞者であり恩師の清川妙先生(89歳で、作家として今も活躍中)を、ゲストとしてお招きしました。私は「椹野会ニュース」という新聞をつくり、報告記事の中で次のように書いています。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 われら山口高校58期生、卒業58周年で喜寿を迎えるこの年、去る11月16日に東京は中野サンプラザで記念すべき椹野会総会を開催。山高校歌の作詞者でもある恩師の清川妙先生をお迎えし、はるばる山口・九州・関西からも多くの友が駆けつけ、63名という近年にない多数の参加となり、盛会裡に終了した。

 清川先生は「皆さん、喜寿おめでとうございます」とご挨拶された。笑い声がわき起こる。先生は89歳、来年は卒寿を迎えられるお年ながら、教え子たちに負けない若々しさでにこやかに語られる。先生のお話――

 『主治医の先生にこの前お話を伺ったとき、紙に「紀寿」と書かれました。それは百歳(世紀)を祝う寿として最近よく使われるようになった語だそうで、「あなたも元気で紀寿を迎えて下さいね」と言われました。「あと10年あります」というと「大丈夫、今のままで10年はすぐ経ちますよ」と言われたのでした。

 さて、校歌のお話。これは私が28か9の時の作ですが、万葉集そのままの雰囲気で作っています。「この日々のあゆみ愛(お)しまむ」という詞がありますね。日々のあゆみをいとおしみましょう、と28か9のとき考えたことを、今も考えています。40代、50代、60代・・・と言いますが、年に階段があるわけではなく、あるのは「日々」なんです。「今」なんです。だから、瞬間瞬間を一所懸命ていねいに生きよう、と思ったんです。

 皆さんの集まりは、とてもいい集まりだなあと思います。それは「運命の出会い」だけでなく、つながりを保つ努力がたくさんあったからでしょう。最期まで自分を大事に一所懸命、日々をいとしみながら生きてまいりましょう』――と。

 ……またお会いできる日を楽しみに、皆様の貴い日々がいっそう充実してお幸せでありますように。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 清川妙先生のことは、雑誌『いきいき』の2011年1月号にも載っており(p.67)、先生がある講座で語られた「若々しく生きる」コツの6箇条として

・好奇心をもって調べる。
・アクションを起こす。
・小さいことでも喜ぶ。
・手紙を書く。
・若い人・知らない人ともお付き合いする。
・面倒くさいことをする。

ということが載っていました。

 また、同誌には、いま99歳で来年は紀寿(百歳)を迎えられる日野原重明先生の「生きかた上手」という記事が毎号連載されており、今回はその第127回目で、

「いよいよ2011年、……私は、新しい年がくるのを、これまでと同じ1年がまた巡ってくると考えるのではなく、“いままで巡った軌道から脱出し、第2のロケットに飛び乗る”というイメージにしていただきたいと思っています。

 これまでと同じ行動を繰り返していてはマンネリの1年になってしまいますから、2011年は2010年まで巡ってきた軌道から飛び出して、別の生きかたをする、変身する、という気持ちをぜひもってください。」

 と書かれていました。

 この「変身する」というのは、今まで「自分」と思っていた自分はもう無いのだ、無かったのだ! 空っぽなのだ! 本当の自分は宇宙に遍満する大実在であり、すべてが自分なのだ! と自分を置き換えてしまって、常にそれを忘れずに生きること、行動することだと、私は考えます。日野原先生はまた、

 「独楽(こま)は、ぐるぐると回っているうちは傾いていてもきちんと軌道をつくりますが、ゆっくりと回るようになると倒れてしまうでしょう。それと同じで、年をとったからとペースダウンするのではなく、独楽を連想して、勢いよく行動する1年にしましょう」

 とも言われています。そうだ! そうしよう!

 「来年のこを言うと鬼が笑う」と言われます。ある人が「来年は○○するぞ」と言ったところ、人間の寿命を司っている鬼はその人の寿命が今年中に尽きるのを知って、「こいつは今年中に死ぬとも知らず、来年のことを言っている」と笑った……という話です。前記日野原先生の文章が載っているのは1月号ですから、すでに2011年になっている前提で「2011年は……」とおっしゃっているのです。来年になったら……ではなく、今からそれを始めましょう。

14. “無我”こそわが理想


<2010. 12. 13>

 東京六大学野球の優勝決定戦で慶応大を下し優勝した早稲田大の斎藤佑樹君が11月3日夜、優勝祝賀会でインタビューの最後に言った言葉――

 「最後に一つだけ、言わして下さい。本当に、いろんな人から、“斎藤は何か持ってる”と言われ続けてきました。それは、今日、何を持っているのかなあ、と―― 確信しました。

 それは仲間です。ここまでチャンスをつないでくれた仲間がいて、応援してくれた仲間がいて、そして慶応大学というすばらしいライバルがいて、ここまで成長できたと思います。ありがとうございました。」

 ――この言葉には私も感動しました。これでまた齋藤株が高騰……ですね。

 ――それは、彼が“自分”を超えている、無我になっているからだと私は思います。

 「……それは、仲間です」と彼は言いました。

 ところで「人間関係」とか「連帯」「コミュニケーション」といった言葉がよく使われますが、これは戦前の日本では聞かれなかった言葉で、個人主義をベースにした欧米の心理学・社会学がどっと入り込んできてから使われるようになった言葉だと思います。東洋思想や日本古来のものの考え方では、人間は本来個々ばらばらなものとは考えず、個人個人は本来「無」であり「全体一つ」のものが先にある、自他は本来一体のものである、と思ってきたのではないでしょうか。仏教語には「相即相入」という言葉もあります。「私の中にあなたがあり、あなたの中に私がある。あなたと私とは分かちがたく一体である」ということでしょう。

 橋田壽賀子さんは『おしんの遺言』で、

 “日本人は戦後、芯のないローソクのようにどろどろと溶けてしまって、輝くことができなくなっているのではないか――それで今、元気をなくしてしまった。「芯」は「心棒」にも通じる。人間としての揺るぎない心棒を、しっかりと持たなければ、生きていくことは、これからさらに難しい時代になると思う。「芯」を取り戻そう――”

 というように書かれており、私は

 “この「芯」は生長の家で説く実相であり神だ!と思います。” 

 と前に(10月31日)書きました。

 「芯」というのは、いわゆる“強い自我”ではなく、自我を超えたもの、「無我」こそ、永遠に輝く本物ではないかと思うのです。ローソクの芯も、固い金属の芯なんかじゃだめ。熔けた蝋を通す柔らかい芯でないと燃えず、輝きません。

 谷口雅春先生著『叡智の断片』には、次のように書かれていました。

 『道は絶対である。絶対には対立がない。道に乗って生きるとは絶対無我の生活になり切ることである。一切の対立がなくなることである。一切の対立がなくなるから一切に和解し、一切を敬(とうと)び、一切が清まり、一切が寂(じゃく)である。これが茶道の清寂であり、そのまま清まる日本の道である。対立する争いをもって生活するが如きは、日本の道ではなかったのである。道は「寂」であり、動くものなくして動いており、その動くや必ず万物を生かすのである。対立のなき動きは全機であり、無にして一切であり、○(ゼロ)であるから一切と調和するのである。それを大和の道と云う。構(かま)える心がないから、事を構えず、事を構えないから事が起らないのである。構えることがなければそのままとなり、其のままは実相であり、実相は善ばかりであるから善きことのみが現われる。「私」のはからいがないから、全体の動きとピッタリと「一」である。全機である、全即一であり、一即全である。

 本常に明るいと云うのは、全然対立がない「無」になり、無構えになって、天地と一つにとけ合って「寂」となることによって自然に得られる明るさでなければならない。真の明るさは構えた明るさではない。そのまま天地の明るさがあらわれたとき、真に明るくなり、立ち対(むか)うところが悉く明るくなる。』


 と。

 このことを忘れず、常にこのように生きたい、というのが私の理想、願いです。

15. “行き詰まり”はない


<2010. 12. 14>

 日本は、65年前の1945年、それまでの軍国主義日本が行き詰まり、敗戦・降伏の憂き目に会いました。しかし、その後の日本は不死鳥のごとく立ち上がり、技術先進国、経済大国として大飛躍を遂げました。

 その日本が今、これまでの行き方では“行き詰まり”が見えてきたようで、ちょっと元気をなくしていると言われます。

 しかし、日野原重明先生が『いきいき』2011年1月号でおっしゃっているように、“いままで巡った軌道から脱出し、第2のロケットに飛び乗る”というイメージで別の生きかたをする、変身することによって、日本はまた大飛躍を遂げることができると信じます。

 それは、前記(12月13日のブログ)「無我」の道、「絶対」の道に乗ることによって可能なのだ、と思います。それは、日本本来の道であり、同時に最も新しい道でもあるのだ――と思うのです。大和魂(やまとだましい)というのは本来、己れを無にし、自我を死にきって他国とも対立しない平和の精神、「絶対的」立場に立つ精神である、その大和魂を復活させて生きることだと信じます。それが本当に生命を尊ぶ道なのだ。イエス・キリストが「己れのいのちを捨てるものがかえって命を得るのだ」と言っている通りです。

 「四方(よも)の海みな同胞(はらから)」と歌われた明治天皇。そのお歌を引用して、戦争に突入することを憂え反対のご意志を表明された昭和天皇……そして「自分の身はどうなっても、万世のために太平を開く」と終戦の決断を下され、「一切の責任は自分にある。国民に罪はないから国民を飢餓から救ってほしい」とマッカーサーに申し出られた。そのような天皇のご恩徳によって、今の日本がある。だから日本人はこの国のために一旦緩急あれば文字通り命を捨てることも惜しまなかった。

 その、自我を滅した「本来一つ」の美しい本来の日本の道を明らかにし、その道を生ききるとき、永遠に行き詰まりはない。

 「今までの軌道から脱出して第2のロケットに飛び乗る」というのは、唯物的な成長の道、対立の道ではなく、それを超えた本来の日本の道、絶対の道に則った飛躍でなければならない――と思います。

 今こそまさに、その大飛躍のとき。魂が飛躍して生長する大チャンスです。
 

16. 新しい年の 新しい夢


<2011. 01. 05>

 今年の私の年賀状には、昨年末このブログに書いたことを踏まえ、次のように書きました。

 「謹賀新年

 “新しい年は、今まで巡った軌道から脱出し、第2のロケットに飛び乗るというイメージで変身しましょう”と、いま99歳、今年のお誕生日で100歳を迎えられる日野原重明先生が、「いきいき」という雑誌でおっしゃっています。昨年元気で喜寿を迎えることができた私も、これからです。

 新しい年が、一転、感謝と祝福に満ちた良い年となりますように。

  平成23年元旦」

 その「第2のロケット」は、今までの自分を超え、「すべてが自分である」という新しい軌道で飛びたいと願っております。

 そして去年よりももっと生き生きと、清川妙先生がおっしゃっている「小さいことでも喜ぶ」「面倒くさいことをする」を実行したいと思います。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 年末に、『やすらぎ通信 2010年冬季号』(ユーキャン出版事業部発行)というのを読みました。こころ豊かで健康な長寿時代を生きるための指針となる「特別紙上講話」等が特集されており、その一つに、外山滋比古先生(お茶の水大学名誉教授、87歳)は次のようにおっしゃっています。

 ○よく人生はマラソンにたとえられます。たとえば定年をマラソンの折り返し地点と考えてみてはいかがでしょう。折り返し地点を無視して、そのまま先に進んでも、ゴールは遠ざかるばかりです。ランナーは、これまで進んできた方向とは逆の方向に走り出さなければなりません。人生も同じだと思います。

 ○人生九十年時代を前向きに生きるための、「人生の二毛作」というライフスタイルを提案したい。同じ田畑で、一年のうちに異なる作物を栽培することを二毛作という。同じ作物をつくるのは二期作。つまり、定年後もそれまでと同じような生活をするのは、二期作的な人生。でも、それだけではつまらない。定年後二、三十年の時間があれば、これまでとはまったく違う、もう一つの人生を味わうことができる。それが二毛作的な生き方です。

 と。また、山折哲雄先生(国際日本文化研究センター元所長、79歳)は、インドに伝わる「四住(しじゅう)期」という人生観を紹介されています。四住期とはインド人が理想とする生き方で、人生を四つの段階に分け、その第一番目は「学生(がくしょう)期」(師匠の下で学び、禁欲的な生活を送る期間)。第二番目は「家住(かじゅう)期」(文字通り家に住む段階。職業に就き、結婚して子供をつくる時期)。第三段階が「林住(りんじゅう)期」(子供が大きくなり経済的にも安定したら、一時的に家を出て、それまでできなかったことを自由にする。たとえば仏跡を訪ねる旅をしたり、森に入って瞑想をする時期。心身ともにリフレッシュしたら、また家族のもとに戻る)。第四段階が「遊行(ゆぎょう)期」(ここまで進む人はまれ。遊行とは、悩める人々の魂を救いながら旅をすること。たとえばお釈迦さまのような生き方)。定年を迎え「家住期」を終えたら「林住期」「遊行期」に移るべきだということでしょう。そして「林住期」について、

 ○大切なのは、これまでの自分とは違った生き方をする覚悟です。毎日がただ過ぎていくような、むなしい人生はいけません。長寿時代を豊かに暮らすためには、新しいことに一歩踏み出すための勇気が必要だと思います。

 ○これからの林住期は人生の総仕上げをする段階と捉え、「死への準備=自分の始末」を考えてみてはいかがでしょうか。人間は誰でも、いつかは死を迎えなければなりません。「自分の始末」とは、死としっかり向き合って、心の準備をし、身のまわりの品々を整理することです。そして、本当に大切な物だけに囲まれ、心豊かに過ごしていく。これこそが、これからの時代の林住期のあり方だと考えます。

 とおっしゃっています。12月下旬、NHKで「クラスター・コンサルタント」やました ひでこ さんの「断捨離(だんしゃり)」――“「片付け」で人生が変わる”というのを紹介していたのを見て、私はその本も買いました。そして、少しずつ実行を始めています……。

 私はこれから、こころ豊かな「林住期」から「遊行期」を生きて行きたいと思います。

 新しい年は、新しい夢に満ちてスタートしました。

17. 「自然との共生」はウソか?(1)


<2011. 01. 07>

 私の長男(49歳)は東京大学教養学部で人文地理学を専攻、現在つくば研究学園都市の森林総合研究所(独立行政法人)に研究員として勤務し、日本と世界の森林経営・環境問題の調査研究などに取り組んでいます。そして最初の孫(長男の長男、18歳)は、京都府立北桑田高校 森林リサーチ科(環境教育の先端を行きテレビでたびたび取材放映されている)に学び、同校から推薦で筑波大学 生命環境学群 生物資源学類というのに合格しました。彼は面接試験で志望の理由をきかれ、「日本の森林再生に人生をかけたいから」と答えたといいます。

 つくば市に住む長男の住まいの本棚には、哲学・思想・宗教関係や自然科学・森林問題に関する国内外の本などがいろいろ並んでいますが、その中でちょっと私の注意を引いたものに『「自然との共生」というウソ』(高橋敬一著、祥伝社新書)という本がありました。生長の家はこれから、「自然との共生」への道を拓くために、国際本部を山梨県・八ヶ岳南麓の森の中へ移転させることになっているので、これは見過ごすことのできない本だと思い、私も買って読みました。

 この本の著者・高橋敬一氏は1956年東京生まれの54歳、東京農工大卒の農学博士。農林水産省に入省し草地試験場、国際農林水産業研究センター沖縄支所勤務等を経て、2000年に退職後2年間パラオ共和国にボランティアとして滞在・・・などの履歴を持つ人。この本の説は、現在いろいろなメディアで声高に叫ばれている「自然との共生」「地球温暖化防止」「生物多様性の保護」などの論議を根底から見直させるようなところがあり、ちょっと考えさせられました。そして生長の家総裁谷口雅宣先生・白鳩会総裁谷口純子先生共著の『“森の中”へ行く』を改めて読み返し、この問題についての考察を深めました――。

18. 「自然との共生」はウソか?(2)


<2011. 01. 08>

 『「自然との共生」というウソ』(高橋敬一著、祥伝社新書)という本には、猛反発を感じることや、分かりにくい論点もあり、すんなりとは読めませんでしたが、結局こういうことかな、と私がある程度つかんだことを書いてみましょう。

 以下、『 』で囲った中は高橋敬一氏の説。

 “――”につづく字句は、私が感じた思いです。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 『人間はその遺伝子の奴隷である。私たちを含むあらゆる生物の個体は自らの子ども、正確にいえば私たちが持つ遺伝子を残すために作られた道具にすぎず、生き残りに長けた遺伝子の歴史こそが生物の歴史なのだ。そして遺伝子から見れば、一つひとつの生物個体はその内部にたくさんの遺伝子という乗客を乗せた巨大な乗合いバスのようなものであり、この乗合いバスが取る行動は、それが乗せている遺伝子たちを少しでも多く残すための利己的な行動の連続なのである。』

 『これこそが生命の本質だ。個体はそれが属する種や、個体群(組織)や、あるいは環境のために、利他的な自己犠牲をしようなどとは微塵も思ってはいない。はなはだしい利己的な性格の絶え間ない選択こそ、生物進化の実態なのだ。一見して利他的と見える行動も、よく観察すると遺伝子レベルでの利己的な側面が必ず存在している。』

 『人間はいま、この利己的という性質のために大きな問題に直面している。人間の数があまりにも増えすぎて、本来の利己性を追求できるほどの資源や空間がもはや地球上に残っていないということだ。これほどまでに人口が増えてしまったのは生物としてはあきらかな大失敗である。』

 『人間は大きな失敗を犯した。繁殖に成功したら死を恐れるスイッチを切る手順が進化する前に、あるいはまた繁殖を終えたら死にたくなるようなスイッチが進化する前に、恐るべき人口爆発を起こし、長寿命化まで達成してしまったのだ。』

 『すべての生物種は、自らが生き延び、繁殖するための様々な生存戦略を持っているが、人間という種の生存戦略は、「環境の改変」。それが今日の人間の繁栄をもたらした最大の原因である。ところが人間が行なうこの環境改変によって、毎年毎年、一万種あまりもの生物種がニッチ(住居)を失い、地球上から消え続けている。』

 『人間が手を引く(住むことをやめる)ことによって一度失われたニッチが回復してくる例はきわめて多い。足尾銅山の鉱毒を埋めた渡良瀬遊水地には、人間が住まなくなって100年近くが経過したいま、人間の住んでいる汚染のない地域よりもはるかに多くの希少な野生生物種が育っている。ビキニ環礁やチェルノブイリでは核汚染で“死の地帯”となり人間が住まなくなったところが今、信じがたいほどの多種多様な生物のすみかとなっている。』

 ――えっ?! 自然保護のためには、人間はいないことが一番よいというのか?! 繁殖を終えた年寄りは早く死んだ方がよいというのか?!

(つづく)

19. 「自然との共生」はウソか?(3)


<2011. 01. 10>

 『「自然との共生」というウソ』(高橋敬一著、祥伝社新書)より――

 『生物は全知ではない。常に今という瞬間において、ありとあらゆる手段を使って自分と自分の遺伝子の保身のみに邁進する生き物なのだ。そして人間という種も、結局はそうした生物種の一種にすぎないのである。』

 『現在も進行しつつある人為的な環境改変は、人間社会の存続に大きな脅威となっているが、私はそうした環境の変化をもはや食い止めることはできないと思っている。なぜなら今日の環境悪化を引き起こし、人間を滅ぼそうとしているものの真の正体、それは人間の本能そのものだからだ。』

 『地球温暖化こそが現在の最大の環境問題であるかのように言われているが、忘れてはならないのは、いま地球環境に最も深刻なダメージを与えているのは温暖化よりもなによりも天文学的な数値で増え続けている人口であり、長寿命化であり、留まることのない経済発展への渇望であるということだ。そのいずれもが人間の基本的本能の表われである。』

 『人間は今から約20万年前に誕生した。そして人間の本能も、人口密度がいまよりもはるかに低かったころの状況を前提として成立している。その前提とは「人間にとっての資源と空間と時間の無限性」である。そして現在、その前提のいずれもが破綻している。現在の状況からみれば、人間の本能ははなはだしく旧式なものになり果てている。それにもかかわらず本能は、いまだに20万年前と同じ命令を出し続けている。本当に人間を救いたいのなら、私たちは私たち自身の本能を変えるしかない。しかしそのとき、私たちは人間でなくなってしまうだろう。』
 『変わることができないのなら、たとえ人間でも滅びるしかない。そしてそれこそすべての生物が受け入れてきた宿命である。』

 『自分の死を常に真正面に見つめて生きるかどうかで、個人の生き方は大きく変わってくる。人間は死に方を定めることによって、初めて生き方を定めることができるのだ。同様に、人間という種も自らの死に方を定めることによって初めて、自らの生き方を定めることができるようになる。人間が、人間という種の死を見つめて生きることがもし可能となるならば、私たちの社会のあり方もまた、近い将来、大きく変わっていく可能性はあるだろう。』

 『唯一有効な解決手段があるとすればそれは人間の本能を変えることだ。留まることなく環境を改変し、子どもを作り、金を儲け、他人を押しのけても自分だけは生き残ろうとし、憎しみから復讐をし、誰かを差別することによって自分を支え、自分が関心のあるものしか重要だと思わず、できれば永遠に生きたいと願い、常に不安におびえている、私たち人間の本能を変えるのだ。』

 『しかし本能を変えるということは、人間が人間ではない別の生物になることを意味している。もちろんそれは体の構造の変化も伴うことだろう。』

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ――前回7日のブログに書きましたように、この『「自然との共生」というウソ』(高橋敬一著、祥伝社新書)という本には、猛反発を感じることや、(著者の考えが整理されていないと思われる)分かりにくい論点もあり、すんなりとは読めませんでしたが、結局こういうところがポイントかな、と思うと、面白い――というと語弊があるかも知れませんが、考えさせられるところがありました。

 結局、「人間は、今までの人間でない、別種のものになるほか、救われようがない」ということ。

 肉体人間は高橋敬一氏が言われるように遺伝子の奴隷で、ありとあらゆる手段を使って自分と自分の遺伝子の保身のみに邁進する利己的な生き物である、ということを私は否定できないと思います。私自身、かつて生長の家本部講師として働き、「あなたは己れを捨てて人の幸福のために尽くす仕事をしていて素晴らしいね」と学生時代の同期生に言われたとき、「本当に自分は利己心を滅してただ利他の行に邁進していただろうか。組織の中で目に見える成果を上げ賞賛される名誉欲、競争心、利己心でやっているようなところがあったのではないか」と、慚愧にたえない思いがしたことがあります。

 高橋敬一氏は、「人間は、今までの人間でない、別種のものにならなければ滅びるしかない」と言われる。そんなことを言っても、肉体人間が急に遺伝子を書き換えて別種のものになることなどできない。しかし、人間の本質は、肉体ではないのだ! 

 私もかつて、高校2年生の終わり頃まで、人間とは肉体である、目に見えるものだけが信じられるものであって、目に見えない神とか仏とかを信じる人というのは少し頭の足りない人だろう、あるいはもう棺桶に片足つっこみかけたような年寄りが、「死んでも命がありますように」と、おぼれる者が藁をもつかむような気持ちで祈るなんて、「死んだら命はないに決まっているのに、ばかばかしい」ぐらいに思って、信仰心を持つ人を軽蔑するような思いをもっていました。しかし、その自分は体が弱く病気がちで、劣等感と罪の意識から「死にたい」と思い、死にかけた。そうしたある日突然、「人間の本質は肉体ではない、肉体を超えた永遠の生命である!」と、天地がひっくり返るような霊的体験をしたことは、前に<2010.09.21>「孫とカメたち―いのちの賛美歌」と題してちょっと書いた通りです。

 そして人生マラソンの折り返し地点に来たと思ういま、「新しい年は今まで巡った軌道から脱出し第2のロケットに飛び乗るというイメージで変身」し、肉体を超えた生き方に徹して生きたい。今までの自我を超え「すべてが自分である」という霊的自我に飛び乗って、すべてを祝福し生かすような生き方をしたいと考えて来た、これだ! との思いを新たにしました。

 そうだ! 人間は、今までの人間でない、別種のものにならなければ滅びるしかないのだ! 肉体人間から、霊的人間に生まれ変わらなければ、人類は滅びるしかない。――そういう瀬戸際に来ているのだ、と覚悟を新たにしました。
 

20. 物質は本来ナイ、心の影である。「霊主物従」ということ


<2011. 01. 11>

 さて、「肉体人間」から「霊的人間」に生まれ変わる、というのはどういうことでしょうか。

 この世界は法則が支配しています。現象界の形あるもの、目に見えるものはすべて、「原因があって結果がある」という法則の「結果」であります。

 建物でも、着物でも、絵画でも、あるいは航空機でもコンピューターでも、人間が作ったもの・作品は、まず人間の心に描かれた設計、デザインの「結果」である。「心」が先(原因)で、「形」はあと(結果)ですね。

 では、梅の花、桜の花、チューリップの花、鳥や魚・・・などをデザインした者はだれか。デザインした者がいなくて、偶然に美しい姿の極楽鳥や色とりどりの熱帯魚などが生まれるでしょうか。

 すべての生物の細胞核には、その生物の設計図ともいうべき情報が遺伝子DNAに記されている、それを発見し解読してきた科学者は偉いと言う。しかし、その遺伝情報、設計図を書いた者はもっと偉いと言わなければならない。それは人間の知恵をはるかに超えた偉大なる者で、筑波大学名誉教授の村上和雄先生は、それを“サムシング・グレイト”(Something Great)とでも言わざるを得ないとおっしゃっています。宇宙生成の第一原因者である「心」、神の存在を考えないわけにはいかない。

 「霊」というのは広い意味での「心」「精神」「生命」です。さきの『「自然との共生」というウソ』の著者 高橋敬一氏が「心は遺伝子の乗り物である肉体に属している。人間の心は遺伝子の操り人形にすぎない」と言われる、肉体に属する心のことではありません。遺伝子をもつくり、肉体を支配している心です。その「霊」が先で、物質なる肉体はその影(投影)ともいうべきもの。本来無いものだ。「色即是空(しきそくぜくう)・空即是色(くうそくぜしき)」です。イエス・キリストが十字架にかかったというのも、「肉体本来無し」ということの象徴で、「色即是空」の仏の教えと同じことを示されたのである。もっと言えば、時間・空間という生命表現の場を創り出したのも「心」(第一原因者である本源の心=神の心)である。

 その第一原因者である神は、この世界をつくりそこなったか。今、人類が戦争や不況や地球環境問題で不安におののく状況にあるのは、神が世界をつくりそこなったからか。

 否、神は作り損ないをしていない。

 旧約聖書の創世記に、「神、その造り給いしすべてのものを見給いけるに甚だ善かりき」とあるとおり、またお釈迦さんも「山川草木国土悉皆成仏、有情非情同時成道」と悟られた通り、今ここに円満完全大調和の天国、極楽浄土がある。しかしそれは肉眼には見えない。全生命(魂)で直観把握しなければならない。

 現象(肉眼で見える世界)に不完全、不調和が現れて見えるのは、本来無い物質や肉体をアルと錯覚して、利己心で物質や肉体に執着した人間の心の迷いの結果であり、本来ナイものである。

 物質本来無し、肉体本来無し。今まで「自分」と思っていた自分は本来なかったのだ。ただ生かされていた生命だったのだ――と知り、執着を放つと、自由自在な心境になり、本来の素直な「そのままの心」――「自分の中にすべてがある。一切が自分である」という大きな自覚が湧く。それが、「肉体人間」から「霊的人間」に生まれ変わるということである。そうしてすべてを愛してやまない心になって行動すれば、喜びばかりの天国極楽浄土がこの世に実現する。神は全知全能であり、人間は神の生命の具体的表現であるから、不可能はない。

 ――これが、谷口雅春先生の説かれた生長の家の「生命の実相哲学」であり、私が共鳴共感して常に実践しようと努めているところなのです。

21. 「わくわくさせるストーリー」を持って


<2011. 01. 12>

 “よい戦略とはわくわくさせるストーリー”とメモをつけて、私は昨年12月27日の日本経済新聞「春秋」欄を切り抜き保存していました。そのコラムは、

“よい戦略とは、わくわくさせるストーリーであるべきだと楠木さん。自分たちの仕事が、どう世のため人のために役立つか。リーダーの語る物語を社員も共有できるなら、仮に仕事が大変でも「明るい疲れ」になるはず、と。間もなく仕事納め。年明けにトップが語る「今年の戦略」は、聞く人をわくわくさせるだろうか。”

 と結んでありました。

 ネットで検索してみたら、“戦略の神髄は 思わず人に話したくなるような面白いストーリーにある”という、楠木建(一橋大学教授)著『ストーリーとしての競争戦略』という本が、500頁におよぶ重い本で3千円ちかい値段なのに、飛ぶように売れているという。それで私も、図書券をたくさんもらったので使わせてもらい、買ってきました。「静止画から動画へ」という章見出しが目についたことも、動画編集の好きな私を揺さぶった要因でした。まだ読み始めですが、これは読ませる本です。

 読み始めながら、考えています。いま人類は深刻な地球環境問題に直面し、温暖化の防止や生物多様性を守るために、CO2の削減や自然との共生の道を懸命に探り、実行しようとしています。生長の家はその面で宗教団体のトップランナーとして、本部事務所を東京・原宿から山梨県北杜市・八ヶ岳南麓の森の中へ移転させ、「自然と共生する社会実現」の道を切り拓こうと、背水の陣を布いて進軍を始めました。もう、あともどりはできません。

 谷口雅宣 生長の家総裁は、純子夫人との共著『“森の中”へ行く』の中で、『私たちが森の中にオフィスを構えるのは、大海に石を投げるようなものかもしれません。でも、人間は愚かではありませんから、その“音”を聞いて、「自分も石を投げよう」と思う人もいる。そういう人の数が増えてくれば、“島”を造ることができるかもしれない。自然との一体感を重視する動きが、大きく広がっていくといいですね。』とおっしゃっています。

 時あたかも、日本全国各地の児童福祉施設などに、匿名で――一世を風靡したプロレス漫画「タイガーマスク」の主人公「伊達直人」の名前などで、ランドセルや文房具などを贈る人が続出してニュースになり、話題になって広がっています。それは最初元日の夜、小田原の児童相談所が入居する建物の前に、「お年玉です 伊達直人」との添え書きがついて6つのランドセルが置いてあったのがメディアで報じられてから、連鎖反応のように全国すべての都道府県にまでひろがり、何百人もの“タイガーマスク”が現れたということです。

 1月11日の日本経済新聞「春秋」欄でもこの動きを取り上げ、「そういえばワタミの渡辺美樹会長が昨年、テレビで語っていた。貧しかった少年のころ、この漫画の主人公が逆境からはい上がる姿に勇気づけられ、後に自らカンボジアで児童養護施設を設立した、と。原作者の梶原一騎も、絵を担当した辻なおきも、亡くなって久しいが、今なお人々の心を揺さぶり続けている。」と書かれていました。

 生長の家の“森の中のオフィス”は、すでに建物などハード面での設計は進んで、まもなく地鎮祭が行われるそうですが、中味のソフト面――そこへ行く職員をはじめ私たち信徒みんなが、「わくわくするストーリー」を共有できるかどうかが、成否の鍵を握ると思います。“よい戦略とは、わくわくさせるストーリーであるべきだと楠木さん。自分たちの仕事が、どう世のため人のために役立つか。リーダーの語る物語を社員も共有できるなら、仮に仕事が大変でも「明るい疲れ」になるはず”と、日経のコラムに書かれてあったことが、ここにも当てはまると思うのです。

 わくわくしながら、そのストーリーを創り上げて行きましょう。それは、人間の頭脳知でつくるのではない。内なる無限智にまします神の声を聴くことによって、自然法爾にわきあがってくるものだと思います。このブログも、そのようにして出来上がってきました。

 今、すでにわが内に神の国があって、そこには「わくわくするストーリー」があり、大ハーモニーの喜びあふれる交響楽が鳴りひびいています。私たちは自我の心を空しくし、ひたすら霊の耳をもってそのストーリーを聴き、ハーモニーに同調すればよいのだ、と思います。

 「われは聴く わが内なる声を
 “われ常に汝(なれ)をまもれば、
 われ常に汝(な)を導けば、
 何時(いつ)のとき何処(いずち)にあるも、
 汝(な)は完(ま)たく清くけがれず、
 行く道に迷うことなし。……”」

   (聖歌「堅信歌」2番の歌詞より)

と、内なる神はおっしゃっているのです。

22. 「貢献心は人間の本能である」?

<2011. 01. 14>

 昨日、1月13日の日経夕刊のコラム「あすへの話題」欄に、“趣味は「人間を考える」”と題してぐるなび会長 滝久雄さんのエッセイが載っていました。滝さんは学生時代から、「人間とは何か」を考えることを趣味にしようと決めた。そしていろいろな仮説を立ててみたが、思いつきの仮説は浜辺で砂城をつくっては波に崩されるように次々に崩れて行くことの繰り返しだった。

 しかし、社会に出て2年目、人が持つ使命感について考えているときに築いた「貢献心は人間の本能である」という仮説は、それまでの仮説と違って、10年、20年と過ぎても崩れず立ち続けている。趣味は一歩前進し、哲学の道にいる友人と議論を重ねること数年、1冊の本も出版できた。「貢献心に基づく行為は義務というよりもむしろ権利」という考えは、脳科学の研究者にも受け入れられている、という。

 ということは、「人間を含むあらゆる生物の個体は自らの遺伝子(子ども)を残すために作られた道具にすぎず、個体はそれが属する種や、個体群(組織)や、あるいは環境のために、利他的な自己犠牲をしようなどとは微塵も思ってはいない。一見して利他的と見える行動も、よく観察すると遺伝子レベルでの利己的な側面が必ず存在している」という高橋敬一氏(『「自然との共生」というウソ』の著者)の説はウソである、ということになりますね。

 私は早速、滝さんの著書『貢献する気持ち-ホモ・コントリビューエンス』を読んでみようと、注文しました。
 

23. 「地球交響曲
(ガイアシンフォニー)第7番」を観て

<2011. 01. 15>

 昨夜、龍村仁(たつむら・じん)監督作品のドキュメンタリー映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第7番」を、恵比寿の東京写真美術館ホールへ、観に行きました。

 ――“地球(ガイア)の声が、きこえますか。

 映画『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』とは、イギリスの生物物理学者ジェームズ・ラブロック博士の唱えるガイア理論、「地球はそれ自体がひとつの生命体である」という考え方に基づき、龍村仁監督によって制作されたオムニバスのドキュメンタリー映画シリーズです。 美しい映像と音楽、珠玉のことばの数々によって織り成されるドキュメンタリー映画『地球交響曲』は、環境問題や人間の精神性に深い関心を寄せる人たちのバイブル的存在となっており、1992年公開の「地球交響曲第一番」から2006年公開の「第六番」まで、草の根の自主上映を中心とした上映活動だけで、これまでに5600回以上上映され、延べ220万人に上る観客を動員、その数は今なおとどまることなく、かつてないロングランヒット作となっています。”

 ――といわれている映画『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』は、「地球は生命体である。すべてのものが音楽のように響き合っている」という考え方に基づいた作品で、私も感動しこれまでに第1番から第6番まで全部見ました。DVDも全部買って持っています。

 私は自分でもこのような作品をつくりたいという願いを持っています。すべてのよき宗教の教えは一つの宇宙大生命から出た救いの放射光線のようなものであり、神髄を極めれば皆一つの真理に帰する。そのことをメインテーマとし、いろいろな宗教宗派が、きれいなハーモニーで交響楽を合奏するように、他宗他教をそしらず尊敬し合って仲よく調和した世界――それが神の創り給うた本当の世界、生長の家でいう「実相世界」である。それを映像化したい。タイトルには、谷口雅春先生の書かれた本にあった「万教一つに合奏す」という言葉を、サブタイトルとしてでも入れたい。――というような願いを持っているのです。

 さて、昨年『地球交響曲』第7番が完成したことは聞いていましたが、忙しくてなかなか見に行けませんでした。昨夜、恵比寿でのロードショーの最後だというので、思いきって見に行ったのでした。

 この第7番は、「全ての生命が潔(いさぎよ)く健やかに 生き続けるために」というのがメインテーマで、3人の出演者が登場します。印象に残ったことを書きとめますと――

 最初に登場するのが高野孝子さんという女性冒険家・環境教育家(エジンバラ大学教育学博士)。彼女は1995年に男3人・女3人の国際混成チームでロシアからカナダまでの北極海を渡る世界で初めて無動力(スキー・犬ぞり・カヌー)の極点横断に成功。2009年夏には英国学校探検協会からの要請で青少年50人を連れての遠征(グリーンランドの奥地の氷河の中で40日間過ごす)をした。「今の時代だからこそ、あえてこうしたことをしなきゃいけないと思う。どうしてかと言うと、“人”となるため。それは、生まれてきてよかった! という、何とも言えない、体中や全身の細胞が全部喜ぶような感覚を与えてくれるから」

という。そして

 「今地元新潟県で行っている子ども達のための雪中キャンプで、指導原則は“怒らない・指示しない・世話をやかない”ということ。何があっても怒りません。叱ることはありますが、それは“怒る”という感情的なものとは違う。怒らない・指示しない・世話をやかない。その結果、子どもがどうなるかというと、失敗をする。でもそれを“ああ、よく失敗したね”と言って見守ります。必ずその後彼らは一回りも二回りも大きくなって、自信というか、何かを掴みます。その輝き方は本当に素敵です」

 「自宅裏の田んぼを借りて伝統農法による米づくりをしています。手間も時間もかかりますが、農作業を機械でしてしまったら見えないものがたくさんあります。無数のおたまじゃくしや、私が来るたびにいる蛙。そういうものに出会えるたび、機械を田んぼに入れられなくなりますね。私達の命を支えるものの中に、たくさんの生き物が関わっているということがこの田んぼの宇宙の中でよく分かります。苗も生き物です。私が育てているというより、むしろ生き物が育ててくれているのだと思います。」

 ともいう。スローライフ、「自然との共生」にヒントとなる言葉だと思いました。

               *

 2番目に登場するのは、グレッグ・レモン(Greg LeMond)という元自転車レース世界チャンピオン(米国人)。「ツール・ド・フランス」(標高3000mを越えるヨーロッパアルプスの山岳地帯から平野まで4000キロの道のりを20数日間に渡って駆け抜け、パリ・凱旋門のゴールをめざす自転車レース。世界のあらゆるスポーツの中で最も過酷な競技と言われている)でグレッグは1986年、ヨーロッバ出身の選手以外で史上はじめてチャンピオンとなる。しかしその翌1987年春、人気も実力も絶頂期にあったレモンは不慮の事故で全身に散弾銃を浴び、瀕死の重傷を負う。再起不能と言われる中、1989年、全身に37発もの鉛の銃弾を残したまま復帰、再びチャンピオンになった。この日の奇跡のようなレモンの走りは、今も「ツール・ド・フランス」の語り草になっている――。

 そのグレッグ・レモンが、日本の精神文化や伝統工芸の技術に深い興味を抱き、次男と2人で2009年5月に日本の山岳地帯の聖地をめぐる自転車ツアーを計画して来日。その時語った言葉――

 「私はあの事故後、考え方が変わりました。若い頃は、どんな困難も自分の力で乗り越えられると信じ、実際にそう生きてきました。でも、撃たれた後に“どんなにベストを尽くしても負けることがある。敗北を受け入れて先に進まなければならない”ということを学んだのです。敗北を受け入れることは辛いことです。しかし、成功ばかり求め続けると、不幸の悪循環に陥っていきます。真の幸せは物や名誉から生まれるものではなく、自分の心の中から生まれるものなのです」。

 「日本人の精神生活、とりわけ神道の背後にある自然観や生命観に興味を持ったのです。唯一人の神を信じる西洋文明の世界では、日本の神道のような“すべての自然現象の中に神が宿る”という考え方はなかなか理解されません。しかしこの考え方は古いようで実は最新科学の気付きと似ているのです。私は、すべての存在は生きていると思います。」

 「サイクリングは、いつも私に新しい人生の扉を開いてくれます。自転車は、目的地に着くのに十分速く、まわりのすべてを見るのに十分遅いものです。空飛ぶ鷲のように疾走しながら、足はしっかりと地上にあります。自転車に乗っていると、不思議なくらいものが見えるようになってくるのです。音や匂いにどんどん敏感になり、心が開いて透明になります。脳の働きがとても良くなり、直観力が冴え渡ってきて第六感が働くのです。」

       *

 サイクリングについての、このグレッグ・レモンの言葉には、またうれしくなりました。「自然との共生」はウソか?(1)<2011. 01. 07>でちょっと触れました私の最初の孫(京都府立北桑田高校 森林リサーチ科に学び、推薦で筑波大学 生命環境学群 生物資源学類に入学決定)は、高校生活3年の間、自転車部に属して猛訓練、サイクルロードレースでもがんばり、インターハイや国体にも出場しています。それで49歳の父親(私の長男)と15歳の弟もロードレーサーの自転車でトレーニングし、それぞれの部(中学生の部・40歳台の部)の競技大会に出場、自転車一家となりました。長男(49歳)は毎日約30分かけて自転車通勤もしています。自転車は電気自動車よりも、地球環境のためだけでなく人の心身の健康増進のためにもよろしいようです。

 生長の家が八ヶ岳山麓の森の中へ移転したら、職員の皆さんにも自転車がおすすめツールではないかと、思いました。

 (つづく)

24. 「地球交響曲
(ガイアシンフォニー)第7番」を観て(2)


<2011. 01. 16>

 映画『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第7番』で、3番目・真打ちの登場者は、アンドルー・ワイル(Andrew Weil)博士。ハーバード大学卒、現アリゾナ大学統合医学プログラム理事です。世界各地の伝統医療と西洋近代医学を統合する「統合医療」の世界的第一人者。「人はなぜ治るのか」「癒す心、治る力」(邦訳は日本教文社刊)など、世界的ベストセラーの著者です。生命の「自然治癒力」という考え方は、彼の実践と研究に依って世界的に広まってきました。

 ワイル博士は言います。

 「自発的治癒力とは、自らの力で病気を癒し健康を取り戻す力のことです。これは自然が与えてくれたものであり、すべての生き物、動物や植物、そして私達人間の中にもあります。ところが、多くの人々は自分にそのような力が備わっているとは思っていない。病気になれば必ず外からの助けが必要だと思い込んでいる。これは、現代医学の大きな欠点の一つです。」

 「具体的に説明してみましょう。ある人が重症の細菌性肺炎にかかり、病院で抗生物質の注射を受けました。そして24時間後に危機的状況を脱します。すると、誰もが“抗生物質が肺炎を治した”と考えてしまいます。でも、本当は次のように理解すべきなのです。

 病原菌の数が圧倒的に多い時には、自分の免疫力が十分に働くことができません。そこで、抗生物質が病原菌の数をあるレベルまで減らします。すると免疫力、すなわち自発的治癒力が活性化し、最終的に病気を治すのです。誰もが持っているこの治癒力は、いつも体の中にあり、活性化する時を待っているのです。」

 「今の私達は、自然が持つ偉大な治癒力についてあまりにも無知です。その力に気付き、それを活かす道を選べば、私達は今よりはるかに健康に生きることができるはずです。」

 ――このようなことは、谷口雅春先生が『生命の實相』の中で80年も前から説き続けてこられたことですね。

 「私は、宇宙には必ず何らかの“知性”があると考えています。すべての存在は生きていると思います。私を生かしてくれているのと同じ生命エネルギーを、岩や山も持っています。ですから、地球そのものが大きな生命体であるという考え方は、とても有効です。」

 ――これも、谷口先生が『生命の謎』(新選谷口雅春選集18)などで昔から説いてこられたことです。

 「今、多くの人が毎日のように気候変動や極地の氷が溶けるなどのいやなニュースを聞かされ、いったい自分には何ができるのかと思い悩んでいます。しかし、私達の日々の営みのすべては、意識する・しないに関わらず、地球環境に大きな影響を与えています。私達一人ひとりがほんの少し生き方を変えるだけで、その影響は必ず地球環境に現れます。また、他の人の考え方にも影響を与えます。」

 「だからこそ、今、地球規模の意識変革が求められているのです。私達一人ひとりが、自分の場、自分のやり方で一歩踏み出すことによってのみ、地球規模の変革が起こるのだと思います。」

 ――それを、生長の家では率先して今、やろうとしている、いや、やっているのですね。

 この映画『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』は、生長の家信徒であると否とにかかわらず、多くの人に見て頂きたい映画だと思います。
 

25. コメントに感謝


<2011. 01. 17>

 昨年9月に、すすめられてこのブログを書き始めてから4ヵ月と10日ほどになりましたが、その間、多くの方からありがたい励ましのコメントなどをいただきました。それに対して御礼も申し上げていない方々に、失礼をお詫びし、深く感謝申し上げます。ありがとうございます。

 ところで、中には実名を明かさないで一方的に無責任なコメントを寄こされた方も、僅かですが、ありました。コメントは、実名でいただければお答えしたり、交流もできると思うのですが、残念です。

 一昨日のブログ記事“「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第7番」を観て”に匿名のコメントが来ていました。
「北杜市の建設予定地は確か急勾配のある山腹~自転車は難しいのでは? つくばのような関東平野にある場所ではありませんからね~」と。

 これは、つくば市に住む私の長男が毎日片道約30分かけて自転車通勤をしているということと、「生長の家が八ヶ岳山麓の森の中へ移転したら、職員の皆さんにも自転車がおすすめツールではないかと、思いました」と書いたことへの反論でしょう。

 それについて、私が昨年現地へ(バスで)見学に行ったときの感じでは、勾配はたいしたことはないと思いました。長男一家は自転車が好きですから、筑波山に自転車で、すごい急勾配の道を幾度も、楽しんで登っています。私はいま77歳で、坂道を長距離行くのは体力的に無理でしょうが、その場合は、電動アシスト自転車というのも出来ていますから、それを使えば大丈夫でしょう――と思いました。

 私も自転車は好きで、いわゆる“ママチャリ”ですが、ほとんど毎日少しは乗っています。誌友会(生長の家の月刊誌を購読している“誌友”たちが集まっての勉強会)へ話しに行くときでも、1時間以内のところへは、自転車で行くことが多いのです。5kmほど離れたところに住んでいる次女の所(孫が2人いる)への行き来は、坂道もありますが、もっぱら自転車です。今日は、少し遠くの郵便局まで自転車で行ってきました。近くにも小さい郵便局があるのですが、そこは窓口の前が狭く、だいたいいつも混んでいて、ATMなどは行列待ちが多い。それで、空いている遠くの局まで、走るのを楽しんで行くのです。今日は東京の空は晴れて、きれいでした。
 

26. 「生長の家の歌」謹解 序


<2011. 01. 31>

 昨年9月19日のブログに書きましたように、今、3月6日開催の生長の家講習会で演奏発表する聖歌隊の練習にも励んでいますが、聖歌を歌うときは、私たち人間を通して神様がお歌いになるのだ、と思って歌います。だから私たちは空っぽになって、神様のパイプになって歌うのだ、と。するとうれしく楽しく、感動と共に歌えます。

 生長の家の聖歌の一つに、「生長の家の歌」というのがあります。この歌詞は生長の家創始者谷口雅春先生の作詞で、1番から4番まであり、

 1番は「基教(キリスト教)讃歌」
 2番は「仏教讃歌」
 3番は「古事記讃歌」
 4番は「万教帰一(ばんきょうきいつ)讃歌」

と題がつけられています。歌詞の中には、どこにも「生長の家」という名称が入っていません。ただただキリストの教えを讃え、仏(釈迦)の教えを賛美し、「古事記」に記された日本の神の道を尊びほめ讃え、そして4番で「それらすべての教えの真髄は一つ――“今、あなたの中に天国浄土がある”ということだ」と歌いあげるのです。

 私がこの聖歌の意味を深く謹解させていただきたいと思ったのは、昨年9月21日から24日まで4回にわたって書きました、クリスチャンだった祖母の岡カメおよび仏教徒だったすべての先祖の霊(みたま)に感謝し、「万教帰一」の真理を深く供養したいためであります。

 私の求道上の大恩ある盟友――5年半前に昇天し今は“冥友”となった――榎本恵吾兄(生長の家元本部講師)の、かつての講話録メモが出てきました。こう書いてあります――。

       ☆

 “わが家始まって以来、私ほど先祖によろこばれている者はいない。”ということを、よろこびましょう。谷口先生の教えに触れるということは、そういうこと。わが家の先祖はみな神(仏)であるといって拝むほど先祖にとってうれしいことはないっでしょう。神(仏)として拝めるのが生長の家の教えじゃないですか。先祖供養だって、光がやっている、真(まこと)がやっているということ。真になるためにやっているんじゃない。いつでも神がここにいてくれている、神がやってくれているというのが「真(誠)がやっている」ということ。

 誠をもって光明化運動をやりたかったら、「今、神様が無条件にここにいて、神様がやってくれている」ということでなくては・・・・・・本当の徳は、神ということなんです。神がここにいるということなんですね。・・・・・・

       ☆

 こう熱烈説法してくれた盟友(冥友)榎本恵吾兄に感謝しつつ、これから数回(あるいはそれ以上)にわたって“「生長の家の歌」謹解”を書き続けさせていただきたいと思います。
 

27. 「生長の家の歌」謹解(1)


<2011. 02. 01>

  『生長の家の歌

   (1)基教讃歌

  あまつくに いまここにあり
  我(われ)ちちの みもとにゆけば
  なんじらの うちにきたると
  十字架に かかりしイエスは
  のたまいぬ
  あわれ世のひと 十字架は
  にくたいなしの しるしなり
  此の肉体を クロスして
  我(われ)神の子と さとりなば
  久遠(くおん)にいのちかがやかん
  久遠にいのちかがやかん』

 以上が、谷口雅春先生作詞・聖歌「生長の家の歌」1番の歌詞であります。これには「基教(キリスト教)讃歌」と題がつけられています。

 最初の行の「あまつくに」の「あま」は「天」という字を当てることができ、[あ]らわれて[ま]るい[天]の国すなわち「天国」あるいは「神の国」と言ってもよいのですが、天国は空のかなた、宇宙のかなたの遠いところにあるのではなく、「今ここにある」。イエス・キリストは「神の国はいつ来るのか」という問いに対して、「見える有様で来るのではない、また「ここにあり」 「かしこにあり」というものではない。「視(み)よ、神の国は汝らの中(うち)にあるなり」(ルカ伝17-21)とおっしゃっているのです。

 「我父のみもとにゆけば」の「父」とは、イエスが「汝らの父は一人、すなわち天に在(いま)す者なり」(マタイ伝23-9)と言った天の父すなわち「神」であります。このとき「汝[ら]の父」と言っていて、すべての人間はただ一人の父を持つ兄弟、同胞<はらから>(同じ腹<神>から生まれたもの)であるのです。

 イエス・キリストは十字架に架かっても神の御許(みもと)に行くので、また汝ら-あなたたちの中(うち)に復活するのだ。「視(み)よ、我は世の終りまで常に汝らと偕(とも)に在るなり」(マタイ伝28-20)とおっしゃっているのです。

 「あわれ世のひと」の「あわれ」は「ああ!」という感嘆詞。
 「十字架は にくたいなしの しるしなり」――イエスが十字架に架かったのは、「肉体本来なし」ということの象徴である。肉体の自分というものは影のようなもので、現象世界に生まれてきて死んで行く肉体というものは、本来ナイのだ! 本当にアルものは、「我と父とは一つなり」(ヨハネ伝10-30)という「永遠のいのち」だけなのだ! ということを教えているのが本当のキリストの教えだということです。

 そのことを本当に知り、自覚すれば――「此の肉体を クロスして 我(われ)神の子と さとりなば 久遠(くおん)にいのちかがやかん」です。

 ――イエスは、祈るとき「天にいます我[ら]の父よ。・・・」と祈れ(マタイ伝6-9)とおっしゃっています。共通の「父」を持つ私たちは、イエス・キリストと等しく「神の子」なのです。「神は光にして少しの暗き所なし」(ヨハネ第1書1-5)ですから、それを自覚すれば、永遠にいのちは光り輝くしかないのです!

 クリスチャンだった祖母、カメおばあさん。ありがとうございます。ありがとうございます。おばあさんの御いのちは、イエス・キリスト様の御いのちと一つでいらっしゃいます。あなたはイエス・キリスト様と同じく、肉体をクロスして十字架につけて、久遠にいのち輝いていらっしゃる永遠のキリスト、神そのものでいらっしゃいます。その永遠に光り輝く尊い御いのちを拝ませていただきます。私もまた、その尊いおばあさまの御いのちを受けつがせていただいて、光り輝く神の子なのでした! うれしいです! ありがたいです! 涙があふれてまいります。ありがとうございます。ありがとうございます。・・・・・・
 

28. 「生長の家の歌」謹解(2)


<2011. 02. 01>

 谷口雅春先生作詞・聖歌「生長の家の歌」1番<「基教(キリスト教)讃歌」>の歌詞謹解を書かせて頂きましたら、ある女子青年のすばらしい体験談を思い出しました。婦人向け月刊誌『白鳩』の平成6年2月号に、私の「信仰随想」として掲載されたもので、当時生長の家茨城教区で行っていた「中学生練成会」の指導奉仕に来て語られた、Y子さん(当時茨城大学生)の体験談を、私がまとめて紹介した記事がありましたので、ご披露します。

           *

 Y子さんが中学三年生のときでした。ある日、学校の自分の靴箱の中に、誰が入れたのか、『理想世界ジュニア版』が入っていました。パラパラと開いてみると、「人間は神の子である。あなたは神の子である」と書いてある。その言葉に、ビックリしました。

 Y子さんは、クリスチャンの家庭で育ったお母さまの影響で、聖書を読んだりキリスト教会に行ったりしていましたから、宗教的なものには抵抗はありませんでした。しかし、神様は自分から遠く隔たった高いところにいらっしゃるもので、「神の子」はイエス・キリストだけだと思っていましたから、自分が神の子だなどというのはとんでもない、おそれ多いことで、申し訳ないという気がしたのです。Y子さんは、あわててその『理想世界ジュニア版』を隣の靴箱に入れて、逃げ帰りました。

 しかし、やっぱり、「人間は神の子」という言葉は、Y子さんの心の底にこびりついていました。

 やがて弟さんが病気になったのがきっかけで、お母さんのK子さんが近所の生長の家の人に相談して、生長の家の本を読むようになられてから、Y子さんも少しずつ生長の家の本を読むようになりました。そのとき、一番うれしかったのは、「病気はない」という教えでした。Y子さん自身、体が弱くて、足のけがのために小学校を転校したこともありましたので、「神様の創造された世界は完全なんだ。神様は病気をお作りにならないから、病気は本来ない、自分は神の子だから本当は強いんだ」と教えられたときは、すごくうれしかった――。

 Y子さんは、それまでは「神様、こうしてください」「私はいたらないので、もっと素晴らしい子にしてください」と嘆願するようなお祈りをしていましたが、だんだん生長の家で教えられた祈りの仕方――「神様、すでに善なるもの、完全なるものをお与えくださいましてありがとうございます」と感謝する祈りをするようになりました。そして「自分は神の子だから健康なんだ、強いんだ」と感謝していたら、その通りになってきました。

          ○

 Y子さんは、小さい頃、バレエに憧れていたのに、自分は太っているから駄目とあきらめていたのです。しかし、「自分は神の子」と思ったら、「踊りたい」という夢は自分のいのちの奥底からわいてくる願いであって、「できる」という思いが湧いてきました。そして、高校二年生の時から社交ダンスを習い始めました。はじめは両親や弟さんと“楽しみ”で踊っていたのですが、だんだん練習を積み、男性のリーダーと組んでダンスの競技会に出るようにまでなりました。

 平成元年、Y子さんが大学の学部二年生の時のことです。横浜で「関東社会人ダンス大会」というのが行われることになり、Y子さんもリーダー(ペアで踊る競技ダンスでは男性をリーダーと呼び、女性はパートナーと呼ばれる)と組んで出場することになりました。

 その日――Y子さんはリーダーの方の運転する車で、早朝五時前に勝田を出発し、常磐高速道路を通って横浜に向かいました。やがて首都高速湾岸線に入り、東京湾のベイブリッジにさしかかったとき、ちょうど海の向こうから太陽がさし昇ってくるのに出会いました。日の出です。東京湾のさざ波に、太陽の光がキラキラと輝いて、太陽と自分との間に光の橋が架ったようになりました。そして、太陽と自分が一つになってしまったのです。

 「ああ! 太陽が自分で、自分が太陽、自分の中に太陽があり、太陽の中に自分がある」

 と実感し、車を止めてしばし恍惚感に浸って、我を忘れていたのでした。

 やっと我に返って、競技会の会場に向かいました。

 会場には、Y子さんが以前からあこがれていたような競技ダンスの先輩の名手たちが、たくさん集まっていました。Y子さんはそんなとき、以前ならば、自分にはとてもこのような立派な方たちにはかなわないと思い、萎縮してしまうのでしたが、この日はちがいました。「こんな有名な上手な方たちと一緒に踊れるなんて、何という自分は幸せ者だろうか」と、ただうれしくてなりませんでした。そして、自分が踊るのではない、あの太陽と一つのいのち、宇宙のいのちが、自分の中にあって、宇宙のいのち、神のいのちが踊るのだ、と思えるのでした。ただうれしくて、文字通り“手の舞い足の踏むところを知らず”、我を忘れて踊っていました。そうしたら次々に予選を通過して、最後の決勝戦まで残っていたのです。

          ○

 「そうして、その結果は、どうだったと思いますか?」

 と、Y子さんは、夏の中学生練成会のとき、体験を語りながら、後輩の中学生たちに問いかけました。

 「……もしかして……一等?」

 と、一人の中学生が言いました。

 「そう! そうなんです! 優勝! 一等になっちゃったんです!」

 Y子さんは、今でもそれは夢のようです、と感に堪えぬように言うのでした。
 

29. 「堅信歌」について 改めて思う


<2011. 02. 11>

「生長の家の歌」の謹解をさせていただいている途中ですが、前にも書きました「堅信歌」の歌詞について、あらためて思うことをちょっと書かせていただきます。

 「堅信歌」1番の歌詞は、

  われは聴くわが内なる声を
  “みひかりを常にもとめて
  わが御手(みて)をしかと握れよ
  安らなれすべて善ければ
  とこしえに此処極楽に
  なれは今まもられてあり。・・・(後略)”

 というのでした。

 この「内なる声」というのは、わが内にまします神の声である、と前に書きました。「内にまします」というのは、体の中にというような限定されたところに在(いま)すのではなく、すでにわがいのちの中に在す、わがいのちは神のいのちそのものなので、外に求めることはないということ。その内なる御声が“みひかりを常にもとめて わが御手(みて)をしかと握れよ”とおっしゃっているのですが、その“みひかり”も、わが内にあるのであって、外に求める必要はないのである。わがいのちが、本来神のみひかりそのものなんです。自分が神の御光(みひかり)そのものなのだ! と自覚せよというのが、「わが御手をしかと握れよ」ということだ――と、思います。御光は尊い光であり、美光(みひかり)――美しくかがやく光りでもあります。人間はみんな、本来美しくかがやく神の御光そのものであります。ありがたいことです。

 さて、「わが御手(みて)」というような言い方は、普通はしませんね。自分の手なら、謙遜して「私の不器用な手」などというものですが、自分の手であっても自分の手ではない、神の御手だから尊いみ手であります。

 神はすべてのすべてであり、神の外にあるものなく、神は「絶対」で神に対立するものは何もないのですから、「自分」という神に向き合う対立者は、本来ナイ。神のみが実在であります。「自分」というものがあるとすれば、それは神のいのち、神そのものであります。神は完全でありますから、すべての人間も本来完全円満であります。美しく輝く光り、み光そのものであります。だから「安らなれすべて善ければ」なのであります。

 “なれ(汝、あなた)は今まもられてあり”というのは、その絶対にして完全円満なる者だけが実在であるから、心配することはいらない。悪しき病いも死も不調和も本来無く、幻のように現れて消えて行くすがたであるから安心しなさい、という意味です。

 ここでキリスト教的に「神」を人格神のように書かれているのは方便であって、もっと哲学的あるいは仏教的に言えばそういうことだ――と、谷口雅春先生は「新版 真理」第7巻でお説きくださっています。

 まもなく3月6日(日)に有楽町駅前の「東京国際フォーラム」で開催される生長の家講習会で、この「堅信歌」を合唱するために、明日も聖歌隊員が集まって練習しますが、この練習の時から、「聖歌を歌うのは自分が歌うのではない、神様がお歌いになるのだ、み光がお歌いになるのだ」として、喜びと感動をもって歌い上げたいと思います。
 

30. 「生長の家の歌」謹解(3)


<2011. 02. 20>

「生長の家の歌」の2番、「仏教讃歌」の謹解に入る前に、ちょっと横道にそれた話をさせていただきます。

 15日、池袋の「自由学園明日館講堂」で開かれた「いきいき歌声サロン」(バリトン歌手の平林龍氏歌唱指導、参加者約180人)に私も参加しました。そのときみんなで歌った歌の一つに「翼をください」がありました。

 「いま私の願いごとが
  かなうならば 翼がほしい
  この背中に 鳥のように
  白い翼 つけて下さい
  この大空に 翼をひろげ
  飛んで行きたいよ
  悲しみのない 自由な空へ
  翼はためかせ 行きたい」

 ……というこの歌(山上路夫作詞・村井邦彦作曲)は、合唱曲としてひろく歌われ、学校の教科書にも載っているという歌。

 この歌詞について、<一見、「自由」「空」「翼」などの明るく耳触りの良い言葉を使って希望を歌っているように見えるけど、これって実は、現実に対する絶望や厭世観、果ては自殺願望を歌った曲なのでは?>などという感想もあるようですが……

 私は、とてもよい歌だと思います。大好きな歌です。だから、うれしくて力いっぱい歌いました。
 この歌詞のような願いは、誰でも心の奥底に持っている願いなのではないでしょうか。
 そして、その願いは、現実に文字通り鳥のような翼を持つことは叶わないけれども、私は「叶う願い」だと思うのです。叶わない願いならば、悲しい歌ということになるかも知れませんが――。

 現実の世界は、生(しょう)・老・病・死の四苦、それに愛別離苦(愛する者と別れなければならない苦しみ)・怨憎会苦(おんぞうえく=うらみにくむ者と会わなければならない苦しみ)・求不得苦(ぐふとくく=求めて得られない苦しみ)・五陰盛苦(ごおんじょうく=煩悩を押さえられない苦しみ)の四つを加えた八苦の娑婆である。釈迦はその苦娑婆から解脱した自由な世界を求めて出家し、ついに悟りを開いた。それは、悲しみのない自由な空へ、翼をはためかせて飛んだようなものだったのではないでしょうか。

     *

 聖歌「生長の家の歌」(谷口雅春先生作詞)2番の歌詞には、「仏教讃歌」と題がついています。

   (2)仏教讃歌

  衆生(しゅじょう)劫(こう)つきて
  この世の 焼くときも
  天人みつる 我が浄土 安穏なりと
  釈迦牟尼(しゃかむに)の 宣(の)りたまいしは
  現象の この世かわるも
  実相の 浄土はつねに
  今ここに 久遠(くおん)ほろびず
  燦々(さんさん)と まんだらげ降り 童子舞う
  光輝く世界なり
  光輝く世界なり

 これは、釈迦の教説のうち最勝最第一の大乗経典といわれる『妙法蓮華経(法華経)』「如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第十六」の「自我偈(じがげ)」にある文言をふまえて書かれている詞です。

 この歌詞の詩句の謹解に入る前に、「大乗」と「小乗」ということについて、谷口雅春先生著『真理』第7巻第7章などから学び、考えてみたいと思います。

 「大乗」・「小乗」というのは、「大きい乗り物」・「小さい乗り物」。乗り物というのは、彼岸(実相極楽浄土)に渡すための如来の願船、宇宙船。これに乗って実相浄土の悟りの境地に達した者――現象世界の苦娑婆から解脱した(解き放たれ自由になった)者を仏(ほとけ)、仏陀という。仏教とは、人間を仏陀にする教えであり、また仏陀の説かれた教えという意味でもある。

 釈迦は「山川草木国土悉皆成仏」すなわち生きとし生けるもの、また無機物までもすべて、光り輝く仏のいのちの現成、成りひびきである――という実相の悟りを得られた。しかしその悟りの境地をそのままを説いても衆生は理解できなかったので、人の機根(素質、段階)に応じていろいろ救いのための方便の教えを説かれた。それが小乗の教えである。しかし大乗仏教の経典の一つ『無量義経』(『妙法蓮華経』を導く開経とも言われている)に於いて「四十余年間未顕真実」――「四十余年来私は説法して来た。その間、本当のことを言っても、肉眼で見えるものだけがあると思っている人にはなかなか分らなかったから、未だ真実を顕さなかった。けれども今こそ本当のことを説くのだよ」と言われ、滅びない常世の世界、また滅びない、楽しい、浄らかな永遠の我(常楽我浄)というものこそ真実の実在である――とお説きになった。・・・・・
 

31. 「生長の家の歌」謹解(4)


<2011. 02. 21>

 “「自我なんて、あるわけないでしょう」というのが仏教の立場です。「自分」とは環境によって、その瞬間、その瞬間変化していきます。『自我がない』と気づくならば、人間には微塵も精神的な問題はなくなってしまいます。幸せを目指すなら、理性をもって観察し自己制御することが大切だと、お釈迦さまはおっしゃいます。それはとても楽しいことです。「生きる勉強」というならぱ、お釈迦様が発見した心のメカニズムや、生きることの真理を、ぜひ勉強してください。”

 という広告のキャッチコピーが私の目を引いたので、アルボムッレ・スマナサーラという「スリランカ上座仏教長老」なる方の書かれた初期仏教法話の本『怒らないこと』・『怒らないこと2』を取り寄せて読みました。共感するところがあり、面白く読めました。

 昨日のブログに記しましたように、初期仏教は「小乗仏教」と言われ、衆生済度のために釈尊が説かれた方便説法だというので、取るに足りない低級な教えかと私は誤解していましたが、この本を読んで、「初期仏教は低い教え」という見方は必ずしも正しくない、偏見だったかと、認識を新たにしました。

 「この世の中にある、ものをつくり上げる創造の源泉は愛情であって、創造したものを破壊していくのは怒りの感情です。怒りは、他を破壊する前にまず自分自身を破壊します。怒ると必ず不幸になります。幸福になりたかったら怒らないことです。怒りは、無知から生じます。怒りのもとになっている自我そのものは錯覚で、自分というものは初めからないのです。」

 というようなことが、上掲書にはわかりやすく詳しく、丁寧に書かれていました。これは方便といえどもウソではない、人を幸福に導くために必要な正しい教えだと思いました。

 現象世界は無常の世界、つまり変化し流転する世界。肉体人間には誕生の日があり、また必ず終わりの日、死ぬときが来る。生滅をくり返し廻(めぐ)ることを仏教では輪廻(りんね)という。流転する現象界に生じたすべてのものは、やがて滅する時が来る。映画のように、始まりがあって“The End”という終わりがある。その映画を映し出しているスクリーンは、「時間・空間」というスクリーンである。

 ところで、「生命」と「時間・空間」はどちらが先か。肉体は「時間・空間」というスクリーンの上に誕生し、また消えて行くのですが、実は、時間空間の中に生命が生まれてくるのではなく、生命が時間空間をつくるのである。時間空間は生命の掌中にある、というのが本当なのです。時空間の中に映し出される映画とも言える現象世界は、夢まぼろしのような影に過ぎない、本来無いものなのです。

 映画には、作者がある。作者の描いた構想に従い撮影記録された映像が、時間・空間のスクリーン上に次々と映し出されていくのが現象世界である。現象という映画にも、やがて「一巻の終わり」の時が来る。

 「生長の家の歌」2番の歌詞で、「衆生(しゅじょう)劫(こう)つきて この世の焼くとき」というのは、この世つまり現象映画一巻の終わりの時です。

 インド思想の世界生滅の説で、地球誕生成立の期間を成劫(じょうこう)と言い、住在する期間を住劫、破壊する期間を壊劫(えこう)、破壊して空(くう)に帰するのを空劫と言う。現代はその住劫に当たる。住劫の期間の人々の悪業の報いとして、やがて壊劫から地球が焼け尽きて空劫に入るときが来る。それが輪廻によって「衆生劫つきて この世の焼くとき」であります。

 この壊劫(えこう)というのは、夢幻にすぎない現象の世界を本当にアルと見る人々にはそう見えて遭遇するものでありますが、それは顛倒妄想(てんどうもうそう=生命は時空間をもつくった、時空間を超えたものであるのに、生命は時空間の中に誕生し死滅するものだと逆さまに考える迷妄の心)でそう見えるだけの虚仮(こけ)の現象なのであります。時空間をもつくり出したほんものの生命は、時空を超えた実相界にあるので、それを自覚自証するものには業火(ごうか)はなく、壊劫も空劫もないのです。

 そのことが、法華経の如来寿量品第十六自我偈には、次のように書かれています。

     *

  衆生劫尽きて大火に焼かるると見る時も
  我がこの土(ど)は安穏にして
  天人常に充満せり。
  園林(おんりん)諸々の堂閣 種々の宝もて荘厳(しょうごん)せり。
  宝樹(ほうじゆ)華果(けか)多くして
  衆生の遊楽(ゆらく)する所なり。
  諸天 天鼓(てんく)を撃ちて、
  常に衆々(もろもろ)の伎楽(ぎがく)を作(な)し
  曼陀羅華(まんだらげ)を雨ふらして
  仏及び大衆に散ず。
  我が浄土は毀(やぶ)れざるに
  而(しか)も衆は焼け尽きて
  憂怖(うふ)諸々の苦悩 是の如き悉く充満せりと見る。・・・

     *

 それで、「生長の家の歌」2番の歌詞には、次のように歌われているのです。

   (2)仏教讃歌

  衆生(しゅじよう)劫(こう)つきて
  この世の 焼くときも
  天人みつる 我が浄土 安穏(あんのん)なりと
  釈迦牟尼(しゃかむに)の 宣(の)りたまいしは
  現象の この世かわるも
  実相の 浄土はつねに
  今ここに 久遠(くおん)ほろびず
  燦々(さんさん)と まんだらげ降り 童子舞う
  光輝く世界なり
  光輝く世界なり
 

32. 「生長の家の歌」謹解(5)


<2011. 02. 22>

 「衆生劫つきて この世の焼くときも 天人みつる 我が浄土 安穏なり」とお釈迦さんが法華経で説かれた「我が浄土」というのが、わが魂のふるさと。それは、時空間に投影された現象映画の元のフィルムに記録された完全な理念の世界なのです。肉眼で見ることはできないけれども、私たちの生命の奥底に実在する世界なので、全生命的な直観によって知ることができます。

 『新版 真理』第9巻(谷口雅春著)318~319頁に、次のように書かれています。

     *

   神の国への郷愁

 あなたは神の子であり、あなたの本当の故郷は“神の国”であります。あなたが本当の郷里に帰るまでは郷愁は去らないでありましょう。郷愁は色々の形であらわれます。理由のない寂しさや、憂鬱や、それから起って来る色々の問題や、経済的な行き詰りや、肉体的な病気なども、いわば、自分の郷里である「神の国」に自分が住んでいない郷愁のあらわれであります。

 神の国には私たちに必要なあらゆる富、あらゆる幸福が常に備わっているのであります。あなたが神の国を今ここに見出されますならば、あなたは一呼吸、一挙手、一投足にも神の力と生命がそこに、あなたに於いて呼吸し、行動していることがわかるのです。あなたの思いが、計画が、神御自身の思いであり、計画であることになるのです。神御自身の思いや計画が成就しないということはないのです。

     *

 と。「神の国」というのは「仏の国」「浄土」と言っても同じでしょう。

 21日のブログに書きました「翼をください」の歌――

 「この背中に 鳥のように/白い翼 つけて下さい/この大空に 翼をひろげ/飛んで行きたいよ/悲しみのない 自由な空へ/翼はためかせ 行きたい」

 ・・・というのも、私たちの生命が本来時空を超えた自由な世界から来たものだから、その故郷への郷愁がわいてくるのだ、と言えるでしょう。

 「君よ知るや 南の国」という、歌劇「ミニョン」(フランスのトマ作曲)の中で、ジプシーの少女が故郷を思い切々と歌う歌が浮かんできました。昔、心病んで苦しかった学生時代に、切なる気持ちで私も歌った歌です。ゲーテの詩が原詩だそうです。

  君よ知るや 南の国
  木々は実り 花は咲ける
  風はのどけく 鳥は歌い
  時をわかず 胡蝶(こちょう)舞いまう

  光みちて めぐみあふれ
  春はつきず 空は青き
  ああ 恋しきくにへ
  逃れ帰る よすがもなし……

  わが なつかしのふるさと
  のぞみ みてる国
  こころあこがるる わがふるさと……

    (堀内敬三訳)

 これも、「宝樹華果多くして 衆生の遊楽する」浄土、我が実相のふるさとにあこがれる歌と言えるでしょう。

 その「ふるさと」は、時空間に現れた影の世界(外)にはないのです。時空以前の霊的原型、理念の世界にある。キリストが「神の国は汝らの内にあり」と言った、生命の本源世界、時空を超えた永遠の世界に、今あるのです。
                                         
 その世界を直観によって知り、現証するには、仏教では座禅瞑想をします。キリスト教では「天にまします我らの父よ」と祈ります。生長の家では、祈りと瞑想を一つにした「神想観」をします。

33. 「生長の家の歌」謹解(6)


<2011. 02. 23>

 お釈迦様は、無量義経という法華経の序文のようなお経で、「四十余年間、未だ真実を顕さず」――「今までは方便の説法だけをして来たが、今まさに本当の真理を説くのだ」とおっしゃって、『妙法蓮華経』(法華経)をお説きになり、「我本(もと)誓願を立て、一切の衆をして我が如く等しくして異なること無からしめんと欲せり。その願すでに満足せり」とおっしゃった。

 すなわち「自分は本から誓願を立てて、すべての衆生、すべての人類をして、私が如来<にょらい=真如(しんによ・実相浄土)から来生した者、すなわち仏>であるのと等しく、異なることなき如来にならしめようと願っていたが、その願いはすでに満足した。皆さんはもう既に如来であるぞ」と、究極の真理を説かれたのです。

 臨済宗という禅宗の開祖・臨済の語録『臨済録』にいわく――

 「汝(なんじ)若(も)し能(よ)く念々の馳求(ちぐ)の心を歇得(かつとく)せば便(すなわ)ち祖仏(そぶつ)と別(こと)ならず。汝祖仏を識(し)ることを得んと欲するや。汝、面前、聴法底(ちょうほうてい)是れなり。」

 と。これについて、生長の家創始者谷口雅春先生は、『叡智(えいち)の断片』という著書をテキストとして、次のように解説されています。

     *

 「“馳求(ちぐ)”というのは馳(はし)りまわって外に求めること。走りまわって、どこか外に(悟りやお蔭を)求める心を歇(や)め、自分の内に一切があるという悟りを得たならば、『便(すなわ)ち祖仏(そぶつ)と別(こと)ならず』。祖(おや)神様であるところの仏陀と同じである、一つである。

 『汝祖仏を識(し)ることを得んと欲するや』――その祖神様、どこにいるか知りたいと思うのであるか。『汝、面前、聴法底(ちょうほうてい)是れなり』――“聴法底”(仏法を聴いているそいつ)が祖仏そのものなんだ、というのであります。

 外に神を求め、社殿に廟宮に寺院に教会に跪(ひざまず)いて、ここに神仏があり自分を不幸にも幸福にもする力ありと思っていた迷信から一転して、汝の祖師、釈迦仏もキリストも汝の内にあり、功徳の本源は自己の内にありと自覚する事が真の宗教であるのである。」

 と。

     *

 「外」というのは、眼に見える現象世界。それは影の世界である。影に求めても本物は得られない。本物は内にある。

 「社殿に、廟宮に、寺院に跪いてご利益を願うというのは迷信である」というので、イエスが「神の国は汝らの内にあり」と言ったのと軌を一にしているのですね。

     ☆

 わが岡家のすべてのご先祖様。皆様は、仏陀そのものにまします。

  現象の この世かわるも
  実相の 浄土はつねに
  今ここに 久遠(くおん)ほろびず
  燦々(さんさん)と まんだらげ降り 童子舞う
  光輝く世界なり
  光輝く世界なり

      (「生長の家の歌」より)

 この実相浄土にいます仏陀、如来にましますご先祖様を、拝ませていただきます。ありがとうございます。ありがとうございます。そして、ご先祖様の御いのちはわが内にあり、その御いのちをいただいた私のいのちは、ご先祖様の御いのちと一つ、み光りかがやく如来の御いのちなのでした。この世は、よろこびばかりの世界なのでした。うれしいです。ありがたいです。ありがとうございます。ありがとうございます。・・・・・
 

34. 「生長の家の歌」謹解(7)


<2011. 02. 23>

 「生長の家の歌」(谷口雅春作詞)の3番は、「古事記讃歌」となっています。

 「古事記」は言うまでもなく日本古典中の古典で、天地(あめつち)の初発(はじめ)の時の神話(上巻)から始まり、日本の初代神武天皇から第33代推古天皇までの歴史(中巻・下巻)へとつながっている、日本と日本人の心の核をなす物語の書でありますね。その中で、上巻(かみつまき)の終わりの方に記されている「火遠理命(ほおりのみこと)」の物語について歌われているのが、この「生長の家の歌」の3番であります。

 火遠理命(ホオリノミコト)は天孫(天照大神の御孫)ニニギノミコトの御子三人のうちの末子で皇統を継承されるお方(当時は末子相続がならわしでした)。またの名を天津日高日子穂穂手見命(アマツヒコヒコホホデミノミコト)・山幸彦(やまさちひこ)と言い、兄君の名は火照命(ホデリノミコト)・海幸彦(うみさちひこ)と申します。

 海幸彦・山幸彦の物語は、『古事記』神話の中でもっとも美しい、文学的な詩情豊かな物語であると言われます。

 このホオリノミコトの物語、<海幸彦と山幸彦の物語>は、長くなりますが、現代語でかいつまんで申し上げれば、次のような物語です。

      ☆

 兄のホデリノ命(ミコト)は海幸彦として、海の大小さまざまの魚を取り、ホオリノ命は山幸彦として、山にいる大小さまざまの獣の猟をされていた。ところがホオリノ命が、兄ホデリノ命に、「山の猟具と海の漁具を交換して使ってみましょう」といって、いく度もお願いになり、兄命はなかなか許されなかったが、ついに取り替えてもらうことができた。

 そこでホオリノ命は、漁具を用いて魚釣りに海へ出かけられたが、一匹の魚も釣れず、その上その釣針を取られ失ってしまわれた。すると兄ホデリノ命が、

 「山さちも己がさちさち、海さちも己がさちさち。今は各々さち返さむ」
  (山の獲物も海の獲物も、めいめい自分の道具でなくては得られない。今はそれぞれ道具を返そう)

 という。ホオリノ命が答えて、

 「あなたの釣針は、魚を釣ろうとしたが釣れなくて、とうとう海になくしてしまいました」

 と言った。

 兄命はそれをむりやり返せと責めたてた。そこで弟は、身につけていた剣を砕いて、五百本の釣針を作って償おうとされたが、兄は受け取らない。また千本の釣針を作って償われたけれども受け取らずに、「元の釣針を返せ」と言われる。

 それで弟のホオリノ命が、泣き悲しんで海辺におられたときに、シホツチノ神がやって来て尋ねて、

 「ソラツヒコ(アマツヒコと同じ。皇統を嗣がれるホオリノ命)の泣き悲しんでおられるのは、どういうわけですか」

 と言う。ホオリノ命はわけをありのままに答えた。

 するとシホツチノ神は、「私があなたのために善い計画を立てて上げましょう」と言って、「目無堅間(めなしかつま)の小船」(隙間なく目が固く詰まった籠の小船)を造り、その船にホオリノ命を乗せて、教えて言うには、

 「わたしがこの船を押し流しましたら、しばらくそのままお進みなさいませ。よい潮路がありましょう。その潮路に乗ってお進みになったならば、魚の鱗のように家を並べて造った宮殿があって、それがワタツミノ神(海の神、龍宮の大神)の御殿です。その神の宮の御門においでになりましたら、傍の泉のほとりに神聖な桂の木があるでしょう。その木の上にいらっしゃれば、海(ワタツミノ)神の女(むすめ)があなたのお姿を見て、取りはからってくれましょう」

 と言う。

 すべてその言葉のとおりに進み、桂の木に登っておいでになったら、海神の女のトヨタマビメの侍女が、器を持って出て、泉の水を汲もうとしたとき、泉の水に光がさしていた。ふり仰いで見ると美しいりっぱな男子がいた。

 このときホオリノ命はその侍女の姿を見て、水を所望なさった。侍女はすぐさま水を汲んで、器に入れて献(たてまつ)ったが、ホオリノ命は水をお飲みにならずに、御首にかけた玉の緒を解いて、玉を口に含んで、その水を入れた器に吐き入れなさった。するとその玉は器にくっついて、侍女は玉を離すことができない。それで玉のついたままの器をトヨタマビメノ命にさし上げた。

 トヨタマビメは器の玉を見て、侍女に尋ね、「もしや、門の外にだれかいるのですか」というと、侍女は答えて、

 「人が来ておりまして、私どもの泉のほとりの桂の木の上におられます。たいそう美しいりっぱな男性でございます。わが海神宮(わたつみのかみのみや)の王にもまさる、たいそう貴いお方です。そしてその人が水を所望なさるので、水をさし上げますと、水をお飲みにならずに、この玉を器に吐き入れなさいました。この玉を引き離すことができませんので、玉を入れたまま持って来て献るのです」と申した。

 それを聞いてトヨタマビメノ命はふしぎに思い、外に出てホオリノ命の姿を見るや一目惚れ。互いに目を見合わせて、姫はその父に、「わが家の門前に美しいりっぱな方がおられます」と申しあげた。

 海神(ワタツミノ神)がみずから門の外に出て見て、「この方は、アマツヒコノミコ、ソラツヒコだよ」といって、ただちに宮殿の中に案内し歓待して、やがてその女(むすめ)のトヨタマビメと結婚させ申しあげた。

 こうしてホオリノ命は、その後三年、海神の国にご滞在になった。

 ところがホオリノ命は三年たったある夜、深いため息をなさった。トヨタマビメノ命は父の神にそのことを告げたので、父のワタツミノ大神は、その婿君(むこぎみ)ホオリノ命に、「もしや何かわけがあるのでしょうか」と尋ねた。そこでホオリノ命は、ワタツミノ大神にくわしく、その兄が、失ってしまった釣針を返せと責めたてた様子を、そのまま語り告げられた。

 これを聞いたワタツミノ神は、海の大小の魚たちをことごとく呼び集め尋ねて、「もしや釣針を取った魚はいないか」と言った。すると多くの魚どもが答えて、「近ごろ赤い鯛(たい)が、喉(のど)に骨が剌さって物を食べることができない、と悩みを訴えております。きっとこれが取ったのでしょう」と申しあげた。そこで海神が赤鯛の喉を探ったところ、釣針があった。すぐに取り出して、洗い清めてホオリノ命にさし上げた。

 その時、ワタツミノ大神が教えて言うには、「この釣針をその兄君にお返しになるとき、仰せになることばは、『この釣針は、憂鬱になる釣針、気がいらいらする釣針、貧しくなる釣針、愚かになる釣針』ととなえて、手を後ろに廻してお渡し下さい。そしてその兄君が、高い土地に田を作ったら、あなた様は低い土地に田をお作りなさい。またその兄君が低い土地の田を作ったら、あなた様は高い土地の田をお作りなさい。そのようになさったら、私は水を支配していますから、三年間はかならずその兄君は(凶作のため)貧窮に苦しむことでしょう。もしもそうなさることを恨みに思って、あなたを攻めて戦いをいどんで来るときは、この潮満珠(しおみつのたま)を出して潮水に溺れさせ、もし兄君が苦しんで許しを乞うならば、潮干珠(しおひるのたま)を出して命を助け、こうして悩ませ苦しめなさいませ。」こう言って、潮満珠と潮干珠、二つの珠を授けた。

 それからワタツミノ大神は、鰐魚(わに)どもを全部呼び集めて、尋ねて言うには、「今、アマツヒコの御子のソラツヒコが、上の国(葦原中国(あしはらのなかつくに))にお出かけになろうとしておられる。だれがいく日でお送りできるか」と言った。一尋(ひとひろ)鰐魚が、「私は一日でお送りして、ただちに帰って来ます」と申し出たのでその一尋鰐魚がホオリノ命をお送りすることになった。

 ホオリノ命は、兄のところにお帰りになり、海神の教えた言葉どおりにして、その釣針を兄君にお渡しになった。それからホデリノ命はだんだんに貧しくなって、荒々しい心をおこして攻めて来るようになった。そこでホデリノ命が攻めて来ようとするときは潮満珠を出して溺れさせ、それを苦しがって助けを乞うときは潮干珠を出して救った。とうとう兄のホデリノ命が頭を下げて言うには、「これからのちは、あなたの昼夜の守護人(まもりびと)となってお仕えいたしましょう」と申しあげ、今日に至るまで、宮廷にお仕え申しているのである。・・・(後略)

  [参考書:講談社学術文庫『古事記(上)全訳注』次田真幸・岩波文庫『古事記』倉野憲司校注など]
 

35. 「生長の家の歌」謹解(8)


<2011. 02. 24(1)>

 前記の古事記神話にある「火遠理命(ほおりのみこと)」の物語、海幸・山幸の物語について歌われている「生長の家の歌」の3番について、谷口雅春先生のご講義をもとに、さらに詳しく謹解をさせていただきましょう。

 神話は、単なる物語ではなく、宇宙の真理が秘められていると考えられます。それを霊的直観をもって解くと、深い真理がひびいてきます。

 その前に、前回はかなり詳しく古事記の海幸(うみさち)・山幸(やまさち)の物語を紹介しましたが、さらに要約しましょう。

 火遠理命(ほおりのみこと)(山幸彦)はお兄様の火照命(ほでりのみこと)(海幸彦)から無理に鉤(つりばり)を借りて海の幸を得ようと釣りにおいでになったけれども、魚は一尾(ぴき)も釣れず、おまけに鉤を魚にとられてお帰りになった。それで火遠理命は兄命に鉤を返せと責められて、御自分の剣をくだいて五百本の鉤を作ってそれで償いをしようとせられたけれども兄命は受けとられない。千本作ってもだめで、なお「もとの鉤を返せ」と言われる。それで、海辺で泣いておられたら、塩椎神(しほつちのかみ)が現れられて、目無堅間(めなしかつま)の小舟に乗せて海(わたつみ)の神の宮すなわち龍宮城(りゅうぐうじょう)に行くように教えられる。そしてそこで美しい豊玉姫(とよたまひめ)と結婚され、また失った鉤は、一ぴきの鯛がのどに引っかけていたのを見つけて取り出される――という愉しい物語なのでした。

 その物語をふまえた「生長の家の歌」の3番は――

   (3)古事記讃歌

  天津日子(あまつひこ) 火遠理の命(ほおりのみこと)
  現象の わなにかかりて
  海幸を 我(が)の力にて 釣りたまう
  されどつりばり 失いて
  まがれる鉤(はり)に まようとき
  しおづちの神 あらわれて
  めなしかつまの み船にて
  龍宮城に みちびきぬ
  龍宮城は いま此処(ここ)ぞ
  龍宮城は いま此処ぞ

 というのであります。

 火遠理の命は天孫(てんそん)ニニギノミコトの御子で、神武天皇の御祖父に当たられます。ですから天津日嗣(あまつひつぎ)の御子、「天津日子(あまつひこ)」であります。

 その尊い使命をお持ちになっているお方が、「現象のわなにかかりて」という体験をされるのです。

 「現象のわな」とは、何でしょうか。

 それは、「現象」は本物の影で、本来無いものであるのに、見えるものは本当にアルと錯覚して、引っかかることであります。

 この「古事記讃歌」の解説は、谷口雅春先生が『如意自在の生活365章』の32ページ以下に、次のように書かれています。

     *

 「現象のわなにかかりて」というところに注意していただきたい。現象界の事物はすべて五官の眼で見ると物質でできているように見えるのである。それで、その物質世界を、それは“心の映像”の世界である」とを忘れて確乎たる堅固不滅の世界のように思わしめられる。これが「現象のわなにかかりて」である。そして、その現象という映像の世界のものを得ようと思えば、その映像を映し出している“心の世界”においてまずそれを得なければならないのに“心の世界”を貧しいままにしておいて、現象の富や幸福を得ようとする。これは正しい道ではない。いわば「曲がれる鉤(はり)」である。

     *

 このように書かれています。

 古事記の物語は単なる物語ではなくて、今の生活にあてはまることなんです。私たちはともすれば、この世界は物質で出来ている、人間も物質で出来ている肉体にすぎないと、こう思っている。そうすると劣等感に引っかかったり、嫉妬心に引っかかったりなんかして、そこから、自分の“我”の欲望を満足させるために“曲がれる鉤”で――策略を弄して、人を引っかけて奪うようなことを考えたりする。

 そういうのは
「日本の道ではない。そういう心を起こすならば、『奪うものは奪われる』という“心の法則”によって、かえって人から奪われることになるのである。この真理を『曲がれる鉤にて釣った時、逆に鉤を魚に奪われた』という神話によって示されているのである」

 と教えられているのであります。

 人間は、肉体は時空間の現象世界に生まれてきて生活している(そしてやがて死ぬ)と見えるけれども、その本体生命は常に時空間をもつくりだした元のところ、創造の本源世界(うみのそこ)なる「龍宮」無限供給の世界にいる。「龍宮」こそ、私たちの本当の故郷である。そのことを忘れてはならない。時空間に展開された一切のものは、本来時空間を超えた、時空間をも生み出した本源世界の影(映像)にすぎないのである。だから、創造の根底(うみのそこ)に行けばよい。神想観をすればよいのに、現象のわなに引っかかって「現象あり」と見ると、「貧しい」という夢を見るのであります。そうして、内に求めればよいものを、我(が)の力で外に求めようとする・・・・・それで釣り針を失うようなことになる、ということであります。
 

36. 「生長の家の歌」謹解(9)

<2011. 02. 24(2)>

 さて、「しおづちのかみ(塩椎神=シホツチのかみ=)」とは、どういう神様でしょうか。

 一般の古事記注釈書では、「潮路を司る神であろう」ぐらいしか書いてありませんが、谷口先生の解釈は、もっと深いものです。

 それは、水(シ=陰)火(ホ=陽)津(ツ=つなぐ、接続詞)霊(チ=いのち)の神――陰と陽とのムスビ、合一によってケガレ(気枯れ)をはらいきよめ、新たな生命の創造をされる神で、生長の家の神であると、谷口雅春先生はお教えくださっています。

 すべてのものは本来一つの生命でありますが、それが陰と陽の二つに分かれて、また元の一つに結ばれることをムスビ(産霊)という。日本の国も、神話によればイザナギ・イザナミの男女二神がムスビをなさった結果誕生して来たのである。この宇宙の根本設計は、本来一つの生命が陰と陽とに分かれて各々個性を発揮し、また元の一つに結ばれることによって新たな創造がなされる、というのが根本構図になっているのであります。その根本に還ると一切が調和して浄まり、「元気」が出てくるのであります。だからシホツチの神は浄化の神、創造の神であり、元気の神様とも言えるでしょう。

 それで、ホオリノミコトが兄君のホデリノミコトから無理難題を言われて元気をなくし、海辺で泣いておられたときに、シホツチの神があらわれて、創造の根底(うみのそこ)にある海(わたつみ)の神の宮、龍宮城へとみちびきをされる。そしたら美しい豊玉姫(とよたまひめ)と出会い結婚され、また失った釣り針も出てくるということになるのであります。

 さて、その龍宮城へ行くには、“目無堅間(めなしかつま)の小舟(おぶね)”に乗るようにと導かれます。この“めなしかつま(「まなしかつま」ともいわれる)の小舟”とは、一体どんな船なのでしょうか。

 「『めなし(まなし)』は目を密に編んだ意。『かつま』は竹の籠で、元来は神霊の依り代(よりしろ)であるが、ここでは海神宮(わたつみのかみのみや)に行くための、神の乗る船とされている。」と、次田真幸著・講談社学術文庫『古事記(上)全訳注』には書かれています。

 谷口先生は、この「めなしかつま」ということについて、さらにもっと深い生命的、霊的直感的な解釈をされています。

     *

 龍宮海に入る方法を、塩椎神(しほつちのかみ)おしえたまう。目無堅間(めなしかつま)の小船(おぶね)に乗れよと。小船とは如来の願船(がんせん)なり。目無(めなし)とは時計の目盛なきなり、無時間なり。堅間(かつま)とは空間が堅くつまって空間なきなり、無空間なり。目無堅間の小船とは、無時間・無空間の、時間・空間そこより発しそこに帰る、時空未発の「今」一点なり。「今」の中に一切時間・一切空間がつつまれてあるなり。

   (谷口雅春先生著『叡智の断片』P.207より)

     *

 目無堅間の小船は、仏教でいう「如来の願船」すなわちすべての衆生を彼岸の浄土に渡す船と同じことである。ということは、龍宮界はすなわち彼岸の浄土と同じであるということです。

 この世界、現象世界は、時間の流れと空間のひろがりの中に展開される世界で、その広がりは目盛りで計測される世界ですね。時計の針が、時の流れに従って、盤面の目盛りの上をまわり、動いています。現象の世界は、その中でうつりかわる世界、変遷の世界である。映画のように、光と影との交錯した世界です。

 現象は刻々流転(るてん)します。しかし流転しないのは、無時間・無空間の、時間・空間そこより発しそこに帰る、時空未発の「久遠の今」であります。そこに一切のよきものがすでに備わっている。そこに龍宮海=彼岸の浄土=実相世界があるのです。

 「目無堅間(めなしかつま)」の「目無し」というのは時間の目盛りがないということ、すなわち「無時間」の象徴。そして“堅間(かつま)”というのは、ギッシリとつまっていて「無空間」の象徴である。そこには一切「曲り」も「引っかかり」も「喪失(そうしつ)」もない。「喪失」や「引っかかり」というのは、時間・空間の流れの世界において起ることであって、時間いまだ発せず、空間いまだ展開せずの本源世界には、ひっかかったり失われたりするようなことはない。だから龍宮城に行けば、失った鉤が出て来たのは当然なのであります。

 時間・空間というのは生命の表現の世界であって、映画のスクリーンに映画を映し出すように、生命が仮りにつくり出したスクリーンのようなものである。それは本来外にはない、いのちの中にあるんです。

 永遠の時間が自分のいのちの中にある。自分が時間の主人公なのです。現象界の一切のものは、元は時空間以前の霊的原型の世界、実相世界にある。そこを龍宮界(龍宮海)というのです。一切がそこから発したいのちの本源世界が、龍宮なのであります。それは、「今ここにある」のであります。

 無限供給の本源世界である龍宮城に還るには、“目無堅間の小舟”に乗ること。それには、神想観をして、「われ今五官の世界を去って実相の世界に入る」と念ずればよいのであります。

 「『無目堅間(めなしかつま)の小船』の纜(ともづな)を解いて、龍宮界を航し、龍宮城に入るとき、そこに無限次元の無限荘厳(しょうごん)・無限厳飾(ごんじき)の世界があらわれ、無限の乙姫きたりて、われに仕えるということになるのである。そのとき、『法華経』の“如来寿量品”の自我偈にある如く、わたしたちは現象的な生老病死の世界を超え、貧富の世界を超え、憂怖(うふ)もろもろの苦悩充満せりと見える世界を超え、天人常に充満し、宝樹(ほうじゅ)華果(けか)多くして衆生遊楽(しゅじょうゆらく)の世界を“実相覚”にて観ることが出来るのである。」

 と、谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』には書かれております。
 

37. 「生長の家の歌」謹解(10)


<2011. 02. 25(1)>

 「龍宮城は いま此処(ここ)ぞ」

 とくりかえすのが、「生長の家の歌」3番の歌詞のクライマックスであります。

 キーワードは「今此処」であります。それは「久遠(くおん)の今」であります。

 谷口雅春先生は「久遠の今」というレコードの中で、

 「『今』というのは、過去―現在―未来―と流れている時間の一部分の『現在』というところを『今』というのではないのであります。この『今』というのは、もう一つくわしくいうと、『久遠の今』ということであります。英語のエターナル・ナウ(Eternal Now)という意味での『久遠の今』であります。そして『今』の中にすべてが含まれているところの『今』であります。

 ――現象界のすべてのものは時間の中に、空間の中に現われておりますけれども、その時間・空間の本(もと)のところ、時間・空間が未(いま)だ現われない、その『常今(つねいま)』のところ、そこには『なんにも無い』かというと、『なんにも無い』んじゃない。時間・空間がそこから現われてきたんだから、時間・空間がやっぱり『有る』と言わなければならない。時間・空間が一点に巻きおさめられて、その一点もない。すべてのものが、一点もないその中にそのままアルのであります。」

 と、おっしゃっています。 →久遠の今

 「この『久遠の今』というのは時間、空間を超越した、万物発生の枢機を握る一点なのであるから、尊師が『久遠の今』をお悟りになったということは尊師が『久遠の今』そのものであるということである。この一切万物発生の枢機を握る一点に立たれた時、キリストも釈迦も古事記も一つの同じ真理を説いていることが解って来たのであった。

 万物は『久遠の今』という中心から発したのであるから当然、真の宗教である限りに於いてすべて宗教は一つに帰るという真の相(すがた)を発見されたのであった。ここに万教帰一(ばんきょうきいつ)の教えが生れる根拠がある。」

 と、わが求道上の大恩ある盟友榎本恵吾兄(元生長の家本部講師、平成17年没)は『光のある内に』という本に書いています。

 物質本来無し、肉体本来無し、現象本来無し。そういう意味では、万教(色々バラバラな教え)も本来無し。時空を超えた龍宮海=実相界=神の国にある唯一つの生命、唯一つの真理が実在する。それは本来太陽光線のように無色透明である。けれどもそれが現象界では時代背景や民族文化などに応じて色づけされ、プリズムを通した太陽光線が七色の虹のようにあらわれる如く、異なった説き方がされている。それらは説き方は違うけれども、もとは一つの真理なのである。もとの一つ、「久遠の今」に帰れば、一つだと解るのであります。それを「万教帰一」というのであります。

 それで「生長の家の歌」4番は「万教帰一讃歌」となっており、

   (4)万教帰一讃歌

  しおづちの うみのそここそ
  創造の 本源世界
  汝らの 内にありとて
  キリストが のりたまいたる 神の国
  この世焼くるも 亡びずと
  法華経の説く 実相の 浄土
  何れも ひとつなり
  十字 まんじと 異なれど
  汝(な)のうちにある天国ぞ
  汝のうちにある天国ぞ

 と歌われているのであります。
 

38. 「生長の家の歌」謹解(11)


<2011. 02. 25(2)>

  「しおづちの うみのそここそ

   創造の 本源世界」

 上記は「生長の家の歌」4番の歌詞のはじめの2行で、これは3番「古事記讃歌」のポイントの要約になっています。

 「しおづち」は「シホツチ」で、塩椎神(シホツチノカミ)、生長の家の神。火遠理命(ホオリノミコト)を目無堅間(めなしかつま)の小船に乗せて海(ワタツミノ)神の宮、龍宮城へお導きした。

 その「うみのそこ(創造(うみ)の根底(そこ))」の龍宮城は、時間・空間未発の根源世界で、そこに一切が巻き収められてある「創造の本源世界」なのであります。そこにはあらゆる宝が充満しています。それは物質の宝石などではなく、無限の智慧、アイディアの宝、「わくわくさせるストーリー」が満ちみちているのです。

 そこへ行くには、我(が)の心を捨てて目無し堅間の小船に乗り、シホツチの神が「わたしがこの船を押し流しましたら、しばらくそのままお進みなさいませ。よい潮路がありましょう。そこでその潮路に乗ってお進みになったならば、ワタツミノ神の宮(龍宮城)があります」とおっしゃるとおりに全托すればよいのです。それが神想観(しんそうかん)という祈り・瞑想であります。

 広い海、無数の魚の一匹がのどに引っかけて行った釣り針を、探し出すなどということは、とてもできないと思われるけれども、それは全く消え失せたのではなく、どこかに必ずアルのである。だから、すべての現象の本(もと)である「久遠の今」なる龍宮海に行けば、失われた釣り針も出てくるのであります。

 かつて私が福島県に赴任していたとき、会津の奥山の村にAさんという篤信のおばあちゃんがいらっしゃいました。Aさんはあるとき車を運転してキノコ狩りに出かけ、山に入りました。車は道ばたの置けるところに置いて雑木林の山の中にわけ入り、歩き回って充分キノコを収穫して戻って来ましたら、車の鍵がない。山中のどこかで落としたらしい。困った。その頃はまだ携帯電話もなかったころで、人気のないところで連絡の取りようもない。夕暮れ時で暗くなり始めている。広い範囲を歩き回ったので、来た道を戻って探しても、見つかる可能性はほとんどないと言ってもよいでしょう。

 そのとき、Aさんはその山の中に座れるところを見つけて座り、神想観をしました。そして「鍵は私の手許から消えたようだけれども、必ずどこかにアルのである。神はそのありかを知り給う。」と、じっと念じたのです。そうしてしばらく祈ってから足の向くままに歩いて行ったら、夕日の光が当たってパッと光っているものが見えた。それが、落とした鍵だった――

 Aさんは、ほかにもたくさんそのような体験が続出した、と話されたことがありました。

 多くの人は、何か大切なものが見当たらないと、「ナイ、ナイ」と心を動揺させながらあわてた心で探し回る。そうするとなかなか見つからない。あきらめてしまったころに出てくる、というようなことがあるものです。「ナイ、ナイ」と言わないで「アル、アル、必ずアル」と言って探した方がよいのです。「必ずどこかにアルのである。神はそのありかを知り給う」という祈りこそ、適切な祈りなのです。それは失せものの場合だけでなく、あらゆる問題の解決法についても同様なのです。

 次に思い浮かんだのは、東京でのことです。森田良夫さんという生長の家の地方講師の方がいらっしゃいました。もう故人になられて久しいのですが、一級建築設計士で、愛知芸術大学の非常勤講師などもされていた方です。赤坂にホテルニューオータニが建設されるとき、その何百室もある客室全室の内装の設計を依頼された。それは実は他の外国人の設計士に頼んであったのだけれども、その設計士が、この仕事は難しくて報酬が割に合わないとか言って、投げ出して帰国してしまった、それを代わってやってほしいというのだそうです。しかも、開業予定日が決まっているので、2ヵ月の期限でやってほしいという。それは、何百室もの立派な客室内装を、単なる設計というよりは、照明からソファなどの家具調度から、すべての材料も吟味して調えなければならない責任ある仕事で、半年6ヵ月ぐらいかけないととてもできないような大仕事だったそうです。それを、わずか2ヵ月でやれという。

 森田さんはそれを聞いて、「そんな無茶な!」と腹が立った。しかし、生長の家では、「神の子には無限の力がある」と教えている。逃げ出すわけにはいかないと決心し、腹を決めて祈ったそうです。それで神想観をしたら、上方からパッと光が射してきた。その光は、無限のアイディアの光でした。ホテルの内装のアイディアが、降るように湧いてくるのでした。それをスケッチする手が追いつかないくらい、次々にアイディアが降ってくる、湧いてくる。それを自動書記のようにスケッチし書き留め、流れ作業のように次々に助手に手渡す・・・・・2ヵ月間毎日朝から晩までそれを続けて、ついに約束の予定通りにその大仕事を完成させました。

 その間、“シンクロニシティ”(共時性、偶然の一致)というのでしょうか、材料の調達についても、奇跡的な不思議なことがたくさんあったそうです。

 しかもその仕事の出来映えは、施主にたいへん喜ばれただけでなく、同業者などがたくさん見学に来るような、すばらしいものでした。森田さん自身、「よくこんなに立派にできたものだ」と、自分で感心するようだったといいます。

 「わがわざはわが為すにあらず、天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)」と、神想観の招神歌(かみよびうた)にあるとおりなのでした。
 

39. 「生長の家の歌」謹解(12)


<2011. 02. 25(3)>

 さて「生長の家の歌」4番の歌詞の3~4行目

 「汝らの 内にありとて
  キリストが 宣(の)りたまいたる 神の国」

 という2行については、すでに2月1日のブログ「謹解1」に書きましたように、イエス・キリストが「神の国はいつ来るのか」とパリサイ人に問われた時、「見える有様で来るのではない、また「ここにあり」 「かしこにあり」というものではない。「視(み)よ、神の国は汝らの中(うち)にあるなり」(ルカ伝17-21)とおっしゃっていることでありますが、これについて谷口先生はどうお教えくださっているか、さらに掘り下げた謹解をさせていただきます。

     *

 「『神の国は汝の内にあるのだ』と云うイエスの言葉は、すべての空間的時間的なあらゆるものを吾々は自己の内に握っているという意味であります。イエスが『十字架を負いて我に従え』と云ったのも、要するに一切の時間的空間的なるものの本源に立ち帰れ、そこから時間があらわれ、空間が出現するところの縦横十字の交叉点上に坐せと云ったわけであります。」

 「誰でも自分の内に時間空間の源があって、全時間全空間をば、時間空間交叉の一点に(否一点もあらざる無字の中に)握っているのが吾々なのであります。まことにも素晴しいものであります。」

 「キリストいうのは二千年程前にユダヤに出て来た肉体の人間かと思ったら単にそうではないのであって、吾々の中(うち)に『今』生きていられるのであります。キリストは肉体を十字架につけて抹殺し、肉体の無を実証したときに生命として復活し、時間空間を支配する権威を得たのであります。

 『十字架を負う』と云うことは肉体の抹殺であると共に、時間空間タテ・ヨコ十字を自己の掌中に一つに握っていることをあらわしております。

 だから黙示録にあらわれたる白髪『久遠のキリスト』は『吾れはアルファなりオメガなり。生と死との鍵を持てり』と云っております。

 吾々がキリストと同じ自覚に入るとき吾々の中(うち)にキリストがあるのであり、時間空間を超えながら、しかも時間空間を一つに纏めて握っているところのその不可思議ないのちの力が把握されるのであります。吾々は『吾に宿るところのキリスト』を自覚しなければなりません。その時はじめて『吾に汲むものは永遠に死なない』という真理を自己の生命として、体験として自覚する事が出来るのであります。」

  (以上、谷口雅春著『神癒への道』より)

 「人間は不滅なり。今・此処・神の国不滅なり。これを悟ることを『目無堅間(めなしかつま)の小船』に乗りて彼岸(龍宮海)にわたると言う。」

  (同『叡智の断片』より)

     *

 ――したがって「目無堅間の小船に乗って龍宮海にわたる」というのと、「神の国は汝の内にあり」というのは、全く同じであるということがわかるのであります。
 

40. 「生長の家の歌」謹解(13)


<2011. 02. 25(4)>

 「万教帰一」のキーポイントは「今此処」。「久遠の今」でありました。

 生長の家が「万教帰一」を説くのは、寄せ集めでいろんな宗教のよいところをピックアップして作り上げたんだろう、という人がありますが、そんな現象界の人間の浅はかな知恵で作り上げられたのではありませんでした。谷口雅春先生の「久遠の今」のお悟り―― 一切のものは時間・空間がそこから発した根源である「久遠の今」から展開した影だ、ということがキーポイントなのでした。

 榎本恵吾兄が言われるように、

 「『久遠の今』というのは時間、空間を超越した、万物発生の枢機を握る一点なのであるから、尊師が『久遠の今』をお悟りになったということは尊師が『久遠の今』そのものであるということである。この一切万物発生の枢機を握る一点に立たれた時、キリストも釈迦も古事記も一つの同じ真理を説いていることが解って来たのであった。万物は『久遠の今』という中心から発したのであるから当然、真の宗教である限りに於いてすべて宗教は一つに帰るという真の相(すがた)を発見されたのであった。ここに万教帰一(ばんきょうきいつ)の教えが生れる根拠がある」

 のでありました。

 「生長の家の歌」の4番「万教帰一讃歌」、5行目以下を掲げさせていただきます。

  「この世焼くるも 亡びずと
  法華経の説く 実相の 浄土
  何れも ひとつなり
  十字 まんじと 異なれど
  汝(な)のうちにある天国ぞ
  汝のうちにある天国ぞ」


 私がこの「生長の家の歌 謹解」という仕事をしようと思いたった最初の動機は、クリスチャンだった祖母の岡カメおよび仏教徒だったすべての先祖の霊(みたま)に感謝し、「万教帰一」の真理を深く供養したいためでありました。

 ご先祖様、ありがとうございます。ありがとうございます。「私」というものはないんだ、ご先祖様のいのちをいただいて、ご先祖様が今ここに、私の中に生きていらっしゃるんだ――と思って来ましたが、「生長の家の歌謹解」を書かせていただいているうちに、ますますその思いを深くしました。

 そして、仏教もキリスト教も、日本神道も、元は一つ、「久遠の今」から発したもので、今、時空を超えた永遠のいのちがご先祖様の御いのちであり、ご先祖の霊(みたま)様はみな、永遠のキリスト、即、永遠の仏陀にまします。そして天壌無窮(てんじょうむきゅう)の(天地とともに窮まりない)天津日嗣天皇(あまつひつぎ すめらみこと)の御いのちと一つにまします。私のいのちも常に「久遠の今」においてご先祖様の御いのちと一つ、永遠のいのちなのでした。

 十字(キリスト教)、卍(まんじ=仏教)と、そのシンボル・説き方・礼拝の仕方は異なっても、中味は一つ、「今・此処」に神の国が、極楽浄土がわが内にある! わがいのちは永遠のキリスト、永遠の仏陀と一つ、そして天津日嗣 天皇の御いのちと一つのいのちだった! ということなのでした。なんと畏れ多くも、ありがたく尊いことなのでしょう!

 うれしいです! ありがたいです! 魂の底から勇気がわいてまいります。バンザイ! 

 ありがとうございます。ありがとうございます。

     頓首礼拝合掌
 

41. 夢の分析(1)


<2011. 02. 27>

 「翼をください」の歌で、思い出しました。

 私は、よく空を飛ぶ夢を見ていたのです。飛行機に乗って飛ぶのではありません。

 「この背中に 鳥のように 白い翼をつけて」

 でもないのですが、平泳ぎで泳ぐように、一所懸命手を翼のように動かして、空を飛ぶことができるのです。地上から数十メートルとか、せいぜい百メートル程度のところを、空中遊泳する夢です。それは、コンクリートジャングルというような大都会の上ではなく、道も舗装されていない昔の田舎の風景、森や田んぼの上を飛ぶのですが、でも家々や10階程度のアパート・マンションがたくさん建っているところの上を飛んだりもします。そのうちに力尽きて地上に降りるのですが、地上に降りてから道に迷い、帰るべき家が見つからなくなってしまいます。困ったなあ、と思っているうちに、目が覚めます。するとそこは、自宅のベッドの上なのです。そういう夢を、よく見ていました。

 また、これもしばしば見ていた夢ですが、多勢の人が集まる場所に行って、靴を脱いで上がり、帰ろうとする時に、自分の靴がいくら探しても見つからない。帰ることができなくて困る夢です。困った、困ったと思っているうちに目が覚めます。そこは、やはり自宅のベッドの上なのです。

 そういう同じような夢を、なぜくり返し見るのだろうかと、考えてみました。

 空を飛ぶ、空中遊泳の夢についての分析は、あとにまわします。

 道に迷ったり、靴がなくなって家に帰れない夢というのは、いったい何なんでしょうか。――

 覚めてみれば、そこは自宅のベッドの上なのです。

 道に迷って、家に帰らなければとあせっているときも、実は自宅のベッドの上にいるのです。あせっているのは、意味のない、ただの夢なのです。

 ところで考えてみれば、実は、覚めている時もそれと似たようなことをしているのではないだろうか? ――と思われるのでした。

 何か大切なものを見失ったと思って探しまわり、あるいは道に迷ったと思って、どうしたらよいかとあせっているのは、夢なのではないか。
 覚めてみれば、すでに自宅=すべての宝が充ち満ちている神の国=にいたのではないか。

 だから、

  「われ常に汝(なれ)をまもれば、
  われ常に汝(な)を導けば、
  何時(いつ)のとき何処(いずち)にあるも、
  汝(な)は完たく清くけがれず、
  行く道に迷うことなし。」

 と親なる神はおっしゃっている(堅信歌)ではないか。・・・・・

  (つづく)
 

42. 夢の分析(2)


<2011. 02. 28>

 「神の国」は、時空未発の創造の根底(うみのそこ)にある龍宮。わがいのちの故郷(ふるさと)。大切なものを見失ったり、道に迷ったりするのは、影である現象世界でのこと。それはみんな夢なのである。私たちの魂は常に「神の国」、時空を超えた「久遠の今」にある。そこは、自他一体の世界で、すべてがその中にあって満ち足りた世界であるから、そこでは大切なものを見失ったり、道に迷ったりすることはあり得ないのである。夜にしばしば見た夢は、そのことを思い出させてくれたのだと思いました。

 では、空を飛ぶ、空中遊泳の夢を見たことについては――自分がかつて鳥だったことがあるのだろうか。私は酉(トリ)年生まれだし・・・なんて、ちょっと思いました。でも、「神の子」が鳥だったなんていうことはあり得ないでしょう。神の子は本来、鳥よりももっともっと自由にあらゆるところを天翔(あまか)けることのできる魂なのです。平泳ぎで泳ぐように、空中で一所懸命手を動かさなくても、時空を超えて思うままに翔んでいけるのです。肉体は、そうはいきませんが。

 前に「生長の家の歌 謹解」の中でご紹介しました、茨城のY子さん、会津のAさん、東京の森田良夫さんの体験などは、「神の子」の自由自在性を発揮して翔んだ好適例だったといえるのではないでしょうか。

 フロイトならぬ、岡正章の夢の分析でした。

     ☆

 フロイト(Sigmund Freud, 1856~1939)はオーストリアの医者で、精神分析学の始祖と言われる人。夢の分析、夢判断などで有名ですね。

 私はかつて学生時代、駒場の東大教養学部で寮生活を送っていた時(約58年前、昭和27~28年ごろ)、神経症のようになって苦しみ、そのとき自己分析・自己治療をしたいという気持ちもあって「フロイト選集」などを読んだことがあります。大槻憲二という精神分析心理学者の本も読みました。

 フロイトの『精神分析入門』によれば、すべて人間の行動の根底には性欲が形を変えたもの、リビドーがある。ふだんの生活では、性、性器や性欲のことをあからさまに言うのは憚られるのでそれを抑え込んでいるが、夢にそれが象徴的に出てくることが多い。夢に出てくるステッキとか銃とかは男性器の象徴、茶碗とか器類は女性器の象徴であり、階段や坂を上るのは性交の象徴だという。

 そのころ私はホッケー部(アイスホッケーではなくグラウンドホッケー)に入って下手ながら練習、プレイをしていましたから、「ボールとスティックは男性器の象徴、ゴールは女性器の象徴だ」などと言って壁に落書きをしたりしました。(そのころの駒場寮の壁は落書きだらけでした)しかし、そんなことをしても、神経症が治るということはありませんでした。

 駒場寮時代、ホッケー部の先輩や寮生活の同期生たちみんなにとても迷惑をかけ、心配をかけたと思います。やさしくしてもらいました。今になってようやく、思い出とともに「申し訳なかった」という慚愧に堪えず、懺悔、そして感謝の思いがわいてきます。・・・・・
 

43. 孫の高校卒業式


<2011. 03. 02>

  3月1日、生長の家立教記念の日に、妻と2人で京都へ行ってきました。観光とか遊びではなく、孫の高校卒業式(正しくは「卒業証書授与式」)に両親が行くことが難しいので親代わりに出席し、孫の引っ越し(茨城県つくば市の親元へ帰る)荷物発送や銀行口座の解約など、京都を引き払う手続きの手伝いをするためです。

 京都といっても市内ではなく――現在は京都市に編入されていますが、数年前までは「京都府北桑田郡京北町」といった、山の中の小盆地にある、豊かな自然に囲まれた「森の中の高校」と言ってもよいような、「京都府立北桑田高等学校」です。京都駅からは、車で北の方へつづら折りの山道を走り、1時間半ほども行った所に、その学校はあります。京都で駅レンタカーを借り、運転して行きました。

 この高校は、卒業する生徒数が定時制6人を含めて111人という小規模の高校ですが、日本一 ――「オンリーワン」のよい学校だと思いました。

 この学校には“ミニ植物園”と言えるほど多様な樹木の生育する学校林がある。立派な大木も多い。驚くべきはその樹種の多さ。189種が確認されているという。その中には極めて珍しい珍木もたくさんあるそうです。――しかし、だからよい学校というのではありません。

 この学校で、特に孫が学んだ「森林リサーチ科」では、平成16年から中国陜西省(京都府と友好提携)での植林体験学習、平成21年度から「中国研修」として環境改善植林活動・交流活動を行ってきました。そのことが評価され、平成22年度「地球温暖化防止活動 環境大臣表彰」を「国際貢献部門」で受賞しています。しかし、賞を受けたからよい学校というのでもありません。

 この学校では、クラブ活動がさかんで、特にやはり孫が所属した自転車競技部では、全国総合体育大会に11年連続出場、優勝者を出すなど、めざましい活躍をしています。しかし、そういう好成績を記録したからよい学校というのでもありません。

 この学校では、『みがく・かがやく・きわめる』というタイトルの学校広報紙を出しています。そこには本校の目指している教育目標が明確に示されています。「みがく」――(特に1年生のとき)自分が気づいていない力を発見し、基礎力をみがく。「かがやく」――(特に2年生のとき)社会で求められる力、将来像を描いてかがやく。「きわめる」――(特に3年生のとき)応用力・実践力を伸ばし目標を目指してきわめる、という教育目標です。それを単なる画に描いた餅に終わらせないよう理想に向かって、教職員・生徒および父兄が一丸となり、地域の人たちも応援し“本気”で取り組んでいるような、あたたかい雰囲気、生き生きとした雰囲気を、私は感じたのです。教師と生徒・保護者の間に信頼関係があって礼儀正しく、誰とでもあいさつを交わす習慣が根付いています。生徒同士の友情も強いようです。だから、「いい学校だな」と、思ったのです。孫は、いい学校で学ぶことができてよかったな、幸運だったなあと思いました。

 3年前、入学式の時も来たのですが、それが昨日のことのようにも思われるのに、孫は見違えるように立派に生長し、大人になりました。運転免許の卒業検定にもパスしたそうです。本当にありがたいことです。これから恩返しの人生を送ってほしいと思います。

 私もまだまだこれからです。みがく・かがやく・きわめるという自己教育――魂を磨くとともに能力もみがく、愛にかがやく、万教帰一の真理をきわめる――ということを、この世の使命が終わるまで、続けていきたいと思います。
 

44. 東京第一教区の講習会


<2011. 03. 07>

 3月6日(日)は、有楽町の東京国際フォーラム他2会場(明治神宮会館・大田区産業プラザ)で、東京第一教区の講習会(講師は谷口雅宣 生長の家総裁・谷口純子 生長の家白鳩会総裁)が行われました。3会場合わせて参加者数は8,318人、あたたかく神気充ち満ちた素晴らしい講習会だったと思います。

 その前後の日々はとても寒かったり雪が降ったりしましたが、6日当日だけは不思議にあたたかい好天気で、お天気にも祝福されているようでした。

 私は聖歌隊の合唱にも出演するため、終日ご講話を聴いているわけにはいきませんでした(聖歌隊の出場準備・直前練習などで)が、主なところはしっかり拝聴しました。

 両先生は、「生長の家」とは何か、その全貌と、今為そうとしていることを、初めての参加者にもわかりやすいように、深切丁寧にお話し下さったと思います。

 総裁の午前中の講話で、「万教帰一」ということについて話されましたが、万教(いろいろな宗教の教え)は、元は一つの「実相」世界から現象界へ出張していろいろな色づけをして真理を説いているので、元に帰れば一つなのだと説かれました。“出張”という言葉を使われたのが面白く、解りやすく、腑に落ちました。本社は“久遠の今”なる「実相」世界にあり、各宗は“現象界”への出張所みたいなもの。出張所ではそれぞれ、出先の顧客にあわせてサービスの仕方は異なってよい。しかし、元は一つなのだ。そうだ! と、うれしくなりました。

 さて、聖歌隊の合唱について。

 祈りました。

 「われ今五官の世界を去って実相の世界に入る。……もはや我れ生くるにあらず、神のいのちここにありて生き給うなり。

 ……その“我れ”とは、自分ではない。会場のすべての人々、すなわち総裁先生をはじめすべての受講者、聖歌隊の指揮者・歌い手すべての人々、みな自分の力で生きているのではない。神のいのちが光りかがやいてあり給うのである。光と光が反照し合って、会場は光のるつぼと化しているのである。

 聖歌隊員が歌うのは、自分の力で歌うのではない。神が隊員を通して歌い給うのである。私たちは神様のパイプとなって歌わせていただくのである。聖歌は、神の讃歌であり、神が神の子を讃え給う讃歌である。その響きは会場のすべての人々の神の子の魂をゆさぶり、ライオンの子がライオンの親の雄叫びを聴いて初めて自分がライオンであったことに目覚めるごとく、すべての人々が“神の子”であることに目覚め、よろこびと感動が渦巻くのである。」

 ――そのように強く思念し祈って、歌わせていただきました。

 その祈りは、きかれたと思います。

 歌い手自身、直前練習の時に「感動がこみあげて声が出なくなった」という方もありました。その感動が、会場の皆さんに伝わったようです。

 「すばらしかった」
 「男声が加わって、厚みと迫力のある合唱だった」
 「感動した」

 というような讃辞をたくさんいただきました。

 ちなみに、このたびの聖歌隊には小学生・中学生・青年会員・相愛会員も加わり、総勢71人(うち大人の男性13人)となりました。

 総裁谷口雅宣先生からも、「日本一の聖歌隊」とお褒めをいただいたと仄聞しております。まことにありがとうございました。

 この講習会を出発点として、すべて(人も自然も)を礼拝し、愛と光の力強い前進をさせていただきましょう。
 

45. 『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(1)


<2011. 03. 17>

 3月11日に始まった、観測史上最大といわれるこのたびの東北関東大震災は、日を追う毎に悲惨な全貌全容があらわになり、被害はとどまることを知らず拡大しています。被災地だけでなく、全国的に物流や生産の停滞混乱など影響がひろがっており、これは日本にとって国難ともいうべきものでありましょう。

 しかし──

 「今現在は混乱のまっただ中だが、世界から日本人の行動やモラルに賞賛の声が上がっている。助け合い、和の精神は、やはり日本人固有のものかもしれない。」

 悲惨な災害の時に発揮される日本人のモラルに世界は驚嘆しているという。ドイツ・フランクフルト駐在 大塚裕司本部講師のブログで、マコチーニョさんという方がツイッターで集めたという、涙が出るようなたくさんの情報に触れることができ、感動しました。

 また、中国メディアも東日本巨大地震を大々的に報じ、「多くの中国人が、地震発生後の日本人の秩序(のある行動)に敬服している」「日本人の冷静さが世界を感動させた」などと伝えたそうです。

 ところが東京都知事の石原慎太郎氏は14日、報道陣の「震災への日本国民の対応をどう評価するか」との質問に、「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と述べ、「あまりにも配慮に欠けた発言」と非難を受けているそうです。

 これはちょっと言い方を変えて、

 「日本人のアイデンティティーは、本来“和”の精神、助け合いのこころ。この津波をうまく利用して、日本人本来の姿に還るチャンス。これはある意味、やっぱり有り難い(滅多にない)天の恵みと言える。」

 というように言えばよかったのだ──それが“日時計主義”ではないか、と思いました。

 中村穎司(えいじ)さん(生長の家地方講師、東京都世田谷区在住)はご自分のブログ『生きることの素晴らしさ』で、「日本人が自ら作ってしまった反省の道場」と題し次のように書いておられます(抜粋)。

 「あまりにも高度成長に甘えて、日本人は心の向上を全体として忘れてしまっていなかったであろうか。今日本人は容赦ない、厳しい状況におかれてしまった。日本人一人一人につきつけられたこのすさまじい試練の今後は、一人一人がみずから心で作ってしまった、反省の道場である。今までの生き方は全体的にぜいたくと物質偏重に行き過ぎていなかったか。大自然の自然災害ではあるが、つきつけられているのは、私たちの生きる姿勢である。だが私は、日本人の『日本人であること』を信頼している。必ず、幾多の試練ののち、日本人は立ち直ると思う。そういう方向へみんなでもっていかないと。」

 と。

 石原知事も、そういうことを言いたかったのだと思います。言い方が乱暴で言葉足らずだったので、非難を浴びたのでしょう。

     ================

 今回の大震災以前のことですが、竹田恒泰著『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(PHP新書)という本がベストセラーに入っていると報道されました。私にもこの本を贈って下さった方があり、読ませていただきました。

 「天皇の意味がよくわかる 最強の日本論。なんだか自信が湧いてくる!」と、オビ(帯)のキャッチコピーにありましたが、その通りといってよい内容でした。この本がベストセラーになっているということも、うれしいことです。

 著者の竹田恒泰氏は2006年(平成18年、当時31歳)著書『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)で第15回山本七平賞を受賞。明治天皇の玄孫で、いま36歳。著書多数有り。

 この本の内容の一部を抜粋紹介させていただきます。

       ☆

 まず序章“世界でいちばん人気がある国「日本」”で、

 「今、世界は猛烈な日本ブームに沸いている。日本人は、世界がどれだけ日本に注目しているか、正確に把握しておくべきだろう。……ペリー来航以来、日本的なものは無価値のレッテルを貼られ、さらに大戦終結後は軍国主義の源として完全に否定されてきた。しかし、その日本的なものを近年世界の人々が高らかに称賛している」

 という。

 たとえば2006年(平成18年)英国のBBC放送が33カ国で約4万人を対象に世論調査を行った結果、「世界に良い影響を与えている国」として最も高く評価されたのが日本だった。

 一方、この調査で「世界に悪い影響を与えている国」とされたのは、第1位がイラク、第2位が米国。「ならず者国家」と罵る国と罵られる国が共に最も否定的に評価されたことは興味深い。

 その後日本は3年連続で「良い影響を与えている国」第1位の座を維持してきた。

 日本を高く評価する調査結果はこれ以外にも多々あり、「日本は世界でいちばん人気があるといっても差し支えなかろう。

 日本人はかつて、これほどまでに世界から注目され、愛されることを経験したことがないと思われる。

 ところが同調査で、日本人の日本に対する評価は43%と、きわめて低い。中国人の中国(自国)に対する評価は81%、韓国人の自国評価は76%、米国60%、英国62%と比較しても日本の数字は異常である。……

(つづく)
 

46. 『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(2)


<2011. 03. 18>

 竹田恒泰著『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』各章のポイントを要約してみると──


 第1章は“頂きます[いただきます]”。

 日本は美食天国であり、東京は世界一の美食都市として世界に認知されている。

 それは、古(いにしえ)より日本人は、食事することや調理すること自体がすでに神事であると認識し、食事するたびに手を合わせて大自然の恵みを頂き、いのちを頂くことに感謝の気持ちを捧げてきた、日本文明の力によるものである、という。

 第2章は“匠[たくみ]”。

 日本の製品は、日本人が思っている以上に世界の人々に愛されている。それは、世界最古の磨製石器や世界最古の土器が日本出土のものであり、日本こそ世界最古の文明を持つ国であって、日本が悠久の平和の道を歩んできたこと、そして日本人が天皇を仰ぎ、いつか天皇に献上することを夢見てモノづくりに励む人たちが全国にたくさんいたこと、日本人は手抜きをせず完成度の高い仕事を成し遂げることを美徳としてきたこと、などの伝統があるからである。

 第3章は“勿体無い[もったいない]”。

 日本人は古(いにしえ)より万物に神霊が宿利、人は大自然の恵みにより生かされていると考えてきた。それが自然への感謝の気持ちとなり、「もったいない」という感覚を持つことにつながった。

 日本人の伝統的価値観は日本語を通じて有史以前から継承されてきた。原始民族が現代に至っても言語だけでなく国土と国家を持っているのは、世界でも日本だけである。日本人は責任を持って自然と調和する心を世界に伝えていかなくてはいけない。

 第4章は“和み[なごみ]”。

 日本は和の国、なごみの国。縄文時代から家族の和、地域の和、国同士の和、大自然と人との和など、様々な次元での「和」を大切に育んできた。それ故に日本の家庭には笑いが絶えず、農村は豊かで国は栄え、国際社会と良好な関係を保ちながら大自然との調和を実現してきた。これは、世界人類の歴史が戦争の歴史であった中で、日本の大きな特徴の一つである。

 世界の国々が民間人を殺す戦争を繰り返す一方、日本では民間人を殺す戦争は行われなかった。それは天皇が国民を「大御宝(おおみたから)」として大切にしてきたことと関係するのではないか。天皇の御存在があってこそ、日本が和の精神文化を守ってこられたことを忘れてはいけない。

 第5章は“八百万[やおよろず]”。

 古より日本人は、木は神の依り代(よりしろ)であり、1本1本が神であると観念され、神聖視されて大切に扱われてきた。木だけではない。山には山の神、海には海の神を観念し、万物に霊性を見出し、花弁1枚1枚にも神の姿を見ていた。神道で神とは主に大自然を意味する。日本の伝統的価値観によると人は神の子孫であり、神の子孫とはすなわち大自然の子孫であることを意味する。

 万物に神が宿ると考え、大自然を畏れ敬って、自らを神の子孫と観念してきたことにより、日本人は古来、大自然から受ける恵みを大切にしてきた。東京周辺の森は江戸の人たちが育てた森である。その森は江戸の住民に自然の恵みを与え、さらに都市を繁栄させることになった。人が栄えて森が栄え、森が栄えて人が栄える。そして天皇は国民一人ひとりの幸せを祈る存在として、人間界と自然界の接点にいらっしゃるのである。

 日本は、環境問題を解決する鍵を持っている。

 第6章は“天皇[すめらぎ]”。

 日本は「神の国」である。日本文明を考えるとき、天皇の存在を語らずに済ませることはできない。日本の歴史は天皇の歴史であり、天皇の歴史がすなわち日本の歴史なのだ。天皇の存在は日本文明の基礎を成し、また日本人の意識の中に存在しつづけてきた。たとえ霞が関や国会が破壊されても、原子力発電所が大事故を起こしても、核ミサイルが撃ち込まれても、日本がなくなりはしない。だがもし天皇をなくしてしまったら、それだけで日本は消滅する。逆にいえば、天皇さえ存在していれば、日本は日本でありつづけるのだ。日本人にとって天皇はどのような存在なのか、日本文明の根本である天皇を知れば、日本文明の構造が見えてくる。

 ……(つづく)
 

47. 『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(3)


<2011. 03. 18>

 前述 竹田恒泰著『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』第6章の扉裏に、

 「たとえ霞が関や国会が破壊されても、原子力発電所が大事故を起こしても、核ミサイルが撃ち込まれても、日本がなくなりはしない。だがもし天皇をなくしてしまったら、それだけで日本は消滅する」

 とありました。

 この本は2011年1月5日発行となっており、昨2010年のうちに書かれたのでしょうが、まるで今回の福島原発の大事故を予見したかのように「原子力発電所が大事故を起こしても……」と書かれていることに、ちょっと驚きます。

 ところで、前記第6章扉裏の言葉は、どういう意味でしょうか。

 私は竹田恒泰氏にお会いしたことはなく、くわしいことは存じませんが、この方は谷口雅春先生のご著書を読まれているのではないかと思います。こういう発想は、生長の家の唯神実相哲学にもとづかなければ出てこないのではないかと思われるからです。

 禅宗の有名な本『無門關(むもんかん)』の第八則に「奚仲造車(けいちゅうぞうしゃ)」という公案があります。むかし支那の黄帝の時代に奚仲という人が初めて車を発明し、百台ほどつくったが、組み立てた車をバラバラにして、“車はどこへ行ったか”と探している。「車はどこにあるか」というのが公案(禅の悟りの試験問題)です。

 車は、バラバラにした部分品の中を探しても、ないのです。

 車は、奚仲の心の中にあるのです。奚仲が発明したアイディア、理念、設計にある、というのが正解です。

 心に描かれたアイディアが先にあって、部分品が集められ組み立てられ、形の世界に具体化するのです。現象(形に現れて見える世界)の車はこわれるけれども、車の理念(設計、アイディア)はこわれることがない(不滅である)から、形はこわれてもまた造ることができる。だから車は部分品の中にはなく、心の中にある、というのが正解なのです。

 では、日本の国はどこにあるか? というと、国民とか国土とかの部分品の中にはない。「日本」の国の理念、日本の国がつくられた設計、アイディアの中にあると言えるでしょう。

 設計者は、大自然をもつくった神である、と言わざるを得ません。

 前記第6章扉裏の言葉は、以上のようなこと(奚仲造車の公案)が理解できて、はじめてわかることではないかと思われます。

 著者竹田恒泰氏はつづいて

 『一般に「天皇」と表記すると「てんのう」と読むが、大和言葉では「すめらみこと」や「すめらぎ」などという。なかでも「すめらぎ」と読むと、ただの天皇ではなく「連綿と続く天皇」を意味し、世界最古の国家である日本を象徴するに相応しい。』

 と書かれていますが、それは、「天皇」というとき、肉体をもって現象界に顕現された天皇(すめらみこと)でなく不滅の理念としての天皇(すめらぎ)が、不滅の日本の象徴として相応しい、とおっしゃりたいのではないかと思われます。

       ☆

 では、前述書第6章に書かれていることのポイントをピックアップしてみましょう。

・日本は世界最古の国。

 世界には190以上の国があるが、現存する国家の中で、日本は建国から最も古い歴史を持つ。100代以上続く王朝は世界で他に例がない。天皇が君臨する状態が連続していることは、歴代の政治最高権力者が例外なく天皇に任命されてきた事実から確認できる。現在の内閣総理大臣も例外ではない。大和朝廷と現在の日本国は連続性のある同一の国家であるから、日本の建国は初代神武天皇のご即位まで遡らなくてはならない。

・神武天皇は実在。

 創業者がいない会社がないように、天皇も初代がなくして100代も125代もあろうはずがない。前の大戦終結後、神話は非科学的で初代神武天皇は架空の人物であるとの考えが広がったが、世襲によって皇位が代々受け継がれてきたのだから、初代天皇の実在は議論の余地がない。

・2000年以上国を守ったという奇蹟。

 世界史の年表を見ても、200年以内に滅びる国が大半を占め、500年以上続いた国は数えるほどしかない。その中で日本が数々の危機を何度も経て、2000年以上も国を守ってこられたことは、奇蹟としか言いようがない。(最大の危機は大東亜戦争に敗北したときだった)

・京都御所のすがた

 現在の皇居は元来、徳川将軍の城だが、平安時代から明治初期まで1000年以上の間機能してきた京都御所こそが本来の皇居の姿である。その京都御所には堀がなく、敵の侵入を防ぐための石垣や見張りのための天守閣など何もない、まったくの丸腰である。それは京都御所の前身である平城京や藤原京、それ以前の天皇の御所もすべて同じであった。それは、天皇を殺そうとする者がいなかったからである。

・祭り主としての天皇

 日本の天皇と世界の王は成立背景、存在意義、権力構造、民との関係など、どれを取っても根本的に異なる。欧州の絶対君主制に反対して起きたのが民主主義。日本では古来、天皇と国民は対立関係にはなく、天皇は「国民の幸せが自分の幸せ」として国民一人ひとりの幸せを祈る「祭り主」であって、将軍などの権力者を超越する存在だった。「祭り主」には二つの側面があり一つは神事、もう一つが政事である。神事は天皇が直接行うのに対し、政事は直接行わないことを原則としてきた。日本で天皇と国民が対立する関係になかったのは、天皇は祭り主であり祈る御存在だったからであろう。いつの時代も日本国民はそのような「祭り主」を大切に守ってきたのである。

 最後に

 「日本の天皇が2000年以上続いたのは偶然ではない。それは必然であり、理由があってのことである。日本の天皇は『千代に八千代に』と歌われるように、未来永劫、継承され守られるであろう。もし世界から王がいなくなって、不滅といわれたトランプのキングと英国王がなくなったとしても、天皇(すめらぎ)だけは君臨しつづけるに違いない。そして、天皇が安泰ならば、わが国は大丈夫なのである。」

 と第6章は結ばれています。
 

48. 天皇陛下のお言葉には力があった


<2011. 03. 21>

 天皇陛下は16日、東日本巨大地震の被災者と国民に向け、ビデオ映像で「被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています」「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが人切であろうと思います」などと語りかけられた。

 陛下は被災者が苦しい避難生活を余儀なくされていることを気遣われた上で、「この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています」と語られた。

 そして「国民一人ひとりが被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています」と結ばれた。

     ◇

 「お言葉には力があった」「希望を持ちたい」。天皇陛下が16日、これまでに例のないビデオ映像という形で語りかけられたお言葉を、被災他の人々は大きな励ましと受け止めた。

 甚大な被害があった宮城県名取市の避難所、名取市文化会館に避難している安島正利さん(72)は「言葉にとても力があった。ビデオメッセージにしたのは、途中で災害情報を流す際は中断できるように、とのお心遣いだと思う」と感動した様子で「大変励まされた」と話した。

 福島第1原発から20キロ圈内の福島県浪江町から福島市内の体育館に避難している天野美紀子さん(55)は、夫の付き添いで訪れた病院のテレビでビデオ映像を見た。「被災者を第一に考えてくださる様子が伝わってきて、大きな励みになります」と目に涙をにじませながら話した。

   (以上は2011. 3. 17 日本経済新聞記事より抜粋)

       ☆

 今回の巨大地震と大津波は日本にとって戦後最大の災害となりました。千年に一度というような規模の巨大地震津波ともいわれます。

 今日21日の日本経済新聞では「がんばろう日本」と題し、小孫茂・東京本社編集局長の署名入り論説記事を掲載しています。

 「現場では、人と人とのつながりや強い責任感が真っ先に『復興』しつつある。……大震災は『失われた20年』を続けたこの国の問題を鮮明にした。その認識が明治維新、戦後復興に続く『三度目の奇跡』を起こすと信じたい。……がんばろう日本。」

 今回の大震災の犠牲者数は3万人にも上ろうかと思われますが、前の大戦では昭和20年3月10日の東京大空襲だけでも10万人以上といわれており、ほとんど日本全土が焦土と化した大東亜戦争敗戦のショックから比べれば物の数ではない、「国難」というには値しないほどのことかも知れません。しかし、日本国民は「国難」に遭うたびに天皇との絆を強くし、危機を乗りこえて奇蹟的な繁栄を遂げてきました。このたびも大震災の与える教訓を生かし、危機をチャンスとして、新しい力強い出発をすべきときだと思います。

 谷口雅宣 生長の家総裁は、「自然と人間の大調和を観ずる祈り」として、次のような言葉を発表されました。

 「(前略)大地震は“神の怒り”にあらず、“観世音菩薩の教え”である。我々がいかに自然の与え合いの構図から恩恵を得てきたかが、それを失うことで実感させられる。我々がいかに人工の構築物を、田畑を、港を、道路を、送電線を、インターネットを築き上げても、自然界の精妙かつ膨大な仕組みとエネルギーを軽視し、蹂躙する愚を犯せば、文明生活は一瞬にして崩壊することを教えている。我々の本性である観世音菩薩は、『人間よもっと謙虚であれ』『自然の一部であることを自覚せよ』 『自然と一体の自己を回復せよ』と教えているのである。

 現象において不幸にして災害の犠牲となった人々を、“神の怒り”に触れたなどと考えてはならない。神は完全なる実相極楽浄土の創造者であるから、『怒る』必要はどこにもない。人類が深い迷妄から覚醒できず、自然界を破壊し続けることで地球温暖化や気候変動を止められないとき、何かが契機となって人々を眠りから醒ます必要がある。麻薬の陶酔に頼って作品をつくり続ける芸術家には、自分の作品の欠陥が自覚されない。そんなとき、『この作品は間違っている!』と強く訴える人が現れるのである。そんな“内なる神の声”を1人や2人が叫び続けてもなお、多くの人々に伝わらないとき、それを集団による合唱で訴える役割が必要になる--『この作品は描き直し、造り直す必要がある!』と。現象の不幸を表した人々は、そんな尊い役割を果たしている。これらの人々こそ、我々の良心であり、“神の子”の本性の代弁者であり、観世音菩薩である。

 我らは今、この尊き観世音菩薩の教えを謙虚に聴き、心から感謝申し上げるとともに、神の創造(つく)り給いし世界の実相の表現に向かって、新たな決意をもって前進するのである。神さま、ありがとうございます。」

 ──観世音菩薩は相手の機根(きこん=資質、因縁)にしたがい三十三身に身を変じて救いの説法をされるという。今回災害の犠牲となられた方々は、イエス・キリストのように自らを十字架につけて肉体を抹殺し、私たちに救いの説法をなし給うているとも考えられます。「我らは今、この尊き観世音菩薩の教えを謙虚に聴き、心から感謝申し上げるとともに、神の創造(つく)り給いし世界の実相の表現に向かって、新たな決意をもって前進するのである。神さま、ありがとうございます。」というこの祈りのお言葉を深く受け止め、実践実行して行きましょう。

       ☆

 さて、前に紹介しました竹田恒泰氏著『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』の終章では、“ジャパン・ルネッサンス”と題して、次のように書かれています(抜粋、要約)。

●衣食足りずとも礼節を知る

 明治維新は正しかったか。これまで維新は正しいものとされ、その陰の部分について論じられることは少なかった。

 確かに我が国は維新を経ることで国を守った。ペリー提督率いるわずか四隻の軍艦に怯え、開国せざるをえなかった弱い日本はその後、富国強兵の路線を採り、短期間のうちに欧米列強と並ぶ強国にのし上がった。(中略)大東亜戦争で国は焦土と化したが、その後は短期間のうちに復興を果たし、今度は経済大国として世界中の富を集めた。

 明治維新がなければ、列強に蝕まれ、日本はいずれかの段階で解体されていたと思われる。現在の日本国の繁栄の基礎は明治維新にあるといえるだろう。

 ところが、明治維新により日本人は大きなものを失ったのではないか。我が国が大国への道を選んだ代償として失ったものは「日本文明」である。……(中略)

 かつての日本人は貧しくとも楽しく、貧しくとも清潔に、貧しくとも礼儀を重んじ、そして貧しいからこそ勤勉に働きよく学ぶ、そんな集団だった。よく「衣食足りて礼節を知る」というが、そのころの日本人は「衣食足りずとも礼節を知る」人たちだったのである。

 しかし、現在の日本にはそのような日本の美しさはほとんどなくなってしまった。人々は楽して儲けることばかり考え、金を持つ者を崇め、富ばかりを追う悪しき慣習が蔓延し、また、かつて世界最高水準の教育を施していた日本の教育は堕落し、日本人の勤労と勤勉は失われてしまった。

●国の価値は経済力では決まらない

 豊かさとは何か。これに答えるのは実に難しい。様々な考え方があり、決まった答えなどあるはずがない。だが、人々が何を豊かさととらえるかによって、将来の社会の在り方が大きく異なってくることは間違いないだろう。もし、日本人が今のように金銭的豊かさだけを追い求めてあと半世紀も経過したなら、将来の日本は見るも無残な姿になることだろう。

●僕らの時代

 我が国は二千年以上王朝の交代がなかった。世界に現存する国家のなかで最古の国家といえる。今は失われてしまった日本文明を取り戻したとき、日本はかつての輝きを取り戻すだろう。

 米国出身の温泉旅館の女将が「ニッポン人には、日本が足りない」といって有名になったが、日本の良さを認識しているのは、むしろ日本人でなく異邦人なのかもしれない。現代日本人には日本文明が足りない。日本文明の重要性を再認識しこれを復興することによってのみ、美しい日本の姿を甦らせることができると私は考える。

 「日本文明復興──ジャパン・ルネッサンス」これまでの近代合理主義の価値観が日本的価値観に変われば、十年後の日本はまったく別のものになると信じる。幸い、近年は若年層で日本的なものに人気があるという。これを一つの流行に終わらせず、日本文明復興の基盤を整えれば、将来の日本はきっと魅力的な国になるだろう。僕らの時代はまだ始まったばかりだ。


 ──以上は『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』の終章の抜粋、要約でした。今36歳という竹田恒泰氏のこんな著書がベストセラーに入っているというのは、日本もまだまだ捨てたものではない。美しい国日本の実相は必ず顕現すると、希望を持つことができます。
 

49. 魂がひびきあった合唱

<2011. 03. 29>

 26~27日(土・日)、ある合唱団の「春合宿」に参加してきました。それは、感動のあふれる、響きあう合宿──声がひびきあうだけではなく、心が、魂がひびきあう合宿でした。

 合宿の場所は、山梨県北杜市大泉町西井出──来年には生長の家国際本部が移転する予定地から約4kmと近いところ(小海線「甲斐大泉」駅から西へ約1km)にある“森の中のペンション”(「悠遊塾ふぁみりい」)です。森の中の木造の音楽ホールで歌いました。

 「音楽は、技術ではない。それは、人間教育──禅と同様、己を無にし、一人一人のそのままの個性、使命に目覚めさせるもの。」

 禅の修行のような、「分離唱」という方法によって、無になって「耳をひらく」訓練をして歌います。そこから生まれたハーモニーは、この世ならぬ美しいひびきとなるのです。そこに、生かされている感動がわきあがってきます。

 この方法は、以前のブログにも書いたことがありますが、かつて音楽家の佐々木基之先生(『生命の實相』の愛読者でもあった。1901~1994)が、

 「人間はだれでも本来きれいなハーモニーを快く感じる耳を神様から与えられている。その耳に任せて和音にとけ込む『分離唱』の訓練をすれば、だれでもこの世ならぬ美しいハーモニーの合唱ができる」

 ということを発見し、実証して来られました。

 谷口雅春先生著『神癒への道』に、

 「み業は神が為したまうのである。吾々のなすべきことは、一切の『力み』を捨て去り、完全に神に全托することである」

 とありましたが、まさにその「メタフィジカル・ヒーリング(神癒)」を音楽教育に実践されたもののように思われます。

 佐々木先生没後17年になりますが、その道の弟子たちが、澤英俊さんという方をリーダーとして20年以上にわたり研鑽してきたのがこの「ハルモニア合唱団」です。

 ひびきあうことができました。

 「分離唱」の訓練をして、賛美歌などを歌うのですが、ペンションのスタッフの方たちが見学に来られて、しばらく練習風景をみておられるうちに、みなさん、ハンカチを出して涙を拭っておられるのです。

 27日、最後の昼食を頂いてから、食堂のそばでお別れの合唱をしました。またスタッフの方たちが涙を流しながら聴いておられました。そのうち、歌い手の方も一人、また一人と絶句して、最後まで歌えなくなってしまいました。みんな、一つにひびきあった──魂が一つにひびきあって浄化された合唱だったと思います。


 「このハーモニーを世界の人々の心に届けたい。これが私の本来のほんとうにやりたい仕事です」と、リーダーの澤さんは言っています。
 

50. 「神は完全にして、神の造りたまいしすべての物も完全なり」


<2011. 04. 15>

 心新たに、「神は完全にして、神の造りたまいしすべての物も完全なり」と、実相円満完全大調和、実相独在を祈らせていただきます。

 谷口雅宣総裁ご夫妻は2日間にわたりご自分で車を運転して東北被災地の東海岸に行き、宮城県教化部を予告なしに訪れて、「津波の犠牲者の御霊に対し、また災害からの復興に尽力するすべての人々の無事と成功を祈り、聖経を読誦させていただいた」と、ブログ「小閑雑感」に書かれています。

 「・・・・・破壊された街並み、家々、自動車、道路などが脳裏に焼きつく中、常住完全なる実在を説く真理の言葉の朗誦には、自然と力が入るのだった--
 
  万物はこれ神の心、
  すべてはこれ霊、
  すべてはこれ心、
  物質にて成るもの一つもなし。
  物質はただ心の影、
  影を見て実在と見るものはこれ迷。
  汝ら心して迷いに捉わるること勿れ。
  ……」

 と。

 総裁ご夫妻の、神の愛そのものなる、光り輝くお姿を拝ませていただきます。

  * * * * *

 「衆生劫(こう)尽きて大火に焼かるると見る時も
  我がこの土(ど)は安穏にして
  天人常に充満せり。
  園林(おんりん)諸々の堂閣 種々の宝もて荘厳(しょうごん)せり。
  宝樹華果(ほうじゅけか)多くして
  衆生の遊楽(ゆらく)する所なり。」

 この、自他一体、万物一体、完全円満大調和している実相世界こそが本当にアル世界です。

 大震災は夢の如く、本当はナイのである。大地震津波で亡くなられた方たちも、本当は神に護られて生き生きと輝いて今も生きていらっしゃるのである。──私は、そういう祈りをしています。

 そして、「生長の家」は唯一絶対なる神が、応化して仮に聖姿を顕じ、広大の慈門を開き給うたものでありますから、途中で何があろうとも、その神意は必ず成就し、実相が顕現するのであると、堅く信じさせていただきます。 

 かつて昭和40年5月号の『理想世界』誌に、「『中(みなか)』への還元」と題して谷口雅春先生が書かれた御文章が出てきました。

  * * * * *

 幕末の歌人、八田知紀(はった・とものり)は、この日本国が「中(みなか)」の本源に還元するとき、どんなに一時濁っているかのように見えていても、本来の姿に澄みかえることを次の如く歌っている。

   いくそたびかき濁すとも澄みかえる 水や皇国(すめくに)の姿なるらん

 現象を追いまわす知識や、従来の現象から蒐集した先入観念で、事件を処置していると必ず行きすぎや、やりぞこないが起こってきて混乱状態に陥るときがくるのである。それは常に「現在」には「過去」になかった要素を含んでいるからである。

 その混乱がきたとき、イザナギの神が「天津神(あまつかみ)」のところへ詣昇(まいのぼ)りて、「天津神」のみ心を聴きたもうたようにすれば、そこから実相本来の知恵がでてきて、混乱が収拾され、混乱と見えたものが、新たなる発展の契機となって、混乱以前の状態よりも、尚一層よい状態に移行することになるのである。(中略)

 「天津神」とは宇宙本源の太極(たいきょく)であり、絶対無であり、一切現象の未だ出現せざる以前の「中(みなか)」であり、そこに還元することによって現象界の乱れや歪みが去るのである。

 その絶対無なる「中」への還元の修業が、茶道といい、華道といい書道といい、剣道といい、武道といい、歌道といい、神想観というのである。

 すべての日本的芸術または作法が「道(どう)」になったのも、左右分化的な分裂病的籠手先(こてさき)の巧者を越えて絶対無の「中」への還元が日本的精神の姿であるからである。(中略)

 日本国は一時的にどんなに混乱することがあり、歪められることがあっても、「中」に還元することによって本来の美しい実相があらわれるのである。

  (以上、昭和40年5月号の『理想世界』誌所載「『中(みなか)』への還元」と題する谷口雅春先生の御文章より)

     * * * * *

 生長の家の運動も、絶対無なる「中(みなか)」に還元することによって、本来の美しい実相があらわれると信じます。

 ありがとうございます。ありがとうございます。合掌
 

51. 「自分はナイ。空っぽである」


<2011. 04. 16>

 私は2008年2月に、「信仰雑感」と題して東京第一教区の「地方講師会だより」に、次のような文章を書いていました。

     * * * * *

 私は2008年版日時計日記の冒頭「今年の目標」というところに、

 「自分はないのである。空っぽなのである。
  自分を空にしたとき
  すべてはわが内にあり、
  すべての中にわれはあるのである。
  私はすべてである。
  すべてが私である。
  常にこのことを忘れず
  日々感動とよろこびの日を送る。
  私は光である。」

 と書きました。

 そして毎朝佛前に坐し、まずこう念じています。

 「ご先祖様のいのちは神様のいのち。ご先祖様の心は神様の心。ご先祖様のからだは神様のからだ。
  ご先祖様のいのちは私のいのち。ご先祖様の心は私の心。ご先祖様のからだは私のからだ。
  ご先祖様からいただいた命でした。ご先祖様からいただいた体でした。
  私は無かったのです。私は空っぽだったのです。
  本来の空っぽに帰って、自由自在のいのちを生き、感動の生活をさせていただきます。
  空っぽの中にすべてがあり、私はすべてだったのです。
  私の中にすべてがあり、すべての中に私はあり、私は光でした。
  そしてすべては神様でした。完全円満な神様以外には何もないのでした。

  妻よ、あなたのいのちは神様のいのち。あなたの心は神様の心。あなたのからだは神様のからだ。
  あなたのいのちは私のいのち。あなたの心は私の心。あなたのからだは私のからだ。

  娘よ、あなたのいのちは神様のいのち。あなたの心は神様の心。あなたのからだは神様のからだ。
  あなたのいのちは私のいのち。あなたの心は私の心。あなたのからだは私のからだ。」

   (今私は妻・娘と三人で暮らしていますので。)

  〈誌友会などに出かける日は、講師・役員・誌友会出席者皆様などについて、
  《あなたのいのちは神様のいのち。あなたの心は神様の心。あなたのからだは神様のからだ。
  あなたのいのちは私のいのち。あなたの心は私の心。あなたのからだは私のからだ》
  と念じます。〉

  すべては神様でした。すべては私でした。ますますよくなる。ますます素晴らしいことが出てくる。
  今日も感動の一日を送らせていただきます。ありがとうございます。」


 そう念じてから、招神歌をとなえ神想観して、一日の出発をします。

 「あなたは私です」と念じて他を讃嘆するとき、それは自分を讃嘆することなのでした。

 感動と喜びにひたりながらこの喜びを広めて行きたいというのが、私の念願です。

     * * * * *

 去年のブログにも引用させていただきましたが、谷口雅春先生著『叡智の断片』には、次のようにありました。

     * * * * *

 『道は絶対である。絶対には対立がない。道に乗って生きるとは絶対無我の生活になり切ることである。一切の対立がなくなることである。一切の対立がなくなるから一切に和解し、一切を敬(とうと)び、一切が清まり、一切が寂(じゃく)である。これが茶道の清寂であり、そのまま清まる日本の道である。対立する争いをもって生活するが如きは、日本の道ではなかったのである。

 道は「寂」であり、動くものなくして動いており、その動くや必ず万物を生かすのである。対立のなき動きは全機であり、無にして一切であり、○(ゼロ)であるから一切と調和するのである。それを大和の道と云う。構える心がないから、事を構えず、事を構えないから事が起らないのである。構えることがなければそのままとなり、其のままは実相であり、実相は善ばかりであるから善きことのみが現われる。「私」のはからいがないから、全体の動きとピッタリと「一」である。全機である、全即一であり、一即全である。

 本常に明るいと云うのは、全然対立がない「無」になり、無構えになって、天地と一つにとけ合って「寂」となることによって自然に得られる明るさでなければならない。真の明るさは構えた明るさではない。そのまま天地の明るさがあらわれたとき、真に明るくなり、立ち対(むか)うところが悉く明るくなる。』

   (谷口雅春先生著『叡智の断片』より)

     * * * * *

 と。

 このことを忘れず、常にこのように生きたい、というのが私の理想、願いです。

 現象界では谷口雅宣総裁に反対する運動を展開している人たちもあるようで、その激しさにちょっとびっくりしましたが、その人たちも本来、生長の家が大好きな人たちであり、「神は完全にして神の造りたまいしすべての物も完全なり」ですから、実相は円満大調和している、反対の人たちも実は総裁を尊敬し、中心帰一して、神様が始められた生長の家の運動は大調和のうちに伸展しているのである──と、私は命をこめて祈ってまいります。
 

52. 入龍宮不可思議境界録


<2011. 04. 20>

 谷口雅春先生著『新版 叡智の断片』には、「入龍宮不可思議境界録」として次のように書かれています。(抜粋)

     * * * * *

 時間空間の中に生命が生れて来るのではなくして、生命が時間空間をつくるのである。

 時間空間は吾が心の中にある。時間空間は生命の掌中にあるのである。

     ○

 現象の世界は、うつりかわる世界、変遷の世界である。映画のように、光と影との交錯せる世界である。

     ○

 現象刻々流転。されど流転せざる者あり。「今・即久遠」なり。

 「今」を把握すれば人の病い癒え、国の病い癒ゆ。

     ○

 「今」を把握せざる者、天壌無窮を永久に知ることなし。

 「今」を把握せざる者、「不死の生命」を永久に知ることなし。

     ○

 「敗戦前、真の日本なし。敗戦後、真の日本なし。現象裡、真の日本なし」

 前後際断の「今即久遠」にのみ真の日本あり。真の日本を知らざる者は日本人に非ず。

     * * * * *

 「今・即久遠」とは、時間・空間未だ発せざる元のところ、現象展開以前の理念(実相)の世界である。それは「一」であり「天地(あめつち)の初発(はじめ)」であり「中(みなか)」であって、すべてはこの「中(みなか)」の展開であります。その本源の「みなか」に帰るのが「中心帰一」であります。

 「すべての善のうち最も大なるものは、中心に帰一する心をもつことである。」

 とお教え頂いています(『光明道中記』p.36)。

 これが生長の家の御教えの根本であると思います。その根本から、

 「宗教とは『個』が『永遠』と『無窮』とにつながる意識なり。具体的『永遠』とは『皇位』なり、具体的無限とは日本国なり。具体的に神ながらに生きるとは日本国と共に生くる事なり。」(同書p.19)

 という生き方が出てまいります。

 すべては、「中(みなか)」から咲き出でた花であります。

 自分というものは、なかったのです。

 すべてが自分だったのです。

 すべての花は、わがいのちが咲き出でた花でありました。

 感動します。ああ、天地万物は神のいのちの展開であり、わがいのちの展開である!

 「中(みなか)」において、すべては「一」であり、対立するものは何もないのであります。対立するものがないことを「絶対」というのであります。悪を認めない、「悪は無い」というのが「絶対善」であります。

 「相対」の世界は本来ナイ。無い世界をありと認めて、敵を作って戦えば、動・反動の法則により、業は流転し続けて浄まることはないのであります。この宇宙浄化のためには、住吉大神に出御いただいて禊ぎ払いを行い、「悪は無い」「ただ善のみ」とする如意宝珠(にょいほうじゅ)──潮干珠(しおひるのたま)・潮満珠(しおみつのたま)をもってすべてを浄め、「善一元」「光一元」の天照大御神をお迎えしなければなりません。私たちは住吉大神の全心全霊なのであります。

 谷口雅春先生は、

 「住吉大神宇宙を浄め給う。宇宙浄めの天の使として生まれたるが○○○○なり。神は私に使命を授け給う。今日何を為すべきかを教え給う。その教えられたる使命を実践するのが私の生き甲斐である」

 として「○○○○」のところに自分の名前を入れて毎朝祈るがよいと教えられました。私は実践します。
 

53. 平和の祈り


<2011. 04. 26>

 総裁谷口雅宣先生がご教示くださった「自然と人間の大調和を観ずる祈り」に、

 「神の創造(つく)り給いし世界の実相は、自然と人間とが一体のものとして常に調和しているのである。・・・(中略)・・・両者のあいだに断絶はなく、両者のあいだに争いはなく、両者のあいだには区別さえもないのである」

 とあります。

 今、いろいろな花が咲き出で、木々の嫩葉(わかば)が美しく輝いています。

 「物質はない、肉体はない、自分というものは本来なかったのだ! すべてが自分だったのだ!」と自分を空っぽにしますと、わが家の“猫の額”ほどの庭に咲くカイドウや小さなスミレなどの花にも、「自分のいのちが咲いているのだ!」と、うれしく心躍ります。

 わが家の庭だけではなく、隣の家の庭の木々の嫩葉や花々もまたわがいのちの花である。そしてわが家からJR中央線西荻窪駅まで歩いて5分ほどですが、その途中両側の家々の生け垣や玄関まわりなどにいろいろな花が咲いている、それらもみな「自分のいのちが咲いているのだ!」と、うれしく、心が豊かに満たされます。

 『理想世界』昭和34年3月号「3月の祈り」(谷口雅春先生)に、次のようにありました。

     * * * * *

  神よ、荘厳にして美しき緑なす丘、
  透きとおる蒼空(あおぞら)に漂う白き雲、
  山々の樹々に囀る小鳥の歌、
  清冽(せいれつ)なる渓流に泳ぐ金鱗銀鱗、
  万物はあなたの影を宿して生き生きと輝いています。
  あなたの輝きをもて人類の心を照らしたまえ。
  すべての人類が争うことなく
  唯一つの神の生命(いのち)の岐(わか)れなることを自覚し
  互いに手をつないで
  み心が既に“実相の世界”に成るが如く
  現象の世界にも、至福平和の世界が実現いたしますように、
  あなたの無限の愛をわれにそそぎ給え。

     * * * * *

 昭和天皇の御製(昭和8年)に

  「天地(あめつち)の神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」

 と詠まれています。今、私はこの大御心をわが心として、ひたすらに日本と世界の平和を祈り上げます。
 

54. 90歳の恩師が新しいご著書


<2011. 04. 30>

 今年3月に90歳の卒寿を迎えられた、私の母校山口高校時代の恩師 清川妙先生の、『兼好さんの遺言』という新しいご著書が、4月2日に小学館から出版されました。少しずつ丁寧に約1ヵ月かけて、私はそれを感銘深く読み終えました。

 清川先生は、80歳を過ぎてからも毎年1冊以上(時には2冊、3冊と)著書を出版されているばかりか、毎月数ヵ所、カルチャーセンターなどの古典講座に講師として出講しておられ、とても90歳には見えない、若々しい美しさに輝いていらっしゃいます。

 生長の家白鳩会総裁 谷口純子先生も清川先生の古典講座に参加聴講しておられると知り、私はそのような清川先生とご縁があったことをまことに“有り難き仕合わせ”(“ありがたき”とは、あることを願っても、なかなか困難で、めったにはないこと。“仕合わせ”は、“めぐり合わせ”)と喜び、感謝しております。

 その最新刊ご著書『兼好さんの遺言』の「はじめに」・「1 刹那を生きる」というところに、次のように書かれています。

     * * * * *

 遺言とは、遺書の言葉ではなく、兼好法師がその著書『徒然草(つれづれぐさ)』の中で、私たちに教えてくれた、数々の言葉、という意昧なのです。

 思い立ったことがあったら、ためらわず、その場で一歩を踏み出せ。年齢のことなど考えるな。飽きず、続けよ。貫けよ。

 せっかくの一生だ。けっして無駄にするな。心して、一瞬一瞬を大切にして、ていねいに日々を運べ。生きている、というそのことを、何よりも喜ぶのだ。

 と、彼の言葉は自信に充ち、賢く、合理的であり、現代にもみごとに通じるセンスもたたえています。

 『徒然草』をはじめて読んだ少女の日から今日まで、私の歩く道を、いつも兼好さんが一緒に歩いてくれました。そんな人生の途上、困難に遭って立ちすくみ、絶望にうちひしがれているときにも、彼の言葉はきびしく的確に、しかも親身なあたたかさをこめて、私をみちびき、生きる勇気を与えてくれました。

 兼好さん、と呼ぶのは、私の心に、彼へのかぎりない敬慕と親愛があるからです。・・・・・

 一瞬、一瞬、生きている。いのちの粒が光っている。その一瞬、一瞬を、二度と帰らぬものとして楽しむのだ。充実させるのだ。

 ひとり暮らしのいまの私の日々には、亡き夫や息子たちも、まだ、そこらにいるような気もして、言葉を交わすこともたびたびある。娘は近くに住み、私を支えてくれているし、息子の妻とも、息子が生きていたときと変わらぬ親しさで繋がれている。

 そして、もちろん兼好さんは、私の若き日からの〈心の友〉の座に、デンとすわっている。「おいおい、友じゃなくて、先生と言えよ」と、ときどき、彼はブツブツ言っているけれど。

 そんなとき、私は〈心の友〉にこう答える。

 「兼好さん、あなたは私の人生のいろいろな節目に、きびしく、的確な、そして慈愛に充ちたアドバイスをくださったわ。おかげで、私は前を向いて歩くことができた。私はあなたを人生学校のすばらしい先生だと思い、心から尊敬しています。でもね、ほんのときどきだけど、すこし古いわね、とか、やっぱり男性ねって思うときもあるのよ。そんなとき、私はあなたとディスカッションをしたいと心から思うの。そのためにはやはり、先生じゃなくて〈心の友〉の関係がいちばん楽しいと思うのよ」

 ─<以上は清川妙先生著『兼好さんの遺言』より>

     * * * * *


 15歳の女学校時代から四分の三世紀、〈見ぬ世の友〉〈心の友〉としてきたという兼好さんの『徒然草』から学んだ“元気と勇気たっぷりの生き方読本”──清川妙先生著『兼好さんの遺言』について、私が特に感じたところを、これから何回かにわたって書いてみたいと思います。
 

55. 生きていることはすばらしい(1)


<2011. 06. 11>

 前回、4月30日に、清川妙先生(私の母校山口高校の恩師)の新著『兼好さんの遺言』を読んで私が特に感じたところを書いてみたい、と記しましたが、それが書けないまま、あっという間に1ヵ月以上──6週間経ってしまいました。

 その間、いろいろなことがありました。うれしいこともあったし、けっこう心的エネルギーを使うようなこともありました。

 5月14日は、私たち夫婦の結婚満50年、金婚の記念日でした。

 半世紀50年連れそって、4人の子供と私を生み育ててくれた妻に、あらためて感謝しました。「私を生み育ててくれた」のは妻ではなくお母さんだろう、と言われそうですが、子供たちの父親、孫たちの祖父となり、1人の時とはちがって大きく広がった今の私を生み出し、育ててくれたのは妻だった、と思われるのです。

 金婚記念日から4日目の5月18日には、前述・清川妙先生の卒寿(90歳)のお祝いを兼ねてご著書『兼好さんの遺言』出版記念の講演会が飯田橋のあるホテルで開かれ、私も参加しました。(雑誌『いきいき』主宰)

 「楽しみながら、少しずつ、好きなことを、丁寧に、貫き続ける」

 「思い立ったら、時を移さず、行動を起こす」

 というのがお話のテーマなのでした。清川先生は

 「この前の震災で、岩手の釜石で亡くなられた104歳の現役スポーツマン、“走れて、跳べて、投げられて”という方の在りし日の姿がテレビに映され、『心が体で、体が心なんじゃ。自分でこうしよう、と思えば、体も自然についてくる』とおっしゃるのを聞いて、あら私九十、まだ若いわ、と思ったのね」(笑)。

 ──と、お元気で約1時間の講演をなさり、約150名の参会者、ファンの人たちを魅了されました。

      ○

 『兼好さんの遺言』 「14 生きていることはすばらしい」の章より。

 兼好法師は『徒然草』(第137段の書き出し)で、

 「花はさかりに、月はくまなきをのみ、見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情けふかし。」

 と言っています。清川先生の解釈──

 「桜の花はまさに満開のときだけを、月は照りかがやく満月だけを見るものだろうか。いや、そうではないのだ。満月が見られるはずだったその夜、あいにくの雨となり、雨を見ながら、月を恋しく思うこともあるだろう。また、何かのわけあって家に閉じこもり、桜の花の咲いて、散るのも見ることがかなわず、いつか春の過ぎゆくのも知らないでいた、ということもあるだろう。しかしやはり、それはそれで、しみじみと身に沁みる情緒があるものだ──。」

 『徒然草』にはまた、

 「刹那(せつな)覚えずといへども、これを運びて止まざれば、命を終ふる期、たちまちに至る」
 (人は、刹那というこの短い時間を意識しない。だが、これを休みなく運びつづけていけば、人間のいのちの最後もたちまちに来るのである──第108段)

 指をひと弾きする間に六十五の「刹那」があるといわれる。その目にも留まらぬ瞬間を積み重ねて、それが人の一生になるのだ。だから

 「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」(第93段)
 ──この短い一節に「愛する、喜ぶ、楽しむ」というプラスのイメージの言葉を三つも入れている。死ぬことがいやなら、今生きている、生かされていることを大切にして、丁寧に、楽しんで生きよう。

 「今日まで逃れ来にけるは、ありがたき不思議なり。」
 ──今日という日まで(死から)逃げのびて生きてこられたのは、世にも稀な不思議なこと。そう深く思い知ったら、しばしの間でも、この世をのんびりうかうかと過ごしていっていいものだろうか──。

 「“ありがたき”とは、あることを願っても、なかなか困難で、めったにはないことをいう言葉。非常に稀なことを喜ぶ心である。なんと濃い輪郭を持つ明るい言葉であろう。繰り返し、くちずさんでみれば、生きる喜びが、胸のうちに湧きあがってくる」

 と、清川先生は書かれています。

 「済んだことの中に生活せず、『今』のなかに生活せよ。『今』は常に生きている。『今』の中にはあらゆるものが輝いている。『今』は常に新しく、『今』は常に喜びに満ちている。過去にどんな悲しいことがあったにしても、それについては思い煩うな。『今』天地は一新したのである。もう別の天地に生きているのである。過去に寒風に吹き曝(さら)されたことを嘆かないで、『今』梅の花は喜びに満たされて咲いている。梅の花よりも強く尊く逞(たくま)しきが人間である。喜ぶべきことしか無いのが人生である。」

 というのが生長の家の「智慧の言葉」として『新編聖光録』に収められていますが、古の賢者も同じことを言っているのですね。

 清川先生は私の「母校の恩師」──といっても、高校時代に直接授業を受けたことはなかったのですが、90歳になられてもみずみずしい感性、心と体をお持ちで、なんだか母のような、姉のような、家族のような感じがしてしまいます。そして、女性のすばらしさ、男性とはちがった繊細微妙なすばらしい感性について、教えていただき、心豊かにとても勉強になりました。
 

56. 生きていることはすばらしい(2)


<2011. 06. 12>

 私は6月が誕生月で、まもなく78歳。運転免許証の更新時期にもなり、昨日その更新手続きを終えて新しい免許証をもらってきました。

 現在、75歳を過ぎた「後期高齢者」が免許の更新を受けるには、まず予備検査(認知機能検査)を受け、それから「高齢者講習」などを受けなければなりません。そのとき「チャレンジ講習」という実地運転の試験を受けて合格すれば、講習時間が短縮されるというので、私はそれに挑戦しました。

 まず、予備検査(認知機能検査)は記憶力・判断力のテスト、つまりボケの検査で、私は全くその心配がないという最高最良の点数でパス。実地運転のチャレンジ講習も1度で無事通過しました。そうして昨日いただいた免許証の写真を見て、思いました。前の免許証の写真(3年前撮影)よりも、今回の写真の方が、しっかりした若い感じに見えるのです。

 「私は、年とる毎に年齢(とし)を減らして若返る」と言い続けてきました。その言葉通りに、「心が体で、体が心なんじゃ。自分でこうしよう、と思えば、体も自然についてくる」(前のブログ記事参照)となってきたように思います。

 6月4日には生長の家本部練成道場(飛田給)で一講話担当させていただきました。そのときかつて赴任していたことのある、震災被災地福島教区の方たちが数人来ておられて、私が10年ほど前、福島教区に赴任していた時よりも若々しく元気なのに驚いたと言ってくださいました。

 それは、全く生長の家の御教えにしたがって生きてきた、生かされてきたおかげであると思います。「もはや我れ生くるにあらず、神のみいのち今ここにありて生き給うなり」と、ただ感謝あるのみです。

      ○

 前記の恩師 清川妙先生は、今90歳でも若々しくお元気で活躍していらっしゃいますが、数々の苦難をのりこえられた体験もお持ちなのです。

 17年前にご主人が旅先で急逝され、6ヵ月後には49歳の息子さんを亡くされた。その10日前にご自身も胃がんで胃の3分の2を切除されるというトリプルパンチ。

 息子さんは耳が聞こえなくて、幼少の時から(傍から見れば)大変なご苦労をされたのだけれども、清川先生は「私が作家になれたのは、この息子のおかげ」とおっしゃって、感謝されている。

 耳の聞こえない息子さんのために、少しでも良い教育環境をと、昭和28年(私たちが山口高校を卒業した翌年)故郷の山口から千葉県市川市に移転されたのでしたが、市川の聾学校(教育大附属)で「聾教育は底なしのつるべで水を汲むような、根気の要る仕事ですよ」と言われる。先生は、「底なしのつるべでも、水を汲むときにはしずくがついてくる。その水のひとしずく、ひとしずくをためていこう」と決意して、たゆまぬ努力を積み重ねられたのです。その手記を新聞に投書したのがきっかけで作家への道を歩まれることになったのでした。

 その後息子さんは、並々ならぬ努力により、早稲田大学を卒業して、都立聾学校の教師を務められ、「城の研究」でも立派な業績を残されました。その息子さんが亡くなられたとき、「あなたはいい人生を持った、幸せな人生だったよ」と言って涙を流されたそうです。

 その感動の体験を綴られた文章も掲載されている『ひとりになってからの生きがい──夫と子の死をのりこえて』というご著書があります。私はそれを読んで、幾度も涙をおさえることがことができませんでした。

 清川先生は、日本の古典の中で好きな作家は兼好法師と清少納言、と言われます。清少納言は、「なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし」(枕草子)と言って、小さいものを見て感心できる人、何にでも喜びを感じられる人だから、と。

 まさに、「日時計主義」──「太陽の輝く時刻のみを記録する、生長の家の生き方」をされているんですね。

 清川先生は卒寿の今年、まだまだたくさんの本を出版されるそうですが、ある人から「30年くらい前に出された本と比べてみても、いまの文章の方が若々しい」と言われたそうです。
 

57. 「ふるさと」 に帰る(1)


<2011. 06. 13>

 前述の清川妙先生は、『致知』という雑誌の7月号でも取材され「生涯現役」というタイトルのところに掲載されています。5月18日の講演会で先生はそのこともお話しされたので、私は『致知』の購読も始めました。とても実のある雑誌です。

 その中で、鈴木秀子さんという「国際文学療法学会会長」なる方が、「人生を照らす言葉」(連載第32回)として「ふるさと」の歌にまつわる感動的な話を書いておられます。

 1995年の阪神淡路大震災の時のこと。1月17日午前5時46分52秒、まだ就寝中の人が多かった。死者の80%相当、約5000人は木造家屋が倒壊し、家屋の下敷きになっての即死だった。特に1階で就寝中に圧死した人が多かったと言われます。その時の話(要約)──

      ○

   「地鳴りの中で静かに響いてきた歌声」

 地震発生時、Kさんもまだ布団の中にいた。突然の激震。あっと思う間もなく家は大きく崩れ、同じ部屋に寝ていた奥さんとの間にドーンと何かが崩れ落ちてきて夫婦は身動きが取れなくなった。

 Kさんは大きな声で隣にいる奥さんに声を掛けたが、返事はなかった。別の部屋で寝ていた幼い二人の子供たちの名前も呼んだが、やはり何の反応もなかった。

 Kさんは声を枯らして叫び続けたが、やがて力尽きて声を出そうという気力すら失せていった。

 どのくらい時間がたったか、諦めかけたKさんの耳に入ってきたのは、余震の地鳴りの音にかき消されてはっきりは聞き取れないものの、それは奥さんの声で、「故郷(ふるさと)」の歌であることが分かってきた。

   兎追いしかの山
   小ぶな釣りしかの川
   夢は今もめぐりて
   忘れがたき故郷(ふるさと)

   如何にいます父母
   恙(つつが)なしや友がき
   雨に風につけても
   思いいずる故郷

   こころざしをはたして
   いつの日にか帰らん
   山はあおき故郷
   水は清き故郷

 歌声は何度も繰り返され、「如何にいます父母」という言葉に差し掛かった時、Kさんは亡くなったそれぞれの両親が突然目の前に現れたかのように感じた。

 「ああ、両親が助けに来てくれたんだ。瓦礫から守ってくれただけでなく、いつも見守ってくれていて、この世を生きていく上での重石やしがらみを取り去ってくれているんだ」そう思うと、涙がポロポロと流れた。

 奥さんの歌はやがて三番の歌詞に移り、「こころざしをはたして、いつの日にか帰らん」で、Kさんは、自分が人生の旅路を終えてどこに帰るのかと考えた時、「それは父母のいるところだ。“こころざし”というのは立身出世のことではない。この世にいて自分の生を輝かせることだ、愛を持って生きることだ」と思った。

 Kさんは瓦礫の中にあって、確信した。人間は誰しも大宇宙に生かされた存在であり、自分も奥さんも亡くなった両親も、ともに深いところで命という絆で結ばれていること、生きているうちに身につけた地位や財産ははかなく消え去り、この世の生を全うした後は魂の故郷に帰っていくということ……。

 Kさんは奥さんの歌声に引き込まれるかのように自分も一緒に歌い始めた。最初は小声で歌っていたものの、奥さんがKさんの歌声に気づいて一緒に調子を合わせ始めたことに気づくと、力いっぱいに歌うようになった。二人の合唱は瓦礫の壁を突き破るかのように響き、間もなく二人は救助される……。

   (『致知』2011年7月号より、要約)

      ○

 私は、上記「故郷(ふるさと)」の歌にまつわる記事を読んで、また浮かんできたのは、『新版 真理』第9巻(谷口雅春著)318~319頁の一節です。

      

   神の国への郷愁

 あなたは神の子であり、あなたの本当の故郷は“神の国”であります。あなたが本当の郷里に帰るまでは郷愁は去らないでありましょう。郷愁は色々の形であらわれます。理由のない寂しさや、憂鬱や、それから起って来る色々の問題や、経済的な行き詰りや、肉体的な病気なども、いわば、自分の郷里である「神の国」に自分が住んでいない郷愁のあらわれであります。

 神の国には私たちに必要なあらゆる富、あらゆる幸福が常に備わっているのであります。あなたが神の国を今ここに見出されますならば、あなたは一呼吸、一挙手、一投足にも神の力と生命がそこに、あなたに於いて呼吸し、行動していることがわかるのです。あなたの思いが、計画が、神御自身の思いであり、計画であることになるのです。神御自身の思いや計画が成就しないということはないのです。

      *


 この「神の国」が、私たちの魂のふるさと。それは、時空を超えた「久遠の今」。死んでから帰るところではなく、生死を超えて、今もつねに私たちはこの「神の国」なるふるさとにいて、神に守られ、神のいのちのさきはえ(先延え)を受けているのでした。
 

58. 「ふるさと」に帰る(2)


<2011. 06. 14>

  「われに来よと 主は今
   やさしく 呼びたもう
   などて愛のひかりを
   避けてさまよう

   『かえれや わが家に
   帰れや』と 主は今呼びたもう」

     (讃美歌517番より)

          *

 さて、昨日のブログでご紹介した鈴木秀子氏の記事のつづきです。

 残念なことに、Kさんの二人の子供たちは命を失っていました。しかし──

 「子供たちは自分の使命を終えて魂の故郷(ふるさと)に帰っていったのだと思います。子供たちは、人間というものは永遠の世界に向かって旅を続けている存在であることを命に替えて私たちに教えてくれたのです」

 ──と、Kさんは「故郷」の歌で子供たちを天国に送り、亡くなった子供たちの分まで命を輝かせて生きることを奥さんと誓いながら明るく生きておられる。

 「『故郷(ふるさと)』は、不思議な歌です。人種や年齢を超えて人々の魂に届くものがあり、ともに一緒に口ずさむと、いつしか皆の魂が一つに融け合っていくのです」と、ダークダックスのメンバーの一人が言っている。

 そのメロディーのルーツをたどると、イギリス人などによって歌い継がれた讃美歌の一つで、その原詩は次のような内容だといわれます──

 「私たちは一人ひとりが神様から愛されている神の子であり、一人ひとりが大切な存在なのだ。この神様の愛に私たちは何をもって応えようか。この命を与えられている私という存在を、こんなに愛してくださる神様の愛に応えることこそ、生きていくということなのだ。……」

 と。

 「私たちは誰でも、いつかはこの世の生を終えて永遠の故郷(ふるさと)へと帰っていく目が訪れます。しかし、そこにはお金も地位も名誉も肩書も持っていくことはできません。ただ、一つ、永遠に繋がる魂だけを持って旅立っていかなくてはならないのです。

 魂を生かすものは何でしょうか。それは愛です。

 『こころざしをはたして』 いつか誰もが帰っていく魂の故郷。いつか訪れるその日のためにも、私たちにはいまいる現実の世界で愛を育み、愛を生き抜くことか求められているのではないでしょうか。」

 と、鈴木秀子さんは『致知』2011年7月号に書いておられました。

         ○

 「故郷(ふるさと)」の歌は大正3年『尋常小学唱歌(6)』の教科書に載せられた「文部省唱歌」の一つです。文部省が東京音楽学校(東京芸大音楽学部の前身。初代校長は紀元節の歌の作曲者である伊澤修二)に編纂を依頼し、編纂委員会で合議により作詞・作曲されたもので、著作権は文部省が所有し、個々の作詞作曲者は伏されていました。編纂委員会の委員にはキリスト教徒が多かったので、文部省編纂の小学唱歌は讃美歌の影響を受けた曲が多いと言われます。

 編纂委員の1人で現在「ふるさと」の作曲者とされている岡野貞一氏も、明治25年に14歳のとき鳥取教会で洗礼を受けたクリスチャンでした。調べてみると、岡野氏は尋常小学唱歌を数多く作曲したという伝聞があるので「ふるさと」も岡野氏の作曲とされていますが、岡野氏自身は「ふるさと」が自分の作曲であると言ったことはなく、自筆原稿が見つかったこともないので、岡野氏個人の作曲とする根拠は弱いそうです。このメロディーのルーツがイギリス人などによって歌い継がれた讃美歌の一つであったという説は初めて知りましたが、あり得ることだと思いました。

 『日本の唱歌』(講談社文庫)の前書きで、金田一春彦氏は「日本の唱歌は讃美歌がお手本になっている」と書いています。

 日本の「唱歌」の始まりは、明治5年頃、外人居住区にあって後にフェリス女学院や神戸女学院となった私塾で、生徒や信者が歌った讃美歌でした。日本に小学唱歌が制定されたのは明治14年の「小学唱歌集」の出版でしたが、この所収91曲の内12曲は讃美歌でした。

 もともと唱歌は外国では讃美歌であり、日本に導入された多くの曲ははスコットランド民謡とともに讃美歌でした。明治の日本に讃美歌を導入するということは許されることではなく、クリスチャンであった岡野貞一らの「讃美歌隠し」の苦労は計り知れないものがあったであろう。

 「たんたんたぬきの金時計・・・」 などという替え歌になったメロディーも、原曲は

 「Shall we gather at the river ……」
 (まもなくかなたの ながれのそばで/たのしくあいましょう またともだちと/神さまのそばの きれいなきれいなかわで/みんなであつまる日の ああなつかしや) という讃美歌。

 「むすんでひらいて」(原曲はフランスのルソー作曲)等もれっきとした隠し讃美歌であった。

 クリスチャンの岡野貞一は讃美歌を書きたくても書けず、小学唱歌という讃美歌を書いたのであった、と言われています。

 東京音楽学校には岡野のように鳥取県出身の俊才が多く集まった。田村虎蔵(「うらしまたろう」「はなさかじじい」などの作曲者)、永井幸次(大阪音楽大学の創始者)、4年遅れて岡野貞一等・・・岡野の音楽学校の仲間は永井幸次、滝廉太郎等、皆クリスチャンであった。山田耕筰、恒子もそうである。岡野が作曲した唱歌は「ふるさと」「朧月夜」「児島高徳」「水師営の会見」「春の小川」「春が来た」「もみじ」「桃太郎」などで、これらは日本人の魂に鳴りひびく懐かしのメロディーであります。

         ○

 なぜ、このような「隠し讃美歌」のメロディーが日本人の魂に共鳴したのでしょうか。

 それは、日本人の魂には、「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」が鳴りひびいていらっしゃる。「御中(みなか)」とは、時間・空間がそこから発した、万物発生の枢機を握る一点、「未発之中(みはつのちゅう)」「久遠(くおん)の今」であり、キリストの説いた「父の国」「神の国」そのものであるからだと、私は思うのです。この「万教帰一」の大真理をお説きくださった谷口雅春大聖師に、あらためて感謝を捧げる次第です。

 「この『久遠の今』というのは時間、空間を超越した、万物発生の枢機を握る一点なのであるから、尊師が『久遠の今』をお悟りになったということは尊師が『久遠の今』そのものであるということである。この一切万物発生の枢機を握る一点に立たれた時、キリストも釈迦も古事記も一つの同じ真理を説いていることが解って来たのであった。万物は『久遠の今』という中心から発したのであるから当然、真の宗教である限りに於いてすべて宗教は一つに帰るという真の相(すがた)を発見されたのであった。ここに万教帰一(ばんきようきいつ)の教えが生れる根拠がある。」

 と、榎本恵吾(えのもとけいご)元生長の家本部講師(平成17年没)は、『光のある内に』という本に書いていました。
 

59. 生と死について


<2011. 06. 15>

 筑波大学名誉教授で遺伝子工学の第一人者、村上和雄先生は、最近『人を幸せにする 魂と遺伝子の法則』(致知出版社)という著書を出されています。さっと読ませていただきました。

 村上先生は昨年11月に軽い脳梗塞で10日間入院された。入院とその後の自宅静養から、多くのことを学んだ、と「まえがき」に書かれています。この御本で心に残った、魂にひびいた言葉を記しましょう。(要約)

           *

 ○ DNAは生命の設計図と呼ばれているが、正確には身体の単なる設計図。細胞を作るのに必要な材料を集め、必要なエネルギーを使い、設計図通り組み立てている細胞の建設業者は誰なのか。それが「サムシング・グレート」(神)だ。

 ○身体は、地球からのレンタル。私たちは「神のからだ」を借りて生きている。一定期間は地球上で使うことができるが、やがて死によって借り物である身体を大自然に返すのである。身体の貸し主は、大自然、「サムシング・グレート」(神)。

 ○では、借り主は誰か。借り主は「魂」である。

 ○遺伝子に魂はない。

 ○死は、次の新しい生きものを生むための準備。

 ○遺伝子の観点から見れば、誕生と死はペアでプログラムされている。死をプログラムされていない生き物は、進化レベルで大変不利だ。

 ○死は再生への出発点。もし、死が人生の敗北であるなら、すべての人生は敗北で終わってしまうことになる。しかし、科学の世界から見ても、死は再生(生まれ変わり)への出発点なのである。

 ○真の健康は、単に病気がないだけでは成り立たない。誕生と死を貫く、生きとおしの「魂」の健康にも、目を向ける必要がある。
 「魂」は個人レベルを超えて、多くの人と無意識のレベルではつながっている。さらに「魂」は人間レベルを超えて、大いなる存在につながっている。だから、魂の健康には、人間を超えた「大いなる存在」ときちんとつながっている状態が大切である。

          ○

 『致知』7月号には、「生命(いのち)のメッセージ」という連載対談で、村上和雄先生が天外伺朗(てんげ・しろう)天外塾塾長と対談された記事が、載っています。その中で、天外さんが言っておられる言葉──

          *

 良寛に有名な言葉がありますね。

 「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるる妙法にて候」

 実はこの言葉、大地震のお見舞いの手紙の中の一節なんですね。

 僕はこれ、ものすごく深いと思います。人間の運命というものは、そんなに簡単によし悪しのレッテルをつけられるものではありません。悪いと思った中に素晴らしい運命の種があるし、いいと思った中に悪い種がある。

 災難や逆境がなぜ苦しみになってしまうかというと、その摂理に目を向けられず、じたばたとそこから逃れようとするからです。

 だから、まさに今回もこの良寛の言葉に当てはまることで、起きてしまったことを嘆いてもしょうがない。この大災害を日本人全員かしっかりと受け止める。そこから次に繋がるよい種を見つけ出し、新しい出発をすると。

          *

 ──現象は影にすぎず、本来無し。肉体は仮(借り)のもの、本来無し。「今」に感謝し、「今」精いっぱい、愛を行じてまいりましょう。

 谷口雅春先生作詞「使命行進曲」を高らかに歌いながら。

 それが、村上和雄先生の言われる「魂の健康」への道なのだと信じます。

          *

      使命行進曲

  1.人間何の目的ぞ
    人生何の意義ありや
    その目的を知らずして
    人と生れて甲斐ありや
    人と生れて甲斐ありや

  2.人は生命(いのち)を神に享(う)け
    神の最高実現と
    此世(このよ)にうまれ使命享く
    使命果さず甲斐ありや
    使命果さず甲斐ありや

  3.愛行(あいぎょう)こそはわが使命
    神は愛なりただ与う
    神のみ跡をまなびつつ
    われ愛行にいそしまん
    われ愛行にいそしまん

  4.使命に生くる者のみが
    知るよろこびを我れ生きて
    生命(いのち)きたえていざ起(た)たん
    たましい浄めいざ行かん
    たましい浄めいざ行かん


              <「わが使命行進曲」 完>