【総裁への公開質問3】 原発は、絶対悪でしょうか?

       神様は、悪いもの、無駄なものをお造りになったのでしょうか?



  









 ご著書『宗教はなぜ都会を離れるか?』に、次のような問答が掲載されています。

   地球と人間が共存するために

 Q
 総裁先生は、原子爆弾は“絶対悪”のように仰いましたが、これまでの長年の成果として原子力をようやく平和利用できるようになったことで、原子力発電があると思います。現在の技術として、廃棄物の処理等が不可能で完全に管理できないことは確かであり、教団が脱原発を選んだことは賛成しますが、未来的に考えて放射能と廃棄物の完全な管理と安全な利用ができれば、原子力発電を使ってもよいと思われるのですが……。あるいは、人類はそれを目指すべきではないでしょうか?(50歳・会社員)

 
 原発関連の質問です。最初に「総裁先生は、原子爆弾は“絶対悪”のように仰いましたが、これまでの長年の成果として原子力をようやく平和利用できるようになったことで、原子力発電があると思います」とあります。この方の認識はこういうものですが、私は必ずしも賛成しない。また、「未来的に考えて放射能と廃棄物の完全な管理と安全な利用ができれば、原子力発電を使ってもよい」とおっしゃり、さらに「人類はそれを目指すべきではないか?」と書かれています。
 なぜですか? 私は、「なぜ原子力でなければいけないか?」と聞きたいです。また、ほかにもエネルギー源は多くあるのに、なぜ原子力か? と問いたいです。原子力発電と他のエネルギー利用が違う最大の点は、原子力が生物一般に共通して有害であるということ、つまり、生物の組織の基本設計を定めた「遺伝子」を破壊するという点です。原子力利用は、この一点で、他のエネルギー利用技術と根本的に違うと私は思います。(『宗教はなぜ都会を離れるか?』97~99頁より)


 ――私は、質問者とほぼ同意見で、総裁のお答えを伺っても納得し切れません。

 総裁は、
〈なぜですか? 私は、「なぜ原子力でなければいけないか?」と聞きたいです。ほかにもエネルギー源は多くあるのに、なぜ原子力か? と問いたいです〉
 とおっしゃっています。(前掲書98頁)

 それは、「①原発のエネルギー効率の高さが桁違いに抜群であり、②火力・水力や、風力・太陽光などの“自然エネルギー”などよりもはるかに安全である。しかも放射線は必ずしも生物にとって有害ではなく、線量が低ければ却って有益な効果をもたらすので“絶対悪”ではなく、神の愛の賜だと思われるから」と言えましょう。それについて具体的なことは後述しますが――まず、総裁が

 〈原子力発電と他のエネルギー利用が違う最大の点は、原子力が生物一般に共通して有害であるということ、つまり、生物の組織の基本設計を定めた「遺伝子」を破壊するという点です。原子力利用は、この一点で、他のエネルギー利用技術と根本的に違うと私は思います〉

 とおっしゃっていることへの疑問があります。“原子力が生物一般に共通して有害であるということ、つまり、生物の組織の基本設計を定めた「遺伝子」を破壊する”というのが、まちがっているのではないかということです。

 原子力(放射線)が遺伝子を破壊する、と最初に説いたのは、昭和2年(1927)アメリカのマラーという遺伝子学者です。ショウジョウバエのオスに放射線を浴びせたら大量の奇形が生まれたということが発表されました。しかし、1950年代にDNAの二重らせん構造が発見された後に、ショウジョウバエの特徴が明らかになった。人間のDNAは、放射線や活性酸素などで障害を受けても、「修復酵素」によって修復されることがわかった。ショウジョウバエの雄の精子は「修復酵素」がない例外的なものだということがわかったんです。

 いま世間に罷り通っている放射線の常識は、線量の多少にかかわらず放射線はすべて生物学的に有害であるという「LNT(Linear Non-Threshold)仮説」(しきい値無し直線仮説)の“迷信”に基づいてさまざまなことが行われ、さまざまな事態が起こっている。脱原発の叫び声が高まり、ついに日本の原発発電量はゼロとなったり、電力危機が目前に迫っている。除染などという愚行が行われ、人々は苦しい避難生活をはじめ生活の根本を揺さぶられ、特に女性や子供の不安感、恐怖感は強い。国を損ない、社会を害し、個人を苦しめているこの放射線の常識が間違っていたら、どういうことになるのか。

 その実証データの端的な一例――原爆が爆発した広島・長崎では、生き残った人も多く、その後に多くの人に子供が生まれた。放射線を浴びると遺伝子が傷つき、奇形が発生するとされているが、広島・長崎に奇形が多く発生したか。そんな事実はまったくない。さまざまな調査がなされ、データが蓄積されているが、奇形の発生率が高まったという有意性のある数字はどこにも見当たらない。広島・長崎には奇形が多いという風評さえ聞かれない。理由は簡単。そういう事実がまったくないからである。

 広島、長崎の放射線量率は福島の約一千八百「万」倍だった。しかし、広島や長崎の人のほうが健康状態が良かったのは、低い線量の放射線はむしろ体にいいから。医学には「ホルミシス効果」というものがあって、有害物質でも少量の場合には刺激作用を起こして体に好影響を与えることがある。ラジウム温泉に行って体を癒す人たちがいるのは、放射線を浴びるために温泉に行っているんです。低線量の放射線はまったく困らない、むしろ体にいいのに、除染、除染と騒いでいる。科学的根拠もなく国民の不安をあおっている人たちがいる。放射能というのは、その実際の危険性よりも、まさに天文学的な倍率で誇張されているようです。あれだけの報道にもかかわらず、放射線による死者はひとりも出ていないどころか、福島第一原発の現場作業員で、急性放射線障害になった人もまだひとりもいないのです。
 総裁の『次世代への決断 宗教者が“脱原発”を決めた理由』も読ませて頂きましたが、残念ながら、やはりマスメディアの「放射線は人体に危険以外の何物でもなく、原発は絶対悪」とする論調に大きく影響され、全相を踏まえないで感情が先に立った論のように思えます。それは例えば、「自然界を汚染し続ける放射線」(『次世代への決断』24頁)という小見出しのところにも端的に表れています。

 しかし――「熱」だって危険なものです。100度の熱では生物は死滅しますし、1000度にもなれば住宅も皆焼けて殆どガスになってしまうでしょう。しかし、適度の温熱は健康で快適な生活に必要です。医学上の「ホルミシス効果」というのも、そういうものであるようです。

   「無駄なものは何もない」

 総裁のご著書『日々の祈り』の中の『「無駄なものは何もない」と知る祈り』には

 『「無駄はない」とは、すべての存在が神の愛、仏の慈悲の表れであると観じるときに理解される。(中略)あらゆる存在が「神の愛」「仏の慈悲」の一部を表現していると知ることにより、あらゆる存在の意義を認め、それらの背後にある「愛」や「慈悲」の働きを引き出す努力につながるのである。』(166~167頁)

 と書かれています。原子力エネルギーも、「ホルミシス効果」により低線量の放射線は人体に却って好影響があると知れば、「放射線も神の愛、仏の慈悲の表れである」ということになります。

 チベット仏教のダライ・ラマ法王は「常に物事は全体を見るべきです。原子力が兵器として使われるのであれば決して望ましくありませんが、平和目的であれば別問題です」と言い、自然エネルギーは高価で、世界の多くの貧しい人たちが利用することができない。「先進国にとってだけではなく、これから発展を遂げる国にとっても十分でなければ、貧富の差が広がってしまいます」と。

 また、総裁がご著書『“森の中”へ行く』で紹介され『次世代への決断』の序章(8~9頁)でも引用されている地球環境保護運動のリーダー、ガイア理論で有名な地球物理学者のジェームズ・ラブロックも、原子力を強力に推進しています。化石燃料から排出されるCO2による地球温暖化・気候変動のリスクを非常に深刻に受け止めていて、大量のエネルギーの消費なしで生きていくこともできない人口をすでに地球は抱えている。化石燃料によるエネルギーがなくなれば世界の人口の何割かがすぐに死滅するような問題だ。その中で唯一、気候変動リスクを低減させながら、エネルギーを供給できるのが原子力だと、ラブロックは考えているのです。反原発団体が、よく高レベル放射性廃棄物を理由に原子力を批判していますが、ラブロックは「世界中の高レベル放射性廃棄物を自分の私有地に引き受けてもいい」と宣言しました。彼はイギリスの田舎の、小川が流れ森が茂る広大な土地を購入してそこで暮らしていますから、世界中の高レベル放射性廃棄物を自宅に受け入れることは可能なのだということです。

 私には幸いなことに、原子力問題専門家のよき友人がいます。大学時代の同期生で二年間寮生活を共にしながらグラウンドホッケーに明け暮れた、石川迪夫(みちお)君です。彼は昨年、『考証 福島原子力事故 炉心溶融・水素爆発はどう起こったか』というA5判360頁の大著を公刊しました。その冒頭に元東大総長で文部大臣・科学技術庁長官も務めた有馬朗人氏が次のような推薦文を書いています。

          ○

 「本書の著者、石川迪夫氏は、我が国が誇る原子力安全工学の第一人者である。旧日本原子力研究所で世界に貢献する安全研究の成果を上げ、北海道大学の教授として若手を育成、国際原子力機関(IAEA)の国際安全基準作成活動に日本代表として参加、そして日本原子力技術協会の初代理事長など、その名は広く世界の原子力関係者に知られている。……中略……石川氏が福島第一原子力発電所事故の複雑な様相の謎を解く著作を執筆中と聞き、原稿を拝見させて頂いたところ、難解と言われる原子炉内部で起きた事故現象が明快に解明されており、目から鱗が落ちる思いをした。全世界に知らしめるべき大変な分析、考証がなされており、是非ともその出版に当たっては推薦の辞を書かせていただきたいと考えたのである。……中略……原子炉事故に関する石川氏の博学は群を抜いている。……中略……石川氏は、津波来襲前に地震で1号機の配管が破断していたとする国会事故調の軽率な見解を大きな誤りと指摘している。また、福島事故を受けて設置された原子力規制委員会が策定した新規制基準は、全世界の原子炉安全工学者が深い洞察と長年にわたる慎重な検討で完成した安全設計の基本を無視し、ただ世界一厳しければ良いとの思い込みから全体の最適を図らず、例えば、異様に高い防波堤は一度越流すれば内側に貯えられた水の排水に時間を要し有害なものとなり得ること、福島事故の分析からフィルターベントの設置の必要性がないことなどを鋭く指摘している。安全設計強化の要求がバランスを欠き、実体としては安全性の低下をきたしていないか懸念を感ずるとしている。……中略……海外の専門家も、福島事故についてこの種の貢献が日本からあることを心待ちにしていたはず。日本の辛い体験を世界に説明し、原子力の安全性向上に役立てるべきであり、そのためには本書が大いに活用できる。きっと、本書による福島事故の解明は、世界中の専門家を驚かすことであろう。」 と。

          ○

 ――この本を読んだノンフィクション作家の立花隆氏は「文春図書館 私の読書日記 2014・5・29」に、次のように書いています。

          ○

 石川迪夫『考証 福島原子力事故 炉心溶融・水素爆発はどう起こったか』(日本電気協会新聞部)を読んではじめて、あの事故の真相にかなり接近したと思った。

 著者は、原子力安全工学の第一人者。日本原子力技術協会の初代理事長、国際原子力機関(IAEA)の日本代表などを歴任。今回の専故でも米国科学アカデミー調査団とのハイレベルの会合に出席して、事実調査と原因究明にあたった。御年80歳だから「事故解明は若い者の仕事と思い、手を付けずに」いた。「これはいかんぞ」と思ってこの本に手を付けたのは、2012年。何が「いかんぞ」なのか。NHKが何度も放送したパネルの事故説明がまちがっていたから。大方の読者が頭に描いている説明も、原子力関係者が頭に描いているストーリーも同じようにまちがっている。

 「炉心溶融と水素爆発」があの事故の核心部分。それがどのようになぜ起きたのか、そこがわからないため「いまだに福島の事故についての明快な説明がなされていない」。あらゆるデータを再解析した上で、福島事故の全貌を書いたのが本書。素人には読みにくいが、実証的論理展開に迫力がある。福島事故の推移があますところなく描かれる(なぜ各原子炉のメルトダウン時間がずれたか。4号機はなぜ爆発したか)。なるほど本当の専門家はここまで解明できるのかと驚く。これまで日本のジャーナリズムに氾濫していたエセ専門家たち(特に原発反対派)の妄言(「現代の迷信」)にあきれる。軽水炉の意外に強固な安全性が、スリーマイル島事故の精密解析とその後の十年間に及ぶ日米独原子炉暴走臨界実験から導かれる。暴走させても「燃料棒がドロドロに溶けて……」という映画「チャイナ・シンドローム」のようにはならないのだ。ところがNHKは、そのような事故が起きたと図解した。事実は、燃料棒の「被覆管ジルコニウム酸化被膜が融点が高く強靱」なため、あのタイプのメルトダウンは起りえないし、事実起らなかった。燃料棒破損による放射能漏出はきわめて少く、放射能による直接死者はゼロのレベルにとどまった。福島事故は原子炉の意外な安全性の証明になったが、日本の政治指導者のダメさかげんもあらわにした。

 菅首相が現地の視祭飛行などに血道をあげず、「落ち着いて後方支援に取り組んでいれば、2・3号機は助かった、というのが私の結論」。あの時、官邸に集合していた政府首脳たちは「何ひとつ役に立たなかった」。

          ○

 ダライ・ラマ法王が「常に物事は全体を見るべきです」と言われるように、いたずらに恐怖をあおるようなマスメディア報道に惑わされず、冷静にエネルギー問題、原発問題の全体を見てまいりましょう。

 そのときに、藤沢数希著『「反原発」の不都合な真実』(新潮新書)は、必読の参考書だと思います。(石川迪夫氏の著書は専門的で素人には難しいかと思いますが)藤沢数希氏はエネルギー産業と直接の利害関係がなく、科学者でありまた経済学やリスク分析の専門家で、大局的立場からエネルギー問題の全貌をわかりやすく説いています。本冊子43頁に私が「①原発のエネルギー効率の高さが桁違いに抜群であり、②火力・水力や、風力・太陽光などの“自然エネルギー”などよりもはるかに安全である」と書きましたのは、同書によるところが大きいのです。そのポイントを以下に列挙させて頂きます。

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   エネルギーなしでは生きられない

 現代社会の人々はエネルギーなしでは数日の間で生存できなくなってしまいます。水も食料も運べませんし、都市ではエネルギーがなければ人間の排泄物の処理さえできないからです。そういう意味では豊富なエネルギーが人間の命をまさに守っている、といえます。

 お金持ちの国ほど国民は健康で、長生きします。同じ国の中でも、金持ちの方がそうでない人よりも健康で長生きなことは、膨大な医学研究で次々と証明されています。3・11の原発事故のあと、原発は経済か命かのトレードオフなどといわれましたが、これは二重、三重に間違っており、経済が強い国だけが、国民の命を守ることができ、国民に安全を提供できる。人類がこれだけ長生きし、これだけ繁栄できたのは、化石燃料による大量エネルギー消費が可能になったからであり、そしてこの50年の間に、地球環境問題を引き起こす化石燃料を少しずつ原子力が代替するようになった。化石燃料と原子力なしに、現代社会は回らないのです。

   原発のエネルギー効率の高さは抜群。日本最大のメガソーラーの年間発電量は、原発一基の一日発電量に負ける

 原発では
e=mc2で、核分裂により質量が減った分厖大なエネルギーとなるから、それは火力発電や、太陽光・風力等によるエネルギーなどとは比べ物にならない。太陽光の年間発電量は原発の一日発電量に負けます。しかも太陽光パネルは製造過程で多量の二酸化炭素を排出しており、今後廃棄処分する時にはまた有害物質を出すので、「自然にやさしいエネルギー」ということには疑問が生じています。

 メディアは世界の自然エネルギーへの取り組みなどを紹介し、あたかも世界のエネルギー供給源のひとつになりつつあるかのように報道しています。特に太陽光発電は人気があるようで、原発をソーラーで置き換えるべきと主張する政治家も出てきました。

 しかし、世界の総エネルギー消費のうち、自然エネルギーの占める割合は現在1.3%ほどです。その自然エネルギーの内訳は、風力が一番多くて、全体の0.7%ほどです。エタノールなどのバイオ燃料は半分近くの約0.5%を占め、ソーラーはエネルギー消費全体の約0.1%ほどになっています。資源エネルギー庁の資料によれば、日本では太陽光発電、太陽熱利用、バイオマス直接利用、風力発電、地熱発電など全てを足しても、これら自然エネルギーは日本のエネルギー消費全体の0.3%ほどにしかなりません。自然エネルギーは将来にわたって、中心エネルギーになることはほとんど期待できず、しかもコストが高い。

   原発は火力発電より桁違いに安全。自然エネルギーよりも遙かに安全である

 ソーラーパネルと原子力発電所の危険性をどうやって比べたらいいか。エネルギーの危険性を比べるには、同じ土俵の上に乗せてあげないといけない。つまり単位エネルギー当たりの事故や公害による犠牲者の数を比べるのです。この場合、リスク管理の専門家は1TWh(テラ・ワット・アワー〈1時間あたりの発電量、テラは兆〉)当たりの犠牲者数を比較します。

 結論をいうと、1TWhの電気エネルギーを生み出すのに、人命という観点からいえば、原子力による発電は、石炭や石油のような化石燃料による発電より1000倍程度安全だとされています。つまり化石燃料を燃やしてエネルギーを得るのに、1000人の人間の命を犠牲にしなければいけないところを、原子力ならたった1人の犠牲でいいというのです。これはチェルノブイリ原発事故のような、あらゆる原子力事故を計算に入れた結果です。さらに驚くことですが、実は原子力は、風力発電や太陽光発電よりも犠牲者の数が少ないという研究結果があります。

 化石燃料のもたらす被害はCO2放出など多々あるが、WHO(世界保健機構)報告によると大気汚染で年間115万人が死亡するという。日本でもWHOの推計によると、毎年3万3000人~5万2000人程度の人が、大気汚染が原因の病気で死亡しています。交通事故の犠牲者数を上回る数です。大気汚染濃度の違う地域を比較したり、同じ地域で時々刻々と変化する大気汚染濃度と死亡率の関係を慎重に研究することにより、大気汚染による犠牲者の数が統計的に推計できる。直接「大気汚染で死ぬ」人はいないけれど、大気汚染は何らかの病気の原因になるわけです。そのうち半分程度は自動車の排ガスが原因で、火力発電所からの大気汚染物質によるものは約3割の30万人ほどになるが、原発では多めに見積もって50年間で4000人ほど。1TWh当たりの死者数は、火力発電は21人なのに対し原発は0.03人、つまり700分の1です。因みに太陽光発電はどうかというとゼロではなく、0.44人、すなわち原発の15倍であるという。自然エネルギーは安全と漠然と考えるのは間違いなのです。

 大気汚染で人が死ぬというと、「そんな大げさな」と思われるかも知れないけれども、これはWHOが言っていることで、この見解は膨大な疫学調査にもとづく多数の医学者のコンセンサスとなっている。それは注意深く各種の大気汚染物質の濃度と様々な病気の発生確率の変化を調査し、その結果、日本では何人ぐらいの人々が大気汚染を原因とした病気で死んでいるという科学的に信頼できる結論が導かれているわけです。

   太陽光や風力でも犠牲者は出る

 オークリッジ国立研究所のインハーバーは、1980年頃までは、まったくもって安全だと思われていた太陽光発電や風力発電でも、ある程度の人命の犠牲が不可避であるということを示しました。これはどういうことかというと、たとえば原子力発電所1基分の発電量を産み出すのに、太陽光発電では山手線の内側ほどの面積が必要になります。そのため火力発電所や原子力発電所ではほとんど無視できた、発電施設を作るのに必要なコンクリートや鉄のような材料の生産に伴う犠牲者や、建設工事の事故による犠牲者などが無視できなくなってしまうからです。太陽光発電や風力発電では、エネルギー密度(同じ土地面積や同じ重量や体積の燃量から取り出せるエネルギー量)が非常に小さい自然のエネルギーを利用しないといけないので、原子力発電と同じだけのエネルギーをかき集めるために圧倒的に多くの建設資材と工事作業が必要になってしまいます。

 スイスのポール・シェーラー研究所が、1969年~2000年の問に世界で起こった膨大な数のプラント事故を調査したところ、プラント事故により直ちに死亡した犠牲者だけで、化石燃料はやはり原子力の数百倍の死亡者が出てしまうことを証明しました。化石燃料は非常に危険なのです。
 その他にも、エネルギーの安全性に関する様々な論文が発表されていますが、どれも化石燃料は、原子力より圧倒的に犠牲者が多いことが示されています。

   自然エネルギーも環境破壊する

 自然エネルギーは環境にやさしい、と思われがちですが、いくつかの環境破壊を引き起こしてしまうのも事実です。風力発電では、低周波による騒音や、風車が周期的に太陽光を遮るストロボ効果による周辺住民への健康被害、野鳥を風車が撲ねてしまうバードストライクなどがよく知られています。

 太陽光発電も環境破壊とは無縁ではありません。有毒物質を多数含む蓄電池を、管理の行き届かない一般家庭に取り付けるというのは、電池の寿命や、故障したときの産業廃棄物処理の観点からいえば、非常にやっかいな問題になるでしょう。ソーラーパネル自体は、現在、シリコン系とカドミウム・テルル系の2種類が主流ですが、いずれにしても寿命が来れば大量の産業廃棄物を生み出します。特にカドミウムは、日本の四大公害のひとつであるイタイイタイ病の原因物質であり、強い毒性があります。

   脱原発で多くの人が犠牲に

 原子力は化石燃料に比べて圧倒的に犠牲者数が少ないし、太陽光や風力と比べても少ない。
 これらの考察から判断すると、脱原発は、どうしても犠牲になってしまう人命が圧倒的に増えてしまうことになるでしょう。現在、日本では脱原発が盛んに議論されていますが、急進的な原発廃止が進み、日本の老朽化した火力発電所がフル稼働して、原発の電力不足分を補う場合、どれぐらいの人が犠牲になってしまうのでしょうか。

 日本は年間1100 TWh程度の電力を生み出します。これの3割が原子力によるものだったので、原子力の発電量は330 TWh程度です。これを火力発電に置き換えた場合、先ほどの数字、1TWhあたりの犠牲者数21人を使うと、約6,900人の人が毎年亡くなる(21×330=6,930人)。一方で原子力の方は、330 TWhでは10人ほどの死者が見込まれます(0.03×330=9.9人)。6,900人の増加に対して、原発を止めることにより潜在的に10人の犠牲者を減らせます。10人は誤差の範囲なので、日本で急進的な脱原発が進んだ場合、年間に6,900人も死者が増えてしまう可能性があるのです。

   原発ゼロによる大気汚染

 世界の電力の7割弱は火力発電所で作られています。化石燃料の問題点はCO2の排出による地球温暖化と、さまざまな大気汚染を引き起こすことです。世界的に見れば、過去のあらゆる核災害よりも、自動車の排ガスや火力発電所の煤煙による大気汚染の方が、圧倒的に多くの人を犠牲にしています。原爆の犠牲者は広島と長崎を合わせて約40万人ですが、毎年100万人の桁で死んでいる大気汚染に比べたら、はるかに少ないといえます。

 反原発運動家は、ことさらに放射線による健康被害の悲惨さを強調しますが、致死的な呼吸器系の病気は、ひどい喘息や肺癌など、大変な苦痛を伴う悲惨な死に方です。そして、その数は放射線に関連する癌患者よりも圧倒的に多いのです。

 多くの人は、原発をなくせば日本はもっと安全になる、と考えているようですが、このように健康被害を冷静に考えると、原発をなくすことで増すリスクも存在します。そしてそのリスクは、原発のリスクよりもはるかに大きいようです。

   電気自動車は原発なしには普及しない

 電気自動車が最近注目されているのは、もちろん世界的に地球温暖化問題への関心が高まっているからです。CO2削減のための主役が原発と電気自動車なのです。なぜならば火力発電所とガソリン自動車がいうまでもなくCO2の最大の排出源だからです。

 しかしここで日本がもし原発を減らすということになると、電気自動車の魅力はほとんどなくなってしまいます。というのも電気自動車のエネルギー源の電気が、化石燃料を燃やす火力発電所で作られることになってしまうからです。この場合、まず火力発電所で大量のCO2を排出しながら作られた電気が、電力をロスしながら送電線を通って、電気自動車までやってきて蓄電池に充電されることになります。火力発電所では化石燃料を燃やし、タービンを高速回転させ発電するわけですが、そこでも当然ロスが出ます。発電ロス、送電ロスをして、蓄電池を充電するときにもまた電力をロスして、最後にモーターを回して電気自動車が動くわけです。これでは直接ガソリンを燃やす自動車と比べてCO2の削減効果はなくなってしまいます。

 原子力発電は出力の調整がむずかしいので、夜間などは電気が余りがちになり、電気代を安くすることが可能です。電気自動車は、この安い夜間の電気を使い、人々が寝ている間に充電し、CO2も大気汚染物質も出さない未来のモータリゼーション・テクノロジーなのです。原子力というのは未来の交通網において、大変重要なエネルギー供給の基軸なのです。

   脱原発のコストは燃料費だけで年間4兆円

 火力発電のコストの内、燃料費は7~8割程度です。つまり火力発電のコストはほとんど化石燃料代なのです。一方で、原子力発電では、ウラン核燃料費が発電コストに占める割合はたったの1割程度です。しかも原発を止めても、核崩壊により燃料は劣化していくので、ほとんどコストのセーブはできません。つまり耐用年数に達していない原発を止めるのは、丸損なのです。菅直人前首相の浜岡原発停止要請から始まった、日本中の原発が再稼働できないという状況は、ローンで買った自宅を空き家にして、賃貸マンションに家賃を丸々払って住んでいるようなものなのです。

 原発を停止させれば安全性が高まるというのも誤解です。福島第一原発の4号機は定期点検中で原子炉の中は空であったにもかかわらず水素爆発を起こし、放射能漏れ事故を起こしていることからわかるように、原発を止めても必ずしも安全性が上がるとはいえないのです。

 政治家やマスコミの反原発パフォーマンスで費やされるかもしれない年間4兆円の請求書は、福島第一原発事故の総賠償金額、日本の総防衛費に匹敵し、日本の生活保護費、民主党の子ども手当て支給額を大きく上回ります。しかも生活保護費や子ども手当ては、国内の富の移転ですが、化石燃料代は中東などにただ富が流出していくだけなのです。

 これらのコストは電気代などに転嫁され、国民が負担することになります。急進的な脱原発は、年間4兆円もの負担が生じ、さらに電力不安で企業の生産が抑制されてしまい、多くの企業の海外流出を推し進めるでしょう。

   エネルギーの未来のために

 日本のように土地が狭く地価が高い国で、莫大な土地を無駄に占有する自然エネルギーを多額の税金を投入して無理して利用しなくてもいいのです。サンシャイン計画など、日本で30年前に失敗し、この10年ほど欧州でも失敗した自然エネルギーに、またこれから多額の税金を投入することは賢明な政策とはいえません。

 マイクロソフトの創業者で世界一の金持ちであるビル・ゲイツは様々な慈善事業に莫大な私財を投じています。世界のエネルギー問題、そして環境問題に、彼は大きな関心を寄せています。実際に莫大な金額を投じて、新しいタイプの原子炉の開発に関わっていますし、大規模なメガソーラー発電施設などにも投資しています。しかし、ビル・ゲイツは太陽光などの自然エネルギーは世界のエネルギー問題の解決策にはならない、という意見を述べています。コストが高すぎて、世界の貧しい層の人たちにはとても手が出せないからです。途上国の国民は安価なエネルギーを切望しているのです。しかし化石燃料にこれ以上依存することは、地球温暖化などの環境問題から避けなければいけません。結局、原子力しか残されていないのです。ソーラーや風力はキュートなテクノロジーであり、豊かな先進国が遊び心で実験的な発電所を作るのはいいのですが、国民生活を支える基幹エネルギーにはなりえないでしょう。ましてや急速に経済成長を続けている途上国が利用することは経済的に困難です。

 原子力はこれからも大きなイノベーションが起こる可能性があります。現在の軽水炉は、核エネルギーの持つ潜在的な力のほんのわずかしか引き出せていないからです。第3世代軽水炉・高速増殖炉・トリウム原子炉・核融合炉など、まだまだイノベーションの余地が多く残されているといえるでしょう。

   日本は福島の原発事故の経験を生かせ

 福島で起こってしまった原発事故と、その被害を軽視することはできません。それ自体は大変悲しむべきことです。避けなければいけなかったし、技術的に避けることができた、というのは事実です。

 しかし福島第一原子力発電所では、いつメルトダウンして致死量を上回る被曝をしてもおかしくないという状況の中、現場の所長や作業員は粛々と自らが行うべき仕事をやり遂げようと作業しました。彼らは世界的にも大変評価され、たとえば、ヨーロッパで最も栄誉ある賞のひとつとして知られる「スペイン皇太子賞」が贈られています。

 その後は、数千人規模の作業員が被曝量を各自コントロールしながら、懸命に作業に当たっています。そして少なくとも現在までに、放射能による犠牲者をひとりも出していないし、急性放射線障害の患者すらひとりも出していません。このことは大変誇らしいことだと思います。事故現場では、何らかの拍子に致死量を超える放射線を浴びてしまう可能性はいつでもあります。だからこそ、現場で日夜作業をしている人たちに、私たちは敬意を払わないといけないでしょう。

 放射性物質を含む冷却水の処理や、致死量を上回る放射線量が測定された原子炉建屋内の調査など、次から次に難題にぶつかっては、東京電力や、東芝、日立、三菱重工のような原発関連メーカーが必死で解決策を見つけ出そうとしています。そして、当初はチェルノブイリのようにコンクリートで埋め固めるというような、粗雑な事故処理をするだろうと思われたものが、現在では水素爆発でボロボロになった原子炉へ冷却水の循環を確立し、ロボット技術などを駆使して内部の核燃料を取り出し、福島第一原子力発電所の1号機から4号機を正常に廃炉にしようという目処が立ちつつあります。日本では全く報道されていませんが、これには世界の原子力関係者が驚いています。

 日本のマスコミはいったん叩いてもいい存在だと認識すると、いつものように全社横並びでいっせいに日本の原子力産業にかかわる組織や人たちのバッシングをはじめました。しかし、そのような中でも見ている人はしっかりと見ているものです。現場ではこのような危機的な状況でも、誰ひとり逃げ出すことなく、それぞれの叡智を振り絞って粛々と事故処理を続けています。こういった放射能漏れ事故を処理する技術や除染作業のノウハウの蓄積は、日本の原子力産業の将来にとって大きな強みになるでしょう。

 日本と同じく地震があるトルコなどは、菅直人前首相が人気取りで将来的な輸出見直しを示唆してからも、日本のメーカーから原発を買いたいと言いました。冷静に考えれば、事故により日本のメーカーにさらに貴重なノウハウが蓄積されているからです。

 この事故は日本にとってピンチでしたが、逆に、日本の技術の高さ、現場のエンジニアや作業員のモラルの高さや有能さを世界に示せるチャンスでもあったのです。

 2011年12月現在、世界で500基弱の原発が稼働していますが、中国だけで60基の原発が建設中、または計画中です。中国は今後、年間6基程度のペースで原発を新規に建設していきます。大気汚染のひどい中国で、石炭依存の脱却が進むことは、人々の健康にとっては好ましいことでしょう。

 日本で脱原発が進むにせよ、進まないにせよ、今後は中国やインドなどの新興国を中心に原発の新規建設は進んでいきます。その際に、高度な原子力技術を有し、事故の教訓も得た日本は、世界の原子力政策に貢献すべきではないでしょうか。

 安全性の上に安全性を追求しても、自動車事故で毎年約五千人が死にます。飛行機事故が起これば百人単位で死にます。だが、自動車をやめる、飛行機をやめる、とはなりません。より高い安全性を追求して努力していくのみです。原発も同じだと思います。日本の耐震技術は世界一です。そのことは今回のマグニチュード9.0の激震でも女川原発や福島第二原発はきちんと冷温停止したことで証明されました。それでも津波によって福島第一原発の事故は起こりました。何がいけなくて、何が足りなくて、何が欠けていたのか。設計をはじめとする技術の問題はもちろん、安全対策のあり方、そのための人的訓練、そして何よりも原発の建設、運用における体制、組織、システムなどに徹底的にメスを入れ、改善を図れば、安全性が飛躍的に向上することは確かです。技術に完全な安全はないが、完全な安全に無限に近づくことはできるはずです。

 日本は世界唯一の原爆被爆国であり、また原発事故もありました。世界は、原発廃炉への処理技術や、今後の技術革新による原発の安全な平和利用について、かたずをのんで日本を見守っています。

 「無駄なものは何もない」。原子力エネルギーも、放射線も神の愛、仏の慈悲の表れであると信じます。福島の事故は、原発の安全性をより高めるための教訓の宝庫です。それを生かすところに日本の使命があり、「失敗したから廃止」では、智慧もないし使命も果たせないのではないかと思いますが、いかがでしょうか。