疾風怒濤の わが青春記録より

          
岡 正章 


     目  次


 1 “われらの時代” (平成22年10月 岡作成 山口高校卒業58周年記念映像の字幕より)

 2 「いのちの讃美歌」 (平成元年9月号『理想世界ジュニア版』所載)

 3 疾風怒濤の東大生活から (『いもがゆの味―或る学生グループの記録―』〈昭和34年7月発行〉所載)

 4 創 造 の 生 活 (『理想世界』昭和35年2月号所載)

 5 新しい学生運動の黎明 (『綜合文化』昭和35年6月号所載)

 6 教 育 の 理 想 (『理想世界』昭和35年10月号所載)

 7 “金波羅華実相世界”実現のために (『生長の家』昭和41年5月号所載)

 8 “変らざるもの”を (『聖使命』昭和45年10月15日号所載)

 9 祖国を愛する歴史教育を (『生学連新聞』昭和45年10月1日号所載)

 10 あなたの中に宝庫がある〈理想対談〉(『理想世界』昭和53年10月号所載)

 11 あなたの中に太陽が昇る―顕斎(まつり)の時は今 (『理想世界』昭和53年10月号所載)

 12 よろこびの歌をうたおう (『光のある内に』〈昭和54年8月刊〉所載)

 13 いのちの火を燃やす (『生長の家』昭和61年8月号所載)

 14 二川守氏への反論 (機関誌『生長の家相愛会』平成4年10月号所載)

 15 『絶対音感』を読んで思う (『岡正章の近況・心境通信 <2014. 5. 3>』より)


  あ と が き


 
 

       1 “われらの時代”

                    (平成22年10月 岡正章作成 山口高校卒業58周年記念映像の字幕より)
  

 77年、夢の如し。「われらの時代」は、戦争と平和の大激動の時代であった。長い日本の歴史の中でも、最も壮絶な時代であったかも知れない。吹き荒れる時代の嵐の中を駆け抜けて、山高卒業以来58年。いま喜寿を迎えるわれら、激動の過ぎ来し方をふり返ると……

 日本が国際的に孤立し戦争へ、戦争へと突っ走っていた不安な闇の時代に、大きな喜びの光、皇太子殿下(現天皇陛下)ご誕生。その昭和8年、現天皇と時代を同じうし同学年生としてわれらは誕生した。

 その頃日本は軍国主義、全体主義の嵐吹き荒れ、満州事変・支那事変から「大東亜戦争」へと突入する(昭和16年、この年われら8歳、小学2年生であった)。小学校は「国民学校」となり、われらは「少国民」として神国日本の愛国教育を受け育った。

 日本軍の真珠湾攻撃で開戦、初戦の勝利に湧いたがたちまち形勢は逆転し苦戦の中、戦争一色となり、大都市は焦土と化し広島・長崎には原爆が投下される。ついに「万世のために太平を開かんと欲す」という昭和天皇の玉音放送が流され、日本は降伏した(昭和20年、この年われらは12歳、小学6年生であった)。

 わが国は連合軍の占領下に置かれ、国民は食糧不足で飢餓に瀕していた。そのような中で、GHQの命により、歴史と地理の教育は禁止され、愛国教育の教科書には墨を塗らされた。“民主主義”が謳歌され、天皇の人間宣言、新憲法、学制改革(六三制、男女共学)……山高が男女共学になったのは昭和25年、われら高2のときであった。

 しかし世界は米ソ(西東)両陣営の対立が鮮明となり、日本は西側の一員として強化が期待されるようになる。昭和25年6月朝鮮戦争勃発、特需景気がわいた。

 昭和26年サンフランシスコ講和条約・日米安保条約が締結され、翌27年に発効。そうして日本がまがりなりにも独立を回復した節目の時代に、われらは山高を卒業したのだった。

 その年昭和27年4月血のメーデー事件など、国内は左右の激突、流血混乱の時代がつづくが、日本は大きく経済成長を遂げて行った。

 昭和34年4月、皇太子さまご成婚(この年われらは26歳であった)。

 昭和35年、日米安保反対勢力が国会に乱入、国は革命前夜のように大揺れに揺れた。

 昭和39年10月、東京オリンピック開催(この年われら31歳)。日本は経済大国、先進国への道をひた走る。

 昭和48年(1973年)、オイルショック。高度経済成長は終わり、低成長の時代に入る(この頃われら40歳)。

 昭和天皇崩御。64年に及んだ昭和の時代は終わり、平成の時代へと移る。

 東西の二極対立は、平成元年(1989年)にベルリンの壁が崩壊し冷戦の時代は終結、多極化の時代が始まった(この年われら55歳)。

 その間経済は好況・不況の大波小波をくり返し、大変動を経て、低成長からデフレの時代に入った。

 しかしふり返って昭和20年の敗戦の時あるいは昭和27年の山高卒業の時からみれば、まさに信じられない夢のような豊かな社会が実現している。平均寿命は飛躍的に伸び、少子高齢化社会・情報社会となった。しかし地球環境の危機が叫ばれている。

 いろいろなことがあったのう……われらの時代はまさに波瀾万丈の時代であった。その77年も夢の如し。いま喜寿を迎えたわれら。心豊かに生を全うし、死ぬときは笑うて死のうやないか!

 「同期の桜」を、肩を組んでうたわんか……

 「貴様と俺とは同期の桜 同じ山高の庭に咲く……」

 しかし、まだあと20年は日野原重明さんや森光子さんのように元気でがんばれるぞ!

 フレー、フレー、山高!……



       2 「いのちの讃美歌」

                    (平成元年9月号『理想世界ジュニア版』所載)
  

 私の祖母は熱心なクリスチャンでした。といっても私が四歳の時に亡くなっているので、自分の記憶はあまりないのですが、私は3人の姉のあとで生まれた長男なので、口ぐせのように「長男正章、長男正章」と、目の中に入れても痛くないほどかわいがってもらったようです。それで私はよその人から「坊ちゃん、お名前なんていうの?」ときかれたら、「岡チョウナンマチャアキ」と答えたということです。

 そのころ一家は奈良にいましたので、祖母の葬送式は奈良のキリスト教会で、讃美歌とともに行なわれました。それからまもなく私はキリスト教の幼稚園に入り、そこでは子どもの讃美歌を歌う毎日でした。そんなわけで私は讃美歌が大好きです。讃美歌を聴いたり歌ったりすると、心の底からなつかしく思います。そして洗礼を受けたことはないけれど、折りにふれてイエス・キリストの言葉が魂の底からよみがえってくるのは、亡き祖母の導きでしょうか。

 私は小さいころ特に体が弱く、ひょろひょろで、よく学校を休みました。父が昔の陸軍軍人で、だいたい2年ごとに転勤があり、子供はそのたびに転校でした。私が小学校3年の時に山口県山口の小学校に転校したときには、いじめにもあいました。おとなしい、いい子で、学科の成績も悪くはなかったけれども、自信がなく、積極性のかけらもないような私でした。

 私は肉体が自分だと思っていましたから、高校生になってからは特に劣等感のとりこになり、死にたいとすら思うほどになりました。

 そして高校2年の時、実際病気で死にかけたのです。

 しかし、父母の愛に満ちた祈りと看病によって、私は死にませんでした。父はその頃生長の家にふれて、熱心に『生命の實相』を読んでいました。

 病気がやっと快復してきたある日、突然私は

 「お前は生命(いのち)だよ! 生きているのだ! 生きている生命は使わなくてはだめだ! 生命は使って伸びることが、喜びなのだ! すべては喜びばかりなのだよ!」

 という声のない声が聞こえたような気がしました。私はその瞬間、いいようのない感動に全身がふるえました。
 すぐに私は裸足(はだし)で外の畑へ飛び出して行きました。力いっぱい働きました。昨日(きのう)までの私は、働いたらくたびれて死んでしまう、働いたら損だ――と思っていました。ちがった! 今、私は生きているのだ! 生命なのだ! 生命は、力は、出せば出すほど無限に湧いてくるのだ! 力は出さなければ損なのだ、と感じられるのでした。心臓が高鳴るほど、うれしくて、うれしくてたまりませんでした。

 一所懸命働いてひとくぎりしてから家に入って見ますと、いつも掲げられている祖母の写真が、ニッコリと私の方を見てほほえんでいるように思われました。

 「それ罪の払う値は死なり、されど神の賜物は我らの主キリスト・イエスにありて受くる永遠(とこしえ)の生命(いのち)なり」(新約聖書ロマ書6章23節)

 という聖書の言葉が、私の中によみがえって、「ああ、私は永遠の生命なのだ!」という喜びが湧いてくるのでした。そして、

「人もし汝の右の頬を打たば、左をも向けよ。……人もし汝に一里ゆくことを強(し)いなば、共に二里ゆけ」(マタイ伝5章39・41節)というようなイエス・キリストの言葉もまた、永遠の生命を自覚した者の喜びの言葉として、私の中にひびいてくるのでした。

 はじめて、私の中に無限の希望がわいてきました。それから私は勉強も、家のために働くのも、喜びばかりとなり、希望に燃えて何でも積極的に力いっぱいするようになりました。すべてが、喜びなのでした。

 そして東大入学を心に描きました。

 「東大だ! 東大だ! そうだ! 希望だ! 東大だ!」

 と、毎朝毎晩心に唱え、ノートに書きつけました。

 山口高校3年の3学期に入り、1月下旬のことです。

 ある夜、けたたましい消防車のサイレンと鐘の音が聞こえ、外へ出てみると空が赤く輝いていました。母校が猛火に包まれ焼けているのでした。当時の校舎は木造でしたから、あっという間に全焼してしまいました。そして生徒の成績評価などを記録した書類も全て灰になってしまったのです。

 わたしはその前、成績のことを気にして心が引っかかっていました。それが火事になって全部焼けたとき、思いました。形あるものはみんな夢の如くはかないものだ。点数や他人の評価なんか問題ではない。問題は本当の中味だ。本当に、自分が永遠の魂の世界にどれだけ価値あるものを積んだかということだけが問題なのだ! と。

 「なんじら己(おの)がために財宝(たから)を地に積むな、ここは虫と錆(さび)とが損ない、盗人(ぬすびと)うがちて盗むなり。なんじら己がために財宝(たから)を天に積め、かしこは虫と錆とが損なわず、盗人うがちて盗まぬなり」(マタイ伝6章19〜20節)

 という聖書の言葉が心に浮かんできました。

 校舎を失った3学期の残る期間、私は動揺することなく、学校を全くあてにせずに、自分のペースで必死に勉強しました。入学試験に受かっても、受からなくても、そんなことはどうでもよい。しかし、「今」自分の生命(いのち)が伸びる喜びのために、「今」力いっぱい勉強するのだ――と。

 結果は、合格でした。


       3 疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドランク)の東大生活から

                            (『いもがゆの味―或る学生グループの記録―』<昭和34年7月発行>より)
  




〈親戚への手紙 1〉
 拝啓、久しく御無沙汰申しあげました。その後皆様お変りございませんか。私は流感にもかからず、盲腸炎にもならずに元気でやっておりますので、他事ながら御安心くださいませ。
 さて、顧みますれば、私が山口から上京いたしまして東京大学に入学いたしましたのは、昭和27年の春でございました。それ以来はや五年と八ヵ月の歳月が流れ、同時に入学いたしました友だちは皆もう卒業、就職いたしております。然るに私のみは未だに教養学部に於て取得すべき一般教育科目の単位も取り終えず、従って専門学部に進学しておらぬという有様でございます。その間、親戚の皆様にはいろいろ御心配をいただいたり、また御迷惑をおかけしたり致しました。きょうはその間のことについて少し反省してみまして、ここに書きつらねてみたいと存じます。御多忙中とは存じますが、もしまだ私のことにつきましていささかなりともお心をおかけくださる余地がございますなら、どうかこれをお読みくださいまして、今後また一層の御引立のほどをお願い申しあげたいと思うのでございます。

 私が東大に入学いたしました昭和27年、その頃私は18歳の青春の血はたぎっておりましたが、全くのボンボン(坊ちゃん)であったと思います。それで人生に於ける各種の経験を積みたくてじっとしていられなかった私は、まず駒場寮のホッケー部室に入寮し、高校時代に経験しなかった運動部の合宿生活を始めたのでした。当時はS伯父上やK従兄上より学資を出してくださるという御厚意にあずかり、またそのほか親戚の皆様から各種の御援助をいただき、また大日本育英会の奨学金ももらえるようになっておりましたから、経済的には決して困難ということはなかったと思います。けれども地方の高校から、十分の勉強もせずにはいって来た私にとって、東大の理科系の勉強はなかなかなまやさしいものではございませんでした。しかも当時、全くのボンボンながら18歳の血のたぎっておりました私は、運動部生活なども始めまして、また当時私には哲学的傾向が芽生えておりまして人生の目的に対する疑問から宗教というものに頭をつっこんだりいたしまして、大学での勉学に全力を煩けるということができなかったのでございます。そのためまず第1学期の成績はサンタンたるもので、まずこのことは心の平安をすっかり奪ってしまったのでありました。
 しかしながら、高校時代までは学校の成績も悪くなかった私は、それによって一挙に全く人生の自信を失うというところまでは行きませんでした。私が大学の生活に適応できないのは私自身の責任ではなく、大学が悪いのだと考えようといたしました。そして、大学の講義はくだらないとか、教授がつまらないとかいうような大それたことをいってみたりいたしました。それは全く、自己自身に対する信頼―自信―というものを失うまいとする必死の抵抗だったのでございます。そして、大学などは出なくても偉くなった人の伝記や、学校の成績は悪かったが社会で成功した人の話などを集めてその自信を強め、29年の春には大学を退学しようといたしました。けれども友人、先輩や高校時代の先生などの猛反対にあいまして、それは実現できませんでした。しかしなお大学生活には適応することのできなかった私は、ひとまず休学してZK教育図書という出版社で編集の仕事を始めました。これは非常に熱心にやったため主任から愛されまして、それがようやく本当の自信を得はじめるきっかけになりました。かくてZKの仕事をすること約2年間、そのあいだには一度、大学に復帰して勉強しようとしたことがございますが、まだ機が熟していなかったようで、再びZKの方へ戻ってしまったのでございます。そうして昭和30年度は終り、31年度にはまた大学に復帰して勉強しようと思っておりました。そこでホッケー部時代の友人C君と共に駒込に下宿し、31年度はここで過したわけでございますが、結局この年も大学の講義には出席せず、試験は一度も受けず、従って休学の手続はしませんでしたが休学同然となってしまいました。そのようになりました事情につきまして、これから少しふり返ってみようと存じます。
 まず、C君は学資をかせぐ必要からアルバイトとして中学生などの勉強塾を開きたいと申しておりました。しかし私は父母がほぼ生活費くらいは送金してくれると申しますし、家庭教師を一つしていたので学資にこと欠くわけではありませんでした。けれども勉強塾のようなものをやるのは事業として非常に面白いものだと思い、それには十分な準備計画が必要だけれど、いっしょにやってみようと申しておりました。その時、私たちのすまいのすぐ近くに、27年入学当時の同級生で医学部にはいっているT君がいたのでございます。彼は熱血漢で行動的な男でありますので、この話を聞きまして、それは面白い、俺もそういうのをやってみたいと思っていたから、すぐいっしょに始めようではないかと申しますので、無計画ながら、それでは始めてみるか、準備が必要だなどといっていてはいつまでたっても何事もできない、とにかくやってみればそれだけ早く、多くの経験が得られるだけもうけものだと考えまして、直ちに31年5月から「土日勉強会」というのをやり始めたのでございます。その時の宣伝文句はこういうのでございました。

「われわれはみんな、夢にも思わなかった才能や素質をもっているものだ。」と、ウィリアム・ジェイムズというアメリカの心理学者はいっています。もし私たちの生れつきの中にある多くの優秀な才能を発見し、掘り出して活用することができたならば、人間の生活はもっともっと豊かになっていたでしょう。あなたは自分を見くびってはいけません。自分のかくれた能力を尊敬し、まだ見ない自分の中の宝を掘り出す開拓者にならなくてはいけません。人間は生れてから六歳まで右手を身体にしばりつけておけば、その手は一生、役に立たなくなってしまうそうです。毎日いろいろなことに使うことによって手は一生役に立つ能力を育てられるのです。頭脳もその通りです。私たちの能力は使えば使うほど発達し、使わねばだんだん縮んでなくなってしまうのです。それを考えれば、私たちは暇さえあれば自分のいろんな能力を伸ばすために、勉強やいろんな活動をしたくなりますね。勉強することは楽しいことです。生命が伸びることです。

 だから土日勉強会にいらっしゃい、ということになるのですが、こういうことは私が過去数年間、よく考えて来たことでございました。そして又同時に教育とはそのようなものだろうと考えておりましたので、私がこの文を書いたのでございます。そして私は教育というものの重要性乃至尊さというものを直感いたしておりましたし、多くの人々に大きな影響を与えた偉大な事業家たちの伝記を読んで、事業というものに興味を感じておりましたので、たちまちこの「土日勉強会」に夢中になってしまいました。かくて、自分の大学での勉強はまたもや延期されてしまったわけでございます。しかしこの間、何でも一つの事業をなしとげるのは全く容易ならぬことであり、特に教育というのは重要なものであり尊いものであるが故に軽々しくできるものではないということを学ぶことができました。そして、自分自身の大学での勉強もできずに教育どころではないので、今度こそは自分の勉強をまずしっかりやろうと考え、今年度32年度になってはじめてきちんと大学に通い、一般教育課程の単位を取り終えるべく勉強を始めたような次第でございます。
 そうしてこの4月以来は講義にもあまり欠席せず毎日駒場へ通いまして、今度はすばらしく良い成績をとってやろうと考えておりました。「土日勉強会」も8月から休みにいたしました。けれども、9月18日から28日まで前期の試験がありまして、その結果は「すばらしく良い成績」とはとてもいえるものではございませんでした。しかし考えてみれば、長く大学の勉強から離れていた――というよりは初めて大学の勉強をやり始めたようなものでございましたが――にしては、まあよく頑張ってやった結果なのだと、自分を甘やかせて考えております。ドイツ語の勉強などもなかなか大変でしたので、数学と物理とは追試験を受けなければならなくなり、11月25、26、29日にそれが行われましたが、少くとも、これが最後の試験になる物理では、合格点は十分にとったと信じますので、あとは2月に行われる後期の試験に残る科目が合格すれば、教育学部に進学することになります。と申しますのは、去る10月22日に進学先の内定発表がありまして、私は教育学部教育行政学科に進学して社会教育を専攻することに内定されているからでございます。内定されているという意味は、2月の試験に残りの必修科目が合格すればそこに進学することに決定されているということでございます。私の内定された進学先は私が第一志望として願い出た所なので、たいへん喜んでおります。しかし教養学部で理科系のことをやっているのに文科系に転ずるのはもったいないといわれるかも知れません。それについては私は、いくら世は原子力時代、宇宙時代、理工ブームの時代だとはいえ、そういう科学の粋を少しずつ大衆に理解させるような社会教育というものが必要になる、そしてまた、科学技術を人類全体の幸福のために使うよう導くべき社会教育者というものが益々必要になるのだというように考えております。それには原子物理、宇宙物理などに至る科学技術のことを理解しておいた方がよいので、教養学部でかじりかけた理数系の学問をこれからも続けて勉強し、それを理解するようになりたいと考えております。しかし、理数系をまだ身につけておりませんので、理数系には今のところ進学できないという事情もあるのでございます。ですから現在、教育学部は私にとって最適の学部だと思っております。そして来春進学するためにはあとドイツ語3科目、英語2科目、社会科学2科目、数学2科目、化学実験1科目合計10科目の試験に合格すればよいので、今度は大いに勉強して必ず進学いたします。実は今度この10科目全部に合格せず進学できなくなりますと、教養学部在籍4年(休学年を除く)を超えることになって、規則により大学から除籍されることになっておりますので、まさに背水の陣でございます。ですから今度は必ず進学いたします。
 この私の進学先になっております社会教育コースの内容につきまして、教育学部からいただいた印刷物より、ここに書き写してみようと存じます。

 社会教育コースは、戦後はじめて本学の中に地位を与えられた新しい課程でありまして、その開拓しつつある分野は広汎であります。ここには第3および第4学年の学部学生と修士・博士両課程のある大学院学生とが在学して、次のような領域の研究にいそしんでおります。
 ク 社会教育研究 地域及び事業場・工場・会社・官庁等における教育・文化活動の全般にわたる研究と実際訓練、青年団・婦人会・PTA・文化団体・同好クラブ等の団体活動および公民館・図書館・博物館・美術館・体育施設・公園等の施設利用について、(A) 基礎調査 (B) 計画・構案 (C) 指導の講義・演習が行われています。
 ケ マス・コミュニケーション及び視聴覚教育 放送・映画・出版・新聞等を教育の立場から研究し、送り手の側と受け手の側の両面にわたって実態調査・内容編成・編集・演出・反応調査などについての講義・演習が行われています。
 コ 図書館学図書館学 一般、特に地域の文化センターとしての公共図書館の活動及び学校図書館・読書指導について講義・演習が行われています。
 サ 博物館学 博物館学一般、特に博物館の教育的利用について講義・演習が行われています。
 以上の研究に関する基礎的教養として社会学・心理学・統計学・行政学・法律学・経済学・農業関係諸学などにわたって勉学が必要であり、学生は教官の指導のもとに他学部の講義や演習に参加しています。

 この社会教育コースの研究内容は、全く私をして血沸き肉踊らせるような興味あるものばかりでして、それに戦後できた新しい過程であるため若々しく生き生きした感じがあり、師事すべき教授先生方にも大いに敬愛感をもっておりますので、進学いたしましたならば全身全霊を煩けてこのコースの勉強に活躍いたしたいと思っております。そして将来卒業後は、出版・放送・映両関係の方へ進みたい、つまり新聞以外のジャーナリスト、教育的なジャーナリストになりたいと考えております。これはZK教育図書株式会社に勤めた経験や、昨年土日勉強会をやっているあいだに視聴覚教育に非常に関心をもったことなどがそのおもな動機となっているようでございます。しかしジャーナリストヘの道が全く容易ならぬものであり、特に私のような内攻性の人間には甚だ困難なものだということはよく自覚いたしておりますが、これからともかく一所懸命勉強してみるつもりでございます。また私はPR(公衆関係(パブリツク・リレイシヨンズ))ということに強い関心をもってまいりましたので、卒業後一般会社のPR関係の仕事に就いてもよいと考えております。

 だいたい以上のようなことが私の近況でございます。近頃「よろめき」ということばがはやっているようで、私は最近「学生のよろめき」というのが週刊読売に特集されているのを読みました。私の場合も、表面的には「よろめいて」いたことになるわけでございましょうが、私の場合には、自ら顧みて、そのよろめいていた4年間が私にとってはどうしても必要な4年間であり、元東大教養学部長の麻生磯次先生がいっておられる、「新制大学の理念が、基礎を広くとって、将来大いに伸び得る底力をもった人物の養成を目的としていることはいうまでもない。今日の複雑な社会情勢の中において、大切なことは、自由に懸命に思考し行動する人間を造り出すことである。」という教育の目的のために実に有意義な4年間であったことを確信し、私は満足しているのでございます。しかしそのために父母にはたいへんな苦労をかけ、また親戚の皆様にもいたく御心配をおかけいたしましたことにつきまして、本当に申訳なく、そのようなわがままをもお赦しいただけるとしましたら、これ以上の感激はございません。

 以上、ながながと勝手なことを書き綴りましたが、とにかく今後は親戚の皆さまの御意見など十分お聞かせいただきまして、いよいよ間違いのない道を進みたいと考えておりますので、どうかよろしく御指導くださいますよう、伏してお願い申しあげます。
 なお、弟の良夫がこの春高校を卒業して上京してまいりまして、J従兄上のSS硝子株式会社で教育していただくことになり、また東京にいらっしゃる親戚の皆様にはたいへんお世話になりますけれど、これも何卒よろしくお願い申しあげます。最近良夫は盲腸の手術を致しまして、その節はまた大変な御心配、御面倒をおかけいたしまして、本当に有難うございました。良夫もどんなに心強く思ったことでございましょう。
 最後に皆様の御健康と御繁栄を心からお祈り申しあげて筆をおかせていただきます。さんざん勝手なことをして御無沙汰したあげく、このようなガリ版刷りのおたよりなどをさしあげる失礼をどうかお許しください。

      昭和32年12月1日
                             岡  正 章 
 親戚各位

                ☆        ☆

〈親戚への手紙 2〉
 先日お送り申しあげましたプリントによるおたより、お受けとりくださいましたととかと存じます。近くの親戚の方からはもう早速御好意にみちたお手紙などいただき、ほんとうにうれしく感激しております。ただ、前のおたよりでは、急いでおりましたため自分の立場からのみざっと近況をお伝え申しあげたのでございますが、なお書き足らなかったと思うことがございますのでまたプリントで補足させていただきます。
 前のおたよりで、私が東大入学当時、大学生活に適応できなかったのを、大学のせいにばかりしていたと書いておりますが、そのほか、親の今までの教育が悪かったからだというような、これもまた大それたととを申しまして、とにかく環境を怨んでおったものででざいます。しかし、今考えてみますと、私のあらゆる環境は最高のものであり、この環境の中でそのありがたさに気がつかなかった私は全くめくらであったのでございます。しかし4年の年月は私の眼を開いてくれました。東大はやはり日本の最高学府であり、その講義は私が数年前について行けなかっただけ素晴らしいもので、また個々の学生に対する先生方の御配慮も年々深くいただいておりまして、当然とっくの昔に除籍されても仕方のないような今まで更生の機会を与えていただいております。また私の父母は普通の親ならばとっくに勘当ものだと思われる私のわがままも、ただ私を信頼し理解して許してくれております。現在私の父母は満で65ならびに55歳になりますが、昔軍人として少将にまでなっておりました者とその妻たる父母が、別々に2ヵ所で慣れない商売を、わが子のためにはと苦労しながら続け、現在私に毎月1万円の仕送りをしてくれております。こういう東京大学の寛大なる御配慮と父母の厚き信頼とをこれ以上裏切らないためにも、私はもはや絶対に迷うことなく前におたより申しあげました通りの方針に従って猛進する固い固い決意でおります。なお、卒業後の方針としまして父は民間の仕事よりもなるべく政府機関の仕事に就いた方が効果的だからそうしろと希望しておりますのでそれも考慮いたしておりますが、私自身としましては、民間の仕事の方が自分の才能をより有効に発揮できるのではないかと考えているのでございます。
 ではどうか東京大学の最高学府たるの権威についてはゆめお疑いあることなく、また私の老いたる尊き父母にはやさしいおととばでもおかけくださいますことを心からお願い申しあげます。私の今日あるは全く大学の諸先生の御愛情のおかげであり、また父母の苦労のたまものであることを私は全くありがたく感謝しておるのでございます。
 皆様の御多幸をお祈り申しあげます。

      12月7日
                            岡  正 章
  親戚各位

                ☆        ☆

 私は昭和8年6月生れ、父が軍人だったのでその勤務地の移動に従って東京→満洲→奈良→布施→篠山→山口と、小学校3年までに各地を転々としました。私が3歳のとき亡くなった祖母は熱心なクリスチャンだったそうです。兄弟7人――姉3人、弟3人の中にいる長男です。私は生来おとなしくて怠け者で少々ニブくて、けれども学校の成績はよく、親や教師には手のかからない望ましい子供であったと思います。そういう状態で小学校3年以後は高校卒業まで山口で過ごすのですが、私は山口の土地や人々、特に同年輩の子供だちとよくとけこめなかった。私は小さいときから体が弱く(と思っていた)よく学校を休んでいましたし、運動が下手で自分の肉体に自信が持てなかった――つまり非常に神経症的であったのです。それで思春期にはいると性に関する悩みなども出て来て、高校2年の夏盲腸で入院した時には、私はもうこのまま衰弱して死んでしまうのだろうと思っておりました。人生に何の希望もないというような状態だったのです。しかし――私の家には、父が昭和13年頃シナヘ出征した時に部下の者が買ってくれたという革表紙の『生命の實相』がありました。父はそれを戦時中はあまり顧みなかったようですが、戦後失業して苦労するようになってから、熱心に読んで信仰するようになっていました。それで私の上にも救いの御手がさしのべられたのか、盲腸は手術しないで治り、だんだん元気になって来た――実は私の盲腸は、ある種の医者に見せればすぐ切られるところだったらしいのですが、良い先生に見てもらったので、「これはもう少し早ければ簡単に切って1週間くらいすれば治るのだったが、少し手遅れだ。手術をしても今虫垂を切り取ることができず、かなり長びく。体も弱っているようだから今は切らずに注射と氷で冷して膿を散らし、体力が恢復した時に虫垂を切っておくといいでしょう」ということになったのです。それで散らして一応治って退院してから、体力が恢復して来ても切るのはいやだからそのままにしておりました。かくて高校2年を終った春休みの或る日、突然救いの高級霊が私の中にとびこんで来たというのでしょう、私はふとそれまでの自分がいかに自分の生命を生かさぬ無為な生活をして来たかということに気づき、生きていることのすばらしさを悟り、それから高校3年の1年間、まるで人が変ったようにとてもファイトを燃やして日々生命の歓喜にみちあふれた高校生活を送ったのです。そうしてそれ以来体もすっかり丈夫になって、高校3年以後は病気で医者にかかることは全然なくなってしまったのです。

 私自身それまでにも中学の頃から、家にあった『生命の實相』を時々見ていたことはありました。そして盲腸で人院したあとなど、父が私のもとに『甘露の法雨』を置いていてくれたのを覚えていますが、その時は「何だ、こんなもの」と思っておりました。しかし生命の歓喜を知った高校3年のときは勉強の合間に『生命の實相』を続んで、たいへんひきつけられておりました。私は高校2年まで、ろくにほとんど勉強なんかしなかった。にも拘らず成績は随分よかった。中学3年のときが一番よくて、学年(350人くらい)で6番目くらい、クラスで1番だった。それが高校2年のときはクラスで5、6番くらいに下っていたと思います(実は成績などあまり気にしなかった)。そこで私は、「俺は本来、とても頭がいいのだ。今までロクに勉強なんかしなかったのに、あのくらい成績がよかったのだから、猛烈に勉強すれば全く素晴らしいものになるぞ」と思ったのです。当時、山口高校からはまだ東大にはいった者はいなかった。「よし、俺は東大にはいってやろう。俺は本来頭がいいのだ。猛烈に勉強すればきっとはいれる。東大だ! 東大だ! そうだ! 希望だ! 東大だ!」てなことをいって勉強を始めました。私にとって受験勉強は苦痛ではありませんでした。「私自身の本来の素晴らしさを発揮するのだ」「東大に入学するのだ」という希望と夢をもって日々新しい自分の可能性を掘出して行くことは全くスリルと満足のある仕事でした。そして夢は実現せられました。私が東大に入学したのは昭和27年です。入学後すでに6年半、その間には退学をしかけたこともあり波乱万丈の生活があるのですが、それについては又の機会に書かせていただきましょう。とにかく私の今日あるのは全く谷口雅春先生のおかげ、父母のおかげ、祖先の霊の守護のおかげであることを深く感謝し、これからますます素晴らしくなりつつある生長の家青年会の組織を通じて、人類光明化運動のために働かせていただくつもりです。
                (ノート『いもがゆの味』より・昭和33年9月11日記)

                ☆     

「東大だ! 東大だ! そうだ! 希望だ! 東大だ!」このことばが私の受験勉強の推進力であった。
 私は受験勉強時代、『生命の實相』を読んでたいへんひきつけられた。私は受験勉強を少し放擲してもっと『生命の實相』を読み、『生命の實相』と取っ組んでみたいという強い引力に引っぱられた。しかしまた思い返した。「いや、もっと権威ある学問をするのだ。権威ある東大にはいって、そこで権威ある学問をするのだ。」「もし入学試験に落ちたら、『生命の實相』だとか、いろんな文学書でも何でもうんとたくさん読んで人間を作ろう。だが今はとにかく東大入学のために全力を尽くして勉強してみるのだ」と私は自分の身心に鞭うって受験勉強に徹した。そして東大にはいった。第1志望理T、第2志望理Uで願書を出し(私の受験した27年までそういうことができた)第2志望の理Uの方に入れられたのである。東大では最初の2年間、駒場の旧一高のキャンパスで、理科2類、文科2類の4類に分れて一般教育を受ける。銀杏並木の弥生道――私は「東大生になったのだ。」私は小さいときから電気に興味をもっていたから、電気工学科にでも進もうと思っていた。高校3年になってからは、文学や哲学的なものなどに興味が向いて来ていたけれども、あまりに自分は本を読んでいないし人間ができていないから文科系にはいるのは無理だと思っていたのである。とにかく東大にはいった! 東大にはいったのだ! ザマあみやがれ、やっぱり俺はたいしたものだ、と思った私は、はいってからあとの目標、計画などあまり考えてはいなかった。ただもう行き当りバッタリで、「何でもやってみたい」という調子であった。

 角帽、詰襟の学生服、銀杏のバッジをつけ、革のカバンをぶらさげた誇り高き4千人の東大生が毎日駒場の教室に出入する。中にはいろんな学生がいるけれども、大部分の学生はまじめで勤勉で、学生同志あまり人間的な親しいつながりはない。高校時代にもあまり親しい友だちもなぐいろいろコンプレックスをもっていた私には駒場生活はやりきれなかった。「人生の意義」「生き甲斐について」というようなことを思索し、いろいろインスピレーションを受けては一種の法悦(?)にひたっていた。数学は受験勉強も十分にやっていなかったので、講義に出ても殆んどわからなかった。私は駒場の講義から次第に離れて行った。そして、ホッケーというスポーツと、ホッケー部の友人との人間関係が私の生活の主要部分を占めるようになってしまった。

 ホッケー部の上級生には旧制一高から来た人もあって、部内には旧制高校的な人間のぶっつかりあいを多分にもっていて、私たちの1年上の学生のチームワークなど非常によかった。それは私たちより2年上の、一高出身の優秀な指導者に負うところが大きかったと思われる。さて、昭和27年私の入学後すぐ、破防法(破壊活動防止法)反対などの学生運動が渦を巻いたとき、ホッケー部には中道実相の、日本的、家族的ななごやかな雰囲気が充満していた。だいたい運動部の中には、学生運動などにはあまり参加しない保守的な傾向が強かったのである。しかしそのホッケー部にも、私と同じ同時に入学した学生で、左翼の学生運動にとびとんで行く者もあった。私はそういう学生ともほんとうの話をしたいと思い、或る夜そうした学生2人とキャンパスの周辺を散歩しながらいろいろと話した。話は恋愛と性欲、性に関するコンプレックスの問題に及んだ。この3人は皆それぞれ何か性に関するコンプレックスをもっているのであった。『アカハタ』をいつも購読して左翼学生運動に積極的にとびとんでいたMはいった。「俺は小さいときヘルニアの手術をした。そのせいだと思うんだが、俺の性器は普通より小さいんだ。だから人間が単に肉体的存在であるならば俺は劣等感をもたざるを得ない。もっと理知に生きるところに人間の価値があるのでなければ困る。それで俺はマルキシズムが真の理想世界を作るものだと信じて、この運動に身を投ずるのだ」と。しかし、そういう話をして以来、彼らはだんだん学生運動から身を引いて行った。そしてそれぞれ適当にいろいろな悩みを解決しながら31年春にはめでたく経済学部、工学部を卒業し、大銀行、大会社に就職した。好青年、いよいよ未来に幸多きことを! と彼らの前途を祝福せずにはおられない。

                ☆     

「さしあたって私が敢て諸君に要求するものは、諸君が学問への信頼、理性への信念、己れ自らに対する信頼と信念とを持って来ることだけであります。真理性への勇気と精神の力への信念とが哲学を学ぶ為の条件であります。人間は自己を尊敬しなければならない、自己をもって最高のものにねうちすると考えなければならない。精神の偉大さと威力とは人が如何に大きく考えても大きすぎるということはないのであります。宇宙の鎖された本質は認識の勇気に抵抗し得るであろう力をば有しない。――この勇気の前に宇宙の本質は自己を開き、富と深さとを開示し、それを享受せしめるに相違ないのであります。」

 これは天野貞祐先生がその著『学生に與ふる書』の中で紹介されている、ヘーゲルのベルリン大学に於ける開講挨拶である。だが駒場での哲学の講義の中にはこのような迫力ある精神は見出だせなかった。教授はただ先人の形骸に過ぎない知識を切り売りし、学生たちは真理を愛する故に哲学を学んでいるのではなく、単位をとって進学して卒業証書をもらって、いい就職をするために哲学の講義を開いているのだ、と判断せざるを得ないように思われた。哲学に限らず、駒場の中では真の学問は授けられていないという気がした。各分科科学がそれぞれバラバラで、真に統一ある学問体系ができ上っていないので、学生は人生における問題解決の力を与えるべき真の一般教育が施されないで、多くの優秀な素質をもつ学生たちが不具的な精神をもって駒場を出て行く。当時はそういう分析判断はできなかったけども、駒場の雰囲気は私にとって耐え難いものであった。私は駒場の大学生活に順応できなかった。

 山口高校では、私が3年のとき他校から赴任して来られた国語の先生で、歌人であり、「人間神の子無限力」「今を生きよ」という生長の家の精神をそのまま生きていられるようなすばらしく魅力のあるY先生という先生があった。私が「東京に出て勉強しよう」という熱烈な意欲を燃やすことができたのも、そのY先生の刺戟によるところが大きいのである。Y先生は、「偉大とは、方向を見出すことである。」「先生を見つけることが第一だね。」と教えてくださった。だが駒場の中で方向を見出すことができず、自分を生かすことのできなかった私は、青春のエネルギーをもてあまして、全くノイローゼになってしまった。苦しかった。それはいかなる肉体的苦痛にもまさるとも劣らぬ苦しみであった。しかし私は耐えた。私が高校2年を終えた春休みに啓示を受けて考えたところによれば、人生は根本的に絶対に肯定すべきものであったからである。

 駒場の雰囲気にあきたらず、その生活に順応できなかった私は、I教授の『生き甲斐について』だとか夏目漱石の小説、トルストイの人生読本などといった本を、溺れる者が藁を掴むように一所懸命読んだ。漱石の『三四郎』を読んでは、「天才は何の目的もなくブラブラしていなくてはいけないのだそうだ」といったセリフに、駒場の学生たちが将来の進学就職といったことにとらわれて「今を生きる」生活をしていないことを思いあわせて、感銘を受けるのであった。トルストイの人生読本を読んでは、まず最初に次のようなことが書かれている。(原久一郎氏訳による。)

○中途半端なことをおびただしく知るよりも、真に優良な必要事を少し知る方がましである。
○吾々は一種の反芻動物だ。従って、いろんな書籍をうんと詰め込むだけでは不十分である。もしも吾々が自分の丸呑みにした凡ての事柄を、改めてよく噛みしめ味い直さないならば、書籍は吾々に力と滋養を与えぬであろう。
○いろんな筆者の、いろんな種類の書籍をあさり読む結果、読者の脳裡に溷(ちく)濁(だく)と不明瞭のかもし出されることを警戒するがいい。有益な何物かを得たいと思うなら、ただただ疑う余地なき価値を有する諸氏の著述によってのみ、自己の頭脳を養うべきである。書籍の通読乱読は、吾々の知能を迷誤錯乱に陥れる。だから、異論なしに良書と認定された書籍だけを読むことだ。もし違った種類の著作の耽(たん)読(どく)に暫時移ってみたいという気持のあらわれるようなことがあったら、そういう場合には、絶対に再びもとの読書の世界へ立還れなくなるのだということを忘れないがいい。
○知識は記憶力によってではなく、自己の思想上の努力によって獲得された時にのみ知識であり得る。

 私はこれを読んで、駒場の生活でつめこまれたゴチャゴチャをすっきりと浄化する必要を感じた。そしてその時思い浮ぶのは、高校2年を終えた春に受けた光明思想の啓示、そして『生命の實相』であった。トルストイの人生読本にはまた次のようなことが書かれている。

○最も野蛮な迷信の一つは、人間は信仰なしに生き得るものだという独断に対する現代の所謂学者の大多数の迷信である。
○あらゆる宗教の本体は、何のために私は生きるか、自分をとりまく無限無窮の世界に対する私の関係は如何なるものであるかという疑問に対する解答の中にのみ存する。
○学問において是非とも究め知る必要のある唯一の知識は、吾人が如何に生くべきかという事実に対する知識である。
○無益な学問をうんとこさ学び知るよりは人生の法則を少し知る方がましである。

 私は私の求めているものが宗教であり、神であり、『生命の實相』であることを知った。それで私は早速に、聖典の取次をしている誌友会場の看板がかけてあった所を思い出して『生命の實相』を求め、或は父に送ってもらって一所懸命に読み始めた。当時私は大学で自分を生かして行けない苦しさに全くノイローゼになって、大学の教材など読んでいられないような状態であったが、『生命の實相』は読んだ。そして急に明るい態度を積極的にとるようにしたら、当時駒場寮同室の寮生たちから「岡はとうとう、何だか宗教にこって頭がおかしくなったようだ」「誇大妄想狂」などと心配されたりした。

 こうして東大入学第1年は終り、第2年もまた『生命の實相』とホッケーとアルバイトとそして放浪にあけくれることが多くて過ぎて行った。28年11月には東京青年会に入会の手続をし、バッヂをつけて、いよいよ谷口先生の弟子として生長の家立教の精神を探究しこれを現成する生活に入る決意を固めたのであった。29年2月には、青年のための「お山の集い」に参加して尊師にお目にかかることができた。私が名乗りをあげると先生は、「学校はどこへ行っていますか」「東大なんですが、はいってから大学の勉強は何もしていませんに(一同笑う)「何に悩んだですか? 人生の目的ですか? 恋愛ですか? 相手は誰ですか? 親と仲はいいですか?」と急所を突いた御質問に、私はどぎまぎしてあまり答えられなかったけれども、先生は「とにかく今あなたの与えられている境遇、立場を最もよく生かすようにするんですね」とやさしくさとしてくださった。しかしもはや東大に籍を置いていても仕方がない。大学は退学して、自力で自分のペースで、どんな道でも切り拓いて行こう、と思った私は、「東京大学は自分の勉強の妨げになることを自覚するに至りましたので退学いたしたく御許可願います。」というような退学願を書いて提出したのであった。しかしその時ちょうど山口から上京して来ておられた恩師Y先生に、「退学してどうする計画だ」「別に計画といってはないんですが。」「そりゃだめだよ、ぼくが行って退学願を取り返して来てやろう」といわれ、遂にその退学願は撤回されることになった。そうして、最初に掲げた『親戚への通信』に書いたような経過をたどるのである。

 大学のアルバイト委員会の斡旋でZK教育図書で働くようになった私は、退学願を引つこめはしたけれども、もはや大学に復帰するつもりはなくZKの仕事に一所感命であった。私のやる仕事が日本の子供たちの生長のために役立つのだ、日本の文化を高め世界平和のために貢献するのだ、そして自分の生命が生かされるのだ――私はZKの仕事すべてが面白く、毎日生命の歓びをもって生きて行くことができた。

 一方、生長の家青年会の方は、昭和28年新年号から『生長する青年』『生長』『理想世界』と題名の変った青年誌をはじめ神誌の購読はずっと続けていたけれども、大学から離れてZKや「土日勉強会」をやっている間は、青年会からも離れていた。そしてこの御教えをひとりで自分の中にあたためているのであった。しかし私の良心は、それではいけないことを知っていた。

 33年春、遂に本郷の教育学部に進学することのできた私は嬉しかった。今度は駒場と全くちがって本当に第一級の学生になろうと決意していた。ところでその教育学部には「勤評(教師の勤務評定)反対」の運動が渦を巻いていた。「教育の自由を守れ」「国家権力による教育支配反対」「勤評は戦争につながる」といった宣伝の嵐が吹いた。勤評に反対しない者は戦争の危機を黙過する卑怯者である、いわんや政府の文教政策を支持するなんていうバカは東大教育学部にはいない筈だ、といった雰囲気が学部内を強く支配していた。社会教育コースでは特にそれが徹底していたように思う。『理想世界』を読んでいた私は、外で親しい友だちには、「俺は勤評賛成だね」などといっていたけれども、弱かった私は学内では「勤評反対」に反対するような勇気がなかった。
 私たちの社会教育コース4年生には、「セツルメント」をやっている学生が多く、よくチームワークのとれた、家族的な雰囲気を作っていた。私は是非、生長の家の学生によるセツルメントを作らねばならぬと思っているので、ここにあるセツルの紹介文を載せていただこう。

 「セツル」とは定着するという意味の言葉です。「社会」というものを、新聞や雑誌によって知ろうというのではなく、実際にその中にはいって自らのにじみ出る体験に会得しようというのです。そしてこの現実の社会の中にある矛盾、特に恵まれない下層の人たちの生活の中に集約されて来た矛盾を少しでも解決しようと、ささやかな努力をささげています。内職や仕事に迫われて忙しい母親だちからおき忘れられた子供たちはどうすれば立派に生長して行くだろうか。文化部セツラーは勉強会を開いて一人一人の子供が個性を伸し基礎学力をつけ、更に自分たちの生活をありのままにみつめこれを解決して行くことを目指しています。また高い費用の医療設備から見放された病人たち、病気でもパン代をかせぐためにニコヨン(日雇い労働。日給240円だったところからニコヨンと言われた)に出かけなければならない人たちをどうしたら救うことができるだろうか。保健部と診療所は協力して地域の人たちの健康を守り、更に一歩進んで病気を予防する活動を行いながら、その人たちと一緒にこうした問題を解決して行こうとしています。そして何よりもはじめに平和と民主主義が守られなければ地元の人たちの生活は守られません。東大セツルメントの三つのスローガン「科学、芸術を国民の中から国民の中へ」「健康で文化的な生活を築こう」「平和と民主主義を守ろう」の実践が私たちの即題なのです。セツルメント運動は地域の人たちの生活を明るくするという一面と、セツラーがその間で鍛えられ生長するという一面をもっています。「どうすれば社会の貧困がなくなるだろうか。矛盾をなくするためにはどういう方法があるだろうか」ということを単に頭の中で考えるのではなく、目、耳、体を通じてじっくり体得して行こうとするのです。そして自分自身の生き方を最も誠実にするにはどうしたらよいかも学びとろうとするのです。セツル活動はバラ色に輝いた美しい道ではありません。真実を求める道であればある程、苦しい茨の連続です。きびしい煉獄であるともいえます。そして又それだからこそ、その烈しい試練にたえる意志と努力は我々の生活態度に大きなプラスを与えてくれるでしょう。そしてそのきびしい仕事を通じて結ばれた友情こそは永久に続く真の人間関係ともいえます。近代社会の発達は一方において個人の機械化をもたらし巨大な社会機構の中に人間性を消失せしめようとしています。そんな中にあって地域への働きかけを通じて再び人間性を取戻し、志を同じくする仲間たちと共に考え行動し、若き日の美しい思い出としてではなく、一生を通じての行動基準としてセツルを考えるようになることこそはセツルの大きな目的といえましょう。

 私はこのセツラーたちの誠実で明るい態度とエネルギッシュな活動に尊敬を感じ、セツルメントに対して非常に魅力を感じたけれども、これも“教育を守るために”勤評反対闘争のオルグ活動に動員されているのであった。それでやりきれなくなった私は長く行かなかった生長の家本部を訪ね、最寄青年会の例会に出席した。講師は青年部次長加藤栄太先生の、力強く熱誠あふるるすばらしい講話を聞いた。そして7月21日から宇治で行われた第2回全国学生大会に参加した。すばらしい霊的雰囲気の中で国歌「君が代」に始まり、「真の大学は生長の家の学徒によって建設されるのである」と絶叫される梶原専門委員長、愛国心について博学な知識と熱誠をもって話される菊地藤吉部長などの講話、炎天下につるはしかついでの献労、などに生命の火を燃やして、「天皇陛下万歳」をとなえて終了したこの学生大会は全く私の魂を強く捉えてゆさぶったのであった。そして23日の午後行われた学部別座談会で教育グループから生れた『いもがゆの味』に私は次のように書いている。

 私たちの「現代教育の分析と理想」なるテーマは、これを @ 戦前・戦後の教育の比較 A 日教組の問題 B (イ) 現場の教師は何を考えているか (ロ) また教師の卵たる教育学生は何を考えているか (ハ) 児童生徒及びその両親は現代の教師をどう見ているか。とわけ、@ は主として岡、A は主として中井・斎藤(以上東京)、B の (イ)・(ハ)は京都・大阪の面々をはじめとしてその他全員、(ロ) は愛知の黒川さんが主となって、各員互に連絡協同しながら研究を進めて行くことにし、そのためには中心者として中井良海さんにまとめ役となっていただくことを、私たちは宇治のつどいできめました。この線にそって、結論を出すことをあせらないで、着々とやって行こうではありませんか。各自の研究や経験は、どんなことでも皆何らかの価値あるものだと思います。そこでその研究途上の問題や感想をはじめ、われら同志の愛と祝福のことぱを乗せて飛びまわる『いもがゆの昧』なるこの祝福ノートを作っていただいたことは全くすばらしいことだと思います。発案者の方、および最初の労をとってくださった中井さんに心から感謝いたします。(このあと自伝――前掲)

 現在私は東大教育学部で社会教育を専攻しています。社会教育というのは、学校教育以外の一般社会人の教育ということで、地域、事業場、会社、官庁等における教育文化活動、青年団、婦人会、PTA、文化団体、同好クラブ等の団体活動、公民館、図書館、博物館、美術館、体育施設、公園等の施設利用、放送、映画、出版、新聞等のマスコミ、等を対象としてそのあり方を研究する、ということになっていて、その基礎的教養として社会学・心理学・統計学・行政学・法律学などを学んで行くことになってはいるものの、まだまだ「社会教育学」という理論体系など出来てはいない状態です。ここに私は生長の家実相哲学というすぱらしい指針を与えられている。「自由といい平等といい人権といい民主主義といい世界平和といい、或は政治といい社会といい労働といい教育というも、すべてみな人間なるものの実体の確立なしにはあり得ない」のであり、「祖国愛、日本の実相顕現を抜きにした学問は存立し得ないのである」(「創造者」第6号、梶原先生の文による)のである。私は、社会教育は、神の無限の智慧、愛、生命、供給、歓喜、調和をこの世に実現すること、実相世界の秩序をこの社会に顕現することを目的に行われねばならぬと思います。ところが現在、東大の社会教育コースでは、「社会教育は日本の中に残っている前近代的(封建的)なものを打破して人間性を解放するために行われねばならない。それには天皇制が最大の悪だからこれを打破し、科学的社会主義を実現するようにもって行かねばならない」というような考え方が、先生をはじめとして学生たちの常識のようになっているという状態です。現にぼくらの仲間は勤評反対、道徳教育の講習反対などといってさわいでいる者が多いのに、私は一人「授業放棄、登校拒否絶対反対国民大会」(9月12日産経ホールにて安倍能成氏ほか主催)に出かけて行く、といったありさまです。こういう環境の中で私が「日本の実相顕現につくす」というのは、いうは易くして行うは難い問題です。しかし私は一人ではない。生長の家青年会という愛の組織を通じて働きたまう神がまもって下さるのである。光の前に暗は消えゆくのである。何も恐れることはない。ただひたすら祈りに祈って、そして大いに勉強して行こうと思っております。わが同志なる皆様の御支援をお願いする次第です。(9月11日記)

   * * * * * * * * * * *

神よ、荘厳にして美しき緑なす丘、
透きとおる蒼空(あおぞら)に漂う白き雲、
山々の樹々に囀(さえず)る小鳥の歌、
清冽(せいれつ)なる渓流に泳ぐ金鱗銀鱗(きんりんぎんりん)、
万物はあなたの影を宿して生き生きと輝いています。
あなたの輝きをもて人類の心を照らしたまえ。
すべての人類が争うことなく
唯一つの神の生命(いのち)の岐(わか)れなることを自覚し
互いに手をつないで
み心が既に“実相の世界”に成るが如く
現象の世界にも、至福平和の世界が実現いたしますように
あなたの無限の愛をわれにそそぎ給え。

            (『理想世界』3月の祈り〈昭和34年〉より)



       4 創 造 の 生 活

                    『理想世界』昭和35年2月号「学園の光」所載
                      (生長の家青年会中央執行委員・学生部長として)
  

○奉仕とは新価値の創造である。新価値の創造のほかに奉仕はない。
○人に奉仕するなどと考えているのは生ぬるい、新価値の創造は宇宙に奉仕するのである。神に奉仕するのである。宇宙が吾に生き、吾が宇宙と共に歩むのである。
○新価値には需要がないということがない、大学生が需要されないのは皆な類型の教育を受けて新価値をもっていないからである。
     (「智慧の言葉」より)

▽…『牛乳を配達する人間は、これを飲む人間よりも健康である』という諺があります。私たち学生は、同年配の勤労青年たちに比べて、日常生活の糧を稼ぐ心配なしに、現代の人順の最高の文化を受け継ぐことができるという、恵まれた境遇にあるということができます。けれども私たちが既成の文化、学問の形骸を享受するのみで、新価値の創造、社会への奉仕に生きることがなければ、実際生産に従事している勤労青年よりも、実質上、精神的に貧弱であるということにもなりましょう。私たち、社会の中の「選ばれたる者」である学生は、よくよくその責務を自覚して大きく奉仕に生きるべきであります。常に新価値の創造に、社会への真の奉仕に生きている者にとっては、就職難など絶対にあり得よう筈がないのであります。活眼を開いて見れば、どこにも仕事は無限にあるのです。

▽…11.27の安保阻止陳情デモ隊国会乱入事件も、全学連が先頭に立って暴力的な行動を起しています。全学連は今や左右すべての人たちから“はね上り”と白眼視され、学生の動きが憂えられておりますが、今こそ敢然と私たちが正しい学生運動のあり方を示し、多くの学生たちを真に生かすよう、強力にリードして行くべき時です。私たちが中心となって、学園に強力な“国民総自覚運動”展開しましょう。多くの心ある学生たちがそれを待っているのです。時は今です。

▽…私たち学生には多くの休暇が与えられております。この休暇を真に生かす活躍を行うことは誠に意義深いことです。故郷を離れて遊学している学生も多いことですから、休暇には必ず次のようなことを実行しましょう。
 ○帰省する学生は地元の青年会にすすんで参加すること。また支部学生部の確立していない所は帰省する学生と地元の学生が協同してこれに当る。
 ○地元の学生は各地から帰省する学生と積極的に交流をはかり、各支部の関係を密にする一方、各地の学内グループの情況を聞き、学内グループ発展へと共に協力する。
 ○母校を訪れ校内グループの存在を明らかにすると共に高校生の育成に励む。
 ○帰省する学生と協力して見真会を行う。
 ○各支部で文集を作る。
 ○農漁村行脚を行う。《目的》神童会の普及、各地の単青との交流、農漁村の青年の実態調査、学生としての学問研究(論文資料収集)

▽…大学生活のみのり、卒業論文を提出してください。学生論文としては大きなものは望めないにしても、真に自分の書きたいこと、自己の信ずるところを書けば必ずそこにオリジナリティのあるものが生れている筈です。神は常にあなたを通して新たなものを表現しようとしていられるのですから、文科系、理科系の別は問いません。4月末日までに、東京都渋谷区原宿3−266 生長の家青年会中央部学生部までお送りください。筆写は後輩の学生や高校生諸君にたのめば、その人たちの勉強にもなってよいと思います。



       5 新しい学生運動の黎明

                    『綜合文化』 昭和35年6月号所載 (東京大学教育学部 学生時代)
  


   青年の生命(いのち)の歌……

 年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず。今年もまた3月21日には入学試験合格者氏名が貼り出され、やがて本館アーケードの掲示板には教務課の官僚的・事務的な掲示がいっぱいに貼り出された。“駒場の生活にうるおいを”という学生部の懸命な努力も、強烈な学生運動の前には、焼石に水なのだ。そして、つつじ咲きかおる美しいキャンパスのもと、次第に灰色にくもりがちな学生の心は、いつも何か気晴らしを求めている。

 新制大学において、最初の二年ばかり、広く一般教育科目というのが授けられる。これは基礎を広くとって、将来大いに伸び得る弾力性をもった人間、複雑な社会の中において自主的判断のできる人間を作ることが目的で設けられたものだそうである。しかし、その目的のために最も重要であるべき人文科学・社会科学などの講義の多くは、数百人いっしょの大教室で、マイクを使ってのマス・プロ講義、学生はそれを、進学のための点かせぎに一生懸命筆記して詰め込むが、そのばかばかしく退屈なこと夥しい。各学科はすべてバラバラで、学生が「人間」として統一的世界観を形成するための教育などには程遠いといわねばならぬだろう。私は今でも、駒場の本館アーケードの掲示板に貼られた教務課の事務的な掲示や、角帽、詰襟の学生服、革のカバンに固い表情でぞろぞろと大教室へ講義を聴きに行く“俊秀”たちを思い浮かべると、戦慄する。

 優秀な学生なら、誰でもこのような学生生活には満足しまい。もしすべての、あるいは大部分の学生がこのような状態で満足しているような無気力なことだったら、日本の将来は危いといわねばならぬだろう。その意味で全学連の行動は、日本の学生の素質の優秀性を示すものとして喜ぶべきことであるかも知れないと思うが……

   自殺的学生運動

 戦後15年、日本の復興はめざましく、生活水準も生産指数もどんどん上っていて、20年後には、人間は1週間に2時間だけ働けばよいという状態になるだろうという。しかしながら、この国において次の時代の頭脳となるべき学生は、すこやかに伸びているかというに、全くこの学生の問題こそは今の日本が当面している最も重大な問題の一つであろう。

 昨年11月の国会乱人、12月の羽田デモ、清水・葉山の学内籠城事件などから特に学生問題が大きく社会にクローズ・アップされ、文部省当局、大学当局なども真剣にこの問題を考えているようだが、「学生との忍耐強い話しあい」くらいで解決されるものなら、事はもっと早く片づいていただろう。

 茅総長の今年の卒業式・入学式における告辞の物足りなさ。積極的な何物もなく、ただ社会の現状に順応して常識的な、円満な人間になりなさいというようなことではないか。

 そこには“天寵(てんちょう)を負える子ら”(応接歌より)の魂をゆさぶる何物もないのだ。ヘーゲルはベルリン大学での哲学の開講挨拶に「人間は自己を尊敬しなければならない、自己をもって最高のものにねうちすると考えなければならない」と述べたという。しかし、東大ではせいぜい「常識を身にっけた、円満な人になりなさい」だけなのだ。だがそれならまだよい。駒場の多くの講義は、古人のへどを珍重しているようなもので、甚だ偏った、石か木のような弾力性のない人間を作っているのではなかろうか、と私は感じたものである。

 そこで、学生が学園社会において民主的団体活動の経験を積むことを通して全人を陶冶すべく作られた学生自治会が、学生の人間復興の最大の希望の場ということになる。ところがその自治会はどうだろう。学生は自治会に全員加入制であり、必然的に全学連の一員となる。ところがこの全学連の何と殺伐たる、暴力的闘争精神よ。4月26日またも安保改定賛成の学生もいるのにそんなものは無視してストに突入した全学連は、新安保批准反対デモで主流派は国会突入をめざして警官隊と衝突、流血の惨事をひきおこした。「韓国につづけ」というスローガンで、装甲車のバリケードを破って突進し、血を流して“学生運動の輝かしい勝利”だといったそうだ。まさに狂気の沙汰である。韓国と日本とではまるきり事情が異なる。戦後日本の復興は急速であり、東大にはいって来る学生も、年毎に経済的には豊かに、落ちついた家庭の子弟が増えているし、言論の自由あり、表現の自由あり、これと韓国の場合とを同一視するなどはとんでもないことだ。ではなぜ学生は、全学連はこのように暴れなければならないのか。その過激な行動で、全学連は世人にますます白眼視され、幹部は逮捕留置される。これは学生運動にとって大きなマイナスになっていることは明らかであろう。それにも拘らずあのような行動を敢てすることは、学生運動の自殺行為であるといわねばなるまい。そうだ、それは自殺行為なのだと思う。

   学生運動と性の問題

 私は東大入学後まず駒場寮に入寮し、ある運動部にはいった。運動部には概ね、過激な学生運動にとび込むような者は少ないようであったが、それでもいくらかそういう傾向の者がいた。ある時私はそういう学生とあらゆる問題について本当の話をしたいと思い、散歩しながら性の問題などについて話をした。実はその時、私自身が性の問題について不安をもっていたので、そういうことを話しあいたかったのである。するとM君は告白した。

 「俺は小さい時ヘルニヤの手術をした。そのせいだと思うんだが、俺の性器は普通より小さいように思う。それで、人間を肉体と観ずるなら、俺は劣等感をもたざるを得ない。それでもっとほかの価値を求めて、俺は学生運動にとび込むのだ」と。

 またS君はいった。

 「俺は性欲の発動を感ずる。しかしまた、性の世界にきたならしさを感ずる。それで美しいものを求めてエネルギーを昇華発散せしめるために学生運動に一生懸命なのだ」と。

 M君ならずとも、人は「自分とは肉体なり」と観ずる限りにおいて、いろいろな自己劣等感に悩まされねばならないであろう。そしてその劣等感補償のために全学連の暴走の推進力が出て来るとは。また、S君ならずとも、人間なら誰しも、その生命を力いっぱい生き、美しい理想を追求して生きたいだろう。しかしそれがあの破壊的な全学連の活動などと結びつかねばならぬとは。そこに問題がある。

 M君もS君も、話してみると「自分」とは肉体である、人間とは動物であるという出発点に立っていて、しかもそれだけでは割りきれないものを持ちながら、そのエネルギー発散の場として学生運動をやろうとしていたのである。しかし、この学生運動などで、外にエネルギーを発散した場合は表面的に目立つが、そして周囲に迷惑をおよぼすようなことは多いが、本人にとっては割合苦痛が少ないであろう。しかし表面的にはあまり分からないが、もっと良心的な学生は内攻して神経症になる。その本人にとっての苦痛、精神的損失はまた甚大である。青年、学生の神経症には例外なく性の問題がからんでいる。駒場では神経症による休学、留年などが毎年かなりな数になるという。外に発散して目立った動きをする者も、またそれが内攻してノイローゼになる者も、神経が正常でなくなっている点では同じであろう。

   唯物論の限界

 日本の学生運動は、韓国の場合と違って、的はずれの破壊的なもので、大衆に支持されないし、第一、親を悲しませる。決して自分をも真に生かす道ではない。そして、入学式には茅総長のあれほどはっきりしたストライキ禁止の告示があったにも拘らず、どうしてまたストライキは可決され、あの暴走となったのだろうか。

 東大教養学部新聞による学生運動の解説によれば、学生運動は「“よりよき生活と平和と民主主義”という全学生に共通した利害に立脚し、それに反する一切の政策に対決し、自らの利益を守らなければならない」のだそうである。しかし、それではまるで学生という階層のエゴイズムであって、同年輩の勤労青年たちに対しても何らの社会的責任も自覚されていないことになる。そして実際にやることは、自ら学生生活をおびやかすようなことであり、全く狂っている。

 その出発点は、唯物論、人間動物観から来ている。唯物論によれば人間は性欲の産物であって、「無我の愛」などというものは考えられない。愛というも、それは結局利己的欲望から来ている。そのような自己そのものに真の生き甲斐が感ぜられるはずがない。そこで父母を憎み、権威に反抗し、また自己をも嫌悪して、結局自分自身をも破滅に至らしめるような行動を敢てするのである。結局、私は不幸の原因は唯物論的人間観にあるのだと信ずる。

 真に人間とは何であるか。学生たちは誰でも、“人間性”なることばに魅力を感じ、魂のふるさとを求めたい気持にかられる。そして学生たちは、今、自分たちの“人間性”が十分に尊重されていないことだけは漠然と感じている。萌え出ずる若き生命を発散させる手段を知らないのだ。そこに、学生運動の指導者たちは“失われた人間性の回復のため”というようなスローガンをもってくる。そして、かなり説得力のあるチラシの洪水で洗脳された学生たち、駒場の学生生活にそれとなく不満を感じている若き子らは、そこに何物か魅力を感じて、そして盲目的な群衆となって“活動家”のもとについて行く、ということになるのだ。そしてその結果は、集団自殺的行為に突入するのだ。

 聞くに耐えない恥ずかしいことだが、駒場寮内のある運動部のサークルでは、夜、かけ声勇ましく集団マスターベーションをやったそうだ。しかし、全学連のデモも、これとどれだけの質的相違があるか疑問である。恐らく、全学連のデモは、学生の日頃から鬱積したいろいろな不満の排泄作用になっているのだろう。

 だが、学生が真実に自己を愛するならば、真に自己を大切にするならば、その生き方はもう少し変ったものになっていただろう。そこで考えさせられるのは“人間の尊厳”ということである。動物的人間観に立った上での“人間の尊厳”などというのは全く多寡が知れている。自己の動物的欲望を満足させるところに何の尊厳があるか。今やどうしても唯物的人間観から脱して、「無我献身」の愛によって生きる真の大いなる人間、不滅の人間に目覚めなければならない時が来ているのだ。今、日本の学生運動、日本の大学は最大の危機に瀕している。それは日本国そのものの危機を意味するものであろう。次代を創るのは青年・学生でなけれはならないが、その中でこれからの日本の学生運動を、日本の大学を、真の姿に再建せしめるのは、この人間観の転回を基とした新しい学生運動でなければならない。今やその大いなる正しい人間観に基づいて、真にすべてを生かし、祖国を建設する新しい学生運動の黎明が近づいていることを私は感ずる。それは、厳しい冬の寒さの中にも一陽来復の春の芽生えが準備されている如く、私は学生運動の厳冬の中に春の芽生えを見て来ているからである。



       6 教 育 の 理 想

                       (『理想世界』 昭和35年10月号所載)
  

      ―第五回全国学生練成会における 教育グループ座談会の記録―

             本部講師 奥田 寛・中央執行委員 岡 正章


       ▼▼生命的一体感と教育への情熱

 奥田 生長の家の教育は、いわゆる「生命の教育」でありまして、その原理と実際に就いては『生命の實相』教育篇に詳しく載せられております。
「生命の教育」は簡単に申しますと、第一には「人間神の子」の徹底した児童観に立脚した教育であること、第二には「三界唯心所現」の精神科学的基盤にたって、ことばの力を最大限に活用して児童の神性を引出すこと。第三には「家の倫理」が重要視されていることであります。戦後、個人の自由が叫ばれ、そのために家とか国家というものがすっかり教育の分野から見失われてしまった感があります。この点生長の家は、家というものを重視し、個人というものは、決して単なる個ではなく、家族や隣人・社会人或いは民族・国家というような全体の生命と一つにつながっている。そのつながりの自覚が親と子の間では、親孝行という関係の中に生きているわけです。現在の学校教育ではこういう点が抹殺されているようであります。この生命的な一体感が隣人愛・愛国心・人類愛となって現われるのでありますが、その中核となっている精神が、『甘露の法雨』の「汝の兄弟のうち最も大なるものは汝らの父母である」ということであります。生長の家の小、中、高、大学生の練成会によって父や母に感謝し得るようになった人たちは、あらゆる面で非常に変ります。勉強でも、性格でもどんどんよくなる。そして、家の理念がわかりますと、国の理念がわかるようになって、天皇とか、日本の国体とか伝統というものの尊さが自然に理解され、日本人としてのほこりと自覚をもつようになるわけです。このような自覚をみちびき出すことが赦育の重要な役割であると思うのであります。

  只今奥田講師のお話の中に、「生命の教育」は「人間神の子」の児童観に立脚した教育であるといわれましたが、まさにこの人間観の問題が最大の根本問題であると思います。教育というのは必ず一定の理想をもって、価値実現を指向して行われるものでありますが、唯物論ではその価値とか理想とかの根拠がない。唯物論的なことをいう教育学者でもその教育を諭ずる場合必ず「自由」とか「平等」とかいう結構なお題目をとなえるわけです。ところが、例えば、「平等」ということにしても、唯物論ではどうしても人間がなぜ平等なのかわからない。人間はみんなその顔がちがい、能力、個性がみんなちがう。それなのになぜ人間はみんな平等か、また男女の性別は生れつきで、唯物論では、「男女が平等に尊い」などというのはなぜかわからないわけです。そのことを私は在学中徹底的に論文にも書いて出したことがあるのですが、価値の根拠は、変化する物質世界にはない。価値は、「永遠に変らないもの」の中にのみある。戦前と戦後でまるきり反対のようなことをいって平気で相変らず指導者面をしているような所謂進歩的文化人には価値を説く資格がないわけです。私は学生時代教育学に情熱を感じ、それを専攻したわけですが、大学の講義そのものには遂に最後まで私を納得させるものがなかった。しかし私たちの学友には随分熱心な学生が数多くいました。社会の貧しい階層の中にはいって行き子供たちの学習指導などをやるセツルメントで一所懸命勉強している学生などがたくさんいて、その純粋で情熱的な献身ぶりには全く深い感銘を受けたものです。「健全なる教育は健全なる哲学の上に建設さる」といった人がありますが、この学友たちは「生命の実相哲学」というすばらしい指針など与えられていず、それですら熱烈な献身ぶりで、セツルメントの記録なんか最近読みかえしてみても、実に打たれるものがあるんです。私は皆さん方に「教育にたいする情熱」というものを特に強調したいと思うのです。

       ▼▼親と子の関係を確立すること

 赤堀 家庭における教育について、もう少し詳しく説明して下さい。

 奥田 家庭の人間関係で中核となるものは、親と子の間柄ですが、子供にとって親は絶対的なものなんです。子供の心の中には、親のイメージが一番多く印象されているので、フロイドはこれをファーター・イマーゴとかムッター・イマーゴと名付けています。子供にとって親についての印象、親に対する心理的なものが一番多くボリュームがあるだろうということは誰でもすぐうなずけるわけです。そこで親に感謝出来ない子供は、心全体が不平不満の状態にある。だから、子供の教育の根本は、親に対する感謝を確立することにあるわけです。

  私のところでやっている学習塾でも、勉強の前後に必ず「おとうさん、おかあさん、ありがとうございます。おにいさん、おねえさん、弟よ、妹よ、ありがとうございます。私は神の子であって何でもできます」というようなことばを、正座瞑目合掌してとなえさせてやっています。

 松本 低学年、幼稚園などにおける親孝行の教え方はどのようにしたらよいでしょうか。

  理屈だけで教えるんでなしに、生長の家の子供会でやっているように、親に対するお手伝いとか、愛行をはっきりと具体的に指導して行く、そしてその行いを通して親によろこんで貰うことが如何にうれしいことであるか、親孝行というものはたのしいものだ、ということをわからせるようにするとよいと思います。

 奥田 親孝行をして大変よくなった例などを話して、自分もそうやってみようという気持を起させるとか、お約束をして、今岡さんの仰言ったように、又富山の善認クラブのやっているように、実際の生活指導の中から自然に体得させて行くというのはよいですね。

       ▼▼利己主義の子供をつくってはいけない

 大原 私は小学生の家庭教師をしているのですが、その子供は頭がよく成績がよくてクラスでも上位なんですが、親はまだまだ勉強が足りないと言うんです。そしてちょっとでも成績が下ると非常にうるさく言うのです。それでその子供は隣りの席に一番よく出来る子供がいるものだからカンニングをしてしまうんです。親に色々と話したんですがどうもうまく行きません。どのようにしたらいいのでしょうか。

 奥田 親が結果主義になってただ成績だけをよくしようとして、子供そのものがよくなることを見失っているわけですね。小学生の家庭教師ですと、やはり親の影響を強く受ける時期ですから、親をつかむということがどうしてもキイポイントになりますね。成績がよくなっても、規則をおかしたり、他を押しのけたりする利己主義の子供をつくっては、結局将来親自身が苦しまなければならない。ですから、親のそういう観念を変えるように、あせらずに努力することだと思います。

 白橋 神童会とか神生会で、人間とはどんなものか、物質とはどんなものか、ということを説明しますが、子供の家庭にはどんな働きかけをしたらいいですか。

 奥田 生長の家の御家庭の場合は、問題なくどしどし出かけて行って話したらよろしいと思います。一般子供会の場合は生長の家の御家庭でない場合もあり、あまり押しつけがましく、本や雑誌をすすめますと、逆効果になる場合がありますから、むしろ子供をよくする、親が変れば子供が変るという反面、子供が変れば親も変るという一面もあるわけですから、先ず子供に働きかけ、よくなって貰ってその結果親がよろこんで、自然に生長の家の教育に目覚めるというコースが理想だと思います。

  私共の塾では、矢野弘典君の妹さんも来ておられるのですが、そのおかあさんが実にすばらしい方で、それで子供さんもみんなすばらしいんです。その矢野君のおかあさんなどが中心になって、誌友であるおかあさんが誌友以外の会員の家を個別訪問して、勉強会の「母親のつどい」というのを組織するように働きかけていただき、親に個人指導をしていただいたりしています。ただ、親に私たちのやり方をわかっていただくには、根気よく継続的にあらゆる方法手段で努力して行かねばならぬと思います。

       ▼▼親のない子の指導について

 石井 親に感謝する子供をつくるということについてですが、親が早く亡くなっている子供、片親のない子供、離婚し別居状態にある親の子供などに対して、どのような教え方をしたらよいでしょうか。

 奥田 この問題は非常に重要だと思います。今の高校生などには戦時中父親を亡くしている人達が多いのですが、無意識的に親は自分を勝手に生んで、勝手に自分を置いてけぼりにしていってしまった、とうらんでいる場合があります。そして親のないということは子供に根強い劣等感と偏屈な気持を与える場合が多いのですね。そのような場合は、親孝行をとく前に、親のない子供のために、先ず親代りとなってやる愛行が必要だと思います。そして、自分というものをみつめさせ、自分が神の子であって、素晴らしい能力をもった、やれぱ何でも出来る自分なのだ、ということを、生活指導、學習指導の過程で、子供の美点、長所を認め、ほめることによってわからせて行くんですね。そして自分が素晴らしい存在だと少しでもわかってくると、自然に親に対する感謝の気持がわいてくるわけです。幼い時は絶対に親代りが必要ですね。大きくなったら、練成会で講話されるような親の理念を話してやることがいいと思います。

       ▼▼新教育運動の出発点に立って

  私が最近、特に感じていることは、塾による教育であります。吉田松陰の松下村塾では、わずか二年ばかりの間に明治維新の原動力となった志士たちをたくさん生み出した。そういうことが生命の教育によってどんどんできる筈なのです。今、昭和の吉田松陰がたくさん出て来なければならない。谷口先生は青年を鼓舞する御文章をたくさん書いてくださっていますが、『生命の實相』第7巻(携帯版第14巻)の教育篇も、実に力強い文章で書かれていて、私がはじめから最も感激して拝読したものの一つであり、私はこれによって教育に対する情熱をよびさまされたのです。皆さんも先ず是非この教育篇をくり返し読んでいただきたいと思います。2年前宇治で行われた学生大会の時、学部別座談会というのをやって、その結果去年『いもがゆの味』という記録が出されましたが、その中に書かれている理想を私は皆さんと共にどんなことがあっても実現して行きたい。そのためには、教育学というのはどうしても実践による裏付けが必要です。そこで皆さん既に家庭教師とか塾などをやっておられる方もあると思いますし、私自身も今塾をやっているのですが、そういった活動をも今後組織的に研究しながらやって行きたいと思います。そして昭和の松下村塾をたくさん作って行き、共に新しいすばらしい日本を作りあげる生命の教育をあらゆる面で具体化した教育学体系を作りあげて行こうではありませんか。今、全学連傘下の教育系学生は、日教組の教研大会の学生版ともいうべき「全教ゼミ」(全国教育系学生ゼミナール)に組織されて、「平和と民主主義のため」という美名のもとに、日本を滅亡に至らしめるような教育をひろめることにみんな動員されてそれを一所懸命やっているのです。またセツルメントも「全セツ連」(全国セツルメント連合)というのを作って、同様のことをやっています。これらのものには学ぶべき点も多いが、今、「生命の教育」をもっともっとひろめるべくわれわれが固結しなかったら日本はたいへんなことになると思うのです。この座談会が、私たちの力強い教育運動の一つの出発点となることを私は望んでおります。





       7 “金波羅華(こんぱらげ)実相世界”実現のために

                              (『生長の家』昭和41年5月号所載)
  

























     実相研鑽会――東京都地方講師会主催の研鑽会の研究発表
     生長の家本部大道場にて・昭和41年1月30日

                        問  伊 嶋 四 耕
                        答  谷 口 雅 春
                        結  岡   正 章

 伊嶋四耕(東京都連合会長) 有難うございます。本日のテーマは“金波羅華(こんぱらげ)実相世界”の実現についてでございますが、これを実現するために、我々幹部は、この生長の家のみ教えを通して、政治というものをどのように考え、どのように展開すべきか、この心構えを私達はもう一度はっきりと研鑽する必要があると思います。と申しますのは、“金波羅華とは何か”という質問が出ました時、それに対して私共は的確な説明ができませんでした。
 それで、私は色々な御本を読んで見たのでございます。その中に金波羅華とは、三百年に一回咲く華であると示され、これが中心帰一を象徴した姿――天皇を中心とする日本の国体――これこそ金波羅華そのものであると解してよいのであらうか、又は中心帰一を華に喩(たと)えて、華の中心“巣”に花弁が一つ一つ付着していて、その中心から離れるならば、どのような立派な華でも、全ては散ってしまうのである。このように金波羅華というものを解してよいのだろうか。
 私共が現在、金波羅華選士を養成しまして政治運動に乘り出すにつきまして、誠に恐れ入りますが、総裁先生に御指導承りたく存じます。

  “金波羅華”とは

 谷口雅春先生 先ず一切の存在は何処から出て来たかというと、キリスト教的に言えば、「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、万(よろず)の物これに由(よ)りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし……」とあるので、結局、一切の存在の根元は、言葉によって生じたのである。言葉とは、我々の喉から出るのも言葉だけれども、それは現象の言葉であって、他に耳に聞えない神の霊的な言葉とでもいうようなものがある訳です。

 既に此処にテレビの波、ラジオの波が来ておっても、テレビセットもラジオセットもないから見えず、聞えずだけれども、若(も)しテレビやラジオを持って来て、波長を合わせば見える、或いは聞えるというのは、その放送が“既に此処にある”ことです。

 それと同じように、実相の世界に神の言葉即ち生命の響きによって出来た世界が既にある。これがキリスト教的に言えば「御心(みこころ)の天に成るが如く、地にも成らせ給え」と祈れと言われた、その御心の天に成る世界である。“天”とは雲の上という意味じゃなくて、現象界を“地”として、実相を“天”とした霊的世界――それは“理念の世界”或は“イデアの世界”と言ってもよろしいが、ともかく既にそれは今此処に在る。それは既に実在せる世界である。その世界は一つの神を中心として、その神の生命が色々の姿に実現して、根元は一つの神であるから、中心の神の中心生命に一切の存在が帰一している世界であるという訳です。

 この“御心の天に成る世界”は、一切の生命存在が皆調和して中心帰一しているから、其処には争いもなければ、どんな衝突もない大調和の世界である。それは『甘露の法雨』に書かれている “一切の存在が処を得て、争うものなく、相食(は)むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし”という世界が既にある。その世界が即ち“金波羅華の世界”という訳で、金波羅華というのは、金色(こんじき)の波羅華(はらげ)です。

 “波羅(はら)”というのはサンスクリット語(古代インドの言葉)で、“彼岸(ひがん)”という意味です。彼岸とは、“現象”の此岸(しがん)に対して“実相”を表現する語です。それは日本語のハラによく似ているが、金波羅華の“波羅”は高天原(たかあまはら)の“原”です。金波羅華とは金剛不壊(こんごうふえ)の実相世界を象徴する華(はな)であります。

 般若心経の終りの処に、「羯諦(ぎゃてい)、羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶(ぼぢそわか)……」という言葉があります。(注。『あなたは自分で治せる』226頁参照)

 あれは言語そのものを訳したら、意味が小さくなって限定され過ぎるというので、あのまま訳されていますが、“羯諦”というのは“行く”という意味で、“羯諦、羯諦”は“行き行きて”ということで、“波羅羯諦”――高天原即ち実相の世界に行きて“波羅僧羯諦”――僧はすべてのもの――凡ての者が彼岸(波羅、高天原)に行きて悟りを“薩婆訶(そわか)”――アーメン――という訳であります。

 ですから、仏教に於いても、釈迦牟尼如来が霊感によって、この実相世界の彼岸なる世界が存(あ)るということを説いておられて、お釈迦さんが悟りを開かれて第二・七日目の十四日目に初めてその悟りの心境を講演された。それがあの「大方広仏華厳経(だいほうこうぶつけごんきよう)」というお経であるのですが、“大方広”というのは、あらゆる方角に広がっているという意味で、大方広仏とは英語で言えばUniversal Buddha 或はUniversal Godですね。

 宇宙普遍の神の生命が華厳――即ち蓮華荘厳(れんげしょうごん)の蓮華の花の秩序ある美しき姿に展開している世界が、この宇宙であるという事を、釈尊は悟りをひらかれてから最初の説法でお説きになつた。けれども普賢菩薩(ふげんぼさつ)のほかには、それを悟る人がなかった――

 それで華厳経は地上から姿を消して実相の世界即ち龍宮海に秘められておったとつたえられているのです。それで実相世界の姿を説いたこの華厳経がそのまま龍宮海に埋っておったのを初めて地上に持ち上げたのが、仏教の中興の祖である龍樹(りゅうじゅ)菩薩であるといいます。という意味は、龍宮の大神なる住吉の大神が龍樹菩薩の化現(けげん)として顕われて、「実相の世界はこういう姿である」と説かれたのが現在地上に人類に伝えられている「華厳経」であるという訳であります。

 さて、実相の世界は何でつくられているかというと、霊(スピリット)によってつくられているアイデアの世界であって物質じゃない。霊を実質として完全円満な世界が神様の叡智によってつくられている。それが蓮華の花をもって象徴し得るような中心帰一の世界であるというわけです。

 蓮華は別名“はちす”と言いまして、花の中央に蜂の“巣”のような中心がある。その中心には、花開くと同時に実(み)即ち“実(じつ)”が既に在る。大抵の花は花開いてからボツボツ“実(み)”が出来るのだけれども、蓮華(はす)は花開くと同時に“実”がある。それは実相と現象が一つに同時存在して相即相入(そうそくそうにゅう)しているということを象徴しているのです。それで一切の存在は、その中心の“実”即ち実相がある。その実から生じて現象が展開しているという宇宙の姿を、蓮華の花弁(はなびら)を象徴として示されたのであります。

   実相世界顕現の過程

 現在の現象過程に於いては、現象界と実相世界との間には“迷いの心の幕”がおりているのです。五官即ち、目、耳、鼻、口等の感覚によって見られる模様のついた幕が実相の舞台と現象界にいる客席の間に垂れこめている訳です。その幕には“人間の心”で描いた模様がついている訳で、幕の奥にある本当の舞台――これが実相の世界であって、この実相世界は“迷いの幕”がある限りは見えないけれども、幕を切って落とすという時、初めて完全円満な実相世界の姿が見えるということになるわけです。聖書には「己(おの)が目より梁木(うつばり)を取り除け」(ルカ伝6章42節)とありますが、心の目を覆っている幔幕(まんまく)を取り去ってしまった時に、舞台にある実相世界が現象として目に映ずるから、現象=(イコール)実相という世界が其処に展開するということになるわけです。ですから我々はこの現象界と実相世界を隔てている“迷いの心の幕”を人類の心から取り去るために、生長の家の真理を普及しなければならないのであります。

 “祈り”とは「生宣(いの)り」であり、生命(いのち)の底深く宣(の)べることですが、その祈りによって実相の世界に波長を合わす時に、自然に生ずるところの化学変化または物理的変化が起って、生命の活動が可視的な姿を顕わすということになるのです。

 テレビの場合でも、波長を合わしたら、ブラウン管の表面に或る物理的変化を起して、映像が顕われる。ブラウン管の中には人間は居らんけれども、物理的変化を通して顕われるんです。それと同じように、人間の世界に於いても、神想観によって実相を観ずると、実相が現象に顕現するための自然的動きとして人間の行動が出て来て、それが色々の団体活動ともなれば、政治運動ともなって“実相の世界”が顕われる過程として出て来るので、吾々の生政連の政治運動もその悟りから出て来た時に起るところの自然の物理的活動であって、政治運動そのものが悟りと切り離されたものではないのです。それが切り離されたら、政治運動に生命がないという事になるわけなんです。

   金波羅華の世界

 金波羅華の世界というのは、超時空のアイディアの世界であり存在の原型の世界ですから、何処にもあるんです。現象界に於ける単位的存在なる“原子”も最も小さく顕われた金波羅華の世界であって、原子核という中心があって、一切の原子がその中心に帰一(きいつ)して完全に調和した姿である。太陽系統にも金波羅華の世界が顕われて、太陽を中心として一切の遊星がそれに帰一して調和している。或は人間の体組織でも、脊椎が中心となって、脳神経の働きに凡ゆる器官が中心帰一して調和している。植物なら幹を中心としてそれに皆、中心帰一している。

 こういうように、皆、それぞれ中心帰一の金波羅華の相(すがた)があらわれている。現象の大きさに応じ、生命の展開の程度に応じて金波羅華の世界が色々の程度に顕われているわけです。それで国家に於いては、日本国のように天皇中心の永遠に変らざる中心を持っている存在として金波羅華の世界が顕われているということになっているのであります。

 神の構図の宇宙設計に於いては、世界全体が金波羅華の世界になるべきが本当の姿なのであります。すなわち、この日本国の、永遠に変らざる中心をもつという理想的状態が全世界に拡がって地上に天上の設計が成就しなければならない。といってもそれは武力で征服するという意味じゃないので、日本の中心帰一の世界模型が、人類の悟りを深めることによって全世界に延長し、それによって、世界連邦という組織が恐らく出来るであろうし、出来なければならない。細かい事は今はまだ、よく分らないけれども、とにかく、大きい処には大きく金波羅華の世界が顕れ小さい処には小さく金波羅華の世界が顕れる。日本はその国家的見本として、其処に永遠に変らざる中心がある。すなはち、天照大神(あまてらすおおみかみ)の天孫降臨の神勅

「豊葦原(とよあしはらの)千五百秋之(ちいほあきの)瑞穂(みずほの)国は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)、寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きわまり)無かるべし」

 という一つのアイデアが天降って、そのアイデアそのままに実現して今に到るまで継承しているのであって、こういう世界は、現在では国家として日本国以外にないのです。それで生長の家では、日本国を“大日本真理国家”と言っているのであります。

 この大いなる神様が設計せられた理想構図を根本に戴いて、それを政治方面に生かして行くことによって、日本国が本当に救われる。日本国に真理国家の完全な様相が更に一層完全にあらわれることによって、同時に世界が救われるということになるのである。此の実相の悟りによって、神の設計された理想構図が実現するために自然に動き出した運動が、生長の家の政治運動であるというわけであります。終ります。(拍手)

   金波羅華と現代年

 岡正章(杉並区・光明実践委員) 有難うございます。よく言われることですが、明治維新も若い年の力によって達成されたのだ。これからの新しい真理国家日本を築くのも青年であると言われています。今、金波羅華の実相世界顕現のために、我々の宗教運動が政治面に、実際に力をもって進出してゆかなけれぱならないというとき、青年が先頭に立って、この運動をやってゆかなければならないと思うのであります。

 只今、金波羅華について、谷口先生から御懇切な御指導を頂いた訳ですが、今まで私達は“金波羅華の実相世界とは何か”を形の上でのみ考えまして、もっと我々は日本の歴史を研究して、天皇と国民の在り方がどうであったか、或は憲法をもっと研究しなければならない。――そういう事をしなければ、日本の実相顕現が解らないんだ、というような考えが多分にあったのではないかと思います。

 しかし、我々が金波羅華の実相世界というものを本当に理解するには、歴史の勉強とか憲法の勉強によって解るのではなく、実際に実相世界と現象世界を隔てている心の迷いを取り除くことによって、実相世界も顕われるし、又、金波羅華中心帰一の世界も解るのでありまして、それには先ず根本的に観の転回ということが必要であると思います。つまり我々は物質においていた価値を霊的なものに完全に置き換えなければならない。我々は無限の可能性を秘めた霊であって、全体のために奉仕すれば奉仕する程、我々の生命が豊かになる霊であるという、価値観の転回を完全に行わなければならないと思います。

 政治運動といっても、単に票を何票獲得したとか、そういうことに捉われて、信仰面の根本が疎(おろそ)かになるということがありますと、青年の感覚として、今の自民党は汚職の政党ではないかと考えたりして、我々の運動が盛り上って来ないという面もあります。ですから我々の青年運動に於いては、『生命の実相』を中心とした“観の転回”というものを非常に強調しなければならないということを痛切に感じた訳でございます。

 さて、現代の青年とはどうであるかを考えます時に、私が最近、テレビや雑誌で聴いたり読んだりしたものの中から感じましたことは、現代の青少年には大きな夢というものがないということです。

 例をあげますと、或る学校で、生徒達の夢とか願いが、どういう所にあるかを調査しましたところが、大体、男子は一流の学校を卒業して安定した会社に入って、安定した家庭をつくるということが夢であり、女子はサラリーマンと結婚して子供は三人位に止めて、所謂“三種の神器”といわれる電器製品が揃った生活がしたいというのが夢だそうです。

 それで、現在の日本の国に満足しているか或いは現代の社会の状態はこれでいいのかという質問に対して、大部分の者は“これではいけないと思う”と答えているんですが、この社会をもっとよくして行こうという意欲を持っているかというと、そうではなくて、“どうしたらこの社会がよくなるか”という質問に対しては、大部分の者が“誰かが革命をやって、社会を変えてくれたらいい”という答をしているのであります。このような青年達が続々と増えて来るとしますと、大変なことになると思うんです。

 ですから今後、我々の金波羅華を実現して行く青年運動としては、根本的な人間観の転回と同時に、これら現代の青少年を我々の同志として魅きつけて行かなければならない訳です。そのために、現代の青年が実際、どういう事を望んでいるだろうかを考えますと、青年にとって大きな問題として、一つは職業生活、一つは恋愛・結婚であると思います。

 其処で、我々は現実に、病気が治った、経済的に繁栄したとか、或は生活面において、神の子を行じて生き生きとした生命を発して仕事の面でも第一流の人物になり、青年会に入ったら、すばらしい結婚をして、幸福な家庭を築き上げる事が出来るんだという実証を示して行かなければならないと思います。

 次に、国家と個人との関係につきまして、生長の家の基礎文化研究所の山口悌治(やすはる)先生が

 「現代一般に、人間が国家と対立するものという考え方があるけれども、それは間違いであって、国家を離れた人間は、人間でなくて動物である。人間と国家とは対立する二者ではない。人間の外に国家はなく、人間を人間たらしめるものは国家である」

 ということを書いていらっしゃいましたのに私は非常に感銘を受けました。現代の青年には“国家”という観念がどれだけあるでしょうか

 金波羅華の実相世界を顕現するということは、国家と自分が一つであるという、それを自覚することであると思います。ところが現在は、学校教育に於いて、青少年に全体への奉仕、国家への奉仕、中心帰一ということが教えられていない。

 数年前、学校の先生方に「全体への奉仕」と「個人の自由」と、どちらを尊重すべきかという質問が出されました。その答えに、「戦前は全体への奉仕を強調したから、全体主義、国家主義によって戦争を始めた。だからこれからは個人の自由をもっと尊重してゆかなければならない。それが大事なんだ」と強調しておった訳です。

 しかし、私達が個人の自由を尊重すると言いましても、全体への奉仕と切り離して個人の自由があり得るだろうか。本当は、個人の自由というものを、全体への奉仕に使うとき、はじめて、本当の個人の自由があると思います。戦後の教育に於いては“個人が全体に対して奉仕しなければならない”ということが全然教えられていないと思うのですが、我々は全体への奉仕を通じて本当の自由も得られるし実際に個人も繁栄することが出来るんだと思うんです。

 これらの真理を、具体的に実証を持って示しながら、現代の青年達に伝えて数多くの同志を得る運動を展開しなければならないと考えます。(終)



       8 “変らざるもの”を

                    『聖使命』昭和45年10月15日号「北極星」欄所載 (日本教文社 社員時代)
  

 世の中は大きく変る。超大国アメリカも没落のときが来る。再び起つ能わざるかと思われた日本も甦って“大国”となり、“日本の世紀”が来るかと言われている。

 だが単なる“経済大国”日本なら、実現しても長続きはしないだろう。浮き世の盛衰は世のつねだし、現に日本は経済繁栄してますます人間は公害におびやかされ住みにくくなっている。

 政治の世界では、保守政党よりも革新政党の支持者がしだいにふえてまもなく革新政権が樹立されるかと思いきや、社会党は見るも無残な敗退ぶり。では創価学会―公明党はとどまるところを知らず、かと思えばこれまた藤原弘達氏の蛮勇に斬りまくられて挫折した。

 滅び去るものは本物ではない。本物は決して滅びることはないはずだ。故賀川豊彦氏は、“反宗教運動”について次のように言っている。

 「反宗教運動が起るなら、うんと起ったがよいのである。そんな波に破船するようなものであるならば、宗教として価値のないものである。私たちの宗教は生命宗教であるから、生命の続く間破壊されることがない。社会主義者などが宗教を破壊できると思うのも馬鹿げたことで彼等はよほど近眼である。生命の破壊ができない以上、生命宗教が破壊できるものか。それは天に向って唾を吐くようなものである」と。

 さて私たちの宗教が本物であるならば、それは決して何物にも破壊されないものであるはずである。私たちは、何物かに破壊されるようなものはニセ物だからどんどん脱ぎ去って、決して破壊されることのない本物だけを掴んで行きたい。

 ところで、日本には不思議に変らず続いている“中心”がある。それは天皇制である。三種の神器である。移り変りが激しく長続きするものの少ないこの世界で、二千年以上も日本に天皇がつづいたのは奇跡ともいえよう。

 賀川豊彦氏は、「生命に生きることが、私の芸術であり、その生命芸術を宗教というのだ」といわれている。そして賀川氏も熱烈な愛国者ではあったようだが、天皇について書かれたものを知らない。私は「生命芸術」は、天皇に帰一する宗教にしてはじめて完成するのだと思う。一つの中心ある全体生命の中に個の生命が完全に救いとられるところにこそ、生命芸術の美の極致があるのではないだろうか。これを完成するところに生長の家出現の目的があるのだと思う。

 周囲は変っても、中心は変らない。世の中の進歩はめまぐるしく、加速度的である。しかしコンピューター時代の宗教、コンピューター時代の天皇制も、生命芸術としての本質に変りはあるまい。われらの目的は個の生命を単に個の生命としてではなく、全体生命=一つの中心ある生命=永遠生命の中に救いとることにあるのだ。何たる大いなる聖使命であろうか。信じられないほど輝かしく豊かな世界をわれらは創りだすのだ。



       9 祖国を愛する歴史教育を

                       『生学連新聞』昭和45年10月1日号所載 (日本教文社 社員時代)
  

   教育権を奪いとるのが判決の目的

 7月17日、いわゆる教科書裁判の第一審判決が下った。曰く、「教科書検定は誤記・誤植の指摘以上の内容にわたって行なうことは違憲である」そしてそれは「教育権は国家にはなく、国民の側にある」という教育論にもとづくものだ、と各紙はいっせいに報じた。

 まるで国家と国民とが敵対関係にあるかのごとき論であり、そして全く理解しがたいその「判決理由」なるものをよくよく読んでみると、結局、教育は教師にまかせるべきで、選挙を通じて教育行政の内容に国民の意志を反映させることは、「不当な圧迫」ということになるらしい。それでは国民から教師の手に教育権を奪い去ることではないか。

 「判決理由」によれば、教育内容に関することは、「一般の政治のように政党政治を背景とした多数決によって決せられることに本来的にしたしまず、教師が……自らの教育活動を通じて直接に国民全体に責任を負い、その信託にこたえるべきものと解せられる」

 そしてその根拠として教育基本法第十条「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行なわれるべきものである」というのをあげている。

 しかし彼らが金科玉条とする現行憲法の前文には何とあるか。「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」とあり、国民は選挙を通じて国政にその意志を反映しているのだ。それを「不当な支配」として否定することは、国民を否定し、現行憲法を否定することではないか。

 われわれはもちろん現行占領憲法を肯定するものではない。しかし現行憲法を絶対的なもののごとく神聖な権威にまつりあげ、護憲を主張する人々が、その実、真に憲法をそのまま尊重し、どこまでもこれに従って行こうというのでなく、他を攻撃するとき「違憲」という言葉を戦前の「不敬罪」のように偉力ある言葉として使っているにすぎないのを、見破らなくてはならない。

   憂うべき戦後教育

 日本弱体化政策によって、まず修身・日本歴史・日本地理を教えるることが禁止された。教育のあらゆる面で、日本人に国の誇りを失わせるような施策がとられた。現行日本国憲法が押しつけ制定されるや、この憲法を尊重すべきことを中心とする「社会科」の授業が行なわれ、日本のよき伝統と歴史から断絶された根なし草のような教育、日本の過去はすべて否定するという教育が行なわれてきたのである。

 その後、こうした占領政策のゆきすぎは反省されて徐々に改善への方向に向かったけれども、独立回復後もあいかわらず国の過去をすべて否定するような偏ったイデオロギーによる教科書と教育が横行していた。これを是正するため昭和29年には乱闘国会の末、教育の政治的中立に関する二法が制定された。昭和30年には、日本民主党から「憂うべき教科書」というパンフレットが出され、ソ連・中共を礼賛するマルクス・レーニン主義の平和教科書のようなものが日本の教科書としてまかり通っていることが指摘された。それ以来、「学習指導要領」の改訂、教科書調査官新設などで教科書と教育の正常化がはかられてきた。(家永氏の執筆になる偏向教科書は、その間いくたびか不合格あるいは書き直しを命ぜられるわけである)

 国民大多数は、こうした政府当局の「教育の内的事項にかかわる教育行政」を、支持してきたと考えられる。杉本裁判長の論では、国家は教育の内的事項には介入しないのが国民の福利にかなう、というのであろうが、国民大多数がそう思わない偏向教育は、ぜひとりしまってもらいたいものである。

   正しい歴史教育を通し高い理想を!!

 ところで、国、文部省側も、もっと強い信念をもっていただきたいと思うし、われわれもこれを機会にもっと真剣に教育の理想について考えたいと思う。

 教育は、一定の理想あるいは価値を志向して行なわれるべきものであって、高い理想をめざさない教育などというものは本当の意昧での教育とはいえない。しかして教育の理想は、国家理想、政治の社会的理想と無関係には考えられない。

 しからば、われわれは「教育の政治的中立」などと消極的なことを言っているだけではだめである。われわれは敢然と堂々と教育目標にかかわる政治的・社会的理想を掲げなければならぬ。

 その理想はどこにあるか。マルクス・レーニン主義であるか。これはもうその成果がはっきりしている。ソ連・中共を見よ。血で血を洗う粛清と言論弾圧、権力闘争、侵略……

 では、日本国憲法による戦後の教育が理想であるか。……その成果ももはや十分に出ている。あの大学紛争における学生の暴動、リンチ殺人、中学生・高校生の凶悪犯罪、性犯罪の激増……だいたい、現行現行憲法が理想だなどという者は、日本人は数千年の歴史を持ちながら、この昭和20年に至って敗戦の憂き目にあい占領憲法を与えられるまでは、正しい理想がわからなかったバカ者だったということなのだ。

 日本国は、幾千年の間、天皇を中心に戴いて、幾多の困難をのりこえ、繁栄してきたのである。天皇中心の政治と文化を築く営みにおいて国民はその理想を遂げつつ人間性を開発してきたのである。

「我カ臣民克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ億兆心を一(いつ)ニシテ世々厥(そ)ノ美ヲ済(な)セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実二此ニ存ス」――この教育勅語の中に日本国民の教育の理想、社会的理想があったのである。

   理想国家の実現へ

 歴史教育は、日本の歴史を学ぶことによってますます日本および日本人を愛さずにいられないような教え方がなされるべきである。日本に生れたことを恥ずるような歴史教育、日本に生れたことを不幸だと感ずるような歴史教育であってはならないと思う。そのために、あまりにも違った歴史観の持主の多い現在、特に歴史教科書を野放しにすることは教育上憂うべき状態が現れることは全くあきらかである。今回の教科書裁判は上級審で逆転することを信じるけれども、さらに国民大多数の良識ある声を結集して、理想の教育による理想国家実現のために前進しようではないか。



       10 あなたの中に宝庫がある 〈理想対談〉

                         (『理想世界』 昭和53年10月号所載)
  

        週刊朝日記者 下村満子 ・きき手 本誌編集長 岡 正章


<今月の対談相手は、週刊朝日の女性記者。世界中の有力者に次々とわたりをつけて取材し注目を集めている人。慶応の経済を出て、ニューヨーク大学に留学。記者生活の中では、アラビアのセ氏50度という灼熱の地、日本人の誰もいないというところにビザもなしに出かけて行き、ハーレムの奥深く王様や王妃たちに会って来たりもした“奇蹟の人”。その“奇蹟”の根源はいったい、どこにあったのだろうか?(都合により森田会長に代って編集部でインタビューとなった)>


  きょうは森田青年会長がお相手する予定でしたけど、急に都合が悪くなりましたので、申しわけありませんが、私が代ってお相手をさせていただきます。

 週刊朝日に下村さんのお書きになったものなど、私も愛読させて頂いてまして、お会いするのをたのしみにしておりました。単行本にまとめられたものでは『アラビアの王様と王妃たち』『減速経済を生きる』と『世界の大経営者たち』なども拝見して、それぞれ教えられることが多くて、ありがたく思っています。

 下村 そんな、たいした内容もなくておはずかしいんですけど……

  下村さんはいつもいろいろな方にお会いになって、インタビューの記事を書いたりなさっているわけですがインタビューされる側に立たれるのは初めてですか?

 下村 いえ、近ごろはだいぶ、される側にまわることも多くなってまいりましたのよ。この間はテレビで『徹子の部屋』に出て黒柳徹子さんと話したり……

  おや、そうでしたか。それは存じませんでした。
 下村さんが女性で、結婚もしてらして、記者としても国内はもちろん、世界の大経営者に会ったりアラビアの王様に会ったり『華麗に生きる世界の女性たち』に会ったり、世界中を回って大活躍していらっしゃるので、そういったことから、“女の生き方”“女性における自己実現と幸福”といったテーマでお話を伺いたいと申し上げていましたけど、会長からさっき電話で頼まれたことがあるんです。それは、今、ヨーロッパやアメリカの、いわゆる西洋的なものがゆきづまりに来ているとさかんに言われますけれども、下村さんは実際に世界をまわっていろんな方に会って取材して来られて、実感としてどうお感じになっているか、日本への諸外国からの期待というようなものをどうお感じになっているかをぜひきいてほしいと、会長から頼まれまして、私もそういうことはぜひうかがいたいと思うわけなんですけど、しょっぱなから、もう、そんな大きいことをお聞きしてもよろしいですか?

   世界全体の大きな地殻変動が……

 下村 ええ、ええ、何でもどうぞおききになって下さい。実は私、それが私の前々からのテーマでして、今『Voice』という雑誌に「女性記者の眼」というので連載で書いているところなんです。今四回書いたところですけど、その私の一貫したテーマが、まさに今おっしやった、西洋的なものの考え方、文化、文明、発想法というものがゆきづまってきて、日本的というか東洋的というか、そういう物の考え方が世界で非常に見直されようとしているということなんですよ。

 今までの日本人というのは、西洋コンプレックスのかたまりみたいなものだったわけで、特に明治維新後ね、全面的に過去の日本文化をうち捨てて、近代化、西洋化ということでやって来ました。“西洋に見ならえ”ということが絶対の目標だったわけですね。何でもとにかく、アメリカでこうだ、ヨーロッパでこうだ、だから日本もこうしなければならない、というふうにしてずっと来たわけですよね。そうして戦後もそういう形で、特にアメリカあたりがモデルになりましてね、何につけても、アメリカはこうだ、アメリカはフリーセックスだから日本もフリーセックスしなきゃいけないとか、ポルノを解禁してるのに日本はまだ遅れているとかね、そういう非常にばかばかしいことを言っているわけです。それもむしろ日本をリードしている文化人たち、評論家とか、新聞記者、ジャーナリスト、大学の先生といった人たちにそういう方が多かったんですね。それで一般の人たちも、それを、つまり西洋のあり方がいいんだ、進んでいるんだということを疑問の余地のないこととして受け入れていたと思うんです。

 ところが、この数年だと思うんですけれども、「待てよ」という感じになってきましたね。「ちょっとおかしいんじゃないか」と。
 アメリカやヨーロッパの物質文明の行きついた先は、もういろんな形の崩壊のきざしが見えている。経済自体の停滞もありますし、最近の一連の、モロ氏の誘拐とか、シュライヤー氏のああいう問題(誘拐殺人事件)も出てきたし、麻薬の氾濫とか、セックスの自由化の行きついた先は、男女の愛情もなくなって、もう誰も信じられない、非常に孤独な男と女の群像だった――そんなアメリカの映画が最近ずいぶんたくさん来ていますわね。そういう動きを見ますとね、われわれも今までは、三年か四年のタイム・ラグがあって日本もアメリカに少しずつ追いついてきたのが、ああいうふうになったんじゃ困ると、そういう感じになってきたんですね。

 今まであまりにも自分たちは自己卑下していたけれども、ここで自分たちの持っているものは再認識して、自己選択すべきではないかと……

  まさにそうですね。前々から、本当に英知のある人々はそれを言っていました。私共の総裁谷口雅春先生も夙(つと)にそれを言われていましたけれども、何といっても西洋コンプレックスが強くて、なかなかそれが信じられないといった状況だったと思うんですが……

 下村 そうなんです、「エエッ?」というような感じで、まだ半信半疑だし、それを日本人が言ったんじや、誰もなかなか聞かないんですね。しかし最近は西洋人で、東洋の、日本人のもっているものを再認識すべきだということを声を大にしていう方も多いし、それにたいへん興味をもって日本に勉強しにいらしてる方もたくさんいて、西洋の相当のレヴェルの方が言い出したので、日本人も「そうかな?」と思うようになったんですね。

 本当に今、そういう意味ではたいへんおもしろい時期に来ていると思うんです。世界全体が地殻変動して、底の方で、すごく大きな変化が起りつつあるんじゃないかなあと感じますね。

  日本が見直されてきた理由には、今まで非常にコンプレックスをもっていた科学技術の面でも日本はトップレヴェルに立つようになり、経済的にも繁栄してきたからということもあるでしょうね。

   見直されてきた「日本」

 下村 ええ。なんで日本が、資源なんかない国だのに、これだけ経済的に成功したのかということは、アメリカでもヨーロッパでも研究の対象になっているわけですよね。そこには、精神的な面で、何か西洋とちがうものがあるらしいということで、いま非常に関心をもって研究されるようになってきたわけです。

 西洋ではたとえば、労働に対する発想でも、昔の奴隷制度の発想の延長で、つまり労働というのは、自分の自由を切り売りして、その時間は自分の人間性を全部会社なり資本家に売っているんだという発想なんですね。

 だけど、日本人は本来沸そういう発想をしませんでしょう。だいたい、労働するのに給料との換算なんかせずに自分の納得のゆくまで働く、それが即自分の人生であり、そこに生きがいを見出すというような発想ですよね。私が朝日新聞社に勤めて給料をもらっていても、私は朝日新聞に奴隷になっているとは思わないし、とことん徹夜で原稿を書いたって、そのために時問外いくら働きましたと言って請求する気は毛頭ないわけです。自分が納得いくまで仕事をすることが喜びなんだという考え方が、程度の差こそあれ、日本人の中にはあると思うんですね。

 労使関係にしても、一応日本でも近代化の過程で西洋的な労使関係を取り入れたわけで、一見西洋と同じように見えていながら、違うわけです。日本的集団主義とか、一体感とかいわれるものがあるんですね。そういうものは今まで、前近代的で、非合理的で、非科学的で……と、バカにしてたわけなんですよ。ところがもしかしたら、そういうものにあんがい真実があるんじゃないか、とね。

  なるほどね。

   西洋人の基本は「対立観念」

 下村 西洋と東洋と、何がいちばん違うかと考えますとね、西洋人の本質的な考え方というのは対立観念なんですよね、自・他の対立。個人主義というのはそこから出て来ているわけですよ。人間というのは個人個人が皆違って自己主張するものだと、それを何とか話し合いで解決しようと、労使関係なんかもそういうことで――労・使の利害は根本的に対立するものなんだけど、そこを何とか話し合いで力関係、パワーポリティックスで調整しようというような考え方です。それは、親子の関係でも、男と女の関係でも、常に対立関係でとらえるんですね。

 さらに自然に対する観方、自然観というのも、自然というものをまず客観化して、その客観界をとことん追求して行くことによって科学が発達したわけですよ。そうして自然界の法則を発見し、それによって自然を支配しようとするんですね。

 反対に、東洋的な物の考え方というのは、自然を客観化して支配しようとするよりは、宇宙なり自然なりへ自己を調和させようとし、客観界を追求するより自己の内面、主観界を追求する方が得意なんですね。

 その結果西洋では自然科学が発達したために人類を支配する武器を持ち、今まで東洋人はわれわれも含めて、完全に西洋人に支配された形になっていたと思うんです。

 ところが、西洋文明が爛熟して行きつくところへ来たというか、物質文明をあまりに偏って追求したが故にバランスを失したという状態が、今の現状だと思うんですね。そこで、そのバランスを回復させるものが、東洋に、あんがい真実があるんじゃないかというんで、皆、手さぐりしているんです。アーノルド・トインビーさんなんかも非常に早く、そういうことに気がついていましたね。

 岡 西洋はパラパラに分割、分析し、東洋は一つに綜合する英知を持っているということでしょうか。とっても面白いですね。

   “21世紀は東洋の世紀”

 下村 ええ。この間私、未来学者のアルビン・トフラーさんという方に週刊朝日でインタビューしました。『未来の衝撃』という本を何年か前に書いて、ベストセラーになりましたね、そのトフラーさんがこの間久しぶりで日本にいらしたので私、インタビューしてとても面自かったんですけど、彼もやはり西洋的な民主主義が完全にデッドロックに乗り上げていると言っているわけですよ。西洋人は物事をすべて、白か黒か、イエスかノーか、というようにはっきりしないと気がすまない。「賛成か、反対か」「善か、悪か」と――それはアリストテレスの論理学以来の西洋のロジックなんですね。ところが、今の社会というのは、すべてが非常に多様化してきている、それで民主主義というのは多数決主義ですけれども、もう、多数派というのがいなくなるんじゃないか、多様な考え方があって、どれをとっても、それぞれに何人かいて、どれも過半数をとれない、というようにね。

 そうなってきたときには、社会はもっともっと弾力性のある社会、多様なものを受け容れる社会でなければいけない、何事にも白・黒の結着をつけ、善だ、悪だという西洋的な発想はだめだというわけです。そこへ行くと東洋的発想というか、仏教的発想というのは、もっと多様、多面的だというんですね。善・悪というのも、東洋人は、「これは絶対的な善」とか、「絶対的な悪」というのではなくて、時には「ウソも方便」と言ってね、場合によってはウソをつくことも善になるでしょう。それが、今までの西洋人の眼から見ると、ヌラリクラリとしていて、何だかわけがわからない。白でも黒でもない、灰色の部分が非常に多かったわけですね。ところが、トフラーに言わせると、あんがい、それこそが21世紀の社会の発想だと――そういうふうに多面的にいろんなものを合流するのがね。そして彼はそれを、どこで聞きかじってきたのか、仏教的発想だといって、そういう仏教的、東洋的な物の見方が21世紀の物の見方ではないか、というんです。で、私もそう思います、といったんですけどね。

  おもしろいですね。

   アメリカにこんな日本的生き方が…

 ところで、下村さんが週刊朝日でインタビューされた、アメリカのSMI(サクセス・モティベーション・インスティチュートの略、1960年ポール・マイヤーが創立。人間はみんな、その心に描く夢や目標を達成し実現できる無限の可能力をもっているという信念にもとづき、心の法則を駆使して人間の潜在能力をひきだす方法をプログラム化し販売している)の創始者ポール・マイヤーさんとか、『トータル・ウーマン』の著者マラベル・モーガンさんなんかの発想は、非常に東洋的なものが基盤になっているような気がします。それがアメリカで起ってひろまっているというのがおもしろいと思うんですが――

 下村 ええ。あれはまた、すごく日本人にうけるような考え方だったんですね。ポール・マイヤーさんの記事では、300通ぐらい、反響の手紙が来ました。いまでも来るんですよ。

 そして女性の問題で、モーガンさんはアメリカ人でありながら、日本古来のあり方そっくりみたいな生き方をして、それが幸福になることを実証したんですねえ。あの人はもともと典型的なアメリカ女性で、はじめ大恋愛結婚をして幸福だったんだけれども、年々二人の間がうまく行かなくなった。そのとき、それは全部夫が悪いんだ、夫が結婚したときの愛情がなくなったんだ、もう私の方を向いてくれない、とかどうとかこうとか言って夫を責めていたわけですね。そうしていよいよ離婚寸前ぐらいまで来たときに、彼女は離婚だけはどうしてもしたくない、何とかして切り抜けたいと思ったんですね。そして聖書を読んだり、心理学の本を読んだり、いろいろやっているうちに、はたと気がついた……自分は、自分自身のことを全く棚に上げて相手ばかり責めていた、相手のせいにばかりしていた、でも自分を考えてみると、ああ、髪の毛ふりみだして目をつりあげてやっていた、結婚当初のようなやさしい言葉もかけなくなっていた、いろいろ反省してみると本当に自分が悪い。それで、相手のことはそのまま「いい」と受けいれて、まず自分を変えることから始めたんですねえ。そしたら相手も、それに呼応して変ってきたというんでしょう。

  いい話ですね。

 下村 いい話ですね。ほんとに。
 こっちが変ってやさしいことばをかければ、精神は互いに感応するものであって、自然に相手も変る。そして気がついてみれば、またすばらしい夫婦に戻っていたというね、その自分の体験にのっとって書いているから、モーガンさんの場合、非常に説得力がありますね。

 アメリカの女性は特に対立観念が強くてね、ウーマン・リブというのは、本質的に男と女の対立観念から生まれているわけですよ。ところが、男と女が敵対した関係というものを前提にして男と女の関係をとことん追求して行きますと、最後はレズビアンとかホモセクシュアルで、女は女同士愛し合いましょう、みたいなことになってしまいます。男を敵としてしまいますと、敵と愛し合うなんていうことはおかしいわけですから。実際、アメリカではレズビアンやホモセクシュアルがものすごくふえているんですね。そういう異常な形になってきているのを見ますと、ああいう西洋的な女性解放思想というのは、ちょっと欠陥があるんじゃないかと思うわけですよね。

 それで、アメリカでウーマン・リブが極端な形になったことに対して、マラベル・モーガンさんのような人が出てきて、彼女の本が何百万部も売れて、彼女の笑顔が『タイム』の表紙になり、カバー・ストーリーとしてとり上げられるほどになったというのは、そういう人を支持する女性がたくさんいるということなんですよね。

 この間、モーガンさん御夫婦で、いらっしゃったんですよ、日本に、そして8千人ぐらい集ったそうですよ、彼女の話を聞くために。そして福田総理夫妻とも会って、いろいろ夫婦談議なんかもして……私の週刊朝日の記事がきっかけになったらしいんですけどね。

  そうでしたか。

 下村 日本人にはモーガンさんのような考えがわりと分かるんですけど、アメリカの女性にとっては、トータル・ウーマンの“4つのA”、夫を受け入れる(アクセプト)、夫を称賛する(アドマイア)、夫に合わせる(アダプト)、夫に感謝する(アプリシエイト)なんていうのはとんでもない侮辱である、男と女は、対等なのに、なんでこちらが合わせなければいけないのか、なんでこちらが感謝しなければいけないのか、とんでもない、向こうが私に感謝すべきだと、全くハーフ・ハーフの考えでしょ。だから、“4つのA”なんてとんでもない、という反撃が今でもあるようですよ。

  そんなアメリカ流の民主主義よりも、本当は自分を変えて行くことによって自分の環境がすべて変って行くということの方が、自分が自分の主人公であるわけですから……

 下村 そうなんです。その考えは私なんかよくわかるし、日本人にはわかる方がたくさんいらっしゃいますが、西洋的な文明文化の中で育った方には本当にむずかしいことですね、わからせるのは。

  ところで下村さんは、お母様が生長の家をご存じだったとか……

 下村 ええ、戦前のことですけれども、私が母のお胎(なか)にいたころ、父と二人で、よく谷口先生のお話をうかがいに行ったんですって。私が初めての子だったものですから、いい子を生まなきゃならないと思って、胎教のためにと……そういう御縁があるようです。

  そうでしたか。そうして、下村さんはお仕事でもたいへん活躍されていて、結婚生活と両立させていらっしゃるわけですね。その御自身の体験から、若い人たちになにかアドバイスをいただけたらと思うんですが……。

   目標設定が成功の原動力

 下村 私、あのポール・マイヤーさんも言っていることですけれども、自分が将来どうなりたいかという人生の目標をもつということは絶対に必要なことだと思うんです。私は小さいときからほんとに、お嫁さんには絶対、なりたくて、また同時に仕事もぜったい持ちたくて……それは私、母が医者で、仕事を持っていたでしょ。その自分の両親の関係が、とてもよく見えたものですから――。

  御両親の関係が理想的に見えたというのは、幸せですね。

 下村 ええ。母を見ていて、仕事をもっている女性というのはいいと思いましてね。それから、両立ということは、私にとって、親がやってたことだから、不可能なこととは思えなかったんです。で、小学生の頃から私、なまいきにも「仕事と家庭を両立させる」ということを言っていたんですよね。その希望みたいなものは、だんだん、だんだん心の中で発酵してきてね、小学校から中学、高校と進むにつれてますます強くなってきて、じゃ仕事というのは具体的に何をするかといえば、母は自分が医者なもんですから私を医者にしたかったわけですけど、私はどうしても物を書くということに対する内的な欲求みたいなものが抑えられなくなってきて、結局ジャーナリストになってしまったんです。

   執念と努力から運命が飛躍する

 しかしその希望実現のためには私、人並み以上に自分に挑戦しました。たとえば、大学の学部を選ぶ場合でも、経済学部なんて選びましたわね。ふつうなら、文学部あたりを選ぶところでしょう。文学なら、自分がもともと好きだから、楽なんですけれども、経済学というのはなかなか独学ではできない、しかし今の世の中の社会問題は経済の要因から出てくるものが非常に多いわけでしょう。ところが女性はどうしても経済に弱い人が多い。そこで自分はいやでも経済学を勉強しておいて、ひとつの武器にしよう、と思ってやったわけです。

 それから、外国に留学しましたのも、これからは国際化の時代だから、特に女性で仕事をもつ場合には、男の人以上にブラスアルフアの武器を持っていないと不利だから、外国語をマスターしよう、と思いまして、それを実現するためには、自分なりに相当執念をもって、不可能と思われるようなことにも挑戦しました。アメリカ留学なんて、今でこそ楽だけど、当時はまだ自由化になる前でしたから、勝手にはできなかったですよ。奨学資金かフルブライトか、そラいうものがないと。私費でといっても外貨の割当てとかいろいろなワクがあって、できなかったときです。それで私、一年がかりで、アメリカ大使館のカルチャーセンターに通って、全米の大学の名前と住所と、その学部と教授の名前なんかが出ている年鑑みたいな本を繰りましてね、その中の十五ぐらいの大学に自分で手紙を書いたり、論文を書いて送ったりして、奨学資金をくれと……それはもう、ひそかにすごい努力をしたんです、みんなが遊んでる間に。まあ、思いがけずその中の一つから、百パーセントの奨学資金が出たんですけどね、それはもう奇蹟的なことだったんですよ、当時としては。全世界からの留学希望者の中から、年に1人とか2人とか選んでニューヨーク大学が外国の留学生に出す奨学金(スカラーシツプ)ですが、それをいただいたから留学できたんですけども……

 人間の運命というのは、そういう努力の積み重ねの上に、徐々に築かれて行くんですねえ。地道に築き上げて行くときに、思いがけず好運にめぐまれて、それがバーンと何倍かにエスカレートして自分の運命を引きあげてくれるときがあるし、逆に失敗してどん底になるときもあるけれども、結果ではなくて、自分がベストをつくすというプロセスに私、意味があると思っているんです。ですからあまり結果の計算なんかしなくて、上の人にでも思うことを何でも言いますし、偉い人に会っても全然ものおじしないのが習い性(しょう)になってしまって……

   “依頼心”は病気である

  ところで、最近の“現代っ子”というのは依頼心ばかり強くて、進学校の選択、就職先の選択でも何でも親の判断にたより、結婚資金だって親が出してくれるのが当然だ、というような依頼心は持っている、それではその親の面倒をみる気持を持っているかというと、それはなくて――と、そういう身勝手な風潮が強いという調査報告が新聞に出ていましたけど、どう思われますか。

 下村 その“依頼心”というのが、今の若い人たちに共通している病気だと思います。

 それから、自分の不満を今の若い人たちはすぐ、親がわるい、教育がわるかった、どうだ、こうだと、二言目には親とか社会のせいにしますでしょ。それがもう、いちばんの病気だと思います。自分の人生を開拓して行くのは自分以外の何ものでもないということをまず胆に銘じることですね。

   生きがいは努力と開拓にある

 現在の物資が豊かな社会というのは、戦後一所懸命、物のない時に食べる物も食べずに子供を育て働いてきた人達の努力が今やっと花を開いた結果だと思うんですよ。ですから今若い人達は、前の世代なんか体験できなかったような非常に優雅な生活ができる。

 それで若い人たちが果して今しあわせかというと、本当はしあわせじゃないと思うんですよね。何かこう、いつもどこか心の底が空虚で何の目標もないし、手さぐりで……そのはけ口がたとえば暴走族とかなんかになっているわけでしょう。

 片や唯一のはけ口というか今競争がはげしいのは受験勉強ですけれども、それをやって大学に入った途端にポカッと穴があいたみたいになってしまう……しかも大学に入れば昔は一つのエリートとしての満足感があったけれど、今やまったく、猫も杓子もという時代で、何の満足感もないわけですね。ですからとても欲求不満の状態にあると思うんです。

 一体それじゃあ、何ができるかというと、私が今世界じゅう回って切実に感じますのはね、もはや一国だけの幸せ、日本だけが良くなって、日本人だけが幸福になるということはあり得ない。日本人がしあわせになるには、世界中がしあわせになってもらわなければならないということです。

   大きく世界に目を向けて!!

 若い人のエネルギーをもっと外へ放出してもらいたいですね。それにはまず東南アジアだとか、いろいろな所でまだまだ遅れている国がたくさんあるし、あるいは世界の先進国でも物質生活は豊かでも精神面でバランスを欠いているという状況ですから、日本の役割って私、とってもこれからあると思うんです。

 ところがだいたい日本人自身がチマチマしているんですよ。せせこましいというか。豊かなものをもっている国なのに、自分で自分を自己卑下してセコセコ、チマチマしちゃって、相当偉い方でも二言目には鬼の首でもとったみたいに、「いやスウェーデンではこうだ」とか「アメリカではこうだ」とかいうことを得々としてしゃべって、だから即日本は駄目だと言うわけです。そういう目でしかものを見ないということが自らを貧しくしているんじゃないでしょうか。

 誰でもまず自分の生まれた両親とか故郷とかに誇りをもちたいですね。それと同じようにまず自分の国を愛してこそ他の国へも手を伸ばせるんであって、自分が駄目であったら駄目な人間が他を救えるわけがないわけでしょう。

  その通りです。

   宝物はあなたの足下に埋っている

 下村 私、最初アメリカに留学してとっても恥ずかしかったのは、自分が日本のことを何も知らなかったということですね。日本のことを質問されても答えられない。でこれはいけないと思って、まず日本のことを勉強しなきゃ、と思いました。

 宝物は、なにか遠く離れ小島にでも行ってそこを掘っくり返したらあると思うのじゃなくね、自分の立っているその真下をまず掘ってごらんなさい、ということですね。まず自分の土の中を掘って宝物を発見し……それはたとえば音楽にしても、なにも西洋音楽にばかり傾倒しなくてもいい、自分の国の、まず東洋の音楽をちょっとやってみるとか……演劇もそうだし、文学もそうだし、哲学もそうだし、宗教も……何でもそうですわね。ありとあらゆる面で、自分の立っている下をまず掘ってごらんなさい、意外と宝物がありますよ、と――それを持って、その宝物を外の人たちに与えて行く。少しでもお互いに、いい社会をつくるために役に立つ人間になるべきなんであって、またそれが必ず幸せになる道だと思うんです。ですからまず自分自身の下を掘る、自分の内面を掘りおこしてですね、何かを人に与えることのできる人間になってほしいですねえ。

――<下村さんには、仕事を持ちながらの御夫妻調和についても具体的なお話を聞きました。それは一言で言えば、「感謝」を忘れないことだということです。>――岡





       11 あなたの中に太陽が昇る―顕斎(まつり)の時は今

                         『理想世界』昭和53年10月号所載 〈『理想世界』編集長時代〉
  

    《龍宮住吉本宮鎮座落慶記念座談会》――編集部構成――


 <<11月21日(生長の家秋季記念日の前日)から8日間長崎県西彼杵郡西彼町の生長の家総本山で、龍宮住吉本宮の鎮座落慶大祭が盛大に執り行なわれる。その大拝殿は「鎮護国家出龍宮顕斎殿(ちんごこっかしゅつりゅうぐうけんさいでん)」と称され(宇治別格本山には「入龍宮幽斎殿」がある)、ここに住吉大神の御出御(しゅつぎょ)を請い、顕斎≪神を形に顕(あら)わして斎(まつ)る≫が行なわれるのである。それは総裁谷口雅春先生だけでなく私たち一人一人の中に住吉大神が顕われ給い、宇宙浄化が行なわれる慶事であり、私たちの日々の生活が即、神(天照大御神)を顕わす祭りとなることである。龍宮住吉本宮は私たちのいのちの中にある。それを形に投影したのが九州総本山のすがたなのである――。
 龍宮住吉本宮鎮座落慶を記念して、その「顕斎」の意義について座談会を行なった。>>


  やあやあ、遅くなりました。きょうは午前中ある後輩が弁理士の事務所開きをするので、その潔(きよ)めのお祭りをしてくれというので行ってきたんですよ。神職の方に頼めといったら、神職の方は職業上、形式ばかりのことをするような気がする、それより素人でも心のこもった祭りの方がというので、行って来たんだけれどね。

 日本人は本来、家を建ててもそれは自分の家を建てるんじゃなく、神さまの宮を建てて、神の宮に住まわせていただくんだという気持だったんですね。だから入口にしめなわを張って、おまつりをするんですよ。

 食事だって、天照大御神の御いのちをいただく神事であるし、寝るのだって、単に疲れたから寝るというのじゃなくて、マドコオウフスマ(真床追衾)に入ってお籠(こも)りをする神事なんです。すべてこれ顕斎ですよ。

  すばらしい話ですね。
 住吉大神の顕斎(けんさい)ということは、他人事(ひとごと)ではなく、私たちのいのちのことなんだということですね。

  そう。顕斎(まつり)というのはね、まず「みそぎ」をしますが、これは霊注(みそそ)ぎで、神さまが霊止(ひと)にお生れになるというのが、まつりの根本的意義なんですよ。

 天照大御神が天皇さまにお生れになるというのが御即位のときの大嘗祭(だいじょうさい)、そして毎年11月23日の新嘗祭(にいなめさい)です。その新嘗祭の前の日である11月22日に、天照大御神の前の霊(ひ)である住吉大神が、谷口雅春先生をはじめとして、われわれ信徒一人一人に御誕生になるんですよ。ですから大変なことであるわけです。谷口雅春先生の御誕生日が11月22日だということは偶然じゃない、宇宙的な大経綸(けいりん)が秘められているという気がしますね。

  たいへんなことですねえ。

   ●生活のすべてが「神遊(かむあそ)び」である

  一般に知られている祭りというのは、神さまがここに人のいのちとして生れて、何とありがたいことか、嬉しくて楽しくてたまらないというのが神楽(かぐら)となり、舞となり、踊りとなりとそういった神遊びで、氏子の地域一帯を神のいのちで充満させるためにお神輿(みこし)をかついでねり歩いたり、神船に乗ってお渡りになるとか、山車(だし)を引いて舞うとか、するわけです。

 その、神さまがお生れになって、なんとありがたいことか、たのしいことかという「神遊び」の行事だけが、一般のお祭りとなって残っているわけですが、本当はその前に禊(みそぎ)という「幽斎」がある。ところが顕斎だけに世の中の人の眼が向いているので、現在の神道界では、幽斎に向けて熱心になっているんです。生長の家はもともと顕幽一如(けんゆういちにょ)、幽斎即顕斎だったのですが、今までどちらかといえば「祈ればいい」という幽斎の方が強かったので、今、神さまを形に顕わして行く顕斎の方に向いて来たんですね。

 で、「顕斎」というのはお宮を建てて神事を行うということも一つですが、同時に生活の一つ一つに神さまを顕わして行く、生活のすべてを「神遊び」にするということなんですね。

  うれしくなってきますね。食事も、睡眠さえもが神の祭りであるというのは……

  そう、われわれが何の気なしに毎日寝(やす)んでいる寝床も、これは日々新生するための神聖な真床追衾(まどこおうふすま)≪『日本書紀』に、天孫降臨のとき高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)は真床追衾を以て皇孫(すめみま) 彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと)を覆って降臨させた、とある≫ですよ。寝床に入ることは、いったん今までの自分は死んで、また神のいのちを宿して新たに生まれる、「籠(こも)り」の行事なんです。それは人間の誕生だって、胎内に宿ってから10ヵ月のお籠りの期間があるでしょう。それは熟成の期間なんです。紙だって、機械から出て来たナマの紙をすぐ印刷にかけると、あまりかんばしくない。お習字に使う紙だって、半年か1年ねかせておくといいんです。それは何でもそうです、アイディアだってしばらくねかせておくと熟成してくる。神想観していったん死に切って寝むと、またお籠りの期間を経て、「只今誕生」と、新しいいのちが生れてくる、というのが、われわれが日常、寝床に入り、朝起きるという行事なんですね。こういう神事を、日本人はずっとやってきたんですよ。

   ●食事は人類共通の顕斎

 食事をいただくのも、これは「大調和の神示」以前に、「食事は自己に宿る神に供え物を献ずる最も厳粛な儀式である」という神示で教えられている通り、たいへんなお祭りですよ。日本古来の言葉でいえぱ、「贄(にえ)の祭り」または「饗(あえ)の祭り」と言いますが、食事が祭りだというのは日本だけのことじゃないんです。

 われわれ、人類光明化運動と言いますが、その人類共通の祭りは何かといったら、食事ですよ。それから音楽ですね。アイヌの熊祭りというのも、食事によって神と一体になる祭りだし、ヨーロッパでも、ゲルマンをはじめいろんな諸民族で、キリスト教のために自分の民族にうけつがれてきた祭りが抹殺されて今は稀薄になっているけれども、諸民族の祭りの根源をたどって行くと、全部神さまと一体になる、食事によって神さまのいのちをいただいて生れ変るというのが、全人類共通の祭り、全人類共通の顕斎なんですよ。

 その全人類共通の顕斎が、日本に、最も純粋に深く伝えられてきているんです。そのいちばんいいサンプルが、天皇さまのお祭り(大嘗祭・新嘗祭)なんです。そこに、日本の世界的使命というものが感じられるんです。

 だから、現在意識ではそのことをみんな忘れていても、日中条約を結ぶとかなんとか、しち面倒くさい外交交渉なんかの前には、必ず食事の宴がはられるでしょ。それは、全人類共通の顕斎は食事であるということが、深い潜在意識の底にあるからですよ。だからいっしょに一つのテーブルについて飲食を共にするという食事の席では、ケンカをしないでしょう。

 ヨーロッパ人などが未開民族のところへはいって行っても、まず、持っているものを交換したり、いっしょに食事をしたり、というところからやって行くと、警戒心を解いてしまう。

 全く言語も、歴史、伝統、風俗習慣もちがう者同士が会ってもね、一つテーブルについて飲食を共にする行事でもって、お互い一ついのちに生かされているんですよという、つながりを思い出させている……。

  おもしろいですね。

  だから、世界の、コトバもちがい風俗習慣もちがういろんな諸民族が、長崎の住吉本宮に参拝に来ても、全然不自然なことはないんです。

   ●神のいのちが顕われると

  木間さんの「祭りの形と心」には、日本の古代の村の長老というような人は、いつも神に祈り神と対話することが日常の会話のようになっていたということが書かれていましたね。なにか、それが現代にも行なわれる時が来ているんだなあと、顕斎の時代の意味するものが迫って来るような気がします。すべての人に、それがいのちの底からよみがえってくる……

  幽斎・顕斎というのがこう一致してくると、私なるものがかわって来るんですね。生れかわりが行なわれるというか、自我をスパッと死に切って行くと、いろいろと具体的に変化が顕われてきます。

 私は最近、自然にたばこを喫(の)まなくなったんです。たばこをやめようと考えたこともなかったんだけど……実は私は戦時中、戦地に行ったとき、ある先輩が、「君はこれから大勢の部下を持つようになるんだから、兵隊の気持をわかるためには、たばこを喫め。たばこの味がわからなければ兵隊の気持もわからないよ」と言われたんです。

 当時は、「上官の命令は朕(天皇陛下)が命令と心得よ」ということだったので、私はその先輩の命令のような言葉を忠実に守って三十数年たばこを吸いつづけてきて、やめる気は全然なかった。それはあの、小野田少尉が上官の命令を忠実に守って、上官が命令を解除するというまでフィリピンのミンダナオ島のジャングルから出て来なかったのと同じだなと思ったんですがね。ところが、「顕斎」について書いているうちに、私自身が非常に変ってきて、私の体の中からたばこなるものがフワフワ、フワフワと抜け出して行って、私とたばことがずれてしまったような感じなんですね。そうして全然たばこを吸わなくなってしまった。

 それから、二十何年もつれそった、四十幾歳の家内が、非常にかわいくなって……(笑)

  いやあ、すばらしいですね。

  私も、最近変ってきたんです。子供を見ていて、嬉しくてしようがないんです。女房を見ても、以前は子供の教育のしかたが不満で小言を言ったりしていたりしたんですが、それが全然なくなって、ただ嬉しい。庭の草花を見ても、ひじょうに嬉しい。何が嬉しいというのでもなく……あらゆるものが神なんですね。

  なるほど。自分の奥さんを神さまと観て拝むことも顕斎ですよね。
 すべての人に、いのちの底から、そういう甦りが起ってくる。それは、生長の家に入っているとかいないとかの形の問題ではなく、空気も水も火も、花も草も木も甦ってしまう。

  住吉大神の“顕斎の気”が、大気の中に満ちてきて、それに包まれたというようなことなんでしょうか。

  これは本当に、おどろくべきことだな。こうして人類全体が、なんとなくお互い同士いとおしくなり、なつかしくなって来るとしたら……どんなことになって行くんでしょうね。

   ●住吉大神、宇宙を浄めたまう

  住吉大神は、古事記神話では、天照大御神がお生れになる前、イザナミの命のみそぎはらいの完成のときにお生れになった神さまですが、それは地上の人間ばかりでなしに、神々をも、一切を浄化される。住吉大神は浄化の神で、浄化とは秩序を正すということである。中心を中心として、中心に帰一した神々の世界がだから、神界においても浄化が行なわれる、つまり住吉大神が住吉大神として正しく祭られることによって、天照大御神以後の神々がみんな秩序あらしめられて、その御働きを及ぼされる。そうすると、八百万(やおよろず)の神々、日本のいたるところ、津々浦々にある神社の神々も復活するんですね。生長の家は万教帰一で、一切の宗教を生かし、すべての教祖のいのちを現代に生かしてきた。聖書のコトバが生活に生きてきたとか、法華経の本当の意味がわかったとか……それは教えの復活、神々の復活ですね。

  万教帰一というのは、すべての教えが一つに帰るという意味がありますが、顕斎ということからいうと、つまり実相の側からいうと、すべての教えは一つから展開しているという宇宙の創造のすがたをいい表わした真理のコトバだと思います。そうして私たちは、その中心なる天照大御神のふところに抱かれて私たちのいのちがあるんですから、すべては自分のいのちの展開であると言える。

   ●自分の中に宇宙がある

 ぼくはね、以前はベートーヴェンの音楽をきいても、バッハの音楽をきいても、「これはべートーヴェンという人の体験した、ある生命体験を描写したものだ」あるいは「バッハの世界を表現したのもだ」と思っていました。それは他人事(ひとごと)だったんです。そして、べートーヴェンの能力に嫉妬心を起していたんです。ところが、そうではなかった。これは、ベートーヴェンが、ぼくのいのちをまつってくれて、ぼくのいのちをたたえて、こうして顕斎してくれているんだ、という気持になってきたんです。べートーヴェンが他人事じゃなくなったんですね。こういった大天才たちが自分のいのちの延長として出て来て、自分のいのちをたたえてくれている、という感じになってきたんです。そしたらもう、うれしくてうれしくて……

  ベートーヴェンが自分のいのちの延長……すばらしい。

  ぼくはね、住吉大神が宇宙浄化をされるというのは、浄化とは秩序だてること、秩序の回復だとおっしゃる、それはどういうふうに秩序づけるかというと、まず、自分のいのちの中に宇宙があると自覚して、自分が自覚的に宇宙にひろがって、宇宙というものを自分のいのちの中に秩序づけるということではないかと思っているんです。

 木間さんは、「祭りの形と心」の中で、時間・空間の発する一点、その一点を透過したすみ切りの妙境ということをお書きになっていますね。そこのところに尊師のいのちがあり、そこから尊師のおコトバが発せられて来ているんですね。そこは大調和にすみ切った世界ですね。私はそこを“聖なる今”と言ってもよいと思うんです。そこから「大調和の神示」が鳴り出している。その大調和の神示に、“汝が天地一切のものと和解したとき、そこに吾れは顕われる”と書かれていますが、ここに顕斎の道が示されているんですね。

   ●神に無条件降伏して

 三月一日の立教記念日の祝賀式での谷口雅春先生のお話に、神に無条件降伏して天地一切のものと和解する、ここに住吉世界をもちきたす極意があると言われました。神に無条件降伏したとき、“もはや吾れ生くるにあらず、神のいのちここにあって生くるなり”で、もはや、そこに神が生きていられる、神が顕われているんですね。

 神が顕われるとは、ある限られた、五官とか六感とかの感覚にふれるような限定されたすがたでとらえられるということではなく、実に全相をもってわがいのちと合一するということ。顕斎的にいうと――つまり、神の側からいうと、神がわが姿となって顕われるということですね。“人間神の子”から“神の子人間”への自覚だ。

  「神の子人間」の自覚から顛落して、実相の側に立たないで現象の側から自分を中心に教えを受けとって、「俺は今までこういう功績をあげた」とかね、あたかも自分が自分の力で光明化したような、とんでもない不遜の気を起すことがある。それで谷口先生は今、「顕斎」ということを言われるようになったと思うんです。人間が人間を指導したり、育成したりすることはできないと思うんですよ。神様のおはたらきで光明化ということは行われるんですねえ。
 だから、いろいろ奇蹟的なことが起きたりすると、癒された本人よりも、指導にたずさわったこちらの方がありがたくなるんですね。

  「吾が業(わざ)は吾が為すにあらず」ですね。

  そう。それでその時は、ただありがたいという素晴しい感動なんだけれども、しばらくたつと、「あれは俺が指導したんだ」とか、「自分が救ってやった」「自分が成績を上げた」と、そういった意識が残る……。

 本当は、バイブルの言葉じゃないけど、自分のカで身長1センチ伸ばせるわけじゃない。自分がしているわけじゃない、全部神様のおはたらきでしょ。それを、自分が何をしたというような功をほこる意識が残る、そんな未熟な、救いがたい、ニセモノの自分を去って、本来の神の子の姿にかえらしめ給え――と、そこで自分が死ぬわけだ。そういうことでないと、神のみもとへ行けない、ぼくは神想観できないですよ。

 神想観というのはね、吾々が祈るんじゃないんですよ。住吉大神が祈られる。それには、自分を捨て切らないと、祈りが始まらないんですよ。

  神想観というのが、神を想い観るのではなくて、もう一つ、生長の家の大神がここに坐し給うてなし給うのですから、神が想い観るということになるんですね。そうして、非常に強い神の光の放射する中に坐しているというような……それが顕斎ということなんですかねえ。

  それは言葉で言ってしまえば簡単なことですけれども、大変なことで、死に切れるかどうかということによって、祈りに入らせていただけるかどうか、本当の顕斎に入らせていただけるかどうかということがきまる。

   ●両刃(もろは)の剣(つるぎ)をうちふるえば

  住吉本宮の御神体は「護国の神剣」で「両刃の剣(もろはのつるぎ)」になっているわけですが、「両刃の剣」というのは、相手がまちがっていれば相手も切るけれどこっちがまちがってればこっちも切るんだというところにすばらしい魅力があると思うんですね。ところが、今は「こっちに切るべきものがあったら切るけれども、今はない」というような感じになっていないかどうか。

  今年の青年大会のときの谷口雅春先生の最後の御講話で、「神の子無限力の真理」という題だったと思いますが、「どんなに神想観をしても、たとえば食膳で人の悪口を言ったりしている限り、無限力は出ません」ということを言われましたね。私は自分自身をふり返ってみて、ショックを受けたんですがね。

 悪口をいうということは、物質の世界を見ているわけですね。自分自身も物の世界からしか物を言っていない。そこからは、限定された力しか出ないですよね。

 「奇蹟の時は今」の「今」、感謝合掌礼拝して、物を観て、感じて、行動する。先生は最近、ラジオ放送でもそういうお話ばかりされていますよ。

 頭だけで教えを聞いていることがある、その姿勢が問題だと思います。頭だけで教義を理解してわかった気になっていると、いのちが無くなってしまう。それが、「顕斎」となると、神の子が神そのものの御姿をあらわす、そういう自覚の生れ変りが行なわれて来るんだと思うんです。

 「両刃の剣」ですから、まず自分が正しいすがたをあらわす――そうして、全世界が、神さまのつくりたもうた世界のすがたをあらわして来る……

  運動が、「実相独在」と最初にスパッと説かれたときに、全宇宙は自分の心の影なんだという、これはすごい宇宙をひらく言葉だったんです。それが今は、「自分の心も影もあるけど、ほかの国の心の影もある」というふうに、なにか切れ味がニブくなってきたんじゃないか。つまり、世界を変えるには、自分だけが変ればよいということを忘れているのではないか。「自分の心が変れば世界が変る」これをひっくり返して、「世界を変えるには自分の心を変えるだけでよい」というところまで徹底することができなくて、いささかニブっていて、そのニブった部分、その誤差の部分に光明化運動論を成立せしめているようなまちがいをおかしていないか……

  うーん、それは痛烈な反省ですね。

  運動が、「実相独在」の否定から始まってはいないか――両刃の剣で「切る」としたら、まずその辺がいちばん先に切られるべきこととして、あるんじゃないか。
 早い話が、神想観して「光明一元」と言っちゃったら、光明化運動の意義づけができなくなるというような――それでは、祈ろうとしても本当にすっと祈ることができない。神想観が、おかしな神想観になってしまう。

  こわい、こわい。

   ●「神(かん)ながら」の運動を展開しよう

  先日私の知合いが、「北方領土返還要求」ということで、九州の南端から北海道の現地まで日本全国縦断のキャンペーンをやるんだという連絡が来て、もうスタートしちゃったそうだけれども、ぼくは「ちょっと待て、出発する前に話し合おう」と言いたかったところです。この北方領土の問題は、「それは日本のものだ、返せ」と言えば、向うはすでに自分のものとして基地を作ったりして、地図にもソ連領として書かれているとなると、「何を言ってるか」ということになる。そうすると今度は、力づくで取り戻さないと戻って来ないことになる。今、こういう状態では、戻る可能性は100パーセントないと言っていいですよ。「戻せ」というと戻さない。「何を言うか」とひとひねりされたら、もうしようがない。では、どうすればいいか。私は、エトロフ、クナシリや千島の島の神様をお祭りすればいいと思うんです。それは日本書紀に書かれてあるんですよね。島の国魂神の顕斎を、本当に心を合わせてやるようになったら必ず返ってきますよ。ソ連の居心地が悪くなって、いられなくなってきますよ。それは、1人や2人が祈ったのではだめだけれども、日本人の100人に1人が真剣に祈ったら、簡単に実現すると思うんです。

 ところが、「返せ、戻せ」と言ったら、現象の次元での衝突になってしまう。それではかえって、「何をいうか」ということになって、憎まれて、反動が来るだけで、どうしようもないと思うんだね。

  一番確実な方法は何かということですね。

 F ぼくは、『生長の家』誌の「明窓浄机」等に谷口雅春先生が九州本山についてお書きになったものを最初から今日にいたるまでの全部コピーして綴じて持っているんですが、さっきそれを最初からずっと読みかえしてみましたら、先生は実に「神(かん)ながら」なんですねえ。九州本山には百万坪の土地があるわけですが、最初はあまりに広大で、山は雑木(ぞうき)ばかりで、いろんな構想はあっても、ちょっと手がつけられないでしょう、まあ孫の代のいい遺産になるのでは――というようなことをいう人もいた、その時に先生は、「人間の力ではほとんど手のつけようがない。しかし、神なら、これをすみやかに開拓して、本山にふさわしい土地つくり、道つくりもできる」とおっしゃっているんです。そうして、なさっていることが、あとで振り返ってみると、全然無駄がなく、みんな見事にぴしっとはまっているんですね。それは驚くべきことですよ。

 だから、私思いますのに、元号法制化でも憲法復元でも、神ならそれを実現する方法をちゃんと知っていらっしゃる。いや、憲法復元もすでに御心に成っている世界があるわけです。それを、み心のままに、最もふさわしい時に、最もふさわしいあり方で、それを神の子なる私にお授け下さいと祈る、そういうところから神ながらの働きかけが出てくる。

  そうして、神ながらの運動をして行くには、青年会運動にも先輩からの継承がなくてはいけない。生長の家は「汝の父母に感謝せよ」が基本なんですから。一つには、今まで青年会運動の中で志半(こころざしなか)ばにして斃(たお)れた同志が全国では相当な数に上っていると思うので、その同志たちの顕彰感謝祭を行なうといいと思うんです。そうして、お祭りというのは全員参加“村は総出の大祭り”'で、みんなが一つ心になっておみこしをかつぐというところに大きな意義があるんですから、この顕斎を機会に、過去を捨ててみんな一つになって力を出し合うということが必要だと思う。今がそのチャンスなんです。

 ぼくは、これからおどろくべきすばらしいすがたが顕われてくると思う。



       12 よろこびの歌をうたおう

                    (榎本恵吾 元本部講師〈故人〉との共著 『光のある内に』 〈昭和54年8月刊〉 所載)
  

      〈昭和53年4月2目、生長の家本部道場の日曜大誌友会における講話〉


 皆さま、ありがとうございます。

 きょうのお話の題は「よろこびの歌をうたおう」というのでございます。

 どういうわけか私、“音楽きちがい”というくらい音楽が好きで、特に最近、「歌を唱おう」「コーラスをしよう」ということをあまり熱心にいうものですから、この道場の行事を担当する宗務部の大野部長さんから、「岡さん、そういうことを道場の講話で話しませんか」と言っていただき、これは神様のお言葉だと思いまして、喜んでお引受けしたわけでございます。

 それから、「あしたの朝までに、講話の題とテキストを考えておいてほしい」といわれまして、「はい」とお受けしてその晩寝ましたら、明け方に、いろんな題がたくさん浮んでまいりました。

まず、「目無堅間(めなしかつま)の小舟(おぶね)にて龍宮に入る」というのです。このことについては、あとでお話しさせていただきます。それから、こんなことばが出てまいりました。

「そよ風が歌っている!!」

「すべてのものが歌っている」

「あなたの歌はどんな歌か」

「大自然が歌っている」

「声なき歌を聴け!!」

「生命の讃歌をうたおう」

 つぎつぎにこんなことばが自分の魂の底から出て来たんです。でも結局、「よろこびの歌をうたおう」という、わかりやすい題にしていただいたんですけれどもね。

    すべてのものは歌っている!!

 さて、皆さん、音楽というのは音楽家とか特別な人がやるものと思っている方があるかも知れませんが、私は、そんなものではないと思っています。私も音楽の専門家ではありませんが、音楽が好きなんです。皆さん、心を澄ましていのちの耳で聴いたらすぺてのものは歌っているんですよ。すべてのものは踊っているんですよ。草も木も、小川のせせらぎも、小鳥のさえずりも、みんな大宇宙の音楽でありますよ。谷口雅春先生がお悟りになった時の、「天使の声」という詩にも、このように書かれています。

≪ある日、私は心の窓を開いて、
大生命のみ空から光線のように降りそそぐ生命の讃歌に耳を傾けた。
ああ! 声のない奏楽、声を超えた合唱
けれどもわたしはその声を聞いていた。
宇宙の囁(ささや)き、神の奏楽、天使のコーラス。
わたしの魂は虚空(こくう)に透きとおって真理そのものと一つになった。
なんという美しい旋律だろう。
「これが真理そのものか!」とわたしは恍然(こうぜん)として嘆声を漏らした時、
「お前は実在そのものだ!」
わたしはこう言って天使たちがわたしを讃える声を聞いた。≫

 それから「朝讃歌(ちょうさんか)」という先生の詩があります。その中には、「空気が躍っている……」という言葉が出て来ますけれども、これは、科学者もそう言っていますよ。空気中のチリなんて目に見えないでしょう。けれども目に見えない空気中のチリだって、水中のチリだって全部おどりまわっているということがわかった。これをブラウン運動というんです。ブラウンという植物学者が、はじめ、水滴の中の花粉を顕微鏡でしらべていたら、動物のように動いているのでびっくりしたんです。ところが動いているのは花粉だけではなくて、チリでも何でも生き物のように踊りまわっていることがわかったんです。すべては歌っておどっている。

 また、アメリカのジョーンズ・ホプキンス大学のアンドリューズ教授は、こう言っています。

 「吾々は今や新しき発見をなしつつある、それは一言にして謂(い)えば、われわれの住むこの宇宙の基礎的本質は“物質”ではないのであって、それは音楽である」――これは、谷口雅春先生が、『生長の家』誌の昭和50年5月号の法語の中に引用して書かれているんです。また、谷口雅春先生は「この宇宙はいわば神の演奏し給う一大交響楽である」と『若人のための78章』というご本にも書かれています。

 それから、『真理の吟唱』の中の「天国の荘厳を実現する祈り」というのには――

 ≪見よ、われらの環境の美しきかな。すべての存在は生命が脈動して光を放ち、輝いて見え、どこにも死物の如き物質は存在しないのである。まことにこの世界の一切のものは、釈尊が菩提樹下(ぼだいじゅげ)において覚(さと)りたまいし時の如く、山川草木国土(さんせんそうもくこくど)ことごとく、神の実現、仏の現成(げんじょう)たる世界なのである。山も歌い、川も歌い、草も木も、国土も、すベて“神の生命の讃歌”をうたう。山は川を讃えて聳(そび)え、川は山を褒めて潺湲(せんかん)として流れる。樹草ことごとく美しき華をひらき、豊かなる五彩の果実たわわに結ぶ。天人天鼓(てんく)を撃ち、美しき伎楽を為し、天女山腹に舞い遊びて、五彩の花吹雪降る。今、心眼われにひらきて、この美しき実相を見る。≫

 すばらしいですねえ。また、『天使の言葉』には、こう書かれていますよ。“汝の肉体は汝の念弦の弾奏する曲譜である”――そうすると、私たちの肉体そのものが、歌なんですね。肉体は生命が奏でるところの歌であるわけです。ですから、皆さまがたお一人お一人だって、声は出さなくても、みんな歌っていらっしやるんですね。

 そこで、“あなたの歌はどんな歌か”というわけです。

    あなたの歌はどんな歌か?

 人間は本来神の子であって、神の世嗣(よつぎ)として、神の全財産をゆずられている。神の全財産とは全宇宙です。全宇宙のすべての宝が自分の中にあるんですから、これ以上、何も外に求めることはない。みんな自分の内にある。ですから人間は、ただ喜ぶことしかないんです。ただ与えることしかないんです。だから、私たちは本来、喜びの歌をうたうしかないんですね。そして、喜びの歌をうたえば、どんどん喜ぶべき世界が展開してくるんです。

 ところがその神の子の本来の姿を忘れて、私達の本来の喜びの歌を忘れて、悲しい夢を見て悲しみの歌を歌ってみたり、“ああ、とんでもない重荷をしょっちやって”とか“あの人が憎い”とか“とても私にはできません”なんていう歌を歌ってる人がある。そうすると、心に歌う通りの悲しい世界があらわれてきたりするんですね。

 きょうのテキスト『如意(によい)自在の生活365章』の74ページに、こう書かれています。

 心に明るい調べを歌いなさい
 われわれ自身の「心の波長」(むしろ心の波調というべきか)が、その波長の合う出来事を引き寄せるのである。われわれの心の波調が“悲しみの調子”を奏でるならば“悲しい出来事”が集ってくるであろうし、われわれの心の波調が“喜びの調子”を奏でるならば“喜びの出来事”が集って来るであろうし、われわれの心の波調が“恐怖の調子”を奏でるならば“恐怖すべき出来事”が起ってくるであろう。宇宙には、いろいろの種類の出来事のイメージが、“心の波”に乗って漂っているのであるから、自分の“心の波調”しだいで、宇宙に漂っている色いろの出来事のイメージの内、自分に波調の合うイメージが“放送電波”に乗って引き寄せられるような具合になって、その姿を自分の身辺にあらわすことになるのである。 何も人を恨むことはない。 一寸(ちょっと)たち停って自分の“心の波”がどんな調子を奏でているか省みるがよい。そして、それが暗い曲調のものであれば、明るい曲調の“心の波”に変えるがよい。“悲しみの歌”を歌うな。心に“喜びの歌”をうたいなさい。

 とこう書かれています。心に“喜びの歌”をうたうと、喜びの世界があらわれてくるというわけなんです。

 婦人局の田中イサノ先生が、この間こんなことを話しておられました。昔、あるお友達と二人、よく別れの歌、悲しい歌をしみじみと唱っていたら、多勢のお友達の中でその二人だけが、早く御主人と死に別れてしまった。ところがその後生長の家のみ教えを知って、本当の喜びの世界を知って、パッと明るい歌を唱うようになられた。生長の家には、『讃春歌(さんしゅんか)』という明るい歌がありますね。

  外に花咲く 春が来た、
  内にも花咲く 春が来た、
  外にも内にも 春が来た、
  心の中(うち)に 眠ってた
  神が目覚めて 春うたう
  心ほのぼの 春が来た。
  心ほがらか 春が来た。

 という、とても明るい歌です。こんな歌を、お掃除しながらでもどんどん歌うようになられたそうです。そうしたら、運命が明るい方に明るい方に、どんどん展開して行って、現在はこの光明思想を人々にお伝えする聖業の本部で重職にあって大活躍をなさっているというわけなんです。

 とにかく、人間は神の子としてすべてを与えられて、神のいのちによって生かされているわけですから、ただ喜ぶことしかない。ただ喜んで、心にいのちの“喜びの歌”をうたい、喜びをひとに与えて行けば、その人はますますすばらしい人生を自ずからつくり出すわけです。

    日本人は本来生長の家!!

 日本人は古くからこのことを知っておったんですね。日本人は本来、みんな生長の家だった。というのは、お祈りをするにも、生長の家では、神さまに何とかして下さいと泣きついてお願いするような祈りをするんじやなくて、“すでに与えられております。有難うございます”という感謝の祈りをしますね。日本人はみんなそれをやっていたんです。これは『理想世界』に木間さんという方が書いていらっしやる。年のはじめには、昔は小正月(こしょうがつ)といって、一月の満月の日には豊年満作の前祝いをやったというんです。まだ、その年のお米がとれるかどうかがわからないうちにですね、豊作のすがたを心に描いて、まず神様に感謝をした。そして、田植えだとか稲刈りだとかの真似事をして、みんな喜んで神楽をやったり、歌ったり、おどったりして、前祝いをした。そのように、まず“喜びの歌”をうたうというのが、日本人の本来の姿だったんです。

 そうして、歌には、ことばには、実現する力がある。特に日本では、“敷島の大和の国は、言霊(ことたま)の幸(さきは)う国ぞ”とうたわれて、言葉の力というものが信じられていました。古くは歌といえば和歌ですけれども、歌を詠むと、その言霊の力によってその通りが現われてくるということが信じられ、また実際にそうだったんですね。

 で、古代日本ではどういう歌がいい歌とされたかといいますと、技巧のととのったきれいな歌がいいのではなくて、歌を詠(よ)んだことによってその通りが実現したというような歌が、言霊(ことだま)の力のあるいい歌としてお手本にされているんです。そのことは、上智大学教授の渡部昇一さんが、『日本語のこころ』という本に書かれているんですが、例えば、

  難波津(なにわづ)に咲くや木(こ)の花 冬こもり
     今や春べと 咲くや木の花

 という歌があります。これは『百人一首』の試合の前に読み上げるならわしになっている有名な歌ですが、意味は、「難波津に梅の花が咲いています。今こそ春が来たと、梅の花が咲いています」と、ただそれだけのことなんです。その難波津というのは、仁徳(にんとく)天皇がご即位の前に、皇子としていらしたところであって、弟の皇子とご兄弟がお互いに“あなたが皇太子の位におつきなさい”と三年間もお互いにゆずり合われて、即位されなかった。そのときに王仁(わに)という帰化人が、不安に思って、まごころをこめて詠んだ歌なんですね。そしたら間もなく、仁徳天皇がみ位につかれた。王仁がこの歌にこめた祈りが実現したというわけです。そこでその王仁は、朝鮮からの帰化人だけれども、歌の父、和歌の父として讃えられることになったのですね。そんな例がいろいろと書かれています。われわれ日本人の祖先は、言霊の力を信じ、尊んだということで、すばらしいことではないでしょうか。

    私 の 体 験

 ここでちょっと私自身の体験をお話ししましょう。私は小さい時から身体が弱くて、学校を休んでばかりいました。私は、肉体が自分であると思っていましたから、体の弱い自分は駄目だ、ダメだと思い、いわゆる思春期を迎えて高校2年の頃に、何にも希望がもてないというような状態だったんです。運動会ではかけっこはいつもビリだし、内気で対人関係が苦手で、対人恐怖症みたいでした。

 その頃、盲腸(虫垂炎)をやって入院したんですが、医者が“ちょっと手遅れだから切らない”と言った言葉を耳にして、自分はもう死ぬんだと思いました。自分は身体が弱いし、肉体なる自分は罪深い、けがらわしい人間で、“罪の価は死なり”、もう死ぬばかりなんだと思っていたんです。実際は、医者が“手遅れだ”と言った意味は、“もう死ぬばかりだ”という意味ではなくて、“腹の中で化膿している。切ればすぐ治るという時期を失した。体が弱ってるようだから、今は切らないで、ペニシリンを打って氷で冷やして、まず膿を散らそう”ということだったらしいのです。ともかく、死ぬと思っていたのが死ななくて、だんだん快復してきました。

 おや、ふしぎだな、と思いながら退院しまして、家で静養していたある日のことです。突然、私のいのちに革命が起ったのでございます。“自分は肉体ではなかった。汲めば汲むほど泉のように無限に湧き出るいのちだ!!”ということを魂の底から感じて、生れ変ったのでございます。それは、表現できないほどの感動で――お釈迦様が説法なさったときに「大地が六種(りくしゅ)に震動した」ということがお経に書いてあるそうですけれども、まさにそんな、私にとって驚天動地の革命的変化が、突然に起ったのでした。世界が、一変してしまったんです。

 今まで、“自分はもうこの世には何の希望もない、死ぬばかりだ”と思っていたのが、光り輝く世界に一変したのです。ちょうど、高校2年から3年になる間の春休みでしたから、若葉の萌え出ずる季節です。本当に、空気が躍っている、すべての草や木が歌っている、というような感じを受けましてね。じっとしていられないような感動に打ちふるえたんです。

 なぜ、そんなことが起きたのか――。

 それは、今になって思えば、私の内なる住吉大神様が、私を目ざめさせて下さったということなのでしょうか。

 実はその頃、父が生長の家の教えに触れていて、仏前で聖経『甘露の法雨』を誦(あ)げたり、私の枕許にやはり『甘露の法雨』を置いといてくれたりしていました。しかし私は、その意味がわからなくて、表面の心ではそれに反撥したり、そんな父をバカにしたりしていたんです。“信仰”なんていうのは、少し頭のヨワイ人間のやることだ、位に思っていたのです。表面の心ではそう思っていたにもかかわらず、ですね、いのちの奥底に、その真理がひびいていたのでしょうか。ある日突然に、いのちの底から、魂の底から私をゆさぶり、私に革命を起させてしまったものがあった――眼に見えない、耳にも聴こえないところの何かが、私の魂をゆさぶったんですねえ。父が仏前で聖経を誦げたりしていたその霊的波動に感応して、先祖の霊の導きなどもあったのでしょうか、ともかく目に見えないものの力で私は目覚めさせられたんです。

 その頃、私は、山口県の山口市にいまして、山口高校の3年生になる直前でした。それまでは、さっきもいいましたように、自分はだめだ、死ぬばかりだと思って、全然将来の夢や希望をもつようなことはできなかったんです。そのときに私は突然、“無限のいのち”というものを体感した。自分は肉体じゃないんだ、出せば出すほど、いくらでも泉のようにわき出てくる「いのち」なんだ!! ということですね。谷口雅春先生の『光明の国』という詩には、こう書かれています。

  生命の子供たちよ、
  自分自身を有限だと思うな。
  自分の力はこれ切りでお仕舞いだと思うな。
  自分の力を出し惜しみするな。
  節約という言葉は実に生命にとってはふさわしくない。
  答えよ
  生命の子供たち、
  貴方達は生命か物かどちらだ。
   (此時、生命の子供たちは起き上り一斉に手拍子とりつつ長老の周囲を歌いつつ舞う)

  わたし達は生命の子だ。
  太陽の子だ。
  光の子だ。
  雲が低く地を這(は)うときも、
  雷霆(らいてい)が暗黒(まっくろ)な地上を威嚇するときも、
  なおその上には、
  雷(いかづち)の上には
  青空があろうように、
  わたし達はいつも曇りを知らぬ青空の子だ。
  歎きも、
  悲しみも、
  憂欝も、
  ただひと時の
  うわつらの雲のうごきだ。
  たとい
  雲があればとて
  地に陰(かげ)が落ちようとも、
  雲の上には
  なお光が輝いていればこそ落ちる影だ。
  わたし達は物ではない、
  生命の子だ、
  光の子だ、
  いつまでも消えることを知らぬ太陽の子だ。
   (舞い終りて生命の子供達一同座につけば、生命の長老はいと満足げに言葉をつぐ)

  さて生命の子供達よ、
  生命の生長の秘訣は、
  生命を出し惜しみすることではなく使う事だ。
  生命を『物』だと思うな。
  使って耗(へ)るのは『物』の世界のことだ。
  汝ら、生命を与え切れ、
  出し切れ、
  ささげ切れ。
  一粒の麦でさえ地に落ちてその全生命を捧げ切るとき
  幾百粒の麦の実となって生長するものだということを知る者は幸いだ。
  生命の世界では
  与えるということは
  生長するということだ。
  大きく与えれば与えるほど
  汝らの生長も大となるのだ。
  無限に与えたものは
  無限に生長する――
  その人は神だ仏だ。

 私はそのときまだ、谷口雅春先生のこの詩を知りませんでしたけれども、魂でこういうことを感じたんです。それまでは、自分は弱い肉体だと思っていましたから、なるべく安静にして、働かない方がいいんだと思っていました。

 それは昭和26年、まだ戦後の、食糧事情がよくなかったときです。うちは父がもと職業軍人で、終戦とともに失業し、多勢の子供をかかえ(兄弟7人です)苦労していました。それで、空地を耕して、ジャガイモを作ったり、カボチャを作ったりして食糧の足しにしていたんです。けれども、私は、力を出せば出すだけエネルギーを消耗して、自分の身体が弱るんだと思っていましたから、たいへんな利己主義者で、なるべく働かないようにしていたわけです。

 ところが、ある日、私の世界が一変しました。それまでは、消極的で暗くて利己主義者で、畑仕事やってくれといわれても何だかだと文句をいってやらなかったのが、もう動きたくてしようがない。いのちというものは動きたくてしようがないのが本性なんですね。自分のもっている能力をつかわないことの方が苦しいんです、本当はね。多くの人々に役立つくらいうれしいことはない。そういうことがわかったんです。それまではいわれてもやらなかった仕事を、言われなくても進んでやるようになった。今まで、いのちを使わない方がいいと思っていたのが違っていたということを自分で発見したわけです。やればやるだけ力も出てくるし、それだけ身体も丈夫になる。人間のいのち、生命力というものは無限なんだ!! ということがわかったんです。

 そうしましたら、それまで何の希望も描けなかった、大学進学などということも考えたことのなかった自分でしたが、あらゆることに無限の可能性があるという、希望が湧いてきたんです。

 その頃、昭和26年ですが、山ロ高校に赴任して来られた山中先生というのが、早稲田大学の文学部を出た方で、歌人で、新鮮な、哲学者のような魅力のある先生だったんですが、その先生が「君達、東京へ行け、東京へ行け」といわれた。山口というところは、県庁の所在地として、日本一静かな、あまり活気のないところです。

 「若いうちは、一流のものに触れることが大事だよ。東京に行ってみろ」といわれるので、

 「それじゃ、自分は東京に行こう。家は経済的にとてもきついから、金のかからない、官立の学校に行こう、それだったら東大にいこう。最高のところに行こう。自分にはこれから、無限の前途がひらけている」

 そう思ったら、歌が出て来たんですよ。歌のように、希望のことばが湧いて来たんです。

 “東大だ!! 東大だ!! 
  そうだ、希望だ、東大だ!!”

 という風にですね。それがリズムに乗って出てくるんです。それで毎日、朝晩、その文句を書いていました。そうして一年間、希望にもえて一所けんめい勉強しました。そうしたら、それまでは山口高校から東大にストレートで入ったものは誰もいなかったんですが、私はそのいのちの歌の通りになって、見事ストレートで東大にはいっちゃったんです。

 よく、“灰色の受験生活”などという言葉があるようですが、私にとってはそんな言葉は全く無縁で、その受験勉強の一年間は、これ以上輝いたバラ色の日々はなかったというほど嬉しい輝かしい日々でした。

 まあ、そうして東大にはいりましたけれども、はいったあとがよくなくて私にとっては、はいる前はバラ色で、はいってからあとが灰色になってしまったんです。はいる前は“東大だ、東大だ”と希望にもえていましたけれども、入ってからうまく行かなくて、「こんなつまらない所か」と思って、自分に合わなくて、退学願を出したりしたんですがね。

 何も東大に入るのが最高の道ではない。最高の真理は、“人間は神の子だ”ということです。だから、この生長の家の教えを知るということは、東大へ行くなどということよりはるかに素晴らしい、だれでもはいれる実相の大学の大真理を学ぶことなのです。(拍手)

 私は、東大にはいったけれども、東大駒場での勉強に自分のいのちを燃焼させることができなくて、苦しみ悩みました。大学での講義などには幻滅を感じて、あまり出ないで、本当に「今」を生かす真理というのはどこにあるのかと、宗教的なものを求めたりするようになりました。ですから大学の方は何回も落第したり休学したりしました。

 そうしたときに、私に希望を与えてくれたものは、私の魂に安らぎを与えてくれたものは、『生命の實相』の御本であり、またもう一つは、音楽でありました。音楽と言っても、私の場合はクラシック音楽なんですけれども、私がさまよい歩いているとき、ふとどこかの家から聞えてきたピアノの美しいひびきに、何ともいえない安らぎや感動を覚えたりしました。また、レコードでベートーヴェンの音楽などを聴いても、じっとしていられないほどの感動を味わいました。そして、このベートーヴェンの音楽のような、力強い人生を自分も歩むのだ、と思いました。私は、谷口雅春先生の力強い御文章の力と、ベートーヴェンの音楽に、相通ずるものを感じていたんです。

    ベートーヴェンの“歓喜の合唱”

 よろこびの歌といえば、皆様、ベートーヴェンの第九交響曲の“歓喜の合唱”というのをご存じでしょう。それは、“人間はみんな神の子、いのちの兄弟だ!!”というので、喜びの火が燃えあがるような大合唱なんです。私は、ここに生長の家があると思うんです。ちょっとその大合唱のテープを聴いて下さい。これは実は私も合唱団の一員として歌っているテープなんです。
(合唱の録音テープ再生) 

 これは、ドイツのシラーという詩人がつくった詩に、ベートーヴェンが曲をつけたんですけどね、ただ、歌が出てくる一番最初のところの詞は、シラーの詩にはなくて、ベートーヴェンがつけ加えたものなんです。それは、

 "O,(オー) Freunde(フロインデ), nicht(ニヒト) diese Toene(ディーゼ テーネ)! Sondern(ゾンデルン)……"
 つまり、「おお友よ、こんなものではない、もっともっとすばらしい、無限のよろこびに満ちた歓喜の歌をうたおうではないか」ということばなんですね。つまり、自他一体の本源の世界に入れば、表現し尽せないほどの無限のよろこびが湧いてくるんだということです。

 そして、そのあとに歌われているシラーの詩はやはり、ドイツ語ですけれども、手塚富雄さんという方の訳によれば、こういうことです。

「喜びよ、君は美しい火花、天の娘。火のように酔ってわれわれは君の神殿にふみ昇る。神の力によって君はふたたび結ぶ、時の波濤の分けへだてたものを。人はみな兄弟だ、きみのやさしい翼のおおうところ。さあ、抱(いだ)き合おう。人々よ、この接吻(くちづけ)を全世界に。兄弟よ、あの星空の上にわれらの父はいます」

 要するに、人間はみんな神の子でいのちの兄弟だ、抱き合って喜ぼうと、火のように燃えあがる合唱です。

 これをオーケストラの伴奏で大合唱をやると、歌ったあと感激してみんな泣いてしまう……。

 私はこのベートーヴェンの第九に感動して、自分もこれを唱いたいものだと、学生時代から強烈に思っていました。谷ロ先生の前でこれを唱う夢を描いていたんです。そしたら数年前に機会が訪れてある合唱団に入って、谷口先生の前ではなかったけれども、第九を歌うことが出来たんですね。その録音が、さっきのテープです。強烈に魂の底から願うことというのは、やがて必ず実現するんだということを、この体験からも知った思いです。

    潜在意識が運命を支配する

 心理学者は、人間の心は上っ面の心のほかに、奥底に潜んでいる心、潜在意識というのがあって、過去に思ったことが全部心の奥底にたくわえられている、その潜在意識が運命を支配していることを発見して来ました。過去に蓄積した失敗の観念によって失敗をくり返すとか、過去にいやな思いをして、それが表面に出て来るのを無理に押えていると、ノイローゼになったりする。精神分析学とか深層心理学というのが発達して、だんだんとそういうことがわかって来たんです。

 人間の心というのは、たとえて言えば海の上に浮かぶ氷山のようなもので、氷山はその大部分が海面の下にあるわけですね。それと同じように、人間の心の大部分は表面に現われないで潜んでいる潜在意識なんです。潜在意識というのは無意識ともいうんですが、夜お酒を飲んで酔っぱらってしまってどうやって電車に乗ったか覚えていないが、気がついてみたら自分の家にちゃんと帰って寝ていた、なんていうことがある。それは潜在意識がちゃんと足を運ばせたんだというわけですね。そうして、人間の運命を支配するのは潜在意識の方なんです。それは氷山のたとえでいえば、海面上を吹いている風と、海流の方向が逆である場合に、氷山はどちらに流れますか? それは海面上の風の方向ではなくて、海面下の海流の方向に流れるでしょう。そのように、いくら表面の心で何かを願っても、奥底の心で「それはとてもできないだろう」と思っているようだったら、とてもそれは実現しないわけです。

    いのちの底に龍宮がある!!

 そうして、氷山なら海面下の部分にも限りがありますけれども、人間の心は限りがなく深いんです。そして、表面の意識は各人みんなバラバラみたいだけれども、潜在意識の奥底ではみんな一つのいのちにつながっているんです。だから、何も言わなくったって心と心は通じるんですね。そして、相手は鏡のようなものです。こちらが“あの人はいやな人だなあ”と思っているのに向うの人がこちらを“あの人は感じのいい人だな”と思っているようなことは先ず、絶対にあり得ないですね。こちらが思っていることは、何も言わなくても相手に感応する。パッと底の底で通じちゃうんですね。いくらうわべでおべんちゃらを言っていたって解るんです。

 そして、人間の心は人間とだけつながっているんじゃなくて、宇宙のすべてと――神さまとつながっている。宇宙の意識とつながっている。そして宇宙は、これは神さまの演奏し給うところの音楽であるというわけなんです。そこに鳴り響いているいのちは、みんな一つにつながっておって、神さまが無限のいのちを表現しようとせられている。その神さまの表現口が人間であるわけですね。みんな神さまにつながっている。そして、龍宮城は海の底にあるというんですが、創造(うみ)の根底世界、すなわち潜在意識の底の底にあるということができるわけです。

 人間というのは形だけを見ていると、みんなやがて肉体は滅びて死んでゆく。天理教祖のお筆先によると、人間の寿命は百十五歳が限度だそうですけど、そのように肉体はみんなやがて死んでいく、はかない存在ですよ。いくら医学が進歩したって無限に生きるということは出来ないわけですから、地球の全歴史から見ても、人間の一生なんてほんの一瞬にしかすぎない。ところが人間のいのちそのものは時間を超えているんです。時間を超えている存在がいのちなんです。

 また、宇宙空間は無限に広い。その中で肉体が人間だと考えたら、宇宙の広さから比べてチリにもあたらない。自分一人ぐらい、いてもいなくてもどうってことない存在かも知れません。だけれども、人間の心は、自分の中に宇宙全部をおさめてしまうことができる。「星を見つめてたたずむ吾れは、見つめられる星よりも偉大なのである」という言葉が『日々読誦三十章経』の中にありますが、それが本当の人間なんです。人間は、自分のいのちの展開として、宇宙をつくり出しているものだとも言えます。だから人間は偉大なんです。
 そのいのちの底に龍宮があるんだということを、谷口雅春先生は教えて下さっているのです。そのことを歌われているのが、聖歌「生長の家の歌」です。みなさん、ごいっしょに歌ってみましょう。

  生長の家の歌

   一 基教讃歌

  あまつくに いまここにあり
  我ちちの みもとにゆけば
  なんぢらの うちにきたると
  十字架に かかりしイエスは のたまひぬ
  あはれ世のひと 十字架は
  にくたいなしの しるしなり
  この肉体を クロスして
  我れ神の子と さとりなば
  久遠(くおん)にいのちかがやかん
  久遠にいのちかがやかん

   二 仏教讃歌

  衆生(しゅじょう)劫(こう)つきてこの世の
  焼くときも 天人みつる
  我が浄土 安穏なりと
  釈迦牟尼(しゃかむに)の 宣(の)りたまひしは 現象の
  この世かはるも 実相の
  浄土はつねに 今ここに
  久遠(くおん)ほろびず 燦々(さんさん)と
  まんだらげ降り 童子舞ふ
  光輝く世界なり
  光輝く世界なり

   三 古事記讃歌

  天津日子(あまつひこ) 火遠理(ほおり)の命(みこと)
  現象の わなにかかりて
  海幸(うみさち)を 我(が)の力にて 釣りたまふ
  されどつりばり 失ひて
  まがれる鉤(はり)に まよふとき
  しほづちの神 あらはれて
  めなしかつまの み船にて
  龍宮城に 導きぬ
  龍宮城はいま此処ぞ
  龍宮城はいま此処ぞ

   四 万教帰一讃歌

  しほづちの うみのそここそ
  創造の 本源世界
  汝らの 内にありとて
  キリストが のりたまひたる 神の国
  この世焼くるも 亡(ほろ)びずと
  法華経の説く 実相の
  浄土何(いず)れも ひとつなり
  十字まんじと 異なれど
  汝(な)のうちにある天国ぞ
  汝のうちにある天国ぞ

 イエス・キリストが十字架にかかったというのは、“肉体なんて本来ないんだよ。あるのは、無限のいのちなんだよ”ということだ。仏教でもキリスト教でも日本古来の神道でも、みんなひとつなんです。そのすばらしい創造の本源世界、それが龍宮海である。「本来一つ」の世界である。そこからすべてのものは出て来たのである。

 テキスト『如意自在の生活365章』の29ページ“入龍宮不可思議の境涯”というところにこう書かれています。

 あなたは“神の子”で、その実相は霊的実在であるがゆえに、いまだかつて何人(なんぴと)もあなたの実相を見たことはないのである。またわたしの実相も神の子であり、霊であるから誰人(たれひと)もわたしの実相を見たことはないのである。“神の子”ということは神の延長であり、神の具体的顕現であるということである。神はいまだかつて生まれたることもなく死することもない生死を超越せる霊体であるから、その延長であり、具体化であるところの人間の本質実相もまた、いまだかつて「生まれず、死せざる」不生(ふしよう)不滅の、生滅(しょうめつ)せざるところの“本来生(しょう)”の存在なのである。この“本来生”の存在の実相の中に自分の心が潜入し、没入し、超入することを“入龍宮”すなわち「龍宮海に入る」と称するのである。

 さて、龍宮城に行ったら乙姫(おとひめ)さまが舞いおどっていて、ただ、歌っておどっているばっかりで年をとらないというでしょう。私たちも聖歌をうたっていると、年をとらないですよ。それは、時間・空間を超えた本源世界に入ってしまうからです。つまり、龍宮城に行くんですね。

 イエスは“神の国は汝らの内にあり”と教えられた。龍宮海は海の底にあると言いますけれども、これも“汝らの内にあり”で、地球上の海の底にあるんじやなくて、いのちの底の創造(うみ)の根底(そこ)にあるんだと、教えていただいているわけです。いのちの本源世界が、龍宮なんです。

 さて、聖歌「生長の家の歌」の三番の「古事記讃歌」には、「天津日子火遠理の命(あまつひこほおりのみこと) 現象のわなにかかりて 海幸(うみさち)を 我(が)の力にて釣りたまふ……」とあります。これは、古事記にある海幸・山幸の物語で、火遠理命(ほおりのみこと)(山幸彦)がお兄様の火照命(ほでりのみこと)(海幸彦)から無理に鉤(つりばり)を借りて海の幸を得ようと釣りにおいでになったけれども、魚は一尾(ぴき)も釣れず、おまけに鉤(はり)を魚にとられてお帰りになった。それで火遠理命(ほおりのみこと)は兄命(あにみこと)に鉤を返せと責められて、御自分の剣をくだいて五百本の鉤を作ってそれで償いをしようとせられたけれども兄命は受けとられない。千本作ってもだめで、なお「もとの鉤を返せ」と言われる。それで、海辺で泣いておられたら、塩椎神(しほつちのかみ)が現れられて、目無し堅間(めなしかつま)の小舟に乗せて綿津見(わだつみ=海)の神の宮すなわち龍宮城に行くように教えられる。そしてそこで美しい豊玉姫(とよたまひめ)と結婚され、また失くした鉤は、一尾の鯛がのどに引っかけていたのを見つけて取り出されるという愉快な物語ですが、このことを歌われた「古事記讃歌」の解説が、テキスト(『如意自在の生活365章』)の32ページ以下に書かれています。

火遠理命(ほおりのみこと)とは日子穂々出見命(ひこほほでみのみこと)の別名であります。「現象のわなにかかりて」というところに注意していただきたい。現象界の事物はすべて五官の眼で見ると物質でできているように見えるのである。それで、その物質世界を、それは“心の映像”の世界である」ことを忘れて確乎たる堅固不滅の世界のように思わしめられる。これが「現象のわなにかかりて」である。そして、その現象という映像の世界のものを得ようと思えば、その映像を映し出している“心の世界”においてまずそれを得なければならないのに“心の世界”を貧しいままにしておいて、現象の富や幸福を得ようとする。これは正しい道ではない。いわば「曲がれる鉤(はり)」である。

 このように書かれております。古事記の物語は単なる物語ではなくて、今の私たちの生活にあてはまることなんですねえ。私たちはともすれば、この世界は物質で出来ている、人間も物質で出来ている肉体にすぎないと、こう思っている。そうすると劣等感に引っかかったり、嫉妬心に引っかかったりなんかして、そこから、自分の“我”の欲望を満足させるために“曲がれる鉤(はり)”で、策略を弄して、人を引っかけて奪うようなことを考えたりする。そういうのは「日本の道ではない」。そして、「そういう心を起こすならば、『奪うものは奪われる』という“心の法則”によって、かえって人から奪われることになるのである。この真理を『曲がれる鉤にて釣った時、逆に鉤を魚に奪われた』という神話によって示されているのである」と、こう書かれているんです。

 人間は本来龍宮にいて、無限供給の世界にいるのに、現象に引っかかると、そういう貧しい夢を見るわけなんですねえ。

 そこで、無限供給の本源世界である龍宮城に還るには、“目無し堅間の小舟(めなしかつまのおぶね)”に乗ればよいというわけです。

 さて、「目無し堅間の小舟」というのはですね。引きつづいてこのテキストにありますが、「目無し」というのは時間の目盛りがないということ、すなわち「無時間」の象徴であると書かれています。時間の流れというのは、いのちが自己表現するためにつくり出している“認識の形式”であって、いのちが時間に支配されるものではないんです。永遠の時間が自分のいのちの中にある。自分が時間の主人公なんです。

 それから、“堅間”というのは、ギッシリとつまっていて「無空間」の象徴である。即ち、すべての「曲り」も「引っかかり」も「喪失」もないいのちを表わしているのである。そういう「喪失」や「引っかかり」というのは、時間・空間の流れの世界において起ることであって、時間いまだ発せず、空間いまだ展開せずの本源世界には、何かひっかかったり失われたりするようなことはないんです。だから龍宮城に行けば、失った鉤が出て来たのは当然なんです。空間というのは生命の表現の世界であって、映画のスクリーンに映画を映し出すように、生命が仮りにつくり出したスクリーンのようなものであって、それは本来外にはない、いのちの中にあるんです。

 テキストには引きつづいてこう書かれていますねえ。

「“時間”いまだ発せず、“空間”いまだ展開せざる“無時・無空”の極微の一点――極微すらも未だあらわれざる一点においては、一切の『引っかかり』も、『曲がり』も、『喪失』もない――この一点を『無字の一点』というのである。『無の門関』といってもよい。意識が現象の世界を脱してこの一点に乗ることを『無目堅間の小舟』に乗るというのである。すなわちわたしたちが神想観を修して、『吾れ今五官の世界を去って実相の世界に入る』と念ずるときのその『五官の世界を去る』状態が『無字の一点』に坐することである。この『無字の一点』は、単なる有無相対(うむそうたい)の『無』というような浅い意味ではないのである。それは『相対無』ではなく、『絶対無』である。『無』の門関に停(とど)まってはならないのである。」

 と書かれていますが、「有無相対」というのは、有るものは有って、別にまた何も無い世界がある、というような相対的な「有」と「無」と対立するような世界ではない、対立を絶した本源世界である、ということですね。「『実相とは空なり、空とは実体がなく、変化無常の義なり』などと、ある仏教学者は説くのであるけれども、それは『無』の門関に佇立(ちょりつ)していて一歩も龍宮海に航せず、龍宮海に入った霊的体験をもたない人の寝言である」と先生は書いておられます。つづいて、

「『無の門関』につないである『無目堅間の小船』の纜(ともづな)を解いて、龍宮界を航し、龍宮城に入るとき、そこに無限次元の無限荘厳・無限厳飾(ごんじき)の世界があらわれ、無限の乙姫きたりて、われに仕えるということになるのである。そのとき、『法華経』の“如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)”の自我偈(じがげ)にある如く、わたしたちは現象的な生老病死の世界を超え、貧富の世界を超え、憂怖(うふ)もろもろの苦悩充満せりと見える世界を超え、天人常に充満し、宝樹華果(ほうじゅけか)多くして衆生遊楽(しゅじょうゆらく)の世界を“実相覚”にて観ることが出来るのである。そこは無限常楽の世界であって“天人五衰の世界”を超える。」

 と書かれています。『法華経』の“如来寿量品”の自我偈というのは、

  衆生劫尽きて、大火に焼かるると見る時も
  我が此土(このど)は安穏にして天人常に充満せり
  園林(おんりん)諸(もろもろ)の堂閣、種々の宝もて荘厳(しょうごん)せり
  宝樹華果多くして、衆生の遊楽する所なり
  諸天、天鼓を撃ちて、常に衆(もろもろ)の伎楽(ぎがく)を作(な)し
  曼陀羅華(まんだらげ)を雨(あめふ)らして、仏及び大衆に散(さん)ず
  我が浄土は毀(やぶ)れざるに、而も衆は焼け尽きて
  憂怖(うふ)諸(もろもろ)の苦悩、是(かく)の如き悉く充満せりと見る。

 というすばらしい句ですね。常楽そのものが人間である。常に衆(もろもろ)の伎楽を作(な)し、曼陀羅華を雨ふらしている。それが本当の人間であるというわけです。天人五衰というのは、天人でもやがて、みにくく衰えて死ぬ、ということですが、そんな世界を超えてしまう。本当の喜びの世界はここにあるんだということなんです。そのことが、聖歌「生長の家の歌」の二番の「仏教讃歌」にうたわれているわけです。

 こんなすばらしい聖歌をうたうことのできる私たちは、何と幸せなんでしょうか。これ以上のありがたいことはないと思います。

    “乱にいて治を忘れず”

 「衆生劫尽きて大火に焼かるると見る時も、我が此土は安穏にして天人常に充満せり」というのは、人々が大火事に焼かれるように苦しんでいても、我れひとり悟りすましていればいいという意味ではないと思います。いや、自分も衆生といっしょに大火の中にいて、常楽の世界を知らなかったら、苦しんでいる衆生を救うこともできないけれども、常楽の世界を知ってはじめて苦しんでいる大衆を救うことができるのではないですか。

 こんな話があります。

 昭和45年のことでナが、イスラエルの旅客機がハイジャックにあいました。148人の乗客を乗せて、オランダのアムステルダムを離陸してまもなくのこと、機内で撃ち合いが始まった。もしも、弾丸が燃料パイプや圧力系統に当ったら、飛行機は爆発するか墜落する。乗客は悲鳴をあげ、逃げようとして混乱するばかり。機内は興奮の空気に満ちました。パニック状態というのでしょうね――生きるか死ぬかの境目です。
 その時、スチュワーデスが、乗客のみなさんによびかけました。

 ――何と言ったでしょうか。「みなさん、落ちついて下さい」なんて言ったって、おそらく何のききめもなかったでしょう。そのときにスチュワーデスは、

 「みなさん、歌をうたいましょう」

 と言ったんです。

 そうして、“シャローム・アレシェム”というユダヤの歌、これは“あなたに平和を”という意味だそうで、おそらく讃美歌のような歌だと思うんですが、その歌をうたい始めたんですね。

 そうしたら、どうなったでしょうか。

 理屈を言って説得しようとしてもだめなときでも、神を信ずる人の歌というのは、パッと人の魂に訴えて、感情を落ちつかせてしまうんですね。

 その歌声とともに乗客は落ちつきを少しずつ取り戻していって、結局、犯人はつかまり、機は無事に着陸した、ということです。

 これは田中舘貢橘(たなかだて こうきつ)先生が、『新教育通信』という月刊の小冊子に書いていらした話ですが、平和な魂から響いてくる音楽は、論理で説得する以上に直接的に、私たちの心に、魂にひびいて、いっぺんに心を動かしてしまう、というわけですね。¬治にいて乱を忘れず」ではなく、¬乱にいて治を忘れず」、これが生長の家です。

    音楽が病気を治す

 また、音楽には病気を治す力もあるということで、ここに持ってきました『ドイツ短信』という新聞には、ベルリンで「音楽治療会議」が行われたという話が載っています。

 「音楽が人体に大きな影響をおよぼすことはすでに古代ギリシャ時代からわかっていたが、科学として研究が進められだしたのは最近のことで、いくつかの発見がセンセーショナルな反響をよんだ」という前書きで、いくつかの例が挙げられているんですが、病気の治療に効果のある音楽としては、たとえば胃腸病にはモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークがいいとか、またベートーヴェンの田園交響曲の第二楽章がいいという説もあり、手足のマヒした患者のトレーニングにはスローワルツやゆっくりした聖歌がいい、婦人病の治療にはバッハの音楽がいい、神経性精神病患者には合唱がいい、といった発見があるというんです。そのほか陣痛時に音楽を使ったり、歯医者が音楽を流して治療をやわらげたりしているというのですが、それは当然のことだと思います。実相から鳴りひびいた音楽は、本当の平安を与え、心の平安はすべてに調和をもたらし病気も治すということではないでしょうか。

 アディントン原著・谷口雅春先生訳の『奇蹟の時は今』には、カサリン・クールマン夫人の行なった奇蹟について、こう書かれています。――

「会場の外に行列して入場の順番を待っている群衆の中には、信仰の電波のようなものが雰囲気となって漂っていた。……見る見るうちに劇場の中は満員になってしまった。……しずかにクールマン夫人が舞台に進み出た。彼女の第一印象は非常に謙遜な人であった。彼女は集っている群衆が自分の歌に合唱するように導いて、『神われに触れ給え』の歌を唱いはじめた。……場内が聖歌の声で充満したとき……神癒が始ったのだった。

 癒された人々はその奇蹟に驚異と畏怖とに満たされていた、誰も真に神癒が起ったことを信じないわけには行かなかった。……その晩に起った神癒は百余のケースにのぼった。クールマン夫人は神癒をアナウンスし、かつその癒された人々に話しかけるのにくたびれて息切れしてフーフー言っていた。……人々はあらゆる種類の病いが癒されるのをその眼で見たのであった。第二時間の終りになるとクールマン夫人は突然、閉会を宣言した。『おお、私は説教をすることを忘れてしまっていました。皆さんに大変よい説教を用意していましたのに!!』と彼女はいった。……」

 ――真に神を信じて聖歌をうたえば、私たちもクールマン夫人以上の奇蹟をあらわし得るのではないでしょうか。

    “曩祖太鼓”の迫力の根源は

 もう一つ、ここに用意して持ってきましたのは、“曩祖太鼓(のうそだいこ)”の録音テープです。これは、天皇陛下御在位五十年の奉祝に演奏されたり、相愛会男子全国大会で演奏されたりしましたのでお聴きになった方がたくさんいらっしやるのではないかと思います。私は実は生(ナマ)で聴いたことがなくて、録音で聴いただけなんですが、太鼓の演奏だけでこんなに感動を与えるものかとびっくりしたものです。録音でも感動するものなので、生だったらもっとずっとすばらしいと思うのですけれども、ちょっとお聴きください。
 ――(曩祖太鼓の録音テープ再生)――

 これは、「天孫降臨」という題がついているので、「天孫降臨」を太鼓で表わしたものだということです。「曩祖太鼓」の解説のパンフレットによりますと、この太鼓を打つ青年たちは心を浄めて、生活を正して、想像を絶するような気迫で打っているんだそうですが、その気迫が魂にひびいてきますね。「聴きに来た若人達が、演奏する若者達の気力溢れる姿を見て、静かに自らをかえりみるひとときを持ち、精神の活力を得て、“この太鼓は世直し太鼓だ”“あの太鼓はわれわれに何かを訴えている”“頭を殴られたような気がした”などと評した」ということがやはり、パンフレットに書かれています。

 そして、こういう太鼓の曲を作曲する青柳主宰はですね、「作曲の時は一晩中神殿に坐り、遠く神々の助言を得て作らないと、とても自分一人の力では作曲なんて出来ないんだ」といっておられるそうです。それからまた、谷口雅春先生の『古事記と現代の預言』というご本を読んで霊感を得て、作曲されたんだということも聞きました。

 皆さまご存じのように、『古事記』の最初には、

 「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」

 とありますね。その「天地の初発の時」とは、皆さん、いつのことでしょう。今から何億年、何兆年前のことかとふつう考えるでしょう。「天地のはじめの時」とは、「宇宙創造のはじめの時」ということでしょうが、それは「今」なんですよ、ということです。「今」が天地のはじめの時なんですよ。昔々のことではないんです。われわれはそこに立つことが出来るんです。われわれのいのちそのものは時間・空間を包み超えた存在、時間・空間をもつくり出した存在である。だから、“「今」がはじめだ”ということが言えるんです。そして、その「今」といういのちの本源世界に立ったとき、すべてのものは、本来ひとつなんだ。すべては、時間も空間も超えたところのいのちの「ひとつ」の世界から現われて来たんです。たとえば指が五本あったってもとはひとつであると同じです。そのもとのいのちの世界に入れぱ、天地のはじめの時は「今」なんだということがわかって、そこから天之御中主之神を中心に無限に広がるところの宇宙大交響楽が鳴りひびいている、その中心に自分が立っていることになるんです。

 “高天原”というのは、どこか遠い所の空間の一定の場所をいうのではなくて、「今此処」であり、時間・空間を超えた実相の世界だと、谷口先生はお教え下さっています。そして“成りませる”というのは、ふつう、そこへ“お成りになった、おいでになった”というふうに解釈しますけれども、本当は“鳴りませる”で、“鳴りひびいている”という意味なんだ。実相世界に鳴りひびいている音楽の中心が天之御中主神であって、鳴っているんです。響いているんです。そう谷口先生は『古事記と現代の預言』でお教え下さっているんですが、「曩祖(のうそ )太鼓」主宰の青柳さんは、これを読んで、“天之御中主神は鳴っているんだから、鳴らそう”と思われたんじゃないでしょうか。『日本誕生』という作曲の中に、「造化の三神」というのもあるんですね。

 キリスト教の聖書にも、“太初(はじめ)にコトバあり、コトバは神なりき。よろずのものこれによりて成り……”とありますが、これも“よろずのものこれによりて鳴り”です。すベてのものは鳴っているんだ。“これによらで、鳴りたるはなし”――神様のコトバによって鳴りひびいていないものはない。そういうものは存在しないんだというわけです。

 『古事記』の中の、イザナギの命(みこと)、イザナミの命の国生みの話だって、谷口先生の解釈は、とてつもなくおもしろいですね。イザナギの命がイザナミの命に、“汝(な)が身は如何に成れる”ときかれる。これも、“汝が身は如何に鳴れる”です。あなたの鳴り響かせているコトバ(思い)はどういうコトバ(思い)ですか、とお問いかけになったのですね。“わが身は成り成りて成り合わざるところ一処(ひとところ)あり”というのは、先生の霊感的解釈によれば、女体の生殖器のことをいっているのではない。常に“合わんなあ”と消極的な思い、不平不満な思いをもつことで、それが先立つと、“女(おみな)言(こと)先だちてふさわず”で“蛭子(ひるご)が生れた”とあるように、ものごとは、よき創造は出来ない、ということになる。イザナギの命というのは、陽の神様で、“成り余れる”というのは、どこまでも積極的に鳴り響いている。それが先きに立ったときは、すばらしい健全な子供すなわち、よき創造が出来るんだというわけなんです。だから、欠点をあげつらうようなことが先に立ったら、いいものは出来ないということなんですねえ。欠点に引っかかるというのは、現象のわなに引っかかるということで、本来の完全円満な世界、「天地の初発の時」の本源世界を忘れて唯物論におちいっているということです。そうすると唯物論の象徴であるイザナミの命はやがて黄泉国(よみのくに)、死の国に行かれて、体中にウジがたかって穢(けが)れておられたということが、『古事記』に書かれています。それを見られたイザナギの命はいのちからがら生命の国に逃げ帰られて、「あなしこめしこめき穢(きたな)き国に到りてありけり」といって、筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちはな)の小戸(おと)で喫祓(みそぎはらい)をされる。その時に住吉大神がお生れになるわけです。

 ねえ、私たちが今、聖歌をうたうことは、このイザナギの命の喫祓にもあたることだと思います。そうすると、聖歌をうたうのは住吉大神のお力であって、聖歌をうたえば天照大御神が出て来られるということになります。

    聖 歌 の 力

 本部のある女子職員は、聖歌が好きでよく唱っていたけれども、あるとき家庭のことと仕事のことなどで板ばさみになって、悩みに悩んだことがあり、そのときにフト、聖歌を唱い出したら、はじめは悲しみの涙だったのが、途中でフワッと変ってすべてを超越したような気持になって、喜びの涙にかわってしまったと言っていました。そして気がついたら、環境がすっかり喜びの環境に変っていたというんです。聖歌には、そういう力があるんですね。

 聖歌を唱うということは、大真理のコトバに、メロディーがついて、リズムがついて生命の躍動そのものである。極楽浄土のひびきを唱うわけですから、まったくすばらしいことなんですねえ。そして、太鼓ですらあれだけの感動を与えることができるとすれば、人間の声のコーラスというのは、もっと直接的に魂のひびきがストレートに伝わるものですから、太鼓などよりもっと人を動かす力のあるものだと思います。

 先日は、本部の慰霊祭で、私たち聖歌隊が『久遠いのちの歌』を唱いましたが、私はもう唱う前から感動して、感動で声が出なくなってしまうんではないかと思ったくらいでした。われわれの存在は肉体がほろんでも滅びない、永遠の存在だということをうたい上げたすばらしい歌で、最後は「尽十方(じんじつぽう)に満つるものこそ応(まさ)に『我(われ)』なり」という歌詞(ことば)を高らかにうたい上げるんですけれども、私は「尽十方……」と唱ったときに、本当に自分が宇宙そのものになったような気持になってしまった。ふっと我にかえったら、唱い終ってそこに立っている自分があった。あとで祭員の古川君という本部員が、

 「岡さん、あの“久遠いのちの歌”はすばらしかった。最後は本当に感動して涙が出ましたよ!!」

 と言ってくれたんですが、唱っている私自身がその前に、聖歌の歌詞になり切って感動していたんです。

    ハーモニーのよろこび

 その聖歌が今、これまでのように一つのメロディーを唱うだけじゃなくて、三部合唱とか四部合唱で唱うための合唱譜がつくられているんです。実は、こうして聖歌を盛んにうたおうという動きが出てきました一つのきっかけは、昨年副総裁谷口清超先生・恵美子先生ご夫妻がブラジルに御巡錫(ごじゆんしやく)されましたが、そのとき向うは非常にコーラスが盛んで、ゆくところゆくところ、きれいなコーラス、よろこびの大合唱で迎えられた。それにたいへん感動してお帰りになりまして、ぜひ日本でもコーラスを盛んにするように、聖歌隊も充実させなさいというご指示をいただいたことでした。そうして聖歌を盛んにするために、このたび大型の立派な楽譜が出版されることになりまして、これはピアノの伴奏譜も完備し、歌は二部、三部、四部といった合唱用に編曲されまして、合唱譜ができつつあるわけです。それで私たち嬉しくなりまして、先日は東京の青年会の一泊見真会をやっていましたときに、編曲ができたばかりの「青年会の歌」をすぐ二部合唱で歌いました。そうしたら、みんなとても喜んでくれたんですが、それは真理のひびきが神の子のいのちに共鳴するんです。そして聴く人の実相の輝きが出て来るんです。しかしなんといってもまず第一によろこべるのは、唱う本人です。

 私達みんな一人一人個性がちがう、その個性を発揮しながら調和してハーモニーをつくるとき、そこにすぱらしい美しいひびきがあらわれる、それがコーラスです。コーラスをするとき、お互いのひびきを聴き合うので、愛があらわれるんです。音楽は、コーラスは愛であると思います。このコーラスの輪がどんどん広がって行って、やがて武道館に何万人集った時も、単純なメロディーだけではなく、ハーモニーのついたコーラスをする。あるいは、生長の家の誌友会ではどこでもきれいなハーモニーのコーラスが出来るというようになってごらんなさい。みんなそれに惹(ひ)き込まれてどんどん人が集まって、救われて行きますよ。すばらしいことになるとお思いになりませんか。

    住吉大神御顕斎と聖歌

 こうして聖歌を盛んにうたおうという動きが出て来たことは、本当に住吉大神(すみよしのおおかみ)のおはたらきであると思います。住吉大神というのは、住み吉(よ)き世界すなわち龍宮世界に導きたまう神であり、火遠理命(ほおりのみこと)を龍宮城に導き給うた塩椎神(しほつちのかみ)の別名でありますね。また、イザナギの命が黄泉国(よみのくに)から生命の国に帰られて禊祓(みそぎはらい)をされたときにお生れになった、浄めの神で、そのあとに天照大御神(あまてらすおおみかみ)がお生れになるんですねえ。つまり唯物論を粉砕して光一元の世界をあらわしてくださる宇宙浄めの神であると、お教えいただいております。今年は住吉大神を御顕斎(けんさい)申し上げる年ですから、その住吉大神の御働きがいよいよ顕著にあらわれて、宇宙浄めの聖歌を盛んに歌おうということになってきたのではないかと思うんです。

 それに、お祭りにはお神楽(かぐら)など、音楽が付きものですから、この御顕斎の年に音楽が出て来たともいえるんではないでしょうかねえ。

  村の鎮守の神さまの
  きょうは楽しいお祭り日
  ドンドンヒャララ ドンヒャララ
  ドンドンヒャララ ドンヒャララ……

 というなつかしい歌もありますねえ。その祭りの歌をうたおうと……ね。

 それから、ここに賀川豊彦さんの「神の祭」という文章があります。賀川豊彦さんというのは有名なクリスチャンで社会救済運動に挺身された方で、もうだいぶ前に亡くなられましたが、私は生前に賀川先生の講演を二、三回聴いたことがあります。霊感的な、火を噴(ふ)くようなお話でした。その賀川豊彦さんの「神の祭」という、熱烈な詩的な文章です。ちょっと西洋的なにおいの強い表現の文章ですけれども、読んでみます。

  「聖パウロは言った。“その身を活ける供物(そなえもの)として神に献げよ”と。
  五尺の鯉(こい)を神に祀(まつ)ることは最も愉快なことである。
  (この「五尺の鯉」というのは、人間のことを言っているんです―話者)
  吾々の生活の凡(すべ)てが神への供物であり、祭であるのだ。
  祭だ、祭だ! 花火が上り、楽隊が聞えるではないか。我々の生涯のあらゆる瞬間が神への祭だ。表に五色の旗が翻(ひるがえ)らなくとも、魂の奥には、永遠の燻香(くんこう)が立ち昇る。神への燔祭(はんさい)は、我々の赤き血そのものである。
  若き小羊を捕えて神に献げよ。全き小牛と全き小羊を神に献げよ。日本の若者の魂を捕えて神に献げよ。神への奉加は、吾々の生命そのものであらねばならない。吾々の玉串は、生霊そのものであらねばならぬ。完全に我々の全生命を神に祀ろうではないか。我々の肉体、我々の生活、我々の精神、我々の学問、我々の芸術、そして我々の道徳を神への献げ物として八足(はつそく)台に献げようではないか。
  永久(とこしえ)の祭だ、永久の歓楽だ! 不滅の花火、無限の祝典、生命の神饌(しんせん)は永劫(えいごう)に尽くべくもない。両国の花火はなくとも、我々の心臓のうちには、不滅の血が花火以上に赤く爆発する。」

 これが賀川豊彦さんの「神の祭」という文章です。私たちも、顕斎の年を迎えて、毎日毎日の生活を、すべてを神への祭りにしようじゃありませんか。素裸になって、すベてを神さまに献げてしまうんです。そのとき、神さまからすべてが与えられているんです。こんなうれしいことはないじゃありませんか。

    生命芸術の創造を

 賀川豊彦さんはまた、「生命芸術としての宗教」という題でこう書かれています。

 「私は敢ていう。宗教ほど大きい芸術はない。普通にいわれている芸術は、感覚を通じての局部芸術だ。宗教だけが全生の芸術をもち、生命の芸術をもつ。」

 「宗教は生命芸術である」と言われるんですねえ。このことばは、生長の家によってはじめて現実の意味が出てくるんではないかと思います。

 神想観をして龍宮海すなわち創造の本源世界に入ると、私達の中に時間も空間も全部ある。天地の初発の時、即ち今、自分は神さまと一つになって、宇宙創造をしているんだ。その中心がわれわれ一人一人なんです。この宇宙は神さまが指揮者であるところの一大交響楽だというわけですけれども、また、われわれ一人一人が神そのものですから、われわれ一人一人が指揮者であり、演奏者であり、宇宙創造の中心者であるわけです。どういう音楽をかなでるかということは、われわれ一人一人の心ひとつにあるわけなんです。

 「人間神の子」の大真理をうたい上げて行きましょう。もっともっと素晴らしい歌をわれわれが創り出して行きましょう。そして、自分が創造の本源の中心にある自覚で、交響楽の演奏にも似たような、メロディーとリズムとハーモニーのある喜びの創造的運動をやって行こうではありませんか。



       13 いのちの火を燃やす

                    『生長の家』 昭和61年8月号所載 (茨城教区教化部長時代)
  

           (第34回 教化部長リレー随想)


   わが青春の光と影

 思えば、あれから35年もたった。

 昭和26年3月下旬のある日だった。私が高校2年を終えて3年に進級する前の春休みのことだった。それは、説明のつかない不可思議な体験であり、私の人生における最も大きな、大変な出来事だった。と言っても、私の外なる環境に変化が起きたわけではない。純粋にただ私の内なる体験。――

 そのとき、私は死んだ。過去の私は一度死んだのだ。突然、私の世界が一変した。暗黒と絶望の世界から、光明かがやく希望の世界へと……。

 そのころ、私は体重が40キロばかりで、「骨皮筋右衛門(ほねかわすじ え もん)」とあだ名されていた。胃腸が特に弱く、下痢ばかりしていた。もうひとつ、そのころ読んだある家庭医学の本に、青少年期に“自涜行為”にふける者は、神経衰弱になって、廃人になる。結婚もできなくなる、と書いてあったので、“俺もだめだ”と思い、自己嫌悪と劣等感、罪悪感に打ちひしがれた。私は死を考えていた。そして盲腸をこじらせて死にかかった――そのあとのことである。

 とつぜん、私は金剛不壊(こんごうふえ)なる霊的自我を自覚した。そして世界が一変した。

 それは、私が『生命の實相』を読んだからではなかった。真理の法話を聞いたのでもなかった。『生命の實相』を読んでいたのは父である。父は職業軍人であったから、戦後はみじめなものだった。そんな父を私はあまり尊敬していなかったから、父が「生長の家」をやっているのを知っても、私はそれをむしろ軽蔑の目でみているようなことだった。しかしそんな私に突然、自覚の革命が起こったのである。それはまったく“不可思議な”体験であった。

 とつぜん、“大地が六種に震動する”ような感動を味わった。“わがわざはわが為すにあらず天地を貫いて生きる無限の力である”というような思いが湧いてきた。私は働きたくなった。

 いっさいの恐怖がなくなった。それまでの私は、働いたら損だ、働いたら体力を消耗して早く死んでしまうと思っていた、そんな私は何という馬鹿だったのだろう、と思えた。私は素足で畠へとび出して行って、力いっぱい働いた。嬉しかった。手の舞い足の踏むところを知らず、という感じだった。

 それ以来、私は病気をしなくなった。それまでの私は一変したのである。

 初めて、本当の希望が湧いてきた。自分に“無限の可能性がある”と思えた。

 「君たち、東京へ行け。東京へ行って、一流のものに触れなさい。そしていい先生を見つけるんだ。偉大とは、方向を見いだすことだよ」

 と言ってくださった先生のことばを受けて、私は東京へ出ることを決意した。

 そして、親に経済的負担をかけないで勉強できるのは東大に入ることだ、と思った――。

 「東大だ! 東大だ! そうだ! 希望だ! 東大だ!」 と毎日私は自分を励ました。

 「あの日」までは人生に希望がないから勉強もしたことがなかったのに、それから1年間、無我夢中で“バラ色の受験勉強生活”をして、入学試験には合格。

 昭和27年、東大に入ってから“灰色の大学生活”が始まった。苦しかった。東大の中には「あの日」の感激を十分に育ててくれるものがなかった。「あの日」はいったい何だったのか、私はそれを探求せずにはおれなかった。私は、大学の講義をすっぽかして人生勉強を始めた。東大では、私は完全に“落ちこぼれ”だった。

 私は「あの日」の秘密を十分に解明してくれるものが『生命の實相』であることを発見するのに、そんなに時間はかからなかった。昭和28年11月、生長の家青年会の門をたたいた。

 そして谷口雅春先生にお目にかかった。それはまた生涯忘れ得ぬ感激の出会いであった――。

 あれから、あっという間に三十数年が過ぎた。

             ○

 今、私は「教化部長」というような大役をいただいている自分に驚く。極端に内攻的で自閉症的といってもよいほどの私だったのに、いつの間にかこんなお役を受けるようになっていた。

 まったく至らない私であるが、「わが業(わざ)はわが為すにあらず」ということを、しみじみと感じている。

 茨城教区教化部長にならせていただいてから2年あまり。その間に毎月、教区の機関紙に書かせていただいた随想をふり返って、いくつかをここに抄録させていただきます。

   みんな“何かに自分を燃やしたい”

 PHPという小雑誌で、『何かに自分を燃やしたい』という題の特集をしている。「たとえどんな小さなことでも、自分を忘れるくらいただひたすらに打ち込めるものを持てたら、そこにはこれまでと違った生き方が生まれてくるに違いない。自分にしかできないそんな生き方を、あなたも見つけてみませんか」と呼びかけている。

 人間は誰でもみんな、自分を忘れるくらい何かに打ち込みたいという願いを持っているのだと思う。

 谷口雅春先生は、「此の火は天上から天降(あまくだ)った生長の火である。火だ! 自分に触れよ。自分は必ず触れる者に火を点ずる。生長の火を彼に移す。……」

 と、生長の家発進の宣言で述べられ、すべての人間が願っている“もっと自分を燃やしたい”という願いを叶えてあげられる道を示されているのだ。

 燃えましょう。皆さま。神さまからいただいたいのちの火を燃やしましょう。燃える者が幸せなのです。(昭和59年4月)

   勢いよく燃えましょう

 私が茨城県に赴任ということになったとき、東京で親しくしていた青年が言いました。

 「すばらしい。茨城県は勢いのある所という感じですね」と。「勢い」とは何でしょうか。

 『天皇と国のあゆみ』という本には、「徳」という字を古くは「ウツクシビ」または「イキホヒ」と訓読みしていたと書いてあります。「徳」とは、勢い――まわりの人を動かして善に向かわせる勢い、影響力であると感じました。

 天皇陛下が終戦後はじめてマッカーサー元帥に御会見され、「自分に一切の責任がある。自分の一身はどうなってもよい、国民には罪がないから国民を飢えから救ってほしい」と述べられたとき、マッカーサーは陛下の勢い、迫力にたじたじとなったのではないか、と勝部真長先生が明治神宮の「代々木」という新聞に書かれていました。

 これこそ陛下の御徳すなわち御勢いの最たる御顕現であったといえましょう。その陛下の御徳――御勢いによって日本は救われたのです。

 『生命の實相』第五巻・第六巻の聖霊篇は、「燃えさかる聖霊(いのち)の火」と題されており、「人間は神の子」と知ればいのちが燃えさかって病気も不幸も消えてしまい、教えがどんどんひろがって行くさまが書かれています。これが教勢の発展なのだ。教勢というのも、勢いである。こう私は思いました。

 いま、五月の鯉のぼりが風をいっぱい受けて勢いよく高く泳いでいます。

 「わが身に似よや男子(おのこご)」と歌って――。私たちも鯉のぼりのように、からっぽになって、神さまの風をいっぱいに受けて、高く大きく泳こうではありませんか――。(59年7月)

   ココケッコー、常世の国

 4月末(昭和59年)に、私は茨城県赴任の挨拶状を東京などの友人・先輩たちに出しました。

 「茨城は、空が広いところだなあ――と感じています。その空が広い茨城に、いま来年のつくば科学万博に向けての建設が急ピッチで進められています。今まさに大発展の勢いある茨城県、というところです。

 その茨城県の教化部から車で15分たらずの常澄(つねずみ)村という所に、広くてすばらしい住居も与えられました。『ただひかり光の中に我れ澄めり』この常澄は常住(つねずみ)すなわち久遠常住の『今』『中(みなか)』に立つことである、と思っております。……」
と。

 そしたら、祝福と激励のお手紙をいろいろ頂戴しました。

 「常澄村へ行かれたのですね。大洗の近く、いい所だと思います。……往古、われわれの祖先は、大洗より東に、常(とこ)世(よ)の国がある――すなわちここから日本の東が始まるとみていました。大(おお)洗(あらい)磯(いそ)前(ざき)神社がそのことを証明していますが、そのそばに行かれたのは、小生よりみるとまさに、うらやましき限りです……」

 「常澄は『ツネズミ』ですが、小生は『トコスミ』と読みましたが。『眞理』第2巻の冒頭に『凡(あら)ゆる宝の中で最も大切なのは、魂の清らかさと心の平和である。如何なるものもこれに匹敵する価値はない』とあるのを思い出しました。常澄は凡ゆるものを永遠に浄化して澄み切る働き、ではないでしょうか。

 住吉大神のスミノエも澄の江が原義です。大神の全国の鎮座地は必ず河口で陰陽相交叉〔川の筒男神(つつのおのかみ)と海のワタツミ(海津美。美は女性)〕して無限の創造が象徴されてます。ですからスミノエは静止して澄んでいるのではなく、高速回転のコマのように勢いがあって澄んでいる。凡ゆるものを祝福して永遠に浄化する。常澄の先生に幸多く御魂幸(さきは)え給えとお祈り申し上げます」

 「茨城は鹿島神宮鎮座ましまし、関東の守り神、水戸学発祥の地。このすばらしい土地に御活躍下さることを想うだけでもうれしく楽しくなります」
等々。

 大講習会受講券に印刷された写真は、ここに常世(とこよ)の国があるという、大洗磯前神社から東の海に向かった写真です。すると、鳥居の上に止まっている鳥は、「ココケッコー」と鳴いている常世の長鳴鶏(ながなきどり)と見ることができましょう。日本の夜明け、世界の夜明けがここから始まるのです。(59年6月)



       14 二川守氏への反論

                    (機関誌『生長の家相愛会』平成4年10月号所載)
  

   <「生長の家」路線変更か――とは皮相な見方、井蛙(せいあ)の見なり。
   創始者の教えに反しているのは、二川氏の方ではないか。
   今こそ真の日本救済――小日本ではなく「大日本(ひかりあまねきせかいのくに)」の実相顕現のために起ち上がるべき時である。そのためには、「大懺悔」が必要である。>


 私は平成4年7月25日付の『国民新聞』に掲載された二川守氏の「告発」文を読み、これは生命の実相哲学を抜きにした“井蛙の見”ともいうべき俗論、迷論であると思った。それを、「18年間、本部講師として多くの人達の指導に当たって一心不乱に奉仕してきた」という二川氏が、“神の鉄槌”などと偉そうなことを言って臆面もなく発表されたことを、まことに残念に思う次第である。

 二川氏の「告発」文をきっかけに、今一度尊師谷口雅春先生の「日本は侵略国ではない」とのお言葉、そして副総裁谷口雅宣先生が「侵略したのは日本」とおっしゃったことの意味をかみしめ、整理して考えてみた。それを、次に記述させていただこう。

   日本は侵略国か

 谷口雅春先生はたしかに、「日本は侵略国ではない」と説いて来られた。しかし、これは現象的な相対の世界の皮相な観点から日本無罪を主張しておられるのではない。深い生命の実相哲学から出てきたお言葉である。その奥義、秘密義に思いを致さねばならぬと思う。

 『聖なる理想・国家・国民』の15頁には、

 ≪日本国家の理想とは何であるか。それは「宇宙の理想」と一つのものである。「宇宙の理想」とは釈尊の説く金波羅華(こんぱらげ)の世界であり、キリストの祈りである「みこころの天に成れる世界」である。日本国を“侵略国”と誣(し)いる者は何者ぞ。去れ!! 日本国は世界の救世主たる使命を帯ぶ。≫

 と書かれている。

 ここでも前半のお言葉から明かな如く、「実相独在」の観点から、「理念の日本」「日本の実相」を観じ、日本の使命を直観して説かれている。『日本を築くもの』の第3章に、「堅固法身(けんごほっしん)・膿滴々地(のうてきてきぢ)」と説かれ、『我ら日本人として』第4章にも「“理念の国”と“現象の国”に就いて」として詳説されている「理念の国」を直視(じきし)し、「実相」の大地に立って説かれているのである。そして『我ら日本人として』の「はしがき」には、

 ≪真にその人が“恋人”を愛するならば、自己の理想を恋人に移入して此(これ)を理想化せずにはいられないであろう。そしてその理想化の熱情が高度であればついに現実の醜くさを焼きつくして、その恋人を理想的な姿にまで変貌してしまうことができるのである。私はこの恋人の熱情のように日本国を愛し、どんなにまだ現実が「まだ愛するに足りなく」とも、その熱情の焔(ほのお)をもって、現実の醜くさを焼きつくして、日本国を理想の美しさにまで変貌せんとするものである。≫

 と書かれている。

 そのようなお立場、お心から、前記『聖なる理想・国家・国民』のご文章も出て来ているのであり、二川氏が引用されている『神ひとに語り給ふ』293頁の「大東亜戦争の意義」と題されての谷口雅春先生のご文章においても同様なのである。

 しかし、現実、現象のことになると、別である。

 谷口雅春先生は戦時中、「皇軍必勝」という短冊をたくさんお書きになった。それは「真に日本全国民が、神皇と神国との実相を知って戦うとき必ず勝つということを私は信ずるものである」(『生長の家』昭和19年7月号)というお心からであった。しかし、昭和20年1月、先生は、

 ≪「今日は本当のことを言うが、僕は今の日本の戦は、陛下の御意志でないと思う。(略)一視同仁の神のみ心から御覧になったら、アメリカ兵といえども神の子である。その神の子であるアメリカ兵を出来るだけたくさん殺す方が好(よ)いというような、そういう戦争は神の御心(みこころ)ではない。したがって無論、陛下の大御心ではない。したがってそういう戦争をする日本軍は皇軍ではない。(略)僕は『皇軍必勝』と皇軍の勝つことを祈り書いているが、その皇軍は今の日本の軍隊のほかに別にあるような気がする……」(略)「日本軍、日本軍というもの悉くは皇軍にあらず、ただ天にまします吾が父の御意(みこころ)を行う者のみ、皇軍すなわち神の軍だと思う」≫(『生長の家』昭和21年2月号)

 と述べられているのである。

 二川氏は「我々が大東亜戦争をどうして『聖戦』と称するかと言うと、それは端的に言って昭和天皇の『宣戦の詔書』から来るところの“承詔必謹”の考えにほかならない」と書いているが、谷口雅春先生は現実の大東亜戦争が“聖戦”であったとは決して認められていない。『古事記と現代の預言』の119頁にも、次のように書かれている。

 ≪日本が大東亜戦争に敗れたのも、敗れるのには敗れる理由がある。中心を失っていたのであります。即ち日本天皇のみこころに背いて米英に戦争を布告したから負けたのであります。大東亜戦争直前の御前会議で、天皇が如何に平和愛好の心で、宣戦に反対せられたかは知る人は知っているのであります。しかし、明治の初めに既に「万機公論に決すべし」という民主主義的な御誓文が出て、それが日本の国是になっていましたので、時の勢力階級の大衆(軍閥)の戦争賛成論の多数決のために戦争が始まったのでした。これは、天皇をロボットにした結果であったのであります。≫

 これが谷口雅春先生のお教えである。「宣戦の詔勅」が起草されたときにも、昭和天皇様はそれをお読みになって、「自分は戦争に反対であるが事情やむを得ないためにこれに御璽を押すから一句書き加えてほしい」ということで特に「洵(まこと)ニ已(や)ムヲ得サルモノアリ豈(あに)朕カ志ナラムヤ」と明記されていることは、よく知られたことである。

 しかるに二川氏は「昭和天皇の『宣戦の詔書』から来るところの“承詔必謹”の考えから、我々は大東亜戦争を聖戦というのだ」とおっしゃるが、その“承詔必謹”は形だけのことであって、真に陛下の御心を体してはいない。また「宗教において大切なのは、創始者の教義であり理念であり、即ち正法である」と言いながら、創始者・谷口雅春先生の教えに反している。ここに「我々」とはいったい誰を指すのか。二川氏をはじめ独善的に自分の持論を主張することが先行して、生長の家創始者(谷口雅春先生)の教えをもないがしろにするような一部の迷える人々がいるとすればまことに遺憾なことである。これは二川氏の方が「創始者の教えに反している」のである。

 さて、何故このようなズレが起こってくるのであろうか。それは、実相と現象を混同し、「偽我(ぎが)と真我(しんが)の甄別(けんべつ)」(『生命の實相』第十四巻第二章)ができていないからである。

 谷口雅春先生の近著『神と偕(とも)に生きる真理365章』 83頁〜84頁にも、次のように書かれている。

 ≪パウロはこうして、「本当の我」と「我が中(うち)に宿る罪」〈過去の業(ごう)(ワザ)の集積である運動慣性〉とを分離することに成功したのである。(略)
 このパウロの自己分析による「本当の自分」の発見が、宗教的悟りの要諦(ようたい)であるのである。私が時々コップの中の水の譬喩(たとえ)をもって、「本当の自分」のことを修行者にわかり易く説明することにしているのは次のようにである。――
 「ここに透明なコップがあって澄明(ちょうめい)な純粋の水が入っているとする。この水の中に一つまみの泥を入れると、水は不透明になる。この時、人は“水が濁った”というのである。併し本当は水は濁っていない。水は依然としてH2Oの化学式をもった澄明な純粋の水である。濁っているのは水そのものではなくて、泥が濁っているのである。水は泥の濁りと何の関係もない。それだから漉器(こしき)で泥を漉(こ)し去れば、あとには依然として純粋な水があるのである。それと同じく “人間・神の子”の完全な実相は、どんな汚れた罪人のように見える人に於いても、変ることなく、円満な実相そのままである」≫

 谷口雅春先生は、この純水のような実相の日本国を観じ、泥は水ではない、業(ごう)は「人間」ではないように、真の「日本」は侵略していない、起こるべくして起こった戦争は、人類の業のなせるところである――と断じていられるのである。表面のお言葉の奥にある、先生の立っていらっしゃるところに立って、このお言葉をしっかと戴かねばならぬと思う。

 しかしながら、前掲書86頁に、

 ≪聖経に「生命の実相を知るものは因縁を超越して生命本来の歪(ゆが)みなき円相的自由を獲得せん」と示されているのであるから、どんな事をしても、超越すればよいと、多寡(たか)をくくって、無分別にも色々の悪業を平気でやる人がもしあるならば、その人は「生命の実相」を本当には知っていない人である。それだからその人は「生命の実相を知る者は因縁を超越して……」の恩典に浴することのできない人たちである。
 どんな小さな行為でも、それを為すことは業(わざ)であり、因縁因果の世界に、業因を積み重ねつつあるのである。業(ごう)には善業も悪業もあるが、どんな小さな善業でも毎日それを怠らずに積み重ねて往ったならば、「生命の実相」の悟りに入り、ついに因縁を超越することができるのである。≫

 と書かれている。

 『生命の實相』第14巻4頁にも、

 ≪「われ罪の子」の自覚が忽然(こつねん)消えて、「われ神の子」の自覚に入るのが本当の「生まれ更わり」でありますが、この「われ神の子」の自覚を得るというのは、罪を犯しながら、その罪を犯している自分を「これで神の子だ、これで真我だ」と自慢自讃することではありません。(略)偽存在(にせもの)のわれの自覚を「神の子なり」「真我なり」と名称を付けかえてみましても、それは何も真に「神の子」が自覚されているわけではない。≫

 と書かれている。

 谷口雅春先生は、この「神の子」の実相の立場から、「実相日本」の立場から「日本は侵略国ではない」と言っておられるのであって、偽存在の現象日本国が侵略をしていないと言っておられるのでないことを、はっきりと自覚しなければならぬ。

 実相の日本国は一度も侵略をしたことはない。真清浄(しんしょうじょう)・真無垢(しんむく)の神の国であり、神の構図、宇宙の実相をそのままに体現した国である。しかし、現実の日本人が、人類の過去の業のなせるわざとして、戦争(国際法上の定義による侵略)をしたことは事実である。それを隠蔽して、偽存在の日本が侵略国でないと言い張るようでは、真の日本の「生まれ更わり」はできない。それでは神界にまします大聖師谷口雅春先生はお泣きになるであろう。

 日本が戦争に敗れて劣等感や罪の意識に打ちひしがれていたときに、谷口雅春先生は声を大にして「日本は侵略国ではない」と叫ばれた。それによって私たちは希望と誇りをもって懸命に働いてきた結果、現在の日本の地位を築き上げることができた。そうしてここまで大きくなった日本が、さらに本来の神武建国の理想である「八紘一宇(はっこういちう)」――世界の真の平和実現の大きな使命を果たすためには、真の「大懺悔」「生まれ更わり」が必要なのである。それにはまず、実相と現象、偽我(ぎが)と真我(しんが)の甄別(けんべつ)をして、偽我を否定し、真我をこそ光り輝かさなければならないのである。

 それ故に総裁谷口清超先生は、近著『歓喜への道』の第2章「歴史の教訓〈大東亜戦争〉」の中でも「傲慢でない世界」「現象に引きずられるな」とお教えいただいており、第5章「善因善果・悪因悪果〈国家も個人も法則は一つ〉」でも「よいことをしよう」(さらに積極的に善業を積もう)とお教えくださっているのである。

 副総裁谷口雅宣先生が、『理想世界』の「ネットワーク考」の中で「“大東亜戦争”で侵略行為を行ったのは日本」と書かれたのも、世界に大きな影響力を持つようになった経済大国日本が、さらに世界に受け入れられ尊敬される国として生まれ変わるには「大懺悔」が必要であるからである。さもなければ日本は再び大東亜戦争に突入したときのような過ちを犯し、人類は業(ごう)の流転(るてん)に翻弄されて永遠に世界平和は来ないからである。「大懺悔」のためにはまず「小我の否定」が必要だからである。

 「大和の国の神示」に、こう示されている。

 ≪大日本世界国(ひかりあまねきせかいのくに)と言うことを狭い意味に解して、日本民族の国だなどと考えるから誤解(まちがい)を生ずるのである。そんなものは小日本であり、本当の大日本国(ひかりのくに)ではない。天(あめ)の下ことごとくが『天のみこころ』で満ちひろがる世界が来ることを、「全世界五大州の国土を『天孫(てんのみこころ)』に御奉還すべき時期が来る」と教えたのである。天孫とは肉体のことではない。「肉体は無い」と言うことをあれほど教えてあるのに、やはり肉体のことだと思って執着が強いから大それた間違をして取返しがつかぬことになるのである。神からみればすべての人間は神の子であるから、特に日本民族のみを愛すると言うことはない。あまり自惚(うぬぼ)れるから間違うのである。≫

 天のみこころを現し、光あまねき世界――究極の世界平和を実現すべき尊い使命を持っているのが日本であり、その日本の実相を顕現すべき生長の家の使命は重大である。この時に、「小日本」にとらわれ、言葉の表面にとらわれた妄論を吐いて、信徒や愛国の徒をまどわす言動は許されないと思う。今こそ、大いなる日本の使命実現のために、国を過まる事なきよう、神意によって法燈を継承せられた総裁・副総裁に中心帰一し、謙虚に、そして真の誇りと自信を持って、迷うことなく、明るく、人類光明化運動にひたすら勇往邁進したいと思う。
   (平成4年7月29日)



       15 『絶対音感』を読んで思う

                         (『岡正章の近況・心境通信 <2014・5・3>』 より)
  

 最相葉月(さいしょうはづき)著『絶対音感』を読了。その中で、印象に残った言葉を記録します。(新潮文庫版から)

○絶対音感を持ち、音楽への意欲はある日本人。それなのに、彼らが創造性や表現力の光彩に欠けるのはなぜなのだろうか」(51頁)

○外国人の審査員の評価は、〈日本人の演奏テクニックは大したもの。指は素早く、目まぐるしく動き、至難の技をこなす。ところが、バッハやモーツァルトなどの基本的な、技の上ではあまりむずかしくない曲となると、まるで味気なく、豊かな感情表現がない。ただ指を動かし、音を羅列するだけ〉(58頁)

○音楽は魂の言語だ。だが、魂は高々と積み上げる嵩(かさ)上げを必要としない。魂が求めているのは内面への道なのだ。(215頁)

○(第6章「絶対の崩壊と再生」より)「音楽を奏でる、音楽をつくるときに、絶対音感があると便利であることはまぎれもない事実だと思いますが、それがすべてではありません。あるときは固定観念や自信が弊害になることもあります。僕は、絶対音感は絶対に必要なものだとは絶対に思いません」(255頁)

○絶対音感とは特定の音の高さを認識し、音名というラベルを貼ることのできる能力であり、音楽創造を支える絶対の音感ではない……今回私が百人の音楽家たちに送付した質問状の「絶対音感とはどんな能力か」という問いには、何人かの音楽家が「音楽性とはまったく関係のない物理的な能力」という回答をくれた。……絶対が崩壊した今、新たに求められる絶対とは何か。……NHK交響楽団でマーラーを客演指揮したズービン・メータがテレビカメラに向かっていった一言が忘れられない。「私の千個の目で見れば、二度のリハーサルの後には演奏家がほぼ全員わかります。コンサートが終わったら、全員について本だって書けますよ」(294〜295頁 抜粋)

○オーケストラは日々感動するほど不思議だという。……一人が全力でその音楽に集中すると、全員の波長が合ってくる。もはや指揮者の手に合わせてという次元ではない。全員で一つの流れができると、最高の快感だった。神様が見えた、などと口にする人も出てくる。(318頁)

○ここにあるのは絶対なのか。私たちの都合でリアルなだけであって、テーブルの上のコーヒーカップも、身長百メートルの人にとってはまったくリアルではない。オウム真理教の信者たちが麻原彰晃を尊師とみなすことも、本来は相対的なことなのではないか。つまり、人はオウム真理教のケースを特殊な事件として見るが、人間誰しも、本来は相対的なものを絶対化して、それに気づかないことは往々にしてあるのではないか。では、それは何を根拠に絶対視できるのか。なぜ人は、それを疑いなく信じるのか。(324頁)

○「何かに依拠して絶対化すると楽で足場はしっかりします。しかし、それは絶対化の罠にとらわれる危険性があるのです。絶対音感も、絶対音感が害なのではなく、絶対音感を信じること、絶対化することのほうが害なのではないでしょうか。そもそも固定化した見方を壊すのがサイエンスですし、世の中はこう見えているからこうだというステレオタイプな考え方はやめようというのが芸術だと思います。絶対的な観念を壊して、一瞬でも自由になるものです。それなのに、ピアノでこう弾きなさいと押しつけるのは芸術とはいえない」

○ある音楽家の言葉が胸底に響いていた。絶対は私の中にあった。

○科学に「絶対」はない。科学の学説というのは自然現象を解明するための手段にすぎない。天動説と地動説もお互いがお互いに対して相対的で、今のところ、地動説のほうがより多くの現象に説明がつけられるから採用しているだけなのだ。(423頁「解説」)

■上記、『絶対音感』を読んで、さらに深く思うこと

 この世(現象世界)に、「絶対」なるものはない。すべて、相対的なものばかりである。

 一切の「現象の未だ発せざる本源の世界」、「未発の中(ちゅう)」なるところ、「久遠の今」なる「神の国」にこそ「絶対」がある。

 その「神の国」は外にはない、内にある。

 ≪キリストは『神の国は汝らの内にあり』と云い給えり。誠に誠にわれ汝らに告げん。『汝らの内』とは汝ら『人間の自性(じしょう)』なり、『真の人間』なり。『汝らの内』即ち『自性』は神人なるが故に『汝らの内』にのみ神の国はあるなり。外にこれを追い求むる者は夢を追いて走る者にして永遠に神の国を得ること能わず。物質に神の国を追い求むる者は夢を追うて走る者にして永遠に神の国を建つること能わず。≫
 (聖経『甘露の法雨』)である。

 「生長の家人類光明化運動指針」に、

 ≪第九条 生長の家の各員は、如何に運動の分野が多岐にわたり組織が複雑化すると雖も、光明化運動の中心が何であるかを常に見失うことなく明らかに自覚して行動すべきである。
 生長の家大神―総裁・副総裁―御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である事を、生長の家人たるものは一瞬たりとも忘れてはならない。如何にその人が有力者であろうと長年光明化運動に献身して来ようと、素晴らしき体験をもつ指導者であろうと、断じてその人を中心にしてはならない。若しも人を中心とすれば、その人が理解し把握している以上の運動の展開は不可能となり、歪んでいれば運動も歪むほかなく、その人とそりの合わぬ者、反対意見の者は身を引くか、対立して禍根を残すであろうし、若し或る人が情熱的な信仰を持つ場合、その人が真に中心を明らかに自覚している場合はよいが、唯熱心であるだけならば、何時(いつ)かその人に頼り過ぎ、その人が転任或は他界した場合は、忽ち火の消えた様に衰微してしまった如き事例は往々にしてある。すべて皆中心を誤っていることに気がつかなかった為である。光明化運動に於いては人は中心ではない。神意が中心である≫

 とある。

 ――上記「第九条」において、「光明化運動に於いては人は中心ではない。神意が中心である。」 というところを、一瞬たりとも忘れてはならない。「総裁に中心帰一」ではなく、「神意に中心帰一」でなくてはならない。それは、谷口雅春先生ご教示 『先ず第一義のものを求めよ』 に明示されているところである。

 「総裁に中心帰一」と言って、「外なるもの」を絶対化して依拠させるのでは、オウム真理教で麻原彰晃を絶対なるグル(尊師)とさせるのとどこにちがいがあろうか。

 「何かに依拠して絶対化すると楽で、足場はしっかりします。しかし、それは絶対化の罠にとらわれる危険性があるのです。」(『絶対音感』4頁)

 科学は、絶対ではありえない。IPCCで1000人の科学者がいうことが絶対とはいえない。私は6年あまり前、槌田敦という環境学者の著書『CO2温暖化説は間違っている』を読んで驚き、2008年1月から2月にかけ、当時副総裁であった谷口雅宣先生に同書を添付してお手紙やメールを差し上げたことがあります。何のお返事も頂けませんでしたが……。

     ******************

■7年前、谷口雅宣先生(当時生長の家副総裁)に差し上げたお手紙

2008年2月2日
副総裁 谷口雅宣先生

(槌田敦氏著『CO2温暖化説は間違っている〈誰も言わない環境論@〉』を読んで)

 合掌 ありがとうございます。

 ご無沙汰いたしておりますが、おかげさまにて私も東京第一教区の相愛会員として、また地方講師として少しずつお役に立たせていただき、生き甲斐ある日々を送らせていただけますことを、ありがたく感謝しております。本当にありがとうございます。

 生長の家の運動はこれから環境保全のため「炭素ゼロ」の運動にしながら、日常生活に愛を実践し、組織の第一線を活性化して誌友会を大いに盛り上げていく、というようなことに重点がおかれるということで、たいへんすばらしいことと喜び勇んでおります。

 ところで、本日メールを差し上げますのは、標題のとおり、槌田敦氏著『CO2温暖化説は間違っている〈誰も言わない環境論@〉』を読んで驚いたからでございます。

 去る1月12日、日経新聞に載っていた広告を見て気になりましたので同書を注文、10日ほどして入手し、読みました。副総裁先生にはこの槌田氏の説のことなどは夙にご存じの事と存じますが、私は初めて読み、驚きましたので、どのように考えたらよろしいでしょうか、お伺い申し上げる次第でございます。

 念のため内容をかいつまんで申し上げますと、まず〈はじめに〉というところに大約次のように書かれております(抜粋)。

 ……人間の排出するCO2で地球は温暖化した、とする気象学者の主張は事実ではない。詳細な検証により、CO2濃度の上昇に先行して気温が上昇していることが見いだされた。多くの気象学者もこの事実を認めている。通常の論理に従えば原因は結果に先行するから、温暖化に関しては、気温の上昇が原因で、CO2濃度の上昇は結果であることが分かる。しかし、これを認めるとCO2温暖化説は完全に破綻する。そこで、多くの気象学者たちは、気温の上昇が先行するという事実は認めても、原因であるとは口が裂けてもいえない。すでに気象学者のいうCO2温暖化説で世界各国の政治が動いている。今さら説を変えることは影響が大きすぎると考えたようである。さまざまな温暖化政策は気象学と経済学の間違いがからみあい、未来に深刻な禍根を残すと思われる。これを黙認するわけにはいかない。
 さらに、CO2温暖化説の陰に隠されているが、最も重大かつ緊急を要する課題は、近い未来に予想される地球寒冷化による飢饉の問題である。将来、人類は食糧難に悩まされるに違いない。そして、食糧不足を原因とする戦争が始まるだろう。そこで、できる限り早く温暖化問題を切り上げて、寒冷化問題を検討すべきと思う。以上が、本書を書こうとした動機である。……

〈もくじ〉は

   1章 CO2温暖化説はこうして拡がった
   2章 気温上昇が「原因」、CO2増加は「結果」
   3章 地球は「水の惑星」である
   4章 温暖化の原因は何か?
   5章 無意味で有害な温暖化対策
   6章 エコファシズムの時代
   付章 重力場における気体の物理学――対流圏気象学の基礎

 となっております。

 槌田氏は〈著者略歴〉によりますと、「l933年東京生まれ。東京都立大学理学部化学科卒。東京大学大学院物理課程D2修了後、同大助手を経て理化学研究所研究員。定年退職後、94年から名城大学経済学部教授(環境経済学)。05年4月から高千穂大学非常勤講師を兼任」ということでございます。

 さて、生長の家で昨年からスタートさせた「炭素ゼロの運動」というのは、いうまでもなくCO2温暖化説に基づくものと思います。その温暖化説がもし間違いであったとしたら、われわれは「だまされていた」ということになります。それでも、神の愛を信じ、自他一体を生きる信仰者として、環境に感謝し資源を大切に使わせていただこうという愛の行為は尊いことであり、決して無意味な運動であったということにはなりません。

 しかし、槌田氏の著書によれば、エコ発電といわれる太陽光発電・風力発電などはむしろ間接的に石油を大量消費しており、環境破壊を増大させるものだといわれます(『CO2温暖化説は間違っている』第5章)。また、国家間の排出権取引ということなどは先進国企業の利益でなされるもので、その結果は先進国とともに途上国にも経済成長を促し、新たなエネルギー消費が世界的に追加されるので、これが環境保全のためというのはペテンであると槌田氏はいいます。「CO2温暖化説は間違っているから、いずれ否定される。だまされて架空の排出権を購入した企業は、金銭の返還を求めて裁判を起こすであろう」とも。

 さらに
 「最近私のCO2温暖化説批判を聞くと不愉快になる人が増えてきた。皆が団結して温暖化の脅威に立ち向かおうとしているのに、これにいちゃもんをつける悪い奴がいる、というわけである」

 「だれもが良いことと考えていることが、実は良いことでなかった、とは考えたくないものである。そして悪いことだといわれれば、不愉快になる。政治勢力はこれを利用して脱落者を防ぎ、運動を維持する手段とする。……つまり、この良いことをしているという善意がくせ者である。良いことをしているのに、なぜ妨害するのかと考えたところから、ファシズムが大手を振って歩き出す」
 と。

 私は、槌田氏の説が100%正しいとは信じていません。しかし、CO2温暖化説は、もしかしたら、「一犬虚に吠ゆれば百犬実を伝う」というようなことかも知れない。もしそうだとしたら、これはたいへんなことではないかと思ってしまいました。善意だけで“エコファシズム”に巻き込まるようなことなく、正しい智慧に導かれた適切な運動をして行く必要があると考えさせられました。そんなことを思うのは間違っているでしょうか?

 このようなことを私から間接的に申し上げるよりも、当該書を直接にご覧いただいた方が適切にご判断いただけるかと存じ、同書をお送り申し上げることにいたしました。失礼の段はご海容くださいまして、これに対してのお考えをお聞かせ願えればまことに幸甚に存じます。なにとぞご教示をお願い申し上げます。

 ありがとうございます。再合掌(2008・2・2)

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 月刊誌Voiceの2013年11月号に、「地球温暖化が止まると困る人たち」と題した山形浩生氏(評論家兼業サラリーマン)の評論が載っていました。ご紹介します。(一部省略)

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「地球温暖化が止まると困る人たち」


       山形浩生(『Voice』2013・11)

   ここ10〜20年完全に横ばい

 もはや日本では、地球温暖化対策はあまり政策の表舞台に出なくなっている。震災以降、原発が止まって古い火力発電設備まで総動員して対応している状況では、炭素排出を減らそうというお題目自体が空疎に聞こえるのは確かだ。(中略)

 とはいえ、地球温暖化がまだ国際的な問題として、少なくとも話題には上るのは事実だ。そしてそれに裏付けを与える大きな存在が、気候変動に関する政府間パネル、いわゆるIPCCの報告書だ。そして、現在その報告書の最新版が準備されているのだが、AP通信がその草稿とそれをめぐる各国政府のやりとりを入手して報道している。

 そして、そこに大きな問題が生じている。ここしぼらく、地球温暖化は止まっているという事実をどう扱うか、という問題だ。

 そう、この問題に関心のある人ならみんな知っていることだが、地表の平均温度を見ると、実測値を見ても人工衛星からの測定を見ても、ここ10〜20年にわたり完全に横ばい状態となっているのだ。

 これは、たいへん困ったことだ。IPCCが使っている温暖化の予測値は、数十個に及ぶ大規模気候モデルの平均値だ。が、そうしたモデルのなかで、こんなかたちでの温度変化を予測したものは一つもない。過去30年で見ると、各種モデルは平均で温度上昇を実測値に比べ70%以上も過大に、人工衛星データとの比較では150%以上も過大に予測してしまつている。

 もちろん、実測値が下がれば今後の予測値も下がることになる。が、各国政府はこれに対し、この記述を変えろ、削れと圧力をかけているそうだ。ドイツは削れと主張、ベルギーは基準年を変えてもっと目立たなくしろと述べ、アメリカはこれを説明できそうな仮説を強調しろと要求しているとか。

 ちなみにその仮説というのは、温暖化は海底に入り込んでいて表面に出ていないんじゃないか、つまり別の海洋循環があるんじゃないかという説だ。ただこれも、確実ではない。海底の水温は.上がっているらしいが、結論としてはわからない。そしてもちろん、既存のモデル(そしてそこから出てくる結論)にはそんなものは反映されていない。

   歪曲を要求する各国

 ちなみに報告書草案は、温暖化に人間の活動が貢献しているのは確実だとあらためて強調するとのこと。全部がそうだというのではない。IPCCは、温暖化の半分以上は人為的なものだという言い方をする。もちろん、人為的な影響は確実にあるだろう。ただ、実際に温度が上がっていないとなると、今後突然これまでにも増して温暖化が加速するといえないかぎり、今世紀末の予測も引き下げざるをえないはず。すると、その影響もそのぶん下がるのが道理だろう。

 だが各国政府は、おそらくそれだとこれまで自分たちが旗を振ってきた温暖化対策の意義がドがってしまうと恐れているらしい。いちおうIPCCは政策中立的な団体であり、科学的なコンセンサスをまとめるだけだということに建前ではなっている。が、もちろん政府間パネルである以上、そうした政治的な思惑は避けられない。それでも、こうした歪曲を各国が公然と要求するというのは、いささか鼻白む思いではある。ちなみにEUの気候変動コミッショナーであるヘデガードはこの点を指摘されて、たとえ温暖化をめぐる科学が間違っていたとしても、いまの異様な再生エネルギー補助金を含む政策は正しいのだと強弁した。そういう強弁をすればするほど、温暖化や気候変動は政策的な関心と重要性を失うだけだ。各国のなかには、このデータを載せると反温暖化論者に使われると懸念するところもあるという。だが、隠せるものでないことくらいわかりそうなものだ。

 それならそろそろきちんと数字を見直して、妥当な対応の水準(それは、いまよりは低いものとなるだろう)を正直に示すようにしないと、かえって不信が高まるばかりだと思うんだが……。

     ******************

■一人によって興(おこ)り、一人によって廃(すた)る。
   ――私も張玄素(ちょうげんそ)の如くでありたい――

 最近私のところに送られてきた『やすらぎ通信』という新聞に、次のような随想を、青山俊董(しゅんどう)・曹洞宗正法寺住職が書かれていました。

   一人によって興(おこ)り
   一人によって廃(すた)る。

                           青山俊董

 2013年の初冬(11月末)、2度目の中国・祖跡巡拝をすることができた。(中略)旅の最後、かの有名な秦の始皇帝の兵馬俑を見学した。始皇帝個人の権力を誇示するために、さらには死後の世界までも生前と同様の生き方をひきつがせるために、途方もない財力の浪費と、どれほどの年月を費して、限りなく多くの農民をかり出し、使役したことであろうかと、ため息をつきながら眺めることしばし。

 あちこちに黒い焼け跡が見える。理由を尋ねると、始皇帝が亡くなると同時に作業は放棄されたばかりでなく、そこに建てられた建物も焼き払われたよし。その柱の焼け跡だという。個人の栄華のために多くの人の犠牲と財の浪費を省みない始皇帝のあり方に思いを馳せている私の脳裏を、道元禅師の言葉がよぎった。

 「国に賢者一人出で来たれば其の国興る。愚人一人出で来たれば、先賢のあと廃るるなり」(『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)随聞記(ずいもんき)』)

 そして始皇帝とは対称的ともいえる唐の太宗のあり方を思った。

 唐の二代太宗は名宰相の魏徴の補佐のもと、理想的な政治を行った。そのありようを伝えたものが『貞観政要』である。貞観は太宗の時代の年号。日本でも往古、久しく帝王学の教科書として、『貞観政要』は為政者間で珍重されてきた。

 道元禅師も藤原関白の家柄であったから、幼時から熟読しておられたのであろう。道元禅師の著作にはしばしば唐の太宗のことが登場する。

 「忠臣一言を献ずれば、しばしば廻天の力あり。(中略)明主(みょうしゅ)に非ざるには、忠言を容(い)るることなく 云々」

 『学道用心集』の中のこの一節も、太宗の故事に由来する。太宗が洛陽宮を修復したいと云い出した。それに対し諌議(かんぎ)大夫(君主の過失をいさめる役)の張玄素(ちょうげんそ)が命がけで、「今は農繁期で、農民を使役したら農民が迷惑する。農閑期を待ってされたほうがよい」と進言し、太宗は張玄素の進言を是として、宮殿の修復のことを取り止めた。

 昔から「綸言(りんげん)汗の如し」といって、一度出た汗をひっこめることができないように、皇帝が言い出したことは、たとえそのことが道にはずれたことであろうと通してしまう、通させてしまうのが当たり前であったのであろう。始皇帝はおそらく、その類であったろう。

 その皇帝に反論するのであるから、まさに命がけである。文字通り忠臣でなければできることではない。人民を苦しめることは、そのまま皇帝のためにならないことだから。真に皇帝を思えばこその進言である。

 しかしそれを道理として、自分の云い出したことをひっこめる、つまり臣下の云うことであろうと、それが道理ならばそれに従うことができるというのは、明君でなければできることではない。そこを道元禅師は、「忠臣一言を献ずれば、しばしば廻天の力あり」「明主に非ざるには、忠言を容(い)るることなし」と両者をほめたたえられたのである。

 この太宗と張玄素のありようを、宰相の魏徴が「張公の事を論ずるは回天の力あり」と激賞したという。回天の力、つまり天子さえも方向転換させる力をもっていた、というのであり、この因縁を挙して、道元禅師はさらに「愛語よく廻天の力あることを学すべきなり」(『正法眼蔵』菩提薩?四摂法(ぼだいさったししょうぼう))と述べておられる。愛の心からほとばしり出た愛の言葉が、一人の人を、皇帝をも、百八十度方向転換させる力をもっているというのである。

 玄奘三蔵はこの太宗が即位して三年後に密出国し、インドのナーランダ、その他で学ぶこと十七年。帰国して太宗の命により書きあげたのが『大唐西域記』である。

 釈尊一人から始まった仏法、それを限りない多くの人々の命をかけての求法(ぐほう)、伝法により、私どもの手もとまでお届けいただいた。

 それを今私がどう受けつぎ、行じ、伝えてゆくか。一人一人の責任を思うことである。

   かしこみて伝えまつらん後の世に
     君がかかげし法のともしび

     ******************

 生長の家総裁谷口雅宣先生は、個人の栄華のために多くの人の犠牲と財の浪費を省みなかった始皇帝とは正反対の、太宗に匹敵する愛深い名君であられると思います。なればこそ、真心からほとばしり出た、厳しくとも率直な言葉を、申し上げなければならないと、私は今思っています。

 「第一義のものを第一に」すなわち「久遠の今」「未発の中」に立って、ピシリピシリと節(せつ)に中(あた)る言葉を発することができますように、命をかけて祈りつつ。合掌


   
     あ と が き


 先日、見知らぬ青年から電話がかかってきて、個人指導を願いたいというのです。K青年としておきましょう。彼は、私が製作管理しているホームページ「葩(はなびら)さんさん―榎本恵吾記念館―」を見て、《榎本先生の思い出》の感想文を投稿したことがあり、そのサイトに私の電話番号が載っていたので電話をかけたというのでした。私はK君に初めて会って面談しました。

 彼はかつて10年も前に生長の家宇治別格本山の練成会に参加して榎本講師の講話を聞き、その太陽のような温かい愛の雰囲気に魅せられて、それから数回宇治練成に参加し、個人指導も受けた。その榎本講師が亡くなられたと聞いて頭の中が真っ白になり、部屋に帰って一人で泣いたそうです。

 それから急激に世の中がおかしくなったと、K君はいうのです。自分は今、ネット空間から「集団ストーカー」にいじめられている。そのストーカーたちは、職場まで押しかけて執拗に自分を責めたてるので、おちおち仕事もできなくなった。彼らに命令してストーカー行為をさせているのは、谷口雅宣総裁にちがいない。それ以外に考えられない――総裁は「実相」を否定するようなことばかり言って生長の家をつぶそうとしているようだから――などというのでした。彼はインターネット上の掲示板などで、根拠のない決めつけの妄想情報があふれているのを読み、今生長の家はどうなっているのか、本当のことを知りたい、総裁は何のためにストーカー行為を命令しているのか、本心を知りたい――という。

 そしていま世間には人を精神病者に仕立てて高額な料金をとる悪い精神科医がいっぱいいる――などというので、彼は精神科医にかかって「幻覚をともなう被害妄想の統合失調症」とか病名をつけられ精神安定剤などの薬をいっぱい処方されたような経験があるのかもしれないと思いました。
 しかし私は「それは被害妄想の統合失調症」というような決めつけをせず――彼の言うことを頭から否定はせず、まじめに聞いてから、申しました。
「この世界は、波動の世界です。神様の霊的波動だけでなく、本来ない迷いの波動もあらわれているんです。“集団ストーカー”というのは実在するんじゃなくて、迷いの波動の作用でしょう。聖経『甘露の法雨』に書かれているように、それは悪夢――悪い夢を見ているようなものですよ。“善のみ唯一の力、善のみ唯一の生命、善のみ唯一の実在、されば善ならざる力は決して在ることなし、善ならざる生命も決して在ることなし、善ならざる実在も亦決して在ることなし、善ならざる力即ち不幸を来す力は畢竟(ひっきょう)悪夢に過ぎず。善ならざる生命即ち病は畢竟悪夢に過ぎず。すべての不調和不完全は畢竟悪夢に過ぎず。病気、不幸、不調和、不完全に積極的力を与えたるは吾らの悪夢にして、吾らが夢中に悪魔に圧(おさ)えられて苦しめども 覚めて観れば現実に何ら吾らを圧える力はなく 吾と吾が心にて胸を圧えいるが如し。まことや、悪の力、吾らの生命を抑える力、吾らを苦しむる力は 真に客観的に実在する力にはあらず。吾が心がみずから描きし夢によって 吾と吾が心を苦しむるに過ぎず。”とあるとおりですよ」
 ――と。
 そうしたらK君は、「榎本先生が浄心行のとき必ずテキストに使われた『人類無罪宣言』を今も持っています」と、それを出して313頁を開いて見せました。そこにはこう書いてありました。

《世界の歴史は世界の念の自己審判
 だから、この世界の修羅場の現出は世界の念の自己審判であります。「罪の価いは死なり」とパウロが申しましたように、罪のある処、神の創造(つく)られたるままの「完全なる世界の実相」は、隠され押し消されてしまっているのであります。しかしこれは、神の創造り給える実相世界が無くなったのでも、破壊してしまったのでもありません。ただ真相が蔽われているにすぎないのであります。先刻引用しました『妙法蓮華経』の「寿量品」にも、「衆生、劫尽きて大火に焼かれると見る時も、わが土(ど)は安穏にして天人常に充満せり……わが土は毀(やぶ)れざるに、しかも衆は焼け尽きて憂怖(うふ)もろもろの苦悩ことごとく充満せりと見る」とありますとおり、神の創造(つく)り給える実相の世界は無くなったのでも、破壊してしまったのでもなく、そのまま儼然(げんぜん)として存在していますのに、その実相を見ないで、自己の憂怖憎悪いろいろの念の影を映し顕わして、苦悩みつる世界歴史を現出しているのであります。世界歴史は人類の「迷い」の自己審判であるわけであります》と。

「――まったくその通りですね。すでに完全な浄土、完全な世界が実相として創造(つく)られずみで、それはなくなることはないんだから、現象世界にも必ず完全な実相が顕れざるを得ないんだ。いま、実相が顕れつつあるんだ。だから、堅信歌にある通り、
“安らなれすべてよければ とこしえに此処極楽に 汝(なれ)はいま守られてあり”“汝(な)は完(また)く浄くけがれず 行く道に迷うことなし”だから、安心して、もっともっと喜びましょう。榎本先生はいつもそればかりおっしゃってたんじゃありませんか。不安になったら、聖経『甘露の法雨』をもっともっと読みましょう」と私はK君に言ったのでした。

「完全な実相は、必ず顕れざるを得ないんだ。いま、実相が顕れつつあるんだ。何があっても、必ずよくなるしかないんだ。」

 私は、堅くそれを信じながら、今、そのために何を為すべきか、自分の使命は何か、内なる神の声を聴きつつ行動する。K君が私の前に現れたのも神の摂理、導きによるものだったのだろうと、その思いを新たにいたしました。

 そう思いながらここまで書き終わった3月16日、朝日新聞に「傲慢なトップは経営リスク」という記事が載っていました(タイトルコピーが第1面に、記事が4面に)。
《経営トップの「傲慢」は会社の存続を危うくしかねない――。自信過剰で周囲の助言を聞かないトップの暴走を防ぐ研究が、英国で進む。「ナッツ騒動」(大韓航空)など実例が後を絶たないため、社会全体で考える試みだ》
というのです。

 これは他人事(ひとごと)ではないと思いました。私にも、その危険はあるぞと。

 ○自分の判断には大きすぎる自信があるが、ほかの人の批判は見下すことがある
 ○「私の可否を問うのは、同僚や世論などのありふれたものではない。審判するのは歴史か神だ」と思う
 ○「私がやろうとしていることは道義的に正しいので、実用やコスト、結果についてさほど検討する必要はない」と思うことがある

 ――などは、「傲慢症候群」の症例としてあげられるそうです。

 生長の家では、人間は皆神である、王である、宇宙の中心であると教えられています。しかし、それは肉体人間が神なのではない。自我を捨て切ったとき、そこに神が現れるのでした。間違えないように気をつけなければならないと、深く自戒いたしました。

 合掌 ありがとうございます。